82.箕面市箕面西江寺廿九丁丁石

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箕面市箕面 高山道のこもれび展望所南135m、雲隣展望台への分岐点の、更に南180m、道の西側に、東を正面に建つ
(箕面の森案内板、B10(こもれび展望所)から南315m、高山道の西江寺、政の茶屋間ではピーク地点付近)
山型角柱 36x東面16x11p(頂高3p)
N34.852758 E135.48093


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東面
┌―――――――――――――――――――――┐
│廿九丁                  │
└―――――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、には記載なし。)
(当道標廿九丁(3.2q)は、「廿五丁」の丁石から、3丁しか離れておらず、西江寺本堂からでは、
 22丁(2.4q)と7丁も少なく、どちらかしても、大幅に移設されたものか。
 しかし、現在の立地条件を見ると、割に広い尾根筋のピーク地点に近いが平坦な場所に、他の丁石と
 比べ深く埋設されており、移設された感や、流出の危険性を感じる場所ではなく、元の場所ではない
 かと思わせる。
  高山道に残る丁石、形態がよく似ていると云うことで、4、5丁丁石の距離にから割り出した目的
 地(西江寺)と同一視してきたが、もしこの丁石が元の位置を保っているとしたら何処を指すか改め
 て考えてみる。
  先ず、北東の勝尾寺は2.4q(22丁)と近すぎるのと、「廿五、廿三」が逆方向になる為、候補か
 ら外れる。南を探すと、「四丁」丁石で見た法林寺は西江寺より2丁遠く、5丁の差となり、不可。
 滝道にある、瀧安寺はどうか。瀧安寺は、西江寺より北に位置する為にルートを検討しなければなら
 ない。
 一つは、最短距離で、高山道を南に進み、現府道43号と、才ヶ原林道が立体交差するする辺りから、
 化石谷(1.7q)を下り滝道を少し北へ行く道であろう。このルートを参道としたいが、明治の地図
 では、寺から現展望台迄しか道が無く、高山道に接続していなかったようであり、距離も当丁石と大
 幅に合わない。上記地点を南に過ぎると、高山道から西へ分岐する道は無く、西江寺まで南下後、北
 へ進む形となり、二通りの経路が考えられ、一つは、西江寺参道としてきた、寺の南を廻り、一の橋
 に出る道(3.2q)。
 第二は、西江寺の北側を、北に方向を変え下る、現在のハイキング道で聖天橋へ出る道(3.1q)で
 ある。
  第一の経路が、29丁(3.2q)とピタリと一致するのであるが、八丁石旧道付替え説を採れば、
 第二の経路が逆にピッタリと一致する。
  即ち、この丁石を、「瀧安寺」への丁石だとすれば、移設を考えることなく整合し、「丗二丁、
 廿五丁、廿三丁」丁石も同様であるとすれば、小幅な移設で済むことになる。
 ただ一本の道に、二つの寺への丁石が混在する例を知らないこと、混在させるなら目的地を明確に書
 き分けなかったこと、「四丁」から「十二丁」までの、西江寺への丁石との類似点が多いこを考え、
 「瀧安寺丁石」とは結論はしないでおく。

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【1.丁石を北に望む 【2.丁石を南に望む 【3.丁石を北西に望む
 奥(北)政の茶屋へ  奥(南)西江寺へ  この丁石は深く
 画面中央に当丁石】  政の茶屋迄のピーク付近】  埋れている様だ】

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【4.丁石を上から望む
 南東に望む
 北斜面部が欠ける】

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【5.箕面市の道標】 【6.勝尾寺丁石分布図】

(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)
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