18.尼崎市塚口本町1の道標

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尼崎市塚口本町1丁目25−14 塚口村清水町東門の土塁跡がある三叉路の北西部に東を正面に建つ
自然石 65x57x33p(17p埋没か)
N34.754145 E135.420790


写真cimg1720

写真cimg1721

東面
┌─――――――――――――――――┐
│右 昆陽中(山)         │
│左 西宮             │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――――┐
│左 大坂             │
└―――――――――――――――――┘

他の面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『尼崎の道標を訪ね歩く』平成27年荒木勉では6)
(確認されている中では市内唯一の自然石道標とされている。)
(北から来た場合、大坂への旧道は、この道標から50m東で県道13号通称産業道路に吸収され、JR塚口駅東方
 を通り、上坂部の南西「17.尼崎市上坂部2丁目の道標」地点迄進み、東折れで有馬道(間道)、南直進で尼崎
 (伊丹道)の分岐となるようだが、産業道路から、上坂部2丁目までは辿り難い。
 又、この道標が示す「左西宮」は塚口の集落南部(現阪急神戸線北沿い)を西に進み、「25.尼崎市富松の道標」
 に繋がる道を案内するものと思うが、特に街道の名称は付けられていない。
 これを「津門中道」とする説もあるようだが、私的には賛成できない。「4.津門中道」はこちら参照。
 「右昆陽…」の昆陽は西国街道との辻でもあり、中山寺への通過地点でもある。もしこれが、昆陽寺を指すものと
 しても、この先伊丹市南野の「16.伊丹市南野村道標」があったとされる辺りで、やや西寄りに分岐すればよく、
 案内に問題はないであろう。只、右(北)へ折れた後、集落内のどの地点で西折れしていたかは確認出来ておらず、
 70m北の四辻か、さらに直進し道なりに西に曲がり、「34.塚口本町の尼崎藩領界石」の立つ辻へ出ていた等
 が考えられる。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に望む 【4.北180mの尼崎藩領界石
 カーブミラー左(東)県道へ  右(北)有馬道間道  左上は塚口城跡  奥に塚口城跡土塁が残る
 奥右、塚口集落内へ】  100mで西折し昆陽へ】  東口・土塁とある】  西へ有馬道か】

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【5.尼崎の道標】
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