9.摂津市一津屋1の道標

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摂津市別府1-6-21 府道147号と一津屋新橋を北に越える道との交差点、北側歩道外の植込み中に東を正面に建つ
(神崎川分岐点北、ダイキン工場南門入構道(四辻)の西部でもある)
尖頭型角柱 134x24x24.5p(頂高7p)
N34.757431 E135.558977


写真himg1802

写真himg1804

写真himg1807

写真himg1811

東面
┌────――――――――――――┐
│左 な加ら 大坂道       │
└――─―――――――――――――┘
(仮名「な加ら」は「長柄」であろう)

北面
┌────――――――――――――┐
│         天満市場   │
│慶應四辰年三月         │
│         京屋 與兵衛 │
└――─―――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――┐
│右 奈可ら 大坂道       │
└――─―――――――――――――┘
(仮名「奈可ら」は「長柄」であろう)

南面
┌────――――――――――――┐
│右 一ッや とりかへ      │
│           道    │
│左 べふましたい者らき     │
└――─―――――――――――――┘
(仮名部は「一津屋、鳥飼」
     「別府、味舌、茨木」であろう)


(慶応四(戊辰)年三月1日とすると西暦1868年3月24日火曜日となる。明治改元は9月8日である。)
(『摂津市の道標』市文化財愛護会、平成20年刊では9)
(明治の地図では一津屋で淀川右(北)岸上の道と堤防の下の道に分かれ、堤防下の道は神崎川の右岸を通る道とな
 りこの辻に掛かる。『摂津市の道標』では乙辻街道がこの辻の300m西から北に分岐とするが、現道標の西20mの
 辻から北に分岐し墓地の西を通り別府へと向かう方が近道である。堤防から別府を目指す人は遠回りをせず最短の
 この道を行くと思う。南大坂への道を見るとこの地点からは道が無く(一津屋新橋は昭和60年以降)、東に80m
 程の地点から神崎川を南に渡る道か、西300m辺りの江口への渡しの二本が考えられるが、渡しの北から「左別府」
 に進むと前述の如く遠回りになるので、もしそこなら道標南面に「すく別府…」と書くと思われる為除外できる。
  依って、元位置は、現地より80m東の三ツ辻(今は北のみ道のある辻だが、当時は南へも有る四辻に見える)
N34.757497 E135.559853
 辺りとしたい。
  尚、同書が乙辻街道の分岐とした辻は渡し場から西50mと思われるが、現在(2020)北西への旧道は無い。)
(乙辻街道を北へ進めば「別府1の道標」「浜町7の道標」「三島2の道標」と続く。)

写真himg1842 写真himg1845 写真himg1846
【1.道標を南西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(西)江口橋へ  奥、一津屋へ  左端、堤防下り別府へ
 左一津屋新橋昔は無】  左手前は工場へ】  墓の西を抜ける近道】

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【4.道標西面拡大 【5.道標南面上部 【6.道標東面拡大
 「右奈可ら」は南を指し  「右一ッや」は東  「左な加ら」も南を指し
 「右長柄」であろう】  「左べふ」は西か北か】  「左長柄」であろう】

写真himg1820 写真himg1814
【7.道標北面上部 【8.道標南面下部
 「慶應四辰年…」は  右「…とりかへ」
 明治の直前である】  左「…した い者らき」】

写真himg1819
【9.道標北面下部
 「天満市場」
 「京屋與兵…」とした】

写真dimg2468
【10.摂津市の道標】
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