顕在化しない
経済価値が
イタリアや
ギリシャには
多い
日本の
建物は
耐用年数が
30年ほど
流行に応じて
すぐに
滅失される
流行の
建物に
住めるのは
よい
しかし
建物が
壊しやすく
建てられる
仕事は
増えて
いい
資産は少ない
日本は
津波と
地震と
火山の
国
ベスビオスのような
ことは
なかったけれども
それに近い
言い伝えが
文化の底に
眠っている
被災者の心が
私のここでの
心によってのみ
いやされる
すべての
マスコミの詩は
被災者の誰の心も
いやさないことが
明白になった
NHKの
歌謡曲も
震災後
うつろに響いている
何故に文学が
消えたように
思えるのか
このホームページのみにしか
文学がないのか
ウソをつかないこと
本当の心を表現すること
それが
文学である
ところが
このホームページは世界から見られて
世界を救っていると
見えるのか
それは石原ではなくて
石川啄木の
先生の悲しみが
ここに現れていて
千の風
すなわち
被災者の
心の
痛みを
本当に
表現しているからだ
私の母の弟で長崎の原爆で
長崎医大の母の弟
長崎医大の学生も
長崎の原爆でなくなった
人々の心を
千の風のみが
表しており
マスコミも
そろそろ
それに
気がついてきたからだ
先生の経験
それは
本当にやれば
毛沢東や
石川啄木の
心が
植えられる
しかし
この詩集は
私の
なくなった母の心を
代弁している
原爆は
長崎のみ
ではなく
隣の佐賀も
侵したのだ
それが被災者の心と
原爆の心を
表現させている
本当に被災者の心は
苦しい
それがこの詩集の
魂である
被災者を慰める
詩集は
どこにもなかった
それがここにあったのだ
チェルノブイリの心
それは
このホームページのみにしか
なかった
オバマ讃歌と政治臨床心理学がどのように
なるか
それは
ウォール・ストリートを
つぶすことが
オバマのやることではない
オバマが
歴史に残すべきことは
香港の母の心である
恐慌とは
資産価値の下落
から
所得が
減ることによって
貨幣経済
そのものが
崩壊することである
資産価値は
いかにして
増えるのか
不動産では
都市計画の
成功による
色々な
例を挙げてみよう
逆に震災は
福島原発事故は
資産価値
資産経済に
大きく
影響した
母の心
それは
ベルルスコーニも
渡邉恒夫をも
打ち砕いて
脱原発を
勝たせるであろう
それは
悪の検閲をも
打ち砕く
オバマも
母の心を
香港で見た
黒人と白人の
二世を
思う
母の千の風
が
理解できれば
すでに公報も政見放送も
脱原発で
録画済。
JCの討論会では
完全勝利と
確信していましたが。
原発から600万円もらえていたら
勝っていたでしょう。
119メガのWMAのテープは必要な方には
送付します。
脱原発、原発廃止のため解散総選挙へ向けて
地道に小選挙区で
頑張っていこうと
埼玉県知事選挙については
新聞の扱いが
故意があったとして
損害賠償の裁判11時からと
SPEEDIとWSPEEDI
の情報隠しによる
損害は
国の違法であり
違法化されるべきであるという
裁判を10時から
行なって
4時50分に
埼玉県知事選挙については
不出馬を
7月14日に
発表。
いまだに
日本は
検閲社会である
内閣に
おいて
検閲している
300万円の
支払いのみで
選挙をやると
ポスター600万円と
宣伝カー100万円は
不要となる
wikipedia
にさえも
検閲官がいる
ソ連の
共産党が
違法化された
あの時期と
ダブって見える
中華人民共和国とも
日本共産党は
選挙のときに
ポスター貼りのための
一日一万円の
アルバイト代で
よみがえる
それらは
選挙公営で
資金は
税金から
支払われる
自由民主党も
民主党も
同様である
政府には
弁護士も
裁判官も
含まれる
テレビをよく見ている
これらの人々は
報道と
wikiをも
検閲する
jc日本青年会議所の
討論会の
ビデオ
これは私が
勝ったのを知って
検閲している
ニコニコ動画で
配信するという
約束だったのに
一事が万事
これらは
検閲制度の
せいである
日本政府には
いまだに
検閲局が残っている
脱原発解散が
できたら
検閲局は
即解散である
政治は
教育
経済
原爆
原発
核のかさ
すべてを
統制するものだ
マスター
オブ
サイエンス
よくも
アリストテレスは
喝破した
しかし
人間の
すべてを
定義しなかった
人間は
唯物論と唯セックス論とによる決定論
から
外れた
本能以外の
部分は
自由に
色即是空
の世界に生きる
社会的な
動物である
ポリス的
動物である
ポリスとは
政治の意味を
含んだものである
娯楽もあるが
真面目に
人間社会の
すべてを
統御するものである
オバマが
自分の母親の
千の風を
言えたら
永遠の
大統領になれる
これが
私の本
「オバマ讃歌」と政治臨床心理学がどのように
結びついているのかである
母の心
それは
偉大である
私は
母であれば
公式の場で
パナマンハットを
かぶることができる
だから
今
かぶっている
震災で亡くなられた方々の千の風がいう。なぜに政治学を無にして風評で政治家を選んでいたのか悔やまれると。20110516
20110608政治学が福島原発事故によって何故に変化したように見えるのか。
2011年6月5日 20110605各地域政党代表殿
内田満早稲田大学教授によれば、一票一万円の金を出すのが、ゼネコンであったのか、東京電力であったのかということだけの違いであり、日本独自の金権政治は戦後の55年体制では同じ体質であった。これは現実性を見てきた私は実証的に証明してきた。大本営発表の超国家主義であった。大本営発表から逃れられるであろうか。
民主党も、自由民主党も人として責任をとらないで連立と言っている。
中国共産党に影響されて日本共産党は脱原発と知事選挙では言えないであろう。
本当の事実のマニュフェストとは記者会見で発表したその時点での緊急の政治であるマニュアルで書かれたもののみです。本物の総理大臣とは政治学を古典から学んだそのような人のみが可能です。オバマ氏にそのようになってもらいたい。それが私のオバマ讃歌であり、毎日デイリー読売を読んでやって即興で訳してやって日本人に世界から福島県知事がどのようにみられているのかを演説している理由です。
しかし私は埼玉県の知事選挙の記者会見ではちゃんといったのに、書かなかった新聞もあった。それがこれまで普通の人を、詐欺師やペテン師でも政治家として全新聞はマルクスレーニン主義であったので大きく見えるようにしてきたのです。それは政治家ではない人を政治家としてきたのです。本当の政治家とは私のような人のみを言うのです。
今回の訴訟は福島原発事件を福島県知事や福島県選出の衆議院議員の渡邉恒三氏や、渡邉氏やらの責任はあるのかという問題です。
毎日本当のことを付け加えていきます。
友人は3月22日に胃ガンとなった。
私の母親は誰も親戚中なっていないのに、胃ガンになった。私の高校二年、弟が中学二年、二人の姉が二十三歳、二十歳のときであった。
1967年のことである。1964年の中国の地上核実験のときに胃ガンになったものと思う。1966年に発見されたときには遅かった。新聞は当時胃ガンが増えたのはしょっぱいものを日本人が食べ続けたからだと言っていた。これは嘘であったであろう。ガンの原因は放射能汚染である。
放射能汚染予測はノルウェーやドイツのようにやめるという日本の政府に損害賠償請求をさいたま地方裁判所に事件として提訴中である。
問い合わせれば事実と分かる。
以下に記者諸君に埼玉県知事選挙に立候補宣言をしたときの本文をマニュアルで書かれたものをワープロ化したものを載せる。
「当該文章はまだワープロ化していないので、どうしても必要な方は問い合わせられたい」
脱原発と知事選挙
学問は言葉である。金ではない。
これまでは言語学ではなく、「原発」から莫大な裏金をもらっているかどうかが、風評であった。
脱原発と知事選挙の記者会見ではいった、のに、読売新聞は書いていない。
私が行ないたい政治は、一般利益が原発という特殊利益に勝つ政治であり、一般利益を追求する一般人に広く呼びかける政治である。
福島原発後の都市計画
(都市計画)
チェルノブイリ事故後には新しい町が作られた。これは当時のソ連共産党であるからできたことであろう。上海では中国共産党が都市計画を担当していたのをみてきた。大規模に都市計画を実行したのが四川大地震後の都市づくりであったという報道がNHKによって5月6日になされている。
これができるかは、所有権という所有者個人に権限を持たせるのと、大規模に都市計画を行うのに、国が情報隠しをせずに全体を管理する方が効率的かの判断にかかっている。
結局は共産党が行ったことが非効率であり、共産党がソ連では違法化されてしまった。
共産党と自由民主党という概念から離れて、もっともよい方法がとれないか。
その方法論はコンピューターを駆使して、みんなに効率のよい都市をいかに計算しうるのか、そしてみんなに納得させて、実行に移せるのかという方法にかかっている。
(情報隠しについて)
世界中では日本独自の大本営発表の超国家主義の時代から続いている江戸時代の尊皇攘夷以前の鎖国の時代の特殊な感情であるところの超国家主義は捨て去るべきである。今福島原発事件とともに海外から褒められていると読売新聞と朝日新聞は報道しているが揶揄されている。
それが今回私が埼玉県知事にならなければならない理由であろう。マニュフェストの崩壊も同様の理由による。
(マニフェストについて)
民主政治は民主党によって推進されるべきであろう。
民主党はマニフェストによって失敗した。
(都市計画)
首都の移転。
皇統を絶やさないためにも、天皇に白血病や甲状腺ガンを起こさせないためにも皇居を京都に移すことは必須である。
インターネットで今日本から世界へと心を
発信しようという日本の方々のおかげです。
5km圏内があれだけ放射線量計が
ピーッとなっているのですから
放射能汚染はひどく
ノルウェー、ドイツ、オーストラリアの気象庁による
福島原発からの放射能汚染情報は
今日以降毎日100年間見ていく必要があります。
埼玉県に放射能汚染が来ている日もあれば、
陸風で
国際的に
海や
ハワイに
迷惑をかけて
また海への
汚染が
主になっている日も
あります。
人権と人類の未来のため福島原発を克服して
地域新党から日本の政党へと発展していこうと
存じます。
ご支援ありがたく、今後ともご支援をお願いいたします。
違法化
これまでの日本の政治は
国際社会から
5000兆円
以上の
福島原発への
補償を
迫られて
当事者能力を
失うだろう
2011年1月11日に
福島原発を
許可した
自由民主党と
日本共産党は
そのなれあいから
違法化される
海江田、
福島県知事
渡邉恒三
など
ネット上では
発狂している
とされている
国が情報隠しを世界に陳謝しよう
国が情報隠しを世界に陳謝しよう
はしたがねを
集めて
一票
一万円で
買うこれと
賄賂と
どこがどうちがうのでしょうか
戦時下の
大本営の
政治
これこそ
今
やめるべき
時です
そこから
風評が生れ
金がわたっているから
投票する
そして
福島県知事も
福島原発も
はしたがねを
もらっているかどうかです
裁判の
文章も
はしたがねを
もらっているかどうかで
真実は
書き換えられるのです
自由な人類の滅亡を救うために働かさせてください。もう政治学を無給で勉強し続けることは、できません。戦争と福島原発の
千の風を
世界に発信していきたいと
心より念じており
邁進する覚悟でございます。
福島原発はチェルノブイリの1.4倍。広島原爆2400個分北海道
京都
四国
九州
外国まで
汚染予測されている日も
あります。
日本の
政府は
一票一万円と
引き換えに
人類を
売り渡したので
同じ放射能汚染情報スピードを
国民に発表しません
チェルノブイリレベル7と同じ
福島原発レベル7認定
東京電力のせいに
する
日本人
政府が
やったと
知っている
危機管理能力が
なかった
福島はチェルノブイリより深刻【京大今中哲二助教授(原子炉工学)が告発】福島県飯館村の汚染レベル326万ベクレル/uで、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で強制移住対象とした148万ベクレルの2倍超。セシウムは半減期がヨウ素(8日)と比べ30年と長く、汚染長期化。
アメリカ人だったら
こんな報道はしないだろう
ソ連でさえも
日本人
統治能力を
うしなっていると
ジャック・アタリが
いったらしい
実は
福島原発は
福島県知事と
自民党
民主党が
決めたもの
2011年1月に
認可したのは
自民党を
受け継いで
海江田大臣
テレビは
自らの
東国原を
無罪とする
自ら
自らの報道を
正当化する
国民に
謝るべきは
報道と
政治家たち
福島原発の燃料の行方
人類の滅亡に
人類の滅亡を救うためには
京都へと遷都か
その前に
独占禁止法にいう経済的自由が必要だ
独占禁止法にいう経済的自由のための
独占禁止法24条の差止の判決が必要だ
東京電力の
独占性があることが
本件のような行為を
引き起こさせた
だから
独裁であったソ連共産党は
違法化された
自由民主党と
日本共産党も
国が情報隠しを世界に陳謝して、レベル7ならばレベル7以上にならないように、400人から40万人体制に切り替えよ。
これから放出の危険は高いといえるからだ。今放出予定が99%残っているのに、なぜ動かないのか。
チェルノブイリの1.4倍以上になる可能性が高いなら、今40万人体制に切り替えないでいつ切り換える。菅、枝野二人でやれるはずがない。二人っ子は二人でやるという人間関係しか持っていないのか。
いつまで話のみをしているのか。
海に向かって放出した放出は無視しているのは情報隠しがある。
冷温安定化
今何度かは
情報隠しをしている。
2700度か
250度か
炉新溶融した
あとの
中心部はまだ2700度で
表面のみが
250度か
再臨界では広島原爆2400個分に
相当する核燃料が
あるのならば
そのどの部分が
どうなっているのか
情報隠しをするな
原発の近くが
どの程度の
温度で
どの程度の
放射能が放出されているのか
それさえも
国民に
知らせない
政治家は
国民以下であらねばならない
それが
国民に
情報隠しをする
これは
統治能力を
欠いている
もう菅らのこれまで都市計画を考えずに強行突破をしてきた政治家は2011年1月19日に福島県知事と海江田大臣が認可したばかりであった。
2011年04月12日03:59 【3.11】福島第一原発、『再臨界』の可能性高い?今とは桁違いの放射性物質流出の最悪のシナリオも?京大小出助教指摘
原子力安全・保安院は、8日、福島第一原発一号機の原子炉格納容器内の放射線濃度が、毎時100シーベルトに上昇したことを明らかにした。
これは前日に比べて、3倍以上も高い放射線濃度にあたり、同炉内の温度と圧力も上昇しているという。
塩素が中性子に反応して生まれるクロル38という塩素が原子炉内で発見された。中性子は核分裂が起きたときに発生する。
政府は
まだ隠している。
これが
しらしむべからず
よらしむべし
の考えの
日本的統治とはいえないであろうか
深刻な
事故レベル7
しかし
レベル7以上
の事故であることを
隠している
炉心の
温度
今の
それが知りたい
制御棒は
動いた
止まった
制御できない
状況になった
しかし
温度が
下がっていないのではないか
人類の滅亡を救う
問題である
日本の政治は
めちゃくちゃだ
今後
水を海に
放射能が放出されれば
放射能汚染問題は
更に
深刻化することが
除外されている
読売は
チェルノブイリの10%
というが
海への
放出は無視
今後
空中に
放出せず
海への放出
だから
無視したという
きれいな海が
もう
帰って来ない
今後
官僚ができない
多くのことを
しないといけないのに
土地神話の崩壊
その後
次に原子力発電の神話の
崩壊
しかし責任はとらない
まだ
自由民主党が独裁を
民主党は新左翼を
民主党は極左的な思想を
人類を滅亡させる
政治
日本の政治が
マスコミにいた人だからという理由で
マスコミが
書き立てる
マスコミの
私物化
世界中に
放射能汚染問題
を引き起しながら
理解しない
原子炉内の
温度の
情報が不明
事態は
深刻
それしか情報が
ない
まだ炉心の一部分は
2700度
か
250度
か
3月11日
おそらく冷却が
終わる前に
圧力容器と
格納容器が
破壊された
地震から
津波までの
時間が
短すぎた
熱で
溶けたのか
圧力容器の底で
燃料棒の損傷後の
燃料は
圧力容器を
溶かした
これが100度
以下になるまで
放射能汚染を
150年
まき散らし続ける
東京から
静岡に、京都に
移るべきだろう
誰も
政治家が
本当に
放射能汚染問題を
解決しようと思っていない
情報を隠すのみ
しらしむべからず
よらしむべし
東西冷戦構造の真っ只中において
日本共産党独裁が
ソ連
中共
のために
アメリカに
反対するという
理論しか
持っていない
私が
23歳の
時に
政治経済哲学の
卒論で
イデオロギーの
終焉で
書いた
理論は
どこにもない
左右の過激主義を排する
という理論はない
本当に
1年後は
情報隠しが
できなくなっている
100年後
情報隠しが
でき続けるであろうか
放射能汚染問題は
3%
放出されたが
残りの97%は
炉内に
残ったまま
それを外に
取り出すことは
壊れた
炉心からは
難しい
壊れた炉心
そこに97%の
放射能が
残ったままだ
チェルノブイリしか前例はない
チェルノブイリでは
一挙に
放射能が外に出た
福島原発は
100年、150年にわたって
ゆっくりと
外に出てくる
東京都は
もう住めなくなり
埼玉県も
もう住めなくなり
世界中から
国際犯罪との非難が来る
避難民からも
東京電力だけが
お詫びをして
決定した
政治家は
おわびしない
しらしむべからず
よらしむべし
これが
情報操作の
根源の
目標とした
アタリが
統治能力を
失った
日本の官公庁、日本の政府
日本の政治
というのは
このことである
じわじわと
放射能汚染問題は迫ってくる
チェルノブイリは一挙に出たので
なおすの
40万人が
動員された
福島原発は
40万人が
100年間
必要になり
100年間
汚染が進む
海の汚染問題
農産物の
汚染問題
土地の汚染問題
100年間
耐えられるだろうか
山口節生出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この記事には「独自研究」に基づいた記述が含まれているおそれがあります。これを解消するためにある情報の根拠だけではなく、信頼可能な解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください。このタグは2009年5月に貼り付けられました。
山口 節生(やまぐち せつお、1949年9月26日 - )は、経済学者、政治学者、政治臨床心理学者、不動産鑑定士、政治活動家、株式会社日本経済研究所代表取締役飯能支店長。政治団体「東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾、徴兵制を目指す改憲を政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会)」代表。総務省登録政治団体。平成23年3月1日この政治団体は総務省にて名称が変更された。立憲改進党となる。綱領はかつての立憲改進党とほぼ同じでその現代版である。綱領はかつての立憲改進党とほぼ同じであり、減税や原発の整理などが付け加えられた。大隈の改進と同じく改進とはマルクス主義を排する、また軍部などの右翼の過激主義を排する、つまり左右の過激主義を排しての漸進主義の意味である。立憲主義とは憲法第9条擁護論によって憲法第9条による平和による経済の大発展を主張している。マルクスについてはその過激主義を排する。右翼については極端なナショナリズムによる軍事主義を排する。両翼の極端を排して平和主義に徹する。現在は地域政党である。福島原発については人類の滅亡を防ぐために、チェルノブイリの3倍以上の燃料棒の損傷が与える放射能で日本が潰れないように率先するとしている。石原よ東京都民を見殺しにするのかという東京都知事選挙における主張によってもわかる通りに都市計画を無視した全ゼネコンを普通の企業に戻すことを前提として福島原発と電気事業について再建の道を探る。以上のような地域政党が立憲改進党である。 元財団法人不動産研究所職員、元高校教諭、元信託銀行員。法学士(中央大学)、経済学士(東京大学)、商学士(一橋大学)、政治学修士(早稲田大学)、法学博士後期課程修了、教養学士(心理と教育)。
目次 [非表示]
1 経歴
2 政治活動
2.1 選挙歴
3 著書
4 脚注
5 外部リンク
経歴 [編集]1949年 佐賀県に生まれる。
1968年 佐賀県立佐賀西高等学校卒業。
1973年 一橋大学商学部卒業。。(一橋大学経済学正統の長沢唯恭教授につき金融論・経済学の一橋大学の正統を受け継ぐ。東大が入試を中止した年の一橋入学卒業生、一橋大学正統の経済学を学ぶ。この頃の政治経済学は彼の原点にある。卒論は「政治経済哲学」)東京大学経済学部に学士入学。(宇沢弘文他東大経済の正統派経済学の他経済学者玉野井芳郎教授につき、地域平和論、地域の平和経済学をグローバル化に対抗して学ぶ。これがカントの「永遠平和のために」の永遠平和論を受け継ぐ世界平和のための平和主義の原点である。また田園都市政策は実際の政治経済論である。権力から離れ、金権資本から脱却し、欲から脱した思想でもあった。彼はカントの思想を現実に生きたと言える。大資本に一円でも少なくて負けるならば何も持たない方がよいという思想である。しかしペンは武よりも強いのであるという思想である。非暴力の思想に近い。現在まで常に維持されてきた思想である。彼の得意とする古典の翻訳などの研究職を薦められるが断り、玉野井芳郎教授の推薦で当時地域平和主義の牙城であった熊本日々新聞に内定するも年度始め4月1日に内定辞退。当時はヨーロッパで地域平和主義を政治学としてとらえていた動きを知った。地域平和主義論には多くの論文が当時あるが、EU(当時はEEC)の思想的原点となった。)
1974年 東京大学経済学部卒業。三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)入行。当時三井物産、第一勧業銀行、安田火災海上保険、第一生命、野村證券などに内定するも三菱信託銀行を選ぶ。この間、中央大学法学部法律学科第二部に学士入学し、卒業(平和と平等を追求して某教授(当時は助教授)の日本国憲法ゼミに参加。憲法第九条、男女共生社会等を学ぶ。)
三菱信託銀行において不動産鑑定士二次試験合格不動産鑑定課に配属されたことをきっかけに不動産鑑定業務に携わる。
1977年 三菱信託銀行退職。帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。高等学校商業科・英語科・社会科の教員免許を有している。高校勤務時は9年間クラス担任。(慶應義塾大学文学部の通信教育で主に現代英米文学を学び英語科の免許を取得。早慶、帝大、三商大(一橋大学在学中三商大のゼミ討論会の委員長経験。ゼミ討論会の報告書に企業広告を初めて掲載させる。)の伝統を批判的に知る。
年月不詳 東京大学経済学部に学士入学。
1974年 東京大学経済学部卒業。三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)入行。中央大学法学部法律学科第二部に学士入学。
三菱信託銀行において不動産鑑定士二次試験合格不動産鑑定課に配属されたことをきっかけに不動産鑑定業務に携わる。
1977年 三菱信託銀行退職。帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。
高等学校商業科・英語科・社会科の教員免許を有している。高校勤務時は9年間クラス担任。
1981年 佐賀県立有田工業高等学校英語科教諭。
1984年 佐賀県立鳥栖高等学校英語科教諭。
1986年 退職。上京。
1990年 不動産鑑定士資格取得。不動産鑑定業務等を行う有限会社日本経済研究所(現:株式会社日本経済研究所)を設立し、代表取締役社長。
1991年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程入学。
1993年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。
1994年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程入学。
1997年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学。
年月不詳 放送大学教養学部生活科学コース発達と教育専攻に入学、卒業。
その年度は同博士後期課程入学者は一人だけであった。自由意志論と、政治的自由と、経済的自由について研究に没頭する。結果として自由論と民主政治、民主的経済についての研究論文を発表(内部発表のみ)。大学院修士課程・博士後期課程では政治学原理、政治哲学を専攻しており、主に自由と正義について研究しているほか、ジョン・スチュアート・ミルの著作の翻訳も手がけている(単著としては未刊行)。
1997年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学。
日本の政治学における自由と民主主義に関する基礎理論の数少ない研究家。英米には講座があり、専門家は多い。自由の概念を研究。中村正直訳『自由之理』から始まる日本の自由論の研究家。日本共産党系列の労組に公立高校教員時代には属していて日本共産党の統一労組懇結成に当たって修善寺での大会に出席してから後の突然99%の組織率の日本共産党系列の教組からの思想上の理由による脱退をした。その際に査問して永遠に追放すると考えて実行する日本共産党の実際に出会った。それ以来選挙においては日本共産党に都合の悪い候補を排除して日本共産党系列の候補に有利にするという記者クラブと朝日新聞との闘争は続いている。思想上の理由とはマルクスについては兄弟が多かった故に共産主義革命論に陥ったとして精神的な分裂があったとして批判を心理学的に科学的にして完全証明している唯一の心理学的批判者であるために日本共産党からは徹底的に嫌われているが、本人は学問の自由として徹底して日本共産党に反発している。唯物論と汎性論は他人の行動は物と性のみで動いていると解釈し他人はそれを自分は知っているがその人は「無意識」にやっていると主張しているので心理学的に他の兄弟に対して防衛的になり精神が自らの自由とは違ったところにあり精神が分裂しているのであるとしている。従って他人を誘導するのと同様に、誤って催眠術があると主張しているが、催眠術はあるはずはないので、自由は存在しないという誤った狂った思考に達する。人間の本性は物と性が本能であり、その他は自由である。自由のない催眠術は存在せず、無意識とは他人は物と性のみで動いているがそれを知らないという意味である。しかし自由すなわち個人的自我が発達するときにそれは治る。従って自由を獲得すればマルクスの過激主義も治るとしている。宗教では性から超越し、物から超越して寺院にこもって出家したりするが、それは自由と永遠を求めるのは人間が自由である故であるとしてマルクスについては兄弟が多かった故に共産主義革命論に陥ったのであり狂ったゆえんを証明できるとして科学的に証明できているとする。実際の経済は経済的自由と、政治的自由とによって動いている。マルクスの過激主義の狂い(精神の分裂の臨床病)を科学的に完全証明できたとしている。心理学的には唯物論と汎性論以外には自由であるから、唯物論と汎性論は人間には自由が存在しないという。但し宗教の自由はないとか、人間に自由はないといい始めた時には自由という人間の本性を失っており、精神が他人の心によって分裂した状態であるから、その他人特に唯物論と汎性論の思考をすべて自己から外したときに自由となり、唯物論と汎性論から外れることができ、これは唯一の唯物論と汎性論からの治療であるとする。
マルクス過激主義においては唯物論と汎性論は交互に時間をおいて生起する同一人の同一心理的事象であるとしている。マルクスの過激主義によって日本の官公庁を過激に支配していると主張している。それを回避するために独占禁止法上差止事件を12年間継続して東大法学部の学閥も独裁のためであるために司法と戦っているとしている。憲法第9条擁護論による穏健主義、独占禁止法上差止事件として社団法人埼玉県不動産鑑定士協会を12年間訴えて続けている。武蔵浦和第三街区再開発について公共空地に建築することが違法であるとして差止請求裁判をしている。福島原発について再建とともにチェルノブイリの10倍に当たる福島原発163tの福島原発の燃料の行方を危惧しており、関東、日本、人類の滅亡について危惧している。彼の主張の基本は人類の基本は自由であり基本的人権であり、人間の思考の一部のみが固定されておりその部分は物と性であり、それ以外は自由である。唯物論と汎性論は他人の行動は物と性のみで動いていると解釈し他人はそれを自分は知っているがその人は「無意識」にやっていると主張しているので心理学的に他の兄弟に対して防衛的になり精神が自らの自由とは違ったところにあり精神が分裂しているのであるとする。あくまでも政治的自由と経済的自由が学問の主題となっている唯一の学者である。立憲改進党から2011年東京都知事選挙に1月1日出馬表明し、前回選挙で言い始めた都営地下鉄と東京メトロの合併の主張をし、前回選挙での液状化が心配な豊洲への築地市場の歴史的価値をも台無しにしての移転即時中止、石原放漫経営を象徴する石原資金となっている都市銀行東京は即時解体、減税、平和の恩恵による財政金融による日本と東京の復興を主張している。東京が破滅する理由として彼があげるのはチェルノブイリの1.4倍以上の放射能でおかされれば広島原爆2400個分の都市が被災することになり、鑑定士として資産価値が下がって日本の経済は資産と所得の一般経済学を形成しえたとする彼の理論ではデフレによる資産デフレがデフレ乗数として作用し経済の建て直しが必要だがデフレに陥り、日本は立ち直れないと主張している。あくまでも自由の闘士であり、過激主義を排するのは立憲改進党とほぼ同じである。3月23日か24日に出馬撤回。「今回の<東京都知事選挙>での、『政党』からの候補は、『地域政党 立憲改進党』の〈山口節生氏〉 のみ!」の予定記事がインターネット新聞では見られた。
放送大学教養学部生活科学コース発達と教育専攻に入学、卒業。卒論は認知心理学における自由と行動心理学における自由のフローチャートによる融合。自由の自律を主張したカントの「永遠平和のために」が憲法第九条の概念的始まりとし、また日本国憲法制定時に帝国主義からの脱却のため第九条は天皇制を残すための必要条件だったし今もその通りと主張し、歴史に憲法第九条と共に残ればよいとしている。左右の過激主義を排した憲法第9条擁護論、平和の基礎による経済発展の主張をする「新9条の会」、劉暁波氏を救う国際連盟を立ち上げ募集中である。夫人との間に二子、長女・長男。厳しく豊洲移転の際の最悪の場合の砒素の害を石原よ東京都民を見殺しにするのかという東京都知事選挙における候補としての主張、また福島原発の燃料の行方を危惧して放射能での人類の滅亡を心配するのは潔癖な妻の影響であると本人は言っている。 政治活動 [編集]
これまで選挙にたびたび出馬しているが、すべて落選している。この責任は日本共産党と日本共産党によって支配されていた官公庁自治労にあり、政府は自治労は政府と一体であるという観念を東西冷戦中日本を支配していたことが原因だとして3億円の裁判で請求を行っており、それが福島原発と人類の悲劇の原因であると主張している。人類の滅亡を救うのは千の風による永遠平和論であるとしている。教員時代に覚えた生徒に対する涙によって唯物論と汎性論の考え方は涙のない、千の風による永遠平和論がない人を殺す冷たさであると分かっていると言っている。 埼玉県議会選挙やさいたま市議会選挙では法定得票を上回った。 1998年の参院選では、大宮ソニックシティの大ホールで個人演説会を行ったが、定員約2500人の同ホールに観衆は大川豊ただ1人だけだった。この模様は大川の著書『日本インディーズ候補列伝』の付録DVDに収載されているが、人の出入りがなかったことから、遠景を撮影した画面では「これは静止画ではありません」というテロップが流れるほどだった。 2011年東京都知事選挙への出馬を、同年1月18日に正式表明[1]。3月23日[2]か24日に出馬撤回。
政治活動 [編集]これまで選挙にたびたび出馬しているが、すべて一万円しか使わないきれいな選挙を行っている。そこに既存政党からの妨害がはいったことをしっているとしている。
埼玉県議会選挙やさいたま市議会選挙では法定得票を上回った。
1998年の参院選では、[[大宮ソニックシティ]]の大ホールで個人演説会を行ったが、定員約2500人の同ホールに観衆は[[大川豊]]ただ1人だけだった。この模様は大川の著書『日本インディーズ候補列伝』の付録DVDに収載されている。その理由は一人一万円をかけて庶民を動員し、そのためにゼネコンから金を集めることをしなかっただけであるとしている。金を集めたその方法が政治的な決定をゆがめて、それが福島原発のレベル7に繋がったとしている。政治学者がそのような金を集められない、配れないというのが負けた理由であると達観しているが、人類の滅亡を招く福島原発とそれが広島原爆2400個分であることが人類の滅亡を救うという心構えを必要としてきたとしている。自民党は豊洲は液状化が起こるというのは不安を招くとしている。ただゼネコンとの関係か、本当のことをいうのかの違いであるとしてあくまでも政治学を実践していくとしている。福島原発とそれが政治学を変えるとしている。核分裂という神の火を原爆と原発という形で神でもない人間が手に入れたことが政治学を変えたとしている。刀、鉄砲、大砲、航空機による空爆、原爆と最高の武力が変わるにつれて政治学は変わらなくてはならないと主張して政治学と家族の政治学を変革しようとしている。東京都知事選挙を一万円の費用で勝つというのが理想であるとしている。ただポスター
貼りに500万円かかるので、ポスター掲示場はなくすべきであると主張している。
2011年東京都知事選挙への出馬を、同年1月18日に正式表明[1]。3月23日[2]か24日に出馬撤回。
選挙歴 [編集]年 選挙 選挙区 党派 得票 惜敗率 順位
1991年 佐賀県知事選 - 無所属 39,587 12.37% 3/3
1993年 第40回衆院選 佐賀選挙区 無所属 2,420 4.38% 9/9
1995年 東京都知事選 - 無所属 6,579 0.39% 8/8
1995年 第17回参院選 東京都選挙区 無所属 2,571 0.59% 24/72
1996年 第41回衆院選 埼玉13区 無所属 16,303 14.54% 3/4
1998年 第18回参院選 埼玉県選挙区 無所属 20,397 3.81% 10/11
1998年 第41回衆院補選 東京4区 無所属 662 1.32% 6/6
1999年 埼玉県議選 南3区 無所属 3,121 18.66% 7/8
2000年 第42回衆院選 埼玉13区 自由連合 8,931 1.11% 5/5
2001年 第19回参院選 埼玉県選挙区 無所属 14,072 3.36% 11/13
2003年 埼玉県議選 南9区 無所属 4,199 28.57% 4/4
2003年 埼玉県知事選 - ニュー・ディールの会 8,931 1.11% 8/8
2003年 第43回衆院選 埼玉1区 ニュー・ディールの会 6,237 5.30% 5/5
2005年 さいたま市議補選 浦和区 公募型競争入札を促進する会 2,079 5.30% 4/4
2005年 第44回衆院選 埼玉15区 無所属[3] 3,957 3.70% 4/4
2007年 東京都知事選 - カント平和で親ナチ的改憲阻止最高裁訴訟会[4] 3,589
0.12% 11/14
2011年 埼玉県議選 南10区 無所属[5] 6,791 37.24% 3/3
著書 [編集]『平和のための新しい自由民主主義 田園都市政策宣言』(山口節生と田園都市政策研究協会のメンバー/編著、金華堂、1985年)
『政治と自由 自由と平等の調和を目指して』(日本経済研究所、1997年)
『現代の自由と民主 現代自由論と現代立憲民主政治の課題』第1巻(共同刊行/日本経済研究所、世界ワープロ出版、1998年)
「政治と法における自由及び正義の概念 ヘッフェの政治的正義論」(『日本大学大学院法学研究年報』第29号所収、日本大学大学院法学研究科、1999年)
脚注 [編集]^ 新顔の山口節生氏 知事選に出馬表明 (但し実際は記者クラブと官公庁自治労は政府を通じて日本共産党がマルクスの過激主義によって妨害すれば出馬できないとしていた。これでは人類は自由なのに自由はないとすることで人類の滅亡はあり得るとしていた。)-
朝日新聞、2011年1月19日朝刊東京版29面
^ 東京都知事選挙の立候補予定者 - Yahoo!みんなの政治(2011年3月23日のサイト公開時に山口の名前あり)
^ 公示時は「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」
^ 立候補届出時には「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」だったが、選挙期間中に変更された。
^ 立候補届出時には「立憲改進党」だったが、選挙期間中に変更された。
外部リンク [編集]山口節生公式ホームページ
。
千の風による永遠平和論
福島原発と人類の未来
人類の
滅亡さえも
壊れたる
原子炉が
自然の
猛威には
勝てなかった
人類が
知恵を
溜まり水は
マイクロシーベルトは
人間が
生まれる
前の
状態の
物が
現代の
物に
変わる
もの
核分裂が
終わった
地球と人間に
まだ地球に
なる前の
物を
入れるもの
一方では
情報隠しが
大本営発表として
人類の滅亡を誘う
福島原発と人類
燃料棒の損傷が
燃料
55年体制のままである
明治維新
明治
150年
苦労の
産物が
最悪の
場合の
常に
考えて
都市が
計画的に
東京から
京都へと
移る
原発の
原子炉が
二号機
チェルノブイリの
四号機に
なってしまうのか
親が
子の安全を
考える
千の風に
聞き
2万人の
なくなられた
方の
消防の
軍事的
リビアの
爆撃と
原爆の
爆撃の
色が
赤く
同じもの
原発の原子炉が
赤く
光る
再臨界がなく
自然に冷却が
進む
燃料棒の
損傷にもかかわらず
冷却が
進めば
よし
現在の
人類の滅亡を
救う
自動車が
津波に
原子炉が
津波に
家が
津波に
工場が
津波に
赤ん坊が
津波に
一瞬に
まるで
イタリアの
ポンペイの
姿
千の風が
何と
言っているのか
聞いてみる
自然の
脅威が
どちらも
襲い
豊洲と
浦安の
液状化が
山口 節生(やまぐち せつお、1949年9月26日 - )は、経済学者、政治学者、政治臨床心理学者、不動産鑑定士、政治活動家、株式会社日本経済研究所代表取締役飯能支店長。政治団体「東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾、徴兵制を目指す改憲を政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会)」代表。
総務省登録政治団体。平成23年3月1日この政治団体は総務省にて名称が変更された。立憲改進党となる。綱領はかつての立憲改進党とほぼ同じでその現代版である。綱領はかつての立憲改進党とほぼ同じであり、減税や原発の整理などが付け加えられた。大隈の改進と同じく改進とはマルクス主義を排する、また軍部などの右翼の過激主義を排する、つまり左右の過激主義を排しての漸進主義の意味である。立憲主義とは憲法第9条擁護論によって憲法第9条による平和による経済の大発展を主張している。マルクスについてはその過激主義を排する。右翼については極端なナショナリズムによる軍事主義を排する。両翼の極端を排して平和主義に徹する。現在は地域政党である。福島原発については人類の滅亡を防ぐために、チェルノブイリの3倍以上の燃料棒の損傷が与える放射能で日本が潰れないように率先するとしている。石原よ東京都民を見殺しにするのかという東京都知事選挙における主張によってもわかる通りに都市計画を無視した全ゼネコンを普通の企業に戻すことを前提として福島原発と電気事業について再建の道を探る。以上のような地域政党が立憲改進党である。
元財団法人不動産研究所職員、元高校教諭、元信託銀行員。法学士(中央大学)、経済学士(東京大学)、商学士(一橋大学)、政治学修士(早稲田大学)、法学博士後期課程修了、教養学士(心理と教育)。
目次 [非表示]
1 経歴
2 政治活動
2.1 選挙歴
3 著書
4 脚注
5 外部リンク
経歴 [編集]
1949年 佐賀県に生まれる。
1968年 佐賀県立佐賀西高等学校卒業。
1973年 一橋大学商学部卒業。(一橋大学経済学正統の長沢唯恭教授につき金融論・経済学の一橋大学の正統を受け継ぐ。東大が入試を中止した年の一橋入学卒業生、一橋大学正統の経済学を学ぶ。この頃の政治経済学は彼の原点にある。卒論は「政治経済哲学」)東京大学経済学部に学士入学。(宇沢弘文他東大経済の正統派経済学の他経済学者玉野井芳郎教授につき、地域平和論、地域の平和経済学をグローバル化に対抗して学ぶ。これがカントの「永遠平和のために」の永遠平和論を受け継ぐ世界平和のための平和主義の原点である。また田園都市政策は実際の政治経済論である。権力から離れ、金権資本から脱却し、欲から脱した思想でもあった。彼はカントの思想を現実に生きたと言える。大資本に一円でも少なくて負けるならば何も持たない方がよいという思想である。しかしペンは武よりも強いのであるという思想である。非暴力の思想に近い。現在まで常に維持されてきた思想である。彼の得意とする古典の翻訳などの研究職を薦められるが断り、玉野井芳郎教授の推薦で当時地域平和主義の牙城であった熊本日々新聞に内定するも年度始め4月1日に内定辞退。当時はヨーロッパで地域平和主義を政治学としてとらえていた動きを知った。地域平和主義論には多くの論文が当時あるが、EU(当時はEEC)の思想的原点となった。)
1974年 東京大学経済学部卒業。三菱信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)入行。当時三井物産、第一勧業銀行、安田火災海上保険、第一生命、野村證券などに内定するも三菱信託銀行を選ぶ。この間、中央大学法学部法律学科第二部に学士入学し、卒業(平和と平等を追求して某教授(当時は助教授)の日本国憲法ゼミに参加。憲法第九条、男女共生社会等を学ぶ。)
三菱信託銀行において不動産鑑定士二次試験合格不動産鑑定課に配属されたことをきっかけに不動産鑑定業務に携わる。
1977年 三菱信託銀行退職。帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。高等学校商業科・英語科・社会科の教員免許を有している。高校勤務時は9年間クラス担任。(慶應義塾大学文学部の通信教育で主に現代英米文学を学び英語科の免許を取得。早慶、帝大、三商大(一橋大学在学中三商大のゼミ討論会の委員長経験。ゼミ討論会の報告書に企業広告を初めて掲載させる。)の伝統を批判的に知る。
1981年 佐賀県立有田工業高等学校英語科教諭。
1984年 佐賀県立鳥栖高等学校英語科教諭。
1986年 退職。上京。
1990年 不動産鑑定士資格取得。不動産鑑定業務等を行う有限会社日本経済研究所(現:株式会社日本経済研究所)を設立し、代表取締役社長。
1991年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程入学。内田満ゼミナール所属。フランス革命から現代政治学まで学ぶ。
1993年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。
1994年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程入学。有賀弘ゼミナール所属。
その年度は同博士後期課程入学者は一人だけであった。自由意志論と、政治的自由と、経済的自由について研究に没頭する。結果として自由論と民主政治、民主的経済についての研究論文を発表(内部発表のみ)。
大学院修士課程・博士後期課程では政治学原理、政治哲学を専攻しており、主に自由と正義について研究しているほか、ジョン・スチュアート・ミルの著作の翻訳も手がけている(単著としては未刊行)。
1997年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学。
日本の政治学における自由と民主主義に関する基礎理論の数少ない研究家。英米には講座があり、専門家は多い。自由の概念を研究。中村正直訳『自由之理』から始まる日本の自由論の研究家。
日本共産党系列の労組に公立高校教員時代には属していて日本共産党の統一労組懇結成に当たって修善寺での大会に出席してから後の突然99%の組織率の日本共産党系列の教組からの思想上の理由による脱退をした。その際に査問して永遠に追放すると考えて実行する日本共産党の実際に出会った。それ以来選挙においては日本共産党に都合の悪い候補を排除して日本共産党系列の候補に有利にするという記者クラブと朝日新聞との闘争は続いている。
思想上の理由とはマルクスについては兄弟が多かった故に共産主義革命論に陥ったとして精神的な分裂があったとして批判を心理学的に科学的にして完全証明している唯一の心理学的批判者であるために日本共産党からは徹底的に嫌われているが、本人は学問の自由として徹底して日本共産党に反発している。
唯物論と汎性論は他人の行動は物と性のみで動いていると解釈し他人はそれを自分は知っているがその人は「無意識」にやっていると主張しているので心理学的に他の兄弟に対して防衛的になり精神が自らの自由とは違ったところにあり精神が分裂しているのであるとしている。
従って他人を誘導するのと同様に、誤って催眠術があると主張しているが、催眠術はあるはずはないので、自由は存在しないという誤った狂った思考に達する。人間の本性は物と性が本能であり、その他は自由である。自由のない催眠術は存在せず、無意識とは他人は物と性のみで動いているがそれを知らないという意味である。しかし自由すなわち個人的自我が発達するときにそれは治る。従って自由を獲得すればマルクスの過激主義も治るとしている。宗教では性から超越し、物から超越して寺院にこもって出家したりするが、それは自由と永遠を求めるのは人間が自由である故であるとしてマルクスについては兄弟が多かった故に共産主義革命論に陥ったのであり狂ったゆえんを証明できるとして科学的に証明できているとする。実際の経済は経済的自由と、政治的自由とによって動いている。マルクスの過激主義の狂い(精神の分裂の臨床病)を科学的に完全証明できたとしている。心理学的には唯物論と汎性論以外には自由であるから、唯物論と汎性論は人間には自由が存在しないという。但し宗教の自由はないとか、人間に自由はないといい始めた時には自由という人間の本性を失っており、精神が他人の心によって分裂した状態であるから、その他人特に唯物論と汎性論の思考をすべて自己から外したときに自由となり、唯物論と汎性論から外れることができ、これは唯一の唯物論と汎性論からの治療であるとする。
マルクス過激主義においては唯物論と汎性論は交互に時間をおいて生起する同一人の同一心理的事象であるとしている。マルクスの過激主義によって日本の官公庁を過激に支配していると主張している。それを回避するために独占禁止法上差止事件を12年間継続して東大法学部の学閥も独裁のためであるために司法と戦っているとしている。憲法第9条擁護論による穏健主義、独占禁止法上差止事件として社団法人埼玉県不動産鑑定士協会を12年間訴えて続けている。武蔵浦和第三街区再開発について公共空地に建築することが違法であるとして差止請求裁判をしている。福島原発について再建とともにチェルノブイリの10倍に当たる福島原発163tの福島原発の燃料の行方を危惧しており、関東、日本、人類の滅亡について危惧している。
彼の主張の基本は人類の基本は自由であり基本的人権であり、人間の思考の一部のみが固定されておりその部分は物と性であり、それ以外は自由である。唯物論と汎性論は他人の行動は物と性のみで動いていると解釈し他人はそれを自分は知っているがその人は「無意識」にやっていると主張しているので心理学的に他の兄弟に対して防衛的になり精神が自らの自由とは違ったところにあり精神が分裂しているのであるとする。あくまでも政治的自由と経済的自由が学問の主題となっている唯一の学者である。
立憲改進党から2011年東京都知事選挙に1月1日出馬表明し、前回選挙で言い始めた都営地下鉄と東京メトロの合併の主張をし、前回選挙での液状化が心配な豊洲への築地市場の歴史的価値をも台無しにしての移転即時中止、石原放漫経営を象徴する石原資金となっている都市銀行東京は即時解体、減税、平和の恩恵による財政金融による日本と東京の復興を主張している。
東京が破滅する理由として彼があげるのはチェルノブイリの1.4倍以上の放射能でおかされれば広島原爆2400個分の都市が被災することになり、鑑定士として資産価値が下がって日本の経済は資産と所得の一般経済学を形成しえたとする彼の理論ではデフレによる資産デフレがデフレ乗数として作用し経済の建て直しが必要だがデフレに陥り、日本は立ち直れないと主張している。あくまでも自由の闘士であり、過激主義を排するのは立憲改進党とほぼ同じである。3月23日か24日に出馬撤回。
「今回の<東京都知事選挙>での、『政党』からの候補は、『地域政党 立憲改進党』の〈山口節生氏〉 のみ!」の予定記事がインターネット新聞では見られた。
放送大学教養学部生活科学コース発達と教育専攻に入学、卒業。卒論は認知心理学における自由と行動心理学における自由のフローチャートによる融合。
自由の自律を主張したカントの「永遠平和のために」が憲法第九条の概念的始まりとし、また日本国憲法制定時に帝国主義からの脱却のため第九条は天皇制を残すための必要条件だったし今もその通りと主張し、歴史に憲法第九条と共に残ればよいとしている。
左右の過激主義を排した憲法第9条擁護論、平和の基礎による経済発展の主張をする「新9条の会」、劉暁波氏を救う国際連盟を立ち上げ募集中である。
夫人との間に二子、長女・長男。厳しく豊洲移転の際の最悪の場合の砒素の害を石原よ東京都民を見殺しにするのかという東京都知事選挙における候補としての主張、また福島原発の燃料の行方を危惧して放射能での人類の滅亡を心配するのは潔癖な妻の影響であると本人は言っている。
政治活動 [編集]
これまで選挙にたびたび出馬しているが、すべて落選している。この責任は日本共産党と日本共産党によって支配されていた官公庁自治労にあり、政府は自治労は政府と一体であるという観念を東西冷戦中日本を支配していたことが原因だとして3億円の裁判で請求を行っており、それが福島原発と人類の悲劇の原因であると主張している。人類の滅亡を救うのは千の風による永遠平和論であるとしている。教員時代に覚えた生徒に対する涙によって唯物論と汎性論の考え方は涙のない、千の風による永遠平和論がない人を殺す冷たさであると分かっていると言っている。
埼玉県議会選挙やさいたま市議会選挙では法定得票を上回った。
1998年の参院選では、大宮ソニックシティの大ホールで個人演説会を行ったが、定員約2500人の同ホールに観衆は大川豊ただ1人だけだった。この模様は大川の著書『日本インディーズ候補列伝』の付録DVDに収載されているが、人の出入りがなかったことから、遠景を撮影した画面では「これは静止画ではありません」というテロップが流れるほどだった。
2011年東京都知事選挙への出馬を、同年1月18日に正式表明[1]。3月23日[2]か24日に出馬撤回。
選挙歴 [編集]
年 選挙 選挙区 党派 得票 惜敗率 順位
1991年 佐賀県知事選 - 無所属 39,587 12.37% 3/3
1993年 第40回衆院選 佐賀選挙区 無所属 2,420 4.38% 9/9
1995年 東京都知事選 - 無所属 6,579 0.39% 8/8
1995年 第17回参院選 東京都選挙区 無所属 2,571 0.59% 24/72
1996年 第41回衆院選 埼玉13区 無所属 16,303 14.54% 3/4
1998年 第18回参院選 埼玉県選挙区 無所属 20,397 3.81% 10/11
1998年 第41回衆院補選 東京4区 無所属 662 1.32% 6/6
1999年 埼玉県議選 南3区 無所属 3,121 18.66% 7/8
2000年 第42回衆院選 埼玉13区 自由連合 8,931 1.11% 5/5
2001年 第19回参院選 埼玉県選挙区 無所属 14,072 3.36% 11/13
2003年 埼玉県議選 南9区 無所属 4,199 28.57% 4/4
2003年 埼玉県知事選 - ニュー・ディールの会 8,931 1.11% 8/8
2003年 第43回衆院選 埼玉1区 ニュー・ディールの会 6,237 5.30% 5/5
2005年 さいたま市議補選 浦和区 公募型競争入札を促進する会 2,079 5.30% 4/4
2005年 第44回衆院選 埼玉15区 無所属[3] 3,957 3.70% 4/4
2007年 東京都知事選 - カント平和で親ナチ的改憲阻止最高裁訴訟会[4] 3,589
0.12% 11/14
著書 [編集]
『平和のための新しい自由民主主義 田園都市政策宣言』(山口節生と田園都市政策研究協会のメンバー/編著、金華堂、1985年)
『政治と自由 自由と平等の調和を目指して』(日本経済研究所、1997年)
『現代の自由と民主 現代自由論と現代立憲民主政治の課題』第1巻(共同刊行/日本経済研究所、世界ワープロ出版、1998年)
「政治と法における自由及び正義の概念 ヘッフェの政治的正義論」(『日本大学大学院法学研究年報』第29号所収、日本大学大学院法学研究科、1999年)
脚注 [編集]
^ 新顔の山口節生氏 知事選に出馬表明 (但し実際は記者クラブと官公庁自治労は政府を通じて日本共産党がマルクスの過激主義によって妨害すれば出馬できないとしていた。これでは人類は自由なのに自由はないとすることで人類の滅亡はあり得るとしていた。)-
朝日新聞、2011年1月19日朝刊東京版29面
^ 東京都知事選挙の立候補予定者 - Yahoo!みんなの政治(2011年3月23日のサイト公開時に山口の名前あり)
^ 公示時は「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」
^ 立候補届出時には「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」だったが、選挙期間中に変更された。
外部リンク [編集]
山口節生公式ホームページ
詩人・小説家
私はこのような人類が破滅に瀕するかもしれない危機に瀕しているときに全く気が動じない性格を持っているといつも言われてきた。プルサーマル原発の再臨界では広島原爆2400個分のエネルギーを持ち、2400市が破壊される可能性がある。冷静に沈着にかつスピードを持って対応する必要がある。壊し屋ではなくて実務家が必要な時期である。
第三街区再開発組合の予定建築物は違法であり、相川の思想が残っている。現在反対団体の会として埼玉地方裁判所で差止の裁判中である。
日本共産党がマルクスのように過激主義との癒着である。
3月10日。これは3月11日石原慎太郎の出馬のためと、日本共産党からの支配は全公務員に及んでいることの証拠である。
公務員は日本共産党からの支配を完全に受けている。
その部分と自由競争による経済的自由が確保されている部分は違い、独占禁止法上差止が有効である。
「福島原発が、炉心溶融(メルトダウン)した場合、最悪のシナリオはどうなりますか。」
チェルノブイリ(全6号機)ではソ連が開発した、電気出力100万kWの商業用発電原子炉で、炉型は黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉は4号機が爆発した、福島第1原発3号機、沸騰水型、出力78.4万キロワットである。
スリーマイル島原発事故は、福島第一のような「沸騰水型」より改良された「加圧水型」原子炉でしたが、空焚き→メルトダウンにより、燃料の45%・62トンが原子炉圧力容器の底に溜まったようです。1989年の調査で圧力容器に亀裂が入っている事が判明し、異常事態が更に長引いていたならば、チェルノブイリ事故と同様の規模になっていた。と言われています。
私は福島原発は爆発すると思う。セシウムが世田谷で検出されたからだ。しかしそれを考慮しながら慎重に事を進める。それが私の主義である。武蔵浦和第三街区再開発について反対の会長をしていたときの方針であった。
築地市場の歴史的価値をも台無しにしていく石原放漫経営には反対である。豊洲は液状化が心配なのでやめた方がよい。
そうならないようにするためには、小説家であり、不動産鑑定士でもある。
この4年間英語のデイリー・読売を日本語に訳してそれに対するコメントでもって演説してきた。
私は親の財産を一円ももらっておらずもらうつもりはない。
また埼玉県不動産鑑定士協会が差止に値する行為を行い続けているという裁判を13年やっている。世界中で差止ができる。3億円の損害を与えたのであるから3億円請求している。
これは欧米では当然違法の行為であり、故意過失は必要ではない。
但し日本共産党からの支配は全公務員に及んでいて、最初から日本共産党がマルクスのように過激主義によってこの適用を排除している。しかしウッドロー・ウイルソンはこれを新しい経済的自由として選挙戦に出て無一文からアメリカ大統領に選ばれた。その上その後A
League for Peaceとして不戦条約も認めた憲法第9条擁護論につなげた。
石原放漫経営をやめるべきだと出馬声明したが、日本共産党がマルクスのように過激主義によって公務員を支配しているので出られなかった。
世界で初めての社会科学理論を発見した。政治学では兄弟が多かった故に共産主義革命論に陥るのと同様に右翼も同様である。従って過激主義を排して、立憲改進党を再興することを決意した。
事務所は東京の丸の内と、ホワイトハウスから200mのところに平成23年1月28日まで持っていた。
一橋大学、東京大学を出ている。修士は早稲田。私の博士後期は日本大学である。
Yamaguchisetsuo@jcom.home.ne.jp
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/yamaguchisetsuo/
身近には武蔵浦和第三街区再開発について違法なことも相川のやり方で都市計画審議会で通すやり方は許さない。また日本赤十字社に代表が同じ上田同士で安く県民の資産を売り払ったのは業務上横領に当たるとして訴えたのに県警に手を回すなどもうどうにもならなくなっている。これらを正すのが私の県民から与えられた使命であると思う。
ウッドロー・ウイルソンの目指した日本共産党がマルクスのように過激主義や右翼の過激主義を排除した憲法第9条擁護論による平和による経済の大発展を望む方は是非一票を。この世界中を回ってきて、ハワイも、上海の経済特区も、マニラも、皇居外苑も鑑定す蛸とのある、小説家、詩人、童話作家の山口節生ヤマグチセツオへ。佐賀の大隈重信と同じ高校を出た、団塊世代のためにこれまで恵まれなかった山口節生ヤマグチセツオへ。
チェルノブイリ原子力発電所4号炉(爆発した原子炉)で使われていた核物質は広島型原爆に換算して約500発分(50kgX500)といわれているのに対して福島第一原発一号原子炉はウラン装荷量69tです。
枝野のように一人っ子、二人っ子世代ではこの事態には対応できない。これでは日本はおしまいだ。私や大隈重信と同じで四人兄弟であった。それくらいではないと政治は動かせない。人間関係を知っているから。枝野はまだ子供と同じだ。
菅二人っ子も大阪の知事二人っ子も石原二人っ子も子供並の心と同じで日本は駄目になってしまった。おままごとクラブではない。政治だ。菅、石原慎太郎らの指導力のなさが今回の事態を招いた。ただマスコミをのとったのみの石原も反省すべきだ。能力的に世界に対して恥ずかしい。
準備が整い次第とかやる、計画しているといって1時間以内に必要な単位の行動をいつもの役人主義で二日も過ぎてしまった。燃料棒はもう駄目になっている。菅と枝野の人災だ。彼等一人っ子、二人っ子にまかせていたら日本は滅亡だ。
燃料棒がメルトダウンしたら東京も埼玉も居住禁止になる。なっているのに対処しない。一人っ子、二人っ子にはまかせられない。かっこつけるな。流行も世相を表すが。枝野はかっこつけてるのみだ。今必要なのはチームだ。これでは日本は滅亡だ。確かにもし福島原発が核爆発を起こせば広島の五〇〇発に匹敵するチェルノブイリの五倍になる。関東、東日本はおしまいだという経団連は正しい。そうならないように私が必要だ。大隈重信と全く同じで四人兄弟である。精一杯にやる。それが天命である。大隈重信と私は歴史上唯一の政治学の本当の専門家であり、他の政治学者はただ政治学と政治を他の学問にして事象を間違っているのみだ。オバマでも同じだ。
みんなで私と共にチームを作って日本を救おう。私に付いてきてくれ。チェルノブイリよりも古い福島原発の今の損傷写真はチェルノブイリの写真と同じだ。プリンストンの教授の言っているGEが作った沸騰水型軽水炉の見解に学ぶべきだ。今考えているやりかたはと言っている間に進んでいる。アメリカ人だったら八〇キロ以内は避難させてる。まだ枝野は今人体に影響がないと言っている。枝野と菅が三十キロと決めた。何らかの役人的言い訳で三十キロとしているが間違いだ。本当に情報公開すれば枝野や菅よりも住民が頭がいい。私とチームを作ろう。私はこれまで五〇〇件以上も情報公開請求してきた。戦時中の大本営も公開しておけばよかったのみだ。福島で日本共産党がマルクスのように過激主義によって支配してきた日本の体制は終了した。私たちのチームによってあすを開こう。
東京電力も経済産業省も同期がいる。その者たちの性格も知っている。遅い。その性格では原爆以上になる。これは大学出てることの意味である。それも一橋大学封鎖してた菅・仙石らの新左翼に学生大会で反対演説ができたただ一人の人間であり、日本共産党がマルクスのように過激主義によって支配する一橋大学祭を立憲改進党のような左右の過激主義を排除した人々の経営に変えて今も続いている一〇〇名程のGT会(現在三四年続いている)の二代目であり、三商大ゼミ討論会委員長としてマルクスのように過激主義を含んだ当時の学問を過激主義を排して統合しようと考えた世界で唯一の政治家である。
米スリーマイル島原発事故より状況は悪い
チェルノブイリよりはマシだが、スリーマイル ...... 再臨界はあるだろ。そうなったら
チェルノブイリとほとんど変わらなくなるまたは其れ以上じゃないか。福島原発は、既に廃墟と化している・・・・。
だから、必死
の『再臨界=核爆発』防止の戦いが進行中なのだ。それを笑いながら答える新左翼の枝野は天罰が来たのだ。科学では分かっていない事態であるから、再臨界も否定できないことを世界に伝えてそれを否定することが重要である。今は枝野らは遊んで笑って放置している。それが新左翼が大学を封鎖しているときの精神病である。今の子供たちに共通する。大きく外が守られているときに生まれた。菅、枝野、仙石は官公庁の労組同様に情報を隠している。アメリカとは違う。これで大本営も公開しておけばよかったということになったら、日本は壊滅であり、関東はなくなるという笹森意見が正しいことになる。また外国特派員らの調査が正しく精神病の枝野は狂っているということになる。新左翼は精神病の人たちである。それを治すのが私の使命である。
海外特派員のみが真相を知っていて日本人は何も知らないのか。
http://www.ustream.tv/recorded/13339131?lang=ja_JP
再臨界も否定できないことを言ってそれが起こらない努力をする。1%の可能性を消す必要がある。チェルノブイリしか前例はないからだ。
石原放漫経営は三島由紀夫の亜流でしかない。
今回の福島は人類が滅亡するかどうかの瀬戸際。新左翼の枝野らはこれに対応できない。
記者クラブが本当のことを書くことをチェックしている。日本共産党がマルクスのように過激主義によって決めて、それを記者クラブの加盟者四紙のみに配信させて、検閲をおこなっているのだから検閲の禁止に該当する。これは歴史的にもそうしてきた。これは検閲の禁止の憲法に反する。これまでの私に対する日本共産党がマルクスのように過激主義によって行ってきたすべての行為、判決まで嘘を書かせる行為を、また合格者を不合格にさせる行為を行っていた。これが日本共産党がマルクスのように過激主義を日本で徹底させ得ている理由である。それは官公庁の自治労は政府と一体であるという観念を生んで民主党を支配している。日本共産党がマルクスのように過激主義を排せるのかどうかが鍵である。私は高校の教員として統一戦線の参加後にただ一人99%の組織率の日本共産党がマルクスのように過激主義によって支配する労組を脱退して以降このような目にあっている。日本共産党を支持させるための罠である。
天野氏はチェルノブイリ原発事故と同じようになるかと問われると、「さらに重大化するか、収まるかは申し上げられない」とした。ただ、「かなり違うのではないかと思う」とも指摘。同じ沸騰水型であるが、福島原発が古いがアメリカ製である。ソ連製ではない。
しかし福島原発一号機 二号機 三号機 四号機 五号機 六号機の電気出力は各四六.〇
七八.四 七八.四 七八.四 七八.四 百十万kWであり、広島原爆五〇〇発に当たるチェルノブイリの100万キロワットの四.六九六倍であり、広島原爆の二千三百八十四発に当たる。原発事故情報隠しではという読売の見出しはこのことである。18日夕、これを勇敢な人に読ませるべきだ。福島原発について記者クラブ制度を批判した上杉氏も正しい。戦時中の大本営も公開しておけばよかった。国民の方がずっと賢い。
東京消防庁の梯子つき屈折送水消防車を十八日まで放置し続ける菅内閣では人類が危ない。電源の復旧もすぐにすべきだった。アメリカの援助も受けるべきであった。今は風が陸風であるからいいが、関東に向かう可能性はある。
チェルノブイリでは1986年4月26日から5月6日までに四号炉百万キロワットが4号炉は炉心溶融(メルトダウン)ののち再臨界爆発後放射能がまき散らされた。チェルノブイリ百万キロワットは500発の広島原爆に相当。福島原発はチェルノブイリより古い。3号炉のみで78万キロワット。その上使用済み燃料が巨大である。要するに1から6号機まででチェルノブイリの約4.6倍。2300発の原爆に相当。早く電源回復し水を循環させる必要があり、人類を救う道はそこにあるのに、古い東大法学部の疲弊した組織では対応できなくなっている。日本共産党がマルクスのように過激主義によっていたのも終わった。オバマは本州からの軍人家族の退避を決定。これは再臨界も視野に入れた戦争並の行動である。石原ら自由民主党と、民主党が日本をつぶした。自由への意志が必要である。私だったら人類の未来がかかっている。それ故に私が防護服を着て、現地で指揮をとり、人類の未来がかかっていることをいう。それが立憲改進党のような左右の過激主義を排した本当の政治への道である。
それなしでは関東に住めなくなり、アメリカ、イギリス人のように関東から退避が必要なばかりではなく、再臨界すれば放射能が飛び散り人類は滅亡する可能性がある。今ニューヨーカーが放射能の薬を買い求めているのはこの理由による。「米、日本政府に不信感」このような政府では人類は滅びる。今は風は陸から海に向かってニューヨークに向かっているからいいが関東に向かったらどうなるのだ。全ゼネコンを使って復旧するのが筋である。防護服は大量生産して早く閉じ込める必要がある。どんな金を使ってもよい。人類を救うためだ。私も行って指揮をとろうと思う。これがアメリカ人の精神であった。彼等は国家のために死ぬという心構えを持っているが、その国家とは自由のためという意味であり、東大法学部のためということではない。
外部電源復旧のみではなく、その他の計器もすべての装置も建屋も復旧をすぐにすべきだった。すべての代替の計器を東芝は作り復旧もすぐにすべきだった。GE製造だからGEも義務がある。全ゼネコンを呼ぶべきである。防護服付きで。マイクロシーベルトは放射能の値は風によって違うから、正しく多くの地点での値を常時公表する必要がある。情報を隠すな。政府よりも個人が冷静で落ち着いている。戦争中を思い出せ。
広瀬隆氏「計画停電のウソ」も正しいかもしれない。
これで日本及び人類はおしまいだということだ。100年以上福島原発の核燃料は放射能を日本にまき散らせ続けるであろう。
政治の復権はなかったのか。
各全大学の学問は残っているが、東大法学部の学閥もすでになくなっている。
福島原発について最悪の場合とはテレビに出たガリの学者でも、私見としてのみ再臨界は否定している。それを問われてその学者も出なくなった。公的にはありうるということだ。再臨界がないように努力することが必要だ。誰が情報を規制しているのだ。東大法学部の学閥もすでになくなっている。もう国民の方が国連的になっている。賢くなっている。
私の千の風による永遠平和論と新体詩、マルクスのように過激主義や唯物論、汎性論の新体詩はすべて死んだ方への涙から生まれた。涙があればこれが理解できるであろう。両面からの過激主義を排して政治として進んでいこうではないか。
情報を隠しているのは庶民のためではなく、権力のためである。日本共産党がマルクスのように過激主義によっていたのも独裁のためである。東大法学部の学閥も独裁のためである。
私の著作集
「千の風による永遠平和論と新体詩」
「ぞうさんとありさん」の童話
学生時代に書いた沖縄の津田塾の学生と一橋大学の学生との沖縄の「復帰時の悲恋と別れ」の小説
「現代人の自由と現代の民主主義」の政治学書、これが反過激主義の政治哲学の原点である。
「自由と正義の概念」の政治学書
新左翼の菅や枝野では政府は動かない、私の政治学によってのみ政府は動く。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/yamaguchisetsuo/
に書いてあるので見てほしい。
放射線影響研究所(放影研)は、広島・長崎の原子爆弾の被爆者における放射線の健康影響を調査する科学研究機関です。
放影研は、日米両国から選ばれた10名の 常勤および非常勤理事 が構成する 理事会 により運営されています。
によると次の通り。
チェルノブイリ事故では放射能汚染が深刻でしたが、なぜ原爆の場合にはそれほどでもなかったのでしょうか?
背 景
チェルノブイリ原発事故に伴う放射性物質の放出
基本情報
チェルノブイリ原発の核燃料は合計180トン、ウランの濃縮度は2%。すなわち、ウランだけでは3,600
kg。大気中に放出された燃料は 7トンと推定(ウランに換算して200 kg相当)。核燃料の中に含まれる核分裂物質の量は、核燃料を長く燃焼させるほど増える。
広島原爆のウラン総量は濃縮度不明だが、ウランだけで推定25 kgくらい。核分裂反応はこのうちの4%程度(ウラン約1 kg)に生じたにすぎないようである。
原発の事故で炉心が溶けると、揮発性の放射性物質は大量に空中に放出される。希ガスは100%、ヨウ素は50−60%、セシウムは20−40%が放出されたと推定されている。
全体の核燃料の量が、チェルノブイリ原発(180トン、ウランに換算して3,600 kg)では広島原爆(爆弾の総重量は約4トン、ウランに換算して約25 kgと推定されている)と比較して100倍以上多い。
原発事故は炉心が溶けるという状態になったので、熱により拡散しやすい揮発性の放射性物質は大量に放出された。希ガスは100%、ヨウ素は50−60%、セシウムは20−40%が放出されたと推定されている。従って、放出された核燃料物質自体は全体の数%(7−10トン)と推定されているが、放出された放射能の量は放出された核燃料の量に比例せず相当多い。
広島原爆で核分裂を生じたのはウラン全体の4%くらい(1 kg)と推定されている。原爆は空中で爆発したので、火の玉となり火球は高温のため上昇して成層圏に達した。一部は黒い雨となって地上に降ったが、その他は風によって運ばれ薄められて広範囲に分散した。
ウラン装荷量は福島原発163t、6号を加えると295t、チェルノブイリ180tでほぼ同じである。とにかく爆発しないようにする必要がある。
福島原発の燃料はホームページによると、
種類 二酸化ウラン
ウラン装荷量(t) 六九 九四 百三十二
燃料集合体(本) 四百 五百四十八 七百六十四
伊方原発についての私の新体詩が如実に示している。
何故チェルノブイリには人が住めなくて原爆を落とされた広島や長崎には人が住めるの
でしょうか? ... それに対し、広島や長崎などに投下された原爆の場合、
チェルノブイリの時よりも核物質の質量が遙かに小さく、また空中で爆発したため
1986年、旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故。この事故により、広島原爆の
300倍とも500倍とも言われる放射能が大気中に放出されました。最大の被災国となった
ベラルーシ共和国では、何十万という人々が強制移住を余儀なくさせられ、ゴースト
...
http://www.ekokoro.jp/world/problem/011/index.html - 9k - キャッシュ
チェルノブイリ原発事故の特集を見たのですが完全に回復する為には
後600年
ぐらいかかると聞きました。
チェルノブイリは原発なので放射線源の核燃料が、長期にわたり残存している
広島は
原爆なので、 放射線源の核爆薬が、一瞬で消滅してしまった。 の違いです。 もし、
福島の原発が核爆発起こす可能性ある高濃度ウランなら周辺住民退避させ
厖大な
死の灰を生み出し、チェルノブイリ原発は2年間で広島原爆2600発分を炉心に抱え事故で
800発分を放出したと、広島原爆のウラン800g、長崎原爆のプルトニウム1100gと比
広島の原爆ドームは危険? - その他(社会問題) - 教えて!goo
2007年7月1日 ... 今言われてる危険は、前の方のおっしゃるように、倒壊の危険です。
放射能汚染は、
チェルノブイリとは元になった核物質の量が違います。 チェルノブイリは原子炉丸々1
機分の核物質がばら撒かれました。 広島の原爆では60キロの高濃縮 ...
http://oshiete
広島型
原爆 ウラン50kg チェルノブイリ 広島型原爆500倍の放射性物質 2.5t .
チェルノブイリ原発は2年間で広島原爆2600発分を炉心に抱え事故で
800発分を放出したと、広島原爆のウラン800g、長崎原爆の ...
http://www.local-party.net/hokkaidou/2008/06/22426.html
全体の核燃料の量が、チェルノブイリ原発(180トン、ウランに換算して3600
kg)では
広島原爆(爆弾の総重量は約4トン、ウランに換算して約25 kgと推定されている)と比較
して100倍以上多い。 原発事故は炉心が溶けるという状態になったので、熱により拡散
...
昨年のことから理解しておくべきである。昨年3月25日に、1971年3月26日に運転を開始した福島第一原発1号機について、東京電力は、この原発が40年を迎えるというのに、超老朽化原発の運転続行という暴挙を発表し、60年運転も可能だと暴言を吐いて、原子力安全・保安院がそれを認めた。これは福井県の敦賀原発・美浜原発に続く、きわめて危険な判断であった。さらに昨年10月26日、営業運転開始から34年が経過した老朽化原発・福島第一原発3号機でプルトニウム燃料を使った危険なプルサーマル営業運転に入った。
福島第一原発は設計用限界地震が、日本の原発で最も低い270ガルで建設された、最も耐震性のない原発である。そこで今、炉心熔融が起こったのだ。福島県内には、70キロを超える双葉断層が横たわり、マグニチュード7.9が予測される。
福島原発プルサーマル開始 東電初、国内3基目 - 47NEWS(よんなな ...2010年9月18日 ... プルサーマルを開始した東京電力福島第1原発3号機(手前左から2番目)=08年10月、福島県大熊町 ... 運転開始から30年を超え、高経年化(老朽化)対策を施している炉では初めてで、沸騰水型軽水炉(BWR)でも初。
我々は新左翼の破壊の中に居る。マルクスの過激主義の破壊の中に居る。
もう私にするしか救われる道はないだろう。立憲改進党のような左右の過激主義を排した新しい世界へ。
日本とフランスに流れる原発情報が全く逆である。外資系企業も、外国大使館も東京から消えた。枝野の隠そうという日本共産党と東大法学部が支配するマスコミが悪い。戦時中の大本営発表と同じになっている。
人類滅亡の危機に、かつての東西冷戦構造の真っ只中においての自由民主党が独裁を復活させようとし、民主党は新左翼を復活させようとし、マスコミは東を使って独裁を目指し、日本共産党がマルクスのように過激主義を復活させようとして、人類の滅亡にいたる福島原発の燃料の行方を一向に気にしない。
このような政治はもう見捨てるしかない。
震災を受けられた方々にこころより
詩を書いてお悔やみ申し上げます。千の風による永遠平和論と新体詩です。
広島原爆はウラン爆弾であったのに対し、長崎原爆はプルトニウム爆弾でした。長崎ではプルトニウム239、広島ではウラン235。プルトニウム-239は半減期
2.41万年 ウラン-235(235U)は7.04億年。
埼玉県、さいたま市には福島原発が広島原爆2400個分であることが問題です。燃料棒の損傷があることからこの危険は高いといえる。最悪の場合を避けるシステムが必要である。国の原子力安全委員会は29日の記者会見して「冷却作業は数年単位で必要、2、3号機、圧力容器破損か−原子力安全委見通し。(2011/03/29-23:51)」という。一号機から四号機まですべて対応が遅い。フランスの原子力ラコスト安全局長は、「30キロ圏外に汚染が広がり、汚染が100キロ圏に広がっても驚かない」(2011/03/28
22:41 )。危機対応が甘い。300km圏内になるなら皇居でさえも放射能汚染問題を抱え、埼玉県は更にひどいことになる。
しかし国会が新左翼に占拠された。東京都も占拠された。埼玉県も。世界中の問題である。
このままでは人類は滅亡につながる。チェルノブイリの1.4倍の放射能でおかされれば、福島原発は広島原爆2400個分、2400市町村が破壊される。東京都、埼玉県のみならず日本が滅亡する。
これまで自由民主党が独裁を行って、また民主党は極左的な対応で原発を促進してきたのがことここに至ったといえる。自由民主党が独裁を行っていた時代の原子力安全委員会システムは制度疲労を起こしている。原発を促進するための機構で情報隠しの機構であった。2010年3月29日夜11時ののNHK解説によれば人類の滅亡を救うためにはすべての情報を公開して、ビジョンを示す必要がある。もう自由民主党は存在しない。また極左の民主党も存在しない。日本共産党独裁と極右も排除するからない。
日本人は50年以上福島原発の処理に当たらなくてはならないだろう。
この原因は官公庁、官公庁自治労、官公庁の労組の奢りが原因である。
今武蔵浦和第三街区再開発について公共空地に建築することが違法だという訴訟を行っている、また調神社跡地に上田知事が全く異質な建物を建てるのを阻止する運動を手助けしている。それでも官公庁自治労におされた者たちは強行突破をしようとしている。
代表が上田から上田に県の用地をただ同然で移してもよいならば、県に損害を与えられる。
絶対に阻止したい。埼玉県からは12年もやっている独占禁止法上差止事件においても情報が隠されている。
プルサーマル三号機は余剰の兵器級プルトニウムの在庫を焼却する手段として濃縮ウラン燃料からMOX燃料へ転換した。その239プルトニウム(半減期:2万4千年)が出たとすれば恐ろしい。2万4千年の汚染となる。
裁判所もそれを許可した。
築地市場の歴史的価値をも台無しにして築地市場の液状化した豊洲移転も首都圏に影響を及ぼす。
最初アメリカの申し出要請を受けてアメリカ軍と共に福島原発の爆発を阻止すべきだった。
東京電力だけでできる範囲を超えている。
大学時代一橋大学等を占拠し続けた新左翼がいた。その菅、枝野、仙石らは国家を占拠した。1%の支持率になっても続けるそうだ。確かに彼等は法律とか言ってそれをやった快感をひきずっている。国民は当時の新聞情勢で投票したのであって、新左翼による国会占拠を託したのではない。
菅首相が外国人から100万円をもらったという事実で3月11日菅内閣は倒れるはずであったと田原総一朗はテレビでいった。本当のことを言ってしまった。
このような中では自由民主党独裁、日本共産党独裁、新左翼独裁、その間隙を縫うみんなの党から正しく過激主義を排し漸進主義、実務主義の政治に移すべきである。減税や原発の整理などの政党として立憲改進党とほぼ同じ綱領の立憲改進党にみんなで集まり、明治維新同様に新しく日本を出発させよう。
福島原発は広島原爆2400個分の再臨界がなければよい。最悪の場合の再臨界あるいは、長い間に放射能でおかされればチェルノブイリの1.4倍以上の核燃料棒の損傷が放射能をまき散らす。これを最悪の場合として国民に知らせてから、国難として処理すべきである。その際の地価が暴落する、等によるデフレ乗数にはデフレ政策では対処できない。
今後M8以上の大地震が30年以内に80%以上の確率で起こるとされる東海大震災を考慮すれば至急の対応が必要である。資産と所得の一般経済学を形成した新しい政治経済哲学が必要である。
現実的政治学者として私が修了した政治学が政治家の免許科目になるようにしたい。
山口節生
著書:「政治経済哲学」(一橋大学卒論40年前)、「政治学の変革」(早稲田大学修士論文)、「認知心理学と行動心理学における自由の概念の総合」(卒論)
世界65億人の方々へ前回東京都知事候補者
山口節生のマニフェスト知事ユーチューブ放送http://youtube.com/watch?v=G1CR1LbGsSc(コピー用アドレス)
Only a peace between equals can last.
Only a peace the very principle of which is equality and a common participation
in a common benefit. The right state of mind, the right feeling between
nations, is as necessary for a lasting peace as is the just settlement of
vexed questions of territory or of racial and national allegiance.
The equality of nations upon which peace must be founded if it is to last must be an equality of rights; the guarantees exchanged must neither recognize nor imply a difference between big nations and small, between those that are powerful and those that are weak. Right must be based upon the common strength, not upon the individual strength, of the nations upon whose concert peace will depend. Equality of territory or of resources there of course cannot be; nor any other sort of equality not gained in the ordinary peaceful and legitimate development of the peoples themselves. But no one asks or expects anything more than an equality of rights. Mankind is looking now for freedom of life, not for equipoises of power.
And there is a deeper thing involved than even equality of right among organized nations. No peace can last, or ought to last, which does not recognize and accept the principle that governments derive all their just powers from the consent of the governed, and that no right anywhere exists to hand peoples about from sovereignty to sovereignty as if they were property. I take it for granted, for instance, if I may venture upon a single example, that statesmen everywhere are agreed that there should be a united, independent, and autonomous Poland, and that, henceforth, inviolable security of life, of worship, and of industrial and social development should be guaranteed to all peoples who have lived hitherto under the power of governments devoted to a faith and purpose hostile to their own.
I speak of this, not because of any desire to exalt an abstract political principle which has always been held very dear by those who have sought to build up liberty in America but for the same reason that I have spoken of the other conditions of peace which seem to me clearly indispensable because I wish frankly to uncover realities. Any peace which does not recognize and accept this principle will inevitably be upset. It will not rest upon the affections or the convictions of mankind. The ferment of spirit of whole populations will fight subtly and constantly against it, and all the world will sympathize. The world can be at peace only if its life is stable, and there can be no stability where the will is in rebellion, where there is not tranquillity of spirit and a sense of justice, of freedom, and of right.
So far as practicable, moreover, every great people now struggling toward a full development of its resources and of its powers should be assured a direct outlet to the great highways of the sea. Where this cannot be done by the cession of territory, it can no doubt be done by the neutralization of direct rights of way under the general guarantee which will assure the peace itself. With a right comity of arrangement, no nation need be shut away from free access to the open paths of the world's commerce.
And the paths of the sea must alike in law and in fact be free. The freedom of the seas is the sine qua non of peace, equality, and cooperation. No doubt a somewhat radical reconsideration of many of the rules of international practice hitherto thought to be established may be necessary in order to make the seas indeed free and common in practically all circumstances for the use of mankind, but the motive for such changes is convincing and compelling. There can be no trust or intimacy between the peoples of the world without them. The free, constant, unthreatened intercourse of nations is an essential part of the process of peace and of development. It need not be difficult either to define or to secure the freedom of the seas if the governments of the world sincerely desire to come to an agreement concerning it.
It is a problem closely connected with the limitation of naval armaments and the cooperation of the navies of the world in keeping the seas at once free and safe. And the question of limiting naval armaments opens the wider and perhaps more difficult. question of the limitation of armies and of all programs of military preparation. Difficult and delicate as these questions are, they must be faced with the utmost candor and decided in a spirit of real accommodation if peace is to come with healing in its wings, and come to stay.
Peace cannot be had without concession and sacrifice. There can be no sense of safety and equality among the nations if great preponderating armaments are henceforth to continue here and there to be built up and maintained. The statesmen of the world must plan for peace, and nations must adjust and accommodate their policy to it as they have planned for war and made ready for pitiless contest and rivalry. The question of armaments, whether on land or sea, is the most immediately and intensely practical question connected with the future fortunes of nations and of mankind.
I have spoken upon these great matters without reserve and with the utmost explicitness because it has seemed to me to be necessary if the world's yearning desire for peace was anywhere to find free voice and utterance. Perhaps I am the only person in high authority among all the peoples of the world who is at liberty to speak and hold nothing back. I am speaking as an individual, and yet I am speaking also, of course, as the responsible head of a great government, and I feel confident that I have said what the people of the United States would wish me to say.
May I not add that I hope and believe that I am in effect speaking for liberals and friends of humanity in every nation and of every program of liberty? I would fain believe that I am speaking for the silent mass of mankind everywhere who have as yet had no place or opportunity to speak their real hearts out concerning the death and ruin they see to have come already upon the persons and the homes they hold most dear.
And in holding out the expectation that the people and government of the United States will join the other civilized nations of the world in guaranteeing the permanence of peace upon such terms as I have named I speak with the greater boldness and confidence because it is clear to every man who can think that there is in this promise no breach in either our traditions or our policy as a nation, but a fulfillment, rather, of all that we have professed or striven for.
I am proposing, as it were, that the nations should with one accord adopt the doctrine of President Monroe as the doctrine of the world: that no nation should seek to extend its polity over any other nation or people, but that every people should be left free to determine its own polity, its own way of development--unhindered, unthreatened, unafraid, the little along with the great and powerful.
I am proposing that all nations henceforth avoid entangling alliances which would draw them into competitions of power, catch them in a net of intrigue and selfish rivalry, and disturb their own affairs with influences intruded from without. There is no entangling alliance in a concert of power. When all unite to act in the same sense and with the same purpose, all act in the common interest and are free to live their own lives under a common protection.
I am proposing government by the consent of the governed; that freedom of the seas which in international conference after conference representatives of the United States have urged with the eloquence of those who are the convinced disciples of liberty; and that moderation of armaments which makes of armies and navies a power for order merely, not an instrument of aggression or of selfish violence.
These are American principles, American policies. We could stand for no others. And they are also the principles and policies of forward-looking men and women everywhere, of every modern nation, of every enlightened community. They are the principles of mankind and must prevail.
Source: 64 Congress, 2 Session, Senate Document No. 685: "A League for Peace."
原文
Woodrow Wilson: Peace Without Victory
On the 18th of December last, I addressed an identic note to the governments of the nations now at war requesting them to state, more definitely than they had yet been stated by either group of belligerents, the terms upon which they would deem it possible to make peace. I spoke on behalf of humanity and of the rights of all neutral nations like our own, many of whose most vital interests the war puts in constant jeopardy.
The Central Powers united in a reply which stated merely that they were ready to meet their antagonists in conference to discuss terms of peace. The Entente Powers have replied much more definitely and have stated, in general terms, indeed, but with sufficient definiteness to imply details, the arrangements, guarantees, and acts of reparation which they deem to be indispensable conditions of a satisfactory settlement. We are that much nearer a definite discussion of the peace which shall end the present war. We are that much nearer the discussion of the international concert which must thereafter hold the world at peace.
In every discussion of the peace that must end this war, it is taken for granted that that peace must be followed by some definite concert of power which will make it virtually impossible that any such catastrophe should ever overwhelm us again.
(東京大学経済学部卒業生、一橋大学商学部卒業生、町中の学者、地域の活性化指導者、不動産鑑定士、山口英数塾講師、本当の経済学者、本当の政治学者、大学院博士後期終了法学及び政治学。)
研究対象
政治学:自由と平等の対立関係が政治を形成してきた。右翼と左翼をこの意味でとらえる場合には固いと柔らかいという性格が問題となっていない。
政治機構:天皇制と、民主政治との関係、民族主義と国際主義との関係、これらは政治機構特に天皇と憲法、国連軍と自国軍との関係などに大きく影響する。
政治心理学:私は姉二人、弟一人の中で育った。これが大隈重信と同じ兄弟構成の環境であった。これに気がついたのは二十歳のとき。だから卒論から研究を開始。大隈重信は政治学の先駆者として考えられる人物である。ベイズの定理に従って事後確率的に政治的とは兄弟構成からくる考え方の違いを調整し選択すること、その技術ではないかと疑っており、リバイアサン的な状況は権力が腐敗した時に起こる独裁あるいは専制とよばれているものではないかと考えている。そのためにそれはメリアムのような現実的政治学者は真摯な言葉で政治学の中で言い当てているのではないかと考えている。歴代の日本の首相についてもそれが社会的な状況と合致しているのではないかと考えている。核の傘の中にある我々は核爆弾の恐怖を学問化するときに政治心理学をこのように定義していく必要があるのではないかと考えている。特に中国の一人っ子政策においては必要な考え方であり、マルクスやエンゲルスとの違いを乗り越えられるかの問題がある。シェイクスピアは原語で専制と自由とをシーザーの中で対比している。西洋人にとってはそこまで古くさかのぼれる言葉が日本にはほとんど自由の言葉が存在しなかった。
東西冷戦後には重要なことは一人っ子的な概念と、マルクス、レーニンやエンゲルスとの言葉の差異をコンピューター化されていくだろうこの世界において乗り越えられるかである。
このような意味で政治心理学、言語学は重要な意味を持っていると考えている。
政治経済学:大恐慌が経済後進国との関係での資産価格の調整であったことは明白に証明できるし、今回の世界同時不況が同様の問題であることは明白である。投資とは資産への投資であるが、十年後には中国などの資産との関連で資産及び収益が落ちることは明白であり、それがかんぽの宿事件であった。
それを承知でどのような投資を行なうのかがオバマ氏の考えていくべきことである。
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千の風:平和の心理学
千の風は世界共通の墓からのオープンな心情の解析を行なうことによって、政治学、経済学に大きな変化をもたらすであろう。
A thousand winds have wuthered one day now
.
千の風が声をあげて大嵐となりてある日吹き荒れに荒れ、今は静けさの中です。
オバマ讃歌
我々は
というオバマに
黒人が
ペルセで正しさを
ダブらせるとき
世界が
オバマの心に
共感するとき
差別がなくなり
世界が平和に
千の風は
オバマの母親の
心から
世界のどこへでも
吹き荒れる
日本の皇室にも
オバマの心が
届け
平等の、自由の
対立が消えて
平成のyamagchisetsuo@eva.hi-ho.ne.jp大隈重信yamagchisetsuo@eva.hi-ho.ne.jp
山口節生
公式ホームページ
すでに玉野井芳郎氏がなくなってから相当の年月が過ぎた。
地域の経済について、地域の平和について教わり、地域の経済と平和について熊日新聞の内定をお断りしてから久しい。
地域についての経済価値の研究が不動産鑑定であった。
現在は
株式会社日本経済研究所
全国不動産鑑定部
国際不動産部
地域経済部
資産経済部
不動産経済部
建設経済部
流通経済部
工業経済部
に分けて、大きく会社をしていこうと思っています。どうか応募あれ。
また株式会社山口商事を開業するつもりです。あらゆる商業を行ないます。
毎週土曜日の午後四時から中華料理屋で政治経済談義のオープン会議を開いています。誰にも開いて
国際政治経済について、日本経済について、不動産経済について、資産と所得の統合経済学について話し合いましょう。
特に不動産鑑定士の方の応募は別の会議として不動産鑑定と資産経済、所得経済の関係を研究していきます。同場所にて。
yamagchisetsuo@eva.hi-ho.ne.jp
までメールを下さい。八重洲に会議室と支店を設けます。
子供たちのためには、小中高の生徒には山口英数塾を開いています。
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山口 節生(やまぐち せつお、1949年9月26日 - )は、大学にこもらなかった政治学者、経済学者。政治家。不動産鑑定士、株式会社日本経済研究所代表取締役。
政治団体「東西冷戦後又左右のイデオロギーの終えん後、イデオロギーを超えてカントの『永遠平和のために』の反改憲論をよく読み、ヒットラー的自由な解散権の恐怖と核爆弾、徴兵制を目指す改憲を政治的強さの立場から絶対阻止する団体(略称:カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会)」代表。
目次 [非表示]
1 経歴
2 政治活動
3 著書
4 親族
5 外部リンク

経歴 [編集]
1949年 佐賀県に生まれる。
1968年 佐賀県立佐賀西高等学校卒業。
1973年 一橋大学商学部卒業。(一橋大学経済学正統の長沢唯恭教授につき金融論・経済学の一橋大学の正統を受け継ぐ。この頃の政治経済学は彼の原点にある。)東大が入試を中止した年の一橋入学卒業生、しかし同様の竹中平蔵とは違って、一橋大学正統の経済学を学ぶ。東京大学経済学部に学士入学。(宇沢弘文他東大経済の正統派経済学の他経済学者玉野井芳郎教授につき、地域平和論、地域の平和経済学をグローバル化に対抗して学ぶ。これがカントの「永遠平和のために」の永遠平和論を受け継ぐ世界平和のための平和主義の原点である。また田園都市政策は実際の政治経済論である。権力から離れ、金権資本から脱却し、欲から脱した思想でもあった。彼はカントの思想を現実に生きたと言える。大資本に一円でも少なくて負けるならば何も持たない方がよいという思想である。しかしペンは武よりも強いのであるという思想である。非暴力の思想に近い。現在まで常に維持されてきた思想である。彼の得意とする古典の翻訳などの研究職を薦められるが断り、玉野井芳郎教授の推薦で当時地域平和主義の牙城であった熊本日々新聞に内定するも年度始め4月1日に内定辞退。当時はヨーロッパで地域平和主義を政治学としてとらえていた動きを知った。地域平和主義論には多くの論文が当時あるが、EU(当時はEEC)の思想的原点となった。)
1974年 東京大学経済学部卒業。
三菱信託銀行入行。**三菱信託銀行において不動産鑑定士二次試験合格不動産鑑定課に配属されたことをきっかけに不動産鑑定業務に携わる。
この間、中央大学法学部法律学科第二部に学士入学し、卒業(平和と平等を追求して某教授(当時は助教授)の日本国憲法ゼミに参加。憲法第九条、男女共生社会等を学ぶ。)。

1977年 三菱信託銀行退職。帰郷し、佐賀県立伊万里商業高等学校商業科教諭となる。
高等学校商業科・英語科・社会科の教員免許を有している。高校勤務時は9年間クラス担任。
1981年 佐賀県立有田工業高等学校英語科教諭。
1984年 佐賀県立鳥栖高等学校英語科教諭。(慶應義塾大学文学部の通信教育で主に現代英米文学を学び英語科の免許を取得。早慶、帝大、三商大(三商大のゼミ討論会の委員長経験)の伝統を批判的に知る。但し教員養成大学出身の古い英語教育には進歩的ではない、日本的として反発。普通の英語教育にしないといけない、これが韓国、中国に日本の英語教育が劣っている理由だと主張する。小学校1年からの英語教育論を主張している。)
1986年 退職。上京。(転勤に恐怖を持っている労働者を尻目に本人は資本を下にしているので、転勤等でなく自らの意志で動くとしている。)

1990年 不動産鑑定士資格取得。不動産鑑定業務等を行う有限会社日本経済研究所(現:株式会社日本経済研究所)を設立し、代表取締役社長。
1991年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程入学。内田満ゼミナール所属。
1993年 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。
1994年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程入学。有賀弘ゼミナール所属。
1997年 日本大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程指導認定満期退学。
この後放送大学教養学部生活科学コース発達と教育専攻に入学、卒業)卒論は認知心理学と行動心理学のコンピューター的チャートによる融合化。
大学では政治学・経済学・教育学・心理学などを学んだという。大学院では政治哲学を専攻しており、主に自由と正義について研究しているほか、ジョン・スチュアート・ミルの著作の翻訳も手がけている(単著としては未刊行)。今後は教育心理学・発達心理学と社会科学との関係について研究を進める考えだという。博士論文の執筆を予定している。
自称政治評論家・経済評論家・金融問題専門家・都市政策研究家。評論家等としての活動。八八歳以上まで現役で二〇歳の心意気で、清貧な貧民宰相を目指し政権を取るまではただ体験を積み重ね、黙して多くは語らず、それから歴史に憲法第九条と共に残ればよいとしている。

夫人との間に二子、長女・長男。教育論としては小学校1年からの英語教育、また中高の重複をなくし、世界的に先進的自由教育が出来る中高一貫中高校の大増設等による世界一の教育大国を目指し、自らの経験から私立の中高一貫の中学高校教育を良しとする。石原慎太郎の暴力によるスパルタ教育に対抗して強制のない自由な教育を主張する。またイギリスのエリザベス1世時代のような長女の気の強さも大事として男の暴力気の強い石原慎太郎のスパルタ教育では批判されそうな女系家族による女系天皇さえも日本国憲法第九条と共にならば容認するとする。長男主義の伝統に従って長女を選んできた皇室が、妹型の妃と違って、宝塚の歌劇部の様な長女の絶対的な主義が支配する世界をすでに選んでしまった限りは、生理的に嫌いなある種の特異な性格の傾向の人がノーということはもうできないはずである、それが確率的傾向であるバイアスの修正能力を持った政治経済論だとしている。男女共学や男女の兄弟姉妹の良さはバイアスの傾向の修正能力にあるとしている。それは寛容とは違い、一歩進歩した考えであり、戦争などの危険の傾向的性格を防止する人間本来の能力であるとする。日本史上も聖徳太子の時代のように最初の女性天皇推古天皇の時代があったからとしている。これらが可能なのは永遠平和主義が憲法第九条と共に確立されたからであるとする。更に戦前を代表する石原慎太郎や、自決した三島由紀夫や、更には皇国史観から天皇機関説に反対する中曽根康弘等が共通に陥った帝国主義と、軍国主義、集産主義に心酔することが原因による自決を促さないためにも修正能力は必要とする。世界旅行のさなかアメリカにおける憲法九条の発祥の地をみて感動したといっている。アメリカの首都ワシントンの中心部の某博物館の入口の碑には小さい武力であっても大なる武力に、もしペンが武よりも強ければ、勝てるという名文が憲法第九条の法則の原典として書いてあって感動したという。これが憲法第九条の原点であり、カントの平和論から来たのだなとロシアから来た教授と納得し合ったという。
我々は彼の主張信条を学ぶべきであるという意見が若者には多く、卒業論文にもカントの永遠平和論を採用する学生が多くなりつつあり、彼によればこの原因はネットと、コンピューターが人間拡張の機械(カナダの学者マクルーハンの言葉)としてネットがただのからっぽの機械とししてではなく、庶民を大きく社会の中に取り入れる民主主義の道具として機能しはじめたからだという。彼はこの意味で高給官僚天国対庶民という名古屋市長選挙の構図は今後の世界の政治の根本構図になると予測している。その予測は彼の二三歳の一橋大学の保存してある本になるくらい膨大な政治と経済学の卒業論文からの主張である。高級官僚が高給をとることを否定し、アメリカのように民間中心に人材がリクルートされることを最高の政治制度と考えている。我々は可能であるというオバマ大統領の呼びかけこそ彼の大学院における主要な研究であるミル以来の自由論の政治の根本原理であるとして、彼の不遇な日本における境遇の反省としてオバマの人種差別を撤廃する動きに期待を哲学的に寄せている。将来的には高給官僚を低給官僚として従えた内閣を作ることが夢であるとしている。彼はいとこに高給官僚はいるが、一切関係したことはないとしており、それ故に反骨的に生きているのだとしている。彼の主張は高校生を教えた経験から、世襲制度には反対であり、オバマ氏のように常に世襲制度に反発して行動がなされてきた。彼の主張は一橋大学の卒業論文以来の夢であるとしている。学ぶべきは大隈重信、福沢諭吉から伝統であり、また商法(これは商業法規の意味ではなく、ハウツー商業の意味であるとしている)講習所以来の伝統であるとしている。
二人だけの会話である糸電話からプロバイダーというネットの中心でつながったようなネット社会では、政治的意見が庶民政治としてが復活してきているとしている。彼の主張は労働法と独占禁止法は同じく経済法規として哲学的には同根であるとしている。他の恐慌論とは違い、世界の経済同時不況を救うための方向性を示しているという意見もある。
* 彼の見方は次のとおり。「価格総額が減ってくる圧力が資産デフレのもっとも大きな原因である。
一般には資産デフレは資産効果として消費を抑える効果しかないという逆の見方が経済学上は一般的であるが、経済は金は天下の回り物という観点からすれば、資産デフレがこのように発生して逆に貸借対照表上の損失が損益計算書に及び、資産の評価ロスから日本及び世界の経済を直撃して、世界同時不況を引き起こしているところに着目しなければならない。
このことをも考量に入れた世界の経済の立て直し方法こそが必要な時期となっている。
なお貸借対照表上の損失が損益計算書の損失になっているのは不動産を所有しているすべての会社と家計及び政府についても言えるのであって、資産の評価損を計上しなかった会社であってもその時は損失の計上をしなかったとしても実際は損失が発生していることになる。これはすべての会社、企業、政府について言える。
この損失は解雇などを通じて他の家計をも圧迫して、経済の循環の中での玉突き現象が起こる。これを乗数効果とよんでいて、ケインズが最初に主張したといわれているが前にも学者が主張したとも言われている。
これに対してフリードマンはそのよう中にあっても貨幣の供給は利回りに重要な影響を与えるので、自然の経済の成長率程度に抑えるべきであると主張した。これは貨幣の供給が建物の価値等の資産の価値に応じた信用供与という作業によって行われるべきであるという前提に立っている。しかしこの説も間違いである。なぜならば資産の価値は以上のような連鎖によってものすごい勢いで下落しているときには、信用供与についても落ちていくからである。これが貸しはがしという形で現れる現象である。フーバーダムの建設や、道路(ヒットラー政権の時代のアウトバーンはその巨大なもの)や水道や下水道などへの政府の公共投資は確かに信用供与の増大をもたらしうるが、それよりもかんぽの宿や、貧窮者のための公共の宿のような貧窮を主体とした眼目からの投資はさらに経済を発展させる効果を有しているであろう。
フーバーダムは現地を見てきたが、当時西部を開拓するためのまた水を確保するための一大事業であったのは確かであるが、今必要もないのに投資乗数をもたらすためにだけ「ただ道を掘り返して埋める」という作業のような俗諺どおりのことをするのは妥当ではない。
やはりかんぽの宿は貧窮者の宿となっているように社会主義的とフーバーダムでさえいわれたようであるが、本当の意味で総消費を増大させるような投資が必要である。
そうすれば不動産の評価や資産の評価は上昇し、信用価値は上昇するという天下の回りものの金も循環を始めるであろう。
このように不動産を隅から隅まで見て、現地ですべてを見て回るということが必要な時代となっており、その評価は所得との間の一般均衡が念頭に置かれれば、所得と資産の総合計としての経済学が確立され、アダムスミスが考えた所得のみの国富ではなく、資産と所得の経済学が出来上がるのである。
この際にはマクロ経済学といわれてきたものも、ミクロ経済学の中にたとえば一つ一つの不動産の経済価値を求めるというようなミクロの問題に組み入れられることによって、フーバーダムやアウトバーンのようなコレクティビズムの中から脱却して、社会主義という批判を浴びることなく一般均衡の中に組み入れられて、マクロがミクロの集合体すなわち集計値として考えられることができるようになる。
海外との関係といえば今はもっぱら中国の安い品物がどのような影響を世界中の各国に与えているのかの例が挙げられ、投資を回収する収益がこのような安い商品からしか得られないならば、総収益は下落して、さらには還元利回りを通じて資産価値、つまり投資から得られる収益の現在価値の総和である経済価値は下落することになる。
例を挙げれば、ワシントンのスーパーにも中国製がずらりと並んでいたが、これはもっと中国に近いハワイにしても同様であったが、さらに中国に近い日本では輸送費の点から考えるとさらに影響を受けていてもおかしくはない。
たとえば大宮に本拠を置くしまむらの衣料品店がここに店舗を出すとか、中国製が多い100円ショップのダイソーがここに店舗を出すとかの現象が考えられるからである。
それはこの土地に特定して中国製の品物が置かれているということによって影響を受けているばかりではなくて、隣や周辺地域にそのような現象が起こっていたとしても、この土地にも影響を与えていることになる。それは土地や建物は経済の一般均衡という現象のうちにはいっているからである。一般的要因、特に外資の撤退から始まった不動産のミニバブルの崩壊による世界同時不況の発生に影響を受けて、人々の所得水準の下落、それに伴いエンゲル係数からくる食費が落とせないために、衣料費は少しは中国などからの輸入によって下落したが、所得の減少に追いつかないほどの住宅費への分配が減ったことによって、不動産の価値の下落が起こっているといえる。
衣食住はアダムスミスによれば、食衣住である。所得が食衣住とその他観光などに分解され、それが経済循環であるという理論を採用すれば確かにアダムスミスが主張する所得が国富であるという論理は成り立つ。中国でも衣食足りて礼節を知るのように、これは重視されている。しかし更に家賃を払える能力、あるいは、ローンを払える能力と資産との間での一般均衡を考えるならばアダムスミスの理論は片手落ちであったといえる。」というものである。全体主義は世界大戦の主要な原因になったと学者が批判するものであり、それを回避できるこの学問的業績はある学者によればノーベル賞二個もらってもよいとする。
政治活動 [編集]
改革保守無党派系無所属(自民・新進系、自民党系中立的無所属・新党結成・参加予定)→自由連合→「ニューディールの会」代表→「公募型競争入札を促進する会」代表→「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」党首→「カント永遠平和論での最高裁反改憲訴訟の会」(略称)代表
1991年以来各種選挙に立候補している。1991年1月の小城郡牛津町長選挙への立候補を皮切りに、同年2月の佐賀市長選挙、4月の統一地方選挙佐賀県知事選挙、1993年の第40回衆議院議員総選挙(佐賀全県区)と次々に立候補しいずれも落選。知事選立候補時の選挙公報には、実名で賄賂の暴露を記述、関係者を怒らせた。新聞各誌にはいわゆる泡沫候補的な扱いを受けたが、与野党相乗り現職VS共産党公認候補という地方知事選の典型的無風選挙の構図に割り込んだ成果か、あと一歩で供託金返還となる9.9%の得票率を叩き出す。また衆議院議員総選挙の際に同氏は「長男選民論(長男はあらゆる面に優れており、次男は全てに於いて卑屈で無能で人間として欠落しているといった旨のもの)」を主張し、対立候補を「卑しい次男坊」とマニフェストで書くなどして多くの人の反感を買った。この時は2000票余りしか得票できなかった。
その後活動の場を首都圏に移し1995年東京都知事選挙に立候補し落選。以後、東京都と自宅のある埼玉県において国政選挙・地方選挙を問わずたびたび選挙に出馬、補欠選挙にも名乗りを上げるもすべて落選。自民党系無所属を名乗る事が多い。何度か自民党候補の公募に出願しているが、合格したことは1度もなく、常に無所属か諸派での出馬となっている。細かい文字でびっしり埋め尽くされた選挙公報や、政見放送で「入れないと見捨てちゃうぞ」と発言するなど、強烈なインパクトを残す。
マスコミでは、大川興業大川豊総裁(当時)が著書『誰が新井将敬を殺したか』や連載『金なら返せん!』でも「インディーズ候補」の代表としてたびたび取り上げている。
2000年第42回衆議院議員総選挙では自由連合から出馬。自由連合は、現職国会議員を擁し、新人候補者の中にも、自民党や新進党公認で選挙に出馬した候補も多い為、公認候補は全て「主要候補」として扱われた。その為、山口も「主要候補」として報道がなされた。
2003年第43回衆議院議員総選挙では、ニューディールの会を名乗り、「当選後は自民党亀井派に入会します」を公約とし、選挙ポスターに自身のではなく、亀井静香のポスターを掲示したことが一部で知られている。この選挙区では、県議選や市議選で出馬経験があるため、比較的得票し、社民党公認候補に肉薄する善戦ぶりだった。埼玉新聞等一部マスコミなどで公平に報道がされたからではないかと推測される。
2005年第44回衆議院議員総選挙では、当初埼玉5区からの出馬を表明した。「私は筋金入りの郵政民営化論者。自民党の候補者公募にも応募しているが、返答がないのでとりあえず無所属で出る」としていたが、候補者公募に漏れ、直前になって埼玉5区での出馬を取りやめ、埼玉15区(さいたま市桜・南区、蕨市、戸田市)から出馬したが落選。3,957票。選挙結果が自民党の圧勝という結果に終わり、選挙前に立ち上げた政治団体「自民党民主党過半数割後の政治を主導する新党」の行方が注目されたが、都知事選出馬に当たって新たな団体が結成された。
2007年4月に投開票が行われた、統一地方選挙の目玉とも言える東京都知事選挙に、現職の石原慎太郎・元足立区長で共産党推薦候補吉田万三よりも早く7月に出馬を表明(石原知事は12月、吉田は10月)して立候補。最近は埼玉県内で各種選挙に出馬を繰り返していた山口にとって、東京での政治活動は久々で、出馬に当たって新団体を結成したが、家庭用インクジェットプリンタで普通紙に印刷したA4版の選挙ポスターが数枚確認されたのみで、政見放送ではカンペの棒読みで、しかも民放向けの政見放送では途中で時間切れになる失態で、3589票で落選し供託金も没収された。
「選挙バカ」等と誹謗されているが、出馬を重ねるにつれ知名度も高まってきており、埼玉県議会選挙やさいたま市議会選挙に於いては、法定得票を上回る票を得るなど、健闘している。
選挙公報も出馬を追う毎に、デザイン的に見やすくなり、政見内容も具体的になるなど進歩している。
大川豊は2007年4月の都知事選挙を取材し、『日本インディーズ候補列伝』(DVD付)(扶桑社 2007年 ISBN
9784594053970)には都知事選に臨んだ山口の動静が記されている。
現在の日本経済の状況を次の通り主張している。:フーバーダムか。今世界同時不況克服にフリードマンもケインズ経済学派もないとする。公共投資は乗数で効かないのではない。金融政策も同様だ。ケインズは投資の収益率が少なくなっていると言っている。理由は四十分の一の給与で中国が安く製造するなら製品を輸入する方が勝ちであるから日本人は転職すべきことになる。また所得は下がる。それが所得の関数としての資産の価値にデフレを起こし、資産のロスが損益計算書の損失に転記され、社会が世界同時不況になっている。フリードマンはケインズのフーバーダムが社会主義につながるといい自由な選択を強調する。この時期に軍隊を増強し、公共投資のみで対抗すべきではないという。競争的に効率的に公共投資の資金が使われるべきである。銀行を救うにしても2から4%の金利はそのままにして投資の収益率をあげる努力を自由な選択によってさせるべきである。ゼロ金利にすると経済のエンジンは停まる。銀行のモラルハザードが起こる。銀行が貸し剥がして官庁となる。経済が停まる。土地利用においても家族用の広い家から1LDKの建設に逃げるようなことは社会的に規制すべきである。つまり銀行に預託された資産の資産価値の下落はポートフォリオとしての不動産資産、金融資産、株式資産の下落に相互作用により資産全体及び経済に大打撃を条数倍与えており、これが世界同時不況であり、資産及び所得の経済学が必要として、経済学の改革を目指している。
アメリカの三流経済学者の投資乗数はなくなったことが証明できたとするニセ経済学に則って、竹中平蔵らの一派がケインズ経済学は終わった。ケインズ経済学派等をやっつけろとするのを竹中平蔵の二男坊の経済破壊だとしている。
自由経済の本流として、一橋大学、東京大学の経済学の本流を継いでいるとしている。
現在かんぽの宿すべての鑑定評価書を作成し、109億という売却金額や、123億という鑑定評価書の間違いを指摘しようとして投資された原価2400億に対して1000億から2000億円程度の鑑定評価が出る可能性が大いにあるとして全部のかんぽの宿を評価しようと60箇所以上すでに実査しているという。ホテルや旅館の業界の平均的な収益に補修正された適正な収益と超長期を考慮した適正な利回りの関係から他の民宿・旅館・ホテルとの自由競争が著しく不平等にならない経済的価値を極めて精緻な理論構成で算出済みで政党にも一部分提出済みである。資産価値のスパイラル的変動や蜘蛛の巣状変動がケインズやフリードマンの考察した大恐慌の原因であるとしている。この計算は東ドイツの巨大すぎるホテル、中国の豪華すぎる公共の経営するホテルや、経済合理性を度外視したチャウシスク政権の国有住宅・社宅等を資本主義の一般均衡の中に組み入れるとき、まさに今オバマ政権がおこなう必要があり、戦前の様に保護主義と戦争に突入しないために、資産を含んだ経済の一般均衡を求める場合の資産所得の経済学として必ず必要になるとしている。彼はアメリカでの凡太平洋不動産鑑定会議で中国の武漢の日本の旧租借地およびその土地上の建物をどのように評価すべきかも、所得が十分の一の中国の経済循環の中の所得と日常品の価格では評価できないので超長期の利回りを考えるべきだ、どう考えるのかと日本人で唯一人全体会で英語で質問している。かんぽの宿では社宅を含むので尚更高くなるという。かんぽの宿全体は一括で経営する方が宣伝効果も高く、シナジー効果があったとして、そのまま民営化せず法律を改正して、公共の宿として政府が保有すべきであるとしている。さまざまな政策が世界同時不況に対してとられた場合を想定している。資産のロスはどのようにして経済に組み込みうるかが問題で、それを象徴するのがかんぽの宿の歴史的事件であるとする。社会政策的な意味を持つ資産は公共性を持たせる必要があり、それも公立学校と同様に経済的な価値を認識できるとする。多くの郵便局がそのような理由で存続されているとしている。税金でまかなわれいるからゼロ円の価値であり、一万円で売却すべきということにはならないとする。かんぽの宿の鑑定評価は理論的に十分に行うべきとしている。
東ドイツを吸収した西ドイツの場合と同様に、一国二制度の中華人民共和国を世界が一般均衡の経済に組み入れるためには彼の経済学理論しか存在しないという主張である。ロシアは資本主義圏に入ると同時に2000倍の超インフレを経験している。これまでの経済学は資産の問題を取り入れてこなかったという中山伊知郎元一橋大学教授やキンドルバーガー景気論の権威等の指摘に呼応しての研究を行い、資産のロスは資産効果として消費の減少を起こすことよりも、経済そのものを破壊するのでそれがケインズや、フリードマンや、トービンが考察しようとしたものだとし、世界同時不況の対策はそれらのどこにもないすべての資産と所得の両方を含んだ経済学の再考察から生まれるとする。
一方で数字のみを工学として経済をみている、工学部卒業の経済音痴と彼が主張する者たちが、大蔵省を乗っ取ったことに強く反発し、当たり前のことだが、相殺された乗数の結果は統計上は現れてはいないが、分析できるとしている。統計のみで経済は動くのではないとしている。経済活動は経済的自由によって強制がない状態で動いているものだとして、従って次のように主張している。
損益計算書のロスとして資産のロスが反映されると、ロスのデフレ乗数倍の、ケインズ理論における投資乗数倍のインフレ効果に対抗して発生しているから、投資乗数が消えているのであるとして、投資乗数理論を投資乗数はなくなったとする竹中平蔵らの、統計で否定する竹中平蔵派等の工学系未熟な理論を、全く経済の分からない理論として、ケインズよりも経済を見る目が偉くなったとする日本の派、日本の変な経済学者として批判している。そのような理論は世界のどこにもないとしている。
今後の世界同時不況が共に資産所得の経済学により克服されるとしていて、今後の民主党の、またオバマ政権の世界同時不況克服策の基本となると主張し、その基本は東大時代の玉野井芳夫教授の説と、一橋伝統である金融経済学の基本からきたもので、つけ刃の経済学とは違うとして、ケインズ理論、フリードマン理論、トービン理論の正統な継承者かつ実践者としてケインズも、フリードマンも、トービンも否定せず、かつその延長上で世界同時不況克服を目指すとする。
彼の世界同時不況克服策は理論が詳細で、実践的であるとされ、正統派の経済学者として彼の世界同時不況克服策によるしか世界同時不況克服策はないという意見もある。
大学時代から詩人でもある。山口節生公式ホームページを参照。
主な詩:南禅寺の近くで正座して精進料理を食べたときの感想の詩 たたみの香
正座するわれ 人の心 知らずして鳴く 南禅寺の セミ
モットーは、一人一人の心を聞くこととしている。
著書 [編集]
『平和のための新しい自由民主主義 田園都市政策宣言』(山口節生と田園都市政策研究協会のメンバー/編著 金華堂 1985年)
『政治と自由 自由と平等の調和を目指して』(日本経済研究所 1997年)
『現代の自由と民主 現代自由論と現代立憲民主政治の課題』第1巻(共同刊行/日本経済研究所
世界ワープロ出版 1998年)
「政治と法における自由及び正義の概念 ヘッフェの政治的正義論」(『日本大学大学院法学研究年報』第29号所収 日本大学大学院法学研究科 1999年)
親族 [編集]
山口快生 福岡女子大学文学部人文学系教授(教育心理学)、従兄弟
山口公生 元日本政策投資銀行副総裁、元損害保険料率算出機構副理事長、元大蔵省銀行局長、従兄弟
山口厚生 農林漁業金融公庫監事、元全国信用金庫協会専務理事、元国民金融公庫理事、元国税庁直税部長、元大蔵省理財局たばこ塩事業審議官、従兄弟
外部リンク [編集]
山口節生公式ホームページhttp://www.eva.hi-ho.ne.jp/yamaguchisetsuo/
山口節生のほーむぺーじ
これ以外に経済回復の道はないという論文/国民経済と資産デフレ論
山口節生日記と論文
この「山口節生」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト
人物伝)。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%AF%80%E7%94%9F"
より作成
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 日本の政治運動家 | 国政選挙立候補経験者
| 知事選挙立候補経験者 | 佐賀県出身の人物 | 1949年生
隠しカテゴリ: 人物関連のスタブ項目
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幼稚園児のための政治哲学
―両親が幼稚園児に話しかける政治の哲学―
日本大学法学研究科大学院博士後期課程 修了
山口節生
レバイアサン
政治は怪獣だよ。おそろしい、おそろしいものだよ。
きみが震え上がるような怪奇なものだよ。
しかしね、きみの心がよければ、こんなにすばらしいものはないんだよ。
あのすばらしい空のように、海のように、澄んだ清い心になってもらいたい、キリスト教には聖書というものがある、そこに怪獣レバイアサンというものが出てくるんだ。
龍のような形をした政治という怪獣が、原子爆弾というものをつくって、長崎と広島におちたんだよ。町全体が焦げたんだ。これは怪獣に政治が変わったときにおこったんだよ。
私のおかあさんの弟は、軍需工場で働きに行ってて原子爆弾で死んだんだよ。
このように政治は人を殺す道具にもなる。だから怪獣というよびながぴったりだね。
イスラム教には女性はベールをしなくてはならないという法律がある。社会がいろいろと違うので政治というものがあるんだ。しかし平和にはなりうるんだよ。
それが政治の夢なんだよ。
政治学
政治学というのは平和への夢を語り合う学問なんだ。
議会
すべての政治は話し合いということなんだよ。すべて話し合って決めようという仕組みが政治制度というんだよ。国会というのは国の会議だ、国際連盟というのは国と国との話し合いだ。
平等
平等というのは同じということなんだ。
ありさんと、ぞうさんは多くの同じ所をもっている。しかし大きさは違う。いってみれば相似ということだね。
人間と人間は同じだね。アメリカ人はいろいろな人種がいるが、どの人種でも同じ体だから医学は同じなんだよ。
自由
自由というのはね、人間にしか存在しないものなんだよ。
右と左
右側って何か知っているかい、右の方だね。
左側も、左の手を出した方が左だよ。
これを幼稚園生に教えることは難しいね。
一直線上に物の考え方を並べておくんだよ。その軸に
要するに物を中心に考えるのが左で、右は国や心を中心に考える。
この対立はフランスの革命といって、王様を廃止するときに使われた言葉で今は古くなってしまった。
1989年までは東西冷戦という戦争を世界中でやっていたんだ。
それから以降はこの対立軸は使われなくなった。
右が左を乱闘して、戦うという時代ではなくなったんだよ。
政治はね、兄弟姉妹と同じことなんだよ。世界中が兄弟姉妹になろうということだよ。しかしいろいろな兄弟姉妹がいるよね。兄弟姉妹が多い人もいれば、少ない人もいる、一人っ子もいる。君たちのお父さん、お母さんも同じだったんだよ。
国民主権
主権というのはね、誰が最も偉いかということなんだよ。つまり国民主権というのはね、国民が一番偉いということなんだよ。
人民主権というのは人民が一番偉いということなんだよ。
君主(おうさま)主権というのは君主(おうさま)が一番偉いということなんだよ。
立憲君主制というのは、国民の主権は維持しながらも、君主(おうさま)を政治の制度の中にうまく取り入れて、憲法というのをつくって政治をうごかす仕組みのことをいっているんだ。
イラクにて
イスラムも
線を引くべき
ではないが
イスラムに線を
引くべきではない
千の風は
永遠の平和を望み
線を引かない
壁をつくるのは
神も仏も信じない
唯物論と
唯セックス論の
国のみである
イスラムの
ベールを見て
クリントンに
大統領の椅子を
重ねて
千の風にいかがと
聞く
リンカーンの
記念堂の前の
リスに
オバマが
イスラムの
ベールを
脱がせているを
思い
ジョン・スチュアート・ミルの
千の風に
いかがかと
聞く
秦の始皇帝が
万里の
長城を
造営したは
ベルリンの壁か
カントの
永遠平和論は
神と仏を
表現していた
神と仏は
カントを
支持された。
以下の神と仏の
心は
永遠である。
オバマも
クリントンも
神の前に
ひざまずけば
人類の
未来が
見えるであろう。
時事的になるが
一般的に
興味を持たれる
一夫多妻について
ミルが
述べたように
述べたくないが
述べる必要があるようだ。
永遠への第一歩となれるか。
理想というなかれ。
理想は永遠である。
あなたが永遠に
なれるか。
経済的自由でありながら永遠不変であること、これは難しい。
クリントンでも
オバマ氏でもよい。
私がここに
本当に言いたかったのは
次のことである。
自由論のなかで、
ミルが
一夫多妻について
そのような自由は
ないといった。
自由への戦いは
認めよう。
しかし
自由の放棄が
自由であるのは
永遠への第一歩である
時のみである。
理想の上で
生きるときにのみ
カントは
自由であるといった。
これは
永遠平和論でも
理想というなかれ
といったのである。
仮に儲かるから
あることをなす。
これが仮言命法である。
マキャベリはイタリアのフィレンチェで
イタリアの統一のためには
チェーザレ・ボルディアの
残虐さも
必要である
と述べようとしたと
いわれている。
しかし
そういったことはないようだ。
カントは
それは定言による命法に従って
いないから
間違いだと
述べたのである。
仮言命法である
統一のためには
という命法は
人間の自由と
人間の永遠の理想
人間の永遠の平和
それを自己の法律と
定めて
それに従うことによってのみ
人間は
自由の放棄(法)が
自由となれるのである。
カントは
こういったのである。
すべては
経済は決まっていて
それに従うことに
よってのみ
生活するのではなく
永遠平和や
永遠に向かって
生活する、
理想を
作って
理想に
定言による
命法に従って
生活する
ことが大切である。
そうすれば
オバマ氏も
クリントンでも
永遠平和に
向かって
進めるであろう。
しかし
永遠平和の
理想のために
あることをなす
これは
どのようなことがあっても
なされるべきものであり
自らが作った
ねばならないという法のために
自らが
なすのであるから
それは
定言命法である。
理想というなかれ
定言による
命法は
常に
永遠に
守られなくてはならない
永遠の平和の法である
それを
守ることは
定言による命法である。
それによってのみ
自由の放棄が
自由となるのである。
つまり経済的自由のために
生活のために
一夫多妻を
認めることを
ミルが
何と
いったかを
思い起こすべきである。
そこにあるのは
経済的自由でありながら永遠不変であること
つまり定言による
命法に従って
自由の放棄が
自由になることである。
経済的自由論は
難しい。
なぜならば
生活のために
一夫多妻を
認めるためには
経済的自由と
価格と数量の関係について考える
必要があるからである。
そこにこそ
永遠の自由
永遠平和があるからである。
あなたが永遠に
残るためには
経済的自由などが
永遠の
理想として
必要である。
いいにくいが
一夫多妻を
アメリカ人が
認めることは
ない。
しかし
ここに
定言による
命法に従って
永遠に
近づくという
方法がある。
オバマ氏も、
クリントンでも
ここに
進むべきである。
国語、現代文、外国語、英語、社会では試験問題を設問の問題から先に読むべきか、一般的な例文を先に読むべきか。
デカルトの代数的な考え方からすれば、設問によって一般的な興味を先に持ってから、正しい真実はどこで言っているのか、そして不明な点は何かというように代数や、推理小説を解くように、まず確定したことを探し、次に未知数を探し、未知数を確定した事柄から導くように筋道を順序よく読み進めるべきである。先に自分の考えで、答えを予測しておくことも大切である。推理小説でこれは行われていることである。
常に難問が何であるのか、これが未知数といわれ、それを代数でエックスと置くことになる。
文化社会的には、次に仏教、道教、儒教とイスラム教、キリスト教ではどこがどう違うかということを覚えること。
いずれも古典古代からの(西暦610年からのイスラム教はやや新しいが)歴史を持っているが、基礎となった生活は現在の生活とは違っている。その点は割り引くべきである。
地理に詳しくなること。世界を旅してみることはよいことである。
世界が一つになるためには、世界共通語を作ったエスペルセンの思想が正しいが、今では難しいドイツ語も簡単にコンピューターによって翻訳できる時代である。大型コンピューターによれば正確に訳せるだろう。
さてオバマ、クリントン問題は難問である。
秦の始皇帝が
万里の
長城を
造営したは
ベルリンの壁か
始皇帝の
なきがらと
墓陵で
会えても
長城の
訳が聞けず
始皇帝と
焚書の
歴史
泣きながら
千の風が吹く
泣き止んだ
千の風にか
オリンピックの
ギリシャからの
風かと涙
涙すな
オバマとクリントンが
千の風吹かせ
ワシントンの
リスにも吹かせ
ワシントンDCでもオバマとクリントンの対決はオバマに決まりそうである。
永遠の平和をもたらすようにはっきりとオバマはいえるかだ。専制ではない、民主主義でもない、経済的自由を確保し、政治哲学が政治的自由と宗教的自由の上にあることを示すのだ。
悲観はするな。前進せよ。政治学は悲観の歴史であった。オバマは変えられるか。
Yes We Liberty Can
それを見届けるために共産主義国家におけるオリンポスのオリンピックの資本主義をみるために北京に不動産と、明清時代、秦の始皇帝の千の風残したのをみるために2万5000円でいけるというので北京に16日から19日まで不動産の仕事ついでに行ってきます。多くの写真を期待してください。
千の風が石油資本も土地も建物も無にして自由をみて、天安門と一人っ子の方々をどういうように導くのか。華僑の諺はすべて結婚と、葬式を大切にする。千の風は世界共通である。
中国にいた中国語を話す黒人と話をした。オバマを知っていた。オバマ、黒人が大統領になったとき、中国にいた黒人が本当に働く能力を身につけられるのか。
経済的にはシンセン、広州、香港、北京に工場が移っている。技術は英国の産業革命時代から蒸気、電気、原子力と変転はあっても変わりはない。先に回った香港、シンセン、広州、長沙、武漢に続いて北京、天津を回ってよく分かった。
中国語を話す中国の黒人がオバマを知っていた。中国人は知らなかった。
安い労働力による世界の工場として爆発的に発展している。日本では10億の評価の建物が数多く建っている。賃料を払える人はいないだろうに。150万元だという。払えるはずがない。ということは所得倍増が行なわれるだろう。世界の工場が次にはバングラデッシュ等に移るだろう。日本の工場は少なくなり、工業地は中国製品の流通業務施設になりコンピューター化され流通れていくだろう。それでも儲からないわけではない。流通業者は、しかし工場は中国にとられた。ワシントンはこの事態をどうするのか、日本がどうするのか、EUがどうするのか、台湾がどうするのか。
すべて万里の長城の、天壇公園の、故宮の秦の始皇帝の、明、清の皇帝が定陵墓から千の風にて土地と資産をどのようにみているのかにかかっている。共産主義国家においては土地は国有物である、物も国有物である。多くの建物が将来の収入見込みなく建てられている。かつての東ベルリンの建物に似て整然とはしている。華僑の力によって、石油資本によって、その他の資本が中華人民共和国をオリンポスの神々がどのようにしようというのだろうか。秦の始皇帝の千の風に聞くしか方法はないと思った。
千の風
共産主義国家に
宗教なくも
導くは
秦の始皇帝
匈奴に
備えるために
農民を
かりだしての
万里の長城
宗教なくし
オリンピックの
鳥の巣は
赤字を
残さねばよし
私はすべての政治学の本に目を通している。
古典から現在までの本の中で国家と、自由と、政治と法について選んで論ずる。
レオシュトラウスはブッシュ政権の専制に対する攻撃の基本路線をつくった。クセノフォンのヒエロに関する考察である。しかしそれは単純に独裁者は民衆の支持を得ていないから恐怖があるといったのみである。馬術に関する考察もただ勇敢さを養うという程度のものである。新教徒の神が唯物論に負けるという程度の理屈に等しい。それではオバマとクリントンの対決は東西冷戦後を救いうるとすればそれはバーリンの一人っ子の干渉されない自由のみでは人類を救い得ないであろう。
やはり経済的自由と経済的機会が経済先決的主張に優先することの主張が必要である。
米南部ジョージア州で、バラク・オバマ上院議員(46)が、ヒラリー・クリントン上院議員(60)を下し、勝利した。イラクにも本当の平和と自由が来る。新しい時代が来るがそれは経済的自由と経済的機会が経済先決的主張にはじめて論理的に勝利したということだ。カリフォルニアでプロフェッサーと呼ばれたあのカリフォルニアではクリントン女史が勝った。これは大きい。都会の政治と田舎の政治という内田教授の説とは逆のことが起こっている。このホームページが戦後生まれには鍵だ。自由といえるかだ。レオシュトラウスもいない、誰も目ぼしい政治学者がいない、誰が歴史に残る演説を書くのか。それが問題だ。人類が生きるか死ぬかを、決めるような演説を。確かに環境問題も生きるか死ぬかである、しかしゴアを選ばなかった。黒人であったから、女性であったから選んだ。何故か、それは左か右かではないということだ。東西冷戦後を反映した政治哲学が必要なのだ。それは世界中でこのホームページにのみ書いてある。それを述べなくてはならない。述べきれるか。一ネクサスで。誰が何なのか、ということだ。女性の、黒人の平等な経済的自由を確保するという主張があるならばその時代に経済的自由と経済的機会が経済先決的主張よりも優先するという理論があったであろう。しかしそれがこれまでどこにもなかったのに人々がそれを選んだ理由は何かである。
白メガネのおしゃれな山口新東京都知事誕生
政治学者として独占禁止法にいう経済的自由、政治的自由、憲法上の自由、自由意志論、自由の生物学的意味にも言及する。憲法上の自由には宗教の自由、信教の自由も含まれる。この自由こそはすべての自由に優先する。それは学問の自由よりも上にあるのかもしれない。(ルーテル教会で学んだ)キリスト教学徒である。当然に日本人だから仏教と東洋的禅宗と茶道の哲学に興味を持つ。
人間は政治的自由と共に、経済的自由を有する。経済的自由はいうまでもなく最低限度の生活の自由と結びついている。憲法上の政治的自由と、経済憲法上の経済的自由は両者ともに人間の基本的自由から来ている。強制加入に近い団体においては、思想信条の自由、宗教の自由、学問の自由は守られなくてはならない。それが国家機関でない場合であっても思想信条の自由は、また学問の自由は守られなくてはならない。民間の機関であっても、民間の事業者団体であっても、公共事業からの受注が多い場合においては強制加入に近い、国家と同様の性質を有するといえるのであるから、伊従寛が言った信条が違うものは強制加入に近い事業者団体に入会させなくてよい(テープがある、本人に確認してもらいたい。)という判決、考え方は当てはまらない。
人間は原始ロビンソンクルーソーの樣であった。そこには自然な鎖以外には社会的な鎖は存在していなかった。これはマルクスも、その敵対者であったアダムスミスも同様であった。そこに人間の自然としての自然的自由、政治的自由、経済的自由、自由意志があった。政府が強制加入団体であるのは政治的自由とともに、経済的自由、自然的自由を共に護るからであって、それをうちこわすための政府はアメリカの独立宣言が宣言し、リンカーンがそれに続いた通りに政府ではあり得ない。そこに強制性は存在し得ないのである。
これが真であるならば、その対偶も真である。このことは逆も正しく、従って同値の関係にある。
大統領候補者に一言伝えたい。この伝えはブッシュ氏にも。
米南部ジョージア州で、バラク・オバマ上院議員(46)が、ヒラリー・クリントン上院議員(60)を下し、勝利した。
このホームページは世界から見られている。平和と千の風が必要なのは絶対的である。しかしアメリカで今問題となっているのはその上での更なる問題である。大統領候補者は大統領の教会の写真を見て、ブッシュ氏が帰依したのと同様に、キリストの自由に気がつくべきである。彼らはこのホームページより千の風でも、平和でもなく、経済的自由が感じ取られるべきである。
ベニスの商人も、マーキュリー神というギリシャの商業の守護神も、すべて保守主義から生じたものである。所有権の自由を主張している。
それはミルの自由論も同様である。
ミルはグリーンのように労働者に対する思いやりを持ってはいたが、本質は所有権の自由を主張していたという点では保守主義者であったと考える。彼が功利主義的な経済を考えていたことからもそれは立証できる。グリーンのように労働者に対する思いやりを思いやりのある保守主義によって主張することはイギリスのウェッブ夫妻以来の伝統であった。しかしオバマも、黒人のために、クリントンは、女性のために、そしてエドワーズは白人労働者のためにイーガリタリアニズム以来の何かに揺り動かされた人間の本能的な自由によって支持されているのである。その支持者に何を与えるのか。キング牧師の夢から、ケネディーの公民権からそれ以上の何かを人類は要求しているのである。さてそれはミルの政治的自由から、それが唯物論による決定論ではなくて、東西冷戦後を反映しきれるための経済的自由に一歩踏み込む必要がある。それは世界100国以上に広まった経済法である経済的自由に踏み込む必要がある。黒人であっても、労働者であっても、女性であっても大統領になれるという政治的自由よりも、経済的自由を全世界の人間は望んでいるのである。働く機会の確保、完全雇用、更には入札に均等に参加する自由を、つまり経済的自由を望んでいるのである。
(私が自由論において考え出した当時の論文から引用されたと私は思っているが)ブッシュ氏が思いやりのある自由、保守主義を考案したのと同様に、今必要なのは経済先決的主張から経済的自由を尊重する社会を目指すことが必要であろう。クリントンとオバマとエドワーズが共に一緒になって、黒人と女性と労働者の経済的自由を主張する必要があろう。
黒人であってもかの女性司会者のように大金持ちになることができるというアメリカンドリームはフロンテアがあった時代のものである。日本が、中国が生れた後でそれを信じ込ませられるほど世界経済はアメリカ依存ではない。アメリカンドリームはアメリカではデモクラシーの基礎であったが、今はアメリカのシャーマン法とクレイトン法のような経済的自由を擁護するその伝統こそはアメリカをアメリカたらしめているのである。移民の問題も、アメリカ経済の問題もすべてミルの伝統からきてはいる、しかしアメリカをアメリカたらしめているそのアメリカンドリームはその経済的自由を護る正義の観念から発生したものである。
大統領候補者はその点のみに力点を置いて経済的自由について論ずべきである。みな世界中の人が富裕になろうと望んでいる。中国の人々も、日本の人々も、このホームページより千の風でも平和を願っているすべての人も。ギリシャの、ローマの、ストックホルムの、バルセロナの人もすべてが。私はそれを見てきた。特にイラクの人々も。これはすべての世界の人々の願いであり、キリストの願いでもあったのである。
SINCERELY YOURS
のみは英語で、日本語では中国の漢字で
敬具
SINCERELY YOURS
人生においても有効なものが物であるのか、女性であることか、労働者であることか、知識人が自由であることなのか、そのどれであるのかは人生の最後においてベイズの理論的に統計的に原因を分析する必要があるが、しかしその大前提として経済的自由を確保しておき、宗教的自由、政治的自由と共に確保しておく必要があるのである。その結果としての事後的な結果から事前的なライクリーフッドの傾向を修正できるという絶対的な神の自由が必要なのである。
統御する科学、これが政治学であるとする考え方をとる。
政治学は、実践の科学でもあり、かつ、道徳倫理の科学でもある。核爆弾を平和裡に使用するようにする、そのためには核工学をも支配している科学である。飛行機工学をするものも政治学はマスターとして知っていなくてはならない。マスターは物ではなく、永遠普遍の真理であり、善であり、徳であり、自由そのものでなくてはならない。
マネッジメントの学である経営学も、私有の部分のそのような学問である。私有の部分のみのマスターは私有者である。しかしマスター・サイエンスは公共物すべて、私有物すべてそして永遠・普遍のすべての学問である。
確かに山川雄巳氏が政治を定義するときに、調整を最初に持ってくるようにそのような機能もある。しかし蝋山氏の政治学が政治学の最も優先するものを個別の国家を持ってくるように、国家というものも機能を持っている。
政治学が政治学の根本として個人と統合を持ってきて、そのための最高の武力、たとえば今では核爆弾、種子島やポルトガルの鉄砲、それまでの刀などを管理すること、そして最高の権力を持ってくること、ホッブス流の保守主義を持ってくることも、また逆に左の陣営が政治学の根本テーマとして所有権の平等を持ってくることも可能である。しかし政治学の根本はマキャベリはイタリアのフィレンチェで何を考えたのかという問題から始まったのである。
ステートあるいはポリスがオイコスの上にあること、そしてそれが永遠の普遍性を持つこと、永遠不変であること、これによって政治学がマスター・サイエンスとして人間そのものを引っ張っていくべきであるということが生まれるのである。
緑の党や環境政策が右か、左かそれはどちらでもないというべきである。それは政治学のマスター・サイエンスとして人間そのものに迫ってくるものである。
黒人であるから大統領になるのではない、女性であるから大統領になるのではない、労働者であるから大統領になるのではない、人間のマスター・サイエンスとして人間そのものに迫ってくるものがあるから大統領になるのである。
「1958年、モートン・ホワイトは、バーリンにジョン・ロールズと一緒に自由主義についてセミナーをしてもらおうとハーバードに招待した。もしバーリンがこれに応じていたら、彼はこの議論をいやでも前進せざるをえないことになっていただろう。彼はホワイトの招きに応じなかった」ことによってどれ程の社会正義が要求されるのかについての議論が進展しなかった。バーリンはなぜ自由は他のすべての政治的な価値よりも優先度が高くなくてはならないのか説明しなかった。特に彼が干渉されない自由を消極的自由と呼び、優先度が高いとしたのかを。
バーリンの説は最後の自由論であった。その後のハイエクやフリードマンは経済が確実に成長するための経済的自由を論じていくことになる。この間をつなぐものがない。
そこに「経済的自由と経済的機会が経済先決的主張よりも優先度が高いという論理」が必要になっているのである。つまりはバーリンは一人っ子であったが故に経済的自由を確保するという論理にミルから一歩踏み出してしまっていたのである。20世紀の政治思想はこの点でバーリンが作り、21世紀の東西冷戦後を反映した理論に引き継がれなくてはならなかったのである。
そこにこそ経済的自由と経済的機会が経済先決的主張よりも大切であるという理論に到達する根拠があったのである。そこにバーリンがインドの皇帝の自由と、インドの貧民の自由とについて語り尽くしきれなかった何かがあったのであろう。ロールズは踏み込もうとしたのに、バーリンが平等をただ一人が一人として勘定されることとしか定義できなかった理由があるのではなかろうか。確かに機会があったからといって、結果として金持ちになれないような貧乏なインド人がいたことも確かであろう。しかし結果から見たらその程度ライクリーフッドの傾向を修正できるという自由な選択にまかせざるをえないという神の選択、ベイズ統計的、ベイズ的原因決定論に委ねるべきなのが、人間の自由という本性なのである。そこには日本の禅的な、茶道的な、東洋的な自由をも含んだ何かが必要だったのである。そうではないと、ユダヤ人であったバーリンがホロコーストを防止しようという倫理を差し出し得ずに、その論理から逃れようとしたような記述に説明がつかないのである。
一気にバーリンの伝記を読ませてもらって、各重要なページにノートメモを添付させてもらった。アイザイア・バーリン
ISAIAH:A LIFE OF ISAIAH BERLINマイケル・イグナティエフ [著] ; 石塚雅彦,
藤田雄二訳 -- みすず書房, 2004.6, vi, 335, 52p, 図版[14]p. <BA6754533X>
オールバニー
リガ-一九〇九‐一五年
ペトログラード-一九一六‐二〇年
ロンドン-一九二一‐二八年
オックスフォード-一九二八‐三二年
オール・ソウルズ
同信の友-一九三四‐四〇年
アイザイアの戦争(ニューヨーク、一九四〇‐四一年;ワシントン、一九四二‐四五年)
モスクワ-一九四五年
レニングラード-一九四五年
部族-一九四六‐四八年
冷戦-一九四九‐五三年
遅い目覚め
名声-一九五七‐六三年
追いつめられた自由主義者-一九六三‐七一年
ウルフソン-一九六六‐七五年
回顧-一九七五‐九七年
終章
バーリンはユダヤ人であった。ところが「バーリンは後になって、ポグロム(ユダヤ人虐殺)についての民間の記憶や強制収容所について戦前に分かっていたことだけでは、想像できる範囲には限界があったと主張した。」P.134
この問題に言及するためには心理学的な自民族優位論や、ヒットラーのホロコーストを奨励する行為の裏に潜む兄弟が多かったものの心情の解析が必要である。但し兄弟が多くてもそうならない場合があるので、結果からのライクリーフッドの傾向を修正できるという自由な選択による心情の問題である。
レオシュトラウスはブッシュ政権の新保守主義の理論的支柱となったが、彼もユダヤ人であったが、バーリンが干渉されない消極的自由を最上の政治的な価値を有するとする自由論を主張したのに対して、レオシュトラウスはブッシュ政権の考えたような思いやりのある保守主義という思想に落ち着いた。それは所有権を得ることによって交換活動を行ってきたことは思いやりのある保守主義と同じことだ、それは社会奉仕活動を伴うからだということと同じことだ。つまり同値の関係にある。一方権威主義的性格については権威主義に関するカリフォルニア・バークレー校の発表の通りに政治学の中で心理学的に分析されている。確かに偏見を兄弟が多いことによって持ちやすいというライクリーフッドの傾向を修正できるかも知れないが持ちやすいことは真実の傾向であろう。しかしそれが権威主義的性格としてどの程度に現実的な影響を与えているかの分析はベイズ的原因決定論によるベイズ統計学を発展させることによって進展させることができる。
大統領候補者はこの点についても考察を進めるべきである。二度と再びホロコーストを奨励することのないように、また永遠の平和をもたらすように。
宗教的自由によって宗教的対立を解消することは可能である。この考え方は国立国会図書館と埼玉県立図書館に納めた論文を起点とする。本能と自由の問題である。
神の存在を偶像に求めるのではなくて、人間に与えられた永遠に大きな脳のニューロンの数に原因を求めて、それが希望であり、将来の見取り図であれ、永遠の平和をもたらすように永遠の社会を求めるその姿こそ高貴なのであって、神とは人間がソフトウェアーを書き換えられるやり直しの効く存在であることに求めるならば、すべての戦争の問題も、ホロコーストを防止しようという倫理の問題も、永遠の言葉、永遠の平和をもたらすようにするための宗教という問題も、宗教的自由の問題も、ギリシャの12神と七福神を結びつける問題も、そして商売の安全と、振興を求めるマーキュリーの神の商業の守護神の姿が同様に七福神のうち恵比寿様の商業を守護する姿とを結びつけることができるかという問題も、農業の五穀豊穣の神がギリシャと日本で相互に通じ合って両方の幸福を願いうるという人間の本性である自由の問題としてとらえることができ、それが千の風にて大昔の土着の信仰、この時代にはまだ宗教とは意識されずなくなった者の死後を願う心としてとらえられていた時代ともつながるのである。
バーリンがユダヤ人としてシオニズムに傾いていたこと、そしてそのイスラエルの建国へ向けて働いたその功績、これは称賛に値する。所有権が不幸をもたらしたというルソーでさえ、おそらくは千の風にて土地を持たなかった故にホロコーストの被害に遭った千の風を何億と残したユダヤ人が土地を国家として持つこと、それが共有というキブツの形態であろうと、私有の形態であろうと、それに反対して、それが不幸をもたらすとは現実を見ればいわないであろう。
バーリンがいうように所有権を得ることによって交換活動を行ってきたことは悪いことではない。シャーマン法とクレイトン法が護るような消極的自由を伴った商業の守護神が守られている社会こそ健全なのである。
イラクに早期に平和が訪れますように、アーメン。
世界遺産の
厳島神道
神社と
西洋の源アテネとを
つなぐ何かが
倫理学で
アリストテレスが
原爆を
人道上の法で
つなげば千の風
世界への
メッセージは
自然法で
人道上の
法の上の法
世界への
メッセージは
千の風
20万人が
一緒になりて
20万人の
願いは
世界最初の原爆が
世界遺産に
なることにして
我が母の
弟が長崎医大の
学生で
原爆に会い
なくなりし
長崎に
原爆の日に
行ってなければと
悔やむなかれ
倫理学できた
千の風
原爆と
ホロコーストの
原理をも
つくりうる自由
三位一体で
自由に神は
原爆も
ホロコーストも
千の風になり
東京大学法学部に合格していたら、おそらく法学を勉強して、今頃は政治学博士後期満期退学して政治学者になっていたであろう。当時は政治学は困難を究めていた。個人の本源的自由という考えから発生した自由社会という概念は存在しなかったからである。だが戦後は、特に東西冷戦後はそのような東京大学法学部も変わらざるを得なくなっているといえるのである。
しかし大学受験で不合格になったおかげで、政治学者にならずに政治経済学者になってしまった。
一橋の経済学、商学はケンブリッジや、エール大学の経済学部に似て実学的である。従ってそれがまた私に幸いした。ミルが研究対象を政治的自由という自由に限定したのとは対照的に私は経済学的自由、経済的自由にも研究の対象を拡大できたし、更に有賀弘氏に師事したおかげで宗教的自由や、心理学的自由にも研究の対象を拡大できた。感謝するばかりである。
今後毎日ここに写真を公開していくことにする。眠ったままでもいけないので。
謹賀新年。
皆様のご多幸とご健康とをお祈り申し上げます。
正月はディズニーのカウントダウンから、世界の三大珍味トリフ(確かにおいしい。西洋人の気持ちが分かった。)、フォアグラ(とりレバーの少しとろりとしたものだった)、キャビア(確かにおいしい。西洋人の気持ちが分かった。)のついたフルコースを食べて、のだめカンタビーレのwiiで指揮をとって、演奏して遊びました。更に二日には朝8時半から並んで新春の一般参賀に行ってきました。ビデオでとったので天皇や雅子様の顔がここに載せられるJPEGにできるかは疑問ですが。
民主党のクリントンとオバマの戦いはどうなるのでしょうか。心配です。歴史がどちらであっても変わるのに、本当に政治の哲学を用意しているとは思えませんが。フランス革命の省察からすべてを読む時間を法学博士後期で与えてくれた、そしてそれにゆっくりついていく私を与えてくれた天に感謝。
さてワシントンは面白かった。
大統領選挙は、オバマの当選確実が出た。私がワシントンに行った丁度その日12月8日(9日)に4500万人が観ていてとても頭が切れるという黒人女性のニュースキャスター、オプラ・ウィンフリーが歴史的な応援演説をした。全部を見せてもらった。その中に平和が勝つオーバーカムという言葉がはいっていた。これはパクラレタと思った。思いやりのある保守主義と同じことだ。すべて自由論から来ている。
オバマはイラク戦争はやめるというが、ヒラリーは賛成したという経歴を持つ。世界に通ずる大統領選挙だ、問題はこの点だろう。ベトナムの時と同じになるかもしれない。ヒラリーよ。
黒人初の大統領になるのか。女性初の大統領になるのか。
インド人やヒスパニックは生活できないといっていた。これらがどうでるかだろう。
エドワーズはAFL-CIOの系列の言葉だけでは行けない。イラク戦争もなくすことができるかだ。
このホームページより千の風でもパクレタラ勝つだろう。
「ニューハンプシャー州南部 4日夜、南部ミルフォードで民主党の集会が開かれ、約3500人が参加した。クリントン氏の支持を訴えるグループには中高年齢者が目立ち、オバマ氏の支持者は20〜40代が中心だった。演台に立ったクリントン氏がセールスポイントの政治経験を訴えるため「就任日からバリバリ働ける大統領候補は誰?」と問いかけると、若者グループからすかさず「オバマ!」と叫ばれる場面も。その一人で大学2年のデビッド・ヘンリケスさん(20)は、1年前からオバマ陣営のボランティアを務め、「2200人の学生組織を作りあげた」という。オバマ氏の若者組織はニューハンプシャーにも確実に広がっている。(毎日新聞 2008年1月6日 東京朝刊)」
イギリスのエリザベス、アメリカのヒラリー・クリントン、日本の雅子妃、歴史的にはフランスやロシアの王政の打破の悲惨さの回避、そしてオバマ氏、それらを東西冷戦後は東西冷戦の終結と、文明の衝突がイラク戦争の原因でありそれを回避する理論(宗教的、経済的自由も永遠不変であるとする自由論の再構築)の必要性、東西の文明の衝突の理論の回避として永遠不変への、永遠の平和への動きとして理解するにはこのホームページで理論武装するしかオバマ、ヒラリー、エドワーズはないだろう。面白い時代になった。しかし安倍晋三氏のようにならないように学習に次ぐ、学習が必要さ。健闘を祈る。特にマスコミ諸君も。自由とは何か、自由から何が生まれるか、それを真剣に考えることだ。
南禅寺、京都、小豆島、皇居、平安神宮、広島、これらをつなぐのはこの歌集以外には存在しない。それはイラク戦争もなくすことができるかも同様である。軍隊を持つことではない。イラクに行ってきます。実際の経済と地理と不動産を観てきたいから。バクダッドの水に触れてここに載せます。
英仏の
戦争ならぬ
イラク戦争ならば
私が
経済地理を
自分の目で
観てくるしか
このイラク戦争もなくすことができる人は
いないと思う。
観てくるものが違う。
実際と違うことが理由なら
である。実際と違うことが理由なら
ありがたくない戦争である。
東西冷戦後を反映しきれるであろうか、
それが問題だ。
物質的な先決的な貧しさと、
性欲先決定論は方向性しか示していないのであって(ライクリーフッド傾向)、
結果からのベイズ的な確率の問題は数的に証明できるのだ、
それ故に物は少し、性は少ししか影響していない。
オバマも、ヒラリーも共にゼンダーは性ではない、
役割だ。
それ故に政治経済学においては政治的自由とともに、政治的自由及び経済活動と経済的自由と宗教的自由が必要だといえばよい。
そういえばまだヒラリーも負けたわけではない。
黒人の苦しさからいえばオバマを応援したいが、女性の虐げられた地位からすれば
イラク問題も女性問題でもあるのだ。
歴史的にいえばどちらも解決すべき課題である。
東西冷戦後を反映しきれるであろうかは
この両方、肌の色と、女性がベイズ的にあまり大きな確定的要因ではない
ということだ。だからここにかつての東ドイツの空港のクリスマスを
載せる。
よくわからないが、ヒラリーがニューハンプシャーでは勝った。しかし安倍政権にならないとは断言できない。自分の目で、自分の言葉で語っていないからだ。さーどうする。政治学よ。農村部の政治学であれ、つまりイリノイや佐賀であれ、都市部の政治学であれ、東京や埼玉であれ、ニューハンプシャーであれ、人間の自由な本質は変わりないからだ。所有権の広さや、農業に利用する度合いは変わるが、地デジの時代、wiiでフィットの時代には両方同じ面が多いからだ。傾向的に。
さいたま市浦和区高砂1-2-1エイペックスタワー1202にて
たたみの香
正座するわれ
人の心
知らずして鳴く
南禅寺の
セミ
I doing Zazen in the fragrance of Tatami
hear many buzzing of cicadas
but cicadas in Nan zen temple
cannot understand the inner man.
