99.神戸市北区山田町藍那字伝庫北の道標

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神戸市北区山田町藍那28 県道52号藍那トンネル東四辻の急坂を南に登り270mの三叉路(集落西部)を西折れ290mの三ツ辻の西部の傾斜地に東を正面に寝かされて置かれる
自然石 57x28x21以上p
N34.730478 E135.110465


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埋没につき写真無

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東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│右 三木                │
│     道              │
│左 太山寺               │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

西面(地面に埋る)
┌─―――――――――――――――――――┐
│(不明)                │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区108)
(「左、太山寺」は「たいさんじ」とよむらしく、神戸市西区伊川谷町前開にある天台宗の寺で、播磨の名刹と謳って
 いるようです。『播磨名所巡覧図会』にも載る様で、訪れる人も多かったのでしょう。明治の地図で見ると左の道は
 南に道なりに進み鵯越道に合流した後すぐの「藍那字伝庫南の道標」で再び南に別れ、木見峠から布施畑に出て伊川
 右岸を進むように見えている。
 「右、三木」は「藍那字伝庫西の道標」で鵯越道に合流し、北西へ木津、三木となります。
  当道標と上記の二基を合わせて三基が中央の小高い山を囲み、三方それぞれの進む道を示しています。)
(藍那集落中より南に登って来た道が二手に分かれ、どちらも東西の鵯越道に接続するのだが、左(南)は神戸方面に
 近く、右(西)は三木方面に近い辻であり、ここに置かれて問題はない。ただ神戸方面の案内が「太山寺」とあるの
 は其処へ行く人が多かった為であろう。自然石で台石を失ったためか斜面に転がっている状態である。正面が天を向
 いてるが、見下ろした状態でも左右が解り難い事はない。)
(明治の地図を見るとここに辻は描かれておらず、大正12年測図には載る。もし西への分岐道が地図の通りであれば、
 建立年は明治43(1910)年以降となる。右への道は切通しのように見えるが、近世でも掘削可能な程度である。)
(南70mに「藍那字伝庫南の道標」があり、その手前の辻を南東に250m進むと「藍那21の道標」がある。
 西に70m行くと「藍那字伝庫西の道標」があり、
 それから西400mに「あいな里山公園口の道標」となる。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥(南)神戸へ  奥(北)藍那集落へ  奥(西)三木へ
 南70m字伝庫南の道標】  左、三木へ】  西70m字伝庫西の道標】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標上部を東に見下ろす
 寝かされていても  「右 三木」  背面は少し埋る
 左右は解かる】  「左 太山寺」】  露出部の高さ21p】

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【7.北区南部の道標】

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