25.道明寺天満宮の百度石(道標ではない)

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藤井寺市道明寺1-16 道明寺天満宮本殿南東前の境内に北を正面に建つ
尖頭型角柱 236x31x32p(頂高約12p、基部6p高さに含まず)
N34.569000 E135.617661


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北面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│ 百 度 石                │
└――――――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│こ古路多仁満古登乃道尓か那飛な盤      │
│いのら壽とて无神やまも良ん         │
│              少納言菅原為定書│
│              (落款 落款) │
└――――――――――――――――――――――┘
(心だに誠の道にかなひなば
  祈らずとても神やまもらん)

南面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│ 施主泉州堺 神南邊隆光          │
└――――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――――┐
│文政十丁亥年三月              │
└――――――――――――――――――――――┘


(文政十年(丁亥)三月1日とすると、1827年3月27日火曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、記載なし)
(歌の読み下しについては自信なし。ご注意ください。)
(施主は「神南邊隆光」とほぼ楷書で書かれる。「邊」の旁の「方」の下部分は「口」の様にも見えるが「邊」と
 した。「隆光」は名前であろう。)
(菅原為定書について、太宰府天満宮HPに「和魂漢才碑」「安政五年(1858)、道真公の末裔である菅原為定の書」
 とありました。web上に「江戸後期の公卿。従二位権中納言に至る。文久二年(1862)59才で没。」を信ずると
 1803〜1862年とし、10歳未満で書を依頼される事はないとすれば、この西面の書は1813(文化十年)〜1862年と
 して良いと思う。神南邊の没年が天保二(1831)年とされているようで、東面の紀年も含め矛盾は無いでしょう。)
(落款もオークションサイトのものと比べるとよく似ていると思え、石に刻まれた点を考慮すれば同じとして良い
 のではないか。ただ印の鑑定方法などに付いては全く知識はありません。)

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【1.南面施主部分拡大 【2.南面名前部分拡大 【3.東面紀年部拡大
 「施主泉州堺」  「神南邊隆光」  「文政十丁亥年三月」
 「州」はくずし字か】  「隆光」は名前か】  綺麗に読める】

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【4.西面落款部分拡大
 「菅原/為定」
 「為定」であろうか】

【中山寺百度石との比較】

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【5.中山寺東面施主部分 【6.同左下部拡大 【7.中山寺北面紀年部
 「泉州堺施主神南邊隆光」  「邊隆光」  「文政九丙戌歳」
 書き順以外同じ】  同じように見える】  書き慣れない感じ】

(名前部分は、「施主」の書き位置が異なる。名前はほぼ同じ様に見える。
 紀年部分は、「年、歳」の違いと、月が無い。一年後の方が字が上手い様に見える。)
 「中山寺百度石」の詳細はこちら。
 「堺市北区百舌鳥八幡の道標」の詳細はこちら。
 「尼崎市西川2の地蔵道標」の詳細はこちら。
 
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