千の風
南禅寺の
セミに吹き
荒れに荒れにし
後に静寂
広島の
G−GARDENで
にしんそば
食べて元気に
原爆忘れ
にしんそば
広島でたべし
理由は千の風
吹かせずば
いてもたってもいられず
広島駅中
お好み焼きの
おいしさに
原爆のこと
千の風にし
にしんが
南禅寺の虫のように
我が心
知らずして
千の風吹かせ
北海の
にしんかなもし
と尋ねても
生産地など
知らぬと答え
そばはもし
千の風にて
四国からかと
聞くも知らぬと
若き店員
北海の
荒波の中の
にしんも
広島で
原爆の
千の風聞くやも
黒い雨
降りたりしと聞く
広島で
千の風聞く
重み耐えきれず
お遍路さん
88回
千の風
聞くためかただ
黙々と聞く
5番の
地蔵寺にて
88カ所回る
夫婦に誰の
千の風かと聞き
坂下門と宮内庁
平和が
第9条なくして
なくなれば
フランス、ロシア
悲劇が日本に
天皇は
千の風にて
千代に八千代に
聖徳太子の和を
伝えて平和
アメリカを
造りたるかな
ワシントン
自由の神が
千の風にて
さびれたる
東ベルリンの
空港にも
キリストのクリスマス
千の風聞く
東ベルリンにも
宗教の自由
復活し
クリスマス
ジングルベルが
ニューヨーク
体育中心
ならぬ金融中心の
サラリーマン姿
見て丸の内時代の我
思い出し
イツクシマ
シントウシュライン
世界遺産
指定の理由は
千の風神道に吹くか
アクロポリスの
丘の下
劇場があり
神々の
千の風今にも
アテネから
イギリスに
千の風にひたりて
ふと見れば
エーゲ海岸線見ゆる
アテナイの
エーゲの海には
日本へと
つなげる水に
触れることなし
紺碧という
エーゲの海に
触れたれば
原子爆でさえアリストテレスが哲学し
千の風でつなぐか
アリストテレスが
もし原爆を
書き残す
とすれば
ニコマコス倫理学か
アテナイの
ソクラテス
今に猶
千の風残し
キリストと共に
アテネから
イギリスに
飛び立ち
見ればアルプスの
山村千の風
ギリシャ文字
ヨーロッパすべての
源流で
ABCも
千の風の文字も
神々が
ギリシャにも
千の風
起源の伝説が
変わりたるのかも
ギリシャ文字
ところどころ
ABCに
変えてくれ
日本人のため
ギリシャの
家々の神々も
元はといえば
千の風にて
あるらしき
ギリシャの
地下鉄の駅に
古代の壺あり
千の風にて
今にもプラトンが
宮島は
神の国にて
あればなお
平氏滅びても
政治を超えて
オリーブの
酢漬け
小豆島の海水
エーゲの海に
千の風送り
小豆島
24の瞳の
あった島
千の風残し
戦争の夢の跡
生徒なら
生きて帰りて
涙流すな
といい慰めて
千風ととも
生きており
風の子日々
かつての元気
見せてくれ千の
風の子になり
悲しさをも
涙すなという
千の風
24の瞳
風と共に
教師には
生徒こそ元気でさえ
あればうれし
千の風にても
生きて帰るも
戦後にて
24の瞳に
再会す
教師冥利
千風になりても
原爆に
会った広島の
城は見事
復元し今に
平和を伝えて
近くにあった
小学校の
門の残骸
無残かな原爆
ドームより
原爆が
20万人を
一瞬に
消して千の風
吹かせて今に
20万の
千風一瞬
様々に
同じく天へ
ユダヤにも吹け
1120mの
天上から
被爆した木は
人の心なく
千の風なしや
被爆の
樹木にありと
セミがいた
人の心知らずも
千の風にて
千の風が
南禅寺の
セミ運びしか
広島の城
被爆樹木に
近くにあるや
平安神宮と
南禅寺
千風なくば
遠くにあり
一万円札の
雌雄の鳳凰
風を司る神々
自由を持てば
千風吹かせられる
自由は
平等院の
心にて
皆平等に
自由にならん
宇治にて
茶をのみ
茶畑に
千利休の
千の風聞く
平等は
自由のこと
自由故
平等なり
平等院に力あり
宇治川に
紫式部
像になり
故光源氏が
千の風伝え
四国には
建礼門院の
墓と寺
ありて今に
源平の千の風
ベトナム戦争の時の墓に、息子のためか写真が飾られていた2007年12月12日。19歳と書いてある。
Vietnam Casualties Pictures Memorial Day 1969-
... 18,
PFC David A. Hargens, 19.
LCPL Matthew J. Baurle, 20,
PFC John L. Rosemond, 21,
LCPL Richard F. ...
ベトナム戦争の死傷者CASUALTY.
19,20歳が多い。
無名の少年の名前がインターネットで今日本から検索できた。
私の母の弟で長崎の原爆でなくなった長崎医大の学生も
これくらいであっただろう。
この現実をオバマとクリントンの対決は東西冷戦後を
本当に解決できるであろうか。
一瞬で検索できた。日本でもこれくらいの配慮がほしい。
ベトナム戦争の死傷者CASUALTY.
19,20歳が多い。
独占禁止法にいう経済的自由についての討議
独占禁止法にいう経済的自由についての討議
夜明けのミュージアム一般参賀の後で、騎馬隊の馬の鼻をなでさせてくれた。
旧枢密院。後ろは皇居警察。
フランス人親子、その後男親も入れて撮影してやった。日本には天皇制が残ってよかった。憲法9条のおかげだ。千の風なき、唯物論による決定論では、日本は世界とはつながっていかない。かの自国には帝政がなくなって久しい。かってのことが断絶しているその悲しさや、同情に余りあるなり。
ロシア人観光客 かの自国には帝政がなくなって久しい。かってのことが断絶しているその悲しさや、同情に余りあるなり。
トリフ、フォアグラがヒラメの上に。
以下の新体和歌は一日一首ですべてを記憶して、町中で言えるようにして永遠平和が世界中において勝てるようにしましょう。
行動予定カレンダー付:一日、一首記憶用メモ付
のカレンダー付行動予定手帳を発行します。
東西冷戦後のイデオロギーを超えての正しい選択は物と心のどちらの原因が確率的に多かったのかを事後的に吟味しながら、実務的に法と政治と行政は進むべきであるとすべてを言った。東西冷戦の違いを世界で私のみが乗り越えたのである。これは一つ一つを積み重ねながら、3歳から53年間も勉強を大器晩成で行ってきたからなし得たのである。だからもう東京都知事に当選したものとしての心を持って突き進むことにする。かつての共産主義国家であるソ連におけるように、ある人が貧しいから公的に給付をしてくれと言った場合に、その人の貧しい原因の確定において物と心のどちらに重点を置くのか。唯物論と唯心論とによる単線的決定論が通用しない時代になってからもう相当年経った東西冷戦後の現在、また福田時代の現代はどうなるのでしょうか。
経済が資産と所得の貯蓄された部分である資産と、所得の経済との合計であることが分かった今、資産の経済価値、資産の経済的解釈が今後の政治経済の中心課題になるのでしょう。
歴史は終わった。これから永遠への長い歴史の新しい始まりはこのホームページの中から見いだせるでしょう。
人間に神が与えたものは、自由に形成することのできる神に等しい部分と、それに反して固定された一億分の一の本能とである。本能には物欲と性の本能がある。これは生物学的な物理的な真実である。これからすべての理論は出発しなければならない。
これを元にしてある理論が東西冷戦後を反映しきれるであろうかは、東西冷戦後にはある人が結果として人生の最後に貧乏なときに、その原因が生れたときの貧乏さと、結婚が悪かったという性の問題との二つの有限なものによるものがどのくらいの割合によっているのか、事後的に決定すべきであって、事前による絶対的な決定論あるいは絶対的窮乏化仮説は間違っているということが主張されるかどうかによっているというべきである。これは家族の関係によってどのような性格になるのかも同様であって、結果としての性格がどのような理由によってそうなったのか、家族の関係が何%であったのか、貧乏であったからか(唯物論によれば物が100%)、性によってそうなったのか(性がすべてを決めるという論では100%)、それらをベイズの定理によって客観的に因果関係がどの程度のものであるのかについて、社会の状況に応じて決定していくべきである。
東西冷戦後の政治哲学は以上のようであるべきであるが、宗教的自由については更に次のように考えるべきである。
永遠の平和のためである。
.
自由というもの、無というものはすべての人に平等である。個人個人がキリストの自由に自らペルセで近づこうとする考え方と、家族的な愛をも重要であるとしてキリストの近づこうとするのか、仏教のように更に偶像崇拝も認めるのか、マホメットのように夫婦の愛の仲に隷属的なものを認めるのか、そのような違いから宗教戦争を起こすことは、宗教が自由な無を永遠のものにつまりゼロ分の一を無限大として認識していくよりどころであるという観点から大きく哲学していけば、今のすべての戦争はなくすことができる。イラク戦争もなくすことができる。自由とそれ故の平等、更に家族愛を認める、更に郷土愛、更に夫婦愛を認めていく、それを宗教的自由によって認めていく必要がある。
メリークリスマス、ハッピーニューイアー、その他の神道すべてを認めていくには、この宗教的自由に関する哲学が必要である。
マルクス主義と,アダムスミス主義との対立の解消も、宗教的対立から来る戦争も、ただ経済先決論からきた対立であって、経済や性にこだわっていては対立の解消は困難である。ただ差別と偏見を生むのみである。どちらの自由の主張もすべて自由のよってたつ基礎科学の上に科学的に成り立っていることが理解されれば、すべて解消ができるのである。これこそはイラク戦争の最初の出発点であった自由への忠誠であったのであり、それ故にこそ戦争の終結も自由への忠誠によって、すなわち同じ言葉によって、戦争の始まりと終わりが墓碑銘に刻まれるべきである。それは自由が違った意味において理解されたということを意味するのである。
永遠平和は自由のこのような意味においてのみ達成されうる。
戦後生まれのわれわれがなすべき戦いは、月光仮面の歌のみではなく、このような永遠平和への自由のための戦いなのであって、イラク戦争の時に、また9・11テロへの戦争の時に叫ばれた自由のための戦争、血で血を洗う戦争ではない。
そのような意味で戦争を本当に哲学的にクリントンとオバマとわれわれの好きな雅子妃に期待しているのである。ただハーバードの状況を見るに、この哲学のように一生懸命に自由を研究した人間はいないようであり、今後の人類の将来を憂えるものである。
山口節生
ワシントンに平成19年12月8日から12日まで行ってきます。両者共に日本で一番有名な早稲田で圧力団体論の政治学者内田満、日大博士後期で宗教と政治論の政治学者有賀弘についた政治学者として政治学の研究のため及びホワイトハウスの隣のナショナルプレスクラブに10日に行くのでそのついでです。アメリカの経済と地理と不動産も知る為に多くの写真に撮ってきます。観光としてはスミソニアン博物館、国立自然史博物館、ホロコースト博物館、日本からのポトマックの桜などを予定。主に専門の政治学関係です。『フランス革命についての省察』(エドマンド・バーク)を読み感動した若き日を思い、トクビルが書いたアメリカの政治について内田満教授に習ったことが3年後の労作として私にも書けるまで見てこようと思う。
ホロコースト博物館とアーリントン墓地を国立で作っているアメリカのすごさには驚嘆するばかりであった。国会議事堂をみて日本との違いに驚いた。アメリカには日本の城がないのかと聞いたらウイリアムズバーグの邸宅以外にはないという。聞いた相手はノーフォークに住むバージニアの人であった。ホワイトハウスのクリスマスの飾り付けにはキリスト教国の思いを見た。カリフォルニアオレンジカウンティから来た60歳くらいの仲のよい夫婦はトルーマンとセオドア・ルーズベルトがパナマハットをしていたことを私が調べていたことに驚いたが、アメリカの人も知っていることに私も驚いた。
カリフォルニアでプロフェッサーと呼ばれたのに、ワシントンでも私に礼をする人に多く会ったのには驚いた。ユダヤ人風のアジア人に見えたのか。
心はアメリカ人だねと老夫婦の内の奥様の方がいった。何も答えなかった。アメリカでは金持ちに見えるらしい。
オバマとクリントンの対決は東西冷戦後を反映しきれるであろうか。それが世界の行く末として気になった。
アメリカという国は偉大だと思った。ベトナム戦死者の碑、第二次大戦のメモリアル、南北戦争の跡、リンカーンのメモリアル、国立自然史博物館、あのモアイ像、すべてなつかしくすばらしきアメリカであった。日本からのポトマックの桜の木も元気に育っていた。あんな自然で友好ができるならば、何千本贈ってもよい、本当の友好とはこのようなものだと思った。
老夫婦に「ルーテル教会がワシントンのあるのを発見して驚いたときに、ルーテルの奴隷意志はキリストの自由が本当の永遠の自由であったのだから、奴隷ではなく本当の自由だったのだろうね。」と聞いたときにアメリカの自由さに驚いた。
何千枚の写真を撮ってきたので、資産論と経済学の理論、政治論がトクビル以上のアメリカ論がかけた。
国会議事堂をみて、ここで世界の動きが決定されているのかと思い、また他のすべての官庁の写真を撮ってきたので、よいアメリカ論が書けた。
私は写真の中の芸術をギリシャ、ローマの芸術、日本の禅の心、中華街の体育中心の文字を文化の融合として見ている平和論から見ている政治学者である。 リンカーン、ホワイトハウスのクリスマスの飾り付け、ペンタゴンなど。すべての官庁の写真。AFL-CIOビル。
以下の写真はすべて私に著作権があります。最新の2007年12月8-12日の写真です。但し中国武漢やローマ、ギリシャ、バルセロナ、アイルランド、ベルリン、イギリス、フランス、ストックホルムなどは2006年の写真です。飛行機からの写真は資産を上から見るという効果を持っています。いわゆる昔の経済地理学の分野に属します。あと1万枚程の写真があります。出版します。
アーリントン墓地
ホロコースト博物館 この悪行を繰りかえさないためにと書いている、私のテーマだ
その答えはこの論文で示している。ベイズ統計からも正しいであろう。ホロコーストが本当に社会全体の意志としてなされた場合には許されるのか。許されない。それは次のような理由による。これが法の上にある法の概念である。
ベイズの定理による傾向とは各人の性格があった場合に、その原因は兄弟構成とか、両親の教育や兄弟構成による性格とかによるものとか、社会における貧乏さや、性のみと考える傾向やらによって決まっているであろう。原因となっている理由は様々であるはずである。その原因が事後的な結果に与えている確率はベイズの定理において社会的な確率として決定されるであろう。ホロコーストをしようという事後的な結果の原因がベイズの定理による確率によるのならば、そこで決められる原因においてホロコーストに到らないように努力した人がいるはずである。社会的な傾向が傾向的に50%以上の傾向でホロコーストをしようとする傾向を持っている社会において、そうしないように努力した人は報われないことになってしまう。多数決が絶対であるという人はこの正義への努力を認めないであろう。国がホロコーストをしようと決定したからといって、自由にホロコーストをしないように努力した正義が認められないならばラートブルッフのいう人道上の罪さえも認めないという結論に達してしまう。これが悪法は法ではないという結論を導く統計学的な方法である。ベイズの定理はそのような意味において未必の故意のような、ホロコーストを防止しようという努力をしないことを、つまり多数決にあらがうことをしないことを認めないミルの多数の横暴の理論の一つの心理学的な理由付けとなりうるのである。事後的な結果からみて、ホロコーストにいたるような経済的な、性的な環境にあった人でも到らないように努力する努力を認めて、そのような環境にあったとしても、たとえホロコーストにいたりそうな環境にあってもホロコーストを防止しようという意志によってホロコーストに到らなかった、性的な、あるいは、経済先決的な、経済先決とは勝田教授の命名であり、ここに先という漢字がはいっているところが哲学的にベイズ的であるが、動きから正義の観念によって逃れようとしたその努力に報いるということである。
例えば兄弟構成的には多人数の中で貧しくて育ったので、傾向的にはホロコーストを奨励する確率が高かったという統計的傾向にあった人でも、苦労して自由と正義を守らなくてはならないと考えた故に、物的先決論や、性欲が社会を決定しているという論理に到らずに、おそらくヒットラーの自民族の性的優位論は物的先決論と、性欲先決論が性欲という一瞬において結合したものであろうというベイズ的な統計学が発達するに従ってベイズ統計的に数字的に分析されるであろうが、それでもホロコーストにはいたらなかったその努力を、その正義への努力を刑法犯における未必の故意があったとして認める。それは正義と自由とを結びつけるときに多数決との概念との連携において必要となるのである。
ベイズ的にある結果としてホロコーストになる傾向について論じよう。半分以上の傾向があるということは、傾向があるということである。傾向とは多数がそうなるということであり、決をとれば必ず多数決でホロコーストを起こすことになる。ある状況においては人間社会はホロコーストを起こす傾向にあるということが、事後から観ても、事前から傾向的に予測されたとしても、多数決をとるだけで必ずホロコーストを起こすことになろうか。それではホロコーストを奨励することになり、ホロコーストを防止しようという傾向については何ら論じていないことになる。傾向は政治学では多数決のことであり、傾向によって多数になる。多数は決定するが、それは事前的にホロコーストになる傾向があるということと、実際にホロコーストになるということの間に「自由な選択」が介在する場合には自由な選択の中にホロコーストにならないようにしようという法があれば実際にはホロコーストになる傾向があってもならない場合があり得る。多数はそうなろうとしても、多数から抜け出るものがいて少数となってしまい、ホロコーストになる傾向が否定される場合がある。これが法の上の法である。自然を打ち壊す人間の法であり、自然法である。ある人間や社会において、注意をすれば事後には、事前の予想を改善できる場合にはそのためにベイズの確率が利用できる。人間の自由は注意することによって痛みのあるものを避けることによって、確実な(ポジティブな)証拠によって注意を行うことができる。これはコントが言い出し、ミルが受け継いだ自由の根本原理としての功利主義である。政府は確実な証拠を提示することはできるが、実際に自由を行使して危険を避けるのは個人の自由である。
もし危険を痛みというものによってすべて代表させれば、感情も、感覚もすべて痛みによって危険を避けるという自由そのものと深く関係しており、自由とは痛みを避けるということである。これは哲学と心理学と社会学と政治経済学とのすべてを変えてしまうくらいの原理を述べていることになる。痛みのみはすべての人が感知できる共通の、危険を避けるものである。
認識心理学ではそのように表現した同じことが、行動心理学では痛みがあれば、フローチャートによってループしてそれを避けるようにするという回路を設けるということである。危険を回避する自由な回路を作るということである。
これをベイズならば事後には事前的傾向が是正されたと表現し、天の神の恩寵が人間にもたらされたというであろう。そう、「自由な選択」が人間に恩寵をもたらしたのである。その自由こそ神そのものである。
権威主義に関するカリフォルニア・バークレー校の政治経済的分析は心理学的、統計学的にもこのことを立証している。
事後による結果から事前にありそうだ、なりそうだというライクリーフッドの傾向を修正できるというこのベイズの理論は、自由な選択が可能であるという人間の本性からした場合には、正しい統計学である。いたずらメールもそれによって判別できるとマイクロソフトなどは考えている。つまりいたずらメールも人間の自由な選択によるいたずらであるかぎりは、似通った傾向を持っているということである。ところがさいころで6の数字が出る確率は変わりようがない。これは伝統的な統計学によっていくことも可能である。人間の自由な選択によっている場合のみそれも倫理的な判断による、幸福の追求とか、同じことであるが危険の回避や、ホロコーストのような未必の故意があるような場合のみ、傾向は最初の事前的ライクリーフッド、傾向を修正できるという自由な選択によっているので、唯物論や、唯物論と唯セックス論とによる決定論では決定できないのである。つまり幸福とか、自由とかを唯物論と唯セックス論とによる決定論によって主張するのか、ホロコーストを唯物論と唯セックス論とによる決定論によって主張するような場合には兄弟構成においてその数が多かったというような成育環境とその結果ホロコーストを起こすことを主張することとの間のベイズ的な原因の割合の決定論が、反駁のために有効な論理的な役割を果たすのである。ヒットラーのホロコーストを奨励する演説に兄弟構成において多数の兄弟を持ったものが納得しやすいという傾向があったとしても、倫理的な歯止めによってそれが回避できるとすれば、ライクリーフッドの傾向は事前のものではなく、事後のものから推定する必要がある。
政治的言説が時に決定論に陥りやすい傾向があり、唯物論と唯セックス論とによる決定的な主張がなされて人々を恐怖に陥れるときがあるのである。経済先決的主張や、唯物論と唯セックス論とによる決定論になりやすいことを論駁するのにはそしてすべての政治や政治的言説をそのまな板の上にのせることは重要な倫理的視点の出発点になりうるのである。この点ではベイズの理論は倫理的であり、かつ実践倫理的である。したがっていたずらであるかぎりは人間の自由な選択によっているであろうから倫理的なものとの間でいたずらメールも判別できるようになるし、またホロコーストを防止しようという倫理学的政治的言説の出発点にもなりうるのである。ホロコーストを悪政であったといいうるかいなかはまさにこの出発点にたつのか、決定論にたつのかの違いによるのである。
日本からのポトマックの桜の木も元気に育っていた。ジェファーソン・記念館
司法省。公正取引委員会の写真もある。
リンカーン記念堂
ペンタゴン
ポトマックの桜の木からワシントン・モニュメントを望む。日本からのポトマックの桜の木も元気に育っていた。
ホワイトハウスのクリスマスの飾り付け
大統領のための教会
自由論で
ミルはいう
キリストは
政治に対して
と神のそをや
中国人の経済的才覚を示すのか中華街。ロンドンにもあった。
庶民の台所、スーパー、魚ではシャケなど
アメリカ国会議事堂の前の木に住むリス
ワシントンのカフェ
AFL-CIO
アメリカ国会議事堂の前の木に住むリス
USA国会
USA国会
空から見たデトロイト。シカゴ、サンフランシスコもほぼ同じ光景だった。
日本に続く悠久の長江の水に触れる 中国武漢にて。
長江にたわむれる少女、2006年、いいこを産んで育てていてくれているだろう。中国武漢にて。
第1次大戦の無名戦士の墓碑が据えられている、ナポレオンの命によって建てられた凱旋門の前にて
ヨーロッパの源流である古代ギリシャのパルテノン神殿と劇場跡にて
飛行機からみたスウェーデンの緑と水
この写真は日本では私のみが持つであろう。このような貴重な写真が多い。ストックホルムでは現在保守主義が復活しているそうだが、国会では民主教育を受けている生徒たちに出会った、笑顔で手を振ってくれた写真がある。無印良品の店舗の写真も撮ってきた。Demokrativerkstaden
comes the visiting young people on a more active and concrete set even earlier
to may to eat in the rules of the game for how decisions are taken in democratic
order and what a Member of Parliament's political commissions mean, the
Speaker of Parliament says. Each pupil gets a role card with information
about sexes, age, yrkesbakgrund, geographic home town, batch property and
hjartefragor in the policy and information about the batch programme.The
visit on Demokrativerkstaden is prepared in the school with information
and discussions. Before the playing can begin holds the tutor a short introduction
about the parliament's work. Then, an exercise follows that with the aid
of some filmsekvenser lets the students to take position to four questions
or assertions about democracy.
ガウディの聖なる家族教会
古代ローマヨーロッパの源流。
古代ローマもギリシャ、キリスト教と並んでヨーロッパの源流であり、古代ローマのコロッセウムに涙した。
ロンドンのクリスマスを二階建バスから
列車で
若い女性に
ロンドン・ブリッジは
この駅かと聞き
同じ駅だからと
案内されて
タワー・ブリッジの
方がきれいと
ロンドン・ブリッジは
中世の跳ね橋でなしと
ロンドンで
二階建てバス
シティを通り
ロンドン子の
サラリーマン姿
シティにて
金融中心の
サラリーマンは
我が三菱時代
背広はイタリアからか
Temple of Zeus Olympios:The temple was surrounded by 104 Corinthian columns in total, only 13 of which survived the test of time. Unfortunately one of them fell and broke in tiny little pieces after a violent storm in 1852. The temple itself collapsed in the late Archaic period, possibly due to the great earthquakes in the 4th and the 5th century A.D. During the Middle Ages the locals used to melt the marbles of the sanctuary in the fire in order to prepare whitewash. In the last years of the Turkish domination, a monk went and set up his cell right on the epistyle. Its remains - still visible in the days of King Otto - were depicted in the gravures of many traveling artists.
一つ橋大の神
ローマの神メルクリウス(マーキュリー)が
商業を守護し
ギリシャではヘルメース(ヘルメス)で
ここから千の風にて平和にオリュンポス十二神
千の風
ギリシャに吹き
七福神が
オリュンポス山
十二神に変身
どちらでもよし
ハドリアヌス帝か
テーセウス神か
兵どもが夢の跡
千の風なら
Hadrian's Arch:The arch is crowned by a series of Corinthian columns and
pilasters, with an Ionic architrave at the ends, and an entablature with
a triangular pediment in the middle. There were two inscriptions carved
on the architrave, one on each side. The one facing the Acropolis reads
"This is Athens, the ancient city of Theseus" and the side facing
the Olympieion reads "This is the city of Hadrian and not of Theseus".
Apparently there was a new section added to the ancient city during the
period of the Roman peace, often referred to as Hadrianopolis.
戦後生まれの平和学、その上戦前生まれの命令によらない平和学
私は戦後生まれである。戦後生まれで始めての首相になった安倍氏はただいいなりになっていただけである。今宮崎のセールスマンだけで通した戦後生まれが、戦前生まれの石原氏に日本は独立せよといわれても反論できない。それは三島由紀夫氏のように生き急ぐことが本当に正しいことかといえばよいのだ。私は我々戦後生まれが戦前生まれの戦争好きに負けることを政治学の中でよく知っている。私がラバウル戦歌を歌うのは平和のためである。
戦前生まれには戦争の体験の点では負ける。しかし我々戦後生まれは国を愛する心は戦前生まれが狂ってしまう以上に国を愛するといえばよいのだ。それが言えないようではいつまでも戦後は終わらないだろう。
我々が戦歌を歌いそれと同時に月光仮面を歌う。それでよいのだ。そこに国があり、平和はあるのだ。だから戦後生まれが戦前生まれのきつさから逃れたとき、そしてまた戦前生まれの産めよ増やせよの時代から普通の時代になったと理解したときに、産めよ増やせよの戦争の狂気から逃れることが出来るのだ。戦後生まれが戦前生まれの狂気を断罪できる日はいつになろうか。平和の歌を間違っているというならばどちらが間違っているのかと問え。我々は平和をレジスタンスとして唱えることは出来ない。戦後生まれのこれは平和な時代に平和を唱える建設的な唱導である。
自由とわがまま
この本をこれから書こう。
自由は恐怖ではない。自由は恐怖の感情によって受け取られるべきではない。
自由の女神が恐怖の内にとらえられれば、女神ではなくなってしまうからである。
自由からの逃走を書いたフロムと、自由を恐怖であると見たサルトルにおいても、自由はいかなる理由で自由からの逃走としてとらえられているかを見てみよう。
自由によってわがままをしすぎたと考えるようになった者の多くは自由によって恐怖を味わったと考えて、自由を否定することになる。自由が秩序を破壊するような、また危険を伴うものである場合があるのに、わがままな人が危険を回避する自由を持たないか、持つようにならないならば自由は恐怖と定義される場合がある。これはわがままな人は自由を失った理由を友人がないとか、頼る人がないとかその点のみに力点を置いて自由について語っているだけのわがままであるというしか表現のしようがない。これから問題が社会へと敷衍されることがあったら、自由とわがままが混同されることになる。
わがままな人は自由を失った経験から自由は恐怖の内にとらえられている。ある所有権の干渉されない範囲の中でそれを述べているのであってこの恐怖は所有権を否定しているのではないであろう。ところがこの恐怖が自由からの逃走の理由に使われたときには自由の積極性と消極性が全く反対の意味に使われることになり、所有権を否定しているのではないであろうのに、所有権を否定しているという結論に強引に導かれることがある。
20世紀の二人の自由論者のフロムとバーリンは積極性という言葉を全く逆の意味に使っている。フロムは自由の積極性という言葉をいい意味に、バーリンはそれを悪い意味にとっている。これは昔から日本であった自由についてのわがままと、自由との対立、おそらく西洋でもあったであろう対立についての根深い考え方に通ずる。
甘えという土居の理論も実はこの深い哲学的な対立が出発点である。
自由はわがままであっても、他人と衝突したときには和をもって尊ぶ心によって、他人との調和を求める心があれば危険であるとか恐怖であるというように定義しなくてもよいのである。自由からの逃走も起こり得ないのである。サルトルとか、フロムのような知識人が心すべきはここにある。甘えの概念ではこの自由論は全く別の所から始まる。
甘えの状態ではまずわがままを批判し、自由からの逃走もせずに、ただ自由がないところから議論が始まる。甘えることはよいことだ、自分は甘える方であり、他人は甘えさせてくれる方だ、甘えさせてくれなかったらすねるだけであるという自我のない立場から出発した議論を展開し始める。この点が問題である。
これからの議論は客觀的にどの程度のものが許されるのかという点から議論を始める。
政治的自由及び経済活動と経済的自由と宗教的自由について
政治的自由は最大限認められるべきである。
宗教的自由についても同様である。
政治的自由についてはミルがキリスト、ソクラテス等について述べ、積極的証拠としての毒を毒として認める自由について述べたその議論に尽きるであろう。そしてその一部分をバーリンが敷衍した議論に尽きるであろう。
それについてはミルに従う。
しかしハイエクや、フリードマンは経済が確実に成長することを見込んでの貨幣理論やらについてはまだ自由について議論する余地が残っている。偶然と神についての議論もである。奴隷意志論はキリストが生れて、世界において最も自由を恐怖であるとしないで、永遠の言葉としてとらえたその自由に近づこうとしている者であるとして、その意志に従おうというものであり、多くの識者が述べるように特に土居腱郎らが述べるように奴隷意志は自由をなくすということではない。
経済活動と経済的自由
政治的自由論はミルの自由論から始まる。だがそこには効用論という経済活動と経済的自由に関する萌芽が見られる。それが発展したのが経済的自由論である。
企業の経済活動は家計、政府の活動と共に重要である。
ワシントンのナショナルプレスクラブにおいて独占禁止法にいう経済的自由がどの様なものであるのかについてのシンポがあるので12月8日から12日まで行ってきます。
Future of Private Antitrust Enforcement
Date: December 10, 2007
Location: National Press Club, Holeman Lounge
Address: 529 14th St. NW, 13th Floor Washington, DC 20045
多くの人が自由に経済活動を行う機会を奪われている、これを回復していくこと、これが社会全体の第一の目的であろう。
SUPREME COURT OF THE UNITED STATESのBELL ATLANTIC CORP. ET AL. v. TWOMBLY
ET AL.等の調査です。
人間が政府と企業と家計とに分かれて、経済活動を行い海彦山彦の時代から所有権を得ることによって交換活動を行ってきたことは認められるが、しかし自由な経済活動が自由からの逃走というものによって破壊されるということはどのような意味を持つのであろうか。等価交換の原理が壊れて、経済自体が壊されて、自由な経済活動を行う契機が否定されて景気に非常に大きな影響を与えている。そのような状態をいうのであろう。自由な経済活動という概念と契機あるいは機会という概念は自由という概念を考える上で重要であろう。
経済活動と経済的自由と宗教の世界
世界の平和とこのような自由論は政治学的にも、経済学的にも神の名において重要なものである。
自由な経済活動が確保されることが、国際政治経済学の根本であり、平和な世界は自由な神の世界はここから始めるべきであろう。
その前に政治的自由は更に重要である。
機会的自由は経済的自由の第一歩であり、次の自由は経済的生活権の問題が生ずる。
経済的生活権の概念は世界の憲法に共通する永遠のテーマである。人類普遍のテーマである。おそらく神が認めた権利である。それはわがままと自由との概念の対立を超えた、永遠の権利である。
ぞうさんは
童話にてこそ
千の風
世界に送る
ありさんと平和
大文字
一人と読めば
世界へと
千の風にて
原爆つなぐ
京都が
今も首都ならば
大文字守り
世界大戦
なかりしものを
大文字
世界を照らし
首都が今
京都なら二次
大戦なかりし
国会を
大文字が
照らしてさえ
いれば大戦は
もう無だ
東京は
千の風なし
大文字
無故にこそ
戦争好きか
東京の
山高野山
でなく高
尾山でありも
千の風なら世界へ
フーバーダム
を思い出す
四国山々
千の風が
世界へつなげ
四国は
ラスベガスほど
資産はない
けれど八八カ所
千の風勝る
四国から
京大文字
コロッセームへ
千の風のみ
永久の平和へ
一人が
大として
千の風
死して送れば
大戦なかりし
東京を
京都のように
千の風
大文字送
れば大戦なし
ローマにて
コロッセームにも
アルプスに
大文字が
千の風送る
海外に
京の大文字
送る風
千の風外
あるはずもなし
京が16日
世界に誇る
大文字
千風送る
九六ばーさん
たまたまに
八月一六日
広島に
何故かポーランドの
友に会う
神が遣わし
広島に広島に
何故か
神のみぞ知る
千の世界で
戦災で
櫓を焼失し
松山城
なおも気丈に
千風護る
今治から
普通列車で
丹原へ
行く途中で
おばあさん昔話
丹原
どことたずぬれば
海岸で
アサリ採りしたと
76のオバーチャン答え
アサリ採る
海岸で戦時中
米軍が
空から掃射と
千風話し
この新体詩
書いてる我と
知らずに
笑いながら答える
おばあさん昔話平和
奈良・平安の
味酒(うまさけ)山の
酒郷に
今松山城
千の風吹かせ
湯の後に
道後温泉
本館二階
女性が涼む
味酒平和
温泉の
二階の広間
涼む観光客
韓国人多し
千風持ち帰れ
湯の後の
肌はほんのり
紅くなる
平和な時期
道後の湯かな
肌が紅く
韓国人も
同じにて
道後のみやげ
千風持ち帰る
勝山頂は
街から高さ
132m
松山城小さく
どこから登る
答えるは
工事の人か
要すケーブルカーと
昔のことは
千の風のみ
漱石が
子規が虚子が
写生にて
虹の色出せ
千風思い
道後本館の
俳句ポストに
入れ千風
15万石と
金沢比較
100万石の
金沢と比較
されては
かわいそうなり
子規千の風
世界遺産
法隆寺と
白鷺城
城と寺社
千風聞けるか
姫路には
白鷺多しか
知らぬは
佐賀の白鷺
みたのみの我
白鷺城から
今治の城
松山城
城の多さに
千風に驚く
驚きは
列車の速さ
にて起こる
子規の時代と
違い千風吹き
千の風が
四国山奥の
そうめん屋
多くの客を
GPSで案内し
白鷺は
佐賀の少年の
頃の白鷺か
白鷺城の姿
インターネットで
日本人
顔中国人より
モンゴル人的
美人観念も
違い千の風
虫である
南禅寺のセミは
世の財産も
なき千の風
無視せず禅にて
初夏になれば
南禅寺のセミ
四国に来て
鳴くのか千の
風に乗って
私自身の
生まれ変わりか
虫になり
ふるさとに
どこにもいるセミ
俳句書き
俳句ポストに
子規でさえ
繁盛してる
ソーメン屋を写生
子規は
戦争に従軍し
15万石
城と書くかな
社会科の本
ふるさとは
遠きにありて
思いても
古き子供の
千の風聞く
ふるさとの
土が四国の
土ならば
100年後も
千の風伝え
上野にて
東北ふるさと
なまり聞く
啄木似の姿
見た気がし
ふるさとの
土は永久に
変わらぬ
こそ日本韓国
土地信仰か
小豆島
オリーブの実が
みちなりに
イタリアの道
思い出し聞く
カリブの名の
喫茶民宿を
ふるさとで
開業し井口
港に千風カリブに
武漢にて
かつて見た
長江のほとり
揚子江飯店
千の風呼び
24の瞳の
子供を教えし
坪井氏の
心を推し量り
涙ぐみ千風故
坪井氏は
小豆島には
多い名
坪井醤油
屋あり千風
坊ちゃんの
教えた子供と
生徒とは
共に戦争で
従軍し重なり千の風
坊ちゃんの
頃の平和は
今と違い
戦争の武器
原爆も無し
江戸の皇居の
昭和館
手塚おさむの
戦時体験が
おさむしともに
アトム千風
原体験
戦争のみでなく
虫ならば
南禅寺のセミ
虫の千風
医者だった
手塚おさむの
戦争特集は
禅の道かな
虫の千風
千の風
虫の世界は
生物さ
原爆で死んだ
虫の禅心
京都駅
手塚ワールド
千風で
涙流した
後子供笑顔
四国の
お遍路さんは
松山にて
特急に
のりて行く
小豆島の
島国の
お遍路さんは
少なし故に
48カ所巡りか
オリーブの
実の酢漬け
買ってきて
イタリア
ピクルス似
千の風
伯方にて
中学生が
海に向かって
一日魚取り
高校生か
伯方の海街は
田舎と
都会への夢
千の風
伯方の
インター近く
民宿のおばあちゃん
東京に娘有り
千の風
伯方島
一二qを
歩き山越え
お遍路さんの
苦労を千風知る
因島
大橋できて
フェリーにて
わたらず消える
千風人心
7月の
祇園の祭りに
いきてみたしと
京の鑑定評価を
求めてる
宮島や
平家の建てし
四国へと
お遍路さんを
導き白い風
宮島の
世界遺産は
神道の
シュラインとして
千風呼ぶため
神道の
シュラインが
スウェーデンから
来た学生を
導きユースに
スウェーデンから
来た学生と
話をし
君は将来
大物になると
2カ月の
旅行中の
スウェーデンから
来た学生が
千の風運び
フェリーにて
宮島口から
乗りて会う
スウェーデンの
学生に千風伝え
スウェーデン
は良かったといい
昔の旅行の
話をするは
57歳の人
原爆に
会った広島の
城は見事
復元し今に
平和を伝えて
近くにあった
小学校の
門の残骸
無残かな原爆
ドームより
GPS
トンネル内も
宇宙から
千の風が見てる
お遍路さんを
GPS
余りの精度
良さに
驚き千の風
と勘違い
GPS
千の風かな
宇宙から
平和になれと
見てるのかな
GPS
宇宙から来た
電波を
千風と感じ
平和もたらす
イタリアを
南国土佐の
あたたかさで
思いだしてや
千風つなげ
がばいいい
おばあちゃん宿
貸してくれ
夜の伊方に
原発平和
伊方にて
原発光
こうこうと
広島原爆の
光と見間違い
原爆が
千の風にて
広島から
伊方に導き
今とわ平和
伊方原発
広島原爆
似ていても
全く違う
千の風にて
仏様の
姿見に来て
88ヶ所を
回り感じる
平和千風
四国物語
何かなと
見てみても
千の風にし
まされるはなし
GPSが
お遍路さんを
天から見
千の風にて
実は尼僧が
歩く尼僧
お遍路さんに
千の風
吹かせて涼し
平和導き
GPSが
文明の利器
母心
表し得れば
平和と安全
GPS1m
まで空からは
見ていても
千の風なきは
心ほそし
GPSが
不安を消す
御力は
危険を避ける
千の風にて
危険は
なくても不安がる
フロイトの
心を分析し
千の風にて
危険こそ
避ける力は
ミルの言う
自由にて一人
立ちにて歩ける
危険こそ
なくして一人
立ち歩ける
力こそペシミストへの
オプチミストの反論
GPSが
大量に生産され
安くなれ
交通戦争も
千風にて
道すがら
交通戦争にて
なくなりし
人の地蔵が
仏の地蔵に
仏の
地蔵の写真と
交通戦争
の地蔵が
重なり千風
痛さを
避ける自由こそ
仏キリストカントの自由で
戦争否定の
千風なると
芭蕉の句
碑が高野山
1668年
父母を恋うる
雉子(きじ)千の声
雉子の声
千の声にし
聞こえるは
東西文明
同じ性質
騎馬戦が
スポーツとなり
カタルシス
関が原駅で
古戦場跡
関が原
戦死した武士
忠臣は
千の風吹き
平和な夢に
駅は今
関が原
ここで戦い
決し千風
JR駅となり
岡崎の
家康のつら
がまえ見て
武士の千風
吹いている聞く
家康の
つらがまえ見て
平和顔
千風三河
から日光にも
ロシア人
相田みつおの
書をみて
何感じ千
風を持っていくか
有楽町
ロシア人がいて
オロナミンc
飲み何感じ
千風持ってく
千の風が
つなげるのは
ロシアでも
風は空気の
渡り鳥にして
千の風が
読み継がれて
渡り鳥
世界に移動
平和の鳩か
東海道
53次の海
広きかな
太平洋を
千風が吹き
高野山
秀吉信長
仲良く
眠り千風
騎馬戦忘れ
空海が
秀吉信長
の上にし
千風平和
吹かせ続け
一橋
兼松講堂
企業から
献じられ千
の風ならよし
講堂前
池水飲みし
あの味は
一橋祭の
千風思い出
御堂筋
旧三商大
ゼミ執行部
真夜中大声
フレーのエール千風
千の風で
なかったか
真夜中に
今大阪の
太閤通り
ビジネスの
中心地の
道頓堀
銀行員が
千風挨拶
千風を
船場の町で
いとはんが
売るは平和な
あきんど故だ
あきんどは
平和と千風
売る故に
大阪のエレベーター
東京と反対に並ぶ
大阪は
エレベーターで
急ぎは左
東京と反対
千風商売故
函館駅
かに水槽で
威勢よく
北海のロシア
から千風言い
五稜郭
千の風吹き
香港ピーク
函館の夜景
とをつなぎ平和
五稜郭で
没した人の
千の風
思い教育大に
古き校舎跡
五稜郭にも
唐津の松にも
魔よけの
千風吹き
永遠平和
長澤氏の
論文見つけ
貯蓄投資の
均衡が経済の
エンジン千風
貯蓄は
フローで投資は
平和にストック
残すか今か
千風尋ね
貯蓄投資
不均衡は
銀行が
働ききれず
デフレ乗数
日本経済
エンジンが
こわれても
中国でなおせば
なおるかも
経済の
エンジンは資産
に吹くかな
平和に千の風
がなおすのみ
エンジンが
資産デフレで
壊れたと
書いたら財務省
書くと暗殺すと
軍債を
何がなんでも
発行したし
弁済後世人
千風にてする
借りすぎは
いけませんとは
財務省
いって自ら
借りすぎ千風
二世には
自負がありても
過去は父母故
偏見持て
千風にてのみ平和へ
二世には
資産と同じく
千の風
吹きてのみ
とわ平和来る
偏見は
自負が原因
にてあるは
古きより千
の風のみ知るや
暗殺を
されても資産
デフレ乗数と
書き続けよ
永遠平和へ
資産デフレ
克服してこそ
乗数から
永久平和の
経済学へと
世界が
永久の平和へ
千の風
吹かせなくては
経済学なし
中国で
作ったとしても
人民が
喜ぶのみで
千の風吹く
唯物の
中国でも
ベイズ動き
千の風吹かせ
工場人人人
ラーメンが
大好きな
中国人が
今後どうなる
千の風知る
従って
夏草や兵どもが夢の跡
夏草が生い茂っている平泉、その夏草の中から、戦死した武士が夢を物語っている声が聞こえてくる。武士の残した夢はどのようであっただろうか。家族であったのか、結婚であったのか、将来の旅行の夢であったのか。義経の夢の跡でもあっただろう。
I have heard the dreams and hopes of the dead Japanese Samurai-s from the summer grasses which have been growing luxuriantly here .
I have heard the dream of the Busi-es including Minamoto Yositune from the summer grasses which have been growing here Hiraizumi.
山口節生 訳
The summer grass-It is all that's left of ancient warriors dreams
新渡戸稲造(にとべいなぞう)英訳
元禄2年(1689年)5月12日(新暦6月28日)、芭蕉と曽良は一関に到着。翌日平泉に行った。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。 夏草や兵どもが夢の跡I have heard the dreams and hopes of the dead Japanese Samurai-s from the summer grasses which have been growing here . 山口節生 訳
エスペルセンの提唱ですが、ネクサスの考え方からすれば
Around the summer grasses growing
At the old castle I can feel
Dead many Japanese Samurai's dreams
Around the summer grasses growing
At the old castle ( I can feel)
Dead many Japanese Samurai's dreams
The summer grasses (growing)
On the old castle (there are)
Dead many Japanese Samurai's dreams
の訳となるでしょう。
芭蕉が源義経らの武士の千の風を感じたという俳句である。日本の俳句で江戸時代の作品である。俳句は欧米人には特に不思議に感じられる文学である。もっとも重要と考える部分のみを575の字数で表し、風景を描写するもので写生的な現実主義を採用している。単語数としてはほぼ10単語からなり、重要な単語は4単語くらいである。季語の単語は必ず入れるところが短歌とは違っている。この句では日本の四季の6月、夏草が生い茂りluxuriant
【形-1】 青々{あおあお}と茂り、繁茂{はんも}し続けていた季節であった。夏草がこの俳句の季語である。兵どもとはここで亡くなった武士たちである。夢は千の風が語ったものであるが、内容は明らかにされずぼかされている。跡とは源義経とその警護の武士たちが最期を遂げた屋敷跡であろう。これが場所を表している。涙(泪)を目に流した芭蕉は涙が涸れた後明るくなって、立ち去るときに戦没者の千の風を感じて「もう涙を流し泣かないでくれと夏草の中から兵(強者)どもが夢を語っている」と詠んだのだ。夏草に吹く風に千の風を感じ、夢と詠んだのである。夢とは千の風が語ったところの希望であり、亡き源義経が戦没後永久平和について語っている未来の夢である。源義経の悲劇的な最期の跡において永久平和への願いを聞き、平和を感じたのである。芭蕉は夏草の上に千の風が吹いているのを源義経の夢と詠じたのである。泪と夢の対比こそ、この俳句の主題である。そして場所と季語が加えられて日本人は今となっても俳句を味わうことができる。ある意味では仏教(禅)的な世界である。この俳句には源義経の夢がその死とともに今にまでも日本いや世界にも向けられている、世界の人々にもわかってもらってしかるべきであるという芭蕉の意図が含まれている。それこそ戦没者のとわ平和への夢であった。
Bashou had heard the dreams of the Busi-s including Minamoto Yositune from
the summer grasses which had been growing there Hiraizumi where the last Japanese
Samurai Minamoto Yositune against Minamoto Yoritomo the first founder
of Japanese Samurai Governmet, so the first Shougun in Japan died.
これからは本を原稿用紙に書くことのみに専念する。
資産は
絶対所有権
評価下落
同じ絶対で戦争の
原因千の風
資産価値
下がるは中国が
安い給与
40分の1で
造るから戦争
千風言う
フローとストック
統一の
経済学出来
戦争無しと
フローにて
安い製品
PLに計上
故資産安く
なり戦争へ
資産と
フローの経済
学問に
なればノーベル
賞メニュー
某教授
資産所得の
経済学
あるならノーベル
賞二つあげると言い
某教授
資産所得の
経済学
あるならと言い
出来てるよと答え
千葉県の
チューリップ
赤く咲き
オランダのそと同じ
千の風で連絡
千葉でも
チューリップ
出来るなら
オランダの土地
高く無しバブル
オランダしか
チューリップ
できねば
チューリップ
バブルで夢中
宗教の
新旧戦
資産のプライド
偏見となり
千の風戦争
千の風
日本の土地
戦没後
変わりなしとす
シンガポールと
千の風
日本の土地
戦争後
見れば中国と
変わりなしとす
チューリップ
オランダでなく
ともつくれると
分かったら
バブル崩壊
日本のみの
地面がよかった
利益を配分し
バブルとなり
資産にプライド
エンパイア
ステートビルは
米資産に
プライドあり
バブル高層に
バブルとは
地面に利益
配分す
地面は戦後
プライド消し
日本戦後
焼け野が原
更地に
国民の価値
苦難の末に
第二位の
産業国家
日独伊
アメリカに攻めて
千の風吹く
第三位の
中韓が今
日本に攻めて
来ないよう
千の風求む
日本で
なくとも中国で
自動車が
作れるならば
バブル崩壊
戦争は
バブル崩壊
後に起こる
為替問題で
平和必要
資産価値
資産税を
差し引き利益
還元利回りで
還元し
ケインズが
収益の現在
価値を
考えている
宇沢弘文の本
資産は
割引現在価値
還元利回り
後進先進国違い
戦争起こり
資産デフレ
デフレ乗数に
耐えきれず
世界大戦
起こすな千風
資産の
経済学は
あまりにも
ぎょっとする故
千風に聞く
人さえも
資産は人を
暗殺す
唯物論に
ならず平和を
資産は物
でも唯物論
にならず
物に千の風
吹き平和に
事実かな
集団安保も
日米の
資産にこそ
千の風吹け
ペンにての
資産の指摘
強きこと
暗殺同様
だが千の嵐
ペンにての
資産の指摘
だけならば
経済学も
千風なくす
戦に行く
資産と所得の
経済学も
平和の政治学
伴わずなら
千の嵐
吹かせ続けよ
政治学
資産の指摘
すると同時に
片手落ち
資産の指摘
だけではと
千の風言い
平和学要と
千の嵐
資産の指摘
得て突如
吹き荒れてこそ
平和来るらし
とわ平和
資産の指摘
得らずんば
千の嵐も
吹かず吹き飛ぶ
資産とは
資本と違い
マルクスが
考え及ばず
ソ連が滅ぶ
資本は
利益を得て
増えていく
論理的には
平和な千風
資産が
人に利益も
与えず
こもりたるとき
戦争起こる
資本は他の
人の役に立ち
コンビニに
世界に千風
セブンイレブン
資産はや
絶対で人に
役立たずとも
絶対で戦争
原因千風言う
資産は
戦争に似て
時に人を
暗殺す
千風要す
千の嵐
ふきて後の
資産なら
偶像崇拝も
平和を呼ぶや
千風要す
建物故に
戦没者の
千風吹かせ
アーリントン墓
靖国も
資産なる故
アーリントンも
資産なる故
千の風要し
千の風
ふきたる後の
資産なら
資産と所得の
経済学も千風
靖国の
多大の資産も
千の風
吹きてのみ世界
遺産の価値に
東京の
靖国の地価
高くとも
千の風なし
なら平和なし
資産価値
これは大きい
問題故
答えは天の
千風に聞け
戦没者
のみが答える
資産価値
平和へ導く
千風禅風
禅の道
にても答えは
出ない故
偶像崇拝
イエスかノーか
BSのロス
PLロスになり
突然に
驚くは人
千風驚かず
チューリップが
資産価値あり
そんなもの
千葉にもあるよ
千風墓から
資産価値
千風のみが
知っており
世界の資産
空の上で見て
天から
空の上から
見て資産
本当の価値
千風のみ言える
資産は
物言わず静か
偶像の
様であっても
千風価値付与
娘の
水晶もどき
こそ娘
千の風歌い
高い価値とす
資産の
戦争起こら
ぬよう言うは
ただ千風のみ
平和を願い
平和とは
唯物唯心
論をはなれ
イデオロギーを
超えての正しさ
唯物
唯心論を越え
ベイズ牧師
祝福を得る
チャンスを語る
ベイズ牧師
今事実から
過去の
確率導き
更に未来へ
資産価値
未来の予測
ベイズ牧師
未来の予測
不確かという
ベイズ牧師
事後確率で
修正し
正しく資産
価値を出すらん
偶像は
資産価値あり
資産価値
ないのに千の風
のみを敬う
迷いに迷う
資産と所得の
経済学は
平和論の
最初のごとく
その迷い
解くは禅寺の
セミ出でて
座禅する我
をしっだする
一橋
高橋長太郎/泰蔵の後継の
長澤惟恭教授言う
常にPLと
BSはつながっていると
全経済
分かろうと思えば
PLとBS
連結すれば
簡単さと長沢教授言う
経済学
そこまで行かぬ
理由は
資産価値の
難しさ故
長沢教授言う
全経済は
一体で
PLとBS
連結されてると
長沢教授
PLとBS
一体で
把握するなら
何故に経済学のみPL
PLのみの
経済学は
片手落ち
甚だしノーベルは
知っている
全経済
資産を集計
すれば
簡単に出来る
新経済学
資本は国
の富にて
アダムスミス
気がつきて
マルクス引き継ぐ
資本では
分からぬ事が
多すぎて
共産党が
マルクス離れ
資産こそ
冷戦終わり
PLとBS
鍵でつなぐ
利回りにて
利回りは
割り算にして
足し算の
普通ビジネス
理解せずかな
還元は
利回りにてや
行われ
一挙に資本と
資産の価値決め
中国が
高い賃金
払うなら
日本資産価値
上がる千風
一時的
中国が資産
上げても
追いつかず中国の
国民の生活
中国で
朝はラーメン
食べてのみ
生きている庶民
突然に日本に来る
生活が
政治の基本
忘れては
PLとBSの
違いは解けず
簡単に
PLとBS
解くには
全経済
連結すればよし
中国と
インドは第三位
ガンジーの
非武力非暴力で
産業革命
世界中
インド人商売
するものを
あっぱれと数学の
魔術に千風
インドも
中国も人
多くても
教育にて
千の風聞く
ガンジーの
意見が長く
インドにて
続きいたるは
とわ平和の風
平和論
カントで解けた
ごとくに
資産所得論
カントで解けた
平和とは
予算の範囲で
博愛で
自由平等
確保す千風が
出し忘れ
博士後期へ
論文を
心にはいつも
ノーベル賞二つ
いざ書かん
博士論文
だが平和
どこに禅にやと
尼僧に尋ねたし
ノーベル賞
博士論文
並にては
もらえず自由
の理を主題に
冷戦後
バーリンの自由を
越えて書く
誰も書けずの
自由の歴史
バーリンは
東西対立を
ポジ自由
ネガ自由の
対立と見た
東側
ポジ自由は
干渉し
すぎネガ自由
西にて反発
東西対立
解くは新たな
自由にて
それが自由の
7原則か
自由は
危険を避ける
ルートにて
様々に人
作り上げうる
危険は
毒や地震にて
ポジティブな
証拠にてある
とコント言うらし
自由の理の
ミルはコントの
ポジ証拠で
自由は毒を
注意すること
注意の
多様な方法
が自由なり
とミル自由の
理千風吹く
とわ平和
もしカントのや
なかりせば
ミルの自由も
干渉排除のみ
千風なき
干渉排除
のみならば
自由も意味の
ないものになる
冷戦後
自由の定義
ようやくや
できてノーベル
天から千風
ノーベルの
千の風が
世界へと
つながるために
ネットが自由となる
二人のみの
糸電話
中心が
ネットで皆とつながり
千風世界へと
世界中
65億人は11桁
番号で
一人一人に
ネットでつながる
平和こそ
ネットでつながり
とわ平和
千の風こそ
世界へつながれ
核軍拡
核爆弾
持つものは
必ずカントに
禅にて弟子入れ
先進と
後進国の
軍攻防が
世界大戦
今後平和に
以上、番外短歌集
チューリップと資産価値
たたみの香
正座するわれ
人の心
知らずして鳴く
南禅寺の
セミ
I doing Zazen in the fragrance of Tatami
hear many buzzing of cicadas
but cicadas in Nan zen temple
cannot understand the inner man.
千の風
南禅寺の
セミに吹き
荒れに荒れにし
後に静寂
A thousand winds
have wuthered one day
to cicadas in Nan zen temple
and it is now in solemn,
noble silence.
千の風
吹き荒れて
静かな
嵐に軍拡(核も含む)(改憲)
への怒りかな
千の風
嵐で涙
流し過ぎ
過ぎにし故
流すなと言う
千の風
涙流すな
大声で
泣くなというは
嵐後故
嵐過ぎ
涙だけは
流すなと
千風歌い
短歌で歌う
慰むる
千の風涙
流すなと
平和へ向かい
涙なき故か
千の風
千の星また
千の光
となり慰め
涙流すなと言う
とわ平和
から一時の
休戦へ
これでは千の
風があらしに
世界へは
一時でなく
とわ平和
の力は強く
千風が嵐に
一時の
休戦は次
の戦争
の準備とは
カントの言い分
一時から
とわへいたる道
憲法に
入れて国民
意思とす他(た)なし
世界のため
子供等のため
現実と
立ち向かい
勝たねばならぬ
千風要求す
子供等のため
ではなく
戦没者
私等のためと
涙して
千の風言う
歴史のため
歴史に死んだ
私等のためと
歴史知り
出世するとは
千の風
知ることにして
暗殺ではない
事実として
世界史上
誰も自由を
書けず理由は
平和なし故
世界史上
自由を誰も
書いたこと
なしその理由
平和なし故
千の風
世界を動かし
その時
歴史は動く
とてつもなく
千の風
君の力が
ある時に
歴史を動かす
平和の爆弾
平和への
自由なしの
自由論
自由を書けず
自滅するのみ
世界史で
自由を書けず
悩みたる
哲学者は
平和を無視し
自由とは
フリーダム故に
こそ平和の
目標なく
なれば悪になりうる
自由とは
フリーダム故に
無故に
何もなし
平和概念なくば
悪への
自由を自由と
いえば
自由論なし
平和への自由あるのみ
世の中に
平和への自由
論なくば
世の中滅び
全滅戦へ
カント言う
全滅戦は
軍拡で
必ず来ると
平和への自由
自由論は
誰も書いた
ことなし也(や)
平和への自由
カントの自由
自由の
俯瞰図誰も
書けずきた
平和への自由
こそ真の自由
カント氏は
世界で初の
自由を得
平和への自由
真の自由で
哲学が
カントの平和
無視したは
そこに暗殺の
千風知らず
千の風
君こそのみは
世界では
暗殺無視し
自由論書かせる
書く自由
保証するは
千の風
君のみにてや
世界で唯一
自由とは
政治のことだ
自然法も
政治のことだ
平和への自由のみ
政治とは
三段論法で
自然法だ
平和への法なり
世界で唯一
暗殺は
平和を乱し
平和への
自由こわすため
長崎市長暗殺
政治こそ
暗殺のため
あるという
悪魔の仕業
どこにいるの
世の中は
そんなものさと
日本では
暗殺犯は
獄でうそぶく
暗殺は
それ以降
平和への
自由殺して
政治を殺す
新宿の
牛込氏の城跡
江戸の路地
路地に建つ寺
風吹かす寺
牛込
柳町に住む
学生18で
心細きも
田舎に千風
下宿してた
家の跡探し
東京
中75のおばあさん
今は千の風
江戸は銀座
乾物問屋の
娘にて
老後牛込の
宿貸すおばあさん
学生は
神楽坂上り
贅沢は
ただ鮒忠で
平和な時代
牛込氏
かって赤坂を
護る城
ここに建てたか
城の千風
牛込に
鮒と鯉の墓
見つけたり
江戸には川が
千の風吹く
東京の
高価な土地に
寺神社多し
戦没の千
風の価値強し
千の風
マンションよりも
高価故
牛込に仏と
神多しなのか
東京の
庶民生活
神仏の
姿千の風
西洋から来
東京の
神仏に風
キリストが
三位一体と
千風でつなぐ
千の風
なくば新旧
キリストも
神仏もたたかい
没し平和無し
学生が
ビリヤードす
飯田橋
江戸城外濠
千風吹いてる
濠の水
市ヶ谷の釣り
出来るほど
きれいになりて
桜千の風
飯田橋
再開発で
外濠は
埋めて小川に
江戸の千風
嵐後の
故の静寂
その落差
戦没者知る
千の風故
千の風
大嵐となり
南禅寺のセミ
に吹き今
静か心と物
千の風
千の嵐に
なりてこそ
辺りも人も
急に静寂
神仏が
嵐の寺と
教会で
千の風聞き
今は平穏
神仏の
形有る無し
問わずとも
千の嵐聞き
神仏となる
鎌倉の
嵐が山に
円覚寺
禅寺のセミ
千の声言う
戦没の
義経を今
祀るか
鎌倉の跡
千風吹く故
千の声
静かな平和
つくりだし
平穏な日の
生活豊か
千の風
軍債無くし
経済に
貢献し心
が物になる
千の風
物と心の
豊かさを
戦没後残す
遺産としてか
千風が
千の嵐と
なる怒り
平和を無視し
また戦没す
大嵐
台風の目が
大仏の
目となり
辺りみわたす
漢語では
千風と略す
千の風
音は旋風
文壇新風
千の風
中国でもや
千風か
文壇に新
鮮な風吹く
千の風
新体短歌
にて日本
によみがえりし
西洋から来
千の風
千風で四(よん)
約し57577
文には韻を
ふみ易きかな
ネクサスを
日本で短歌に
言い表し
風景のごとく
描ききるかな
日本では
俳句がありて
風景を
季語と共に
四季を表し
短歌にて
57577と
表せば
俳句と違い
川柳になる
短歌にて
日常のこと
表せば
政治をも
短歌表す
はたらけど
猶わがくらし
楽にならざり
啄木表し
千風吹きヌ
戦えど
戦えど猶
戦況は
楽にならざり
千風が頼り
戦場で
全滅まで
戦えば
苦しみ死ぬは
当然のこと
西洋に
ネクサスあるが
短歌なし
故欧米で
禅に見ゆるか
何故にとや
欧米人が
ネクサスで
問えば短歌で
禅と答えん
ネクサスで
訳し答えん
短歌にて
西洋人が
千風知るや
短歌など
短くてよし
ネクサスの
語の固まりを
詩にする伝統
日本だけ
ネクサスを詩と
するは短歌で
世間に千風
吹かすため有る
漢詩にて
からうた作り
平仄(ひょうそく)と
脚韻と5言
7言の千風
千風が
短歌のあじを
新鮮に
西洋に伝え
永久平和来る
世界にて
千の風吹き
永久平和
来ればカントが
墓場で喜ぶ
カントの墓
永久平和へと
書いてある
夢見て見たし
千風吹く墓
どこかには
カントの墓は
あるだろう
千風感じた
どこでもよし
飛行機に
乗ってドイツから
来たのかな
カントの千風
日本に吹きぬ
千の風
永久の平和へ
カント氏の
本が教える
墓場を越えて
千の風
漢詩に現る
はずもなし
漱石の詩に
風の字探し
寂聴と
静寂の寂
漢語にて
日本の侘(わび)と
寂(さび)千風聴く
禅的な
和の伝統美
千風が
侘(わび)と寂(さび)を
平和へ融合
千の風
日本の和を
平和へと
揚げるとすれば
マルクスの止揚
芭蕉の旅
の先々に
千の風
強者どもが
夢平和へと
戦場の
夢何をか
想ったのか
強者どもが
今は千風
スパルタは
千の風なく
芭蕉の句
千の風なく
ちと寂がなし
詫びと寂び
禅の道かな
正座する
我の心を
慰むるかな
日本の
古層からなら
伝統が
詫びと寂びなら
千風静聴
諦観や
あきらめず観ると
千風を
聞けたとは
仏の心
世捨て人
千風静か
声として
戦没者とや
話してるらし
栄華をや
極めて建てし
城の跡
諸行無常の
千の風聴く
無とは
なし故自由
フリーダム
無しの境地か
東西同じ
リバティーや
フリーダムと違い
解放で
自由になり
千風聞ける
フリーダムと
リバティーは源
違うが
千風聞くため
民族に共通
自由とは
人間に共に
必要な
千風聞ける
能力なり
寂聴が
世を捨ててでも
尼に也(や)なり
千風聞かずば
自由ならざる
自由と
千風つなぐ
戦没の
心を理解
永久の心に
寂聴=瀬戸内寂聴
長崎市長
永遠(とわ)平和都市
伊藤氏が
暗殺され死ぬ
政府の失敗封じか
この本に
高校生と
扱われ
妙に納得
右翼の千風
暗殺を
事件としてや
短歌集
さえも右翼は
暗殺したし
暗殺も
焚書もさせず
飼い馴らせ
高校生と
シェイクスピア
本当の
真理と理性
同じこと
高校生は
真理を述べて
右翼には
もう金などは
回らぬと
いくら言っても
不況で暗殺
当たり前
そんなことはと
右翼言う
山口二矢
見てみろと日本や
ケネディーと
キング牧師は
伊藤氏と
同じこととは
千風のみ言う
千風は
真理をいえる
暗殺を
されることなし
永久平和の風
真理をか
言えばや吹くや
千の風
かわいや右翼
従順な人
従順は
そでも真理に
遵うは
千風にてや
感じあたうか
英文学を
教員免許の
ためとったのみで
新体詩書く
千風にて
文学の
シェイクスピアが
書いた全文
翻訳されて
千風を知る
文学を
政治との距離
いかにした
シェイクスピアが
教えてくれる
古典たる
政治学の
君主論
超えたくもあり
新体詩書く
政治にぞ
飲み込まれてや
原稿に
向かいてみても
千の風聞く
政治をも
風刺できても
官憲が
来て暗殺を
そそのかすのか
新聞が
一丸となり
暗殺を
認めれば消える
千風の声
文学は
政治に卷かれ
戦争に
レジストするは
永久の平和か
原因は
経済のみと
戦争を
過小評価し
千風忘れ
原因を
経済にする
唯物論
戦争否定
するのかと問う
すべて物
ならば物さえ
盗られたと
戦争するあたう
千の風なし
墓場から
物盗られたと
反論し
戦争認め
千風無に
零戦で
特攻隊行く
勇ましき
心のみ唯心論
千風欠いて
零戦が
落ちるときには
痛すぎて
物をも思い
心捨て落ちる
どちらとも
言えぬ具合を
確率で
反省すれば
平和千風
戦争中
暗殺も有り
文学が
食うためにはと
千風忘れし
丸山氏
サリンと同じと
喝破して
墓場の影で
千風送る
政治学
文学と距離
おくべきで
ただ官憲は
千風忘れ
政治学も
シュミットはナチと
一緒になり
ユダヤ人の虐殺を
高貴とたたえ
文学も
進軍ラッパを
吹かされて
永久平和など
言えぬ時在り
政治学
文学と距離
いかにして
永久平和の
千風として
伊藤氏の
暗殺事件
文学と
政治学との
千風教えた
伊藤氏の
暗殺事件
なければ
千風を述べ
安心できる
日本では
暗殺事件
放置する
世間なる故
千風そよがず
女性ら
真理言えると
思いしが
沖縄の
女嘘を平然と
嘘をつき
当たり前とや
いう女
参議院にて
日本が滅ぶ
天皇を
救った安藤氏の
本が本屋の
隅におしやられ
千風荒れる
7割の
アメリカ人は
終戦直後
天皇廃止
千風荒れる
西部氏も
荒れた千風
今忘れ
右翼と共に
原爆投下主張か
右翼など
高校生と
同じくや
従順なのは
天の千風
現れよ
暗殺犯の
高校生の
時の先生よ
千風に乗り
暗殺犯の
高校時の
先生が
現れて暴露
たばこの非行
暗殺犯
その時のみ
すみません
という心は
千風忘れず
蛸と熊
争いついで
世の中を
明るくしてよ
千風にてや
西部氏が
あの西部氏が
原爆落とせと
書く理由そこ
まで貧乏に
西部氏=西部邁
貧乏は
こころのみのや
ありにけり
財布が違うなら
千風荒れる
丸山氏
サリン事件は
戦前の
日本人全員と
全く同じと
西部氏みて
積み重ねもなし
学問の
そは多くの人
千風なきは
死んでから
千風にならず
若い人の
徴兵制行く
西部氏いけよと
ケネディーや
キング牧師の
暗殺は
千風になり
今は平和へ
ボストンの
くだもの屋にて
禅道精進
のため買う
果物に千風
ボストンから
ニューヨークへの
食堂車
日本料理が
千風送る
三國志
武漢の長江
赤壁で
諸葛孔明は
天に風吹かさせる
赤壁で
諸葛孔明
天に向き
北西へ千風
呼び平和へ
赤壁の
戦いの時
千風は
長江の風
北西へ吹く
三國志
今に思えば
戦いは
千風として
神話が中華思想へ
ヨーロッパの
単語があったから
今EUが
あることの中
千風あるらん
ヨーロッパも
中華思想も
千風が
作った故平和の
詩の国になる
ヨーロッパも
中華思想も
アメリカも
千風あれば
永久の平和へ
中華の
思想でさえも
三國志
なくばありえぬ
そこそ千風
日本でも
神話は大切
戦争に結び
つけ雰囲気
壊す西部等
世界への
神話の仲間
入りしよう
東郷ら戦犯
なく千風ある故
アテネの
家々に描く
神話さえ
消せというのは
唯物論鼓舞
確率で
神話心と
貧乏故に
物どちらも
考慮す千風は
千風は
もう食べる必要
なし故に
唯物論鼓舞せず
唯心論鼓舞せず
西部氏等
もう死ぬからと
戦犯に
なってもセミ同様
命短しという
西部氏等
命長き
若者を
巻き込みたがり
千風いらず
唯物論
鼓舞し墓場から
物損したと
言い続け千風
平和をなくし
東西冷戦
後のみ千風
平和あり
唯心論のみは
物なかりける
軍拡に
走る余裕は
日本にや
あると思わず
国債多く
軍拡を
すれば世界へ
戦争を
しないと費用
出て千風なし
軍拡の
費用を個人に
回してみ
日本は千風
便利な国に
軍拡に
費用を回し
公園や
便利なもの
なし千風なし
中国の
唯物論で
なくともや
冷戦終わり
千風うれし
イラクでの
唯心論で
なくともや
冷戦終わり
千風感ず
冷戦を
物と心の
葛藤と
みて結果から
ベイズ確率解いた
受験で
解を出すベイズ
高校の
数学英語
教師に千風感
日本も
核爆弾を
競争し
持っても中国
米には勝たぬ
核爆弾を
持たずとも
自衛する
だけなら千風が
自衛するのみ
銃持たず
刀刈りにて
日本では
千風加え
天皇守る
威力は
核爆弾では
大きすぎ
諸葛孔明
時と違う千風
千風が
勝つとすれば
日本から
世界へと吹く
永久平和千風
千風よ
核爆弾の
時代でも
それ故にこそ
吹かずば右翼に
右翼の
拳銃の元
爆弾も
ノーベルの
ニトログリセリン
ノーベルの
才能はただ
ニトログリセリン
造るだけでなく
千風世界へと
千風よ
世界に及べ
核爆弾
世界で作る
時代は平和
平和への
千羽鶴の
願いこそ
世界へ千風
送るカントが
広島が
時代遅れと
いう右翼
右翼も時代に
遅れて可憐
広島が
核爆弾で
何千と
出来れば千風
吹くが間に合わず
突然に
死にたる親族を
千風だけで
慰めるあたわず
平和の願い
唯物論の
中国が核
爆弾持つ
均衡くずす
千風のみでは
冷戦後は
マルクスの性格を
分析しても
良しとす千の
風にてとわ平和
マルクスの
性格を分析し
中国に
移り永久平和
核爆弾廃棄を
すべての国
持てば戦争
したくなり
絶対戦争と
カント言う
均衡論は
ノーベルの
時代から
火薬爆弾論
千風論なし
千風こそ
重要というは
カントだけ
時代が違う
均衡論は
カントだけ
均衡論は
無視してる
との批判には
平和で答え
重要視
マッカーサーが
核爆弾
憲法9条は
核爆弾の産物か
天皇を
救ったのは
核爆弾
米国にも
負い目有り
米国では
カントを継いだ
ケルゼンが
禅を知らず
法の上の永遠法認めず
ケルゼンが
法の上の永遠法
認めていれば
イラク戦争
なかったか
カントこそ
法の上の永遠法
これを認め
ラートブルッフ
彼も認める
カントこそ
ヘッフェにつながる
禅的な
千風論と
法の上の永遠法
ヘッフェこそ
法の上の
永遠法
日本に届いた
カントを超え
千の風
法の上の永遠法
お墓から
平和と述べる
マルクスケルゼンが認めず
マルクスの
性格を知り
愕然と
冷戦後は
冷静に見る
天皇を
守るためこそ
安藤氏が
マッカーサーと
米世論に降伏
米国の
世論が天皇を
廃止せよ
とは知らず右翼
千風も知らず
今になり
均衡論は
天皇廃止
の米国世論
忘れ去りぬ
丸山氏
サリン事件の
精神は
戦時と同じ
唯物唯心論か
丸山氏
超国家とは
よく表現
超えたるは唯心
と唯物共に
超国家
唯物も唯一
唯心も
唯一で超えたるは
及ばざる
超国家は
国家でなくて
唯心と
唯物のあいのこ
極端原因
本質は
物と心の
人間は
二原因で
千風で動く
環境は
物と心を
気持ちよく
アメニティーとは
千風にてや
アメニティー
英語の響き
平和の音
千風肌に
感ずる気持ちか
洗剤宣伝で
ふっくらタオルを
肌に感じ
平和と千風を
感ずるテレビで
戦争と
平和の問いが
経済の
発展と同時と
説く猪口邦子
猪口を
たたえる有賀教授
ただ言うは
政治とは
唯物の歴史
原始での
共産主義が
資本主義に
また共産に
教授も黒板に
経済の
発展を憎み
唯物論
戦争と千風を
問題解けず
冷戦後
唯心と唯物
の極端を
超とし超
国家を乗り越えて
原爆投下
主張する西部
氏は人類の
共通の敵に
千風はそよぐ
戦争と
千風解けず
唯物論
唯心論と
千風なき戦い
戦争は
均衡論から
来ると
カントだけは
反論した
均衡論を
破りしは
一発の
原爆投下が
人類の全滅
西部氏等
唯心と唯物
どちらとも
決めかねて
結局唯物か
唯物に
陥ったとたん
人間は
戦争を肯定し
墓場から戦争
イラクでの
戦没者を
千風で
見れば同じか
ホロコーストのそ
日本にも
ホロコーストの
教育資料
新宿に有り
千風はふきぬ
千風は
ホロコーストの
犠牲者に
吹き続け永久
平和を現実に
均衡論
から戦争へ
ならば余った
予算は自由
と千の風へ
カントなら
均衡は軍債で
軍拡に
故に戦争せざる
をえずという
戦争を
物からみれば
唯物論
軍備で見て
軍拡論へ
唯物論
千風なきや
軍拡へ
予算がなくて
国が滅びぬ
国民の
あらゆる要求
満たすこと
出来ぬと国家は
自立を求め
唯すべて
物の奪い合い
とみれば
軍拡もせざるを
得ず予算なし
唯すべて
心で解ける
とみれば
軍拡もせざるを
得ず予算なし
予算なく
軍拡をする
ために軍債
国民の苦しみ
千風許さず
唯物の
目でマルクスも
見れば
マルクスの性格を
分析するあたう
唯心の
歴史観は
唯物排除
皇室も排除か
千の風なし
唯心の
歴史は古層
掘り起こし
唯物排除
千風消して
唯心と
唯物共に
歴史には
戦没者の
千の風なし
シスコの
大学で見た
ケルゼンの
オーストリアの
1920年憲法に千風
ケルゼンに
自由の概念
ありたるも
1920年では
ホロコーストなしか
ドイツでも
ラートブルッフも
ヘッフェも
ホロコースト後故に
千風あるや
千風なき
平和は予算が
莫大で
軍債多く
国庫ひからぶ
軍債の
カントの心配
平和呼び
千風が呼ぶ
人々の生活
満ち足らす
千の風聞く
生活が
平和の時期に
心と物を
芭蕉の句
最初に土地の
名前か物
来るはそに
感動したりしか
感動の
物か名詞を
先に書き
民の生活に
感動し芭蕉
感動を
先に名詞に
書きし後
芭蕉は日本
全国に千の風
全世界
回り千風
感じても
物と心の
複雑を書く
長江も
コロッセウムも
パルテノンも
千の風吹く
平和の今に
吹き荒れて
嵐が丘に
平和の後
千の風吹く
千の風聞く
千風を
聞ける能力を
持つことは
超国家をも
乗り越えるかも
静かにや
吹く千の風
聞けるほど
静寂な心に
こそは平和来る
禅こそは
現実と理想を
結びつけ
大拙世界に
飛び込んだ
永遠(とわ)の法は
永遠(とわ)博愛と
永遠の平和を
結ぶ禅的也(や)
世界に届け
デカルトの
方法論は
確かでない
未知数をxと
禅も同じか
禅的に
未知数xと
置くならば
現実からも
千の風吹く
禅世界
点と点の
平和を
結ぶは千風
千の線になり
禅の道
虫でも分かり
世界結び
千線は虫
にも千風吹く
シスコ大で
禅は神秘と
欧米で
いうは勝手でも
座禅する人
とわ平和
何をか思い
カント氏は
墓に永久平和
思い出したか
墓の千風
思い出した
カント氏は
とわ平和書く
論文机で
千の風
お墓の影から
カント氏に
戦没いやと
話しかけたか
戦没の
心を理解
カント氏は
いかなる経験で
千の風聞く
カント氏が
千風聞いた
理由はや
戦後の悲惨
ならラートブルッフか
戦後の
シスコ大学の
ケルゼンが
戦前と違い
自然法へか
シュミットと
戦後のケルゼン
千風聞かずか
ナチの迫害
受けシスコに来ても
永遠平和
戦後60年で
忘れたか
世界は平和と
天皇一体で認めた
隣保班を
自治会に直し
戦争を
再開するの
今の日本は
政治学
平和を無にし
マキャベリが
先導したは
真実か
本当の
千風聞ける
政治学
文学とともに
永久の平和へ
平和へと
向かってほしいと
千の風
吹き荒れてあと
心物静か
静かに
禅は瞑想す
セミ鳴くな
人の生まれ
変わりなら鳴け
瞑想に
セミの鳴き声
こころして
聞けば禅道
とわ平和きこえ
セミに人の
心はないが
禅なら
いおう平和と
千風聞きて
セミも同じ
心を持って
いるとはや
思い尋ねる
平和だよねと
セミに
戦争なし
人間の
戦争他愛(たわい)
なしなのになぜ
セミになく
人に原爆
あるはなぜ
セミに聞かれて
はたと迷惑
迷惑は
セミこそという
セミも死ぬ
原爆ではと
平和千風
南禅寺の
セミの音
聞きてより
人の心を
批判できたる
官僚の
創始に意義を
見いだすか
戦争のとき
手足になすため
戦没後
千の彼方に
飛んで行き
対立平和へ
導く力
青銅の
美男なるかは
別として
大仏はもし
義経の顏
大仏が
美男とは思えず
ただ千風を
感じて平和
念ずるのみ也(や)
義経を
美男なる故
頼朝が
戦起こしたる
なら千風無し
義経が
大仏ならば
その顏が
美男だとは
晶子のひがみ
晶子=与謝野晶子
平和への
象徴として
の大仏
そう源平
の千の風かな
大仏が
仏の心
現して
現世に姿
千の風吹く
大仏が
美男かどうか
別として
義経を今
千の風にす
いくたのや
千風吹きぬ
鎌倉に
諸行無常の
鐘円覚寺に
鎌倉が
今も首都なら
江戸城は
再建しても
首都でなしか
頼朝が
義経を重
んじてれば
鎌倉が今
首都としてある
武断政治
武器のみ残し
鎌倉は
今は首都でなし
スパルタに似て
美男とは
静御前の
ことにして
時代を超えて
千風伝え
義経を
奥州にて
頼朝が
討ちたる夢は
千風消した
異母弟を
消した頼朝
歴史上
多くの事例
千の風消し
大仏が
千風に耐え
たるは
義経の血の
千風故か
大仏が
美男かどうか
別として
反戦は義経の
血無くばなし
反戦は
美男かを超え
千風の
哲学でのみ
説かれうるかも
大仏の目
30年前に
見たその目
当時千風
感じていたら
生け花の
稽古の花は
千の風
鎌倉の仏
と同じかな
江ノ島の
海水浴の
女性たち
義経の千風
感じていたら
江ノ島の
船が太平洋
越えて
シスコにつなぐ
千風知らずや
黒船が
来たという地の
海辺では
シスコとストックホルムの
水が千風
戦争が
異母弟を消す
理由故
ならばつわものの
千風いずこに
特攻を
説明するのに
心が
立派とする本
見て小野田氏怒る
小野田氏は
特攻の心が
いやで森の中
支配層今
でも怒るかな
いやなもの
いやだという
小野田氏の
千風勇気
国民たたえ
国民は
たたえるものを
今いかる
支配層こそ
千風知らず
歴史が過去
なれば人皆
没した後
宗教と結果
残し千の風
歴史をただ
唯物論で
のみ解するは
ゆったりとした心
無視千風無し
全歴史
理解したとし
唯物史
観は過去から
未来風予測
全歴史
理解するには
史料が
不足し考古
千風発掘
歴史の
変化時物と
心の
葛藤は今
千風にて見よ
政治家の
最期を写す
千の風
彼の心は
物のみでなく
今ベイズの
コンピューターが
計算し
物と心の
歴史千風
冷戦後
文化と物が
融合す
千風深く
平和を願い
東西と
南北が
一つになれ
そこには平和
千風深く
歴史が
物と心で
動くその時
まさにどちらか
千風決す
何かを
動かそうとして
概念が
心と物を
動かし千風
概念が
時代を動かす
なたとなる
バーリンが言う
千の風から
平和は
物と心の
戦争後
千風がなだめ
とわ平和へ
自分は
遅く生まれて
分け前が
少なかったと
唯物史言う
唯物史
戦争を
墓まで
持って行くと
現世で脅し
現世で
脅す代わりに
千風を
聞けば時代を
開く千風
あの世でも
唯物史では
千の風
なし心には
千風で平和を
王国の
唯心論は
唯物史
では存在
せずに千風なし
古層の
天皇廃止を
訴えて唯
物史唱え
千の風なし
米国で
70%の人が
天皇制
廃止を叫び
し事今忘れ
天皇の
命を救う
ため古層
活かす千風
永久の平和へ
虫となり
コロッセウムで
死んだ人
遺棄されても
声が千風
政治学は
物と心の
道徳倫理
法則つくれず
マキャベリ批判
自由
平等博愛と
政治法則
作るも予算
なく千風なし
自由
平等を図る
のは予算
千風要す
平和の予算
予算のこと
政治法則
無視すれば
戦争をして
千の風吹く
歴史が
物か心か
決める時
千の風聞き
動くベイズは
予算こそ
冷戦後は
千風を
聴くイアホンを
買えるかどうか
平和にて
千風を聴く
予算とは
唯心のため
平和の心
所有権
無き人が
国の侵略で
多くの土地を
得るならば侵略
千風が
あれば所有権
無き人も
侵略地に
移るはずも無し
政治学が
侵略を
心から
否定できれば
千風平和へ
侵略を
すれば国民が
喜ぶとは
国を所有する
二世の癖か
ローマから
万里の長城か
ハドリアヌスの
長城が空から
見えし始皇帝か
千の風
万里の長城か
墓陵か
どちらから吹く
今永久の平和へ
考古学
墓陵を開き
千の風
聞かずに掘る
労働として
千の風
聞きながら堀り
全墓陵に
最期は永久
平和をカントか
千の風
マキャベリが日の
本歴史
とローマのそと
比べてみてよ
日の本は
海に囲まれ
歴史には
ローマと違い
千の風吹く
東欧で
チャウシスク多産
政策で
国崩壊後
泥棒になり
泥棒が
パトカー尻目
笑いながら
逃げる風景
面白し風
ローマ駅
チャウシスクの子
大人になり
ヨーグルト盗み
酒盛り逃げる
警察が
チャウシスクの子
逃げるのを
追いいたちごっこ
面白しかな
日本見て
チャウシスクの子
千の風
羨望でも日本
千風捨てたし
日本人
幸福知らず
盗難に
遭うチャウシスク
の子バカといい
窃盗の
技術最高
チャウシスク
の子は仕事無か
千風日本へ
ローマ駅
周りの建物
荘厳で
木の家平和
千風吹きて
ローマの
荘厳な家
古代から
千風送り
日本と違い
ローマの
水道の跡
事業は
困難だったかな
水飲み感ず
水道の
事業に千の
風感じ
ローマから日の
本に思いを
ローマの
支配者の像
水道に
治水の力
平和千風
平和示す
トレビの泉
指導力
治水の力
誇示か千風
黒船や
日本の海は
貿易を
ペリー軍でなく
千風護る
黒船が
米軍になり
国際の
千の風にて
永久の平和へ
円覚寺
座禅の畳み
その香は
南禅寺のセミ
感じ千の風
禅寺の
円覚寺の山
鐘が鳴り
人の心に
千風が吹く
鎌倉の
古き禅寺
五山に
セミが鳴き千
の風吹き荒れ
千の風
京と鎌倉の
両五山に
吹き荒れに荒れ
今永久平和
大仏の
仏の姿
さえも千
の風に変えて
今平和の法か
鎌倉で
新旧違い
キリストも
今はなしとす
千の風吹き
鎌倉が
首都となれると
千の風
吹き荒れて後
静かに言うか
生け花の
稽古の花は
七色の
虹に似て千
の風吹き平和
七色の
もし生け花が
千の風
吹かずばただの
死した花なり
死した花
戦没者皆
千の風
吹きてはじめて
今平和なり
軍拡は
冷戦時代の
産物で
千風なくば
軍債にて
武装こそ
ナチと右翼と
共通に
今原爆で
千の風なし
中曽根と
岸の回顧の
中心は
東大法の
ドイツプロシャ
プロシャの
固い部分は
東大の
腐った部分で
千の風なし
軍拡が
古き中曽根の
懐古主義
マキャベリが「昔は
良かった」
とはいうなとす
岸=岸信介
中曽根=中曽根康弘
命令され
平常心で
暗殺す
日本の右翼
新ナチ同じ
なぜ右翼
超国家とする
丸山氏
徂徠に学び
訓詁に傾斜
全体の
主義とす西洋
超国家と
丸山氏する
千風なし
全体の
主義とはつまり
超国家で
大恐慌後
千風なし政治
全体の
主義とは日本
全体の
雰囲気にて
千の風なし
イラクをも
含めたEUが
全体を
なすならば今
千の風吹く
線を引き
大恐慌後
経済の
ブロック戦へ
為替の戦争
経済が
戦争原因
確かにそ
恐慌が軍拡へ
千風を聞く
経済が
自由の法の
上にある
唯物論で
千風聞けず
経済が
大恐慌で
行き詰まり
政治が右翼
千風聞けず
ただ経済
物と心の
葛藤は物
そんな馬鹿な
千の風言う
カント言う
民は所有
できず自由
唯心論は
領土の中でも
物にのみ
圧倒されて
人が動く
唯物論は
千風聞けず
大恐慌
後ならば物
考えて
軍拡へ行く
唯物論ある
軍拡で
領土拡張
唯物論
確かに物が
増え心無し
心がなく
物を所有し
狂ったかの
様にイラクの
自爆テロ千風
特攻と
自爆テロとの
類似は
物と心の
千の風無し
予算なく
ばらまき都政
の公約
イーガリタリアニズム
よき公約か
公約は
政府予算の
範囲内
マニフェストは
軍拡にこそ
軍拡を
狂った様に
主張す
右翼プロシャ主義
千風より懐古
イラクにて
狂った様に
自爆する
そは同じこと
軍拡日本
日本が
自爆す必要
なきことは
9条に書き
憲法とした故
国民は
国家の三要素
政治家の
所有でなく
千の風言う
変わりなく
戦没後も
国民で
千の風にて
経験を吹かす
国民を
所有するとは
二世のみ
権利なくいい
総スカン食う
軍隊も
シビル抑制
日本では
全く効かず
今も昔も
二世が
シビル抑制
排除して
国民所有の
観念強し
軍隊で
爆弾投げる
は国民
シビル抑制
は永遠平和で
イラクにて
狂った様に
自爆テロ
信条同じ
日本の今は
日本が
イラクの自爆
テロに似た
爆弾投げる
より千の風
唯物論
唯心論を
越えた今
非暴力こそ
千の風言う
世界は
国民が軍を
持たず爆弾
投げることない
日本を祝福
秀吉が
刀刈りと
検地をし
日本元気に
千の風聞く
刀持つ
権利を所有
せずも
千風所有す
とわ平和へ
刀振り
かざすことなく
日本人
生きてきたけど
千風は聞く
刀持たず
米国にいき
抜く刀
なくても生きる
千の風にて
自爆テロ
出来ずに不満
刀なく
千の風聞き
世界に平和
平和こそ
ペンで世界に
千の風
伝えて力
刀よりある
日本人
刀なくても
カメラと
メガネひけらかし
千の風説く
刀抜かぬ
日本人こそ
世界の
憧れ原爆の
千風吹きて
刀持たぬ
日本人が
西部劇
絵になると千の
風聞き言うや
自爆する
忠臣蔵の
刀なる
千の風こそ
平和の神話
安全と
不安とは
食料の
少なさから
千の風吹く
小野田氏の
涙食料の
少なさの
故ではなくて
千の風故
バナナが
あらゆる木に
ふんだんの
南洋島で
千風常に
南洋の
島に憧る
訳バナナ
ある仕事無しも
風たなびく
ポリネシア
金はなくとも
バナナ食べ
一生楽に
生きていきたし
所有権も
封も封建も
食べるため
とは錯覚かな
千の風言う
風は食べ
なくもたなびき
千の風
吹かせ寝ている
君に平和を
東大を
玉野井教授
退官後
沖縄の地に
千風聞きにか
やさしき
玉野井教授
故退官後
沖縄で千
風聞いたかな
小ささは
美しいと
千風言う
平和が国の
所有侵略否定し
特攻が
もしも勝ってたなら
との夢で
軍拡へ向かう
は夢に過ぎぬ
真夏の夜
夢の夢で
軍拡へ
更に軍拡す
千風なし
食えなくて
物のみ重視
唯物史
心の通う
千の風なし
夢のまた
夢でも国の
所有は
二世の夢
千の風なく
夢の夢
でもビジネスと
違い国を
所有す二世
千風聞かず
所有は
ビジネスの元
二世は
国をビジネスに
民の千風なし
特攻は
今のイラクと
911ビル爆破
全く同じとは
千の風言う
イラクにて
200人死ぬ
自爆テロ
特攻の心
千の風知る
自由は無
にはあらず即
自由行動
行動学は
千風で分析
自由で
毒の認識と
行動は
フローチャートの
学問の差
毒を知り
避けるチャート
行動し
避ける人
千風は戦争避け
自由には
平和を含む
とは知らず
戦争の自由
千風平和無視
自由は無
禅の無の境地
戦争を
とわ平和の無
千風で有に
新旧の
戦に平和
キリストは
シャロームと言い
千の風吹く
自由は無し
だが自然法
も真理も
発見も含み
永久平和へ
永久法は
自然法で
戦争の
上にある法
千風のみ言う
没者は
千風言える
自由に
苦痛を言える
永久に平和言う
自由は無
でも平和なる
高貴を
含む故御用学者を
含まず千風
シュミットの
御用学者の
なしたるは
文学で戦争
先鋒と同じ
平和と
自由の観点
からのみ
世界の思想
自由史書ける
自由の
初の世界史
書くために
強者どもの
夢あと千風
武士の夢
跡を探して
芭蕉並の
旅に出てみん
千風探して
世界初
自由の歴史
書くために
反対する自由
等異論の整理
戦場で
面白さも
発見も
ありえず苦しさ
のみの千風
自由には
綱渡りの
面白さも
自由という
ディズニーランドの自由
子供の
自由は面白さ
ぞうさんと
ありさん面白
遊びそのもの
自由とは
綱渡りの他
発明も
面白さから
苦痛なきは自由
発見は
自由なくば
ありえず
人は平和
苦痛をなくす
犯罪は
悪への自由
戦争は
苦難への自由
自由と呼べず
自由と
解放とは
無にして
禅的平和
千風のみ知る
自由が
平和含むなら
犯罪は
悪への自由
とは呼べず
千風が
解放したき
平和風
戦争の自由
ありえぬとする
自由とは
解放と無で
無ならば悪も
犯罪もあり
千風許さず
悪への
自由はないし
戦争の
自由はない故
自由と呼ぶな
悪の自由
罪にて自由
とは呼べず
戦争軍備
同じと千風言い
自由の
定義に平和
を入れて
カント初めて
死ねた千風
カントの
墓から千風
聞こえた
権力に
おもねずしあわせ
カントの
平和論
刊行時の
苦痛感じて
千風さわやか
二世が
民を所有すと
戦争す
苦痛で民は
否定千風
伊藤氏=伊藤一長
安藤氏=安藤 眞吾
安藤氏の本=「昭和天皇を守った男-安藤明伝」安藤 眞吾 (著)
西部氏=西部=西部邁
ヘッフェ=オットフリート・ヘッフェ=Otfried H"offe=オットフリート・ヘッフェの著、藪木 栄夫訳「イマヌエル・カント」
丸山氏=丸山眞男
猪口=猪口邦子
シュミット=Carl Schmitt
ラートブルッフ=G.Radbruch
隅谷教授=隅谷三喜男
ケルゼン=Hans Kelsen
デカルト=ルネ・デカルト=Rene Descartes
ホロコーストの教育資料=ホロコースト教育資料センター=新宿区所在
玉野井教授=玉野井芳郎
Don't stand at my grave and weep.私の墓の前で立ち止まり、泣かないでください。戦没者の千の風は永遠平和であるのを3400万人が聞きました。首都圏3400万人が聞き、涙を流した、歴史に残る政見放送の手書き原稿です。166万票を獲得し当選を果たす。石原流都政運営の幕が切って落とされた。700万人の内、160万人が投票してくれればよいのです。他の日本の7800万人の方々、いや65億人の世界中の方々に「知らせる」ために再録します。
私、山口節生は東京都の知事になった場合、次の様な歴史に残る就任演説をしようと思います。
東京都民の方々、日本全国、いや全世界の方々にご挨拶を申し上げます。
I have a dream that in the future the eternal peace will overcome all over
the world. So Tokyo will become an eternal peace megalocity.
第一に、東京都職員の18万の人の皆様、マリーアントワネットの様に税金を浪費してはいけません。浅野氏の退職金や石原氏の豪華な海外旅行の様に。第二に、江戸時代の知らしむべからず依らしむべしの伝統を打破し、知らせるべし、自分で規範的になるべしの伝統を東京都に確立しなくてはならない。それはケネディーの就任演説での Ask what you can do for your country. の心である。第三に、全都民に平等であらねばならない。キング牧師が I have a dream that the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the same table of brotherhood.と述べた時の心である。第四に、友愛を都民に対して持たなくてはならない。また亡くなった方々にも。 Don't stand at my grave and weepのa thousand windsの心である。第五に、伝統を大切にすると同時に創意工夫をも大切にしなければならない。また、第六に、怒ってはならない。争ってはならない。5兆円の軍事費に対して1兆円の軍事費で戦っても負けるからである。軍事費の割合が増えた場合、経済が悪くなるのは目に見えています。第七に、人を判断する時には甲乙共に良い所があると思わなくてはならない。罪を憎んで人を憎まずである。
今回の選挙は憲法改正を直接の争点にしておりませんが、本当の争点は東西冷戦後の戦争に対する考え方が問われています。
今、日本は世界から取り残されています。もしEUに入ろうとしても、日本にはある制度があるのではいれません。石原氏のおかげで中共、韓国からは目の敵にされ、イラク駐留を2年間延長もしました。憲法改正をし、軍事大国化する夢があるからです。
2千万円の選挙資金を出し、金をかければ主な候補に入れてやると脅迫されました。しかし、私は独禁法違反等の犯罪に身を染めるよりも清貧を選びます。
東京都職員の諸君。東西冷戦が終了した今、我々は物のみ、心のみではなく、事後的結果を分析し、何が原因であったのかを冷静に分析し最大限の力を尽くして都民に奉仕しなくてはなりません。その際、都民各一人一人の状況に応じてよく心を都民に向けて、物質的な豊かさや、心の豊かさや、そして家族的な温かさを状況に応じてきめ細かく対応してあげなくてはなりません。都民全員の税金で養ってもらっているのであるから。
私は、55インチのわが家の地デジテレビで、すべての放送を見ていただけです。私は青島幸男氏と同じ選挙戦術をとり勝利しましたが、国民一人一人に大隈重信のように呼びかけるこの選挙こそが理想の選挙であります。
また、私は毛沢東の様に公立高校教員の経験があるので、子供や大人の性格を見抜く力ができています。石原氏や浅野氏とは合わなくても私とは合うでしょう。都職員各一人一人の最も良い点を活かし、東京都を都民の為にも最も良いものにしなくてはなりません。その為には行政として、右派から左派までのすべての人々、政党の言い分を聞かなくてはなりません。また、世界にもうまく対処しなければなりません。
ヒ素324mg/kgがまだ残っていると考えるのが妥当な石原都政の疑惑の土地に移るのを中止します。違法でした。浅野さん、石原さん、都民全員を殺す気ですか。
私たちは中央卸売り市場の移転を中止し、新たな30km圏内でのオリンピックの申請をしなくてはなりません。開催にこぎつけなくてはなりません。また、東京の過密を解消するため、首都機能を移転した場合の跡地の計画委員会も作らなくてはなりません。私は美濃部都政の時のよい部分は再考しようと思います。シルバーパスは55歳迄に拡大しようと思います。公共交通の発達による社会的便益は運賃補填より上回ると思います。
以上の様な次第で、都知事と共に皆様も一緒になって頑張りましょう。
注1:youtube で東京都知事政見放送の画像が閲覧できます。http://youtube.com/
東京都知事政見放送http://youtube.com/watch?v=G1CR1LbGsSc(コピー用アドレス)団塊の世代が首を切られた後の、永遠平和への短歌に込められるのは短歌の素晴らしさです。若い人には分かりやすいでしょうね。フランスで中道が勝つかどうか、その試金石はカントが「永遠平和のために」ではなかったのだろうか。ブッシュ二世が勝つためには思いやりのある保守主義の理念が必要であった。それと今の同じ理念であるカント「永遠平和のために」による永遠平和都市(ポリス=政治=生活=家庭)は同じことではなかろうか。
注2:ガイドミーでは今日閲覧されたYOU TUBE動画を閲覧回数の多い順に並べています。 http://a.guideme.jp/popvideos_10_0.html(コピー用アドレス)
天の声と人の言葉
Don't stand at my grave and weep.私の墓の前で立ち止まり、泣かないでください。Do not stand at my grave and cry;I am not there, I did not die.I am the thousand winds that blow. 戦没者の千の風は永遠平和であるのを3400万人が聞きました。大いに皆が泣きました、その涙で二世達や石原・浅野がおごりあなたを虫と思っている(カント)のをはねのけてください。それが永遠平和そのものです。「最後の弾丸」は恐いなら恐いといいましょうね。これは世界旅行をしてみて、コロッセウムや、中国武漢の長江(揚子江)や、パルテノン神殿等、文明の源流を見ての心からの言葉です。東京オリンピックの開催は世界の永遠の平和のためにあるべきであり、石原氏の特攻賛美のためにあるのではありません。オリンピックとは元々理念的には平和の祭典だったのでしょうから東京オリンピックの開催を世界の永遠の平和のために行いましょう。オリンピックのためのアテネの地下鉄は非常に立派なのに少人数しか利用していませんでした。乗っている数少ない人の数を足して収入としたとしても莫大だったであろう建設費を現在補えているようには一見しただけでも見えませんでした。そうならないように東京オリンピックの開催を行います。二世達にだまされてはいけません。石原氏も浅野さんもあなた方を虫として特攻させるために、虫には知らせずにだますために用意された、右翼からのトラップわなです。どちらに投票しても軍拡(核も含む)(改憲)・(核)戦争に向かうように仕組まれているのです。永遠平和という天が日本に与えたものに投票して下さい。東京都の今後の自然の調和も、世界の永遠の平和のテーマのために水と、空気と、景色と音というものを再構成すべきです。地デジの画面の様な、自然と、音楽の世界文化の融合した空間で世界に誇れるオリンピックにしましょう。
もう一度天の風は泣きながらお願いします。Don't stand at my grave and weep.私の墓の前で立ち止まり、泣かないでください。
マッカーサーはフリーメーソンであったということがインターネットには載っていることは事実である。
マッカーサーは、ナチや、ヒットラーを恐れていました。だから、憲法9条がないならば、天皇制は廃止させていたでしょう。
マッカーサーはヒットラーやナチのユダヤ人の虐殺を最も高貴な行為とした最大の法学者シュミットらを嫌っていたことは、事実でしょう。シュミットらは官僚と同じく国会のやったことを守るだけと考えて、自らの影響を考えなかったからです。政治とは生活そのものです。政治とは生活は山口新東京都知事の元々発見した言葉です。マッカーサーはヒットラーやナチを断罪した人であったことは、事実です。マッカーサーの日本に対する考え方はヒットラーやナチを断罪したのと同様か、それ以上であったであろうとドイツベルリンで考えたものである。
そういう主張がなされても仕方ありません。
これは非常に言いにくいことで、私は言いませんが、天の風の方々はそういうかもしれません。
天の千の風によって守られた山口新東京都知事誕生を当然と思います。
マスコミは誘導的に過ぎた。
農林省という国が決めたのだから、ヒ素が入っていても都民をすべて殺すというのは、都職員一人一人の立場であってはならない。シュミットはナチと、ヒットラーの自由な解散権による総統の行為についてすべて正しいと断じて、ホロコースト、ユダヤ人の虐殺を正しい行為としてしまったのである。元官僚の浅野氏の考えそうなことである。
永遠平和都市を宣伝するために、石原氏が体を壊して立候補辞退すれば、黒川氏もやめるのですから、また浅野史郎はもう権力闘争はいやなようですから、弱点があり、自由と民主主義を愛する、社会民主主義をも愛する友愛に重きを置く者でかつ若くて、自由と民主主義を愛する、社会民主主義をも愛する友愛に重きを置く再興者としての山口新東京都知事誕生でしょう。
太平洋戦争 the Pacific Warの戦没者war dead は210万人です。その方たちの子孫は今日まで泣いてきました。しかし山口新東京都知事誕生とともに泣かないで、祖国と東京を新しく永遠平和都市として作り上げるのに自分が何をすべきか考え、片隅を照らすという行動に出てくれると思います。
山口新東京都知事の母の弟も、長崎大学医学部の学生のときに、学徒動員で工廠勤務のときに原爆でなくなりました。それは両親にとっては不幸のどん底であったでしょう。しかし山口新東京都知事誕生と共に、それは消え去ると思い、泣かないで永遠平和の願いを達成する努力をするようになるでしょう。
210万人の子孫の方々の意見も聞きます。その数は800万人以上でしょう、その数800万人のうちの160万人が投票してくれればよいのです。そう信じております。
石原氏が落選すれば、黒川氏もやめるというのが前提です。浅野氏は赤字を作りました。日本共産党案でも赤字です。貧乏になっている人を見て美濃部都政のよいところを採り、日本共産党案のよいところを採る時には、その原因が何と何であるのかを検討して、政策として採用すべき部分があるのかを都職員一人一人が東西冷戦後の手法として、左右両翼の言い分をも聞きながら、対処していく方法を都職員一人一人と一緒に事例に応じて考えていく必要があるでしょう。浅野氏には「悲痛な叫びが聞こえない。」人々は投票できないはずですが。
石原都知事の疑惑の土地の調査経緯
平成11年4月 石原都知事に。当然に選挙費用が必要であったと推測される。
平成11年7月 東京ガスの方ではこの土地に中央卸売市場の移転が決定したと公表していると調査した。東京都ではこうはいっていない。東京ガスは誰との交渉でこういっているのか。考えられるのは石原氏か誰かであろう。
平成13年7月 東京ガスと東京都がこの土地に中央卸売市場の移転につき基本合意が成立したと情報公開している。
平成14年、15年議会報告、了承。
平成17年4月 農林省が決定。東京都も決定。
ところが事情聴取の結果、3mまでにヒ素が324r/kgも50000%存在するのに、2m迄しか取り除いていない。更に埋め立て地であるために隣地やそれより下にまで溶出しているのは認めている等が事情聴取できた。また現地も確認した。
従って、農林省が決定してしまったものですが、知事就任後即刻中止させます。そうすると東京オリンピックの計画もすべて見直すことになります。
ヒ素、水銀の量など許容量を上回っており、有害物質は10種類以上である。その量は新市場建設課の課長等から口頭で教わったものである。選挙公報ではヒ素324r/kg(50が許容量) 、水銀48r/kg(3が許容量)のみ書いたが、これは紙面の少なさ故の暫定的なもの。
浅野氏を支援する民主党
政策でも、徐々に反石原色を明確にしてきている。象徴的なのは2016年の五輪招致。当初は「都民が真に望んでいるのかを見極めたい」と慎重な言い回しだったが、23日は「ぜひやってほしいという都民は一人もいない。石原さんの花道に使ってはならない」と反対姿勢を鮮明にした。築地市場の移転にも「NO」を突き付ける。
浅野氏を支援する民主党は、都議会では五輪招致と築地市場移転に賛成してきた経緯があり、浅野氏の“先鋭化”に当惑する。ある民主党都議は23日、「今の状態では、表だって浅野さんの支援ができなくなる」と渋い表情を見せた。
しかし、浅野陣営は「すべての支援者と政策面で完全に合意するのは不可能。政党と政策協定を結ばないのが浅野流だ」とあくまでもドライだ。極端に言えば、無党派の風を期待する浅野氏にとって、民主党も支援者の一部に過ぎない。
吉田万三という名前を聞いて「ん?」と思いました。覚えやすいし、珍しい名前なので知っている人かと思ったのです。
学生自治会は共産党青年部の民主青年同盟(民青)
私の知っている吉田万三君は、私が北海道大学に入った時に、北大の学生自治会の委員長をやっていた記憶があります。当時、北大の学生自治会は共産党青年部の民主青年同盟(民青)が強く、委員長も民青がずっとやっていたのではないかと思われます。で、その時に学生自治会の執行部が折から反日本共産党の流れが加速しつつあった全共闘運動の中で、学生投票によってリコールされたのではなかったかと思います。そのリコールされた委員長の名前が吉田万三君だったと思います。(このあたりの話は1969年頃の話ですので、記憶もかなりあいまいです。間違っていることも多いかもしれません。間違っていたら、スミマセン。ご存じの方は、ご指摘ください。)
その頃、北大では民青と革マル(全国的に見ると弱小だった革マルが、北海道ではなかなか強く、中核に「北の天然記念物」と呼ばれていた)が学生運動の2大勢力で、学生自治会をめぐって激しく対立していました。それでも、やはり北大は民青が強く、革マルは自治会を握っていた札幌医大からいつも応援が来ていたみたいです。ついでに思い出したので書いておきますと、革マルにはM川という有力な兄弟がいて、北大(医学部?)と札医大に分かれて入学していました。
昔話をしようというのではなく、この吉田万三さんの履歴を見てみると、確かに1968年に北大歯学部にはいっています。おそらく、あの吉田万三君に間違いないと思います。
選挙期間中青島流でやった。
選挙期間中「日本共産党と思われている、そうでないといえ。今は石原、160万、浅野、山口16万ずつで同じだ、何かやれ。当選するぞ。」と電話してきたおじさんがいた。浅野が政党に飛び込む前3月31日か4月1日に、都政記者クラブの幹事がいる前でだった。ということはそれ以降政党は山口新東京都知事票を浅野と、石原に集めさせたのか。
独占禁止法違反行為においては、市場における独占性と、他の競争的事業者を排除する能力を持っていること(この法理はいわゆる当然違法の概念が適用されることと同様の意味を持っている。排他的な所有権を伴った、専用にしか使用できない、かのアルペンスキー事件で適用された法理は、排他的な専用の所有権を要素としているが、この要素は間違っており、所有権でなくても排他的な組織についても同様のことが言えるのである。)が差止の条件である。Dominancy and exclusiveness。この際その能力が、事業者団体の所有権に関わっていようが、そうでない組織によっていようがその能力の行使が、その他の代替的な手段があるのに、その行使が行われているときに独占禁止法違反行為となるのである。独占禁止法違反行為においては法的に確定されたものが、クックの独占の法理以来確立されてきた。
これを政治学に流用して独裁の場合には独裁制と、その行為によって他の競争する思想を排除する能力を持っていることがティラニィーtyranyの確定要因である。日本的独裁制は、超国家主義に連なった。このように言うことはできるであろうが、独占禁止法違反行為とは異なって政治には唯物論者と唯心論者との二種類があって、結果から見てその原因を物に帰属させることと、心に帰属させることの二種類のうちのベイズの確率で推測すべきであると結論することができるので、政治学的と法学的とは異なったものとなるときがありうる。 このティラニィーtyranyの確定要因の原理はアメリカの原理であるが、イラク戦争の指導原理となったものである。しかしクセノフォンのヒエロにおける独裁は唯物論者と唯心論者との二種類を原理としておらず、また二種類のうちのベイズの確率で推測すべき等という現代的な政治学を前提としておらず、古典的な独裁概念と名付けるべきものである。これを一緒くたにしたこれまでの独裁論は誤ったものであると言えるであろう。それが東西冷戦後のイデオロギーを超えての正しい選択においては活かされるべきであろう。
私たちは、ノンポリで、一橋大学が封鎖されていたときに、その封鎖を解くために学生大会で、「レーニンさえも目的のないストライキはするなと言っているではないか。」と演説し、企業からの献金を集めて3商大ゼミ討論会、一橋大学祭を開いた側の政治学のグループです。石原さんに最も近いわけです。
2007年4月5日(木)に読売新聞に必ず載るものです。
他の新聞の人はお読みください。
白メガネの都知事誕生(700万人が読みました。)166万票を獲得し当選を果たす。石原流都政運営の幕が切って落とされた。700万人の内、160万人が投票してくれればよいのです。
都知事 山口節生
[東京9日9時:日本一郎]
新都知事誕生! 石原氏の週3日ではなく、週7日間24時間密着取材OKとなって当然全マスコミが取材した。都知事選は衝撃的な選挙結果となった。何と都民は東西冷戦後の永遠平和都市を選んだ。戦後経済は米の1/4の軍事費に守られてきたと述べた。何故に石原前都知事は324r/kgのヒ素(広告審査済)のある土地に? 24時間ネットで24時間あくびさえもテレビマスコミに公開するという。7日間働くことがいつ地震等があるか分からない政治・経済なので知事は当然だとした。水曜のみは都民と午後5時から9時迄カレーを食べて夜の知事室懇談会を公開するとした。知事はこれ迄同様給与以外どの様な金も受け取らないから全部公開できるよと述べた。知事は10揃えの10万円のスーツ、紳士服飾、新白メガネを当選後即日揃えた。永遠平和(世界遺産)をイラク等全世界に宣伝して回るとした。選挙期間中は豊洲の新市場予定地の鑑定を始め全市区町村を隠密に回った。演説は政見放送によった。選挙中は電話世論調査を会社にさせても石原有利とは逆に山口が一番手と出てくるのに新聞予想(競馬新聞)はウソを書いていたとした。石原前都知事を親ナチとした中国には謝罪した。メディアセンター用の土地に適した土地を築地市場以外に探し回る姿が全マスコミに映った。9月迄に探しオリンピック計画を練り直すという。首都移転、地震対策、ベビーカーが闊歩する対策等大量の問題があり難仕事を平常心で週7日間マスコミに映りながらこなしていった。全労働の側に立つと確約したため支持は各政党を越えて幅広かったために副知事はそのままにするとした。
オリンピックのため各企業に1000億円の募金を割り当て、要請する案については採否を問うとした。
知事は戦没者の千の風は永遠平和の憲法と聞こえ特攻隊賛美との狂った前知事を批判し、おごりとした。
白メガネのおしゃれは永久に続けると都知事は述べた。
2007年4月1日(日)に朝日新聞に必ず載るものです。2007年4月1日(日)の朝日新聞にすでに載った新聞広告です。
他の新聞の人はお読みください。
山口新東京都知事誕生(600万人が読みました。)166万票を獲得し当選を果たす。石原流都政運営の幕が切って落とされた。700万人の内、160万人が投票してくれればよいのです。
都知事 山口節生
[東京発]
青島幸男知事流に自宅で理想の選挙を戦ってきた山口新東京都知事(57)は東京都を永遠平和安全都市とする宣言をしメッセージを全世界に発した。東京オリンピックは中国の反発がないので10q圏を中心に30q圏の施設を含め必ず開催できるとした。永遠平和への運動、核軍縮運動が全世界へ広がる夢の実現への第一歩であると述べた。浦和のマンションから東京のマンションに家族と共に移り公約を全力で実現するとした。選挙期間中新都知事が労働の側に立つこと、労働法制の改善に努力することを確約したため、憲法9条を守る主張の社会民主党のほか小泉手法に反対した国民新党、及び民主党のナチ的軍拡(核も含む)(改憲)の反対派、無所属都議反軍拡(核も含む)(改憲)派、及び自民党の三木派の流れの反軍拡(核も含む)(改憲)派及び日本共産党の反軍拡(核も含む)(改憲)派、元々反軍拡(核も含む)(改憲)派の公明党の一部及び日本新党が元官僚浅野氏がヒ素の土地同様、国会に従い一地方都市の問題ではないとしたため一斉に反発し、山口新東京都知事誕生となった。横田基地、防衛省等の所在する東京での価値は高い。過密解消の為、首都機能移転につき跡地利用検討委員会を作るという。自民党安部総理は国民投票法案にも影響すると答えた。又山口新都知事はヒ素が地表2m以下にも324mg/kg存在すると評価した元東京ガスの土地への卸売市場移転を即刻中止し、金銭裏疑惑を告発していくと述べた。新都知事の告発がなければ移転中止はなかった。石原都知事を親ナチとした。戦没者の千の風は永遠平和と聞こえると新都知事は述べた。選挙中は電話世論調査を会社にさせても石原有利とは逆に山口が一番手と出てくるのに新聞予想(競馬新聞)はウソを書いていたとした。新聞各社は主な候補に入れなかったことを山口新都知事に謝罪し(その裏の政治的理由を述べ)た。
山口新東京都知事は大と東大卒で経済学を、早大で政治学を修めた。山口厚生元大蔵省部長、山口公正元大蔵省銀行局長は従兄弟、九州佐賀出身で一字以外同名なのはその理由による。内政は現副知事のままでいくと述べた。
S28.04.15 大法廷・判決 昭和27(マ)148
衆議院解散無効確認請求 裁判官真野毅の補足意見は、次のとおりである。
内閣が活殺自在の劒を握つているようでは、どこに国会の独立と権威があるであろうか。これでは、三権分立も、抑制均衡も、民主政治も、憲法の根柢も、皆共に支離滅裂し、瓦解してしまうではないか。殷鑑遠からず、十数年前にある。あえて、ヒトラーの国会解散の暴政の数々の例を引いて、論証する煩を重ねることを要しないであろう。国会の弱体であるところに、独裁政治は常に頭をもたげて来る。憲法はどこにも、イギリス型の議院内閣制を採つたとは言つていない。強いていえば、欧洲大陸型の議院内閣制の下で認められるような制限的解散に類似する、六九条の規定が設けられているだけのことである。彼の太平洋戦争の苛烈な戦火の洗礼を受け、廃嘘のどん底に沈んだわが国民は、何物よりも独裁ないし専制政治の再現を、恐れかつ憎んでいるではないか。こういつた体験と環境と条件の下に出来た憲法を、前述のごとく成法上何ら確たる根拠もないのに、独裁ないし専制政治の再現を容易に招来することを許すような風に解釈せんとすることは、民主憲法制定の根本義を真に理解せざる近眼者流の論であると断言して憚らない。豊かな経験と高い識見を有する尾崎行雄氏は、憲法七条を解散の根拠とするようなことが行われるなら、「すこし気の利いたものが出れば、たちまち北条・足利の時代が再現する」と卒直にキツパリ言い放つている(昭和二四年一月三日読売)。
窯元同意
山口節生の世界65億人の市民に向けたマニフェスト
(基本姿勢)
私は東京を(永遠)平和安全都市とするため全勢力を傾けて、東京都及び東京都庁を駆け抜けて行こうと思います。
教育は子供達を守り、各個人個人の性格に応じて心豊かに育てて行く事を目的とする国家(都市)百年の大計であることから、個性を養い、能力を活かすことを中心に据えて、あの大熊重信候の様な大改革を行う。
福祉は誰もが陥る可能性がある弱き者、失敗した者、弱き女性や弱き子供を皆の税金によって救うことを目的とするものである。だから、社会にとって、なくてはならないものである。福祉の原則は真に必要なものはふんだんに与えることが経済全体にとっても貢献するものであるという視点である。それらの福祉行政によって消費が増大し経済に良い影響を与えるという視点である。
国土交通行政は開発と自然の観点から見直しを行う。東京にいい水、いい空気、いい景色・音を取り戻すために全力を尽くす。地価の高騰を抑え、正常な地価を形成し、超過密な東京都からの解消を目指す。
環境は人間の健康を維持するための最優先課題であり、国土、福祉、教育等の以前に考えるべき土台である。
永遠平和と安全は治安ではない。人を大切にし、教育、福祉、国土交通、環境が良くなれば人を憎まず罪を憎むの観点から、治安対策の中に安全と平和が自然と発生する。日本が銃・刀の社会になればニューヨークの様になる。その前に非暴力の観念の普及が必要である。それが永遠平和の観点である。その後での治安は安全を生むであろう。
チャウシスクの子供達は今ヨーロッパ中で自由な移民により、泥棒その他多くの犯罪をまき散らかしている。チャウシスクの犯した間違った政策から生まれたものだった。
1.都政運営の基本姿勢
@ 東京を世界に誇れる永遠平和都市として宣言します。
A 人を大切にし、自然を大切にし、環境を大切にする東京を創ります。
B 都民に情報を公開し、都民に判断させる透明性のある都政にします。
C 子供を大切にし、様々な意見を聞き、かつ、教育においては福祉と個性を最大限に尊重します。
2.緊急の政策
東京都の本当の問題は何なのか。その問題をどの様に解決しようというのか。そして東京をどの様にして行こうというのか。それが書いてあるのがマニフェストである。
(即刻やる政策)
第1に、土壌汚染地への中央卸売市場の移転は即刻中止します。
第2に、首都機能全面移転後、跡地利用検討委員会を即刻立ち上げます。
第3に、東京オリンピックの構想を10km圏から30km圏に変更して7月の申請に間に合う体制を作り直します。
第4に、新銀行東京については民間企業への売却を含め、様々な選択肢を検討する。但し、すでに民間企業であるので介入できる余地は少ないので、資本の出資の検討を見直すこともあります。
第5に、超過密な東京都の都市問題を解決するためには、首都機能の移転と共に、多摩地区の整備、震災への対応、木造建物密集地域への対策強化等の不動産学的対応が必要であります。
第6に、江戸城跡の復元整備を行い、世界遺産への申請を行える様に国との話し合いを始めます。
第7に、シルバーパスの年齢を55歳くらいに迄引き下げます。
第8に、夕方からの東京都庁を設け、開庁時間の延長を行います。
第9に、水曜日の夜5時から9時迄を東京都知事と市民の懇談会の時間として設定して、都民とのブレイン・ストーミングを行います。
第10に、住み心地のよい東京都を作ります。
第11に、道路投資中心から、バスその他の公共交通機関中心に変換を計ります。(シルバーパスもその一環)
(1年以内に政策を実施します。)
1回の首都直下地震によって最悪1万3千人が死亡し、85万棟が全壊・焼失し、被害総額は112兆円にも達します。この大半が東京でおきます。
東京には耐震性に欠ける住宅が133万戸あり、震度6 強の地震で倒壊する可能性が高くなっています。
住宅の耐震化補助、建替補助率をアップし、場合によっては容積率の割り増しでインセンティブを与えています。
(3年後の政策)
1.3年後には、東京都の合計特殊出生率を1.5に上昇させます。
2.3年後には、東京都の高齢者のための施設を開放的にし、かつ、数を30%増やします。
3.3年後には、住宅の耐震補助、建替補助率をアップし、場合によっては容積率の割り増しでインセンティブを与えて、耐震化率を95%にしています。
(5年後の東京都)
1.5年後の東京都は合計特殊出生率(平成16年合計特殊出生率は1.01、平成15年は1.00)が1.5(現在都政では試算なし)になり、奥様達がベビーカーを押して、公園を自由に歩ける、また水も空気もきれいな排気ガスの心配のいらない都市に変身しています。出産から5年目迄はシルバーパスが発行される様になっています。5年後の東京都は、産み易く、育て易い都市に大転換しております。
2.バスの広告等の解禁については三商大ゼミで都知事が提唱したものがまねされた面もあります。今後共にバス・地下鉄等の公共交通の発達により過密都市東京のいわゆる東京問題と言われているものを改善するために、都市計画における自然との調和を考慮に入れて、いい水、いい空気、いい景色と音を実現するために全力を尽くしていきます。
首都機能の移転をも考慮に入れれば自ずと今後の課題というものが明らかになっていっています。メトロポリスからメガロシティへ。
(全体的な統計数字と政策の効果)
統計資料については、人間の注意が及ぶ部分と、それが及ばない統計(例えばサイコロで3が出る確率)がある。人間が政策的に影響を及ぼし得る部分については、事後的確率から政策の有効性を推計するという手法によって、原因は何かを推計すると同時に、政策が有効であったのかどうかについて絶えず検証し、政策の結果を検証していく必要がある。
その検証の結果を、逆に、10年後に目標とする結果に到達するためには、心の援助だけでよいのか、物の援助も必要としているのか、友愛の援助が必要なのかについての判断の資料としなくてはいけない。
それは10年後に結果をえた場合にはもう一度検証し直す必要がある。
この新しい政府の手法は、政府の失敗を正すために必要です。政府とは行政をいっています。都と中央政府を含みます。政府は失敗しました。これまでの様に左翼や、右翼、特に超国家主義とよばれた日本特有のものにいたることなく、政府の失敗を正すためにも、若者の政治的な要求を満たすためにも、東西冷戦後のイデオロギーを超えての正しい選択は必要なものです。
そして永遠平和都市を宣言し、一歩一歩我々の10年後の東京に近づいていこうではありませんか。逆の選択はあり得ません。
(10年後の東京都)
1.緑を増やす。
2.3.耐震化
4.医療のメディカルスクール
5.観光
6.ユニバーサル・デザイン
7.新技術産業
8.再チャレンジ、人材育成
9.スポーツ、アジアとの交流、指導者の育成
10.人口増
八つの目標による類型化
1.水と緑
2.三環状
3.環境負荷を少なく
4.災害に強い都市、テロに強い都市
5.超高齢社会に対応する
6.産業力、観光、ユニバーサルデザイン
7.チャレンジと人材育成
8.スポーツを通じて海外と交流、指導者育成
(東西冷戦後のイデオロギーを超えて)
東西冷戦後のイデオロギーを超えての正しい選択はこれまでの右翼の石原氏からの特攻隊ではなく、いわゆるかっての勝手に、かっての都政に復帰することの様な古い都政ではありません。
また私は唯物論者でも、唯心論者でもありません。その両者の対立であった東西冷戦は、結果からそのどちらの原因が有力であったかをベイズの確率で推測すべきであると結論した新しい時代の新しいにんげんです。ヒューマニストです。
共産主義の側から永遠平和都市を宣伝するのではありません。ヒューマニストの非暴力主義者として宣言するのです。
唯物論者はすべてを物から見てすべてを否定します。物の下に文化があるというのです。従ってカントの「永遠平和のために」も書いてあるままには読みません。すべての思想を物から見て見下すのです。ただ書いてある通りに読むことが必要です。
左という唯物論者と、右唯心論者のイデオロギーを超えての正しい選択をしてください。
それが今の東京都民の、片隅を照らすという、東京都のために何ができるかという意味なのです。
選挙公報で、「どうせマニフェストは官僚が作ったもの、自民案、民主案、社民案を選択的によい部分を採用します。」と書いておいたので、以下参考のために、自民の石原氏の政策と、民主と社民のマニフェストを載せておきます。
充分に批判できるでしょう。それといかに山口新東京都知事が待ち望まれるかが、分かるでしょう。
日本共産党のマニフェストはすべていいと思います。しかしそれは何もしないで、国がすべてしてくれるような生活すべて保証主義の国家であればよいのですが、主体的な個人も自分で稼ぎ生活するような社会では国の負担がすべてになって、破綻財政になります。それが旧ソ連であり、旧東欧であったわけです。
今の最高裁判所の裁判官も、日本ではすべて唯物論に陥ってしまっている東大等の卒業生が相当数以上います。これが日本の社会を天皇制廃止をしますか、日本をやめますかの状況に陥らせているのです。最高裁判所の裁判官も、ですよ、信じられますか。それは東大等に行ってみないと百聞は一見にしかずで分からないのです。
では台湾ではない中国をどう見るのか。
BSハイビジョンで中国紀行を放送する予定のようですが、深せん、広州、武漢へと鉄道で旅をして長江・揚子江の水に触れてきた。武漢は良い人ばかりでした。山口新東京都知事誕生によって積極的に中国とも付き合うことになるでしょう。特に北京オリンピックのための。中国のよいところはよいと言い続けることが大切です。長江・揚子江はすばらしいし、そこに住む人々もすばらしい人々です。内政不干渉の原則でやっていくことになります。
図書館の
かわいいむすめ
バルセロナ
日本に行った
といい案内す
武漢への
寝台車の
男は
英語のうまい
女性の下
中国
寝台車
言の葉を
教える顔の
女いきいき
ぞうさんとありさん
山口節生
第一話
ある朝、森の中でぞうさんは眠くなって寝ていました。そこに巣穴から出てきて食べ物を探し回っていたありさんがやってきました。ありさんはぞうさんがあまりにも大きかったので、なんであるかわからなかったので冒険をしてみようと思いました。まず足から上がってみようとしたようですが、足が足であるとは分かりませんでした。
ありさんはにはぞうさんの足が大きなお城に見えました。「さあお城の探検だ。」と思いありさんはお堀を渡るつもりで、ぞうさんの足の近くにあったちいさな水滴の近くを通って、ぞうさんの足の爪に乗ってみました。足の爪は大きくてありさんにとっては、何か大きなお城のはね橋の先にある大きな道に見えました。その道は固くて、宝石がしきつめられた黄金の道にみえました。しかし、その道も30分もすれば何か大きな崖につきあたりました。その崖はなぜか付け根のところから盛り上がっていました。これは大きな崖をよじ登らなくては先には行けないなと思いました。しかし、あまりにも高い崖に突き当たったと思い、これであきらめてこの冒険は終わりにしようと思いました。だが、あきらめてしまってはありとして恥ずかしいと思いました。そこで意を決して根元のみぞから崖の最初の出っぱりにとび移りました。とび移ってみればその崖は意外とやわらかくあったかでした。居心地がよいのでそこで寝ていようかとも思いました。ゆりかごのようだと思いました。でも、あったかいゆりかごにするには少しごつごつした感じがしました。だから、もう少し行ってみようと思いました。
崖は高いように見えましたが手掛かりもよく、意外と簡単によじのぼれることが分かりました。
ぞうさんは5mも横幅がありましたが、ありさんは5mmでした。従って横幅で1000倍、高さでは3000倍もありました。単純に計算しても面積では100万倍、体積では10億倍もありました。だから、ぞうさんではなく、ただ単なる崖であるとありさんが思っても当然のことでした。ありさんとぞうさんでは形が違いますから、この単純な計算は更に大きくなるわけです。
ありさんは何かは分からなかったのですが、ぞうさんの爪から肉の上へはい上がるようにしました。よじのぼってみると、その先の景色は、その歩みは始まったばかりで、どれくらい続くかわからないくらい果てしのない旅に思えました。しかし、ありさんはえさがあるかもしれないと思い、歩きはじめました。
途中では危ないと思ったところはよけて歩きました。
爪の上をはい上がっていくと、足の付け根のところにつきました。それからおしりの所へ、更にぞうさんの背中をてくてく歩いて目の所に行きました。目の中は池の様にみえて、さすがにとびこもうという気持ちにはなりませんでした。目のまぶたのところから池の様な目を見ていたら、突然まぶたが動きました。びっくりしてありさんは地震かなと思いました。そのあとでありさんはぞうさんの鼻のところに行きました。すると突然、ぞうさんは鼻を下から上へとずうっとふり上げたのでありさんは遠くへとばされてしまいました。
第二話
ありさんはぞうさんの鼻から遠い木に投げ飛ばされて木に当たり、バウンドして木の下に落ちてしまいました。木の下からまた歩きはじめて行きました。するとそこにはまた例の同じぞうさんがいました。あまり遠くまでは飛ばされていなかったのでしょう。つまり、ありさんがぞうさんに較べるとあまりにも軽かったので、ぞうさんが鼻を上へ上げる力がいくら強くても、その力がありさんにはあまり及ばなかったのでしょう。しかし、ありさんにとってはぞうさんのもとに帰るのにはとてつもなく長い距離でした。
ぞうさんの上にのぼろうと思いましたが、土地の上からぞうさんの上にのぼるのには、また鼻から、あるいは足から上がるのしか方法はありませんでした。ありさんは、ぞうさんの上にはどこかにいいエサがあると思いましたから、またのぼることにしました。まず鼻が地上におりてきた時に、ぶらんこにのる時の様にひょいと飛び乗り、また頭の上まではい上がって行きました。頭の上ははげたおじさんのようでしたが、しかしつるつるとしているわけではなく、多くのしわがあり、上がってはおり、おりては上がりの連続でした。
5000日本大学法学研究年報の原稿
政治学の根本理論と根本問題――東西冷戦後のイデオロギーの終焉と政治学と政治過程、政治思想、政治哲学の根本問題―
山口節生
序 政治の基本機構のあり方―東西冷戦後の政治学の根本問題―衆議院における議論を中心にして
平成14年11月14日(木)、衆議院では「政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会(第1回)」において、会議に付した案件「政治の基本機構のあり方に関する件」上記の件について参考人高田篤君から意見を聴取した後、質疑を行った。その後、委員間で自由討議を行った。
参考人、京都大学総合人間学部助教授 高田篤参考人に対する質疑者は、衆議院議員の中山正暉君(自民)をはじめ伴野豊君(民主)
ほか7名であった。
この意見聴取及び質疑応答は政治学の一般的な回答を求めているのではなくて、東西冷戦終了後の政治についてほとんど全く政治学での分析が存在しないので、現実の政治について右往左往している衆議院議員9名が東西冷戦とは何であったのか、東西冷戦終了後はどのような政治になるのか、つまりはどの様な政党になるべきであるのかについて実際的に質疑し応答を求めた画期的なものであったと考えられる。
高田篤参考人の意見陳述は「現在、政党に対する批判が強いが、政党は立憲主義にとって不可欠の構成要素であり、政党の存在意義を積極的に基礎付ける必要がある。1.
