71.神戸市北区淡河町野瀬1の地蔵道標(播磨国であろう)

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神戸市北区淡河町野瀬1 神姫バス弓ノ木前バス停の三ツ辻西部に東を正面に建つ
(二基の内西側に建つ、隣は「昭和の道標」
地蔵像光背部 99x41x31p(上から35pで折れ、光背右部欠損)
N34.822341 E135.166655

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東面
┌─―――――――――――――――┐
│                │
│(地蔵立像)          │
│ 左ハみ支みち         │
└――――――――――――――――┘
(「支」は変体仮名「き」で「左ハ三木道」か)

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
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(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区49)
(当道標は多分播磨国の領域に建つと思われるが、国絵図には「弓ノ木」が国境とあり一応載せる。国絵図を見ると
 両国ともに「此の弓ノ木峯(嶺)道筋…峯を横に切国境」としており、明治の地図では弓ノ木交差点の東100m強
 の民家の東辺りを国境としている。地形的にも播磨側へ多く下った途中でもあり、摂津の国ではないと思う。東面
 する為に案内は播州側の地名である。
  天保国絵図は国立公文書館のデジタルアーカイブ「摂津国」「播磨国」を参照下さい。
  又、『五機内誌』の「摂津国の疆域の間道」の項に「屏風嶺」として「明石郡界より屏風に至る八丁、屏風より
 湯山(有馬)に至る二里二十八丁」と書かれている。上記で想定した国境から東の「八多町屏風辻の道標2」迄が
 800m(7.3丁)と近似し、有馬に至る道筋を、深谷、附物、吉尾、田尾寺、下山口、上山口、中野としており、今
 の道筋を辿ると11kmとピタリと一致しその正確性を以て、0.7丁(76m)西に延ばしても当道標には届かない。
 国立国会図書館デジタルコレクションの『五畿内志下巻』コマ番号76を参照下さい。)
(東に「八多町屏風1129の道標」があり、北は 「八多町西畑256の道標」に繋がる。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 左奥、淡河、三木へ  新しい地蔵の後ろ  左下に残欠部が転がり
 右上、旧県道506】  に当道標がある】  中央折損部は接着される】

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【4.道標東面拡大 【5.道標東面左部 【6.道標東面右部
 「左ハみ…」辺りは  「左ハみ支みち」  右手に錫杖を持ち
 問題なく読めるが】  としたが】  頭部に円光背がある】

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【7.北区東部の道標】
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