10.大阪市生野区桃谷3の道標2

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
大阪市生野区桃谷3−20−14 鶴橋中南東校門から鶴橋街道を北へ230mの三ツ辻北西部に東を正面に建つ
尖頭型角柱 47x4x17p(頂高2p)
N34.657815 E135.536434


写真himg5100

写真himg5103

写真himg5105

写真himg5109

南西面
┌─――――――――――――――――┐
│大正六年五月           │
│ 神中通             │
└―――――――――――――――――┘

南東面
┌─――――――――――――――――┐
│ (なし)            │
└―――――――――――――――――┘

北東面
┌─――――――――――――――――┐
│ (なし)            │
└―――――――――――――――――┘

北西面
┌─――――――――――――――――┐
│ (なし)            │
└―――――――――――――――――┘


(大正六年は、西暦1917年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(「神中通」をwebで「神中通りは、生野コリアタウンの西部を南北に貫く通り。」とする記述があり、当地より北
 に直線的に伸びる通りを呼ぶものと思う。北約500mで「七福之辻碑」に到達するが、その手前100m辺りの東側に
 「神中湯」とする銭湯もあり間違いが無いと思うが、開始、終了地点が明確でない。開始地点が当地点でなければ
 通りを指示する道標と受取れるが、此処から開始となると通りの名称標となろう。取り敢えず道標としておく。)
 鶴橋街道から北に分岐し再び鶴橋街道に出る、ショートカットの通りを指示したものとする。)
(西に向かい生野街道を採れば「生野区桃谷3の道標」、東に向かえば道はやがて南を向き、西俊徳地蔵堂に出れば
 「生野区勝山北4の道標」「生野区勝山北4の道標2」がある。)

写真himg5091 写真himg5093 写真himg5096
【1.道標を北西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を西に望む
 右(北)七福之辻へ  奥(東)鶴橋中東側へ  奥120m北折し桃谷3道標へ
 左、桃谷3の道標へ】  左500m七福之辻へ】  右(北)七福之辻へ】

写真himg5097 写真himg5101 写真himg5111
【4.道標を南に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標上部を西に見下ろす
 左右が鶴橋街道  「大正六年五月」  下辺を東面としたが
 背後が神中通りへ】  「神中通」とある】  やや南を向く】

写真himg2318
【7.大阪市生野区の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