16.神戸市須磨区白川字清水谷の道標

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神戸市須磨区白川 須磨区白川475南の石抱きカヤの木から東に道なり380m、南西から下ってくる道との三ツ辻の
北西部(川沿い道からは擁壁の西裏、池土手斜面)に南東を正面に建つ
蒲鉾型角柱 108x24x21p(頂高4p)(龕部21x19x-2.5p、左右縁2p、上部縁3p)(像部21x肩10x2.5p)
N34.703252 E135.106523


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南東面
┌─―――――――――――――――――┐
│      為浄(華)院清弌…   │
│(座像)左 阿里満(見千)     │
│      為(教明院)西弌妙…  │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より
 (見千)は変体仮名(みち)であろう
 又、座像は地蔵像とする。)

北東面
┌─―――――――――――――――――┐
│  右 山道            │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 願主 兵庫北仲町         │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では須磨区16。)
(同書に「…右手につづくたんぼが切れて川筋へ下り坂となるあたり、左手の雑木林の斜面に立派な道標が立っている。
 ここはむかし辻であったという。谷間をを登って鷲尾家の墓地をすぎ、藍那を経て有馬に行く道が通じていたらしい
 が…」とあり、これを昭和60(1985)年修正の地図で見ると、現在の川右岸(北側)の道はなく、石抱きカヤの木か
 ら東に進み、「白川475の道標」の元位置ではないかとした三ツ辻で北東に分岐し現道標のある辻へ下がってくる
 道が描かれている。川筋に下る道はここを描写した文書であると思う。又、北への畦道の辻であるように見える。
  これを明治の地図で見ると、現道標の西の池は描かれておらず、昭和の地図の辻よりやや北に三ツ辻があり、北西
 と北東に分岐する様子が描かれており、ここが元位置に相応しいと思う。よって移設としたい。)
(南東面の行先「左、阿里満(見千)」は変体仮名で「左、ありまみち(有馬道)」と書かれていたと思うが現在では
 下部の「見千」部分が草刈機で削られて読めない。同書では「みち」と読み下していて写真でも「見千」と見える。
  元位置から左(北西)にとり有馬を目指すと、「白川字池ノ谷の道標」から「右、アイナ」とされる尾根道に接続
 し藍那から「南湯の山道」に出て有馬へ向うことが地図上では出来る。が実際には未踏査です。
  白川から藍那への道は「天保国絵図摂津国」にも朱書きされており、近世においては主要道であったことが分るが
 白川村の何処から北へ向っていたかは絵図では分からない。明治の地図から推察すると、白川大歳神社の南から北に
 分岐している道と思われる。現在では白川公民館の北辺りから道が消えているが、延長上の阪高31号には横断橋が架
 っておりその名残であろう。陸橋から北東に進むと「白川字池ノ谷の道標」の三ツ辻(現南行の道はない)に至り、
 そこから東へ200m程進み北に向きを変え藍野となる。同書が白辺路(しらべじ)とする道か、但し未踏査。)
(北東面の「右、山道」を明治の地図で辿るとすぐに現川筋の道に下り三ツ辻になり、川沿いに北上すれば現白川PA
 の東辺りを通り藍那へも行けそうであるが、谷筋であり道の状況は良くなかったのであろう。川沿いの今の道を少し
 進んでみたが行止りの様であった。)
(願主の名前が刻まれていないが、南東面の戒名と思われる人の供養のための建立とするなら、この人の親族と思われ
 るが、住所からすると10q程も離れており町へ出て財をなした人が故郷に建てたような気がする。ただ『神戸の道標』
 に載る写真(36年前?)からすると草刈機の傷以上に風化が進み、座像の部分などは外からは見えないが内部で剥離
 が進み、十年としない内に崩れるのではないかと心配する。「右、山道」面がよく残っているのは雨の当たり具合に
 よるものであろうか。)
(川沿い道の西380mに「白川475の道標」が、北480mに「白川字池ノ谷の道標」がある。
 未踏査であるが、北有馬方面に進むと「北区山田町藍那字伝庫南の道標」に続くのではないか。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標辻から南を望む
 電柱の左の木陰に  注意しなければ  右上への道が古くからの道
 小さく当道標が見える】  道標に気づかない】  道標は擁壁上の西側】

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【4.道標を西に望む 【5.道標南東面上部 【6.道標南東面を上から望む
 現状で「左…」は  二ヶ所の小さいヒビは  上部にもヒビが走る
 白川集落方面となる】  内部で大きな空洞か】  左は盃状穴かもしれない】

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【7.道標南西面拡大 【8.道標南東面下部 【9.道標北東面拡大
 「願主、兵庫…」  「左、阿里満…」  「右、山道」と読める
 住所のみか】  と読める】  この面はよく残る】

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【10.道標南西面下部 【11.道標南東面下部左 【12.道標南東面中部右
 「兵庫北仲町」  「西弌妙…」  「…(華)院清弌」
 は今の本町か】  俗名「西一」さんか】  俗名「清一」さんか】

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【13.旧道上から北東を望む
 左に小池、道標は120m先
 60mで昭和60年頃の辻へ】

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【14.神戸市西部の道標】
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