ヨコハマ買い出し紀行ロゴ(小青)
考察A7ロゴ

[ ページ8 ]

トップページへ



     忘れる
 忘れる。 − かつて体験した事柄を思い出せない、または現実感をともなって思い出すのに苦労する状態に遷移することである。

 人間の場合は、神経繊維間のシナプス結合の有無・強弱により記憶を保持しているが、それは不変のものではなく、使われない結合は次第に弱くなっていく。これが「忘れる」という行為である。ただし、自分の意志で直接行うことはできない。よく思い出すものや、他と関連の深い事柄は結合の数や強さが大きくなり結果的に「忘れないでいられる」が、忘れるための術はない。

 では彼女たちはどうか。

 オーナーがあのカメラを贈っていることから、アルファさんもそんな行為を行うことがわかる。また、おじさんが来店した時と久しぶりの客の時では、好みのメニューの思い出し方に差があるし★1、結構印象深かったはずの光の花も忘れてる★2。それに「懐かしい」という感情を持っている★3のだから、忘れる/忘れないの選択は人間と同様の手順によるものと考えられる★4。他のA7については不明だが、誌面を見ている限りその辺りのスペックは同じだろう。
 つまりA7は自分の経験を、単純な「記録」ではなく「記憶」しているのだと言っていいだろう。これまでの考察で脳構造も人間に似ていると考えてきたが、ここでもそれが示されるわけだ。
★1第1話「鋼の香る夜」および第30話「カフェ アルファ」
★2第22話「ヨコスカ巡航」
★3第41話「一眼」
★4正確には、意識的に忘れることができる可能性は残る。

 それでは、なぜアルファさんは忘れるのか。★5
★5いや、忘れっぽいって意味じゃなくて(笑)

 ここに忘れることのない人がいるとしよう。彼は、夕食のおかずとかの些細なことは忘れても、少し印象的なことは忘れないのだ。これまで生きてきて嬉しかったことも悲しかったこともすべて憶えている。すべて現実感をともなって思い出せるのだ。 − 果たして彼は幸せだろうか。 忘れたいような悲しみに毎日涙し、過去の栄光に毎日大喜びし、10年前の喧嘩に毎日激怒するのだ。 幸せなはずはない。 いつか彼の人格は破綻あるいは分裂するだろう。
 そう、記憶と人格が切り離せない以上、「忘れる」というのは安定した精神と人格の形成にとって絶対に必要なものなのだ。
 後天的な経験が人格に影響をあたえる彼女たちにとってもそれは同じだ。 たとえ、忘れないようにすることができたとしても、開発者達はそうはしなかったにちがいない。
 だからアルファさんは忘れることができるのだ。

 しかし、そうだとすると、ひとつ問題がある。 「オーナーはなぜあんなカメラを贈ったのか」だ。

 あのカメラはとても高性能で★3、写真のような映像のみならず、その場の雰囲気なども同時に記録する。
 だが、どちらが現実かわからなくなるほどの記録の入力は彼女たちに影響があるのではないか。
 現世で人間が手にしている同種のものにVirtualRealityがある。質のいいVRを体験するとわかると思うが、「現実」を失いそうで恐怖を感じるほどである★6
★6とある研究室で見せてもらった時そう感じました。
割り切れるうちなら面白いんだけど。

 そういったものを想い出として使用するとどうなるか。
  − 想い出に浸りきってしまったりしないか。
  − 必要以上に感化されたりしないか。
 やはり薄れない記憶というのは害があるように思えてならない。
 あのカメラにしても、彼女たちが時代の証人として働く時や、文化の伝承を担う場合にのみ使用するためのオプション装備のひとつ(正確な記憶の保持)として作られたものとも考えられる。

 オーナーは何故そんなカメラを贈ったのか。
たからもの
  1. オーナーはあんなに高性能なものだとは知らなかった。
  2. オーナーは実はすごく無神経である。
  3. あのカメラを通して伝えたいメッセージがあった。
 1.はもちろんありうるわけだが、アルファさんが記録ピースの残量を気にしていることから、入手性は極めて悪いと思われる。そんなカメラをわざわざ贈り物にするのだから素性を知らないとは思えない。前述のようにオプション装備ならなおさらである。なにより、それでは話が進まない。
 2.は却下である。アルファさんをあんなふうに育てた人物がそんな無神経なわけはない★7
★7「十年も一日もかわらない」とか無神経な気もするが。(笑)

 3.はどういうことか。メッセージ? あのカメラでなければ伝えられないメッセージとは。

 アルファさんは時代を見ていくのだろう、そしていつか自分の生きた時代を語るようなことがあるかもしれない。しかし、その時にはカメラにある当時のままの記録ではなく、その時代に生きた者がどう感じどう暮らしていたのかを語るべきなのだ。
 時代による暮らしの変遷を究める民俗学に携わる者ならなおのことそう思うにちがいない。
 もうひとつ。
 想い出というのは自分の中でかみ砕いて消化してこそ、自分のものになる。写真のような補助的なものがあってもいいが、あくまで記憶を呼び起こすきっかけでありさえすればいい。
 オーナーは、アルファさんならこういったことをあの、変わらない記憶を持ち続けるカメラを使っていくことを通して感じてくれると信じているのだと思う。
 だからオーナーのメッセージを敢えて訳すとこうだ。

 「おまえは時代を見、記憶する者だが、あまり気にするな。みんな憶えておかなくちゃいけないわけじゃない。だがホントに憶えていたいことはカメラのような記録なんかじゃなく、おまえ自身の心にとめておいで。」

 「元気なようで安心しました。」発言をするような人なら、これくらいのメッセージは込めてもおかしくはない。
 オーナーがカメラを贈った本当の理由ってのはそんなところにあるんじゃないだろうか。

 とはいえ、そんなメッセージも伝わらねば意味がない。
 アルファさんはこれに気づいているのか。
  − 第12話「ナビ」では結果的に撮らなかった。彼女自身もそれでいいと言っている。
  − 第41話「一眼」ではカメラの再生にためらっている。”容赦なく”とも言っている。

 はっきり意識しているとは言えないだろうが、なにか感じるものがあるのだと思える。

 想い出ってのは、二度と経験できないからこそ想い出なのだ。もう一度そこに行きたいわけではない。
 懐かしいってのは、もう手に入らないからこそ懐かしいのだ。そのモノが欲しいわけではない。

 思い出や懐かしさには、いっとき心を預けて少しばかりの元気をもらえればいいのだ。

 あのカメラを再生するたびにアルファさんはより強くそう思うようになるだろう。

 そしていつか彼女はあのカメラを、カメラとして使うことはなくなるのかもしれない。

 その時、想い出は彼女の心の中にしまわれるのだから。
    
注)後半は本来の考察からは逸脱しています。


インターミッション3 目次 ページ9

masterpiece@eva.hi-ho.ne.jp
BACKトップページへ