103.三田市藍本の国境碑(道標では無い)

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三田市藍本 国道176号市境細田橋北詰から左(東)岸堤防道を南へ70m、道の東上に南西を正面に建つ
(碑に登る階段が付けられている)
板碑型 169x55x22p(南東面幅20p)(19x100x60以上pの台に載る)
N34.990152 E135.160494


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南西面
┌――――――――――――――――――┐
│ 山陽道攝津国有馬郡日出坂村    │
│     九鬼長門守知行所     │
│国境                │
│     松平豊前守知行所     │
│ 山陰道丹波国夛紀郡油井草野    │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│昭和四十九年十二月鬼宥吉祥日    │
│武庫川改修工事に除志        │
│ 封人の松木切る 樹齢三百年    │
└――――――――――――――――――┘
(「宥(ゆるす)」はウガンムリに「而」と
 刻むとしたが「寫(写)」等もあるか)

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(昭和四十九年は西暦1974年である。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では103)
(道標では無く改修工事記念碑である。摂津と丹波の国境を表現したものであろう。
 江戸時代最後の藩主を示すなら「九鬼隆義」を指すと思われ、時を合わせるなら篠山側は「青山忠敏因幡守」
 とすべきであろう。何れにしても意味のない修辞で、摂津国、丹波国国境で十分と思われ、住所をいれるなら
 日出坂村、草野村で良いと思うし摂津の国は山陽道ではなく畿内であり、旧字の使用も中途半端で、なんとも
 理解し難い碑である。
  むしろ裏面にある樹齢三百年の松を表にしたい位である。
 尚、「封人」は国境を守る役人の意があるらしいが、樹齢三百年の木を切った役人を責める文言であろうか。)
(南560mに「三田市藍本276の道標」がある。)
(国境を示すものに
 「三島郡島本町山崎1国境碑」   (山城国境)
 「茨木市京都府境の標識」     (丹波国境)
 「能勢町吉野ひいらぎ峠京都府境の標石」(丹波国境)
 その他があるが、簡潔である。
  尚、当石碑の特徴としては現県境になっていない点である。)

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【1.石碑下より北西を望む 【2.石碑を北東に望む 【3.石碑を北東に望む
 奥(北西)国道176  左(北西)細田橋へ  上部は幅が狭く
 の細田橋北詰へ】  右、藍本276道標へ】  右側奥行が少ない】

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【4.石碑北東面 【5.石碑南西面中部 【6.石碑南西面下部
 改修時に役人が  昭和になって  旧国名と村名か
 松を切ったのか】  知行所はなぜ】  昭和の住所でよい】

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【7.三田北部の道標】
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【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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