32.猪名川町銀山本町15の道標4/4

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猪名川町銀山本町15 金山彦神社参道橋の南50m、道路東側民家の北庭内に南を正面に建つ
(四基の内西側から4番目、最も東側)
角柱 68x17x14.2p(『猪名川町の道標』より)
N34.898135 E135.349379


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│↑長谷 大原の           │
│↓ぎん山 ひろね          │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│ 廣芝(茂兵衛翁)         │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『猪名川町の道標』より)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では29)
(南面「右長谷大原の」「左ぎん山ひろね」は、現在の宝塚市長谷、大原野、猪名川町銀山、広根に比定し、
 元位置に相応しいのは歴史街道北方の村上新田のあった辺り、前述「1/4」の元位置
N34.909777 E135.348277
 辺り(池の南西角)も考えられるが、二基併設の疑問点から
 当地より西方の長坂峠方面の道筋で三ツ辻となる
N34.902964 E135.339087
 を候補としたい。理由としては、大きさは少し異なるがほぼ同じ意匠の「銀山本町3の道標」があり、
 この道筋上の統一様式に沿うとする。峠の反対側の「宝塚市芝辻新田ナギ町谷通18の道標」も施主、
 が同じで、ほぼ同一仕様ある事もそれを裏付けるとする。
  或いは、上記の候補地より銀山に近い、ソエ谷峠への分岐点を候補にしても構わないが、明治の地図の
 辻の形状では少し難しい。道路改修等によりここに集められたものか。)
 他の三基は、
 2.「猪名川町銀山本町15の道標1/4」
 3.「猪名川町銀山本町15の道標2/4」
 4.「猪名川町銀山本町15の道標3/4」
(北面の廣芝茂兵衛翁の銘を持つ近辺の道標をまとめた「廣芝銘道標一覧」も参照下さい。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標前より南を望む 【3.歴史街道上より
 右手民家奥、北側に  奥(南)悠久の館へ  道標を北東に望む
 四基が東西に並ぶ】  背後、金山彦神社へ】  後方に銀山川】

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【4.道標を東に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標東面拡大
 手前から1、2、3  「長谷 大原の」  「廣芝…」
 奥、4が当道標】  「ぎん山 ひろね」】  と読めるか】

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【7.猪名川町北部の道標】
写真fimg5261
【8.猪名川町南部の道標】
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