政党についての憲法理論的省察、多様性を有害であるとするシュミットは別として、多様性を尊重するケルゼン、ヘラーや、多様性をより積極的に意義付けようとするマディソン、アレントは、総じて多様性を積極的に評価しており、政党は、この多様性に立脚し、民主制に合理性をもたらす不可欠な存在であると積極的に基礎付けられる。2.政党の憲法(社会)科学的省察
ア 民主制の社会科学的把握 民主制を社会科学的に把握すれば、(a)政治的コミュニケーションから成り立つ争点化、(b)選択肢の形成・提供、(c)暫定的決定、(d)決定の受容という多段階からなる包括的なシステムと理解される。 イ 政党の民主制の前提条件形成機能
政党は、これらの各段階において(a)政治リーダー候補者のリクルート・育成、(b)政策の策定、(c)有権者への選択肢の提供等の民主制の前提条件形成にあたって、決定的な役割を果たしている。 ウ 政党民主制展開の三段階モデル
第一段階(政党民主制確立期): 議員政党(党員は地主、商工業者層)、第一次産業就労人口(50%以下)
第二段階(大組織の時代): 組織政党、第一次産業就労人口(40%を切る)第三段階(脱工業化社会): 組織政党の揺らぎ、第三次産業就労人口(50%を超える)
エ モデルの第三段階における普遍的課題 社会や「個人」が複雑化・「断片化」した第三段階では、政党は政治的なコミュニケーションにより、国民各層の政治的な見解を反映することが困難になり、また、特殊個別利益に定位することが相対的に多くなる。こうした状況に適合するため、政党・政党システムが十分な複雑性と「断片性」を備えることが必要となる。また、我が国に欠けていた要素として、政党の公開性と透明性の重要性に着目する必要がある。」というものであった。
高田篤参考人に対する質疑者は、中山 正暉君(自民)、伴野豊君(民主) ほか7名の質疑であった、それらに本論文も答えるという形で論文を構成していく。テーマは東西冷戦の終焉が政治に何をもたらすのか。イデオロギーの終焉のみであるのか。東西冷戦後の政治学の根本問題は東西冷戦後という特殊な政治情勢を反映したものとならざるをえないが、東西がまた南北が一体となるということはどのような政治が期待できるのかに言及したい。
現実政治の分析に当たっては過程論、集団論、行動論的アプローチを採用した。その他の政治学方法論には規範的分析、行動論的分析、政治機構的分析、政治過程研究、政治歴史的研究、政治思想分析、現実政治分析などを採用すべきである。但しバーリンは政治の歴史法則について歴史の必然性を強調しすぎることには批判的である。個別の政治的決断について新しい方法としてのベイズが考えかたを取り入れたり、意思決定の理論や政策決定の理論を新しく考えることも大切であろう。政治心理の分析や、投票行動の分析など政治学の担当範囲は更に広がり、更に困難を極めるものになっていくであろう。政治と政治学の新方向を予言した多くの学者がいた。その予言は東西冷戦後あまりに急激に実際政治が変化し政治学根本問題はバーリンが指摘した以上に難題を担ったまま未解決である。解決の方策が模索されている。古典に学ぶべきか、歴史に学ぶべきか、法と規範に頼るべきか、機構の分析にとどまるべきか、政治法則を歴史の必然性として決定すべきなのか、現実政治に学ぶべきか。政治学者は常に多くの悩みをマスター・サイエンスである政治学確立のため背負わされている存在である。永久に未解決のままであろう。
東西冷戦後政治学の根本問題はどのようなものであるのか、東西冷戦とは何であったのか、東西冷戦が日本にどの様な影響を与えていたのか、東西冷戦の終了がどのような影響を今の日本の政治に与えているのかについて政党、議会、圧力団体及び自由と平等の法政治哲学の問題と共に考察するのが本論文のテーマである。先に結論から述べれば、結論として唯物論とそれに対抗した資本主義理論との対立の解消は新たな分析が必要になってきたのではないかと言うことである。唯物論の成立はカントやヘーゲルの観念論からそれへの弁証法的な対立物として発生したものである。歴史的なテーマでもある。しかし東西冷戦の終焉が歴史的な大事件であったということは事実であって、歴史に長く記憶されることであろう。従って政治も政治学もそれ程大きな転換期に来ているのに政治学にその意識が少ないことはなげかわしいことである。
イデオロギーの終焉が言われたのはずっと前のことである。長い間に政治学は実際の政治がイデオロギーから脱却したような意味での社会を形成していたことを知らなかったのである。そのためイデオロギーの終焉を迎えた実際の政治をうまく分析する手だてを考案する方法を失っていたといえる。方法論は今後政治学に必要なものとなると考えられる。このような問題関心の下で論を進める。自由と平等については日本では研究が少ないが、アメリカ・イギリスでは政治学でも十分な研究がなされている。これは自由意思論の伝統が学問の中に定着しているからであり、政治学でも定着してきて、移行してきているからである。特にマルクス主義がなくなった後平等をどのように取り扱うのかの問題が憲法上も重要な問題として提起されると思われるのでこの点にも言及する。イデオロギーにおいてはマルクスのような偉大な人間がすべての思想を作り上げていると考えられて、その思想の中にすべての自由平等のカタログが入っていると考えられるので政党の定義もイデオロギーと共に確定しやすいが、アメリカの政治におけるようにイデオロギーから脱却してイッシュー毎に意見を議員と国民から徴するという考え方からすれば、政党を一つの法的主体として確定することはイデオロギー政党よりも難しいことになる。しかしある行為が政党の名前でなされたときには政党を法的に定義することは可能であろう。右と左という概念が永遠普遍の概念であるとは限らないのである。
政党はイデオロギー政党から脱した後、どの様な方向に進むのであろうか。唯名論や唯物論(リアリズム)に代わってどの様な方向をたどるのであろうか。結論としては唯物論、あるいは資本主義に代わる新しい方法としてのベイズの考えかたを取り入れる必要があると考える。一種の政治的意思決定論である。危険をなくし、安全を確保するための、また国民が幸せを得るための方法論である。その少しの差が政党の別を作るといえる。
政党政治が君主論の時代とは違って政治の基本であるから、東西冷戦後の政党の根本問題について論じる必要がある。世論の形成の方法の問題でもある。世論の形成において重要な役割を有している政党が政治学の基本である。しかし政党の成立する背後には政治的意思決定論に有効な政党の自由と平等に関するカタログが含まれているべきである。それも予算の範囲において可能な限りの努力によってである。政治経済学及び政党のよってたつ原理が東西冷戦後もなお必要であるからである。
バーリンが消極的自由に対立する積極的自由を述べたことが法哲学、政治哲学上の東西冷戦の意味の解明であった。東西冷戦後バーリンが消極性のある自由に対立す積極的自由をどのように言うのであろうか、そしてソ連崩壊後の、東側の崩壊後の自由についてどの樣に理論付けをするのか、ミルとバーリン亡き後にその声を聴こうとしたのが本論文であり、東西冷戦後の政治を分析した数少ない論文の一つとして政治経済学の研究者に、政治を見る人々に役に立てばと思い、研究をしたものである。日本でも世界中同様に現実的には都市化が進む過程にある。都市化には農村部でも起こっているコンピューター化や、ネットワーク化も含まれている。農村から都市部への移動が行われている。都市化による民主政治の転換を考察するべきである。農村型政治から都市型政治への分析は内田満論文集の中に見られる。
内田満教授に「政治とは何か、法とは何か。」を研究してみたいといい、注の付かない論文を執筆してみたいとわがままをいい、更に有賀弘教授に政治上の自由について研究してみたいといってから随分時が経った。時に東西冷戦終了の声を聞き本当にびっくりしたのは昔のこととなった。今この論文が書き上がればわがままは通ったことになろう。
1 政党政治と民主政治
ア 政党の地位と党首の地位
「仙 谷 由 人君(民主) 現在の我が国に現われている政治や行政の制度疲労の問題についての大きな原因の一つには、憲法の構造上の問題があると考える。憲法では、「政治権力をつくる」ということの意味が明確にされていない。議院内閣制の下では、議会が政治権力をつくり、その実質を担うのが政党であることを、憲法上明らかにした方がよいと考えるが、いかがか。」
「金 子 哲 夫君(社民) 政党は民主主義に欠かすことができない存在であるが、民意が多様化していく中で、政党はどうかかわっていくべきと考えるか。また、その中で、選挙の際の投票率を上げていくためには、どのような工夫が必要と考えるか。」
民主党と社会民主党からの二つの質疑についてまず考察する。
政党について法的な根拠は実質的には政治を担っているが、憲法上も、法的にも主体となりうるのかという質問であると考えられる。また政党は東西冷戦終了後変化が激しい 民意をどのように吸い上げて変わっていくべきであるのかという問いである。政党は公約を行い、あるいはマニフェスト選挙においてはマニフェストで公約したことができなかった場合どの様な責任をとるべきであるのか、法的な根拠があるのかという質問であろう。政党の党員が政党の党員として行った行為について、政党が政党として行った行為について法的責任があるかという質問である。では歴史的にさかのぼって君主政治の時代には君主は法を越える存在であったのか、法の下にあったのか。その後の政党の党首は歴史的に君主と対抗して生まれたのであるが、その際に党首はどのような地位にあるのか。党首は政権を担えば君主と同じく議院内閣制の下では内閣の総理大臣となり、行政の長となる。この際には公務員としての責任を負う。政党は法的にはどの様な存在であるのかという質疑である。たとえ政権を担うことができなかったとしても政権予備軍、かってならば君主予備軍であるということができる。影の内閣シャドー・キャビネットを形成しているといえる。大統領制においては当選すれば内閣総理大臣ではなくて元首であるので、更に君主に近いものとなる。立憲君主(天皇)制議院内閣制の日本では元首は天皇である。党首の段階では法人格がないのに、内閣は法人格を有する。政党については党首が人間としては法人格を有したとしても政党は法人格を有しないのであるのか。その差があまりにも大きい。従って靖国訴訟においては法人格を有した公務員である内閣総理大臣としてなのか、私人としてであったのかの問題が生まれたといえる。
この論文では、党首はマキャベリの君主論における君主ともっともよく似ていると考える。マキャベリの君主論は、またマキャベリの政略論における指導者像は現代にも通ずる政治の要素を把握したものであった。君主論という君主のことについて述べた古典を学ぶということは党首論という現代的な意味も持ちうるという主張も否定できない。東西冷戦後政治学の根本問題とその解決について考察するに当たっては方法論としての、政治とは何かの論理、政治学、政治思想論、政治哲学のどれもが一つの転機にたたされていることは否定できない。党首論は君主論同様に政治の根本であり得る。党首と政党は政治学、政治思想論、政治哲学のすべてを具体化した人間と団体のことである。人間である限り個人であり、団体の構成員であるから人間の研究と団体の研究は共に不可欠である。参考人の言う通りに「現在、政党に対する批判が強いが、政党は立憲主義にとって不可欠の構成要素であり、政党の存在意義を積極的に基礎付ける必要がある。」のではあるが、党派的であることを批判的にみるのか、当然のことであるとみるのか、団体や社会を多元論でみるのか、一元論でみるのか、個別利益をよしとするのか、不可とするのかなど東西冷戦後の政治学の根本問題を網羅的に研究する必要がある。政党は多元論においては多くの集団の一つであり、政治的な主張を持つ重要な団体である。政党の主張には自由と平等に関するカタログが含まれる。それならば人間と同じように主体を持ってもよいであろうということになる。綱領や、規則を備えて登記されれば法的に問題はないと考えられる。しかし多くの問題を抱えている。
政党の持つべき政治のカタログの中に入るべき自由と平等については政治哲学的には東西冷戦までの政治は自由と平等は対立的であり、自由と正義、平等と正義が論じられてきたが今後は正義が発展して自由・平等と正義という包括的な政治学が必要となってきたといいうるのである。その際現在人類永遠のテーマとして日本で問題となっている永遠平和主義の日本国憲法の第9条の問題も避けては通れないことになる。
党首は政党の党首である。政党はひとつの重要な政治的な存在であるが、法的な存在でもある。政治がポリス的動物である人間にとって進路を指し示す重要な何かあるものであるとすれば、政治も政党も人間の社会におけるもっとも重要な存在である。しかし政党の存在そのものが本質的に研究されたことはほとんどない。これまでサルトーリやデュベルジェらは政党を研究の課題としたが、あまりの変幻自在性ゆえにほとんど手がつけられなかったと考えてよい。今後東西冷戦後の政治学の根本問題とその解決法を模索する本研究は世界の平和のためにはまず政党の研究は不可欠であろう。政治の過程においては重要な概念となったのであるが、公的な政治機構の中には憲法上ははいっていない政党がなぜに重要な存在なのか。また実際は法的な存在であるくらいに大きな存在であるのに、政策を誤って行った場合でも政党に損害賠償請求できないのは、なぜなのか。政党が政策を誤ったからといって政党に対して本当に法的な損害賠償請求権が国民に発生するといえるのであろうか。政党はサロン的な自由な思想の表明の場としてあったのであり、サロン的な存在ではないとされる独占禁止法上事業者団体との差は考察の余地が政治学上もあるが、アメリカの独占禁止法における差止制度と損害賠償制度を制定しようとしたアメリカ側に対してそれを阻止した日本における原始独占禁止法、現行独占禁止法の制定などにおける政治過程上の複雑な経緯も研究の対象とする予定で、またその後の差止制度と損害賠償制度を導入した平成13年の独占禁止法における差止制度の導入についての政治過程も研究の対象とする予定であるが本論考には一部哲学の部分以外は含まれない。独占禁止法は東西冷戦後自由平等の経済思想が普及する中で経済憲法として重要な位置を占めている。
高田篤氏の説明によれば、ア 民主制を社会科学的に把握すれば、(a)政治的コミュニケーションから成り立つ争点化、(b)選択肢の形成・提供、(c)暫定的決定、(d)決定の受容という多段階からなる包括的なシステムと理解される。 イ 政党の民主制の前提条件形成機能
政党は、これらの各段階において(a)政治リーダー候補者のリクルート・育成、(b)政策の策定、(c)有権者への選択肢の提供等の民主制の前提条件形成にあたって、決定的な役割を果たしている。
現実の政治における政党の機能を見てみる。政治は寡頭制の鉄則を主張したミヘルスの研究以降、ポリアーキーの概念を導入するダールにいたるまで民主政治を根本理念とする。民主的であることを社会主義的にとらえるのか、自由民主主義的にとらえるのかは別にしても、政党は何が現在大切な問題であるのかを政党そのものが国民に知らせている、あるいは、国会中継を放送するマスコミを通じて、あるいは、他の者の著作物による本やパンフレットや自らのデモンストレーションを通じて国民に知らせている。その資金が政党によってまかなわれている。政治的活動を行うには予算が必要という意味では経済的な存在である。すべて人はポリス的動物であるとすれば政治的活動を行うことは憲法上の自由に含まれている基本的人権に含まれる。すべての政治団体にはこの機能が存在する。マスコミは政党の活動としてさまざまな活動を報道する。政党は一つの主体的組織として意見や、言葉や概念は述べ、社会を大きく変化させる場合がある。政党は言葉や概念によって大きく社会を変化させうる力をもっている。言葉や概念を思想という場合にはよい思想をひろめることによって世界をよりよくしようとし、人類の叡智を人類全般にひろめようとしているのである。政党は日々の政治活動を通じて日々の日常の問題を訴えかけて、人類の叡智によって社会にある問題を解決しようとはかっているのである。
イ 政党党首と党員―党議拘束―
金 子 哲 夫君(社民)「参考人は、党議拘束は将来的に緩和されるべきと言うが、比例代表制による選挙では有権者は政党に投票することになっており、比例代表選挙で当選した議員は政党の決定に従って行動すべきではないのか。比例代表で当選した議員が所属する政党と異なる政治行動をとることに問題はないのか。」
政治は生活のすべてをおおっているがすべての人間が政治的活動を行うのではない。本を書く人がいるのと同時に、本を読む人がいる。同様に政治的活動は影響を与える場合と影響を受ける場合の二通りがある。そのどちらの割合が多いかは主体性の問題である。多党制の場合には意見の違いが多くの政党を産む。日本でも政治団体としての届出は多い。意見を二つに集約しようという二党制の場合には一つのイッシュー毎に意見を求め、決定するが、二党制になった場合でもアメリカの場合には党議拘束は弱く、ログローリングのような制度も存在する。よき国民であるということは、よき政党人であることであろうか。政党はどの程度にポリス的動物である人間の本性をつかまえているのかにかかっている。いい政党が無い場合には多党化する傾向にあるといえる。外国に居住していて、参政権がなくてもよき国民でありうるように、よき国民であることはよき政党人でありうるであろうか。国家は領土と、国民と、主権から成り立っている。国家の内にはさまざまに相違する多くの国民がいる。そして外国人もいる。よき国民とは一般には法を守り、徳を持ったよき政党人である。外国人であっても法を守り、徳を持ったよき政党人でありうる。政党を応援し、活動を行っている場合である。その場合には漠然とした定義ではあるが、同じような政治思想を持っているものが政党人であるという定義を使っていることになる。そうなると政治思想や、政治思想史を学ばなくては定義そのものがあくまでも漠然としすぎることになる。分類そのものができなくなるのである。分類が出来なくても政治的なものを人間は持っているのであるからすべての人が政党人ということになる。それはアリストテレスのいう「人間は政治的動物である。」という意味においてである。しかしそれが巨大な二大政党になるまでには多くのプロセスが存在するであろう。
コンピューターでテレビまでがデジタル化される時代には自由を考慮する必要がなかった事柄にまで自由を考慮する必要に迫れている。ブログによる意見の発表であり、情報公開制度による公開情報などである。個人情報保護法や防犯ビデオの範囲などの問題である。しかし0か1に変換するといってもあくまでも全体が一つであり、根本は人間一人を一人と考えるという平等論に帰着するというバーリンが平等論で述べている事態に変化は無い。つまりは人間を一人として認めること以外には何も出発点はないといえる。
ウ 政党と圧力団体と政治献金
「春 名 直 章君(共産) 政党は、日本では結社の自由に黙示的に組み込まれたものとして、ドイツでは国家機構の構成部分として、それぞれ憲法上位置付けられていると考える。また、我が国では利権政治という政党以前の問題もある。このようなことを踏まえ、憲法と政党との関係を考える場合の基本認識を伺いたい。
1994年の我が国の「政治改革」には、違憲的なものがあるのではないか。また、参考人は、「政治改革」がドイツの制度の「いいところ取り」と指摘するが、これはどういう意味なのか。政党助成が政党の政治資金の5割を超えれば違憲であると判断したドイツ憲法裁判所判決の意義について、見解を伺いたい。
政党に対する企業・団体献金は、利権政治の温床となっており、企業・団体に参政権がないことから禁止されるべきであると考えるが、いかがか。また、民主制のルールのうちで最も重要である政治と金に関するルールをきちんと作るべきであると考えるが、いかがか。」
政党の規定を憲法が持っているドイツとは違って、日本国憲法は政党の規定をもたない。しかし実態としては政治の中心として多くの政治献金を受け取っている。政治献金に頼っているのはアメリカの政治において特に特徴的である。また政党助成法により政党の規定と政党助成が行われている。
政治学には個人と団体の問題がある。政治は個人の問題であると同時に団体の問題でもある。圧力団体はイギリスでは多くは利益団体と呼ばれており、アメリカではロビー活動を法的に規制しているので圧力団体と呼ばれることがおおい。また「自由放任の終焉」書いたローウィは利益団体リベラリズムと大恐慌後のアメリカ政治を描いた。これはウッドロー・ウィルロンが「新しい自由」を書き、委員会中心の政治の動きを描写したのとパラレルであるといえるであろう。圧力団体の多くは事業者や消費者や労働者の団体である。事業者団体は独占禁止法によって、消費者は消費者保護の法によって、労働者は労働法によって規制されている。独占禁止法上事業者団体とは事業者が二以上集まったものである。これらは利益団体あるいは圧力団体と呼ばれて政党と一緒に研究されている。政治過程の研究である。独占禁止法において経済的自由を導入するときの政治過程は研究するには歴史的にも第二次世界大戦後の状況と今を比較しながら研究していく必要があるので、難しい課題である。それらは政治に利害関係が発生した場合には最高裁判所にも、国会にも、行政機関にも関係を持とうとする。その場合の政党の機能は主に二つあり、意思の表明と、コミュニケーションのチャンネルの提供であるとサルトーリは提示している。この政党の体系的な役割はすべての団体を包括するような全体的なものである。国や地方や地域に問題が起きたときに国民および世論にどのような問題提起を行うのか、どのような論理で演説を行うのか、そして人々にどのように訴えるのかが政党によって意思表明されなくてはならない。平和な時代における平和な兵器を国民から預かっているような存在が政党である。君主論は君主政治について、共和政治については他の書物ディスコルシと一般に呼ばれているローマ史論にマキャベリは書いたといわれてはいるが、民主政治における党首が「君主論」における君主と似ているのは君主と党首の両者がおかれている政治状況からも伺える。
政党がとらえがたいのは政党の存在意義が、自由の存在意義と似ているところからきている。結社の自由から発生した政党はいつでも自由に他の結社を形成できる自由からできあがっている。サロン的な存在であるといえるからである。自由が様々な性質を持つように政党も同様な程度に多くの性質を持ち、どの性質によって本質が定義できるかは政治学の新たな課題である。これまでは主に資本主義国家圏に味方する西側諸国に好意的な政党と、共産主義国家群に味方をする政党に分けることができたが東西冷戦後の政治学の根本問題は東西冷戦の終焉に起因している。事業者団体でその団体に独占性と必須性がある場合には容易に他の事業者団体を形成することは出来ない。領土にしばられている国家についても容易に他の国家を形成することはできない。自由は拘束のない状態であるから、政党は政党人が他の政党を容易に作ることを妨げることは憲法上許されないからである。人間は自由な存在であり、外部からの妨害がない限り、自由な活動を行う存在であり、自由に変形可能な存在であるからである。
自由な制度は結社の自由が保障され、政治的自由が確保されて初めて担保されうる。
自由民主主義には三つの種類がある。そのいずれも民主主義を前提としている。民主政治の基礎は個人の自由にある。これは自由民主主義の前提である。そのような個人をどう調整し、どのようにして国家に統合するのかが政治の課題であり、政治の結果国家が制定した法の課題である。法の支配が憲法によって保障され、言論と、討論の自由が確保される必要がある。憲法が国民主権として表現しているものである。日本国憲法が民主政治と、平和主義と、基本的人権の尊重をうたっている理由は個人の自由を基礎としているからである。結社の自由はできるだけ多くの結社がうまれることを想定しているが、同意によって二党政治に、あるいは、主導権を一党がとった二党あるいは多党政治になることを妨げているものではない。国家機構としての三権分立制は独裁を予防しており、一党独裁によって言論の自由を禁止することは許してはいない。一党独裁によって自由民主主義を達成しようという考え方も含まれている。マルクス、エンゲルス、レーニンという共産党宣言以来の考え方である。国家が独裁の思想は許しているという見解もある。それが現在の危険を明白に予見されない限りという停止条件をつけているが。
古典古代から多くの政治思想が生まれた。世界には名著として古典古代から、中世から、近世から時をへだてて読み継がれてきた多くのクラシックと呼ばれる政治思想がある。世界の名著にはそれぞれによい思想と思われる思想が含まれているからこそ、読み継がれてきたといいうる。どのような政治思想を持つのかについては超国家主義のような政治思想やナチズム、ファッシズムのような政治思想もあるので、じゅうぶんに内容や結果を政治思想として検討した上で論じなくてはならない。経済思想についても同様である。特に経済思想は物を奪うという思想も経済思想であるという考え方もあり、批判のみでなく積み上げられた思想が必要である。政党を同じような政治思想を持つものが集まった集団であり、特定の原理を信奉するか、所持する集団であり、かつ選挙において候補者を擁立する政治的集団として政党を定義するのか、選挙という概念を政党の定義に持ち込まない方がよいという意見にくみするかは別としても、同じような政治思想による特定の原理をいう考え方はじゅうぶんに検討に値することである。特にイデオロギーや理念の終焉が叫ばれてからあまりにも多くの時代と期間が流れてしまった現代においてはじゅうぶんに検討し直すことは特に重要である。
東西冷戦後の政治学の根本問題とその解決はこのイデオロギーの終焉の問題の解決と深い関係を有している。バーリンが消極的な自由と積極的自由の二つの自由の問題を提起したこの問題こそ東西冷戦後の政治学の根本問題であるといえる。この問題は自由論に大きな解決を迫っている。
エ 政党とメディア・ポリティックス
仙 谷 由 人君(民主) 「議会及び政党の役割として「争点化機能」は大切であると考えるが、昨今、メディア政治・劇場政治と言われるような中で、国会が確かな議論を行っているにもかかわらず報道されないという問題がある。その一方では、ワイド・ショー番組によって形成される「世論」なるものが存するようであるが、参考人は、今後、こうしたメディアと「争点化」の問題をどうすべきと考えるか。」
自由は情動的であるというのはイギリスの政治学者のモーリス・クランストンである。理の政治理論か、情の政治理論かというような政治思想上の問題が投票に影響を与える度合いと同様な程度に、マキャベリの言うような慇懃さのような党首の態度によって判断されるようになってきた。
慈悲心よりも冷酷さによって、チェーザレ・ボルジアは混乱を治め、統一し、安定させ、忠誠を誓わせたとマキャベリは評価している
人のぬくもりを感じる政治か、人当たりのよさの政治かのようなテレビ映りを重視したような政党の見方も普及してきた。言葉による政治という意味でメディア・ポリティックスとか政治宣伝の方法や、選挙株式会社の研究が進んできている。フランスやアメリカの選挙においては特に大統領選挙においてはリテラシーやメディア・ポリティックスの側面は大きい。テレビにおける党首討論が生中継される時代には、党首の指導性の好感度はテレビ映りのよさによって形成されることが多くなってきた。アメリカにおける二大政党の党首討論、日本の国会における党首の代表質問、イギリスの国会討論、フランスの大統領選挙においてのテレビ討論などによって選挙の際の投票行動が影響されることが多くなってきた。少数政党の排除の作用を有するという指摘もある。党首に人間的な温度を感じるかどうかの温度差が投票結果に影響を与えているという結果からみれば確率的には重視すべきであるということになるのである。親近感や顔などの好き嫌いや好感度が、投票結果を左右している確率が大きいからという理由によるのである。テレビに頻繁に登場するかどうかが投票行動と投票結果に大きな影響を与えることは容易に理解できる。従ってメディア・ポリティックスという観点からはテレビなどのメディアの買収やらが功を奏する場合も考えられる。イラク戦争においてはアルジャジーラが活躍し、マードック氏がメディアを買収しようとしたり、イタリアの大統領がメディア王であったことも記憶に新しい。
しかしテレビメディアの世界においてはリンカーンが南北戦争前の人種差別に関する討論を行ったときのように現実の政治的問題に対する討論の内容、特に言葉による政治にも大きく影響されているといいうる。大統領職に必要な資質は古典古代のギリシャ、ローマの時代からの雄弁さという資質が重要であり、その資質は政治思想とも深く関係しているといいうるであろう。大統領の指導力もリテラシーによって影響を受ける。新保守主義を標榜したブッシュ政権には保守主義の学者がいたといわれている。国会の討論の生中継や、国会の委員会での討論やらにおいて雄弁さを誇示し、その討論がニュースや中継で放映されることによって党首や政党人に対する評価が高まる。キケロMarcus
Tullius Ciceroの雄弁さやリンカーンの討論時の演説はつとに有名である。紀元前44年に古代ローマの政治家キケロが行った、アントニウスMarc
Antony(Marcus Antonius)を激しく攻撃する13回の演説や、1858年のアメリカ中間選挙で民主党の有力者
S.ダグラスと共和党の A.リンカーンの間で、春から秋にかけて7回にわたりイリノイ州の各地で行われた討論は討論を厭わない自由な気質から生まれたものである。リンカーンはその後の1863年11月ゲティスバーグの演説においては「人民による人民のための政府は地上から消滅させてはならない」という不滅の言葉を残した。リンカーンの時代はテレビがなかったので討論は全国に中継されたわけではなかったが、全米に大きな影響を与えた。この際に問題になったのは人種差別と平等の問題であり、現在もアメリカ社会で続いている人種のるつぼの中でのエスニッシティーによる不平等の是正の問題につながっている。ヒスパニックの人種や、黒人の人種の問題など今も続いている問題である。雄弁さeloquence
、silver tongue、oratoryなどと呼ばれているものが必要だと考えられている。キング牧師の公民権運動における演説も有名である。
この当時はテレビ中継がなかったのでテレビ映りのよさよりも雄弁さが重視された。古くからいわれてきた雄弁さは古典古代のギリシャ、ローマの時代から討論の自由があるところでは常に大切な資質であると考えられてきたのである。民主政治にとっては討論の自由、表現の自由はもっとも重要な基本的人権の一つであった。国会の不逮捕特権にも表現されている。政治思想や、思想の共有化、伝播のためにも必要なものである。たとえばギリシャ、ローマの時代には奴隷制度があったが、それをアリストテレスの広範な教科書の中に見つけ出すことができないという議論もする。学問や討論の自由があったからリンカーンは主張できたのであり憲法の規定の存在が必要であり、リンカーンの演説から得られるものは更に多くなる。討論のよさによって社会をよりよい方に向かわせることができるのである。よい社会を作るという意味では、本当の選挙と本当の戦争は似ているようで似ていない。戦争は破壊するが、選挙はよい社会を作ろうとする建設的なものであるからだ。戦争が心理学的なカタルシスによって選挙に変化したといえる。
オ 政党と選挙と政治的な諸団体
「松 浪 健四郎君(保守) 参考人は、政党についての憲法上の根拠を21条の結社の自由のみで十分と考えているのか。議院内閣制は、政党政治である以上、憲法に政党について明記する必要があるのではないか。42条は二院制について規定するが、政党が充実していくことを前提に、今後、一院制へ移行していくべきではないか。また、二院制を維持するのであれば、参議院を職能代表とする等両院の機能分化を図るべきではないか。
現行の衆議院議員の選挙制度である小選挙区比例代表並立制については、違憲ではないかという議論があるが、参考人の所見を伺いたい。」
「 福 井 照君(自民) 私は、選挙を通じて、国民は一人ひとりの人生が国家のヴィジョンとなることを欲していると感じ、そのような政治の実現を訴えて当選してきた。そういう立場から、参考人の意見からは、「部分」と「全体」の対話が重要であると感じたが、現在の議会の構成や活動等にはそうした対話が反映されているのか疑わしい。このような私の民意の解釈に対する参考人の見解を伺いたい。また、実際の選挙は多分に情緒的なものであり、そのような選挙の結果は、現実の政治にも反映しているのではないか。国家の運営を論理的にするためには、国民はどうすべきであると考えるか。」
選挙においては様々な団体と個人が候補者を応援する。選挙のときにはその団体の数は100以上になる。
政党は一橋大学や、東京大学のような学歴やらによる学閥や、長州閥のような出身県閥や、門地により差別された門閥のようなグループがパブやサロン、政党や労組事務所、
会議・サークル室、 多目的ホールなどにおいて形成されてきたような側面がある。民主政治における結社の自由から生まれたものであるからである。思想の自由という自由から生まれてきたものであるからである。
そして組織ができ、党首と、その秘書のような職員、党員ができてくるのである。そして他の党首との選挙における戦いを行わなければならなくなって、選挙における票集めが必要になるのである。その際に国民に対してはよい社会を作るという討論やその他多くの要素が必要になってくる。
一橋大学や東京大学、早稲田、慶応大学の同窓会団体がファンドを持ち、活発な活動を行うのはまずはサロンのような場所でサロンのような親睦団体を作ろうとしたことが主な動機であろう。しかしよく自分の同窓会から首相を出すように活動を行うことがある。また華僑が華僑出身の政治家を応援するというような場合には、直接的に政権を取ろうとしているのではなくて、政党を通じて政権に近づこうとしているのである。第一次のサークルから、第二次のグループにいたり最終的には政党に関係することがある。サロンのような団体は自由に参加や、形成を繰り返すことができる。いわゆる結社の自由から導かれる権利である。
宗教の違いもまたサロンのような団体に似ている。宗教の自由という基本的人権によって守られているからである。クリスチャニティーやブッダヒズムはエスニッシティーを乗り越えて横断的に形成される集団である。これらの集団の組織がどのようになっているかを研究していくことは、政治の過程を研究する上で現実的な研究対象である。
労働組合はさらに重要な集団を形成し、政府と対等な立場で契約を行える立場を政治社会の中で形成しているという立場をとる人々がいる。組織としては厚生労働省や国際労働機関ILOなどがある。但し労働運動については分派が多くて、分類しきれない。世界の政党の見方や、世界での労働組合の支持する政党の集まりにしても分派が多くて、分類できない。かっては第一インターとか世界的に広がった運動の中心があった。労働組合の運動はマルクス、エンゲルス、レーニンの思想を中心に動いてきた。現在でもそのような中心を持っているが、労働者の幸福という同一の概念で競争を政治思想や、政党が競争を行うためには、多数を獲得できる可能性がある必要があるので政党という現実的側面によって運動の方向が変わりつつある。労働組合については産業別の労働組合(日本型)と、全産業を網羅する労働組合(アメリカ、イギリス型)との差が労働組合運動及び労働者の政党支持に大きく影響を与えている。
事業者団体には競争を重視する見地から、競争制限的な行為が禁止されている。
ドイツでは競争制限禁止法によって、事業者団体及び資格者団体及び品質管理団体については平等性及び公平性の見地から入会拒否は禁止されている。当然に思想信条の自由による入会拒否は私的な事業者団体の公的な性格からすると禁止されていると考えられる。事業者団体は事業者が事業の利益の増進のために集合した団体であって、思想信条によって集まった団体でもなく、サロンのような団体や趣味の親睦団体ではないからである。
各事業者団体については世界的な市場の中で動いている。世界の事業者団体の連合体は、市場の競争制限を禁止する法によって競争性を確保しながら、世界の公共の利益と、消費者の厚生を高めるために活動を行っている。
事業者団体は各市場ごとであるので、各市場の特性に影響されて、その性格も大きく変化するが、各事業の利害に関して政党などを通じて圧力をかける場合がある。独占性や必須性がある場合には特に入会拒否は禁止されていると考えられる。日本では資格者団体については強制入会団体の税理士会について思想信条との関係での最高裁判所の判例がある。アメリカの連邦最高裁判所はアメリカのノースウエスト・ステーショナリー判決において独占性と必須性がある場合には入会拒否は当然違法であるとしている。
国際連合は主権国家の連合体として国家を超えた規範を模索中である。
EUのような国家の連合においては、思想信条の自由と強制入会との間での葛藤がある。
世界銀行のような世界の貯蓄である資本を管理している世界の団体もある。OECDなどの世界規模の経済団体がある。IMFのような世界の金融に影響を与えている世界規模の金融機関もある。これらは戦前には存在しなかったものである。
世界の政治がグローバル化してくると同時に、世界規模の団体が政党に影響を与えることは今後は大きくなると考えられる。グローバル化と地域の文化とは矛盾することもあるが、地域の政治経済文化も次第にグローバル化の影響を受けていくであろうと予測されている。
イギリスの社会も、アメリカの社会も、フランス、イタリアの社会も法の支配によって統合されていると同時に、宗教の自由が認められていることによって、宗教的基盤が政党に影響を与えていることは見逃すことができない。信教の自由は宗教と政党との関係も自由としたのである。キリスト教や、仏教や、イスラム教が主たる宗教となっている社会においても同様のことがいえる。
世論という概念がある。国民がどの政党や、どの党首を選ぶかというときに世論が果たす役割が大きいが、世論は多くの国民によって決定されている。多くの国民はそれぞれ「違った」環境に住み、「違った」思想を持っている。国民が政党や党首を選ぶという時にはその相違は捨象されている。選んだ後には最終的には投票という形で固定化される。政党の候補者に投票するとき、政党そのものを選択し投票するときには政党が意識されていることになる。選挙の結果が世論と呼ばれることがある。選挙に影響を与えるなにものかが世論と呼ばれることもある。選挙の結果世論が示されたという時には選挙が世論であるという前提に立ち、選挙の結果が世論を反映していないという時には世論は多数決によっては表明されていない世間の空気のことである。選挙が世論の形成に影響を与え、「違った」個人が政治に影響を与える道具であることに変わりはなく、現に与えていることも確かであろう。棄権する人も棄権によって政治に影響を与えているかもしれないが、棄権しない方が政治に大きな影響を与えるということも逆説的に正しい命題である。投票用紙を数え、多数のものに公職に付かせるという絶対的な規則は政党政治においては非常に大きな意味を持ち、これがために党首による票の獲得競争が展開されることになる。
党首の戦争は、まずはサロンのような団体であった思想信条の自由と、結社の自由に守られた団体をサロンのような集団組織を形成させ、サロンのような組織に変形させる。この際に党の綱領や、党の規則が作られることになる。日本の最初の立憲改進党のような組織もこのような二つのものを形成し、近代的な政党に脱皮することになった。そしてよい党員を集め大きく成長することになった。よい党員は国民に対して自らの綱領を説明して、演説やらによって一票、一票を丁寧に集票活動を行っていくことになる。これが政党による政治活動であり、選挙運動である。
最初は政党は分派活動と見られた。Partyとは分派という意味であり、一部の人の利益を守る部分利益と見なされることが多いからである。派閥というものも分派でありPartyであることには変わりはない。日本における派閥政治は部分利益よりも政党内競争という意味を持っていた。派閥も政党も最初は偏った極端な思想の表現であるととらえられた。それはまだ多数を形成していないし、多数を形成する過程であるからである。多数を形成した後には多数の横暴として論じられるのはこの意味での政党の当然の帰結である。
全体主義や超国家主義に見られるような偏った思想というものは哲学の貧困から発生するものであると考えられる。偏っていない思想というものが何かの定義は難しいが、思想信条の自由はあるものの、思想のために死んだり、超国家主義や哲学の貧困から発生した他国の敵視を主張する国家主義などは、哲学の貧困といえるかもしれない。思想は相対的なものであるからである。これらについては相当に学問的研究が進んでいる。また敗戦の痛手から戦勝国を敵視するのも偏った見方であると考えられる場合もある。しかしすべてが世論の動きによって正当化される場合もありうるのであるから、政党政治においてはどのような場合にも世論に任せると同時にチェックアンドバランスを維持する必要があろう。
君主政治の場合でも、君主の行動に対しては国民による監視が少なからず行われていて、チェックアンドバランスの機能があったと考えられる。国民がいやな改革が行われれば、君主も長続きしなかったし、国民に役に立つ改革が行われれば君主も長続きしたであろう。しかし選挙運動による選挙によるものではなかった。またある領土の中には他の君主がいるわけではないから国内からの反乱による場合を除いて君主の敵は外国にいるわけであって、党首が君主に似ていると入っても敵が外国にいるわけではなくて党首の敵は同じ領土の中にいるのである。従って政権党首というのは反乱を恐れている君主に似ている。政党は法の支配の中では国会議員や内閣の大臣、大統領職という特殊な政治的な地位を得ようとするものであって、選挙を通じて代表になろうとするものの集団で、その組織であるということができる。政党の主な目的はそこにあるのである。主な目的がそうではあっても、政党政治においては政党はさらに国家機構そのものの方針を決定できるくらいの大きな存在である。
政権政党ではなくても政権を取ろうとしている政党は影の内閣を組織し、政党の組織を持ち、党首は君主に近い立場である。行政機関同様に経済、財政、労働、厚生などに精通し、司法や、立法に精通しておかなくてはならない。そうなると一国に他の君主が存在するのと同じである。そうすると一国内に他の君主に似た政党の党首がいることになるが、しかしそれが認められるのが政党政治においては基本的原則となる。一党のみによる政治の場合にはそれは存在しないことになる。下部構造である経済の上にたつ文化や政治によって他の政党も成り立っているのであるから、一党のみで事足りるという考え方やらの理由によることになる。
憲法上の統治機構の中には政党ははいっていない。政治機構は立法、行政、司法の三権から成り立っているとされている。政党のうちには政権政党がある。政権政党が独裁に陥っても政権政党による政治機構の中ではチェックアンドバランスの機能が働かない場合があり得る。この場合独裁とは国民の意志と背いた政治を行うことである。独裁は政治のガンであるという言葉があり、ガンである独裁を正す仕組みを社会科学は持つべきであるとされている。それは医学になぞらえられているのである。独裁が起こるのは三権分立、四権分立(マスコミを含む)であったりしても、チェックアンドバランスの機能がうまく働かないことによる。そのような場合に政党政治においてはチェックアンドバランスを国民の世論、意見によって回復させようとする。解散によるものであったり、解散によらない通常の選挙によるものであったりするが、国会議員の総選挙によって世論に問うたり、大統領職にそのままとどまるべきかの世論を大統領選挙において問うのである。政党政治においては政党と統治機構との直接的な関係手段では選挙が基本的な手段となる。他に言論や、意思表明、連絡、デモンストレーションなどの手段が存在するが、最終的には選挙によって国会議員職や、大統領職を得るかどうかが最も重要であるといいうる。ほかには国民投票や、レファレンダムのように他の手段もある。
現在では四権分立と呼ばれるのはマスコミを加えた権力に対してである。統治機構の三権分立とマスコミとの間でマスコミが三権に近い場合と、国民に近い場合とがある。マスコミが国民に「民はよらしむべく知らしむべからず」の精神で近づく場合には、国民は何も知らなくなる。しかし現在ではテレビは多極化してきており多様な見解を知ることができる様になっているばかりではなくて、双方向通信の発達によって自分の意見をマスコミに直接届けることができる様になってきている。特に中心にネットワークの中心がある糸電話の原理を応用した様な技術のインターネットの発達によって、これまでの双方向の電話以上にネットワークによる網の目の双方向通信の技術が広がっていくことによって、マクルーハンが考えてもいなかった時代になってきている。これが世界のグローバル化を促進してきている技術的な側面である。
このような時代にはマスコミが政治機構のみに近づいて、国民に近づかないことはできない時代になりつつある。マスコミがこの新技術に大きく影響されてきていて、「民はよらしむべく知らしむべからず」という方針をとれなくなりつつある。マスコミはもともとは党派新聞から始まったものであり、政権を持った政党が自分の党派の考え方のみを伝えて、他は伝えないことも可能ではあるが、それが一般新聞になればできない時代になりつつあるのである。マスコミは多様な見解の中の一つの見解のみしか伝えないとすれば、それはマスコミがある一つの党派のみによって所有権をもたれていて、その一つの党派のみのために作られたマスコミであるか、一つの党派専用に使われることが契約によって特定されている場合である。この場合にはマスコミというよりも機関紙ということになろう。国会とマスコミとの関係はテレビで国会の中継を行ったり、委員会での中継を行ったりしたすることによって、国民と政治機構のコミュニケーションチャンネルの一つになることである。多数のチャンネルができてきているので、多くのチャンネルがあることが国民にとっても望ましいことになる。最も大切なことはマスコミが国民に多くのイッシューの本質的な核心的内容を伝えていくことである。それは党派を超えたものでなくては意味がないという見方もありうる。何故なら一党派のみが見ている内容のみであって、核心を付かない内容だけであれば、党派新聞でじゅうぶんであるということになるからである。一党派新聞などのマスコミのみがマスコミを支配している場合には国民はその報道する内容しか知り得ないことになる。三権分立をさらにチェックし、社会の権力のバランスをとるためには第四の権力であるマスコミであって一党派の新聞になることが、公器故に許されないか、あるいは、他の党派の国民は需要しないことによって党派新聞に逆戻りするということになる。党派新聞ではない場合には、マスコミは公器として政党がイッシューを作り出す前にマスコミがイッシューを作り出し、そのイッシューの解決策を各政党に問いただしていくことがある。オピニオンリーダーとしてマスコミと政党が競争することとなる。
現代の政党政治においては、政権政党が変わることによって政党の連続性が断ち切られる場合には革命と見られる場合がある。政権政党が変わっても前政権からの連続性が担保される場合には変化は少ないが、前政権とは全く違った政策を持った政党が政権をとった場合には革命的な変化が起こる。武力によって政党が政権を取り、劇的に政策を変化させる場合はクーデターと考えられるが、平和裡に劇的な変化が起こった場合にはクーデターではなくて革命が起こったのであると表現されることが多い。
革命が国民の支持を得たということは結果として大きく社会が変化したということである。あるいは革命が社会を変化させたといいうる。これが事前か、事後かという問題は重要である。穏健な思想は社会の変動に思想を合致させようとするが、ラディカルな思想は思想によって社会を変えようとする。
2 国家と国民、人民の、人民による、人民のための政治−現代人と現代民主政治―
リンカーンのゲティスバーグ演説のうちの人民の、人民による、人民のための政治ということばは、何の注意も払わないで読むと当たり前のことを言っていると思われて無視されてしまう。ところがこの言葉の中には非常に重要な含蓄が含まれている。
歴史的にはギリシャ時代がなぜに君主政治よりも、民主政治という言葉がうまれたのかはわからない。しかし何故かデモクラシーという言葉がギリシャにおいてギリシャ時代に生まれたのである。そのデモクラシーを簡潔にいいあらわしたのがこのリンカーンのことばである。
国家は領土と、主権と、国民から成立しているとされるが、ほとんどの場合には何故か権力は皇帝や、国王とか、天皇と呼ばれている特定の人に所属していた。これは民主主義という概念があっても、民主主義の政治がなくなった後のアテネにおいても同様であった。
これを君主政治と呼び、この概念を民主政治に変えるのには相当の努力が必要であった。イギリスのロックもフランスのモンテスキューもアメリカのリンカーンもそのための多大の努力を行った人物であるということができる。
アメリカにおけるリンカーンのことばは黒人をも含んだ人種のるつぼの中の多くの人種からなる国民を人民と呼んでいたと考えられる。アメリカにおける君主のいる政治からの転換は独立宣言の中での君主に対する対立ですでに終わっていたからである。君主が統治を行っていた人種の問題が存在しないフランスやイギリスでは、この人民による政治とは政党による、国民のための、国民の政治を意味していた。国民による政治は政党による政治に置き換えられた。国民とは何かの問題は政党人とは何かに置き換えられたのである。アメリカでは確かに国民による、国民のための、国民の政治とは黒人を含んだ国民という意味が中心的な課題であった。
イギリスではマグナカルタから始まる君主に対抗する政治的な動きは君主政治との対抗であった。フランスにおける君主に対する対抗する概念も同様であった。しかしフランスの方が急進的であった。それは経済的に後進的であったという理由もあるが、国民という概念が人民主権的な概念を過激に含んでおり、フランス革命の最中においても概念的に政党政治の概念がより少なかったのである。イギリスでは政党はサロンのようなものではあったが、育ちつつあったのである。それ故にイギリスでは君主政治を君臨すれども統治せずという状態で残すことを考えうる余裕があったし、その考え方は戦後の日本に移入されたのである。
ドイツでは政党政治の概念よりも君主の官房政治という概念の方が強く、戦前の日本に移植され、憲法的には大日本国憲法に継受されたと解釈しうる。
政党政治が発達した国においては、君主による政治は政党による政治に移行していくことになり、君主は政党の党首とのアナロジーが強くなっていくことになる。君主を残した国では党首と君主との関係は立憲君主政治の中での先の象徴天皇政治の様な概念化が図られ、権力そのものは三権分立のような権力分立が図られていくことになる。立憲君主政治においては君主も相当程度の政治的な役割を担っているといえる。
君主は伝統的であり、保守的であると形容されることがある。士農工商の世襲制度は残さなかったとしても、侯公伯子男のような貴族制度を残しているイギリスでは貴族制度は世襲制度として残したのである。日本でも天皇制度は世襲制度である。
これらをすべて含んだ概念としてリンカーンは人民による、人民のための、人民の政治と演説したと考えられる。この三分程度といわれるゲティスバーグ演説の意味を深く説明するのには長い説明が必要である。
政治とは何かという問題とも深く関係しているからである。それらの制度がどのようであっても国民の(人民の)生活はずっと続いていたのであるから、政治は同じく続いていたのである。
その間政治はどのような機能を持っていたのか。紛争の予防をし紛争を解決し、中止させることや、自由を回復してやること、不平不満を解消すること、仕事に勅許を与えること、軍事的に強制して市民軍を構成すること、封建制度の下で封を与えること、それも平等性を確保すること、特に功績に対する平等性を確保すること、機会の平等性を確保すること等々である。
政治のためにはクリスチャニティーとよばれるようなキリスト教との関係を深めたり、仏教やらとの関係を深めたりした。政治と宗教は深く関係していたのである。しかし政治と宗教の関係は宗教の自由の侵害を防止する目的で、政党と宗教との関係の自由に移っていくことになった。
政治の機能という点では君主は、党首と似た様な考え方を持っていた。党首はしかし誰もがなることができる上に、世襲制ではなかった。
経済的不満というものを中心に考えて、憲法や政党の経済的な解釈においては政治過程の環というものが考えられる様になった。
3 東西冷戦後の日本の政党
日本の政治体制は政党的には一党優位である。この理由は東西冷戦中においては資本主義国家圏の一員であらねばならなかったからである。東西冷戦後をにらんだ政治ではどのようであるべきであろうか。55年体制における日本は政党'一党優位である必要があった。自民党の一党支配が終焉した1993年はすでに1990年の東西冷戦終了以降である。日本共産党を有意な政党と認めなければ、全政党が政権に参加したことがあるという経緯からみて、穏健な多党制が当てはまるという見解もある。2003年以降の民主党と自由民主党の対決は、二大政党制といえるであろう。しかし日本共産党が有意な政党、イデオロギー政党と認めれば分極的多党制であり続けたということになる。あるいは自民党と公明党をドイツのドイツキリスト教民主同盟CDU、キリスト教社会同盟CSUのような姉妹政党とみなせば、一党優位政党制が復活したという論理も可能である。
日本共産党を有意な政党と見るかどうかという一点において科学的な分析が不可能となっている日本の現状を打開するためには日本共産党が社会民主党との統合や、民主党との統合を模索する動きがある。日本においてはマルクス主義の影響を強く受けた学問が影響力を持ち続けていたためにいまだに日本共産党がイデオロギー政党としても、残り続けている。また教職員組合の中でも長野、佐賀をはじめ8つの県で日本共産党が支配力を持っている。逆に労働組合の勢力が弱まってきている団体もあり、連合及びその他の労働組合団体の政治的影響力の歴史的また現実的な研究は政治学でも経済学でも実態的に研究されている。寡頭制の鉄則を主張したミヘルスの主張はその様な研究から生まれたものであった。
つまり日本は自由主義的な新古典派的な経済をつくるための橋頭堡として自由主義経済の砦としての地政学的な場所に存在した故に、自由民主党はそのような位置に限定された役割を負わされてきた。それ故に一党独裁的な組織運営が可能であったのである。ところが東西冷戦の終焉が見えてくるにつれて、それが不可能になってきた。見るべきものはアジア共同体、ヨーロッパ共同体、アメリカ合衆国の三つとなってきた。つまり日本にとって視野が狭くなるどころか、広くならざるを得なくなってきたのである。
日本の政党はイデオロギー政党の色彩がもともと強く、政友会系の進歩党と、自由党が大同合併して自由民主党を形成したときから大隈重信の戦前の立憲改進党系、板垣退助の自由党系の系統であった。大隈重信はイギリスのミルの自由論や、イギリス型の立憲君主制を理想としていたし、板垣退助はフランス型の王権を打破した伝統と、それを受け継いだルソーの社会契約論を理想として、理論として受け継いだ。一方実際的には資本主義の成熟がほぼ同程度の段階であり、君主もイギリス型でも、フランス型でもなかったドイツに習った君主制を採用した。政府はドイツのプロイセンで学習を終えた伊藤博文を中心に憲法制定を検討していたために在野の二大政党の考え方は採用しなかった。このために御用政党としての政友会が主導権を握った。
この御用政党が隣保班などの自治会を使って、選挙を支配するという選挙が一般的になり、戦後も同様の傾向が続いているといえる。これを世間の概念を使って説明したのが日本独特の世間論である。世間は政治学や、社会学を乗り越えた不合理なものも世間として認めさせる、日本独特のものとなっていく素地となった。日本の政党選挙を世間による選挙と分析する見方がある。投票(選挙)行動について政治学者の内田満は、当時の東京の新聞の引用の中でこれを説明している。
戦後も世間による選挙は続いていると分析されることが多い。
選挙の投票においては自治会による決定に住民のほとんどは従っている。
このようななかでも、日本共産党が民主党との合併を行うことによってのみ日本の政党の構成は変わりうるといえるのである。
そうでない場合には日本の政党制はイデオロギー政党として性格を持ち続けざるを得ないであろう。もし日本共産党が有意な政党とは認められないくらいに小さくなるか、あるいは、日本共産党が民主党との合併を行うことになれば日本の政党制はアメリカの様に二大政党制に近づき、問題が発生する毎にプラグマティックに日本の進路を決定することができるプラグマティック政党制度になるであろうと考えられる。
4 東西冷戦終了後のグローバリゼーションと政党の変容
東西冷戦後は東西の壁がなくなり、グローバリゼーションが進んでいるので政治にとってグローバリゼーションへの対応が必要となっている。東西の壁がなくなったので人物金の移動は世界的になり、それに伴い政党もイデオロギー政党の性格を持ち続けることが出来なくなった。プラグマティックに政治的決定を時宜に応じて行うべき時になっているということであるからである。
この東西の壁がなくなったということはイデオロギー政党として性格を持ち続けることができないことになっていると同時に、エスニッシテー毎による政党の存在が危うくなっているということができる。人種の坩堝の中にあるアメリカの政治制度、政党制度は黒人をどのように扱うのかという問題に直面した南北戦争を経た後に確立されたものであるが、人種の問題は重要な要素となってきた。
文化的な対立が政治の主要な要素となるであろうという予言もグローバリゼーションの中では意味がなくなってきており、政党制度がプラグマティックに現実的に変動していくことは避けられないであろう。
中華人民共和国も現実的に動いており、北朝鮮も現実的に対応を迫られているといえる。
東西冷戦後は政党制度がイデオロギー政党としての性格からプラグマティック政党の性格を持ち続けざるを得ないであろうことが明確になってきたといいうる。
今後大きく世界の政党制度が変動する可能性が存在する。
この際にはイデオロギーの概念が大きく問い直されている。政治学上イデオロギーは重要な意味を持っているが政党というプラグマティックな側面を有している政党制から先に現実的な再編が迫られているといえるであろう。
5 政治学の根本問題の提起―自由と平等と博愛の観念の新しい時代、甘えの構造、他への義賊の心理、自由への渇望―
東西冷戦後の新しい時代の政治の根本問題について論ずることとする。
政党はグローバリゼーションの動きの中で、イデオロギーの終焉と共にイデオロギーの概念から脱却した国民政党に衣替えを行っている最中である。論理的に現在の政治の状況を説明するのが難しくなっていると考えることは妥当であろう。
そこで政治哲学上の自由と平等の概念に戻って政治をとらえなおして考える必要が出てきている。自由と平等と正義については歴史上対立する議論が存在した。
クランストンが自由が情動的であり、自由には情動性があるという時には自由をリベラルなものと考えている。一方バーリンは自由には消極的自由と、積極的自由のみに限定して論ずる。これに対して共同体主義のニューレフトのチャールズ・テーラーはバーリンが消極的な自由というものは機会の平等を自由と呼んでいるだけであり、活動としての自由を呼んでいるのではないと反論している。ただバーリンが消極的な自由に対立する積極的自由を述べているだけであって、機会の平等を自由と呼んでいるのではない。
人間には経済的な弱者をいつくしむ心理がある。この心理は多少なりとも義賊に共鳴する心理を人間が持っているものとして義賊の心理と名付けることとする。ある平等を求める訴えに対してそれが甘えの構造によるのか、すねているのかを判断する基準が必要になってきている。義賊の心理はサルキングすねる子供に対して多少なりとも経済的に何かを与えるであろうという親の心理と共通のものとして認めざるを得ない。もしそうでなければバーリンが平等とは一人の人間を一人として認めること以外には何も認める原理は存在しないといったのと同じ平等の原理となってしまう。これでは東西冷戦後の政治学の根本問題とその解決法を探るときには一方的になってしまうからである。東側陣営がすべてなくなったというのであれば、すべての国で自由民主党のような一党優位制の政党制となってしまっているはずである。
アメリカでは二党制になっており、イッシュー毎に意見を求めることが多い。これがドゥォーキンが各政治主体にはすべての権利のカタログがあるという現実把握となっている。イデオロギーととらえずカタログとみているのは、イデオロギーの終焉あるいはアメリカの二党制の現実から生まれた理論であろう。イギリスでは政治学でも政党もイデオロギー的な性格を持ったままである。
イーガリタリアニズム、アメリカ、イギリスでは政治学で生活すべての面倒を見る政治をこの樣に呼んでいる。完全平等主義と訳す。あるいは全生活平等主義とでも訳せる。この主義ではすべていいことのみを選挙時に公約してしまって実際に政権を取った場合には予算が追いつかずに財政が破綻してしまうことになる。ドゥォーキンがその権利論において、各政治主体には権利と、自由と、平等と、博愛の観念が順序正しく述べられているはずだという時のイデオロギーの全体像はしかし現実の政治行政法の状態を説明しているとはいえない。それらの予算的な裏付けが必要である。
この予算との関連が必要であるとの概念は最近のマニフェスト選挙からヒントを得たものである。マニフェスト選挙においては選挙の公約が予算に裏打ちされていることを求めている。平等は予算との関係で完全に平等にすることができない場合がある、政治が「平等にする」ということを定義すれば、予算が集まり、義賊の心理によって平等にしてくれという付託を国民より受けた場合にあっては、政治の下にある行政・司法・立法がある案件に対して予算の中から平等にするような援助を国民に対して行うことを決定することを言う。東側の共産主義国家が崩壊したのは予算の裏付けのない夢のユートピアを国民に公約しすぎた故だった。
義賊の心理は税金の義務の概念の根本心理となっている。税金の集合を予算という。予算とは義賊の心理によって集まった資金の総体であり、集まった資金を人々に強制的な手段で分配することを政治という。自由は権利の発生原因であり、自由は自由が抑圧された時に主張される政治的な概念的な言葉であるが、平等は予算の範囲内で経済的資源を平等に分配し、自由の基礎的条件である資源をできうる限り平等にしようという政治的な概念的な言葉である。自由と正義が発展して平等と正義という概念となったのである。
現代経済学とマルクス主義経済学との対立はバーリンが消極的な自由に対立する積極的自由を経済学的に表現したものである。現代経済学はマルクス経済学に対して個々のミクロの経済と、マクロの経済を統合していった。この経済合理性の考え方が国民に受け入れられた故に東西冷戦終了にいたったのである。ある人が貧乏になった場合でも何でもすべてが予算によって解決されるべきではない、生活すべてを政府が丸抱えしているのではない。義賊の心理も強制できるものではなく、バーリンが言う個人個人の、法人同士の自由な範囲があるというのである。
平等の概念が正義の概念と結びつくことがあるとすれば、予算との関係で是認されるときであり、無制限に認められることはない。この際自由は予算で認められる場合には権利となる。義賊の心理による人々へ干渉が認められるかどうかはリベラリズムにおいて積極性のある自由、いわゆるバーリンが消極的な自由に対立する積極的自由とほぼ同じような自由であるがそれが人々の義賊の心理による予算によって認められるかどうかにかかっている。政治体制自体は共産主義国家群にはいらなくても資本主義国家圏の一員であってもバーリンがいう消極的自由に対立する積極的自由の概念は成立する可能性がある。
但し歴史の必然性の概念などが成立する可能性は含まれていない。かって東側の陣営では正義の概念のうちでも、平等と博愛は義賊の心理に近く、リベラル(自由主義)という言葉が平等主義と博愛主義を表現するものとして使われていた。現在の義賊の心理とは裏腹に、義賊の心理は自由とは遠いところに連れていくことになった。義賊の心理は強制収容所を生み出し、自由を制限し、暴虐の限りを許すこととなった。
自由、平等、博愛というフランス革命の三大原理はここにおいて調和を崩し、バラバラになったかに見える。それは義賊の心理が人間には存在する場合があるという理由からであった。ここに自由及び、平等と博愛をいかに調和させるのかの問題が発生することとなった。
ヘブライ主義の思想の出番がここにはあった。ギリシャ思想が破綻したかに見えるときにはヘブライ主義が力を盛り返した。ヘブライ主義はもともと自然の神と、義賊の心理と自由とを調和したところから始まっていた。ここに調和点を見いだす余地が残っていたのである。
義賊の心理はひょっとしたら自然の天変地異によって起こったのかもしれない。あるいは制度の不備によって起こったのかもしれない。人間の知恵によっては解決できない問題かもしれない。その時に自然と、社会が一体となった神の概念から出発していたヘブライ主義に人類は戻らざるをえなくなっているのかもしれないといいうる。
東西冷戦後にはバーリンが消極的な自由に対立す積極的自由を述べたような意味で、政治思想史上の自由の学問上の性質の問題が解かれなくてはならなくなる。神や運命に自らの自由を委ねていると考えた時代からはじまり、その上に立ってミルが自分で注意する能力であると解いた政治的自由も、貧民であっても自由に選択する自由という負の所得税のフリードマンにいたり、(この研究は更には他の人々からの保護のみで活きるよりも、つまりたとえば生活保護をうけるよりも自己で働こうとする自由を持った人間の本質の研究にいたるが)、自由の法的性質を説いたハイエクは特に経済的自由の擁護を行ったのであるが、更にはアイザイア・バーリンはミルの跡を受け継ぎ自由を所有権や、独占禁止法における妨害排除の請求権と匹敵するような否定する自由(日本では消極的自由と訳しているが)を論理的に整理した。他にはエールリッヒ・フロムの自己を積極的に開発する自由、自己陶冶の自由など様々な自由論が存在する。
しかし法学上の自由の原理は基本的人権に要約されているので、本論文には関連性がない。
ドゥォーキンが「権利論」述べ、バーリンが平等論で述べていることは至極もっともである。確かに人間が自由である、それは動物学的に正しい。それ故に一人の人間を自由な一人として認めること以外には何も出発点はないといえるという名言であるが、その自由が予算の中で意味を持ったり、持たなかったりするということも考察の余地がある。
どのようにして人間社会において平等の思想を実現するのかという問題は人間主義の問題として避けては通れない。大学人の90%は左翼的であるそうである。この事実からしてもそうである。ヒューマニズムの問題であるともいいうる。
東西冷戦後の政治学の根本問題とその解決について、東西冷戦の終焉がもたらしたものは自由論と平等論、博愛論、平和論の中では社会的自由というものが、つまり政治哲学の政治的自由と、経済学の経済合理的な分析と市場という経済的自由と、弱者に対するまた経済的な弱者をいつくしむ心理があるという真実から来る経済的政策と、経済合理的な分析と市場という経済的自由によって機会を均等にしていこうという妨害を排除する思想とがすべて一体となって、自由とは何であるのかという問題に帰着してしまった。これは自由意志とは何であるのか、その際の平等という概念はどのように働くのかという議論に先祖返りをしてしまったのである。
そこでは自由とは独占禁止法においう経済的自由でも、ミルが限定した政治的自由だけでもなく、またバーリンが共産主義を批判する為に使用した消極的な、妨害排除の請求を伴った否定的自由のみではなくて、人間のヒューマニズムの問題であるともいいうる自由、自由意志論そのもの、中世や、古典古代ににも論じられていた自由そのものが論じられる必要に迫られたのである。運命や環境の問題だから環境に縛られていて、また物に縛られていて、また心のみに縛られていて、決定論によって決定されているのであるから人間は固定的であり、自由意志論は除外してよいという時代ではなくなったのである。性という物理的なものに縛られているから独身のものは考慮の対象外という時代でもなくなって、そのような場合でも自由というものを考慮しなくてはならなくなったのである。その意味で東西冷戦の時代には自由を考慮する必要がなかった、あらゆるものに自由意志論は除外する理由が東西冷戦の終焉が近づくことによってなくなってきたのである。東西冷戦の時代だからこその自由はないという時代ではなくなってきたのであり、社会を生きる人すべての自由を考慮する必要が出てきたのである。
これは自由意志論を哲学の重要項目としていた中世や古典古代と近くなってきたのである。
個々別々の自由について個々別々の事案に応じて、事後的にかつ事前的に考慮する必要がでてきたのである。
6 自由と平等と正義―政治的正義―
自由論はミルからバーリンに至った。これを自由の性質に分類して今後の動向を占うことにする。自由の概念は自由が抑圧された時に発生する概念であり、フリーな状態にあってはフリーダム故に無の状態である。無の状態から何かが生まれることとなる。
意思の自由については西洋において長い間大学の基礎的な知識として論じられてきたものである。ミルは自由論を書くに当たっては一行目でこれを除外し、社会的自由、特に政治的自由について論ずるとしている。
自由の理論は、意志の自由と、政治的自由及び経済学的自由とに分類できる。
政治的自由は憲法の基本的人権によって人類が編み出した理論であるといいうる。
経済的自由の原理は法的には独占禁止法において経済の憲法として規定されている。それを擁護するためにハイエクは自由の法について主に経済的自由について論じている。
これら三つはすべて人間は人間にとって自由とは何であるのかを考えることができるかという問題であるとともに、動物にとってまた静物にとって自由とは何であるのかを考えることが人間に対してどのような影響を与えるのかについての考察である。人間の本質的な部分からして経済学的には人間は人間に対して狼であるが、人間の倫理によれば人間行動は天使的にもなりうるかどうかを考察するものである。
正義の概念のうちでも、平等と博愛は義賊の心理に近く、リベラル(自由主義)という言葉が平等主義と博愛主義を表現するものとして使われるようになったのとは裏腹に、義賊の心理は自由とは遠いところに連れていくことになった。義賊の心理は強制収容所を生み出し、自由を制限し、暴虐の限りを許すこととなった。
人間の倫理によって人間は人間に対して天使であるべきである。しかし狼であることもある。自由の主張は自由を考察することが人間行動に対してどのような影響を与えるのかについての考察である。行動論は結果的であり、事後的である。しかし認識論は行動をどのようにするのかについていまだ考察している時期での人間の認知を考察している。従って行動からすれば事前的である。人間の意志を考察することは倫理を考察していることでもある。従って倫理を考察することは事前的である。政治的自由及び経済学的自由は事後的であり、社会的でもある。従って政治的自由を擁護する学問的自由の擁護は憲法による外形的なものであり、経済学的な自由を擁護する独占禁止法違反については外形的あるいは過失なしに認められる傾向が強い。
7 自由と正義の概念の包括的な歴史
包括的な歴史はまだ書かれたことはない。
自由は規範ではない。自由は意思の一形態である。自由は人間に固有なものである。現代の自由論をもっとも端的に表現できるのは義賊の心理である。多くの義賊の伝説は、正義と自由の問題のほとんどすべてを内包している。義賊は正義のために自由を暴力的に行使する。義賊に襲われた者は干渉されないように、妨害を排除しようとする。義賊により干渉されることを排除することも自由である。奴隷は解放されることにより自由になる。奴隷所有者は奴隷を解放することによって自らも自由になるであろうか。人間は自由な存在であるが、自由な存在同士のあつまりが社会を形成する。社会は固定的なものではなく、あらかじめ決定されてはいない。従って社会が悪いのだといって社会を変革しようとする自由も人間は持っている。しかしその人のとらえる社会が絶対的なものではない。社会は自由に動いているものである。しかし社会においては正義と自由の問題は永久の解決せねばならない課題である。この問題は人間の社会的な自由を語るときに義賊という言葉は象徴的に語ることができる内容を含んでいる。一方では自然の脅威や、自然の天災地変に対するおそれおののきは別の自由の概念を発達させた。
義賊の心理と、干渉されない自由の問題が常に自由意思論と決定論との対立には存在したと考えられる。国家群単位の対立と考えられていたものが現在は個々の行為における対立となってきたといいうる。
この二つの流れのどこに正義があるのかという問題については、両者の中間にあると考えることが妥当であろう。
義賊の心理を代表する理論はマルクス主義である。一方義賊の心理に干渉されない自由を主張するのはバーリンである。
マルクスは自我が自由であれば、正義は他の人に対して賊となろうとも正義であるという主張をしていることになる。もう一つのマルクスの見方は依存的な制度を求めているという見方である。依存においてのみ自由を感じることができる人間であったという見方である。マルクスの自由をこのように解釈する場合には、依存的性格や、「甘えの性格」の議論は避けて通れないことになる。義賊の心理は甘えの構造の議論と密接に結びついていることになる。東洋的な専制主義における自由の問題を解決しようとしたのは土居健郎であると私は考える。
日本に自由の概念がはいってくるに当たっては、翻訳するに当たって西洋と同様の概念が存在しなかったので苦労したという話は福沢諭吉の『西洋事情』のなかに出てくる。自由は悪い意味に使われていることが多かったから躊躇したようである。このことは中国についても同様であろう。キリスト教の自由と愛の概念が中国にはいってくるに当たっては中国も自由の概念の変化に苦しむと考えられる。現在中国では聖書の数が足りないという状況である。今後西洋の文化が中国にも流入するとともに自由の概念が変化すると考えられる。
自由から発生した不平等を取り除くことが決定論であれば、税も決定論であり、ロールズの正義の第二原理である「自由により生じた格差を、つまり不平等を取り除け」という議論も決定論になってしまう。この原理は決定論によって発生したものではなくて、平等という概念と、博愛という概念によって発生したものである。
平等の原理はただ道徳的な観念の問題である。義賊の心理はたしかに道徳的な、倫理的な情念から発生したものであり、その情念は平等の理論によって概念に成長することができる。平等の概念の定義には多くの定義の仕方があろう。しかしその根本的な心理は、義賊の心理である。義賊の心理ほど危険な思想は存在しないとみる見方は当たっていたのかもしれない。税の考え方を否定した思想は、税が世俗の権力の恣意によって使用されることを恐れたのかもしれない。しかし「神の国」を作るためであれば寄進しようという考え方が存在するのである。税を善なる道に使ってほしいという主張であると見るべきであろう、義賊の心理には平等という思想と博愛という思想がはいっている。この道徳的な善なる性質は否定できないのである。しかしその方法こそが問題である。賊である性質、暴力性は否定されるべきであろう。
この平等の理論を決定論と結びつけたにはマルクスである。人間は欲望があるから対立する。この議論はルターと同じである。ここからが違うのである。マルクスは平等にいたるのが決定論的であるという。義賊の心理によって決定論的でなければならないというのである。人間の人間に対する戦争がイヤであるのであるから、すべての人が平等にならなければならないというのである。そこに自由は存在せずに、決定論にいたるというのである。義賊の心理はここにいたってはすべての人に共通にみられるべきであるというのである。
ところがここには現実の認識が存在しなかった。人間は決定的ではなく、あくまでも自由が存在したのである。ここにマルクスのアンビバレントな心理が存在するのである。
8 新行動主義における自由の概念と認知心理学における自由の概念−心理学的自由について:人間の脳の構造としてのラムの社会的影響−
心理学的には、自由はどのようにとらえられるであろうか。
現代の情報理論と認知心理学においても、B. F. スキナーは自由は存在しないという説を支持する。この説は環境が人間の行動を決定するというものであり、環境がよくなれば人間の行動もよくなり、戦争がなくなり平和が訪れるであろうというものである。この決定論は環境を重視している特殊なものである。
動物の場合には走光性のように環境に対して特定の反応を示す場合があるが、人間の場合にはそうではない。その理由は社会を作るからであると考えられる。社会に置ける役割が違うアリの場合のように、人間はそれぞれで社会における役割が違っている。そのために環境が違うからか、環境を人間社会全体としてとらえれば、同じ人間社会の中で違った自由を持っていることになる。
スキナーの自由と書き換え可能な自由−データの書き換えと、プログラムの書き替えの違い。
物があるいは環境があるいは自然がすべてを決定するとするすれば自由は存在しないし、共産党の支配する東側にいた方が自由であるという表現になる。
人間は環境によって作られはするが、人間の刺激と反応の間にはただ一つの反応ではなくて様々な反応が見られる。そのことはソフトとして作る場合には様々な作り方があるというソフトの問題として証明できる。その様々さが環境というものが各人で違っているという理由によっているのかについてはおそらくそうであろうということしかいえない。全く同じ環境というものがあり得るからである。双子の場合のように。
危険を回避して、幸福を求めるという回路を自由に作りうるということが教育の目的であるというのはスキナーである。従って好き勝手にするという意味での自由などは人間には存在しない。つまり悪へ走る自由は存在しないという言葉の使い方をスキナーは採用して自由は存在しないという。このことはソフトとして人間の自由な回路が作れるということを言っているのであって、自由は存在するといっているのと同じことである。小学5年生の子供はいかようにもよいように作り上げることができるのであるから自由など存在するはずは無い。これは教育の理念を述べているに過ぎないのであって、これを自由は存在しないというのと同じことであるというスキナーは言葉の使い方を変えれば自由は存在するといっているに過ぎない。教育によってではなくて自分からよい人間になろうという人が存在するからである。
この状態をスキナーはオペラントな状態であるという。人間は良くも悪くもなる、つまり環境に依存しているのだというのである。金持ちがよい環境で育てれば、教育によってよい人間になりうるというのである。よい教育をした場合には悪い人間にはなり得ない、その意味で自由は存在するはずも無いというのである。
9 自由の三位一体説と、平等の概念
自由を妨害する行為は排除されなくてはならないというのが差止の法的な概念である。
政治思想史上の自由の学問上の性質の問題が解かれなくてはならなくなる。神や運命に自らの自由を委ねていると考えた時代からはじまり、その上に立ってミルが自分で注意する能力であると解いた政治的自由も、貧民であっても自由に選択する自由という負の所得税のフリードマンにいたり、(この研究は更には他の人々からの保護のみで活きるよりも、つまりたとえば生活保護をうけるよりも自己で働こうとする自由を持った人間の本質の研究にいたるが)、自由の法的性質を説いたハイエクは特に経済的自由の擁護を行ったのであるが、更にはアイザイア・バーリンはミルの跡を受け継ぎ自由を所有権や、独占禁止法における妨害排除の請求権と匹敵するような否定する自由(日本では消極的自由と訳しているが)を論理的に整理し、更にはエールリッヒ・フロムの自己を積極的に開発する自由、 自己陶冶の自由など様々な自由論が存在する。
しかし法学上の自由の原理は基本的人権に要約されている。
10 新しい方法としてのベイズが考えかた
家族の状態がどのように政治思想や、政党の選択態度に影響を与えているのかについても、そのような様々な環境の変化や、その他の状況の変化など「原因」がどの程度有意に思想の形成に影響を与えているのかは、経験的に貧乏の中で育ったから共産主義を応援するのだ、あるいは、労働者であるから共産主義を応援するのだ、あるいはーーーというような原因を様々に経験的に考察した上で、かっての生育歴という非常に古い事前的な確率と、実際にそうなっているという事後的な確率から求めることによって、原因の特定を行うことができるようになる。
ベイズの定理の社会科学上の有意性はこのように結果からその原因がどこにあったのかを判定できる点にあり、結果の原因を、尤度のような事前の感覚的なものではなくて科学的な数字によって判定できるという点にある。これは社会科学の大きな進歩に通じうるといえる。
これは法学的には証拠論について応用の範囲が大きく、また労働者の絶対的貧窮化を本当に証明できるのかというときなどの原因の追求に使用できる。黒人であっても、貧乏な生活環境にあっても努力によって、あるいは倒産しそうな企業が、よくできたビジネス上の計画によって、事態を解決できる状態にあるのかどうかなどの判定にも使うことができる。ビジネススクールの教育の有用性を増すためになどの教育学上の判定にも使うことができる。このような多くの学際的な利用が可能であるのはガンの判定や、迷惑メールの判定などの自然科学の分野にも実際に使用されていることによっても理解できる。
このような経営科学の側面を政治学にも応用しようとするのが政治学の行動科学化を主張しているアメリカの政治学である。内田満は「日本政治学の一源流」の中で「ローウェルは、1920年代の「新しい政治学」の先行者として、また今日の行動科学運動の知的発達として、メリアムと同列におかれる」(ソミット、ターネンハウス)のことばによって、ローウェルとメリアムとをもって行動科学運動が1920年代に始まったことを紹介している。メリアムは諸科学と政治学との「異花受精"cross-fertilization"」と「共同的作業」を主張したのである。
今日のコンピューター化が発達した時代においては旧来からの行動心理学と、認知心理学の境界があいまいになってきている。ベイズの定理が事前的に、あるいは、事後的にという概念を使ってコンピューター化の時代においてフローチャートの中で危険(リスク)を認知した場合に人間がどのように動くのかというときの科学的な確率の計算、およびその証明に一役買っている。
たとえば毒の認知は毒である限り100%の危険性の認知であるので、行動をやめるであろうが、社会的な認知においては何度も事前的に、あるいは、事後的に危険性の確率の認知と行動を繰り返して試験的に、かつ、実験的に行動によって科学的に研究を行う存在が人間であると考えられるからである。行動に修正を加えるとは、修正し、注意を行って危険を少なくし、功利を多くする様な機会を増やせばどのように事後確率がより高い確率になるのかについて考察を加えようというものである。フローチャートで表せば、自由は危険と、それをさけるルートと、そこから生まれる規範と、感情、それらの構造的なシステムである。特に行動科学としての経営科学および政治学の場合にはこの有用性はきわめて大きい。経済学においても、ケインズからの現代経済学まで脈々と続いているが不確実性に関する予測と、投資の危険性の認知と、行動、再認知、再投資の問題はあらゆる経済行動に当てはまるのであって重要な視点となっている。
社会科学の領域ではベイズの定理を紹介した鈴木雪夫によれば、日本の統計学とは違い、アメリカではベイズの定理の研究者が伝統統計学の研究者よりもずっと多いが、日本ではまったく逆になっているとしている。
11 むすび
現代の政治学は転機にあり、東西冷戦時代の政治及び政治学の分析は現実の政治を分析できなくなっている。その際にベイズが考えかたを取り入れたり、その他新しい考え方をマスター・サイエンスの確立として取り入れる必要がある。
注(参考文献):
衆議院「政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会(第1回)」議事録
ジョヴァンニ・サルトーリ『現代政党学』(普及版)、岡沢憲芙・川野秀之訳、早稲田大学出版部、2000年(原著1976年)。
モーリス・デュヴェルジェMaurice Duverger)『政党社会学』(潮出版社、1970)
Berlin,Isaiah ,"Two Concepts of Liberty",Four
Essays On Liberty,Oxford Univ. Press,1958.reprinted 1982. p.150.アイザイア・バーリン『自由論』小川晃一ほか和訳(東京:
みすず書房、一九七九年)p.353.
R・A・ダール『デモクラシーとは何か』(岩波書店、2001)
モーリス・クランストン〔小松茂夫訳〕『自由 ― 哲学的分析』〔1976年〕
バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner, 1904年3月20日
- 1990年8月18日)はアメリカの心理学者で行動分析学の創始者。20世紀において最も影響力の大きかった心理学者の一人で、自らの立場を徹底的行動主義(radical
behaviorism)と称した。B.F. Skinner又はBF Skinnerと表記されることが多い。
高瀬淳一『武器としての〈言葉政治〉―不利益分配時代の政治手法―』(講談社選書メチエ 2005年)名古屋外国語大学
・大学院教授 早稲田大学講師
大河原伸夫 『政策・決定・行動』(木鐸社)
河合秀和『比較政治・入門』(有斐閣)
阿部 謹也 (著) 「学問と「世間」」 (岩波新書)
W.リップマン 「世論〈上〉(下)」 掛川 トミ子訳(岩波文庫 - 1987/7)
トーマス・ベイズ(Thomas Bayes、1702年 - 1761年4月17日)はイギリスの長老派の牧師・数学者である。ベイズの定理の特殊な場合についての証明が死後発表されたことで知られる。
経歴 トーマス・ベイズはロンドンで生まれた。1719年に論理学と神学を修めるためにエディンバラ大学に入った。国教徒でなかったために、オックスフォード大学やケンブリッジ大学には入れなかった。
南塚 信吾「義賊伝説」 (新書 - 1996/11)
千葉 治男「義賊マンドラン―伝説と近世フランス社会」 (- - 1987/7)
『水滸伝』は梁山泊に集う百八人の好漢――別の言葉で言えば江湖緑林の徒の活躍を描いた物語である。このような「江湖」に生きるものたちを主人公とした物語は、中国においては非常に根強い人気がある。『水滸伝』以降も、清代の『児女英雄伝』、民国時代の『蜀山剣侠伝』などがあり、そして現在も、梁羽生、金庸、古龍らより始まる〈新派武侠小説〉、またそれらに基づく映画やドラマが華人文化圏において隆盛を極めている。
ロビン・フッドは、『ロビン・フッドの武勲』などのバラッドと呼ばれる歌物語の中で義賊としての姿を作りあげられ、ハワード・パイル『ロビン・フッドの愉快な冒険』などの児童小説に結集された。一方、我が国の鼠小僧は単なる盗賊から、講談『緑林五漢録――鼠小僧』や歌舞伎『鼠小紋春君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』によって義賊へと変身し、大佛次郎の『鼠小僧次郎吉』に結晶された。南塚信吾は『義賊伝説』において、「鼠小僧」が実際は単なる盗賊であったと述べた上で、以下のように述べている。
鼠小僧(ねずみこぞう。「ねずみ小僧」とも表記。寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日(1832年9月13日))は江戸時代後期、化政時代に出没し大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名、次郎吉(じろきち)。合わせて「鼠(ねずみ)小僧次郎吉」と称される事もある。本業は鳶職であったと言われ、義賊の伝承で有名な人物。
義賊・ねずみ小僧次郎吉が大名屋敷から盗んだ小判3枚を、父娘のために投げ込んだのでした。「悪徳大名が搾り取った小判を、元の持ち主に返したまでよ」「せめて、お名前を・・・ご恩は、一生忘れません。」娘は、あたかも仏様を拝むように、走り去る男に手を合わせます。
Andrew I. Dale. "Most Honourable Remembrance: The Life and Work of Thomas Bayes". ISBN 0-387-00499-8. Springer, 2003.
He is known to have published two works in his lifetime: Divine Benevolence, or an Attempt to Prove That the Principal End of the Divine Providence and Government is the Happiness of His Creatures (1731), and An Introduction to the Doctrine of Fluxions, and a Defence of the Mathematicians Against the Objections of the Author of the Analyst (published anonymously in 1736), in which he defended the logical foundation of Isaac Newton's calculus against the criticism of George Berkeley, author of The Analyst.
It is speculated that Bayes was elected as a Fellow of the Royal Society in 1742 on the strength of the Introduction to the Doctrine of Fluxions, as he is not known to have published any other mathematical works during his lifetime.
Bayes died in Tunbridge Wells, Kent. He is buried in Bunhill Fields Cemetery in London where many Nonconformists are buried.
[edit] Bayes' theorem
Main article: Bayes' theorem
Bayes' solution to a problem of "inverse probability" was presented
in the Essay Towards Solving a Problem in the Doctrine of Chances (1764),
published posthumously by his friend Richard Price in the Philosophical
Transactions of the Royal Society of London. This essay contains a statement
of a special case of Bayes' theorem.
Stephen M. Stigler. "Thomas Bayes' Bayesian Inference,"
Journal of the Royal Statistical Society, Series A, 145:250-258, 1982.
Stephen M. Stigler. "Who Discovered Bayes's Theorem?" The American
Statistician, 37(4):290-296, 1983.
Michael Kanellos. "18th-century theory is new force in computing"
CNET News, 18 Feb 2003.
スキナーの自由と書き換え可能な自由−データの書き換えと、プログラムの書き替えの違い。
スキナーはオペラントな状態というのを自由といっており、人間の構造は書き換えが可能なラムの状態であるといっているのである。環境が固定されていればその環境に依存するから自由はないといっているのである。この意味で自由を使うと自由は存在しないということになる。しかしそれにもかかわらず同じ環境でも性格によっては様々な人間になりうるのであるから、自由は存在しうると言い換えれば、その様々な人間になったなった理由が環境によっていない場合には自由が存在したといいうるのである。この場合の環境は性格も環境に含めれば確かに自由は存在しないという言い方も正しいが、性格を含めれないとすれば正しくないということになる。
つまりこれは唯心論と唯物論とを採用するかどうかという問題である。唯一の理由が決定すると考えればその他の自由は存在しないということになり、共産主義の中にいればすべてが自由であるということになる。
物があるいは環境があるいは自然がすべてを決定するとするすれば自由は存在しないし、共産党の支配する東側にいた方が自由であるという表現になる。
人間は環境によって作られはするが、人間の刺激と反応の間にはただ一つの反応ではなくて様々な反応が見られる。そのことはソフトとして作る場合には様々な作り方があるというソフトの問題として証明できる。その様々さが環境というものが各人で違っているという理由によっているのかについてはおそらくそうであろうということしかいえない。全く同じ環境というものがあり得るからである。双子の場合のように。
心理学的には、自由はどのようにとらえられるであろうか。
動物の場合には走光性のように環境に対して特定の反応を示す場合があるが、人間の場合にはそうではない。その理由は社会を作るからであると考えられる。社会に置ける役割が違うアリの場合のように、人間はそれぞれで社会における役割が違っている。そのために環境が違うからか、環境を人間社会全体としてとらえれば、同じ人間社会の中で違った自由を持っていることになる。
心理学的には、自由はどのようにとらえられるであろうか。
動物の場合には走光性のように環境に対して特定の反応を示す場合があるが、人間の場合にはそうではない。その理由は社会を作るからであると考えられる。社会に置ける役割が違うアリの場合のように、人間はそれぞれで社会における役割が違っている。そのために環境が違うからか、環境を人間社会全体としてとらえれば、同じ人間社会の中で違った自由を持っていることになる。
つまりこれは唯心論と唯物論とを採用するかどうかという問題である。唯一の理由が決定すると考えればその他の自由は存在しないということになり、共産主義の中にいればすべてが自由であるということになる。
物があるいは環境があるいは自然がすべてを決定するとするすれば自由は存在しないし、共産党の支配する東側にいた方が自由であるという表現になる。
人間は環境によって作られはするが、人間の刺激と反応の間にはただ一つの反応ではなくて様々な反応が見られる。そのことはソフトとして作る場合には様々な作り方があるというソフトの問題として証明できる。その様々さが環境というものが各人で違っているという理由によっているのかについてはおそらくそうであろうということしかいえない。全く同じ環境というものがあり得るからである。双子の場合のように。
スキナーの自由とはどのようなものであろうか。書き換え可能な自由−データの書き換えと、プログラムの書き替えの違いのことであるようだ。
スキナーの自由と書き換え可能な自由−データの書き換えと、プログラムの書き替えの違い。
スキナーはオペラントな状態というのを自由といっており、人間の構造は書き換えが可能なラムの状態であるといっているのである。環境が固定されていればその環境に依存するから自由はないといっているのである。この意味で自由を使うと自由は存在しないということになる。しかしそれにもかかわらず同じ環境でも性格によっては様々な人間になりうるのであるから、自由は存在しうると言い換えれば、その様々な人間になったなった理由が環境によっていない場合には自由が存在したといいうるのである。この場合の環境は性格も環境に含めれば確かに自由は存在しないという言い方も正しいが、性格を含めれないとすれば正しくないということになる。
つまりこれは唯心論と唯物論とを採用するかどうかという問題である。唯一の理由が決定すると考えればその他の自由は存在しないということになり、共産主義の中にいればすべてが自由であるということになる。
物があるいは環境があるいは自然がすべてを決定するとするすれば自由は存在しないし、共産党の支配する東側にいた方が自由であるという表現になる。
人間は環境によって作られはするが、人間の刺激と反応の間にはただ一つの反応ではなくて様々な反応が見られる。そのことはソフトとして作る場合には様々な作り方があるというソフトの問題として証明できる。その様々さが環境というものが各人で違っているという理由によっているのかについてはおそらくそうであろうということしかいえない。全く同じ環境というものがあり得るからである。双子の場合のように。
物があるいは環境があるいは自然がすべてを決定するとするすれば自由は存在しないし、共産党の支配する東側にいた方が自由であるという表現になる。
人間は環境によって作られはするが、人間の刺激と反応の間にはただ一つの反応ではなくて様々な反応が見られる。そのことはソフトとして作る場合には様々な作り方があるというソフトの問題として証明できる。その様々さが環境というものが各人で違っているという理由によっているのかについてはおそらくそうであろうということしかいえない。全く同じ環境というものがあり得るからである。双子の場合のように。
認知心理学において自由に認知が出来ると言うこと、あるいはもっと認知そのものが書き換え可能であるという人間の脳の構造そのものについて研究していると言うことが出来る。これは人間の脳が自由なラム構造から出来ていると言う事実によって説明することが出来る。そこから発生する理性と言葉の問題。及び学問等の問題がある。感情や情というものも実は情動的ではあるが自由の問題もある。自由は情道的な意味合いを持つというのはクランストンである。おそらく人間は自由を喜ぶという性質を持っていると思われるのである。自由は人間の本性である。そして自由と理性は同じことを指している言葉であろうか。自由は言語や言葉そのものを指しているのであろうか。おそらくそうではなくて人間の脳がリライタブルであるということを主に指し、その次に人間の脳がラム構造であることを指しているようである。人間が貧乏な境遇に生まれても金持ちを夢見ることが出来るのは自分の現在の境遇を否定してそれを消して、金持ちの世界に生きてみる能力を持っていることによって自由であるという表現が出来るのである。これは夢という希望の問題であって、夢は忘却の問題であって、夢は「捨てても良い記憶ですか」という通知を人体がしているものと考えられる。忘却なくしてリライタブルはないのであるから、夢の忘却作用も自由の重要な一部であると考えることが出来る。
認知心理学における認識はニューロンの結合と、離反によって行なわれる。これは脳のある部分は書き換え可能であるという人間の本質的性質から来たものであり、一方新行動主義がオペラントなという操作が可能であると言う概念を使う時には人間の刺激と反応の間には、例えば事件を社会的に起こした雪印の梅干しであればすっぱくても唾液が出なくて捨ててしまうであろうと言うような人間の自由な反応が介在していると言うことを前提としている。オペラントなという概念は確かに反応と刺激の間に認知的な自由な選択が存在していることを直接に指しているのではないが、しかし人間の刺激と反応の間にオペラントな条件付けが出来ると言うことはこのことを意味していると考えることが出来る。結論として自由は存在しないのではなくて、オペラントとは自由そのものを主張したのがスキナーという新行動主義の大家の主張であった。
認知心理学において自由に認知が出来ると言うこと、あるいはもっと認知そのものが書き換え可能であるという人間の脳の構造そのものについて研究していると言うことが出来る。これは人間の脳が自由なラム構造から出来ていると言う事実によって説明することが出来る。そこから発生する理性と言葉の問題。及び学問等の問題がある。感情や情というものも実は情動的ではあるが自由の問題もある。自由は情道的な意味合いを持つというのはクランストンである。おそらく人間は自由を喜ぶという性質を持っていると思われるのである。自由は人間の本性である。そして自由と理性は同じことを指している言葉であろうか。自由は言語や言葉そのものを指しているのであろうか。おそらくそうではなくて人間の脳がリライタブルであるということを主に指し、その次に人間の脳がラム構造であることを指しているようである。人間が貧乏な境遇に生まれても金持ちを夢見ることが出来るのは自分の現在の境遇を否定してそれを消して、金持ちの世界に生きてみる能力を持っていることによって自由であるという表現が出来るのである。これは夢という希望の問題であって、夢は忘却の問題であって、夢は「捨てても良い記憶ですか」という通知を人体がしているものと考えられる。忘却なくしてリライタブルはないのであるから、夢の忘却作用も自由の重要な一部であると考えることが出来る。
心理学的には、自由はどのようにとらえられるであろうか。いつ書き換えが行われているのか。
甘えの構造も実は自由が書き換え可能であり、安全なるものに甘えて依存する方が人間にとっては安全で、自由であるという観念から成立している。安全を確保してもらっている安全な範囲の中ではどのような自由を行使しても、新たな危険が発生しない限りは自由であるという観念の中から生まれてきたものである。日本は鎖国をすることによって安全を確保したのではないかとカントでさえも「永遠平和のために」の中で述べているのである。
この環境主義は干渉されない自由の議論を展開するバーリンの理論と共通するものを持っている。バーリンも義賊によって干渉されないならば、その環境の中からよい人間が生まれるであろうという倫理的立場をとっていることになる。バーリンの立場は中立的なものであり、倫理的な色彩は存在しないと考えられているが、「善い人間が生まれるであろう」という大前提に立脚しており、環境主義の一種の自由論であるといいうる。
環境の自由論の環境をよくするという、善なる環境を作るという倫理的な問題に帰する。一般には善という概念は自己の倫理的な概念である。ところが環境においても多くの人が自由に存在している。その自由な人々が善であるならば、環境が善であるといいうる。
スキナーの自由と書き換え可能な自由−データの書き換えと、プログラムの書き替えの違い。
スキナーはオペラントな状態というのを自由といっており、人間の構造は書き換えが可能なラムの状態であるといっているのである。環境が固定されていればその環境に依存するから自由はないといっているのである。この意味で自由を使うと自由は存在しないということになる。しかしそれにもかかわらず同じ環境でも性格によっては様々な人間になりうるのであるから、自由は存在しうると言い換えれば、その様々な人間になったなった理由が環境によっていない場合には自由が存在したといいうるのである。この場合の環境は性格も環境に含めれば確かに自由は存在しないという言い方も正しいが、性格を含めれないとすれば正しくないということになる。
つまりこれは唯心論と唯物論とを採用するかどうかという問題である。唯一の理由が決定すると考えればその他の自由は存在しないということになり、共産主義の中にいればすべてが自由であるということになる。
物があるいは環境があるいは自然がすべてを決定するとするすれば自由は存在しないし、共産党の支配する東側にいた方が自由であるという表現になる。
人間は環境によって作られはするが、人間の刺激と反応の間にはただ一つの反応ではなくて様々な反応が見られる。そのことはソフトとして作る場合には様々な作り方があるというソフトの問題として証明できる。その様々さが環境というものが各人で違っているという理由によっているのかについてはおそらくそうであろうということしかいえない。全く同じ環境というものがあり得るからである。双子の場合のように。
心理学的には、自由はどのようにとらえられるであろうか。
動物の場合には走光性のように環境に対して特定の反応を示す場合があるが、人間の場合にはそうではない。その理由は社会を作るからであると考えられる。社会に置ける役割が違うアリの場合のように、人間はそれぞれで社会における役割が違っている。そのために環境が違うからか、環境を人間社会全体としてとらえれば、同じ人間社会の中で違った自由を持っていることになる。
認知心理学における認識はニューロンの結合と、離反によって行なわれる。これは脳のある部分は書き換え可能であるという人間の本質的性質から来たものであり、一方新行動主義がオペラントなという操作が可能であると言う概念を使う時には人間の刺激と反応の間には、例えば事件を社会的に起こした雪印の梅干しであればすっぱくても唾液が出なくて捨ててしまうであろうと言うような人間の自由な反応が介在していると言うことを前提としている。オペラントなという概念は確かに反応と刺激の間に認知的な自由な選択が存在していることを直接に指しているのではないが、しかし人間の刺激と反応の間にオペラントな条件付けが出来ると言うことはこのことを意味していると考えることが出来る。結論として自由は存在しないのではなくて、オペラントとは自由そのものを主張したのがスキナーという新行動主義の大家の主張であった。
認知心理学において自由に認知が出来ると言うこと、あるいはもっと認知そのものが書き換え可能であるという人間の脳の構造そのものについて研究していると言うことが出来る。これは人間の脳が自由なラム構造から出来ていると言う事実によって説明することが出来る。そこから発生する理性と言葉の問題。及び学問等の問題がある。感情や情というものも実は情動的ではあるが自由の問題もある。自由は情道的な意味合いを持つというのはクランストンである。おそらく人間は自由を喜ぶという性質を持っていると思われるのである。自由は人間の本性である。そして自由と理性は同じことを指している言葉であろうか。自由は言語や言葉そのものを指しているのであろうか。おそらくそうではなくて人間の脳がリライタブルであるということを主に指し、その次に人間の脳がラム構造であることを指しているようである。人間が貧乏な境遇に生まれても金持ちを夢見ることが出来るのは自分の現在の境遇を否定してそれを消して、金持ちの世界に生きてみる能力を持っていることによって自由であるという表現が出来るのである。これは夢という希望の問題であって、夢は忘却の問題であって、夢は「捨てても良い記憶ですか」という通知を人体がしているものと考えられる。忘却なくしてリライタブルはないのであるから、夢の忘却作用も自由の重要な一部であると考えることが出来る。
自由と正義の概念の包括的な歴史
自由は規範ではない。自由は意思の一形態である。自由は人間に固有なものである。現代の自由論をもっとも端的に表現できるのは義賊の心理である。多くの義賊の伝説は、正義と自由の問題のほとんどすべてを内包している。義賊は正義のために自由を暴力的に行使する。義賊に襲われた者は干渉されないように、妨害を排除しようとする。義賊により干渉されることを排除することも自由である。奴隷は解放されることにより自由になる。奴隷所有者は奴隷を解放することによって自らも自由になるであろうか。人間は自由な存在であるが、自由な存在同士のあつまりが社会を形成する。社会は固定的なものではなく、あらかじめ決定されてはいない。従って社会が悪いのだといって社会を変革しようとする自由も人間は持っている。しかしその人のとらえる社会が絶対的なものではない。社会は自由に動いているものである。しかし社会においては正義と自由の問題は永久の解決せねばならない課題である。この問題は人間の社会的な自由を語るときに義賊という言葉は象徴的に語ることができる内容を含んでいる。一方では自然の脅威や、自然の天災地変に対するおそれおののきは別の自由の概念を発達させた。
ケルゼンによる自由が応報(帰報)であるという理論は自由は常に結果をよしにつけ悪しきにつけもたらすので、結局は自由が善を選択するならば、応報はないのであるから善なる自由を求めるべきであるという倫理的な問題に帰着するのである。この問題は個人の自我の自由な選択の問題である。この問題とルターのいう「奴隷的な選択」の問題とは趣を異にする。神によって恩恵を与えられて善を目指しているのであるから、神に自由があるのであって人間には悪の欲望しか存在しないのであり、神の奴隷であるから自由は存在しないと考え方は、自由は悪であるという結論を出すのと似ている。しかし自由は応報であるという議論は、自由の大部分は応報のために唱えられているのであるということである。
現代でも自由論の中で「相手によりよいものを見せられて、選択するものが変化した場合には自分の欲望が変化したのであるから、自由であったといえる」のではないかという議論が提出されている。この議論はオッカム派のビュリダン(一二九五年頃〜一三六六年頃)のロバの寓話と共通するものがある。これは欲望の偶然性によって説明することになる。「量質ともに等しい二つの乾草の束のちょうどまんなかに置かれたロバはそのいずれかを選びうる恣意を欠いているので、両方から同じようにひきつけられてついに餓死してしまう」ので、選択の自由は恣意の偶然性によって基礎づけられるとするのである。ロバは動物であるから、人間のような自由は持っていないのであるから、行為を偶然性に帰することは、実は無知を承認し、決定論を承認していることになるから、自由の議論は人間の多くの選択が、道徳的か、理性的にか、あるいは、欲望的にか、功利的にか、どのようにしてうまくコントロールされているのかということを目的としているのである。
人間の社会についてのもっとも的確な表現を行ったのはアリストテレスである。
アリストテレスはロゴスによりポリスを作るのが人間の本姓であると述べた。そのようにして出来上がった社会は様々な変化する形態をとっているし、様々な形態をとってきたし、今後もとっていくであろう。歴史はこれまでの自由な社会と、自由な人間とを過去における社会と、人間とを叙述するものである。アリストテレスの人間は本性的なポリス的動物であるという命題は、正義と自由の問題を抜きにして自由に政治社会を形成しうるかのような印象を受けるが正義と自由の問題の解決こそ彼の問題関心であった。
アリスチテレスの思想はソクラテスとプラトンの両思想による大きな影響の下に形成されたものである。この流れはヘレニズム文化といわれている。
原始の人間は自然からの罰としての天災地変を自然の神として恐れ、敬った。これが自然神である。神と国家とが同一の時代であった。その後この自然神は人格神となった。ヘブライの思想はヤハベの神を人格神として崇めた。ヘブライ思想はこのヤハベの一神教から生まれてきた思想であり、義の思想、自由の思想、愛の思想、契約の思想などが含まれていた。後世のホッブス、ロック、ルソー、ロールスの社会契約の思想の源流はアリストテレスのロゴスによって国家を自由に形成しうるというギリシャのヘレニズムの思想と、ヤハベとの契約という思想とが混合された結果生まれた思想であるといいうる。
ギリシャ思想とヘブライの聖書の思想は西洋思想の二つの源流である。
平等と正義
平等の概念が正義の概念と結びつくことがあるとすれば、予算との関係で是認されるときであり、無制限に認められることはない。
人間の倫理によって人間は人間に対して天使であるべきである。しかし狼であることもある。自由の主張は自由を考察することが人間行動に対してどのような影響を与えるのかについての考察である。行動論は結果的であり、事後的である。しかし認識論は行動をどのようにするのかについていまだ考察している時期での人間の認知を考察している。従って行動からすれば事前的である。人間の意志を考察することは倫理を考察していることでもある。従って倫理を考察することは事前的である。政治的自由及び経済学的自由は事後的であり、社会的でもある。従って政治的自由を擁護する学問的自由の擁護は憲法による外形的なものであり、経済学的な自由を擁護する独占禁止法違反については外形的あるいは過失なしに認められる傾向が強い。
ヘレニズム文化の根底にはソクラテスの死刑というものにたいする深い考察が存在する。自由と正義との対抗関係においてはじめてヘレニズム文化をとらえることができる。ソクラテスはギリシャの哲学者の中でも正義というものにもっとも大きな関心を示した人物であった。正義のために死刑になったのである。このソクラテスという人物こそ個人の自由の先覚者であったのである。
この思想はアリステレスの思想によってオクシデンタルな東洋の世界にも伝えられていくことになる。
東洋的専制主義といわれるもののなかには、自由は存在しなかったのであろうか。人間が自由である限りは自由が存在しなかったはずはない。正義の概念も存在したはずである。しかし正義の概念は自由とぶつかった初めて個人の自由という概念が発生し、正義の概念が個人の自由を中心として反省されることになる。それまでは専制主義も、善政もどちらとも判断がつきにくい社会状態にあるのである。
東洋における自由の概念についての先駆的な主張は土居健郎の『甘えの構造』の中に見い出すことができる。この自由は個人の自由ではなく、個人の正義ではない。日本における義賊の伝説は少なく、正義と自由との対決はソクラテスのような形では現れなかった。もしソクラテスがいなかったら、プラトンもアリストテレスも現在までこのように大きな形で影響を与えることはなかったであろう。
中世はプラトンとアリストテレスのヘレニズム文化と、ヘブライズムの文化を混合し、消化する時期であった。
ルネッサンスにおいてはマキャベリは、義賊の心理と自由との対立を劇的に表現した。
マキャベリは過去の歴史を研究した。主にローマ史のなかから題材として選び、政治の動きについて論じた。論じ方についてはレオ・シュトラウスが評論を行っている。マキャベリがキリスト教や、ローマ・カトリック教会をどのように見ていたのかは興味のそそられる視点である。マルクスは過去の歴史の中から物質的闘争と、それの解決手段としての共産主義化を歴史の法則として歴史主義を打ち立てた。歴史の大きな流れはヘーゲルによって人間の自由の達成過程であるととらえられていた。ヘーゲルはキリスト教を中心として正義と、自由の概念をとらえようとした。
人間は悲しいかな、平和を求めながらも今日まで戦争が続いてきた。このことを物質的に解決するには共産主義しかないとマルクスはとらえたのである。その結果が共産主義であり、無神論であった。正義と自由の問題は義賊の暴力的な解決のみに委ねられた。
宗教においてはイスラエルのユダヤ民族はヤハベの神の一神教を信仰していた。一神教を信仰していた民族はユダヤ民族以外にも存在していたと考えられるが、聖典として聖書をヘブライ語で残し、ラビの解釈によって聖典として残し続けたのはユダヤ民族だけであった。ここにユダヤ民族から多くの優秀な人物が輩出した理由があるのであると私は考える。この信仰は旧約聖書に表現されている。契約と自由と概念がここにうまれていた。(並木浩一「古代イスラエルにおける契約思想」『ギリシャ思想とヘブライ思想』金子武蔵編(以文社、一九七八年)及び旧約聖書の自由と契約の項参照。)
旧約聖書はヘブライ語で書かれていた。新約聖書は当時の国際語であったギリシャ語で書かれていた。ギリシャ語では自由は、エレウテリアーであり、ヘブライ語ではデロールであった。『オックスフォードギリシャ語辞典』を参照すればエレウテリアーは、1 Freedom,
liberty, freedom from a thing, 2. licence,などの意味があり、ほぼ現在と同じように正義と自由との対立の問題としてとらえられていたことがわかる。ライセンス、わがままとしても自由をギリシャの古語はとらえると同時に、奴隷が解放された状態と同じようなもっともよい意味として、自由はとらえられていたのである。聖書においてこの二つの言葉を多く探すことができる。
イスラエルのナザレにイエスが生まれた。そしてローマのポンティオ・ピラトによって十字架の上において処刑された。イエス・キリストはキリスト教という世界的な普遍的な宗教を生んだ。この宗教は普遍宗教の存在をはじめて世に示し、世界宗教をはじめて形成した。キリスト教においても自由と正義こそもっとも重要な概念である。キリスト教における自由の概念は新約聖書において多くが語られている。「真理はあなたがたを自由にする」という聖書の言葉以外にも愛や、自由について多くのことが語られている。このキリスト教はキリストが死刑にあったという事実から出発している。キリストの死刑後の復活祭はキリスト教の中心的意味を持つのである。キリストは自由と愛とを永遠に残したのである。キリストは人間のねたみのような現実的な問題も含んで、解決しようとした。([新改訳]マタイの福音書
27:18 ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていたのである。[NKJV]
Matthew 27:18 For he knew that they had handed Him over because of envy.)義賊の心理も、干渉されない自由の問題もすべてねたみの問題でもあるのである。
このキリスト教は西洋の中世における世界を説明するのにもっとも大きな役割を果たした。(「アウグスティヌスとネオプラトニズム」『ギリシャ思想とヘブライ思想』金子武蔵編(以文社、一九七八年)。)この中世の世界はカトリック教会を中心として歴史は語られることになる。
自由は愛とともにキリスト教の根本思想であった。この問題は人間のねたみの問題を解決していた。キリスト教の宗教は義と自由という問題を取り扱っている。キリストの義は「神の国」を作りうると考えられた。ヘレニズム文化が「地上の国」をいかにして善なるものに向かわせることができるのかを考察したのに対して、ヘブライズムにおける義と自由の問題の解決は「神の国」の形成によってであるという宗教的な解決によらねねばならないとされた。
世界第二の宗教はイスラム教である。この宗教はマホメットにより形成された。マホメットにおける自由と正義の問題は、キリスト教ほどには徹底して解決されようとはしなかった。旧約聖書の一神教を多神教の世界にもたらした功績は大きかった。
世界第三の宗教は仏教である。禁欲主義による難行苦行と、解脱というものに正義と自由の問題の解決を見いだそうとした。
この最初の段階から正義と自由の問題の解決において共有と、私有の問題は重要な位置を占めた。この問題は法律学においても重要な問題であった。ガイウスの『法学提要』はこの問題にも解答を出そうと努力した。ルソーはこの問題に最後まで迷い、決着をつけることができなかった。夫婦財産制度における大陸法と、英米法の対立も共有が正義であるのか、私有が正義であるのかに帰着した。
この問題はアリステテレスとプラトンの共有がいいのか、私有がいいのかの論争に始まり、ルネッサンスの時代のトーマス・モアの『ユートピア』の共有社会、そしてルソーの所有権批判、文明批判、そしてマルクスへと受け継がれていくのである。
一〇分の一を教会に寄進しなさいというユダヤ教と、キリスト教と、イスラム教の教えは仏教の檀家制度のように「神の国」を作るために一つの経済的基盤であった。
これに対して人類ははじめから税という方法によって、義賊の心理を正当化する方法を身につけていた。所得の再配分である。税は国会によって決定されなければならなかった。税は義賊の心理を国会という形で正当化するものであった。その使い道は予算という形と、決算という形で国会において承認されることになった。
税であれ、十分の一の寄進であれ、それらは共有の財産として義賊の心理が満足される形で処分されることになった。
教育は正義と自由の議論を押し進める上で大きな役割を果たした。教育は人間の自由と正義の概念の上に成り立っている。ヘレニズム文化におけるアカデメイアの教育も、ヘブライズムにおける信仰の教育も同様に人間の正義と、自由の問題を中心にして教育されることとなった。プラトンのアカデメイア学園も、アウグスティヌスの修道会も同様であった。マキャベリのオルチェライの学園も同様であった。
ロゴスの発展は、ルネッサンスにおいてはデカルトの理性主義に見いだされることになった。
ルネッサンスと宗教改革は対になって理性の改革と神聖の改革であり、両方が同時に起こるべくして起こった。
宗教改革においては自由の問題が、再び大きな問題となった。この問題はアウグスティヌスの自由意思論における問題よりも大きな問題提起となった。アウグスティヌスにおける自由意思の問題は、マニ教における善神と、悪神とのどちらを選ぶのかという問題提起に対する解答であった。そのために悪か、善かを選択するという問題としてとらえられることになった。しかし聖書に従えば悪を選択することはできないという思想であった。この論理もベラギウスとの対決において展開されたものであった。
どころがルターはエラスムスの『自由意志についての評論』の思想に真っ向から反論することになる。奴隷的な選択しか人間にはできないと考えるのである。この考え方はルター主義としてルター派教会の大きな教義となった。メランヒトンから、ピエティズムにいたり多少は善行という概念が取り入れられるようにはなっていくが、根本の思想においては「奴隷的な選択」という概念は、ルター主義の中心となった。ルターは聖書のドイツ誤訳を完成し、キリスト教の普及につとめたアウグスティヌス修道会の牧師であったが、聖書に忠実な解釈を行ったのであると主張したのである。この「奴隷的な選択」の理論はユダヤ教のラビになろうと考えていたフロムにとってはヒットラーへの服従を準備したものとして否定的に論じられ、マルクスの生産手段の国有化の理論や、フロイトの理論にかたむかせることになった。
カルバンの説は聖書における予定説の部分が強調されることになる。そのなかでの自由と義が強調されるのである。
シェイクスピアの文学の中で自由という言葉は、自由かってという意味にも使われている部分があるにしても、シェイクスピアが自由を否定的にとらえていたとは考えられない。正義と自由との葛藤はイギリスの大文豪のシェイクスピアにおいてもっとも重要な問題として考えられていたのである、ハムレットにおいてはto be or
not to beと悩み、両方の家の対立の中における結婚の問題に悩むハムレットの自由も、ベニスの商人の正義と自由との間での悩みも義賊の問題でもあったのである。これはラスコーリニコフの『罪と罰』における正義の正当化の問題も同様である。文学においてこそ義賊の問題は解決されなければならないのである。
「私が知る限りでは、ベイズ本人がベイズの定理を書き残したという事実はないはずだ」とHowardはベイズ定理の数式について語る。つまりベイズが考えたのはまずはチャンスを増やすためには、功利性を得られるところ(教会など)に頻繁に行くことによって幸福へのチャンスが多くなるのではないかという漠然とした注意を神学において促すという内容であったと考えられる。"Bayes
said that essentially everything is uncertain, and you have different distributions
on probability," said Ron Howard, a professor in the Department of
Management Science and Engineering at Stanford. スタンフォード大学のRon
Howard教授は、「ベイズ曰く、全ての事柄は本質的には不確実で、その確率の分布は様々である」と。
Howard, R.A., "Probability", Chapter 38 in Mathematics Associated
with Systems Engineering, pp. 3-47, Cambridge, MA: MIT Press.
ベイズの定理は社会科学の分野にも応用されている。たとえば生活環境的に兄弟の多い人Aで思想が共産主義になるB確率を求める。一般的にはそのような因果関係はないかもしれないと思われている場合にそのような因果関係があるのか、ないのかをベイズの定理は調べることができる。
行動における認知と、認知科学はこの点を明確にして社会心理学の領域におけるベイズの定理の応用の実例がある。
行動科学においては危険の認知において、不確実な状態を想定する。従って何度も飛行機に乗ってみて、危険性の確率を毎回変えていくことになる。一方認知心理学は認知において危険であるとの認識が正しいと考えれば行動を中止する。この場合の認識は最初から与えられた事前的に確定した危険の確率を想定していることになる。従って飛行機に乗ることをやめる確率は、自動車で行った場合の方がより危険性の確率が低いと考えられる場合である。
ところが行動心理学においては何度も飛行機にのることを経験するごとに、自動車に乗ることよりも危険の確率が低いことを知ることによって飛行機を利用するという選択を行うことになる。
社会科学において行動科学の発達によって、特に意思決定がどのように行われるのか、リスクの管理がどのように行われるのかについての研究が進んできた。
経営科学や、政治学の科学化は行動科学の領域を拡大させたがその際にベイズの定理が応用されることになった。
一例として統計学者森田優三が挙げる例は、融資の実行において融資先の調査が精緻になされた場合には危険性が除去されることによって実際的に倒産の危険性が少なくなったという証明にベイズの定理を使うことができるという証明の問題を挙げて説明している。この場合には融資先調査によって事前確率は事後確率をより少なくするのに効果があったという証明になっているとしている。倒産の危険性は限定された融資先に投資することによって確かに少なくなったという証明が有意に行うことができるであろう。しかしそれを数字的に何%少なくなった、その他の方法がよかったかもしれないということに応用的に科学的に証明するために統計学は使われることが可能である。その際にこのベイズの定理は唯一有意に証明するものである。
これを伝統的統計学では一社会における倒産の確率を求めることができるが、事前確率は事後確率を大きく上回っていたが、それは融資先の調査を行わなかったからであるという結論を出すことはできない。その原因としての融資先の調査が直接に倒産の確率を下回らせたということはまた経験的なものであるが、しかしその有意さが大きければ大きいほどそれが原因で倒産の確率は少なくなったということはできる。経済が好転したという原因も差し挟むことができるが、これまでの伝統的統計的経営経済学がそのようなものを一切把握できなかったのに比べれば、統計学の飛躍的発展とみなさざるをえないであろう。
たとえば経済全体が非常に悪化している時に、経営計画によって経営を改善することが何%できるのかという判定を行う場合、その経営改善率が1%の社会では経済は恐慌の状態であるが、80%であればアメリカンドリームが有効な社会であるというような判定に使用することができる。
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◎ 自由討議における委員の発言の概要(発言順)
奥 野 誠 亮君(自民)
現行憲法は、戦後、アメリカの日本管理方針に合わせて作られたものであり、憲法について議論するに当たっては、現行憲法に基づいてどうするかというよりも、これからの日本はどうあるべきかという観点から議論すべきである。また、社会情勢や日本を取り巻く世界の情勢等が変化していくことを考えれば、憲法は、明治憲法のようになるべく簡明かつ弾力的なものとすべきである。
現在の選挙制度は、金のかからない選挙という観点から、政策本位の選挙制度として構築されたが、政党がめまぐるしく変わっている現在、政党を選ぶというのは国民に分かりにくい。個人を選ぶという形が良いと考える。
参考人は将来的には党議拘束を緩和すべきであるとするが、政党は政策を実現するために集まった集団であり、その観点から、党議拘束をかけることを原則とすべきである。
春 名 直 章君(共産)
民主政において政党の存在が大きいものであると、改めて感じた。現在の政党法制については、(a)違憲状態が生じている、(b)参考人からのドイツの制度の「いいところ取り」であるなどの指摘があることを踏まえ、94年の政治改革のときに制定された政党助成法等の内容を吟味しなければならない。また、政治と金の問題は、国民主権を脅かしかねない問題であり、真っ先に取り組むべき課題である。
憲法と政党の関係ついては、本調査会において、議論を深めていく必要がある。
仙 谷 由 人君(民主)
議院内閣制においては、本来、与党と内閣は政治権力として一体であるべきだが、従来は、党高官低などと言われて、与党と内閣が二元的であることがむしろ良いとされてきた。小泉内閣の登場により、与党と内閣にねじれ現象が発生し、日本的議院内閣制の矛盾が明らかになってきている。
実現可能性が低い公約や明確でない公約の下で選挙が行われていること等を踏まえつつ、政党に対する不信感を拭い去るためにも、選挙・政党・政治権力の関係について、国民と一緒に考えていく必要がある。
イスラエルでの首相公選制の失敗を考えると、日本は議院内閣制を継続していくしかないのではないか。
奥 野 誠 亮君(自民)
現在、党首の選び方など政党内部の在り方が非常に重要となっていると考える。
注:第三次世界大戦が起こらなかった第二次世界大戦後の現在のバブル崩壊後の経済の見方について
多くの学者がバブル崩壊後第三次世界大戦に突入するのではないかと一時期主張したが、現在までイラク戦争以外は起こっていない。それは次のような理由によると考えられ、それがくずれるといまだにその危機はあると考える。
マンション用地としての需要があるのみで、ミニバブルの影響は限定的である。
ミニバブルはアメリカのように崩壊しつつあるのか。
ミニバブルの原因をどのようにとらえるのかにもよるが、今時のミニバブルの原因はマンション建設のためのマンション用地の仕入れの加熱によると考えられる。またJリートによる還元利回りあるいは同じことであるが割引利回りの低下による還元利回りの低下が原因でもあると考えられる。この二つは別々の原因によるものであって一括して論ずることはできないが、相互に関連した事象である。用地仕入れに当たっては建設後の分譲価格や、賃貸に供した場合の賃料が考慮されており、毎期の賃料の割引率は毎期の賃料の現在価値に影響を与えて、更には現在価値は還元利回りに影響を与えているからである。
利回りは低下の傾向が今後も続く可能性があるとしても、低い利回りで還元すれば買主の方から見れば高く評価ができてよいが、賃料の割引率は低い程高い現在価値が得られるのと同様である。一方では高い割引率は現在の資産価値を低く見積もることになる。また高い還元利回りによれば同一の毎期の賃料の価値に対しての資産の現在価値は低くなることになる。
他の工場経営とかの利回りが低くなっているとすればそれに比較して賃貸物件の経営は利回りが高いのでうまみがあるものとなっているのであるから、他の工場経営とかの利回り同様に低い利回りでも賃貸物件の取引がなされるであろうという予測はなりたつ。
しかし基礎価格に乗じられる収益賃料そのものの決定に当たっての利回りの決定に当たっては期待利回りが大きければ大きいほど期待される毎期の賃料の予測は大きくなるわけであり、割引利回りとは逆の動きをしていることになる。
期待利回りとは逆に割引利回りは現在の資産価値を高ければ高いほど低くするのは、基礎価格が低くても高い期待利回りが高ければ、期待される毎期の賃料の予測は高くなるという関係を示している。
期待値が大きいことでバブルは起こった。今のミニバブルの原因をも期待値の大きさと、利回りの低下が原因となっており、今後期待がはじけ、利回りが上がればミニバブルがはじける可能性はある。マンション用地の仕入れに当たっての分譲マンションの価格帯は期待賃料や、給料等の期待収入を反映しており、恒常仮説をとろうと期待給与所得のうちのエンゲル数に似た部分が建物土地の不動産に回されると仮定するにしろ今後の期待値にかかっている。
人口の3%が80%の富(所得と資産)を持っているのか、人口の10%が50%の富(所得と資産)を持っているのか。資産デフレによって被ってきた負の遺産が少なくなってきた。ミニバブルの先行きは今後の予測及び期待値にかかっている。
ただ資産デフレによって被ってきた負の遺産が少なくなってきたので日本経済がダイナミックに動き出したことは確かに感じられる。資産デフレ後の日本経済の姿、デフレーターで除した所得と、賃料の動きなどが問題となろう。その際国際的な比較は今後外資の導入が多くなるにつれて更に必要となろう。
この際に資産と所得に関する経済の見方の再編が求められている。
資産デフレによってバランスシートの損失が、経済にどの様な影響を与えるのか。これをも含んだ経済の見方である。中国における低い給与による生産品の流入は微視的にも、巨視的にも日本にも、英米にも大きな経済的影響を与えている。最初はケインズやフリードマンのように経済そのものを変革するような理論が現れたととらえられたが、キンドルバーガーは大恐慌には新古典派的な自由競争主義を採用しながらも資産デフレという資産市場の分析が必要であったと発言している。更にはトービンのQの理論は、ケインズの雇用と効用の問題だけではなく、またフリードマンもケインズも一方は3面等価の原則を守りつつも金融の問題だというように金融の働きを重視しつつ調節を行うべきであるとする。その際の株式会社における株主の動きにもっとも注目する。これはJリートにおける資産価値の変動ともつながっている。第二次世界大戦後資産デフレに遭遇した経済がどのようにして立ち直るのかは重要な経済の見方である。グローバリゼーションに対して批判的な見方をするスティグリッツが自由主義的な新古典派的な見方も重視する。不完全な情報の中でどの様な決定をするかについて自由主義的な解決法を見いだそうとするのである。財務省における講義において。但しスティグリッツは基本的にはグローバリゼーションに対して批判的な見方をする。
現代の経済学の中で貯蓄と、投資と、資産価値の変動ともつながっている資産評価がどの樣に位置づけられるかを解ければノーベル賞が二個もらえるよと言われたのは某元教授である。我々にとっては正義が優先することを定義すると同時に、資産と所得の双方を取り入れたノーベル賞が二個もらえる程の問題を解かなくてはならない時期に来ているといえる。
千風には
平和を含む
とは知らず
戦争の自由
千風平和無視
自由は無
禅の無の境地
戦争を
とわ平和の無
千風で有に
新旧の
戦に平和
キリストは
シャロームと言い
千の風吹く
千風は無し
だが自然法
も真理も
発見も含み
永久平和へ
永久法は
自然法で
戦争の
上にある法
千風のみ言う
没者は
千風言える
千風に
苦痛を言える
永久に平和言う
千風は無
でも平和なる
高貴を
含む故御用学者を
含まず千風
シュミットの
御用学者の
なしたるは
文学で戦争
先鋒と同じ
平和と
千風の観点
からのみ
世界の思想
自由史書ける
千風の
初の世界史
書くために
強者どもの
夢あと千風
武士の夢
跡を探して
芭蕉並の
旅に出てみん
千風探して
世界初
千風の歴史
書くために
反対する自由
等異論の整理
戦場で
面白さも
発見も
ありえず苦しさ
のみの千風
自由には
綱渡りの
面白さも
千風という
ディズニーランドの千風
子供の
自由は面白さ
ぞうさんと
ありさん面白
遊びそのもの
自由とは
綱渡りの他
発明も
面白さから
苦痛なきは千風
発見は
自由なくば
ありえず
人は平和
苦痛をなくす
犯罪は
悪への自由
戦争は
苦難への自由
千風と呼べず
自由と
解放とは
無にして
禅的平和
千風のみ知る
自由が
平和含むなら
犯罪は
悪への自由
とは呼べず
千風が
解放したき
平和風
戦争の自由
ありえぬとする
自由とは
解放と無で
無ならば悪も
犯罪もあり
千風許さず
悪への
自由はないし
戦争の
自由はない故
自由と呼ぶな
悪の自由
罪にて自由
とは呼べず
戦争軍備
同じと千風言い
自由の
定義に平和
を入れて
カント初めて
死ねた千風
カントの
墓から千風
聞こえた
権力に
おもねずしあわせ
カントの
平和論
刊行時の
苦痛感じて
千風さわやか
二世が
民を所有すと
戦争す
苦痛で民は
否定千風
以上
永遠平和のための新体短詩集
千の風 南禅寺の セミに吹き 荒れしかな
千の風
南禅寺にて
セミに吹き
荒れて貴方に
永久平和
ネクサスというのは、エスペルセンの提唱ですが、一固まりの言葉をそう言います。
彼が世界語を考えたように、一固まりの主語述語の節の意味と定義すれば、日本語もネクサスはあることになります。
それが短歌における5 7 5 7 7と考えれば新しい短歌が生まれるのです。
A THOUSAND WINDS
千にもなるや多くの、千の風になって
author unknown
詠み人知らず
Do not stand at my grave and weep;
私のお墓の前で立ち止まり、今は亡き私のために泣き涙を流さないでください。
I am not there, I do not sleep.
私はここです、そのお墓になんかいません、眠ってなんかいません。
I am a thousand winds that blow.
あの吹く風は千にもなるや、多くの風、それらも私です。
I am the diamond glints on snow.
雪の上で、ダイアモンドのようにキラリと光る多くの輝き、それらも私です。
I am the sunlight on ripened grain.
あの熟した一粒の実にふりそそぐ太陽の多くの光、それらも私です。
I am the gentle autumn's rain.
秋になり、優しくあなたに降る多くの雨、それらも私です。
When you awaken in the morning's hush
朝にはあなたが静かに目覚めたその時、
I am the swift uplifting rush of quiet birds in circled flight.
目を奪う速さで舞ってあなたを驚かし、物言わず飛び回る多くの渡り鳥も私です。
I am the soft star that shines at night.
夜に輝き、優しく光る星も私です。
Do not stand at my grave and cry;
私のお墓の前で立ち止まり、泣かないでください。
I am not there, I did not die.
