のほほんエスペラント独習法

*もくじ*
能書き
0ヶ月め・まずは手探り
一ヶ月め・輪郭をつかむ
二ヶ月め・能動的な体験をする
三ヶ月め・階段をひとつ上ろう
四ヶ月め・好きな分野の本を読もう
五ヶ月め・ひたすら読書の日日
六ヶ月め・最後に文法のおさらい
明日へ……

能書き

 「体験的エスペラント学習法」です。

 あらかじめお断りしておきますが、エスペラントも自然言語のひとつ である以上、 習得するにはそれなりに時間がかかります。 この言語を紹介する本やウェブページなど を見ると「簡単」「学びやすい」などと謳っていますが、間違いではな いものの、「じゃー本当に一、二週間で読み書きできるようになるんだ」 と思ってしまうと失望するのは間違いありません。

 このページをご覧になっているあなたはたぶん日本語を読んだり話し たりできると思いますが、日本語のことを考えてみてください。天気の ことを話したり、政治や経済のことを話したり、仕事の打ち合わせをし たり勉強の相談をしたり、電子メイルでは砕けた話しことばを使う一方 で講義のレポートや会議の議事録では書きことばで堅苦しい文章を書い たり、専門的なことを質問したり、くだらない話には適当にあいづちを 打ったり、答えたくないことははぐらかしてみたり、相手に気を使って ことばや言い方を選んだり、まずいことをやっちゃってごまかそうと嘘 をついたり、どうってことのない会話から相手が嘘をついているのを敏 感に察したり、感動を表そうとしてぴったりすることばが見つからなく て口をつぐんだり、好きな人に好きだと言えなくて悩んだり、遠回しに 言ったつもりが相手はまったく気づかなくてとんちんかんな返事をされ て落ち込んだり、次に逢う約束を取りつけようとあの手この手で言いく るめたり、……みんな同じ日本語を使います。日本語に限らずどんなこ とばでも同じです。これだけさまざまのことを言うのが、これだけさま ざまな使い方がされるのが〈ことば〉というものです。 簡単な筈がありません。

 ですから、いくら「のほほん」とはいっても、への〜っとしているう ちに気がついたらいつしかエスペラントが身についている、ふしぎふし ぎ、というものではありません。お間違いなきようお願いします。が、 この方法で半年続けた結果、読んだり書いたりは充分にできるようになっ た人間が一名います。 (能書き読むの止めて目次に行く)

 このことばに興味はあるのだけれど本気で勉強しようかどうしようか 迷っている人、どんなものか知りたいけれどどうすればいいか判らずに いる人、やってみて面白そうだったら続けてもいいかと思っている人、 三日坊主で何事も中途で止めてしまう人、……この独習法はあなたのよ うな人のためのものです。

 従って、次のことを原則としております

  1. のほほんで行こう (Ni iru nohohon-e)
  2. 独習で済ませよう (Ni nur memlernu gxin)
  3. お金は必要なときに必要なだけかければいい (Ni elspezu nur tiom da mono kiom necesa nur kiam tio necesas)
  4. お気楽ごくらく (optimisme, komforte)

 上のカッコの中はエスペラントによる標語でっす。あなたがエスペラ ントを学んだ後で読み直してみてください。間違いがあったら知らせて くださいね。

 「のほほん」というキーワード、あるいは「のほほニスモ」について はこちらをご覧ください。 「お気楽ごくらく」は、かつて一世を風靡した(かどうかは定かではあ りませんが) 伝説のテレビ番組『ウゴウゴ・ルーガ』の合い言葉です。

 独習で済ませようというのは、そんなに深い意味はなく、筆者がそう したからです。この言語の紹介には「学びやすい」とともに「独習でも 身につく」といううたい文句があったような気もしますが、友人に言わ せると「あなたのように完全に独習という人は珍しいんじゃないか」だ そうです。筆者としては、自分のペースで気の向いた時に好きなだけ勉 強できる方がよいので、独習という選択は自然でした。「誰かと一緒じゃ なきゃ勉強できない」「課題などがないと気が入らない」「やはり会話 の能力を身につけなければ」という人は、近所のエスペラントサークル などに出向くことをお勧めします。 (能書き読むの止めて目次に行く)

 「言語の勉強にソフトウェア工学を適用する」といってもよいかと思 います。言語の勉強もまたプロセスであるならば、プロセスの状態とい うものは決して一様ではありません。勉強を始めたばかりの頃と、ある 程度知識がついた段階とでは、知りたいことがらも内容の深さも異なり ます。はじめから全体が見通せているなら最初に綿密な計画を立てれば よいのですが、そんなことは不可能です。また、初期のうちに細部にこ だわってしまって全体への見通しをなくしてしまうことも避けなければ なりません。

 そこで、段階的詳細化(ŝtupiranta rafinado) と呼ばれる戦略をとります。初めのうちは詳細にこだわら す、全体の見通しを得ることに専念する。輪郭がつかめてきたら、小刻 みに具体的な目標を立てて勉強する。これが筆者の方法でした。言語の 勉強というのは「ここまでやったら終わり!」という〈到達点〉がない といえばないので、この方法は具合がよかったです(ビジネスモデル特 許出願中(うそ))。

