23.豊能町妙見山新滝道廿一丁丁石

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豊能町吉川112 国道477号上杉池北東部、東側歩道から東鳥居へ上がった南柱本に西を正面に建つ
蒲鉾型角柱 114x27x19.5p(頂高3p)
N34.91995 E135.450473


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西面
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│是ヨリ    大 講 大阪西成郡玉出丁 │
│御山二十一丁 正   芦野夘之助    │
│       講 元          │
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南面
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│    大正八年            │
└――――――――――――――――――――┘

東面
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│(なし)                │
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北面
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│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(大正八年は、西暦1919年。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、73頁。)
「二十二丁」丁石でも述べたように、ここ迄の距離が160mと少し離れすぎている。又、ここから18丁丁石間が三
 丁であるべきところ、丁度4丁(436m)と離れ過ぎており、何れの丁石が移動したのか考えると、この丁石が一番、
 動かしにくそうな地点である。理由として鳥居の足元に有る点を挙げる、鳥居は他の石造物に比べ移動が難しそうで、
 その脇に立っていればこれも難しいとする。)
(「二十二丁」丁石より2年古く、石の姿、講名も異り、直接の関係は無さそうであるが「御山」の表現は同じである。
 『日蓮宗能勢妙見山』のホームページに、「およそ1300年前、この地に星が降り来たったことに始まる妙見霊場。
 のちに領主能勢公の信仰を得て、『能勢妙見山』と呼ばれるこのお山は、宗旨・宗派を越えて広く人々に親しまれてき
 ました。」とあり、「山主」「山務員」とも書かれている様に、…寺、宮とせず「御山」と表現したものであろう。
  尚、22丁石の「大正十年、妙正講」を除き、新滝道参道に建つこの丁石以降「1丁」丁石まで、紀銘「大正八年、
 大正講」が確認出来ないものも含め、石の姿形から同時に建てられたものと考えられる。現在見当たらないものは崖
 崩れにより遺失と思われる。)
(住所に有る「西成郡玉出」については、「十四丁」丁石を参照下さい。
 尚、『石の文化財』では住所を「玉手」としているが、誤植と思われる。)
「豊能町妙見山新滝道丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.丁石を東に望む 【2.丁石を南西に望む 【3.丁石を南東に望む
 奥(東)神社へ  歩道の手摺が見える  鳥居に架かる額には
 鳥居潜り左、妙見山へ】  現国道は更に下を通る】  「妙見宮」とある】

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【4.丁石を東に望む 【5.丁石南面下部拡大 【6.丁石上部より見下ろす
 後の土手は上杉池  中央より左に寄る  鳥居の柱とは
 丁石は現歩道より2m高い】  「…八年」と読める】  1m程の間隔】

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【7.豊能町の道標】 【8.新滝道丁石地図】
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