43.高槻市前島1の道標

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高槻市前島1―13 前島濱公園北側バス回転場南東部植込み中、西を正面に建つ
尖頭型角柱 135x30x30p(頂高5p)
N34.847443 E135.647447


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西面(厳密には西北西か)
┌――――――――――――――――――――――┐
│                      │
│(梵字ベイ)本山寺毘沙門天道        │
│       此所前嶋村舟揚リノ場是より二里│
└――――――――――――――――――――――┘

南面
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│享和元年辛酉十月發願主 大坂住赤松由永   │
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北面
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│   世話人攝州島上郡唐崎村        │
│            大森咸行      │
│      同 柱本村 葉間武啓      │
└――――――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――――――┐
│なし                    │
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(享和元年(辛酉)十月1日なら、西暦1801年11月6日金曜日となる。)
(梵字ベイは、毘沙門天の種子)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊には、未掲載
 『高槻まちかどの石造物』高槻市立しろあと歴史館発行、平成24年刊では、35)
(同書に本山寺に関する古文書「道印石建場所留」に21基の道標があり、現存するもの二基とし下記を挙げている。
 一番石「前嶋船上リ場之所」(当資料「当道標」)
 十番石「川久保村八幡別」(当資料「川久保の鳥居の西道標」
  ただ、古文書は文化七(1810)年、鴻池右七郎宛ての請書のようであり、場所は一致するが、この道標の享和元
 (1801)年よりも9年も後となり、その書に記載された道標そのものであるかは分らない。「神峯山寺の本堂、堂内
 東長押上小壁に掲げる奉納額」の様に、「修理」を含むとかがあれば、古文書の「一番石」としても良いと思えるが
 どうか。
  それよりも、この道標は次の二基と、同じ発願主、世話人、紀年であり、これだけが、「本山寺」を示している点
 である。元位置を考えると、「舟揚り場」と成っているので、明治の地図で確認すると、現地点より東方100mの堤
 防上であったと思われる。さて、本山寺への道筋を、北に採るか、西とするかであるが、何方の経路を採っても安満
 で合流する。距離的には西が1丁(109m)ほど短いので、これを採用し、その後の距離を推定すると7.8qで川久保
 鳥居下の二十丁とある道標となり、ピタリと2里に一致する。(成合から北は、現府道79号より東側の山中を直線的
 に進む道で現在は無い。)
 同人が建立の神峯山寺への道標も、本堂迄の距離を示さず、参道入口迄を書いていることから、この道標も川久保の
 鳥居がある地点を、参道入口としているとし、「本山寺」への道標である事は間違いないであろう。
 願主は、この両寺を共に信心したか、或いは同じ寺として、同時に寄進したものであろう。
  通常、世話人は道標を立てる村の人が多いが、ここでは「唐崎村」も「柱本村」も大分離れている。近い方の唐崎
 からしても直線5qもあり、地元とはいえない。これは「三島江2の道標」と、「芥川町4の地蔵堂道標」を世話し
 た人に、こちらも任せたからであろう。
  元位置は、現堤防の西側で一段下の
N34.847607 E135.648589
 旧堤防上の道の三ツ辻(川から上がる道は除く)の南西部とした。)
(又、上記で挙げれれている、「一番石」と「十番石」の筆跡は明らかに違い、赤松由永一人が書いたものではないと
 思う。)
(川久保鳥居下から始まる丁石については、「高槻市本山寺丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む
 今は舟の揚り場から  左(東)淀川堤防へ  ロータリーに面する為
 バス降り場に代わった】  右、桧尾川堤防へ】  碑面の向きは無頓着】

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【4.道標の西面拡大 【5.道標西面下部 【6.道標南面下部
 「…毘沙門天道」  左側部分「リノ場  「…發願主…
 「此所前島村…」】  是より二里」と読める】  赤松由永」とある】

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【7.道標の北面下部 【8.本山寺参道地図】
 「…大森咸行」
 「…葉間武啓」】

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【9.高槻中部の道標】
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【10.高槻南部の道標】

【同時、同人が建てた道標比較】
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【11.(当道標)前島1道標 【12.川久保八幡別道標 【13.三島江2道標 【14.芥川町4地蔵堂道標
 「本山寺」へ】  同人?「本山寺」へ】  「神峯山寺」へ】  「神峯山寺」へ】
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