 一ヶ月単位で学習程度が進むような体裁になっていますが、これは筆 者の体験を整理した結果で、別に「ひと月ごとに成果が出る」というこ とにこだわる必要はありません。また、こだわってもいけません。受験 勉強をするのではありませんから。つまり、単なる目安です。筆者もこ のように月単位できれいに進んだわけではありません。

 エスペラントということばは、本当は視覚障碍者、聴覚障碍者といっ た人たちにこそ使って欲しいことばなんじゃないかと最近思い始めてい ます。そうした人たちのための学習法も紹介できればいいのですが、現 在の筆者には手に余る作業です。この先も長いこと手に余るかも知れま せん。まぁ全部自分でやる必要はないしそんなこともできないので、ど なたか(個人、団体)のウェブページでも見つかったらそのリンクをここ に置くくらいはしようと思います。

 それから、「語学のセンス」ということがしばしば言われます。みな さんの身の回りにも、「大して勉強はしていないのに英語の成績がいい」 といった人がいるんじゃないでしょうか。そういう「センス」の正体が どんなものか判りませんが、筆者もその存在は否定しません。ここでご 紹介する方法で勉強しても、思うほど読めるようにならないとか、さっ ぱり力がつかないという人がいるかも知れませんが、それについて責任 はとれません。悪しからず。

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0ヶ月め・まずは手探り

 いきなり教材をたくさん買い込んでも、結局使わないのではお金の無 駄です。しかもそういう「無駄」って、何かひどく損をしたような、大 変な過ちを犯してしまったような気がして、落ち込みますよね。

 そこで、まずはエスペラントの概略が判りそうな本を読みましょう。 出版物で、普通の本屋さんでも手に入るものには次のものがあります (大規模書店だと店頭に1,2冊置いてあったりします)。

 前者は対話形式を中心にこの言語のあらましを学んでいこうというも ので、対話部分を収録したカセットテープも発売されています。最初に この言語の感触を得るには申し分ありません。後者は文法のあらましも 解説されているし、例文や用語集もあるので、それで肌触りを確かめる ことができます。

 この段階では、まだ「文を読んで理解できる」とか「聞いて判る」と かになる必要はありません。あくまでも「どんな感じのことばなの?」 ということがうっすら判る程度で充分です。

 情報源としては、あなたも今見ているワー ルドワイドウェブ というものもあります。検索エンジンを 走らせれば、エスペラントに言及している何百何千というページが見つ かります。こういうところでエスペラントってどんなものかを感じるの は悪いものではありません。筆者もそうしましたし、このページ自体が そうですし(^^)

 が、勉強の教材をすべてウェブで賄うのは無理があります。確かに文 法の概要を説明したページもあります。ウェブ上で検索できる辞書もあ るし、ダウンロードしてPCで使う電子辞書も公開されています。しかし、 それらはコンピューターがあるところでしか使えません。「よし。今か らN時間勉強しよう」と決めて机に向かって集中するほど意欲のある人 なら別でしょうが、のほほニストとしては、これはかったるい。その点 紙の本なら、満員電車の中でも、寝転がってでも読める。前のページを 読み返すのも、後で再読三読することもたやすい。

 気軽に気の向いた時に勉強できるという点で、 紙の本に勝る媒体はありません。逆説的ですが、のほほ ん的な勉強をするためには、本にお金をつぎ込むのがよいと思います。 コンピューターは補助的に使うことにしましょう。もちろん、これには、 「現実に資本を投下することで勉強への意欲を維持する」という意味も あります。が、事業に失敗して撤退、投下した資本を回収できず、とい う事態も避けたい(でしょ?)。両者のバランスを保つための方法論がこ の「のほほん独習法」なのです。

 さて、紹介本は読み終わりましたか? 興味が持てそうならば、次に 進みましょう。そうでないならば、ここはひとまず引き返して、次の機 会を待ちましょう。「買った本が丸損じゃん。もったいないよ。やっぱ り買わない方がいいや」なんて、どうか思わないでください。それから せっかく買った本を捨てたりしないでください。いつの日かまたふとし たきっかけでその本に目を通して、「よぉし。今度はちゃんと勉強して みようか」と思うこともあるかも知れません。

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一ヶ月め・輪郭をつかむ

 興味が持てたので本格的に勉強を始めることにしますが、一念発起し て教材を大量に購入するような反のほほん的な行為は慎みましょう。勉 強し始めの段階では、どんな本を買えばいいか、自分はどんな勉強をす ればいいか(したいか)など判っていないのです。判ってもいないものに 闇雲にお金を使うほど莫迦らしく虚しいことはありません。

 そこで、最初のうちはこの言語の輪郭をつかむことと基本 文法・基本単語を知ることを目標にして本を購入します。筆者の例 では:

  1. 独習書。 『エスペラント4週間』
  2. 単語集。 『エスペラント基礎1500語』
  3. エス和辞典。 『エスペラント小辞典』 『実用エスペラント小辞典』

 言語の勉強が難しいのは、判っていない(なじんでいない)」 状態と「判っている(なじんでいる)」状態との差が激しい、と いうよりは相互排他的で、片方の状態からは他方の状態を理解も想像も できないところでしょう。判らないと文字の並びを見ても何のことなの か理解もできないし想像もつかない。だから敬遠してしまう。判ってい れば、その文がどんな意味なのか解釈できるから平気だし、もっと読も うという気にもなる。

