102.箕面市箕面公園1瀧安寺墓地の道標

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箕面市箕面公園1 瀧安寺山門を南西に90m、北側の瀧安寺歴代住職墓地の入口西側に、北東を正面に建つ
角柱 65x23x21p(上部四辺の面取高2p)
N34.841599 E135.471276


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北東面
┌―――――――――――――――――――――┐
│右  大谷清水              │
│すく 五てう               │
│左  六てう               │
└―――――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(不明)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――――┐
│すく 大津                │
│左  大谷清水              │
└―――――――――――――――――――――┘

南東面
┌―――――――――――――――――――――┐
│南(無阿弥陀)佛             │
└―――――――――――――――――――――┘
(( )部は『箕面の道しるべ』より)


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では81。)
(同書に「聖護院とゆかりのある寺で、山門も京都御所より移築したと伝えられるものであるから、何かにまぎれてこ
 の地まで移動してきたものと思われる。京都・東山山麓のどこかに立っていたものであろうか。」としている。
  行先の表示からすると、大谷、清水、大津、等は京都にあって相応しいものと思われるが、「五てう、六てう」を
 普通に読むと「五、六ちょう」となり「丁、町」では思い当たる地名がない。そこでこれを可能かどうかは定かで無
 いが「ぢょう」と読み「五、六条」とすれば馴染みの有る呼び方になる。
  現南西面の「大津」は滋賀県の大津として異議がなければ、旧国道1号線の京都市東山区清閑寺山ノ内町16辺り
 の四辻に西面しておけば、直進(東行)すれば「大津」、左(北)に折れれば清水に向い良く、現北東面が東面して
 「右、大谷清水」が北を指し、「すぐ 五条」が一号線を五条大橋へ向うことになり、いずれもうまく説明が着く。
 が、「左、六条」がやや苦しい。同辻を明治の地図で見ると左(南)に六條山へ登る道が見えるが案内するに値する
 とは考えにくい。
  そこでもう少し西の「馬町交差点」
N34.992621 E135.774836
 かその北の「東山五条交差点」辺りとすれば、左に折れる道が六条の通りへ繋がる道として全て説明が着くように思
 える。道路の拡張等により移設されたものと思う。
  東山辺りからの移設道標として「西宮市御茶家所町の道標」があり、京都からの移設と拡張すれば
 「芦屋市打出小槌町図書館分室の南側道標」等もある。)
(当墓地を出て南西に向かい20m、小さな橋を渡った右(西)側のコンクリート堤防上に「山の神道標」がある。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 門扉左後に当道標  中央に当道標  右灯籠後ろに当道標
 右(北東)瀧安寺山門へ】  右石板に墓所の説明】  門を出て左瀧安寺山門へ】

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【4.道標北東面上部 【5.道標南西面 【6.道標南西面上部
 「右/すく/左」  何も書かれていない  「すく/左」
 と読める】  と思うが不明とした】  は間違いないでしょう】

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【7.道標北東面下部 【8.道標南東面下部 【9.道標南西面下部
 「大谷清水」  「□陀佛」より  右側「大津」と読める
 「五てう/六てう」】  「南無阿弥陀佛」とした】  「大谷清水」とした】

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【9.箕面市の道標】 【10.勝尾寺道標分布図】
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