16.大阪市生野区巽東1の道標(河内国内)

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大阪市生野区巽東1−9 内環巽東1丁目交差点南60mの四辻旧道を東へ40mの三ツ辻
(法泉寺東の道を北へ突当りの三ツ辻でもある)北部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 61x16x19p(頂高3p)
N34.650374 E135.555073


写真himg5671

写真himg5672

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写真himg5678

南面
┌─――――――――――┐
│左 大阪       │
└―――――――――――┘

東面
┌─――――――――――┐
│(不明)       │
└―――――――――――┘

北面
┌─――――――――――┐
│ 宿坊 光明院    │
│  大阪世話人    │
└―――――――――――┘

西面
┌─――――――――――┐
│右 信貴山      │
└―――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行には、未記載。)
(生野区中川、中川東迄が摂津の国で南の巽北に入ると河内国となる様で、河内の道標となり対象外であるが、調べ
 てみたので載せておく。明治の地図では「矢柄」と成っている。)
(北面「宿坊光明院」を持つ「生野区勝山北4の道標3」があり、続きと思われる「生野区巽中1の道標」更にこの
 道標と一連の作であろう。)
(明治の地図では南から来た道が西に曲がるだけの様に描かれているが、三ツ辻で有ったものと思われる。信貴山か
 ら大阪へ帰る人には「左(西)」折れを案内したものであろう。現在(2021)では40mで内環状道路(R479)に
 出て旧道は消えるが、前述の「生野区巽中1の道標」の辻からは再び現れる。)

写真himg5696 写真himg5665 写真himg5668
【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 右(南)信貴山へ  左、現内環状へ  奥(西)40m内環へ
 背後40に内環】  内環で旧道は消える】  左、90m法泉寺へ】

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【4.道標西面拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標北面中部
 「右 信貴山」  「左 大阪」  「宿(坊)光」
 下に印があるかも】  と読める】  「大阪世」であろう】

写真himg5684 写真himg5667 写真himg5687
【7.道標東面拡大 【8.道標を北東に望む 【9.道標北面下部
 不明としますが  辻は拡幅されたが  「…光(明)院」
 なしが相応しいか】  取り残され痛々しい】  「…世話人」とある】

写真himg2318
【10.大阪市生野区の道標】

 2024/3/10 訂正
 当道標を、「『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、419」としておりましたが誤りです。
 該当記述は無さそうです。今回419に該当する道標を見つける事ができた為、発覚しました。
  依ってそれに関する記述を削除すると共に、東面施主の読み下しを同書から引用せず、不明とします。
 尚、419該当と出来る巽東1の道標3はこちら。
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