 「判っていない状態」は苦しいものです。従って、この状態から早く 脱却することが当面の目標となります。少なくとも、字の並びを見て 「これはエスペラントの文で、これこれこういうことを言っているらし い」と思えるようになること。その状態になれば、勉強も楽しくなりま す。

 エスペラントを「浴びる」「浸かる」ように勉強できればそれに越し たことはありませんが、この忙しい時代にそれは無理な話です。そこで、 大量に浴びる代わりに、少量を継続的に浴びる戦術をとります。 一日せめて十分、できれば三十分、ただし 毎日エスペラントに触れ、感触を忘れないようにしましょ う。けっきょく言語なんて頭だけで判るものではなく、「慣れ」が大き く作用するからです。まぁどんな勉強でもそうですが。通勤通学の電車 の時間を使うのがいい作戦だと思います。寝る前の時間を利用するのも よいです。こちらは読むうちに眠気を催し、ぐっすり眠れるという利点 もありますね(^^;)

 ひたすら慣れよう。判らなくても本 を読み通そう。

 最初に単語集から片づけるのがよいでしょう。分量が少ないので達成 感を得やすいからです。ほんらい、単語集は読み通すような本ではあり ませんが、この言語に慣れるために我慢して読みましょう。末尾に文法 のしおりがあるのでこれにも目を通しましょう。

 独習書はさすがに量が多いので一気に読み通すのは無理。自分のペー スで読み進めればよいです。いちおう四週間で終わるようなカリキュラ ムが組まれていますが、一日十〜三十分のペースでカリキュラムどおり に終えるのは困難だと思います(筆者は二ヶ月くらいかけて読み終えま した)。四週間で終えなければ身につかないものではないから、気楽に 読めばよいのです。

 独習書を「読む」といいましたが、読むのでかまいません。エス文和 訳とか和文エス訳とかの問題も散りばめられていますが、のほほニスト であるところの筆者はそーゆうのが苦手なので殆どやらず、もっぱら長 文の読解と文法や用法の理解にいそしみました。あ、もちろん真面目に 問題を解いてもかまいませんよ。

 単語集や独習書を読むかたわら、先に終えた紹介本を再読するのは効 果があります。最初に読んだ時は、当然細かいところは理解できていま せん。それが、知識を蓄えつつ再読することで判るようになってくる、 とは言い過ぎですが、初めて読んだ時はよく判らなかったことももう少 しくっきり見えるような感じがしてきます。それが 全体の輪郭をつかむというこ とです。

 この時期に辞典が必要かと言われるとなんとも言えませんが、本を読 んでも判らない単語だらけの筈ですから、あった方がいいでしょう。つ れづれに辞書をパラパラめくるのもエスペラントに馴染む方法のひとつ です。ただ、今はまだ電子辞書 だけでもかまわないかも知れません。

 知ったことを自分で書き留め、整理 しよう。

 うわっつらだけ読んで判った気になっても判っていないのがこの時期 です。読んでそのままではどんな言語の勉強でもけっきょく身につきま せん。どんな手段でもけっこうですから、理解した(と思った)こと、 憶えたいと思うことを書き留めましょう。受験勉強などでやるような、 「丸憶えの暗記」は無意味ですし、する必要もありません。自分が理解 できるまで、この言語の肌触りを確かめながら、 ゆっくり憶えていけばよいのです。

 ただ、これは筆者の体験ではなく体験からのアイデアですが、接辞 (接頭辞・接尾辞)、前置詞、副詞(本来副詞とか原形副詞とか呼ばれ るもの)は丸暗記するのがよいように思います。エスペラントではこれ らの語がまったく現れない文はないといっても過言ではないくらい重要 な働きをしています。これらをものにしておけば、文を読む時に助けに なると思います。無味乾燥な暗記は辛いですが、それだけの値打ちはあ ります。

 筆者はPDAを利用して「単語帳」や「文法覚 書」を自作しました。独習書や単語集から接辞や接続詞や 前置詞、自分にとって重要な単語などを抜き出して、「自分用の単語帳」 を作り、暇な時はこれを眺めるようにしました。これはbona ekpenso (グッドアイデア)で、PDAだから毎日持ち歩くし、一日に何度となく見 ます。こうして厭でも慣れていくわけです――ただし、うまくいけば (^^;;)

 筆者はたまたまこういうことに都合のいいPDAを持っていたのですが、 手持ちのPCで単語帳などを作るのでもよいと思います。持ち歩きには不 便でしょうが、「自分の手を動かす、自分でまとめる」というだけでな じむ速さが違うものです。(なお、『実用エスペラント小辞典』はPDA にも載せて使いまくりました。感謝)

 こういうことをしていて、面白いと思うより前に大変だとかかったる いと思うようでしたら、ここで引き返しましょう。買った本がもったい ない? そうかも知れません。でも、「もったいないことをしたなぁ」 という気持を引きずって、後でまた勉強する気になるかも知れません。 この意味でも、本は迷わずに買いましょう。

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二ヶ月め・能動的な体験をする

 なんとなく「判るような気がする」状態になってきましたか?

