24.川西市黒川大原妙見山新滝道十八丁丁石

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川西市黒川大原 新滝道参道(府道605号)、北側に南東を正面に建つ
(妙見の森ケーブル黒川駅東250m、橋を渡りすぐ北側、民家車庫前)
蒲鉾型角柱 109x25x15p(頂高2p)(基部8p含む)
N34.921004 E135.453173


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南東面
┌――――――――――――――――――――┐
│       大 世 大阪南泉尾丁   │
│御山十八丁  正 話 土 留      │
│       講 人          │
└――――――――――――――――――――┘
(「土」には「`」が付く)

北東面
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│    大正八年            │
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南西面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
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北西面(石垣で写真無)
┌――――――――――――――――――――┐
│(不明)                │
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(大正十年は、西暦1921年。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂には、記載なし。)
(住所としては、川西市に属すると思うが、ここに載せる。)
「廿一丁」から440mと四丁、「十七丁」へ70mと一丁弱。)
(北西面は石垣に密着し不明、北東面は小さい石造物で一部隠れる。)
(南東面の世話人住所であろうか「南泉尾丁」は、現在、大阪市大正区に泉尾町がある。当時は大阪市西区川南村か。)
(「廿一丁」丁石と同じ講名で、よれよりやや小振りではあるが、同時に建てられたものと思える。「廿一丁」に「是
 ヨリ」が付き、これには書かれていない事を見れば大正講が建てた丁石の最初が「廿一丁」であったと考えられる。)
(「廿一丁」まで3丁の距離であれば問題ないが、明治の地図を参考に、旧参道をトレースすると4丁の距離があり、
 違うルートであったか、移設されたかのどちらかであろう。現在上杉池北西に有る「廿一丁」丁丁石から鳥居を潜り
 すぐ左折して、ハイキングコース様の道の山側に、一部廃道のような道が残るがこれが、明治の地図に載るものと想
 像できるが、この道をしても三丁では距離が足りない。
 そこで、国土地理院の航空写真等で見える道の痕跡を見ると、ほぼ三丁(30m長い)で、「十八丁」に到達できる、
 尾根越えのルートがあり、この経路であったとすれば、距離問題はほぼ解決する。
 一方、「一丁」を元の位置と仮定し、「十八丁(1.96q)石」迄をトレースすると、鳥居から1.91q程となり1.96q
 地点にほぼ近く、十八丁石は元位置としても良さそうだが、明治の地図と現在の道とは当丁石前の橋から下流が付け
 換わっており、元位置より少し上流へ移っていると想像出来る。これを30m下流の北岸に移動すると、前記の仮想ル
 ートの「十八丁」地点とピタリと一致する。
  依ってこの二点で問題解決としたいが、前述の「航空写真ルート」を現地で探してみたが、見つからなかった。
 「廿一丁」石の東の妙見宮より北側では取っ掛かりが見つからず、「十八丁」石の南対岸では崖崩れで進入できなか
 った。机上の空論かも知れないが
N34.921115 E135.452859
 現位置より30m下流の北岸を元位置としたい。)
「豊能町妙見山新滝道丁石一覧」を参照下さい。)

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【1.丁石を東に望む 【2.丁石を西に望む 【3.丁石を北西に望む
 車庫左に当丁石  奥(西)橋を渡り  曲がった石垣角の為
 右上、妙見さんへ】  ケーブル黒川駅へ】  厳密には南東面する】

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【4.丁石南面上部拡大 【5.丁石南面下部拡大 【6.丁石東面拡大
 「世話人」の下  「土」は「`」付き  「大正八年」と読める
 から1p厚くなる】  基部は2p厚い】  手前の石は不明】

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【7.豊能町の道標】 【8.新滝道丁石地図】
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