12.神戸市長田区駒ケ林町5丁目7の道標1

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神戸市長田区駒ケ林町5−7−11 高松線長田港北交差点の東120mの腕塚への路地を南に40mの筋違い四辻を
東へ10mの三ツ辻の南東部に西を正面に建つ
(忠度腕塚北20mの三ツ辻でもある)
(路地を挟んで西に「道標2」が建つ)
山型角柱 58x17x10p(頂高4p)(像部9x14x-1p)
N34.648876 E135.146673


写真himg0876

写真himg0877

写真himg1734

写真himg0879

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│(左指差像)うでづか        │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 あし可             │
└――――――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」で「明石」)

東面(写真なし)
┌─―――――――――――――――――┐
│(不明)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│…                 │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では長田区10)
(同書では「このしるべ石の代わりとして「駒ケ林町5丁目8の道標」の石碑が建てられた。」としている。
 この道標に使われている石質は凝灰岩と云うらしいが、経験上劣化の進みやすい石と思われる。確かに風化の程度
 は進んでいるようだが、指差し像を刻むことから余り古いものでは無いと思われる。
  指差し像を持ち紀年のあるものは「長田区西山町1の道標」「兵庫区東山町4大正の道標」等がある。)
(すぐ西側の道標と異なるのは設置の向きが正しくなく、この石の方が古いようだ。この辻に設置する限りは今の西
 面が東に面していなければならない。即ち180度回転させて置かれていた筈で、この時現南面は北面になり右は西を
 示す。西に大きな道標を建てたので東に移したとするか、西10mの筋違い四辻に現西面を北面させて置いても右を
 西と受け取る事は置く位置により可能となる。よって元位置はこのどちらかであろうとしたい。個人的には後者の
 方が案内としては親切(辻毎に無ければ辿り着けない)におもえる。
  『神戸の道標』のいう「代わり」の意味が不明であるが、「駒ケ林町5丁目8」に立っていた当「道標1」を取
 り去り、現行の道標を新設し、取り去った当道標を南へ40mの現地点に移設したと解釈すると、此処へ移設する
 理由を述べない限り納得しにくい。)

写真himg0861 写真himg1758 写真himg1743
【1.道標を東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南東に望む
 筋違いの路地四辻  奥100mは路地  奥20m左に腕塚
 より金網越し道標】  左側小さい当道標】  直70mで海岸へ】

写真himg1751 写真himg1738 写真himg1732
【4.道標西面拡大 【5.道標西面拡大 【6.道標南面拡大
 東不整面壁に密着  指差像は傷み大だが  「右あかし」
 文字は無し】  新しいものか】  と読める】

写真himg0887 写真himg0883 写真himg1740
【7.道標北面拡大 【8.道標西面下部 【9.道標から西を望む
 文字らしきものが  磁針は西南西を  「あかし」へは
 あるが読めない】  指すが西面とした】  右奥の路地へ直進】

写真gimg6519
【10.神戸市南西部の道標】
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