25.島本町柳谷道十二丁丁石(二基の内南側)

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島本町尺代、柳谷道 府道734号沿いに北西を正面に建つ(柳谷観音丁石)
「十三丁丁石」から約100m、旧道「八丁丁石」へ推定440m、現府道「十一丁丁石」へ約60m)
北に尖頭型角柱丁石が建つ
舟底型地蔵 61x33x18p(像部37x15x3p)
N34.903055 E135.654721


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北西面
┌─――――――――――――――――┐
│ 是ヨリ 十二丁  月      │
│(梵字 地蔵像)  參      │
│          講      │
└―――――――――――――――――┘

その他面
┌─――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『史跡をたずねて』島本町教育委員会発行、平成18年刊では、109)
(梵字は「カ」、地蔵菩薩の種子か。)
(この道標から約30m先地点で旧道(明治44年地図で)が川を渡り北に分岐している。現府道方向(右)へは浄土谷へ
 の道で、左(北)が柳谷観音参道となる。次の「十一丁」は現在府道(右の道)に立っており60mの距離にあるが、
 元は左の道から移設されたものと思う。現在(2018年)では左旧道への進入が出来ない状況ですが、その延長上には
 今も丁石が残っており、「八丁」から「六丁」迄確認出来た。依って移動された「十一丁」を飛ばして「八丁」は、
 4丁(436m)先と思われる。
  前述の書では「大正時代までは、十一丁石から北へ山道をとり、柳谷・大沢分岐点を経て柳谷観音に至った。」と
 しており、昭和7年発行の地図でも北への道が右への道より広く描かれており、昭和40年発行地図で現府道が見られ
 ることから、大正も過ぎ、昭和の戦後しばらくまでは旧参道の道筋のままでいたのではないか。)
(特徴、台石が無く直接地面に置かれている。北横に尖頭型角柱の丁石が並んで建つ。)
(柳谷道丁石に関しては、「柳谷参道丁石一覧」も参照下さい。)

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【1.丁石を北に望む 【2.丁石を南に望む 【3.丁石を東に望む
 奥、柳谷観音へ  奥尺代橋、背後観音へ  左、柳谷観音へ
 背後、尺代橋へ】  左フェンス後に当丁石】  右、尺代橋へ】

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【4.地蔵正面の拡大 【5.地蔵正面下部拡大 【6.丁石を東に望む
 「是ヨリ十二丁」  「月參講」と読める】  右(南)が当丁石】
 と読める】

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【7.島本町の道標】 【8.柳谷道の丁石】
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