2.大阪市東淀川区菅原1−3の道標

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大阪市東淀川区菅原1丁目3−18 長柄橋北詰から府道14号を東へ1.6q東淡路交差点で14号と別れ堤防沿い(14号旧道)に更に東へ320mの三叉路を北東に180m突き当りの三叉路の北西部に南東を正面に建つ
「菅原1−4の道標」瑞光寺への案内は辻を挟んで東側にある。)(此の辻より北への道が亀岡街道である。)
頭丸形角柱 72x18x17.5p(頂高3p)
N34.736126 E135.526629


写真himg2585

写真himg2588

写真himg2589

写真himg2593

南東面
┌─――――――――――――――――――――┐
│右 大坂みち 還…            │
└―――――――――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――――――――┐
│  すい多                │
│左り   わたし             │
│  江口                 │
└―――――――――――――――――――――┘
(「り」は小さく「すいた」の上に)
(「多」は変体仮名「た」、「吹田」か)

北西面
┌─――――――――――――――――――――┐
│ 辛 天明元年              │
│ 丑 五月十一日             │
└―――――――――――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――――――――――┐
│左 大さ可みち              │
└―――――――――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」で「大坂道」か)


(天明元(辛丑)年五月十一日は、西暦1781年6月2日土曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では528A)
(天明元(辛丑)年は四月二十一日から始まり、五月十一日に建てたとなると、二十日の間に彫って建てたことにな
 るのか。もしそうなら道標の製作期間が解る貴重な資料だと思う。作成後に改元があり旧年号のままのものは時々
 見かける。「高槻市京口町12の道標」等を参照。)
(案内面を見ると吹田・江口を亀岡街道への指示(江口へは淀川堤防を使わない)とすると、残り大坂を含め二方向
 への案内である。明治の地図でも亀岡街道が堤防から北東に離れ当辻で北に屈曲している。辻から小径の道が南東
 に分岐し堤防上を東へ続くものの、案内すべき道ではない様に見える。
  依って、元位置が今の辻なら案内を満足させるには少なくとも180度回転させる必要があろう。即ち、現北東面
 の「左吹田渡し」が南西、或いは西面であったなら辻褄が合う。この時、現南東面「右大坂道」が見え難くなる為、
 辻の南側に置かれていたものと思う。従って近接移設としたい。)
(南東面の最下部に「環…」とあるが不明。漢字でありながら平仮名よりも小さく追刻の可能性もある。)
(当道標より北に進むと「菅原1の道標」に繋がる。2020年11月現在、北側の民家が無くなり更地と成っているが、
 新築などに伴い無くなる可能性は大である。)

写真himg2579 写真himg2652 写真himg2656
【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を東に望む
 左(北)亀岡街道  右(西)長柄橋へ  左(北)亀岡街道
 府道16号へ】  元位置は道の南か】  奥に菅原1-4の道標】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南東面上部拡大 【6.道標北東面上部拡大
 右面「右大坂道」  「右 大坂みち」は  「左すい多」は吹田
 は吹田で、不可】  北に進み、不可】  「左」南東では不可】

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【7.道標南西面中部拡大 【8.道標南東面下部拡大 【9.道標北東面下部拡大
 「大さかみち」の上  「みち 還…」  「… わたし」は
 「左」は北になり不可】  は何と続くか】  渡し場を示す】

写真himg2616
【10.道標北西面中部拡大
 「天明元年」
 「五月十一日」とした】

写真himg2315
【11.大阪市東淀川区の道標】
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