西宮市甲東園2丁目13 仁川学院小学校北西部の五叉路、南行路の東部に西を正面に建つ
尖頭形角柱(頂部6p角平面) 85x21x21p(頂高4p)
N34.77093 E135.36029




西面
┌─―――――――――――――――┐
│右厄神明王道 │
│ 八丁 │
└――――――――――――――――┘
南面
┌─―――――――――――――――┐
│荒神道 │
│ 是ヨリ 四十丁 │
└――――――――――――――――┘
北面
┌─―――――――――――――――┐
│是ヨリ南 │
│高木今津道 │
└――――――――――――――――┘
東面
┌─―――――――――――――――┐
│西ノ宮 │
│藤田源治郎 │
└――――――――――――――――┘
(説明板に「昔の有馬道(西宮〜有馬)と今津・高木道の分岐点」とある。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、32)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、39。
同書では、「剣先のようにとがった道角にたっている」と書き、写真の背景もそれを裏付け
ている。依って近接移設とする。又、現西面が、北面していたように見受けられる。
ただ、厄神明王道「八丁」では、「11.西宮市門戸西町7の道標」辺りとなり、現東光
寺(1.2q)には達せず、疑問が残る。
これを、荒神道「四十丁」から見ると、「9.西宮市門戸東町8の道標」の「荒神道五十
丁」から此処までは、1.2q(11丁)の距離があり、こちらは問題なさそうである。)
(辻の西に、13.西宮市甲東園2の供養道標
辻の東に、14.西宮市甲東園2のだんのうえ道標がある。)
 |
 |
 |
【1.道標を南東に望む |
【2.道標を南に望む |
【3.道標を北に望む |
左(北)宝塚へ |
左(南)は高木へ |
奥(北)荒神へ |
元は右電柱辺りか】 |
右はやくじんさん筋】 |
右垣根は学校】 |
 |
 |
 |
【4.北横案内板 |
【5.道標を東に望む |
【6.道標上部を北東に望む |
施主は酒造業とし |
左下「八丁」が |
上部は6p角の平面 |
廻船問屋と異なる】 |
窮屈に見える】 |
欠けたものか不明】 |
 |
【7.西宮南部の道標】 |
西宮市甲東園2両名刹道標説明板
西宮市甲東園2丁目13 道標南側に建つ
両名刹への道標
この場所は昔の有馬道(西宮〜有馬)と今津・
高木道の分岐点にあたる。この道標は西宮で
酒造業を営んでいた藤田源治郎が建てたもので
門戸厄神と清荒神への道しるべである。建立した
年代は十九世紀前半であり、建立者名の入った
数少ない道標の一道しるべである。源治郎は当時荒れ
果てていた清澄寺(清荒神)修復の話が持ち上
がったとき、その援助者の一人となっている。酒造家
であり、荒神さん修復者の一人でもある源治郎が、
酒米他物資輸送の重要街道であり、かつ自分の
かかわった荒神さんへの参詣道でもあるこの
場所に供養を兼ねて建立したものであろう。
ただ、本来立てられていた場所はここではなく、
向かいの分岐点に立てられていたが、宅地開発の
関係でこの場所に移したものである。 甲東文化財保存会
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
↑先頭へ