私はここです、そのお墓になんかいません、私は死んでなんかいません。
A thousand winds have wuthered one day now.
thousands of
two thosand
現在完了形の元々の意味は日本人の文法概念にはないが、
今現在、過去に経験をした過去を持っているという意味です。
吹き荒れて今は静かであるという意味で、one dayに吹き荒れたという過去を今現在持っている、そういうことがあったという意味です。
日本人ならば、
経験あるのときくでしょう。
経験は過去のことですが、過去の意識はありません。
一番良い例はキスしたことあるというのが若い人には分かりやすいでしょうね。
ことある
と聞いているのは、経験を聞いていて過去のことです。
行ったことある
これも同じです。
I have the experianse というのは論文的ですが良い表現であるとは思います。
日本人であれ、外人であれ単語は同じ、しかしつなぎ方が違うと考えた方がよいでしょう。
a thousand winds that blow.か
the thousand winds that blowか
theにはthat blowの関係代名詞節(関係代名詞省略の節)を指して特定したという意味で、theには元々の語源でthatがあるので「吹いているその」という意味でしょう。
また、欧米の原作者は、weepと cryは涙を流すかどうかで使い分けているようです。
千の風になって
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
■リンクをして下さる場合はトップページ(http://www.twin.ne.jp/~m_nacht/)にお願いします。
■歌詞の転載をされる方へ■
営利目的の場合はJASRACに許可をもらって下さい。
非営利の場合は、写真詩集「千の風になって」「千の風になって ちひろの空」(講談社)を必ずお読みいただきますよう
お願い致します。その上で出典明記で載せて下さい。
By 新井満訳
が元々の欧州では誰もが歌う歌らしいのです。欧米でカントは有名な書物(岩波文庫625−9)「永遠平和のために」の弟一文に「この標題(永遠平和のために)は・・墓地に描かれたりしたが」と書いているのです。この千の風を死者一般、特に戦没者の方々の苦しさから出た千の風が永久の平和を求めているとし、その声を歌ったのがこの和歌集です。
万葉の昔からの和歌を現代詩として復活する試みです。
欧州には偶像崇拝がない代わりに死者の声を聞こうという気持ちがあり、それがこの歌で1000本の多くの風になってという意味であると思います。
私ならばそう訳してこの本に新しい訳をつけます。
通常は「blow」、過去形「blew」、過去分詞形「blown」がベターだと思います。
確かに最初はそうかなと思いましたが、wuthering heightsからそれを自動詞として採用したのです。bowは一回吹いたという感覚なので、wuthering heightsからとった自動詞のwuther を採用しました。
wuther
Main Entry: wuth・er
Pronunciation: 'w&-[th]&r
Function: intransitive verb
Etymology: alteration of whither to rush, bluster, hurl
dialect England : to blow with a dull roaring sound
Merriam-Webster's Open Dictionary
またovercomeについてはAがBに打ち勝つという意味の他動詞に使われるのに、古くは自動詞として使われていたようなので、そういう使い方を私がした例があります。それらは辞書で調べてからの使用です。
overcome Main Entry: over・come
Pronunciation: "O-v&r-'k&m
Function: verb
Inflected Form(s): over・came /-'kAm/; -come; -com・ing
Etymology: Middle English, from Old English ofercuman, from ofer over +
cuman to come
transitive verb
1 : to get the better of : SURMOUNT <overcome difficulties>
2 : OVERWHELM
intransitive verb : to gain the superiority : WIN
synonym see CONQUER
- over・com・er noun
またliberty自由はシェイクスピアが使っている特別な意味の例があります、それを採用しました。近くにノバがあるのでどう思うか外人に聞いてみようと思います。
確かにマッカーサーは、また天皇を救った人は憲法9条と引き換えに天皇の命を救ったと思います。
それがドイツでは行われたのに、日本ではという意味でもあります。
だから家内も右翼に狙われないように「9条は天皇と一体だったのに」字余りにしろというのですが今はこうなっています。
それ程に深い意味をマッカーサーの短歌に込められるのは短歌の素晴らしさだということです。
白メガメは白い風に変えるでしょう。
ヒ素はあるのだから、ちゃんと鑑定して、今の法律では不動産鑑定士には土壌汚染があったことを証明する資格があるからです。
ときには1960年代の日本、ときには現代、そして終戦後、ときにはNY、ベルリン、パリ、武漢、ダブリンと…時空を超えたまなざしの飛翔に、めくるめく思い。読み手側にも圧倒的な想像力をかきたてて止まない何かを、感じることができました。
海外旅行をする時に、この本を持って世界に日本の永遠平和都市を宣伝して回ろう。
没者に声
あると信じる
人々も
聞こえるはこそ
千の風の音(ね)
若い人
先に生まれし
人のこそ
声が聞こえる
そを千の風
千の風は
苦しみのみか
空の歌
戦没者は
未来へ夢か
千の風
戦没者のは
千風ぞ
苦からはなる
永遠(とわ)平和へと
千の風
戦没者のそ
千風に
苦からは特に
永遠(とわ)平和へと
東西の
冷戦終わり
千風を
若き人々
聞くことあたう
かって来し
三四郎池
いま思い
漱石悩み
大人になりて
戦争を
遂行終わり
歸りては
見る三四郎池
千風涙
学生の
役人になる
悩み知る
池に住む魚
三四郎池
役人に
なりて歸りし
三四郎池
千風知らず
戦争の後
赤門の
色が変わりて
くすみしや
時代の流れ
千風による
赤門の
20年後の
姿には
毅然の色を
千風にて見る
中世の
織田信長も
西洋の
啓蒙君主
同様千風
今にある
安土桃山
城の跡
壮大な企画
織田信長也(や)
西洋の
啓蒙君主に
勝とうとし
織田信長也(や)
安土城跡
啓蒙は
二世になれば
鎖国にて
日本の文化
南禅寺のセミ
東西の
文明を集め
安土城か
千の風知り
計画ローマに
安土城
壮大な思い
まだ知らぬ
東西の違い
織田信長や
東西の
違い乗り越え
大熊候
本を書くけど
まだ無視されて
東西の
文明の和を
いにしえに
説いた大熊
候に千風
東西の
冷戦終わり
千風を
若き人々
杜に聞きに来
沖縄の
恋人言うは
返還の
願い千風
1970年
沖縄の
首礼の門や
返還は
されても無かな
千風なきは
苦しからず
戦没者
二世に虫
何になりしか
南禅寺セミか
二世なら
「最後の弾」が
自分にと
はつゆ知らずや
千風聞かず
虫にしか
「最後の弾」が
来るはずも
なしと二世は
虫を踏みつけ
木の上の
南禅寺のセミ
英人の
座禅するまね
鳴きながらする
シスコの子
港のカモメ
日本へと
行って伝えて
千風こそと
シスコの子
おじは日本に
いるらしき
千の風聞く
能力を持つ
シスコでは
手を海の中
太平洋
戦争超えて
日本につなげ
バルト海
手を海の中
ベビーカー
引くおかあさん
日本に母か
ノーベルの
大砲のせて
バルト海
艦隊いずこ
日本へいくか
艦隊が
千風乗せて
バルト海
日本にやいく
乗りたくもあり
当選は
神のおつげか
白メガネ
南禅寺ゼミ
コロッセウムのむし
浦和にて
歩きしついで
メガネ並
白メガネ採る
我に千風
新入か
日本も背広も
何もかも
新都知事にて
白メガネかな
おしゃれな
都知事誕生
白メガネ
新調して
世界に向けて
白メガネ
世界に向けて
発された
キング牧師の
反黒人差別
千の風
送ってきたの
ケネディー
墓の前では
泣かないように
稲次郎
墓場の影で
社会の
格差是正へ
千の風吹く
白メガネ
リスも共する
おしゃれに
ボストンコモン
ワシントン殿も
新しい
東西冷戦後
マルクスも
それでいいとす
墓場の影から
南北と
同じことなり
東西と
地理を分けてぞ
殺し合うこと
南北に
壁を引いても
東西も
国家を所有と
思うは二世
二世が
国を持つとや
思おうと
民は持たれ
たくなし二世に
戦争で
民は苦しき
ものなれば
軍は自ら
拡大せずよ
えいえんの
平和は地理には
壁引かず
広大な土地
千風涼し
千が土地
ずっと見える空
千風は
吹き荒れ雨は
粒なり語る
殺された
二世達に
そは苦し
9条採らずは
天皇廃止
殺された
千風苦し
その思い
9条廃止は
天皇廃止
殺された
千風の主
あな苦し
9条廃止は
天皇廃止
ギリシャの
オリンピックは
スパルタの
武力と違い
カタルシスかな
スパルタと
アテネの違い
明白さ
武力とペンの
違い世界へ
ペンは
武よりも強く
なきことが
多くありても
千風だけは
負けたペン
千風だけは
残したか
涙をぬぐい
真の勇気に
スパルタが
跡形もなく
さびれぬる
強者どもが
夢と呼ぶまい
スパルタの
跡であるとす
山の中
強者どもが
夢の千風
さびれしか
スパルタの山
跡どこに
千風聞けぬ
武力のみでか
さびれても
スパルタという
残骸は
武力のみでは
跡形もなし
アテナイの
オリンピックの
門の跡
古代からして
発展したか
スパルタは
アテネと違い
武力のみ
文化が遅れ
跡形もなし
スパルタの
武力国家跡
刀剣の
跡のみ残し
千風なし也(や)
オリンピック
突貫工事で
武道館
ついに完成
桜も誇りに
中央市場
ヒ素が残るも
その土地に
移る計画
魚が笑う
東京の
オリンピックは
安全に
異邦人の
家族がなごむ
東西冷戦後
北京オリンピックの
人々の
こころを変えて
永遠平和へ
日本かな
江戸城跡の
桜こそ
桜田門の
血の跡どこに
平和への
千鳥ヶ淵の
千の風
靖国の神
笑ってこたえ
桜さえ
吹き荒れる
靖国の
千の風知り
桜吹雪か
江戸城の
強者どもが
千の風
再建知りて
堀の鯉発つ
何代目
牛ヶ淵の鯉
千の風
江戸時代から
見守り続け
新聞も
平和を無視し
二世とも
憲法を変え
させようと奔走し
願わくば
千の風とも
吹き荒れて
われ世界へと
飛び立てる翼
大戦中
全新聞が
垂れ流し
特攻隊
賛美の石原に
公明に
世界の平和
述べ続け
特攻隊の
凱旋の夢
零戦の
特攻隊の
凱旋が
千の風にて
永遠平和へ
凱旋と
共に失われし
命の尊さ
千の風にて
吹き荒れしかな
新聞は
マッカーサーを
無視しても
我々の好きな
天皇を滅ぼす
日本では
全新聞
一丸で
古い伝統
滅ぼす仕組み
日のもとの
古層から
わきあがり
伝統の力
千の風にて
空港から
ニューヨークへの
道のりの
車の不安
成田の不安
ボストン発
ニューヨークへの
アムトラック(鉄道)の
女性車掌は
日本へ千風
ボストンへ
ニューヨークの
鉄道の
車掌女性や
千風日本へ
シスコにて
アパートなるを
見学し
日本のアパート
思い出しぬる
思い出す
シスコアパート
日本のそ
ケーブルカーは
日米千風
家々は
ヒスパニックの
居住と言うは
インディアンなり
先住の風
シスコには
広島の無残
逃れてか
住み案内す
広島の女性(ひと)
シスコのや
日本人街
若い人
日本と酷似
千風にてか
広島出の
女性に聞くと
若い人
シスコで普通と
いうは千風
観光の
案内人は
広島に
住んでいた女性(ひと)
千風懐かしむ
夫のもとへ
帰るというは
シスコ女性(びと)
千風が引く
懐かし日本
シスコにて
ボランティアなる
名刺をや
渡す手に込め
千風思い
手に名刺
シスコの観光より
日本への
千の風息
温かく感ず
渡す手に
届けとの夢
込められた
広島へのか
名刺託し
日本への
観光名刺
受取りて
大切にする
千風として
東京
ヒ素と命と
引き換えの
オリンピックは
何でか知りたし
ローマから
熱出し機中
ベルリンへ
冷戦後の空
千の風かな
サリンとも
オウムと同じ
ヒ素の毒
風も冷たき
豊洲の地下に
千の風
豊洲の風より
温かき
戦没者の
笑いが聞こえる
ついにきた
吹き荒れて
千の風
東西冷戦
残滓さえ消す
わかものが
新ナチに走る
きっかけを
つぶす力を
千の風得た
マスコミの
消え去る言葉
暴力に
消されてもなお
永遠平和の風になれ
一人っ子
政策成功(なる)か
広州の
親の財布で
子は動物園
深センに
世界の建物
集めさせ
江沢民の
ルーブルの屋根
深セン 世界の窓
日本では
戦争の悲惨を
平和へと
陶酔の力
いやといわせぬ
白都知事
演じることは
千の風
永遠平和のため
いやといわせぬ
軍拡(核も含む)(改憲)が
永遠平和へ
向かえれば
勝っていたかな
白メガネ買う
ハーバード
像に笑いが
聞こえるは
千の風聞く
その思いから
ハーバード
大熊候の
願い無視
千の風無視
するはずもなし
諭吉氏も
大熊候と
千の風
同じ思いで
西洋事情
ハーバード
違うことなし
日米で
創始者の心
千風思い
東大の
三四郎池
悩めるは
千の風との
役人創始
世界への
メッセージ
マッカーサー
貴殿の思慮prudenceの
千の風です
写真撮影ニューヨークにて発見
いにしえの
千の風こそ
愛すれば
とわの平和へ
人を導く
写真撮影ニューヨークにて
世界での
難民多く
戦没の
千の風だけ
聞かせて欲しい
涙だけ
流すことなく
千の風
あなたのことを
とわに忘れない
キリストは
シャロームという
千の風
十字架こそ
千の風かな
千の風
アーリントンは
キリストか
靖国は神
か共吹く風
演劇の
シェイクスピア
様々に
風を残して
喜悲劇とも
悩めるか
シェイクスピアが
送りたる
自由の風は
千の風かな
ベビーカー
都心のみちに
引き回る
自由自在に
ストックホルム
吹き荒れて
千の風こそ
茶の香の
日本に届け
金門橋
金門橋
千の風かな
日本から
太平洋の
潮風として
千の風
太平洋を
遠く越え
幌が人力
車日本的
浅草の
観光によし
線香は
千の風にて
香りシスコに
人力車
江戸の浅草
シスコでは
西部幌馬車
にのり千風
子供連れ
西部から来た
農園主か
観光に乗る
西部幌馬車
ハットのみ
カウボーイかな
現代は
ワイン畑に
千風吹くか
ノーベルの
夢の跡かな
市役所
バルトの海で
人魚舞う
爆弾を
千の風こそ
吹き飛ばす
古き伝統
賞メニュー
ノーベルの
願いは届け
千の風
遠き天国
吹き荒れてこそ
ナポレオン
凱旋はした
直後も
凱旋門の
パリの夜空
中空の
凱旋門に
千の風
戦没者が
泣きながら
夜ローマ
民主制の
明暗を
分けた闇夜の
指導者像
いにしえの
コロッセウムで
つよきものの
虫となりしか
強者どもが
東西に
分断された
ベルリンの
千の風こそ
一体とする
夜の風
ベルリンの壁
道跡の
片側の店
お好み焼き似
壁近く
パブで親しい
老紳士
ベルリンの壁
やさしく忘れ
武漢(ウーハン)の
バス公務員
長江の
水とたわむる
二人の娘
引き上げた
中山艦
武漢(ウーハン)で
千風学ぶ
恋人二人
湖北省武漢の長江(揚子江)で軍艦「中山艦」を日本軍は1938年10月24日に攻撃し、撃沈した。
武漢(ウーハン)は
人の心を
まだ残す
千風よりも
日本への夢
武漢(ウーハン)で
人にやさしい
二人連れ
欲しいは千の
風のメール
長江の水
冷たき中に
小魚が
泳ぎヒレ振る
三國志演技
広州の
動物園の
象さんは
親の財布で
子供のあこがれ
ギリシャの
神々が泣く
パルテノン
遠き昔の
劇場の跡
アネナイの
家々に描く
神々は
今の今まで
いえの守りか
しらかばの
どこまでもみゆ
川の音
たいせつの山
ゆきゆきともに
千の風
聞いていれば
出てくるか
日本の武士か
伊賀の忍者
軍隊の
ジャングルから
民家へと
誘い千の風
小野田氏涙
はがくれの
教えを守り
千の風
聞きて自害は
痛かろうかな
ロンドンの
空はどんより
シテーにて
キッチリ背広に
千の風雨
いにしえの
ケンブリッジで
千の風
コーヒー出すは
イタリアの店
ダブリンの
インターネット
空港で
千の風さえ
ひのもと国へ
バルセロナ
聖家族教会
ガウディの
思い東西の
冷戦越えて
スペインの
聖家族教会
闘牛と
物と心の
葛藤越えて
ガウディの
カトリックの神
聖家族
新旧違い
東西違い
ガウディは
すでに違いを
乗り越えて
千風思い
聖家族かな
別ったか
ベルリンの壁
考え方
物と心の
違いだけ
せん(千)(線)の向こうに
ベルリンの壁
行こうとし
弾が来たのか
吹く千の風
血なまぐさ
忘れてしまい
新旧
アイリッシュの人は
都庁見に来
ダブリンの
ホテルの作法
新旧
の血を忘れて
知る千の風
広大な
ナイアガラ滝
千の風
しぶき白黒の
対立なくし
トロントの
中華街の
龍は吹くか
熱き千風
カナダ人にも
シスコでも
人種多く
千風が
守る職の
神となるらん
シスコから
いつか行きたや
ニューヨーク
夢千の風
東西結ぶ
ニューヨーク
夜に待ち人
思いはせ
千の風吹き
恋人にもや
ダブリンの
オフィーリアの
ハムレット
への思い
届け千風
米人が
食べるとおふの
味や知る
南禅寺の
セミの音聞く
鳴くのみの
南禅寺ゼミ
悔しいが
千風は聞く
いのち短き
命終え
南禅寺ゼミ
千風に
言葉いえれば
とわの平和か
禅の道
日本の心
世界へと
南禅寺ゼミ
人になりてか
人すべて
南禅寺ゼミ
より長き
いのち短くす
特攻させられ
ありが木に
南禅寺ゼミ
気がつかず
千の風だけ
両方に吹く
南禅寺
門に虫かな
セミよりも
千風長く
聞き続き得る
千風は
人の心を
分からせて
南禅寺ゼミ
さえ人になす
とうふかな
禅の心は
戦わず
勝てると思い
柔らの道ぞ
精進し
禅の僧成る
南禅寺の
セミのこころは
ベジタリアンか
精進とは
千風聞ける
能力を
身につけること
座禅に耐える
精進後
千風聞ける
能力を
身につけてから
座禅に耐える
精進とは
千風聞ける
能力を
得た後こそと
座禅に耐える
禅心
英米人さえ
得ようとす
千の風知る
日本軍より
禅の道
黒人差別
跳ね返す
千の風知り
南禅寺のセミ
去りぬるは
千風と共
差別だけか
マーガレットの
南北の戦
南北に
米を分けても
戦没者
千以上になり
風と共に去る
風と共
黒人差別
去りてなし
千の風にて
今に聞こえず
マーガレット
風と共に去りぬ
跳ね返すは
憂いさえをも
千の風かな
ミッチェル
憂いさえをも
跳ね返し
アトランタに吹く
千の風かな
アトランタ
吹き荒れる風
千の風に
間違いなしと
南禅寺のセミ
アトランタ
黒人差別
問題は
千の風にて
今に聞こえず
日米の
丘に吹き荒れる
千風が
心に違い
なく物心に
日米で
千の風
と共に去りぬ
物と心に
わけへだてなく
元寇で
蒙古国より
唐津にて
沈みし軍は
千風にてか
唐津にて
海水浴の
子供たち
名護屋城跡
千風知りぬ
唐津にて
玄界灘の
荒波に
イカ釣り舟は
千風にのり
米人が
イカそうめんの
刺身の味
分かるようにと
千風教え
香港の
聖家族かな
黒人も
白人も無き
人種の坩堝
空に向き
鳳凰鳴きて
千の風
池の鯉とも
平等院
宇治からの
平等かな
千の風
鵜飼の船から
世界へと飛ぶ
平等の
名に引かれたか
千風に
平等院に
南禅寺のセミ
二世でなく
無視され戦争に
いのち短し
千風を聞く
南禅寺のセミ
いのち短い
千風叫ぶ
虫なれど
南禅寺のセミ
無視できず
虫さえも
殺すというの
二世ども
高校生では
同じ虫なり
桜咲く
法隆寺の
千の風
ポトマックから
吹いてくるらし
山口節生の第二歌集
禅の道
大拙解きて
日米の
架け橋とした
初の千風
二世かな
自分でせずに
おごれるや
国土にあるは
千風なき虫
なさざるは
社会のことは
分からずや
積み重ねもなし
千風なきは
人生を
積み重ねてや
きたる一世
最後に大器
千風近し
千風を
残そうと思え
一世は
二世に美国
所有させず
観光に
シスコの桟橋
なりぬるは
永久の平和に
役に立つため
千風か
シスコの桟橋に
フランスの
女性二人の
天真爛漫
桟橋が
太平洋に
牡蠣振る舞う
料理学校の
若き女性か
広島の
牡蠣を思いし
シスコ牡蠣
千風世界
へ原爆と共
オイスターや
牡蠣と呼ぶは
言葉相違
乗り越えればや
千の風来る
牡蠣食えば
千の風来る
かもと見る
メニュー日本を
想いしシスコ
ニューヨーク
マッカーサーの
写真あり
日本に千風
もたらした君
自伝さえ
マッカーサーの
とわ平和
東西冷戦の
後でのみ自信
伝記見て
マッカーサーの
こころ旅
思いめぐらす
当時の苦しみ
桟橋が
30もあるのか
シスコには
日本への橋か
千風乗せて
セミなんて
短しいのち
寿命終え
25年で
25代目かな
セミなんて
無視とおもわず
涙をぬぐい
虫の千風
感じあたうや
ああ昔
修学旅行
南禅寺
セミ気づかず
千風なし
南禅寺
25年後
再度来て
見ればセミ見て
感ず千風
25年で
戦争終えて
帰ってく
弾にまみれて
故千風
禅と蝉
字が似ていても
アナウンサー
間違うことは
千風なきや
禅をする
南禅寺の蝉(せみ)
鳴きすぎて
千の風吹き
命吹き飛ぶ
禅により
命長らえ
ありがたし
蝉なら命
少長らえ千風
ルソーが
選挙時のみと
言う主権
後奴隷には
千風ならず
ルソーの
選挙の時の
主権者に
一世なろうと
千風求め
一時のみ
たとえ一時の
主権でも
千風吹き荒れ
主権のこころ
ひとはいう
こころのみとは
千風が
負けた論理で
物がなくなる
リスがいた
ワシントンの
アーリントン
戦没者が
千風を吹く
ワシントンで
アーリントンから
日本人に
シャツ売る露天
日本製のを
子供にと
ホワイトハウス付の
シャツ買うも
永久平和さえぎる
ブッシュ氏イラクへ
アーリントンに
真珠湾感ず
日米を
未だにさえぎり
千風通ぜず
千風は
アーリントンから
日米を
つなぐ風ブッシュ
二世さえぎり
違いなし
アーリントンと
靖国は
千風がつなぐ
内政干渉
ワシントン
ホワイトハウスは
観光写真
撮る商売は
大繁盛か
弱気にて
ルソーがいう
一時のみ
の主権にて
とわの平和に
ルソーの
言わんとしたは
千風が
とわの平和に
東西冷戦後
一時のみ
主権を行使
するためか
墓参りにて
千風聞けり
世界へと
発信できてか
千風は
船に鳥にも
輝き与え
墓の中
とわ平和など
入れてかな
千風忘れ
会社に行くも
千風を
忘れ物として
届け出て
聖家族へと
急いで墓参
千風を
探すタンスの
後ろから
禅の僧出て
驚かすのみ
千風が
ルソーにいう
東西冷戦後
吹き荒れる日は
one day xか
南禅寺
南禅寺ゼミ
固有名詞
セミ喜びて
千風になり
座の後(うしろ)
僧の目有りて
千風を
思わぬ自分
どこかになしや
寺を去り
食べるとうふの
味醤油
畳の香り
千風としてか
反省し
とうふの角に
セミの声
聞けるは我に
千風来る
大隈は熊に
シスコ大学
の徽章に
なりて日米の
杜の架け橋
東西や
違い分からず
文物を
並べて学び
千風無視した
今になり
千風感じ
東西の
物並べれば
同じ千風
大隈の
佐賀からきたる
昔には
東西違う
西洋との差
候の像
佐賀の学びの
結果かな
遠くアテネの
千風の学
英学で
キリスト教徒
驚かし
大隈候や
千風学び
シスコとで
赤門と杜の
4キロは
段違いでも
千風一飛び
赤門と
杜の間を
繋ぐ線
千の風なり
野球でなくも
パークスに
日本を
説き得たは
大隈候が
千風聞いてたか
英学の
心ですでに
大隈候の
意気は千風
聞いていたかな
長崎の
暗殺事件
千風や
ちゃんぽんの味
汚したかもね
ひるむかな
御足に爆弾
大隈候
千風なきは
ただの人なり
千風なき
そは人なれば
爆弾で
撃たれたくなし
長崎に行く
長崎で
初めて食べた
ちゃんぽん
蛸足味や
17歳の夏
ちゃんぽんの
味の思いは
ぴりからの
胡椒の味
17歳のセミ
長崎で
暗殺されし
聞きたしや
ちゃんぽんの
たこより千風
暗殺に
日本人は
ひるむこと
知る犯人は
日本人でなし
日本の
特攻の人の
千風は
暗殺にもや
ひるむなという
ひるむこと
犯人こそは
想定し
暗殺しても
長崎にいる
高校生
犯行後をや
想定し
たばこを吸うと
暗殺同じ
日本的
この暗殺や
二矢から
今に続ける
千風なき伝統
世間こそ
暗殺伝統
後押しし
続く伝統
千風なきか
高校生
強く叱ると
すぐはくも
暗殺犯なら
難千風なき
暗殺後の
人の千風
感ぜずに
保険金でた
と犯人弁
平和へは
保険金より
千風や
東西冷戦
終わり変わりぬ
長崎の
暗殺犯は
平和への
千風くじく
つもりが仇に
戦前の
軍部によるか
暗殺も
東西冷戦後
千風なきや
戦前に
暗殺されし
人々の
ペンは今にも
残り千風
戦前の
軍部によるか
暗殺も
冷戦後千
の風聞けるか
戦前も
今長崎も
暗殺は
犯人の動機
千風なしか
暗殺の
犯人の意図
高校生
なら簡単に
言わせられ得る
長崎の
若い犯人
意図は故意
高校生なら
千風知りはく
千風聞く
高校生に
戻りたし
長崎の蛸の
千風聞ける
高校生なら
動機を言うは
当たり前
千風聞けば
暗殺犯も
長崎の
ちゃんぽんの
千風は
たこのあしより
グラバー邸へ
鎖国にて
生まれし出島
今や何処
蘭学平和
千風教え
暗殺は
足を爆破し
ノーベルの
ニトログリセリン
大隈候は憎む
ノーベルは
賞として残す
爆弾の
痛手をなくす
千風社会
東西冷戦後
ニトログリセリン
進歩して
原爆になり
千風起こし
銃規制
刀刈りとて
秀吉が
米より先に
千風にてや
唯物論
唯心論共
なくなりて
ベイズかなもし
禅の道かな
ソ連さえ
崩壊東西
冷戦を
冷静に見る
普通のことと
見直せば
唯物論も
唯心論も
ともに単純
過ぎたのかとや
千の風
かぜではなくて
禅の僧
声とや言おう
永久の平和に
冷戦後
カントの平和
哲学なら
原爆こそは
究極爆弾
ノーベルの
懸念よりも
原爆の
そはずっと多く
千風必要
千風は
光や星にも
なりてかな
有田の赤絵
色増やし虹に
虹の色
7色ともいい
千の風
赤絵の赤も
赤門の赤も
赤は有田
朱ではあるが
鉄分の
長きさびの赤
永遠平和へと
この現世
心のみでも
物のみでも
なくあの世を想い
千の風吹く
心はや
物かいや違う
物でなければ
千の風知る
コンピューターや
物と心の
コンピューターは
確率を
ベイズ的に計算し
千風吹かす
千風が
なくばコンピューター
心には
なりきれず
永久平和なし
戦没者
戦争でこそ
たおれしは
千風吹かす
ためなりしかな
死亡者
欄に載らぬ
戦没者
千の風吹く
秋の夜空に
新聞の
死亡欄には
多すぎて
載らぬ人こそ
千の風かな
心なくて
唯物論鼓舞
贅沢は
貧乏と同じ
千風なし故
物なくて
唯心論鼓舞
努力せよ
だけでは何も
出来ません
西の心
のみではなくて
東の物
すべてが働く
東西冷戦後
特攻のや
戦う意欲
零戦は
意欲だけでは
動かず千風要
零戦が
改造されて
民間機
千風あれば
永久の平和に
東から
唯物論や
西からは
唯心論や
千風嵐
確率は
半々か
いくらかな
コンピューター
が計算して
自由もや
平等もや
千の風
中立的にす
平和の中で
自由とや
アイスをたべる
権利とは
違い千風
思わず食べる
黒人が
同じ学校に
いく自由
千風なくば
権利にならず
自由をや
東西冷戦後
平等もや
千風のみや
中立的に
偏らず
分けることのみ
平等や
予算の中で
千風分ける
千風や
物と心を
冷静に
理性的にや
分析しうる
自由をや
平等もや
東西文明の
和を求めるは
聖家族へと
和をもって
聖家族かな
東西の
冷戦終わり
千の風吹く
保守のいう
自由平等
共産のそ
違いをなくすは
千の風のみ
予算無く
軍債が無限
軍備費に
永久平和なくば
千風なくば
権利とは
千風のみが
学術の
混乱回避
出来自信有り
千風は
哲学者を
戦場から
見下ろしてそは
違うと今も吹く
法において
アイスを食べる
権利と自由
千風に違い
戦場のアイス
軍債が
多すぎてアイス
平等には
渡らぬ我慢
新聞かきたて
カントはや
軍債が無限
膨れると
自由なし権利
なしと千風
自由とは
唯物論では
物にのみ
囲まれ自由
千風なくば
自由とは
唯心論は
結果では
貧乏極まり
戦場の千風
原因と
結果の関係
貧乏に
うまれたれど
千風富裕に
カントはや
アイスを食べる
権利には
永久平和ありと
禅の道かな
禅の道
アイスを食べる
権利は
確かに千風
なくばつながらず
とわ平和
自由平等
結びつけ
墓前になくなと
カントの千風
赤門で
隅谷教授の
絶対
貧窮論は
実証で千風反論
永久平和
千風あれば
どんな人
夢があるらん
アイスを食べる
アイス有り
ストックホルム
永久平和
守る国にて
オペラ座見つけ
若者が
ストックホルム
15歳か
民主教育を
徹底的にや
社会が
裕福になれば
軍債か
カントはすでに
予測したのか
軍債の
恐怖は戦後
再建の
間になくなり
千風加え
千風と
予算を入れぬ
ドゥォーキンが
自由と権利
区別つかず
貧乏に
生まれしひとは
絶対に
窮乏すると
戦争起こし
アメリカ
新天地にての
ドリームは
自由の女神
フランスから来
空からは
農業多し
フランスの
三色旗には
千風と血
千風を
世界の人が
感ずべし
三色旗と
アントワネット
自由にと
アントワネット
アイスをや
食べる自由と
権利千風
ひょっとして
ナチの発明
だが日米
同じ発明
千風感じ
自動巻きの
アントワネットの
時計と
ナチの発明は
千風なしや
テレビにて
アントワネットの
時計見て
千風想い
かわいきかなと
ユダヤの血
千風なきは
予算にて
自由と権利
なし混同し
原爆の発明は
文明を変えても
ノーベルの
賞らしきなし
千風感じ
ノーベルの
ストックホルム
賞メニュー
市役所の脇
千風と感じ
爆弾で
死ぬイラクの
200人千風
ノーベルよりも
東西文明の違い恨むか
軍債出せば
富める社会
何千発の
原爆出来る
千風なくば
原爆は
千風なくば
カント言う
全滅戦を
現実化
とめられる
千風のみが
全滅戦
東西冷戦後
和をもって尊し
禅と和は
日本にこそや
千風の
東西文明の和
聖徳太子の和
物と心の
東西冷戦後
原爆は
事後確率を
千風が述べさす
唯物論
東西冷戦は
唯心論
論で対決
千風生まず
東西の
ベルリンの壁
今残る
道に跡 足
で踏み涙し
千風言う
ベルリンの涙
流すなと
論の対立
解消しろと
千風を
感ずベルリン
壁の跡
道の一部に
万里の長城似
39度で
南北朝鮮
線を引き
万里の長城か
千風が壊す
大江氏が
ノーベル賞か
原爆と
爆弾は同じ
千風吹きて
南京と
武漢は同じ
中国で
長江の水
千風つなぐ
ノーベル賞
ストックホルム
原爆の
悲惨訴えて
東西冷戦後
東西の
千風つなげ
ノーベルの
遺志か艦隊
日本へと来た
スウェーデン ストックホルム バルト海
アメリカン
コーヒー飲んで
シスコでの
千風想い
懐かしむ
アメリカン
ドリームなしと
断ずるは
唯物論と
イラク戦争
どちら勝つ
物とドリーム
そんなこと
分かりはせぬと
千風そよぐ
確率は
次第にベイズへ
結果からの
千風事後的
計算のみと
ベイズ言う
あいまいさ人
の自由と
千風雨にも
合致す禅的
ベイズ言う
禅的思想
書かずとも
今に残るや
千風として
千風は
物と心の
どちらとも
決めかねても
千風決める
シスコのバス
海の見える
アパートに
白黒の人
千風感ず
シスコでは
ヒスパニックかな
運転手
降りる日本人に
親切千風
写真撮影ボストン
ボストンの
スクールバスは
黄黒の縞
千風の遺志で
混合し和か
写真撮影ボストン
シスコには
アジア美術館
平和ゆえか
伊万里焼き有り
千風感ず
シスコには
アジアの美術
中華の皿と
有田の赤絵
混在し千風
アジア美術館=The Asian Art Museum of San Franciscoに伊万里焼、有田焼
広州の
駅前ホテル
中華の皿
裏見有田似
千風感ず
シスコでは
文化混在
中華でも
インディアンでも
和の千風
伊万里焼きの
窯元の娘
焼く皿は
中国にも
シスコにも千風
伊万里焼の
窯元家々
坂の上
雲がたなびき
中国と見間違う
伊万里の川
多くの釜
並びてや
シスコに向かい
千風発する
シスコにて
伊万里と有田
赤絵の
違いアジアからの
千風教え
伊万里焼
真珠湾さえ
忘れさせ
有田赤絵も
千風の赤
文明の
赤い千風に
なりたくて
有田の赤絵
シスコで説明
概念か
永久平和
発すは
7色の虹風も
紅白の風も
注:
カント=イマヌエル・カント=Immanuel Kant
マルクス=カール・マルクス=Karl Marx
アントワネット=マリー・アントワネット・ジョセファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・オートリッシュ=Marie
Antoinette d'Autriche
大隈候=大熊候=大隈重信
諭吉=諭吉氏=福沢諭吉
漱石=夏目漱石
大江氏=大江健三郎
ノーベル=Alfred Nobel
シェイクスピア=William Shakespeare
ドゥォーキン=ロナルド・ドォーキン=ロナルド・ドゥォーキン=Ronald Dworkin
ベイズ=Thomas Bayes
ケネディー=ケネデー=John Fitzgerald Kennedy=John F. Kennedy was assassinated
on November 22, 1963 in Dallas, Texas, United States.
キング牧師=キング=Martin Luther King, Jr.=On April 4, 1968, King was
assassinated in Memphis, Tennessee.
稲次郎=稻次郎=浅沼稲次郎=浅沼稻次郎=浅沼は、壇上で右翼少年・山口二矢に腹部を刺され、波乱の生涯を終えた(浅沼稲次郎暗殺事件)。
マッカーサー=Douglas MacArthur
マーガレット=ミッチェル=マーガレット・ミッチェル=Margaret Munnerlyn Mitchell
ブッシュ=ブッシュ氏=ブッシュ二世=George Walker Bush
ハーバード=John Harvard
ワシントン殿=ワシントン=George Washington
石原=石原慎太郎
江沢民=江澤民
小野田氏=小野田=小野田寛郎
ガウディ=Antoni Gaudi i Cornet
太子=聖徳太子
大拙=鈴木大拙
パークス=Sir Harry Smith Parkes
二矢=山口二矢=浅沼稲次郎の暗殺者
信長=織田信長
秀吉=豊臣秀吉
ルソー==ジャン・ジャック・ルソー=Jean-Jacques Rousseau=「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかをみれば、自由を失うのも当然である。」(『社会契約論』(1762年)、岩波文庫、133頁)
スパルタ=Sparta
金門橋=Golden Gate Bridge
聖家族=聖家族教会=El Temple Expiatori de la Sagrada Familia
シスコの大学=シスコ大学=シスコ大=University of California Berkeley
赤門=本郷の赤門
コロッセウム=Colosseum
アテネ=アテナイ=Athena
ボストンコモン=Boston Common
ボストン
中央市場=中央卸売市場=東京築地中央卸売市場
牛ヶ淵=皇居外苑牛ヶ淵堀=東京皇居外苑牛ヶ淵濠
武道館=日本武道館
靖国=靖国神社
「中山艦」=湖北省武漢の長江(揚子江)で軍艦「中山艦」を日本軍は1938年10月24日に攻撃し、撃沈した。
長江=揚子江
伊賀
名護屋城跡=名護屋城=名護屋
南禅寺
法隆寺
平等院
有田
伊万里焼=伊万里
アジア美術館=The Asian Art Museum of San Francisco
ポトマック=Potomac
シスコ=San Francisco
賞=ノーベル賞=Nobel Prize
ナイアガラ滝
アイリッシュの人=アイルランド人=Irishry=Irishman
ダブリン
トロント
ハムレット
オフィーリア
アーリントン
永遠の平和
永遠の平和には、文明の違いも、宗教の違いも、正統と異端の違いもない。キリストも、仏も、モハメッドも、フロイトとマルクスもすべてを乗り越えたところに存在する。従って、それは物欲も、名誉欲も乗り越えた所にある。神の神託に近いものを感じる。東西文明の違いを乗り越えることができるもの、正統と異端の未解決の問題を乗り越えることができるもの、仏教とキリスト教とイスラム教とその他の新宗教との違いを乗り越えることができる理念である。そこには自由を乗り越えることができるものもある。
ダブリンのアイリッシュの問題も、コロッセウムの血なまぐささも、アテネのパルテノン神殿でのごたごたも、フランス革命の血も、ロンドンのバッキンガム宮殿も、新旧両キリスト教徒の確執もすべて乗り越えることができるのが永遠の平和である。
永遠平和の下にこそ、日本の神道の神も、お上も、キリストも、ムハンマドも、仏陀もいます。せんめつ戦が行われればそれらもおしまいです。コロッセウムも、パルテノン神殿も、その他のヨーロッパ文明の源流も、中世の城も、中国共産党の唯物論の世界も同様であるといえます。旧ソ連ももし軍事力に圧迫されていなかったら、崩壊していなかったかもしれないからです。
カントは「永遠平和のために」を自由論の延長として書いたものだ
カント的自由の中では政治とは何であったのか、政治家でも政治学者でもなくても政治は各人を襲ってくる。カント的自由は政治によっていくらかは動かされる。その際、各人が永遠平和の概念を持っていれば、外の政治の世界が戦争に向かっていたとしても、対抗して、内心の自由を確保することができるであろう。これはビジネスにおいて独禁法への誘いがきた時に毅然と立ち向かうのと同じことである。
ある政治思想の源泉が、その民族の古層から生まれたものであるのか、家族の中の両親の思想から生まれたものであるのか、兄弟姉妹の構成の中から生まれたものであるのか、地域や社会の情勢の中から客観的に生まれたものであるのか、社会に対する一時的利害関係或いは制度に対する制度の存続期間における利害関係から生まれたものであるのか。
投要行動の分析や、政治思想の分析あるいは政治思想の構造分析を行う場合にはこのことは重要なことである。
経験則とベイズの定理
事前の原則が100%あっているなという自らの経験則も、科学的に証明できない。社会に関する法則の証明は、特に歴史的な法則についてはこのことが言える。政治の法則については、経済法則の様に経済合理的に動く人間を想定することができないので、特にそう言える。政治的合理性の外に、嫉妬や怒りの様な非合理的な部分を取り扱うのが政治的合理性であるからだ。そこに証拠としての事後の結果証拠と、事前の原因証拠との間の確率を考えるのがベイズの確率であり、その間に自由意思による注意がどの程度入っているのかを調べ、共通主義的な怒りや平等主義(結果の)をいさめる注意の役割を果たすのがベイズの実現である。
「法的状態の開始は権力による開始以外には期待できないのであって、公法はこうした権力の強制に基づいて後から成立するのである。……実現の経験の場では、かの理念(理論)から大きな隔たりがあることを当然予見させるのである。」と、カントはいう。ところが、憲法第9条を制定するに当たっては、カントのいう永遠の平和の第3条項、常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない、が、日本国憲法の中に挿入されてしまったのである。それも極めて重要な条項として挿入されたのである。
「法概念を政治と結びつけることがどうしても必要であり、それどころか法概念を、政治を制限する条件にまで高めることがどうしても必要である」のだから、「道徳的な政治家」を必要と考えている。
カントにおける永遠平和とは、理性であるのか、
自然なアプリオリな「何かあるもの」であるのか。
人間の理性あるいは合理性は思考の対象となるべきではあるが、それでも神の存在は理性あるいは合理性によるのかどうかについては意見が分かれる。神の啓示とは人間の理性の働きによっているところが理性によって神を認識しているからこそ、自らの信じない他の神を排斥することができるのであって、もし理性によらない神であれば、おそらく他の人の信じる神を認識できないはずである。「はじめにロゴスあり」というキリスト教自体がロゴスによって神を認識させようとしているのである。
もし、原始の未開人がロゴスによってではなく、アプリオリに神を認識したとした場合、それは赤ん坊が神を認識するのと似ているであろうか。永遠の平和は理性によってしか認識しえないのであろうか。それを自然法における自然と同じく何かアプリオリなものであるのか。
国立公文書館S21年6月8日枢密院決議
「諸国はなほ武力政策に執着する状況であるが、学術の急激な進歩は、ますます恐るべき破壊力を有する武器が発明されないことを何人が保障することができよう。かやうな発明が完成された暁には、世界は初めて目を醒まし戦争の廃止を眞剣に考へる時があるものと思はれる。我々はこの大勢を察し、今後は新武器の発明又は整備よりも、全然武器使用の機会をなくすことを最先の目標として、この条項を草案の一眼目としている次第である。」として、「進んで戦争を放棄して、世界永遠の平和を希求し」、「帝国憲法の改正案を帝国議会の議に付する。御名御璽 年 月 日内閣総理大臣」との文書が国立公文書館に残っている。資料作成年月日は昭和21年6月8日である。
平和論
最も平和論に代表される考え方は、日本国憲法の中では憲法第9条がある。平和憲法は、日本国憲法の中心思想である。武力の放棄は暴力の否定の思想であり、ガンジーの非暴力思想に通ずる。アメリカで銃の所持の規制が進まないが、銃の所有と、銃の使用とは異なり、銃を借りて使用することもある。アメリカは銃社会である。
銃社会は危険であるが、各人の所有権の自由を守っている。ユダヤ人は銃を持たなかったのでホロコーストがあったと考えているのかもしれない。
日本が豊かなのは憲法第9条のおかげだは本当か
日本人は戦後(1945−2007)、ただ経済的に豊かになることを念じて生活をしてきた。そのためにあらゆる所が便利になった。この経済がもし軍備に回されていたら、あらゆる所でそのつめ跡が残っていたであろう。憲法第9条があったおかげで、軍備不安になる様々な出費をしなくて済んだ。自衛隊の費用に向けられた資金の多くは軍備拡張のためではなかった。高校を卒業してすぐ北海道の駐屯地に就職していった生活を受け持った。もし軍拡が競争であったならば、戦前の様にカントの永遠平和論の理屈によって、拡大をし続けていたであろう。永遠の軍拡と他国への脅しがあったであろう。しかし、自衛の為の軍備は拡大しなかった。覇権主義にも武力主義にも陥らなかった。その分が経済にも回らなかったのである。そのかわりに経済が発達し、核爆弾の脅威の下で、原子力発電やらが発達したのである。原爆の存在こそが憲法第9条の支えとなったのである。それは武力に関する理想の発展を促した。
永遠平和のために
一時的な平和においては次の戦争を予感している。ところが第二次世界大戦後の第三次世界大戦を予測していない。憲法第9条はそのような世界の理念を表わしている。それ故に世界に大戦が1945年から2007年までの戦後に起こっていない。これ迄は第一次世界大戦後50年も経てば世界大戦が起こっていたのであるから、62年間の長期の間には、世界大戦が起こるだろうと予測されていたのにである。憲法第9条が世界大戦の抑止に貢献があったと考えることもできる。日本人は気が付いていなかったが、憲法第9条の世界に対するインパクトは大きかったと考えることができる。憲法第9条は永遠平和を願うものであり、次の戦争を抑止する意味があったからである。一時的な平和の概念から生まれたものではなかったのである。
永遠平和論より
−せんめつ戦と核爆弾−
カントが、「せんめつ戦では、双方が同時に滅亡し、それとともにあらゆる主義も滅亡するから、永遠平和は人類の巨大な墓地の上にのみ築かれることになろう」、「従って、このような戦争は、従ってまたそうした戦争を導く手段の使用は、禁止されなければならない」と書いた18世紀末には、核爆弾は存在しなかったのに現在の国際情勢を言いえているのは驚嘆に値する。核戦争により、人類のせんめつと滅亡が一瞬にして起こるような核戦争の時代に、銃の所持と同様な考え方で、武力放棄をした国がもう一度武力を持とうとするのは頭が狂った人々の行為ではないかと考えられる。
正統と異端
正統と異端の政治学上の定義付けを理論的に解こうとした丸山貞男が失敗したのかどうか、それは未刊行となったのであるから不明であるが、未刊行としたということは完成しなかったということであろう。政治学上正統性と異端の問題はあくまでも理論上の問題であって、理論的に解くことは可能ではあっても、多数派の横暴や、少数派の役割、少数支配の原則、多数決による民主政治等、少数派、多数派の問題とも関連を有しており、容易に解決できない問題である。この問題は、ある政治思想が生まれてきたのは何が原因であるのかという問題とも関連している。原因さえ特定できれば、即ち丸山のいう古層なるものがいかなるものかが分かれば、それが正統であるのか、正統からどのような分岐があったのかがわかるからである。しかし古層のみがすべてではなく、生育環境とかも原因としては考えられる。
一時的な平和とパワー オブ バランス
パワーがバランスした時に一時的な平和が生まれるのである。従ってパワーの均衡が崩れた時にはまた戦争が始まることになる。戦争の両当事者がパワーを拡大し続けることによって、一時的な均衡が長続きすることはありうる。しかしそんなに長続きはしないであろう。これが一時的な均衡である。カントが常備軍の廃止を提唱した裏には、パワー
オブ バランスの崩壊と、せんめつ戦争の回避の理念的要請があった。その当時の戦力の状況、銃と大砲の時代の理念ではあったが、これが、現在の核爆弾による戦争の恐怖によるパワー
オブ バランスと、国際連合による現実的な国際権力と各国の法を越えた法、理念的な法、国際理念的な法という概念と合致していた。
日本国憲法において、その第9条は戦争の放棄を定めている。自衛のための戦争が可能であるのかどうかについては、自衛のための戦争を認めるという説が多数を占めている。自衛のための開戦と、紛争を解決するためと正当化された戦争とはどの様に異なるのか。
普遍的な格率は永遠平和である。しかし、それは普遍的な理念型であって現実的ではない。現実には皆がベイズの定理の下で囚人のジレンマに陥っており、占領されたり、攻撃されたりすることがありうるのであるから、その様な場合には自衛のための開戦は正当化されうると考えられる。
自由と永遠平和との関係
各共和国が民主的であれば、各国民は戦争をするのがイヤであろうから、戦争を放棄することになる。一方、共和国とは各国民が主権者によって完全に統一されている国家のことであるから、一人として戦争がイヤであるのではなくなった時にだけ戦争が行われることになる。戦争は自らに炎厄をもたらすことが多々あるから、君主が領土を拡大していこうとする場合を除けば、すべての人がイヤがるであろうという予測がカントの「永遠平和論」の前提となっている。
自由な意思を持つ各人は自律的であらねばならない。しかし各人は情報戦の影響を受ける。政治的情報戦においては多数をとった政権側は少数の政治的異端者を自らの側に引き寄せるために多くの情報操作を行う。情報操作は戦況に対して多く行われるが、正しい情報を得る必要がある。
自由と自律
自らの道徳的な格率を自ら作り、それに従うことが自律である。ところが、道徳的格率が普遍的な道徳的格率に合致しなければならない。その際、永遠平和は、一時的な平和のカモフラージュではないのであるから、ある意味で普遍的な格率である。従って、カモフラージュによる一時的な平和、すなわち、相手を欺くためとかのための平和ではない平和、これが永遠平和であり、それは自然(自由・自律)によって保証されなくてはならない。自然な格率であるためには、人間の自然は自由であるから、自然でなくてはならない。
憲法第9条改正論者がただ単に「現実に合わせるべきだ。」という理由であって、本当に戦争をするつもりはないと言い訳したところで、開戦する国家の自由を認めた場合、それも憲法によって認めた場合には、領土を拡張したいとか、自らの権勢欲を達成したいと思う政治家は必ず戦争を開戦したくなるのは明白である。
普遍的な格率に到るべきだ
自然によって永遠平和が保証されるためには、憲法とその上にある法によって普遍的な格率が明示されることはよいことである。確かに現実は一時的なカモフラージュされた、他の国々を欺くための平和の契約のみが現実の国際社会であったとしても、次第次第に永遠平和という普遍的格率に到るべきであるという普遍的な格率を、憲法とその上にある法が示していることは、もし、現実の国際情勢がカモフラージュされた平和の状態であったとしても、理念的な意味を持った良いことである。
カントの「永遠平和のために」と憲法第9条
カントの言う永遠平和はバーゼル条約に対する批判であった。憲法第9条は第二次世界大戦に対する批判からであった。第二次世界大戦はせんめつ戦であったのか。際限のない軍備の拡大であったのか。選挙は際限のない爆弾の拡大であるようだ。しかし限度が設けられている。軍備にも限度を設ける? 設けると負けるではないかという反論が出てくるであろう。選挙においては限度は守られていた。
政党の党首は選挙においていかに現金を使うのかについて苦労する。この選挙の資金の戦争を分析するのと、第二次世界大戦中における軍拡の紛争を分析するのとは似ている。
軍拡の競争は、永遠平和の為の1つの課題である。
カントの永遠平和論
カントの残したものは、自由に関する哲学理論のみではなく、永遠平和論でもある。これはバーゼル条約を憂えて作られた。日本の現在の状態を一時的な平和、即ち休戦ではなくするためには、憲法改正は許されない。
日本の憲法第9条は何故に世界でも貴重にすべきものか。
核戦争の時代には勝者も敗者もない。従って知力によってのみできる。平和は、核戦争は、
あなた方国民を虫けらと思えば、支配者は戦争できるが、もし各人が戦争というイヤなことにNOといえる民主主義なら(共和制なら)戦争はできないはず。軍を持てば必ず戦争したくなる。戦争しないと軍人を遊ばせておくことになるから、戦争をする。だから軍は持たない、つまりは自衛隊と国連の戦争反対の規範のみでといっている。
今でも財政赤字なのに、軍備拡張せざるをえなくなると、財政破綻し核戦争にならざるをえない。
永遠平和のために第一章
予備条項
第1条項 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない。
第2条項 独立しているいかなる国家も継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。
第3条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。
第4条項 国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない。
第5条項 いかなる国家も、他の国家の体制や統治に暴力をもって交渉してはならない。
永遠平和のために
第6条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者(precussores)や毒殺者(venefic)を雇ったり、降参条約を破ったり、敵国内での裏切り(perdvellio)をそそのかしたりすることが、これに当たる。
第三条 常備軍は時(永P.16)
「常備軍はいつでも武装して出撃する準備を供えている。それ故にほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。」
「常備軍が刺激となって、たがいの国に無際限な軍備の拡大を競うようになる。」
「無際限な軍備の拡大に費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりも一層重荷となり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の要因となるのである。」
「兵力と同盟力と金力という三つの力のうち、金力がおそらく最も信頼できる戦争道具であろうから。」
永遠平和のために
(P.17)
「国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を練習し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防備することは、これとはまったく別の事柄である。」
(P.18)
「こうした戦争遂行の気安さは、人間の本性に生来そなわっているかに見える権力者の戦争癖と結びつき、永遠平和の最大の障害となるもので、これを禁止することは、次の理由からしてもますます永遠平和の予備条項の一つに数えられる必要があろう。
確定条項
永遠平和のために第二章
「第一確定条項 各国家における市民的体制は共和的でなければならない。」
「第2条項 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。」
P.40、P.41 「グロティウス、プーフェンドルフ、ヴァッテルなどの法曹は、……相変わらず忠実にこれらの人々の名が戦争の開始を正当化するために引かれるのである。」
「第三条項 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。」
永遠平和のために
正義
悪だくみや暴力が指図する、曲がったすべての道を歩かない。
他の人間の連理を斥けないこと、侵害しないこと。
純粋な法の諸原理に従った国内体制。
各国家の繁栄すること。
各国家が幸福になること。
道徳的な悪は、善の(道徳的)原理に場所を開けるという特性を持つ。
P.29
共和的体制は永遠平和
@ 法自体市民的組織の根源的な地盤となる体制。regublica
A 法的な(外的な)自由を、欲することを行うことができる権利を共同的すとるが、
他人に不法を行わないかぎりでの行為の可能性
自由とは、自由によって他人に不法を行わない行為の可能性
国家における外的(法的)平等は、人はそれによって相互に同じ仕方で束縛されることができる法に、自分も同時に従わなければ、誰であれ、他人をそうした法の下に法的に束縛することはできない。
国民相互の関係
普遍的な民族意志は、根源的な契約(法の原理)に■■したい。
永遠平和のために
P.33
「臣民が国民ではないような体制、つまり、共和的ではない体制においては、戦争はまったく慎重さを必要としない世間事であるが、それは元首が国家の成員ではなくて、国家の所有者であるからである。」
「そこで取るに足らない原因から戦争を一種の遊戯のように決定し、ただ体制を整えるために、いつも待機している外交使節団に戦争の正当化を適当にゆだねる。」
「支配権を持つものが…集合的な全員である。……民衆制……民衆支配」
「統治の形態……憲法(……一般意志の働き)に基づき、国家がその絶対権力を行使する仕方……形態は共和的であるか、あるいは専制的である。」
永遠平和のために
P.34「共和制は、執行権(統治権)を立法権から分離することを国家原理とするが、これに対して専制は、国家がみずから与えた法を専断的に執行することを国家原理とする。従って後者の場合、公共的意志といっても、それは統治者によって統治者の私的な意志として取り扱われる意志なのである。」
永遠平和のための「第二確定条項」
「国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである.」
「これは国際連合と言えるが、しかし、それは当然諸民族合一国家ではないであろう。」
「平和連合(foedus pacificun)……これは平和条約(pactum pacis)とは別で、両者の区別は、後者が単に一つの戦争の終結をめざすのに対して、前者はすべての戦争が永遠に終結するのをめざすことにある、と言えよう。」
「国家の真の名誉は、どのような手段を用いるにせよ、権力の不断の増大にあるとされるから、さきの判定がいかにも形式的に見える。」
「再戦に向けて最初の好機会を利用しようという悪意から、この権利主張を将来の口実に使おうと保留する(心内留保reservatio
mentalis)」
「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約」
「実はたんなる休戦であり、敵対行為の延期であって、平和ではない。」
「国際法が戦争への権利を正当化する法を含むとすると、こうした国際法の概念はもともと無意味である」とする。これは「ある民族が『われわれの間に戦争があってはならない。……われわれの間の紛争を平和に調停する立法・統治裁判の最高権力を、われわれ自身のために設定することを欲しているからである』と語る」のとは違うとする。これは自国の権利を信頼する根拠を「自由な連合制度」の存在しないとしているからであるとする。
ここに、日本が、国際連合中心主義と中立主義と武力の放棄の理想を揚げ続ける意味がある。
共和的体制こそが「永遠平和への期待に添った体制」であるとしている。
「国民は戦争のあらゆる苦難に背負い込む」から、「こうした割に合わない賭け事をはじめることに極めて慎重になるのは、あまりにも当然のことである。」
カントが「戦争」の災厄として挙げるものは、共和的な国民は「自分で戦う、自分自身の財産から戦費を出す、戦争が残した荒廃をやっとの思いで復旧する、こうした災厄をさらに過重するものとして「たえず新たな戦争が近づいているために決して完済に至らない負債を自分に引き受ける」ことになるとして、戦争を「割に合わない賭け事」として共和的な国民であれば、戦争をすべきかどうか決定するのに「極めて慎重になるのは、あまりにも当然のことなのである。」としている。
「永遠平和のために」より
「人間の本性に生来そなわっているかに見える権力者の戦争癖と結びつき」(P.18)
「反?滅戦では、双方が同時に滅亡し、それとともにあらゆる正義も滅亡するから、永遠平和は人類の巨大な墓地の上にのみ築かれることになろう。」(P.21)
カントの永遠平和のためにの第三条項「常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない。」は、理想ではあるが、「時とともに」によって、将来の希望とされうる。
独禁法違反への誘いと兵役・軍隊への義務
私にも独禁法に違反して、談合に加わるようにという誘いが来たが、それにはのらなかった。カント的な意味で、内心の自由があったからである。カント的な自律としての自由は「永遠平和のために」における永遠平和の概念も強調する。兵役拒否の理論付けにもなるであろうかは別としても。兵役には出ても永遠平和の概念を強調することは可能である。兵役を拒否してはならないという法は憲法第9条がなくなれば出てくるであろう。つまり、独禁法違反が常識であったとしても、それへの誘いがあっても、それにはのらない方がいいと思っている人のみ席を立つのである。皆が戦争をして人を殺している時に、自らのみの内心の自由で軍隊や兵役から離脱するのは難しいが、それをするのと独禁法違反(談合)から離脱するのは同じく内心の自由による。
政党と異端
多数の意見が取り入れられて、民主主義をより多くの人の心の中から生まれた思想(正統思想と異端思想)が弁証法的に民主主義として確立されていく過程が政治過程であるといえる。少数者支配が多数者支配となっていく過程である。それを各個人の政治性の発展に待つのか、各人が主体的な自由を持つことに期待するのか。いずれにせよ各個人が政治家でなくても、政治を仕事としていなくても、自らが政治性を持つこと、そのためには各人が政治人となり、合理的となること、マスコミが政治について各人に多くの情報を与えること、そして政治過程の中で各個人が双方向的に政治に意見を言える機会が多く持たれることが必要である。
政治と自然・開発
自然のままでの自由はルソーの言い分である。開発行政は開発の推進と、開発の規制との両方の仕事である。開発の自由は、環境保護の方針によって抑えられるのか。自由を自然のままに求めるのか、開発の中に求めるのかは、意見が分かれる。人工的な自由と自然の自由との差はどこにあるのか。便利さの中に自由を感じるのは動く自由があるからであり、不便でも自然の中で自由を感じるのは、自然の中に農業や、人間の本質を見出すからである。開発行政は資本の中に便利な乗り物とかに時間内の短縮と
しかし、独禁法はそれらを金の動きとして見出す。
戦争の開始が民主的になされる場合
各人各人が自律しているような状態において、支配者が戦争を好む場合に、支配者の勝手気ままに対して、各人各人が自由で戦争の悲惨さや、戦争の難儀さによってでも、自らが全体民族国家として滅ぼされるかもしれないからという理由で、全員が戦争の開始を決定する場合があるかもしれない。しかし、それは国民が自発的に自分や祖国を外からの攻撃に対して防備することであって、「まったく慎重さを必要としない世間事」として、「取るに足らない原因から戦争を一種の遊戯のように決定し」、「戦争の正当化」を適当に外交的に行うこととは違っている。
カントの民衆的体制は衆愚制にも共和制になることもありうると考えている。従って「全員ではない全員が決議できる」から、「一般意志が自己自身と矛盾することであり、自由と矛盾すること」となるからとしている。
カントの「永遠平和のために」第1章はバーゼル条約を「将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約」であり、「実は大いなる休戦であり、敵対行為の延期であって、平和ではない」としたものである。これを第1条項として、第2条項では「独立しているいかなる国家も、継承…によって、ほかの国家がこれを取得」することを禁止している。更に第3条項では「常備軍は、時とともに全廃されなければならない。」という有名な条項がある。「常備軍が刺激となって、たがいに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりも一層重荷となり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである。」としている。
カントは、平和連合(foddus pacificum)は「すべての戦争が永遠に終結するのをめざす」ものであって、「国際連合」といえるが、「自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである」とする。
丸山真男論
丸山眞男が軍隊で実体験をしたこと、広島で原爆を被爆したことは彼の政治論の重要な部分をなしている。体験なしで、戦争を語ることができるであろうか。
ヒットラーのナチズムが悪かったと言えるであろうか。
ヒットラーを批判するのに全体主義や、ナチズムやホロコーストのみのせいにすることができるであろうか。
なぜに丸山眞男は社会主義であったのか。自由がなかったことが重要であろうか。丸山眞男氏らは何故に
超国家主義は、天王星批判であるのか。
ナチズムに対するドイツにおける批判と同様な反省が日本で見られなかったのは何故か。
おそらく理由は、ドイツにおけるユダヤ人の様に日本における朝鮮人が、ホロコースト故に徹底的批判を行わなかったからであろう。朝鮮人は世間の声の中で差別されたので、反論する方法はなかった。証拠もとれなかった。世間は暴力(武力)を伴なっていないので証拠が少なかった。
少数支配の原則から多数者支配へ
各人が政治的主体となればなる程、多数者支配に近くなる。フランス革命は多数者が労農派となった。ミヘルスから に到れるか、オリガーキーからボリアーキーへ。独占禁止法は独占から自由な公正競争に到る迄の法が定められている。逆にいえば政治学においては独禁法が、公職選挙法に該当する。あるいは独裁を禁止し、三権分立をする考えが憲法の中の随所に織り込まれている。
正統と異端、正常と異常の問題を考えたのは古田雄、丸山眞男らの研究会であった。この問題は解けなかったので、未完となった。ところがこの弁証法とも考えられる論理は重要である。ところが、この正統と異端の問題を民主主義と自由主義の中で正常に解くためには法の上にある法という考えが必要であった。これが「永遠平和のために」(カント)と、「法の上にある法」(ラートブルック)の考え方であった。
政治と威光
テレビで、イギリスの大歌手を紅白歌合戦で長瀞で歌わせた。これは観光に役に立った。これが県知事の力添えによるものであったならば、その当該県知事の威光は上がった様に見える。同様に、ある首相の在任中に(王様・天皇ならば治世中に)経済が発展するならば、その首相や殿・王様・天皇は高い評価を受けると考えられる。しかし、それが景気循環の一部であったり、あるいは東京に近いというだけの理由であったという可能性もある。そこで、目がさめてしまうということはありうる。
政治と内閣総理大臣・大統領
大統領選挙はアメリカ政治のクライマックスである。また日本では内閣総理大臣の選出(国会における)もまた日本政治のクライマックスである。大統領も内閣総理大臣も行政の長であるが、元首でもある。元首とは である。行政の長は戦争でさえも宣戦布告することができる。但し、国民と国会及び司法の判断を仰ぎながらではあるが。日本の内閣総理大臣が宣戦布告ができるかどうかは不明である。憲法第9条があるからである。もし宣戦布告が出来ず、第三次世界大戦に参戦できないとすれば、中立を宣言するしかない。中立を宣言しても自衛をして、中立国として、被害を防止することはできる。攻められたら反撃はできる。その場合、自衛の為の戦争は宣戦布告といえるかである。憲法第9条の意味は、中立し、カントの意味をスイスの様に保つという意味である。永世中立。
人民主権と民主主義
人民主権は、民主主義ではないのか。労働者が政権をとるべきだとすることは妥当なものであるのか。杉原泰雄という憲法学者を人民主権主義ゆえに憲法第9条論者と決めつけることは妥当か。人民主義や共産党や社会党は政権をとることはできないし、その可能性が極少であるからこそ憲法第9条を守ろうという様な無責任なことを言っているのだと、本人の平和主義の本心とは違っているのに、批判するのは妥当ではないだろう。本当に本心から平和を願っているのである。共産主義者であっても、平和という一志のみが大切なのである。永遠平和という理念のみが大切なのである。理想は持ち続けなくてはならないという哲学のみが人間にとって大切なのである。
政治家は何でもできるか
政治家は何でもできるのか。実業家ではないので何もできないのか。政治家は価格と入札によって、自由に価格を決めているのではない。思想を決めている。あるいは思想を武力によって実行に移せるかもしれない。
政治家と教授と子供
政治家と教授とは相容れない。教授は口のみで、青春以来実社会に出たことはない。小学校の職員等は、実社会に出ても子供と付き合っている。ところが、政治家は大人とのみ付き合っているのである。従って、実社会の裏の裏まで知っている。政治学の教授は裏の裏は全く知らずに政治を語らなくてはならないので、どうしても法律に頼りがちである。
競争と政治
政治が競争を認めるか、認めないか。これは制度の問題である。オリンピック選手に背を高くなれといってもできないし、競争の次の週にでも体のあらぬ部分が発達してしまえば、金メダリストでも記録はすぐに落ちてしまう。競争できない部分はできないが、商品の性質(品質)や価格や5ギガのメモリーを500ギガに増やすことなどは、また、人間の知識を5ギガから500ギガバイトに増やすことは誰でもできる。
自然科学、社会科学、人文科学
自然生物の世界であるが、人間には脳が5億ギガ分あり、そのために科学の世界が違っている。文学は無限に続く5億ギガの闇の様なものである。人文科学である。その一方で、社会科学は人文科学の一部分を社会や世間として取り出したものである。しかしその人間を社会としてではなく、物として取り出したものが精神科学である。精神医学と、社会医学、自然医学は医学同格に人間の医学である。
暴力と政治
暴力に対しては、人は怯える。従って、暴力団という概念がある。軍や警察は暴力(武力)である銃や刀剣を自ら所持して、暴力(武力)管理機構としての役割を持ち、それは国家機構の本質のうちの一原則でさえある。
しかし、国際機関である国際連合や、かつての国際連盟に暴力(武力)を預けて、各人は軍備を管理しない事も国家の本質でありうる。これは、アメリカに各人に銃・刀剣の管理を預けるのか(ホロコーストの反省からこれを認める人々もアメリカには多い)、日本の様に銃・刀剣を自ら管理せずに、各人はすべての銃・刀剣を国の管理にまかせるのかの哲学的問題である。
政治と文化
イタリアやフランスやヨーロッパの政治は文化を育てた。宮殿にしろ、宮殿付きの音楽家にしろ、宮殿付き建築家にしろ、宮殿付きの画家・文化人にしろ、文化は暇の中から生まれた。
文化国家を作るためには文化委譲は不可欠であるということであろう。人間が機械化とコンピューター化によって、大量生産が少数の人間(労働者)によって可能になるということはよいことである。その他の人々は余暇を多く持っていても食べて行けるからである。ところが、それに応じて、それ以上に人口が増え続けることは他の環境問題を発生させるかもしれない。少子高齢化で各人はそこまで、価格(給料)やその他の価格体系を含めて考えて、少子高齢化を選択していると考えられる。それが世界全体の人類の選択として統計(総計)によってとらえられることになる。
男性と女性、マスターサイエンス
人類の支配原理となるもの、それらの科学を統一するもの、科学の行き先の方向付けをするものが、マスターサイエンとしての政治家である。それは言葉ではあるが、宗教とは異なって科学である。人類には男と女が存在するが、同じ人間である。XY、XXの染色体が1つだけ違うのみである。
職業と政治
毛沢東は若い頃、教員をやっていた。ある職業をしていたから、その人がある政治思想を持ったとはいえないが、ある政治思想を生んだ人の前歴を見て、その人の性格や家族関係や、家族構成や職業生活のうちのどれが、その政治思想に最も大きな影響を与えたのかは言う事ができるであろう。
W.ウィルソン(国際連盟の提唱者)、大熊重信(早稲田大学の創始者)、マキャベッリ(ルネッサンス期のフィレンツェの行政家、現代政治学の創設者)の3人が同じ兄弟構成であったことは、彼らの政治思想に影響を与えたということはいえても、どの政治思想とはいえない。しかし、ある永遠平和論に陥った政治思想家がどの様な兄弟構成であったのかという事後確率からみれば、事前にどの様な兄弟構成であったかの確率は言う事ができる。これをベイズの確率というのであり、貧困の多くの中の1兄弟の中で生まれても成長すれば、共産主義の暴力革命にならないこともできる。
ベイズの定理と囚人のジレンマ
ある時ある人が、50人のうちの誰が1つのものに賞金としてありつけるかの募集を見た。毎日応募してれば確率は上がるが、1/50の確率でしかない。1/50の確率は伝統的統計学であるが、注意して毎日応募していれば確率は上がる。これがベイズの考えた事後確率からみたベイズの確率と呼ばれるものである。
家族と国家
人はまず家族を構成する。その中での生活は国家によって包含される。家族の形態はモルモン教徒の様に各国にて違っている。それは自由であろうかとの問がジョン・スチュアート・ミルから出されている。
ホロコーストと原子爆弾
第二次世界大戦は、ホロコーストというユダヤ人の大虐殺(血を1つにするためという思想から)と、原子爆弾を生んだ。戦後、その反省から、ドイツでは完全に反省されたが、日本では、中国侵略をはじめ、ほとんど中国侵略に反省はなかった。日本では原子爆弾に対する反省が、左翼陣営から行われた。左翼陣営がすたれた後には、反省はなくなった。しかし、歴史からの反省は左翼とは関係ない。反省とは、歴史を見る目である。当時は朝鮮人排斥などラジオ文化の中で世間が形成されることによって、朝鮮人差別が行われたが、時代の文化でもあった。
政治と宗教
政治と宗教はよく似ている。信者と国民の違いである。領土は宗教の布教範囲である。宗教は世間(日本の)の様なものになる。従って、布教範囲があるが、国が一つの地域内にあるのとは違って、一つの地域内に二つも三つも宗教がある(場合がある)。宗教は倫理や道徳を含む。仮にキリスト教は人が見ていない時でも、又、証拠がない時でも正しいことを言え、せよという概念を含んでいて、倫理・道徳と自国人は考えている。仏教は己を知るを主とし、仙人的な教え方である。それはまた、禅の考え方の中にも入っている。
平等の歴史
労働運動と共に、資本家と労働者の平等という観点からの平等が主張された。それ迄の身分制については疑いを入れる者はなかった。しかし、日本では四民平等という考え方が生まれた。明治維新で政府が制度的にそれを定着させた。一方、フランス革命はそれ迄の身分制社会、身分制度自体を崩壊させた。経済学的には産業革命が平等の概念を定着させた。しかし、その後、機会の平等は達成されたが、経済的不平等が起こった。それに対するものが、マルクスの理論であった。労働者と資本家の平等であった。
博愛の歴史
フランス革命は自由と平等以外に博愛を主張した。博愛はfraternityであり、キリスト教的な兄弟愛即ち世界鍋の様な慈善事業を意味している。慈善事業は社会的移転を、宗教による愛によって行っている。一方、国によっているのは稀である。仏教国家やスウェーデンの社会主義的国家では税によって行っている。国自体が宗教国家である。
政治哲学
自由、平等、博愛の概念を中心とする政治哲学の概念である。単位法と法哲学を中心とする法学に対して、倫理や道徳とは違った概念である。
法の上の法は、道徳や倫理であるか。それはまだ実定法化されてはいないが、今後実定法化されるべきだと国民全員
イギリスの法は、身分制度が今も残っている。各コロッジで■えられており、身分制と共に発達してきた。
テレビ、ラジオ、映画、ゲーム、カタルシス、マクルーハン
ヒットラーは映画の時代の産物である情報戦であった。今は55インチの大型・薄型テレビで全世界の情報が簡単に入ってくる。海外の情報はテレビで見るのと、ラジオで聞くのとは違っている。ラジオは音のみで、イタリアというだけであるが、テレビはそれに映像をつける。映画は、しかし、同じ映像でも、そのうち演説したヒットラーの写真しか映さなかった。何でも映すべきである。権威はなくなる。しかし、それでも国家組織法は変化がない。天皇が君主主権であることにかわりはないのであって、人間天皇として憲法上は天王星国家であるが、権威も威厳も、そして、丁寧さも併与しているといえる。
労働組合という団体とコーポラティズム
「労働者よ団結せよ。」とのマルクスの言葉、「家族を破壊せよ。」とのマルクスの言葉は人々に衝撃を与えた。その後共産主義政権がソ連、中共とできたが、ソ連、■■■■■わった。一時期コーポラティズムの論理がはやった。
衆議院と参議院
衆議院は貴族院に対するもので、君主政の名残である。衆議院は君主政である。君主制と民主主権は違っている。
政治と平等
生活そのものを政治が面倒をみる生活保護は、政治による平等という概念である。また、社会的な富の移転は平等という概念によっている。独占法という競争は平等をもたらすとスミスは考えている。いい面は多いが、逆に、負け組みももたらす。それを救うのが平等を目指しての税による社会的な富の移転である。
自由の歴史・平和の歴史
マグナ・カルタが国王に対する自由の主張の最初である。これは権力に対するものであって、自由に対するものではなかった。思想表現の自由は共産主義に対するものであった。暴力主義的な思想が、現実に暴力の恐れがないのに、抑制してはならないというのが、現在の理論である。「自由放任の終焉」(ケインド)と「自由主義の終わり」(ローウィ)は、恐怖に対するものであった。
芸術・文化と国家
国家が芸術を抑圧したり、消費特需(委譲に自力の時代もあった。)の様に、国家が文化そのものを抑える時代があった。これに対抗して生まれたきたのが思想・信条の自由や思想の表現の自由であり、これは国家に対するものであった。
第4の権力:報道
報道機関には沢山の自由がある。第一の権力、国会。第二の権力、行政。第三の権力、司法。これらは国民に知らせるかどうかの権力をもっているのが報道機関である。現代のベルスコーニ氏はイタリアの首相であった。報道の自由がある。それが知らしむべからず、依らしむべしにならなければいい。依存するとは自由がないことである。自由と依存は対である。国家に対する依存の意味である。その様な国家からの自由はあろう。
知識は積み重ねられていく(依存と独立)
ただの批判のみでは知識は積み重ねられないが、知識(利子)は積み重ねられていく。依存している者は批判のみを行い、知識の積み重ねがなく、死ぬ間際になって破綻したケースがある。つまりは独立した人間は知識を積み重ねていく必要がある。独立した人間とは「学問のすすめ」ではないが、知識を積み重ねていく人間のことである。この面では生涯学習が必要である。
政治と発達−教育
子供にいないいないばあをすると、人が居ることに気が付き、何と人間を認知する。人間は認知心理学と、行動心理学によって心理学的に理解することができる。認知心理学では自由を、毒を認知し、危険を認知し回避するという概念につきる。しかし行動心理学によってしか認識できない事象が存在する。つなわたりのサーカスでは、危険にわざわざ立ち向かっていく勇気を人間は絶賛し、さらには冒険家が雪山で死ぬことを絶賛することがある。その解釈としては行動心理学においては霊山において死なない方法を探しているのか、自由なつなわたりの行動ができる様になることを探しているのである。se
独禁法の成果
――百円ショップと百円寿司――
イギリスで寿司を食べれば2000円はかかる。サンフランシスコも同じである。日本では百円ショップがあり、百円寿司がある。もし、独禁法がなければ、百円寿司も百円ショップも生まれなかったであろう。独禁法には一人一円、一人一票、株主は平等に一人一票であるという大原則に則っている。独禁法は平等の原則と機会均等という、所有権の絶対性に似た抽象原則から成立している。サラリーマンの所得では百円寿司しか食べられないであろう。百円の価値を上げたのであり、また物の価値を上げたことになる。百円寿司よりももっと安くて価値のある寿司が現れれば、そちらへ行くかも知れないが、衛生的で問題を起こしたとのない寿司店で百円ならば安いといえるであろう。
経済的広告宣伝の合理性(条理?)
コマーシャル放送は経済合理的で永遠平和である
(ビジネスが独禁法によって平和の伝となっている)
未来の為にという保険の広告(コマーシャル)は、経済的に未来を考えませんかという意味で、プラシスティックではなく、オプティミスティックである。広告は経済合理的であり、戦争や悪い政治の様に生活破壊や戦争による破壊とは関連がない。従って、永遠平和と関連しており、逆にオプティミスティックすぎるという言葉は当たらない。ところが、芸術や政治にはそれによって経済合理的であることは少なくない。広告の背後にある経済合理性を見つけることによってのみ広告を楽しいものと考えることができる。
人間の自然に合致しているのならば、自然であり条理であろう。
戦争と協力
戦争によって不経済が起る場合があろうか。価格競争においてはないが、出口から出る場合、一人しか出られない場合、二人で出られる場合と違って、協力が有効の場合があると渋滞の■■ではない。人のぶつかり合いが起る場合という。わざと行列を作った方がいい場合がある。例えばBCM事件では共同で著作権を得たほうが安く済む。一人一人に著作権の許諾を得るのより遥かにいい。
日本のための東京あなたと創り直すのマニフェスト2007より山口新東京都知事誕生において選択的に採用する政策:
(政治経済学的に問題)
東京は、世界の中の永遠平和都市として生きていく。
永遠平和のために
一時的な平和においては次の戦争を予感している。ところが第二次世界大戦後の第三次世界大戦を予測していない。憲法第9条はそのような世界の理念を表わしている。それ故に世界に大戦が1945年から2007年までの戦後に起こっていない。これ迄は第一次世界大戦後50年も経てば世界大戦が起こっていたのであるから、62年間の長期の間には、世界大戦が起こるだろうと予測されていたのにである。憲法第9条が世界大戦の抑止に貢献があったと考えることもできる。日本人は気が付いていなかったが、憲法第9条の世界に対するインパクトは大きかったと考えることができる。憲法第9条は永遠平和を願うものであり、次の戦争を抑止する意味があったからである。一時的な平和の概念から生まれたものではなかったのである。
これまでの政策が間違っていたのは、この点にあった。
戦後経済は米の1/4の軍事費に守られてきた。
これは経済学的には一時期西川潤教授らが主張してきたことだった。その残った部分を外国への輸出によって利益を得て、利益が更に利益を産むことになった。
これはイデオロギーを超えて正しいことであろう。
これが杉原泰雄教授の側から言われたからといって目くじらをたてる必要はない。
それによる利益が世界への投資に回されている。戦前にはそれがマルクス理論の様に軍備費に回されて、戦争に至ったという理論は頷けるが、しかし永遠平和という概念からすれば世界の中での利益であったとすれば良かったのである。
何故に石原前都知事は324r/kgのヒ素(広告審査済)のある土地に?
この原点には、選挙費用がいびつにかかっているという点に問題があるということです。
(「都民が作り上げる東京へ」)
世界の東京
「都民が作り上げる東京へ」
石原公約のどこに政治経済学的に問題があり、時代の閉塞が起こっているのか。
おそらく、若者の閉塞感と、ベビーカーが都心のどこも闊歩できないような東京を作り上げたことに問題があります。経済は需要と供給によって成立する、消費者の経済的厚生を増やす活動である。消費者の経済的厚生を増やすという点に公共の福祉という概念がはいってきている。この経済では、貯蓄と投資というものをエンジンとした経済の循環というものによって動いていますが、今はエンジンが壊れており、それを直さなくてはなりません。この現代の近代的な経済学の観点から新しいニューディールに似たものを各都の職員が行う必要があります。
この観点はシビアーであります。
これまで日本ではかって資産価値の下落が貸借対照表の損失を通じて、自己資本の減耗を発生させましたが、これが資産デフレとなり、資産デフレ乗数を生み、経済に大きな影響を及ぼしたことは否定できませんが、これは物差しが変わったというだけであって、あまり心配する必要はないようです。
浅野マニフェストのいろいろな所にある経済学的な巨大な弱点。
そこを突きます。
確かに、宮城には大きな赤字が残りました、一方東京は企業が大きな収益を上げているために、放漫経営でも東京オリンピックの計画も立てられるかもしれません。しかし都政は浅野氏が言うように完全に破壊されました。それは東京は、世界の中の永遠平和都市として生きていく、という、東西冷戦後のイデオロギーを超えての正しい選択ではなかったからです。
しかし本当はどちらの経済も悪くなっていると思っている人は多いでしょう。新入社員が増えたといいながら、それは団塊の世代が首を切られ、安い給料の新入社員に代わった、それもほんの少数の人だけ使い捨てでないのはということが分かって、それ故に閉塞感が広がっているのだと思います。
4月1日の朝日新聞に新聞広告が出ましたが、それが時代の閉塞感の分岐点だったと思います。
この4月1日に良くなると信じていた人はすべて裏切られたでしょう。数人を除いては。
新入社員も裏切られたかもしれません。
政治学者、経済学者として若者の閉塞感につては、政府の失敗は認めざるを得ません。しかし一緒に建て直そうではありませんか。それが山口新東京都知事の理由なのです。歴史上に残しておくべき演説はその理由から行われたのです。
格差については当然なのか、そうではないのか、安倍氏をはじめとする若者が親ナチに走るのはなぜか。
やまぐちせつお
山口節生
目次
日本のための東京あなたと創り直すのマニフェスト2007より山口新東京都知事誕生において選択的に採用する政策:
石原氏候補者個人の公約について政治経済的にどのような問題があるのか。
どこを採用すべきであるのか。
世界の中の東京、グローバリズムの欠点を取り除いて進む東京。大きな変革的な政策を採ります。
「都民が作り上げる東京へ。Ask what you can do for your Tokyo, an eternal
peace megalocity.」
政治学者、経済学者として若者の閉塞感については、政府の失敗は認めざるを得ません。
これまでの政府の失敗はもう何と言っても終わったことです。私にはどこが失敗であったのかは分かっています。
しかし一緒に建て直そうではありませんか。
格差については当然なのか、そうではないのか、安倍氏をはじめとする若者が親ナチに走るのはなぜか。
やまぐちせつお
山口節生
目次
1都民が作り上げる東京へ
2 都政運営の基本姿勢
(1) 東京から世界へ新しい風を起こす
東京都政を転換することにより、閉塞感に風穴を開けて、いきいきとした世界の中の日本を蘇らせます。
(2) 人と自然に優しい東京を創る
都政の手法として、兄弟姉妹の友愛に満ちた手法を採用し、税金による方法であれ、社会的な援助の募集の手法によるのであれ、社会的に弱い立場にある人たちが、生きやすい環境を創り出します。
(3) 透明性のある都政、風通しのよい都政にする
ただ20円を10円にするだけの浅野氏の情報公開こそ、本当の情報公開をはばむものです。それは真の情報公開は知らせずに、隠れた密室の電話などによって、都民をだますために用意された軍拡(核も含む)(改憲)に向かうように仕組まれた罠を国民に仕組むことです。自分がその罠になっていることを承知しながら、一官僚、国会議員ではないという理由で軍拡(核も含む)(改憲)は国会議員にまかせるというのは、自分が当選すれば軍拡(核も含む)(改憲)の理由になるという政治的な理由を隠した隠し玉にしか過ぎません。これが情報公開といえるでしょうか。知れしむべからず、依らしむべしとは正反対の知らせるべし、依らしむべからずの情報公開の姿勢こそが真の情報公開なのです。それが都政を貫く基本姿勢であるべきものです。農林省が決定してしまったものを即刻中止させますといえるぐらいの風通しのよい都政が必要です。政策立案の過程も外から見えるようにし、都民、職員が積極的に参加する形の意思決定ができる体制に転換します。
(4) 納税者のお金を大切に使う
都民から預かる税金について、都民にわかりやすい説明をしながら大切に使います。都民に説明がつかないようなお金の使い方はしません。特に世界に東京の永遠平和都市を宣伝するために海外旅行をするについても効果的な資金の使い方をします。
(5) 都民のために、誠心誠意、全力を尽くして働く都政を確立する
都職員全員が、都民のために仕事をするよう徹底します。それを率いる知事本人は、全身全霊で都政に情熱を傾けます。週7日間働くことはいつ地震がくるかもしれないので当然のことです。
「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声が社会的弱者に対する差別発言、都政の私物化、恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を聞くうちに、この状況を変えられるのは「世界の誇りを持てる東京」を実現するのが私に課せられた使命です。都政の先頭に立って、都民の皆さんのために、誠心誠意、全力を尽くすことをここに誓います。
2016年に開催されるオリンピック東京、石原都政は、オリンピック開催により道路や関連施設の整備を進めていく予定でしたが、出来る限り既存の施設を使い、多摩・島嶼地域の方々の意見も聞きながら、9月までに新しい東京都知事誕生によって新しい東京オリンピックの計画も作ります。大体おおまかな仕組みは頭の中に入っています。それは長年東京都の鑑定評価を行ってきたのでできることです。
オリンピックを契機にモノを充実させるという考え方は、2 0 世紀の拡大経済成長路線に基づく考え方です。それらは自然と調和したものでなくてはなりません。「拡大」、「発展」、「コンクリート」を基礎にしたオリンピックでいいのでしょうか。水と、空気と、音と景色に配慮した計画に変更します。築地市場移転の問題では不動産鑑定評価を行い、大量のヒ素が現実に存在していることを発見しましたので即刻中止とします。靴に付着して、更には魚について首都圏3400万人の懐に入ったら、あたかもサリン事件の様になるからです。東京オリンピックの計画も練り直しです。何故なら東京ガスのその土地に中央卸売市場の移転が無ければ現在のすべてのオリンピックの構想を変更しなくてはならないからです。
道路、高層ビルやマンションの建設など、東京はハード面での開発を核にしながら発展してきました。それによって、私たちの生活は便利になりましたが、それと同時に、「通勤ラッシュ」、「厳しい労働環境」、「息苦しい教育」など大都会特有のストレスを感じるようになった。「暮らしやすいですか」、「本当に幸せですか」「スローライフ」、「本物の豊かさ」、「バリアフリー」など「くらしやすさ」、「ぬくもり」、「やすらぎ」など、多様性を認める「生きやすい社会」を一緒に創りませんか。
3 私であるからこそできること
@ 「一生安心して暮らし続けられる東京〜 私の本籍地は財政経済です」
A 「誰もが参加できる東京〜 徹底した情報公開を進めます」
B 「東京オリンピック計画は10km圏の狭い範囲から、高速鉄道でつないだ30km圏の広い範囲にも建設し大胆な変革を行います!オリンピックのため各企業に1000億円の募金を割り当て、要請する案については企業の社会鍋に期待するものであり、日本的な初めての公共的な募金手法として提案していく。自発性、自主性の尊重は重要である。」
4 政策宣言
第1 章 みんなに優しい東京〜 少子高齢化対策
第2 章 震災で犠牲者を出さない東京〜 都民のいのちを守る
第3 章
政治学者、経済学者として若者の閉塞感につては、政府の失敗は認めざるを得ません。しかし一緒に建て直そうではありませんか。
経済学的に見れば、経済は最大の危機を脱して少し上向き始めたところです。
【すぐにやります】
大田区の中小企業の例を見れば分かるように海外との競争に打ち勝っていけるように東京都が援助することによって東京都の企業の再興を図り、そのことによって若者の働く場を作り上げる。
企業における労働環境の向上と従業員の生活環境向上のための政策展開のあり方について、労使双方からの意見を聴きます。
新銀行東京の資産内容、営業状況を精査する第三者専門家委員会を立ち上げ、解体的見直し計画の策定に着手します。但し、新銀行東京の成立理念は一般銀行によっては借りることができない中小企業、個人を救うものであるからその理念は世界でも初めてのものであるから、公的融資銀行として再出発をします。この銀行を永遠平和という理念の中での世界で初めての公的融資のみを行う民間銀行として再生させます。融資の幅も教育資金のような個人向けの融資もこれまでの融資以外に増加させ、貸し倒れの危険を少なくしながら融資の継続を行います。〜経済政策
環境のトップランナーとしての東京〜 将来世代のいのちを守る
のびのびと学べる東京〜 教育政策
男女が思う存分力を発揮できる東京〜 男女共同参画
石原氏候補者個人の公約について
都知事再選 約308万票を獲得し再選を果たす。得票率においては過去最高の70.21%を記録した。国に「NO」を突きつけ、独自政策を打ち出し実行する石原流の都政運営は有権者の強烈な信任を得たのである。
都知事就任 明治維新以来続いている中央集権体制を破壊し、真の地方自治を実現すべく石原は再度立ち上がった。166万票を獲得し当選を果たす。石原流都政運営の幕が切って落とされた。
石原氏が3期目になると、側近政治は度を過ごし、独裁に陥る可能性が大です。浅野氏の3期目と同様でしょう。そこに1億以上の退職金が出た以上でしょう。
オリンピックの構想を変更しなくてはならない、そこにはオリンピック受注を待っている建設業者がいます。仕事の配分は公平性と平等性の観点から行うべきです。メインの会場の案も安藤案と黒川案どちらが美的感覚が優れているのかという点を再考すべきでしょう。費用の点でも。
おしゃれな白メガネの奥からそれを見つめていきたいと思っています。
二期目の選挙公約 東京は、日本の首都であり、「日本の頭脳と心臓」である。これまでの政策を基本とし、さらに新しい政策の苗を育てることで、一期目以上に大胆且つ過激に「東京発、都市革命」を遂行する。
一期目の選挙公約 「東京から日本を変える」をスローガンに掲げ、横田基地返還、新債券市場創設、大気汚染対策、教育改革など数々の独自政策を打ち出し、それは目に見える変化として現れている。
首都移転に「NO」 肝心なことが何も議論されていない首都移転問題。石原は首都移転の白紙撤回を求めつつ、道路整備を始めとする都市再生を行い、東京圏の潜在力を掘り起こし、日本の再生を手がけている。
首都を移転しても、関東・東京事務所はそのままですから、何の心配もいりません。
財政再建推進プラン 財政再建団体への転落を阻止すべく、給与カット、定数削減などの内部努力を始め様々な再建計画を展開。同時に都庁職員にコスト意識と経営感覚を持たせることを狙いとしている。
この裏にある様々な問題点が経済的に発生している。都営地下鉄の赤字が最たるもので東京地下鉄株式会社(東京メトロ)に売却をするぐらいの努力が欲しかった。人は財産であるが、資産は売却も検討すべきである。世界で同一都市に二つの別経営の地下鉄が存在する都市はない。
外形標準課税 これを機に独自課税を検討する自治体が全国で続出。国も形は違えど長年検討してきた外形標準課税の導入に踏み切ることになる。現在、最高裁で真の地方自治を賭けた戦いに挑み続けている。
宿泊税 日本は世界第2位の観光赤字国である。石原は観光を産業として捉え、東京を世界の観光都市にするために改革に着手する。宿泊税はそのための財源に充てられている。
東京再生都債 個人向けの都の債券。資金は公共交通網の整備に充てられる。背景にはペイオフ全面解禁を控え、預貯金以外の金融・投資に対する感覚をより身近なものにして欲しいという想いがある。
空港問題解決策 近い将来、我が国の空港事情は深刻な事態を迎える。横田基地と羽田空港を有効的に活用することにより、問題の解決を図り、世界最大のメガロポリス東京圏を最大限機能させ国益を守る。
東京しごとセンター 近年、雇用情勢の悪化が著しい。国のハローワークだけでこの状況を改善するには限界がある。そこで石原は東京都独自の 職業紹介に着手。2004年(平成16年)7月中に「東京しごとセンター」が開設される。
日本外交協会の愚行 拉致問題が白日の下に晒され、日朝交渉が暗礁に乗り上げている最中に都民の税金で購入した備蓄米が北朝鮮へ。石原は即座に都の提供した食料を北朝鮮に送らないよう要請。
認証保育所制度 女性が働きながら安心して子供を産める体制を整えることこが、少子化対策となり、ひいては国力の維持に繋がる。認証保育所の拡充と共に、国に保育行政の抜本的改革を迫っている。
都庁展望台の有効活用 都庁展望台から見える夜景の最大限の活用を。イタリア料理の老舗「サバティーニ」が都庁45階にオープン。西東京の夜景を眼下に傾けるカクテルは格別。
ラッピングシリーズ 都バスや都電・大江戸線などの車体にカラフルで巨大な広告が掲載可能となった。都の保有する財産を有効に活用し、それによって利益を生み出すこの政策を通して都庁職員に経営感覚を訴えたのだ。
これは広告宣伝を三商大ゼミ討論会でも載せることとしたのと似ている。それならオリンピックは経済的効果は各企業が募金を行うことで採算をとれるようにすることも一つのアイディアであろう。
知事公館貸し付け 知事公館の民間への貸し付けは全国初の試み。都が未曾有の財政危機に際し、爪に灯ともすような努力が必要とされる中で、非常に合理的な試みである。
ネーミング・ライツ スポーツ施設などの名称に、スポンサーの社名などを付与する権利のことで広告手法の一つ。公共スタジアムの経営基盤を安定させるために導入された。この後、他の自治体でも導入が相次ぐことになる。
東京国際アニメフェア 日本のアニメ産業の市場規模は全世界の約65%を占めており、その内の約70%もの作品が東京で制作されている。しかし課題は多い。そこで石原は「日本のアニメーションを世界に発信し、商取引の場を」と世界でも類を見ないアニメの見本市を実施。
ベンチャー企業・中小企業支援策 中小企業の資金繰り対策としてCLO(ローン担保証券)、CBO(社債担保証券)を発行。実現不可能と揶揄された新債券市場の創設を果たす。
他にもオフィスの提供や投資組合の設立などの支援策を実施。
若手芸術家支援策 若手芸術家に作品展示場所の無償提供を実施。「芸術家はのたれ死ね」と言って憚らない石原だが、これらの政策の背景には、芸術家に対する逆説的な優しさが見え隠れする。
東京ロケーションボックス 東京を世界のシネマスクリーンに発信すべく、煩雑な撮影許可の行政手続きを簡略化を目的に設置された。相談者の第1号は映画『WASABI』の製作・脚本を担当したリュックベッソン。
ヘブンアーティスト 大道芸人などに公共の場での活動を認める資格制度。公共の場でのパフォーマンスは、他ならぬ行政が禁じている。故に行政が認めなければ活動ができない。大道芸につき物の、投げ銭も勿論OKだ。
ビッグレスキュー東京2000 陸海空3軍が参加した日本史上、最大規模の画期的な防災訓練。国民の財産と生命を守ることこそが政治の大眼目である。危機を想定し、最善の策が執れるようこれまでにない規模の訓練を実施した。
ビッグレスキュー東京2001 計7箇所で行われた訓練には米軍横田基地も含まれていた。敗戦以来50年の長きに渡り、日本の中の外国として君臨し続けている米軍基地に石原は颯爽と踏み込んだのである。
警察官増員 石原は東京の治安回復には警察力の強化が不可欠と判断。国に警察官の増員を図る他、東京都の職員を警視庁に派遣するなど複合的な施策により、1000人規模の警察官がパトロール可能となった。
東京都レンジャー 環境省は小笠原を世界遺産の候補地にあげておきながら、自然保護官(レンジャー)を一人も常駐させていない。故に自然破壊が進んでいる。そこで石原は東京都独自のレンジャー制度を発足。初年度は小笠原と奥多摩に3人ずつ配置される。
東京発『環境革命』 大気汚染の元凶であるディーゼル車の条例による規制と、脱税の温床にもなっている不正軽油の撲滅作戦を実施。これを機に国は排ガス規制強化の2年前倒を決定。石油連盟など業界も都の要望を受け入れた。まさしく東京から日本を変えた象徴的事例である。
カラス対策プロジェクト 激増するカラス。都民からの苦情も年々増加していた。異常に増殖したカラスの生態系を正常に戻すために、「ゴミ対策」と「カラスの捕獲」を中心とした取り組みが行われている。
国立公園革命 国立公園の監督者である国はその保護のために何もしていない。小笠原も例外ではなかった。そこで石原はエコツーリズムを導入。並行して国に自然保護法の改正を迫っていた。結果、国は東京都の構想に追随して自然保護法を改正。
東京ER 様々な症状に対して、診察・入院・緊急手術・救命措置などトータルな救急医療サービスを365日24時間、施すことのできる救急医療施設。それが東京ERだ。国に先んじて救急医療体制のモデルを発信している。
教育改革 現在の教育行政は歴史的に齟齬をきたしている。そこで石原は教育改革に着手。都立高校では学区制撤廃を行い、様々なタイプの高校を作り上げている。
大学においては、都立大学をを統合してまったく新しい大学「首都大学東京」を創設。東京発の教育改革に取り組んでいる。
心の東京革命 昨今の子供は人間の行動原理をつかさどる脳幹が弱っている。我慢することの重要さを学びとってもらい、現代の子供達の痩せ細った脳幹のトレーニングに繋がることを期待してこの運動は開始された。
アジア大都市ネットワーク21 再び都知事として政治の世界に戻った石原は、長年抱き続けてきたアジアとの共生を都市レベルから構築していく大胆な外交政策を打ち出す。それがアジア大都市ネットワーク21である。
5 お願いから約束へ〜 「誰もが誇りを持てる東京へ」の検証
「マニフェストとは」
「マニフェスト」とは、「数値目標」、「期限」、「財源」、「工程表」を明示した選挙公約です。
「何を」、「いつまでに」、「いくらで」、「どのようにして」実現するのかを明らかにします。
今までの選挙公約と比較すると違いがよく分かります。
何をするのかをはっきりと都民の皆さんと約束し、それを実行し、検証するのです。
このマニフェストには、これまでに皆さんからいただいた「一言マニフェスト」をできるかぎりいかしました。「一言マニフェスト」はこれからも続けていきますので、皆さんのお考えを教えてください。
「誰もが誇りを持てる東京」を一緒に語り合いましょう。そして、一緒に実現しましょう。
1 誰もが誇りを持てる東京へ
私は、地方分権の推進と福祉先進県づくりを目指して、3 期1 2 年宮城県知事を務めてきまし
た。現在は、その経験をいかし、大学で地方自治を教えています。
東京都知事選挙が近づいてくると、多くの人たちから「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも
似た声が届きはじめました。これは、私の心を大きく揺さぶりました。社会的弱者に対する差別発
言、都政の私物化、恐怖政治のような教育現場など、石原都政がもたらした数々の問題点を聞く
うちに、この状況を変えられるのは自分しかいないと決意するに至りました。「誰もが誇りを持てる
東京」を実現するのが私に課せられた使命です。都政の先頭に立って、都民の皆さんのために、
誠心誠意、全力を尽くすことをここに誓います。
2016年に開催されるオリンピックの東京への誘致が問題になっています。石原都政は、オリン
ピック開催を起爆剤とし、道路や関連施設の整備を進めていく予定としています。オリンピック開
催の目的は、「昔見た夢の再現」にあるといいますが、夢の具体的内容は示されていません。適
切な情報が公開され、十分な説明がないにもかかわらず、開催を決めてしまうのは、都民を置き
去りにした話です。私は、オリンピック開催の是非を都民の皆さんと考えることを提案いたします。
そもそも、オリンピックを契機にモノを充実させるという考え方は、2 0 世紀の拡大経済成長路
線に基づく考え方です。「拡大」、「発展」、「コンクリート」を基礎にしたオリンピックでいいのでし
ょうか。環状道路整備、築地市場移転の問題では多くの都民が反対しています。私は、都民が賛
同できないのであれば、オリンピックは中止すべきと考えます。
今の生活スタイルやまちづくりのあり方についても、ここでもう一度考えてみませんか。道路、
高層ビルやマンションの建設など、東京はハード面での開発を核にしながら発展してきました。
それによって、私たちの生活は便利になりましたが、それと同時に、「通勤ラッシュ」、「厳しい労
働環境」、「息苦しい教育」など大都会特有のストレスを感じるようになったという声をよく聞きます。
都民の皆さん自身の生活を考え、「暮らしやすいですか」、「本当に幸せですか」ということをここ
で問い直すことを提案いたします。全速力で走ってきたのを立ち止まって、深呼吸して、違う歩き
方で歩いてみませんか。そうすれば、「スローライフ」、「本物の豊かさ」、「バリアフリー」など違っ
た景色が見えてくるかもしれません。「くらしやすさ」、「ぬくもり」、「やすらぎ」など、多様性を認
める「生きやすい社会」を一緒に創りませんか。
その社会を実現する具体的方法は、私のマニフェストに明記してあります。まず、私であるか
らこそできることに全力投球します。私のライフワークである福祉は、安心して暮らせる東京をつ
くるうえで都民の皆さんが最も強く求めておられるものと信じています。また、私が得意とする情
報公開では都政の透明性を飛躍的に高めます。
次に、6 章にわたって書かれている政策を実現いたします。福祉面では、孤独死をゼロにする
プロジェクトをすぐにスタートさせ、障害者差別撤廃条例を2 年以内に提案いたします。震災対策
については、都内全域での木造住宅の無料耐震診断と耐震助成を行います。経済分野では、
非正規職員を正規職員化するプロジェクト、新銀行東京の解体的出直しを行います。環境につ
いては、環境対策に取り組む企業への助成を行います。教育面では、日の丸や君が代の問題に
関する強制的な対応をすぐに改め、フリースクールやコミュニティ・スクールへの支援を行います。
最後に、男女共同参画の分野では、待機児童の解消、育児休業など子育て支援に積極的に取
り組む企業を支援します。
立ち止まって考えた先には、都民の皆さんの本当の夢があります。輝く未来があります。ひとり
ひとりのささやかな夢の実現が、都民の皆さんの願いです。
「日本のための東京」、あなたと創り直しましょう。
2 都政運営の基本姿勢
@ 東京から新しい風を起こす
東京都政を転換することにより、この国の政治への不信感を払拭します。それによって、
閉塞感に風穴を開けて、いきいきとした日本を蘇らせます。
A 人と自然に優しい東京を創る
都政の手法として、強制、管理、抑圧といった側面を強調するような手法とは決別します。
社会的に弱い立場にある人たちが、生きやすい環境を創り出します。
B 透明性のある都政、風通しのよい都政にする
情報公開こそ、都政を貫く基本姿勢であるべきものです。政策立案の過程も外から見える
ようにし、都民、職員が積極的に参加する形の意思決定ができる体制に転換します。
C 納税者のお金を大切に使う
都民からお預かりする税金について、都民にわかりやすい説明をしながら大切に使いま
す。都民に説明がつかないようなお金の使い方はしません。
D 都民のために、誠心誠意、全力を尽くして働く都政を確立する
都職員全員が、都民のために仕事をするよう徹底します。それを率いる知事本人は、全身
全霊で都政に情熱を傾けます。
3 私であるからこそできること
東京都政が直面する課題は数多くありますが、まず私であるからこそできることに最優先で取
り組みます。
@ 「老いても安心して暮らし続けられる東京〜 私の本籍地は福祉です」
繁栄を誇っている東京の中で、自分の責任ではない理由により、生きることに困難を感じてい
る人々が大勢暮らしています。障害者や介護を要する高齢者などです。そうした生きる力が最も
弱い人が最も大事にされる東京を創ります。
東京では、高齢化の波は遅れてやってきますが、人口が集中しているがゆえに、孤立化する
高齢者がものすごい勢いで増えるという問題が起きます。これは、老人ホームなどの入所施設を
作り続ければ解決できる問題ではありません。住み慣れた地域の中で、支えられながら暮らしを
続ける体制づくりに真剣に取り組む必要があります。
障害者については、地域での自立生活を支援することが必要です。支援を要する障害者を地
域で支えるためには、地域で一緒に暮らしていく人たちの力が必要です。地域での生活で障害
者が理不尽な差別を受けることがないようにしなければなりません。
私の本籍地は福祉です。福祉の分野で、障害があっても、老いても東京で暮らし続けられるた
めの施策を確立し、全国にその施策を広げていきます。
○ 支援を必要とする高齢者を地域で支えるために、地域の中の資源を思い切って増やします。
認知症の高齢者のためのグループホームを倍増します。その際には、高齢者と知的障害者な
どが一緒に暮らすための「共生型グループホーム」を4 年間で2 0 0 箇所を用意します。グルー
プホームの機能にデイサービス、ショートステイ、レスパイト・ケアを組み合わせ、在宅支援サ
ービスの拠点となる多機能型の小規模施設を4 年間で3 0 0 箇所設けます。
○ 障害者の就労を進めるために、就労支援策を展開します。まず最初に東京都庁で障害者の雇
用を進めます。
○ 東京都外に、東京都出身の知的障害者が主として入所している「都外施設」が全国で40
箇所
以上あります。こういった施設に入所している知的障害者が希望すれば、ふるさと東京に帰れ
るようにします。
○ 知的障害者、精神障害者、身体障害者などの障害を持った人たちの地域生活を支えるため
に必要なケアホーム・グループホーム群( 3 0 人) を4 年間で1 5 0 群整備します。
○ 地域の中で高齢者への介護にあたったり、障害者への支援をする人たちの報酬が低いために、
意欲と能力がありながら、現場を離れていく介護職員が多くなっています。介護保険の給付の
中で、東京都独自に報酬を上乗せすることによって、有能な介護職員を引き留めます。
○ 福祉用具の使い勝手をよくし、高い性能を持つようにするための技術開発と事業者援助をす
ることによって、東京から発信する福祉用具の改善を図ります。
○ 障害者差別撤廃条例を制定します。
○ 小中学校の普通学級に、障害を持った児童や生徒を受け入れられる統合教育を進めます。
重い障害を持っていても、本人の希望により、どこの学校に通うかが決められる体制をつくるこ
とが必要です。受け入れられる健常児にとっても、クラスの中で障害を持ったクラスメイトと一
緒に教育を受けられることは、大きな意義があります。
○ 高齢化のために足腰が弱り、若者本位のまちづくりのために外出できない人たちがいます。
予防介護の第一歩である「閉じこもり防止」の観点から、高齢者、障害者にも利用しやすいま
ちづくりを始めます。
A 「誰もが参加できる東京〜 徹底した情報公開を進めます」
情報公開は、すべての政策に共通する基本的手法です。ただし、単に情報を公開すればいい
というわけではありません。知りたい人さえ知ればいいというだけでは困ります。情報公開は、都
民の皆さん全員のものです。情報公開なき都政は、決して都民に身近なものにはなりません。
都政の運営において、税金の使い方が不透明であったり、政策の決定過程が明らかでなかっ
たりすると、都民の皆さんに信頼していただくことはできません。また、東京都はものすごく大きい
組織です。ただでさえ、見えにくい組織ですから、情報公開の面でもより一層の努力が求められ
ます。まず、東京都のすべての政策を情報公開という観点から徹底的に見直し、不十分な点は
すぐに改め、誰もが参加できる都政を創ります。
○ 東京都のすべての政策を情報公開という観点から全面的に見直します。問題があれば、隠さ
ず、先送りせずに公表します。知事をはじめとし、幹部職員の交際費は全面公開とします。
○ 東京都議会議員の政務調査費( 月額6 0万円) を公開するよう東京都議会に働きかけます。
○ 情報公開請求の閲覧手数料を1 年以内に廃止します。
○ 情報公開請求で1 枚あたり20円のコピー代を1 年以内に10円に下げます。
○ 全国市民オンブズマン連絡会議が公表する情報公開度ランキングで、2 年以内にトップ3に入
ります。
B 「東京オリンピック招致の全面的見直し〜 都民が反対するオリンピックにはNO
! 」
現在、東京オリンピック招致の活動が始まっています。東京からの正式な申請は、この9月に
行われ、2009年10月に開催地が決まる予定です。オリンピックを招致するためには、準備が必要
です。中央区晴海地区にメインスタジアム、江東区有明に選手村、築地市場跡地にメディアセン
ターを建設することや環状道路の整備計画がすでに明らかにされています。ところが、築地市場
の移転先や環状道路建設予定地については、住民や関係者の同意が得られず、大きな問題と
なっています。都民の賛成が得られないオリンピック招致はすぐに中止すべきと考えます。
また、2008年には北京オリンピックがありますが、同じアジア地域で開催される北京オリンピッ
クとの違いは何でしょうか。一部からは、国威発揚のためにオリンピックを開催するという声もあり
ますが、そんな理由のために開催することが必要でしょうか。
オリンピック開催という結論が先にあり、都民が置き去りにされ、招致に向けた活動が進められ
ています。すでに、オリンピック開催のために、毎年1000億円もの基金を積み立てて、道路整備
や施設建設の準備に取りかかっています。都政に数多くある課題と比較して、オリンピックの優
先順位がどうなるかを検討しなければなりません。検討の結果、都民の意向がオリンピック開催
は都政の優先課題ではないと考えられる場合には、申請を取りやめます。オリンピック招致に関
する結論は早急に出します。
○ 「オリンピック招致見直し特別チーム」をつくり、オリンピック開催までにかかる道筋、費用、環
境への負荷をすぐに公表します。
○ 都民の皆さんのご意見を幅広くいただきながら、9 月の申請時までに、オリンピック開催への
賛否を明らかにします。
4 政策宣言
東京都が、国に先駆けて、全国の自治体のモデルとなるような取り組みに果敢に挑戦すること
で、都民の皆さんのいのちを守り、くらしを豊かにする都政を実現します。
第1 章子ども、お年寄り、みんなに優しい東京〜 少子高齢化対策
現在、他県と比較すると、東京都ではお年寄りが人口全体に占める割合はさほど高くありませ
ん。ところが、これから10年間で高齢化は急速に進み、都民の4 人に1 人が高齢者になります。ま
た、少子化もあわせて進み、高齢者を支える生産年齢人口が急速に減少していくことが予想され
ます。したがって、高齢化対策は、少子化対策とあわせて行わなければなりません。また、現在
遅れている障害者への対応も急務です。
他県の先進事例から学び、高齢者や障害者が、介助を受けながら自立して、安全に暮らせる
まちづくりを目指す必要があります。また、2 0 0 5 年の国勢調査では、都内で子どものいる夫婦の
うち、母親が仕事を持っている割合は約4 6 % で、全国平均を大きく下回わっています。子どもを
産み、子育てしながら働ける環境を整えることは、女性にとっても企業にとっても、非常に重要な
ことです。「みんなに優しい」を基本にし、誰でも幸せに暮らせる東京を創ります。
【すぐにやります】
政策1 一人暮らしのお年寄りの孤独死をゼロにするための検討委員会を設置し、す
ぐに活動を開始します。
政策2 小中学校で統合教育を進めるプロジェクトに着手します。
【1 年以内にやります】
政策3 保育所の待機児童( 約8 千人) を解消する方策を確立します。
政策4 不妊治療に対する助成制度を拡充します。
政策5 福祉用具の技術開発と事業者援助を行います。
【2 年以内にやります】
政策6 障害者差別撤廃条例を提案します。
政策7 東京都庁で障害者の雇用を推進します。
政策8 介護保険の給付の中で、介護職員への報酬を上乗せします。
政策9 子育て支援企業を促進する企業などを「従業員生活環境向上モデル企業」
に認定し、減税や奨励金などにより支援する制度を創設します。
【4 年以内にやります】
政策10 共生型グループホームを200箇所整備します。
政策11 在宅支援サービスの拠点となる多機能型の小規模施設を300箇所整備しま
す。
政策12 知的障害者、精神障害者、身体障害者などの障害を持った人たちの地域生
活を支えるために必要なケアホーム・グループホーム群( 30人) を150群整備
します。
第2 章震災で犠牲者を出さない東京〜 都民のいのちを守る
首都直下地震は、「起きるかどうか」ではありません。「いつ起きるか」です。阪神淡路大震災
では、人々は自分の住宅に殺されました。6400人の死者の8 割強が、倒壊した家屋の下敷きとな
り、窒息・圧死したのです。風が吹いていたら、被害は倍増したといわれます。国の予測では、1
回の首都直下地震によって最悪1 万3 千人が死亡し、85万棟が全壊・焼失し、被害総額は1
12兆
円にも達します。この大半が東京でおきます。
東京には耐震性に欠ける住宅が133万戸あり、震度6 強の地震で倒壊する可能性が高くなって
います。これらは構造偽装で問題になったマンションと同じです。大地震が起きれば、木造住宅
密集地域はもとより、一般の住宅地でも建物倒壊と延焼で甚大な被害を受けます。したがって、
大地震による被害軽減の切り札である、建物の耐震化に全力を挙げることが必要です。
耐震化の推進にあたっては、それぞれの地域の実情に即し、各区市町村が最もやりやすい方
策で取り組み、東京都は全力で地域を支援します。すべての公共事業に防災の観点を取り入れ、
災害対応力の大きい事業を優先して実施しすることにより、無駄な公共事業を排し、都民の安全
のための「防災公共事業」を進めます。具体的には、避難公園・道路整備といった大規模土木事
業ではなく、住宅の耐震補強や地域の特性をいかしたまちづくり、地域の震災シミュレーションに
基づく対策訓練、地元のコミュニティによる震災時の救助体制の確立といったソフト面での取り組
みを支援します。長期から緊急対策まで、地域によるさまざまな創意工夫をいかして進め、都民
のいのちとくらしを守ります。
【すぐにやります】
政策1 耐震改修促進計画( 素案)の見直しに着手します。
政策2 区市町村、N P O 、民間企業、地域組織などに対し、都民のいのちを守るた
めに連携と協同行動を呼びかけます。
政策3 災害メセナとして、企業との連携を強力に推進します。
【1 年以内にやります】
政策4 学校・病院・消防・警察など震災時に重要なすべての公共建築物において耐
震化計画を前倒しして実施に移します。
政策5 都内すべての小中学校の耐震診断を実施、問題があるところは耐震化をす
ぐに始めます。
政策6 区市町村の協力を得て、都内全域で木造住宅の無料耐震診断と耐震補強
助成を開始します。
政策7 マンションへの耐震診断助成を拡充します。
政策8 人の集まる建物の耐震状況を調査し、公表します。
【2 年以内にやります】
政策9 自力では改修が困難な建物所有者の住宅改修を防災公共事業として実施
に着手します。
【4 年以内にやります】
政策10 住宅の耐震化率を85% にします。
第3 章みんなが働く東京〜 経済政策
東京には、ひとりひとりの働く場があり、くらしの場があります。企業が集まる大都市東京である
からこそ、誇りと自信を持って快活に働くことができる労働環境、心豊かに生活できる生活環境
が必要です。ところが、競争の自由化がもたらした負の側面として、あらゆる格差が拡大してきて
います。若者を中心として派遣社員や臨時雇用などの非正規雇用労働者の割合が増えていま
す。正規労働者との賃金格差は広がり、「ワーキングプア」といわれる層がつくりだされています。
また、団塊の世代の退職に伴い、高齢者の再就労も大きな課題となっています。働きたい人が働
ける社会を創ることは、行政だけではできません。民間企業や実際に働く人が協力し、よりよい労
働環境を整備していく必要があります。
また、多くの大企業は業績を回復させてきましたが、厳しい状況から抜けられない中小企業が
まだまだあります。東京の経済は中小企業が担っており、中小企業の安定した成長なくして、経
済成長はありえません。ところが、その中小企業支援のためにつくったはずの新銀行東京は、大
きな問題を抱えています。
一般に、民間の市場に行政が会社を設立して参入するということは、ごく限られた場合にしか
許されません。しかし、新銀行東京の場合、民間にはできない専門性を持たず、投入された都民
の税金1000億円を損ないつつあります。したがって、新銀行東京は解体的な見直しを行わざる
をえません。そこで、第三者の専門家による資産内容、営業の状況の精査を行い、営業内容を
真に中小企業金融のために必要な事項に集約していきます。その際、すでに取引をされている
方に配慮しながら、都民の損失を最小限とするような手法で、営業の全部または一部の譲渡を検
討し、それができない場合には株式の売却による民営化などの方法をとります。
【すぐにやります】
政策1 企業における労働環境の向上と従業員の生活環境向上のための政策展開
のあり方について、労使双方からの意見を聴きます。
政策2 新銀行東京の資産内容、営業状況を精査する第三者専門家委員会を立ち
上げ、解体的見直し計画の策定に着手します。
【1 年以内にやります】
政策3 若者向けのジョブカフェを2 箇所新設します。
【2 年以内にやります】
政策4 アルバイト、パート、派遣社員として働いていた人を正規職員として雇用する
企業を「労働環境向上モデル企業」に認定し、減税や奨励金などにより支援
する制度を創設します
政策5 子育て支援企業や従業員の休暇取得率の高い企業、従業員の文化活動の
実践や芸術鑑賞を促進する企業などを「従業員生活環境向上モデル企業」
に認定し、減税や奨励金などにより支援する制度を創設します。
政策6 新銀行東京の解体的見直しを実行します。
【4 年以内にやります】
政策7 中小企業のものづくり技術の振興や地域の商店街の活性化を図るための新
たな支援制度を創設します。
第4 章環境のトップランナーとしての東京〜 将来世代のいのちを守る
東京は、世界でも最大級の都市であり、さまざまな環境問題が山積しています。環境政策は、
都民の健康と生活を守るというだけでなく、将来の世代の健康や生活を大きく左右します。将来
世代のいのちを守るために、私たちは、今、最大限の努力をしなければなりません。
まず足元の環境を見つめなおします。東京では緑が減っているといわれています。身近な緑
を大切にしていくことがまず求められます。そのためには、街に残る大木は十分に保存し、希少
になってきた里山や雑木林を守っていかなければなりません。その一方で、建築や開発が行わ
れる際には、より質の高い緑化を求めます。また、毎年夏になると起きるヒートアイランド現象対
策としては、必要な部分をのぞき、コンクリートやアスファルト舗装にしないという方法をとることが
必要です。
地球温暖化対策は、力をいれていなければならないところです。都市は、世界の二酸化炭素
排出量の75% を排出しているといわれており、われわれ都市の住民の責任が重大であることを痛
感させられます。世界が地球環境問題に真剣に取り組もうとしている中、東京は日本を、そして
世界をリードして地球温暖化対策を進めていきます。
また、災害対策と連動することも必要です。災害時に重要な拠点となる学校、病院、警察、消
防などの公共建物で耐震補強を行うときに、省エネルギー改修、太陽電池や太陽熱、その他新
エネルギーの積極的導入を行います。これによって、学校や病院が、災害時にも安全で、かつ
自立したエネルギーを確保でき、結果として地球温暖化環境対策にも寄与することができます。
東京都のあらゆる政策を環境対策と融合させ、飛躍的な推進を図ります。さらに、環境対策に
取り組む民間企業を支援するために、減税や入札制度での優遇制度などを導入し、民間企業が
率先して環境対策、地球温暖化対策に取り組むインセンティブとします。
【すぐにやります】
政策1 東京都の政策を抜本的に見直し、すべての政策に環境対策をいれます。
政策2 将来世代の環境対策にむけて、全小中学校で地球温暖化対策について学ぶ授
業を行います。
【1年以内にやります】
政策3 学校、病院など災害時重要建物において耐震改修と同時に省エネ改修、太陽電
池設置を開始します。
政策4 環境に優れた取り組みをしている企業を支援するため、減税または奨励金制度の
導入、入札制度における優遇を行います。
政策5 太陽光電池など新エネルギーの設置や、住宅の省エネ改修、環境に優れた建物
への助成を開始します。
政策6 街の大木の管理について保存樹木として管理を肩代わりします。また失われつつ
ある里山・雑木林や屋敷林保全のための緊急対策をまとめ、すぐに着手します。
政策7 大気、水質汚染の浄化に取り組む重点箇所を指定し、集中的な対策を開始しま
す。
第5 章のびのびと学べる東京〜 教育政策
学校教育において、いじめ問題、不登校、学級崩壊など、子どもを取り巻く環境は苛酷なもの
となってきています。それなのに、子どもたちひとりひとりと真剣に向き合うべき現場の教師はさま
ざまな仕事に忙殺されて、本来の仕事が十分にできていません。
今、学校教育で一番大切なことは、のびのびと学べる環境をつくることです。いじめ、不登校、
学級崩壊を防ぎ、子どもたちが楽しく個性を伸ばし、学ぶ環境をつくることが求められています。
自由な雰囲気が急速に消えつつある東京の教育には、個々の政策よりも、自由でのびやかな空
気を取り戻すことこそが必要です。
のびのびと楽しく学べる学校にするためには、学級編成をゆとりあるものにしたり、フリースクー
ルなどを整備していくことも大切です。さらに、学力低下に歯止めをかけ、地域に開かれた学校
をつくっていくためには、地域の多様な人々が参画するコミュニティ・スクール(地域学校)
も考え
ていかなければなりません。そのために以下のことに取り組みます。
【すぐにやります】
政策1 「日の丸」、「君が代」問題についての強制的な対応を改めます。
政策2 地域社会が学校に積極的にかかわる土曜日学校、放課後学校を進めるため
に、コミュニティ・スクール検討委員会を設置します。
政策3 30人学級編成の実施に着手します。
【1 年以内にやります】
政策4 フリースクールへの支援を強化します。
【3 年以内にやります】
政策5 スクールカウンセラーの配備を進めます。
【4 年以内にやります】
政策6 小中学校のコミュニティ・スクール化を推進するため、コミュニティ・スクール
に取り組む小中学校には、教員の加重配分を実施します。
第6 章男女が思う存分力を発揮できる東京〜 男女共同参画
社会の構成員の半分は女性です。しかし、現実の社会をみると、意欲を持ち、才能を持つ女
性の活躍の舞台はまだまだ限られています。これまで形成されてきた男性優先の社会の仕組み
は根強いものがあります。日本文化の伝統を尊重することを理由にして、優れた才能を持つ女性
たちの活躍を押しとどめてしまう例もしばしばみられました。
家庭の内外でいきいきと働く女性、また自分や家族のためだけでなく、地域のコミュニティの柱
としてさまざまな活動を行う女性が東京、そして日本の社会や経済を支えてきました。しかし、女
性の職場における労働環境は悪く、身分が不安定であるという問題が指摘されています。また、
家庭内では、理不尽な暴力を受けるなどの問題を抱えている人たちもいます。
こうした状況を打破し、意欲ある人々がその努力により、才能を十二分に開花させられることが
求められています。日々、誇りと自信を持って働き、活動できる東京にしていくことが大切です。
そのために、できるかぎり多くの場で女性が活躍できる場を提供するとともに、男女がともに働
きながら安心して子育てできるような環境を確保しなければなりません。女性の雇用環境を向上
させることを中心に、以下のことに取り組みます。
【すぐにやります】
政策1 副知事に女性を登用します。
政策2 「こころと体の相談窓口」を設置します。
政策3 都がかかわるさまざまな政策の総点検を行い、女性登用の機会を増やします。
【1年以内にやります】
政策4 あらゆる暴力から女性を守り、さまざまな相談に応じる一時保護所(シェルター)
を確保します。
政策5 保育所の待機児童(約8千人)を解消する方策を確立します。
【2年以内にやります】
政策6 女性の(正規)雇用を積極的に行う企業を「労働環境向上モデル企業」に認定
し、減税や奨励金などによる支援制度を創設します。
政策7 育児休業や育児時間の取得実績が大きく、企業内保育所を設置するなど子育
て支援に積極的な企業を、「従業員生活環境向上モデル企業」に認定し、減
税や奨励金などによる支援制度を創設します。
5 お願いから約束へ〜 「誰もが誇りを持てる東京へ」の検証
マニフェストは、都民の皆さんとの約束です。したがって、約束がきちんと果たされたのかどう
かを都民の皆さんにわかりやすく説明することが必要です。約束が果たされなかった場合には、
その理由を明らかにします。
マニフェストの評価は、東京都が自ら行うことも必要ですが、都民の皆さんの視点での評価も
重要です。「選挙までの公約」から「守られるべき公約」にするために、以下のことに取り組みます。
【すぐにやります】
政策1 マニフェスト行動計画をつくります。
政策2 幹部職員の個人マニフェストをつくります。
政策3 マニフェストに関する情報公開制度をつくります。
【1年以内にやります】
政策4 マニフェストに関する都民の皆さんのご意見を聞く仕組みをつくります。
その意見に対する回答をホーム・ページ(HP)で公表します。
政策5 マニフェストの進捗状況を毎年公表します。
【4年以内にやります】
政策6 毎年1回、専門家、都民からの外部評価を受けます。
政策7 マニフェストの全体の実行状況、都民の皆さんの生活の変化を公表します。
政策8 「誰もが誇りを持てる東京へ」を実行するためには、2000億円必要です。その財源に
は、都政の見直しによって削減された分をあてます。
出馬表明にあたって
東京都知事選挙出馬の理由
私、来る3 月22 日告示、4 月8 日投票の東京都知事選挙に立候補するこ
とを、ここに表明いたします。
今回の都知事選挙に
立候補することを決意した最も大きな要因は、東京だけでなく、全国各地の人たちから寄
せられた「石原都政はもうたくさん」という悲鳴にも似た声です。社会的弱者に対する差
別発言、都政の私物化、公私混同、側近政治、恐怖政治のような教育現場など、石原都政
がもたらした数々の問題点を指摘しながら、その変革を必死になって願うメールや意見に
接するうちに、誰かがこういった都政を変革するために立ち上がらなければならないと思
うようになりました。
その誰かが私である必然性は感じられませんでしたが、二期目以降の石原都政の実態を
詳しく知るにつれ、私の心の中のコップに水が注がれて、徐々にその量を増し、いつかコ
ップからあふれ出すかの如き感じで、何かが変わったのです。今、ここで立ち上がり、石
原都政にストップをかけなければ、東京や都民にとってだけでなく、日本の政治にとって
も取り返しのつかないところまでいってしまう。そういった危機感を、私も共有するに至
りました。その危機感をしっかりと受け止めて、私は、今、都知事選挙に出馬することを
決意しました。
そういった決意をしたうえで、改めて東京都政を見直してみると、未来に向けてのいく
つかの課題が見えてきました。
国と地方との関係、地方分権をいかに進めていくか、私自身が深く考えました。東京都も
地方自治体です。その東京都が、地方分権を進めていく戦いの中で、必ずしも中心的役割
を果たしていないのではないかということは、最大限努力をしてきた中
でも、私が強く感じてきたことです。最大・最強の地方自治体である東京都が、本気で立
ち上がらなければなりません。他の自治体とともに、真の地方分権を進めていく体制の中
で、牽引車的な役割を果たす必要があります。知事として、私はその役割を果たすべき立
場を引き受けたいと考えました。
最近、国民の間で、政治に対する無力感が募り、政治家に対する不信感、嫌悪感も顕著
になっています。こういった風潮が蔓延していったら、日本はどうなるのでしょうか。現
在の東京都政に疑問を感じながら、問題意識を研ぎ澄ませている人たちが、東京以外の全
国各地にもいることを、今回、私に出馬を促す多数のメールなどから知りました。この国
の政治のありように関して、国民の間で閉塞感がどれだけ深まっているか、そして、その
突破口を求める人たちがいかに多いかを痛感しました。
「政治をあきらめるな」ということも、私を都知事選挙出馬へと突き動かした要因です。
政治に期待したって無駄だ、政治なんて国民には変えられない、選挙にはまったく興味な
い、誰が選ばれても同じだ、自分の一票では何も変わらないということを言う人も増えて
います。明日の天気は変えられませんが、明日の政治は変えられます。ここであきらめて
はいけないのです。
「地方自治は民主主義の学校」と慶應義塾大学の授業で言い続けてきました。学校なら、
まず入学し、行動すべきです。この都知事選挙を契機に、政治は信じられる、期待してい
いということを、都民みんなで確認する場にしたいと強く願っています。そのことを実証
するために、私はここに東京都知事選挙に出馬することを決意しました。
東京都知事選挙出馬の理由
2007/03/08
4
都政運営の基本姿勢
1. 東京から新しい風を起こす
東京都政を転換することにより、この国の政治への不信感を払拭する。それによっ
て、閉塞感に風穴を開けて、生き生きとした日本を蘇らせる。
2. 人と自然にやさしい首都を創る
都政の手法として、強制、管理、抑圧といった側面を強調するような手法とは決別
する。社会的に弱い立場にある人たちが、生きやすい環境を作り出す。
3. 透明性のある都政、風通しのよい都政にする
情報公開こそ、都政を貫く基本姿勢であるべきもの。政策立案の過程も外から見え
るようにし、都民、職員が積極的に参加する形の意思決定ができる体制に転換する。
4. 納税者のお金を大切に使う
都民から預かる税金について、都民にわかりやすい説明をしながら大切に使う。都
民に説明がつかないようなお金の使い方はしない。
5. 都民のために、誠心誠意、全力を尽くして働く都政を確立する
都職員全員が、「公僕」の名に値する仕事ぶりになるよう徹底する。それを率いる知
事本人は、全身全霊で都政に情熱を傾ける。
都政運営の基本姿勢
2007/03/08
5
政策の骨子
「誰もが誇りを持てる東京の実現を」
豊かなはずの東京で、いま都民が直面するのは大きな不安である。全国を上回るペース
で進む少子高齢化、経済や年金の先行きが不透明なままに広がる格差、近い将来必ずやっ
て来る大地震。高齢者や若者をはじめ多くの都民が、未来が見えない不安を胸に抱えてい
るが、こうした都民の不安を現在の都政は汲み取ることが出来ないでいる。
地方分権の実現についても、東京は全国自治体の牽引役を果たせていない。それどころ
か、これ見よがしに財政力を誇示する態度が、全国からの孤立化を招き、地方の反発を招
いている。
いま求められているのは、オリンピック招致の前に、財政に余力がある今の時期に、現
在の東京の未来に投資し、都民の不安を解消することである。また全国の自治体の先頭を
切って、地方分権の実現へ向けて真摯に努力することである。
私は、都政が都民のため、国民のために、持てる本来の力を十分に発揮できるよう、全
身全霊を尽くしたい。
大事な姿勢は、「日本のための東京」という視点を踏まえて都政を考えるということであ
る。「東京のための東京」という点だけが前面に出ることに対して向けられる批判的な目を
意識することが重要である。首都機能移転問題、東京にある銀行に対する外形標準課税、
ホテル税の新設などの議論の局面で、「東京だけが良ければいい」と受け取られかねない姿
勢が見られた。東京は単なる一都市ではない。都政の運営にあたっては、常に、「日本のた
めの東京」、さらには、「世界のための東京」という自己認識と気構えが基本になければな
らならない。
T 東京に安心を取り戻す
1. 震災の不安
東京に大地震は必ずやってくる。
震災で一人の犠牲者も出さない東京にする。その一方で、実際に大勢の人命が失わ
れる事態もあり得ることを念頭におけば、「大災害時代への発想の転換」も必要である。
災害対応に理解のある企業を巻き込んだ「災害メセナ」、大規模災害が実際に起きた際
のボディバッグの大量・安価・事前の調達準備など、これまで見過ごされてきた分野
への対応も急務である。
まず、緊急に取り組むべき課題として、以下のようなことから始める。
・ マンション耐震診断、補強、戸建助成
・ 危険な不適格建物への警鐘と対策支援
政策の骨子
2007/03/08
6
・ 危険度の高い地域の街づくりの徹底見直し
2. 高齢化への不安
東京の高齢化は地方より一拍遅れで急速に進行する。東京都の介護保険3 施設(特
別養護老人ホーム、老人保健施設、介護療養型医療施設)の人口当たりの定員数は全
国最低水準である。
グループホーム、在宅療養支援診療所での機能強化など地域で住み続けるための施
策を大幅に拡充するために緊急プランを作成する。
高齢化が進み、一人暮らしの多い東京では、地域での福祉医療対策と予防・検診の
充実が不可欠である。
地域福祉の一層の拡充のために現在の政策を総点検した上で、以下の施策を推進す
る。
・ グループホームなど地域福祉施設の大幅増設(緊急整備プランの策定)
・ ボランティアセンターの設立など、NPO やボランティアなど地域の多様な主体が
参加できるしくみづくり
3. 若者の不安
「改革」、「競争の自由化」のもたらしたもう一方の実態である格差拡大の中で、若
者を中心として東京の一般労働者と非正規雇用労働者の賃金格差は広がっている。
若者への就労支援策を拡充し、高齢者にはセーフティネット施策を整備する。
4. 地域の安全への不安
地域での連帯のきずなが崩れ、孤立する家族が多くなり幼い子どもたちへの犯罪を
防ぐことがむずかしくなっている。
地域の治安のよさを誇っていた東京も近年では犯罪の発生数が多くなってきた。
犯罪の発生にはさまざまな要因があるが、雇用不安や貧困、外国人の差別など社会
状況の不安定さが治安の不安をも呼び起こす。
治安の良い安定したまちを創っていくためには地域コミュニティのつながりが重要
で、またNPO はじめ積極的に様々な分野での活動を行う多様な地域の主体をネットワ
ークしていくなどの施策を展開する。地域のシニアの地域活動への参加を促進する。
団塊の世代を中心として、地域のシニアの地域活動への参加を促進する。
5. 環境の不安
地球温暖化問題をはじめ、環境問題への対策は待ったなしである。
「環境先進都市・東京」を目指し、世界の日本の環境問題への解決策を東京から発
信する。
政策の骨子
2007/03/08
7
U 東京で連帯を進める
1. 多摩・島嶼と23 区の連帯
多摩・島嶼と23 区との格差是正に向けて積極的に取り組む。
2. アジアとの連帯
多文化都市東京を目指す中で、まずアジアとの連帯・共生を進める。お金をかけた
イベント開催中心ではなく、具体的な都市施策における連携強化によって、世界への
貢献を図る方策が求められる。逆に、世界の各都市の先進的な取り組みの中から学ぶ
点も多いことを踏まえ、都市としての東京の魅力を高めるための方策を探る。
3. ふるさと(地方)との連帯
東京は、全国各地からの出身者の寄り集まりである。それぞれがふるさとを持って
いる。そのふるさとのために、東京として何が出来るか。「東京マーケット(仮称)」
などを拠点に、ふるさととの連帯を進める。
4. 障害を持つ人、持たない人との連帯
東京の地域の中では、障害者、高齢者、外国人などさまざまな人が混在して住み続
けている。障害者の地域生活の支援を進める。障害者差別撤廃条例の制定を目指す。
5. 中小企業、商店街との連帯
古くからものづくりを手がけ、基礎的な技術力を安定的に提供しているような中小
企業が、東京の産業力の重要な担い手である。こういった着実な仕事をしている中小
企業が、人材確保や、技術の継承の場面において、困難に直面している現実がある。
こういった分野での支援を強化していく必要がある。
一方、商店街は、地域のまちづくりにおいて重要な場である。商業だけでなく、様々
な地域施策の拠点となりうる。
こうしたがんばる中小企業や商店街、地域社会の取り組みを都政としても支援して
いく必要性を感じる。具体的な施策としては、以下のようなものがある。
・ 中小企業の労働力確保支援〜就労支援とのリンク
・ 技術確保支援 中小企業の基盤となるものづくり技術力の継承のため、個々の企
業だけでは困難な研修やリクルートなどを支援
・ 商業だけでなく、地域の福祉、まちづくり、ボランティア活動の拠点としての商
店街の役割支援
2007/03/08
8
V 東京の未来を切り開く
1. 歩くことが楽しくなる都市東京へ
ゆったりと歩きたくなる、魅力あふれる都市・東京をつくるために、街の安全を確
立し、身近な自然を大切にする街づくりを目指し「東京まちづくり百年プラン(仮称)」
を策定する。
具体的な課題として、当面考えられるのは、以下のような施策である。
・ 先進的な環境施策を大胆にすすめる 市民や企業への積極的支援も
・ 歩くことがたのしい街づくりの展開 安全、みどり、バスの復権、町の活気
・ 街のなかの身近な自然を大切にし、景観を重視した豊かな街づくりを展開する
・ 多摩や島嶼など比較的環境に恵まれている地域の特性を生かし、自然環境保全、
環境共生型の産業や住宅などの誘致を図る
2. 子どもが愛情に包まれて健やかに育つ東京へ
のびのびと学べる学校環境をつくることが、いじめ、不登校、学級崩壊を防ぐ道で
ある。スクール・カウンセラーの小学校への配備、少人数学級の導入、複数担任制度
の導入を進め、フリースクールへの支援を行う。自由な雰囲気が急速に消失しつつあ
る現在の東京の教育の現場に、再び、自由な、のびやかな空気を取り戻すことが、個
別のどんな施策よりも急務である。
親の就労形態の多様化に対応して、保育サービスの多様化を図る。地域や会社も含
めた子育て支援ネットワーク、会社での育児休業制度やデイケアの充実も図るべきで
ある。
3. 地方分権改革の先頭に立つ東京へ
全国の自治体と連携し、地方分権の確立に向けての改革において、その先頭に立っ
て推進する役割を確実に果たす。
4. 文化の花咲く東京へ
東京都交響楽団への助成の大幅削減など、東京都の文化予算はこの5 年間で16%削
減されている。
東京の文化を振興するために、東京都としてやるべきことをやる姿勢をとり戻す。
政策の骨子
2007/03/08
9
W 緊急提言
1. 石原都政のゆがみを正す
私物化・側近政治による都政のゆがみを直し、都政を正常化する
・ 情報公開制度の拡充で、都民の目による監視の制度化
・ 都民、NPO、企業市民や職員が積極的に参加できる民主的な体制づくり
・ 高額給与の特別秘書の廃止、交際費などの抜本的見直し
2. 「都民のための都庁プラン(仮称)」の策定と実行
・ 思いつき施策の点検、終息にむけてのプロセスの明示
・ 都政全体を総点検し、人と自然にやさしい首都づくりにむけて具体案を示す
3. オリンピック招致計画の見直し
2016 年のオリンピック招致にかける費用、人員、労力が多大なものになることを
考えれば、都政における数々の課題の中で、真に優先すべきものであるかどうかは、
慎重に考え直す必要がある。一部の人たちや団体の思い入れが先行しているように見
えるが、都政の他の課題山積の中で、オリンピック招致が、都民が真に望んでいる課
題なのかどうかを見極めつつ、判断していく必要がある。
最近のオリンピックにおいては、商業主義が際立っている側面が批判されつつある
など、オリンピック開催の意義が世界的レベルでも見直されつつある。その中で、2008
年の北京オリンピックはともかく、2012 年のロンドンオリンピックあたりでは、ど
のような情勢になるかも不透明である。9 月の正式申請まで時間はある。ここで、いっ
たん立ち止まり、基本に立ち返って考え直すべきものである。
2007/03/08
10
選挙についての基本姿勢
選挙は大事です。当選を目指す候補者にとって大事であるのはもちろんですが、選ぶ側
の都民にとっても、選挙はとても大きな意味を持っています。「選挙のありようが、その後
の知事任期のありようを決定づける」というのが、宮城県知事時代の私の実感なのですが、
今、自分が候補者となる都知事選挙を目前にして、その感を深めています。
いい知事になるためには、いい選挙をしなければならない。「いい選挙」とは、都民の一
人ひとりが関わっていける、行動していける選挙のことと考えています。「いい選挙」は、
それに関わった都民の意識と行動を変えます。結果の如何にかかわらず、関わった都民に
とっての大きな自信につながり、目減りのしない財産になります。こういった過程を経て
日本の政治風土が変わっていくことを確信しています。
こういった認識に立って、今回の「浅野の選挙」は次のような基本姿勢で臨みます。
浅野史郎を応援したい、支援したいと考えるすべての人、すべての団体が自由に参加で
きます。「一人ひとりの都民が主役の選挙」を名実ともに、実現します。
選挙事務所は設けますが、遊説日程の作成や選挙カーの運行管理など、候補者の行動に
関しての仕事が中心となります。したがって、選挙事務所から、「あれやれ、これやれ」と
いう指令は出しません。「裏選対」といったものは、一切設けませんので、そういうところ
から指令、指示がなされることもありません。
「百円カンパ」による寄付、選挙ポスター掲示の手伝いといったことへの協力は歓迎い
たします。「百円カンパ」については、これを集める箱の管理と、集まった寄付の事務所へ
の届けをしてもらう個人ないし団体も歓迎です。浅野への支援の輪を広げてもらうという
形の協力もあります。いずれにしても、こういった協力は、一糸乱れぬ指示・指令体制で
行われるのではなく、「勝手連」として関わってもらうことになります。浅野のシンボルカ
ラーである青を使った旗、ハンカチ、ネクタイ、スカーフなどを身につけたり、家の前に
飾ったり、車に装着したりすることによって、浅野への連帯を示すことも、協力の一つの
形です。
公職選挙法を厳正に守ること、選挙の運営について情報公開を徹底すること、最小限の
予算で選挙を終えること、「小さな選対、大きな人の輪」といった基本的な姿勢は、私が過
去に候補者として関わった宮城県知事選挙の場合と同様です。
今までの東京都知事選挙ではなかったような形の選挙を、今回の選挙でぜひ実現したい
と考えています。それによって、都民が変わります。政治が動きます。期待していてくだ
さい。
選挙についての基本姿勢
参考:
参考までに日本共産党案についても載せておきます。
負担増と格差社会に苦しむ都民のくらしを応援し、安心して働きくらせる東京をつくります。医療・介護・くらしへの応援で、安心できる老後を保障します。石原知事がこわした福祉をたてなおし、新たな福祉の第一歩を踏み出します。介護施設をととのえ、孤独死をなくします。生活保護の改善・拡充をはかります。がん・難病対策など医療対策の充実と都立病院の強化をめざします。障害者のいのちとくらしをまもります。安心して子育てできる環境をつくります。子どもの医療費を無料にします。出産費用・妊産婦検診を無料にし、妊産婦医療費無料化をスタートさせます。都立小児病院の廃止を中止し、安心できる医療体制をめざします。保育の充実、育児休業の保障の改善をはかります。学童保育・児童館を増やし、子どもの居場所づくりをすすめます。児童相談所を充実させるなど、親が相談に駆け込める場を増やします。雇用・賃金などの条件について、都独自のルールをつくり、働く人の仕事・くらしを守り、ワーキングプアをなくします。雇用対策室をつくり、労政事務所を復活させるなど、都の労働行政を強化します。若者の雇用と生活を応援する緊急対策をおこないます。ワーキングプアや無(低)年金者など生活保護基準以下の生活を余儀なくされている人の生活を応援します。労働、福祉、教育などすべての施策を男女平等の視点で見直し、女性と男性の平等を保障するために全力をつくします。公共料金の引き下げにつとめます。
家族の環境に応じた子どもたちの個性的な成長をはぐくむ教育に改革します。どの子にもゆきとどいた豊かな教育条件の整備を緊急にすすめます。子どもの豊かな成長と安全を守ります。「勝ち組」「負け組」にふるいわける競争主義教育をあらためます。夜間定時制高校をはじめ都立高校の統廃合をやめ、希望するすべての子どもの高校全員入学をめざします。障害児学校を増設し、教室不足の解消やスクールバスの増発などにとりくむとともに、小中学校の障害児教育への支援を拡充します。「日の丸・君が代」の強制や学校現場への干渉をきっぱりと改め、憲法にもとづいた教育行政を推進します。私学助成を拡充します。首都大学東京については、学生・教職員・都民の声をいかして、学問の自由と大学の自治を守り、教育・研究条件の改善・充実をはかります。
文化・スポーツ・社会教育行政を充実させます
スポーツ・文化予算を大幅に増やします。都立図書館の拡充をはかります。
中小企業を応援し、地域経済の活性化をすすめます。中小企業が地域経済の主役にふさわしい役割を発揮するよう支援をつよめます。中小企業振興条例をつくり、緊急実態調査をおこない、分野別、業種別の特別支援をおこないます。制度融資を抜本的に改善・拡充します。新銀行東京の成立理念はここにあり、実務的に改善します。モノづくりへの支援を拡充します。商店街を地域コミュニティの核として活性化させます。建設業など地元業者への仕事を増やします。
農業を基幹産業の一つとして位置づけ、都市農業の振興、林業・漁業への支援をします
緑と環境を優先し、災害につよい東京へ、都市政策を転換します
2016年のオリンピック招致計画を9月までに新しい東京都知事誕生によって新しい計画を作り直すと共に、スポーツ予算を拡充します。
水と緑、大気などの自然環境を改善し、環境優先の都市づくり。オフィスビルや自動車走行量の規制と誘導で、地球温暖化、ヒートアイランド現象をおさえます。「都民の台所」といわれる築地市場を、環境基準をはるかに超える有害物質で汚染されている豊洲地域へ移転させようとしている計画は即刻中止とします。
都市型災害から、都民のいのちと財産を守る緊急総合対策をすすめます
地震被害を最小限にするという予防の立場で、東京都の震災対策を抜本的に転換します。防災に不可欠な消防力を強化します。都営住宅の増設など、快適で住みよい住環境をととのえます。多摩・島しょ地域の格差解消をすすめます。世界から人々がつどい、にぎわう国際都市をめざします。
ただ働き残業の合法化をねらう労働法制改悪などをやめさせ、税金のムダづかいをやめて、くらし・福祉最優先の都政
石原知事の超豪華海外出張や税金を使った飲み食い、ワンダーサイトという都の文化事業を利用した知事の四男重用問題が明らかになり、「都政の私物化は許せない」という都民の批判の声がひろがっています。
住民に奉仕すべき地方自治体の長が、自分と身内には税金を惜しげもなく使う一方、寝たきり高齢者のための福祉手当や盲導犬のえさ代補助など数十万円単位のわずかな予算も、ばっさり削って平然としている。都政の私物化と税金のムダづかいを一掃し、なによりも都民の声を大事にする都政をつくる決意です。
くらし・福祉優先の都政に転換します。
税金の使い方は、くらし・福祉優先に使うべきです
石原知事は、「何が贅沢(ぜいたく)かといえば、まず福祉」と公言し、この間、福祉関係費を450億円も減らしました(99年〜05年度決算)。全国一の福祉の制度を次つぎ廃止・改悪し、「福祉後進都市」への道を歩みはじめました。中小企業予算は4割も削り、予算に占める比率は全国水準の半分に落ちこみました。こんなひどいことは都政史上初めてであり、全国でも石原知事だけです。「財政がきびしいから」というのが、切りすての理由でした。しかし、実際は、石原都政8年の都の税収は、見込みよりも3兆円以上も多かったのですから、福祉やくらしを切りすてる理由はなかったのです。
東京都の財政規模は12兆円、インドの国家予算に匹敵するほど巨大なものです。税金の使い方を切りかえれば、都民の切実な要求の多くは実現できます。「世界都市」というなら、なによりも都民のくらしの質の高さで世界に誇れる東京をつくる、これが私の信念です。
「憲法を破る」と公言する石原知事の身勝手な考え方が都政に持ちこまれて8年。いま都政のあらゆる分野で矛盾が吹き出しています。
石原知事は、国連憲章を否定し、女性や障害者、アジアの人々を蔑視する発言をくりかえし、都民の批判を受けました。石原知事が税金を1000億円もつぎこんではじめた「新銀行東京」は、中小企業に役に立たないばかりか、不良債権をかかえた都財政の新たな「負の遺産」になろうとしています。石原知事と都教育委員会による生徒と教師への「日の丸・君が代」の強制は、東京地裁からも「違憲・違法」という判決がくだされました。
都議会では、この石原都政を自民、公明、民主、ネットなどが支える状態が続いてきました。いま求められているのは、都政の根本的な改革ではないでしょうか。
私は、都民のみなさんと力をあわせて都政に憲法をいかし、国の悪政から都民のくらしと福祉を守るため、自治体本来の役割をとりもどすために全力をあげます。
都知事の海外出張や交際費のあり方を全面的に見直し、交際費の支出の全容をホームページで公開します。
トップダウンですすめたワンダーサイト事業の乱脈運営をただし、若手芸術家育成や都民の芸術活動を支援する事業を再構築します。
オリンピックの積立金や税収の増加分の使い方を転換し、くらし・福祉・環境・まちづくりなど都民本位の予算編成を大胆にすすめます。
新銀行東京は、金融庁の検査をうけ、都の1000億円の出資金と預金者の保護を前提に処理をすすめます。
史上最高の利益を上げている大企業の法人事業税の超過課税を制限税率まで引き上げるなど大企業への適正な課税を検討します。
石原知事はフリーターやニートを「ごくつぶし」「甘え」と言い放つなど、格差を正当化してきました。
都民のくらしをまもることこそ、都知事の役割だとの立場から、国にたいし、貧富の格差をひろげる間違った政策をやめて、ワーキングプアの解消をはじめ庶民のくらしをまもるよう強く働きかけていきます。格差社会が広がるなか、だれもが東京において健康で文化的な生活を営める都独自の基準をつくり、国にも責任を果たさせ、この基準を達成するための総合的な支援制度を確立します。
石原知事がこわした福祉をたてなおし、新たな福祉の第一歩を踏み出します
都独自の新たな医療費助成制度を創設します。都として、65歳から69歳の高齢者の医療費自己負担を2割におさえ(1割助成)、老人保健法改悪で来年4月から実施される予定の70歳以上の高齢者の医療費値上げを中止するよう政府に働きかけ、実施された場合は負担増にならないよう助成します。
誰もが、必要な介護を受けられることをめざし、介護保険料、利用料の減額免除の制度と寝たきり高齢者のための新たな福祉手当を月1万円からスタートします。
住民税課税者は1000円から一気に20510円にはねあがるシルバーパス制度は、3000円、5000円パスを導入するなど所得に応じた負担制度とし、多摩都市モノレールなども対象にします。
介護施設をととのえ、孤独死をなくします
介護予防のとりくみをつよめるとともに、要支援や軽度要介護高齢者の福祉用具、家事援助、通所介助などへの支援を充実します。4万人をこえる待機者解消をめざし、緊急計画をつくって特別養護老人ホームや老人保健施設などの整備を3倍化します。グループホームの家賃助成をおこないます。孤独死ゼロをめざし、区市町村や住民と協力し、「ひとりぐらし見守りネットワーク」づくりを支援します。
生活保護の改善・拡充をはかります
憲法25条にもとづく「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するため、国にたいし老齢者加算の復活、母子加算打ち切りの中止など生活保護の水準の拡充をつよく求めます。都独自の法外援護を拡充します。
がん・難病対策など医療対策の充実と都立病院の強化をめざします
緩和ケアなどのがん対策、脳卒中専用病床の整備、リハビリテーションの強化をすすめます。大気汚染による健康被害については、メーカー、国とともに、被害を受けたすべての人を対象に健康被害救済制度をつくります。ウイルス肝炎に対する医療費助成、難病医療費助成を拡充します。都立病院や福祉施設の統廃合をやめ、都立看護学校を拡充し、看護師の確保をめざします。
安心して子育てできる環境をつくります
女性が一生に生む子どもの数をあらわす合計特殊出生率は、1.00と全国の1.26を大きく下まわり、東京の少子化問題はとりわけ深刻です。しかし、東京の子育て条件は石原知事のもとでは改善されないばかりか、廃止された母子保健院につづき都立小児病院3院(清瀬、八王子、梅が丘)の廃止計画がすすみ、私立保育園への補助が削られ、経験豊富なベテラン保育士の削減など保育の質の低下がすすんでいます。石原知事は認可保育所には「金がかかる」と言って背をむけているのです。
次世代育成支援計画は「子どもの権利条約」を実行する立場で抜本的に見直し、子どもの医療費助成の拡充をはじめ東京を「子育て安心都市」にしていきます。
子どもの医療費を無料にします
「安心して子どもを医者にかからせたい」これは都民共通の願いです。そのために、中学3年生までのすべての子どもの医療費を所得制限なしで無料化します。
出産費用・妊産婦検診を無料にし、妊産婦医療費無料化をスタートさせます
都立小児病院の廃止を中止し、安心できる医療体制をめざします
都立小児病院の廃止計画を撤回します。地域ごとに24時間、365日対応できる小児救急病院を確保します。不足している小児科・産科などの医師の育成・確保対策を強化します。妊娠後期から新生児早期まで総合的な医療体制を備えた周産期医療センターを増やし、産科医療や助産師外来への支援をおこないます。
保育の充実、育児休業の保障の改善をはかります
認可保育園への補助を大幅に引き上げて、新増設と保育水準の向上、延長保育や産休明け保育を充実する緊急5ヵ年計画をつくり、待機児ゼロをめざします。私立幼稚園の保護者負担を大幅に引き下げます。認定こども園は、認可保育所と認可幼稚園の基準を満たした基準にします。
育児・看護休業や妊娠・出産による不利益な取り扱いの禁止などについて、都の基準をつくり、企業に遵守を働きかけます。中小企業には必要な助成をおこないます。気軽に子育て相談ができる窓口をたくさんつくります。
学童保育・児童館を増やし、子どもの居場所づくりをすすめます
◇児童相談所を充実させるなど、親が相談に駆け込める場をふやします
雇用・賃金などの条件について、都独自の「東京ルール」をつくり、働く人の仕事・くらしを守り、ワーキングプアをなくします
ワーキングプアの原因になっている時給719円という低すぎる東京の最低賃金を大幅に引き上げ、国と巨額の利益を上げている大企業にリストラ規制などを強力に働きかけます。残業代をゼロにし、労働者を過労死・過労自殺に追いこむ「ホワイトカラー・エグゼンプション」などの労働法制の規制緩和に反対します。
雇用対策室をつくり、労政事務所を復活させるなど、都の労働行政を強化します
最低賃金の引き上げ、不当な解雇、異動などの規制、非正規雇用に対する差別や男女差別の是正を企業に働きかけます。都の公共事業の一部が「安かろう、悪かろう」で安全性や品質の悪化、劣悪な労働条件の原因になっています。すでに他県で実施されている派遣労働、偽装請負などの実態調査をおこない、是正にとりくみます。異常な低入札を改善し、下請け、労働者の適正な単価、賃金などを保障するために公契約条例をつくります。
若者の雇用と生活を応援する緊急対策をおこないます
教員、消防隊員、看護師をはじめ都職員を積極的に採用し、とりわけ若者雇用の拡大に努めます。若者を採用した中小企業に助成をおこないます。都が採用するアルバイト、派遣職員などの賃金、待遇を大幅に引き上げます。若者に「ポケット労働法」を無料で普及します。若者への家賃助成や都営住宅建設をおこないます。
ワーキングプアや無(低)年金者など生活保護基準以下の生活を余儀なくされている人の生活を応援します
ワーキングプアなど、生活保護基準以下の収入を余儀なくされている人の中で、とくに困難な人に、月1万円の「緊急生活応援手当」を支給します。
労働、福祉、教育などすべての施策を男女平等の視点で見直し、女性と男性の平等を保障するために全力をつくします
女性副知事の実現をはじめ、都の行政委員会、審議会への女性の参加機会を増やし、意思決定への参加を積極的にすすめます。
公共料金の引き下げにつとめます
都立の大学、高専、高校などの授業料を2割程度引き下げ、上下水道料金の引き下げや減免制度の拡充など公共料金の引き下げにとりくみます。看護学校の授業料を大幅に引き下げます。
子どもたちのすこやかな成長をはぐくむ教育に改革します
石原知事のもとで、東京の教育は、教育基本法の改悪を先取りして大きくゆがめられています。30人学級の実現など全国でおこなわれている教育条件整備を拒否するだけではなく、学校と教育の格差をひろげる競争主義教育をあおり、夜間定時制高校をはじめ都立高校を減らすなど教育条件を悪化させています。その一方、やってはならない「日の丸・君が代」の強制など学校への干渉をすすめています。
どの子にもゆきとどいた豊かな教育条件の整備を緊急にすすめます
緊急に30人学級を実施し、子どもの豊かな成長と安全をまもります
すべての子どもの基礎学力を保障するためにも、いじめ自殺や不登校をなくすためにも、30人学級を緊急に実施します。スクールカウンセラーのすべての学校への配置・充実など、「心のケア」対策をすすめます。校舎の耐震化を支援します。
学校間格差を広げる「一斉学力テスト」と、その結果の公表は中止します。子どもの心を傷つける習熟度別授業の強制はやめさせます。
◇夜間定時制高校をはじめ都立高校の統廃合をやめ、希望するすべての子どもの高校全員入学をめざします
学校間格差をなくし、子どもたちが身近な地域で学べることができるようにします。
◇障害児学校を増設し、教室不足の解消やスクールバスの増発などにとりくむとともに、小中学校の障害児教育への支援を拡充します
◇「日の丸・君が代」の強制や学校現場への干渉をきっぱりと改め、憲法にもとづいた教育行政を推進します
「日の丸・君が代」の強制を「違憲・違法」と断じた東京地裁判決を受け入れ、控訴を取り下げます。子ども中心の入学式・卒業式を大切にします。命令と管理至上主義の教育をあらため、子どもを中心にした教職員・保護者・住民、の共同・協力と自主的な学校づくりを支援します。学校の教育と運営に介入している都立学校経営支援センターは、廃止します。
◇私学助成を拡充します
◇首都大学東京については、学生・教職員・都民の声をいかして、学問の自由と大学の自治を守り、教育・研究条件の改善・充実をはかります
(2)文化・スポーツ・社会教育行政を充実させます
◇スポーツ・文化予算を大幅に増やします
イベント中心のスポーツ行政ではなく、公立スポーツ施設の全国最低の設置率を脱却するため、都民が気軽に使える低料金のスポーツ施設を増やします。老朽化した施設を建て替えるため市町村を支援します。
多様な文化・芸術活動への支援を強化します。
◇都立図書館の拡充をはかります
蔵書の廃棄処分を中止し、1タイトル2点購入にもどします。区市町村の図書館への協力貸し出しをもとにもどし、連携と支援を強めます。
4.中小企業を応援し、地域経済の活性化をすすめます
石原知事がすすめる「世界都市東京」構想のもとで、東京の産業構造は、金融、サービスなどの集積がつよまる一方、製造業や地域小売業などが衰退するという2極構造化がすすんでいます。しかし、石原知事のもとで、中小企業予算は4割も減らされ、ほとんどの中小企業対策は、大幅に後退させられてきました。私は、工業、商業、建設業など中小企業対策をつよめ、農林漁業などとともに、総合的な経済発展の道をめざします。
(1)中小企業が地域経済の主役にふさわしい役割を発揮するよう支援をつよめます
◇中小企業振興条例をつくり、緊急実態調査をおこない、分野別、業種別の特別支援をおこないます
制度融資を抜本的に改善・拡充します
制度融資は、融資限度額を引き上げるとともに、使いやすいメニューに拡充し、1.5%程度の低利におさえます。借り換え融資は、民間からの債務もふくめ対象とするなど拡充します。
◇モノづくりへの支援を拡充します
機械金属、印刷・製本、アパレルなどの集積した工業地域を地場産業と位置づけ、活性化事業をすすめます。中小企業や商店街・個人経営者の相談にのれる体制と機能を強化するために、商工指導所を再開します。産業技術研究センターは直営とし、拡充をはかります。
商店街を地域コミュニティの核として活性化させます
地域商店街は、大型店や駅中店などの出店ラッシュ、消費税課税の強化などに苦しんでおり、大型店・チェーン店などの規制をつよめ、商店(会)への支援を拡充します。ショッピングセンターや量販店、大型店、駅中店の身勝手な出店・閉店をおさえ、商店街に協力させる「大型店規制東京ルール」をつくります。
「新・元気出せ!商店街事業」を拡充するとともに、区市町村が策定した振興プランを支援するしくみをつくり、空き店舗の活用、駐車場設置、共同宅配などへの助成、支援をつよめます。
「輝け個店事業」を復活・拡充し、店のレベルアップや業種転換を支援します。
新規事業のたちあげなどへの創業支援をつよめます。
◇建設業など地元業者への仕事を増やします
公共事業を福祉施設の建設をはじめ都営住宅や公園、歩道整備など生活密着型に転換します。住宅の耐震工事助成や1戸10万円のバリアフリー化助成などで町場の仕事をふやします。東京都の公共事業への中小企業の入札の参加を拡充し、下請けや建設労働者へのコスト、賃金の不当な切り下げをおさえます。
(2)農業を基幹産業の一つとして位置づけ、都市農業の振興、林業・漁業への支援をつよめます
5.緑と環境を優先し、災害につよい東京へ、都市政策を転換します
石原知事の都市政策は、超高層ビルを乱立させ高速道路網を幾重にもはりめぐらせる、超過密、経済効率至上の東京づくりです。このため、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の発生量は減るどころか、ふえつづける一方です。また、住宅やマンションの耐震・不燃化、総合治水対策など防災対策はきわめて不十分で取り残され、なおざりにされています。
東京とりわけ都心への過度の集中をおさえ、環境に優しく、都民が安全・快適にくらせる街づくりを最優先した都市づくりにかじを切りかえます。
競技施設の整備などに1兆円以上の資金がかかるだけでなく、オリンピックをテコにして、首都圏中央連絡道、外郭環状道路、首都高速中央環状品川線のほか、羽田・築地間のトンネル道路や臨海部の広域幹線道路などの7兆円を超える基盤整備事業を、一気に完成しようという計画だからです。また、地震にもっとも弱いと言われる臨海部地域に競技施設を集中させることは、防災上きわめて危険であり、無謀だからです。
液状化対策が必要です。
スポーツ予算を拡充します
都民のくらし応援、都民が気軽につかえるスポーツ施設の充実をします
水と緑、大気などの自然環境を改善し、環境優先の都市づくりをめざします
ヒートアイランド現象や集中豪雨対策、地球温暖化対策はまったなしです。ところが、
石原知事は、ディーゼル規制にとりくんだものの、超高層ビルや幹線道路建設の推進でヒートアイランド現象を激化させ、地球温暖化の原因である二酸化炭素は減らすどころか24%も増やすありさまです。
都市の成長を管理する方向に切りかえ、再生可能エネルギーの活用を促進します。立ち遅れている都市計画公園の整備、市街地の緑地保全と植栽の推進、里山の保全などを抜本的につよめます。
道路の右折レーン、鉄道との立体化、公共交通と水上交通の整備などを優先させた交通政策をすすめます。町なみや景観に配慮した修復型まちづくりを重視するとともに、緑の宝庫である高尾山の自然を守ります。
「都民の台所」といわれる築地市場を、環境基準をはるかに超える有害物質で汚染されている豊洲地域へ移転させようとしている計画は見直します
緊急総合対策
地震被害を最小限にするという予防の立場で、東京都の震災対策を抜本的に転換します
東京直下型地震の発生の確率は、10年以内に30%、30年以内に70%と予想されています。震災対策はまったなしの緊急対策が求められています。
耐震診断をおこない、毎年1万戸の木造住宅耐震化をすすめます(上限1戸75万円助成)。マンションの耐震助成をすすめ、低利の融資をおこないます。長周期地震動対策、大規模複合施設、地下鉄、地下街、臨海部埋め立て地対策、帰宅困難者対策などを確立します。
◇防災に不可欠な消防力を強化します
ハイパーレスキュー隊の増強、消防団の施設や処遇の改善など消防体制を強化します。雨水浸透対策、河川改修の抜本的強化など、集中豪雨にそなえます。
都営住宅に50倍以上の応募が殺到しているのに、石原都政は都営住宅の新規建設は8年間ゼロでした。都営住宅を1年に1000戸増やすことからスタートし、大幅な新規建設をすすめます。高齢者、障害者にとどまらず青年や若年ファミリー向けの都営住宅を計画的にふやします。都営住宅の家族への使用承継制度を存続し、家賃の減免制度を拡充します。都民住宅・公社住宅の市場家賃制度をやめ、高い家賃を引き下げます。民間賃貸住宅の高齢者、青年、若年ファミリーへの家賃助成制度をつくります。
23区と多摩・島しょ地域の税収には大きな格差があり、それが子どもの医療費助成や学校の耐震対策など都民サービス水準の格差につながっています。
都民がどこでも一定水準の文化的生活をおくれるよう振興計画をつくり、財政力の弱い多摩・島しょ地域への援助をつよめ、福祉や医療、くらし、教育、消防、交通網などの23区との格差を解消します。多摩地域の文化・スポーツ施設の整備を支援します。多摩・島しょ地域の観光対策と産業を応援し、三宅島の噴火災害の復興支援を強化します。
平和な都市東京をめざします
石原知事の「私はあの憲法認めません」「命がけで憲法を破る」などという発言は、それだけで知事の資格がないと言わなければなりません。憲法改悪に断固反対し、憲法を守り都政にいかします。
建設計画が中止された「東京都平和祈念館」(仮称)はすみやかに建設をすすめ、都民がとりくむ平和事業への支援をおこないます。
米軍基地の強化や永久化に反対し、早期撤去を求めます
戦後60年以上たつのに、3500万人という密集した人口をかかえる首都圏に、いまなお横田、横須賀などの米軍基地があることは異常です。韓国でもドイツでも、世界の流れは米軍基地の縮小・撤去です。横田など米軍基地の早期撤去に全力をあげます。政府の米軍と自衛隊による共用化であれ、石原知事の米軍と自衛隊、民間機の共用化であれ、基地機能の計画にも反対します。
アジアと世界から人々がつどい、にぎわう国際都市をめざします
東京は36万人を超える外国人が登録され、都心3区の人口を超える人々が住んでいます。様々な国の人々がつどい、多様な文化が交流する都市をめざします。
まだ手稿の段階であり、手稿の原稿用紙を別人が打っているので、打ち間違い等は連絡下さい。戦後生まれは
戦前の
西田哲学も
226事件も
515事件も
右翼思想も
南京虐殺も
沖縄自決も
ゼロ戦の特攻隊も
原爆投下も
事実としてではなく
歴史としてしか
認識し得ないのであろうか
では東西冷戦後の
政治は
経済は
どのようになるであろうか
哲学は貧困となり
科学が
進んでいる
宗教も
進んでいる
社会は
一姫二太郎
や
一人っ子が
多くなって
その様な
集団となってきた
したがって
精神とは
人間とは
人間の精神とは
人間の学とは
何であるのかの
正しい定義が
なければ
生きていけません
社会的には
一姫二太郎
一人っ子が
家族を代表して
集団を形成し
家族を破壊せよという
考え方には
反抗するでしょう
そこに
宗教と
倫理と
道徳と
自然科学と
社会の人間関係の科学と
をどのように
発展させるのか
今後の
テーマ
である
参考までに載せておきます。これから4回は推敲が必要でしょう。
山口節生の論文
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サンプルHTML
山口節生の論文
政治と法における自由・正義の観念−−ヘッフェの政治的正義論ーー
The Concept of Freedom and Justice in Politics and Law----Otfried Hoffe's
Political Justice-----
山口節生
序論
ヘッフェはまだ若い学者で一九四三年生まれである。若い世代の学者である故に分析哲学的な側面と、実践的な側面とを併せ持っている。その文章は多くの論点が整理されている。哲学と、倫理学の見地から国家と法に関する政治哲学を『政治的正義』という書物の中で簡潔に再構成している。彼の論点は自由、法、規範、倫理、国家、契約、自由の相互放棄などである。彼が生れたのは第二次世界大戦の末期に当たり、当然に戦争を実際には体験したことのない世代である。その時代の人間の誰かがヒットラーの第三帝国の法と、国家が明白に正義をもっていなかったと考えていたとした場合に、どのように歴史の史実に対応すべきであろうか。現在はこの難問を考察する学問的な確固とした方法論が定まっている訳ではないといいうる。ヘッフェは学問的に第三帝国の問題を政治学上で取り扱う場合には、政治的正義の概念によって考察をしなければならないと考えたというように解釈できるのである。どのような倫理によって悪法や、悪い政治は倫理的に排斥することが出来るかを真剣に考察し、倫理的に第三帝国が行った行為を禁止出来るような政治的正義が、実定法を超えたところに存在するはずであると考えて考察を進めたのであるといえる。政治哲学のなかの正義に関する部門は若い世代にとっては馴染みの薄い部門である。法哲学のなかの正義に関する部門も同様である。ヘッフェの正義に関する議論はこの政治的正義の分野における若い世代の新しい学問的業績として参考になると考えられる。この分野は法哲学の分野と政治哲学の分野とが交差する分野である。「悪法は法か」という議論は法哲学に属し、「悪政は政治か」という議論は政治哲学の分野に属する。
ヘッフェの議論は正義の議論を見直しを行うというものである。古典古代においてはプラトン、アリストテレス、更に中世のアウグスティヌス、トーマス・アクィナス、ウィリアム・オッカムを、さらにルネッサンス以降近世から近現代においてはホッブス、スピノザ、ロック、ルソー、カント、ヘーゲル、マルクスの法思想や、国家思想から、十九世紀の歴史法学派、グスタフ・ラートブルフ、ハンス・ケルゼン、H・L・A・ハート、ベンサム、分析法哲学までを視野に入れて法哲学と政治哲学の見直しを行っている。これを政治的正義に関する議論と名付けて考察を進め、『政治的正義』という題名の論文を一九八七年に発表した。政治的正義に関する論文であるので題名として『政治的正義』とし、副題に「法と国家に関する批判哲学の基礎づけ」とした。この論文によって政治学に倫理学の立場からの挑戦を行っている。
この論文のなかの特に正義と自由に関する部分を取り上げて論ずることとする。原書は、Hoffe,Otfried,Politische
Gerechtigkeit: Grundlegung einer kritischen Philosophie von Recht und Staat,
Shurkamp,1987であるが、最近和訳書、オットフリート・ヘッフェ『政治的正義』北尾宏之・平石隆敏・望月俊孝和和訳(東京:法政大学出版局、一九九四年)が出版された。原書と自分の和訳と和訳書は照合を行い、自分の和訳との整合性を確かめ意味が同じであっても、自分の和訳によっている場合がある。その他の外国語の論文についても原書と照合の結果、自分の和訳によっている場合がある。その他の引用についても原書のあるものについては原書に当たり照合作業を行い自分の和訳を採用した場合がある。引用文献、参考文献には古典古代の論文をはじめギリシャ語、ラテン語の書物が多い。英語訳本や、日本語訳本があるが原典がラテン語、ギリシャ語のものはラテン語、ギリシャ語の原典に当たりチェックした。書物名の後には訳者名を記す場合和訳の場合訳者名+和訳と記した。
第一節 法実証主義と、国家実証主義に対する批判
ヘッフェ自身が生れたドイツでは第三帝国があったという歴史がある。史実として確定されている第三帝国を明白に正義がなかった国家であるとヘッフェは考えていると考えられる。明白に正義のない国家という概念を、倫理学的に、政治倫理的にどのように理論化できるのかという問題にヘッフェは立ち向かおうとする。ヘッフェが第三帝国に直接言及している部分は少ないが、悪政や、悪法を主に念頭に置いているという点で、『政治的正義』の全編にわたって第三帝国への反省が私には見え隠れする。従って彼の根本的な関心はそこにあると考えることが出来る。「『不適切な法』としてひどく耐え難く正義と矛盾しているならば、国家の法律も正義に席を譲り渡さなければならないと考え、そのような法は効力がない」(1)と主張したのはラートブルフである。このラートブルフの定式はドイツの連邦最高裁判所や、連邦憲法裁判所の多くの原則決定において取り上げられている。正義の理念を実定法に優先させるというラ−トブルフのこの古典的な定式を法律道徳主義とヘッフェは呼んでいる。第三帝国の明白に不正な国家の史実は、ヘッフェにとっても私を含め我々戦後世代にとっても歴史的な過去の歴史の記憶ではある。しかしその衝撃は大きく、現在の法学や政治学に対して大きな影響を与えていると考えられる。この衝撃が戦前の政治学に対しても戦前の法学に対しても思考の大革新を迫っているといいうる。ヒットラーの第三帝国の史実は非常に脅迫的な観念として若い世代に政治についての学問の革新を迫っている。この問題は、若い世代が解決しなければならない政治倫理上の課題である。特に戦前生まれの人々とは違って、第三帝国に住んだことのないヘッフェにとっては観念的に重要な歴史的な難問であり、解明すべき過去である。史実とはいっても伝承された史実ではあり、実際には経験したことのない、歴史的な史実であったと考えることが出来る。一般には歴史的な史実は個人とは全く関係のない事実である。ところが民族の歴史的な事実であっても、人は自らのこととして心配をすることが出来る。自分の前の世代の事件であって、自分が直接に経験したことがない事件についても自分のことのように心配し、そのような事件が二度と起こらないように政治的、倫理的に考察することが人間は出来るのである。ところが愛国心は各人にあるのであろうか、ドイツ人であるヘッフェは自分の祖国(母国)に対する忠誠心からか、イギリスのバ−リンのように全体主義を即座に積極的自由として否定したりせずに、また第三帝国はあまりに理想主義的であったのだというように単純に分析することはなかった。バーリンは「二つの自由」の論文の中で理想主義的自由が他人に向かった時に他人に干渉し過ぎるようになるといい、その時の自由を積極的自由と名付けた。これに対して観念的な理想主義の側からの干渉を排除する経験主義的な自由を消極的自由とよんでいる。ヘッフェの研究は深く、哲学的であり、倫理的である。倫理的に不正なという概念を定義していくという方法をとる。ヘッフェは同じく第二次世界大戦後の自由や正義を研究するに当たりバーリンの理論を採用し、バーリンの研究を行う道を選ばなかった。ヘッフェの研究は超実定法的な倫理を研究する。そのような研究態度であったから以上のような立場のバーリンの説を採用することにはならなかった。バ−リンのいう積極的自由は同じ自由という名によって研究するにしても、ヘッフェの自由のとらえかたによれば、次のような表現になったと考えられる。ヘッフェが分析すれば自由の相互放棄のうちでも、干渉し過ぎることによってあまりに多くの自由を相手に放棄するように要求し、そのかわりに自分があまりに多くの自由を手に入れたり、自分のわがままが通るように相手に必要以上に多くの自由を放棄させるために干渉し、要求するということと解釈することができると分析するかもしれない。自由の相互放棄の理論をヘッフェは採用したのであるからである。また便乗者のジレンマの概念も採用したからである。
自由を相互放棄する段階で、自由を相互放棄する必要が倫理的にはないとされ、自由を放棄せずに残った部分は法や倫理の関与しない自由の部分であるという理論になる。バーリンのようにあらかじめ干渉されるべきではない自由を設定しておくという作業をすることはなく、最後に残った部分のみが自由として解放されるという研究姿勢を取った。相手に干渉している自我の特徴を分析したのはバ−リンである。ヘッフェであればそのような自我は倫理的に正しい自我であるのかどうかという分析になったのかもしれない。他人に干渉するのが倫理的に正しくないと認められれば干渉すべきではないという倫理が決定され、その結果として自由の範囲が決定されることになる。バ−リンは経験的な自我を優先するのであるが、ヘッフェは倫理的な自我を確立しようと努めているのである。もちろんヘッフェも支配からの自由を求める理想主義としてのアナーキズムに対しては論駁し排斥する。しかしその排斥は積極的自由があるからではなくて、支配には正当性があり、支配や強制権限には正当性があるからである。バ−リンの理論を一目見たものはドイツ人でも日本人でも誰でも、その理論が積極的と、消極的という言葉を使うだけで現実を把握していることに驚愕するであろう。ドイツ人であり、祖国ドイツを思っており、かつ、第三帝国が明白に不正な国家であると思っているものであるならば更に驚愕することであろう。それにもかかわらずバーリンの理論をヘッフェは全く採用せずに、第三帝国を不正な国家であるといえるような倫理的な国家理論を作り上げうるような政治倫理学はどのような理論付けを行うべきであろうかと論を進めることになる。
第三帝国は第三帝国内部では多くの人に仕事を公平に分配し、多くの失業者に多くの仕事をもたらしたかもしれないし、ひょっとしたら配分的正義は全く完全に確保されていて、それ故に選挙でヒットラ−は選出されていたという仮説が正しいと証明された場合にはどのような形で不正な国家と倫理学的に説明できるのであろうか。そのような問題にヘッフェは立ち向かうのである。第三帝国を賛美する側はそのような理論を持ち出す可能性があるからこのようなことも想定する必要があるのである。従って政治的正義について綿密に論を展開しているのである。正義の概念が、法感情や正義の感情とよばれるものであってはならないとヘッフェはいう。感情とは倫理学のように学問としてとらえられるものではないものを指していると考えられる。そこで正義を政治的正義として倫理的に理論化しようと試みたのである。感情的にではなくて、学問として政治的正義を批判し基礎付けようという試みがヘッフェの試みである。従ってヘッフェは第三帝国の事例のみではなくて、アウグスティヌスが海賊や盗賊の集団が政治的な正義を持っているのかと問う時の集団の政治的正義についても述べるし、人間が行為の自由を持っているが故に、潜在的な戦争状態の可能性があるというホッブス以来の政治学の課題についても、人間が人間に対して敵とはならないような世界や、社会契約を行って作った政府が狼にならないような世界についても考察することになる。自由については「行為の自由と暴力や殺害の可能性」をどのようにして回避するのかなどのあらゆる場合を想定して倫理学的に国家と法の倫理の必要性を考察しようとするのである。第三帝国の問題は非常に難しい問題である。バーリンのように理論化するのと、ヘッフェのように理論化するのとの違いはどこに存在するのであろうか。(Hoffe,Otfried,Politische
Gerechtigkeit: Grundlegung einer kritischen Philosophie von Recht und Staat,
Shurkamp,1987.S.125.)
