34.神戸市灘区六甲山町極楽茶屋跡の道標

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神戸市灘区六甲山町北六甲1314 県道16号六甲フィールドアスレティック入口前から東へ460m道の北側に南を正面に建つ
(極楽茶屋跡の東側)
自然石 89x40x40p
N34.769566 E135.249676


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南面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 東六甲             │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――┐
│      A           │
│      M           │
│左 有馬 ↓I           │
│      R           │
│      A           │
└――――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では灘区bP)
(同書に「明治二十八年ごろ、英国人グルームは六甲山頂に山荘を建て、その後ゴルフ場もつくった。そのころから内
 外人ともに六甲山に親しむようになり、六甲登山もはじまった。…ローマ字と矢印は特に外国人登山者のために彫ら
 れたのであろう。道標に見る横文字は珍しい。」としている。横文字で書かれた「芦屋市清水町9の道標」が有った
 が、最近行方不明になった様である。
 他に外国人が建てた「中央区北野町3の道標」があるのも神戸らしいと思います。
  建設年が書かれていないが、明治以降であるのは疑いの無い所か。同書の書き方からすると明治二十八(1895)年
 以降と出来るようです。)
(行先に関して西面の「左、有馬」は何の疑問もなく現在の道案内柱にもある、「紅葉谷経由の有馬」であるが、南面
 にある「右、東六甲」がよく理解できない。道標に有っては地名を表記するのが一般的であるが、「東六甲」と言う
 地名は無いように思う。この方面の芦有ドライブウェイに「東六甲展望台」があるがHPに「昭和36年(1961年)9月」
 営業開始とあり、それ以降の道標とも思えず、地域の名称と出来るが一般的な呼び名であったか不明である。
  因みに、明治の地図を見ると南西からここまでは間道であった道が北の有馬も尾根筋の東六甲へも小径となり続く
 様子が描かれている。
  尚、紅葉谷は地図に表示が無く、現、七曲滝から湯槽(ユブネ)谷山の東を回り鼓ヶ滝を経て有馬への道と思うが
 未踏査である。)
(上記で案内される有馬側の道標を見ると、紅葉谷道を案内するものは見つからず、射場山の西を通り六甲山最高峰の
 東を越える「住吉道(ととや道)」を案内する「北区有馬町鳥地獄の道標」など二、三あるようですが、摩耶・神戸
 ・兵庫へは最短道となる紅葉谷道を案内するものは見つからない。これは単に遺失しただけなのか、元々薦められな
 い道であったことによるものかも知れない。
 (注、有馬で兵庫・神戸を案内する「北区有馬町善福寺北の道標」は現、有馬口方面を指示する。))

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥(北東)は県道16号  奥(北)今の案内には  右後ろに極楽茶屋跡
 宝塚16.2qらしい】  紅葉谷を経て有馬4.0q】  旧道は左奥から右へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標西面上部 【6.道標南面拡大
 「左、有馬」の下に  「左、有馬」  「右、東六甲」
 矢印とローマ字】  と漢字で表記】  とは何処を指すか?】

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【7.紅葉谷道を北に望む 【8.道標西面下部 【9.道標東の案内図
 暫くは平坦な道か  左矢印とARIMAは  北への道を
 2022/3月迄通行止め】  全て大文字で書く】  「紅葉谷道」としている】

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【10.神戸市東部山岳部含の道標】
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