47.1.三田市小柿唐尾天保の道標

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三田市小柿330 灯籠橋を西に渡り、県道309号の交差点から南に200mの道西側に東を正面に建つ
(北と西を給油所のブロックに囲まれ、墓石二基と忠魂碑一基が並ぶ)
(北の「慶応の道標」はこちら
蒲鉾型角柱 80x35.5x22p(頂高5p)(下9pより龕部66x28x-3p)
(台石上22x55x56p、中23x74x69p、下18x100x125p)
N34.980284 E135.26496


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東面
              ┌――┐
              │  │
┌――――――――――――┐│ 手│
│     右 ふく住  ││施習│
│(梵字)教範泰澄居士  ││ 児│
│     左 志つか王 ││ 五│
└――――――――――――┘│□拾│
              │ 人│
              └――┘
(梵字は「ア」大日如来の種子か)
(「志、王」は変体かな「し、わ」「左後川」か)

北面
              ┌――┐
┌――――――――――――┐│  │
│ 天保六歳未三月十七日 ││  │
└――――――――――――┘│  │
              └――┘

西面
              ┌――┐
┌――――――――――――┐│  │
│(なし)        ││  │
└――――――――――――┘│  │
              └――┘

南面
              ┌――┐
┌――――――――――――┐│  │
│事こ…         ││  │
│      □□    ││  │
│  行山野岡…     ││  │
└――――――――――――┘│  │
              └――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊には記述なし)
(天保六(乙未)年三月十七日は、西暦1835年4月14日火曜日である。)
(基本墓石に見える。上部が木瓜型になっており、「居士」と付くなどからで、台石に施主として「手習児」とあ
 り、寺子屋でも開いていたのであろうか。この様な施主は珍しいと思う。供養の為道しるべを付けたものとすれ
 ば一般人の墓とは異なり顕彰の意味合いが強いものであろう。)
(当地を明治の地図で見ると、南北の道から北東へ分岐する三ツ辻がある様で、南面していたなら左が北を指し、
 右が北東を示すと思われる。「左志つか王」が「左後川」なら現県道309を北上するのは疑い無いが、右の解釈
 をどうするかである。
  「右ふく住」を丹波篠山市の福住として、福住へは後川経由でなく能勢町天王(すねこすり峠)経由と考える。
 ここから右の北東へ進めば羽束川を灯籠橋で渡り現県道37号に出て北へ行くと小柿の北で309号と合流してしま
 い遠回りとなるだけである。依って307号に出て一度南下し布木から「ふく住」を目指すと考える。ならば、こ
 こから南へ進むべきではないかと思うが南の見比に出ると南西に進んだ後、東に折れ橋を渡るためかえって距離
 が遠くなってしまい、ここで「右」が案内されたものと思う。
  元は、道の東側三ツ辻北部に南面して建っていて近接移動されたものと考えたい。尚、地図にある北東への道
 は現在では圃場整備の為か跡形もない。)
(北530mに「小柿の道標」が有り、南西1.2kmの峠の西に「小柿見比峠の道標」が有る。
 南西の布木から東の末吉に至れば「末吉の道標」や地蔵が有り、それらには「能勢亀山道」とありこれでまずは
 猪名川町柏原か西畑へ出て、その後福住を目指すものか。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を北東に望む
 右二つ目が当道標  右奥(北)後川へ  奥、灯籠橋への道
 左奥(南)見比へ】  左側が当道標】  は跡形もない】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標東面台石部拡大
 左にある道は  台石三段の上の  「手習児五拾人」
 すぐに行止り】  竿の下部に案内】  信頼が厚かった】

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【7.道標東面左部拡大 【8.道標東面拡大 【9.道標東面右部拡大
 「左志つか王」は  教範とあるので  「右ふく住」
 「左後川」とした】  手習い所の先生か】  と読んだ】

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【10.道標北面拡大 【11.道標北面中部 【12.道標南面
 「天保六歳未三月十七」  「六歳未」の部分  辞世か賛辞か詩等か
 と読んだ】  写真では見難い】  ほとんど読めない】

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【13.三田北部の道標】
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【14.三田西部の道標】 【15.三田東部の道標】
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