 自分で自信が持てないまま先に進むのは後悔の元です。判った気がす ると思えるまで、これまでに買った本を読み返しましょう。それでは飽 きる(内容も憶えきってるしぃ)というなら、見込みがあります。次の フェーズに進んでもよいでしょう。

 文章を書いてみよう。

 くどいようですが、新しいことを学ぶ時には「自分で手を動かす」 「体で覚える」ことが必要です。サッカーをやったことのない人が、競 技規則や基本技術、選手の動きを本で読んだだけで上達することはあり 得ません。下手でもいいから、ボールを蹴り続けなければなりません。 もちろんその一方で、ルールや理論を知識として知ることも続けなけれ ばなりません。

 言語の勉強の場合は、作文と会話が「能動的な体験」になるかと思い ます。ただし独習なので会話は後回しにして、独りでもできる作文に取 り組みます。いきなりまとまった長さの文章など書ける筈がないし、そ れどころか意味のある文章もおぼつかないのは承知の上です。というよ り、それでいいのです。勉強を始めて間もないのですから。

 筆者の経験ですが、なんとなく文章が書けそうな気がしてきたので書 いてみたら、なんだかそれらしい(と本人は思う)ものができた気になる から驚きです。文法的意味的に合っているのかどうかは自分では判断で きませんが(^^;) でも、それでいいんです。

 本で知った例文をそのまま書き写すところから始めるとよいでしょう。 慣れてきたら、その一部を適当に変えてみます。それにも慣れたら(す ぐに慣れます。というか、飽きます)、自分で考えて書いてみましょう。 「エスペラント日記」をつける ことをお勧めします。これなら書くことがまったくないということはあ り得ません。その日の天気、何があったか/したか、何を食べたか、そ の日エスペラントの勉強でどんなことをしたか、などなど。しかも 人に見せる文章ではないから、 気楽そのものです。筆者は一年くらい書き続けました。

 手書きでもよいですが、ここはぜひコンピューター(PC, PDA)を活用 しましょう。「メモ帳」でもお気に入りのテキストエディターでもMS Wordみたいなワードプロセッサーでも、何でもいいです。文法間違いや 綴り違いがあっても後で跡形もなく直せるし、不都合があれば全部消す こともできる。すばらしい(^^)

 「これ、エスペラントでなんていうのかな?」と思ったら、即座に辞 書で調べましょう。ついでに「自分の単語帳」にも書き込めば、それだ け早く憶えますし、自分の辞書が充実していくのは気分のいいものです。 「こういう文章で文法上問題ないのかな?」と思ったら、その日のうち に独習書や入門書で確認しましょう。確認したら自分の単語帳とか文法 ノートに書き加えましょう。こういう「実践とフィードバック」がなに より大切なんです。のほほニスモなればこそ、大事なところには手 をかけましょう。

 本を読んでみよう。

 実際に文章に接してみて、ほんとうに判るかどうか確認しましょう。 筆者の場合、一冊の本を何度も何度も読み返して勉強する根気がないの で、目先を変えていくためにもまとまった文章の載っている本を何冊か 読むことにしました。ただしイキナリ原文だけの本など読める筈がない ので、日本語の対訳つきのやさしいものを選びました。

  1. 『やさしいエスペラントの読み物』
  2. 『エロシェンコ短篇集』

 正直にいって、さして「面白い」本たちではありません(つまり、筆 者にとっては)。また、これまでの勉強が無意味に思えるくらい、単語 も構文も判らないものだらけでした。そこを我慢して、一文読んですぐ に対訳の世話になる、そしてなぜそういう訳になるのかまめに調べる、 ということを繰り返しつつ、途切れ途切れながら、少しずつ読み進めま した。自分にとって未知のことばなのですから、これは当然です。

 我慢するうち、ついに堪忍袋の緒が切れて本を引き裂き出版社に火を つけに行く……ということはなく、ある日、突如、文章が読めるように なった気がします(もちろん個人差あり。これは筆者の経験)。原文を 読んだだけで意味がつかめる感じがする。これは文字通り「つかめる」 感じで、それまでいちいち知らない語に引っかかって読むのが途切れが ちでいたのが(知らない単語ばかりだからどうしてもそうなります)、 ある日突然、行く手に立ちはだかる語の意味がなんとなく判る気がして、 どうにかやる気を失わずに読み進められるようになる――これは不思議 な体験です。

 そのほか。

 基本会話を重視して 『日エス会話練習帳』などを読むのもいいです。なかなかお茶目な 「会話例」なんかもあって楽しめます。筆者も買いました(ろくに読ん でいませんが)。

 また、ちょっと知識欲がほとばしって、もう少し詳しい文法や用法、 作文のことを教えてくれる本を買い込んで読みました。それで判ったの は、エスペラントはエスペラントなりに「ハードル」は多いということ です。それは当然なので、このページの最初でも述べているとおり、 「簡単に憶えられてすぐにペラペラになれる言語」なんてありはしませ ん。最低半年、できれば一年くらいはつきあうことが必要だと思います。

 この頃まで筆者は実はエスペラントが話されるのを聞いたことがなかっ たので、入門書のカセットテープを買い込んで聞いてみました。入門書 から想像していた発音と大体同じだったので安心しました(笑)。エスペ ラントは文字と発音がほぼ1対1に対応しているので、原理的には、書か れた文字列を見れば声に出して読めるし、聞いた音を文字にすることも できます。ですからのほほニストとしては聞き取りの練習は後回しにし たりまったくしなくてもいいと思います。といっても、やっぱり少少不 安はあり(^^;)、懐具合と相談してテープを買ってみたと いうわけです。