平等や、人権や、公民権という伝統、特に平等の原理は、正義の原理になることは可能である。しかし実定法的な意味での正義の原理なのであって、超実定的な正義原理なのではない。超実定法的な正義原理を考慮するためには単純に妥当であるといえるような正義原理を学問的に考察しければならないとヘッフェは主張するのである。実定法的な意味での正義原理は法感情とか正義感情とかいうようなものに近い。つまり「同じ法を共有する人及び法的共同社会の法的確信にすでにはいりこんでいる」正義原理をラ−トブルフは法律を超える法という言葉でいっていることになる。一方ではこのような意味での正義の原理を実定法に優先させることをハ−トやケルゼンのような法実証主義者は排除している。だからなおさら超実定法的な正義の原理を採用することを法実証主義者は拒否していることになる。それに対抗して法実証主義と、国家実証主義を批判することによりヘッフェは超実定法的な正義の原理を追求しようとするのである。それは第三帝国のどの部分が正義に反していたのかを知るための一つの方法でもあると主張していると考えられる。自然法とか、人倫とか、永遠不変の正義原理とか、おそらくは神の善とでも言いうるような超実定法的な正義の観念をヘッフェは求めようとするのである。
ヘッフェが超実定法的な正義の原理とよぶものは実定法的な正義原理のように「同じ法を共有する人及び法的共同社会の法的確信にすでにはいりこんでいる」ような正義の原理ではなくて、そのような人が正義の原理とは認めなくても正義の原理であるべき正義原理であろうと考えられる。第三帝国の明白に不正な国家を念頭においていると考えられる。つまり人々の間に第三帝国は受け入れられていたのではあるが、明白に不正な国家であったということをどのように法と国家の倫理から明白に不正であるという判断が下せるのかという問題を念頭においていると考えられる。第三帝国の史実を考察することにより問われている正義の原理である。明白に不正な実定法は、国家と法の倫理からはどのようにして判定出来るのかという問題であると見ることができるのであろう。
アウグスティヌスの「正義を欠いた国家、それは大盗賊団でなくしていったい何であろうか(Remota
iustitia, quid sunt regna nisi magna latrocinia?) 」というアウグスティヌスの著した『神の国』第四巻第四章における問い(アウグスティヌス『神の国』泉治典・原正幸和訳(東京:教文館、一九八九年)「アウグスティヌス著作集11」p.246.'Remota
itaque iustitia quid sunt regna nisi magna latrocinia?'Sancti Avrelii Avgvstini,"De
civitate dei",Avrelii Avgvstini Opera Pars XIV,1(14-1),XIV,2(14-2),Corpvs
Christianorvm Serie Latina XLVII,XLVIII,Libri I-X,Libri XI-XXII,(Tvrnholti
Typographi Brepols Editores Pontificii,1970)IV,cap.IV,p.101.)に対しては大盗賊団であるのだから国家ではないと答えるべきであろうか。その答えに対する理由付けがヘッフェにとっては大切であるということになる。単にバーリンの理論では満足していないのである。ケルゼンやハートのような法実証主義者でさえもこの問いを引用し答えようとしている。第三帝国は国家であったかの問いに対しては、定義の仕方によっては国家ではあったということになる。国家ではあったが、不正な国家であり、劣悪な国家であったと答えることは一つの答え方である。答える方法の差異は倫理と、意味論の問題である。しかし国家という事象そのものの問題でもありうるとヘッフェは解釈している。一般には大盗賊団は国家ではないのであるから、定義によっては国家ではないということになろう。この問題に対する答えはある意味では定義の問題であり、いわゆる意味論の問題である。しかし国家ではないという答えは意味論を超えて、現実の国家という事象を倫理的に判断しているのだという判断をヘッフェは行うのである。
ヘッフェは法や国家の規範となる原理が正義であるという意味と、定義によって答える第一の場合と、法や国家を構成し、定義する原理が正義であるという意味と、定義によって答える第二の場合との二つの場合があり、第一の場合には正義を欠いた法や国家も法や国家であるといいうるが、第二の場合には「正義との関連を何も示さないような社会的強制は、単に倫理的に批判すべきというだけではなく、そのうえ法としての性格ももたないことになろう」(Hoffe,a.a.o.,S.128.)という。ヘッフェはこのように表現し、国家の本質が正義であれば不正な国家は国家ではなく、国家の属性が正義であれば不正な国家も国家であるということを述べていると考えられる。正義という言葉をどのように定義し、どのような意味をもたせるのかという問題であると同時に、政治的正義が国家にとって本質か、属性かという政治の本質の判断の問題であると考えていると思われる。ラ−トブルフやハ−トの論争が法の概念を定義するにあたってこのように正義という概念を定義と、意味論的に考慮している訳ではないとヘッフェは言う。従って今後正義という概念が法や国家の概念のどこまで及んでいるのかを論じていくべきであるとヘッフェは強調するのである。政治学においてはルネッサンスの時期にマキャベリーが説いた近代的な国家像が、倫理的に正当であったのかどうかという問題が存在する。一方ではマキャベリー主義と呼んでマキャベリーが描いた現実の政治を倫理的ではないと批判する書物も出版されてきた。この問題は政治の現実と倫理の問題として解決されずに現在まで残されている。一方ではアウグスティヌスの『神の国』における大盗賊団の問題から始まる倫理的な探究は、かえってマキャベリーの描写した国家よりも現在必要な倫理的な国家観を追求していたのではないかという現代政治学における逆説も解かなくてはならない。中世の国家や法の方が余程倫理的なものではなかったのかという視点が、現代政治学に欠けているものを中世の政治が持っていたのではないか、政治学は発達し損なったのではないのかという政治学上の逆説も提出されうることになるし、アリストテレスの説いた善という概念の方がより倫理的ではなかったのか、従って現在必要な政治学はパワー・ポリティックスによる現実政治学ではなくて倫理的な政治学であるのではないか、政治学はアリストテレスの古典古代の政治学をもう一度見直すべきではないのかという逆説も提出されることになる(2)。これらに立ち向かおうとするのがヘッフェの政治的正義の解明への試みである。
アウグスティヌスが『自由意思論』第一巻第五章において述べた「正しくなかったものは決して法律であるとは思われない(Non
videtur esse lex quae iusta non fuerit) 」(アウグスティヌス『自由意志論』泉治典・原正幸和訳(東京:教文館、一九八九年)「アウグスティヌス著作集3」p.32.Sancti
Avrelii Avgvstini,"De Libero Arbitrio",Avrelii Avgvstini Opera
Pars II 2,Corpvs Christianorvm Serie Latina XXIX,(Tvrnholti Typographi Brepols
Editores Pontificii,1970.)p.217.)という言葉はトマス・アクィナスも取り上げており、倫理的に悪しき法律(1ex
mala)は「法ではないもの (Nicht Recht)」であるのかどうかという問題に対するアウグスティヌスの答えである。これは現実の問題として第三帝国において我々に提起されたのである。現実に実際的には悪い行動(Untaten)はどこにでも存在しており、悪い行為であっても行為であったことは歴史上まぎれもない史実である。しかし倫理的に許される行為であったのかどうかの問題である。第三帝国は国家ではあったが、倫理的には国家ではなかった。バーリンもがき大将(3)の行動という言葉を使っている。がき大将という言葉が非行(4)とか、悪い行為と結びついていることを認めるならば、つまり悪い行為があることを認めていることになるのである。バーリンは悪い行動を積極的自由という概念と結びつけようとしている。ヘッフェは悪い行為を否定出来るものが倫理であり、倫理が否定する対象が悪い行為であると考えるのである。バーリンの理論とヘッフェの理論を総合すれば積極的自由は悪い行為であるが故に、倫理によって否定されなければならないことになる。つまり倫理的な行為も他人に干渉し過ぎるようになれば、倫理的に悪いという主張となり、倫理によって否定されるべきであるという理論が成立することになる。アウグスティヌスの『自由意思論』第三巻の要約による表題は「罪を犯しうる自由意志さえも宇宙の秩序に参加するのだが、この宇宙的秩序のゆえに神に讃えられる」(和訳書:聖アウグスティヌス『自由意志論』今泉三良・井沢弥男和訳(東京:創造社、一九六九年)一七四頁。Sancti
Avrelii Avgvstini,"De Libero Arbitrio",Ibid.,p.274.)というのであり、罪を犯す自由意思と、善なることを行う自由意思との間で悩んだのがアウグスティヌスであったが自由意思は罪を犯しうるのではあるが神の意思の下にあるというのである。つまり自由意思は罪を犯す場合が存在するということを認めている。それにもかかわらず自由意思は倫理によって、あるいは、神の意思によって善なる方向に向かいうるのである。そして悪(罪)から善に向かうのも自由意思の力によるのであるからから、自由意思は神によって讃えられるというのである。これに対して神に讃えられるようになるのも神の意思であるとして、エラスムスの自由意思論との論争において奴隷意思論を展開したのはマルティン・ルターである。エラスムスとルターの論争は世界史のなかでも自由意思に関する一大事件であった。(島田雄次郎他「近代への序曲」『世界の歴史』(中央公論社、一九六一年)ほか参照。)マキャベリーは政治においては悪魔が存在し多くの虐殺が行われたりするということがありうるという可能性を認めたからこそ、現実政治の称賛者であったと非難されることになった。しかし現実にそのような政治が存在し陰謀などが存在したということと、それをマキャベリーが称賛したのかどうかは別の問題として理解されなければならない。もしマキャベリーが現実の政治を称賛したということのみを取り上げて、政治学の始祖であるとすることがあるならば、それは間違っていたのかもしれないのである。アウグスティヌスの善と悪の議論においても善のみを主張したとか、どちらかのみを強調するのは妥当ではない。マックス・ウェーバーはマキャベリーの述べていることよりももっとひどい事件が歴史上は数多くあったということを『職業としての政治』のなかで述べている。この言葉は、マキャベリーへの慰めにはなっていない。どのようにして悪の行為を治めることに貢献したのかの議論はマキャベリーへの慰めになる。ルソーのいうようにマキャベリーはそのようなことがありうるので、注意しなければならないと警告し、倫理的に反省しなければならないという意味を込めていたのだとマキャベリーを擁護している(5)。それが通説とは反対ではあるが正しいのかもしれないのである。私はそうとらえるのが正しいと考える。アウグスティヌスは人間の自由意思が、人間を善に導く時もあれば、悪に導く時もあるということを深く反省し『自由意思論』を書いた。その時の同じ悩みが現在までも続いているのであり、それは悲惨な戦争やらが続く限りは政治学が解決すべき悩みであり続けると思われる。
このような政治の現実に対して人間は、法や倫理規範がないところでは明らかに不正な第三帝国のような法と国家が出現しうるということを理解すべきである。人間は第三帝国におけるような行為を、当然のことのようにするものであるという認識が必要であるということをヘッフェの理論から読み取ることが必要があろうと思う。法や倫理規範の欠缺はそれが悪を行うことが出来る格好の材料となるような欠缺であれば、人間はその悪を追求し続けるものであろう。現実にも法の抜け穴は倫理的ではない多くの行為に利用されている。特に公正取引のような生活に密接に関連する分野においてはそういう傾向がある。他人を欺くことにより利益を得る便乗者の理論や、次の世代が今の世代に対して便乗することになる世代間ジレンマや、囚人のジレンマ等についてヘッフェは『政治的正義』第一三章自然的正義の現実性欠如の一章をすべて当てて考察している。しかし法や倫理が人間の現実に本当についていくことができるのかは疑問の余地がある。人間の法がついて行くことが出来ない現実の社会が実際は数多く存在しているのであり、現実の社会は法社会学的な解明を待ち法の欠缺が埋められるのを待っているのであり、その分野が国家倫理と法倫理の分野である。人間は悪に向けられた性向を持っていると思われる多くの実例が指摘されている。しかしそれも人間の一面にしか過ぎないのである。悪も多くの場合に国家倫理や、自らの道徳によって是正されているのである。その場合には、法や倫理規範がそれを阻止しているのであると考えられる。実際に法が制定されればそのような悪はなくなる可能性もある。多くの悪が現実には法のすきまをかいくぐって現実に姿を現しているのであり、悪と悪とが調和を保っているのであるという現実観もありうる。そのような悪を禁止する倫理規範や法があれば、防止出来ると思われる場合も多い。倫理的な善に裏付けられた法が存在する時にのみ善が勝ちうるのであるという主張はここから生じている。例えば裁判が証拠なき場合には被告人の利益にといっている間は、悪いことをやったほうが生きていくのにはよいと思っている人も、もし真実をいったかどうかを確実に測る機械が発明されれば、悪はおこなうことが出来ないと考えるかもしれない(6)。善なる倫理規範の研究は現実的な問題意識の中から生れたのであろうと思われる。第三帝国の中でも第二次世界大戦中にも善とは何かを考えていた人がいたかもしれない。しかし現実の第三帝国をとめられなかったのは悔しい現実であったのである。
人間は明らかに不正な国家や法をつくることがありうる。何らかの理由付けを行って第三帝国を現実に作ってしまった。これと同じことが起こりうることが現代でも政治の現実であるのならば、やはり政治にも倫理規定は必要かもしれない。それにもかかわらず、現実の政治は悪であり続けるであろう。明らかに不正な国家が再び出現することは法と国家の倫理的な基礎付けによって将来に向かって「禁止」されなくてはならないはずであるというのがヘッフェの議論の出発点である。法や国家の不正を禁止出来る妥当な倫理的規範が学問的に積み重ねられなくてはならない。そうでなければ人類は第三帝国と全く同じような政治的、経済的状況に追い込まれた時には再び同じような明白に不正な国家をつくってしまう可能性は大いにあり得るとヘッフェは警告しているものと考えられる。現実的にも世界は今現在第二次世界大戦の前夜と同じような経済的不況というものに巻き込まれており、第二次世界大戦後戦争を知らない子供たちが大勢を占めるようになった現代においてこそ、国家と法の倫理的な反省が必要になりつつあるのだと考えられる。もしも人間が第二次世界大戦の前夜と全く同じような窮地に立たされた時にはもし倫理や、法というものがなければその窮地を避けるためには、第三帝国と同じような国家をつくるであろうことは人間の性向と環境の関係との条件反射の原則からすれば当然であるとも予測出来るという学者がいてもおかしくはない。同じ現象には同じ反応を示すであろうからという理由からである。しかし条件反射は人間においては自由な選択というものを介して、人間の本能に伝えられていくのであるから、パブロフの犬の条件反射という本能的なものとは違っていると考えることが出来る。同じ環境に対し自由な選択は別の結果を招来出来る。相手を思いやる理性によっても、道徳的な正義の感覚によっても、制度的な正義の倫理によっても別の結果にいたることが可能である。倫理的な規範による行為の禁止によって、今後バーリンの危惧するがき大将の悪行も、ヘッフェが過去の史実の中で危惧する第三帝国の悪行も禁止しうるとすれば、それのみが第三次の世界大戦を防げるとヘッフェは考えていると思われる。ヘッフェの理論はそのような危惧に備えるためにあると考えられる。ここにイギリス人のバーリンとは違うドイツ人であるヘッフェの第三帝国への立ち向かい方があると思われる。
第二節 支配からの自由というアナ-キズムに対する反論
公的な強制のすべてを廃止しようという考え方は国家の廃止を主張するものである。これがアナーキズムの概念である。政治的正義の観念はアナ−キズムと対立している。支配の正当性を全く否定するアナーキズムは政治的な正義の観念を認めない。政治的正義論はアナーキズムとは支配の正当性という点で永久に対立が存在するのである。このためにヘッフェは政治的正義論を否定するアナーキズムへの反論から論を始める。しかしこの論理はあまり深くなく、膨大でもない。アナーキズムとよばれている政治思想には様々な形態があるが、プルードンによるものが大きな影響を与えた。プルードンは統治なしに(without
government)自由な契約によって社会秩序が保たれると主張した。支配が全く存在しない社会という概念に対する反論は支配という相当に論争の余地の残っている概念の定義を行わなくてはならないことになる。その上で更に多くの種類のアナーキズムそのものの分析をしていかねばならなくなる。マックス・ウェーバーの正当的支配の三類型や、領邦国家の成立及び所有権と、命令権の違いのような様々な概念を考察しなければならない。アナーキズムに対する反論は支配からの自由の主張に論駁するものである。しかし、アナーキズムにも政治的正義の概念が存在する場合が多く、アナ−キズムのうち支配を否定する概念は自由を相互放棄することを否定するのであるから、自由の制限を認めない思想である。自由の制限をすべて否定するのがアナーキズムである。政治的正義における自由の概念と支配からの自由とは同じ自由であっても別のものであると考える。従ってアナーキズムのユ−トピアの社会においては自由の相互放棄そのものを行わなくてよいし、行う必要がないような社会というものを想定し、完全な自由を主張しているのであると考えられる。しかしそのような社会においても知らないうちに自己規制しているはずであるから、自由を相互放棄していることに気がついていないのではないのかという反論が考えられうる。政治的なユートピアや、アナーキズムの概念に対する反論については私はヘッフェとは全く違った考え方をもっている。国家の消滅はありえないという説が東西冷戦後の政治思想における国家の把握においては通説となろうとしている。従って支配からの自由とか、国家の消滅という概念についてはこれ以上述べないことにする。またアルケー(長)の存在しない社会が存在するということと、支配からの自由という概念が存在するということとは違っていると私は考えている。(Hoffe,a.a.o.,S.196.)
実際に社会主義の段階のソ連や、中国にも支配は存在しているし、共産主義になっても同様であると考えられる。彼らも政治的な正義の概念を持っているのである。そしてそれに従って社会契約をしようと主張しているのである。従ってこの議論はどちらがより政治的に正しいのかという議論にしか過ぎないのではなかろうか。
政治的なユ−トピア(夢)という伝統的な理想は公的な強制のすべてを廃止しようとしているのではなく、不正な支配の廃止を主張している。それはバーリンが積極的自由と名付けているものを要らぬ強制であるとして排除しようとすることも含まれるであろうが、それは共産主義の強制からの排除でもありうるのであるから、国家を消滅をさせようという主張に対抗するものでもありうる。歴史的にはユ−トピアの概念は多義的であり、国家の消滅を主張するアナーキズムから、漸進的に不正な支配を廃止しようとしている改革主義まで幅広い思想が存在し、あまりにも多義的である。
不正な支配からの自由という理想の歴史的な様々な展開は多種多様である。不正な支配の廃止という概念が存在しており、その場合には正義の観念との間で正か、不正かという論争によって争われ、議論が様々な形で行われることになる。これは政治的正義の議論であり、支配が全く存在しないことを論じている訳ではないと考えられるので、あるユートピアにおける一方的に論じられる「支配の存在しない社会」を政治的性議論において論駁し、ユートピアにおいてではない現在の社会における支配の必要性を論じることは現在ではあまり重要性がなくなってきているといいうる。しかし政治的な自由の概念を深く追求することによって、人権や自由を侵害するような不正な支配を極力減らすような支配の正当な根拠を考察することは必要であると考えられるが、このことはあまりアナーキズム批判とは関係がないと考えられる。
第三節 ヘッフェにおける自由の概念
「本能や種に固有の特性が欠如しているという事態に対して、人間は性格的性向という内的支持と社会制度という外的支持とによって対処しうる。そしてこの外的支持のほうには強い強制的性格が含まれている。したがって政治的正当化の議論においては、すでにプラトンのところで提起した問いが現れる。そもそもなぜ外的安定化が、またその枠内で場合によっては法と国家が存在せねばならないのだろうか。
この正当化に関する問いに対しては、(すでにプラトンに見られるように)教育への欲求をもって答えることができる。人間はいま述べたような態度を生まれつきもつものでも、また純粋に生物学的な成長過程において発展させるのでもない。それゆえ人間は教育を必要としており、またそのためには家庭のような制度を必要としている。さらに、すべての人間がこうした性格的な態度を十分確実に形成するわけではないのだから、内的支持に関して、制度はそれを獲得するための前提であるのみならず、それを補完したり、場合によっては代用したりするのである。」(Hoffe,a.a.o.,SS.368-369.)
ヘッフェの論文の中の政治的な正義と自由に関する以上の文章を意味論的に分析することから議論をすすめる。彼の主張する自由は人間という種に固有の自由であるから、これを人間に内在する自由という意味で内在的自由と名付けることにする。この自由はすべての人にある人間の種に共通の自由である。この意味で人間は皆平等であるといえる。法と国家の正当性についてのヘッフェの論文は、人間についての内在的自由以外にもその他の多くの示唆に富む論考をも含んでいるが内在的自由に言及する部分は、ヘッフェの論文の特色である(7)。
第二次世界大戦後の自由論においてはバーリンの議論は非常に重要である。しかしヘッフェはバーリンの自由に関する書物には関心がないらしく、意図的にかどうかは分からないが、参考文献には挙げていない。だが自由に関するヘッフェの哲学的な考察の部分は政治的自由論の立場からも参考に値する。バーリンの自由論は第二次世界大戦後の自由論に限定されがちであるが、普遍的な内容を持っていると私は考える。このように自由論や正義論は多くの点でまだ対立の多い学問であり、バーリンの書物についてはヘッフェは論じてさえいないことにもこの対立はあらわれていると私は考える。ここにはまだ東西冷戦が存在するのだというのが私の感想である。しかし早晩この対立も解消されねばならない時期に来ていると考えられる。原著の出版年は一九八七年であったから、それ以降数年経って社会情勢は変化し、東西冷戦もヘッフェの住む東西ドイツの統一という形で終了したからである。ひょっとしたらヘッフェのこの書物は東西ドイツの冷戦の終結に力があったのかもしれない。ドイツの学者であるが、ロールズのような英米の議論にも耳を傾けようとしているからである。但しバーリンの自由論はドイツのロマン主義的な政治思想を理想主義的と考え排斥したので、ドイツの学者であるヘッフェには評判が悪かったとも考えられる。しかし東西冷戦後の今となってはバーリンの自由論はバーリンの警告であったと許し両者相和解することが出来るのではないかと考えられる。特にヘッフェはカントの研究者でもあり、イギリス経験論の伝統を受け継いでいるバーリンとは相い容れなかった可能性がある。ヘッフェの政治的正義論の中ではバーリンの自由論の政治哲学的な考察がなされていない点は自由論の大きな流れから見れば残念である。カントの自然法思想は「超実定的な法批判・国家批判はその最終審級において、規範を与える権威として自然を引き合いに出すことができるが、この場合の自然は自然的自然(経験的世界)とは無関係だという洞察である。」とヘッフェは『政治的正義』のヘッフェ、前掲書(和訳書)、一〇五頁で述べ、経験論とは一線を画すことを宣言して議論を進めている。「正義に関する議論は規範的な基盤であるか、さもなければ自然法の伝統の正統の相続人なのである。」とヘッフェは『政治的正義』のヘッフェ、前掲書(和訳書)、一〇七頁で述べ、経験的自然とは根本的に違う規範的な基盤を追求しようと考えているのである。ヘッフェの論文ではバーリンの議論は考察されていないが、ヘッフェが論じているロールズの正義論のなかではロールズはバーリンの自由論について言及し、バーリンに賛成する意向を示しているのである。(John
Rawls,A Theory of Justice,Harvard University Press,1971,pp.201-205.ジョン・ロールズ『正義論』矢島均次監和訳(東京:
紀伊國屋書店、一九七九年。)ヘッフェが自由を人間という種に限定された特殊な人間的な自由という観点から述べている点、及び、自由の相互放棄という観点を導入している点では自由論の立場からも、ヘッフェの論文は注目に値する論文である。類人猿から、原始的な人間を経て現在の人間に至るまでずっと、おそらく人間は法と国家を持っていた可能性がある。ギリシャ、ローマの時代にはプラトンの『ソクラテスの弁明』に見られるようにソクラテスの死刑事件を契機として、国家や法の問題は明確に意識されたが、ギリシャ、ローマの古代の文明以前から法や国家は存在していたであろう。法と国家の問題を解くためには広く人間という種について考察しているヘッフェの理論は参考になると考えることが出来る。ギリシャ時代にはじめて国家や法の概念が発達したとは考えられないからギリシャ・ローマ以前に遡ることは重要である。ギリシャ、ローマ以前の原始社会においては国家は素朴な自由と素朴な平等を愛していた集団であったのかもしれない。あるいは今も残っている文化人類学の対象となるような社会であったかもしれない。この時代の文献が必要であるが、史料・史跡によっても分析することは出来る。その際に猿のような動物とは違っていたということは重要であり、本能や、種に特有な特性を欠いているということから生ずる自由というものに着目せねばならないことになる。そのような自由からどのような国家や、法を作っていたのかをたどる必要が出てくる。その後ギリシャ時代の哲学者プラトンはソクラテスの死刑の問題をソクラテスの思い出として書き記している。ソクラテスはポリスの国家と法の問題を考えるための国家と法に関する重要な遺産を死刑になったことにより残した。それが自由の問題でもあったのはミルの『自由論』における考察によっても納得させられるのである。ミルは「人類から最大の待遇をうけるべき人物に対して、犯罪者として死刑に」処したのである、「法の力が最も善い人々と最も高貴な教説を根絶やしにする」ことになったと述べるのである。(和訳書:J・S・ミル『自由論』塩尻公明、木村健康 和訳(東京;岩波書店、一九七一年)五二−五三頁。原書:John
Stuart Mill,On Liberty,(London,1859))ソクラテス、プラトンから始まるポリスにおける全体と自由の問題は、その後現代においてプラトンの呪縛の論争になり、全体主義者プラトンであったのかどうかの論争に引き継がれ最近に至るまで多くの難題を残している。「総じて政治権力というものが正当なかっこうで現れてくるぱあいにはかならず、われわれが探し求めるべきその正当な政治権力というものは、だれか一人の人物か、二人の人物か、あるいはきわめて限られた少数者だけが、これを具備していることになる。−−−−自由意志にもとづいて服従している者たち、そういう者たちを支配しているのか、自由意志に反して服従している者たち、そういう者たちを支配しているのかは、ここでは問題ではない。」((プラトン「ポリティコス(政治家)」水野有庸和訳(岩波書店『プラトン全集3』、一九七六年)293a.)とプラトンはエレアからの客人に対話のなかで述べさせ若いソクラテスに同意させているからである。今でも現代の政治学の課題となっている。プラトンのいう知識(政治学)に国家倫理が存在したのであろうかという問題をヘッフェは提起したことにもなる。プラトンの後のギリシャの哲学者アリストテレスにおいては政治学は新しいパラダイムを獲得したとヘッフェは考えている。人間はポリス的な動物であると規定したアリストテレスは支配からの自由という概念とは相いれないとヘッフェはいう。自由についてはアリストテレスは倫理学としての意思の選択の自由については『ニコマコス倫理学』のなかで述べている。政治的な正義として自由を賛美している部分は『政治学』のなかではアテネの自由な政治制度について述べている部分がある。これに対して人間がわがまま放恣に振る舞うという自由については『政治学』のなかでいましめている。アリステテレスが使った自由に関するこの三つの意味は現在でも大きな意味では通用する自由の議論である。いましめられた自由は悪への自由とアウグスティヌスでは置き換えられたと考えられ、推奨された自由はアウグスティヌスの善への自由であり、マキャベリーの公共的な共和主義的自由であったのであり、選択の自由は「自由意思」や「自由そのもの(自由の本質)」であったのである。
プラトンやアリストテレスが使った自由(エレクーテリアーελενθερια)という言葉が、何と現在に至るまで人類の政治的な用語として定着しており、人間がその言葉によって奮い立たされていると同時に、人類や人間を表現するのにその言葉がぴったりするということが重要なことなのである。言葉の分析は二面的な意味がある。言語分析による分析哲学はただ単に言葉を正しく定義し、言葉を吟味しながら使用しているのかどうかをチェックしているということのみに意味があるのではなくて、現実にその言葉が人類や人間というもの、及び、自然を正しく表現しているのかどうか、そしてその言葉や概念や文章や、あるいはもっと学術的にいえば「命題」が現実の人間や自然を正しく表しているのかどうかということにも言及しているのであるということにも意味があるということになる。「正しく」表現しているとは現実の事物や、現実の人類を表現しているのかどうかということである。自由という言葉が様々な二〇〇以上の意味を持ちながらも単一の言葉が使用されているのは、それらがすべてある一つの本質から現れてきているからである。もしそうでなければ長い年月の間には自由の代わりに他の概念が使用されるようになってきたであろう。何故に人間に選択の自由が存在しているのかについて人間は人間として人間に対して自問自答し、社会もそれに答えてきたのである。その結果がこの長年培われてきた自由という言葉の意味であり、自由という言葉の重みはそこにあるのである。その意味は人間の実体を表現していると同時に、人間の実体そのものでもあるのである。
例えば第三帝国の法的な現実を「内部においては分配的正義があるが、外部に対して明らかに不正」であったと表現するときに、その命題が現実を正しく表現していたということを吟味しているのみならず、正しい表現かどうかということの吟味は、「配分的正義」と、「明らかに不正」ということの意味とを同時に考察していることになる。つまり分析哲学は事物の分析も、言葉の分析も同時に行っていることになるのである。自由という言葉についてもプラトンや、アリストテレスが使ったその同じ言葉が現在までも綿々と使用されてきているということは、いかにこの言葉が人類の現実を表現してきたのかということを吟味する必要があるのみならず、言葉そのものの吟味を必要としているのかということを要請しているのである。雲が自由に動いているという表現はケルゼンがいうような事物の擬人化による「雲を人間に見立てる」ことによる表現の擬制であり、雲自体は人間のように自由を持たないのかもしれない。このような分析が可能になったのはマッカラムの自由という言葉の三角関係的側面の言語分析的理解のもたらした学問的結果なのである。人類はこれまで自由に動こうとしたが、しかし社会においては公的な自由と、私的な自由とに分割して私的な自由を抑えたり、公的な自由を優先したりして共和国を作り上げてきた。あるいはバーリンが表現するように積極的自由を批判し消極的自由を称賛しもしてきた。これらは自由というプラトン、アリストテレスが与えてくれた自由という言葉の存在する結果、分析が可能となっているのである。この自由という言葉が存在するのはプラトンや、アリストテレスが偉大であったからではなく、自由という言葉が人間の本質であったがために「自然に」生れてきた言葉であると考えられる。
正義の概念についてもプラトンは
一、平等を守ること(プラトン『ゴルギアス』484a,489b.)、
二、ほんとうのことを語り、あずかったものを返すこと(プラトン『国家』331b-d.)、
三、それぞれの人に借りているものを返すこと(プラトン『国家』331e-336a.)、
四、強いものの利益(プラトン『国家』336b-347e)、
五、不正の人の生は正しい人の生にまさるか(プラトン『国家』347e-354c)、
六、不正をおこないながら罰を受けない人間は幸福か(プラトン『ゴルギアス』470d-479e)、
七、自然の正義(自然本来の正義、自然にかなった正義)(プラトン『ゴルギアス』484b,484c,488b-c,490a)、
八、正義の本性(プラトン『国家』359b)、
九、正義そのもの、不正そのもの(プラトン『国家』517e,612b-c)、
の九つの意味に使っており、これは現在まで討論が続いている正義の意味論に近いということになる。なおアリストテレスは配分的正義という概念をここにつけくわえ、アウグスティヌスは配分的正義以上に大切な倫理的な正義があるということを付け加えようとしたことになる。正義という事物そのものの表現をしているのが「正義」という概念なのか、「正義」という概念があるから実際の人類の行動が正義にかなったものになるのかその両方共に正しいと考えられる。古来からの普遍を「もの」resに帰するか「名称」nomenに帰するかによって実念論realismと唯名論nominalismに分類するときの論争を分析哲学的に解明しようとするものであり、普遍を概念であるとする説を概念論conceptualismとよぶとすれば概念論ではない。現実を動かす「道具」としても概念を考えているのであるから、プラグマティックな思考方法を概念から、行動が生れるという後段の観念は含んでいることになる。「記述的意味論からスタートして、次に、正当化を意図した意味論へと移っていくことになる。後者の意味論において探究されるのは、もはや正義という概念の実際の使用ではなく、この使用の正当性である」ヘッフェ、前掲書、四五頁とか、「意味論的分析はすでに事柄を扱う議論に到達している」ヘッフェ、前掲書、四四頁とかヘッフェが述べるときにはこのような意味論的分析を述べる。「正義についての詳細な意味論的研究はなされていない」ヘッフェ、前掲書、四四頁と述べ、言語分析への転向(いわるるlinguistic
turn)の最初の試みとしてHayek,F.A.,Law, Legislation and Liberty,A new statement
of the liberal principles of justice and political economy,Vol.II:The Mirage
of Social Justice,1976,p.31ff.及びLucas,J.R.,On Justice.Peri dikaion,Oxford,1980,chap.1
を挙げている。
自由の概念の分析は二〇〇以上の意味があるがそのうちの二種類しか自分は取り扱わないとバーリンが述べて論を進めるように正義の概念の言語分析への転向(いわるるlinguistic
turn)よりも更に複雑な様相を呈する。ミラー教授も包括的な自由の概念史はないといっている('Histories
of the idea of liberty---No comprehensive study exist,--.'(David Miller
ed.,Liberty,Oxford University Press,1991,p.210.))。正義の理論の包括的な俯瞰図と共に、自由の概念の包括的な俯瞰図を作成しようとするのが本論文の目的である。自由と正義の俯瞰図を作る場合に方法論として二つの方法が考えられる。
第一の方法は歴史的な発展という図式によって並べていくという方法であり、この方法は歴史主義と呼ばれているものである。この考え方は人間の歴史を自由の発展の歴史ととらえたヘーゲルにはじまり、マルクスにいたったとされている。
第二の方法は歴史上存在したものは現在でも地球規模に横に存在するという考え方である。これは進化論(社会的には発展論)の考え方と、併置論の考え方との差異である。第二の併置論の考え方は生物学的には恐竜の時代に恐竜と共に人間は小さくなって存在していたと考えることは実際に人間の化石が当時出て来ないのであるから、小さくなっていたか絶滅していたと推論する人しかこの理論は応援出来ないということになる。理論的には人間のように自由に考える部分がなくても、あってもそれと優秀さとは関係がなく恐竜も人間も相互に優秀でも劣ってもいない同じ生物であるという理論からこの理論は導き出される。しかしこの理論は天動説同様に論破され尽くした学説であると一般には言われている。この考え方によればプラトンとアリストテレスの対立は現在も存在しているということになり、社会科学では証明出来そうな仮説である。一時期「小さきことは美しいSmall
is beatiful.」という文章が流行していた昭和五〇年代にはこのような歴史観は流行したのである。現在でもプラトンに賛成する人と、アリストテレスに賛成する人との併存を認めるような社会科学はこの併存論の立場をとることになる。
この論文では最初からそのどちらかを採用することはせずに歴史に従うことにする。禁欲主義のように現在まで続いてきている自由の意味もあれば、途中で消えてしまった自由の意味もあり、更には全体主義の自由のように倫理的に禁止されてしまった自由もあるからである。
以後の自由論の流れを簡単に要約すると次の通りである。
中世の初期におけるアウグスティヌスは自由意思論において人間が自由な意思を持っていて、善に向かうことも悪に向かうことも出来るということを悩んだのである。自由には悪い側面とよい側面が両方ともに備わっていると考えられて来た。この悩みは中世の末期のトーマス・アクィナスの自由の議論(8)においても同様であった。
またエピクテトスや、マルクス・アウレリウスのストア学派の禁欲主義の自由の流れがローマ時代に始まり現代まで面々と続いている。この点についてはハンナ・アーレントが「政治と自由」の論文の中で解説している。私の考えでは、私の自由は私の手の及ぶ範囲であり、名誉とかを排除するという点で中国の老荘思想とストア学派は相違点があるにもかかわらず同じ人間として共通点があると考える。自由の議論は人間の本質に関わるので、世の東西古今を問わないということであろう。アーレントは禁欲主義の考え方は古典古代から現代まで面々と続いている考え方であると指摘している。('This
definition of political liberty as a potential freedom from politics is
not urged upon us merely by our most recent experiences; it has played a
large role in the history of political theory.'David Miller ed.,Liberty,Oxford
University Press,1991,p61.)但し、アーレントのいう政治からの自由には、無政府主義の自由も含んでいた。'The
highest purpose of politics, 'the end of government', was the guarantee
of security; security, in turn, made freedom possible, and the word freedom
designated a quintessence of activities which occurred outside the political
realm.'「政治の最も高い目的、『支配の終わり』は安全(セキュリティ)の保証であった;安全(セキュリティ)が、結果として、自由を可能にした、そして自由という単語は政治的な領域の外で起こった活動を典型的に表現した。」このアーレントのアナーキズムの理解の仕方、アナーキズムの本質に関する考え方はヤスパースと意見を同じくしているのであるが、無政府主義を誤解しているといえる。バーリンも「二つの自由」のなかで禁欲主義がアナーキズムや、共産主義や、理想主義的なロマン主義やらにつながる可能性があるとしている。しかし実際のところは禁欲主義は正当な支配の容認にもつながる場合もあるし、また、アナーキズムによる「支配の終わり」にもつながる場合もあるのであって、単一的な原因と結果の関係にはないとかんがえられる。老子は禁欲主義を正当な自然の支配と結びつけている。これは「支配の終わり」という意味のアナーキズムにはつながらずに自然な支配という支配の正当化、支配の一つの方法につながったのである。エピクテトスやマルクス・アウレリウスや、老子、荘子の禁欲主義は支配の一つの方法につながったのであって、「生活の知恵」(art
of living)にとどまったわけではない。
安全が自由を結果としてもたらすという概念は、しかし、ホッブスや,それを受け継いだベイの考え方とは一致している。しかし、私の考えでは自由が先で安全が後か、安全が先で自由が後かという先後の問題ではなく、自由は内在的であり人間の本質である。安全は自由の相互放棄の結果自由によって得られるものである。自由がその意味では先であるということになる。自由の相互放棄が出来ない社会における人は安全も得られないということになる。自由の相互放棄が出来た社会においては人々は自由がない代わりに、安全を得るのである。従って、自由の相互放棄がなされた社会において自由は放棄されているのであり、放棄されていない自由については自由が確実になるのである。確実になるとは安心して自由を行使できるということになる。このことは自由と平和との関係でも重要であるとヤスパースは述べる。「まず自由があり、ついで世界における平和がある!『まず平和、ついで自由を』というこれとは正反対の要求は欺くものである。何故かというと、偶然によるかあるいは専制または器用な操作によるか、あるいはすべての関与者の不安によるところの、その時だけ存立する外的平和は、人間そのものの根底において保証された平和ではないからである。このような平和は個人の不自由の事実的不和からただちに再び戦争へと通ずるであろう。」と述べるのである。これはカントの「共和的統治様式」republikanische
Regierungsartの概念から導かれており、そのような統治の国家のみが「無条件に持続する平和を達成することが出来る」と述べている。つまりは安全を自由よりも先に考えるボッブスや、ベイの考え方は永久に平和をもたらしえないと考えるのである。(ヤスパース「真理、自由、平和」『真理・自由・平和』斎藤武雄
和訳(思想社、ヤスパース選集二一、一九六六年)一〇頁−一一頁。ドイツ語原書Karl
Yaspers, Wahrheit,Freiheit und Friede-zusammen mit H. Arendt,(1958).)思考の時間の先後が実体的な結論に影響を及ぼす稀な例であると考えられる。私の考えではこれは自由意思や、内在的自由の方が自由の本質であるところから発生した現象であると考えられるのである。
バーリンが禁欲主義やドイツ観念論が政治哲学的には理想主義的な全体主義へと連なったいう方向性を指摘したのと似た側面があった。バーリンは退却といういい方をする。ある意味ではプラトンのイデア論の影響があったのかどうかの問題でもある。
アーレントの禁欲主義に関する意見も参考になる。「名與身孰親、身與貨孰多、得與亡孰病、是故甚愛必大費、多蔵必厚亡、知足不辱、知止不殆、可以長久。」これを訓読して「名と身と孰(いず)れか親しき、身と貨と孰(いず)れか多(まさ)れる、得ると亡うと孰(いず)れか病しき。是の故に甚だ愛すれば必ず大いに費ゆ。多く蔵すれば必ず厚く亡う。足ることを知れば辱しめあらず、止まることを知れば殆(あや)うからず。以(もっ)て長久なるべし。」(原典=老子『老子』(江戸:宇恵、一七七〇年)下篇、第四四章。老子『老子』小川環樹、 読み下し、和訳(東京:中央公論社、世界の名著四、一九六八年)下篇、第四四章、一一八頁。)はエピクテトスの自由と相通ずるものを持っている。
「意見や意欲や欲求や忌避、一言でいって、およそ私たちの活動であるものは、私たちの権内にあるけれども、肉体や財産や評判や公職、一言でいって、およそ私たちの活動でないものは、私たちの権内にはない。
そして私たちの権内にあるものは、本性上自由であり、妨げられず、じゃまされないものであるが、私たちの権内にないものは、もろい、隷属的な、妨げられる、他に属するものだ。」(エピクテトス「要録」『世界の名著 十三』(平凡社、昭和四三年)三八五頁。)
ルネッサンスの時代には文化的、市民的な自由そのものが謳歌された時代であり、市民的な自由に関してはマキャベリーが政治に参加する市民の徳を重視した共和主義的な自由論を展開した。
宗教改革の時期におけるルターや、カルバンは自由意思論を全面的に採用したわけではなく、神の意思の下における意思を強調しはしたが、キリスト教の中でも宗教改革の時代に自由を求める動きが起こって宗教改革のうねりとなった。
スピノザや、カントは自由を哲学的に考察し、一方ではヘーゲルは法学的に自由を位置づけようとした。
イギリスではミルとバーリンが自由論を出版した。
現代では実存主義哲学のなかに新しい自由論を見い出すことができる。その代表はサルトルである。またハンナ・アーレントは「政治と自由」について考察した。
人間に自由が存在するのかどうかについては、因果関係論の立場から法律学(9)や、自然科学や、ポッパーの理論などにおいて論じられている。
日本においては自由の概念は特殊な状況にある。何故に日本語には自由に該当する言葉が太古からなかったのかが問題となる。おそらくは「自由に選択する」ということを表現する言葉はあったと考えられるが、農耕民族であったために全体の意識が強く、自由は抑制されるべきものとしてとらえられた言葉であったと考えられる。このことについては『「甘え」の構造』のなかで土居健郎が分析しているし、「自由」『世界大百科事典』(平凡社)は有賀弘以外の執筆者は日本人の自由の概念がいかに排斥されるべきものとして使われていたかを分析している。自由狼藉のような言葉についてであるが、しかし自由の本質である選択の自由について日本人がその存在を「自由」という言葉以外でもよいから認めていたのかどうかについては述べていないことは残念である。日本人は選択の自由をほかの言葉で表現していた可能性があるからである。私はそれが真実であろうと考えている。
しかし日本の文献を見る限りでは以下のような理解が一般的である。従って純粋な選択の自由の概念は口頭伝承のなかにしか残っていないのかもしれない。日本では『徒然草』において「ほしきままは損の本なり」とあり、自由放恣は社会的には損失をもたらすという孔子の儒教思想の自由に関する考え方の影響がみられる。この吉田兼好の言葉は「巧言令色鮮(少)なし仁」の諺からきている。従って中国の思想の影響が見られるということになり日本の独自の自由論ではない。この自由に関する考え方は、滅私奉公の超国家主義の思想につらなった面を持っていた。板垣退助や大隈重信の「自由民権」の思想は明治期の多くの政変によって地下に潜らざるを得なかったのであり、第二次世界大戦後まで西洋的な自由の概念の定着は待たなければならなかったのである。日本人の自由については土居健郎『「甘え」の構造』のなかに甘えと自由の項目(土居健郎『甘えの構造』(東京:弘文堂、一九七一年)九四−一〇八頁。)があり独自の分析を行っている。「日本的自由の観念は個人の集団に対する優位性の根拠とはなり得ないのである。このことは日本的自由がもともと甘えに発することを考えれば、当然のことであろう。なぜなら甘えは他を必要とすることであり、個人をして集団に依存させることはあっても、集団から真の意味で独立させることはあり得ないからである。これとは反対に個人の自由を強調する西洋では甘えに相当する依存的感情が軽視されてきたという事実がある。」(前掲書、九五頁。)という。九一頁における夏目漱石の『明暗』における夫婦の会話については社会的な問題ではなく、夫が妻に甘えているのではないかと逆にとらえるが、社会的な部分の甘えの分析については妥当であると考えられる。
自由はヘッフェにおいては人間に特有な自由という概念によって総合的に考察されている。自由という概念を考察するにあたって人間という種の自由についての考察を行ったヘッフェは自由の観念の歴史についても深く考察していたと考えられる。これまでの自由論とは違ってヘッフェは新しい流れを作ったと考えることが出来る。人間の自由の特質は政治学の中でと同時に社会人類学的にも政治人類学的にも明らかにされねばならないとすれば、自由を人間の種という観点からとらえようとしたヘッフェの議論は新しい流れの出発点となりうるからである。。自由である故に、人間は他の動物とは明らかに違った社会を形成している。社会を政治的な側面からみるとすれば、人間はポリス的であるし、ポリティカルであるということになる。自由であるから何らかの共同を求めて社会を作るのかもしれない。このような流れから社会や政治を見つめなおすのにはヘッフェの考え方は重要である。
動物のなかでも人間という種はどのような存在であろうか。人間における自由と政治との関係はどのようなものであろうか。この質問に答えるのに、人間の種に特有な固定された特性がないということが自由であるというように考えられるのである。つまり自由というものを考えるにあたっては人間の自由な思考の種的な基礎が最初に考えられなければならない。種に固有の特性は効用という観点を持つということであろうか。共同社会を作るということであろうか。他の動物が生得的に光に向かっていく性向を持っている場合には、光はその動物にとっては性向の中でも最も重要な固定的な性格の傾向である。人間にとってはその性向はなんであろうか。存在するのであろうか。ひょっとしたら社会を作らずに一人で生活しているという人でも、家族という社会はあるということになる。人間はポリス的な動物であるというアリストテレスの言葉は、家庭の次にポリスを考えているのであるが利害や、効用を持つ動物であるという定義とはどのように違っていて、どのような意味を持っているのであろうか。もしも確定的にすべての人間が効用や、利益に向かっていく傾向を持っている場合には、人間は効用や利益に向かっていくという性格の傾向を種に特有な特性として持っているということになる。しかし現実には世を捨てた人は多いのである。このようにある種の傾向が固定的にすべての人にとらえられるならば、人間という種はすべてにおいて自由ではなくて効用や、利益という傾向を持っている動物であるということになる。ところがポリス的な動物であるということは、ヘッフェがよく引き合いに出すロビンソンクルーソーであっても、ポリスや国家や法を作るということを意味している。しかし一時的であってもロビンソン・クルーソーは社会を作ろうにも作れない一人の時代があったかもしれない。衣食住を一人でまかなった時代があったのかもしれない。またひょっとしたら贅沢に向かっていく傾向を人間は持っているといえるかもしれない。種に特有な特性がないからこそ、自由に向かっていく傾向を持っているといえるかもしれない。贅沢に向かうという性格の固定的な傾向でさえ、心理学的に説明することは難しいようである。人間の傾向は心理学が明らかにしてくれるかもしれない。しかし心理学が傾向の分析を統計的に行っていこうとしても、人間は経済学や政治学でいうアナウンス効果によって左右されるかもしれない。アナウンス次第で自由に変幻自在であるという理由で明確な統計的な結果が人間の研究においては現れてこないかもしれない。
あるいは他人と平等になろうとする傾向があるのかもしれない。他人よりも生存において有利な能力を持っている人がいるかもしれない。平等を尊重し、他人との平等に向かって自分の精神を陶冶し、飛び出たいという心情を調節し、道徳的倫理的に生きる故に、自分を譲るという性格の傾向を持っているのかもしれない。これらについては社会的な欲求として自由ではあるのかもしれない。が、人間には本性的にほとんどのケースで平等のために他人を考慮するような傾向があるようである。この傾向は何も多くの学者がそのような倫理的な立場を支持しているとか、自由放任論者のアダム・スミスさえも「他の人々のなかに同胞感情を観察する」ことは「人を」喜ばせると『道徳感情論』(アダム・スミス『道徳感情論』水田洋和訳(筑摩書房、一九七三年)、Adam
Smith,The Theory of Moral Sentiment,Edinburgh,A.Miller,1759.)に書いたではないかという理由によってではなく、また道徳、倫理の教育を多くの人が受けているからという理由からではなくて、一般的な理性が人間に備わっていると考えられているという理由によるのである。
それにもかかわらず、人間の一般的な性格の傾向を上記のように断言することは非常に困難である。この断言できない部分が自由の部分なのである。従って人間という種に特有の特性がないということこそ人間の性向を考える上での、自然的な基礎となると考えることができる。
ヘッフェが内的支持・外的支持という場合の支持とは方向性や、選好や、傾向やらという意味であると考えられる。原語はInnenhalt/Au
enhalt であり、haltは英語のholdとほぼ同じ語源であり、同学社版の『新修ドイツ語辞典』によれば、1.支え、よりどころ、2.根拠、定見などの和訳語を当て、The
Oxford-Harrap Standard German-English Dictionary,OUP,1977.によれば、1の意味ではhold,
support などが、2の意味では moral stability, moral stay, mainstay in matters
of moralityの英語が当てられている。人間が生きていくためには何らかの支えが必要である。つまり自由であることは多くの選択肢があるにもかかわらず、生きていくためにはある選択肢をすでに選択しておかねばならない。無の状態である自由の最初の状態のままでは生きていけないのである。選択しているから生きていけると考えられる。無の状態のままであれば人間はすでに何らかの選択を自然が行って、選択された本能とともに生れてきている動物よりも、環境に対する適応能力が劣ることになる。支えとなるものが存在しないのであるから適応出来ないことになる。そのようなことは考えられない。自由を無の状態であると主張することは自然的にも、人間が白紙の状態で生れてくるという最初の状態についてだけ述べているのであって、成人してから無であるということはありえない。成人してから無であるというのは、無に戻りえて最初の白紙の状態に戻りもう一度支えとなるものを入力しなおすことが出来るということである。第二次世界大戦直後の日本の虚脱状態もこのような無の状態に該当するかもしれないし、虚無主義やアナーキズムもこれに該当するかもしれない。従ってこのような意味での支え、方向性が何らかの選択によってある環境と遭遇した時に適応出来るように成人においてはすでに人間では選択されていると考える方が妥当である。ここに政治的な方向性においても発達という概念が発生する余地がある。学校や、家庭や、地域や、国家教育という教育の場である傾向が獲得されるのかもしれない。ある特殊な環境のもとにおいてはその特殊な環境と出会った段階の早い段階である性向が選択されることになり環境に適応するのである。内在的自由を持って生れてきて、成長しても内在的自由は持っているという点においては皆人間は平等であるが、性向が違うのであるから多くの公的な規範を身につけたものはそうでないものを教育したり、場合によっては強制の契機が存在するというようにヘッフェは考えていると思う。つまりは教育は強制を含まないので自らの主体が自由に学習するのであるが、制度のうちで強制的契機のあるものが外的に支持(性向)を強制することになる。道徳的性向(moral
stay,moral stability)という言葉は日本語にはない言葉であるが、外的に道徳的性向が強制されるべきときもあるという考え方をヘッフェは取るのである。しかし外的性向は制度と呼ばれるとしても、制度を固定的に考えることを戒める点でゲーレンのような戦前の学者とは違った道を選ぼうとする。これは制度学派が制度を固定的なものと見て、多くの失敗を重ねたからであると思われる。制度は人間にとっては固定的なものではないが、人間以外の動物にとっては固定的である。自由な制度という概念を採用するのである。「本能との類似性を過大評価して、ゲーレンのように、制度は『本能が動物の行動を一定の方向に導くのとまったく同じように人間の行動を一定の方向に導く統制的な審級である』(Gehlen,
A.,Urmensch und Spatkurtur, S.95ff..)などと主張してはならない。」(ヘッフェ、前掲書、三六七頁。)という。一定のとは固定的に本能のように定まったという意味である。私は本能の類似物という概念には自由の観点から反論を加えたい。人間の自由な部分は本能の代わりをする以上に大きな開かれた部分を持っている。従って本能以上の事をなしうる可能性を持っているのであるという点である。本能的に固定されていないのに、人間が本能と同じことしか出来ないならば、それは他の動物以下に人間はなってしまうのである。人間の本能は他の動物と同じ部分はほとんど備えている。その上に人間は自由な部分を持っているのである。これでは人間が最も優秀な動物であるということになってしまうが、そうではなく確かに本能の類似物として人間は動物と同じものを持っていくように努力すると同時に、かつ共同生活をしたり、第三帝国を否定出来るような何かを形成しうるというところに人間の自由の特徴を見いだすのである。制度理論が固定的に考えて、第三帝国を賛美したり、人間でも内的支持が出来上がっていない人間と、他民族や他の人間を考えて動物以下と人間を見てしまわないかと心配しているのである。制度理論の開かれていない社会の見方に対する杞憂であろうが。第三帝国も制度を作ったのであるからである。また「制度理論の提唱者たちは社会的側面を過大評価しがちであるが、人間の行為の固定化は内側からも起こりうる。」(ヘッフェ、前掲書、三六七頁。)とヘッフェはいい制度理論に内的支持理論を付け加える。「本能の類似物」には外的支持と、内的支持との二つあるという。内的支持も固定的なものではない。内的支持は教育によって主に論じられることになる。(ヘッフェ、前掲書、三七六頁。)そして「制度は信頼性や確実性という基盤の上で共同的生活を可能にするのである。」(ヘッフェ、前掲書、三六七頁。)と述べるのである。このような制度の上でこそロールズの第二の原理である格差原理の基礎となり、最初は第一の平等な自由の原理によることが出来るマキシマックスのルール(ヘッフェ、前掲書、四三七頁。)による社会生活が出来るようになるのである。もしそうでなければ、悲観的なマキシミンルールによらなければ人間は生活出来なくなるであろう。
もし完全な自由のみであるならば、人間は不確実であり予測不可能であるからマキシミンルールを採用するであろうが、格差原理が第二の原理として設定されているからこそマキシマックスのルールを採用することが出来るのである。しかし制度にも様々であり、ロールズの第一、第二の原理がそのまま制度として人間の信頼性と人間の行動の確実性を増しているとはいえない。ロールズの二原理は確かにある種の制度ではあるが、他の種類の制度も考えられうる。他の制度においては更に人間の確実性が増していたり(共産主義社会を考えてみよ)、あるいは、人間の行動の確実性は多くなくもっと自由に放置されているような制度もあるかもしれない。そのような中でも各人はマキシマックスルールとマキシミンルールとの間の様々な中間点で決定を下すということになる。しかしロールズのいう二原理は多くの自由民主主義国の制度(修正資本主義の制度)の一つの概要を表現していることだけは確かなのであるが、それが正義の原理のづべてではないことはヘッフェが正義論の最初に述べるところでもある。バーリンの説も一つの正義論なのではありうるのである。囚人のジレンマにおいてはそれがジレンマとなっているのはお互いにアノミーの状態にある二人の行動が予測出来ないからなのであって、この場合には制度は固まっていないのである。従って確実性と予測可能性がないのである。
以下に制度やらの外的性向と、性格とかの内的性向とが固定的ではないことの例を示そう。確かにもし環境が変化するならば、他の選択に変更する自由を人間は持ったままである。これは制度についても、人間の内的な支持である性格の傾向についてもいえることである。これが成人した後での生涯教育の問題である。大金持ちに生れてきた人はそれに適応するように人間の性向が作られている。しかし破産のような環境の変化に当たっては他の性向に変化をするように環境が要求するかもしれない。その場合に自由に環境の変化に応じることが出来るのも人間の自由によるのである。自由が存在しなければそのような環境の変化に対応出来ないことになる。社会的にその実例を一つ挙げれば太宰治のいう『斜陽』の実例を想起してみるのも一つの方法である。その際に制度と、人間の性向との関係を考察する必要があるのである。農地改革という大きな時代のうねりの中での地主であった実家が斜陽に向かうという社会的変動の中での太宰治という人間の性格の傾向の問題を考えなくてはならないことになる。この問題を解くのは容易なことではないのでここでは問題として指摘するにとどめる。
ヘッフェは、人間という種に特有な性質として自由であることを挙げる。しかしこの自由は自然的自由である。人間が自由であることにより教育を必要とするし、場合によっては制度という強制的な枠組みを必要とするとヘッフェは考える。もし社会的な制度がすでに本能として組み込まれているならば、人間は制度を法や国家制度として決定する必要はないということになる。例えばアリの社会を考えてみれば分かる。アリの社会の作り方はどのアリでも同様である。これはアリの社会の作り方が固定的であり、種に特有の社会的な性向が本能として生れると同時に備わっているということである。社会的な制度が性向として備わっていると考えなければ、アリの社会もミツバチの社会も理解することは出来ないのである。社会的な制度の選択については自由であるのが人間であるということを自然的に説明しようとヘッフェはしているということになる。成文法という形であれ、不文法という形であれ制度というものが人間の心の中に存在するように支持を作り上げるために自由な人間に対して社会的に教育が行われることになる。
ヘッフェは国家と法を正当化するための批判哲学においては国家と法を制度として位置づけ、自由という人間の性質から生ずる教育が最も必要であると考えた。自由と教育によって人間の社会的な存在を説明することが出来ると考えた。プラトンにおけるように政治的な正当化に当たっては相当に大きな部分は教育というものによって対処しているのが人間であると答えるのである。人間が自由である故に、このような教育や制度的な枠組みが文化的に必要である。この文化的な枠組みによって人間は支えられている。その支えている枠組みは何らかの方向性を持っている。性格的な方向性や、制度的な方向性である。法や国家は制度そのものである。制度を大きな観点から眺めれば本質的な方向性を見て取ることができると考えられる。例えば依存を許す制度とか、独立的であることを要求する制度とかいうような、制度も性格の傾向もある種の方向性を持っていると考えることが出来る。この論文の依存と独立と甘えとすねる(sulk)という概念は、土居健郎『甘えの構造』(東京:弘文堂、一九七一年)二五頁及びFrank
A. Johnson M.D.,Dependency and Japanese Socialization,New York University
Press,1993.和訳書、ジョンソン『「甘え」と依存』江口重幸、五木田紳 和訳(東京:弘文堂、一九九七)二〇〇−二〇三頁、二二四−二二五頁では精神分析的、文化人類学的用語であるが、ここでは純粋に政治倫理的、政治社会学的、政治制度論的に使用している概念であり、参照することなく案出された全く別個な概念であるが今後は両者は関連づけられるべきであろう。依存も甘えも他の人との関係であるからである。レオ・シュトラウスは『政治哲学とは何か』で次のようにいう。「人生の目的、したがってまた社会的生活の目的は、自由ではなく徳であると考えたから古典的理論家たちは民主主義を退けたのである。自由は目標としては多義的である。なぜなら、自由は、悪への自由でもあれば善への自由でもあるからである。一般的には徳は、教育(education)を通ずることによってのみ形成されうる。この場合教育を通じてというのは、すなわち、性格形成(the
formation of character)、習慣づけ(habituation)を通じて形成されるということである。」(Leo
Strauss,What Is Political Philosophy ?And Other Studies,(University Of Chicago
Press,1959.)pp.36-37.)つまりシュトラウスは古典的な政治哲学の復権を再考するに当たっては自由と徳との関係の問題が最も重要であると主張しているのである。これはヘッフェの国家倫理や法の倫理の問題と通ずる論点である。
自由な人間が何らかの方向性を獲得するためにはまず第一に自らの性格の傾向を確保する必要がある。しかし性格の傾向は主に社会的なものである。何故なら自然の性格の傾向については人間においては生きていくための様々な本能しか備わっておらず、光の方向に向かうというような性格の傾向は定まっているとは言いがたい。自然な生きるための本能以外の部分についてはほとんど自然的な性格の傾向は存在しない。社会的な性格の傾向は政治制度や、国家制度や、法制度の選択についての好き嫌いの自由な傾向がまず第一に備わっている。しかしすでに制度は自分が好き嫌いをいう前に決定されているのであり、家庭や、国家のような制度は相対的に自分が主観となり、制度が客観となったり、自分が制度の対象になったりする。一般には家庭や国家の制度は自分に対して存在している。しかしすべての人間が性格的な態度を十分に形成するわけではない。性格的な態度には多数の種類があり、それに対する制度の種類も多数ある。性格的な態度の形成と制度の選択の問題とを人間は迫られる。依存的な制度を要求している人と、独立的な制度を要求している人とが対立し論争する場合がありうる。様々な政治的な制度の違い、民主政治、君主政治、貴族政治のような違いが対立的に存在し、そのどれを要求するかは個人の性格の傾向あるいは好き嫌いによるのである。制度の選択も性格的な態度の形成も人間にとって大きな問題である。
刑事政策等の場合には性格的な傾向とは将来の非行の可能性について述べているのである。この場合の非行は刑法にいう非行以外の逸脱の社会学でいう逸脱現象をも含んでいる。刑事政策において性格的な傾向とは社会学的及び法学的に将来の傾向を表現したものである。将来の非行に対しては教育によって対処する方法と、矯正によって対処する方法(10)と、社会制度の変革によって対処する方法とがある。非行を起こしやすい性格の傾向の人であっても、非行の原因が貧困による場合その非行を行った翌日に突然に宝くじで大金持ちになった人は、将来の傾向として非行を起こすであろうという結論にならない場合がある。非行の原因を経済的原因によっているといえるかどうかを調査しなければならない。
非行の調査をしてみると、本当に非行の原因が貧乏のみによって起こったのかは疑問の余地のある場合が多い(11)。従って非行の原因こそ十分に調査せねばならない。非行を起こしやすいと社会から咎められている性格の傾向に対しては社会はまず非行の原因を調査するようにしなければならない。非行の原因が経済的貧困であるならば、貧困を治せば非行はなくなるということになる。経済的な貧困に対しては社会政策によって対処する方法がある。貧困が社会政策によってなくなる場合には経済的貧困のみによると考えた場合を想定すれば、非行の原因である貧困が社会の制度の改善によってなくなったことになるので非行が将来起こるということは考えられないことになる。このように非行の原因が唯一貧困によっていると考え、かつ、社会の制度のみが貧困を作っていると考えた場合のみは性格の傾向を社会的な制度に置き換えることが出来る。この場合には唯物論のような経済決定論の議論が成り立つことになる。唯物論の場合には非行の原因は貧困であるから性格の傾向のみを矯正しようとするのは不可能であるととらえられている。確かに実際の非行の原因はおうおうにして経済的なものが入り込んでいる場合が多い。この問題は平等論に重要な帰結をもたらす。最近の平等論は本人の責任によらない不幸は救済しようと考えている。人間の性格の教育や、矯正のほかに社会政策の側面も考える必要があるという主張になっている。
一般には非行の原因が貧困のみによっていると考えられる場合は少ない。その場合には非行を矯正するのに教育という方法をとる場合がある。教育刑によってもある程度は非行は改善することが出来る。非行の矯正が教育によって改善出来る場合を想定しているのである。教育刑は懲罰的な強制を含まずに、自由な教育によって非行の再発の傾向をなくそうと考えるのである。懲罰主義の場合には強制によって非行の傾向をなくそうとする。
ある人が人間として自立しているためには内部的な性格の傾向が確立されていなくてはならない。これに対して外部的な性格の傾向は制度である。制度には依存できるような制度と、独立を要求するような制度との根本的な違いが存在していると考えられる。ヘッフェが内的な支持と呼ぶものはこのようなものであると考えることが出来る。外的な支持とは制度のように人間の外部で確立されている支えであると考えることが出来る。ヘッフェの自由概念は以上のような構造を持っている。
第四節 ヘッフェにおける自由と、契約的正義
ヘッフェは正義の概念を自由の概念と、契約の概念によって説明出来ると考える。ホッブスや、ロックや、ルソーやらの社会契約説を契約という概念で説明出来るのは当然である。またロールズの説も契約の概念を用いているのであるから契約の概念で説明可能である。ロールズの一見して社会契約の理論と分かる理論だけではなくて、ノージックの最小国家の理論さえも社会契約の理論として説明出来るとヘッフェは主張するのである。ノージックの理論においても国家という概念が入っている。そしてノージックは国家の強制により自由権を法的に効力のあるものとしようとしている、すなわち所有権に絶対的な価値が国家により付与されるべきであると主張しているのであるとヘッフェは解釈する。もし国家という強制力に関する議論がノージックに欠けているならばノージックの理論は個人的な利益のことだけを考えようという理論しか表現していないということになる。ところがヘッフェはノージックの説も国家という概念がはいっているからこそ、社会契約の概念で説明可能であるという。このことを検討すればヘッフェの契約概念と自由の相互放棄の概念が明白になる。ノージックは最小国家の概念によって福祉国家に対抗する新しい考え方を提示した。この理論は自由尊重主義libertarianismと呼ばれており、自由放任主義に近い理論であるので社会契約とは遠い概念であるように思われているが、この理論でさえも契約の概念によって説明しようとするのである。その一端を見ておこう。(Hoffe,a.a.O.,S.453.)
ヘッフェは正義の理論を契約の概念によって説明しようとする際、正義の諸相を三要素に分解することによって契約概念を正義の理論に適用出来ると考えている。
社会契約の三要素としてヘッフェが挙げるものは「取り決められたことは遵守されなければならない(pacta sunt servanda)」という法原則がいうように、[われわれは契約に先立っては自由であるが、契約の後においては拘束されているのである。」(Ibid.,S.447.)という考え方から由来している。契約概念は公的な法的権力とそれにともなう服従義務を正当化するのに適しているとヘッフェはいう。
契約原理には三つの要素がある。契約原理にいう第一の要素である「自由な同意(合意)」は政治的正義の理論における正当化の前提となる正義の普遍的な原理である「配分的利益」あるいは「支配からの自由」に対応し、契約における「権利と義務との委譲」は自然的正義の中間原理である(消極的)交換としての「自由の相互放棄」あるいは「自然的正義」に対応する。第三番目の最後の「法的効力のある妥当性」は正義の現実性である「自由の放棄を現実のものとするための条件」にヘッフェは対応させる。
これをノージックの理論に当てはめている。契約の第一の要素である正当化の原理についてはノージックの理論においては非意図的な見えざる手による正当化という説明をすることが出来る。見えざる手による平等化によって最高の利益も達成出来る。この理由付けで、国家と法を正義により正当化を行うことができるとノージックは主張しているのである。すべての人にとってはこの契約が最も利益になるという正当化があるので契約を行うと考えるのである。社会契約の原理の第一の要素はすべての人にとって自由な同意が利益になるという主張である点、第二の要素はノージックの正義原理である「自由権」のなかに権利と義務の相互委譲が見いだされ、第三の要素は公的な強制権力が自由権を法的に効力があるように実現し、徹底させるべきであるという正義の主張のなかに見いだされるといい、ノージックの理論でさえも契約の概念によって説明出来るとヘッフェは主張する。
ヘッフェの考える自由は、契約の第二の要素である自由の相互放棄という考え方が基礎になっている。この考え方はルソーの社会契約論を発端とした考え方であると考えられる。社会契約は社会を形成するという目的を持っているものであるが、社会を形成するためには自由を相互放棄しなくてはならないという点に力点をおいてヘッフェは解釈するのである。この力点の置きかたは「自由の強制」(12)というルソー自身の言葉とも関連してもう一度考え直すべき時期にきている。契約は守られなくてはならないという原則を、契約によって自ら自らの自由を放棄しているのであるという解釈をすることが本当に可能であろうか。政府に自分の自由を圧迫された場合には、自由は取り戻せるのであろうか。もし自分に都合の悪い契約であったらすぐに解約出来る契約であったと考えれば、自由は自分の方に留保されていたと考えるべきではなかろうか。そう考えると自分の自由を減少させるような契約内容であれば契約しないことも出来るし、一旦契約したとしても自分からいつでも自由に契約を解除出来ると考えるのが妥当である。自由の相互放棄という考え方によれば、自由が本来存在していると考えるから相互放棄という概念が成立するといえる。そして主権はいつでも主権者に留保されていると考えるならば、自由は留保付で相互放棄されたと考えることが妥当であろう。
契約的正義の概念はしかし一つ忘れた論点があり、それが欠点となっている。一旦主権を預けられた国家や法が国民に独裁的に倫理を押しつけて、国民に干渉する自由を発揮する場合、積極的自由については述べていない。契約の概念は契約内容に関すること以外のそのような積極的干渉が発生するとは全く想定していないからである。もし想定し、そのような国家がいやであるならば、契約はしないはずである。国家や法が倫理的に不正な(悪の)行為を行うとは全く想定していないのである。ルソーも国家や法が悪ではないという条件をつけて社会契約論を展開しているのである。もし悪を行うかもしれないと心配するならば人は社会契約書にサインはしないであろう。(13)「悪法は法か」という問題のプラクティカルな帰結である。
第五節 ヘッフェの自由の相互放棄の概念と現代自由論の課題
自由の相互放棄という観念(14)は、自由というもののある種の意味から見れば正しい。従ってヘッフェの自由に関する主張は非常に限定的なものではあるが、有効な議論であり、本質をついていると考えることが出来る。しかしバ−リンが述べたような社会における干渉を排除する自由は含まれていない。ヘッフェの自由の概念は非常に分かりやすい自由の概念から出発していた。ヘッフェのいう人間という種に特有の自由という概念は人間は自由があり多くの選択が出来ることであるという意味にとらえられる。これは自由意思論に近い。ミルは自由意思論を除外するところから彼の『自由論』の議論をはじめたがヘッフェは真正面から自由に挑もうとした。ヘッフェの自由の概念によれば他の人の自由を侵すような悪や、わがままな自由も行使することが出来る、しかしそれではお互いに衝突し、戦争になってしまうのであるからそのような種類の自由は放棄しようという考え方である。この考え方は前段の部分はホッブスの考え方「人間は人間に対して狼である(homo
homini lupus)」自然状態の考え方に近い。つまりは「万人の万人に対する闘争(bellum
omnium contra omnes)」という戦争状態にある自然状態の考え方である。戦争状態の想定のなかでマルクスのように資源の平等を考えるあまりに、他の人の自由を抑圧してしまうことは他の人の承諾なしに可能であるという考え方が生まれる可能性がある。契約の強制によって自由の一方的な放棄を迫ることは干渉にあたると考えて、そのような干渉は排除してもよいと主張したのがバ−リンであると考えることが出来る。マルクスやらのアナ−キズムに関する批判を法と国家に関する支配からの自由という観点からとらえて批判を行ったヘッフェに対して、バ−リンは自由の相互放棄の行き過ぎと、自由の放棄のし過ぎ(政府による自由の相互放棄の支配のし過ぎ)としてとらえ、支配としての自由の相互放棄の限界について考察したと考えることが出来る。自由を相互放棄した後は国家という主権者の管理の下に自由が置かれるのである。主権者である政府が干渉し過ぎることをいましめたのがバーリンである。社会契約のなかでは経済的自由などを放棄するとは合意していない人に対して自由の放棄を強要することがありうる。社会契約によって禁止に同意していないことをする自由を行使しようとすることは可能であるはずである。ところが多数の故に国民に対して少しでも自由を行使した場合には政府に密告せよと要求し、自由の相互放棄を支配者が要求し過ぎると、社会は自由がなくなって活気を持つことだ出来ないと考えたのがバ−リンであったといえるのである。
第六節 結語ーー今後の自由論と、正義論への期待
ヘッフェの自由や、スピノザの自由が、バーリンのいう積極的な自由と呼べるものでないならば、積極的な自由は必ずしも全体主義につながるものではない可能性がある。人間のどのような部分から積極的自由が発生しているのかを研究するけれども、しかしその研究によって制限すべきではない自由が存在するのであるならば、自由に任せようという研究であれば積極的自由であるとはいえない。自由には本質的に不平等をもたらす(15)性質があり、自由の研究は倫理的に自由の制限から始めなくてはならないということは仕方のないことでもある。ヘッフェの自由が倫理的に深く理想を追求するものであるが故にたとえバーリンのいう積極的自由であると考えられるような点があったとしても、独裁的な自らの意思に従わないものに対しては独裁的な方法で強制を行うという場合にのみバーリンのいう意味での積極的自由となると私は考えるのであるからヘッフェの自由はバーリンのいう積極的自由に陥る可能性があったとしても積極的自由とはいえないのである。人間は誰しも倫理的に自分の行動をどのように制約したらよいのかをまず研究するはずである。法の研究により社会における自由の制約の方法を知り、道徳や倫理の研究により法に決められているよりも厳しい自由の制約の方法を自らに課すべく色々と考えることはあるはずである。それは自己の自由の制約にはなっても他人にその自由の制約のすべてを独裁的に強要しようという人は少ないのである。他の人々に自由の制約を独裁的に強要することは確かに全体主義を生むかもしれない。自らの考える自由の制限を全体社会に対して独裁的に要求するからである。その要求こそは要求された他の人に、干渉を排除する消極的な自由を要求させ、消極的自由を政府に法的にも認めさせようとするるかもしれない。
ヘッフェは一生懸命に独裁的な自由の制限にならないように倫理的に国家や、法を基礎付けようとしているのである。それもバーリンのように消極的な自由によってではなくて、積極的に自由の制限が行われるべき範囲はどのような範囲であるのかを考察することによって倫理的に法や国家を考察しようとしているのである。その考察が全体主義の国家に利用されることは、消極的自由のような歯止めがない故に大いにありうることである。アナーキズムのユートピアを排除しようと努力しながらも、ついには排除しきれずにアナーキズムを賛美するという結果に陥る危険性をはらんではいる。しかし倫理的にその可能性を思いとどまる自由を持っているのである。確かにバーリンのいう消極的自由について考察し、干渉されない自由というものについて考察していないのであるから、自らの力で思いとどまるしか方法は残っていない。
その意味ではバーリンの自由に関する思考方法は安全である。先に干渉されるべきではない自由の範囲を決定するのである。そして自由を制限する積極的自由についてはその後に考えるのである。
逆にヘッフェの場合には干渉されるべき自由の範囲を先に国家倫理として研究をしようとする。国家や法に関して倫理的に自由を制限するべき範囲を考察し、それでも自由を制限すべきであるとは考えつかなかったすべての部分は、制限すべきであると考えつかなかった故に、ただそれゆえにこそ自由を制限すべきではない範囲として残ったということになるのみである。
二人の自由論は先後の関係が違っているのと、自由を制限すべきではない理由付けが先後の関係が違っている故に全く相違しているのである。
もしこれが先後の関係の違いであるのならば、バーリンも、ヘッフェも同じ所に到達する可能性は残っている。ここに両者を調和させる余地があるといいうる。倫理的な自由の制約を法としてではなく、独裁的に他の人に押しつけるのは独裁といいうるかもしれない。法による制約は国民全員の合意によっているという前提がありその形式が整っていれば、法として認めるべきであろう。しかし倫理的な自由の制限が独裁的に押しつけられた場合にはこの限りではない。道徳的及び倫理的に深く考察し、自由の制限を法律以上に行うことは世間から「つつましい」とか、「質素である」として評価され、宗教家となったり、非常に権威が増して出世する可能性もある。しかしそれを独裁的に他人に押しつけることは独裁主義となる。自由な教育によって他人に伝播させるのはありがたいことであると感謝されるかもしれない。倫理の立場からの国家や、法の基礎付けにはそのような危険性をはらんでいる側面を持っている。しかし第三帝国の明白な不正国家といえるような国家は、ある種の法や国家倫理・法倫理による自由の制限そのものが欠けており、独裁的である故に普通の倫理観の人々に積極的な干渉を行ったのである。自然法のようなある種の法倫理による自由の制限は人倫とかよばれているようなものである。ユダヤ人の大虐殺のような人倫にもとる行為は、ユダヤ人排斥という結果となったゲルマン至上主義の国家主義によって行われたのであろうか、もしそうであるならば国家の倫理は大反省すべきである。大虐殺は悪であるのは国家の倫理である。倫理的に禁止すべき行為が国家によって行われたのであろうか。宗教が倫理的に非常に強い倫理性を持っているとすれば、宗教戦争における大虐殺は倫理的に許されない行為であるのに、倫理的に行われたのであろうか。倫理にはこのような側面を常に有しているのであり、これが積極的自由とバーリンが批判した理由であると考えることが出来る。
現代の史学によって確定され、通説となっている史実はマキャベリーの時代よりも多く存在する。歴史のなかで大虐殺の実例は多く存在するのである。
国家は共同体である。人格のある国民の共同体である。国家は人格の集合であり、人間関係によって構成されている集団である。国家には歴史があり、伝統がある。ヘッフェは第二次世界大戦後に生れたドイツ人である。ドイツ人にはヒットラーの国家、第三帝国の苦い体験がある。これは逃れることができない史実である。戦後に生れた、戦争を知らないヘッフェのようなドイツ人にとっては、自分が生れる前のドイツ人のひき起こした事件ではあっても、父親、母親の時代の苦い経験であるので他人のことではない。歴史的に倫理的な法に反した国家が成立したという苦い経験をドイツ人としてヘッフェも心の中に持っているといえる。法と国家の問題を考える上でこの苦い経験はヘッフェの思想の根幹となっている。しかしバーリンのように経験主義者にはなれない。第三帝国の史実を理想主義者の積極的な自由が起こした間違いであったとして簡単にバーリンの理論に従い、それで済ませることは出来なかった。そこに法と国家を倫理的に正当化する必要が生じたのである。実践的な理論としてでも、ユートピアの理論としてでもなく、実定法のみを優先する法実証主義、国家実証主義としてでもなく、あくまでも倫理的な視点からこの問題に解決を与えようとする。これはドイツの第三帝国を外側から見たバーリンの自由論とは違い、ある意味では理想主義的な方法で倫理的に法と国家とを批判し尽くそうとしたヘッフェの根本的な方法論である。
社会制度のもとでは許される行為の範囲と、模範とされる行為の範囲が確定され、制裁を伴って実現徹底される。強制力を伴う行動規制こそ国家と、法の根幹であるとヘッフェは法制度と、国家制度を位置づけるのである。強制権限をもって法制度、国家制度の根幹であると考えた上で、国家と法の倫理的な基礎付けを行うのである。この強制権限という問題は実のところ自由の相互放棄という概念からだけでは導くことは出来ない。
ヘッフェの理論、バーリンの理論、フロムの理論、クリスチャン・ベイの『自由の構造』についての理論、ハイエクの自由の理論、ポッパーの開かれた社会の理論等々はすべて同じ「第三帝国」や、「共産主義国家」の反省から生じたものであるにも関わらず、対立したままである(16)。調和点を探す必要がある。バーリンが経済的自由について語る時には共産主義の自由について述べており、バーリンが地位の確認の欲求について語る時には植民地の独立について語っている。植民地の人が自由と独立を求めたのは当時の政治的な情勢そのものであったのである。それぞれの理論はその時々の政治情勢に深く影響されている。
しかしヘッフェの理論は政治的正義と自由の理論の中では、最も最近の議論であり、戦後生まれであるが故に、戦争を直接的に経験している訳ではないからか倫理的にそれらを位置づけようとしているのである。法哲学や政治哲学的な方法を確立しようとしている。戦時中には歴史的な背景である戦争に影響されていたであろう。ヘッフェはこれまでの政治学とは全く違い、倫理として国家と法を高めようとしている。ケルゼンやハートの法実証主義を批判し乗り越えようとする点では戦後生まれの多くの人が、法実証主義に走ったのとは違った真摯な態度であると評価出来る。特に我々の年代としては倫理思想的に、国家倫理的に新しい流れを作ろうとしていると評価が出来る。
全体的には『公正としての正義』の理論を唱えたロールズの正義の議論に最終的には左右されているように見受けられるが、ロールズの議論を超えて、倫理学的に国家論的及び法学的な基礎付けを行おうとしている。結局はヘッフェの議論は全体として古典古代から、現代の理論にいたるまでの幅広い正義の理論の総合を試みていることになる。碧海純一氏他の著書である『法哲学概論』のなかにも現代の正義論の要約があるが、ヘッフェの議論は概説的なものではない。特にヘッフェに特徴的な考察の視点としては法実証主義と、アナーキズムの両方を批判することにより倫理的な側面を国家及び法に見いだし、そのあとで正義の概念の政治学における倫理学的な復興を目指している。ヘッフェの正義についての倫理学的な検討にあたっては平等という価値のみならず自由という価値をもどのように取り扱っているのかについても考察していく必要がある。
自由と平等と博愛という近代政治上の三つの価値のうちの平等という価値について考察すれば、ひょっとしたら大盗賊団のなかでは戦利品は非常に平等に分配されているかもしれない。第三帝国においてもその内部では所得の平等は確保されていた可能性があるのである。ここには平等という価値が実現されていたとしても、正義原理が外の世界では認められていない場合がある例が示されているといえる。今後とも人類は政治倫理としての正義の原理はいったい何なのかを追求すべきなのである。(17)
自由を相互に放棄するのは国民どうしである。ところが国家や法を作るのは政府である。政府は国民が放棄していない自由を放棄すべきであるという法律を制定するかもしれない。少数者にとっては常にそのように納得し、契約していない自由の放棄を迫られるかもしれない。政府が何らかの政治的な制度の欠陥によって国民の多数者が契約してくれと委任していないような法を作成する可能性もある。自由の放棄を契約していないということで抵抗権の存在を認めたとしても、少数者には多数としての抵抗は不可能であるのだから、実際的には抵抗する方法は多数決によればないのである。自由の放棄を迫ってくる政府との間には、実は明示の契約書は交わしていないのではないかという社会契約は仮定のものであるという議論が存在する。自由の放棄は政府が要求してくるものであって、自由の放棄は自分達が相互に行ったことはない。自分が契約しようと積極的に働きかけていったこともないという議論である。自主的な契約ではなくて、政府が積極的に働きかけてきているだけである。従って政府の積極的な自由が国民を過度に拘束することはありうるといえるという議論である。
「ド・トクヴィルは、『民主主義と社会主義とは、平等というただひとつの言葉を共有するだけである。しかし相違に注意せよ。民主主義は平等を自由のなかに求めるのに対して、社会主義は平等を拘束と隷属のなかに求める』と書いた。そしてアクトン卿はド・トクヴィルに与(くみ)して『フランス革命を自由にとってかくも災害たらしめた最も深い原因は、その平等論であった』こと、そして『世界にこれまでに与えられた最も素晴らしい機会が、平等に対する情熱が自由に対する希望を空しくしたために、投げ捨てられた』ことを確信した。」(F・A・ハイエク『市場・知識・自由』田中正晴、田中秀夫和訳(京都:ミネルヴァ書房、一九八六年)三九〜四〇頁。)(F.A.
Hayek,"Individualism :True and False",Individualism and Economic
Order,Routledge & Kegan Paul LTD,1964.)平等と、自由との調和こそ今後の自由論にとって求められている課題であると思われる。
ここに自由を抑圧し過ぎる平等の概念を発見するのである。自由は確かに「見えざる手」による平等を生むのではなくて、不平等を生む側面があるという観点である。この観点についてはヘッフェの自由の概念の中には見いだすことは出来ない。自由の概念と、平等の概念について相対立する部分があるという事実を見いだし、自由を抑圧する平等という概念を見いだしたのはハイエクである。
アクトンは西欧のキリスト教世界の自由について深く考察した学者である。ハイエクはF・A・ハイエク『隷従への道』一谷藤太郎訳(東京:
東京創元社、一九七九年)、F.A. Hayek,The Road to Serfdom , Routledge ,
London,1944の書においていかにして全体主義の中に人間が組み込まれて行ったかについて考察している。全体主義は必ずしも平等という価値によって生れたものではなく、大恐慌や、失業した群衆や、経済不安などが原因とも考えられる。しかしフランス革命における自由主義の敗退は、平等に対する情熱がもたらしたものであるとハイエク等は考えたのである。この考え方は戦後の自由主義をリードした。
自由に関するイデオロギー論争はハイエクや、フリードマンが現在のところ優勢である。これは未だに自由は干渉を排除することが本質であるという過度の干渉の存在する国家が存在していたためであろう。それ以後には東西冷戦の終結という事態が発生したのである。しかし平等と自由とを調和させる試みはまだ成功したとはいえない。「平等が現代の政治的な議論の主要なトピックとして自由に取って代わったかも知れない。」(Equality
may have replaced liberty as the central topic of contemporary political
discourse.)(Louis P.Pojman & Robert Westmoreland eds.,Equality ,Oxford
University Press,1997.p.1)
のではあるが、自由論の側は自由を更に大切にし、依然対立したままである。
もし架空の経済体制のもとでの自由の考察が許されるならば、チューネンが考えた孤立国においてさえも、当然に経済的協同と共に支配の制度が存在することになる。経済的に有利な形で形成されていると考えられた孤立国においても、衝突の要素は存在するので利害の調整の場は必要であることになろう。中世における自由と国家の関係とは全く違った自由を考えたにもかかわらずヘッフェは普遍的な自由概念である人間という種に固有の自由を持ち出しているのである。従って、アウグスティヌスからトーマス・アクィナスにいたる中世の自由意思論にも合致したような倫理的な考察が可能であったと考えられ、普遍的な自由についても考察したのがヘッフェであると私は考える。
自由は人間という種に特有な本性であると誰もが考えるし、ヘッフェが『政治的正義』の論において詳しく述べているように自由が人間の本性であるとすれば、何故にアクトン卿が主張し、その後ド・トクヴィルや、ハイエクが賛同したように平等が自由を抑圧することがありうるのであろうか。従って自由論の最初と最後にはこの問題をどのように解いたかの答えが含まれていなくてはならない。自由と、平等と、博愛の規範性についての答えである。この問題は非常に難しい。規範の中でも自由と平等と博愛という概念は最も重要なものであると考えられるが、公平やらと違って、自由は人間の本質と関係しているし、平等や博愛は稀少な資源を公平に分配するという分配的正義以上の人間の本質に関わるものであるから非常に難しい問題を含んでいるのである。従って哲学的とならざるを得ない。平等という政治的な価値がどこで間違って人間の自由を殺すことになったのかという点についても答えなくてはならない。人間にとっては平等になることは自由になることであるということを理解するようになるように人間を人格的に成長させよという主張をするグリーンのように、人間の「人格の成長」the
MoralProgress of Man(T. H. Green,'On the Different Senses of "Freedom"
as Applied to Will and to the Moral Progress of Man', in Lectures on the
Principles of Political Obligation, ed.P. Harris and J. Morrow (Cambridge:Cambridge
University Press, 1986))あるいはグリーン自身の言葉でいえば道徳的な善を向上させることto
promote moral goodness(T. H. Green, 'Liberal Legislation and Freedom of
Contract', abridged from Works of T.H. Green, in (Longmans, Green &
Co., 1888), 370-7, 382-6.が再録されたT. H. Green, 'Liberal Legislation and
Freedom of Contract',David Miller ed.,Liberty,Oxford University Press,1991.)を人間に期待する希望論にしかこの難題を乗り越える方法は残っていないのであろうか。私はそのような希望には耳を貸さずに、自分の利益を追い求めるのだという人に期待的な希望を強制することは教育以外には方法はないのであろうか。自由と平等という規範が法の最も大きな価値の柱であり、政治的な価値の根本であることは『社会契約論』においてルソ−も、『法の精神』においてモンテスキュ−も認めるところである。しかし彼らは自由も法の根本規範であることを認めている。なのに、その両者が対立することを知らなかったとは思われないのである。人権宣言においても自由と平等という対立する政治的に最も重要な価値を並列で並べているのである。自由と平等の問題を考えるときには、平等を達成するための法や、法律が本質的には自由を奨励するものではなく、自由を抑圧しているものであるという立場から出発し、法哲学の正義論や、規範論や、自然法論を総合しながらこの疑問に答えていかなくてはならないことになる。
以上のとおりヘッフェの『政治的正義』論は正義に関する議論の意味と正義論の果たす可能性を追求する論文であるが、政治的正義の存在について疑っている二つの流れは法実証主義・国家実証主義及びアナーキズムであると考えて、この二つの流れを批判的に吟味している。このことはヘッフェが支配というものを否定する主義も、実定法という現実の法のみを支配として何の疑いも持たずに肯定する主義もとらないということを示しているのである。二つの理論を吟味した上で自由の相互放棄に基づく自由な共同社会を政治的な正義の倫理の上に形成出来るように、国家と法理論の基礎を確立しようと努力し、政治倫理学を成立させようとする。このための様々な考察をした後で最後の章において小さな章であるが、倫理的、政治的討議や、科学的な政策協議が必要と主張し、政治的正義への実践的戦略を示そうとするのである。倫理を単なる個人の倫理の段階から政治的な強制が可能な法倫理、国家倫理の段階にまで拡げていって、倫理を拡張して論ずるという手法をヘッフェは取っている。ヘッフェの議論は政治哲学的には成功していると考えられるが、ただ完結しているとはいいがたい。政治的な正義について論じようとしているのであるから強制についてはあらかじめ支配の正当性という見地から議論の余地なく認めている。これに対してアナーキズムは支配からの自由、強制からの自由を主張しているとヘッフェは考えている。強制と自由の問題は正義と同様に議論の多い課題であり、ヘッフェの議論は完全とはいえない。ヘッフェの言語分析的な手法は、意味論的な分析によって単語のみを取り扱っているのではなくて、正義の事象を取り扱っているのであるからという理由で正義という概念の使用の正当性についての意味論、倫理学的な意味論や、メタ倫理学をも取り扱おうとヘッフェは考えている。ヘッフェの議論は意味論的であるが故にロールズのように正義の事象の全体に当てはまる一般理論を述べているともいいがたい。今後の政治的正義の議論の課題であろう。(18)
注
(1)Gustav Ratbruch,Rechtsphilosiphie,(Gottingen,1973),S.345.(田中耕太郎和訳「法哲学」、「ラートブルフ著作集1」、東京大学出版会)
Gustav Ratbruch,Vorshule der Rechtsphilosiphie,(Verlag Scheler,Heidelburg,1948.),和訳書、ラートブルフ『法哲学入門』阿南成一和訳(弘文堂、一九五五年)第三六節、法律を超える法の節を参照。
また、ラートブルフ『法哲学の根本問題』横川敏雄和訳(東京:創元社、一九五二年)p.196では「不正なことが明白な法の効力に対しては、如何なる弁明も案出されないのである。」と表現している。
なお、法律を超える法の考え方には、ハートやケルゼンの法実証主義者は反対しているが、オックスフォード大学の法理学(jurisprudence)の教授であるドゥウォーキン教授は賛成している。Ronald
Dworkin ,Taking Rights Seriosly,Harvard University Press,1977を参照。 (2)レオ・シュトラウスは『政治哲学とは何か。』のなかで古典古代の時代の政治学の復権を主張している。彼は「我々の見解と古典的理論の見解との本質的な相違は、道徳的原理に関しての相違にあるのではなく、正義についての理解の差異にあるのでもない。すなわち、我々もまた、そして我々と共存している共産主義者でさえ、等しい人々には等しいものを与え、功績の等しくない人々には等しくないものを与えるのが正しいと考えている。」(Leo
Strauss,What Is Political Philosophy ?And Other Studies,(University Of Chicago
Press,1959.)p.37.)というように政治哲学上の正義の問題が重要であるとしている。古典古代の正義の理論の復権の主張でもある。政治学の発達しそこないという概念は、しかし古典古代の政治学の復権ということではない。倫理的な思考が、マキャベリー以降の現実政治のみを指向する研究態度では欠けていたのではないのかという視点である。倫理的思考を現代政治のなかでどのように活かすのか、古典古代の教訓をどのように活かすのかという視点である。倫理の欠如が第三帝国や、ソ連の内部における大粛清などをひき起こしたのであり、現代の現実政治の倫理的なものの欠如といえるのである。その後の現代政治学における行動科学の議論も同様に第三帝国の反省からひき起こされた議論であったが、また別の角度からの反省であった。自由論の分野ではクリスチャン・ベイの『自由の構造』の議論がこの行動主義の立場からの議論である。ベイの議論は非常に内在的自由の解放という議論に近い。ベイは潜在的自由と、心理学的自由という彼独自の新しい概念をつくり出すことになる。この自由論は権威主義などの人格の分析において使用され、そのような自由の欠如した人格と分析している。Bay,christian,The
Structure of Freedom,Calif.: Stanford Univ.Press,1958を参照。このような分析を総合する反省が行われなくてはならない。
(3)がき大将は、英語のbullyの和訳語である。
原書:Berlin,Isaiah ,"Two Concepts of Liberty",Four Essays On
Liberty,Oxford Univ. Press,1958.reprinted 1982. p.150.
和訳書:アイザイア・バーリン『自由論』小川晃一ほか和訳(東京: みすず書房、一九七九年)p.353.
(4)非行については社会学的にも研究が進められているが、ここでは政治哲学的に非行は悪い行為という意味である。国家社会学的には更に深く研究される必要がある。
(5)ルソー『社会契約論』井上幸治和訳(中央公論社「世界の名著」三十、一九六六)p.290.J.-J.Rousseau,Le
contrat social ou principes du droit politique,Paris,Garnier freres,liberaires-editeurs,1772,Livre
I,Chap.VI.p.289.ルソーはマキャベリーを弁護して「王公に教えをたれるとみせかけて、マキャベリーは、人民に偉大な教訓を与えた。」と書いている。人民は被治者であるから、マキャベリーは人民に政治の悪にどのように対応すべきかを教えたのであるとルソーはとらえたのである。しかしレオ・シュトラウスは'But
even if we were forced to grant that Machiavelli was essentially a patriot
or a scientist, we would not be forced to deny that he was a teacher of
evil.'
「けれどもたとえ我々がマキアベリ (Machiavelli) が本質的に愛国者あるいは科学者であったことを認めることを強いられたとしても、我々は彼が悪の教師であったことを否定せざるをえないというよう結論にはならないであろう。」とのべ、結局は悪の教師となったことを認めているのである。愛国的であり、科学的に現実を描写したからこそ悪の教師となってしまったという逆説を、古典古代の徳と正義の政治学の復権という視点に結びつけるのがシュトラウスである。Leo
Strauss,Thoughts on Machiavelli, The University of Chicago Press, Chicago
and London, four lectures 1953, on the problem of Machiavelli ,Chapter II
in th American Political Science Review (1957)The University of Chicago
Press, Chicago Copyright by Leo Strauss Published 1958,Paperback Edition
1978.Midway reprint 1984 Printed in the United States of America.
(6)囚人のジレンマにおいては、共謀して犯罪を犯した二人の犯罪者の証言が正しいのかどうかの問題が提示されている(ヘッフェ、前掲書(和訳書)、四三六頁。)。裁判所における証言は偽証されないという前提で問題は解かれているのであるが、実際は偽証の問題を含めて考えると更に囚人のジレンマは複雑である。
(7)人間という種に限定された内在的自由を自由の考察の最初に持ってくることは非常に有効な自由の分析手段ではあるが、途中においてもそして最後までこの立場を貫くことが大切であろう。というのは自由であるという言葉の中には、自由は楽しいという感情などがはいってしまっている場合がある。選択の自由や内在的自由と関係があるということが見いだせないような自由の議論が最後の方になると見受けられて自由論が終わってしまう場合が多いからである。これは自由意思論と社会的政治的自由論とを峻別することが原因となっていると考えられる。ハイエクは確かに障害を排除することが自由の本質であると述べるが、しかし障害を排除することにより選択の自由や自由意思が確保されることに自由の本質があると考えられるからである。自由意思に近い考え方が内在的自由の議論である。David
Miller 教授は古典古代から現代までの自由論の俯瞰図(パースペクティブ)はまだ出来ていないといっている('Histories
of the idea of liberty---No comprehensive study exist,--.'(David Miller
ed.,Liberty,Oxford University Press,1991,p.210.))が、これが完成するためには内在的自由や、自由意思というものの大切さに一々戻りながらこれまでの自由論を言語分析的にも、内容的にも、自由という事象の分析としても、おこなっていく必要があると考えられる。また例えば労働者の自由は私有財産が撤廃される時に取り戻せる、自由の価値を発揮できるという時にも、その自由は何の意味であるのかということが問題となる。労働者の自由も選択の自由や、自由意思の選択範囲の増加などと関連付けることが必要である。実際は自由な意思の発揮出来る分野は狭くなっているのに、自由になったというのは自由をこの内在的自由とは別の意味で使っていることになる。自由論の俯瞰図が完成していないのと同じような理由で、正義に関する俯瞰図も完成していないのでそれを完成しようと試みたのがヘッフェの本論文であるといえる。自由が確保されてこそ、人々は自由に道徳や、国家倫理に自分から近付こうとする。正義の原理の発見と、自由の原理の発見とは互いに関係を持っているといえる。ヘッフェが『政治的正義』序論で「この試みは、方法論的には正義のパースペクティブについて意味論的に考察することから出発し、内容的には(行為の)自由の原理にもとづいたものになるであろう。しかし正義に関する議論の見直しは、ロールズと功利主義との間で争いが生じるときにはじめてスタートするわけではない。」と述べるように、自由の原理と正義の原理とを深く関係付け古典古代における議論から論を進めているのである。イデオロギーや価値との関係でも他の問題でも、自由意思と、社会的自由との関係に戻って考察すべきである。但し自由意思論はイデオロギーを超越しているので、この考察はイデオロギーを超越することになるかもしれない。
内在的自由と、自由の相互放棄とを結びつける糸は、相互の思いやりである。従って思いやりを持たない場合には契約は成立しなくなると考えられる。思いやりも自由意思によって発生する。自由意思が確保されていてはじめて契約も可能となるのである。このことはグリーンのいう「人格の成長」にしても同様であり、自由な意思があってはじめて人格は成長しうるのである。この内在的自由と、自由の相互放棄の二つを結びつけるためには相当大きな間隙を埋める必要がある。自然的自由という概念は多分に社会的なものであるが、人間の種に限定された自由という概念は、哲学的な自由意思という概念に近く、自然科学的であるからである。この論文では自由意志ではなく、自由意思と書くこととした。ほとんどの場合この二つの漢字は同じ意味に解されているからである。自由意思は道徳的な自由意思と倫理的な自由意思とに発展し、更に社会的な自由や政治的な自由に発展することになる。私の考えでは相手への生きる本能の尊重と、資源などの配分に関する平等への配慮と尊重がなければ自由の相互放棄の承諾は不可能であると考えられる。この場合の思いやりは自由意思による道徳的なものである。教育やらを必要とするものである。そこにはグリーンの「人格の成長」の理論の復権がある。平等な配慮と尊重を法哲学の根本規範とするドゥウォーキンの議論は参考になるが、それが政治的正義のすべてではないことはヘッフェの議論の指摘するところである。自由の相互放棄が利益になるとかの合理的な理由のほかに相手を思いやる必要がある考えるのである。思いやりは道徳の分野であるが、国家倫理まで社会契約によって高められることはありうる理論である。自由の一方的な放棄により危険性がありうるのは、囚人のジレンマに現れた通りである。しかし相手を欺かないという自由の一方的な相互放棄が社会契約において成立し、契約が締結される必要がある。そのためには相手への思いやりが必要ということになる。相互ジレンマに陥っている囚人のジレンマの解決方法としてはこれしかないであろうと思われる。ただし囚人のジレンマにおいては相手と連絡が取れないところで思いやりの理性的な選択が行われる。このことはロールズの「無知のベール」の無知の概念とも関係している。この思いやりは理性によるものであって相互に依存的な関係における甘えや依存によるのではなく、相互の人格の人間性の理解によるものでなければならない。ここに自由と平等という二つの概念を結びつける接点があるようである。このことに関してはヘッフェは自由を放棄しようか自由を放棄するまいかとなやむジレンマとして第三部、第十三章において詳述する。「自分だけ一方的に正直である」ようにしたらのぞましくない結果になったり、「徹底的なエゴイズム」も不合理な結果に行き着くというようなジレンマを解決しなければならないのである。「便乗者の理論から得られた洞察は、合理性理論としての性格をもつと同時に、法倫理学および国家倫理学としての性格ももっている」とヘッフェはヘッフェ、前掲書(和訳書)、四四一頁で述べている。このことは自由の相互放棄の契約は、何らかの理性、それも国家倫理に高められたような理性によっていなければ不可能であるということを示している。ここでは政治学に欠けていた点を考え直すという政治学の反省の観点と同じ意義が内包されている。同じような意味での、各個人の道徳的な発展を目指す理想主義であるとバーリンが批判したグリーンの道徳的立場を、国家倫理、法倫理にまで高めもう一度見直そうとするヘッフェの意図が見えるのである。ヘッフェは道徳を正義や国家倫理にまで高めようとする。しかしやはり最初に危惧した通りにバーリンのいう積極的自由にいたってしまいそうな危うい論理で最後を締めくくることになる。従って国家倫理の問題はまだ端緒についたばかりであるということになる。つまり四四二頁では「自己利害の観点を貫き通すことによって生ずる有害な帰結に対抗するのは、まずもって道徳ではなくて、このような強制力である。」として干渉し過ぎる積極的自由に至るかもしれない強制力の積極的受容に落ち着くのである。そして同じヘッフェ、前掲書(和訳書)、四四二頁では「強制力を設けることは(正義という意味に解釈された)道徳の要求でもあるのである。」という結論に至るのである。本当はここから正義という意味に解釈された道徳の限界がバーリンによって語られなくてはならないのであろう。そこにはバーリンとヘッフェの間での本当の意味での和解の成立する「境界線」の研究が必要となっているのである。今後の政治哲学の課題であろう。政治哲学における『自由論の系譜』の議論は政治的な自由における政府の活動の境界線を明らかにするであろう。ペルティンスキーらの編集になる同名の書物はスピノザの自由が積極的自由かどうかについて吟味をすすめていくことになるのである。
(8)トーマス・アクィナス『神学大全』Thomas von Aquin, Summa theorogiae山田晶和訳(中央公論社「世界の名著」続5、一九七五)pp.483-484.
は自由意思について「自由意思とは、それによって善悪のいずれかが選ばれる理性と意志との能力である。」と述べた後に、「悪は神の善性に反する」と述べる。
(9 )法学と自由及び自由意思との関係については、上原行雄、長尾龍一編、井上達夫ほか著『自由と規範----法哲学の現代的展開----』(東京:東京大学出版会、一九八五年)を参照。ハンス・ケルゼン「法学的方法と社会学的方法の差異について」森田寛二
和訳『法学論』(東京:木鐸社、一九七七年)四七-五一頁。Hans Kelsen,Uber Grenzen
zwischen juristischer und soziologischer Methode, J. C. B. Mohr,1911では「存在を説明する心理学の唱える意思は、存在の説明ではなくて当為の確定に仕える規範的学問たる倫理学や法学の唱える意思と本質を異にする」、「自由な意思と帰報とは実際のところ同一物である。」と述べる。(ケルゼン、前掲書、四八頁。)ミラー教授も権利、必要性(必要性、正義、平等)のほかに経済的帰報やらの帰報(Deserts)を正義概念の三つの大きな要素として取り扱っている。(David
Miller,Social Justice,Clarendon Press,1976.pp.83-121.)フランス革命時の自由、平等、博愛も正義概念の要素であろう。
(10)制度論の立場は制度に矯正的な性格があると見る。一般の非行についてではあるが、非行と非行の矯正については放送大学の教科書である清永賢二,
岩永雅也編著『逸脱の社会学』(東京:放送大学教育振興会、一九九八)に詳しく、法倫理や国家倫理とは別のところで詳細に研究が進められていることが分かる。これは教育学においてもいえることであろう。しかしこれらは本当の根っこのところでは関連があると考えられる。制度論の立場はGehlen,
A., Urmensch und Spatkurtur, Frankfurt a.M.1964を参照。
(11)経済的自由に関してはマルクスの唯物論と、唯物論に反対するバーリンの「二つの自由」(和訳書:アイザイア・バーリン「二つの自由」『自由論』小川晃一ほか訳(東京:
みすず書房、一九七九年)。 原書:Berlin,Isaiah ,"Two Concepts of Liberty",Four
Essays On Liberty,Oxford Univ. Press,1958.reprinted 1982.。)における見解を参照。マルクスの『共産党宣言』を参照。また、バーリンによるマルクスの伝記『カール・マルクス』も参考になる。(I.バーリン『カール・マルクス
: その生涯と環境 』倉塚平, 小箕俊介訳(東京 : 中央公論社, 1974)。 Berlin,
Isaiah, Sir,"Karl Marx : his life and environment" )公平を期すためにレーニン『カール・マルクス』長谷部文雄訳(東京
: 青木書店, 1964)は唯物論の立場からの伝記であり、両方を較べられ参照されたい。
(12)ルソー『社会契約論』井上幸治和訳(中央公論社「世界の名著」三十、一九六六)p.245.J.-J.Rousseau,Le
contrat social ou principes du droit politique,Paris,Garnier freres,liberaires-editeurs,1772,Livre
I,Chap.VI.
