34.川西市多田院社務所横の道標

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川西市多田所町1 多田神社社務所西側の壁際に上部を南をにして倒置される
蒲鉾型角柱 113x20x17p(頂高3p)、基部21x23x20p高さに含む、上部から72pで折損
N34.860277 E135.402466


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上面
┌――――――――――――――――――――┐
│左 満願寺道              │
└――――――――――――――――――――┘

右面
┌――――――――――――――――――――┐
│右 大水尓ハ舟有            │
└――――――――――――――――――――┘

下面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

左面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では21)
(上面、「左 満願寺道」とした。満願寺は川西市の飛び地になってなっているが、ここからは相当な
 山道となる。現在の感覚では考えられない道であるが、最短経路である。南へは「西多田1の道標」
 「西多田平井田筋の道標」と連続して満願寺を案内する。
 右面、「右 大水尓ハ舟有」は行先が書かれていないが、多田院であることは間違いないでしょう。
 何この様な表現になったかは下記を参照下さい。因みに読みは「おおみずにはふねあり」)
(上書に「西多田字イガミ二番地、県道川西篠山線の多田神社橋前信号機と、湯山台団地入口信号機の
 ほぼ中間にあるタバコ店角に建つ。」とあり、続けて
 「ここは古くから多田院に参詣した人々が、多田三山の一院として有名な満願寺参拝などに往還した
 山道への入口に当たる地点です。
  簡単な木橋が増水で使えない時渡し舟を利用していた。
 多田神社からの満願寺道は、今の地形では湯山台団地の東側を通っていて、古くはトツケ峠(愛宕原
 ゴルフ場)をこえていた。」とある。
 現在は、社務所横に置かれており、上書のたばこ店の位置も不明である。そこへも移設されたものか
 分からないので、明治の地図から案内が必要と思われる、元位置の候補を探すと
N34.858266 E135.405229
 西多田1−17−50の四辻辺りとし、
 上面が東から南東、右面が北から北東に向けて立っていたのではないか。『今昔マップ on the web』
 の明治の地図では北への道は猪名川に当り、橋が架けられている。国会図書館デジタルアーカイブの
 『摂津名所図会』巻七、コマ33に橋が架けられている図があり、人一人が歩けるような流れ橋程度の
 ものであったと見える。
 これでは大水が出ると渡れなくなり、舟を使わざるを得ないでしょう。そこで「大水時には舟があり
 橋は無理でも、渡れますよ」と案内したものと思われます。こう書けば平時は徒歩で行ける事も分る。
 又、行先がないのは、ここから多田神社が見えていた為と考えます。)

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【1.多田神社を北に望む 【2.随神門西の社務所を 【3.当道標を北に望む
 御社橋を渡りすぐに  北西に望む、右神門へ  手前が上部になり
 石段を登り神社へ】  消火栓左後に当道標】  真中で折れている】

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【4.上面を見下す 【5.上面を右に回転して 【6.右面が直立した風に
 「左、満願寺道」  光の具合が良くなり  写真を90度回転させた
 漢字表記は珍しい】  「左、満願寺道」とある】  「右、大水尓ハ舟有」】

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【7.右面を横から見る 【8.想定元辻の灯籠を南に望む 【9.御社橋から猪名川下流を望む
 「右、大水尓ハ舟有」  道標は辻向うに有ったか  左岸の薮の真中辺りを上ると
 「おおみずにはふねあり」】  奥満願寺へ、左右旧県道12号】  「多田院1の道標」に繋がる】

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【10.かわにしふる里散歩に載る 【11.北に進み猪名川左岸を望む
 写角と同じとして撮ってみた  一本離れた木の左に階段があり
 黄色い車止め辺りに有ったか】  石垣に「多田院1の道標」が埋る】

(『かわにしふる里散歩』3−道標をたずねて−(昭和58年刊?)に元位置が分かる手書きの地図があり、
 上記の地点の辻の南西部に、建っていると印されるが、残念ながら設置の向きが書かれていない。往時
 の写真から判断すると、南への道が奥に進むと見え、それに対し「右満願寺道」が45度の角度で見える
 ことから、北東に面していた可能性が高い。この場合「右大水…」の右が、旧県道12号を西へ進むと受
 取ってしまいそうですが、私の解釈では、前述したように「右大水…」は川原に続く道を示すとしたい。
 依って、向きが変わったか、辻の形状変更等があったとする。
  辻の北西部に石灯籠があり北への細い道は川原に続き、対岸には「多田院1の道標」もあり、これも
 「満願寺」を案内している。ただ、『摂津名所図会』の絵を見る限り、橋の北詰はこの道標の東60m、
 現、多田公民館辺りと思われ、道標の有る階段は、川の流れに接して見える事から船着き場であったと
 想像するのは楽しい。)

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【12.川西北部の道標】
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【13.川西南部の道標】
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