9.大阪市福島区海老江4の道標

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大阪市福島区海老江4−8−16 南桂寺門前北側、淀川からの道が寺に突き当たる三ツ辻東部に北西を正面に建つ
尖頭型角柱 68x20x20p(頂高5p)
N34.699323 E135.471556


写真himg3257

写真himg3258

写真himg3259

写真himg3260

北西面
┌─――――――――――――┐
│左 大坂道        │
└―――――――――――――┘

南西面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――┐
│(なし)         │
└―――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――┐
│  あま         │
│右     道      │
│  ひへじ満       │
└―――――――――――――┘
(「あま」は「尼崎」であろう)
(「満」は変体仮名で「ひへじま」
 「稗嶋」で今の「姫島」か)


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、607)
(北東面「ひへじ満」は「稗嶋」で今の「姫島」に当たり、「あま」は「尼崎」として、此処を右(北東)に採れば
 明治23年地図では道が無く、昭和7年部修の地図では現在(2020)と同じように既に淀川大橋に繋がっていない。
 大阪府HPに「新淀川開削は計画から完工迄を明治29(1896)年から明治43(1910)年」としており、尼崎方面へ
 の道は、これ以降となる。この道標が移設されていない前提に立ち、明治43年以降、昭和7年迄の建立となる。
  移設が有っても、近世の道標であれば、近い村から記述する事が通例で、「稗島、尼崎」の順で書くであろう。
 他に、尼崎を「あま」と短く呼ぶのが現代的な感じを受ける。元々尼崎自体の案内が少ない事もあるが市内で二件
 「正蓮寺の道標」「海老江6の道標1」、吹田に一基「江坂町3の榎坂西(大)道標」の様に皆無では無いとは
 断っておく。又、時代には関係ないかも知れないが二面共に「道」とするのも気になる。
  南に同じ頃の作と思われる「海老江6の道標2」があるが、この官製のものに比べると表現に古さを感じさせ、
 故意にそうしたのか、作成者が近世に生きた方であった為この様に書かれたのかも知れない。)

写真himg3256 写真himg3264 写真himg3266
【1.道標を南西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北東に望む
 奥、八坂神社の東を  右(南西)八坂神社  左奥70m先右折で福島へ
 過ぎ現国道2号へ】  左、70m先右折で福島へ】  黄土色建物の次の辻】

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【4.道標北東面拡大 【5.道標北西面拡大 【6.道標南東面を上部
 「右/あま」  「左大坂」は堤防から  から見下ろす
 「ひへじ満」】  下りてきて正面】  下は壁の礎石】

写真himg3276
【7.道標北東面下部拡大
 左下「母」の様な字は
 「満」の変体仮名】

写真himg2312
【8.大阪市福島区の道標】
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