15.神戸市長田区宮丘町1の三丁丁石(道標では無い)

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神戸市長田区宮丘町1丁目2−19  長田小学校北西の山麓線の高取山登山口北西部に南面して建つ
(折れた鳥居の西足元、石材店の石材置き場内)
山型角柱 65x15x13p(頂高3p)
N34.672603 E135.141701


写真himg0632

写真himg0633

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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│三丁                │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 出浦傳吉             │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊には記載なし。)
(神戸市街地から高取神社の参道は二本ある様で、一本は西代から、もう一本は長田からの道と思われる。
 この丁石が建つのは長田からの参道と考えるが、意図して鳥居の側に置かれたものか、石材店の回収した石が偶然
 ここ(石材置き場)に置かれたものかは判然としない。現在(2020)「三丁」の文字には白い塗料が入れ込まれ、
 誰かが保守しているに違いないが、残り三丁の距離には神社はない。丁石をトレースした訳ではなく偶然見つけた
 だけのもので概要だけを載せておく。
 長田からの参道で起点として検討すべき「長田区西山町1の道標」が南東5丁(545m)程にあり、進んだ距離を
 示す丁石でもなさそう。
  尚、西代からの参道には「長田区大谷町3の道標2(十八丁)」があるが、これとは関係ないであろう。)
 2022年3月追記。
 丁石をトレースした結果、高取神社「表参道」になるらしく「壹丁」から、「十八丁」の8基が残存するようで、
 起点と終点の紀年銘より、明治36年8月に同時に建てられたものと想像できる。前後には1丁と10丁しか残って
 いないがこの間の距離からすると、ほぼ元の位置かと思われる。明治の地図で見ると今の山麓線の南側の長田小学
 校の校庭を通っていたように見え、現在の校舎北側を通過する道よりも短くなり、主要道からいきなり階段で分岐
 する地点でもあり、参詣道の始まりに相応しいとして、この地に残ったのではないかと考える。
 「長田区西山町2の一丁丁石」
 「長田区高取山丁石一覧」も参照下さい。

写真himg0630 写真himg0651 写真himg0631
【1.丁石を東に望む 【2.丁石を北に望む 【3.丁石を北東に望む
 奥、宮川町九丁目へ  奥階段、高取山へ  左階段登り摩耶山へ
 左端フェンス後丁石】  正面鳥居柱前に丁石】  左鳥居柱の右が当丁石】

写真himg0642 写真himg0644 写真himg0645
【4.丁石南面拡大 【5.丁石東面中部 【6.丁石東面中部2
 「三丁」と  「出浦」  「傳吉」
 白い塗料が入る】  と読める】  とした】

写真gimg6517
【7.神戸市中部の道標】

【参考】「今昔マップ on the web」で現在地図と比較できます。
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