38.箕面市箕面公園2滝東側明治の道標

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箕面市箕面公園2  東側滝道の滝壺から120m、府道43号へ登る道が分岐する地点の東部に、西を正面に建つ
尖頭型角柱 130x西面22x26p(頂8p)(西面下部距離記述面、43x17x-1.5p)
N34.852603 E135.471679


写真eimg4423

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西面
┌―――――――――――――――――┐
│     是ヨリ         │
│勝尾寺道 三十三丁        │
└―――――――――――――――――┘
(下部距離記述面は額縁状に彫り下げる)

北面
┌―――――――――――――――――┐
│  大阪心斎橋筋二丁目      │
│ 施主 ゑ里徳          │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――┐
│明治四十四年二月建之       │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(明治四十四年は西暦1911年。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、62)
(同書に「えり徳とは、和服の半衿の老舗で主人の村田徳松という人が建立した。」としているが、距離に
 関する記述が無い。
 明治の42年測図の地図で確認すると、当道標から、勝尾寺へは、現在の府道43号に出てからは、勝尾寺
 の本堂直近までは変わっていないように見え、距離は3.6qでピタリと一致する。滝上のトンネルも既に
 描かれている。滝から南への、中腹の道(現43号)は描かれておらず、川沿いの滝道を使って参詣して
 いたものと思われる。滝壺への道もある為此処に、道標が必要であったものであろう。
  ただ、現在の東面が読めない位置にあり、記述の無い南面が見えるなど、回転、或いは近接移設された
 と思われる。
 例えば、Y字路の南部、分岐点の中央(現街路灯)に、現西面が北面して建っていたなどすれば、三面と
 も人目に触れ、勝尾寺へは坂を登る道に向かう事を示し、滝道を戻る人には、何も書かれていない面が見
 え、違和感はなくなる。)
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

写真eimg4433 写真eimg4436 写真eimg4425
【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標西面下部
 左上、府道43号へ  奥(北)箕面大滝へ  文字面は1.5p
 右、滝道を駅へ】  左、東側滝道を駅へ】  掘下げられている】

写真dimg2458 写真cimg7535
【4.箕面市の道標】 【5.勝尾寺への参道】
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