2.川西市加茂2の阿弥陀寺道標

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川西市加茂2−4−10 阿弥陀寺の境内南部に北を正面に建つ、西隣に丁石が建つ
上面蒲鉾型背丸柱 57x25x17p(頂高4p)(基部22p含まず)
N34.817955 E135.405334


写真cimg2326

写真cimg2329

写真dimg2644

北面
┌─――――――――――――――――┐
│右 のざと            │
│       道         │
│左 にしの宮           │
└―――――――――――――――――┘
(「の」は「能」の変体かな)

他の面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『川西の歴史散歩』昭和60年刊では2)
(元は、上記に「旧西宮道から分かれて南西に延びる道が、宝塚市域の野里や伊丹市域の荻野に通じる
 三差路(加茂小学校付近)に北面して建てられていた…」とあり、移設されている。お寺の方も、南
 から移設と言われておられた。
  明治の地図を見ると、付近に三叉路が二ヶ所あり、やや北の三叉路は、右西宮と野里、左伊丹とな
 り、伊丹が書かれていないので此処ではないとし、右に進み、二つ目の三叉路で、右野里、左西宮に
 分かれる。
 よって元位置は、
N34.81276 E135.40321
 辺りとしたい。
  辻自体は、現在の加茂小学校の東側の敷地内と思われ残っておらず、西宮道も陸自川西駐屯地で残
 っておらず、駐屯地の尽きた南西角から、再び道が現れ、県道333号として使われている。)
(元位置の北500mの、「bP.加茂2の寛文十二年道標」では、南北の道を「西宮道」としているが、
 伊丹に入っては、この道に「西宮」なる地名は出てこず、北方向の目的地であろう「妙見道」が三つ
 の道標で使われている。伊丹の道標11923

写真dimg2639 写真dimg2658
【1.阿弥陀寺を西に望む 【2.境内の道標を南西に望む
 左(南)、伊丹方面へ  中央左手前が当道標
 右(北)、川西池田方面】  その後ろ中山寺への丁石】

写真cimg7313
【3.川西南部の道標】
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