37.箕面市箕面公園の道標

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箕面市箕面公園  箕面駅から滝への遊歩道を北に進み、一の橋の手前20m、三叉路の東側に、西を正面に建つ
頭丸型角柱 165x西面27x20p(頂高8p)
N34.838017 E135.469806


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西面
┌―――――――――――――――――┐
│日本        左      │
│  勸喜天出現霊場  壹丁    │
│最初               │
└―――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――┐
│聖武天皇勅願所          │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――┐
│        王野 和之助   │
│大     會 石橋 弥三郎   │
│  月參會   芝野 定二郎   │
│阪     主 沢村 市松    │
│        芝野 寅乃助   │
└―――――――――――――――――┘
(『箕面のみちしるべ』では「王野」を「玉野」とする)

東面
┌―――――――――――――――――┐
│( 明治十三年四月建之 )    │
└―――――――――――――――――┘
(東面は判読可能な部分のみ、字数等も不明)





(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊では64。西江寺への丁石とすべきか、同書に倣
 って道標とした。)
(同書に「滝道を下って一の橋を渡ると道は二又に分かれる。…左手は「…出現霊場左壹町」と案内され
 る坂道である。」とある様に、北から南へ進む道に対して左を示す必要がある。依って、現、西面が北
 面していたと思われ、設置場所も、分岐点の中央にあったであろう。依って、坂道の道の幅分だけ西が、
 元設置位置となり、近接移設とする。
  三ツ辻の中央に持ってくると、現在隠れている東面も見えるようになり、現、北面の「聖武天皇…」
 も参道に面して見え問題はなくなる。)
(東面には、いくつかの文字が見え、建立年月日が書かれていると思われ、年号の一部と思われる、「治」
 らしきものより、明治(1868〜1912)、元治(1864〜1865)、等が候補となり、万治(1658〜1661)
 迄遡る事は無いであろう。
 又、元治は2年しかなく、東面の名前の漢字の使い方などから、明治が濃厚かと思われる。
 一応、明治十三年(1880年)四月としたが、「明治」と「十」の間が隠れており、そこには数字が無い
 ものとした。)
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 左(北)滝つぼへ  右側崖沿いに当道標  東面は崖に接触
 右奥、西江寺へ】  奥、一の橋の欄干】  右(南)西江寺へ】

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【4.道標西面下部 【5.道標南面下部 【6.道標東面の一部分
 右側「左」  五人の名で「沢、弥」  「年 四 月」
 左側「壹丁」】  は当用漢字を使用か】  の様に見える】

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【7.箕面市の道標】 【8.勝尾寺への参道】
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