貴志川線を走った車両達-2 1201形

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1201形3連 1985.7.12 撮影 岡崎前

1971(昭和46)年にそれまで使用されていた15m車1051形を一掃するために、18m標準車1201形9両が投入された。
1973(昭和48)年に本線が1500Vに昇圧されたので、予備車を含め10両が貴志川線の専属となった。
選抜されたのは、使い易く融通が利く両運転台車4両と全面更新から時間が経過していない6両の合計10両でした。
1976(昭和51)年に輸送力増強のため高野線で使用された後に休車となっていた、21200系の21201を制御車に改造し転属させた。
1995年に1201形は10両全車が廃車、1202と1210が加悦鉄道とグリーンピア南紀で保存、TOPナンバーを含む残り8両は廃車され水軒駅で解体された。

1201

トップナンバーで両運転台付き、1933(昭和8)年に南海天下茶屋工場で製造された。 1998(平成10)年に廃車され、保存されることなく水軒駅で解体された。

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1988.10.31 撮影

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1988.7.20 撮影

1202

1933(昭和8)年に南海天下茶屋工場で製造、両運転台付き。 1998(平成10)年に廃車されたが、京都の加悦鉄道で保存されている。

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1995.2.24 撮影

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加悦鉄道で保存されている1202 2016.9.10 撮影

1203

1933(昭和8)年に日本車輌で製造、両運転台付き。

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1985.5.17 撮影

1204

1933(昭和8)年日本車輌で製造、両運転台付き。

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1986.4.6 撮影

1210

1936(昭和11)年 日本車輌製、和歌山方の片運転台(偶数番号車)前面スカート付き

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1989.4.7 撮影

1213

1936(昭和11)年 日本車輌製、貴志側の片運転台(奇数番号車)

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1995.2.24 撮影

1217

1936(昭和11)年日本車輌製、片運転台

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1989.4.7 撮影

1218

1937(昭和12)年 汽車会社製、片運転台スカート付き腰板、窓も低く側面窓に保護棒付き

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1987.9.8 撮影

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1988.8.30 撮影

1234

1939(昭和14)年 木南車輌製、片運転台スカート付き腰板、窓も低く側面窓に保護棒付き

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1987.9.8 撮影

1241

1941(昭和16)年 汽車会社製、片運転台スカート付き腰板、窓も低く側面窓に保護棒付き

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さよならヘッドマーク付き「特急」の方向板はファンが撮影用に取り付けた物 1995.3.19 撮影


21201形

21201

高野線初の新型車として1957(昭和32)年に登場、ズームカーではないが台車は空気バネ式に改造されていた。
1976(昭和51)年の転属の際には電装を解除し制御車となり塗色変更も行われた。貴志向きの運転台である。
3両編成の必要が無くなったため1986(昭和61)年に廃車となった。

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和歌山ー田中口間を走行中の21201、流線型車のツートンカラーには違和感があった 1984.10.2 撮影


南海電鉄の1201形は京福電気鉄道福井支社に16両が譲渡され、水間鉄道には10両とクハ1901形2両が譲渡、廃車後に1両が保存され5両が野上電鉄まで輸送されたが使用されず解体されました。


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