 聞き取りには、ほかに後述するラジオという手段もありますし、筆者 は試したことはありませんがウェブを利用する方法もあります。

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三ヶ月め・階段をひとつ上ろう

 なんとなく文章を読めるようになりましたか? なんとなく書けるよ うには? 実際には、「一日十分から三十分」のペースで、ここまで述 べたことを丸二ヶ月で完了するのは無理だと思います。この部分は三ヶ 月目の中ごろから終わりくらいに読めばよいです。

 少しは判るようにはなった気がしてきたなら、ここで決断をしましょ う。ひとつは、もっと深く勉強する。ふたつめは、この調子でてれてれ と続ける。みっつめは、撤退する。

 興味が薄いなぁと思うなら、撤退した方がいいでしょう。これまでの お金が無駄に思えるかも知れませんが、世界にはこのような言語がある のだと判っただけでも大きな収穫です。

 まぁ大体判ったしこの程度でいいよとか、これ以上お金をかけたくな いとかいうなら、もう投資はせずにちまちま勉強しましょう。ウェブ上 にはエスペラントの〈資源〉はたくさんあり、それらを拾い読みするの でも充分楽しめるかと思います。それはそれで立派なのほほニスモ、の ほほニストぶりといえます。筆者もそうするんだったな (^^)

 筆者も、実のところこの辺りまでは半信半疑というか、いつでも撤退 できるようにという心構えでいたのは否めません(つまり、 この学習法は実話です。お金は ふんだんに使いましたが)。判ってくればくるほどつまらなくなる、と いう可能性もあるし、やっぱり難しくて厭になるということだってあり 得たので。でも、この辺で本腰を入れてつき合おうという気になりまし た。有名なことわざはここで登場します。

鉄は熱いうちに打て。

 出る杭は打たれる。という諺もありますが、ここではあまり関係あり ません。

 最初の頃にうんと元手をかけて体に染み込ませる。そうすれば後が楽 になるし、しばらく放っておいてもすぐには忘れません。それに何と言っ ても「判らないことばが判るようになる」というのは楽しいことです。

 もしその気になったのなら、これからが本番です。まず、気が変わら ないうちに辞典類をきちんと揃えましょう。これにはお金をかけること によって退路を断つという深い意味もあります(^^)

  1. エス和辞典。 『改訂新撰エス和辞典』
  2. エスエス辞典。 『Plena Vortaro de Esperanto』
  3. 和エス辞典。 『日本語エスペラント辞典』

 エスエス辞典はエス和を補う意味で必須です。筆者が見たことのある エス和辞典はどれも語釈が不十分で、物足りません。それに、もちろん、 言語を本当にものにするなら、理解するのに日本語の助けなど借りてい てはイカンわけです(正論)。例に挙げたものならそう高くもないので持っ ておいてもいいと思います。

 和エス辞典は文章を書く時に必要になります。読み聞きが主だという 人は持たなくてもいいでしょう。いや、本当は文章を書く人でも持たな くていいんですが。

 エス和であれ和英であれ、「日本語→××語」辞典は不要だし役に立 たない、というのが筆者の持論です。これは中学生くらいの頃に「和英 辞典に頼っていては英作文の力はつかない」と誰かに言われたのを鵜呑 みにして守り続けているからですが、自分で見てみても、訳として挙げ られているものがそのまま使えるとは思えないことがしばしばあります。 辞書に載っているから無条件に使っていい、というものではなくて、や はり「これをエスペラントで言うならなんて表現するのだろう」と 自分で考え続けることが必要で す。辞典を参照するとしても、それをエスエス辞典なりエス和辞典で調 べ直して、自分が言いたいことにはこのことばや言い回しがよいらしい、 と納得してから使うようにしたいものです。(とはいえ、どうしても訳 語を思いつかない時や日常的でない語を訳す時には、重宝します)

 なお、どんな辞書を揃えるにしても、それでスッカリ安心してしまい、 まったく勉強をしなくなる、というありがちなパターンに陥ることはな いように。

 的を絞って勉強しよう。

 では、これから何を勉強すればいいでしょうか。のほほニストなら、 「読む」力をつけることに重点を置くことを勧めます。

 これまでの勉強で基本文法は大体頭に入ったし、文法だけまとめて勉 強しようとしても頭に入らないし、時には有害でさえあります。だから いま以上の文法の知識は当分必要ありません。また、会話を重点に置き たいというなら、近所のエスペラントサークルの門を叩くのがいいでしょ う。後述しますが、読書は読む力をつけるだけにとどまらず、いろいろ な方面にも通じる力をつけさせてくれます。何といっても、読書は寝転 んでいてもできる、暇な時に好きなようにできる、極めてのほほニスモ 的な行為であり、のほほニストとして強く推奨できるものです。

 対訳なし、原文のみの読書に 挑戦しましょう。とはいえ、いきなり難しい本に挑戦して挫折するのも イヤですね。筆者は「400〜700語習得していれば読める」と紹介されて いた本を数冊買って読んでみました。こうした本は一般書店ではなかな かお目にかかれないので、 日本エスペラント学会から取り寄せるのがよいでしょう。ウェブ上 に図書カタログがあるので、好みに合わせて選んでください。