(13)ルソー『社会契約論』井上幸治和訳(中央公論社「世界の名著」三十、一九六六)pp.244-45.においてルソーは次のように述べている。主権は「個々人の利益に反する利益をもたないし、またもちえない。したがって、政治体が構成員を害しようとすることはありえないために、主権は臣民に対してどんな保証も必要としない。」と述べて、国家から過度の強制や、意に違う強制があるような場合があることを想定していない。ルソーの社会契約説の特徴である。J.-J.Rousseau,Le
contrat social ou principes du droit politique,Paris,Garnier freres,liberaires-editeurs,1772,Livre
I,Chap.VI.
(14)人間に固有の自由はそう簡単には相互放棄が可能であるとはいえない。相手の生存本能や、相手の資源との平等性に配慮し、理解する心や、平等な配慮の心など理性が必要であろう。
自由の相互放棄は理性によって行われる。規則を作るということは自由の相互制限であり、失うものと得るものの相殺の計算であるとヘッフェも、ルソーも考えているが、そんなに簡単には契約は行われえない。選挙のように沢山の種類の契約書(公約)が生れる。しかし最後は平等に配慮するとかの理性によって契約がなされるであろうが、政治的、憲法的に相違する立場の人は契約内容について政府とはそのような契約を行うことも、行ったこともないという主張をするであろう。
ルソーは「各人はすべての人に自己を譲り渡す」とルソー『社会契約論』井上幸治和訳(中央公論社「世界の名著」三十、一九六六)p.242.において記している。J.-J.Rousseau,Le
contrat social ou principes du droit politique,Paris,Garnier freres,liberaires-editeurs,1772,Livre
I,Chap.VI.
(15)現代の平等の概念については、ごく最近の論文をまとめた一九九七年の書物にLouis
P.Pojman & Robert Westmoreland eds.,Equality ,Oxford University Press,1997がある。これは様々な現代平等論を抜粋した平等論の論文集である。日本人には手に入りにくいような雑誌に掲載された論文も多く含まれており参考になる。現代の平等論の論点としては、まず機会の平等と、幸運・不運の問題や、幸運不運と自己責任の問題がある。また嫉妬との関係の両極の議論、一つ目の極は嫉妬を解消するために平等を促進すべきであるという議論と、二つ目の極の議論、民主的な制度により嫉妬の感情が人間の心に非常に発達することに目をつぶってはならない(
'One must not blind himself to the fact that democratic institutions develope
to a very high degree the sentiment of envy in the human heart.')という議論との対立の問題がある。また平等の概念の本質の問題がある。平等はどのような意味で道徳的に必要な概念(a
morally necessary notion)であるのかどうかについての問題である。Felix Oppenheimは平等という語の用い方の問題を指摘する。また私有財産制度が人間の不平等の起源であるとするルソーに対して、アリストテレスやデューイのように私有財産は人間の徳を涵養するものであるという擁護論も対立している。(「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』ということを思いつ−−いた最初の人間が、政治社会の真の創立者であった。−−『−−土地はだれのものでもない−−』と−−叫んだ人が−−犯罪と戦争と殺人と、またいかに多くの悲惨と恐怖とを、人類から取り除いてやれたことだろう。」ルソー『人間不平等起源論』小林善彦和訳(東京:中央公論社、世界の名著三〇、一九六六年)一五二頁。)(アリストテレス『政治学』戸塚七郎和訳(アリストテレス全集一五巻、東京:岩波書店、一九六八年)pp.38-49.「悪は、共有でなく私有のためにおこるのでは絶対になくて、悪い性格(悪癖)から発生するのである。」(アリストテレス、前掲書、四九頁))(ジョン・デューイ『人間性と行為』東宮隆
和訳(東京:春秋社、一九六〇年)九四頁、John Dewey,Human Nature and Conduct:An
Introduction to Social Psychology(1922;Random House,1930))においては「『我思う、故に我有り』よりは、『我所有す、故に我有り』とでも言ったほうが、ずっと真実な心理が表現される。」「道徳的責任の、根底となるものである。」「近代の工場の労働者も、だんだん『自分の』機械をきめるようになり、これが変わるとどうも落ちつかない。」和訳書、九四頁。)我思うは自由による理性を表現しており、我ありは我という存在をあらわしており、生の本能によって認識されるのであると考えれば、我思う故に我ありではなく、両者は原因と結果ではないと思われる。アウグスティヌスは我が存在することは否定出来ないのであると述べ、自殺の否定の論理に使用している。実存主義以前の人間の本質の問題である。また自由の本質的な社会的性質では自由は不平等を発生するのか、自由と平等が両立し相互に補いあう概念であるのか(compatible
and mutually supportive concepts)の問題がある。 デューイはこの問題に対してEqualityのなかには載っていない論文で次のように述べる。「経済的自由放任の自由主義の社会的結果が、平等ではなく不平等であることが明らかになった時点で、それを主唱したものたちは、ふた通りの弁明を用意した。一方で、彼らは人間には生来のちがいがある、つまり心理的、道徳的構成は各人において異なるとし、富と経済的地位の不平等はこれらの差異が自由に作用した結果で、「自然な」正当化されうるものであるとした。」「別の弁明は、個人の中心にありそこから発するさまざまの美徳、つまりイニシァティヴ、自律性、選択、責任感などを、不断に礼賛することである。わたしは、われわれがもっと多くの「強靱な個人」を必要としていると考えているものの一人である。少なければいい、というのでは断じてない。しかし、強靱な個人主義の名において、不平等を正当化するような考え方には批判的である。-----このような議論は、イニシアティブ、活力、自律性をごく限定された意味でしかとらえていない。いいかえれば、経済活動の面ではこのようなことが何を意味するかは考えるが、人間関係、科学、芸術など文化的要素との関連において、それらが何を意味するかはほとんど無視されている。とくにこの最後の点においてひじょうに明白なのは、自由主義の危機と個人の真の解放という見地から、それを再考する必要があるということだ。」(ジョン・デューイ『自由主義と社会的行動』明石紀雄和訳(東京:研究社、一九七五年)二七五−二七六頁。John
Dewey, Liberalism and Social Action ,1935;Putnam,1963.)という理由によってデューイは穏健な改革主義の社会主義者を大恐慌期に応援した。さてこれに対してノージックも、アダムスミスも、現代経済学も、公正取引の議論も、独占や寡占が存在しない自由な競争が確保されるならば、「見えざる手」は人間を資源的にも、機会的にも、自由でありかつ平等にするであろうという経済理論でもって対抗する。現代経済学ではこの理論の方が優勢である。自由と平等の調和の概念こそ政治学的にも経済学的にも哲学的にも政治的正義論においても今後追求されなければならない自由論と、平等論に共通する難題であると考える。
(16)現代の自由論については、David Miller教授によって編集された"Liberty"が最も体系的で参考になる。David
Miller ed.,Liberty,Oxford University Press,1991.
この本は「二つの自由」に関するバーリンの論文や、グリーンの論文、ハイエクの理論、マキャベリーの共和主義的自由に関する自由論、アーレントの自由論などを中心とした自由論のよせあつめの論文集となっている。最初にMiller教授による全員の論文に関する要約がある。
この論文集でのCharles M. Taylorは単なる機会概念として自由を理解することができないという点でバーリンの理論の発展が見られる。(I
can no longer understand freedom just as an opportunity-concept.)(Charles
M. Taylor, 'What's Wrong with Negative Liberty', in The Idea of Freedom,
ed.A. Ryan (Oxford: Oxford University Press, 1979),pp. 175-93.Reprinted
in David Miller ed.,Liberty,Oxford University Press,1991,p.162, by permission
of the author.)干渉されない消極的自由、つまりバーリンのいう自由に行動できる機会という意味での自由だけでは自由は理解できなくなってきていることである。純粋な機会概念 a
pure opportunity-conceptとはQuentin Skinnerによる要約によれば"I am
already free if I have the opportunity to act, whether or not I happen to
make use of that opportunity."という考え方である。(Quentin Skinner,
'The Paradoxes of Political Liberty',The Tanner Lectures on Human Values
at Harvard University.Reprinted in David Miller ed.,Liberty,Oxford University
Press,1991,p.189, with permission of the University of Utah Press from
the Tanner Lectures on Human Values, VII, ed.S. M. McMurrin(Salt Lake City,
University of Utah Press; Cambridge, England: Cambridge University Press,
1986), 227-50.における要約。) 自由の範囲を決定したからといっても、その中での自由は自由意思によって善にも悪にも向かうことも可能である。善に向かう自由という概念は規範的であり、国家倫理、法倫理的な概念である。自由の範囲が決定されるのみでよいというバーリンの消極的自由の主張は崩され新たな倫理を必要とするという主張がうまれつつある。バーリンのいう積極的自由の概念にはいたらないような倫理的自由を求めていることになる。ヘッフェの倫理の概念が自由論の中に登場する余地が循環論的にめぐってくることになる。最後には倫理的自由と消極的自由との調和の問題が大きな問題となるのである。倫理的自由の問題はある場合には国家倫理の問題となったり、ある場合には平等や配分的正義の問題となると考えられる。自由論と平等論の接点における多くの難問は規範や倫理の問題となるから自由の理論も平等の理論も政治的正義の議論と連携をとらなければ解決できないと考えられる。但し、ミラー教授の要約によればスキナーは自由を公的と、私的の二つの自由に分けることになる。('Skinner
uses the vocabulary of 'public' and 'personal' liberty to describe Machiavelli's
standpoint.'( David Miller ed.,Liberty,Oxford University Press,1991,p.6.))スキナーは共和主義的自由とミラー教授が呼ぶ自由について分析している。
この論文集に載っていないフロムの『自由からの逃走』の議論や、ベイの『自由の構造』の議論も自由に関する参考になる議論である。自由にはなっても自由から逃走しようとすることが発生しうるからである。そこでフロムは「積極的な自由は全的統一的なパーソナリティーの自発的な行為」(positive
freedom consists in the spontaneous activity of the total, integrated personarity)(斜字体はフロムの指定による)によって達成されると主張する(Erich
Fromm,Escape From Freedom, New York,1941.p.258.)。ベイは心理学的自由、社会的自由、潜在的自由等の新しい概念を導入し、カリフォルニア・バークレーグループの行った権威主義、差別主義やらの行動科学的な研究を自由の見地から分析しなおした。
また自由論の政治哲学的な系譜については、バーリンの理論を含んだ論理展開となっているが、ペルティンスキー等の編集になる『自由論の系譜』の書物がある。Zbigniew
Pelczynski and John Gray eds., Conceptions of Liberty in Political Philosophy,London:
Athlone Press,1984.
またDavid Miller教授にはスタンダードな正義論の教科書David Miller,Social Justice,Clarendon
Press,1976.の著作がある。
Gerald C. MacCallum,Jr.は自由に関する議論を言語分析して、ルーズベルトのレトリックRooseveltian
rhetoric の飢えや欠乏や恐怖や病気からの自由でもその他どのような自由の概念でも(''freedom
from hunger' ('want', 'fear', 'disease', and so forth')(Gerald C. MacCallum,Jr.,
'Negative and Positive Freedom', reprinted from The Philosophical Review
76 (1967), 312-34,by permission of the publisher, in David Miller ed.,Liberty,Oxford
University Press,1991,p.105.))人間の主体と、妨害物と、自由な活動の三つの関係であるという。'Such
freedom is thus always of something (an agent or agents),from something,
to do, not do, become, or not become something; it is a triadic relation.'(Ibid.,p.102.)自由の言語に関しての特に重要な分析であるが、私は内在的自由に関わる自由の本質である自由意思がもっとも本質的であると考え、自由の主体(人間)と、自由の主体の自由な活動(to
do)が自由の本質であるという考えである。言語の意味分析は古典古代から、現代までを同じ視点で研究出来る。自由と正義についての政治哲学的議論においても分析哲学analytic
philosophy的進め方が可能である。
(17)アウグスティヌス『神の国』De civitate Dei contra paganos libri viginti
duo泉治典・原正幸和訳(東京:教文館、一九八九年)「アウグスティヌス著作集11」p.247.Sancti
Avrelii Avgvstini,"De civitate dei",Avrelii Avgvstini Opera Pars
XIV,1(14-1),XIV,2(14-2),Corpvs Christianorvm Serie Latina XLVII,XLVIII,Libri
I-X,Libri XI-XXII,(Tvrnholti Typographi Brepols Editores Pontificii,1970)IV,cap.IV,p.101.
この文章のすぐ後で大盗賊団のなかで「分捕品は一定の原則にしたがって分けられるのである。」と述べ、大盗賊団の内部においても内部の配分的正義にはかなっているが外部に対しては正義がないことがある例があることを、なんとこの時代から指摘しているのである。ナチスの事例についてはアウグスティヌスの文章は見ないうちに別に考察されたものである。
(18)正義論の概観や、ロールズやドゥウォーキンらの現代の正義論については、碧海純一他『新版
法哲学概論 全訂第二版』(弘文堂、一九八九年)に簡潔な要約がある。
現代の自由の概念についての最初のとっかかりは、百科事典によるべきである。Edited
by Iain McLean ,Oxford Concise Dictionary of Politics,Oxford University
Press,1996は簡単に自由論の現在の問題点を四点ほど指摘している。有賀弘「自由」『世界大百科事典』(平凡社)、田中治男「自由」『講談社大百科事典
グランド・ユニバース』(講談社、一九七七年)』、このの二つは日本の政治学者による自由の語の解説である。
政治をどのように学ぶか。経済をどのように学ぶのか。
国家の責任と個人の責任
政治は個人的な利益について学ぶのではない。公共への関心によって学ばれる。個人がどうしようもないリバイアサンについて学ぶのである。例えば大恐慌にさらされた人々は、自分の責任でこんなに貧しくなったのか、国家の政策が悪かったのでこのようになったのかわからなかった。政府は個人の責任であろうというが、自分では非常に努力したと思っている。しかし学校での成績は悪かったのだから自分の責任でこんなに貧しくなったのかなとも思う。しかし企業社会や、企業家精神では学校での成績は関係ないのではないかとも思うのである。
レバイアサンという言葉は怪獣という意味である。国家が怪獣となっているかどうかは戦争のときにははっきりとわかる。これは国家そのものが活動して戦争という活動を行っているからである。
が、経済の循環が政治の問題となっているときには分かりにくい。自分の消費を抑えて貯蓄をしすぎていることが大不況を更に拡大する原因になっているということに気づくような機会はほとんどない。
自分は努力しているというだけであり、自分は最大の利益を得ようとしているだけである。最大利潤の追求が本当に経済の発展をもたらしている場合と、そうではない場合とがあるという問題である。しかし最大利潤を追求したとしても市場の失敗によるのか、自らの力不足によるのかその両者のうちの一つによって自らがどのように努力したとしても利潤をあげることができないという問題である。
また年金の問題も自分が貯めたものを年金として受け取っているのか、現在働いている人々の給料からもらっているのかについては定かではない。そのような問題が政治問題となっているときには自分の個人の利益に従って政治的判断をすることはできない。
この場合には全体の人のことを考えなくてはならない。しかし全体の利益を考えないで投票をする人ばかりである場合には経済に対する影響のある問題は各個人の利益によってのみ投票されるのであるから、ポピュリズムへとつながる可能性があるような政治になってしまう。一般的な哲学への回帰現象は起こらないことになる。
日本においてはこれまで利害関係によって政治が行われてきた節がある。政治とは利害の問題であった。独占禁止法上はほとんど実効性を有していなかったので、政治は仕事を配る役目を果たしてきた。
利益配分機能こそが政治であるといわれてきた。確かに年金の問題も、経済循環の問題も利益の問題ではあるが、個人の利益を配分してもらえるという酒類の政治課題ではない。が個人ではどうしようもない問題である。
その場合には個人の利益ではなくて全体の利益を考慮しなくてはならない。全体の利益を考慮するような経済理論が必要になる。個人の利益が全体の利益になっているという自由競争至上主義によればほとんど全体の利益を考えるような経済理論を考える必要はない。
ところが自由競争至上主義は経済恐慌や、市場の失敗の時期には自由競争至上主義から脱却しなければならないという主義によれば、国民には消費をすることが美徳であるというパラドックスを政治は解く必要があることになる。このパラドックス理論は政治学的な経済学であったといえる。
しかしその経済理論を否定するならば、自由競争至上主義は出来上がる。自由競争至上主義は経済恐慌を治せないことになる。
すると独占禁止法が否定されることになる。つまり自由競争至上主義は公共の利益のために役に立たない場合が、経済学的にはあることになる。
しかし不動産鑑定業界においては自由競争至上主義が公共の利益を増大させることはほとんど的確に当てはまる。
自由競争至上主義によればほとんど全体の利益の配分は個人の努力によって支配されていると考えられる。
しかし個人の努力によらない親から受け継いだ資産があるものと、そうではないものとがある。それは不平等である。この状態での自由競争は同じ結果を生み出さないのであるから自由競争至上主義は平等をもたらすというのは幻想であるという主張が当然に起こる。
開発途上国においては税金の利益配分機能こそが政治であると民衆がみなしてきたようである。現在においても開発途上国では政治の主たる役目は税金の利益配分機能である。利害関係によって政治が行われてきたのである。
自由競争至上主義が台頭した時点では自由競争が支配している業界では利益配分機能は市場に任されている。
日本のような世界第二の経済大国になった国では税金の利益配分機能は確かに政治家の恣意的な配分のみでは経済をうまく動かすことはできない。しかし自由競争至上主義のみにもまかせることはできない。これが混合経済である。
自由競争至上主義は個人の努力によって市場の配分が平等に行われるという大前提をもとに成立している。
資源の最適配分である。
税金の利益配分機能を政治が最適に担うことができるのかについては統制経済が資源の最適配分を行えなかったという事実によって学問的な決着はついている。統制経済による資源の配分は市場形成による資源の最適配分には勝っていないという理論である。各個別の市場における場の情報をすべて統制経済の中央制御コンピューターによって集めて、市場における解である数量と価格を正確に出し尽くすのは困難に直面していることがわかったためである。
ではどのような市場が政治の利益配分機能にまかされるべきであり、どのような市場が自由競争至上主義にまかされるべきであるかという問題が提出されることになる。
これが公と私との差の問題である。
一般的な答えは負の所得税のように市場の失敗による敗者に対する事後的な救済の市場は政治の利益配分機能によるべきであるというものである。
市場の失敗よりも事前の利益配分は市場によった方が先の場の理論によっても配分が適正になるという考え方である。
一方ではそうではなくて市場の失敗以前の市場においても公共の利益のために政治の利益配分機能が優先すべきであるという主張も存在するが、その不平等や不公正な性質に対する批判によってほぼ影をひそめている。
経済大国になったのだから経済成長はもう必要ないから、不平等や不公正な社会を治すのが先だという主張も存在する。
大不況の時期においては市場の失敗が常態化しているのか、市場競争は機能しているのか。機能していないといえば現実を見ていないことになる。市場競争は機能して中国とかの新興の国において生産された製品に旧来の産業構造および為替の状態における国の製品が市場の原理によって負けているのである。これを見ると自分の国の給与や原価を下げるしか対抗の余地はないことになるが、それらが国の制度的な要因であると考えるならば市場の問題ではなく、市場の失敗に匹敵するような国家機能の問題であるということになる。政治による利益配分機能こそが政治であるといわれてきた時代に逆戻りせざるを得ないのである。
しかし豊かになった産業革命後の日本では開発途上国におけるような税金の利益配分機能だけではこの状態を治すことはできない。まず中国においては現在の税金が多く国庫に入るのに対して、日本では過去の国庫しか存在していない。いわゆる貯蓄である。税金の利益配分機能の思考方法では利益配分そのものができないのである。従って過去の貯蓄や、国庫や、資産をどのように配分するかという機能が政治に課せられることになる。これが郵政を民営化して不良債権を処理すればそこに資金が貯蓄されていたのだから、それを有効に使おうという議論になったのである。
ところが資産デフレはバランスシートを痛め続けているので郵政を民営化して不良債権を処理すれば更にデフレ乗数の問題が日本を苦しめ続けることになるであろう、これが一つの郵政を民営化することへの反対派の理論付けであった。
資産デフレの時期においては郵便配達業郵政を民営化することによる市場競争による資源の最適配分によるメリットも、郵便貯金と簡易保険についての金融機能による資源の最適配分によるメリットも資産デフレによるデフレ乗数という問題には対抗できる大きさではない。
資産デフレはバランスシートを直撃しているので、その穴埋めのためには銀行は金利の支払いを減らさなくてはならないし、企業は合併などをして資産デフレを被った企業を存続させるための対策をたてなくてはならないのである。
これらは個人の努力の問題ではない。個人ではどうしようもないのであって、政治が解決すべき問題である。個人が労働者として、あるいは、個人企業家としてどのように努力したとしても個人の努力では治すことができない社会の問題である。
このために個人が創造的破壊論や、政治の破壊に興味を示すことは充分に理解できる。
経済と貨幣供給
貨幣はその信用と一体となって発行が可能である。不動産や、株や、実際の企業のような実物を担保にしてしか貨幣は発行できない。その意味では資産の側面とは別に貨幣供給を行うことができると考えることは、経済成長が資産の成長をもたらすので経済成長の伸び率とほぼ同じだけ資産が増えたのであるから、その分の資産を担保にして貨幣を経済成長率程度に発行するであろうという予測ならば正しい。しかし社会全体におけるポートフォリオ選択の割合が変化がないとした場合にはというペテリス・パリブスの条件が付加されなくてはならないことになる。
現在の日本のような大不況の時期には貨幣の経済価値は資産の価値が減退しているのであるから、貨幣残高の問題と貨幣の経済価値、あるいは、資産の経済価値の問題が発生する。貨幣の残高を増やすことによって、これまでの貨幣残高数量説によれば取引が活発化するということになるが、実は資産の価値が増えることによって取引が活発化するということも考えることができる。
資産の評価価値が減るということは損失を発生させ、国のバランスシート不況をもたらし、かつ国の収支も悪影響を受けることになる。
資産の評価価値は貨幣によって評価されるのであるから、資産の価値が減少する理由は中国との相対的な評価価値の違いからくるというよりも、日常の生産物が安くなるのであるから、相対的に資産の経済価値が減少しているのだということもできるし、これまで同じ生産物を生産してきたのであるが、現在は中国で安く生産できるのであるから、比較しても資産は安く評価されるべきであるということもできるであろう。
資産の価値が減っているから貨幣の供給を減らそうという考え方と、逆に資産の価値を減らさないために貨幣の供給を行っていき、将来の外国為替で調整しようという考え方も存在するであろう。この場合には国家主義的な高揚を要求してこれまでの生産物が資産と化したのであるから資産の価値を評価するにあたっては安い評価をして、安売りをしないという考え方であるということになる。
これまでの一般均衡の経済的ミクロ理論はすべて所得と消費の循環の問題としてとらえてきたのであって、資産の問題を一般均衡の中に入れて経済全体をとらえてきていなかった。このために資産デフレはバランスシートを直撃したにもかかわらず一般的な政治経済論を展開できなかったのである。
かっての大恐慌も、今回の大不況も共に資産の問題であったのである。資産の問題を一般的にとらえるためには、一般均衡のなかに過去の貯蓄や過去の国庫やらを入れたり、将来の貯蓄や国庫の問題やらをも入れるのであって、時系列のすべての段階においての経済を考慮するのである。すなわち国の創設期の国土の土地という原初的な資本の問題から、そこに作られたすべての資本の問題、そして負債や資産の問題、更には収入と支出、更には貯蓄や負債の問題が重要となるのである。そこに信用と貨幣の供給と、その供給限度の問題が更にはいってくるので更に難しい問題となるのである。一般には貨幣の問題は収入と支出の問題と考えられているが自己の家計を見てみればわかる通りに、貨幣の貸し借りの問題は貸借対照表というフローとストックの双方が交差するところに派生する問題であり、損益計算書の問題ではないという点が大恐慌や大不況を解く鍵であると考えられる。
ポピュリズム
これが小泉政権の見方であるポピュリズムへとつながる可能性があるような政治になったのではないかという批判である。
政治学的には統治の国家機構という観点からはそのようにいえるが、経済学的には自由競争至上主義は全体主義からはほど遠い。
ポピュリズムにも二通りある。ヒットラーの誕生やアメリカの戦争宣伝の場合のように当時の大恐慌に対するようなポピュリストと、現在の小泉政権の見方であるポピュリストとは違ったポピュリズムを違った過程で展開している。政治が大統領制のようなものであるか、そうではないかという違いの問題も含んでいるからである。ヒットラーは総統として大統領制に似た政治状況を作り上げて独裁的な体制によってポピュリズムを遂行した。
現在の日本は議院内閣制の制度によって統治機構が形成されているのである。
議院内閣制の制度においては大統領制に比較すれば国民に権威に基づく一定の宣伝をばらまくことをもってポピュリズムへとつながる可能性があるような政治は難しいと思われる。画一的な固定した宣伝が難しいと考えられているからである。
ところが解散権を行使すれば、内閣の総理大臣の権限を莫大に拡大することができる。
アメリカの2つの政党は公共的な問題はすべての人に関係する問題であるが、しかし意見が分かれる問題であるので一つの問題についてどちらの政党を選ぶかという問題を提示しているのである。従って日本との戦争においては両方の政党が一致したので宣伝がポピュリズムによって進行したのである。
ポピュリズムは民主主義のうちのどのような段階であるのか。衆愚政治であるのか。そのような政体論(政治体制論)としてとらえる場合と、もう一つの方法として政治がリバイアサンとなった場合に人々が心理的に国民はなぜに大不況がきているのか、戦争すべきなのかどうか、破壊活動を続けるべきかどうかがわからないでいる時にどのような心理になっているのかを分析する方法とがある。心理的には自らが政治に参加できないのに大不況によって生活を圧迫されている時期に自らの心理がどのようになるのかという問題である。原因と因果関係が経済学を知らない一般大衆がとらえることができるのかどうかの問題であるので、経済学を一般の民衆に教えなくてはならないのであるから非常に難しいものとなる。
政治と教育
山 口 節 生 著
山口 節生
政治と教育
序論 ・・・・・一
目 次
はしがき
序 文
第一編 自由の強制
第一章 自由の本質
第一節 妨害と障害がないことか、選択の自由があることのどちらが本質か 第二節資源の平等は自由に影響を与えるか第三節 社会心理学的自由は政治学の一部分になりうるか
第二章 自由の学説展望
第一節 第三章 フロムの積極的自由と、バーリンの積極的自由 第一節 自我の発達に向かう積極的自由と、自我の発達を阻害する権威主義の積極的自由
第四章 消極的自由と、積極的自由
第五章 自由と平等の調和
第六章 自由の構成要素
第七章 自由の内心と人間関係における自由
第八章 自由のための資源
第九章 自由のための能力
第十章 自由を行使する主体
第十一章 自由論の今後
注
参考文献
第二編 政治と教育 家庭における性格の傾向の形成とイデオロギーの形成過程
第一章 政治・公民と教育 ・・・・一三
第二章 乳児の社会と人間 ・・・・二七
第三章 幼児の社会と人間 ・・・・四七
第四章 幼児の人間関係・所有の観念 ・・・一〇三
第五章 基礎自我の形成 ・・・一二九
第六章 「精神医学は人間関係である」という説との関連で ・・・一五一
第七章 兄弟姉妹の人間関係論を学術的にするために ・・・一六七
第八章 性格をみる立場の独立性について ・・・一八二
第九章 社会教育・公民教育と社会意識・公民意識の発達心理 ・・・二二九
注 ・・・三七二
参考文献 ・・・二七七
参考文献抜粋 ・・・三〇六
第三編 政治と選択の自由 個人の性格の傾向と、社会制度の性格の傾向との拮抗関係政治とは何か
今後のこの論文の発表のためのノート
序論
新 し い 自 由 と 平 等
自 由 と 平 等 の 調 和 : 平 等 は 自 由 の 一 要 素 で あ る 。
別名未定: 自由と博愛から平等にいたることは可能か
−自由と平等の調和: 新しい自由平等による民主主義と、古い自由平等による民主主義−
政 治 と 法 の 心
自 由 と 平 等 の 調 和
「本能や種に固有の特性が欠如しているという事態に対して、人間は性格的性向という内的支持と社会制度という外的支持とによって対処しうる。そしてこの外的支持のほうには強い強制的性格が含まれている。したがって政治的正当化の議論においては、すでにプラトンのところで提起した問いが現れる。そもそもなぜ外的安定化が、またその枠内で場合によっては法と国家が存在せねばならないのだろうか。
この正当化に関する問いに対しては、(すでにプラトンに見られるように)教育への欲求をもって答えることができる。人間はいま述べたような態度を生まれつきもつものでも、また純粋に生物学的な成長過程において発展させるのでもない。それゆえ人間は教育を必要としており、またそのためには家庭のような制度を必要としている。さらに、すべての人間がこうした性格的な態度を十分確実に形成するわけではないのだから、内的支持に関して、制度はそれを獲得するための前提であるのみならず、それを補完したり、場合によっては代用したりするのである。」(ヘッフェ、訳書、三七八頁。原書、p.368-369.)ヘッフェはまだ若い学者で一九四三年生まれであり、その文章は多くの論点が整理されている。動物のなかでも人間という種はどのような存在であり、人間における自由と政治との関係はどのようなものであろうか。種に固有の特性は効用という観点を持つということであろうか。内的支持・外的支持という場合の支持とは方向性や、選好や、傾向やらという意味であると考えられる。原語はInnenhalt/Auenhalt であり、haltは英語のholdとほぼ同じ語源であり、同学社版の『新修ドイツ語辞典』によれば、1支え、よりどころ、2根拠、定見などの訳語を当て、TheOxford-Harrap Standard German-English Dictionary,OUP,1977.によれば、1の意味ではhold,support などが、2の意味では moral stability, moral stay, mainstay in mattersof moralityの英語が当てられている。
「ド・トクヴィルは、『民主主義と社会主義とは、平等というただひとつの言葉を共有するだけである。しかし相違に注意せよ。民主主義は平等を自由のなかに求めるのに対して、社会主義は平等を拘束と隷属のなかに求める』と書いた。そしてアクトン卿はド・トクヴィルに与(くみ)して『フランス革命を自由にとってかくも災害たらしめた最も深い原因は、その平等論であった』こと、そして『世界にこれまでに与えられた与えられた最も素晴らしい機会が、平等に対する情熱が自由に対する希望を空しくしたために、投げ捨てられた』ことを確信した。」(ハイエク、三九〜四〇頁。原書:p. .)この平等と、自由との調和こそ今後の自由論にとって求められている課題であると思われる。
すべての子供が将来の社会をオプティミズムの哲学の構造を理解し行動しやすくするために
役に立たない知識は捨てることを覚えるために
はしがき
この論文はもともとは私の恩師の有賀弘教授が私が一八歳頃ころから書きたいと思っていた自由論について書きたいということを述べたところ、「自由であることを強制する」とはどのようなことかを研究したらと助言してくださったことからはじまったものである。
もし選択の自由が人間の本性であるならば、選択の自由を得られないようにする政府を作ろうという憲法を主張することは人間の本性に反することかもしれない。そうであるならば自由であることを強制するような政府はもしそれが人間の本質的な選択の自由を回復するような自由の強制、つまり、自由の妨害物や障害を取り除くものであるとすれば、それは強制も許されるのではないかという観点から出発したものである。もし平等を静的に確保しておくために人間の本質である選択の自由を制限してしまうようなことは自由の本質に関して誤ったとらえ方をしているのではないかという観点から出発したものである。この考え方によれば権威とそれに対する依存という奪い合う関係ではなくて、他の権威に依存しないで自分で判断し、自分で何でもすることができる自己をもった自由で独立したフロムのいう統一的なパーソナリティーをもった人間同士であれば自由と、平等と、さらに博愛も可能になるのではないかということからかきはじめたものである。
英語ではインディペンダンスindependence(独立性)と、ディペンダンスdependence(依存性)という正反対の言葉(in-は英語では依存していないという時の〜ではないという接頭語である)や、メランコリーやペシミスティックという言葉に対する正反対のオプチミスティックというような言葉を機能的にシステマティックに分析し、組み立てることによって東西冷戦後の自由論を、政治学の一重要概念として更に社会的・人間的自由論として形成していこうと考えたのである。ディペンダンスを依存と訳し、それを政治学的にかつ政治心理学社会心理学的に実態と心理を解明することは、政治分析のもっとも鋭い視角の一つであると考えたのであり、依存の大きさは依存されている人間をその大きさに応じてメランコリーにしたり、ペシミスティックにするのではないか、それは現実の政治においても、政治の心理においても、その他の場面においても同じではないかと考えたのである。早稲田大学の内田満指導教授の下での修士論文、更には一橋大学時代の金融論・経済学の長澤惟恭教授の下で政治哲学や、経済哲学に関する卒業論文を書いたときから温めていた課題であった。自由とは何か、自由は人間に何を与えてきたのか、選択の自由を持つ人間はどのような方向に向かっているのであろうかということこそ私の研究の課題であった。
政治哲学と法哲学について広く研究することは長年の私の夢であった。それは私の弟や、祖父が政の字を付けた名前を持っていたからなどという問題ではなくて、政治は日常の一つ一つの行動そのものであるという信念からであった。そこらじゅうのすべてが政治なのであるという信念からであった。だからこそ、国家の間の戦争は平和時には政治的ではないと思われているが、実際は政治的であったそこらじゅうのすべての人及びものに大きな影響をあたえることになるのである。戦争を行っていない時期においても、政治や国家は日常のすべての行動に政治性として認知することが出来ると私は考える。政治とは何かを考えてきた私が認知しようとしていることはそのような政治性である。マッコイが現代政治学は現在の生活との関連性を失ったという主張や、レオ・シュトラウスのいう政治をミクロに分割して個々の部分に分割して研究するようになったために、全体の政治が分からなくなったのが現代政治学であるという政治学に対する批判も、このような日常性を政治学のなかに取り入れることによって、批判に耐えられるようになるのである。
自由と平等は調和が出来る。自由を存在させながら、平等も達成するためには平等の性質を考える必要がある。自由を平等に与えるということは不可能である。自由は自由意思であり、平等に与えられているが、量的なものではなく平等というように量ることは出来ない。無の状態である。量として計上できるのは資源である。それは経済学の問題である。自由は経済の動きに応じて、その資源を自由に使用することが出来るという動的な何かを表している。すなわち経済学が、問題としての稀少資源の平等な配分を計量的に解決すれば、政治はそこに自由な選択の自由をまもることができる。その時には平等な自由が確保される。これは形式的平等から、実質的平等というものに重点を置いた考え方である。これによって自由と平等は調和したことになる。静的な状態を表現する平等を達成するために、自由という動的なものを殺してしまうというこれまでの平等の考え方からは、選択の自由という人間の本性を考慮すれば、早急に人間は脱出すべきである。人間性としての自由な選択が政治学の本質でもあり、自由の本質でもあるからだ。
この論説がこれまでそのような考えのために殺された人々をの名誉を回復し、慰霊できることを願ってこの論文は書き進められるし、読まれるべきであるのは『自由からの逃走』やらの切々たる論調、口調と同じである。
マキャベリーは人間は性悪であるというようにとらえていたといわれているが、私は彼はそれを直して性善にしようと努力していたのではないかと解釈している。いやそうあるべきだ、現代の社会科学によればそれは出来るのではないかと考えている。丸山眞男氏の性善か、性悪かの『現代政治の思想と行動』の三六二頁。から三五六頁。で展開されている議論は議論は参考になるが、マキャベリーやホッブスやロックの考え方をも参考にしながら、最終的には私の考え方は人間は性悪から性善に変わるように強制することが出来るかどうかにいきつくのである。自由は強制できるのかという問題はそこに行き着かざるをえないのである。これらの問題の考察は結局人間の本質である自由に関するものであり、かつ、それは人間が二人以上いる社会においては是非必要な議論である。自由の強制という概念は人間が選択が可能であるという自由の本質の問題と、ヘッフェが冒頭の引用文のなかで述べているような強制の本質を両方共に明白にすることによって明らかになるのである。自由の強制は全体社会としてみれば啓蒙主義であったり、共産主義化であったり、自由な社会にするための自由化であったり、するのであるが、それらのイデオロギーがどのようなものであれ社会的な、人間的な性向として決定されるのであれば、それが人間の本性としての自由を確保して、人間の性向を性悪から性善にするものでなくてはならないといえるであろうと考える。レフトはフランス議会で左側に座った人々のことであり、ライトは右側に座った人々のことであった。またリバティはラテン語を語源とし、フリーダムはサクソン語を語源としている。従って語源的にはリバティから派生したリベラルがレフトと必然的に結びついていたわけではない。ここで私が理論化しようとつとめている自由は、また、自由化や、自由の強制はレフトと結びついているわけではない。ここで問題としなければならないのは人間の本性は何かということ、つまり、性悪から性善に選択の自由を行使して、経済や歴史に左右されながらも移っていくことが可能であろうかという意味のリバティである。
教育は強制を伴わない制度や、規制の自由な学習を助けることである。そのことは政治が最終的には強制を伴う権力をウルティマ・ラティオ最終の手段として持っていることとは本質的に相違している。しかし刑法における自由刑や教育刑の考え方に対する報復刑の考え方の対置と同じようにこれらは相対的なものである。死刑の廃止という考え方が報復刑から教育刑への転換を模索するものである場合には、この死刑廃止の考え方は他のマルクス主義的な経済先決の考え方からも発生するのではあるがそれとは全く別の考え方としてこの教育刑の考え方は最終の手段を使用するのかどうかという点において教育と、強制を伴う政治との対立と似通ったものがあり、そこには政治的な考え方がかいまみられる。
政治の考え方においても自由を尊重する立場の政治と、報復やサルキング(すねること)やらから強制的な権力をふんだんに使おうという考え方とに分類することができる。これが政治と教育とを同時に論ずる理由である。この場合には政治的社会化とか、家族と政治との関係が問題として研究され発表されてきた政治的な、あるいは、政治学的な様々な研究をも考慮にいれなくてはならないことになる。更にこれまで政治文化として研究されてきた分野も同様に教育と政治との関係と関連を有することになる。教育は社会化の一部分をなしているからである。また政治も教育も文化を形成するものであるからであり、この両者は自由を基礎とするのか、強制を基礎とするのかはそのよってたつ基盤は違ってはいるが、しかれども文化の一部分であるし、そのどちらかを選択することを迫られた場合にはどちらかの選択をすること自体が文化そのものとなるのである。マルクス主義からすれば政治も、教育も、文化も経済を基盤としているのであるから経済によって自由な選択はすでになくなっているのであるという理論を持ち出してくるであろうが、人間が経済的なものにすべて拘束されているという決定論は現実的な仮説ではない。
このような政治と教育を考える場合にはまず公民教育とは何か、しかし公民教育を行うべき人間はそもそもどのようなものであるのかということから説明を進めるべきではなかろうか。そのような観点からまず自由とは何かという問題から本論文ははいることにする。これは本能とは何かに対する補集合であり、決定されている本能は何であり、決定されずに自由なものは何かという問題となる。また経済にはどの程度に人間は決定されているのか、最低限の生活の憲法による補償に対してその受給者の自由はどのくらいに存在するのか、いやそのような人でも食べていけなくなった場合のことを心配して経済に影響されて生活しているのではないかというようなことを研究することになる。
教育においても自由と、平等の関係は非常に大きな問題である。これは政治については更に大きな問題である。極端に不平等に陥ったときにはクラッスス兄弟の改革のような事例や、日本の戦後の農地改革のような事例が見受けられる。自由は極端に不平等に陥ったときには政治によって平等がもたらされたきた歴史があったと仮定的に仮説を提示することも可能である。それはマルクスが一党独裁論を主張するまでの自然な政治の動きであったのだという仮説は検証するに値する政治学的、政治哲学的、政治史的な課題となりうるであろう。
宗教における自由の問題は、マキャベリーの運命の問題とともに自由論の問題ではある。また「都市の空気は自由にする。」ということの意味が農村的な土着の土地に縛られた人々が自由に動いたり、職業選択や商売の自由を得たことをいっていたのかなども研究の対象とすべきであろう。
公民(科)教育(法)社会(科)教育(法)の前提となる公民としての人間の教育については、社会科学の諸領域や歴史学等と教育学との隣接諸分野の学際的な科学であるために研究が遅れている。プラトンや、アリストテレスや、ルソーや、ペスタロッチや、デューイ等国民や市民のあり方と教育とを論じた著作は多い。ところが日本や、イタリアや、ドイツにあっては第二次世界大戦前から戦中における民族主義や国家主義やナチスによる宣伝教育等の悪影響によりこの分野の研究は一向に進まなかった。一方左翼の側においては労働者に政治的学習を行わせるという目的での政治と教育の研究が盛んに行われる必要が生じた。政治学においても教育学においても政治的に中立な見地からの「政治と教育」の研究が必要だと考えられるようになったのは第二次世界大戦後であり、その必要性がさらに高まってきたのは冷戦終了後の現在においてである。古典古代から現代にいたるまで続くこの課題に学説的にどのような新しい視点を盛り込むことができるのかについては私としては一つの視点を提示するつもりである。それは人間関係が社会を形成しているのであって、様々な人間関係を分析することによって社会をとらえなおすことができると思われるが、その際、性格の形成過程、発達過程を研究するに際して人間関係を分析することによって政治と教育をとらえなおすことができるという視点である。発達心理学や教育心理学的視点を導入し、新たに人間関係を見直すとすれば、政治と教育の問題に新たな視点を提供できると考えられる。経済学においては合理的人間を想定して議論を進めるので、性格心理学的な考え方の入る余地は少ないが、政治学においては「権力と人格」の研究や、「政治的社会化」の研究やらにおいて心理学や教育学との学際的な研究が進められてきた。ラントンや、グリーンスタインらの研究がそれである。これらの研究は「政治と教育」の問題に限定したものであり、経済や社会や歴史と教育の研究ではなかった。しかし中立的な政治的立場で「政治と教育」について論ずることは公民科教育法や社会科教育法の論ずべきことと相通ずる点が大量にあると考えられる。政治は公民としての人間を取り扱うものであり、歴史や、政治、経済、倫理、社会全般とも深く関わっているものだからである。政治学が他の社会科学や歴史学に先じて「政治的社会化」の研究を行ってきたのは公民としての人間を取り扱う政治学が、その発達過程や教育の問題に深い関心を示さざるをえなかったからである。
私は幸いにも二十六才から三十六才までの間、公立の高等学校の商業科目を四年間、高等学校の英語科目を五年間教え、九年間担任をするという教育の実体験をした。また商業科、英語科、社会科の教員免許を得ることができていたからそのような経験をすることができたのである。また幸いにも今日平成九年一月一日現在で三才十二カ月の娘と、ゼロ才の息子とを育てている。政治学と教育学に深い興味をもつと同時に、社会諸科学やらについて法学士等の学士号と、政治学修士、法学研究科博士課程在籍と学問研究を進めることができた。今後も教育心理学、発達心理学と社会科学との関係について研究を進めていきたいと思っている。従兄弟には福岡女子大の教育心理学の教授の山口快生も同じく学問研究に励んでいる。私は性格も違い学派は違うかもしれないが、学問として確立していきたいものを持っているので、今後死ぬまでには何らかのものを完成したいと思っている。それは社会科学と教育とに関するものであり、精神医学、精神病理学、教育心理学、発達心理学、性格学を総合するものであるべきだと思っている。精神は社会的な人間関係によって形成されるものである。物を買うとか、売るとかいうような各人の自由な行為も社会的な人間関係であるし、それを精神病理だと述べている人間がいることも人間関係としてとらえるべき人間と人間の関係である。
他のすべての著作と同じく私の政治思想、教育思想は私の体験から生まれたものである。学校での教育体験、政治の体験から、また私自身の兄弟姉妹構成と、他の兄弟姉妹構成との比較から生まれたものである。しかしそれは長期間を必 要とした。従ってリカレント教育を必要としたし、教育行政その他教育学に関する学問も体験、経験の後に必要となっ た。社会科学、特に政治学、行政学のみではカバーできない多くの分野が社会科学のなかでも特異な位置を占める教育学によって研究されていることを知った。教育学は人間関係のなかでも知識を持つ者と、知識を持たない者との間の人間 関係であり、知識の伝達である点ではマス・コミ論やらと似た面を持つ。しかし生徒や、学生との間の関係という点では長幼の人間関係を主に取り扱う。
社会科学と発達心理学、教育心理学、性格学、精神病理学、精神医学とを結合する作業は非常に困難な作業である。 しかし人間の知恵は偉大なもので街の本屋の本棚のなかにはその知恵はつまっているかもしれない。実際には学者の象牙の塔の領域をはるかに越えて社会は動いている。象牙の塔にこもることは人間関係の幅を狭めるかもしれない。が、実際の社会はすべての人間関係の集合である。すべての人間関係を集約しそれによって社会観を構成することは難しいのかもしれない。人間関係を重視する試みはH・S・サリバンらによってすでにはじめられているが、それは完成の域にはいたっていない。今後すべての人間関係の研究が進められて、社会全体をとらえることがそれによってできるようになることを望むのみである。これは学派や、各人の性格の違いや、政治的イデオロギーのすべてを越えて行われなくてはならない課題であり、政治学、経営学、経済学、行政学、心理学・・・その他すべての社会に関する学問に共通する課題であると考えられる。その際すべての相違する学派や、性格や、政治的イデオロギーを越えて共通する性格の見方を確立する必要があると思うのである。私の考えでは学派やらは人間関係の問題でもある。それらの学派を越えて共通する性格論は、人間関係論のなかからしか生まれえないものと考える。そしてそれはまた人間関係はその集合が社会と呼ばれるものであるから社会科学にもいきつくことになる。
世界中どこにおいても行われている公民教育や、社会科教育、社会科学教育について一般的な原理を発見するためには根本原理や哲学にさかのぼって研究する必要がある。国家主義の傾向が強かった日本やドイツの公民教育に対してイギリスやアメリカやフランスのような国家主義の傾向が弱かった公民教育はデモクラシーや個人の自由を尊重した。このような歴史的な公民教育の発達の相違は冷戦後の現在にまで影響を与えていると考えられるが、人間の発達心理や教育原理や教育心理という面から考えれば人間の心理的発達という基本的には普遍的な同一性を過去から現在に至るまでもち続けていると考えられる。イギリスやアメリカにおける市民citizen、フランスにおける citozen、ドイツにおける国民・公民staatsbrger、日本における明治憲法時代の臣民、日本国憲法になってからの国民、・・・それぞれにおいて国家や、社会との関係がとらえられていた。現在の日本の学校教育においての公民教育は、特別活動その他の学校教育一般においてなされていると同時に、教科としては社会生活を理解し、「民主的、平和的な国家、社会の有為な形成者として必要な公民的資質」(の基礎)を養うと規定された社会科、とくに中学校の「公民的分野」や一九八二年度から高校で実施されている「現代社会」がその中心となっている。公民教育を学校教育として行う場合には、教育内容をどのようにし、教育カリキュラムをどのように体系化し、公民としての態度・イデオロギー・意見の形成をどのようにしてカリキュラム内で手助けしたり、様々な態度形成を保証するのかという課題が残されたままである。一九八九年度からは「現代社会」、「倫理」、「政治・経済」の三科目が公民科目として高等学校に新しく設けられた。公民科は地理歴史科と分割されたが、両教科は割拠するのではなく相携えて、生徒の科学的社会認識と公民的資質を育成するものとされている。第二次世界大戦の一九四六年の文部省の社会科委員会は社会科の性格や内容についてはアメリカ合衆国の社会科(ソーシャル・スタディーズ、socialstudies) を参考にして、一九四七年六・三・三の新学制の施行で社会科が発足した。この時、学習指導要領社会科編の試案を公表し、五一年に改訂版を、五六年、五八年、六〇年、六六年、六九年、七〇年、七八年と改訂版を発表した。五五年(昭和三〇年)代以降は生活・経験・総合を重視するアメリカ的社会科から「日本化」が進み系統・主知・教科(科目)を重視するように性格を変えていった。「道徳」が社会科から分離独立し、歴史、地理学習が強化された。
このような公民科、社会科教育の変遷と、特に冷戦後の公民、社会科教育のあり方についてはこれからの研究成果の負うところが大きいといえる。これまでの公民教育の原理、原則の変遷をみてみてももっと哲学的に深い研究が望まれていると考えられる。
目 次
はしがき
序 文
第一編 自由の強制
第一章 自由の本質
第一節 妨害と障害がないことか、選択の自由があることのどちらが本質か 第二節資源の平等は自由に影響を与えるか第三節 社会心理学的自由は政治学の一部分になりうるか
第二章 自由の学説展望
第一節 第三章 フロムの積極的自由と、バーリンの積極的自由 第一節 自我の発達に向かう積極的自由と、自我の発達を阻害する権威主義の積極的自由
第四章 消極的自由と、積極的自由
第五章 自由と平等の調和
第六章 自由の構成要素
第七章 自由の内心と人間関係における自由
第八章 自由のための資源
第九章 自由のための能力
第十章 自由を行使する主体
第十一章 自由論の今後
注
参考文献
第二編 政治と教育 家庭における性格の傾向の形成とイデオロギーの形成過程
第三編 政治と選択の自由 個人の性格の傾向と、社会制度の性格の傾向との拮抗関係政治とは何か
第 一 編 政 治 と 自 由
第 一 章 自 由 論 の 現 在 的 問 題
第一節 第二次大戦後の一九五 八年に発行された二つの有名な自由論の書物真の自由は集団主義・全体主義・共産主義の自由か、個人主義の自由か
自由と、平等の調和は可能であろうか
一九五八年十月三一日に、アイザイア・バーリンがイギリスのオックスフォード大学で行った教授就任記念講演をクラレンドン・プレス出版社から出版した「二つの自由概念」の論文は、現在にいたるまで政治哲学の自由論の議論の中心となっている。(原書:FourEssays On Liberty,London: Clarendon Press,1958. )この論文は後にアメリカのハーバード大学出版部により『政治哲学』の一部分IsaiahBerlin,Two Concepts of Liberty として、ほぼ同様の内容が、シュンペーターの民主主義論等とともに収録されて出版された。この本は現代の政治哲学及び法哲学の水準を示す好著である。
バーリンによれば、自由には二つの自由がある。積極的な意味での自由(positiveliberty)と消極的な意味(negative liberty)での自由である。バーリンはその著の最初にラテン語を語源とする自由libertyとサクソン語を語源とする自由freedom を同じ意味で使うと書いている。アメリカで研究していたフロムも積極的な自由(positivefreedom)と、消極的な自由(negative freedom)とに分類したが、この両概念は一九四一年の彼の著書『自由からの逃走』において示された考え方である。(原著、ErichFromm,scape FromFreedom" New York,1941.p.258.訳書、二八四頁。。)しかし、バーリンのこの積極的な自由の概念は理学者であり、政治心理学にも大きな影響を与えたエーリッヒ・フロムのいう積極的な自由の概念とは異なった概念である。このポジティブを両方共に積極的と訳そうが、肯定的と訳そうが、この二つの同名の自由に共通する意味はあるのであろうか。彼らはこの二つの同名の自由をほぼ「正反対」の意味に使っている。ナチズムにおける自由をバーリンは積極的自由とよび、フロムは消極的自由とよびその本質を分析しようとしたと考えられる。逆にいえばバーリンが民主主義社会において必要であると考えた自由は、ミル以来の伝統的な考え方として他人の干渉から自分の身を守るべき自由である消極的自由の範囲を定めることであると考えた。フロムは民主主義社会において、例えばワイマール憲法下の人間にとって自由を許されて、かつ、自由から逃走しないためには積極的自由を各個人個人が身につける必要があると主張したのである。
一九五八年に出版されたもう一つの自由論がある。それはクリスチャン・ベイが出版した「自由の構造」という論文である。ベイには『解放の政治学』(ChristianBay,Strategies of Political Emancipatin,University of Notre Dame Press,1981.日本語訳:クリチャン・ベイ『解放の政治学』内山秀夫・丸山正次訳、岩波書店、一九八七年。)というもう一つの主著がある。自由はlibertyであり、解放はemancipationであり、これは、liberationと同じ意味である。解放するということは自由を得させるという意味であるからである。この二つの主著はその題名の意味においても相互に関連があることになる。
ベイは社会的自由のほかに心理学的自由と、潜在的自由(彼は潜在的自由を「個人の行動にたいする知覚化されない外的制約の欠如」と定義している。(ベイ、『解放の政治学』、八一頁。)という概念を提出した。ベイはフロムの自由に関する二つの概念をその著書『自由の構造』のなかに取り入れている。(ベイ、『自由の構造』、頁。)従ってベイは積極的と、消極的をフロムの意味で使っていることになる。
自由を論ずるのに社会心理学的な議論をするようになる契機には政治学者ではないフロムの影響があったと考えられる。
ある人が自由かどうかを判断する時に、その人は性格的にすべての統一的なパーソナリティーを持っていない(フロム、「自由からの逃走」訳書、二八四頁。原書、二五八頁。)、つまり、自分は出来ないことが多いが他人は何でも出来るべきであるという考え方を持っているとすれば、その人は積極的な自由を持たないのであるとフロムはいう。そのような自由を持たない人を私は依存的な性格の人であるというように定義しようと思う。「独立と自由は孤独と恐怖と同じことであろうか。」(フロム、前掲書、訳書、二八三頁。原書、二五七頁。)という疑問をフロムは提出し、そのようななかにおいても世界や他人や自然と結合できるようになることが「積極的な自由」であるとする。ここでフロムは自由から逃走することで「新しい依存new dependence 」にいたるのであろうかといい依存という言葉を使っている。依存という言葉はあまり深く意識されないで使われていると思われる。現在の学問の水準では依存は自由や束縛程には深く哲学的に厳密に定義して使われていない言葉であるからである。
但し、原書二五八頁で使われている「積極的自由」はフロムが前掲書、訳書、四二頁で「『〜への自由』という積極的な意味ではなく、『〜からの自由』という消極的な意味のものである。すなわち、行為が本能的に決定されることからの自由である。」(但し、この訳は間違っており、freedomto〜はto不定詞がつくので、「〜する自由」と訳す方が正しい、この言葉はバーリンの「二つの自由」においても同じ意味の言葉libetyto 〜が出てくるが、その場合も同様である。「しない自由」も不作為をする自由と置き換えられ不作為に相当する単語が存在するので、「〜不作為する自由」ということでよいと思われる。例えば怠惰である自由というように。)という時の消極的なという意味や、積極的なという意味ではない。バーリンは主にこのような意味で積極的と、消極的という言葉を使っているのだが、フロムが原書二五八頁で使っている意味での自由についての論議をここでは行う。ベイが問題にしている積極的自由も、フロムの原書二五八頁の意味での積極的自由についてである。ベイ、『自由の構造』、訳書、一三一頁。原書、p..
positiveを東京にある出版社小学館の『ランダムハウス 英和大辞典』で引くと、形容詞での一六番目の意味として、「(政府が法と秩序の維持に)必要な範囲を越えて規制する、介入しすぎる、抑圧的な」という意味がのっている。これはバーリンの用いた意味を辞書にのせたものとおもわれる。また形容詞の一二番目の意味として「積極的な、肯定的な、建設的な」という意味がのっている。その例として、apositive attitude toward the future;positive things to say about a painting;Makea positive effort to look on the bright side of things.などがのっている。『自由からの逃走』の訳書の四二頁の意味でのポジティブとは積極的なという意味であり、一方ネガティブの意味には妨害や、障害を否定するという意味を含んでいるが、積極の対語としては消極という意味になる。妨害を否定して自由になったときには、何かをするべきであるが、何をするかはわからないから、肯定的では何を肯定するのか対象や、目的が不明であるので、肯定的というよりも、積極的という訳語が妥当と思われる。〜することを自分で肯定する、自分が自分を否定しないという意味では肯定的という訳語でもよいということになる。「〜する自由」という時の、積極とは積極的にあるものに向かう、この場合のあるものは〜することであり、行動であり、すなわち、行動そのものの動きを意味している。先に述べた一六番目の意味は積極的という意味の拡張された意味であると思われる。東京の研究社の発行による『新英和大辞典』によれば形容詞の第五番目の意味として、「肯定的な、積極的な、建設的な」といういみがのせてある。これはほぼ『ランダムハウス英和大辞典』と同じ内容であり、a positive reply;a positive criticism の表現例がのせてあるOxfordConcise English Dictionaryによると、その形容詞としての五番目の意味として、constructive;directionalとなっており、例としてpositive thinking;positive criticismがのっている。ポジティブという形容詞を自由論のなかで、社会的、政治的な意味合いを持たせたのが、バーリンや、フロムである。
ある依存している人は他人に依存している部分についてはたしかに自分の自由を持っていないのである。ところがバーリンにおいてはこのフロムのいう積極的な自由の状態は、消極的な自由、干渉されない自由を守っている状態であるというように概念化されている。干渉されない状態で積極的に自由であることを学習すべきであるというのがフロムの主張である。フロムの考え方においてはバーリンのいうように干渉されない状態にあっても、自由からの逃走が起こることがあるという主張になる。バーリンはもっぱら干渉されない範囲を政治学的に、法学的に決定しようとするが、フロムはワイマール憲法があっても自由から逃走する人々が存在するのであるから、消極的自由が与えられるのみではいけないのであり、各人は自由を積極的に涵養しなければならないと解くのである。フロムは観念的な哲学者はこの積極的な自由を獲得していなかったと指摘する。逆にバーリンは、観念的な哲学者は積極的な自由を主張していたのだという解釈をする。ここには政治学者と、社会心理学者の考え方の違い、また観念論に対する考え方の違いがあるし、自由の概念の相違がみられる。
これらの自由論はナチズムや全体主義に対抗する論理を第二次世界大戦が終了してから十三年後にバーリンや、ベイがまとめたものであり、特殊第二次世界大戦への反省から生まれたものであると考えられる。
それから相当の期間が経過した現代のアメリカにおいて、現在のアメリカのハーバード大学にはもうすでに新しい一つの自由論の流れがある。それはノージックと、ロールズの自由論、正義論の流れである。ノージックはその主著『アナーキー・国家・ユートピア』において極小国家を主張して、自由尊重主義libertarianismの考え方を示した。これは消極的自由の考え方を押し進め、国家や、他人は個人個人に最小限にしか干渉すべきではないという考え方であろう。一方ロールズは自由と、正義を調和させるための新しい政治哲学をその『正義論』において生み出した。アメリカのイェール大学の卒業生ではあるが、現在はオックスフォード大学の法学部の法理学の教授であるドゥウォーキンは平等の考え方による法学の解釈を示している。この三人の自由論、平等論は現在の時点での自由論、平等論を検討する上で参考になると考えられる。
それは今後の新しい自由を考えていく上での一つの視点でもある。
第 第二節 社会科学と、人間関係論
社会心理と、人間関係における両者の心理
バーリンとフロムの自由に関する同名の積極的自由という言葉の全く正反対の考え方を説明するためには、人間関係という社会科学的なものが、心理という心理学的なものとどのように係わっているのかという点を考察する必要がある。人間が人間に限度を越えて干渉するというときの限度は何であるか、人間が限度を越えて干渉されない消極的な自由を主張するということはどのようなことであろうか。人間と人間の関係を考察するときにはおのおのの人間はそれぞれ違った心理を持っていて、様々なタイプの人間によるこの一単位の人間関係は多くの違った関係として描写し、説明されねばならないのであり、それらの集計されたものが全体としての社会を構成しているという点が重要な視点である。ある関係を描写する場合に裁判であれば原告に当たる人を原人とよび、その人間関係において、裁判でいえば被告に当たる人を被人とよぶとすれば、それらの各人の性格はおおいに人間関係及び各人の自由に関係している。原人が被人は私の自由を妨害しているから原人には自由がないからその妨害が故意であれ過失であれその妨害をやめよと主張している場合には、原人の心理が恐怖症であることによってこの事に対する裁判所であれば判決、この場合であれば一般人の判断は常識からみて変化するであろうか。この問題は社会心理の問題を自由論の中に入れるかどうかの判断に役に立つ。ある人は心理学的な自由を自由論のなかに入れるのは反対であるというであろう、従ってこの反対である人の意見では被人が原人の自由を妨害したり、障害になったりしているかどうかのみが問題であるというであろう。今度は逆に心理学的な自由を自由の概念のなかに入れるべきであろうという意見の人によれば、原人は恐怖症であるから内心の性格や、傾向から発生する妨害や障害があるのであるからそれが自由を減少させているということによって、人間関係を考察の対象外とすることができるであろうか。個人の心理の問題のみに限定できるであろうか。個人の心理の発生してきた原因となった人間関係がその恐怖症を起こしているということがいえないであろうか。この場合の場所恐怖症のような人間関係には関係のない悩みについては誰もそのことに責任はないと言えるであろうか。しかし法的には考えなくてよくても実際にその悩みの生じてきた原因を考えてみれば様々な人間関係からその場所恐怖症は起こっている場合が考えられる。例えば非常に依存的に育ってきた人は、自由で独立を尊重する国に足を踏み入れれば場所恐怖症になってしまうであろうし、それは政治恐怖症といってよいのかもしれない。ひとりだちできない人が、「ひとりだちせよ」といわれたようなものである。そうなるとこの場所恐怖症もまさに政治的自由の問題であるということになる。実際には私の観察した例では場所恐怖症のほとんどの例はこの例のような場合に起こっているからである。それは政治恐怖とほぼ同じ意味である。依存性のある人が独立を中心的な政治原理としている国では政治に頼れないので、放り出されたと思うので政治恐怖がその人の心の中でのみ発生するのであり、これは痛みでもある。
フロムのいう積極的自由の主張はまさにこのような場合の心理学的自由である。原人であれ、被人であれこのような依存性の強い人間が場所恐怖などのような恐怖症を起こしている場合には、全体として自由が権利であると認められるかどうかの判断に当たっては心理学的自由を考慮することが必要となる。裁判に当たっては被告又は原告の自由が認められるとすれば、自由が権利として認められたということになるが、その際に裁判官が被告または原告の心理学的自由を判断の片隅に入れた場合には心理学的自由は法律的な権利の判断の際に有効に取り入れられたということになる。そのような場合が考えられうるとすれば、心理学的自由を自由論の中に取り入れることは人間関係論の立場のみに限定する人にとっても重要な視点となるものと思われる。「オープンな空間を私が歩く自由があっても、心理学的には場所恐怖のために歩けない」(オックスフォード・コンサイス・政治学事典の自由の項目より。)というのは、人間関係論においても重要な視点として研究すべきものであり、内心の心理の解明も人間関係の立場から行われなくてはならないということを主張したい。これは社会心理学的な見方であるということができる。自由を恐怖し、逃走することをせずに自由で独立な依存性の少ない人間に教育するということは自由を高めるということでもある。自由を高めることは個人一人がするのではなくて、原人も、被人も、それを原人と被人とを含む全体社会という観点からとらえ人間関係として全体をとらえて我々一人一人が行うべきことである。
第二節 自由を高めるということ
「自由を高める」のは妨害や、障害を取り除くことである。社会心理学的問題を含む人間関係は裁判所には持ち込まれても解決することは出来ないのだろうか。もし取り除けないならば、そうなるとそれはオープンで民主的で、自由を高めることを目的としてはっきりと掲げる政治精神医学や、社会精神医学が取り除かなくてはならないのである。はたしてそういえるのであろうか。ラズウェルは社会精神医学のなかに法学も包含させようと考えている。私には法学も以上のような社会心理学的な側面を導入すべきであると考えられる。この場合の社会精神医学とはラズウェルやらの主張した社会的自由を高めるという目的意識のはっきりした精神医学であり、そのような目的意識のない生物的精神医学に対抗するものである。自由を高めるという目的意識はオプティミスティックな思想を構造的に解明するためには必要な視点であると考えられる。生物的精神医学が、ソ連の場合に悪用されたことは目的意識のない点を悪用されたものである。H・S・サリバンが主張した人間関係論もこの目的意識を持った部類に入るものである。人間関係論は自由論と関係しているのはこのような点においてであろう。社会精神医学が自由を増大させるという理由も以上のように自由をとらえるときにおいてである。
権威と自由とを考慮するときに、自由を妨害し、障害となるような他の人間は、人間関係においては一般には権威と呼ばれている、そこには強制や力が存在しているから権力ともよばれるのである。妨害や障害には力が必要なのである。
積極的な自由とはもし何かをする自由であると解釈すれば、バーリンの場合には他人の自由に干渉するような権威や、権力となるような自由であり、フロムのいう自由はそのような権力等により干渉されないで、制度的には自由が認められた制度の下において自分の自我を充実させるために自分に対して様々な教育や、訓練やらを行い、様々なことが自分で出来るようになるように積極的に自由を活用することを意味している。
バーリンのいう積極的な自由の考え方では、温情主義的な(パターナリスティック、paternalistic)干渉であっても否定的なみかたしている。積極的自由の否定の思想による温情主義的な干渉も否定するというこの立場は一般的には現在でも有力といえるであろう。そうではないと、第二次世界大戦の反省として書かれたこの論文が現在まで古典のように読み継がれているはずはないと私は思う。第二次世界大戦は人類にも、自由を追求し、研究する学者にも多大の衝撃を与えたと思われる。これとまた反対の意味であるフロムの積極的な自由は現在にまで多くの人が賛成しながら読み継がれてきている。ということはこれらを総合すれば、積極的な自由を他人に干渉することなく、自分に対して向けていくことを現代の人間は認めていることになる。他人に干渉するとはバーリンがガキ大将のことを例に出しているのを考えると他人に迷惑をかけないというように解釈することもできる。そして自我を充実させていくことを要求しているのである。自分自身が他人の積極的な干渉をはね除けながらも、自分では積極的に自分を磨いて完成させていくという思想が現在の自由論であるということになる。
フロムの消極的自由とは自由を与えられているのに、みずから自由を否定している状態である。おそらくそれは依存的な自らの性格から発生したのであろうと私は思う。自由から逃走している状態である。それをネガティブという言葉で表現したのである。制度的に自由であっても、自我のなかに自由から逃走しようという意思が働いて、自我を充実させることなく、権威に依存しようとすることである。一方のバーリンの消極的自由とは妨害や、障害となるものを、特に干渉を否定するということを意味する。妨害や、障害がないことによってこそ、フロムのいう積極的自由を形成することが出来る。自我が成長するのである。バーリンのいう積極的自由による高い自我は、フロムのいう消極的な自由から生ずる依存的な自我と共通する要素を持っているのであろうか。それは、観念論やらに含まれている自由に関する考察に待つことになる。それが自由を高める方向、バーリンのいう否定的な、消極的な自由を高める方向に向かっているのならばそのようにいえるのであるが、バーリンのいう積極的な自由は、偽りの自我である、つまり自由を権威に依存させようとするものであるというのが、バーリンの主張するところであると解釈することが出来る。
第三節 バーリンの消極的自由論とフロムの積極的自由論から、選択の自由論へそこから東西冷戦後の自由論へ
バーリンの消極的自由論はジョン・ステュアート・ミルの「自由論」以来の伝統であったが、バーリンの消極的自由論はナチズムに対抗する論理として形成されたように感じられる。第二次世界大戦後の一九五八年にベイの『自由の構造』と同時に発表されたものであることからもそのようなことがいえる。それは第二次世界大戦中に自由からの逃走を書いたたフロムにとっても同様であった。当時の思想界にとってはナチズムが何故におこったのかについて精神的にも、思想的にも不分明であっただろうからそこに関心が集中していたはずだからである。それ以前に発表されていたフロムの自我を涵養する「積極的自由」という言葉をバーリンが使っていないのは興味深いことである。同じ年の発行のベイは積極的自由をフロムの意味で使っているのである。これらの自由論はこの時代の知的関心の主流であったナチズムの解明と、それに対抗する自由の論理として第二次世界大戦後の自由論の主流となった感がある。
内心の心理において積極的に自己を形成していこうとするのがフロムや、ベイの意味での積極的な自由の意味であり、バーリンの積極的自由は政府や、権力や、他人に干渉したがる人が他の人に積極的に干渉する場合の積極的自由である。積極的に何を、どのような方向に使おうとするのかという問題である。人はAある意味では積極的にはなるべきではあろうが、積極性の対立は東西の冷戦を作るくらいに大きな自由の相違であった。そしてそれは現代においては干渉を認めない自由尊重主義と、平等を相対的に尊重し、干渉されない自由を認めないドゥウォーキンの理論との対立のように東西冷戦終結後もその対立は続いていると思われる。バーリンの意味での自由とは、「〜する自由」でる積極的自由を政治の世界に拡張して適用し、政府はどのようなことをしてもよいと考えるときの自由であり、そのような積極的な自由からの自由を、干渉や妨害がないという意味での消極的自由としてとらえたものであり、この二つの自由概念が対立的なものとしてある緊張状態のもとでとらえられたものであると考えられ、東西冷戦の時代には非常に切迫した問題としてとらえられていたのだと考えられる。
その後の約五〇年間にわたる東西冷戦の時代に自由主義陣営からのイデオロギーとしてはフリードマンや、ハイエクのような学者からの「選択の自由」の自由論が理論的には主流を占めることになった。フリードマンらのイデオローグがこの時代の自由をリードしていった。
東西冷戦後の自由論を代表するような自由論はまだ出てきてはいない。しかしそれぞれの時代に自由への要求はある。必ず今の時代の要請に応じた自由論が出てくるものと思われる。それは東西冷戦の時代を反省しているものでなくてはならない。そのなかで行われた自由の抑制がどのようなものであり、そしてそれが東西冷戦後にはどのように解釈されるべきかを解明したものでなくてはならないであろう。それがこの自由と平等の調和の思想であり、政治と自由の論理を、経済的資源の経済学的な議論から分離し、自由と平等の調和を政治学的に確率しようとする議論である。しかし東西冷戦が終わり自由になったとしても、自由の状態で何をしたらよいのかを身につけるべきであるという考え方がフロムの考え方であり、東西冷戦後の時代にもあてはまる理論でもある。東西冷戦後にフロムのいう自由が必要なのか、バーリンのいう自由が必要なのかは今後の動き次第である。
第四節 自由を可能にする、自由の構成要素としての資源と、その平等性
裁判においては司法の作用として、法学上の自由が問題となるのであるが、政治的な問題においては政治的なすべての問題に関する自由が問題となるのは先に述べたとおりである。ここで平等、それも資源の平等を問題とした事例において原告と被告の関係に類似する原人と被人との間の自由論と、正義との問題について言及することにする。平等を強調する主張は自由を可能にする資源についてのみ言えることである。
人間関係一般において原人と被人が両方共に相手から金を取る自由があると要求し、主張している場合に、それをドゥウォーキンのいうように平等のみで客観的判断を下せるであろうか。法学的には裁判における判決を平等のみで書くことが出来るであろうか。
ある大金持ちの原人が衡平で、正しい、法に則った主張をして金を要求する自由(法廷では権利)があると主張しているのに、すなわち貧乏である被人が法的に間違った主張をしているのに、資源の平等性という観点から貧乏な被人に有利に被人が正しいという判断をするならば、これは平等な配慮と、尊重の観点から正しいといえるであろうか。それは正義の観点からは間違っているといえるであろうし、この世の法を歪めてしまうことになりかねない。これについてはドゥウォーキンは逆差別の項目で詳しく述べる。差別されているものは差別してもよいというわけである。これが正義にかなっているかどうかは別の項目に譲るべきであろう。差別も、逆差別も、依存と同じような同根のものから出発していると私は思うがそれよりも問題なのはそれが自由をなくすという一点において私は反対の立場を取るのである。それは経済学における資源の移転という効用的な判断を伴ったことにより解決すべきであると考える。共産主義社会における物質や、生産物の価値が、そのものの効用によってではなくて、労働価値によってのみ判断されたために商業や、交換がなくなり選択の自由が奪われ、人間性の伴わない物の伴わない単なる移動しかその社会においては存在しなくなったように、資源の効用を考えない考え方は、包丁を爆弾や、刀や、鉄砲と同じもの、生産物としてみなすことになり、その効用が料理をするということのためであるところの包丁は料理をすることのできる楽しいものであるという観点を無くしてしまうのである。これと同じようなことが資源について効用的な判断を喪失してしまうとおこってきてしまうと私は考える。これを考え間違いと呼ぶことができる。したがって、私は平等の観点は資源の平等について、他の沢山の方法、児童手当や、その他の方法、効用を伴った移転によって解決されるべきものであり、この事件に関して解決されるべきものではないと考える。ただし、この場合に適用すべき法自体が法社会学的に平等の観点をまったくかいていて、裁判官や、客観的判断者がこの際に平等の観点を入れておくことが社会正義上妥当と考えることが一般的に認められればこの限りではないといえる。
自由を平等のために放棄することをバーリンは積極的自由とよんでいるとみられる箇所もあるが、行動の自由、その他の自由のすべてをなくしてしまうことである。それは正しいと思われることでも自由に行うことを否定してしまうことになる。その人が効用の観点からみた社会福祉や、資源の平等の確保のための移転を積極的に認めている場合においてもそのようなことはありうるのである。平等のために自由を制限し、資源の有効な使用や、経済の沈滞を招いた事例は多い。経済が歴史的に遅れて発展した国々においては、人々は権威に依存した。それは経済的なものを発展させるための権威でもあったし、それは政治的な権威をも伴ったものであった。経済的権威が政治的権威を当然に誘発したという因果関係は必ずしも認められないが、政治的にも、経済体制的にも権威に依存するような体制が出来上がった。このような過程が権威主義を形成し養成したという歴史的な因果関係論も、この権威主義の問題の解決には導入しなければならない論点であるが、自由論の観点からは本当の自由はどのようなものであるのかという観点を最後まで忘れてはならないと考えるものである。なぜなら今後現在の第三世界の国々における自由をどのようにして高めていくのかは国際政治の大問題でもあるからである。この一部分はこれまでの過去のことであり歴史として研究するべきものであるが、他の一部分はそれよりも過去のことなどどうでもよいこれからが問題だという人にとっても現在及び将来の大問題でもあるからである。再び全体主義のような自由が起こらないようにするという意味でも、第三次世界大戦を起こさないようにするためにも。
このような自由論の観点は政治社会学的及び法社会学的な観点を取り入れている。政治学や法学はもともと社会科学なのであって、政治社会(科)学や、法社会(科)学という言葉自体が自己矛盾であるように思われる。政治社会学や法社会学という言葉が学問のうちの一部として対象となっているのは、社会学的な方法を取り入れることによってであるといわれているが、これらの言葉が政治学や、法学から全く別の存在として遊離してしまうことはあまりいい傾向とはいえないであろう。学際的に政治や、法というものを考えていこうとするときには当然に社会科学なのであるから社会を研究すべきであり、社会心理も研究すべきものであろう。しかし学問が細分化しすぎて政治社会学や、法社会学の対象とする分野が従来からの学問のほかに膨大な量で広がったというほうが正しい。しかし、それが元来の政治学を補強するものとして使われるべきものであり、この自由と平等の調和論も、心理学的自由をも考慮に入れることを主張するとすればそのようなことを望んでいるのである。しかしそれがこれまでの国家を中心とした政治学や、世論を中心とした政治学や、実定法を中心とした伝統的な法学やらが、実際の社会とは遊離してきたので、それをあらためなければならないと考えられるようになったから、政治社会学や、法社会学がうまれたのではなくて、その研究がたまたま従来の法理論や、政治理論の認識を変更させるようになったということのほうが正しい。自由の強制は教育と関連があるという理由によって、教育が自由論において語られなければならないとすれば、教育社会学についても同様なことがいえる。つまりもし現在の伝統的な政治社会学や、法社会学や、教育社会学が、社会科学としての政治学や、法学や、教育学と全く同じ範囲しかカヴァー出来ないとしたならば、政治学や、法学や、教育学という言葉のなかに当然政治社会学やらの分野が含まれていることになり、この自由論も政治学や、法学や、教育学の一部分として存在しうることになる。精神医学においてももし、それが社会科学としての精神医学が存在し、それが精神医学の本当の部分を構成するようになれば、社会精神医学や、精神社会医学というような言葉は必要ではなくなるのであり、当然に政治学は社会科学の一部門であるのであるから政治精神医学という言葉も必要ではなくなるのである。
自由論は法学や、社会心理学やらのなかで主に論じられてきており、宗教的自由や、自由意思論については哲学において主に論じられてきたが、政治学では政治的なるものを研究するために政治と自由という観点から自由というものを研究するのである。
日本の現在の自由民主党や、自由民権運動の時代の自由党のように、幸い多くの政党が「自由」という言葉を主張している、しかし、自由という言葉のみに終わっているのかもしれない。また、ウッドロー・ウイルソンのように『新しい自由』という理念を掲げたアメリカの民主党の政治家もいるし、現在のアメリカの共和党のギングリッジやらのように自由を主張する政治家は数が多い上に、保守主義者、自由主義者の双方にまたがっており、その研究材料は政治学においてことかかない。また自由に関する研究は海外においては非常に多く、非常に興味深い研究がころがっている。しかし日本におけるその研究はほとんどなく、自由民主党の自由民主主義もアメリカや、イギリスの影響を受けていると考えられるので、その研究は日本人にとっても必要であると考えられる。かって、明治の自由民権時代に中江兆民がルソーの『民約論』の研究をしたように、また、中村正直がミルの『自由論』を研究したように。これらは現実政治とも関係をもったものであった。
第 二 章 自 由 と は な に か
第一節 妨害と障害がないことか、選択の自由があることのどちらが本質か
自由とは妨害や障害がないという状態をあらわすとされるが、そのような静的な状態に本質的なものがあるのであろうか。あるいは、自由とはそのような状態を表現することばではなくて自由に行動するという意味でこの言葉を使う場合の動的な行動に伴う動的側面に本質があるのであろうか。あるいは選択の可能性という未来に向かった選択という側面に本質があるのであろうか。自由論の今日的論点には、第一に対人間関係における自由と、内心における自由との問題、第二に資金や空間や財産のような自由を可能ならしめる資源(resources)の問題と、第三に能力の問題があるとオックスフォード・コンサイス・ディクショナリー・政治学事典の一九九六年の最新版は指摘している。しかしこれらはすべて密接に関連しているととらえるほうが、自由の一般論を提出する際には妥当であろう。これは政治学上の自由についてであるが、法学上の自由権についてはさらにこれらの論点について総合的にとらえる必要がある。裁判において原告の自由と被告の自由についてどちらを認めるのかという問題は法学上の問題であるが、裁判にはいたらないような国家や、政治的な生活上の問題については政治学上の自由の問題である。原告に当たる人間を原人とみて、被告に当たる人間を被人とみて、原人からみた間主観的な自由の主張と、逆に被人からみた間主観的な自由の主張とを総合するような意味での客観的な自由の理論が必要になってきていると考える。それは法学にも適用できるものではあるが、それ以上に広い部分をカバーする自由論であるといいうる。第二の資源の問題は本質的には経済学の問題であり、経済学が経済合理的な経済人を想定し、稀少性の学問として理論化してきた。なぜなら、資源が問題となるのは資源がもっぱら稀少性があるときに問題となり、同じ物質ではあっても空気のようにいまだ稀少性があるものとしてとらえられていない場合には経済学の問題にはならないからである。空気の汚れのように稀少なものとしてとらえられるようになれば空気も経済の問題となる。しかし経済学的に理論化したとしても、人生の出発点においても、人生の途中や、最終点においても平等ではない資源に対しては人間は嫉妬や、妬みや、嫉みやらのさまざまな感情をもち、それらに伴う行動などを政治学的な問題、社会学的な問題として取り上げざるをえなくなる。そこにでは経済合理性からはなれた行動がみられる。その時には社会的な心理の研究も必要になる。経済学とは違い政治学はこのように稀少なもののみを取り扱っていない点において、政治学は稀少資源の配分における経済合理性のみを取り扱ってはいないという事実を政治の定義においては理解し、定義付けを間違わないように研究しなくてはならない。
自由とは妨害や、障害がないことであるとする見解がこれまでの自由の定義の主流である。だが、妨害や、障害がないことによって人間が本来もっている選択の可能性が発生する。この選択の可能性が社会制度上、あるいは、人間関係上人間に残されていることのほうが自由の本質ではないかという見解については考察しておく必要がある。選択は現在あるいは将来のことであり、可能性は将来のことである。選択に当たって妨害や、障害物がないということは静的なことであるが、選択は動的なものである。選択は現在なされるか、将来なされるかは明確ではなくても過去のことではない。平等は過去あるいは現在のことである。自由な選択による行動によって得られる結果が平等ではない可能性があるので、自由は平等な状態を変化させる可能性をもったものである。もし自由でなければ、平等は確かに静的な状態のままで維持されるかもしれないが、平等のために自由を禁止することに対する疑問や、批判は大きい。平等のために自由を禁止するのではなくて自由と平等を調和させるほうがよいが、それが難しい問題だというときには常にこの自由を可能にする資源の問題と、現在及び将来の自由な選択が動的な結果をもたらす、それは平等な状態ではない結果をもたらすかもしれないという懸念があるという点に注目していなくてはならないと思われる。自由とは妨害や、障害がないことを本質とするのか、選択の可能性があることを本質とするのかの考察にもどることにする。ないということと、あるということとは対の概念である。妨害がないからこそ選択の可能性があるといえる。しかし妨害があるということは、人為的なものであるのに対して、選択の可能性は人間の自然な本質である。妨害があるという時にはその理由を考察しなくてはならない。その理由は社会が定めた法的規範や、集団が作った集団のルールや、自然法や、歴史の必然性や、歴史のなかから導き出された政治的な法則などが考えられる。人間が本能から外れた部分について無規範的に、因果関係を完全に外れた行動をしているとこともあまりありえそうにないし、逆に、完全な因果関係のなかで生活しており、全くの自由をもっていないということもありえそうにはない。このような意味では、自由と因果関係としての運命のどこか中間に位置しているのが人間であると思われる。政治学においてマキャベリーが運命といったものはこの因果関係のことであり、ビルツーといったものはこの自由であると考えることができる。しかし人間は自然の法則を自然科学として追求していくように、社会科学においても政治的法則や、経済的法則や、社会心理的法則や、社会学的法則を求めていく性質をもっている。このように解釈すれば人間は考える葦であるといったデカルトの言葉は歴史や、運命論や、自由論のなかでこのような意味を持った言葉であったと解釈することができる。
考える葦である人間は本能以外の部分については内心的にはすべての自由をもっているということができる。本当は生きる本能しか持たないのであるが、「死の本能」をもっているということさえできる。もし「死の本能」という言葉が迷信であれば、人間は因果関係論において迷信や、魔術さえも信じることができる自由を持っている。「内心的自由を覆っている自由を制約する妨害物である強制のともなう法的規範などや、歴史の必然性とよばれるような因果関係や、自由を抑制するものとなる強制によらない自発的な道徳等による自由の制限」と、「人間の本能以外の部分で本能からはずれたすべての内心の自由」との葛藤が自由論の本質であり、そのような自由を妨害したり、制限する妨害物がない人間が選択の可能性を完全に所有している状態、自由意思をもっている状態であると名付けることができるし、そのような状態を人間の内在的自由の状態であるというとすれば、その状態の本質は選択の可能性に存するのであって、それは人間が白紙の状態であるといっているのと同じことである。その場合には制限がないこと、つまり、これまで一般に自由を定義するのに妨害や障害物がないことが自由の本質であると定義してきたことは本質的なものではなかったことになる。なぜならそういうならば法も自由の妨害物や、障害物の一つとなってしまうからだ。自由はこの最初の選択の可能性に本質があったのであるが、表面的には政治的自由を求めて戦うという表現をするときの自由は妨害や、障害物を取り除こうとする点に重点をおいていたので、そこに本質があると取り違えてきたものと思われる。
第二節 個人による政府の選択の自由としての民主主義
民主主義社会においてはその本質は専制や、独裁がないことではなくて、支配する者や、法の支配と表現するときの支配という言葉の意味でのわれわれを支配している法を自由に選択できることであるというケルゼンの民主主義に関する理論はこのような文脈でとらえれば本質をついたものであるといえる。これは法的に、国家的に選択の自由という専制や、独裁を排除した結果に注目した民主主義の説明の仕方であるといえる。一方そこに競争が存在するという観点を先に押し出したのがシュンペーターの議論であるといえる。また、ポリアーキーというダールの考え方は民主主義において多数の人が選択の自由を行使しているという点を主に説明しようとしたものであると考えられる。それぞれ主体と、選択のしかたと、自由の本質とに、重点をおいて違った方法で説明しているのである。専制国家や、独裁政治においては専制君主や、独裁者を取り替えようとしてもそのような選択の自由は存在しなかったが、民主主義社会においては選挙によって変更できない君主や、独裁者に代わって自らが政治家を選択する自由が存在する。民主主義国家においても選択の自由が減少すれば、民主主義ではなくなるし、自由主義ではなくなる。この場合の自由は選択の自由という意味の自由主義である。
稀少な物に関しては自由主義経済においては商品や、職業やらの選択の自由があり、需要と供給は見えざる手によって様々なプロセスを経て均衡していると考えられているのである。そこにおいても私的独占や、不公正な取引が行われたりすれば、自由主義社会においても選択の自由こそが妨害されることになる。コレクティヴィズム(今後集団主義と訳す)におけるように政府が独占的に計画し、選択の自由を行使したり、政府の計画のみで経済を運営する場合には個人の選択の自由は存在しない。
選択の自由を妨害や、障害物からまもるということが重要な政策目標となったのはつい最近のことである。
東西冷戦の終了により資本主義国家が大勢となり、人間の選択の自由を認める自由主義国家が中国や、北朝鮮を除けば大多数の国家体制となった。しかし選択の自由とは別の論点として「真の自由」という観点は今でも存続している自由論の課題であるのは、オックスフォード・コンサイス・ディクショナリー・政治学事典の指摘を待つまでもない。現実には選択の自由はできうる限り確保されるべきであるとしても、完全に確保されるためには自由と、平等の問題が解決されねばならないからである。選択の無制限の自由は自由の動的な側面からして不平等をもたらすという指摘があるからである。
多くの他の動物とは違い人間は本能だけで生活しているのではない。パブロフの条件反射の実験にもとづく行動理論や、新行動主義などは人間の様々な選択の可能性について研究していくことであろうが、他の動物が本能によって生きていることによって選択の自由をなくしている部分についても、人間は多くの選択の自由をもっていて、それが人間が人間である理由ともなっている。因果関係によらない歴史の行方や、法的な規範などや、本能によらない様々な行動や、国家や政治の形態までもが自由に選択が可能である。
選択した結果はよいものであるべきである。自由な選択が可能であるからといって悪い選択を行っていたのでは動物よりも劣る結果になってしまう。選択はある人間個人個人にとっても最適な選択がなされなくてはならない。自由な選択は動物における本能の代置物であるから、動物の本能と同じような機能を持つものになろうが人間に最適なものであるような選択が行われなくてはならない。それは個人の行動について言えると同時にまた国家や集団の制度などの選択についても最適なものがえらばれ、例えばアリやハチがもっているような本能的な社会制度などと同じような機能を持つ、人間に最も最適な機能を持ったシステムが選択されなければ、人間が選択の自由を持っている意味はないことになる。この選択の自由は人間の適応能力のことでもあるだろう。たしかに地球が人間の住めない温度になったならば人間は適応できないであろうが、熱帯においても北極においても人間は適応して住んでいくことが出来る。社会や、社会制度や、法的規範などや、国家の形態なども各個人の自由な選択によって決定することが出来るようなものであるのは、人間がもともとそのような選択の自由を持つ存在であるからであろう。人間は人間関係としての社会を様々に選択していく自由を持っているのである。社会制度や、法規範や、宗教や道徳から生ずる規範や、人間の作るルールや、法理論や、政治理論には、権利や、義務やらを定めた構造が存在するのはそれらがある機能を持って社会を形成しているからであって、最適な社会を構成する選択の自由を人間は持っていて、そこに自由なシステムが存在してくる理由があるのであって、自由そのものには構造や機能やシステムは存在せず人間が選択可能な白紙の状態という意味しかもっていないようである。
現代における自由論は、過去の自由論とは異なったものである。それは現在問題になっている自由を制約している妨害や制約が過去とは全く異なっているからである。その時代時代に自由を制約し、選択の自由を脅かしていて自由獲得のための障害となっているものが違っている。ナチスや、ソ連の場合には秘密警察であったりした。現在はそのようなものは存在しない。現在の生活において選択の自由をおびやかしているものはもっと生活に近いところに存在するようになった。政治思想事典における自由の説明は過去の様々な時代、様々な国における自由の要求を様々に記載していって、その時代の自由のあり方まで記載しなくてはならないのであるから、現在の切迫した自由の妨害の問題を研究する現在の自由論とは趣を異にしているといわねばならないし、記載の内容も違ってくることになる。先に記したオックスフォードの事典の場合に内心の自由については空間恐怖症などの恐怖症の問題が、人間関係における自由については独立性と依存性の問題が、能力については実質的自由と形式的自由の問題が、資源の問題については平等との関連の問題が考察される必要があるというように指摘している。
特に現代においてもっとも重要な問題は自由と平等との関係であると思われる。この事についてもっとも重要な指摘をしている現代の学者はオックスフォード大学法学部の現在の法理学教授であるロナルド・ドゥウォーキン教授であろう。彼の自由論は『権利論』の第十二章に要約されていると思われるので、その検討を行う。彼の理論は自らの自由は他の人の平等な配慮と、平等な尊敬によって自ら制限すべきであるし、政府もそのように平等に配慮し、各人を平等に尊敬すべきであるという理論である。そのような自由の制限がどのような意味を持っているのかは十分に検討に値する。イギリスのような英米法の発祥の地においてはもともとequity衡平の概念の発達がみられたのであり、その概念を発達させたものとも考えられる。法の下の平等という考え方はギリシャ時代から存在した。
isonomy アイソノミーという言葉は、ギリシャ語が語源の言葉で法の下の平等という意味である。isoはisotope アイソトープ同位元素のアイソであり、同じという意味の接頭語であり、nomyという接尾語は、エコノミーのノミーであり、学問という意味であったり、nomologyが法律学という意味であるように法律という意味であったりする。従って法の下の平等という意味のギリシャ語が語源となって生まれた言葉である。古代の思想においては法の下の平等はリベラルな理論家達にとっては、法の下ではその人が誰であり、どのような権力を持ち、どのような資格があるのかによって、法は差別してはならないという意味であった。しかしその実質的なものを決定することは現在においてと同様に困難なことであった。したがって、この平等の問題は古代から続いてきた問題であるということが出来る。
第三節 妨害や障害がないことによる本能への復帰と、選択の自由への復帰
自由は本能に対する障害物のないことをも意味する。本能が発揮できないことは、人間が性本能や、生の本能や、食の本能やらを行使できないということを意味している。食料が不足していたりすればそのようなことが起こるから欠乏からの自由は本能を行使するための自由であるということになる。この自由は絶対的に人間にとって必要な自由である。本能を発揮するに当たって障害物がないということをあらわすこの自由については、本能については人間は選択の自由はないのであるから、選択の自由をおかされたわけではないので、欠乏により食料がない場合には、自由とはよばず、生きていけない状態であるというようによんだ方がよいのかもしれない。無人島に一人の食料しかないのに九人が漂着した場合には、食料がないから本能である食べることが出来ないということが起こる。しかしこれに対して九人のなかの一人が生き延びるべきであるという人間による選択の自由の余地が発生する。ここには倫理学上の問題と、マルクスやフロイトが例外状態としてとらえた問題があると思われる。マルクスやフロイトが人々の自由の存在しえない飢餓の状態として常にその中にいると考えていた状態(マルクスの経済決定論や、フロイトの金銭ノイローゼはここから生まれたのではないか)が表現されていると私は思うが、そのことはここでは別の考察に譲るとして、ここではのべない。しかし、ここで欠乏からの自由として食料をどこかから持ってくるということを考えることは選択の自由として妥当な表現の仕方ではあるが、食料がないということ自体を欠乏からの自由でない状態とよぶのは、本能が選択の自由を持たないのであるから、あまり正確な表現であるとはいえない。従ってこの場合には障害がなくなることによって本能が発揮出来るということであるが、その本能には選択の自由がないのである。選択の自由が人間の本性であるとすれば、選択の自由は人間の本性への復帰であるが、本能に対する障害がないということは人間の本能の部分への復帰であると同時に、その他の人間の選択の自由の部分に復帰するのであるという表現をすれば正確な表現となる。本能は必ず発揮される必要があるから、人間の本能が抑圧されていることについて、その障害物が取り除かれるべきであることについてはあまり論争の余地となるところはないので、これまでの自由論はすべてこれを自明のこととしてきた。生存権の確保はその全部ではないが、その一部分は本能に対する抑圧からの解放による生存という本能の確保の自由な権利という意味であろう。生存権に対する制約からの自由は、それが最低限の生活の保障であっても、人間社会が一般的に認めるものであるから、あまり論争の余地がない。それは本能だよという一言で片づける人もでてくる。
これに対して、本能への復帰ではなくて、選択の自由がある人間の部分にたいする復帰は、復帰したからといって本能のように固定されたものではなく、またそこに選択の自由が発生するのであるから様々な議論の対象となる。選択の自由に対する制約からの自由については人間の本能以外の人間の本性への復帰を目指すものであり、人間の本性が選択の自由であるのだから、社会全体のなかで個人個人は様々に選択の可能性を論ずることが必要である。それは社会的自由のうち思想・表現の自由とよばれるものであり、選択について論ずる自由がある。これが社会的自由の第一のものとしてミルや、ベイなどが挙げている「思想表現の自由」という概念の根本的な発生源となっているものである。「様々な人々」によってという点が個性を尊重しなければならないというミルの観点の源泉である。この社会的自由によって社会的な論争が生じはするが、それは全体としてみるかぎりでは、選択の自由へ向かった動きであるとみることが出来る。更に選択の自由への動きとその妨害物との対立は政治的な論争や、法的な論争に発展する。法的な論争において第二次世界大戦後相対主義法哲学がさかんになっているのは、全体主義に対する反省も理由の一つではあるが、この選択の自由に関する人間の本性についての論争は人間の社会的な思考方法を相対的なものとしてとらえざるをえなくなったものである。しかし判決においては間主観的な意見も総合してとらえられ、客観的な判決が目指されることになるのは、政治的な判断においてと同様である。
障害や、妨害がない状態における人間をみつめ正しく表現してみよう。本能の部分については全く固定的固執的であり選択の自由はないが、そのことを表現して本能しかなく選択の自由がないというように、自由という言葉を使わないで表現するとすれば、逆の表現として自由とは本能以外について人間は選択の自由が存在しているというように表現できる。ところが本能というものが完全に選択の自由があるその他の部分と見分けがつきにくいとするならば、その場合には「選択の自由」と、「障害がないということ」のどちらがより自由の本質に近いかということの判断が難しくなる。例えば食べることは本能であり、生きることも本能ではあるが、他の社会的な強制や、他の人の悪意によって、食べることをやめざるをえなくなったり、生きることをやめざるをえなくなった場合には、それは選択の自由であろうかという問題が現代的に発生している。この場合には食べることや、生きることのみが本能であり、そのような本能を否定する他の人の意思があり、その自由意思がその人を騙してしまったというほうが正しい表現であると考えられる。つまり、刃物で殺すことを言葉でやったとしたら、それは刃物も言葉も手段であり、道具であるから、自由意思によって他の人は使用することが出来るということになる。他の人を殺すことを他の人の本能を破壊したと呼ぶことは正しくないように、このことを本能を破壊したといいのがれでよぶことは正しい表現ではない。
このことはすなわち、人間が狩りによって羊とか、牛とかを生きないようにすることについて、生きないことは羊とか牛とかの本能であると表現することがいかに不適切かということと類似している。牛や羊については不適切であるということがすぐに分かるのに人間については、それが本能であると表現すればあたかもそのようであるかのように考えられるところに問題点が存在する。それは殺す側の人がいうから更に複雑困難な問題となるのである。殺す側の人が、殺したといういわれを避けるために、死の本能があったのだというようなことは許されないことである。安楽死の問題の場合には更に問題が多くなる。死の意思が他の苦痛によりあったかどうかという問題が発生するからである。この場合にはあったかもしれない。それは自由意思による選択の自由として死を選んだのであろうが、医者は痛みをなくすこともできたはずであるから、やはり生きようとする本能しかなかったというほうが正しいことになる。このように自発的な意思が本能の特性であり、痛みとの二者択一ではない。痛みは人間の存在に対する、本能に対する脅威であると思われるから、それがないときに考えるのが生きる本能しか存在しないという結果である。
但し、依存性の強い人が、死ぬと依存できなくなるということを考えて、心配し不安になり、「死ね、死ね」と人を驚かすことがよくあるとすれば、それはただ単に性格の問題であるということになる。これは日本の地下鉄サリン事件について茅場町を通るとよく考えることである。羊や牛が囲い込まれて狭くなっている道を羊飼いや、牛飼いに追われて、あたかもアウシュビッツの収容所においてナチスの兵に追われるごとくに追われているのを表現して、死の本能がありそれに従っているのだと表現することは、誰もそのようなことは自発的にはしないであろうから、間違った表現である。牛や羊がアウシュビッツにおけるように毒ガス房に向かっているのは羊飼いなどに追われているからだと表現することのほうが正しいであろう。アウシュビッツにおける人間の場合にはなおさらであり、死の本能という表現はあらゆる場合に不適切であるが、そのような言葉の組み合わせを間違っていても人間は作るのである。このように本能とそうでないものを区別することは非常に難しいし、迷信も存在したりする。フロイトのように死の本能という言葉をいいだすこともありうる。しかし、現実には生の本能のほうが正しいのであり、死の本能があるとすれば、何億分の一の仮定においてのみであろう。このように本能とそれ以外との区別が定かではないからといって、自由は選択の自由か、障害物がないことかの本質論争に決着がつけられないわけではない。本能に対する食料不足のような障害物については、自由という言葉を使わずに、本能を発揮できる状態なのか、本能を発揮できない状態なのかという状態の問題であり、選択の自由に関したものではなく、したがって自由の問題とは関係がないと思われる。生きる本能、生存権は自由の問題ではなく、状態であり、本能そのものの問題であるということである。走光性のある植物は光のある方向に向かうという本能があるならばそうでない方向へと向かう植物は存在しないであろう。このように人間についても生の本能があるならば、生の方向へしかいかず、死の方向へはいかないというのが正しい表現である。しかし人間については走光性はないのであるから、光の少ない所に住んだり、日光浴をしたりしなかったり、様々な選択を行うのであり、いつ日光浴をするのかを決めることも選択の自由の範囲に属するのである。だが政府や、統治者が「必ず南を向いて日光に当たるようにするべし」という法を作ってもかまわない。生類憐れみの令や、ユダヤ人虐殺法を実際に人間は作ることもありうる。それは制度として人間の社会がそのような選択(選好)を行ったことになる。社会の選択と、個人の選択が違った場合には問題が起こるのであるが、その考察こそ自由論の課題でもある。
「死の本能」という言葉は、生の本能という真実の本能に対するウソによって、生の本能を妨害するものにもなりうる。その妨害をなくすことは、自由そのものの定義を妨害をなくすことと定義すれば、「死の本能」は自由に反するものとなるが、そのような定義はこの場合には正しくないことになる。何故なら生の本能は自由とは全く関係のないことであるからだ。自由とは関係のないものを妨害するのは、その事自体が間違っていることを証明しているにすぎないこととなり、フロイトがそのようなことを言ったのは深い理由、性格上の理由があったと考えられ、それを私は依存性と分析しているのであるが、その精神の分析は非常に重要な意味を持っていると考えるものである。それは性格論をずっと明らかにするであろうと思われる。
自殺することが「死の本能」によるということは、アウシュビッツの例を待つまでもなく、人為的な生の本能を曲解している可能性がある。たしかにアウシュビッツの状況を作られれば誰だって自殺しようと思う可能性があるのは、誰でも理解できることである。しかし、それを自殺という人はいないであろう。そこにあるのは自由ではない。このように自由が存在しない環境においては人間は自殺しようと思うかもしれない。依存的な人に常に追いまくられていれば、誰でも自由はなくなる。それは人為的なものであり、それを自殺だとか、死の本能というのは嘘をいっているとしか思えないのである。それでは安楽死のように自然の病気による場合はどうであろうか。そのような安楽死したりしたくなるような人為的な環境を作ったという場合にはアウシュビッツの場合と同じようなことがいえるであろう。例えば、鎮痛剤を与えなかったので、痛かったから自殺をしたと場合には、人為的なものであり、自殺とはいいがたい。人為性という点では、アウシュビッツの事例も、このような安楽死の事例も同様に犯罪性があると私は考える。
第四節 人間は自殺する以外のすべての自由を内在的に持つ。
自殺する以外のすべての自由を人間は持つというときの自殺する以外のというのは、生の本能を人間は持っていて、それは死の本能のような嘘によって騙されてはいけないということである。死の本能というのは、生が本能であると認めるならば、「死ね」と暗示にかけているようなものである。あなたに「一銭の金も与えない」とあなたの親が収入も得られない時にいって、それは「死の本能」といった場合、その時の本能という言葉は「死ね」と人為的に暗示しているにすぎないと私は思う。私はフロイトの娘ゾフィーが二六歳でなくなったのはそのような事情があったのではないか、フロイトが依存的なあまりゾフィーよりも依存的であったというようにその日記を伝記などから抽出、分析して、精神分析をしているが、それに対しては自由と、環境という問題としてとらえるほうが正しいのであり、それを「死の本能」ととらえたのは依存性から生ずる誤りであったのではないかと思っている。このような依存性のある親と、独立的な子との間での逆転現象の実際の事例をあげることはできる。自殺の自由が禁止されている国では生の本能というものを正しく規範的に規定しているということになる。これは自由と環境の問題であり、自由論や政治学において問題としてよい例である。自由は環境に依存しているのである。資源が存在し、能力が存在していても、そして自由が政府によって許可されていても、自由が存在しないようなこのような場合が存在する。それは恐怖政治の場合も同様な例としてあげることができる。依存的な人が、オープンで独立や自由を尊ぶ国に突然に出かけていっても自由を行う習慣が出来ていないので、恐怖を感じて自由が感じられない場合がある。これはすべてを他人や国に頼っていた人が、オープンで独立した人ばかりの国でそのような制度を持っている国に放り出されたようなものである。これを政治恐怖と呼ぶとすれば、この政治に対する恐怖は私の考えではラズウェルのいう反政治の感情や、無政治の感情の主なものはここから発生していると考えられる。このように本能は生の本能として正しくとらえる必要がある。私はすべての本能は生の本能に集約されると思っている。この本能の正しい把握は本能に対する障害がないことを、政府に市民が要求する時の生存権をとらえる時の根本となる概念であり、障害がないという点では自由という概念に近いが、自由ではなく本能である。絶対的なものである。障害を無くするという要請を本能の外部にある人々に対して行うことは、その人の外部にいる人々の選択の自由の範囲の問題であるが、本能そのものは自由論の取り扱えない問題である。
他の人を殺す自由は人間には存在しないということを、ホッブスや、ロックや、ルソーのように、殺す自由というような種類の自由の相互放棄を社会契約によって行ったのだという議論は、(日本の刀刈りのように歴史の早い時期に行ない強い要請とした国もあり、アメリカのように遅い時期に弱い要請とした国もあるが)それ自体有効な説明方法ではあると思うが、そのような契約が事実としては事実法典にのっていること以外では存在しないという批判がある。しかしこれに対してはこのように殺す自由というものは他の人々の「生の本能」を抹殺するのであるからそのような自由は人間の本性上存在しないのだという説明もできる。相手の選択の自由の範囲内に存在する「自由な感情」を道徳的、倫理的に類推することによって思想・表現の自由などの自由な権利を価値論として認める場合よりも、相手の生の本能が単純に理解できればよいのであるから、そのような理解は感情移入しないでできるずっと簡単な相手の心の了解である。相手が生きたがっているということを了解できないような人はいないはずだからである。
この基本によって生命の尊重の倫理・道徳が生まれてくるのであり、ここに戦争や、破壊活動の防止や、禁止の概念が生まれてくるのである。
競争について
一方、競争そのものがいけないという批判、社会への依存性の高い人々の批判に対しては、競争して生の本能を奪うような戦争や破壊活動はよくないが、競争は陸上競技における百メートル短距離走の場合を想定して類推してみればわかるように、どこまでやれるかやってみよう、そのほうがみんなが努力をしてみんなが早く走れるようになるよ、そしてこれがビジネスの場合ならば、みんなが豊かになるよ、しかし最後に遅かった人や、給与や、利潤が少なかった人には政府としてか、あるいは皆の意思によってか、皆ができるだけ平等になるように助けてやるよ、ただそれは最後に努力してから後だけだよといっているのだと考えれば、依存性の強い人が怖がり、いやがる競争も是認されうるのである。
第五章 歴史と自由
政治思想論及び政治思想史は大量の自由論を提示する。また現代政治学も大量の自由論が現在もあることを提示する。しかし、政治思想史における過去の自由論と、現代政治学における現在の自由論とは異なったものである。なぜなら時代時代の環境に応じて自由がその環境に対して要求されているからである。現代においてすでに自由化されたことについて今更自由を要求するような自由論は存在しない。第二次世界大戦における自由の妨害が戦後すぐの自由論を生んだのであり、その後の東西冷戦に対応して、一九五八年にバーリンと、ベイの自由論が展開されたのである。それが現在まで続いていることは環境がまだその時代と似通っていることを示している。現在はノージックや、ロールズや、ドゥウォーキンの自由論が主役を占めているということは、戦後すぐとは異なっていることをしめしている。また、東西冷戦後の自由論は東西冷戦の時代とはやや異なった環境になったということがいえる。現在の東西冷戦終了後においてはまた新しい自由論が必要になってきているということをしめしている。
先に示したオックスフォードの事典は一九九六年版の事典であり、そこにおいてもバーリンの自由論について述べられているということはまだバーリンの自由論は有効性を失っていないのであろうことを示しているだろうし、そう私も思っているが、政治思想史の事典の自由の説明は政治学の事典とは相当に異なっている。まだ普通選挙権が獲得されていない時代には選挙の自由を獲得することが自由論の主題となっていたのであるが、現在普通選挙権が獲得されている時代において選挙の自由を獲得するための自由論は、選挙の自由を権利として得ていることにかんする説明であり、戸別訪問が許されていない現在の日本においては選挙活動における戸別訪問の自由に関する議論が自由論の主題になる可能性のほうが高い。その他棄権する自由等も自由論の課題となるであろう。これらは各時代各時代における自由論の差異である。これらの差異は政治学事典と政治思想史事典の自由に関する説明の差異の原因となっているものである。それらは自由の主張される環境によって差異が生じていることが比較検討してみればわかるはずである。人々がおかれている環境と同時に、因果関係を発生させるかもしれない歴史的な状況も相違するのである。東西冷戦終了後の現在の問題点はドゥウォーキンの平等論と、ノージックの自由尊重論をどのようにして総合するのが問題となっている。ロールズ的に総合することが妥当なのか、自由と平等を調和させるためにほかにもっとよい調和のさせかたがあるのか等他の総合の仕方に自由論は問題の関心を移しているのかもしれない。ノージックの不干渉主義はバーリンの消極的自由論に近く、ドゥウォーキンの平等論はその対局にある。これらはあまりにもはなれすぎているからである。
一般に伝統は人類の過去の叡知の集積として人々が受け継いできたものであると考えられている。しかし伝統を新しくして、自らに最適に変更することができるのもまた人類の叡知でもある。ミルはその自由論のなかで「進歩の原理が自由への愛としてか、それとも進歩への愛としてか、いずれの形態ををとるにせよ、それは常に慣習の支配に反対するものであり、少なくとも、慣習の軛からの解放を含んでいる。」(ミル、「自由論」、訳書一四二頁。、原書、頁。)と述べているのはこのことを示していると考えられる。ノージックの自由尊重主義はバーリンの消極的自由の延長線上にあると考えるならば、ナチズムや、全体主義やらの防波堤になる理論を折り込み済であると私は解釈する。またドゥウォーキンの理論は平等に関する歴史上の様々な理論の叡知の集積であると思われる。ドゥウォーキンがもっとも大切にするものはそれまでの法律的な経験が蓄積してきた伝統の叡知にほかならないからである。しかしこのような伝統を守るのも、伝統を変化させるのも自由な選択の可能性を持つ人間である。この選択の自由こそこの自由論が自由の本質として考察しているものである。自由と平等の両者を調和させ最も最適にするように選択する自由を行使しようとしているということになる。ロールズはロールズ自身の方法でこれにたいする答えを提出した。これは選択肢の一つである。しかしまだ他にも多くの選択肢が存在する。その選択肢を人々に提出し、その中から人々が自由に選択をできるようにすることは政治学及び政治の役割であり、その選択の自由の行使は政治そのものである。人間に自由が存在しているということはこの様な場合には制約がないことではなくて、選択の自由を持っているということである。そしてそのような自由そのものが政治ということになる。選択には一切の資金は要らず頭脳だけしか必要としない。したがって容姿のよさなども全く政治とは関係がない。このような政治においては金権政治は全くの対局にあるものである。政治は純粋な政治的選択しか必要がない。では現実の金権政治とは一体何なのかということになるのである。この哲学的な出発点は政治を見る場合には常に頭の中に入れておく必要がある。行政は政治の選択の結果を執行するものであり、司法はその結果を裁判所において適用する機能を持ったものであるということになる。
政治以外においても、政治においても、現代の新しい環境のなかで新しい自由を探し、自由を行使して、将来に向かって人間の社会の行く末を選択の自由を行使して選択するのは、一人一人の個人である。自らの力で自由は切り開かれねばならないし、一人一人が選択の力を持たねばならない。その力こそはフロムのいう積極的自由の涵養によって培われるものである。積極的な自由が存在しなければ自由から逃走して、権威主義に走り、すべての決定は権威に依存せざるをえなくなる。この依存は性格的なもの思われる。ある人が自己の干渉されない範囲については明確にしておくべきだというバーリンや、ノージックの主張はドゥウォーキンの平等の主張とともに大切にして、このような選択の自由の行使のおける叡智及び学問的業績として大切にすべきであると思われる。干渉されない自由の範囲は自分一人が密かに楽しみ、自分が老後を過ごす慰めのためにあるとともに、社会的な能力の涵養のためにも使われなくてはならないというのがフロムの見解であり、そのためにも干渉されない自由の範囲を意味する消極的自由は守っておかれねばならないということになる。
他人に干渉することのできる自由の範囲と、他人に干渉されるべきではない自由の範囲を決めておくことも重要なことである。その限界こそがまた重要な自由論の問題点でもある。バーリンのいう消極的自由の範囲を決定するために消極的自由の存在すべき部分にある一定の線を、ちょうど自分の家の敷地の境界のように、消極的自由が守られるべき範囲と積極的自由が及んでも仕方がない部分との間の線を引くという問題であるが、それはドゥウォーキンのいう自由の限界の理論が役に立つ。つまり、平等のために自由に限界を設けることはやむを得ないという考え方である。しかし彼は個別の自由権についてすべてを否定しているものではない。この矛盾を解くためには自由のなかにおける資源の問題にのみ限定して平等を考えるという方法がもっとも最適な解決方法であろうと思われる。干渉されない自由の範囲論と消極的自由の限界論とを調和させることによって始めて境界線を引くことができるのである。法の下の平等は裁判や、政治的判断における一個の人間を一個の人間として取り扱おうという個人主義の原則であり、それは人間を自由な個人として扱おうとするものであるから、自由とまったく矛盾するものではない。法の下の平等は、自由を認めるということそのものと等しいのである。この原則は平等の原則ではあるがそこから自由を制約しようという議論は発生させずにかえって自由を守ろうという議論しか発生させない。ある人を自由のある人と認めて、ある人を自由のない人と認めること、例えばある人に選挙の自由を認めてある人に選挙の自由を認めないというようなことはあってはならないということである。逆に全ての人に自由を認めないということがあるかもしれないが、その時の問題はその時に例えばナチズムにおけるような全員の自由からの逃走がおきて、大変な結果になるということになる。法の下で全員の自由を悪平等に制約しようという場合は別として、平等に自由にしようという場合の法の下の平等は、自由との関係において問題となることはないので、自由との関係において問題になる資源を平等にしておくために自由を制限しようという主張に対しては自由のなかの資源という要素があるという主張が最も適当であると考えられる。このように過去の叡知を生かしながら私達は人間にあった最適の選択をすべきであると考えられる。
第六節 自由の目的
各時代の自由論が目指したもの
自由が自由権となるまでの歴史
歴史的に見れば一八五九年のミルの自由論はその過去を調べその当時の現在における自由について考察したのである。それから約百年後一九五八年にはそれまでの過去を調べ、バーリンとベイはその当時の自由論をかいたのである。アリストテレスが共有と、私有とについて書いたのもその前の過去を調べ、その当時の現在に対して自由論を述べたものであり、マキャベリーはクセノフォンの『ヒエロ=僣主論』を調べて、専制や独裁や僣主について研究しその当時の現在についての自由について論じたのである。クセノフォンについての研究は過去の自由についての研究であったのである。過去を調べ当時の現在にとっての未来を切り開くためにすべての自由論は書かれたものであると考えられる。何故なら自由論は選択の自由の可能性について論ずるものであるから未来に向かっているものであるからだ。それらによって切り開かれたのが現在の一九九六年という今日である。それらの積み重ねがなかったならば現在の我々に社会的に認められている自由はなかったかもしれない。そこに自由論の偉大さがある。今日までの自由権の歴史は、ロスコー・パウンド等の自由権の歴史の記述によって知ることができる。自由を主張した人々の功績の結果として社会及び社会科学の一大遺産があるといえるであろう。それらは永遠に記述される必要がある。そのことにより後戻りしないことが要求される。普通選挙権がなかった人々に与えられた選挙の自由その他の自由権は、人間の社会をより良きものにするために、選択の自由を行使することができるために使用されなければならないのである。自由権が獲得されてはじめて社会の中において人間は自由に選択の自由という人間本来のものを行使することが出来るようになるのである。私は人間は政治的人間であると信じている。これはアリストテレスと同感である。すべての人の行動や、思考に政治性があるものと信じている。またすべての人の行動や思考を毎日政治的なものとして観察している。その政治性を百パーセント発揮できるような自由が、法的にも、政治的にも達成されるようになることをこの自由論の目標としている。
過去の選択の自由権達成の歴史によって現在があることを忘れずに更に未来へと人間は向かっていくのである。伝統と伝統からの自由な選択、この二つのうちの良いほうを選択する自由を与えられているかぎり、人間の将来は最適なものになるが、伝統のみに固執したり、変化のみに固執することは人間の将来を不安定なものにするし、最適な選択はありえないことになる。現在の新しい環境には選択の自由によって新しい政治が必要である。伝統を選ぶにしても選択の自由によってでなくてはならない。
共産主義に関しても同じようなことがいえる。かってペレストロイカ時代のソ連においては保守的というのは共産主義化のままの体制を維持することであり、革新というのは資本主義を取り入れ選択の自由を認めるということであった。革新が資本主義的自由化という意味であったのであり、日本の現在の用法とはまったく逆になってしまっている。資本主義化が革新的なものであった。それにより現在は東西冷戦の終結を迎えた。ペレストロイカ時代の自由という言葉は、かって社会主義化を果たしたマルクス・レーニン主義が自由であった時代の自由という言葉の意味が逆転し、マルクス・レーニン主義の方が保守的となってしまった。自由を抑圧するものとなってしまった。それは自由を取り巻く環境が変わったからである。貧乏な人々に自由を与えるためにという意味での自由から、今度は社会全体が選択の自由を得るため、そのような真の人間の本質である自由を、選択の自由を求めるようになったことが保守と革新の逆転をもたらしたのだった。ペレストロイカの時代の伝統は過去のマルクス・レーニン主義でもあった。支配層の伝統はマルクス・レーニン主義であった。伝統は過去の歴史から生まれるもので、歴史から学びとる叡知は数多くあり、ソ連においてもそうだっただろう。しかし歴史から得られた教訓が現代にも通用する部分を持っているとすれば、伝統として尊重すべきであろう。伝統は歴史から得られた教訓のうちで現在でも通用する部分が現在の生活のなかにいかされて、利用されているものである。たしかにペレストロイカ時代の過去はマルクスとレーニンという二人の主張によって主に作られたものであったが、マルクス・レーニン主義が政治権力を握っていたからといっても、それは伝統のすべてであったということは出来ないかもしれない。それ以前のロシアの伝統もあったし、マルクス・レーニン主義は本当は定着していなかったのかもしれない。それは中国の毛沢東による文化大革命においても、文化という伝統的なものをマルクス・レーニン・毛沢東主義として革命として定着させようとしてもそれ以前の伝統のなかに完全に定着させることは出来なかったのかもしれない。しかしマルクス・レーニン主義などはすべて過去の伝統となって現在に受け継がれていることは間違いない。
第七節 選択された自由としての過去の政治と、選択の自由としての現在の政治
自由のための環境が相違している場合には歴史上の政治(過去に選択されてきた自由)とは相違する現代の政治(現在の選択の自由)を探さなければならない。ペレストロイカはまさにそれであった。歴史上の自由と、現代の自由とが相当な程度に共通する部分があれば政治は安定的であるが、それが少なければ少ないほど変化が求められることが多くなる。冷戦終了後の現代の政治はそのどちらといえるのであろうか。戦争というものがほとんど全部否定された現代であるからこそ、その答えを一人一人の人間、政治のただなかにある人間、それを公民と呼んでよいかもしれないが、そのような人間として、一人一人の人間が探さねばならなくなった。国家と、個人が同一化されていない時代だからこそ、一人一人の公民に対して向けられた問いに対して一人一人の個人としての人間が真剣にこたえを探さねばならない時代がやって来たといえると私は思う。それは国際的にも国内的にでもある。
マキャベリーが過去のローマ史と、当時の現在的政治の双方を研究していって人間の自由な選択としての政治を政治家及び政治学者として研究したように、またルターらのプロテスタントが宗教的自由を求めて立ち上がったように、またフランス革命において人々が自由を求めてたちあがったように、またアメリカ合衆国の独立において人々が自由を求めてたちあがったように、そして現在は地球上の一人一人の人間はそれらの自由をも取り入れながら、取り入れるべきところは取り入れ、捨てるべきところは捨て、自らの新しい自由を獲得せねばならないといえるのである。冷戦後の世界は人間に新しい真の自由の獲得を要請していると私は考える。そうでなければ冷戦が終結した意味はないのではなかろうか。二つの大きな陣営が消滅したということはそれらに制約されていた様々な自由は時代の変化とともに考え直されねばならない時代がやって来たのである。共産主義陣営においては共産主義の批判ができなかったし、資本主義の陣営においては資本主義の批判ができなかった。国家や陣営のため多くの自由が犠牲にされてきた。東西冷戦の時代には資本主義陣営と、社会・共産主義陣営の対立は一触即発の第三次世界大戦の勃発の可能性を秘めていたために、多くのことがそのために言えなかった。しかしその危険が回避されたのであるから、なぜこのようになったのか、文明が変化してしまったのではないか、いや自由の現在がそうとうに変化したのではないかということについて深く研究することが出来る時代がやって来た、つまり、人間の選択の自由は大きく広がったのだということに目を向ける必要がある時代がやってきたのである。
第八節 間主観性と間主観性を超越した客観的人間関係の判定 原人と被人あるいは原告と被告
先に示した裁判においては原告に当たるような人、これを原人と名付けることとするが、自由論や政治学の場合には先にいいだした人とか、先に言い分を聞いた人とか、先に要求を提出した人とか、先に不満をいった人とか、先に自由を主張した人とか、先に権利を主張している人とかというような意味である。それに対して裁判においては被告に当たるような人を被人と呼ぶこととした。これは政治においてであるから、現実の実定法に関係がなくても、自分や社会の理想とする自然法や、制定されていない法や、けんけつのある法など、また悪法と思われる法律に対して意義を申し立てている人など裁判所に提出することが出来ないような事件、すなわち、実定法以外の法に関する事件、これは事件ではなくてケースとよぶほうがよいかもしれないが、そのようなものも政治や自由論は担当せねばならないからである。
なぜここで間主観性(Intersubjektivitt : ドイツ語)というフッサールの用語で、「二人以上の人が同一の事象を見ているときの複数主観の認識論的関係をいう」(日本で最も権威のある辞典兼事典である『広辞苑』による定義) とされる言葉を自由を論ずるときに用いたかについて述べておく必要がある。
自由の主張は対人関係において他の人に対する要求として述べられることが多く、かつ、その自由という言葉はフロムと、バーリンが同じ積極的自由という言葉を全く正反対の意味に使ったように使う人の主観によって大きく意味が異なり、それが人間関係のなかにおいて、法律の場である裁判所においてのように考えていく時にはどうしても主観性の相違を考慮しなくてはならないからである。その自由の認識が性格の傾向によって規制されている点を政治学的に、かつ、政治認識心理学的に明らかにしていくためには間主観性の認識が必要であると考えたからである。
裁判においては、原告と、被告の主張は間主観的であっても、訴状と、それに対する陳述書によって知ることが出来る。
しかし政治の場においてはそれは政治的な主張から主張の内容を判断していくしか方法がない。主張の内容は多岐にわたっており、現実の政治においては国会内の与野党の主張の差や、政治学者の主張の差や、政治的なイデオロギーの差として、また、その他の日常の生活における政治的な意見の差として把握して、それらを判断していくことになる。
しかし現実的にはそれは政党の意見の差、政党を法人としてみれば、法人と法人の人間的関係というものとしてとらえることができるし、個人と個人の政治的意見の差、つまり人間と人間の人間関係における意見の差として把握することが出来る。ある一つの人間関係は、政党の法人的人間的な関係も人間関係と呼ぶとすれば、そのような人間的関係も、原人と被人との対立であるということができる。これは政治という自由の選択の過程においてもそうであるが、自由そのものをとらえようとすれば更にそのことがいえるのである。政治が自由を主張しあっているというようにとらえるとすれば、これは権利と義務という自由と、自由の妨害というものの対決であるとしてとらえられる裁判と非常によく似ていると考えることが出来る。この場合に義務を、妨害をしないで、権利のある人に自由にさせておくことの強制であるととらえるならば、これは自由論における自由の強制という問題と似ていることになる。権利はあることをする事が自由である、つまり、あることをすることについて障害が存在しないことを裁判所が法的に認め、それを裁判所が認めれば同じことについて義務があること、すなわちその人がすることを他人である自分や政府が妨害をせずに、それを行わせなくてはならないということである。それを妨害してはならないということである。つまり裁判所はそのことをすることが自由であることを、強制できるのである。それは法の力によって、三段論法によって行われるのである。
これは政治の人間関係においても同じようなことがおこる。
人間関係において原人は間主観的に自由のあることを主張して、被人はそのような自由の存在しないことを主張していると考えてみよう。
原人の間主観的な人間関係は、被人の間主観的な人間関係も考慮した上で、両者の間主観を総合してこそ一個の人間関係が客観的に把握できるのである。そこにこれまでの主観、客観論を総合して新しい社会科学と、行動科学と、心理学を作り上げる出発点がある。
原人と被人とに分けることは自由が、原人による被人の自由の妨害や、被人による原人の自由の妨害つまり人的な妨害による不自由がもっとも大きな部分を占めているからである。したがって人間関係における自由の問題は、人間が社会的自由という名前で論争してきた最も主要なものであるからである。その他自由は心理学的自由や、潜在的自由や、自由意思とかよばれているものであり、それらも実は人間関係のなかから生じてきた自由の概念と見ることができるのであり、人間関係における自由がもっとも重要であるということが出来る。
国家が個人の自由に干渉してよいかどうかという問題も実は人間関係における自由の問題であると考えられる。他人が個人に干渉するのも、他人が集合して国家の名において個人」に干渉するのも、実は人間関係の問題としてとらえることができるからである。
したがって自由の問題は、人間関係のなかにおいてある人が自由を主張しているのだというように考えることが出来る。その自由の問題を解決するためには間主観的な自由の主張、つまり、マルクスの主張は「真の自由」を主張しているというような一方的な主張を聞くのではなくて、その自由の主張を聞いている資本家の、所有者の、自分たちで十分に所有地や、所有物をきちんと利用し、掃除をし、うまく運営している人々、企業家精神でいろいろなことをやっている人々の意見も聞き、その両方の間主観的な意見を聞き、その両方の間の人間関係を客観的に把握しなければならないということである。間主観的とはそれぞれの主観は様々な人に応じて異なっており一つの人間関係は片方から見たみかたと、他方から見たみかたとの二つが存在しているということである。そしてそれにもかかわらず、二人のあいだには主観性とは異なったある一定の人間的関係、私が分析しようとしているような依存的関係や、独立的関係というようなものが存在しているということである。被人に依存していないと言っている原人がたとえいたとしても、客観的に見れば原人は被人に依存したいということをいっているのみであるということを簡単に感知できる場合がありうる。この場合原人がかわいそうであるという理由で、原人のいっていることがもっともだという事と、依存したいといっているということを見抜くこととは全く別の手法である。前者は間主観的な判断であり、後者は間主観を超越した客観的な判断である。
この客観的な判断を客観的な人間関係の評価、客観的な社会の把握というとすればこのような判断こそが社会や人間関係の把握において求められていることになる。これは「冷たい理性と温かい心(warmheart and cool head)」とある経済学者がいった場合の冷たい理性にあたるものととらえてはならない。この場合には原人の心も、被人の心も温かくとらえられているのであり、その上で客観的評価がなされているのであるから、冷たい理性も、温かい心の両者を持っていることになる。マルクスのイデオロギー的なもののみかたはどちらかしかみていないということは十分にありうるのである。
原人と被人との間に起こった人間関係はまず原人からその事情が話されるが、それを聞き、それだけでは不公平であり、不十分であるという理由で、被人からも事情を聴くことになり、それらの間の自由の問題について検討することになる。これが自由を高めるのに有効に利用されるべきである。これまでのカウンセリングの理論や、臨床心理学や、人間関係論の欠点はこのような自由の取り合いという問題を両者から意見を聞かずに、片方からのみ意見を聞いて直そうとしていたところに問題があったと考えられ、社会・政治精神医学の根本的方法はこの「温かい心と、冷たい理性」を併用したこの人間関係の理解にあると考えられる。
そうした上で原人と被人の両者の主観的な説明、間主観的と名付ける学者にしたがって、間主観的と名付けるが、そのような説明を聞き、全体の環境や、状況から判断して出来るだけ客観的で、自然法的にも妥当と思われる結論を出していくべきであり、少なくとも依存性の側からのみその人間関係を見ることは全体の解決には全くならないということに留意すべきである。そのような依存の側からのみ見た解決は、全く有害そのものとなる場合がある。
政治的判断という言葉は、裁判の場合の判決と同じような意味をもつ。そうであるとすれば三段論法によっているのであるから、この判断は規範と、事実と、判断という方法によったものになる。規範が三段論法においてでてくるのは、政治が規範論でもあるということを示している。規範は制度と深く結びついている。個別の人の個別的な自由を規制する規範も問題となるがそれと同時に、社会の決めた規範というものも問題となる。そしてそれらを総合的に判断しなくてはならないことになる。
規範論が政治学においてどのような位置をしめるのかについていえば、このように三段論法と、三段のうちの第一段である規範などの価値について論ずることは重要なことである。無価値を社会科学の前提とするということは、三段論法を使用しないということになる。そうなるとあたかも自然科学のような形態を整えながら、そこにすべてが価値を含んでいて、それを科学的だというような労働価値説のような論法となる可能性がある。ウエーバーのいうような解釈学についても価値は含まれることになる。また経済学においても効用の価値により商品に対して効用を認め売買が行われるとすれば、商品に対する効用価値が第一前提となっているのでそのような稀少性生に関する判断が合理的なものであれ非合理的なものであれ価値や規範論から逃れることはできない。効用、商品、売買も三段論法であるといえる。
このように判断のなかに三段論法を用いることは、第一段において規範という価値を前提としているということになる。アリストテレスの考えた善も、それを賛美したレオ・シュトラウスのいう善も、マキャベリーの徳(ビルツー)も、ほとんどすべての思想家が自分で善や、正しいと考えて書いているものはすべて、ある意味では価値論である。この世のあらゆる書物が三段論法によって書かれているとすれば、この世のすべての思想の中身は価値を含んでいて、その価値観に応じた事実を探してきて、結論を出しているイデオロギーに満ちたものであるということになる。そのイデオロギーの依って来る所のものを探究するのもまた三段論法によっているということになる。三段論法とはこの世のすべての思想のなかみを、価値観と、事実と、それを評価した結果である結論の三つの部分に分けることが出来るといっているのである。三段論法によっていない論理は存在しないのであろうか。価値を価値であると客観的に断定しているものは価値論が入っているといえるであろうか。客観的であろうか。
またケルゼンのいう純粋法学などはそれを機械的に、フロムのいう自動機械のようになって三段論法を実行に移そうとしたのである。ところが間主観性の議論のところで明らかにしたように、原人の主張に含まれている三段論法と、被人の主張に含まれる三段論法と、政治的判断や、判決のなかに含まれる三段論法は相違している。
客観性において高い、低いがあるとすれば、判決や、判定のほうが高い客観性をもつことになる。これは法哲学における判決についても、政治哲学における判断の意味のとらえ方についても、双方に共通にいえることである。客観性は、様々な議論においてその量的な差異があり、それらの議論は重層的に上位に向かっていくことが出来るということになる。議論は常に客観性を高める方向に向かわなければならないということになる。
第九節 間主観性を越えた「真の社会の科学=真の人間関係の科学」を目指して
社会科学の方法論
間主観性がある原人と被人の判断を総合して得られた総合判断を、政治的判定というとしても、それは裁判の判決に似ていて、それらも誤判と同じように誤っている場合もありうる。それは常に心に明記しておかねばならない。しかし誤判がなく、かつ、総合的で客観的な判断であるように常に努力しなければならない。また、それらの判断が専制や独裁による判断の誤りである場合には、それは政治的権力によるものである多大の損失を伴う。このような誤りは極力なくさねばならない。そこに科学的な政治哲学の必要な理由がある。歴史は様々な政治的な誤りを記述してきた。政治の動きは歴史の流れに影響もされてまた多くの誤りをおかしてきた。そこに歴史主義の誤りを見て取り歴史主義に批判を加えたポッパーのような人も現れてきた原因があった。そのような誤りは今後は絶対に起こってはならないと考えられる。
三段論法のもう一つの側面である両者のいう事実を総合して判断した事実というものに関しても、実は何百人の人が集団的に熱情に浮かれていっていることが実は誤りであったというようなことがありうることを、最近の社会心理学は実験で証明しようとしている。人間関係の基本は個人と、個人の人間関係であり、それ以上のものでも以下のものでもない。個人と個人の人間関係を科学的に判断を下していくことが今後どのくらい大切かということは左翼的感情が衰退してくるのと比例して大きくなってきている。個人個人の人間関係は現在の問題であり、何度もフィード・バックして検証することが出来る。このようにして間主観的な人間関係はもっと疑わしくない事実が、学問として積み重ねていかれねばならないと考えられる。行動主義の後に出てくるべきものは、行動の後ろにある「様々な考え方、これを間主観的な考え方」とよぶが、これらを誤ってマルクスや、フロイトのように客観的と主張することなしに、間主観的と認めた上で、それらを両者の間の客観的な人間関係の把握という点にまで高めて、両者の自由を高めるというところまで科学と、社会科学の目的を高めるものでなくてはならない。これは現在の、東西冷戦後の我々にとって最も重要な問題を解決することになる。社会科学全般についていえることであり、経済学、政治学、教育学、法学、社会学等々についてこれはいえることである。
ポスト・モダニズムの社会科学は、過去のことについてのべているのではない、現在のことについて述べているのである。確率的には現在の問題こそ調査をしやすい。したがってポスト・モダニズムは現在においての問題であるからこそ、現在の規範と、現在の事実を、現在の判定の問題として研究がしやすいのである。現在のことについて多くの人の人間関係を調査して判断を加えていけば、過去の場合よりも確率的には正しい事実がでてきやすい。現在の問題については裁判所は取り扱うが、過去の事件については今更訴えの利益がないとして、裁判所は取り扱わないのであるから、過去の事実も政治学や、自由論は研究するべきであるという見解も確かに存在するし、法の体系もドゥウォーキンのいうように伝統の集積であるから、過去のことも同時に調べなければならないという意見は留意に値する。しかしそれらはすべて現在及び将来の行動という目的のために研究されるのであることもまた忘れてはならないのである。
規範については規範的観点をなくした政治学や、自由論を形成しなくてはならないという意見についてはこれまでも多くの学者によって主張されてきた意見である。その主張が依存性による間主観性のようなイデオロギー性をなくせといっているのか、三段論法による時の規範の存在をなくせといっているのかによって、全くその答えは相違してくることになる。前者は以上述べたとうりに絶対的に科学的なものではありえない。ところが規範性については、規範意識が非常に強い人と、法律にはふれないが法律ぎりぎりの大きさしかない人との二種類が存在する。それによって判断は違ってくる。妊娠中絶は悪いという人と、それは人間の権利という人とでは判断が違ってくるし、黒人を優遇するべきか、そのような逆差別は過去の補償であっても許されないという人とではまた判断が違ってくる。そのような規範が全く政治学や、自由論において存在すべきではなく、歴史の事実しか存在すべきではないという観点に立てば、政治科学は存在するか、自由論は存在するかというオークショット氏の議論に逆戻りすることになる。イギリスにおいて階級的な差や、所有の多い、少ないの差が非常に顕著であるならば、それが良いのかどうかについての議論は政治学や、自由論においてはなすべきであると私は思う。
