9.神戸市須磨区大手町8飛松中西の道標

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神戸市須磨区大手町8丁目19 山麓線から北へ直線200m、飛松中学校西側フェンス沿いに南西を正面に建つ
角柱 129x21.5x16p(指差像部21x19x2p)
N34.658431 E135.125083


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南西面
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│(左指差像) 地蔵道        │
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南東面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では須磨区4)
(明治の地図では小径の四辻に見え、北西の尾根筋道が高尾山の北に延びているが途中で無くなっている。奥に川上
 地蔵が有ったものか。現在は墓地西部の立派な石垣の上に小堂があり、此の中に地蔵が置かれていると思うが、柵
 等により立ち入り出来ない。
 神戸市HPの指定文化財(石造物)一覧に「須磨区大手町8、有馬家墓所地蔵石仏、南北朝、指定平成11年(1999)」
 と載るが詳しい説明等はない。)
(案内に指差像を彫るのは大正頃の流行と思われ、石の風化から見てもその頃のものと考える。
 紀年を持つ指差像道標は「長田区西山町1の道標」「兵庫区楠谷町24の道標」「兵庫区東山町4大正の道標」
 等を参照下さい。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南に望む
 左奥(北)墓地へ  後、中学校フェンス  30m先右、住宅地へ
 背後、住宅地へ】  左、墓地、地蔵へ】  フェンス沿いは道無】

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【4.道標南西面拡大 【5.道標南西面上部 【6.道標南西面最上部
 現在は一本道で  指差像先端部が  指差像部は2p
 北に進むしかない】  少し欠ける】  浮彫に成っている】

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【7.上部墓地より 【8.地蔵堂を北に望む
 道標を南に望む  たぶんこの中に
 二本目の電柱脇】  地蔵があると思う】

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【9.神戸市南西部の道標】
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