 もちろんこれまでの勉強も継続しよう。

 作文は飽きても書くのが厭になっても続けましょう。とはいえ、代り 映えのない日日を書き続けるのはかえって難しい。と思う人がいてもお かしくありません。そういう人には、目先を変えて、たとえば日本語の 歌をエスペラントに訳してみることをお勧めします。原詞が難しいと訳 すのが大変なので、童謡などがいいでしょう。筆者は『泳げ! たいや きくん』の冒頭を訳してみたりしました。遊びとしては面白いですよ (^^) もちろん、日本語の小説や随筆などを翻訳してみ るのもよい試みです。これで修行を積めば、いつかあなたが「エスペラ ント翻訳家」として世界デビューする日が来るかもしれません。

もちろん、日記を書きたくなるように、日日を代り映えのある、刺激に 満ちた、ものにするというのも手です。自分の日常を変える努力をする のは、言語の勉強のためでなくともよいことです(かも知れません)。

 繰り返しますが、「こういうことはエスペラントでは何ていうのだろ う」「どのように表現するのだろう」という 疑問を持ち続け、調べてみたり、自分で工 夫したりしてみることが大事です。

 余裕があれば聞く力もつけよう。

 筆者は「耳」ももう少し鍛えたくなり、短波ラジオを衝動買いして中 国国際放送(Ĉina Radio Internacia。「チーナ・ラディーオ・インテ ルナツィーア」)を聴き始めました。初めて聞く「リアルタイムのエス ペラント」は、聞く耳のできていない筆者には案の定ちんぷんかんぷん でしたが、それでもところどころ聞き取れる単語があったりしたのには 感動したものです。それらを頼りに「こんな話かな」と推測しつつその 単語を書き留めて後で辞書で調べ、推測が合っているか確かめる、とい うことをしました。

 もっとも、筆者は実は昔から短波放送に興味があったので、仮に中国 国際放送を聴かなくなってもラジオたんぱとか世界各地の放送とかが聴 けるからいいかな、と思えたから――というかそれを口実にして衝動買 いに踏み切れた(?)事情はあります。ぜんぜん判らなくてつまらないと か、じきに飽きてくるとか、電波が弱くて聴けないとかで、宝の持ち腐 れになる可能性もあります。買うなら熟慮の上で買いましょう。

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四ヶ月め・好きな分野の本を読もう

 四、五ヶ月めは原書で「読む力」を鍛え続けます。二ヶ月くらいかけ て四、五冊の本を読めば、かなり力はつきます。

 筆者の例を挙げると、

  1. 『Gerda malaperis!』
  2. 『Lasu min paroli plu!』

この二冊で合計約150ページ。勉強としてはまぁ充分な量です。前者は 一週間くらいで読めます。後者にはかなりてこずりましたが、逆にこの 本を読み切ったことで「どんな文章でもたじろぐことはない」という自 信がつきました(笑)

 もちろん上は筆者の場合で、これでなければならないというものでは ありません。むしろ自分の興味(社会学や化学といった専門分野。ある いは文芸でも、SFとか推理小説とか)に沿って選ぶのがよいと思います。 興味のないものを読んでもつまらないし、いやいや読むのでは勉強にな りません。面白そうだと思って読み始めたらハズレだったということも ありますが、ま、それは仕方ないでしょう。 こちらに本のカタログがあり、 注文もできます。

 ここで読み方のコツともいうべきものを伝授申し上げましょう。それ は、「全部の文章、全部の単語の意味が判 らなければ読めないなんてことはない。そうでなければいけないなんて ことはない」です。

 判らない語が出てくるたびに辞書を引いていては、読書のリズムがこ われ、気が入らなくなってしまいます。「判らない単語は周囲の文から 意味を推測する、それでも判らなければ放っておく。調べるのは後でま とめて調べる」という風にすると、調子がよいようです。普通の文章に は文脈というものがあり、回り の文と何の関係もない単語が突然出てくることはそんなにありません。 だからそのことばの意味自体は判らなくとも、「きっとこの文章に関連 した何かだな」と鷹揚にかまえていればよいのです。

 考えてみれば日本語の文章を読む時だって、われわれは、判らない単 語や言い回しはそのままにしたり自分勝手に納得したりして読み進めて いるものです。くれぐれも、「単語の意味 が判らないからといって読めないとは思わない」ことです。 初学者は語彙が少ないのが一番不安なのですが、初学者なんだからそれ は当たり前。誤読・誤解したって、誰かに迷惑がかかるわけじゃありま せん。そんなことを気にせずがしがし読み進みましょう。

 もちろん、判らない単語だらけの場合はそれをやると単に字面を追う だけになってしまって意味がありません。一行の中に見知らぬ単語が半 分以上ある時はそこでその本を読むのを止めて、二ヶ月め辺りに時間を 戻しましょう。

 それから、慣れない言語で書かれた大量の文章を継続して読むのはた しかに負担であり、ある意味苦痛です。ときには勉強を休むのもよいも のです。一日十〜三十分を毎日といっても、それを続けなければならな い義理はありません。今日はさぼっちゃお! という決断も気楽にでき るのものほほニスモのよいところです。読むのがかったるいと感じたら、 わざと1〜2週間エスペラントから離れてみるのもいいでしょう。遅れを 後で取り戻そうなどと焦る必要もありません(だって、誰にも何の約束 もしていないのだから)。自分のペースで勉強しましょう。

 もうひとつ、実際の文章に接すると、入門書や独習書には載っていな いような用例もたくさん見つかります。文法を詳しく勉強したい誘惑に 駆られますが、でも、今は我慢してください。といっても、「そういう ものか」と変に納得してやり過ごすのでなく、ちゃんと「謎」として書 き留めたり頭に蓄えておいてください。

