27.三田市馬渡の道標

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三田市馬渡147 県道365号から北上神内への道が分岐する三叉路の北部に南を正面に建つ
(神姫バス馬渡バス停待合所の西側)
蒲鉾型角柱 57x27x17p(頂高4p)
N34.896371 E135.15979


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南西面
┌――――――――――――――――――┐
│右きよ水丹波            │
│奉納西國三十三所          │
│左いまでら天神町          │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(明)治十三年三月(吉日)     │
└――――――――――――――――――┘
(( )部はさんだの道標より)


(明治十三年は西暦1880年である。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では27)
(同書に「平成9年度整備」とあり、道路拡張等により移動させたものと思われる。現位置では辻の形からして不
 自然で邪魔にならない為だけを考えて置かれた様に見え、近接移動としたい。)
(「左いまでら天神町」の今寺は現加東市秋津「吉祥寺」、天神町は加東市天神とすれば、現県道356号相当の北
 西の道を示し、「右きよ水丹波」は途中「上内神跨線橋南の道標」や同「西の道標」を通り上相野の南にあたる
 「下相野北西端の道標」迄は北への一本道を指し、案内に不可はない。)
(明治の地図でもほぼ現在と変わらないよう見え、前述のように近接移動は有るものの元位置としてよいと思う。
 南へ進むと播磨道の赤松峠に出る辻があり南へ分岐するか、道なりに東進して深田に続いている。深田に向かう
 と「深田の道標」に繋がるのかも知れない。)
(紀年部分の年号上部が欠損しているが江戸時代の「治」が付く年号は「万治、元治」があるが何れも数年しかな
 く「明治」として問題ないであろう。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北に望む
 右奥、上神内へ  奥(南)福吉へ  右手奥(北)上神内へ
 左奥、吉川町上荒川へ】  バスは三田駅へ】  右はバス停待合所か】

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【4.道標を北に望む 【5.道標北西面拡大 【6.道標を北に望む
 左上部欠損  「治十三年三月」  県道より西が三木市
 中央部に傷】  明治であろう】  北へ斜度が増す】

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【7.道標南西面左 【8.道標南西面拡大 【9.道標南西面右
 「左いまでら天神町」  「西國」の間に大きな  「右きよ水丹波」
 と読める】  傷が出来ている】  「水」は良く見えない】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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