9.豊能町高山お旅所前の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊能町高山841 府道4号高山公民館の南を東折れ70m御旅所北西角に北を正面に建つ
尖頭型角柱 104x北面20x18.5p(頂高6p)
N34.887659 E135.488609


写真eimg9456

写真eimg9457

写真eimg9458

写真eimg9459

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│右 みのを 八十丁          │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│左 妙見山 八十八丁         │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│大正四年十一月            │
│    高山青年會 建之       │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│左 かつを寺 三十丁         │
└―――――――――――――――――――┘


(大正四年は西暦1915年となる。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂には、記載なし。)
(「大正四年…」と銘が刻まれている為、建立年は明確であるが、もしなければ、江戸時代の作と言われても良いよう
 な道標である。
  大正12年測図の地図を見ると、府道4号に当たる道が南から来て、現在の様に直線で公民館に至らず、逆「く」
 の字型に当地点で折れて、公民館前を通っているのが解る。一方東への道は今では霊園へ行く以外無さそうであるが、
 徒歩ならば、ほぼ南へ一直線に勝尾寺へ続く道であり、途中、東の天狗岩方面に分岐すれば、茨木市の泉原へも行け
 た様である。
 この様に、道標を設置する必要があったものであろう。
 西に進むと、後述する「高山公民館西の道標」に行き着く。
  青年會の正体は良く分らないが、他にも似たものがあり、大正から昭和の始め頃のようである。
 1.吹田市上山手町11の道標
 2.豊中市豊南町東1道標
 3.茨木市宿久庄七丁目1の道標
 等があり、なんとなくキナ臭さを感じさせるが、ここ高山の道標だけは、昔ながらの道標を思わさせる。)

写真eimg9453 写真eimg9454 写真eimg9465
【1.道標を南に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を東に望む
 奥、南すぐに府道4号  奥(西)70m公民館へ  奥、集落東を南へ
 右(西)70m公民館へ】  左、50mで府道4号へ】  フェンス左は元高山小へ】

写真eimg9463 写真eimg9467 写真eimg9469
【4.道標を南東に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標東面拡大
 道と碑面は45度あり  南からこの角度で  「左勝尾寺」は
 北面が正面に見える】  「左」は西を示す】  現北摂霊園への道か】

写真eimg9535
【7.豊能町の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