45.高槻市浦堂本町の道標

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高槻市浦堂本町26 府道6号清水小学校北東交差点を東へ20m旧道四辻北西部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 92x南面21x20p(頂高4p)
N34.866064 E135.601743


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南面
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│(梵字)右神峯山寺道         │
└―――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(南西面の梵字はベイ「毘沙門天」の種子であろうか。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、25)
(同書に、芥川から浦堂への道として2通りがあったとして、他の道標との関係を示されているが、つまるところ、芥
 川の集落が東西に広いため、東の芥川一里塚から来る道と、西の坂口町から来る道が、現北消防署辺りで合流後北上
 し、この地に至る事を言われたものかと思う。この内西坂口町を通る道は、真如寺川を下り、芥川東堤防を通り、芝
 生で西に渡り、唐崎を経て、淀川西岸の三島江と続く「神峯山寺道」とされるようだ。一方東の道は真上を通る為、
 明治期には「真上街道」の延長かも知れない。
 さて、この地点から、「右神峯山寺道」がどの方向を指すかが問題であり、南面を額面通り受け取ると「東」ととら
 れかねないが、道を知る者にとっては、「北」が正解となる。よって元々は、反時計回りに90度近く廻されていたか、
 北をイメージできる場所に置かれていたと考える。現状では少し辻の北部の道に入り込んで立ち、道標右の道を北に
 と受け取れるかも知れない。)
(前述の、「三島江2の道標」の二里半、「芥川町4地蔵堂の道標」の四十丁は、この地点を過ぎて、次の「原立石の
 大正の道標」の有る地点となり、当地では、「芥川町4」からは17.5丁の距離で、残り22.5丁とまだ遠く、寺まで
 となると更に15丁の追加となる。)
「神峯山寺本堂、堂内東長押上小壁に掲げる奉納額」にある16基の内の一つとされるようである。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)神峯山寺へ  左側に当道標  奥(南)真上へ
 左、府道6号線】  「右…」が南面】  右、府道6号線へ】

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【4.道標の南面拡大 【5.南面を上から
 この辻の形状なら  辻の北西部の
 右は北を示かも】  ゴミ置き場の前】

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【6.高槻中部の道標】
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【7.高槻南部の道標】
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