87.高槻市本山寺庭の道標

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高槻市原3298 本山寺納経所の庭北側に南を正面に建つ
(元位置は、三丁丁石北50mの参道ロータリー南部に北を正面に建っていた)
自然石 50x南面55x20p
N34.917311 E135.612731


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│右 はら               │
│左 川くぼ              │
└―――――――――――――――――――┘
(「は」は「者」「ぼ」は「本」に濁点、共に変体仮名)

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊には、57)
(同書に元位置は二丁と三丁の丁石の間の平坦な場所にあったと記されており、住職の話からも同様の位置に
 北面して置かれていたものを、盗難防止も含めて移設保管しているとのことである。他にも無くなった石等
 があったとお聞きし、残念である。
 明治の地図から想定し、
N34.913897 E135.613182
 辺りと思われる。
 現在は「宝篋印塔」が建つロータリーになっており、これを背に南を見ると、左に現参道、並ぶようにして、
 すぐ右上に明治期と思われる参道、櫓塚を挟んで右に2018年では通行止めになっている、原への道が見える。
 左の二本の道は、八丁丁石(駐車場)迄に二度程離合しつつ、やがては川久保の鳥居迄に下る参道であり、右は
 途中、「神峯山寺開山堂北の道標」を経由し、「原1465本山寺道三十町道標」に出る道であろうと、明治の
 地図で想像できるが、現在2018年では通行止めの為、未踏査である。
 尚、この右の道は、現在の国土地理院地図に載る尾根筋の道とは異なり、尾根の西側を通っていた様である。)
(このロータリー地点から、右、原までは、距離は2.7q(25丁)と推定でき、左、川久保までは、現存の丁石を
 頼りに、明治期又は大正期の参道を通ると、17丁(20-3丁)と計算できる。)
(本山寺への道標については、本山寺丁石一覧
 神峯山寺の道標については、「神峯山寺本堂、堂内東長押上小壁に掲げる奉納額」も参照下さい。)

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【1.庭を北西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北西に望む
 納経所とある  右側草むらの下に  自然石の南面に
 貼紙の後方にある】  当道標がある】  案内がある】

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【4.道標南面拡大 【5.道標南面左拡大 【6.道標南面右拡大
 「右はら」と  「川くぼ」の「ぼ」  「右はら」と
 「左川くぼ」】  は変体仮名】  「左川…」と読める】

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【7.元位置を南に望む
 左、現と旧参道を川久保へ
 右(通行止め)が原へ】

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【8.神峯山寺参道地図】

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【9.高槻中部の道標】
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【10.高槻南部の道標】
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