中部地方気まぐれ旅(2011.10.8〜10.10)

3連休を利用して中部地方へ一人旅に行くことにした。今回の旅は、いまいち旅程が煮詰らず、とりあえず行けーって言う事で出発。
前日は、幕張で飲み会があり帰宅中に後輩から飲みに行こうと誘いの電話が。とりあえず合流すると3時くらいまで飲んでいた。その後勢いで次に行こうと皆は騒いでいたが、私はタクシーで逃げ帰る。

中部地方へ移動

前の日飲み過ぎて起きるのが10時。考えがまとまらない中、鈍行電車で移動することだけ決めていたが、どうするか悩む。とりあえず風呂に入り、出発準備をする。2泊分の荷物を詰めて家をでて、蒲田駅近辺で飯でも食いながらどうするか決めることに。
旅行での観光候補は、彦根城、長浜城、木曽路(妻籠宿、福島宿、奈良井宿)、松本城であり、この中から必須は、彦根城、妻籠宿、松本城とした。
蒲田の金券ショップで青春18切符を買おうと思ったら時期が違うとのこと。残念。とりあえず、鈍行電車を乗り継いで、彦根までの切符を購入。
京浜東北線に乗り、川崎で東海道本線に乗り、熱海、静岡、豊橋で乗り換えして岐阜まで行く。鈍行電車なので寝たり、小説読んだりしていて、静岡県で富士山が見えるかと思いきや見つけれなかった。昨日の飲み過ぎたので電車ではほとんど寝ていた。電車の中で今日はどこに泊まるか宿泊先を検索していたが見つからず、とりあえず岐阜まで行くことにした。
岐阜に21時頃に到着しマティー(四国旅行に登場)に電話し、宿を見つけるように依頼する。マティーからどこも一杯ですとの電話があり、取れるまで探せと依頼する。
その間、少しだけ岐阜見学をしようと柳ヶ瀬まで歩いてみる。岐阜の夜は賑やかなのか楽しみにしていたが、アーケードはほとんど閉まっており、柳ヶ瀬も少しだけ賑わっているがあまりたいしたことがなかった。散策している中、マティーより取れましたとの連絡。また、このホテルが小さなホテルで探すのに一苦労。やっとこさホテルへチェックイン。22時過ぎになっていた。ホテルで岐阜の宿はなかなか取れないのはなんでと質問すると国体をやっているからだと。とりあえず納得する。
ホテルで色々食事どころを聞いたが、これと言ってうまそうな所がなかったため、ヤキトン屋風な店に入り、ビール、角ハイボールを注文しながら、肉を焼いて食べる。ほどほどにして、ホテルへ帰り寝る。
一日目終了

国宝彦根城!!

朝、5時半起床。風呂に入り目を覚まし、6時にホテルの食堂で朝食を食べる。7時12分の電車で岐阜駅を出発することにしていたので、7時前に駅に着き、織田信長の銅像を見る。
岐阜駅から米原経由の彦根駅に移動。8時過ぎに到着。彦根駅から彦根城まで徒歩で移動すると彦根城が見えてくる。8時半から営業時間なので調度良い時間に着く。拝観料500円を払い入城する。彦根城と言えば、井伊直弼とひこにゃん。ひこにゃんは、10時半に彦根城天守前広場に現れるとのことで諦める。
ここで少し彦根城の説明をしよう。(パンフレット等より)
彦根城築城は、将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)より着工。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれているが、直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城された。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成したが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされている。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛された。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となる。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となる。天守は18万石の頃の完成した。
天守閣が国宝、天秤櫓、二の丸佐和口多門櫓、西の丸三重櫓、太鼓門櫓、馬屋が重要文化財。天守は連郭式平山城で複合式望楼型 3重3階地下1階の建物であり1604年に築かれている。

天秤櫓では、各武将の甲冑が飾ってあり、一通り見学。その後、天守閣を見物する。天守閣の最上階では天気が良かったので琵琶湖が見えたが、少し靄がかかっておりくっきりとは見渡せなかった。
9時半に城見物が終わり、ひこにゃんまで後1時間と思ったが、その後の事を考えると長居は無用。城をさっさと後にする。
駅に向かう途中、無料の歴史資料館があり、除くと城にはあまり書いていなかった、歴史が結構書かれており食いつくように見学する。ここに1時間くらいいた。最初にここに寄れば、今頃ひこにゃんに会えたと思ったが後の祭り。駅に向かう。

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木曽路、南木曽へ

彦根駅から米原へ出て、新幹線で名古屋へ。名古屋からセントラルライナーで中津川へ。名古屋駅で駅弁「味噌カツ弁当」を食べたがまずかった。名古屋料理はいまいち私には合わないような気がする。って言うか、味噌が合わない。中津川から中央本線各駅停車で南木曽へ着く。南木曽(なぎそ)を最初は「みなみきそ」と読んでいたが、電車で「なぎそー」と放送されていたため、おや?と思い、何度も聞き返すと「なぎそ」と言うことが分かった。
南木曽駅からは20分時間があったがバスで妻籠へ移動することに。駅員に聞くと1時間で歩いても行けるとのことだったが行きはバスで移動し帰りに時間があったら中山道を歩いてみようと思いバスにした。妻籠(つまご)も最初は「つまかご」と言っていて、バスの運転手にこのバスは「つまかごに行く?」と質問していたが、「つまご」と言うことが分かった。