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五ヶ月め・ひたすら読書の日日

 引き続き原書で「読む力」を鍛え続けます。

 「初学者向け」の本をクリアしたら、ちょっと難しい(初学者向けは 意図されていない)本に挑戦しましょう。たとえば次のような本です。

  1. 『Vage tra la dimensioj』
  2. 『Dankon, Amiko!』
  3. 『Raportoj el Japanio』

 3番めはお勧めです。日本の最近10年ほどの出来事が取り上げられた 随筆集なので、内容にはなじみがある。これは「不慣れな言語で書かれ た文章を読む」障壁をかなり低くしてくれます。日本人の書いたエスペ ラント文も心なしか読みやすいように感じます。(その意味では1番め も読みやすいし、お話が頭に入りやすい)

 読み進め方は同じで、判らない単語に出くわしてもそこで立ち止まる のではなく、推測したり勝手に想像したりしてとりあえず先に進む。一 息入れた時にさきほど判らなかった単語を調べ、その部分を読み直して 意味を理解する。これにつきますね。

 人に見られることを意識して書く

 これまでは自分で書いて自分で読む文章で気楽に書いてきましたが、 そろそろ、人に読んでもらうことを念頭に置いた文章を書き始めてみま しょう。

 この独習法では本を読んでばかりですが、これは、実は作文のために も有意義です。というのは、人の書いた文章は、見方を変えれば格好の 教材、生きた「文例集」 だか らです。もっとも、それが教材になるためには、先にも書きましたが日 頃から「こういうことはエスペラントで何というのだろう」と疑問を持 ち続けること、そして入門書や独習書に挙げられている表現、文例を少 しでも頭に入れておくことが必要です。それらはいわば「雛形」であり、 小説や随筆に現れるのが具体例、実例といえます。

 たとえば、tiel A kiel B (BなほどAだ、あまりにもAなのでB だ)という言い回しがあります。このAとかBの部分は、実際の文章の中 でさまざまに変わりますし、実際の文章にした形も違います。一方、自 分が「あの子は食べちゃいたいくらいかわいい」という文を書こうと思っ ても、入門書や独習書にはそのものずばりの例文があるわけではありま せん。まぁ、人の文章にもそうそう出てくるとは限りませんが、この文 型の実例をたくさん抽斗{ひきだし}に入れておけば、探した時に見つか りやすくなるわけです。

 人に見られることを意識して書くといっても、実際に見せる機会がな いのではつまらないと思うかもしれません。そういう人は、エスペラン トのメイリングリストに参加したり、ニューズグループを覗いてみては いかがでしょうか。こうなるともう実践の域ですね。姉妹編の 「のほほんエスペラント活用法」をご覧 になってください。

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六ヶ月め・最後に文法のおさらい

 二ヶ月ほど苦しい読書(^^)を続けたことで、だいぶ 「読む力」はついてきたことと思います。同時に、文法の基本的な知識 では解決できないたくさんの「謎」もたまっていることでしょう。実は この「謎」が大切なので、「これはどういうことなんだろう」「どうし てこうなっているんだろう」と思えるということは、それだけ言語全体 に対する理解が深まっている証拠なんです。これを放っておいても、適 当に自分の中で理屈をつけてしまってもいけません。その謎たちをきち んと解き明かすことで、言語の理解がより深まります。

 ということで、ここで文法を勉強し直し、独習の仕上げとしましょう。 筆者のお勧めはこれです。というか、日本語で文法のまとまった知識を 得られる本は現在これくらいしかありません。

  1. 『まるごとエスペラント文法』

 実は、たまたま筆者の勉強の進み具合と同書の出版時期がこう重なっ たということなんですが(ぉぃぉぃ)、しかし筆者の体験からして、こう した文法書は「ひととおりの勉強を終えた後」読んだ方がいいと思いま す。文法だけ先に学んだとしてもそれで文章が読めたり書けたりするわ けではありません。言語の勉強においては、知識はしょせん知識で実践 を補うものではないし、文法というものはことばの働きに後から理屈を つけるもので、一方ことばを学ぶとは生きて動いていることばに接する ことに他ならないからです。つまり、極端なことを言えば、文法の勉強 を全くしなくても言語を修得することはできます。みなさんが普段使っ ているいわゆる「母語」もそうですよね。文法なんか習わないのに使え ているでしょう。

 文法は大切だけれど、ことばを使いこなす「力」は、読んだり書いた り聞いたり話したりの総合力です。文法はそれらの裏づけをする程度の 「裏方」と思っていた方がいいでしょう。

 筆者も、さまざまな文章を読みながら、また書きながら感じていた多 くの疑問がこの本で解けました。その結果、この言語の理解がより深まっ たと感じています。いい時期にいい本に出会えたという印象です。

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明日へ……

 お疲れさまでした。

 六ヶ月の「計画」として述べてきましたが、あなたの好みややる気な どに合わせて一年計画で行なってもまったくかまいません。大切なのは、 この言語(に限らずどんな言語でもそうですが)を「学んでやろう」 「ものにしてやろう」という気持を持ち続けることです。

