85.三田市大川瀬の道標9(少分谷堺辻2)

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三田市大川瀬150 県道315号と314号の交差点(三田等三市境界のゴルフ社宅前)から315号を西へ940m、
県道から北に分岐する三ツ辻(ゴルフ場進入路)北東角崖上に西を正面に建つ
(東10mに「大川瀬の道標8(少分谷堺辻1)」が建つ)
自然石 118x62x43p(台石20x89x71p)(礎石20x118x102p)(像部83x30x10p)
N34.929662 E135.107276


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西面
                ┌――――┐
                │    │
┌――――――――――――――┐│施主  │
│(梵字)延命地蔵大菩薩…為空││ 観音 │
│(地蔵像)         ││ 講中 │
│  左立久い古市      ││同   │
└――――――――――――――┘│ 且中 │
                │……  │
                └――――┘
(「久」は変体仮名「く」で「立杭」か)
(梵字は「カ」地蔵菩薩の種子か)

南面
                ┌――――┐
                │    │
┌――――――――――――――┐│    │
│              ││    │
│      右あいの三田  ││    │
└――――――――――――――┘│世話人 │
                │ 佐兵衛│
                └――――┘

東面
┌――――――――――――――┐┌――――┐
│(なし)          ││    │
└――――――――――――――┘└――――┘

北面
┌――――――――――――――┐┌――――┐
│(なし)          ││    │
└――――――――――――――┘└――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では85)
(明治の地図ではX字状の辻であり北東へは聯路が見える。道標の北側にそれらしき道が残るが変電所で無くなっ
 ている。「大川瀬美野田の道標」の元位置の辻に繋がっていたと推測できる。これが「左立杭、丹波古市」と
 する道である。
  南面の「右あいの、三田」が示す道は現在2019年の県道315号であることは疑いなく、辻の東部に西面して
 建っていた(今の状況のまま)と考えられる。
 依って、前述の東10mに建つ「大川瀬の道標8」とは四辻を挟んで対峙していたと思う。
 相対的に東西が入れ替わって建つ二基であろう。)
(大きく風雅な地蔵像で礎石の上に台石を置きその上に地蔵が載る。台石には正面(西面)に施主、右面(南面)
 前部に世話人が刻まれている。『さんだの道標』の読みが少し違っている様に思う。
  施主は講と、その中(且中)の何某(読めない)1名とが書かれたものと見える。
  又、西面右部「延命…」の下部にも二文字以上の文字がある様に見え「…為空」としたが、これは怪しい。)
(東(現県道)に進むと、「大川瀬の道標1」「下相野北西端の道標」に続いている。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を東に望む
 奥左右が県道315号  奥(東)相野へ  右下は県道315号
 中央木の下当道標】  崖上柵後に当道標】  道標は広場に建つ】

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【4.道標西面拡大 【5.道標を北東に望む 【6.道標南面拡大
 「左立久い古市」  左後方に続く道が  「右あいの三田」
 と読める】  立杭への旧道か】  と読める】

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【7.道標台石西面 【8.道標台石南面左端 【9.東隣の道標8を北西に望む
 右から「施主」  「世話人」の「世」は  左10mに当道標の背面
 「且中」迄は読める】  異体字であろう】  右北東へ曲がる道は行止】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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