過去における政治的ジェノサイド(人種抹殺)とか、政治的粛清などについては、人間関係における間主観と、間主観との間の客観的判断によって再検討を科学的に行っていかねばならないと思われる。そして間主観の正しい解釈を行うためには間主観に潜む「心理学的」、かつ、「政治心理学的」要素の分析を行わなければ客観的な判断は難しいと思われる。私はそれを依存性という観点から見るべきだと思っている。すべてのこれまでの人格の表現に用いられてきた用語は依存性という観点から説明が可能である。依存的な人があなたの前にいてゆったりとしている時はその人が依存できて満足しているときであり、イライラしているときにはその人が依存できなくて満足できていない時である。このことは非常に重要なことである。なぜなら環境に応じて性格が全く逆になっているからである。これまで使っていた性格に関する言葉はほとんど依存の側から見た言葉であって自由で独立した人から見た言葉はほとんど存在しなかった。このようにある人の性格は、依存性のある人にとってはその状況によって、全く相違する。フロイトと、ユングの別れに当たってのフロイトの失神などは依存性のあるひとの性格をもっともよく示している。最もよく示している。このような人間関係的な多数の要素を、裁判における判決や、人間関係の判断における判定に取り入れないと、法的な判断のみでは全く解決できない多くのケースが存在する。そのようなケースはこれまで法社会学や、政治社会学の分野であると考えられてきたが、それらは自由を無くした平等の理論に支えられていたことが多く、各人の性格的な自由の問題であるという考え方は少なかった。この考え方を取り入れたのは、クリスチャン・ベイの『自由の構造』と、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』の労作であった。これらは全体主義や、集団主義や、権威主義にたいする反省として書かれたものではあったが、現在の東西冷戦後の世界においては個人個人の自由に関する性格の問題として取り上げられるべき問題であると考えられる。権威主義的性格と、個人主義の未定着という問題は、現代の日本でも世界のあらゆるところで問題となっていることであるからだ。法律の純粋な適用のみでは解決できない多くのケースについて、将来は法的な判決のなかにもそのような依存と、独立という政治心理学的な自由の判断がはいってくる可能性がありうるであろう。法は自由の問題と密接に関わっているからである。刑法における自由論はこの意味でも自由論の重要な一部であるべきである。
マキャベリーの『君主論』や、『政略論』のなかにも政治心理学的な問題が数多く出てくる。マキャベリーの使った言葉のなかには多くの心理的な表現が出てくる。これらは今でも未解明な部分が多い。そのような言葉の解明には客観的な判断が必要であるといえる。
第十節 依存性」と、「依存しないで自由で独立であること」との二元論とそのメリット
甘えと、依存の共通性
二元法はコンピュターの二進法のようにすべての数字と事物を表現できる場合が存在する
依存は、日本ではその反対語である独立との間には、直接的な語源的な対応関係はないが、英語においては
dependenceと、independenceとは反対の意味関係にあることが分かる。一方土居の『甘えの構造』においては母子関係においてとらえられた甘えはほぼ依存ということになる。ただしこの甘えは母親との関係にのみ限定されており、父権社会の傾向の強かった日本の現状を言い当てているとは私は思わないし、現状の把握がもっとちがったところに私たちを導くと思っている。独立と自由とはどのような関係にあるのであろうか。他人から独立しているということは他人から干渉されたり、妨害されたりすることはないということをあらわしている。しかし自由とはどのように違うのであろうか。自由は何かをすることができるということである。これにたいして独立は他人から独立して何かを出来るということである。他の国家から独立するということは、他の国家の干渉を排除するということである。独立の方が自由よりも範囲が広いということが出来る。独立であれば自由であるが、自由であるからといっても、独立しているとは限らない。自由の対立語は不自由であるが、独立の対立語は依存である。依存においては自分は出来ないが、他人は出来るから、それに依存するという意味である。自由は独立という言葉のなかに含まれるが、独立の反対語は依存であるから、依存していないこと、つまり、独立であることには自由の意味が含まれている。依存していないことは、自由であるということとともに、フロムのいう自我の涵養が出来ていて、自分で何でもやれるようになっていることも含まれている。依存性がある人は依存される側を実際よりも巨大に見ている。これが依存性が自我の観点からみてバーリンのいう巨大な自我、国家とかを「真の自由」とみなす理由である。
一方依存される側は母親の場合には全く説明の要らないぐらいに大きな存在であるとされているが、一般には依存される側は被依存者としてとらえて被依存性の中身が考察されねばならないことになる。母親は本来的に本能的に依存されるものと考えられているから、被依存性の中身について考察されたことがないだけであり、これからの考察は母子関係をも考察していると考えてもらって差し支えない。
依存は被依存者の自由をなくすと同時に、依存者の自由をもなくす。自我が完成せず、不自由のままである。
ここではすべての性格に関する表現を依存という言葉によって説明できることを証明する。この二元法はコンピューターの考え方と類似する。
これは政治学や自由論における専制や、独裁についても、依存によって説明が出来るということをあらわしている。
専制や、独裁は権威に対する依存の状態から抜けきれずにいる状態であり、それは権威の側からみれば、依存されていて、強大な権威を持っている状態である。支配される人のバーリンのいう消極的自由が少ないからこそ、逆から言えば、支配する人の積極的自由は強大であり、独裁や、専制といわれているのであり、この場合の積極的自由と、消極的自由は合計としては何時も一緒の合計量であるということになる。このように人間の社会的なもののいいかたのなかには、論理学的に合計すれば百パーセントになるような、正反対の言葉があるし、いくつかの要素の数量の合計が百パーセントになるような言葉の群がある。このような場合には述べているときにどれとどれが合計すると百パーセントになるような言葉であるのかについて常に考慮しながら論理を組み立てる必要があるような性質のものが存在する。
依存と、独立とは合計で百になるような言葉である。また、それは依存と自由も合計で百になるような性質のものである。したがって、専制や、独裁がバーリンの積極的自由というように解釈される場合には、消極的自由との関連では合計で百パーセントということになる。政治学における専制や、独裁を自由論の立場から考察した場合にはこのように解釈することも可能であるということになる。この解釈はほとんどの場合誤っていないと私は考えている。
一元論は絶対主義であり、すべてを表現するということは出来ないが、適切に選択された二元論はすべてを表現することが出来る場合がある。しかし、適切にという言葉がこの文章の重要な部分であり、適切でなくてはならない。今表そうとしている人間の性格の傾向のうちで、依存性と、依存されていることのみを抽出して、ある人が積極的であることについてそれを依存性と、被依存性という状態および行動として表現し、そして依存性が少なくなればなるほど、独立性と、自由性が増大するというように、同一座標軸の上で描ききれなくてはならないと同時に、多元的なものが二元論に集約されるのであるから、その他の要素もすべて依存性という観点から説明されるということが証明されていなくてはならない。つまり、多数の軸からなるものが実は二元の軸の上の違いであることが証明されなくてはならない。
十進法により表された〇から、十までのそれぞれの数字が二進法により〇か一の数字で表現できることは、数の違いが実は一つずつの違いであったこと、〇と一は合計として一つの全体としての一を表現していたということによって可能になったものである。これと同じことは依存と、被依存とは全体として百パーセントを表現しているし、依存と、自由や独立も、その程度をパーセントであらわせば合計で百パーセントで表しうるということから、さらにはこの二元論はその他の要素もこの二元によって証明できるということから必要にして、十分な分析概念となりうるのである。依存と、自由の対立、専制と自由の対立、バーリンの積極的自由と、消極的自由の対立、フロムの消極的自由と、積極的自由はどちらもネガティブと、ポジティブという言葉を使っているのであるが、それらは強者と弱者の対立等政治学の様々な対立概念をすべて表現できると考えられ、それだけの哲学的な本質をついていると考えられるから、自由論においても政治学においても根本的な概念になりうると私は考えており、それらは経験的な観察の結果でもあるが、理論的に証明されねばならないと思っているのである。人間と人間の関係よりなる社会を科学的に、客観的にとらえようとする社会科学においても、その根源となる人間関係の心理より、社会心理より発生したすべての人間の性格の傾向や、社会の制度の傾向や、社会的な集合的な性格の傾向を分析するときにも、この対立する二つの言葉は有効にすべての座標軸を二元論によって表現できると私は思っている。経験論な私の観察の結果を理論化しようと思っている。
自由で独立であるインディペンダンスの反対は、依存ディペンダンスである。このこと日本ではあまり定着していなかった概念である。
例えば人間の性格を表現する言葉について考えてみよう。日本の兄弟構成論でいわれている長男的性格や、六男的性格というようないいかたは類型論といわれるものであるが、長男も、六男も生まれた順番であり、それを変えることはできない。ところがそれを依存的性格と、独立的性格というように依存性という特性によって分析すれば、もっと独立しようと思うことも出来る。しかし他人に対して非行少年的な自由や、その他のバーリンのいう積極的自由しか行使していなくて、自我の確立したフロムのいう積極的自由を持たないとすれば、どのようにしたら自我を確立して自己を涵養できるのかということを考えていくことが出来る。このように変えることの出来ない類型論は自由という人間の本質、選択の自由というものには馴染まないものである。人間は変化することが出来るのである。すべての性格を表現する言葉をそのような長男的とか、次男的とか、六男的とか、末っ子的な性格というような類型論による言葉ではなくて、依存性のようなものさしによって計ることにより、長男や、六男に生まれたことはどうしようもないことであるが、何らかの変化を起こす材料にすることが出来るというメリットを持っているのである。依存性という言葉によって理解し、その程度をその尺度によってあらわせば、そのように理解したとすれば、独立的とか、自由とかいう方向に改善できる点にメリットがあるということができる。これは、権威主義とか、自由主義とか、独立的とかいう尺度でその割合を表現したものであるから、それが悪いことで自分が改善しようと思えば、自分の努力でそれを自分が正しいと思う方向に向かわしめることが出来るのであり、それは人間が本能の代わりに、植物でいえば走光性のような性格の傾向というものでありそれが社会や、歴史に適合していないと自分が学習して理解すればそれに合わせて、自分の力で、他人から強制されることなく、変更することが出来るのであるから、未来に向かったオプティミスティツクな考え方である。
それは本能というものとは違う選択の自由という人間の本性から発生したものである。またそれは生物的な本能としてとらえる考え方の正反対にある考え方である。またそれは人間全体を生物的な、本能的なものの見方のなかには他の人と競争して、倒してしまおうという意識が必ずその心の内にあるものである。したがって、それは秘密と依存のなかで考えられる考え方である。ちょうどそれはナチスのドイツ民族は優秀な民族であるとかいう考え方と似ている。開かれた独立的な考え方は、秘密的と、依存的という依存的な考え方の対局にあるものである。独立性はオープンにする。「都市の空気は自由にする」という言葉は今でも、中世におけるように通用する言葉である。自由と独立は人の社会をオープンにすると考えられる。ここでは開かれたという言葉と、秘密的なという言葉を、依存と、独立という尺度に置き換えたのであるが、そうであれば中世の政治も、マキャベリーの自由の概念も、全体主義における秘密警察もすべて依存性と、独立性という考え方で切ってみようとすることは、自由が非常に哲学的な言葉であるがゆえに哲学的な切り方であるといいうるのである。そのためには自由の哲学的な意味も十分に人間の本性であるから、人間全員が理解しておく必要があるということになるのである。そしてまた自由という言葉は、人間の本性であるからこそ日常のあらゆる側面において、俗な側面でも、聖なる側面でも、遊びにおいても、学習(学校)においても常に現れてくる言葉なのである。そして選択の自由の一側面である政治においては自由はもっとも大切な概念となるのである。
第十一節 依存性からの脱却を啓蒙することはできるが、
それと同じことを表現する場合に自由であることを強制するという表現は妥当ではない
自由の強制と、依存からの脱却と、自由を高めるという言葉とは同じ意味を表している場合がある。自由を強制するということは強制という言葉がネックになって、反感を持たれたり、独裁のために利用されたり、全体主義の執行に利用されたりした。しかし、「自由であることの強制」というかわりに、「依存からの脱却を」といえば、これは強制という要素を除いていっているのであり、誤解を招くことが少ない言葉である。
依存しようとおもって他人の大人の服にすがって、泣きわめいてだっこしてくれといっている子供に対しても、社会に出た大人で頑張る代わりに依存しようと一生懸命に泣きわめいている大人の人も、それが、正しい依存であるのかどうかについて、自由の本質について研究してみて、依存と独立の座標のどちらかに軸を移してしまおうと思うならば、どうか依存しないで独立して、自由に軸足を移してほしいと思う。その時に自由を可能とする資源が足りないならば、義賊にはならずに、社会の制度の傾向を自由と平等の調和する方向にむけていくために政治的な自由な意見を自由に発表すべきである。それは子供も大人もそうすべきである。家庭においても自由は確保されるべきであるし、それは社会においても同様である。家庭において児童に自由がないくらいに、資源の平等が足りないならば、児童手当を多く支給するような社会を形成するという方法もある。それでは出生率を増大しすぎるというのであれば、人口減退期には積極的に、人口過多の時期には消極的に行えばよいのである。それも社会的な選択の自由である。
依存性が高いと自分が思った人も、もう依存的であると自分で気付いたのであるから、それまでのように秘密的になることなく、依存しようと自ら思わないように努力して、依存しないで、独立した自由な人間になるように自分で努力して、明るい開かれた人間になればよいのである。嫉妬や、妬みは、最後に科学的にとらえられるようになるべきである。
第一二節 悪法は法ではない
悪政は政治ではない
それは平等な資源を重視しているあまりに正義をなくしているからであり、
それは経済学の合理性にまかせるべきである。
悪法は法か。悪政は政治か。悪いものを民主主義においては変更する抵抗権があるのであるから、実定法により定められた法や、それを定めた政治に対して、多数派を形成して変更を求めるのが政治である。これに対して多数派が少数者を多数の名において自由を制限した例としてミルが『自由論』において挙げた事例はモルモン教の布教の事例であった。これに対してバーリンの消極的自由の概念を適用するとすれば、モルモン教徒の側も少数者ではあっても、自分たちの教義とその実行に関して干渉されない自由な権利があるという主張になるであろう。しかしミルがモルモン教徒の一夫多妻については婦人の権利を侵害しているのは認めるがと弁解しながら、その布教の自由を認め、そのことが婦人の権利を害していると考えるのであれば、そのようなことは誤っていると説得すればよいではないかということを主張している。(訳書、一八四頁〜一八八頁。原書、p.−p.. )
多数派に対して少数派はこのように弱い立場にあるものであり、少数派であるからといって多数派の作った法が誤ったものであると思うならば、それに抵抗できる権利を認めるべきであろう。ただし平等のために自由を認めないという主義は人間の本性である自由を破壊しないかぎりにおいてのみ自由を強制されることはないというロールズの見解も参考にすべきである。
悪政とは悪い法の立法、悪い法の司法判断、悪い行政等政治のすべての側面についての悪である。悪の反対は善である。善政、善法の探究が政治学の目標というアリストテレスの古代の政治学の主要課題となった。従って、少数者にとっても善政であるような政治や法を今後は求めていかねばならないと主張するしか方法はないであろう。そうなれば多数者が作った法律や多数者の政治に対して少数者が悪政であるとか、悪法であるとかいうことはなくなるであろう。ただし、最初に抵抗権が主張された時代というのは専制政治によって人々の自由が、妨害され障害となっていた時代であろうから、そのような時代には多数者は政治に参加していなかった一般大衆であったのであり、政治を行っていたのは少数の専制支配者であったのである。現在でも少数者が支配していると観察されるのが実情であるという現実の政治を見た場合の報告に対してはしかし現代では多数の意思が反映されているべきであるという答えしか出来ない。ルソーの時代の専制政治に対してルソーが一般意思を主張したからといっても、それで彼は以上のようなことを意味していたと考えられるから、少数者による独裁や、全体主義を主張していたとは考えられない。コンスタンがルソーを全体主義の祖先としたことはあまり当たっているとは言えず、誤解によるのか、あるいは、ルソーの一般意思論を全体主義に曲解しないようにしなさいというコンスタンの親心であったと解釈するほうが正しいと私は思うのであり、バーリンとは少し意見を異にしている。
政治的制度というものを考える場合には、社会的に悪法というものが存在する。悪法は現実の人間の選択の自由に合致しないものであるが、法律の強制的な性格からして、いったん定められてしまえば、それを概念的に権力によって執行しなくてはならないために、社会や、人間の本性を破壊してしまうような法律のことをいう。そのような法律は法律と言えるであろうか。いやそれは悪法であり、法は定義的に人間に有用なものでなくてはならないという功利主義的な観点からは、それは法律ではありえないとするのが悪法は法ではないという考え方であり、しかしそれでもいったん決まったものは人間性を破壊するものであっても、法とは強制力があるものと最初に定義しているのであるから、従うべきであるという思想が悪法も法である、法として強制されればそれに従うべきであるという思想である。この悪法は法かの問いに対しては多くの人が答えようとしたが、これまで誰もがその答えに迷ってきた法哲学上の問題である。ここには強制と、自己の良心という問題が横たわっており、強制と自由という側面からいうと自由論の問題としても十分に答えなくてはならない一般的な問題である。自由論の問題であるということは、政治哲学の問題でもありうる。政治哲学の問題として言い換えれば、悪政と自分が思う場合にそのような政治による強制に対して、自らの選択の自由を行使してそれに対抗して自由を主張したり、抵抗権を行使する権利があるだろうかという問題である。
それは多数の専制に対する抵抗権が各人にあろうかという問題でもある。
多数の専制に対してはミルが『自由論』において最も問題としたものであり、現代のアメリカにおいても少数民族の権利をどのようにして認めるかという問題として現在まで続いている大問題である。
少数民族である黒人の権利を守るためには、彼らが差別されてきたこれまでの補償として黒人優遇政策を考えるかどうかは議論があるとしても、彼らを優遇しなければ白人とは平等にならないという問題である。これをドゥウォーキンは逆差別の理論として、このような平等の配慮と尊敬を政府が与えることは妥当なことであるとして、この逆差別を平等の論理で正当化した。この理論は彼の『権利論』の逆差別の章に詳しく書かれている。しかし、この論理は誤りである。この論理は自由の論理によって再構成しなければならないのは、私がこれまで述べてきた趣旨からいえば当然に導かれてくるものである。これは最高裁判所においてさえも、論旨が混乱している。
成績の低い生徒を逆差別の論理故に、黒人であるという理由から入学を許可しなければならないという理論が発生する。
このようにドゥウォーキンは平等を重視するあまりに自由をなくしているにもかかわらず、経済に関しては法律の経済的説明については、リベラリズムの見地から異論を唱えている。その根拠は法律家や、法は大金持ちの持つ金に頭を下げたり、屈伏すべきではないという論法であり、大金持ちに屈伏することはアメリカでいえば、共和党、日本でいえば自由民主党のする事であり、リベラリストはそのような金に屈伏すべきではなく、貧乏な人々に応援すべきであるという論理であると私は解釈する。たしかに法廷において金があるものに味方して、金に屈伏することも、黒人のこれまでの不遇な境遇に味方して平等を採用して、正義を曲げることもどちらも正義に反することになる。逆差別については経済学的な問題として解決すべきであり、法廷の場において考慮すべき問題ではないと考えるものである。経済の場と、政治や法の場とは全く相違する。経済は稀少資源の分配を効用にしたがって行うものであり、政治や法は正義や自由を実現する場である。
稀少性に関する争いについて法や、政治が正義を抜きにして介入することは正義を歪めることになりかねないのである。
権利と自由
権利の基礎を平等な配慮と尊重に求めることは、間主観性をこえて相手の(他我の)間主観性を認めるということしかあらわしていない。一方権利を「自由に自己に従属する『もの』を処分すること」を意味すると考えるジャン・ダバンの『権利論』は干渉されないバーリンのいう消極的自由について述べておりそれを権利の定義に用いていることになる。権利の本質が意思能力であるという考え方は、法が与えた自由意思の働きうる可能性(選択の自由の可能性)ということを本質としているのであり、それは法が間主観的自由と間主観的自由の対立のなかに客観的(ドゥウォーキンによればこれは平等にということになる。)に見つけだし選択の自由の存在可能性という意味付けを権利の最も重要な属性と考えているのである。
バーリンのいう消極的自由は一般的には存在しえないとドゥウォーキンがいう時、それは干渉されない消極的自由は間主観的自由でしかありえず、平等という考えをも取り入れて他我の自由も尊重し、配慮しなければならぬといっているのであると解釈できる。そう考えればバーリンのいう干渉されない消極的自由という考え方は単純にそれ自体としては存在しないといえる。しかしバーリンのいう干渉されない消極的自由は他人の自由を全く考慮に入れていないとは考えられないので、ドゥウォーキンの批判は的はずれであるといわねばならない。バーリンのいおうとしていることはヒットラーのナチスや、全体主義やらの積極的自由、干渉する自由からは身を守るべきだといっているのであり、その正しさはアウシュビッツや、スターリンの粛清で死んだ人が消極的自由を持たなかったことを考えてみればわかるだろう。一方ソ連のスターリンのそのような干渉はドゥウォーキンのいうような平等を求めての干渉されない自由からきているものであることをわすれてはならない。この両者の間で真の自由について線を引くことは非常に難しい。平等を求めて干渉されない自由を否定することは、いくら平等が全国民の平均的平等を目指しているものであろうとも、自由を崩壊させてしまうことがありうる。例えばアメリカの大学入試において黒人の優先枠入学のために、白人のその黒人当人よりも成績がよく努力した人が不合格となった事例をどう考えればよいであろうか。一方他の人のことを考えない間主観性のみの消極的自由は奴隷を雇うことさえ認めようという自由の主張にいたるかもしれない。間主観性を総合して社会一般にいたる道がいかに困難であるかについて思いをいたす時、最後には、自由論の最初の出発点である人間の本性は「選択の自由」であるという点にもどらざるをえなくなるのである。そう考えれば平等な資源は自由の一構成要件であるという命題がいかに重要な命題であるかということが理解されうることになる。自由は相手(他我)の自由を考えた上での自由であるべきである。これはドゥウォーキンのいう平等な配慮を認めている。相手の自由を考えてやるということは相手の自由に平等に配慮するということである。その配慮は貧乏な人が主体となる場合にも、大金持ちが主体となる場合でも双方共どちらが、主語となっても通用する命題である。相互に(間主観的の間は相互という意味でもある)すべての人のことを考えて、相互に自由を、平等な資源をも含めた自由を尊重し、配慮すべきなのである。配慮によって自分の自由を譲ったとしても、それは平等のために譲ったのではなく、自由のために譲ったのである。自然法上の自然権は理想上のものではあるが、自由のために譲ったのであるとすれば、それが相手の権利となるのは、裁判の和解の時のみならず、平等のために譲った時に相手の権利となるのと同じである。実定法上の権利以外にこのような権利や自然権が理想的に達成されている社会は理想的な社会である。
このような社会が生まれることが理想の社会であると私は思う。そこにはバーリンのいう消極的自由のなかに、フロムのいう積極的自由が存在し、干渉されない自由等ないというドゥウォーキンに対しても、相手のことを考えた干渉されない自由があるという結論に達することができる。最初に示した自由のぶつかりあった干渉する、しないの自由の主張はここで総合されることになる。
第 節 自由の教育と、自由の強制 自由を強制すること
「ひとを強制するということは、そのひとから自由を奪うことである。」(バーリン、「二つの自由概念」『自由論』、三〇三頁。)という命題はある意味でのみ真理である。ある専制君主は従属している国民がいる限り自由ではなく、従属している国民も自由ではないが、自由でないことを自覚していない両者にルソーのように自由を強制することは両者共の自由(選択の自由)を回復することになるからこのような強制は自由をあたえることになる。
自由を強制するということと、自由に教育することとは深い関係にあるが同じではない。自由を強制するということは、自由を教育するということと近い現象である。自由に教育するということは、教育を受ける子供に対する妨害や、束縛を排除してやって、様々なこと、例えばすべての職業や、社会的な役割を担える人間に育てることをも意味する。しかし、職業と社会的な性格とは全く相違する。医者の社会性は、職業自体の社会性であり、その医者の性格の傾向の社会性ではない。医者が過剰になりすぎて医者が余った社会になるならば、医者という職業の社会性は低くなるが、医学の社会性は低くはならない。医者や弁護士が貴重である時代の社会性と、医者や弁護士の余剰になったときの社会性とは全く相違する。人間が社会性があるというのはそのような両方の時代に適応する、敏感な感受性を社会に対して持っていることである。そして自らを社会に敏感に役に立てようとする能力を持っていることである。これはスペシャリストであるとともに、一般性を人格のなかに持っておくようにということである。理系の人はたまに社会性がないと言われるのはそのような社会と職業に関する教育が現在あまり行われておらず、完全なスペシャリストを育てるようにしているからである。医者や、薬剤師や、理系の人がその職業が貴重な時代に、社会性のある性格を身につけずに、その職業の社会性にのっかって、それのみで社会性を得たと思うのは間違いであって、その他の人々を軽視しないで、自由や平等の観念も社会性を持つべきであるという時の視点はここにある。
様々な職業や、様々な自由や、様々な自由の対立から発生する平等の観念などの社会的な観念を身につけ、かつ自分の主観性から脱するということを学ぶ必要がある。子供は様々なことを学ぼうとするし、そのようにさせることが自由に教育するということであるが、それは同時に自由を強制するということになるであろうか。様々なこと、職業以外においては様々なこと家事においても、友人を作ることにおいても、様々に自由に多くのことを経験させること、職業においては医者になることも、法律家になることも、ビジネスマンや商業人になることも、政治家になることも、行政官になることも、すべてを擬似的に経験させ、自らを完成させすべてのことを出来るようにしておいてやることが必要である。職業に上下貴賤はないという時の福沢諭吉のように社会変動によりいつ仕事を変える必要があるかもしれないのであるから、すべてのことについて自由に勉学させることが必要である。しかしそれは基本的なことのみでよい。その他のことはオン・ザ・ジョブ・トレイニングで深化させればよいのである。それはおもちゃを通じてでもよいし、日常のちょっとしたことに対する説明を通じてでもよいのである。
自由のために稀少性ある資源を平等化するにはどのようにしたらよいか
稀少性のある資源を平等化するためには、ある一つの生産過程において、出発点と、結果についてできるだけ平等を達成する必要がある。出発点においては仕事に対する機会の均等が得られること、即ち、貧しい個人に対する信用の供与や、仕事に対する機会の均等があること、児童手当が大量に子供の多い家庭に供与されること、等々の政策が必要である。これは経済学の問題であろうか、政治学の問題であろうか。政治的な問題である点は独占禁止法のような経済法の立法過程に関係している点であり、経済的な問題としては企業の独占と同じような意味を個人においてもっている以上のような機会の不平等が経済学的にどのような意味をもっているのかを研究しなければならないという点においてである。
自由の強制は本当に出来るのであろうか 自由への教育は出来るのであろうか
自由の強制や、自由の教育を通じての平等の達成は本当にできるのであろうか
積極的に自由を行使することによって、他人に自由を強制することは本当に出来るのであろうか。もし出来るとすればそれはバーリンのいうような積極的な、つまり、バーリンが否定するような積極的な自由に当たるのであろうか。あるいは、バーリンのいう消極的な自由を得させるように教育したり、強制したりするのであるからバーリンが肯定するような自由であろうか。バーリンのいう消極的自由を増やすことも自由を強制することであり、積極的自由によって政府が消極的自由を少なくするような自由の強制の仕方もあることになる。前者は現代の政府規制の自由化政策のような自由の強制であり、後者は共産主義社会において金持ちから多くの税を取ったり、金持ちの所有する不動産を奪うような自由の強制の仕方である。義賊の自由の与え方は後者に属することになる。後者は他人に意識が向いているが、前者は自己に意識が向いている。後者の場合には自由をなくすことによって平等をえようとする静的な考え方であるが、前者の場合には個人の自己の自由によって社会の平等を得えようとする考え方である。
自由をなくすことによって平等を確保しようとする議論は稀少性について合理的な選択についての学問である経済学や商学を考慮せずに考えるならば、すべての人が一見するとすぐにでも納得しそうな議論である。しかし効用による等価交換による議論ではなく、略奪や義賊による平等化の方法を瞬時に静的に行っているのであるからこの議論には素人性がある。静的に平等を確保したとしても、次の瞬間にはそれが崩れないように自由を剥奪しなければそれは維持できないし、更に、それはこれまでの努力によって得られた成果に対し義賊の自由を瞬時に認めよというのであるから消極的自由の主張の反発にあう。等価交換というものに準拠して平等化を目指すのか、略奪によって平等化を目指すのかという選択とほとんど同じような選択となる。職業によって努力をせよ、その機会は全体的な社会による職業の確保という手段によって完全雇用を達成していくことにより政府が保証するというのか、政府が積極的に介入することによって政府が義賊の役割を果たすのかということになる。この積極的自由にたいして消極的自由こそ大切であると主張したのがバーリンであると考えることができる。
この積極的自由はルソーのいう「自由であることを強制」することが該当しなかったと考えるが、しかし、自由であることを強制するということがどのような意味を持っているのかを考えてみる必要はある。
自由を禁じての平等の達成は嫉妬や、ねたみの心理から発生するものであるが、その方法は嫉妬による義賊の心理に訴え金持ちに「自由でないことを強制」する、つまり、金持ちから金を強制的に奪うものであるから、当然その同意を得られなくてどうしても義賊の心理に陥ることはすでに述べたとおりである。
これに対して自由の強制を、つまり、自由を残したままでも金持ちが金を自発的に差し出してくれれば平等は達成できるではないかという議論が発生する。この議論はT・H・グリーンの議論に近いものであり、ベイやバーリンはT・H・グリーンの議論であるというであろうと思われる。それではそのような議論ではない自由な方法によって平等を達成する方法はあるのであろうか。それはバーリンのいう消極的自由を達成しながら、かつ、それを可能にする稀少な資源の平等性を確保するという方法を取る必要がある。かってのアメリカの革新主義の時代も参考になるかもしれないし、あるいは、現代のハイエクや、フリードマンの議論も参考になるかもしれないし、独占禁止法の精神や、汚職に対する反感がその議論に大いに協力的であるかもしれない。自由を達成しながらも、つまり、独占やらにたいしては自由化を行いながらも、つまり別の言葉でいえば、自由の強制を通じて平等を達成するという方法が考えられるのである。この場合の自由はバーリンのいう消極的自由である。この考え方はT・H・グリーンの考え方とどこが違うのかについて説明が必ず必要になる。福祉国家を達成し、行政権の拡大を目指すときには当然に平等が自由よりも優先されることになる。この違いはフロムとバーリンのさによって証明される。フロムの考え方が、自己の統一的なパーソナリティーを達成しようとするものであるために、自己の涵養を要求するものであり、自己を涵養し、他人に博愛を及ぼすべきだという考え方を要求していると誤ってとらえられればグリーンの考え方に近いものととらえられがちであるが、実はフロムの考え方はバーリンの考え方、干渉されない消極的自由の考え方に近いものである。この差は平等を達成する方法の大きな政策的な差となってあらわれる。
それではどうやって平等を達成することができるであろうか。平等を達成するのに個人の自由に依存する場合と、強制を伴う政府の積極的な活動による方法とが考えられる。個人が規則や規制の立法趣旨を自ら理解してそれを実行できるならば、政府は立法し、個人の自由を規制する必要はないというのが、自律優先の原則として理解できる。個人の干渉されない消極的自由は、個人が立法趣旨を自ら理解して行使できて政府は法を強制する必要がないという条件がついている必要がある。この立法趣旨はある意味では価値であったり、三段論法のうちの規範の部分であったり自然法といわれたりするものである。多くの規範のうち個人が意識しないでよいくらいに規範として個人の内部に認知されている規範については政府は法律さえ作らなくてもよいことになる。ましてや、強制をや。個人の内部に認知されている規範が少なければ、少ないほど政府は積極的に法を作り、自由を規制しなくてはならないことになる。規制は少なければ少ないほどよいはずであるが、あまりに少なければ、それもその規制がなければ秩序が維持できない部分に法律が存在しなければ、秩序は維持できないということになる。秩序とか安全というのは人間が人間にたいして狼でなければ必要はないというのはこのようなことでもある。銃を規制するかどうかについても、アメリカのように個人が人間に対して狼ではないように期待をして、個人の性善に期待するという方法によって秩序や安全性を維持しようとする場合があり得る。自分で身を守るというよりも、この点に期待をしていなければあちこちで撃ち合いが起こることになる。
平等についても自由を維持しながら平等を達成するためには、個人の意識のなかに平等への規範意識を期待するということによって、つまり、性善のうちの平等に関する性善に期待することによることができるであろうか。ただし、ここでの平等とは自由を可能にする資源の平等をいうのであって、単なる静的な平等について述べているのではない。
自由を可能にする資源は稀少なものである。稀少な資源については経済合理的に判断しなければならない。経済合理的な人間・ホモ・エコノミクスを想定するのが経済学である。政治学においては経済合理的な人間も想定するが、経済非合理な人間も取り扱う。それが政治学である。経済学においては経済合理的な人間のみを想定するならば、嫉妬や、ねたみによる行動が経済を著しく破壊することを取り扱うことができない。経済非合理的な行動によって経済が破壊されることについては政治は取り扱わないのであれば戦争や、嫉妬や、マキャベリーが取り扱おうとした多くの事柄が取り扱えないことになる。しかし平等に対する嫉妬を金持ちが察知して、個人として社会鍋や、慈善(性善)によって資源を貧乏な人に分け与えることが期待できるであろうか。あるいはバーリンのいう積極的自由の主張者が考えるようにそれは不可能であるから、政府がそれを積極的に強制すべきなのであろうか。あるいは各人がビジネスと企業家精神によって私的所有を維持しながらも見えざる手によって平等を達成すべきなのであろうか。
平等の達成過程を限界効用によって説明し、経済合理性による見えざる手によって平等は達成されるという考え方がある。金持ちの最後の一円は貧乏人の一万円に相当するというわけである。分け与えたときの素晴らしい快感が金持ちが貧乏人に資源を分け与えようという自然な感情を起こさせるという考え方である。この限界効用の考え方は合理的な経済判断に平等化をまかせようという方法であり、自由競争における見えざる手による説明とよく似ている。この説明によれば貧乏人は一生懸命に働くが、もう満足している金持ちはあまり働かないという考え方と、消費においても金持ちはすでにもうたくさんの必需品を備えていて追加的な必需品は必要性が少ないのであるが、貧乏人は生活に必要な必需品がたくさん必要でありすぎるのであるからたくさんのものを同一物でも金持ちより多くの効用を得てありがたがるであろうという理論とから成り立っている。
以上のような経済合理的な人間、ホモ・エコノミックスを想定し、効用や、限界効用に基づいて理論的に分配がなされ、修正されるべきであるという考え方がある。政治の問題を効用の問題として解こうとすれば、大金持ちは最後の一ペンスの限界効用が低いのであるから、貧乏人にその一ペンスを渡せば全体社会としてはより多くの効用が生まれることになるというような功利主義の理論が生まれ、そうすれば社会全体としては最大多数の最大幸福が生まれるのだという考え方が発生する。ところがそれでは誰も一生懸命に働かなくなるのではないか、それは義賊の心理と同じく金持ちからの搾取と同じではないかという批判も生まれ、イギリスのイギリス病にたいしてサッチャーが実行したような考え方も生まれる可能性がある。福祉をもらっている人を独立させようという考え方も、クリントン政権がとった政策であった。
政治哲学的にこの考え方を理論構成したのはノージックであった。
功利主義のそのような説明に対して税などは個人に対する干渉なのであるから払いたくはないという考え方を究極的に押し進めたのであり、この考え方によれば累進課税の累進性は否定されることになり、消費に課税する消費税のほうに重点が移されていく結果となるのである。この考え方によれば金持ちも、貧乏人もものに対する同じ効用の概念を持っていることになる。
これに対してドゥウォーキンは平等という考え方を持ち出した。平等な配慮と、尊重をすることはすべてに優先するという考え方を示したのである。ドゥウォーキンが『原理の問題』の原書二〇七頁でのべる生まれたときの不平等の問題は、相続税とかの強化により是正できるにしても、どうせ相続税で課税されるのなら働かないという問題も発生すると考えられる。しかしドゥウォーキンの取り扱った平等と、不平等の問題は政治的に重要なあるものを指摘していることのみは確かである。それは政治と自由の問題でもある。ドゥウォーキンが干渉されない消極的自由は認めないと考えるのは消極的自由の範囲は平等との関わりですべて考察されるべきであり、干渉されない自由が働く意欲を増大させるからといって、平等性の観点は平等性のみですべて解決するわけではないが、重視されるべきであるとの考え方を表明したものと考えるほうが正しいとらえ方であると思われる。
一方自由を強制するということが何なのであるかをここで考察しなくてはならない。最初に自由を強制するということを考えたルソーの使った意味は、啓蒙することによって専制君主も、君主によって統治されている人民も双方ともに自由にしようとすることであったと解釈されるが、このような自由の強制や、自由の教育はどのような意味を持つのであろうか。個人が自主的に自由であろうとすれば、他の個人が外部から自由を強制する必要はないことになる。自由でないことを、ルソーに従えば「クサリ鎖」をクサリとして自覚していないから、教育・啓蒙し、そのクサリを取り払い、自由になるように「強制する」という言葉が使われることになる。この場合の強制は教育であったり、政治であったりすることになる。教育も政治も、自覚されていれば強制性は必要ではなくなることになる。
このような自由の強制は平等とどのような関係を有するのであろうか。
自由の強制や、自由の教育が人々を平等にするであろうか。つまり、自由の追求は平等に自動的にいたるであろうか。自由を尊重すれば平等にいたるということが証明されるならば、ドゥウォーキンのいうように平等のために自由を抑制しようという論調を和らげることができるのである。自由の強制が平等をもたらしたということは、専制君主も自由になり人民も自由になり、すべての人が独立した自由な民になったということであり、平等になったといえるのである。つまり、自由の強制はどちらかの力が強大であり、どちらかが従属的で極めて無力である場合に行われ、それによってどちらも平等に近くなるのである。これは自由の強制は依存と、依存される巨大な人を平等にするということをあらわしている。これは重要なことである。自由が平等とこのように親密な関係とみられるのはこの自由の強制の場合以外には存在しないからである。このことは期せずして、自由の強制と平等とが結びついたのであり、故意にではない。しかしこの説明によれば自由の強制は、もし専制君主や依存される人を金持ちや資本家に置き換えれば、また、もし民や依存する人を貧乏人や労働者に置き換えれば、「真の自由」の強制による共産主義化や、理想国家化と同じではないかということになって、ルソーへの誤解と同じことが生じてしまう。
これは依存と、依存される人という個人の性格の特性から生じてくる性格の傾向と、金持ちと貧乏という稀少性に基づくものとの混同から発生した誤解であるということができる。
依存はたしかに自由をなくした状態のことをいうが、それは精神的なものであり、金持ちであってもつまり経済的に豊かであっても依存的な人はいる。依存的であればある程、自由な行動はできなくなる。したがって、自由な行動ができないということは平等にいたるような行動もできないということになる。資源がいくらあっても自由に行動ができなければ、実質的には自由があるとはいえないのである。
では貧乏な人が自由になっており活発に自由のための資源を求めるために職業に励むことは、このルソーの自由の強制と同じような意味での平等をもたらすであろうか。あるいはマルクスのいうような意味での阻害から「真の」自由にいたらなければ平等は達成できないのであろうか。この問題を解くのは複雑で難解な幾何の問題を解くのよりも難しい。「真の」自由が平等を求めて自由を抑圧するならば、共産主義社会における選択の自由のない社会になってしまうからである。この複雑性と難解性は各人の性格の傾向と、そのユートピアの違いに由来しているようである。それを私は依存性と名付けたのである。自由を抑圧するかどうかについての心理は、その人の心理のなかに自由が存在するかどうかという点にかかっているようであるから、それはベイが一生懸命に新しい観念として「フロイトの観念から離れて」研究しようとした心理学的自由と大きく係わっているようである。そしてこれはすでにフロムが研究していたことでもある。ここに心理学的要素と、性格の傾向の理論を政治と自由の研究に取り入れざるをえなくなる理由があるのであるが、それはこれまで述べてきたような「社会=人間関係」の分析としてそれが行われなくてはならないということである。
「真の」自由が平等を求めて突っ走り、義賊のように自由を抑圧するのはその人が依存的な性格の傾向を持っているからである。それは金持ちであっても、依存的な性格であればそのような平等のための自由の抑圧に向かいやすい傾向を持っている。これを権威主義的な傾向、権威に溺れやすく、権威に盲従しやすい傾向ということができる。権威によって、即ち、膨大な権力によって平等を達成しようとするのか、個人の自由な努力によって平等を達成しようとするのかという違いである。共産主義社会においては権威である政府がすべてを計画して平等を達成しようとする。そこには個人の自由な努力があってはならない。この共産主義社会においてはそれに依存しようとする人にとっては天国かと思われたが、実際は依存的な人が依存できるような大きな権威は存在しなかった。人間には一日二四時間しかすべての人に与えられておらず、誰もそれ以上に時間はなく、かつそのなかで生の本能を満たすために様々な食事などを行わざるをえず、それをしないような巨大な存在など、妹が兄をみるような存在は実は存在しなかったのである。それが共産主義社会の実態であった。それをいくらマスコミをつかった政治宣伝で嘘の虚像を押しつけようともそれは出来ない相談であった。
それでは貧乏な人はどうすればよいのであろうか。貧乏な人は自由のための資源が、金持ちよりも欲しいのである。したがって、貧乏な人のほうが金持ちよりも一生懸命に働くことは一般には金やらが欲しいのであるから当然の事実であろうことは推測がつく。この推測は社会の制度の自由な選択においては重要な視点である。たしかに推測ではあるが、それは社会の制度の傾向を示しているのである。傾向であるから自由にそうではないように決定する個人が存在することも可能である。それは性格の傾向の場合と同じである。
この社会の制度の傾向についても私は依存的社会と、自由で独立した社会というように分類しようと思う。
もし依存や、被依存の関係から脱却しているとすれば、つまり、ルソーのいう専制君主と人民との関係から脱却しているとすれば、マルクスのいうように平等のために自由を殺すということはあり得ないはずである。つまり社会制度の傾向として依存的な社会制度においては自由は平等のために殺されるのであるが、自由で独立した社会においては自由は平等を求めるために使用されるのである。自由が平等を殺すのは依存の心理からのみ発生するものである。そして依存による平等化は独裁や、専制を生むのである。そしてそのような平等化は効用の考え方によることなく、つまり、等価交換という考え方によることなく、他人から(この場合金持ちとその人が主観的に考えている人から)物や稀少な資源を対価を支払うことなく奪うという作業によって平等を達成しようとするものである。この奪うという作業は、義賊の心理による行動であるが、行動的であり動的なものであるようであるが、平等という一瞬の考え方、つまり、静的な状態を想定して行われる作業であるので静的なものである。一見動的なものに見えるのみであり、その考え方としては静的なものから生じたものである。動的なものであればそれは自由の本質に近いものである。何故ならダイナミックさは選択の自由から発生するものであり、自由の本質と同様のものであるからである。ところが等価交換による行動はダイナミックな結果を生み、例えば物を売る方に余剰があれば安く販売されるのであるから、それによって平等が達成されるのである。それは税金の場合に効用を考えることと同じような意味を持っている。逆に言えば税金によらずともこのように余剰がある分を安く手放すようにすれば、見えざる手によってというかどうかは別として、平等化が達成される要素がその行為に組み込まれていることになる。ダイナミックに平等化が達成されるということは平等化への「見えざる手」を含んでいるということであり、ノージックが期待するのはこの平等化への「見えざる手」なのである。
この「見えざる手」は本当に平等をもたらすのであろうかという疑問が常にノージックの考え方に対しては投げかけられることになる。マルクスの労働者の窮乏化説によれば貧乏な人は更に貧乏になる。これはドゥウォーキンによれば出発点が違うのであるから、貧乏人は更に貧乏になるであろうから政府や他人は貧乏な人を助けてあげなくてはならないし、その意味では平等に尊重し配慮してあげなくてはならない、場合によっては不平等であった過去の補償を逆差別によってでもしてあげなくてはならないということになる。マルクスの理論も、ドゥウォーキンの理論も出発点の不平等は永久に不平等を維持するばかりではなくて、更に、不平等を拡大するといっているようである。ところがあまりに卑近な例を持ち出すのではあるが、現実にはそれとは違った事例をたくさん挙げることができる。社会統計的にもそのような現象が証明できるというのがロールズの理論の基礎になっているようである。つまり、最低限で生活している人の生活が豊かになっていることを正義に必要な条件であるとしているのである。たしかに金持ちの子が必ずしも金持ちになるとは限らないし、しんしょうを潰した事例もある。マルクスの子がマルクス以上になることはまずない。医者や、弁護士で金持ちの子がかならずしも医者や、弁護士になるとも限らない。企業の経営においても同族企業についての研究は数多いが、その結果は私は研究したことはないが参照するに値する。出発点の不平等が現実の活動の不平等を拡大していると見えないのは学校において平等に扱おうとしているときのみであろうか。現実に平等化への「見えざる手」を観察することは非常に難しい作業である。しかしそれは行われなければならないし、それがルソーのいうような「自由への強制」によってもたらされているのならば、自由は尊重されなくてはならないことになる。相続税を強化するというような政府の積極的自由によるとともに、見えざる手の研究は怠ってはならないと思われる。ロールズの無知のベールはすべての人を肉体的な平等性で見ようというものであり、学校の教員は学校においては教育という立場から親が金持ちであったり、貧乏であったりすることに関係なく平等で見て知識のみで見ようとするのであり、それは無知のベールとよく似た見方ができる点があるのであるが、これまではそれがストレートに社会主義や、共産主義における自由を無くした平等主義につながっていたのであり、それが現在の東西冷戦後に反省されているのであろうが、それは自由と平等の調和の方法の発見ということに最も大きな期待がかけられ、かつ、その成否に教育改革の行方はかかっているといえよう。私達と同期の日本赤軍のメンバーの多くが教員の娘・息子であったのはその平等のために自由をなくすという親の教育の影響があったのかもしれない。自由な教育によって、自由による平等化を目指し、依存性から脱却させ自由を与えるような教育が必要な時代になったと考えられる。そして「見えざる手」による自由による平等化に期待をかけてみる事が必要になってきたのではなかろうか。
妨害や、障害をなくしてやることは、自由を与えることにはなるが、自由を強制したことにはならない。自分で自由に活動するしかない。自由を高められたとしても自由は自分で選択しなければならない。自由をあたえられても、自由のなかで何もないし、何かすることが見つからないならば自由から逃走したことになるだろうか。バーリンが干渉されない自由のなかで何もしないことも自由であるというが、選択の自由のなかで何の活動もしないとすれば自由からの逃走をしたということになるだろうか。そうはならない。自由から逃走するということの本質は、逆に干渉されない自由を求めるのではなくて、干渉される自由を求めることである。権威や権力を想定してそれから干渉されなければ生きていけないとすることが、自由からの逃走である。バーリンのいうところの干渉されない自由の領域のなかで、何かをしたり、何かをしなかったりする自由も自由であり、何かをしたりという「〜する自由」とともに「〜をしないことをする自由」もあるということを意味していると考えられる。つまりは、干渉を排除した状態がバーリンは必要であるといっているのであって、フロムがそのなかでも積極的に自由を涵養しなくてはならないと考えているのである。積極的に自由を涵養する能力を身につけていなければ他の巨大な権威や権力は独裁や専制に陥らざるをえなくなるということになる。
この依存性の必然性と、バーリンのいう干渉されない自由の状態での不作為の自由とについていえば、不作為の自由を有しながら依存にいたらない方法を考えなくてはならない。自由で独立した人は不作為の自由を持ちながら依存にはいたらないが、依存的な性格の傾向を有する人は干渉されない自由等は必要がない。干渉されて、何でもしてくれる方が都合がよいということになる。干渉されない自由のなかで何でもできるというパーソナリティーを持っているならば、干渉されない自由を享受することができる。
自由にしてもらうこと、自由を妨害し、自由の障害となるものを除去してもらうことと、その後に自由に活動ができるようになることとは違うのだということを強調したかったのがフロムのいう積極的自由論であり、バーリンが指摘しようとしたのは政府が干渉されない自由を確保しておくべきであるということをナチズムや全体主義に対して主張しようとしたのがバーリンであったのである。ルソーが「自由であることを強制」するべきであると考えたのは、この両者を含んだ総合的ないい方であった。つまりは、専制君主と人民という形で依存と、依存される者との関係であった両者の関係のなかで、双方を不自由にしている依存関係を障害を取り除くことによって自由にするという目的のみであったのであれば、「自由を強制する」とはいわずに「自由にする」といういい方でよかったはずである。自由になった人々が何らかの意味での自由な活動をするためには「自由を強制する」という表現がぴったりとしたのかもしれない。あるいは社会契約が一般意志によって主権という形で「自由にする」ということをいいたかったのが「強制する」ということばの一般的な解釈ではあろう。しかし自由を深く考えていけばこのような解釈もありうるであろう。
自由になった後で、自由に活動することができるようになるということのためには、自由である時に何をしたらよいのかの教育が必要であり、それは社会人(公民)としての教育であったり、職業教育であったりする。職業は経済、産業社会のなかにおける役割についての教育であり、公民としての教育は社会内における社会契約のような公共性への接近の方法についての教育である。しかしこの両者の境界はあいまいである。公務員の職業もあるし、公共的セクター以外の私的セクターの職業もある。それらの職業を持つ人々がオフの時間においては公民としての投票をしているかもしれないのである。
第 節 フロムのマッカーシズム応援と、ラズウェルの破壊活動の防止の議論
第一一節 今後の人間社会はどのようになるのであろうか
東西冷戦後の世界は一つになったのであろうか
自由の本質に関する短い論争
フロムの「真の自由とは統合された全人格の自発的で合理的な活動である」という見解に対して、バーリンは自由は行動のための機会であると考えるとして反論をしている。(バーリン、『自由論』、六三頁。)フロムが活動であると考えているとは思えないが、自由が活動であるのか、機会であるのかと問われれば、選択(行動の)の自由への動的な可能性である自由の本質からするとどちらに軍配をあげるべきだろうか。「じっとしていても、私がそれだけ自由でなくなることはない。」(バーリン、ibid.,六三頁。)という実例からすればじっとしていることと、動いていることに対する制度(憲法等)等の環境を指す場合もあり、その場合はじっとしていても自由を認めた憲法もあり、その場合はじっとしていても自由を認めた憲法制度がなくなるわけでもないから自由であるといえるが、フロムのあげる実例であるワイマール憲法下において人々が自由から逃走したことを解釈すれば憲法上は自由であったのではあるが、じっとしていたために自由ではなかったということになる。つまり自由な活動ができず自由からの逃走してしまったということになる。しかし自由が自由な活動のみを指しているとはいえない。真理はその中間にあるといえそうである。確かに平等は静的なものであり静的な平等を達成するために動的な自由を抑圧したり、他の金持ちの人々の所有物を大挙して打ち壊していくことはバーリンが積極的自由であるとして批判していたのに、バーリンが自由については静的なものとしてらえるのはあまり納得のいく論法ではない。干渉されない自由を静的に主張するのは、自由の動的な可能性を否定するものであり、そこに干渉されない自由のなかにおけるフロムの積極的自由の概念が発生する余地があったといわねばならない。(注)非合理性の自由
ある科学的なことを否定する非合理的な自由は、その権威を否定して、非合理な巨大な権威を崇拝することを目指すものであれば、全く非合理な、不可能なものとなりうる。宗教のようにもともと科学では不明なものについては非合理な権威を巨大なものとして崇拝することが、意味のある効果をもたらす場合がありうる。
合計で百パーセントになる要素、人間には本能以外のすべての能力を養える可能性がある。(注)ある人が他人に三〇%依存しており、自分で七〇%独立しているならば、この依存性は三〇%ということになる。この依存している部分については自分のなかに能力を貯えることは不可能である。なぜなら他人にやってもらっているのであるから自分で能力を身につける機会がないからである。
人間には無限の可能性がある。といわれている。無限といっても本能の部分についてはもうすでに生まれた時から定まっているのでそのことについての選択の可能性は存在しない。しかしその他の部分については様々な可能性がある。これは選択の可能性でもあるし、そのようになる可能性でもある。性善なる人間になる可能性もあるし、性悪な人間になる可能性もある。これは「〜になる自由」であるともいえる。「〜になる自由」についてはフロムのいう積極的自由と深い関わりがあると考えられ、全体的統一的なパーソナリティーをうるためには他人に依存しないで自分があらゆることを遊び等の訓練を通じてでもよいから身につけておくことが必要であるといっているとも考えられ、人間が選択の自由を行使して「〜になる自由」freeto become 〜を常に保持しておき、不況で職業替えを必要とされた時でも、あたかもバスケットボールや、バレーボールであらゆる役割を演じることができるように普段からあらゆるポジションの訓練をしておくことが必要だというのと同じような意味で、他の職業(社会的役割)を演じることができるという準備が必要だといっているとも考えることができる。
バーリンがいっている「座ってじっとしている自由」は、イギリスにおいて有閑階級が金持ちでいる自由を述べているととらえられるならばバーリンのいう消極的自由のすばらしい趣旨を台無しにしてしまうことであろう。そう解釈されないためにも「じっとしている自由」についてもう少し考察を進めねばならないと思われる。バーリンはまた世捨て人となる自由についても述べている。学校において実例から離れることを貴しとする風潮があり、それを旧制高等学校の寮歌や、バンカラは貴しとした風なところが存在するが、バーリンは「二つの自由概念」の三、内なる砦への退却の節において「禁欲的な自己否定は誠実さや精神力の一源泉ではあるかもしれないが、どうしてこれが自由の拡大と呼ばれうるのかは理解しがたい。」(前掲書、訳書、三三四頁。)と述べる。バーリンが自己実現の概念について否定的な見解を述べる理由は「そこに含まれている自由観念」が「自分のやりたいことのできる空虚な場所という『消極的』な自由の観念ではなくして、自己支配ないし自己統御という観念」であるからだといっている。バーリン、『自由論』、訳書、三四一頁。)
東西冷戦後における自由論
東西冷戦時代の自由の概念の対立は、国家と国家、東側陣営と西側陣営の対立であったが、現代における自由の概念と、自由で独立を求める人々の他人に干渉されない個人の消極的自由の概念との対立となったかのようにみえる。この対立は依存という相対立する二つの概念を社会や制度の傾向というものについての分析にあてるかわりに、個人の性格の傾向というものについての分析に適用する必要が生じてきた可能性のあることを示している。この萌芽はすでにバーリンの「二つの自由概念」や、フロムの「自由からの逃走」のなかにあらわれた統一的パーソナリティーとしての積極的自由の機会と、自由から逃走し権威に依存するパーソナリティーとしての消極的自由の概念の対立の問題としてベイがとらえた潜在的自由の概念や、心理学的自由の概念のなかにもあらわれていた。第二次世界大戦中及び戦後すぐにあらわれたこれらの機会は主に東西の冷戦や、ナチス対自由主義という対立、つまり国家と国家との対立や、体制(陣営)と体制(陣営)の対立として分析されてきたものであって、個人の性格の傾向の分析やその後に続く政治的社会化の議論が主要なものであった。
「〜する自由」はある行動をするにあたって妨害や障害がない状態においてある行動をしる自由である。ところが同じ状態において「〜しない自由」や、「〜である自由free to be 〜」といういい方ができるであろうか、あるいはそのような自由が存在するであろうか。「〜しない自由」があるかどうかが問題となるのは社会的、法的には子供を世話しないという不作為の自由があるかどうかの議論がおこなわれる時等である。それに対して「〜である自由」が問題となるのは、ある人がある状態で存在しているのに、例えばユダヤ人であるのに、反ユダヤ人を黒くぬりつぶしたり、校閲を行ったりして黒くぬりつぶしたり(以上のことは存在をなきものとする価値論を権威主義や依存主義の人が実行に移していることを比喩的に表現したものである)することに対して「ユダヤ人であることの自由」を主張するような場合等が考えられる。バーリンは「二つの自由概念」について述べて「開いたドアーを通って歩く権利をもってはいるが、もし私がそうせずに座ってじっとしていたいと思うなら、じっとしていたとしても、私がそれだけ自由でなくなることはない。」という例をあげて、自由は行動する機会や行動する可能性であり行動そのものではないことを強調し、バーナード・クリックや、エーリッヒ・フロムの見解に反対であると述べている。(バーリン、『自由論』、訳書、六三頁。、原書、頁。)
歴史の終わりと歴史の始まり
歴史と自由との関連についていえば、歴史主義とは歴史の因果関係(例えば、唯物論では経済、・・・論では・・・)がすべてを決定しており歴史の流れはすでに決まったようにながれており、人間の、人間個人の自由意思は存在しないという考え方であるが、歴史は人間の自由意思によって自由にかえられるという考え方が存在する。歴史は人間の自由意思によって動いているとする自由論は、しかし人間が束縛をなくしていく過程であるという意味ではなくて、選択の自由を行使しうるようになるという考え方なのだ。しかし束縛がなくなっていくからこそ選択の自由が行使しうるようになるのであって、この両者は二人三脚で動いているのである。唯物論に従えば歴史は次のように動くし動かなければならない。つまり資本主義はその自己矛盾のために社会主義、共産主義に転回していかねばならないというのだ。逆に共有物が私有化されていくということはないのだろうか。あるいは共産主義に転回していくというのはただマルクスや、エンゲルスの希望、依存的な人々の希望であったのではなかろうか。ただ単なる希望、二人の人間の希望を全世界に押しつけようとしたのではなかろうか。歴史主義というのはこのような場合もありうるのではなかろうか。逆に自由意思が存在することを主張したからといっても、それがバーリンのいう消極的自由であり、かつ、フロムのいう積極的自由であった場合にはできるだけ私有化が進められたり、独占化が進められたり、富の集中が進められたりするようなことがあるのだろうか。この場合私有化されていくかもしれないがこれは消極的自由の作用であり、自由のなかでも平等になろうとする自由が人間の心の内で大きくなっていくとすれば、独占化や富の集中は防げるかもしれない。平等になろうという自由意思は、グリーンのいうような「金持ちが貧乏人に金を恵み与える」という一方的な自由意思、義賊が金持ちに望むような自由意思のみではなくて、「貧乏な人が金持ちになろうとビジネスにおいて努力しよう」とする自由意思の双方を含んでいると思われる。この双方の自由意思のまたしても二人三脚により歴史は平等な私有化の方に進んでいくのかもしれないという歴史主義は、共産主義に歴史は向かうだろうという期待とは正反対であるがゆえに、経済を考えていないという批判に共産主義者の側からさらさられるかもしれない。ところがこの歴史主義は自由主義史観といわれるかもしれないが、歴史は自由意思の動きによって形成されているのであって経済や、神の意思などによって決定されているのではないという点において決定論とはことなっている。自由意思によって決定されているという歴史主義は歴史主義ではあっても、決定論(自由意思は存在しないという)ではない。自由意思によって「決定されている」という決定主義ではある。何らかのものによって決定されているとするのでなければ歴史とはいえないからである。しかしそれを決定しているのが自由意思であったり、人間の選択の自由であったりするという考え方は人間にとっては理解しやすいし、人間の本質である選択の自由の行使にとっては役に立つ考え方である。人間の歴史が、サルや、アリやらの歴史と同じように決定論的に、経済のみによって動いていたりしているのだという考え方は経済先決論を主張するマルクスや、レーニンにとっては自らの期待と希望にそうものであり、それによって依存心は満足させられると期待できるかもしれないが、そういうことはすべての人がその考えに従い、嫉妬や、秘密警察のうずまく社会(かつてのソ連の政治保安警察KGBや、東ドイツのシュタージュの社会)を希望しているというイデオロギーのなかにひたりきっているという心の秘密を表明しているにすぎないことを暴露しているのである。
その考えは心の秘密であるばかりではなくて、それゆえに秘密だらけの社会を想定していることになる。その秘密の部分はペシミスティックな人々の秘密なのでありオープンでオプティミスティックな人々にとっては推測することも、理解することもできない秘密の国であるのかもしない。そのような秘密の国から生まれてきた歴史主義は心のなかにしまっておくことは正しいが、それを全世界にバーリンのいう積極的自由によって押しつけようとすることは様々な反発を生じ、それを押さえつけるために更なる強制力が必要となることになる。
一方自由意思によって歴史は、専制や独裁や独占から逃れていくプロセスである、自由意思が解放されていくプロセスであるという考え方にも難点がないわけではない。
自由に積極的に人が義賊に消極的自由を差し出すようになりうるという意見は妥当か
真の自由であるという表現は、積極的自由を主張する側からも、消極的自由を主張する側からも表現される。それは自分の側の自由が本当の意味での自由であるという主張なのであって、それを強調する言葉が「真の」なのである。ただマルクス主義においては真の自由とは、完全な自由を意味していた。完全な自由はすべての消極的自由を一党独裁の共産主義に差し出すという意味での自由であった。この場合の消極的自由は私有という意味をも含んでいたし、プライバシーも含んでいた。
一方ではT・H・グリーンの『著作集 第三巻』『自由主義立法と契約の自由』、(三七一−三七二頁。)からの引用としてバーリンが議論するのに持ち出した文章である(バーリン、『自由論』、訳書、七六頁。)の「真の自由の理想は、社会の全員がひとしく自分の能力を最大限に発揮できるということである」について私の解釈をのべるとすれば、強者と弱者との平等の取扱いをすることが真の自由であることはまずそうであろうというような見当は私にもつく。次に真の自由を弱者に与えることは自由の構成要件である資源を弱者に与えることのみでよいのであって、自由を与える必要はないのであろうか。自由の構成要件(素)である資源を弱者に与えることが「真の」自由を与えることになるであろうか。つまり物のみが必要であるという理論、物のみがすべてを決定しているという理論がなければこの方式は成立しないであろう。自由を与えるとは「真の」自由である物のみのことであろうか。平等に取り扱いをするという時に、真の自由を得させるために弱者に資源を与えることのみが自由ではないのではなかろうかということである。つまり機会や、職業を与えるというようなことは必要ではないのであろうか、ライフ・チャンスというような考え方は必要ではないのだろうか。何かをするにあたってのチャンスが政治的、経済的に与えられていない場合には、自由は存在しないし、それは金持ちにとっては資源が資本として与えられているから、その資源を使用する機会が与えられている。ところがそのような資源も、資源を生む機会も存在しないのであれば、貧乏な人々が何かをして平等にいたるように努力することもできない。機会均等の観念は将来に向かった動的な資源である。それを平等にすることはやるきを、つまり、専門的には動機を失わせない。それでも努力しない人はほとんど存在しないと私は推測する。そのような自由は責任ある自由ということが出来る。責任は将来にのみ向かっているのであり、過去に向かっているのではない。
T・H・グリーンのいう「真の自由」が、彼の強調する自由という意味のみであって、理想主義的な意味での「真の自由」かどうかについては明らかではないが、そのことを「真の自由」を与えるというように表現すべきかどうかという問題が解決していないように思われる。既に生産されている稀少な資源を与えて、稀少であるがゆえに、稀少な資源を平等化しようとすることは本当に自由を与えたことになるであろうか。自由に行動する意欲を失わせてしまうのではなかろうか。これはバーリンによれば唯物論にのみ特有な表現であると考えている。つまり、五ペンスの自由と、百ペンスの自由という表現の仕方は唯物論を受け入れた時にのみ可能な表現であると述べている。私の意見では消費に当たっての自由についてはそのような表現は可能であり、それが平等な資源は自由の一要素、一構成要件であるという時の資源のとらえ方である。この資源が自由の構成要件であるという考えかたは唯物論に従って労働価値説を採用しているわけではなくて、効用の理論を採用しているのであるから、私の意見では唯物論の考えかたによって表現しているのではないという意見であり、バーリンの意見には反対である。しかしバーリンは「ことばは重要であり、著作家の意見や目的がたとえどんなによいものであろうとも、誤りやすいことば使いが、そのために、理論的にも実際的にも害のないものだとは言えないのである。」(バーリン、『自由論』、訳書七六頁。)というのである。これは唯物論的言葉使いに関する注意ではあろうが、しかし、資源が唯物論ではなくて効用の観点から分析されるとしても、T・H・グリーンの「真の自由」論にはやはり難点は以上のように存在している。真の自由は稀少な資源を、義賊の心理によって義賊によって与えられてもあまり増大しないかもしれない。独立して、自由な動きによって職業を持ち自由な給与として社会から与えられるときには、それはその人の自由を、社会的な役割の増大とともに増大させたのかもしれない。社会的な役割の増大、社会的な自由の増大なくして、消費の増大のみを求めることは片方のみの自由の増大ということになる。ただし、バーリンはT・H・グリーンへの評価として「グリーンの時代に、雇用者と交渉する場合に、労働者が・・・自由な行為者であるとする途方もない想定に対する弾劾としては、グリーンのエッセイは改善の余地なく立派なものである。」(バーリン、『自由論』、訳書七六頁。)と考えて積極的に評価している。
これには財の正当な移転であるものも存在するし、義賊による正当ではない泥棒とみなされているようなものもある。暴力革命やらによるものがそのどちらに当たるのかは非常に深い考察が必要である。
義賊の心理は共産主義化するという理論や、プラトンの共有を賛美する理論が依存する側からの希望であったという点に難点があったと考えるものであるが、それは歴史の方向についても共産主義化は彼らの希望であったのではないかと考えるものである。この共有化の希望の実例と同じく、義賊の心理は希望からなりたっており、相手から拒否されればなんのことはないただの希望の理論ということになる。希望という点では理想主義的であるともいえる。強制的にでもなく、強い教育によるのでもなく、自発的に財産が金持ちから差し出されるという理論も希望から成り立っている理想主義的なものである。これらは人間の心理に合致していない場合が多く、教育の普及に伴ってさえもそれを教育によって自発性を得させようとすることも不可能かもしれない。このような条件の下では国家の強制性が存在しなくてはならないという意見は妥当なのであろうか。この理想的な希望と、貪欲というものを共有というものによっても解決することが出来ず、さらに、義賊の希望、義賊の登場への渇望のみによっても解決できないとすれば、この全く対立する二つはどのようにして解決できるというのであろうか。理想主義者の希望通りには現実にはならないかもしれないし、ひょっとしたらなるかもしれない。この解決に悩みすぎるのは現実にないものになやむのと同じであり、これは性善説や、性悪説とは関係がないようである。
第 三 章 現 在 の 自 由 論
第一節 専制や、独裁からの自由
自由はマキャベリーにおいては専制や、独裁からの自由であった。自由は現在でも専制や独裁や家族制度や管理や支配からの自由であったりするし、それはそれらの妨害からの自由であり、あるいはまた、国家からの干渉を受けない自由の意味である。従って強制・束縛がないこと、つまり、ある人があることをするにあたって、あることから自由であることをいうとされる。これには、二つの種類があるとバーリンはいう。一つ目は、ネガティブな自由と彼が呼ぶものである。一般には消極的自由と訳されている。ここではネガティブな自由と訳す。ネガティブな自由は、ある人は様々なことをするにあたって専制や独裁や家族や管理や支配や国家から自由であり、干渉をうけない自由を持つという意味での自由であり、バーリンにいたるまでの自由は、ほとんどがこの意味での自由であっただろうと思われる。これに対置して、バーリンはもう一つの自由であるポジティブな自由という概念を提出している。この自由は「真の自由」という時の自由である。ある人があることをするにあたってあることから自由であることが自由であるとしても、その自由は「真の自由」であるべきであるという主張がなされる時の自由である。「真の自由」があるとすれば「偽の自由」があるという主張であろう。ここで「真」と「偽」の論争をするにあたって自由を定式化する必要がある。そのためにAという人がPをするのにBからの自由であるというこれまでの定式化に加えて、Pをする資源、例えば、空間(不動産) とか資金が存在しなければ実質的な自由が存在しないのであるから、PをするためのR(資源,resources)がある場合に、AがPをするのにBから自由であることが自由であるというように定義をかえる必要がある。ナガティブな自由はBという人から干渉を受けないということに焦点をあてるのに対して、ポジティブな自由はある人がPをすることができるかどうかに焦点をあてた。バーリンはポジティブな自由の概念が個人の内部で自由としてうけいれられているかどうかに疑問を呈して、その点を強調する議論を展開した。バーリンの議論は高級な自我と低級な自我とを区別する二分法によって個人の内部の自我を分けることに疑問を呈したのである。自我は自らが自由であるか、自由でないかを見分ける主体である。その自我が高級であるとか低級であるとかで二分し、他人がその人が自由であるかどうかを区別することができるのであろうかという疑問をバーリンは提出したのである。自らが自由であると判断すべきなのか、他人がその人は自由であると判断すべきなのであろうか。すべての人は自らを高級であると思うべきである。これが、ナガティブな自由を主張する人の考え方である。一方、ポジティブな自由を主張する人の考え方は自らは高級であるが、他の人々は低級であるという考え方であろうと考えられる。従って、他の人々が自由であるかどうかは高級な自分たちが決めるのだという考え方をとる。バーリンはこのポジティブな自由は、統治することと関連があるという。しかし、ポジティブな自由も二通りに分類されると考えられる。一つは全体主義や、集団主義(コレクティビズム)やらにおける統治に際しての自由であり、他の一つは自由主義的あるいは保守主義的な(民主主義的であったり、共和主義的であったりするが)統治における自由である。もし、全てのポジティブな自由が全体主義や、集団主義のなかでのみ見られうるものだとすれば、統治は全てポジティブな自由を主張しており集団主義か全体主義しか統治ではないということになる。ところが、自由主義的な統治において被治者が自由になるように政府が強制することはあり得る。自由化を促進する政策は被治者が自由であるかどうかについて統治者が判断し、自由でないと判断すれば、自由であるように強制したり、自由であることを促進したりする政策であることになる。このことは全体主義的であろうか。あるいは全体主義的ということと、自由主義的であることとの区別は自由論においてはどのような点に見出されるのであろうか。例えば、独占禁止法の裁判において原告が競争の自由を制限していると主張し、被告がそうではないと主張している時、裁判官が被告に対して自由を促し、競争を制限する行為をしない義務を課す時には、自由であることを強制していることになるであろう。逆に全体主義国家においては、自由競争をしている人たちに対して、そのように個人が心の中にある自由を主張して自由に競争ばかりしていては、「真の」自由を得られないのであるから「真の自由」を得るためには個人の心の中の自由を放棄して全体主義や集団主義に奉仕して「真の自由」を得るように努力しなさいと全体主義者は主張することになる。このように考えるならば、「真の自由」と個人の心の中の自由とではどちらの方がより本当に自由があるのかという解決に、このバーリンの問題提起に対す答えは帰着するものと思われる。全体主義や、集団主義の社会と、自由主義の社会とでは、人間はどちらの社会における方がより自由であるかという問題である。全体主義や、集団主義社会の中で生活するべきだと主張する人はそのような社会のなかでの方が人間が個人としてより自由である、つまり真の意味では自由主義社会におけるよりもより自由であるという主張をするであろうが、自由主義社会のなかで生活すべきだと主張する人は、全体主義のなかでの方がより「真の自由」があるという主張は実は誤りであり、自由主義社会のなかで生活する方が(「真の自由」は「偽の自由」であるのだから)それより自由であるという主張をするであろう。一般には全体主義社会のなかにおいては、自由は全くなくても、資源が平等に配分されているとすれば資源を必要とする自由は、自由社会において政治的自由権はあっても何ら自由を実行するための資源がなかった人にとっては、自由のための資源が増大したのであるから、そのような資源を必要とする自由は増大したのであるが、資源を必要としない思想・表現の自由やらは減少したことになる。しかし同時に資源を必要とする自由についても、自由主義社会におけるよりも集団主義社会においては自由のための資源が減少する人にとっては、資源を必要としない自由が少なくなると同時に、資源を必要とする自由も少なくなってしまったのであり、そのような人のために統治を成功させるため統治者は、平等であった方が貧乏な人やらにきがねすることなく生活でき、しっとされることもないから「真の自由」が獲得されたのだと説得するか、そのように学習させ人間をそのように方向づけることになるであろう。自由のために使える資源が全体主義社会のなかでは減少した人は、自由主義社会のなかでは自由のために使える資源は増大するのであるから、自由主義社会のなかにおける方がより「自由」が獲得されると主張すると同時に、自由主義社会においては自由のために使える資源が減少するような人々に対しては、資源を必要としないたくさんの自由を使って資源を増やすように努力すれば、資源を増やす機会を選択の自由などで与えられているのであるから資源を必要とする自由も、資源を必要としない自由と共に増える可能性が残っているので、自由主義の方がより自由、逆手を取って全体主義者のことばを借りれば「真の自由」があることになるのだと統治者は被治者に説得し、学習させるであろう。
それではルソーにおいて「自由であることを強制する」ということは、そのどちらの自由をさすのだろうか。『社会契約論』おいては人間が専制君主の奴隷状態から解放されることが必要だと説かれ、奴隷状態が存在していることは奴隷状態を発生させている主人の側も奴隷と同じく自由ではないと説かれており、このような啓蒙思想から、君主(主人)も奴隷状態にある人民も、「社会契約」によって共に自由になるべきだと説いている。この啓蒙主義思想による説得は、君主にも奴隷状態にある人民にも向けられているのであり、それこそ啓蒙思想家の面目躍如たるところであり、この「自由であることを強制」するということばは君主と人民との両者共に向けられた言葉であるということができる。君主と奴隷状態にある人民とは、「社会契約」によって主人と奴隷の関係から、君主も自由な主権者となり、奴隷状態にあった人民も自由な主権者となり皆全員で「社会契約」を結び国を作り、皆が自由になろうという意味であると解釈できる。このような意味においては両者は自由であるように、「社会契約」によって強制されることになるのであり、主権者である国家が主権者である自由な人民(国民)に自由であることを強制するわけではないのであり、すでに自由になった国民(人民)に自由を強制するということは意味をなさない。しかし、ルソーにおいてはこの両者共の自由がコレクティヴィズムや全体主義の自由であったのか、自由主義的な自由であったのかはルソー解釈において著しく反対の解釈が対立することとなった。人間の不平等の起源についての考えを押し進めていたルソーにとって資源の平等、不平等について深く思いをめぐらしていたので、自由と平等とについて「事物の力は、つねに平等を破壊する傾向があるというまさにその理由によって、立法の力は、つねに平等を維持するように働かねばならない。」と述べるのである。この記述は法については平等な尊重と配慮を求めたドゥウォーキンの考え方と相通ずるものがあるが、自由については事物の力という表現になっているものと考えられる。自由と平等のダイナミックな動きを描写するものであり、自由主義的である。従ってルソーが自然状態においては人間は土地を共有にしていたのかもしれないというようなニュアンスで土地の共有について論ずる時に人々はルソーを全体主義やコレクティヴィズムの主張を行ったと考えたとしたら、それは誤解だといわざるをえないであろう。現代の自由主義社会においても、社会権的基本権は認められているし、道路や公園等は共有の財産である。共有はそのままコレクティヴィズムにつながるとは考えられないし、子供達も自由に動いていても共有の部分をもっているし、自由に商売やらを行っている大人についても同様である。またルソーの平等論は全体主義のようにすべての政治的自由をなくせといってるわけではないからルソーを全体主義や、コレクティヴィズムの主唱者であると考えるのは誤解であると考えられる。自由を強制するというルソーのことばは自由主義的な意味の自由を統治者あるいは啓蒙主義者として強制することであって、「真の自由」を強制するものではなかったと考えられこの自由はネガティブな自由であったと考えられる。少なくとも私にはそのように感じられる。
第二節 平等と自由は両立するか
一方、ネガティブな自由でさえも平等の尊敬と配慮のためには認められないという主張がある。R・ドゥウォーキンは、『権利の考察』の第十二章において、干渉されない自由が一般的にすべて認められるということはないという命題をたてた。様々な自由について検討を別々に加えて行くべきことを主張した。しかし、平等と自由について考えているのに、自由にあることをするためには、そのことをするための資源が必要であることが認識されていないために、相当に議論が混乱している。自由と平等の議論はこの資源の問題をさけては通れないようである。またあることをする資源があり、そのPをすることについてあるAという人がBというものの制約がないからといってある人は、Pという動作を行うとは限らない。これは環境から発生する因果関係の問題であり、その環境を原因としてその結果Pという行動を行う必要がないと判断すればPという行動は行われないことになる。この場合、走向性や、走光性のような本能が介在しない限り、理性による判断が伴ってこの判断が行わる。この判断は性格の傾向によって、様々に考え込む人もいれば、単純にオプティミズムに考え込む人もいれば、ぺシミスティックに考えてしまい、自殺する人さえいる。逆に他人からオプティミスティックになる様に励まされて、自殺をしないように判断を変えて自殺しないよう決定を変更する人もいる。従って、環境はそのままで結果を発生するわけではなく、その間には傾向や、判断や、道徳や、法や、規範やらが介在している。ある環境において、例えば専制君主の下においてさえ、富裕ではなく、自由を実行するための資源がなくてその資源がないとできない自由は、実行することはできない。そのような自由は稀少性のある資源に制約された自由である。言論の自由についても口のきけない人や、耳の聞こえない人や、考えることのできない人は、口でいう言論の自由や、耳で聞く音による言論の自由や、思考による論理表現の自由は存在しないが、身体の表現による表現の自由等その資源を必要としない表現の自由は存在する。すなわちある自由を実現するためにはそれを可能にする資源が必要である。ある人が耳が聞こえないのに、耳が聞こえない人が音を振動とかで感じることのできる装置が町に備えつけられていない時には、その音を聞く自由はその人にはないことになる。このような意味での資源は何か自由を可能にするもののことである。資源があるにもかかわらず、あるものやある人の妨害や制限によってあることが自由にできないとするならば自由でないことになり、自由であるとはそのような制約や、妨害やらがないことであり、そのようなものをなくすことを「自由化」とか、「自由にする」とか、「自由解放」とか呼んでおり、そのようにする主義を自由主義、そのようなことをする人を「自由主義者」と呼んでおり、そのような自由を重視し、尊重する人を「自由尊重主義者」と呼んでいる。
ここで皆が驚くであろうような言い方として、次のような言い方ができるし、そう使われる言葉の使用法がある。つまり、ある人は百万円の貨幣を使う自由があるのに対して、ある人は五十万円の貨幣を使う自由ある。あるいは、ある人は百平方メートルの土地を処分する自由があるのに、ある人は五十平方メートルの土地を処分する自由がある。あるいはある人は三台の高級自動車を使用する自由があるのに、ある人は自動車を使用する自由が自動車を所有しないためにない。等々の言葉の使用法がある。別の言葉でいえば、ある人は五十万円を使う権利がある貨幣を有しているために、五十万円を使う自由があるのに、他の人は百万円を使う権利がある貨幣を有する(あるいは賃金として受け取っている)ために、百万円を使う自由があるというふうに使う使用法もある。この場合の貨幣は価値を表す尺度であり、自由があたかも「数量」によって表されているかのように見える。貨幣は、そのようなものを「数量」で表す尺度なのであろうか。しかしこのような数量で表されうるものは、自動車の台数やらを除いて社会的法的な権利を表しているようである。自動車の台数も物理的な量を表しているのであるが、自動車に所有権という権利が存在していると考えられるので、社会的、法的なものであろう。ところが三枚の食パンとか、五枚の食パンを食べる自由があるという話になると、それらの食パンが貨幣によって購入されたものであるにしても所有権という権利よりも食料という物的なものが表面に出ていて食べる食べ物の量という側面の方が多くなるが、この場合も自由が量によってはかられているといえる。自由にはそれを可能にする資源が必要であり資源の平等性や、資源の必要の有無によって分類できると同時に、その量や質によっても分類が出来そうである。
更に自由は内心によっても相違する。タブーからの自由は内心の判断や、性格の傾向によって左右されるのは、貧乏や欠乏からの自由が資源の有無によって左右されるのとは対照的である。歴史や伝統に左右されない人は内心の判断によって歴史の因果関係や伝統による制約から、伝統がいかに叡智に満ちたものであっても、自由であるといえる。いかに伝統を大切にしろと政府が命令してもそれに反対の判断をする人がいることもある。それは内心の判断による。経済に影響されて判断する人もいれば、そうでない人もいる。内心の自由は内心の性格の傾向、判断の仕方の傾向によっても変化する。人間の精神が神の決めた運命や、歴史の流れや、経済やらによって決定されているとするならば人間に自由意志は存在しないこととなり、ある原因があればある結果が生まれてくることになる。人間が歴史の流れやらから自由なのかを自由論において論ずるべきなのは主に内心の自由が社会的、政治的に問題とされるときである。信教の自由は内心の問題であり、表現の自由というときの自由の構成要素の一部には書かれる内容に関しての内心の自由が問題となろう。権威主義においては心理学的自由に欠陥があるというとすれば、それは性格の傾向において社会的、政治的に専制や独裁から自由に、また拘束からも自由に意志を働かせることができないというようにいいかえられる。心理学的自由とともに文化的自由も内心の自由に含まれると考えられる。ソヴィエトの共産主義国家内においても、宗教を信じていた人の自由は尊重されるべきことであるし、多数者がもっている文化に対して少数者の者がもっている文化を、いくら多数者が自らの文化を強制したとしても、守るべき自由があるべきだ。不寛容は他人の自由を専制や強制によって制限しようとするのであるから不寛容の自由があるかどうかは、ポジティブな自由を認めるかどうかにつながるが、それが政治的な、社会的な自由の主張であるときには問題にするべきだとしても、内心の自由であるとした場合、反駁の自由が他の人にあり不寛容の思想も寛容の思想に変化する自由をもその人が認めることがない場合であっても、その人の内心はかたくななままであるにしても内心の自由といえるであろうか。他の人に迷惑をかけている場合はどうであろうか。かたくななままであるということは自由意志は全く存在しないということである。人間には一般には自由意志が備わっているのであるからその人の不寛容が寛容になることを他の人は期待するしかないということになる。内心においては「経済的に貧しい人は泥棒をすべきだ(してもよい)」という思想をもっていてその人が本当に経済的に貧しいから泥棒をしたとした場合に、その内心の自由をかえられるかという問題があった時に、そのような唯物論をかえたかどうか他人が観察するために、牢に入ってでたその人に多くの貨幣と土地建物を与えて泥棒をしなくさせえたとしても、「経済的に貧しい人は泥棒をすべきだ(してもよい、必ず泥棒をする)」という思想を変えさせられるかどうかは分からない。このように環境や歴史や宗教や原因というものと、自由意志の問題は内心の自由の問題であり、精神活動の自由や自我の自由や思想の自由や宗教の自由等であり、「我思うゆえに我あり」の主張の本質的内包の指摘する問題を含み、大脳の本能以外の部分が人間の資源としてあるかぎり他の何の資源も必要ではない自由に属する。このゆえにこの自由はデカルト以来尊重されてきたものであり、弁証法的ということばがただ「わがままをいっても、あるいは、起こる確率が絶対的に少ないことをいったとしても、それが役に立つ」という意味ではないにしても、どのようなことをいってもそれが内心の発達に役立つ限りは内心の自由を認めるべきだという弁証法的思考に、内心の自由が役立つと考えられるようになったというように考えられる。バーリンの自由論が自我と自我をこえたものとの分裂を主張し、ベイが『自由の構造』のなかで心理学的自由の概念を展開する時、コレクィビズムへの批判がこめられているとしても内心の自由と対人関係における自由(intrapersonalfreedom and interpersonal freedom )との緊密な関係について考察しようとしていることはあきらかである。この内心は性格の傾向というものが本質的なものをなしており、外界(環境)からの刺激に対して様々な思考過程を通じてある思考や、あるいはその思考の結果行動を引き起こさせる。
この性格の傾向は数量的に把握される場合であれ、類型的に把握される場合であれ、その傾向の違いは政治的と呼ぶことができる場合がある。このように呼ぶとすればすべての人は政治的であるということになり、政治的活動が禁止されている場所においても、あるいは日常の挙動においてもすべて政治的なことが行われていると解釈できると思われる。人間はこれまでそのことに気付いていなかった。しかし現実を説明するとすればこのことは明らかになる。政治的心情が内心においても、政府や、社会においてもいかに扱いにくいのかはここに起源を持っているといえる。政治が自由と深く関わりを持つのはここに起因する。すべての人が政治的なものをもっていて四六時中政治的であるのに、法的にそれを禁止するとすれば何らかの摩擦がおこるのは明白であろう。性格の傾向は政治の傾向そのものであり、政治そのものである。「権力と人格」はそこの分析であったのである。しかし性格の傾向は内心の自由であり、内心の自由は何らかの自由のための資源を必要としないからといっても性格の傾向の形成過程においては自由を可能にする資源の有無が関係しているということが、内心の自由と対人関係における自由と更に資源を必要とする自由との三者連関を発生させ複雑性を増大させる。しかしその研究は自由と政治を論ずるときには不可欠の課題である。
第三節 人間は生まれたときに本当に平等であろうか
人間は生まれた時は平等に生まれるのではない。このことが資源の配分は平等に行われていないということであるならば、資源を必要とする自由は同じではないということを意味する。ここに自由が平等と対立するものと考えてきたこれまでの理論に対抗して、自由の概念なかに存在する資源の平等性に注目すれば自由と平等とを対立するものではなくて相互に補完するものとして、あるいは、自由(主義)が平等(主義)を内包するものとしてとらえることができるようになる。生まれた時にはすべての人は平等ではなく、自由のための資源が平等ではないのであるから平等になるためにすべての自由を否定すること、ある人またはその人が政権をとった場合にはすべての自由を否定することを主張し政権をとって、その政権が国家内のすべての自由を平等のために否定すること、このような自由と平等の対立関係の思想はこの自由のための資源の平等性をできるだけ確保すればよいという政治的思想が理論化されるならば、ある程度それを信じる人の数が少なくなると考えられる。自由を第一義にして平等を論ずる方法論と平等を第一義にして自由を論じていこうとする場合とではその方法論も結論も異なってくることになる。先に自由を認めておいて最後に平等を論ずるか、先に平等にしておいて最後に自由を論ずるかという違いは論ずる時の時間的な差であるのではなくて、結論における時間的な差でもある。共産主義においては先に平等を確保しておいて最後に自由を模索しようとしたがもうすでに自由が存在する余地はなかった。それに対して資本主義においては先に自由を確保しておいて最後に平等を模索しようとしているが平等が発見できるかどうかは不透明であり、平等が実現できるだろうという論とそれは不可能だし、能力やらによる差異はそのまま残しておくべきだという議論とが対立したままである。法哲学的にいえば功利主義的な公益とか、全員の幸福を増大するために作られた膨大な諸法律は各人の自由を制限し、限度を定めているのであるから、その自由の限度はある程度平等になるように考えられているという主張があり、自由のなかに存する資源も、その資源を使用する権利も平等を指向しているものであるから自由と平等の対立の構図も自由の行使のための資源という観点から現代社会を見てみる限りでは、それ程大きくなっているとはいえず、その限りでは平等が大きくくずれていた資本主義社会の発展の初期とは違い両理論の差異による対立も「自由をなくして平等のみを」とか、「平等を全くなくして自由のみを」とかいう極端な政治対立になっていないとえる。従って平等の配慮と尊重を主張するドゥウォーキンと、自由の尊重を先に主張するノージックや、ロールズとの対立は東西冷戦を強化するような政治的摩擦を引き起こすような政治的対立を発生させているとはいえず、現在では平等を主張する議論ものちには自由を尊重し、自由のみを尊重する議論ものちには平等を尊重するというようになりそれらは自由と平等のどちらに重点を置くのかという違いに変質してきているように思われる。このため実際政治においてもその傾向が強くなり、二大政党制に近い国においても二大政党の差異が縮まりつつあるように思える。
自由尊重主義の立場においては自由のあとに見えざる手による平等化のプロセスに期待をする。ここには人為的な平等化の過程は考えられていない。ロールズにあっては自由と平等を調和させるために彼の二原則を設定する。ドゥウォーキンにあっては平等な配慮と尊敬の概念を最優先し干渉されないためのネガティブな自由は一般原則としては認めない。それは諸法律が自由を減少しているとしても権利を設定しているという理由からである。従って平等を主張しているけれども「真の自由」を目指すためのポジティブな自由を認めて全体主義やコレクティヴィズムに陥っている訳ではない。権利は自由論の一部であると考えることができるからである。ノージックの自由尊重主義は自由に行動する権利を持ち、他人のそのような権利に干渉すべきでないという考えから出発する。そして見えざる手の考え方や、自発的な富の移動を通して富の再配分を行うことを期待する。ある程度の平等をそれによって期待はしているがそれが実現すると信じているわけではない。ノージックの考え方はいわゆる保守的であり、ドゥオーキンの考えかたはいわゆるリベラル(昔の左翼的という考え方に近いが、新しいリベラルな考え方である)であり、ロールズの考え方はその中間にあるといえる。オックスフォード大学の法理学の教授であるドゥウォーキンの考え方は平等を先に強い権利として認め法の体系も平等の配慮と尊重とから演繹できるとするものであるから、全体主義的、コレクティヴィズムの傾向を帯びがちである考え方であるが、「諸権利の一般理論を提示し」、「自由な表現の自由や、自由な選択の自由のようなある種の自由への明白な諸権利を人が持っている」ことを示すために干渉されない「自由への特殊な諸権利を擁護するために諸理論を構成する必要があるが、これは現在の目的ではない」と述べている。新しい自由論については他の人や論考に譲っていると考えられる。これによって全体主義やコレクティヴィズムへの傾向を防止していると考えられる。「現在の目的ではない」といいながら示唆しているところは「人間が一般的知識によって知識を得ていそうな共同社会のなかでの一般的選好に基礎をおいた」「政治理論や道徳理論の形での外的遷好」によって「これらの諸自由に対する功利主義的な自由の制限」が存在するというような方法で「自由への個別的な諸権利を擁護するために諸理論を構成する」ことができるであろうとしている。つまり個人の選択の自由と、社会の選択の自由を双方ともに認めた上で、その相互拮抗としての政治がどのような役割を自由という観点と、平等という観点から担い、かつ、どのように調和ができるかを問おうとしていると私は解釈する。「言論表現の自由を擁護することと、何らかの種類の財産と財産の利用の自由の権利を承認しないこととは矛盾しないということをある雑誌で理論的に示した」(ドゥウォーキン、「権利論」、原著二七七頁。)が、バーリンの定義するネガティブな「自由に対する権利」に対する反論を「一般的に」理論化しているのではない、そのようなネガティブな一般自由があるというような理論は反論に耐えられず、一貫した理論にはなりえないとする。(ドゥウォーキン、「権利論」、原著、二七七頁。)
第四節 自由論と平等論は総合できるか
それでは一般的に考えてノージックと、ロールズと、ドゥウォーキンの三つの考えかたを総合するような一般理輪は存在しえないのであろうか。現実の政治においてはこのような三つの政治哲学や、法哲学や、政治理論や、法理論やらは混じり合った形で動いており、政治過程や法過程にあらわれてきてそれぞれの出現の時間的、空間的差はあったとしても相互に無視できないものであろう。それを政治過程論として一般化することは、その出現の時間的な違いや、理論的な差を克服しないかぎり、できないとしても、政治・法哲学の理論として統合の努力は出来るかもしれない。それは政治過程論の問題ではなくて、法哲学や政治哲学の問題となりそうである。なぜならその哲学理論のなかに時間的な概念がはいってくるにしても全体として法哲学と政治哲学の理論の一つの一般的な理論となるからである。それは一つの時間と一つの平面上において展開される政治(哲)学及び法(哲)学の理論となるからである。刑法において罪刑法定主義を定めるにあたって罪の概念に構成要件の分析があるのとよく似た方法で、憲法や政治哲学や法哲学において自由の概念についても構成要件を定めることができる。それは自由を可能にする空間(不動産その他を含めた一般的な概念)や資産・資金(貨幣や食料等を含めた一般的な概念)等の資源であったり、自由の目的とする行為や状態であったり、自由が目的とする除去すべき妨害や障害であったり、自由を可能とする人間の能力であったり、自由を行う法人や人等の主体であったりする。内心の自由か人間関係の自由かの問題は、自由の目的とする対象が人間の内心か社会的な関係かの問題であり、それらは性格の傾向に関するものであり、場所恐怖症があればある場所を歩く社会的自由があったとしても歩くことができないということになるという場合の自由をどう取り扱うかという問題である。大金持ちで資金もあり、自由があっても、何ら金を使うことができないという場合の自由について取り扱わなくてはならないことになる。この心理学的自由は専制からの自由や、恐怖からの自由等の政治的自由や将来の希望や期待や可能性に対する自由や政治的な恐怖のない社会の形成等と密接に関わっており、その他の自由の構成要素と深い関わりのあるものであるので、心理学的自由の問題は他の全ての自由の問題が解決されてから解決されるものかもしれない。いくらオプティミスティックになれと激励されてもオプティミズムの構造が解明されない限りは、心理学的自由が達成されないのと同じように、心理的自由も人間関係のなかにおける自由の構造が解明されて、それが起こした心理の構造が解明されてはじめて解明されるようになると考えられるからである。
自由と平等との極端な対立からのがれるためには自由を可能にする資源という自由の構成要素に常に注意しながら自由論を構成する必要がある。構成要素である資源を考察することは自由論のなかにその資源の平等性の考察を入れるのであるから、自由を強い権利とし平等を弱い権利としているのであったり、自由の下に平等をおいたり、平等を軽視していることになるのであろうか。平等を重視する側からはそのような批判がでてくるかもしれない。そうではない。というのは平等を実現するのにも過程が必要である。そのすべての過程において平等を実現しようとするならば、この考え方が必要であるということになるのであって、自由が突出している時にあっても平等がゼロとならないようにその自由の概念のなかの一属性としてのその資源をとらえ、その資源の平等性について考察することになるであり、そうすべきであるといえる。確かにドゥウォーキンが最初に指摘する通りに「人間は平等に生まれたわけではない。」ということは正当な指摘である。生まれたときの不平等の状態から出発する人間はそれだからといって何ら自由が存在しないならば、あまり進歩、発展がなくなるのかもしれない。自由が存在しながらも平等が存在する社会はどのようにして形成されうるのかが今後の社会の進むべき平和な社会であろう。一つ目の理論は出発点においては不平等があっても自由な産業・活動のあとに相当な不平等が発生した場合にはその時点で平等にすることを考えるというものであり、二つ目の理論は出発点においては不平等があっても中間時点においては完全な平等の状態で競争させ、最後には平等な競争の後であるので不平等が残っても仕方がないというものであり、三つ目の理論は出発点のみは平等にするのが中間の時点での競争においては完全に自由な競争を認め、最後の結果における不平等については何ら関知しないというものであり、四つ目の理論は出発点と、中間の時点のみは自由と平等を認めるが最後の結果については平等にするという理論を修正して出発の時点においても平等を確保しようというな理論であり、五つ目の理論は・・・・・であり、そして最後の理論は最初の出発点も、中間の時点においても、最後の結果においても自由よりも平等を重視するという理論となる。このような理論のたてかたにおいては、最後の理論が大衆にもっとも支持されやすく、ユートピアと考えられてきた。ところがこの理論にたいしてはプラトンの呪縛という批判、全体主義的であり、コレクティヴィズムであるという批判が常につきまとうことになる。このユートピア理論に欠落している視点は、人間の本性でありそれなしでは人間は生活ができないものはなにかという視点であり、その結果平等を重視するあまり自由か平等かの二者択一を迫る点にあると考えられる。ここに述べた理論のバリエーションは例えてみれば学校の運動会やオリンピックの百メートル走における選手のスタートの「ヨーイドン」と、ゴールの合図を想定していると考えられる。しかし学校における平等主義が時に実際の社会の複雑な動きに対応できないように、このような単純な見方によっては現実を生き抜くことはできない。実際には自由のなかの構成要件としての自由のための資源の平等性という形でその平等化とともに自由も動いているであろうからである。人間は自由のみを求めているわけではなく、平等のみを求めているわけでもない。平等のみでは満足しきってしまうし、また家族の様々な形態の違いを考えれば完全な平等というものも考えつきにくい。逆に自由のみを求めているわけでもない。自由のみではフロムのいう通りに不安になることもある。自由からの逃走である。自由からの逃走を防止するためには権威主義を批判するのみではなくて新たに自由と平等の協調について理論を作りあげなくてはならない。
自由はまた環境によってもとらえられかたが異なっている。専制という環境のなかにおいてはある人はあることをすることについて、専制や制約や制限によって、自由はでないという状態にあるから自由を求めるのであるが、その際自由のための資源がある人はその束縛がなければすぐに自由になってそのことができるようになるが、自由のための資源がない人にとってはその束縛がなくなってもそのことができる自由が回復されることにはならない。資源のある人や国をブルジョワジーとか持てる人、持てる国とか呼んで、資源のない人や国をプロレタリアートとか持たざる人、持たざる国とか呼んでいた時代があった。民主主義国家においてももっていない人はあいかわらず資源を必要とする自由は行使することができず、民主的な投票の自由等があったり、経済的な選択の自由があったとしても、実際には物を買えないとか土地を所有していないのであるから、物を選択できないし、土地を自由に処分することができないと主張する人がある。この二つの考え方が「資源を必要とする自由」を否定することによって平等を確保しようとすると、「資源を必要とする自由」があり物があっても自由に処分したり選択したりする自由さえなくなってしまって、資源が平等であっても「資源を必要とする」ような自由もなくなってしまうし、民主的に投票することのできる自由もそのたの全ての自由がなくなってしまうという矛盾が生じてきた。資源を必要とするような自由はある人が持つものであって、資源そのものではない。資源そのものであれば経済学の領域になってしまうし、稀少資源の配分を考えることも経済学の領分である。ここで考えている自由は人間について考えているのである。平等をのみ考え重視する考え方はここですべての自由を否定してしまう。人間は人間として自由に環境に対してあることを行う、それも自由意志や理性やらをもって行う動物であって、環境の因果関係によってすべてが決定されているわけではない。平等を先に考える考え方は資源さえ平等であればすべてがうまくいき、人は平等に(同じくという意味ととらえる場合があるが)なると考え、自由の考え方を否定することになる理論を組み立てざるを得なくなる。全体主義社会においてもコレクティヴィズムの社会においてもそのような考え方がとられた。これは自由のなかにあるべき平等が、平等が先にあり自由はなくなるか、平等の次か、下かにのみ自由が存在することになったからであり平等は本来的には、つまり、人間的(ヒューマニスティック)にみれば、自由のなかにあるべきものだったのであるし、今もそうあるべきであるからだ。自由を平等より強い権利として認める時、自由のための資源をいくら平等化へ向かわしめようとしても自由そのものはなくならない。その時はじめて自由と平等の対立は二者択一的なものではなくて、融合されることになる。ドゥウォーキンが「現実の世界では平等な条件で人生をはじめるのではなく、家族が裕福であったり、有形・無形の教育があっりして他より有利に人生をスタートする人もいれば、一方で人種偏見等で不利なスタートをする人もいる。・・・・だから、リベラルな人は市場から得られた結果は平等な配分になっているという理論はうけいれることができない。」という時に、前段はすべての人が納得する事実であることは認定できる。後段については平等な配分についてもう少し深く考察する必要があり、市場によって配分される資源は様々な自由にとっての様々な資源であって、各人の自由のためのものだという点に視点の方向を少し向ける必要がある。資源にも様々なものがあり、目に見えないサービスや、頭の中にのみ入れられる知識やらもある。頭脳についてはほとんどの人の資源は等しい。しかし教育については資源としてみられるものではあるが、その資源は何かをする自由のためのものであり、その内容は様々である。ところが教育においても一時スウェーデンの政治が陥った様な欠陥であるところのすべての人よりも抜きんでてはならないというような平等性の考え方は、平等は平等な資源のことではあるがその資源によって何かをする自由のための素材であること、各人の自由は様々なものでありその自由のためにもすべてさまざまであるべきで同じであってはならない、同じであることは自由になるということにはならない。同じであればそれは平等ということになり、違うようにする自由がないということになるからである。自由意志を持たないことになるのだということに注意しなければならない。平等が自由の制約、平等が専制の道具となってしまうのは自由を忘れた資源のみの平等論がまかり通る時なのである。資源を自由に処分する自由がなくなった時、資源の平等は全く意味のないものとなる。
第五節 どんなに貧しくても何故窃盗をする自由はないのか
人種偏見や、極端な貧富の差がある様々な裁判上の係争事件がある場合には、このようなケースはアメリカ合衆国においては多い様であるが、平等な配慮と尊重を法哲学上主張することには重要な意味があろう。それが権利及び義務の発生する最も強い根拠であるとみるドゥウォーキンの理論は自由の概念との整合性がとれればポスト冷戦の強力な哲学となりうると考えられる。人生のスタート時にも平等な資源を持とうとする人々の自由を尊重し、市場のなかにおいて、つまり人生の途中においても平等な資源を持とうとする人々の自由を尊重し、配分のシェアの決定後も平等な資源を持とうとする人々の自由を尊重しなければならない。平等な資源を持とうとする自由は、市場のなかにおけると、行政の関与する行政市場(税収とそれに対する行政サービスについてそう呼ぶとすれば)のなかにおけるとをとわず、自由のための資源が平等ではない状態に(スタート時でも、途中ででも、結果においても)あるにもかかわらず、自由のための資源を少なく持っている人には資源の必要でないような自由を多く与えてバランスをとることによって確保できる。資源があまり必要でない自由はここでは類型化、特定化はせずに文字通りの意味で使用した。労働基本権や、社会権やらの考え方、職業選択の自由や、機会均等や、完全雇用の考えなど資源が必要でない自由であるかどうかの吟味は多くの問題点が存在する。自由の分類をネガティブな自由とポジティブな自由とに分類したアイザイア・バーリン、心理学的自由と社会的自由と潜在的自由とに分類したクリスチャン・ベイ等の分類とこの分類はどのように重なりあうのであろうか。今後の考察の課題である。
自由の分類、自由のなかの平等の分類
自由について自由の構成要件を考慮しながら次のように分類する。
(1)資源を必要とする自由と資源を必要としない自由、
(2)能力を必要とする自由と能力を必要としない自由、
(3)内心のみの自由と社会的関係=人間関係における自由
とにまず分類して、資源の平等性、能力の平等性、内心でいかにわがまま自由に思っていてもいいのか、他の人に不寛容な政党や団体がいたとした場合にそれが社会的な団体とならないままでいる場合には人間の平等性は存立基盤は失わないのか、内心のみの自由であるから許されるのか、不平等の内心の自由は認められるのかの問題を取扱い、自由と平等の融合をはかることにする。第3の問題はバーリンらのネガティブな自由と、ポジティブな自由との関連で問題となることである。人間はその内心のすべてを哲学的に、生物学的に考察すれば、発達論的にまた解剖学的に本能と断定された部分以外はすべての自由を持っている。これを内在的自由と呼ぶことにしよう。歴史や因果関係や経済によって決定されていると考えられている行為も、その後深く考え、それ以外の行為の仕方が考えられるとすれば、その行為は本来は自由であったことになる。専制や独裁や家族制度やらによってある自由が制限されてその人の自由がないように見えたとしてもこの内在的自由は存在する。兄弟姉妹関係等の人間関係によっていくら性格の傾向が存在するとしても、その傾向からも自由であることもできるし、その傾向が自由を抑えつけているのみである。兄弟が多くいくら節約型の性格の傾向の人であっても、ある時そうではなくなることも自由である。従って突然に贅沢をしはじめたとすれば節約型の性格ということばにより説明していた人は、節約型の性格の傾向をもっている人というように表現をかえなくてはならなくなる場合がある。性格や性格の傾向といったとしても自由と深い関連があることがこのことひとつをとってみてもわかる。内在的自由はこのような性格の傾向の裏側に存在しているのみではなくて法や規範の裏側にも存在している。監獄にはいっている人にも、規範によっておさえつけたとしてもその裏側には自由が存在している。窃盗をしないように規範によっておさえつけたとしても窃盗をする自由は残っている。逆に窃盗をしないという自由も、規範によっておさえつけられていなくても存在する。この場合は内心の道徳が窃盗をおさえつけていることになる。一方では専制や独裁は社会的に表現の自由を押さえつけたとしても、人間の内在的自由があるので心の中での表現の自由を抑圧することはできないのであり、これが表現の自由の絶対性を担保しており、また、貧しい人が平等な経済(経済的な資源=稀少資源)を持つようになるまでは富裕なすべての人々の自由は制限されるべきであるという自由の制限論や、国家の自由が獲得されるまではすべての個人の自由を制限せよという議論や、ロールズの主張する社会契約による公正としての正義の理論によるある程度の自由の制限論や、ノージックによる自由尊重主義のなかにおける自由の最小限の制限論や、アナーキスト(これにはノージックのいう最小国家のいうアナーキストと、古典的アナーキストの二種類があるが全く相対立する別個のものであり、ここでは後者のことを指す)による自由の制限論、ナショナリストや、民族主義者やらの自由の制限論、国家主義者の自由の制限論、国際主義者の自由の制限論、民主主義者の自由の制限論、保守主義者の自由の制限論、リベラリストの自由の制限論等々と数えあげればきりがない程の自由の制限論が存在する。例えば保守主義者が大切と思う所有権の絶対性についても公共の利益と対立する場合にはその自由は譲歩されねばならないとされることについては、リベラリストを自認する人々が鬼の首を取ったごとくに「自由の制限」を主張する論拠となり、逆に公共用の道路や鉄道の建築のためであっても立ち退かないですべての他の部分の道路建設やらまでも台無しにしている所有権を守り通している人々に味方する保守主義者等の人々は様々な理由(ノージックの最小国家論も論拠の一つである)をつけて所有の自由を主張するのである。いずれにしろ各政治理論は自らの自由の体系、政治的自由の体系をもっているし、ある社会、ある国家も、国の基本的人権を定めた憲法の基本的自由権のなかに自由な権利の体系をもっており、日々の判決のなかで裁判所は法に従ってではあるが、自由権の体系を形成している。そのなかには自由の強弱も含まれている可能性もある。自由の強弱とはどの自由の方が強く、どの自由の方が弱いかということである。専制や独裁がかって抑圧していた自由は、現在では憲法によって自由として認められているものが多く、現代の自由社会では社会的に認められている自由がほとんどである。従って表現の自由を認めよという主張をする人間解放のための自由運動はかっては解放闘争とよばれたのである。しかし窃盗をする自由を認めよという解放闘争や戦争等の殺人の自由を認めよという解放闘争は聞いたことがない。ユダヤ人虐殺を行ったヒットラーの自由を除いては。イェーリンクの権利のための闘争はある意味では自由のための闘争ともいいかえることができる。それは権利として認められていない自由(表現の自由や、賠償してもらう権利による請求の自由等)を認めてくれるように自由を求めて提訴し、闘争することを意味しているからである。しかし、殺人の自由を求めてする闘争は解放運動とはいえない。何故であろうか。殺人や窃盗はしないことが社会的に認められた規範であり(それを社会契約によって説明するか、しないかは別としても)それをする自由を求めることは一般には認められてはいないし、そのようなことを消極的自由として説明する人もいる。それは社会のタブーに挑戦する自由を求めている場合とは違ったものである。そのどちらがより自由であるのかは社会的に窃盗や殺人の自由を認めた「人間が人間に対して狼である」社会(ホッブスの自然的状態)と、窃盗や殺人を認めない(社会契約等の説明による)社会とのいずれかのほうが、より人間の社会として適しているのかという判断が必要である。ヘッフェは殺人の自由のない社会の方が社会契約によるから、より人間的であると考えている。ところが、アメリカ合衆国においては銃の規制が緩く、正当な防衛のためであれば殺人にいたる防衛であっても正当化されている。日本においてもそのような正当防衛は認められる場合でも、銃によるものは認められていない。法的にそのような場合の殺人の自由が、政治的、社会的に、法的に存在しており、日本の正当防衛の理論においても、死刑の理論においても殺人の自由が認められている場合がある。死刑のケースについては犯罪者のまだ残っている自由を教育によって、すなわち、教育刑によって殺人の自由から殺人するべきでないと教育されそのような自由が存在しないことがわかるようにすべきであるということもまた社会的、政治的に政府が行うべき自由であること、また、それが人道的であり、死刑台に上がる時には殺人の自由が存在しないことを反省しその理由を科学的に証明できる人間に、自由に、なっているとすれば、死刑は執行をすべきではないと同時に、死刑制度それ自体を、政府が自由に廃止すべきであると考えるものである。それをみせしめのために行うことは人道に反することである。
第六節 自由の構成要件である資源の平等を考えれば
自由と平等は調和することが出来るが自由はなくすべきではない
表現の自由や、学問の自由や、言論の自由や、出版の自由等国際的に人権として認められているような自由は、専制や独裁に対してそれらを抑圧する自由、バーリンならポジティブな自由と呼ぶであろう自由を予防的に抑圧しているのであり、それは殺人の自由を抑圧するのと似ている面が少し存在しているが,実は全く相違している。表現の自由等はドゥウォーキンのいうような人格権に関する平等な配慮と尊敬によって導き出すことのできるような自由である。この場合の自由は平等とも共存できる。宗教(信教)の自由についても平等な人格を人はもち、その人格は様々な宗教をもちうるのであるから、他の宗教からも政府からも宗教を理由に弾圧されることは許されるべきことでないという人道的な思想から発生したものである。例え抑圧されても宗教に関しては内心においてひそかに信教されるから、信教の自由こそは根深いものであり、それこそ内在的自由の主要なものである。信教の自由は宗教的自由による宗教戦争の数が多かったという歴史上の事実を見ても、いかに根が深く、政治や道徳や法規範そのものをも飲み込んでしまうような大きな自由であるかということがわかる。ミルは「自由論」のなかで自由意志論による意志の自由の論考を省略するといった後で表現や討論の自由等の政治的、社会的自由について論じている。政治的、社会的自由について自由意志をこのようにして論ずることは至難のわざである。しかしいつかは通らなくてはならないワザ(学問・discipline)である。政治的、社会的自由に関する議論は一般的には、規範によって抑圧・制限されているのが自由であり、自由の抑圧・規制・制限をしているものが法であり、政治であり、社会であるという説明になる。この場合規範によって抑圧されている自由こそは私が内在的自由と呼んでいるものであり、その抑圧を説明する理論としては社会契約論や、ドゥウォーキンによる「平等な配慮と平等な尊敬」という概念や、彼による権利論のうちの義務論、他人が自分を尊重してくれているから、平等に自分も他人を尊重しなければならないという議論や、自由の制限に関する外的選好の理論や、最大多数の最大幸福を目指す功利主義理論のなかに含まれている個人の自由の制限の理論であり、マルクスのいう個人の所有権や個人の経済活動の自由やらの否定による自由の制限論であり、秩序というものの考え方からする社会的、政治的秩序にいたるために自由の制限をおこなわねばならないとする考え方であったり、わがままとしての自由のみをとらえ自由は制限すべきであると主張する考え方であり、経済決定論と所有権や個人の自由権の制限と結び付けたマルクスの理論の他に経済決定論の立場から人間の行動は経済が(マルクスの場合は下部(経済)構造が)全てを左右しているのであるから他の人々と平等な経済となるまではすべてを、政治もすべてを拒否するということである。このような自由権が様々な形で政治理論のなかに表れてくる理由は、もともと専制や独裁がそれらを抑圧してきた歴史があったからであり、自由権が強弱の違いはあれ各政治理論のなかに専制や独裁に対する対抗として表れてきたからにほかならない。例えば表現の自由に対する専制が強く行われていた国においてはそれに対抗する形での表現の自由を強調した政治理論があらわれることになっただろうし、平等を主張する専制国家において表現の自由のなかった国においても、様々な他の自由の抑圧の仕方如何によってはそれらの自由の抑圧に対する反発としての解放の政治の様々な形態が発生するであろうし、そのために自由権の強弱のつけかたは様々な自由権の間で国により違ったものとなっていくであろうことは、ソ連崩壊後の共産主義国家の行方のなかに見ることができる。
ミルが「自由論」のなかで自由意志論について言及せずに政治的自由や、社会的自由についてのみ言及した理由は、本能以外のすべての内在的自由の問題として政治的自由や社会的自由の問題がとらえられるのは明白であるにしても、表現の自由やらの政治的、社会的自由が歴史や、因果関係やらにどの程度拘束されているのかが不明であり、法律等の規範による制約にどの程度服するのかを考察するときに、歴史的な理由からは表現不可能なことや、因果関係論により社会・政治的に絶対ありえないことやらについては自由権を主張するまでもなく、絶対にできないこととなるからであろう。そのようなものは自由を主張しても自由にできないことであるならば自由権を設定する必要はなくなるということになるからであっただろう。しかしミルが「自由論」において政治的、社会的自由とともに本能と人間の内在的自由の問題や、自由意志論や、因果関係と自由やらの自由意志論を考察しなかったのは片手落ちだったのだろうか。そもそも両者は関係づけて論ずることはできるのであろうか。政治的、社会的自由は法律哲学上の問題であるが、法規範が拘束している自由とはことなり、法規範が拘束しないことに実定法的かあるいは自然法的にかをとわず、決定している自由を取り扱う。同じ内在的自由でありながら前者は法が拘束している自由であり、後者は拘束を法がはずすと憲法的に決定している自由である。後者は主観も自由であると思っており客観的にも自由が認められており両者が一致している自由である。逆に前者は主観的な欲求としては自由を求めている事態があったとしても客観的には自由を否定されているような自由である。いずれによ両者はいずれも社会的規範であるので、どのような場合でも社会的規範は自由の概念とともに考察されなくてはならないことになる。監禁やらの罪は他人の自由を侵害するゆえに罪となるので刑法上の罪であるが、監禁された人は身体の自由を制約されており、恐いということで精神的な自由の一部分も侵されているとしてもその他の自由を抑圧されていない場合もあるのは刑務所にいる犯罪者が逮捕されても心のなかに内在的自由を持っているのとよく似ている。法が自由を拘束するのは許されるが、個人が監禁して自由を拘束することは許されない。政府によるこの監禁の自由の抑圧には他の人を自由にするという意味が含まれているのと同じく、政府によるすべての自由の抑圧には他の国民(市民)の自由を確保するという意味が含まれている。しかし表現の自由が自由を認めているのと同じ性質であるという考えかたにはならない。表現の自由等は専制等の自由の妨害者から内在的自由を取り戻すということであるが規範による自由の抑制は相互に自由を抑制することによる自由の確保であり、相互に平等に配慮及び尊敬をして自由を抑圧して自由を確保しようということである。ここにはドゥウォーキンの理論の適用の余地はあるが、表現の自由等について彼の理論の適用の余地はない。
表現の自由等のこのような自由権が差別的表現を含む等の理由で制限を受ける場合はどのようにとらえるべきであろうか。植民地や、他の民族や、他の人種やらに対する権威主義的性格の人の差別はアドルノらや、フロムの研究したところである。この点については二つの場合が考えれる。まずトゥインビーが皮膚の色はただのメラニン色素の多少によるのであるから皮膚の色による差別は行うべきでないと『歴史の研究』のなかで述べたような変更できないような生物学的な差異による差別は行うべきではないが、性格の傾向のような専制や独裁や、非行の原因やらのように矯正する(教育によって)ことのできるようなもので、それらを他人に迷惑をかけないように矯正するための差別は許されるというように二つの場合に分けるやり方である。後者は、政治的と述べてもよい。教育的と述べてもよい。しかしノージックや、ロールズによれば後者の場合でも専制や独裁の下で喜んで生活する自由があり、寛容ではない性格のもとで生活する自由があるのだから、そのような場合も自由を強制するような権利は存在しないことになる。しかしこれにたいしては自由でない状態で生活することは、自由ではないから、自由でないように生活する自由ということは自己矛盾に陥っているという考え方も存在するし、それはフロムが『自由からの逃走』のなかで展開した理論である。自由に関する国際的に認められている権利はノージックによってもドゥウォーキンによっても法哲学的にかつ政治哲学的に体系的に導き出されうるとはいえないというH・L・A・ハートの見解はまさに正しい。(ハート、『法学・哲学論集』、二五〇頁。)不寛容派に対する「自由の強制」は法的にも教育的にも認められのは明白かつ現在の危険がある場合にのみ限定するロールズの見解からも自由権は導き出されえない。ルソーが専制国家における奴隷状態にある支配者と被支配者に対して「自由であることを強制すること」を主張したことが正しく人道的であると考える人が、たともしこの世に存在するとすれば、ロールズのいう不寛容派に対する「自由であることの強制」をその人は平時においても(明白でかつ現在の危険がなくても)認めることであろう。政府が「自由でない状態にある人々」に、「自由である状態に変化すること」を勧告し教育し、場合によっては強制することができること、それによって国民は政府に対してそのようにしてくれと要求する権利を持っていることこれが自由権である。人々の個別性からくる干渉されない自由を認めるノージックの理論によれば不寛容派も干渉されない自由を持つのであるから、明白かつ現在の危険が存在するようになるまで「自由でない状態にある人々」は政府によって放置されねばならなくなるのはロールズの場合と同様であり。さらにノージックの場合は不寛容派のユートピアは例え不自由なものであってもどのようなもの(例えばマルクスのユートピアのようなもの)であってもその自由も認めなければならないことになる。すべての自由を制限する自由を認めることになる。この主張は監禁の自由を認めない法を持っており、政府による監禁の自由が認められるのは「自由を確保」することができるばあいに限るというような一般理論が欠けている。その理由付けが社会契約論等様々な異なった理論付けが行われようとも、それは理論的枠組の問題であって本質的なものではない。「ともに普遍的規定であるが、『何人をも殺すな』という規定及び『すべての人を殺せ』という規定と同様、それらは両者とも、平等すなわち平等の配慮と尊重の価値とは特別な関わりを持たないように思われる」(H・L・A・ハート、『法学・哲学論集』、二四八頁。)とハートは述べる。また信仰を否定された人々が不満に思うのは、彼らの自由の制限ではなく、彼らが平等の配慮と尊重を与えられないことなどと想定するのはともかく確かに幻想的であるとハートが述べる時(ibid,二四九頁。)ハートはドゥウォーキンの平等の配慮と尊重を受ける人々の権原から権利を導出しようというドゥウォーキンの試みは失敗であり、そこに真理があるとは思われないという結論に到達し、なされねばならないことがまだ多くあると述べる(ibid,250頁。)のである。ここで問題とすべきであるのは平等なと、個別的なというドゥウォーキンと、ノージックの概念の中味なのではなくて、それらが自由の一面を表しているのであると私は解釈する。自由は人格によって行使されるが、人格の平等性はその行使にあたっては配慮され尊重されねばならないというのがドゥウォーキンのいっていることであり、それは自由の一面を述べているのだといえるという解釈である。しかし人格の性格の傾向には多種多様の個別性があるのだから、他の人は干渉してはならないというのがノージックの考え方であると解釈するとしても、自由の人格を公正する性格の傾向は分析する必要がないのかという点が今後研究されねばならないということになるのではなかろうか。これがノージック理論の展開すべき方向である。ドゥウォーキンの理論の展開の方向としては人格の平等性や資源の平等性やその他の環境の平等性等が自由のなかで考え研究され、更にドゥウォーキンとノージックの理論の接点としては人格における性格の傾向とその変容が人間の自由という究極的なもののなかで研究され、理想的な人間の自由はいかにして達成されねばならないのかを研究するということのなかにあるのではなかろうか。自由のなかになぜ人格の理論、性格の傾向の考察を導入しなくてはならないのかは自由を全体的に観察すれば理解できる。自由を行使する人が様々な性格を有しているからでり、それは個別性と平等性を考察するうえの基礎となるからである。不寛容派の自由はバーリンのいう積極的自由に該当し、その他の人々の自由を害するのであるが、それは性格の傾向に由来しており平等性の原則とも相容れない。それは価値相対主義の寛容論から導き出される結論ではなくて不寛容派の自由は他の人を自由にしないという理由によって導き出される結論である。
第七節 自由の構成要素である環境、資源、性格の傾向、能力 これらがなければ人間の自由は行使できない
特に環境のうち社会制度が自由権を認めていなければ自由に行動は出来ない
自由とは、ある特殊な環境のもとである特定の資源をもった、ある特定の性格の傾向のある人がある束縛や制限なしにある特定のことをすることの特定の能力をもった場合に、ある特定の人か、特定の人の内心に対して、そのことをする自由であるが、他の人の自由を損なうような自由は制限される、つまり積極的(ポジティブな)自由は制限されるということができる。ポジティブな自由による他の人の自由の制限はゆるされないということは政府についてもいえる。一方で、ノージックのいう個別性は性格の傾向の個別性の研究、例えば不寛容になりがちな傾向を戒める方法等の研究によって真に現実的なものとなり、自由論のなかで活きてくるし、平等の観念も環境や、資源や、能力やらの平等を考えていくことにより自由論のなかで活きてくることになる。これによりドゥウォーキンの平等論が自由論のなかで活きて、人間の平等を考えるのに人間は自由な存在であるのにそのことを抜きにして考えるという片手落ちの状態から抜け出て人間の平等を人間の自由という概念と融合しながら考察できるようになる。もし人間が本能のみによって生きている動物であるならば平等を自由とは無関係に考察できたであろう。人間は単に資源の平等のみを考えてやっても突然に自由に出家してそれを捨ててしまうかもしれない。この場合は平等な配慮と尊敬を拒否しているのであり自由の問題であり平等とは関係がない。また先の監禁が罪であるのは自由を侵害するゆえにであり平等とは関係のない法的問題である。このような平等な配慮と尊敬で完全に説明できない問題も自由という考え方を合わせて考慮すれば解決がつくことがある。平等や人格の個別性を考えながらも自由を尊重すれば現代における啓蒙主義である「自由の強制」にこの論考は向かわざるをえなくなるかもしれない。
第 章
自由と環境(政治的、人間関係的、社会的、法的・・・・・)との詳細な分析は別にゆずるとして自由の全体像をとらえるためには資源や人格等の分析を先に進める必要があろう。
第八節 自由化と、自由の強制 選択の自由の強制
自由はある特定の環境のもとで使用されることばである。ある人がどのような環境にいるかによって自由の意味がことなってくる。レーガンや、サッチャーや、中曾根政権時代の自由化ということばはそれまでの様々な経済的規制からの自由化という意味であったのであって金融自由化、国鉄民営化、教育の自由化等は規制が多かった時代だったからこそ自由化が叫ばれえたのであり、いったん自由化されてしまえばもうすでに自由になっているのであるから自由化を叫ぶことも政府が「自由化する」ことも必要がないし、そのようなことばは意味がなくなる。私的所有が認められていなかったからこそ私的所有の自由化が共産主義社会において叫ばれえたのである。また専制国家において自由がなかったからこそルソーは『社会契約論』のなかで「自由であることの強制」ということを主張できたのである。また監禁されている人は自由が存在しないからこそ自由を政府に対して求めることができたり、自由を監禁している人に要求できるのである。法規範の束縛からの自由と、監禁の束縛からの自由とは意味が相違している。法規範の束縛、制限からの自由は人間が人間に対して狼である状態を作り出し自由ではなくなるのだから自由になるのではないとホッブスはいうのであろう。ルソーなら「自由であることを強制」している社会契約を破棄することによって、即ち社会契約による法を破棄することによって「単なる欲望の衝動」による「ドレイ状態」に落ちるというであろう。(ルソー、『社会契約論』、第一編第八章。)ルソーは人間は「平等で自由に生まれた」のであると考える。(同、第一編第二章。)しかし「勝った者が負けた者を殺す権利」とか「ドレイ権」とかを批判することにより、(同、第四章。)また「最も強いものの権利について批判的に考察することにより(同、第3章。)、ドレイ状態を克服するために社会契約が存在すると説くのであるが、「自由という言葉の哲学的意味は、わたしの当面の課題ではない。」(同、第八章。)と言明する。「他人を殺す自由を全ての人が放棄するとき、彼らはその代わりに身体と生命の不可侵性に対する請求権を手に入れる。」(ヘッフェ、四〇六頁。)のであってすべての人に共通していなくてはならない。これは監禁についてもあてはまる。「互いに利益のあるかたちでの自由の放棄」は「強制なき強制」であるという説明をヘッフェは行う。(ヘッフェ、四〇七−四〇八頁。)従ってこのヘッフェの議論は法規範による自由の制限の正当化根拠論といえる。一方監禁の束縛や、専制からの自由になることの正当化はこのような社会契約等によって説明されるのではなく、人間には拘束から自由になるべき社会的な基本的人権があるからだという考え方や自然状態に持っていた自然権的な自由から発生してきたものだという正当化の説明がなされるであろう。法規範による束縛からの自由の主張に対してなされる社会契約やらの法がなくなれば自由がなくなる等々の正当化の理論の構成と監禁からの自由が監禁は自由を束縛しているから自由を得るために自由化をすべきだという理論構成のちがいは、監禁の場合は監禁が専制や、経済的規制や、共産主義による所有の禁止等と同じようなものであるといっているのに対して、法規範は正当なものだよといっているのである。
ところが共産主義社会においては私的所有の禁止は法規範であったのであるし、経済的規制もサッチャーや、レーガンや、中曾根政権が登場するまでは憲法規範であったり、法規範であったのであり、それらの規範が自由化によりなくなったというのが自由化の意味であったのである。ここには政治的な環境の変化があったということを自由と環境との問題を考える場合知っておく必要がある。つまり人間は本能以外の社会的、政治的なことにおいては自由なのであるから、ある法規範が禁止し制限している自由についても、もし政治的環境が変化すれば自由化が行われることがありうるということをこのことは意味し、それゆえに現在のある法規範が禁止し制限している自由も内在的自由として常に存在しているのであって、いつ何時自由化によって外在的自由になるかわからないということを知っておく必要がある。これが刑法理論の根底をなしている。ある人が法規範を犯すに際してその他の自由である犯さない自由があったからこそ、法規範があるのに犯したことに対して罪を与えるのであるという考えである。刑法の自由論はまた(相当な)因果関係があって、たとえば、非常に貧しかったゆえに、窃盗をしたのであって、その原因と結果の間に完全な決定理論が成立すると考える経済決定論の考え方にたてば、窃盗をしないでいる自由はなかったのであるから(例えば窃盗をしないと餓死する状態にあったのであるから)貧乏であったことを罰すべきであってその人を罰することはできないという因果関係による自由意志の有無の問題としても刑法学的には問題になる。ある人の撃った玉があたった壁が倒れた事件について撃った玉があたった壁の倒壊により死亡した場合、罪になるのかどうかという因果関係の問題とは全く別の、経済や歴史等による因果関係による拘束から人間が自由でありうるかという問題であり、クーデター等による犯罪を裁く場合に歴史的な経済的状態との因果関係をどうみるかというような問題、つまり自由論の問題となるのである。唯物論は経済決定論をとるゆえに経済的下部構造のみを重視しそこに自由を認めないが、唯心論(観念論)においては自由を認めることになると思われるが、全体主義やコレクティヴィズムの考え方が「真の」自由を強制しているというポジティブな自由論を観念論的だという時の観念論のことばの使い方のなかには唯物論は観念論的であるということばの使い方となっていることになる。このことばの使い方では唯物論は見方が一方的でかたよっており、かたよった観念(そう考えるのも自由であろうが)にとらわれているのではないかという意味での観念論ということばの使い方となっている。ある時代の実定法による法規範による自由の拘束や、歴史や経済の因果関係による自由の拘束やらがある場合それらは自由をとらえる場合の自由の環境としてとらえることができるし、それらの環境は正しくとらえ、正しく類型化しておく必要がある。一方、法規範による自由の制限を考える場合は特に実定法という法を越えた法という意味での自然法や、道徳規範による社会あるいはある人格による自由の制限を考慮しなれけばならない。社会全体が一つの性格の傾向をもつ場合には社会的人格と呼び分析することができるであろうが、文化とほぼ同義語とならないように概念を整理する必要がある。
自由と環境との問題を考慮すれば、共産主義からの自由ということばはこれをあらためて共産主義の環境において私的所有権の禁止からの自由化と呼ぶべきであるし、専制からの自由ということばも専制的な政治環境において支配からの自由と呼ぶべきであろう。専制のもとにおいてではなくて、民主政治や自由政治のもとにおいて支配からの自由、すなわち統治と自治が同一の傾向を示すようになることとは意味が違っているからである。これは経済的規制が撤廃されるという意味での自由化についてもいえることである。自由ということばはある環境(状況)において語られることばであって、それなくしては考えられないのは政治ということばと同じである。専制政治の時代における奴隷状態、私の目から見ればルソーは勝者と敗者のそれとともに貧しい者と富める者の不平等も暗にそのなかに含めようとしていたふしがあるが、それを何らかの理由でカットしたのであると思えるが、その状態から「自由であることを強制」することにより自由になるということを現代に移して考えれば、全体主義やコレクティヴィズムの環境における奴隷状態からの自由になることであるとともに、フロムのいう権威主義的な人間関係からも自由になることを意味していると考えられ、この際環境の分析は重要な意味を持っていると考えられる。私は権威主義的人間関係を甘えられる人と、甘える人の人間関係、長男、長女等と同じ日本独自な呼びかたである甘えということばを使わなければ、依存される人と依存する人の人間関係であると分析しているのであるが、この分析については別にゆずる。
平等との関連で最も重要な自由の構成要素は資源である。自由な行動には資源が必要な場合がある。資源には資金とか空間(不動産の効用を生み出すもの)とかがあり、平等な配慮と尊重を主張するドゥウォーキンも「資源(resources)ということばを使うし、政治を稀少資源の権威主義的配分と定義する政治学者もいるし、最も恵まれない人を考慮するロールズの第二原理は資源の配分に関するものであるし、自由尊重主義者であるノージックでさえも『アナーキー・国家・ユートピア』の第七章において自由が平等主義的配分をくずすといいながらも、その章においては配分的正義について論ぜざるをえなくなっている。もし自由論が資源について論じなかったとしたら、またもし平等な資源のみを論じ自由を論じなかったとしたら自由論も平等論も空虚なものになるであろうことは先に述べた通りであり、最もショッキングなことは資源と自由との関連についてこれまでに論じてきた研究の少ないことである。専制的な環境においての支配からの自由、専制的な環境においての支配からの自由の要求において経済的資源について人々は何を考えていたのであろうか。ただ自由ということばにうかれていただけなのだろうか。「真の自由」の主張、ポジティブな自由の主張のなかには経済的資源の欲求が含まれていたように思われる場合がある。コレクティヴィズムの一部にその傾向を読みとれる。全体主義における「真の自由」は主に国家の自由を指すとすれば経済的資源の平等性の主張は希薄であったようである。サッチャーらの経済的規制の撤廃による自由化の概念のなかには自由競争による見えざる手が経済を活性化させ人々の経済的幸福を増大させるという考え方が入っていたとしても、各人の経済的資源を平等にしようという考え方ではなく大企業の(財閥等の)資源が豊富な経済主体が中小企業との間で独占的市場形成を行わないようにという考え方から発生した自由化である。
この資源の問題は本質的には唯物論と経済決定論をどのように扱うかという問題に帰着する。皆が生活を同様にするには資源の結果平等の立場が主張されるが、逆に生産する立場からみれば資源の較差は認めるべきであるという主張がなされる。マルクスの唯物論においては経済がすべてを決定しているのであるから、自由意志は存在しないということになり、自由論は存在しない。この論は自由は資源のみの問題であるという論として解釈できる。このマルクスらの議論は極論ではあるが、その極論が発生してきた人格の傾向の問題や、その環境の問題は考慮に値する。極端な貧困の状態にあるものについてはその環境のなかから経済先決論や、平等にしてほしいという要求がでてきても不思議ではない。経済先決論においては経済問題が先に解決しなければ生きて行けないのであるから、政治の問題も文化の問題もすべて存在しないという論理の構造をもった議論であり、ある意味でのアナーキズムである。これはもう一つのアナーキズムであるところのノージックらの主張、要約すれば、財産の私有制や資源の較差を干渉されない自由を尊重して認め世の中がすべて交換の連鎖になれば、最小国家でよいという考えかたとは異なっている。これは最小国家アナーキズムと呼ぶとすれば、前者は極大国家アナーキズムということになる。極大国家アナーキズムにおいては、論理矛盾ではあるが「国家は消滅する」とされる。この場合の国家は資本家のための国家であると考えられる。このような考え方の解釈としては私有財産の極端な不平等な少ない割当ゆえに他の富裕な人の私有財産から疎外されているが、コモン・グッズ共有財産には疎外されていないのだからすべてを国有化してしまえば疎外がなくなると短絡視したのではないかという精神分析もその妥当性を検討すべき時代となったと私はみている。精神は内在的には自由であるが、経済が優先し自由は存在しないという経済先決論は以上のような環境のなかで共産(共有)化理論を正当化するための理論であったのではないか。しかし現実には内在的自由は存在しているにもかかわらず、私的所有とかによる空間や資金等の資源が不足していて自由を実行できるようにするようなものがないので自由でないという現在の状況を正しくとらえどのようにして平等へ向かってリベラルに自由主義的に(政治)活動するのかということが問題なのであったと考えられる。このような場合の自由の主張は所有やらの自由を求める保守的なものでは絶対にありえないとはいえない。所有権の自由を認めながらも自由の資源の平等の主張を行うような理論構成を政治理論がとる場合である。私的所有の自由を認めない理論構成をとった共産主義においては、所有における自由処分という選択の自由をなくしてしまったという点においては現実的には自由をなくしてしまった。これは経済による因果関係論的決定論をとり自由意志を否定していたという解釈を共産主義に対して(又、本能的生物論やらに対しても)とるならば、それは自由の哲学からみた当然の結果であったといわねばならない。自由意志論と政治的自由論とはこのようにみれば合致するのである。共産主義社会が冷戦の終結とともに動きがとれなくなった理由はこのような自由の喪失が原因であったと考えられる。人間は経済によって(あたかも経済が本能であるかのような理由によって)因果関係論的に決定されていて自由でないのではなくて、内在的自由はあるが経済によって自由が制限されていたことを知っていたのである。このことは論理学的に重要であり、平等の主張は経済的資源という物資的なるものを平等にすることを主張することよりも、経済によって制限されるている自由を少なくして平等な個人の環境をつくり出すべきであるという主張にむかわねばならないということになるのである。このことにより自由の主張と平等の主張は対立するものではないものとなる。これまでの理論においてはある人の自由のための資源が極端に少ない場合には、平等を要求する主張のみが考えられていた。このような環境の下では平等の主張が自由・リベラルの主張であった。これはあたかも平等を求めて自由の要求が行われたように見えた。しかし実際は選択の自由をなくすという理論構成をとっていた。富裕な人の自由をなくすことにより自らが富裕な共産社会の権力者となったソ連のノーメンクラツーラ階級は、選択の自由のない富裕層となって腐敗したと考えられる。経済決定論によって人間には因果関係的に決定されているのであるから自由は存在しないと考えていた人々が富裕になってもその理論に固執することは、貧しい人々の自由のための資源の不足のための自由の否定をそのまま富裕層にあてはまるということになり、自由の意味が環境によって相違していることからくる自由の意味のはきちがえを発生させ、秘密裡にノーメンクラツーラ階級の子弟達は奢侈にはしることになった。この腐敗はアクトン卿の指摘する「権力は腐敗する」ということの例でもあったが、自由の二つの意味からみたバーリンの理論を応用すれば権力者がポジティブな自由を行使することにより得た権力で更にポジティブな自由を行使したということになろう。自由の本質に迫ることによりこのポジティブな自由を論ずるとすれば、ポジティブな自由とは資源の所有が極端に少ない(と考えている)自由の主体が自らの少ない所有に対して多くの資源を所有している(と考えている)他の人は自らを疎外していると考えられるので、自らが統治し権力を得ることによってその疎外を排除する自由である。それにより多くの資源を持つ人の自由は抑えつけるべきであり、自らがこの自由を持つのは経済が貧しいから自由を持たないので窃盗をするのは因果関係的に正当であり、すべて他の人も自由をもつべきではなく、自分の窃盗は窃盗ではない、自らのすべての非行は非行でない、自分一人のみはすべての法規範は適用されず本能以外のすべての完全なる自由を持つが他の人々は経済により因果関係的に決定されているべきであり、他の人すべてに自由は存在しないというものである。この自由は「真の自由」とバーリンは名付けたが、これは非行の自由や、法規範を破る理由をすべて経済の貧しさのせいにして、法規範を破る自由を与えよというものである。この「真の自由」の考え方は全体主義にも、コレクティヴィズムにも見られる考え方であるが、それを法的に正当化したのがカール・シュミットの例外状態の考え方であったのではなかろうか。倫理学的には無人島に一人分の食料しかないのに七人が漂着した場合の例外的な状態を様々に考察してみてもこのポジティブな自由を肯定する考えにいきつくかもしれない。しかしこの考え方は人口過多の場合を考えればわかるように、人口抑制のような理性的な方法によって例外的な状態がおこることを防止する「人間の知性」をオプティミスティックに期待し、そのように教育するということによってしか解決できないかもしれない。例外的な状態はあくまでも例外なのであって何兆分の一の確率で起こる可能性のあることを、すべの場合にあてはめるのは、飛行機が落ちる可能性が〇.〇〇・・・一の可能性であるというだけで飛行機に個人が乗らなかったり、政府が完全に飛行機を禁止するのと同じペシミスティックな考え方である。これに対しては確率を考えながらオプティミスティックにこの世は生きるしか道はないのであるが、まさに針の穴程の可能性があるとしつこくいわれるとそれはそれで真実であるといわざるをえないことも確かなことである。オプティミスティックな人格の構造を研究することはこのような意味では重要なことである。