 筆者の体験では、ここに述べたとおりにやって半年で文章を読む自信 がつきました。初めて人にエスペラント文を見せたり、電子メイルを送っ た時、ちゃんと相手に理解されたらしいところを見ると、書く力もつい ているのでしょう。書く方は弱気ですが、自分が受け止める(読む、聞 く)のと違って、自分から発する(書く、話す)は相手の反応を見ないと 判らないので、これはどうしようもありません。

 半年程度では、きれいな文章、みごとな文章など望むべくもありませ ん。せいぜい自分の書きたいことがどうやら伝わる程度の文章しか書け ません。会話にしても、相手に早口で話されたらオシマイですし、こち らからはつっかえつっかえ喋るのが関の山。 でも、それでいいんです。 だってまだ半年しかこの言 語とつきあっていないのですから。たった半年やそこらで文章を読んだ り書いたりできるようになったことの方を喜びましょう。誰だっていき なり流れるようなきれいな文章など書けないし、ぺらぺら話せるように はなれません。この先はまたここから始めればいいんです。でも、最初 の頃のように怖がることはもうありません。

 会話については全く何もしていませんが、恐れることはありません。 だいたい、会話といっても聞いた文を頭の中で解釈し、頭の中作った文 を口にしているわけです。ではその文は何を元にして作るんでしょうか。 これまで全く思いもつかなかったことを急に文にできる筈はありません。 聞く方だって同じで、参考になる文例がなければ解釈のしようもありま せん。浴びるほど会話をすれば、会話だけを通して元ネタができるかも 知れませんが、現状では駅前に留学してもエスペラント会話はできませ ん。本を読むのがいちばん手っ取り早い方法だと思います。あとは声を 出す勇気があれば、できる筈です。

 ここに述べたとおりにやってもさっぱり読めるようにならない、書く などとんでもない、という方もいるかも知れません。おくやみ申し上げ ます。最初にも述べたように、「語学のセンス」というものはどうもあ るように思います。エスペラントもまた言語である以上、センスの有無 が修得の速さや理解力に影響するのはやむを得ないかと思います。それ が本当に「センス(先天的なもの。努力で磨くことはできても、持って 生まれた分量を増やすことはできない)」なのか、「要領(努力で身につ けられるもの)」なのかは筆者には判りませんが。

 のほほん独習法はこれで終わりです。この先は好きなように進んでく ださい。

 自分の〈実力〉を測るために、日本エスペラント学会の学力検定試験 を受けるのもいいでしょう。

 筆者の場合、六ヶ月間経った後はちょっと気を抜いて、二ヶ月ほど自 発的な勉強からは遠ざかりました。これだけの勉強をしたのだからそう 簡単に忘れることはないだろうと思ったし、しばらく離れたかったのも 事実です(^^)

 そうしてしばらく冷ましておいて、ふたたびエスペラントの現場に戻 りました。まずこれまで人と話をしたことがなかったので、同じような 「会話初心者」の会話の場に参加してみました。人の話を聞き取ること ができ、自分の話を人が理解してくれるのは、正直にいって驚きでした し(人と話すのが初めてですから)、うれしいものでした。

 次いで、とあるメイリングリストに参加してみました。この場で、筆 者は初めて「エスペランティスト」と呼ばれる人人の言動に接すること になりました。これはこれで新鮮な体験でしたが、それにもまして、人 の書くエスペラント文に接し、自分の発するエスペラント文が人に受け 取られることは大きな感動でした。そのメイリングリストでは日本語を 使う人が多いのですが、中にはエスペラントでメイルを出す人もおり、 また日本人でない人も参加していました。筆者も始めは日本語で書いて いましたが、後にできるだけエスペラントで書くように切り替えました (筆者は滅多にメイルを送りませんでしたが(^^;))。

 もちろん、多くの人にとっては 勉強する ことが目的ではない筈です。あなたの本当の目的に役立て てください。この言語を何に使うかまだ考えていない人は、新しい本で も読みながら考えてみましょう。

 今まで知らなかったことを知るのは楽しいし、これまで判らなかった ことが判るようになるのはうれしいことです。新しいことばを身につけ るのはそれだけでわくわくする体験だと、筆者は思っています。

 あなたの「エスペラント生活(vivo kun Esperanto)」が楽しく豊かな ものになりますように。

 Mi esperas vian feliĉon, kaj, iru nohohon-e. (^^)

まとめ

  1. まず全体の感触をつかもう。
  2. 最初のうちは判らなくて当たり前。辛抱して、毎日少しずつ、勉強 を続ける。
  3. 自分が理解した(したい)こと、憶えたい単語などを書き留める。 コンピューターを利用するとよい。PDAなら毎日持ち歩くのでなおよい。
  4. 本を読む。独習書だけでなく、創作、随筆、あるいは専門書、研究書 など、自分の興味に合わせて「実際の文章」に数多く接する。
  5. 判らない単語、表現だらけでも文章を読む癖をつける。
  6. 基本文法を学んだと思ったら、作文してみる(日記がお勧め。コン ピューター利用もお勧め)。下手でも文章になっていなくとも気に せず書く。初期の作文は人に見せていい点をつけてもらったり意思 を伝えることが目的ではない。
  7. のほほん独習法の原則を忘れずに。

(おわり ―― 2001.12.20)

 なお、この文章は筆者が自分の体験をもとにまとめたものであること を改めて明記しておきます。 その内容には充分注意していますが、ここで述べているとおりに実践し てエスペラントが上達しなかったとしても、筆者は責任を負いきません。
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