65.羽曳野市誉田3の道標1/3

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羽曳野市誉田3−5−2 三ツ辻北西部に南東を正面に建つ
(辻東の「誉田3の道標2/3」「誉田3の道標3/3」も参照下さい。)
尖頭型角柱 85x23x22p(頂高6p)(下8p折)
N34.558065 E135.611574


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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│左 ふぢ井寺大坂(道)     │
└――――――――――――――――┘
(「道」の下部は折損)

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│右 道明寺玉手山        │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│右 いせみち          │
└――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、95)
(行先の確認。南東面「左、ふぢ井寺」は「葛井寺」として、西に進み、野中からクランク状に北西に繋がる
 明治時代の道が見える。現在では国道170号の交差点付近の経路がたどり難いが、それでも一応残っている。
 『今昔マップ on the web』明治の地図を参照下さい。
 この西への道は『天保河内国絵図』にも、細くはあるが朱書きされ、誉田八幡の南側を通過している点や、
 葛井寺村の西で折れ曲がる状況は、上手く表現されているように思う。
  北東面の「右、道明寺」は東高野街道を北向きに進む事を示し、南西面の「右、いせ」は「伊勢」とし、
 ここから、東高野街道を南進し、多分、古市で竹内街道に入る事を案内するものであろう。)
(北は「羽曳野市誉田中学校西の道標」に、南は「羽曳野市古市簑の辻道標」に繋がる。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を西に望む 【3.三ツ辻を北東に望む
 右奥(北)道明寺へ  奥(西)大坂方面へ  左端が当道標、奥東高野街道
 左、市役所方面へ】  右、道明寺天満宮へ】  右は2/3、3/3の道標】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標南東面上部 【6.道標北東面上部
 「右、道明…」に正対して  「左 ふぢ井寺…」  「右」の左右に
 右を西としてはダメ】  と読める】  文字があるかも知れない】

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【7.道標南西面拡大 【8..道標南東面下部 【9.道標北東面中部
 「右 いせみち」  「…井寺大坂道」  「道明寺」
 と読める】  「道は上部のみ】  とした】

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【10.道標を北に望む 【11.道標を西に望む 【12.道標北東面下部
 右(南東)面が  東高野街道を南行して来て  「玉手山」は
 辻の中央を向く】  右手を見た状況】  柏原市の安福寺か】

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