バスに乗り10分で妻籠に着く。
妻籠宿の宿内家数は31軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒であった。 たいへん古い町並みで観光客が大勢いた。すぐに脇本陣奥谷を見つけて入場(入館料:700円、歴史資料館、本陣共通)する。
囲炉裏を囲んでお姉さんが説明してくれた内容はざっとこんな感じであった。
・脇本陣は林家のもので、どの宿場町も脇本陣は酒屋をやっている。本陣が火事などになった際、脇本陣を使うとのこと。
・脇本陣は、本陣より金持ちである。
・脇本陣は明治天皇が来ることになり明治に桧で作り直してある。
・木曽のヒノキは尾張藩が管轄しており、切る事ができず寒いところの木であり非常に目が詰まって硬いため長持ちする。
・桧は囲炉裏の火を炊いて煤をつけ長持ちさせる。
・煤を取るため雑巾がけするが、背が届かないところは真っ黒になる。また、雑巾がけするため非常に光沢が出る。
・囲炉裏のすわり方は順列がある。(良い箇所は父、最悪な箇所は、次男、女子など)
・島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先がこの林家である。
・島崎藤村は、隣の宿場町「馬籠」本陣の息子で、「ゆふ」さんと林家に書状などを送っており長い付き合いをしていたとのこと。
などなどの話を聞き、その後は部屋案内と明治天皇の泊まった箇所の説明などを受ける。
すぐ隣に歴史資料館があり、木曽の歴史を学び外にでる。ほとんど忘れてしまった。
次に本陣に行く。宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至まで本陣、庄屋を兼ね勤めたとのこと。島崎藤村の母の生家で、次兄広助が養子に来たとのこと。ちなみに島崎家(藤村の実家)は、馬籠宿の本陣の大金持ちとのこと。
その後、町並みを端から端まで眺め、よく保存されて、現在も人が住んでいるなと関心する。この妻後宿は、昭和40年代始め日本全国が高度経済化成長に沸く中にあって、歴史的な景観を守るべく、率先して町並み保存運動に取り組み、現在は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっているとのこと。いやー素晴らしい。
16時頃になり少し暗くなりかけたので、徒歩で南木曽駅まで帰ることに。3Kmの中山道の道のりを歩く。気持ちが良い。
途中妻籠城址に立ち寄ると、外人のカップルが1組いただけ。よくこんな所に外人が来るなと思いつつ、妻籠宿の町並みを上から撮影する。ちなみに妻籠城は戦国時代より木曽の南の押さえとして重要な城で、小牧、長久手の戦いの折り徳川軍に対して難攻不落を誇ったと言われているそうだ。
その後駅までは、中山道の道を散策しながら移動する。思ったことは、この辺りの家は木造の大きな家が多く必ず池があるのには不思議な感じがした。駅に17時に着き汗びっしょりになったため着替えて、酒屋で酒、つまみを買って、17:12の松本行きの電車に乗る。電車では、マティに電話してまたまた、松本の宿を予約してもらう。松本の宿も混んでいたが取れたとのこと。酒飲んで寝ていざ松本へ
約2時間後に松本に到着。松本駅から2,30分歩き、松本城近くのホテルへチェックイン
ホテルで周辺の松本名物を食べようと思い、居酒屋へ入る。山賊焼きを頼むと量は多くて良いが、鳥のから揚げをなんら変わらなく残してしまう。松本の日本酒、そば焼酎を飲んでホテルへ戻り、寝る。
本当は、木曽路をもう少し回りたかったが、思ったより時間がかかり、またの機会に行くことにしようと思う。
この日の徒歩の距離は、21075歩で非常に疲れたが大変充実した1日であった。

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国宝松本城!!

朝、7時起床。風呂に入り、8時にロビーに行き朝食を取りチェックアウト。8時半の松本城の開場時刻にあわせて出発。
松本城(入館料:600円 市立博物館含む)に入ると人が多く、テントがあちこちに張ってある。信州そば祭りをやっているようで、大勢の人が訪れるようである。それでホテルが取りにくかったのかと納得。
入城する前にあまりにも天気、景色が良かったので、城の周りを一周する。北アルプスも見え本当に景色が良かった。この景色だけで、松本城最高!!と言いたい。
松本城ではイベントの一環でお茶会などが開かれていた。最上階では北アルプスが良く見えて気分も最高潮。たぶん一番高く見えた山が常念岳だったと思う。

ここで松本城について簡単に説明する(wikiより)
松本城(まつもとじょう)は、長野県松本市にあった城である。安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。松本城と呼ばれる以前は深志城(ふかしじょう)といった。市民からは別名烏城(からすじょう)とも呼ばれている。
明治維新後、1872年(明治5年)に天守が競売にかけられ、一時は解体の危機が訪れるが、市川量造ら地元の有力者の尽力によって買いもどされて難を逃れる。明治30年代ころより天守が大きく傾き、これを憂いた松本中学(旧制)校長の小林有也らにより、天主保存会が設立され、1903年(明治36年)より1913年(大正2年)まで「明治の大修理」がおこなわれた。
1930年(昭和5年) 国の史跡に指定された。1936年(昭和11年)4月20日には天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定され、1952年(昭和27年)3月29日にはこれら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定されている。
とのこと。その後、私立博物館で松本の歴史を見学する。松本の歴史がわかり非常に為になった。

10時半になり、少し腹が減ったため、そば祭り会場を見てまわる。全国各地から出展していたが、いまいち美味そうな店がない。仕方なく安曇そばの天麩羅そばを食べる。人を捌く為のそばで、腰もなくいまいちだった。のどが渇いたため信濃ブルワリーのマウンテンエールを飲む。ぼちぼち美味かった。B級グルメもあり食べたかったが腹一杯で食べるのを止める。1時間くらいぶらぶらして、駅に向かう。
駅からあずさx号に乗って東京駅へ。東京から蒲田へ帰る。

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