第 節 義賊の心理
二つの行きすぎた自由
−義賊の思想と、バーリンの消極的自由−
バーリンのいう消極的自由に対して積極的自由を主張する側の人びとは、わがままということばを使う。逆からみてバーリンのいう消極的自由を主張する側の人々は積極的自由に対してわがままという。義賊ということばは金持ちから財産をとり貧乏人に分け与える盗賊のことであり、少年少女が聞かされる話のなかにはよくでてくるものである。貧乏な人に対してどのように考えるべきか、それが正義であるかどうかについては子供たちの意見も分かれるであろうから意見を調査し、統計学的に処理すれば、社会性の発達心理学の問題の解決に役立つと思われる。ここで統計的な問題の解決の仕方は抜きにして考えていく。義賊をわがままととらえるかどうかは他の生徒から金を恐喝している非行少年と同じ性格を持っていると考えるかどうかにかかっている。非行少年ならば他の人々の自由はなくなっていき他の少年たちは萎縮してしまう。義賊についても大金持ちの人々は窃盗されるのではないかと萎縮してしまうが、貧乏な人々は萎縮するどころか、日頃の嫉妬や、妬みや、羨み、嫉みは解消されるのでニコニコして拍手喝采するであろう。行きすぎた自由、英語でいうライセンス(licence(英)、license (米))は気ままとか放埒(らつ)と訳されるが、わがまま(selfishness,willfulness)とは違う意味で使われるが、わがままにしろ、気ままにしろ自由の行きすぎであることにはかわりないといえる。義賊は別にしても恐喝する非行少年は自由の行き過ぎととらえられることは統計的にもほぼ一般的であろうが、一般的にそう考えられるのはそれが社会性をもっていなくて、理論的に義賊のような正当化がなされていないからである。しかし貧乏人の子供達が集まって、金持ちの子供達から資金を集めて金持ちの子供達がやっているような遊びを、金のない時にはできなかった遊びを自分達もするために他の子ども達を恐喝し金集めをしている可能性もある。一方義賊の方は「真の」自由を貧乏人に与えるためだとか、貧乏人が貧乏という経済のために泥棒をしないためだとか、貧しい人のために天や、政府や、国家が何もしないからそれになりかわって、金持ちから資源をとり、平等な配慮と尊重によって、その金とか不動産等の自由のための資源を貧乏な人に移転(transfer)しているのだから正しいことであるとか、それは税金による財の移転と同じような性質のことであるとか、共産主義等の唯物論により経済を先に解決してやらないと貧乏な人は盗みに入ったり餓死してしまうのではないかとか、様々な理論的な弁解により義賊であることの正当化を行っている。子ども達にとっては親の収入や財産とそれらの子ども達に対する分配という問題ではあるが、大人にとっては経済的な稀少資源の社会内で結果的配分の結果的不平等を正すという問題なのである。大金持ちはこの理論からすれば自由の行きすぎということになるが、大金持ちからすればこの義賊は自由の行きすぎということになる。さてどちらが本当のわがまま放題ということになるのであろうか。
この義賊のような事例をバーリンが「真の」自由を行使している例として認めてくれるかどうかは別としても、この義賊は自由し放題やっているという表現はぴったりする。大金持ちの家にかって気ままに入り、自分の好きなものを自由に盗んで持っていってしまうからである。ヒットラーの反ユダヤ主義や、反商業主義の理論、反利潤論のなかにもこの匂いは感じとれる。ところが商業学や、ユダヤ教はこれを否定しているところが多い。企業の社会的責任論や、議会による税としての認定による財の移転については商業学や、ユダヤ教も認めるであろうが、個々個々の利潤の正当性は認めないと社会が成立しないということも認めるのである。
バーリンの消極的自由論によれば義賊は自由の行きすぎ、つまり積極的自由の行きすぎということになろうし、バーリンの積極的自由論によれば超大金持ちは消極的自由の行き過ぎということになろう。前者は「真の」自由の行きすぎであり、後者は干渉されない自由の行きすぎであるということになる。
この議論は金持ちから平等のために金を自分一人の義(正義)の観念によって、貧乏な人に移転するのが社会一般の正義であるかという問題に対する答え如何によって変化してしまう。社会一般が認めるとすれば、つまりは大金持ちも認めるとすれば、義賊が盗みを行わなくても大金持ち自身が平等のために、救世鍋とか、寄付とかで義賊のやることと同じようなことをするであろうということになる。リベラル派の人の自由はこのようなことを自発的にさせようという考え方であるとともに、平等という考え方を普及させて政府や国家もこのようなことをしようという考え方であり、この義賊の思想自体について少なからぬ同情心を持つ人々がリベラルな人々であるということができる。この考え方は義賊というような形ではないが、道徳教育のなかで取り上げられることが多い。例えば「マッチ売りの少女」のような童話のなかには涙をさそいながらそのよう考え方を普及させるためのものが多い。
ところが、そのような考え方は非行少年の行きすぎた自由と同じようなものだという批判が発生する余地が多く残っている。その正義に関して論争の余地があるのに対しては、議論の道筋を論理的に組み立てることによってどこに議論の食い違いがあるのかが明らかになる。これはわがまま論争、自由の行きすぎ論争と呼ぶことができるであろう。この議論の裏には他人の成功には対する嫉妬や、恨み、他人の財産に対する嫉妬や恨み等多くの政治学に関係するマキャベリーが『政略論』のなかでとりあげたような議論が含まれており一筋縄ではいかないことも事実ではあるが、両方の主観的な主張を整理することが必要であり、バーリンのいう積極的自由と消極的自由の対比を表現する特に図式的な顕著な一例解ということになろう。
義賊や、非行少年の例に共通していえることは本当に移転による平等を目指しているのか、本当にそのようなことが可能であるのかということが一番の問題点となる。実際は全く平等等達成できていないという場合が考えられる。ソ連における不平等の存在がそのようなことは人間の本性である選択の自由なしでは不可能であるということを示したが、それから類推すると平等やそのような「真の」自由の強制、選択の自由なしには不可能であるということが考えられる。「真の」自由が得られるという主張は現実的ではないという主張である。これには説得力があり、ハイエクやらの選択の自由を主張するリベラリストの主張するところである。ところが義賊が大金持ちや、食糧倉庫から盗んできた食料物資を餓死しそうな人々にトラックから投げ与えていて、それを貧しい人々がひろって競いあって食べている図や、映像を見せられたり、テレビで現実に今おこっていることのように見せられたりすると、そのようなことが現実に可能なことであるように思われてきてしまうことが多い。そう思ってしまうのは、映像や図のおこす錯覚による認知なのかもしれない。その一コマは、その食料を生産し、給与や、利潤を得る人のことは映していないし、倉庫に保存していることがなぜ、どのような理由で、どのような期間保存され、倉庫料がいくらで保険料がいくらか(ソ連には保険の観念がなかったそうだ)も映し出されてはいないし、その食料がどの位もつのかも映しだされてはいない。そして貧しい人々が長い間義賊の与えた食料で生きていくことができるのか、そのような社会システムになっているのかどうか、そのような社会システムが本当に長い間可能なのかどうかも映し出されてはいない。しかしそのような映像を毎日映し出されると義賊は可能なように思えてくる。それは一種の洗脳といえるかもしれない。いや学習といった方がよいかもしれない。
恐喝をする非行少年の場合のように他の人々を恐怖でふるえあがらせ、家のなかにとじこもらせるような非行の自由であるか、義賊であるのかを両方の間主観を客観的に総合的に判断することは難しいことだ。
しかしそのような積極的自由は一般には、性格の傾向論から判断しても、麻原彰晃事件のように義賊であるのだからその理論に従わないものはポア(殺人)してもよいという理論に必然的になる。その理由はある種の義賊の心理から発生した議論はこの結論にほとんどすべていたってしまった。その理由は義賊という観念のなかにある他人への干渉は自分の一方的な間主観的な判断によってのみ決定されるという主観的な性格の傾向から発生しているからである。マルクスの唯物論による経済先決論と経済決定論ももとは義賊の思想から生じたものであるし、すべては性の本能であり自由意志等存在しないとする理論もはぼ同じ思想から生じたものだと私には推測されるし(P・F・ドラッカーはフロイトのこの状態をを金銭ノイローゼ(ドラッカー、『断絶の時代』訳書頁。、原書)と名付けており、フロイトが恐怖症であった実例は全ての伝記にある。金銭ノイローゼと性の本能の理論は相互に関連していると考えられる。この義賊の理論とフロイトの理論は、一人の人間の中で時間的にも理論的にも交互におこっていると思われる。ヒットラーの思想も全体主義や、集団主義の思想もほぼこれに近いものから生じたものだと私は推測している。完全な平等を得るための完全な(「真の」)自由の主張であるとしてもそれは他の人々の消極的自由を恐怖でふるえあがらせるものであるという事実は、その依存的恐怖の性格の傾向が義賊という思想と結びついたものであると私は推測している。それらは依存性の心理から生じたものである。義賊の心理のあとにくるもの
依存性の強い人間は、人間関係において「ある人間がそうであることが、いやだ」ということを様々な言葉で正当化し、それこそ人間の本質であるから、それこそ学問であるという。つまり、自分にとって都合の悪いということ、自分にとって依存できないから都合が悪いからそのような人はいない方がよい。外国にでも行ってしまえ、死んでしまえという心情が学問である。つまりは政治とは、性悪説にもとづいていて、それでよい、そうでない性善説の人は負けてしまうのだ、囚人のジレンマをみるがいい、またつまりは大金持ちには義賊で盗みに入るか、実際はそのようなことをして貧乏人に盗品をあげた途端に窃盗がばれるのだから、今度は大金持ちにペコぺこ頭を下げて、寄付をお願いするか、おべっかをいい、ゴマをすらないような人は落伍者だという様に金を権威にすりかえてしまったりする。
その後に来るものはすべての破壊の思想であり、それらの思想はまた殺人も正当化し、「死の本能」の思想にいたり、さらにそれができないと分かると、義賊の心理に戻り、この循環は時間の経過を経て、ほぼ永久に何年かおきという具合に循環を繰り返す。
それが満足されるまで繰り返されるはずであるが、実際は満足することは永久にない。なぜならば義賊の心理はかえってそのような心理を持っている人を経済的に貧しくして、そして義賊の心理こそはその経済の貧しさから発生しているのであるから、その悪循環が永久に続いていくことになるであろうことが私の予測であり、それは正しいことのように思われるからである。
それは性格の傾向から発生しているようにも思われるのである。
義賊の心理のそのまたあとにくるもの
それは心理学的な意味でのストライキであり、それはすべての人をメランコリーにするし、特定の人に向けられた場合にはその人をこわがらせるが、本人達は結構楽しく、自由に感ずる。この自由は積極的自由であるといえる。義賊の心理及び行動こそ積極的自由の代表的なものであるといえるかもしれない。それが何故ストライキという不作為と結びつくのであろうか。不作為についてそれがサンディカリズムとなれば、国家も集団主義も企業もすべてを壊してしまう。不作為の自由についてもここでは考察に入れなくてはならなくなる。「〜する自由」は「〜をしない自由」でもあるのだ。その理由は明確にされなくてはならないと述べたのは、そしてその結果が効果があると期待できない場合には、ストライキはやるべきではないとレーニンはそのレーニン全集のなかの「反ボイコット論」において述べている。このようにこの「しない自由」はある目的を持って行われる。依存する者がすべてを破壊しようという目的がそれである。
義賊の心理の後にくるもの
自我の分裂(崩壊)とバーリンが呼んだものは、高い自我とは義賊が金持ちの他人にその財産のうちのいかほどかを貧乏人に分けてやるような自我であり、逆に、金持ちも自分の欲望に従って多くの物を消費しようとする自我が低い自我であり、この二つの自我への分裂と呼んだものであると解釈できるのであり、他の人にそのようなことを要求したとしてもそれがうけいれられないとわかると自らの精神の崩壊や、太宰治のいうような人間失格やらの状態に陥ると考えられる。そして政権をとったあかつきには、金持ちの自由を「真の自由」(自らの嫉妬心に燃えた貧乏人に味方する、依存的な人に味方し、依存的な人の「真の自由」を高めるためにという意味の「真の自由」)のために積極的に金持ちの自由を抑制するために、権力を行使しようと考えるのである。その時は、物の効用についての感覚や、人間に必要な道具の使用法も分からなくなり、すべてをラズウェルのいう意味での破壊する衝動と行動のみに走ることとなり、いわゆる精神の病(すべての意味での)の状態に陥ることになる。破壊する心や衝動と、精神の病とを関連付ける場合のこの精神の病という言葉の定義や学問としての位置付けはバーリンのいう自我の分裂という言葉と同様に、もっと多くの紙幅によって説明され尽くさないと今後の学問や、現実には有効な効果を発揮しないと思われるが、そのためには気の遠くなるような多くの社会的なこと、自然的なことが研究されなくてはならなくなるだろう。私はそのためにはどのようなことをも政府はなさねばならないと考える。予算的にも、その他の面においても。それはマスコミについてもいえることであると私は考える。それはいかに多くの人がフランス革命以来そのために命を落としてきたかを考えれば理解できることであえり、それを予防するものである。これは人類の学問の課題となりうるものである。
そしてそれから一般的に脱出し思いなおすと、経済先決論や経済決定論にいたり、次にすべての人(所有している人)は精神病(消極的自由そのものが精神的に悪いことだ、利潤を得ることは悪いことだ、商売によって利潤を得ている人は消極的自由を主張している故に悪い人だ、干渉されないことを主張するなんて悪いことだという価値論に導かれた精神病という言葉であるが)だという理論に陥るが、それができないとしると、自らが精神の病( 上記の意味でのすべての意味での)に陥るという循環をする。社会が悪いという意見のうちのその社会という対象物は、次の時には仮説的にまた別のものに陥る。また私有している人が悪いという時の憎悪の対象となるものもその循環のたびに、その代替物(スケープゴート)を与えてやらない限りは毎回変化していくのであり、それが身内のものに向かう場合は身内は憎悪の対象物となる。ほかのものをいつも与えてやっていない限りはどうしようもなくなる。特に身内のなかでも夫妻は赤の他人というように夫や妻等の配偶者に対してその憎悪や嫉妬が向けられた場合にはそれは子供に対しても向けられることになり、容易にその憎悪の対象物を代替させてやることは難しい。これらはすべて依存性という観念から分析することなくしては解決できないことであり、代替させてやるのではなくて、本当は自由で独立したフロムのいう統一的なパーソナリティーを獲得させることが最も必要なことである。
各段階各段階(義賊からの精神病まで)のすべてはひとつひとつとると病気ではないようにみえるが、各段階で他人のせいにしているのみであり、それが依存から発生しているということに気付くことはなく、その他人のせいにされた金持ち等々は、どうにも対処できなくなる。
ここに人間関係において片方をメランコリーや、ペシミスチックに陥れるいわば社会の病因人という考え方と、完全に人間失格となった太宰治のような人と、すべてを否定しきったサリバンのいうあまのじゃくの人や、完全な自由と真の自由を主張し、私有して、干渉されない自由を主張している人全員に精神病といって回って、死ぬまでそれをやめない病因人、それもそのように干渉されない自由を認めようとしない完全に自由な依存的な人がいて、人間を物としてみなくなってしまった人という概念をとりいれなくてはならなくなってしまう。
彼らはすべてを否定することができるが、それは何億分の一の確率のものを弁証法と弁解しながらいっているにすぎず、現実から離れている。
第 節 性格の傾向
自由とそれを行使する人間(人間以下の動物でない)の人格の傾向について次に考察せねばならない。自由のための資源について様々な考察が必要であったように、他のすべてが等しかったとしても、性格の傾向の違いにより自由は違った形式をとる。権威主義的傾向の人は権威を持つ人も権威に従う人も権威によって定められた方向性をあたかも本能であるかのように持っており、自由(選択の自由、政治、政治的自由)が存在しない。一方ペシミスティックな人も小さい確率に圧倒されて自由が存在しないのは前述の通りである。だがペシミスティックとか、権威主義的とかいうことば自体が類型を示すものではあるが、傾向の程度のことをいっており人格を完全に類型化することはできない。『自由の構造』の著者ベイはフロムの積極的な自由について述べた後で、権威主義者の分析についても詳細に検討している。自由は伸縮自在フリーなものであり、構造は存在せず、構造があるのは制度や法規範や歴史や因果関係のもととなる原因的事実なのであって、「自由の構造」ということば自体誤った使い方であると思われるが、それを自由論の体系化ととらえればそれは一九五八年出版当時の自由論の総括としての価値がある。「二つの自由概念」をバーリンが最初に発表したのも一九五八年であるから、これらは第二次世界大戦の反省として自由の概念を再構築しようとしたものと考えられる。『自由からの逃走』のなかでフロムが指摘したものも第二次世界大戦への反省であった。権威主義ということばはアドルノらによって実証的研究に付されたが(アドルノ、『権威主義的パーソナリティ』をみよ。)、人種差別の傾向や、民族主義的傾向など戦前の日本やドイツでみられた傾向が一義的に実証され尽くしたというには程遠いしそれが理論的に解明され尽くしたというにもほど遠い。権威主義的パーソナリティーはアドルノらバークレイ校の研究者が反ユダヤ主義の心理学的起源について研究した結果解明された部分がベイによれば、「心理学的に」「相対的に非自由」な類型であるとされ「民主主義的なパーソナリティ」は「心理学的に相対的に自由な」類型とされた。何故に心が自由になれず閉ざされたままであるのか、それを「子ども時代の状況の産物である傾向」に起因するとし、「両親に対する憎悪の大部分」の「抑制」こそが直接の権威者である両親に対する憎悪であるからこそ権威主義になり心が自由になれないという仮説を提出している。(ベイ、頁)私の仮説は別の所で論証するつもりであるが、権威主義の発生は「人間関係、それも半分以上の割合を占める兄弟姉妹関係のなかから(それは原初的状態、オリジナル・ポジションと私は呼ぶが)子供時代における人間関係の修得による性格の傾向の発達より発生するものである」という仮説をたてて私は証明を試みようと考えている。政治的社会化の研究や、政治と発達心理学の研究はこれらの仮説を今後より明確化していくものと考えられるので、ベイの『自由の構造』の第四章「心理学的自由の決定要素」については私は精神分析や精神医学はすべて人間関係論という社会関係の分析による社会的精神の社会科学になるべきだという学説を信じているのでその他の学説についてはあえて論ばくしたくはない。しかし、私はベイが心理学的自由という名称で(幾分不適切であったのかその後この用語は、バーリンのポジティブな自由程は広く人口にかいしなくなったが)自由は自由を行使する人の性格の傾向(パーソナリティの特性)によって類型化されねばならないことを示した点で画期的な考え方を提示したものとして評価している。
この性格の傾向に関する研究は権威主義的パーソナリティーの研究、政治的社会化の研究と共に政治と精神医学=人間の相互関係の研究によって前進してきている。しかし自由との関連で研究した成果は皆無に近いので今後の研究が待たれる分野である。自由はこの論考のように様々な構成要素をもっておりこれまでの以上のような研究をすべて心理学的自由と一括するとすれば、様々な学説の混合物となってしまいそれこそ自由をその構成要素である性格の傾向の分析によって特徴づけ、明確化する意味が失われる。なぜなら様々な学説はそれぞれに性格の異なった自由を代表し易いものであり、学説毎に性格的な自由の相違を分析する必要が生じてくるからである。ここでは私は性格の傾向という自由の行使者の特徴を自由と最も深い関連を有する「依存性」と、被依存性」という自由と対立する概念を人間関係の分析のなかにとりいれることを提案したいと考える。人間は相互依存関係のなかで生活しているという描写は「分業社会」の説明として使われることばであるが、これに対して人間が「共同社会」のなかにおいては依存と被依存との関係のなかに存在していると定義したい。相互依存関係は独立した所有を持った人々の相互依存関係であり自由な交換を前提としているが、それに対して依存と、被依存の関係は主に共同社会や共有社会やらのなかにおいて発生する人間関係である。心理学的自由というベイの観念は権威主義やらのパーソナリティの傾向がどのような過程でどのような機能をはたすことによってどのようなことを生ぜしめるから、・・・自由に対して大きな影響を与えるのかを研究しなければならないということを示唆した点において重要な視点を提供してくれたのである。ところがこの分析は極めて困難である。なぜならそれはある人格の自由は他の人格の考える自由との比較において考えるということになり、「人間はきわめて相互依存的な存在であるし、・・・あるひとの自由は他の人の抑制に基づかざるをえぬ。」(バーリン、『自由論』、三〇八頁。)、「強者の自由は弱者の死」(ibid.)という自由に関する一般的命題について「国家や他のいかなる権威も足を踏み込むことを許さない大きな私的生活の範囲を保持しておくことにより社会的調和や社会の進歩と」(ibid.三二〇頁。)を両立させながら政治的思想としての個人の自由をパーソナリティの観念から再構成しなおすという作業であるからである。
第 節 自由と自由の妨害(物)、障害(物)
自由を制約したり、制限したりする障害物は数多くの種類に類別できる。自由を制約するもののうち最もポピュラーなものは法的規範や道徳的規範やらの規範であり、それらは制度を構成している。一方規範からは自由ではあっても空間や資金等の(稀少性のある)資源をある人が持っていないために実際に(substantive)は自由を行使できない場合には経済的な制約があるということになるし、歴史の流れや因果関係論により生じる法則により従わなければならない運命等があり、自由ではないということもある。経済的制約については、これが最も大きな制約要因だと考えるのが経済決定論であり、法的規範等すべての規範はこれから生じたのだという見解であろうが、現実にはそうではない例を数多く例証できる。一方政治法則等マキャベリーらが探究したような命題は法的規範等の規範とは相違するものではあるが、そのような政治法則等の政治的規範も自由を制限するものの一つである。例えばマキャベリーは「人民が彼らから自由な生活をひきむしった人々に対し、気が狂ったように復讐の挙に出ることも不思議なことではない」(マキャベリー、『政策論』、三六一頁。)という時に「個人の自由を政治は守らねばならない」という政治的規範は、多くの歴史上の実例によってマキャベリーにより証明されている。このような政治的規範が憲法制定議会によって法的規範にまでいたっている場合もあれば、政治的な諺(法諺に対して)として一般社会のなかに流布しているだけの場合もある。自由権的基本権は現在では国際人権規約にまで高められているのであるから、政治的規範をいつでも無視してよい規範であると侮るべきでない。政治学の本質はまさにそこにあるのだからである。マキャベリーがチェーザレ・ボルジアについて「運(フォルトゥナ)や他人の武力で政権にのぼったすべての君主にとって、ぜひ模倣すべき人物として彼を推したいと思う。」と、『君主論』の第七章において述べていることなどについては賛否両論があり、マキャベリーに対する誤解を生む原因となったものである。イタリアの統一という「高い目標」のためにはやむをえなかったという「国家のため」という政治的規範による自由の制約についても賛否両論があり、法規範による自由の制約の正当化よりも、この政治的、国家的理由による自由の制約の方がより困難な問題として人類の前に立ちはだかっているといえる。
人々の自由を妨害するものが専制である場合と、民主的な法規範であった場合とではどこが相違するのか。自らが自発的に法規範と認めるものに従うのは自律的な自我の形成であるといえるがこれを民主的といい、各人が自律的な自我の形成がなされていないばあいは民主的な政治制度は考えることができないので、専制によるしか政治は方法がなく専制は仕方がない結果としての制度となる。
ドゥウォーキンにおける自由と平等
ここに支配者が一人と、国民のA,B,Cの三人との四人で構成されている国を考えてみよう。支配者がAという国民とBやCという国民とを平等に尊重し、平等に配慮するということは、Aという国民がBという国民とCという国民とを平等に扱うこととにているが相違するところがある。支配者がA,B,Cという三人の国民よりも多くを得たり、専制的であったりする可能性がるからだ。AがBを平等であるように尊重し、平等になるように配慮するということは、BがAを平等である様に尊重し、平等になるように配慮する義務を発生させる。このドゥウォーキンの平等論は自由である権利をどのように見たのであろうか。
平等を主張するドゥウォーキンの自由論
平等な配慮と尊敬をすべての法の原理としたロナルド・ドゥウォーキンが自由をどのようにとらえていたのかは、自由と平等の調和という興味からも、自由を行使するには資源が必要であり、自由は無であり平等の対象とはならないが、資源等は平等の対象となるという点を考えても興味深いことである。平等に重点を置くということは、いわゆるリベラリストであったのでそのリベラリストのなかにおいて自由はどのようにとらえられていたのかということを研究することになる。ネガティブな自由はないという時のドゥウォーキンは、それよりもっと大きな自由のポジティブな自由を否定しているのか。彼は全体主義的な自由は否定する。しかし、彼の思想は平等主義的でリベラルなゆえにポジティブな自由(イクオル・コンサーンによる政府の積極的自由でそれがあるなら)を認めることになりはしないか。それを否定することができるとするならば、制限された諸自由は認めているわけで、ポジティブな自由もネガティブな自由も認めないかわりに、制限された、それも正当に制限された自由を認めていることになる。制限の仕方が政府の自由をあまりにも認めた統治しすぎの自由にならなればよいが。この場合の統治しすぎというのはバーリンのいわゆる積極的自由のことである。つまり、イクオルなコンサーンが、すべての人同志のイクオルなレスペクトを伴わないことによって、イクオルなコンサーンのみが大きすぎて、政府の統制(ほぼコンサーンに等しい言葉としての)が強大になりすぎてネガティブな自由をあまりに抑制しすぎて、全体主義的な政府となりすぎることがないのであろうか。言論の自由等の自由な権利(自由権)についてはドゥウォーキンの政治的法学は妥当しそうであるが、資源を必要とする自由権についてはどうであろうか。
自由と政治権力、権威
性格の傾向と政治
政治権力や、権威は自由と深い関係を持っている。権威主義者は権威ある人物を非常に巨大なものと考えそれに依存した生活をしようとする性格の傾向を持つ人をいう。他人に依存しているので自由をもつことは少なくなると考えられる。ほとんどすべてのことを自らが自由に選択して決定するのではなくて自分が依存している権威にその決定をまかせることになる。奴隷の状態と似ているが、なぜそのようなになったのかを考えてみることはない。何故にそのような奴隷の状態になったのかを考えてみて、そのような権威に反発して自らの自由を回復しようとする時には、表現の自由や選択の自由等の権利を獲得するための闘争を行うようになる。この解放のための闘争は国家の専制から自由になることであったり、表現の自由のない国や、社会において表現の自由を権利として得るための闘争というような形での自由の回復への動きが始まる。このような形での権威と自由との関連性は姉兄に依存している弟妹との関係に似ているといえる。権威主義的パーソナリテイという概念は権威への服従、教条主義、人種偏見、弱者への偏見、他のグループの人に対する敵意や、迷信を信ずる傾向等の性格の傾向の総称である。もともとは反ユダヤ主義の心理的起源についての一九四〇年代のバークレイ研究から生まれたことばである。この性格の傾向を権威と自由との関係で語るのは『自由からの逃走』を論じたエーリッヒ・フロムの反ユダヤ主義とナチズムの解釈とよく相通ずる点を持つ理論であるといえるが、私はこれは「依存性」という性格の傾向によって解釈できるということについて論じたい。
このような状態を心理学的自由のなさと表現したベイの理論は別のところで評価すべきであろうが、そのような状態にある権威者と依存者の両方に対して「自由からの逃走」をおこしているのであるという指摘は納得がいく指摘である。その状態にある人々に対して「自由であることを強制する」ことを認めるとすればこの場合の自由は、確かにベイのいう心理学的自由にほかならない。心理学的自由や潜在的自由という概念を自由論のなかに導入することは、性格の傾向に応じて自由をかんがえてあげること、あるいは、プリミティブな自由論のなかには性格の傾向が含まれていることを認識し様々なタイプの自由論が存在していることを認めることにほかならない。様々な政治思想や政治的イデオロギーや価値観のなかに、プリミティブには性格の傾向が内在していることを認めるのと同じような趣旨で、自由の議論のなかにも、政治の議論と同じように性格の傾向が存在することを認め、できるだけそのような性格の傾向の存在しない純粋な「自由」や、純粋な「政治」を概念規定し人間の性格の傾向に応じた自由や、政治というものを考えてあげることにより、全体として客観的な政治学や、自由論をつくりあげることが必要であることになる。イデオロギーの存在は認めても、そのイデオロギーの社会化、すなわち中立化を目指して学問を構築するという作業が必要となる。
バーリンのいう積極的な自由と消極的な自由との差は性格の傾向と非常に密接に関係していると私は思う。マルクスやレーニンや、ヒットラーの積極的自由はマッカーシーでさえも応援したエーリッヒ・フロムにとっては否定されるべきものであった。干渉されない消極的自由の範囲を定めることは大切であると考える人もいるが、マルクスやレーニンにとってはそのようなものは存在しない。その考え方の根拠には自分の経済が優先するという考え方があった。逆に消極的な自由を優先する者には自らの干渉されない所有や権利のすべてが経済的に満足できるものであるという安心感が、先に存在した。それは経済的なものであるとともに政治的なものでもあった。それに対しては政府や多数者の一般意志が強制するとしても干渉するべきではないという自由の主張が消極的自由であると考えることもできる。体制の問題としてバーリンはこの二つの自由の対立をとらえているのではあるが、このように個人の性格の傾向の問題としてとらえることも、東西冷戦終了後においては一つの方法であると考えることができる。
第 節 制度の自由な選択の歴史の解明
人間には本能以外は自由に選択できる能力がある。ギリシャにおいてはポリスを作り、ローマ時代においてはローマ帝国を作った。後日になってマキャベリーはローマ時代の歴史について様々な政治学的な思索をめぐらした。そして現代においてもローマ時代に遡って思索をめぐらしている人も多いし、モンテスキューも「法の精神」においてローマ帝国の興亡について思索をめぐらした。日本においても政治の歴史と、政治学の歴史は古い。『職業としての政治』のなかでウェーバーがマキャベリーが『ローマ史論』のなかで述べている政治の現実等なまぬるい現実であると述べた。その後のヒットラーの政治等はたしかにその現実がいかに狂ったものとなりうるかを示した。ところが冷戦は終了してしまった。これはマクルーハンが述べた新しい時代がやってきたに違いないと思われるという主張もあり、そのような時代がやってきたのではないかと感じる程の時代の変化である。悪も善もそのどちらに傾くことも自由であった人間が善の方へ向かっているように見えるのである。アリストテレスの考えた古典的な政治学における善の考え方が、現代において政治哲学として復権したかのようにみえる。本当にレオ・シュトラスのいっているような古典的政治学における善きものという考え方が現代に復権しつつあるのだろうか。このことについてこの書は考察しなくてはならない。
左翼的感情の衰退と行動科学
自由や平等を求める心情が直接的に左翼の共産主義に結びついていたのであろうか。自由や平等を求める心情が行動科学や中道的心情からは生まれないのだろうか。
左翼的心情は貧しい人が自由や平等をもとめる時にまず発生したと主張されてきた。左翼的心情の本質はまずそこに存在するかもしれない。しかし哲学的に左翼的心情を分析して「温かい熱情と、冷たい理性」とする説においては、温かい熱情のみでは自由と平等が得られないという点に重点がおかれていたと考えられる。しかし冷たい理性が「科学的社会主義=共産主義」にのみ傾っていた傾向は次第に衰退してきた。自由と平等をもっと冷たい理性によって分析する傾向が生まれはじめたといっても過言ではない。共産主義社会においての自由を現実にみた人々はもっと冷たい理性で自由と平等をみつめなおすことを人類史上ではじめてはじめたのではなかろうか。
性善とは何か、性悪とは何か
他人はいつも自分を攻撃しているのだから、私はいつも緊張している。従っていつも他人を攻撃しなくてはならない。他人はすべて性悪なのであるから、自分もいつも性悪でなくてはならない。普通の性悪説の人を攻撃してたおしてはじめて安心することができる。人間は人間に対してオオカミであると考えることは妥当な格言であると求めるからこそ自分も攻撃するのである。この考え方は経済においても、心理学説においても、精神医学においても存在する考え方である。この考え方によれば人間は皆社会は安全な方がいいと考えているというのはウソである。人間の社会はすべて競争と攻撃のみからなりたっていて、自分はいつも負けそうである。従ってそのような悪い社会に対していつも攻撃をしかけるべきである。それは秘密で行われればよい。成功したら成功したで表に表れるのであるから、その時はそれでよい。私は攻撃する。油断している人の方が悪いのである。すべては社会が悪いから自分は攻撃するのであり、私はいつも緊張しているから、巨大な権威にすがりつける時にのみ安心するのである。もしそのような権威や権力がなくそれにすがりつけない時には、いつも安心できないから社会を攻撃するのである。
この考え方はどこか義賊の心理と似ているところがある。社会が悪いからそれを自分が巨大な権威や権力となってそれを治すのだという考え方がその根底にあるからだ。その巨大な権威や権力を求める心理は社会が悪い、他の人はいつも自分を攻撃しているという心理から発生している。あまりに過剰な人口は各人が自らの干渉されない自由をうまく発見できないという状況を生み出し、このような時には性悪説が流行する可能性がある。人々はぶつかりあいながら生活しているし、あまりにも人口が多いので人々は同じものをたくさんの人で共有しなければならないし、共有であるからこそ、私有の場合とは違って、同じもののとりあいである競争や、攻撃がおこるのである。共有であるから競争や、攻撃がないというのはウソで、逆に共有であるからこそ競争や攻撃がおこるのである。
性善説は社会が満足しきっており、安全で安心できて人々が干渉されない自由の部分を多く持っている時に発生する。すべての人々が自由で(バーリンのいう干渉されない自由を持っていて)、かつ、平等な身体上の平等性が確保されている社会である。人間が人間に対してハトである社会である。人口が減少しつつある時代には同じものを奪い合うことが少ないのでこのような状況となる可能性がある。
しかしこのような社会の傾向と、性格の傾向とは変えられないわけではなく、一般には生まれた時から、死ぬ時まで一般的性格の傾向は同じなのであるがそれが変化することもありうるし、性悪説の人はできるだけ性善説の方に移ってくことが望ましい。
自由論は平等論を完全に包含し、静的平等論を乗り越えることができるか。
自由が動的な行動を内包しているのに対して、平等は静的な状態を表している。自由は平等な状態をこわし、不平等な状態を運や能力や努力等に伴って作り上げることになる。しかし努力しない人が努力した人を嫉妬し、努力しない人も、努力した人も同じ結果を要求するとすればソ連におけるような経済の停滞をもたらすであろう。しかし能力については努力しようと思ってもできない人は、最初から自由はないのであるから、能力がない人が結果について不平等であることについては救済してやることが平等といいうるのであろうか。能力がないことによって自由がない人に対しては、それが仕事をする自由がないのであるから、その結果生きていく糧を得るとができないことになる。この人に対して努力した人と同じ給与をあげるのか、努力しなかった人と同じ給与をあげるのかという問題が発生する。平等論としては最低限の生活を保障するのは平等論といえるが、その場合努力した人と努力しなった人の中間の保障をするのかどうかという問題である。もしその人に能力があったとすれば努力したかもしれないし、努力しなかったかもしれない。従って中間程度に保障するのだという意見にも説得力があるし、逆に社会に対する貢献はなかったのであるから最低限の保障をするのだという意見にもともに説得力があるが、最も努力した人と同じだけの(社会)保障をしようという意見についてはあまり多くの人の賛同はえないかもしれない。その人が完全に努力するかどうかの確約がないからである。
ユートピアと性格の傾向
性格と政治的理論
各人各人は自分に最も最適な政治制度を作ろうと主張する。依存性の強い人は強大な政府を作ろうとする。それが政治的ユートピアと呼ばれるものである。かって昔一時期にもてはやされた政治的ロマン主義も同じようなことを述べていたと私には思われる。それが性格の傾向、つまり依存的か、独立的かによって左右されることについては誰も異存はないであろうが、このことは政治学及び政治思想論を一変させる。各人の持つ「言葉の概念の意味内容」はこのユートピアに左右され、その統語法もそれによって左右される。
このことは各人がその性格の傾向の根拠としてロールズのいう始原状態における人間がどのようであるかを、その生活環境に応じて発達的(教育的)に心理形成してきたこととどのように関係しているのであろうか。始原状態の観念形成が性格の傾向を作りその性格の傾向がユートピアの諸類型を形成するということになる。このように政治理論や、法理論のなかに含まれている各人の性格の傾向からくる人間感、人間の性格のみかたのちがい、例えば始原状態においては人間は人間に対して狼であったとみるのか、あるいは、自由で平等な平和な状態であったとみるのかのちがい、ユートピアとして語られる政治理論の様々な権利と義務の体系の違い、その他の違いは各人各人の性格の傾向の発達に起因しているとすれば、社会意識の発達は政治的なものだということができる。この場合の政治的という言葉は意見の違いがあるという意味であり、即ち、政治の属性としての「意見の違いがあること」は政治の意味内容の最初のものであるといえると私が考えるのはこのような発達新理学的な思考やみかたから考えついたものである。このような相違する意見のなかからある一つの意見を、調整や、投票や、根回しやらによって見出すことも必要になる。ここに政治が調整であるという属性がでてくることになる。ところが投票よっても同数の票があり最終的に最後に決着がつけられず、調整もつかないというということになればどうしても指導力が必要となる。この場合に知恵によって決定するのか、カリスマによって決定するのか、理性によって決定するのか、伝統によって決定するのか、力の強さによって決定するのか、金力によって決定するのか、勇気によって決定するのか、運によって決定するのか(例えばくじによって)、徳によって決定するのか、善悪によって決定するのか等の政治力の問題がでてくることになる。このように意見の違い、そして各人の性格の傾向の違いは、例えば依存心の強い人は強大な国家を求めるし、独立心の強い人は小さい国家を求めるというように、政治的ユートピアの違いにも、つまり政治理論や、政治的スタイルや、政治的方法やらに大きく関係があることになる。このような意味で性格の傾向の分析は政治及び政治学に大きな関係をもっているといえる。
政治的自由と政治的性格
フロムのいう積極的自由をもたない者は、バーリンのいう積極的自由を行使せねばならなくなる。フロムのいう積極的自由とは依存的な性格の傾向を排除した独立で、自由な人格がもっている自由を意味している。バーリンのいう積極的とは消極的自由、つまり干渉されない範囲が確定した時の自由から更に進んで、独裁者や、専制君主や、ガキ大将が他の人々の消極的自由に対する干渉に向かう時の自由の意味である。一般には依存的な人間の方が独裁者や、専制君主や、ガキ大将になり易い傾向にあると思われるので、フロムのいう積極的な自由と、バーリンのいう積極的自由とは全く反対の意味で使われているといえる。これは自由という言葉の多面性に起因したものと思われる。自由を積極的に涵養していけば、自らのうちに全的なパーソナリテイーが完成するとフロムはいっているのであり、バーリンは積極的に干渉していく自由があると主張する者のもつ自由を積極的自由と名付けたものである。フロムの場合は自由な制度のもとで与えられた自由を、干渉されないということが制度的に定められたのであるから、積極的に自らのなかに取り込んで豊かな自己を作りあげようと主張しているのであり、自由な社会における生活の仕方を主張したのに対して、バーリンの場合にはそのような自由な制度、ワイマール憲法において認められているような自由権の認められている制度そのものを求めて、政府によって干渉されない自由を求めて、政府によって干渉されない自由を範囲といて確定し、そしてそれを守らねばならない、それは積極的自由により干渉することを目的としている人々から守らねばならないといっているのである。
バーリンはそういう時、制度さえ確立されるならばイギリスにおける様に人々は自己の自由を積極的に涵養し自動的に味わうことができると考えているが、フロムはナチズムの発生してきた当時のドイツの状況を観察すると、制度的に自由であったとしても、人々が自由を味わうだけの自己を持っていない場合には自由から逃走し大きな権威の下に頼ってしまうということについて述べたのである。このことについてはハイエクが偽の個人主義と、真の個人主義について述べていることとも関係している。ドイツや、おそらく日本もであろうが、自由が制度的に与えられたとしてもそれを十分に活かすことができずに個人が大きな権威に奴隷のように隷従してしまうような道をとってしまう国がある。これは政治文化的なものがそうさせるのかもしれない。日本やドイツにおいては個人は管理的教育やらのもとで十分な自己涵養力をもたないから、すぐに大きな権威に依存しようとするのである。これは日本やドイツやイタリアはローマ法を継受した国であるという法制度から生ずる法規範が社会全体に及ぼしている影響、政治文化に及ぼしている影響であると考えられる面もあり、このことは証明することは政治学の問題であると私は思う。
そのような国においては自由は積極的に個人の内面における自己の完成に向かうのではなくて、他人の自由を干渉するという方向に積極的に向かいやすい。政治文化が法を絶対視し易く、人は法の自動機械となり易いのである。法は絶対であり、法の根本趣旨を考えることなく、文言通りに実行される。これはユダヤ人虐殺の時の執行者の行動であった。エクィティや、コモン・ローのような原理にまでいたることはほとんどない。法の実行は他人まかせである。いくら自分が法について考えても法は定まったものであり、それ以上考えても仕方がないという考え方である。ところがアメリカでは裁判の結果に反対して暴動が起こることさえある。新聞や雑誌も法について論ずるよりも、政治を演劇のように面白、おかしくあたかも神々達の笑い話であるかのようにふざけたことを書くことの方に紙面を費やし、それはあたかも兄弟姉妹の愛憎劇のようにかかれる。各政治家が何らかの独立性や、自由さえをもっているように書くことは滅多にない。
民主主義的性格の傾向
政治と教育の最終目標は、各人各人の「性格の傾向=人格」の開放化と、秘密性の除去をもって最もよしとする。各人各人がそうならなければ、デモクラシーも(民主主義も)、自由主義も、反権威主義も、最も高い政治上の徳(公徳)も、法も、政治も全く意味のない社会科学上の概念となって死んだものとなってしまう。国家主義も、全体主義も、集団主義も、独裁も、専制も、専制君主にもそのような思想が欠けていた点に問題があった。それではそれはどのような方法によって達成されるのであろうか。それは「自由の強制」、それもIam free from the other's interference and I am free to complete my own selfand I am free to become a only human being in thiswhole society.訳せば、私は他人の干渉から自由であり消極的自由を守るが、自分の自我を完成し、あらゆる社会の要求に答えうる唯一、他の人にかえがたいが、しかし、すべての能力を備えているので他の人に社会の要請があればいつでも交替しうる一人の唯一の人間になっている(フロムのいう積極的な自律的な人間になっているような人間である)ということである。ルソーのいおうとした「自由であることの強制」とは、前後のすべての文脈からすればこのようなことなのであったと私は解釈する。それはマキャベリーが残酷性がチェーザレ・ボルジアにあっては「よく使われた」ということによって誤解を招いたのと同じようにルソーの「自由であることの強制」が誤解されたことへの誤解を私が解き、彼が『エミール』においてと同様に教育においても政治においても、目標としていたことを正しく理解してあげたいという欲求から生じたものである。
それと同時にマキャベリーについての誤解も(またウッドロー・ウィルソンについての誤解も)私は解きたいと思う。マキャベリーが残酷性がチェザレ・ボルジアの場合は「よく」使われたといったのは、彼の歴史的背景及び彼の地位とそれから生ずる経済的なものから仕方なかったのである。彼はそういうことによってしか生きる道はなかった。彼は残酷性を批判したかったのであるが失職という事態はそれを許さなかったのである。本当は残酷性の生じてくる性格の傾向(人格)について分析したかったのであるがそれを彼の立場は許さなかったと解釈する。残酷性と恐怖政治における指導者の恐怖性について彼は分析したかったのであろうと私は推測するのでる。彼はそのような性格を治したいと思った、平和を望む人間であったと思う。(それはW・ウィルソンについてもそう思う)彼らは将来のことを考えていた。政治学的に、社会科学的にすべての人の性格がオープンになり、開かれた社会になることを、本当に心の底から望んでいたと私はその書物を読んで感ずる。ところが、マキャベリーが死んでから、何億人の人が戦争等政治的理由により死んだであろうか、W・ウィルソンが死んでから何人の人が戦争により死んだであろうか、彼らはそれを予言して、それらを防止しようとしたのであると解釈する。それらの事が彼らの本の中に切々と私は読み取れる。反マキャベリー論や、反W・ウィルソン論はそのような現実と自己と人間をみつめきれなかった人々の「道徳によるカモフラージュの本」ではなかったのだろうか。それらの人々の現実の生活、その残酷な、他人に対する残酷な生活がそれらをあらわに示している。人間は本来はマキャベリーやW・ウィルソンが心の底では考えていたであろうように性善であるのに、どのような理由で性悪になったのであろうか。その点についてはマルクスや、フロイトやらと、マキャベリーや、W・ウィルソンの考え方は一致している。それは物の所有や、物の奪い合いやらによってである。しかし、そのことを認識した上でも、マキャベリーや、W・ウィルソンはフロイトや、マルクスのように共産主義や、精神主義によって所有や自由を否定することはなく、所有や自由を認めながら、平等と平和を模索していった。その理由はフロムのいう個人の自由と独立と職業化(社会における役割化)を重視したからであったと私は考える。このオープンさと、独立性と自己の確立こそ、社会の、そして政治と教育の真の目的であり、人間学、人間の精神科学の真の目的であると私は思うし、性格学や人格学の結論も自由論の結論もそこにあると私は思うのである。
ポパーの「開かれた社会とその敵」の議論も、共産主義の現実の過程も、共産主義の崩壊の過程も、民主主義論も、デューイのプラグマティズムも、「歴史の終わり」についてのフランシス・フクヤマの議論も「自由からの逃走」の議論も、「二つの自由」の議論も、「二つの個人主義の議論」(ハイエク)も、二つの民主主義に関するシュンペーターの議論も、社会精神医学の議論も、反精神医学の議論も、ロジャースの自由な教育の議論も本質的にはそこにいきつくのであると思われる。未来はそうなれば、各人各人が明るい未来を考え、オプティミスティックに行動し、考えて行くであろうから明るいのである。「ペシミスティック=メランコリー」の思想はその構造こそ明白にされ、オプティミスティックに代わり、未来を現在と過去の上に築き、これまでの戦争と死刑の、また自殺や切腹の歴史から解き放つべきである時代となったのである。そのためには一つ一つの人間関係の相互(間)主観性の上にある、そのことを越えた科学的といえる「人間関係=社会」のみかたをもう一度考えなおしてみる必要が、自然科学の純粋な発達以上に、それを乗り越えるためにも、社会科学にとっては必要な時代が、東西冷戦後、ついにやってきたのであると私は思う。
自由であることを強制したり、独立的であることを強制する者に対しては依存と被依存の人間関係なかに自らを埋めている人々は依存関係から引き離されるために、そしてそれが痛みを伴うために、強い反発をする。依存させている者も依存している者がいなくなることは対象を失うという悲しみと痛みが発生する。またそれまで依存していた者は自由で独立した存在になるように強制されるのであるから、依存する対象、例えば兄姉とか、政治にあっては大きな政府とか、を失うのであるから大きな痛みが発生する。その痛みは自分を依存させてくれる他人の自我はよい自我であるが、自分を依存させてくれない他人の独立した自我は悪い自我であるといわせる。更に依存している自我に対して自由を強制するような自我は分裂した自我であるといわしめる。自由を強制しようとすることなど依存している自我にとっては分裂した自我であるということになる。自分を依存させくれる他人のよい自我と、自分を依存させくれない他人の独立した自我で、自分を独立させようとする自我とが分裂したのだというのである。しかしそれは全く違いそれは依存から見たものさしのみで計っている。逆に独立している人から依存した人をみれば、依存したいという自我と、独立できるという自我との分裂を観察することができる。依存している人から見ると、自分の面倒をみてくれなくなることが精神の分裂であるということになる。しかしそれは彼の世界でのみ起こっている精神現象であり、独立した人には起こっているのではない。彼の世界がこわれるのである。この両者を全体からみると、依存している彼の世界がこわれるのであり、自由で独立した人で自由を強制しようとしている人は依存しようとしているのではないから、その人の自我はこわれてはいないのである。しかし依存しようとしている人からみれば自由で独立しようとしている人、依存させてくれない人の自我はこわれていることになるのである。
人間関係のなかにおける自由は干渉されないということである。他の人に無用に干渉されないということである。人間が互いに殺し合いをしないようにするためには、人間が人間に対して狼であるとすれば社会契約によってすべての人が銃を棄てることで平和を達成するか、人間が人間に対して狼ではなくてハトであるように人間の心を矯正しなくてはならなくなるであろう。前者は干渉を伴うが後者は矯正という教育を伴っており幾分かは干渉の要素が伴っている。人間が人間に対してハトであることが、生まれた時から死ぬまで人間の本性であれば何の苦労も存在しない。干渉もする必要はない。人間が人間に対してハトであればすべての人が銃を持っている状態の国(アメリカがそうであるというのではないが、一部の普通の人が銃を持っているが)であっても人は殺し合いはしないであろう。アメリカ人が自由を主張し銃を持ち続けるとすればアメリカ人はアメリカ人に対してハトにならねばならぬことになる。
人間が人間に干渉されないことを意味する消極的自由を主張することは、人間が人間に対して狼であることをやめさせることを干渉であるととらえるならば妙な結論を生み出すことになり、積極的自由に対する防波堤にはなっても積極的自由が人間の人間に対する狼、攻撃となった時にはその防波堤を破ったことや、破った者に対する反撃力(この場合は銃)を公的暴力的手段である警察やら以外には全くもたないことになる。勿論積極的自由に常に反撃すべきであると主張する人は少ないであろうが、防波堤ではなくてそれを押し返す力を備えた自衛の力を持つべきであるという人もいるであろう。その自衛の力は銃を取り去るような物理的な力ではなくて、人間を狼からハトにするような知的な力を含むものである。
社会的自由のほかに心理学的自由や、潜在的自由のあることを主張したベイの主張は、バーリンの主張した二つの自由の概念、積極的自由と消極自由ほどには一般的に普及はしなかったし、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」程には一般的な影響を与えなかった。しかし自由からの逃走やらが起こった理由をフロム流に解釈するのではなくて、ベイ流に社会心理学やらを取り入れて解釈しようとした点で意義を有する。フロムが社会学的であり、バーリンが政治学的であったといえそれなりに注目されたが、ベイの社会心理学的な心理的自由や、潜在的自由の議論はその著『自由の構造』の大部分を占めているが、政治哲学者からも、社会学者からも興味をもたれることが少なかったが、一方では政治と自由との関連が政治学においてあまり重要なこととして討議されてこなかったゆえに政治学においても興味をもたれることが少なかったといえるだけなのかもしれない。ベイの議論のようにハリー・スタック・サリバンやその他の多くの人々の著作と学説とを自由との関連で政治学のなかで述べることは、ハロルド・ラズウェルが『政治と精神医学』や、政治権力と人間の性格論である『権力と人間』のなかで追及したテーマの延長線上にあると思われるが、それが心理学的自由として自由論それも政治と自由との関連で述べられているところにベイの理論の特質がある。このような議論はそれまでなされていなかったことであり、幼児期や、「共産主義に対するノイローゼ的な感受性」、「権威主義的パーソナテイ」、「不安を非現実的な危機感と規定し」た研究等は新しい研究であったが政治学がそれまで認めていた一般的な研究ではなかった。
第 節 積極的に何を行えばよいのであろうか
積極的に他人の所有に干渉すべきであろうか
積極的に自分の所有の範囲を干渉されないようにして、自分の能力を高めるべきであろうか
ポジティブpositiveは、積極的な、フロムにとっては制度上与えられた自由を肯定し、積極的に自らのものとなすという意味であり、ネガティブnegative な自由とは制度上与えられた自由を否定し消極的に他の権威に依存し自由を捨て去るという意味である。バーリンにとってのポジティブな自由とは、同じく自由を積極的に肯定しているのではあるが、指図したり、命令したりする外部に対する自由である。フロムの積極的自由は主に自己の内部に対するものであるが、それが他人の自我も建設的になるべきであると主張していると考えるならば、それは、バーリンの積極的自由のように他人に自由になれと指揮命令する時の積極的な自由になりうる。そうだとすればバーリンの積極的自由とフロムの積極的自由との主な相違は、パーソナリティが完成しているのか、統一的なパーソナリティが形成されているかどうかという点にあると思われる。バーリンの積極自由における「真の自由」は自己が完成していない依存的な人の積極的自由であり、フロムのいう積極的自由における自由は、「全体的で統一されたパーソナリティ(total,integratedpersonality)(Fromm,Erich,escape from freedom,p258 )」の自発的な活動を促す時の自由である。そうであるならばこの二つの相違はパーソナリティーを研究することなしには理解できないことになり、同じく積極的に指揮、命令し他人に干渉するようあたってもパーソナリティの違いによりバーリンの意味の積極的自由にもなり、フロムの意味での積極的自由にもなる。依存している人は依存されている人に積極的干渉をしなくては依存ができないという真実の命題から発生する真理からいえることである。
パーソナリティは人格とも訳されるがここでは性格の傾向と訳し、そのなかで最も重要で他のすべての性格の傾向を包含し尽くす一つの傾向として、依存性、独立性の軸をとりあげその仮説を証明することとする。
この性格の傾向は政治学においてとりあげないでよいのでろうか。バーリンが政治的な事象をこの分析をしないで説明しようとしたら、バーリンが自ら述べている積極的自由とフロムが述べている積極的自由との区別がつかなくなってしまうのではなかろうか。積極的自由を哲学的に取り上げているのみであってそれにはパーソナリティの違い等は全く関係のない抽象的なものであると弁明したとしても、それではフロムのいうような積極的自由が全社会にいきわたるように干渉され、指揮、命令された場合には積極的自由と呼ぶのかと指摘された場合、それは消極的自由の積極的な行使とでも呼ぶことになるのだろうか。このような言葉の概念上の混乱を避けるためにもこのような軸は必要であると考えられる。
ルソーのいう「自由であることを強制する」というこの積極的自由の解釈にも、パーソナリティによって二つの違った解釈をすることができる。自由から逃走したファシズムやナチズムのような全体主義国家における積極的自由はまさにバーリンのいう積極的自由であり、それは「真の」自由の強制と名付けるにふさわしいが、フロムのいう積極的自由の強制は統一した完成した自我による自由の強制であり「真の」自由ではない普通の自由の強制でありそれはデモクラシーや自由主義的な開かれた社会に通ずる自由の強制である。
自由論の現状
自由というのは単なる一つの単語である。この単語が人間にとって大きな意味を持つのであるとすれば、政治と同じように深く研究をするならば自由学というものが形成されうることになる。政治は深く研究されることによって政治学が形成されたが自由はまだ自由論という段階にとどまっている。しかし自由は社会心理学における自由論(その代表者はエーリッヒ・フロムである)や、政治学における自由論(その代表者はバーリンやミル)や、哲学における自由論(その代表者はシェリング、哲学における自由論の場合は自由意志論と呼ばれている)、経済学における自由論(その代表者は、自由放任論のアダム・スミス、現代はハイエクとフリードマン、この場合は選択の自由論と呼ばれている)、社会学における自由論(その代表者はまだでてきていない)、文化人類学における自由論(その代表者はまだ表れていない)、精神医学における自由論(その代表者はサリバンやフロムであると思われるが、まだフロイトの影響が強く、認知されていない)、教育学における自由論(その代表者は表れてない)、法学における自由論(その代表者はまだ表れていない)、宗教学における自由論(その代表者はカルバンであると思われるが、それ以後体系的なものは表れていない)等々として幅広く研究されている。政治的自由は自由の意味のうちの一つである、自由フリーになること、リベレーション、解放されることというものと密接に関係した形で表れた。マキャベリーにおいても専制君主や独裁から自由になり、都市の自由な空気にふれることが自由という意味であったし、クリスチャン・ベイの自由は解放という意味と深く結びついていた。また、バーリンの消極的自由は積極的自由から解放されること、積極的自由に干渉されたくないことを大きな内容として含んでいた。それは積極的自由から解放されることを望んでかかれたものであるということができる。それはバーリンの生い立ちを見てもわかることである。フロムの自由もナチズムからの解放を、その生い立ちからして、目的としていたことは政治的な意味を持つものであった。しかし同じくユダヤ人であったフロイトが自由という言葉を正しく使わなかったのはその精神的な欠陥に起因していたと考えられると私は思う。平等について書いた人も自由という言葉を一度も書かない場合があり得る。ある人の『平等』という本のなかには自由という言葉は一度も出てこなかった。これはしかしまたフロイト同様に片手落ちであると私は考える。自由を可能にする資源には平等権について考える余地があるからである。
私は自由論はすべての学問において、自然科学、人文科学、社会科学、人間科学、文化科学を通じて、最も重要な位置をしめていると考えている。それらはすべて人間について考察するものとなるからである。医学も人間について考察するのであるから、この自由論を抜きにしては考えることはできない。性格の類型論や、傾向論、精神医学を研究するについてこの「自由論」からはいらねばならないと私が考える理由は、人間を研究するのだというその一点の真実から起因している。
これまで我々は、フランス革命前の議会における左翼(平等派リベラル派。この場合のリバティは、社会を人間の意思によって自由にかえようというリベラルである)と右翼(おそらく自由派と呼んでよいであろう、この場合の自由は所有権の自由性を求めるという意味の自由である)との対立や、サッチャーの自由化や、ロールズの三原則や、ドゥウォーキンの平等論や、ノージックの干渉されないという消極的自由を尊重する主義の自由論(ミルから、バーリンに到り、そしてノージックに到るところの)等様々な自由論と平等論をみてきたし、それらをまとめようとして第二次世界大戦である論文を書いたオトフリート・ヘッフェや、ハートや、ノーマン・バーリーの意見をも参考にしながら自由と平等とに関して多くのことを考えてきたし、ホッブスや、ロックの自然状態(おそらく、これは紀元前二千年くらいの人々が、遠くに離れて住んでいて狩をしていた時代を思い浮かべて、それを自然といっているのかもしれないが)や、始原状態論(おそらく、これは人間が生まれた時には平等な条件で生まれたのではないということをいっているのだろうと思われる)やらをも考えのなかに入れてきた。
私はヘッフェのようにこれらを整理して教科書を作ろうというのではない。現実の政治との関連性を重視して、それらがいかにしたら現実の政治に活かされるのか、現実的でありうるかについて考察し、かつ、人間の実際の行動に役に立つのかについて述べたいのである。そのためには制度の特性論について、また、人間の性格の傾向について、また、それら相互の間の関係である人間の政治的(選択の自由による社会的)行動について、この三つについてのべなくてはならないと思っている。特に行動については自由がなくては存在しえない。つまり、能力や、資源(資金や空間)や,内心の心理的自由や、社会的自由(これは社会的自由権があると共に、それが生むであろう違反に対する罰則を恐れない心理的自由の双方を兼ね備えた時に生ずる自由をここで便宜的に社会的自由は存在しえない。「〜する自由」という選択の自由は人間の本質であると同時に、人間の行動の本質そのものである。内心はこう思っていても、外的な行動ではこうとは違った「あれ」をやっているということは外的な行動のみが選択の自由によって得られる行動の結果を社会的にうみだすのであり、思っていても行動に出さなかったり、思っていることと違った行動をするのであれば、例えば思っていることはよくても、行動は悪いことをしているというのであれば、アメリカのロックフェラー財団の「行動科学」こそは正しく、唯一なのだという理論に油をそそぐことになりかねない。つまりこの理由は思っていることは(内心は)経済のことのみなのに、やっていることは、いっていることはそれとは正反対の道徳のみであるという場合に生じる矛盾が大層多い。マルクスや、フロイトの理論等を排斥するために、その反対物として考えられたもんであり、思っていること(経済)といっていることとが全く違うケースをネグレクトするために考えられた理論であると実際はいえるのである。しかし行動主義のみよりも、行動に到る思考の家庭の多い人(義賊のような人)と、単純に正直に考える人との行動の差ということを研究することの方がより実りが多く、それは性格の傾向の議論(学問)になるとともに、行動のパターンの研究にもなり、「我思うゆえに我あり」という行動主義とは正反対の考え方にも、反対論を提示できることにもなるのである。更に我々は功利主義における効用(ユーティリティ)に対してそれが合計出来ない場合はないのかという議論にも到達する。ある人は貧しいけれど、法的には多くの自由を与えられているのであるから、資源を必要とする自由、金で物を買う自由はほとんどないけれども、形式的には多くのことを考える自由があるのだから、大金持ちで資金で替える次湯を莫大にもっている人と、自由の総量や、幸福の総量はんまったく同じであるとか、いくら少ないとかいう議論ができるのであろうか。もしこれができないとすれば功利主義は平等や、効用や、その後の限界効用の議論やらにほとんど影響力を持たないように思われるし、最大多数の最大幸福の議論もあまり意味がなくなることになる。また足るを知れば、内心の自由はふえるのだからすべては相対的なものさという議論も、知足派にとっては有効な議論ではあっても「自由論」においてバーリンが述べるように、効用学派や、人間関係にはあまり影響を及ぼさず、出家して山の中にこもるようなものだということになる。また自由は、能力のない人には形式的自由はあっても、実質的自由はないのであるから能力のある人よりも少ない分(給与や、結果やら)を能力のない人に補えという議論も、能力を自由に発揮するように努力すればいいではないかというフロムの積極的自由等によって論破されやすい。このように考えていくて平等を自由の一部分としてその自由を全体として平等化していこうという議論が生まれ手佝僂。「平等な自由」という本があり、その概念は形式的な自由が法的に形式的に与えられるというだけでは不十分であり、自由の本質である選択の自由を、自由の構成要素である資源や、内心の依存性や独立性や、能力やらとともに一緒にして考えることが必要で、そのためには政治的な完全雇用の達成による機会の均等の確保や、その他の平等化(男尊女卑から男女平等へ到る平等化も含まれる)が必要であり、その結果自由が増大するのだということが理解できるようになるのである。
自由の本質から
自由の本質が本能(性欲、食欲、生活欲等、これらは生の本能と私は一括して概念化したい)以外のすべての選択の自由であり、そのうちの百兆分の一の確率でマルクスや、フロイトの理論である(そのような人間社会が成立することはあり得る)としても、一般的な約七割程度の正しい確率は何であろうかを探究するのが政治による選択の自由の行使である。この自由の本質から説明すればドイツのヘーゲルの歴史の流れの見方による「歴史は自由の増大である」という考え方も、自由を制約し、妨害する様々なものが少なくなってきていることを説明しようとしたのだとも解釈できるし、アリストテレスが共有が様々な困難に出会い、私有の方が都合がよいという考え方も、各人各人が私有により自由を行使する能力が増えてくるのだといっているのだと解釈ができる場合もある。また東西冷戦終了後において選択の自由が多くの国で認められるようになったのは、各国各国の国民が自らで自らのものを使用するだけの能力を持つようになったので、選択の自由を国民にまかせても不安ではなくなったからだと解釈することができる。これを国民の側から説明すると、国民は政府が選択していた部分についてそれが自らの選択の自由をおかしているというように感じ、それを障害や妨害であると感じるようになったから、その障害や妨害を排除する行動によって選択の自由を獲得したのだということになる。そうすることができるようになったのは、フロムのいう積極的自由を国民が自らのうちに涵養し、自由を味わえる能力をみにつけたので政府も選択の自由を国民にまかせたとしても、国や社会の秩序が不安定になるという心配を捨てたからだったのかもしれないし、国民が自信をつけてそのような自由を要求したのかもしれない。そして国民がそのような能力を身につけた理由は、歴史的にはマーシャル・マクルーハンのいったようにメディア革命があったからかもしれない。メディア革命によって国民は教育的マス・コミから政治的、経済的情報(一部は商品のコマーシャルも含む)を得ることによって十分に政治的、経済的選択の自由を行使するだけの能力を涵養されて、権威主義に依存することによる自由からの逃走をおこさなくなったというようにも解釈できる。東西冷戦の終結をこのようなメディア革命によって説明する人もいるし、私は依存性による秘密性をこのようなマス・メディアのオープン性が打ち破り、オープンな政治、経済、社会を作り上げたのだと解釈したい。
自由の本質を選択の可能性の方に見出し、それを制約していた様々な妨害や障害である法や制度が「国民の自由を享受できる能力の進歩=フロムのいう積極的自由の国民のなかにおける進歩発展」によって、少しずつ国民の側に移されて、政府が規制し、制限するものを少なくし、国民の選択の自由を増大させるようになっているのだと解釈すれば、ヘーゲルの自由の増大の理論も、アリストテレスの共有主義の批判も、そして現実の東西冷戦の終結という選択の自由の増大も、それは現実には共産主義社会や、全体主義社会や、集団主義の終わりとして表れたが、すべて選択の自由の増大として説明できるのではなかろうかと主張すれば、それはマルクスが資本所有主義は所有を放棄して、共産主義社会に向かうというのを反対にした歴史主義として、マルクスの唯物論的歴史主義の反対物として、後世の歴史家や、政治理論家から排斥されるかもしれない。しかし歴史の認識において経済的因果関係のみを重視して人間の自由は存在しないという平等原則のみを重視したマルクスとは違い、人間の本性としての本能以外の部分の「選択の自由」を尊重しているという点においてこの理論は、マルクスの理論とは正反対の人間的な顔をした歴史主義である。確かにマス・メディアが発達し、更にコンピューターが発達しすべての個人の手にコンピューターが配置されるようになった現代の更なるメディア革命の時代においても、ナポレオンや、ヒットラーの因果関係による歴史でも、マキャベリーが『ヒエロ』について述べた歴史の因果性ではなくても、何らかの事件の因果性は存在したり、あるいは、人間があまりに人口が多くなりすぎて、経済的に貧しくなりすぎて戦争をおこしたり、依存性の強い性格をもったりするというような因果関係が成立し、共有がその不都合により私有や所有の大切さを見直されることに反対したり、各人の所有の持分が減ったりすることがあるかもしれない。しかしそのように人口が多くなることを人間の選択の自由が察知し、人口を多くなさないことが人間にとって最適の社会だと考え、妊娠調節の方法等を考察して、個人の自らの自由な選択によってそのようなことがおこらないように、つまり所有や私有やその他のバーリンのいう消極的自由を増大させる方向に、つまり自らの選択の自由を増大させる方向に向かうように個人個人が選択の自由を行使するかもしれない。これこそ私の歴史に関するオプティミズムである。
いずれにせよ依存的な人間が巨大な権威を作り上げ、歴史を自らのペシミスティック方向に(その様な性格の傾向に)向かわしめるのだけは、人類の破滅につながるという認識が行われるならば、個人の干渉されない自由の増大と、フロムのいう個人の積極的自由の方を、その正反対の主張よりも人間は推奨し、選択することであろう。
自由と平等の対立から調和へ
仕事が平等に配られていなければ、人々は仕事をすることができないであろう。仕事から得られる収入がどのようなものであろうとも、仕事そのものが存在しなければどうすることもできない。資源が存在しなければ自由は存在しない。平等な資源が確保され、平等に自由画存在すればよいという政治的主張は自由と平等を調和させることに成功するのであろうか。資源の平等性を求めることは自由の終わり、ケインズが一九二六年にロンドンのウルフ社から出版した「自由放任の終わり」や、ローウィの「自由主義の終焉」のなかで示されたような自由にいたるのか、あるいは、共産主義社会における自由にいたるのであろうか。
自由と平等から博愛にまでいたる方法
自由と平等を調和させるために国や、社会や、法や、政治が必要になってくる。しかしそれらが残虐や、恐怖によるものであってはならない。残虐心や、恐怖心の多い人が国や法を考えると残虐や恐怖による国や法ができあがらねばならないという帰結がその人の心の中だけでは論理的に生まれてくる。社会契約や、一般意志や、政府の考え方は各人の性格によって違った論理の構成になるし、それらへの統一的な一般的な国家や、政治は必要ではないというアナーキーや、反政治の考え方はどこにでもころがっている。犬も歩けば棒にあたる位の多さである。ある意味ではこれが棄権の数の一部を占めていると私は推測している。
第 三 章 自 由 論 の 諸 説 の 論 評
自由ということばの政治的な含意は様々な人、様々な国、様々な歴史の政治的経験から生じてきたものであって様々である。(オークショット、四五頁。)J・S・ミルによれば、自由とは政治的支配者たちの専制から身を守ることを意味していた。(ミル、二一五頁。)自己の権利を守るためには個人は闘争をしなければならない。その闘争は最初の段階は個人の利益を増すために行われているのであるが、法の理念としての人間の生存権と人間の権利のためにという正義の理念の実現のための闘争に変化する。(イェーリンク、一〇四頁。)専制から自由を守るということは闘争でもあった。人間の歴史では支配者と民衆が敵対していることのほうが多かった。ギリシアにおいて真に民主的な政府と想定されている政府の場合があればその場合のみ例外的に敵対していないと考えられたが、このような例は理念的なものであり、現実には存在しなかったとも考えられる。ということは専制から個人の自由を守るという意味の自由は歴史が始まって以来一度も中断されることなく現在まで続いてきているものと思われる。
もっとも、自由には、「意志は自由であるか」という設問が古くから課せられている。人間はある条件(環境)の下である行動をすること、ある選択をすることが予言できるかという設問である。この設問については素朴に「予言できるような事柄もあれば、予言できない事柄もある」という見方をとりたい。(M・クランストン、一六九〜一七八頁。)つまり原因と結果の関係によって「決定される」事柄もあれば「決定されない」事柄もある。「決定される」事柄が社会科学的にどのような事柄であり、「決定されない」事柄が社会科学的にどのような事柄なのかは今後の研究課題である。極端な決定論者はすべての社会的な事柄が因果関係によって決定されているのであるから、人間の意志に自由はないと論ずる。例えば人間の行動はすべて経済によっているのであるから、経済によって説明がつくと考えることを経済決定論と呼ぶことにすれば、すべての犯罪行動は経済が原因であったのであるから経済的に裕福にしてやっていればその犯罪はおこっていなかったことになる。一方経済的にどんなに貧しくても自分の自由意志によって努力して犯罪をおこさないように努力していれば、犯罪という行動をおこさないのであるから、犯罪をおこすこともおこさないことも自由であったのであり、自由意志があったことになるという論を展開することができる。これは自由意思論ということになる。社会科学的には更に複雑であり、貧しくても自由意思と努力によって富裕になる機会が社会的に均等に与えられていれば、貧乏な人であっても機会をよく利用して富裕になって犯罪を犯さなかったことが分かった場合経済決定論者であっても、貧しさと犯罪の間に決定論を適用したくても適用できなくなる場合がある。この場合決定論者は決定論を捨てるのであろうか、そうではなくて決定論を維持するのであろうか。この点が現在共産主義社会の崩壊のあとで唯物論者はどのように考えているのであろうか。
これについては極端な経済決定論を維持しながら、経済的に先に富裕になることが必要でそれまでは自由意思はないという経済先決論という考え方がある。この考え方によれば裕福になるまでは先に自由は否定される。しかしこれは性格の傾向としての依存性によるものであると私は考えている。
しかし、決定論よりも自由意思論をとることの方が人間を理解する場合には自然であると考えられる。その理由は、決定論よりも意思自由論の方が独断的ではないからである(クランストン、一七八頁。)。
政治的支配者たちの専制というものから解放されることが自由の意味であった歴史的背景は現代に近づくにつれて、政治的独裁者達から解放され、集団主義から解放され、サンディァリズムなどから解放されることが自由の意味となった。この自由の変化には歴史的な背景の変化があった。現代の自由主義社会には集団主義とサンディカリズムの二つの敵があるとオークショットはいい、この二つは自由社会の敵でありながらお互いに反発しあって、お互いに排除しあっている。自由主義者としてのオークショットにとってこれら二つが自由社会の敵であることは、広く知られて常識であるとされる。コレクティビィズム(collectivism)集団主義は、管理主義、共産主義、国家社会主義、社会主義、経済民主主義、中央計画主義というように様々な呼びかたがあるし、全体主義や帝国主義やらもこのうち含める考え方もあろう。個人の考えよりも集団全体の意向を優先するという意味で、これらを総称して集団主義と呼ぶことは、妥当であろうか。collectコレクトという単語一つのなかに集約されるべき社会的事象の本質については様々な綿密な分析が必要であるが、ここでは感情的でないという理由で(オークショット五六〜五七頁。)、また、便宜上も集団主義と訳してコレクティビィズムということばを用いて分析することとする。また全体主義的独裁を伴った場合には集団主義というよりも全体主義とよぶほうが適切であろう。集団主義と、全体主義の関係については明確な区別はもうけない。これらの現代集団主義、全体主義、独裁の概念と自由の概念については別に研究する。オークショットは集団主義論について集団主義は自由を愛することが源となって生まれるのではなくて、自由のかわりに戦争を愛することが真実の源となっており、自由を愛するということはカモフラージュにしかすぎないといっているように思われる。(オークショット、五九頁。)「集団主義は、現代の社会で現代人の自由の障害となっている様々な事象だと思われている事象を取り除いてやる、と熱心に主張している」のだから、極端な「逆説」であるとオークショットは述べている。(オークショット、五九頁。)結局現代世界では集団主義は、不完全競争から生じる不完全な自由を救済すると主張するのであるが、自由を殺してしまうことで救済しようというのである。集団主義社会には自由は存在しない。自由を愛することを忘れている場合、自由社会は集団社会に転換される。自由を愛する文化と伝統を持つ社会であってもである。(オークショット、五六〜五七頁。)自由を愛することを忘れることは、自由から逃避することと同じである。自由であることは他人に依存して幸福でありたいという誘惑をはねのけることである。ここに依存という概念が存在する。
他人に依存して幸福であり続けようとする(ポパー、一九五頁。)ということは、土居健郎が「『この甘えの心理は、人間に本来つきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすることである』、というふうに定義しました。」(土居健郎他、十頁。)と談ずる時の「甘え」と相通じるものがある。日本においては父権社会であり、甘えが母親に対するもののみであるとする土居の見解は実際とは全く相違していると私は考えるのである。しかし甘える人がいれば、必ず甘えられる人がはずである。「甘え」、「甘えられる」の関係については、日本においても世界中どこにでも見られるものと考えられるので、これを「依存」と「被依存」という東西の両文明に共通することばによって解明していくことが妥当であると考える。そのうえで特殊な例として日本の「甘え」について考察すべきではなかろうかと考えられる。まず一般について研究し、次に特殊にいたるという方法をこの場合はとることにする。なぜならば自由は人間一般に関わる事象であるからである。「甘え」に関する土居健郎の定義は、社会全般の依存現象における依存の定義にある程度共通する真理を持っているとも考えられる。私は反対であるが。それゆえに「甘え」という概念が外国人にも受け入れられる余地があったのであろう。しかしこれは一部の精神医学の分野にのみであって、社会科学の分野においてではなかった。社会科学においては更に精緻な研究が必要であろう。それはラズウェルの社会的精神医学の立場からや、エーリッヒ・フロムの権威主義の精神医学の分析の立場その他の立場からの密接な協力が是非必要であると考えられる。筆者としては土居健郎の精神医学は、社会科学的な文化論の一面を取り入れたものであるので、社会科学への展開の萌芽や、方策を含んだものだととらている。したがってそれを依存性と一般化すれば、社会的精神医学の出発点となる程に重要なものである。自由を強制するということが、「甘え」の心理の場合と同様に分離の事実を否定している状態から人を、分離させ、分離の痛みを止揚している人を分離させ分離の痛みを味あわせるものであるとするならば、自由の強制は分離の痛みを味あわせることになる。社会的な事象としてこのことをみるならば非常に重要な視点となる。この痛みを社会はどう取り扱えばよいのか等の問題が生じるのである。現在のアメリカの社会保障からの独立、自立のクリントンの政策はどのように解決されれば良いのであろうかというような問題が含まれている。「自由を強制する」(ルソー、頁。)ということばが、フランス革命などにたいしてもそれ以後も様々な反応を呼び起こしたのはこのような痛みを伴うと同時に、「個性を積極的に実現する可能性をもつこと」をも必要としたからであろう。(フロム、四六頁。)個性の実現なくしては自由からの恐るべき逃走が起こることとなった。(フロム、四六頁。)逃走は自由に対する完全な無関心を生む。自由になり、痛みを伴うような状況が当時のナチスドイツが政権を奪取する前のドイツにはあったと考えられる。痛みから人は逃げるものである。そのような性格を人間は傾向として持っているからである。ワイマール体制下のドイツでは「あらゆる絆から自由である」という状態であったのに「個性を積極的に実現」できなかったのである。個性が実現されていない人々を結合した絆がナチスドイツのファシズムであり全体主義の典型であった。フロムがこの全体主義を分析する道具としたものは権威主義という概念であった。権威主義をなくすことによりデモクラシーや、自由が現実化すると考えた。デモクラシーは個人の自我を積極的にすることができ、自我を実現させることができる。(フロム、三〇二頁。)そして「自由を実現」できるのである。(フロム、二九九頁。)デモクラシーこそ自由に対する信仰を人間に伝えていくことができると考えた。(フロム、三〇三頁。)
自由からの逃走した人々に対して「自由を強制」することは痛みを伴う。自由を愛する人々は暴力革命による一党独裁化であったロシア革命や、ドイツのナチスの一党独裁化によって血を流させられたのとは違い、「自由の強制」は痛みを伴うにもかかわらず、心理的なものであり、暴力革命が血を伴うのとは全く逆に「自由の強制」は血を伴わないものである。しかし、依存と被依存との関係にある人々に対する「自由の強制」は血は伴わないが、精神的な、心理的な痛みによる抵抗は最も激しいものがあるだろう。
現代においては完全なる自由主義は姿を消した。それはカルテル・トラスト・コンチェルン等の独占が自由を脅かした時代、ウッドロー・ウィルソンがアメリカにおいて「新しい自由主義」をかかげて大統領に当選した時代から始まったのであった。その時代は革新主義の時代といわれている。
「不完全な自由を救済する」ために、「自由を殺してしまって」「不完全な自由を救済しようとした」のが集団主義だとオークショットはいう。この不完全な自由は不完全な競争から生じたのだともいう。(オークショット、五九頁。)不完全な競争であるカルテル・トラスト等に対して集団主義を主張するのはこのウッドロー・ウィルソンの時代にもいた。集団主義の性格が次第に明らかになりつつあった時、トクヴィル、ブルクハルト、アクトン等の学者が指摘していた事態は、自由を愛さなくなった時には集団主義があらわれるであろうということであったから、以前から見出されていたことであり、新しい発見ではなく、現代集団主義の性格はすでに研究されていた。(オークショット、五六〜五七頁。)集団主義について研究したポッパーが「プラトンの呪縛」という言葉を使ったのは集団主義は古典古代からのものであったことを示そうとしたものであった。しかしアメリカにおいて「自由主義の終焉」が本格的におこったのは一九三〇年代からであると、セオドア・ロウィは指摘する。ウッドロー・ウィルソンが『議会政治』のなかで描写した議会主導型政府は、第一に政府の活動が一九三〇年代よりも重要でなかったゆえに、第二に政府が単に民間活動と同じく経済性を追及する目的のために存在したにすぎなかったという理由のために、存在理由があったのである。(ロウィ、一四四頁。)それならば、現在のように小さな政府がアメリカにおいて民主党、共和党、第三党の三党において主張され、一方でニュージーランドにおいて運輸省が百名以下の規模にまで行政改革して縮小される時代には、議会主導型政府が可能になる時代が、冷戦後の一九九六年においては到来したのだろうか。
ロウィは「自由主義の終焉」は一九三〇年代におこったルーズベルトによるニューディール革命による政府の機能の変化として本格的に始まったものであり、これをアメリカの第二次共和制と名付けている。第二共和制とは一七八七年以来のアメリカにおける伝統的な共和制を第一共和制としたものであり、それとの区別において第二と名付けたものである。(ロウィ、三七九頁。)これは一九二九年に始まる世界大恐慌を境にしているもので、一九二九年恐慌がいかに政治に対しても多くの影響を与えたかが理解できる。
自由がけっして絶対不可侵なものではないことは当然であろう。絶対的で完全な自由がないのはここで改めていうまでもない。しかし自由に対する制限があまりにも多く危機的な状況に陥っているのが現代の状況であり、自由に対する制限(日本で現在いわれている政府による規制等)を緩和していくことが今日緊急に必要であり、自由に対する制限(規制)を増やしていくことは逆であるとフリードマンらはいう。(フリードマン夫妻、一一四頁。)フリードマン夫妻は、この理由として、一九二九年大恐慌は、民間企業部門の失敗によって起こったのではなくて、政府の責任領域の部門において政府部門の過失によって、もともとおこった恐慌なのであったから、自由に対する制限(規制)を強化する等もってのほかだという見解を示している。(フリードマン夫妻、一一六頁。)
「自由主義の終焉」を主張する当時の民主党は、民間企業部門におけるバブルの発生と、バブルの崩壊のみに大恐慌の原因は帰せられると考えていたので、アメリカにおいては次の三つの政治的選択が行われた。
(一)第一の政策は、大規模な裁量的な経済行政をできる限り廃止することであり、
(二)第二の政策は、一般に自動安定化装置と呼ばれる裁量的な財政政策を強化することであり、(三)第三の政策は、ごく限定的な場合に限ったことであるが、裁量的規則政策を廃止した場合、連邦警察権の一部を拡大することの三つの政治的選択であった。(ロウィ、四〇三頁。)この政策はニューディール政策とよばれるものであり、その結果国家は行政国家と呼ばれるものとなり、行政権の拡大を招いた。民主党のルーズベルト大統領の主導の下に行われために、共和党の側からは違憲訴訟が連邦最高裁判所に提訴され争われた。これに対して民主党は連邦最高裁判所判事に民主党のこのような政策を支持する判事を任命し対抗した。
一方フリードマン夫妻らは一九二九年大恐慌は通過管理における政府の失敗に起因するものであり、歴史上の大事件であるばかりではなく、今も依然として続いているものである指摘している。(フリードマン、一一六頁。)アメリカ合衆国憲法第一条第八節によれば、合衆国政府は、「貨幣を鋳造し、その価格及びその外国貨幣に対する価格を規律する」という責任に対して過失責任があるのであるから、政府は民間に対する規制を緩める必要があると指摘しているのである。(フリードマン夫妻、一一六頁。)しかしフリードマン夫妻も「選択の自由」のなかで、人間は相互依存的に社会の中で生活しているのだから、自由に対する悪質なほかの規制を回避するために、自由に対する制限(規制)は必要ではあるが、もっと規制を廃止していくべきだと主張している。(フリードマン、一一四頁。)フリードマン夫妻らの主張は通過管理等で一部採用されたが、現代の金融恐慌においても注目されている。
行政国家になり、行政権が拡大し、「自由主義の終焉」が叫ばれ、「資本主義の終焉」、あるいは、「忍び寄る社会主義」がいわれるようになると、当時の共和党は不安がった。(ロウィ、三八六頁。)しかしアメリカではロシア革命やドイツのナチスの政権奪取のような全体主義化やらはおこらなかったし、革命運動も発達しなった。この第一の理由は歴史的なもので、封建君主のような封建秩序がなかったため打倒すべき封建秩序がなかったことによるのである。第二の理由は、マルクスの分析を正当化するような国家装置がなかったので、革命理論の対象となるものがなかったことによるのである。
このため革新主義をウィッドロー・ウィルソンの時代に推進した民主党は、現実的でない社会主義や全体主義のドイツのナチズムとは違って、その代わりに、新自由主義が採用されることとなった。これならばラディカルではあっても既存のアメリカ合衆国憲法の国家的枠組内におさまることができた。一つの方針としては一般論として政府の実質的縮小を図るものであったが、他の一つの方針としては、特定の分野に関しては政府の行政権を拡大し規制を強化するものであって、その二つの方針を組み合わせたものであった。(ロウィ、四〇頁。)
アメリカにおいてはこの二つの方針の組合わせで「自由主義の終焉」は新自由放任主義として大恐慌と、第二次世界大戦をのりこえることになったが、ドイツのナチズムと、日本の軍国主義と、イタリアのファシズムはそれとは違った形態の自由に関する歴史をもつこととなった。
全体主義における自由
全体主義における自由の問題は、自由意思論においては経済決定論と自由意思との関係として、また、集団全体における自由は政治哲学的自由の問題として消極的(否定的)自由と、積極的(肯定的)自由の区別の問題として、また精神的自由の問題としては秘密警察や、強制収容所及び絶滅収容所の問題として主にあらわれた。ソ連においては秘密警察は集団主義の支配機構の権力中枢となり、強制収容所及び絶滅収容所は権力の主張の正しさを証明する実験室であり秘密警察は唯一絶対であった。国家権力は、一党独裁の体制の下で党の機構と合体しているので、それ故に、秘密警察のなかで国家と党は一緒になり、秘密警察は集団主義支配機構の中枢となり、権力的な絶対唯一の機関となる。(アーレント、一九四頁。)強制収容所及び絶滅収容所は、人間を全体的に支配できるという主張を全体主義体制が基本的に持っていることが正しいということを、全体主義的支配機構が実験し証明するための場である。(アーレント、二三一頁。)
社会的な「全体」は集団的ないし「有機体的」な唯一の意思をもっており、その全体集団の成員が唯一の意思に反抗する場合、その意思を反抗する成員に強制することができるという考え方に、「積極的」自由論は展開する。(バーリン『自由論』、三二一頁。)このようにバーリンは、「統制ないし干渉の根拠」、つまりひらたくいえば、統治する自由であるところの「積極的」自由は集団主義や全体主義になる可能性があることを指摘し警告を発している。バーリンによれば「真の」自我は普通の人が考える個人的な自我よりも広大なものであり、種族、民族、教会、国家、また今生きている者もすでに死んだ者も、またまだ生まれていない者をも含む大きな社会である社会的「全体」の一要素あるいは一部分であると考えられるようになる。この場合の「真実の」自我とは、彼ら(被支配者)が理性的で、支配者と同様に賢明であり、自らの利害を理解するならば、支配者に反抗しないような被支配者の「真実」の自我である。この立場をとれば被支配者なり社会なりの現実の願いを無視し、彼らの「真実の」自我の名において、彼らの「真実の」自我のために、抑圧し、拷問にかけることができるようになる。(バーリン、三二一〜三二三頁。)バーリンのいう「積極的」自由のこのような拡張解釈は、「自由の強制」というルソーの言葉が、拡張解釈されフランス革命時代にジャコバン主義に悪用されたり、私は誤解であると思うがただ単なる「普通の意味」で使ったと私が思う「自由であることの強制」という言葉がコレクティビィズム・集団主義を主張していると誤って解釈され、展開されたりしたことのバーリン流の解釈になっいるのではなかろうか。
バーリンはさらに続けて、拡張解釈された「積極的」自由の説明をする。これは集団主義に対する政治哲学的警告であったとともに、今となっては、積極的行政国家の行き過ぎに対するある種の警告ともうけとれるものである。ラズウェルは様々な価値を政治的価値として研究したが、それが積極的自由として普通の個人的な自我に受け入れられ、各個人各個人の現実の願望に適合していることを期待したい。
積極的自由により抑圧し、拷問にかけることができる理由を、全体主義は、幸福、義務の遂行、知恵、正義の社会、自己完成等人間の真の目標がなんであれ、たとえ底に潜んでいても「真の」自我が自由に選択したものと、個人の自由は同じでなければならないからなのだと説明することになる。その結果として社会全体の「より高い」自由、従って社会全体の各成員の「より高い」自由を実現する。(バーリン、三二一頁。)という理由付けがなされることになる。
これに対しては、バーリンは、これまでにも多くの人が指摘してきたことだとして、「他の人々を、『より高い』水準にまで高めるため、ある人々が加える強制を、有機体的な暗喩を用いることは非常に危険である」と警告している。
バーリンの見解とともに、相手国の個人の人権に対する保護のための内政干渉についてのノージックのことば「個人を保護・防衛するために他国がある国に干渉してもよい」のはなぜか。また、逆からいえば「不干渉の原則は、国家間の関係を律するのに妥当な原則と考えられることが多い。」という内政不干渉の国家原則はこの関連で示唆にとむ。
ノージックの指摘は内政干渉の原則があるのに、人権に関しては内政干渉ができるのは何故かという点である。人権を守るために国家が、他の国の人に対してなす干渉は、ある意味では素朴な意味での自由の強制である。この素朴な意味での自由であることの強制とは、その人の消極的な自由(ネガティブなと素朴なを同じ意味に用いているが)を増大させ専制から身を守ることを意味している。(特に政治的亡命の場合は、他国における人権侵害に対する他国への干渉の場合よりもこの色彩が強い。)他国の内政に干渉する場合他国の個人を保護・防衛することになる場合は干渉(自由の強制といいかえてもよいであろう)してもよいとノージックはいう。(ノージック、上、五四頁。)このケースは日本に対してアメリカのGHQが主導して日本国憲法を成立させるよう促したケースや、芦辺信喜氏が自由の強制に例えたGHQの検閲のケースやらと似たケースである。ノージックは干渉をできるだけ減少させることを政治哲学の骨子としていると考えられる。ノージックは個人と個人との間では干渉は禁止すべきであるが、個人が共同で国家(ノージックの意味での最小国家であろう)を通して、他国の個人に対して自由を保護・防衛する干渉は許容され、妥当であるという一般論を解説し、「国家は保護されるべき個人をその部分として含んでいるが、個人はその個人を部分として含んでいないからである」と理由付けしている。国家内で主権をもっている個人と主権をもっている他の個人との関係と、主権を持っている国家と主権をもっている国家との関係の違いをこの一点、すなわち、主権をもっている個人を内包しているかどうかに見出したのである。ノージックは国家が国家に対して不干渉であるべきことは個人間の不干渉の原則から、その政治哲学上当然のこととして認めた上で、ではなぜ個人の保護・防衛のためには他国に干渉してもよい、つまり、内政干渉にはならないのかという問題の設定を行ったのでこの一点がその答えとなったのである。(ノージック、上、五三〜五四頁。)、ノージックは干渉のことを詳しく論じている。
一人を他人のために犠牲にすることを禁止することは、自由尊重主義的道徳規則の第一歩である。しかし他の人の利益のために実力を行使し、他の人を威嚇することは、これを温情的父権主義的な攻勢(paternalisticaggression)と名付けているが、このことも禁止することが自由尊重主義的規則においては次の一歩となる。第一歩の規則は「この社会には自分自身の人生をたどるべき別々の個々人がいる」という点に目をつけると導きだされるが、次の一歩の規則は更に「この社会には別々の個々人がいるのである(第一歩の状況の把握)が、個々人は自分の人生は自分自身が生きていくのだ」という点を更に見出すことにより導き出される。(ノージック、上、五三〜五四頁。)
ノージックの政治哲学は、人間が行ってよいことの道徳上の規則は、各個人が別々の存在であるという事実から導き出される規則である。(ノージック、上、五二頁。)この道徳上の規則が生まれてくるのは根源的には、この社会全体のなかには別々の生命(人生)をもった別々の違った個々人がいるのであるのだから、ある人を他の人のために犠牲にする(迷惑をかける)ことはいけないという根本的理念を基礎としている。次に更に他の人を攻撃することを禁止するという自由尊重主義的な道徳上の規則にも到達することになる。迷惑をかけないことのみではなくて、干渉、温情主義干渉をもしないという道徳上の規則を政治哲学的に提示したのがノージック哲学の本質であった。(ノージック、上、五二頁。)
このノージックの議論と「自由の強制」を内政的に一国内で主権者である政府が主権者である国民たる個人になしてよいのかどうかという議論との関係は、消極的自由と積極的自由との関連でも考える余地の残る問題であるが、これとは対象的にハンナ・アーレントは全体主義における強制収容所及び絶滅収容所の成立根拠として、全体主義的支配を成立させるために、全体的支配者は無限に多数の多様性を持ったすべての個人個人が全体としてただ一人の人間であるかのように、個人個人の無数の多様性を捨て去り、個人個人を組織として一つのものとすることを目標として、全ての人間を常に単一の反応をする単一の塊にかえてしまい、その結果この単一の塊の一つ一つが他の物と交換可能なものとなるまでにしてしまったのであり、強制収容所及び絶滅収容所はこのような全体主義的支配が成立しうることの実験室であったのだと考えた。(アーレント、二三一頁。)ノージックの政治哲学と、全体主義の政治哲学はまさに反対の極にある。それを対照すると、別々の人生を持つ別々の個人個人がいて、自分の人生は自分が決めるのだというノージックの考え方に対して、無限に多数の多様性を持つ別々の個人個人を単一の反応の塊としてしまった全体主義的支配との対照は、バーリンによって、例えいまは底に潜んでいてはっきり観察できないのであるが、集団的で全体的で有機体的な全体の「真の」自我の自由な選択という「積極的」自由の拡張として説明されているのである。
そのバーリンはルソーのいう自由についてについて次のように解釈している。彼によれば、ルソーのいう自由は「消極的」自由ではなくて、「積極的」自由であった。その自由は一定の領域内で干渉を受けないという個人の「消極的」自由ではなかった。ノージックのいう自由尊重主義的な政治哲学はルソーのとるところではなかった。ルソーの自由は個人が個人として持つ自由ではなくて社会契約をした社会の全員が分け持った公的権力がその社会の全員の生活のすみずみまで干渉する権利を与えられているという契約状態における「積極的」自由であったとバーリンは指摘し、更に、すでに一九世紀前半の自由主義たちが、人民の主権が個人個人の主権を簡単に破壊してしまうだろう、つまり、ルソーの「積極的」自由は神聖視されるべきすべての「消極的」自由を簡単に破壊してしまうだろうと考えていたと指摘している。(バーリン、三七五頁。)
ルソーは「社会契約論」の第八章において「社会契約によって人間が失うもの、それは彼の自然的自由と、彼の気を引き、しかも彼が手に入れることのできる一切についての無制限の権利であり、人間が獲得するものは、市民的自由と、彼の持っているもの一切についての所有権である。」(ルソー、三六頁。)「この埋め合わせについて、間違った判断を下さぬためには、個々人の力以外に制限を持たぬ自然的自由と、一般意思によって制約されている市民(社会)的自由とを、はっきり区別することが必要だ。」と述べている。(ルソー、三六頁。)
バーリンのいう自由の二分類は集団主義の積極的な自由が、専制から自由をうばいとった人々の消極的な自由を侵すことになり、その意味で両者は対立的であり、積極的自由は政府というものの意志として形式を通じて強制されたものであり、それに対抗して消極的(否定的)自由の主張があるということをいいたいのであろう。ノージックはその政府は最小国家であるべきだとその議論に対しては申し述べたものであろう。したがってこの議論は集団主義と自由主義の対立と同じものである。一方では最小国家においても他の富裕な個人から、政府が富の移転を税金の徴収と再分配によって引起し、貧しい人に福祉を与える場合も、政府によってなされるのであるから積極的自由が存在の余地があることになる。このように考えると、積極的自由が存在の余地があることになる。このように考えると、積極的自由が集団主義や全体主義となるか否かは、あくまでも「例えいまは底に潜んでいてはっきり観察できないのであるが、集団的で全体的で有機体的な全体の「真の」自我の自由な選択」という形式をとっているかどうかという点にある。「潜んでいる」というのは潜在的意識論の言葉を採用したものであるかもしれないし、「自我」もフロイトの言葉を採用したものであるかもしれないが、このことについては更に研究する必要がある。実際の学校の生徒間の場合を想定してみると、不良少年が集団をつくりその自我(「真の」か?は別として)を通じて、完全な真の自由を発揮して不良行為を自由に行うとすれば、他の普通の生徒の自由を侵す(干渉する)ことになると想定するのは容易なことであろう。この場合の「真の」自我、底に潜んでいると不良少年のいう「真の」自我の自由を研究することはできるのかもしれない。その場合被依存と依存の考え方は有用であるかどうかは分からないが、自由と相当な関係はあると思われる。
ルソーのいう自然的自由が積極的自由にはあたらないのは常識的であるが、市民的自由が本当に以上のような集団主義の積極的自由にまで到っていたのか、あるいは、最小国家のなかにも存在するような積極的自由であったのかについては私は集団主義的ではなかったと読みながら直観的に感じた。ルソーの一般意志はその後のフランス革命のなか等で集団主義や、全体主義としてとらえられた傾向があったが、それは誤解であったのではないかと筆者は信じる。人間の不平等をなくすための社会権的基本権を認めるような人が現在多数をしめる。しかしそれだからといって全体主義や集団主義を認める人は少数である。ルソーはその多数派、今では国連人権宣言のように社会権的基本権を自由権的基本権以外に認めるような多数派の人々の一人ではなかったかと筆者は信じる。ルソーは「大きな者の側では、財産と勢力、小さき者の側では貧欲と羨望について、それぞれ控え目であることを前提とする。」ことにより、「富についてはいかなる市民もそれで他の市民を買える程に豊かではなく、また、いかなる人も身売りを余儀なくされるほど貧しくはない」程度であるべきで富の絶対的同一が平等ではないと述べる。(ルソー、七七頁。)しかし土地の支配権についての平等について、第九章において、「人々が何ものかを占有する前に、まず結合し、それから、全員にとって十分なだけの土地を占領して、これを共同で所有するか、あるいはお互いの間で、平等に、それとも主権者によって決められた割合に従って、分有するか、そういう場合も起こりうる。」(ルソー、四〇頁。)というように、土地の共有に含みを残している。この点は誤解を生みやかった点であると解釈するが、しかし自由は平等を欠いては持続できないが、自由がなければ、それも個人個人の自由がなければならないのは、「個別的な従属は、それだけ国家という政治体から力をなくさせることを意味する。」(ルソー、七七頁。)といっているように、自由を同時に認めていることは、専制への個人の依存が個別的従属と解釈できることから個人の専制からの自由、即ち、消極的自由を認めているのである。専制からの自由が市民的自由であるというルソーの自由論からすれば、その自由は個人の自由であり、全体的、集団的な「真の」自我の自由ととらえることはできない。つまり「共同で所有する」(ルソー、四〇頁。)可能性を残して論じてはいるが、専制からの個人の自由を認めているということは、集団的な「真の」自我の自由を認めているわけではないので、それが全体主義や、集団主義ととらえられるのは誤解となると筆者は考えるのである。アリストテレスの『政治学』における土地所有論と自由との関係については、二人の者が土地や不動産を共有していた場合を考え法的紛争になっている場合を考えて見ればよくわかる。全体的、集団主義的自我による積極的自由ではなくて個人の消極的(否定的)自由をどちらか、あるいは、双方が主張した場合には各人に所有権を移すしか、この法的紛争の解決法はないのである。これが動産の場合や永住していない不動産の場合には時間を決めてレント(賃貸)する(レンタカーの場合のように)ことも可能であろうが、時間的に同時に借りようとした場合にはそれができなくなる。更に絶対的にそれができないのは、同じものを二人で同時に食べられない食料や、同じものを二人で同時に着られない衣料等も、どちらかの所有にするしかない。消極的自由として取り扱うことができる問題だと思われる。バーリンのいう領域の他にこのようなものが対象として考えられる。最小限の住居についても同様である。
精神的な自由に関しては、集団主義における精神的不寛容の問題がある。これは多数派あるいは政府は、少数派の精神的自由を認める寛容さをもつかどうか、集団主義は個人の自由主義を認めないのであるが、自由尊重主義者が政府として集団主義の自由を認めるべきかという問題である。ノージックの考えるユートピアは、多くのユートピアは、多くのユートピアを入れる枠組みである。そのユートピアのなかで個人個人は自由に自分の自由意志で結合して自らの理想とするコミュニティの中で自らの善き人生の理想を追及し、自らの善き人生を実現しようとするような社会である。そのようなユートピアでは誰も自分のユートピアの理想を他人に押しつけることはできない、そういうような社会である。ノージックの原書の注ではこのような押しつけの基礎にある理論のいくつかがトルモン(J.I.Talmon)によって、The Origins ofTotalitarian Democracy (New York:Norton,1970.)及び Politial Messianism (New York: Praege,1961.)の中で論じられているとしている。(ノージック、五〇五〜五〇六頁。、原注五五五頁。)ノージックが、他国内の個人の自由を保護・防衛する干渉は許容されるとしたのは自由を抑圧する専制的な国家や集団に対してはその中にいる個人の自由を保護し、自由を強制すべきであるとしたのであろうし、ここでは、「誰も自分のユートピアを他人に押しつける」ことはできないとしたこととは矛盾するであろうか。原注を参考にすれば全体主義的なおしつけは排除するとしているのであるので矛盾しないと考えるべきである。いずれも全体主義的な押しつけと、専制的な自由の抑圧を排除するものであるからである。
正義論を説くロールズではこの点について更に詳細に論じている。
サンディカリズムは自由社会の的であると同時に集団主義の敵でもある。集団主義の政府は独占主義的に組織化された数多くの職能集団から要求が通らなければ全体の生産計画を台無しにすると脅しをかけられれば、犠牲になってしまう。大それた要求をしない場合でも事業を秩序をもって遂行することに対していろいろな邪魔をすると脅しをかけられれば集団的政府は犠牲になってしまう。(オークショット、六〇〜六一頁。)集団主義的政府でさえも倒してしまう程のサンディカリズムの強大な力を認めることはオークショットの政治的な見解として自由論の一方向を示すものといえる。オークショットが教鞭をとるイギリスにおいては、以前労働党の本拠とみなされていたロンドン大学でも現在S・M・リプセットが『政治のなかの人間』を書いた頃では、教授団の中では保守党支持が多数派を形成しているという報告が多数ある。S・M・リプセットによれば、その当時においてアメリカにおいても多数の西欧諸国においても、民主主義社会の不完全さについて左翼の知識人が和解しはじめてということであり、このような左翼の知識人が左翼的感情を衰退させはじめたのは根本的に強制されたからではなくて自発的なものであった。自発的な和解であることを証明するものとしてはアメリカにおいてと同様に多数の西欧諸国においてこのような傾向が見られるからである。アメリカにおいては反共産主義は国内を安定させる政治上の圧力となっているのであるが、多数の西欧諸国においてはそのような圧力はずっと少ないのに双方にその傾向がみられるからである。このような傾向は自由論に対してのみならず労働組合運動にも大きな影響をあたえていると考えられる。(リプセット、二八六頁。)この左翼的感情の衰退の傾向には様々な政治社会学的な理由、政治文化論的な理由が考えられるが定まった学問的な定説は見当たらない。
『「新自由主義」労使関係の原像』という一九九五年に出版された書物のなかで小笠原浩一氏は次のように述べる。
一九七〇年代の労働党がイギリスにおいて政権を担っていた時代の個別雇用保護立法は「個人の自由」を立法によって保全するという「新自由主義」のアプローチの仕方をとっていた。
第一節 アリストテレスの共産主義批判の理由付け
その著『政治学』におけるアリストテレスによる共産主義に対する反論については以下の通りである。アリストテレスが当時現代の人々が意味している集団主義や全体主義について予測していた可能性は少ないので、現代の政治学が経験したようにそれらを理解していたかどうかは不明である。当時はヒットラーの全体主義や、マルクスの共産主義社会のような理論や国家が現実に出現することについての予測はなかったのであるからその後に起こった様々な集団全体主義の不幸を知らなかったにもかかわらずアリストテレスの理論は冷戦後の現在正鵠をえていたのではないかと思わざるをえない指摘を含んでいるのである。
アリストテレスは当時の実際のように一般に妻や、子供はおのおのの個人個人に別々に属するとしても、財産や、財産の使用は共有であるほうがよいのか、そうではないほうがよいのかという国政や、立法の問題について考察している。土地と、耕作と、収穫物についてそれぞれについて共有であるべきか、私有であるべきかについて論じている。(★アリストテレス、四六頁から四七頁)財産が共有ではないから契約についての訴訟や、偽証による判決や、金持ちへの追従のようなさまざまな悪が国民の相互間にはびこると告発する者がいることがあるが、これらの悪は、共有でなく私有のためにおこるのでは絶対になくて、悪い性格(悪癖)から発生するのである。(★アリストテレス、四九頁。)
世の中には多くの悪があるのは私有財産制度があるからだというのは共産主義の政治的な出発点であったと私はおもう。それをアリストテレスは卑近な言葉で、しかも雄弁に否定していると考えられる。このような見方を、このような雄弁さをレオ・シュトラウスは政治学の基礎に取り戻そうとしたものと思われる。シュトラウスによれば現代の政治学は政治的なものを、政治以下のものへと還元して、最初に与えられた全体を比較的単純な要素へと無限に分解することによって真の全体を見失ったのである。それゆえに共通な善は存在しえないようになったのだと指摘する。マルクス主義も集団主義による政治のとらえかたにより生死をかけた戦いにより固定化された階級が社会の全体であると階級社会として社会を図式化し、そこには共通した善は存在しないとのべたのであり、アリストテレスのいうような善き社会の概念を追求できなくなったとシュトラウスはいう。マルクス主義は国家無き社会、無階級社会のなかにのみ人類の共通した善は存在しているという主張を行ったのであるとシュトラウスは解釈した。(★シュトラウス、二六五頁から二六六頁。)また、争いごとが多いのは財産を個人個人が所有する形態の国の制度の場合よりも、財産を共有で所有する形態の国の制度のもとで共同で財産を使用する場合のほうであるのを実際に観察することができるとアリストテレスは指摘している。(★アリストテレス、四九頁。)
この観察も雄弁に実際の観察の結果を表現している。集団の管理がいかに難しいかは、ソ連の実験が証明している。このような観察をこそ、雄弁であるといえるのではなかろうか。これはアリストテレスが集団生活を観察した実際の結果であろうと推測される。このような雄弁さのなかに含まれる命題は学問といえないとしても、しかしその真偽を学問的に分析する努力は続けなくてはならないと私は思う。なぜならその命題は共産主義をひっくり返す程の力をもっていたであろうからである。しかしそれらはこれまで学問的ではないとして故意にか捨てられてきたような感じに見える。アリストテレスが例として挙げているのは旅行仲間が共同で生活し、財産を共有にしている場合には、些細なことで衝突して喧嘩をするという例を挙げている。
また、人間の大多数は、自分のものは気にかけて管理するが、共同のものはあまり気にかけて管理しないし、個人的に関係のある範囲以外は気にかけて管理しない、また、他の人が気にかけて管理していると思ってしまってなおざりにするのが通例であると指摘している。これではすべての人が全員なおざりにして誰も管理しないようになってしまう。召使が少ない場合よりも、召使の多い場合のほうがかえって役に立たないのと似ているとアリストテレスは比喩を述べる。この比喩は現在にもつたわり普段に口にされている諺である「船頭多くして船やまにのぼる」の諺の比喩とよくにている比喩である。(★四二から四三頁。)アリストテレスと同様にこの諺について政治的な意味を見いだした政治学者はいて、その臨終の時の言葉がこの諺であったとある伝記はある政治学者について述べている。
第二節 自由の強制と、バーリンの消極的自由
再び、現代の政治学における「真の」自由という概念の検討に戻ることにしよう。
ある強制がわたしのためになるかもしれないと思うこと、あるいは、わたしの自由を拡大するかもしれないと思うこと、あるいは、私自身の利益のために強制されているのかもしれないと思うことと、−−そのことと、その強制が私の利益であれば強制されているのではないと思うことは別問題でありまったく相違する。(バーリン、2.、二二二頁。)これはノージックの父権的温情的攻撃をバーリン流に解釈したこたえであるといえる。ノージックが父権的温情的攻撃を否定したように、バーリンもそれを否定し、その理由として「それを拒み、善意とはいえそれを押しつけようとする人と死にもの狂いで「真の」自由の攻撃と戦っているのに、否定しあらそって戦っているのに、わたしは自由、「真に」自由である」ということになるからであると考えている。この「真の」自我による強制をどのようにみるべきであろうか。強制する方は強制される方を無学だから「真の」自由に気がついていないのだ、学習せよと要求する。学習理論とよんでもよいであろう。実際に利益になるのか、実際に私の自由を拡大するのか、実際に私自身の利益のために強制されているのかは、別の問題として別の時に別の場所で考察されるべきで、強制されているのは強制されているのだ、今は「真の」全体的な自由を強制されているのが真実なのだということであろう。全体的な「真の」自由の強制が、私が実際私の利益になると、私の自由を拡大すると、私のために強制されていると分かったらその時、そのところで「真の」自由を強制するようにしてくれというようにいっていると思われる。
バーリンは「自立としての自由の「積極的」概念は、自己分裂した人間を思わせるところがある」という。そして最近の歴史からみてみると単に学問的な問題だけではなく、実際の歴史の問題としても人格が二つに分裂したと指摘する。(バーリン、2.、二二二頁。)分裂した自我の一つ目の自我は、超越的な自我であり、支配する者としての自我であり、普通の自我を抑制し、制御する者としての自我である。分裂した自我のもう一つの別の自我は、経験的な欲求をする自我であり、情念のかたまりの自我である。
バーリンはこのことから自我やパーソナリティ及び人間が何からできているのかについてどのような見方をするのかによって直接的に自由概念が発生しているのだと結論する。これはオークショットの自由概念が政治的経験に由来するとの見解に近い。フロイトの自我の概念のように潜在意識が存在すると仮定している自我論もあれば、そんなものはないという自我のとらえかたもある。パーソナリティについても自我のとらえ方いかんで様々なとらえ方があるし、人間についてもその本性のとらえかたは様々である。自由の定義と、人間の定義を縦横に変化させれば、その人が望むようになんでも意味することができるようにすることができるのであるとバーリンは結論する。ルソーの「自由を強制する」ということばのうち、自由が「真の」自由という意味にとらえられれば、これは集団主義を主張したのだとうけとられる可能性はあったが、これは誤解であったというのが私の見解であった。マキャベリーへの誤解をといたルソーが誤解されるとは歴史の皮肉である。いやマキャベリーへの誤解を解こうとしたから集団主義者に誤解されたのであろうか。積極的自由はそれを行われる側の人間にとっては不自由である。自由の喪失である。つまり、消極的自由にとってはその喪失である。ネガティブな自由と、ポジティブの自由は反対の関係にあり、ゼロ・サムの関係であるのではなかろうか。
それでは集団全体主義における自由とはどのようなものであろうか。イエッケルはヒットラーの『わが闘争』のなかから次の部分を引用して、ヒットラーにおける自由を分析する。
「だから、われわれアーリア人にとっては国家が民族の維持を保証する。それだけではなく国家はアーリア人の精神的能力と、理念的能力をさらに増加させ、より最高の自由にまで導く、民族の活力があふれた有機体だけを国家として思い描くことが出来るのである。」
イエッケルは、「自由とはヒットラーにとっては個人の自由ではなく、国家の自由であった。国家の自由は外交政策上の行動の自由という意味であった。」という。(★イエッケル、八二頁。)
確かにイエッケルの説は相当であるが、それはヒットラーの心理的なものから発生したものであると私は考える。
国家と、自らとが一体化していたのがヒットラーであった。自らに自由が全く存在しない場合には、国家が自由になることを欲することはありうることであると誰もが想像がつくであろう。それ以外には自由は存在しないからである。人間には自由が必要だ。ここに超の付く国家主義が生まれてくる心理的背景があったのではなかろうか。ヒットラーを総統として仰ぎみて動くことの出来るドイツ的な官房学にのっとった官僚の伝統的な制度がまだ残っていたのである。もしヒットラーではなくて、ほかの正常な人が官僚制度の上にのっていたならば、歴史は変わっていたと私は思う。ここにはしかし「歴史とは何か」の大問題が潜んでいるのでありそれを解くのには相当の紙数を要するのであるが。ヒットラーの心理は劣等感のうらがえしであったと思われる。それ以外の考え方では解明できない。例えばリビドーがユダヤ人の虐殺に向かわせしめたなどと説明したとしてもそのようなことは誰も信じない。劣等感は何も自由がない、出来ないという感情をうんだのだというような分析は今後の課題であるが、しかし劣等感による分析が正しいのであろうと思う。かつ人間としての尊厳としての正しい感情を発生させる余地があるものとしての劣等感の分析が正しい分析であろう。今後の分析がまたれる。
第三節 権威主義と自由
一方、ベイは、とくにエーリッヒ・フロムの理論としてある種の少年期の経験が成人における「権威主義」になる傾向を形成するとの仮説があり、このことを心理学的自由の欠陥の主要な類型として論じている。(★ベイ、二四八頁。)この研究は自由と、精神分析の理論の融合として意義深いものである。
現代の民主主義の時代においても、集団全体主義は存在する。これにたいしてどのような態度をとるべきであろうか。この点に関してはロールズが大胆に意見を述べ、理論的に分析している。ロックによれば、自然の状態にある人はすべて他人の許可を求めたり、他人の意志に頼ったりすることなく、自然の法の範囲で自分で行動を規制し、自分の所有物と身体を自分が適当と思うように処理するという完全な自由の状態であり、他人より多くの権力も支配権も誰も持たず、互恵的である。従って自然な状態は平等な状態でもある。(★ロック、一九四頁。)ロックのこの思想をロールズも、ノージックも発展的に受け継いでいる。
第四節 平等のために自由は捨てよ、人権は要らないという主張にどう対応するか
ところが、この世の中には権力をとることによって基本法である憲法上の自由の抑圧を行おうという綱領をもっている政党がある。現在認められている基本法である一国内の憲法や、国際法上の国連人権規約上の人権のようなものを基本法上の人権とよぶとすればそのようなものは認められないという主張をする政党がある。知的な自由、思想・表現・学問の自由は認められないという主張をする人がいる。これを一党独裁の主張ともよぶことができる。このような政党や人に対して寛容であるべきか、つまり、不寛容な政党や人に対して寛容であるべきかについてジョン・ロールズは論じている。
寛容派にとっては相手が寛容ではないのだから、もし相手が自分に対して攻撃をしかけてくるならば、それにたいして寛容のままであれば、なんら対抗する権利を持たないのであるから攻撃を受けてしまうことになる。これは寛容派の矛盾である。寛容派は寛容で干渉しないと決めているのに、不寛容派は寛容ではないのを原則とするので、必ず干渉してくることになる。従って不寛容派が寛容派に苦情を申し立てて、寛容派の身の安全や、自由権を認める制度の安全が脅かされるという危険が明白に、じゅうぶんな理由をもって認識された場合にのみ不寛容派の自由を制限し、抑圧するべきである。この理論は集団全体主義思想を持つことは自由主義社会における法的に認められた精神的自由の一つであるという基本法上の自由権の主張と似ている。これはあくまで法律上の問題であり、ノージックのように他人に迷惑を掛けないという不干渉主義のように積極的な政治上の道徳的な規範とは異なっている。このことについてロールズは法律以上のことは述べておらず、政治的なことについても論じていないと思われる。不寛容派の自由を制限し、抑圧する理由は、ロールズによれば次の通りである。権力を持ったときの基本法における自由の抑圧の政治綱領に対抗して、それに対立する原理であるが、「不寛容派も認めるであろう自然な原初の状態においては存在する正義の原理」、つまり、「原初の状態においての基本法の下での自由の平等性」のため、民主国家においても不寛容派の自由が抑圧されねばならないのであるとしている。(★ロールズ、一七二頁。)このことは、例えば不寛容派にも財産が平等に分配されて不寛容派も消極的自由を行使すべき財産を持つことが出来るようになれば主張するであろう自由、その自由は平等であるからである、また、権力と支配が平等で、互恵的である社会が自然であるからという理由付けとなる。しかしロールズが認めているのはその場合だけの不寛容派の自由の制限なのであり、不寛容派に対してのそれ以外の場合の干渉や、それ以外寛容の推奨など現在自由主義政党の行っているさまざまな政治的なことについては論じていない。このような環境にならなければ、寛容派は何事もしてはいけないというのであろうか。明白な危険の認識がなければ、何もすることが出来ないのであろうか。このロールズの理論にたいして私のこの論文はそのような特定の明白、危急な危険のある場合以外に自由の推奨が出来るか、自由の強制が出来るのかという設問が出発点である。たしかに完全に無産の状態、財産がゼロの状態で出生したような貧しい人は、財産を守るべき自由はあっても守るべき対象である財産が存在しないのだから、そのような自由はまやかしだ、という共有化の理論やらを持ち出すかもしれないし、それが集団主義の主張となるかもしれない。つまり財産の所有の自由は認めたって財産がないからしようがないから、財産に対する所有の自由な権利など廃棄してしまえ、共有にしてしまえというような理論がおきてくるかもしれない。その理論にたいしては所有の自由な権利が「危険な状態になる場合」まで自由主義者はただ何もせずに待っていなくてはならないというのであろうか。このことについてはロールズは答えていないのである。その質問にたいしてはこのロールズの答えは絶望的な答えである。そうしているあいだにも不寛容派は瞬時も惜しまずに干渉をして、攻撃をしかけてくるのである。それが不寛容派の香料の真髄であるからである。どのような理論が、絶滅収容所や、政治警察の挙動にでるような集団全体主義にたいして有効な対抗手段を提示できるのであろうか。人類の今後の研究課題である。
ロールズの原初の状態における原理、つまり、原初の状態においては人間の自由は平等に与えられているという基本法、自然法の原理といってもよい原理を、常に政治においては寛容派も、不寛容派も自覚的に目指しているとするならば、不寛容派もそれを常に自覚していることになる。しかし、実際には集団全体主義のように不寛容を主張する人々のなかには、その原理を自覚しないで寛容派に感情的になり、絶滅収容所や、政治警察を設置するような行動にでるばあいがあり、全く無産の人の気持ちになって考えてみれば心理的には原初の状態が理解できない人もいるようだといっても過言ではない。原初の状態が自由の平等の自然的な状態であるとするならば、その状態がくることを皆が願っていることを寛容派は不寛容派に理解させる必要がある。
正義にかなう基本法のもとでの自由をまもるために、不寛容派の自由が制限されるべきであるのは、明白かつ現在の危険がある場合のみに限定するロールズの見解によれば、どのような理論で政府はいつでも「自由の強制」をすることができるという理論に到達するのであろうか、あるいは、そもそもそれを否定するであろうか。集団全体主義や、専制や、独裁に対抗する新しい自由の概念や、民主主義の新しい意味付けが必要であると思われる。それこそ新しい自由と、新しい自由の強制の問題の解決になるのだと思われる。つまり、明白かつ現在の危険がない時には不寛容派に対してどのような対応をとればよいのかはこれからの研究課題である。これはラズウェルの見解とかも参考にするべきであろう。破壊性の除去という問題の解決をラズウェルは研究したのである。
第五節 リベラリズムと新しい個人の自由
今後の労働界のネオ・リベラリズムの政治的な動きをみるうえで参考になるのは、ウッドロー・ウイルソンが大統領戦に出馬するときの「ニュー・フリーダム」の考え方であろう。これは新しい自由と訳されているのでそれに従うことにする。この本はウイルソンが序文で述べているように、ウイルソン本人が書いたものではなく、大統領選挙キャンペーンの演説を編集者がまとめたものである。
バインシュタインのウイルソン伝記によれば、企業の統制に関するウイルソンの考え方は独占に陥った経済体制は競争自体を政府が規制し、監督することにより、自由競争制度と自由企業体制を取り戻すことができるというものであったが、これは一般には新しい自由主義という名前で知られており、この考え方はボストンの進歩的な法律家のブランダイスの影響の下に提案されたものであった。民主党から大統領選挙に出馬したウイルソンは人間は自由で、汚濁のない環境で生活できるように望むと演説し、反対党の候補者セオドア・ルーズベルトは独占を法制化したいのであると演説をした。(★バインシュタイン、二三九頁。)
アメリカにおいてはウイルソンの時代をはじめとするいわゆる革新主義の時代には自由主義に対する修正が行われた。
この自由主義の修正は現在にまでも引き継がれている。ハイエクは、「「自由」企業と競争的秩序」という論文のなかで、現在は独占の防止と、競争の維持の問題が深刻な問題であると指摘している。(★ハイエク、一五五頁。)また、法と国家制度という側面から見てみれば、財産については私有財産、契約については契約の自由という原則だけですべての問題が解決すると考えるのは誤りである(★ハイエク、一五五頁。)とする。
このような不完全な競争、独占は不完全な自由を生む。不完全な自由をなくし自由を取り戻すためにというスローガンを掲げて大衆を誘惑し、集団主義と、サンディカリズムは自由主義社会の敵として登場してくるのであるとオークショットはいう。集団主義と、サンディカリズムの二つは相互にお互いを排斥する。集団主義と、サンディカリズムの二つはともに独占を創りだし、独占を維持することにより社会の統合をすすめようとするもので、社会全体が独占化することはあっても、分散化することはありえない。自由社会の敵であるこの二つが相互に排他的である理由は、サンディカリズムが目指す独占は集団主義の社会も、自由主義の社会も両方共に破壊してしまうからであるとオークショットは指摘する。(★オークショット、五六から五七頁。)(余談だがこの集団主義とサンディカリズムの排他性はちょうどあまりに甘えた者同志の結婚、例えば、末っ子同志の結婚において両方共に甘えあって一方が他方を抱擁する側に回らずにいると対立し、排他的になるようなものだと私は比喩的に理解している。学問的ではないかもしれないが、興味深く、学問として読まれるかたはこの部分は省略していただきたい。)
集団主義に対する選挙による支持などの現在必要な民主政治の法的合意が形成され、自由が非常にうまく実現されている社会が集団主義の教義によって自由の障害を除去してもらおうということに決まって集団主義的な体制に変化するかもしれないという恐怖が現実化しないとは誰も断言できない。ところが、集団主義と自由とは相容れない、二者択一的なものである。一方を選べば、他は捨て去ることになる。この論理と事実を徹底することが必要でそのためには自由を愛する精神を忘れないことだとオークショットは続ける。(★オークショット、五六から五七頁。)
競争自体を監督することにより、自由競争制度と自由企業体制を取り戻そうというウイルソンの思想は現在も生きている。経営企業は法的な規制に対して非常に敏感に反応してきたと自由主義者であるオークショットは評価する。世論が経営企業の独占には敏感に反応して、一時的な結合以外には経営企業の独占はあまり存在しないとオークショットは観察している。したがって、労働の独占よりも経営企業の独占のほうが力も弱く、危険性は少なくなったと分析する。(★オークショット、六〇頁。)
労働の独占組織も経営企業の独占も自由主義にとって残念な事態であり、両方共に自由化されるべきであるとオークショットは考えている。だが経営企業の独占よりも労働の独占組織は力が大きいうえに、両者には利害の一致があり一般大衆に危険をもたらすような結果になる。経営企業の独占それ自体を労働の独占組織自らが自らを補強するものとして必要としているということは危険な事態をもたらすものである。労働の独占組織と経営企業の独占はともに一方では大衆から吸収して共有することになる利潤を極大化するために一緒になって行動して相互に相手を強めあおうとするが、その一方ではこの得られた利潤の分割をめぐっては多くの持分をとろうと相互に取り合いをする。利潤の分割に関する取り合いの戦いである資本と労働の争いは、一体のものである資本と労働の両当事者にとってよりも、大衆に大きな損失を与える。利潤の分割のために戦争している独占的に組織された経営企業と、労働組織の一体となった生産者仲間同志の戦いの本質は、搾り取られる大衆である消費者に戦いをしかけているであり、労働の独占組織と経営企業の独占の争いに目を奪われることはみせかけの表面的な戦いに目を奪われていることになる。(★オークショット、六〇頁。から六一頁。)
自由主義と労働組合
歴史的にみると、自由主義は当初は長い間労働組合に反対の態度をとってきたが、二十世紀の初めに反対の態度を完全に変化させ、ある意図と、目的に関係する暴力や、強制や、さらには脅迫でさえも合法化するような法律を労働組合に適用することを認めた。普通のことを免除することはどのような意味を持っていたかは分析する必要がある。今後自由経済に復帰することを希望するならば、その際に当たって注意すべき問題のうち最も重要な問題は、「いかにして労働組合の力を、事実上かつ法律上、適当な範囲内に限定することができるか」ということである。(★ハイエク、一五九頁。)
オークショットも同様の見解である。労働の独占体は実際は独占的な結社であるから自発的結社の権利を否定しているのであるが、自発的結社が合法的に権利を行使しているようにみえるので、労働組合の活動がいかに言語同断なものであろうとも、労働組合の権利の行使は法律上免責されているので、大衆の支持も受ける。(★オークショット、六〇頁。)もしその免責がなければ大衆の支持は受けられないであろう。
この大衆のなかでも知識人の左翼性についてはリプセットも指摘する。知識人の左翼性をかなりよく指摘する事実は、一般的にいって知識人のグループのうちの社会党の党員と、相当程度左翼的な進歩主義者が共産党の組織と戦うための組織を指導していたという事実である。民主党の支持及び左翼的な政治的支持であるという点では芸術関係者も関わっている。報道関係者と、雇用されている創造的芸術家は、進歩主義的でかつ政治的には左翼的傾向がある。例えば、俳優の組合は強力な共産党派であるし、ラジオ脚本家の組合も共産党の支配下にある。また映画産業で働いている者から民主党は財政的援助を強力に受けている。アメリカにおいては共産党の主要な資金源はハリウッドであったことは、隠しようのない事実なのである。(★リプセット、二六六頁。)これは日本についてもほぼ同様ではなかろうか。
どんな国も自由であることと、安定的な福祉社会を実現することとのトレード・オフの可能性の知識に関してはわれわれはほとんど知識を持っていない。(★アーモンド他、五八六頁。)日本の高等学校教職員組合の幹部は、県ごとに日本社会党系と共産党系というようにはっきりと色分けされている。また新聞の報道関係の記者の労働組合についても同様である。日本放送協会にも二つの労働組合があり、ほぼ左翼的であり、そのドンと言われている上田哲氏は国会議員としてさらにその上に君臨することになったのは、日本放送協会が国会との法的な、政治的なつながりをもっていることから容易に想像がつく。
日本の場合には産業別の組合ではなくて、企業毎の組合であるという点において特色がある。しかし左翼的傾向が変化してきていることは日本においても同様である。特に日本においては冷戦の終了後においてその傾向は著しいものとなっている。日本教職員組合が自由民主党と歴史的な和解を行ったと新聞が大々的に報道した。そのほかにも労働組合の支援を頼りにしてきた日本社会党と、大企業の支援を頼りにしてきた自由民主党が連立を組むという事件も起こった。今後は自由主義者が労働組合の幹部になってもおかしくはない状態になってきた。消費者から市民の時代となってきた。市民は消費者であるばかりではなくて、生産者でもあり、商店で買物をする交換の主体でもある。そのようなすべての人を対象にするという意味で生活者という言葉を中心にネットワークを作るようになり、そのような政党が日本において結成される可能性がある。改革を旗印とした新進党との三極を目指して組織化がなされている。
第六節 マキャベリーにおける個人の自由と、運命 マキャベリーにおける国家の自由と国家の運命
陰謀や、謀叛や、中傷や、告発や、復讐や、欺瞞や、恨みや、軽蔑や、約束の反古や、敵の計略や、堕落や、嫉妬やらの政治のマイナス面についても、抜擢や、治安や、運命や、政治的徳や、優れた法律制度や、指揮や、思慮や、歴史や、民衆や、権威や、要塞や、賞罰や、名誉や、金や、報酬や、時宜をえる方法や、自由と専制や、同盟や、畏怖や、慎重さや、誓約や、武勇やらの政治のプラス面についてとともに考察したマキャベリーは、自由についてどのように考えていたのであろうか。自由はマキャベリーにとっては、独裁や、専制に対する概念であった。
第七節 現代法哲学における自由と平等
現代の法哲学の中では自由と平等との関係はどのようにとらえられているのだろうか。「現実の世界ではすべての人が平等な条件で人生をスタートするわけではない。ある者は家族の財産が非常に多かったり、学校教育や、実際の教育で非常に有利にスタートする。他の者は人種的に蔑視されているので、不利になるという具合である。」とドゥウォーキンはその著『原理の問題』においてのべている。
「自由の第三番目の問題点は、自由と資源との関係である。ある目的を達成することができるためには、ましてやある行動を行うためには、行動の構成要素をもっていることが必要であり、根本的には場所あるいは、時には資金も必要である。」
第八節 商業の選択の自由と、行政の行方
私経済の自由を保証するための公共の行政
第九節 宗教的自由と、政治的自由、経済的自由
「個人の道徳的資質は、倫理上の原理とか宗教思想などとなんら関係のあるものではなくて、そうした方向づけに対しては本質上むしろネガティブなもの、すなわち、旧来の伝統から離脱させる能力、したがって何よりも自由主義的な「啓蒙思想」こそが、そうしたビジネスライクな生活態度にとって適合的な基礎となる、と人々は考えるかもしれない。実際今日では一般にまったくそのとおりなので、生活態度は通常宗教上の出発点をもっていないばかりでなく、両者の間に関係のある場合でも、少なくともドイツでは、それはネガティブなものであるのがつねだ。現在では、通常「資本主義精神」に充たされた人々は、教会に反対ではなくても、無関心な態度をとっている。」(*ウェーバー、七九頁。)
「まことにおかしいのは、ブレンターノが−−−a.a.O.,S.139−−−中世ではvocationはberufとは翻訳されず、またそうした天職概念も一般に知られていなかったと考え、その理由として、当時は自由民のみがberuf 「職業」をもちえたのに、自由民が−−−市民的職業の中には−−−まったく存在しなかったからだとしていることだ。中世商工業の社会的編成は、古代とは異なって、すべて自由労働を基礎とし、とりわけ商人はほとんどまったく自由民だったのだから、私にはこの主張は何のことかまるで理解できない。」(*ウェーバー、一〇八−一〇九頁。)
第 四 章 政 治 と は 何 か
第1章 文明と政治
文明論の授業においては文明の変化のうち特に冷戦後の文明変化について授業があった後で、「文明は冷戦終了後の今後どのように変化をしていくのであろうか。」という設問が大学や、大学院で出題されたとする。東西の両陣営の冷戦が終了した今この設問が政治人や、政治学研究の学生や政治学大学院生やらに政治学の課題としてあるいは試験問題として提出された場合には文明のうち政治に限った部分についての課題や設問であろうと早合点して設問を再度読んでみるだろうが、政治文明ではなく、ただ、文明という設問なのであるから政治文明に限ってはいない設問である。だから政治学と関係がないと思われるかもしれない。しかしこの設問は政治学にとって必要な設問になってきて無駄な設問ではないようになってきている。そのような時代の変化が激しい時代にわれわれは住んでいる。文明の変化についての研究は、政治の変化についての研究に先立って研究し、政治の変化の研究の前に研究される必要があるかもしれない。政治学に文明論を応用が出来るような時代になってきた。これは政治文明論という学際的な分野が発生しつつあるように思われる。従ってこの設問は政治学の設問としては文明のうち政治に関する部分について今現在変化しているのは何か、そしてどのように変化しているのかという設問になるほうが妥当であると思われる、つまり文明の大きな変化がこの時代の政治に大きな変化を与えているのである。そうすると文明の変化については述べなくてよいことになるが、そうではなくて文明の変化と、政治の変化の相互作用について述べなくてはならない場合には、文明の変化についても述べなくてはならないことになる。そのどちらが先かは卵が先か、にわとりが先かというはなしになる可能性がある。そうではない場合には文明の変化についても述べなくてはならないことになり、つまり、文明の変化と、政治・政治学の変化の関係について述べよという設問になり冷戦後の政治学においては最初に問う必要があるような時代になったものと思って解答した方が正解ということになると思われる。このように今後の政治はどのようになるのかの質問に答えるためには文明の変化に注意を向けなくてはならない。
東西の冷戦の終了後の世界の文明は大きく変化しているように思われる。その理由は世界の政治の歴史的な変化が人類の文明に大きな影響を与えると考えられるからである、逆に文明の大きな変化の方が歴史的な世界の政治の変化をもたらしているといえるのであると考える意見があろう。冷戦の集結という大激変を経験した世界の文明においてはその後の現在の大激変の政治状況においてこのような文明の変化と政治の変化の関係に関する設問の答えから政治と政治学の原理的な変化を説明する必要があるような時代が訪れたように思われる。政治学は政治を取り扱うのであるが、政治は文明の一部でありその主要な部分を構成しているからであり、文明と政治は相互関係を有しているといえるからである。
政治、文明、文化は日本の代表的な国語辞典である「岩波書店」の広辞苑によれば、次のような意味であると解説されている。
★【政治】
[ 書経畢命]
(1 )まつりごと。
(2 )(politics; government)人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。主として国家の統治作用を指すが、それ以外の社会集団および集団間にもこの概念は適用できる。
★また、【文明】とは次のような意味である。
(1 )文教が進んで人知の明らかなこと。「―の世」
(2 )(civilization)都市化。
(イ)生産手段の発達によって生活水準が上がり、人権尊重と機会均等などの原則が認められている社会、すなわち近代社会の状態。□蒙昧・野蛮。
(ロ)宗教・道徳・学芸などの精神的所産としての狭義の文化に対し、人間の技術的・物質的所産。
★【文化】とは次のような意味である。
(1 )文徳で民を教化すること。
(2 )世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。
(3 )(culture )人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、文明と区別する。★以上のように日本では使われている言葉を使って論ずるのであるが、それによって政治文明、政治文化というものを解明していくことになる。この本では文明は、多くの異なった個別的な文化を含む全体的な概念であると定義する。個別的な文化が他の文化との接触によって、普遍的な要素を形成していくことがありうる。それは文化の相互理解によるであろうし、その過程は様々に分析できるので、学問の対象となりうるであろう。従ってある程度普遍的な要素を形成していった世界的・国家的な規模の文化の集合を指してある文明と呼ぶこととする。そのような異なった文明の集合が地球上の人類全体の文明であり、そのような文明全体が良いものになっていくこと、それはアリストテレスにおけるように政治的な徳を備えていくことというアリストテレス政治学の目的とよく似たようなことが大切である。文化は物質的なものも、精神的なものも含むものである。ある意味では文明は「人間が動物から区別されるべき道具・記号の全体」で、個別的な家庭的、社会的、地域的、国家的、歴史的な個別性を有するのがそれぞれの文化である。しかしその機能については全体として有機的に社会を形成しているものである。文化は社会そのものを指しているのであるともいえる。重層的に家庭の文化から、友人の文化、職場の文化、社会の文化へと重なり合っているものであると考えられる。そのような文化の集合全体をさすものが文明とする。
第一次世界大戦後の歴史のなかで最も政治的に人類にショックを与えた政治的事件、我々が政治的に解明すべき事実がある。それは、民族の抹殺というものを目的としたという事実は民族という概念や、その他の社会の文明の概念を反省させた。ユダヤ人の虐殺をナチスドイツが行ったという政治的な厳然たる事実がある。法学的な厳然たる事実としてはそのために法が用いられたという事実がある。この事実は政治学が解釈を行うべきである。しかし学問の分野としては法学の分野でもあった。政治哲学の分野であるが、また原理の問題でしかありえないが、政治人類学や、政治文化論の領域に属する可能性を秘めている事実である。しかし政治学の分野だけではなく、文明そのものに影響を与えたという意味ではもっと広い視野から見た文明論や、文化論の解明すべき事実でもある。このような野蛮で、破壊的な事実をどのように解釈し、説明するのかが現在の政治学および文明論・文化論にとって最も大きな課題であろう。その事件は反ユダヤ主義に基づいていたが、反ユダヤ主義の政治的な解釈が現代の政治学が解釈すべき事実の出発点となるものである。人類がそのような大量虐殺を政治的になしうるとはどのようなことを意味するのかを政治学は説明できなくてはならないと考えられる。この事件の正しい解釈による人類に共通する問題の解決は日本の第2次世界大戦の前史及び戦時下における朝鮮人の差別事件の問題や、ソ連におけるスターリンによる粛清事件の問題の正しい解釈による事件の解決にも資するものと考えられる。解釈には様々な方法がある。この本ではヒットラーの人格という側面から見てみることにする。
行政的には官僚がその実行に関与したという事実をともなっている。この事実への反省が行政学上で科学的に反省が行われるであろうが、それだけでは十分ではない。行政はその先兵になっただけだという表現がありうる。政治が行政に命令したのであるから、政治学において政治そのものの反省が必要である。行政とパーソナリティという側面からおよび政治とパーナリティーの側面からみてみることにする。
権力分立により選挙で行政官を選ぼうというようにも解釈できるアメリカの行政学上の方法によりこのような事件の再発は予防できるであろうか。行政学も十分に反省しなければならないが、それだけでは十分ではなく、選挙は政治も、行政も共に動かすものであり、選挙の背景となるものが、政治と行政に影響を及ぼすとするならば、その選挙の背景となる政治文明を考察する必要がある。それはまた、立法の問題でもあった。立法を通じてこの事件は行われたからである。立法、司法、行政のすべてとトータルな政治すべてに関わった事件であった。
次に第二の重要な政治的事象、核兵器という事象の解釈が必要である。核兵器の使用が第二次世界大戦の末期の日本で起こった。これが戦争の終結に役に立ったのか、日本の平和に役に立ったのか日米で議論は分かれている。現代の政治学が第一次世界大戦後に次に大きなショックを受けた事件は、この原爆の使用である。核兵器による大量虐殺が実際に日本の広島と長崎において行われたという事実である。実際の原爆の投下はユダヤ人の大虐殺に勝るとも劣らないくらいに大きなショックを人類・人類の文明及び政治と政治学に与えた。この事件は、核兵器の完成及びその破壊力の莫大さを人類に教えたのであった。これにたいしては政治のあり方そのものに大きな影響を与えた。戦争の放棄という理想的な日本国憲法が日本において成立したという事実がまたこれに勝るとも劣らないくらいに重要な政治的な事件であった。この日本国憲法はその制定の経緯が占領下における「アメリカからの自由の強制」を含んでいたのではないか、あるいは、その制定過程において占領軍による「自由の強制」のための検閲などを含んでいたのではないか、それは専制主義や、独占にとっては自由主義に反対する勢力に対する「干渉」がその過程であったのではなかったのかという制定過程に関する疑問が提出されている。自衛隊にたいして違憲訴訟が行われ、違憲判決が下級裁判所においてだされたのも政治に大きな影響を与えた。
核兵器は世界の政治の文化・政治の文明に大きな影響を与えた。核兵器の莫大な破壊力にくらべれば、日本の第二次世界大戦までのゼロ戦による特攻隊のような勇気はもう必要でなくなってしまったように思われるので、現代ではすでに勇敢なことは政治的なパワーではなくなったようにみえる。例えば冷戦後のアメリカの大統領選において共和党のコリン・パウェル氏がその高い知能指数で強さを抽象的に記号化し表現できたといわれているが、それとは正反対に、第二次世界大戦で負傷した共和党の大統領候補に決まったドール氏の動かない右手が今や強さを表現するものではなくなったのである。逆に良心的兵役忌避を行った経験がある民主党の大統領候補のビル・クリントンが政治的な強さを持っているという記号性を表す時代になったのである。このことは戦争の兵器としての核兵器とまたその核兵器を制御する戦争の道具としてのコンピューターの大きな力が必要になったという人類の政治文明の記号性を表明しているのかもしれない。
第三の検討すべき政治的事象はテレビの登場と、双方向的なメディアの登場である。テレビの登場を重視したマクルーハンの理論はその双方向性に注目すべきである。同時性のある情報の重要性は双方向的に利用できるという機能性に注目すべきである。もしテレビの重要性が映像にあるのならば、映画の時代にも大きな文明の変化が起こったはずである。しかしそれは起こらなかった。テレビは家庭の中にはいったことが重要ではなく、そこに双方向性があったことに文化、文明的に重要な要素を含んでいたのである。双方向性は政治的なもので、社会契約を本物にする可能性がある。社会が各人との契約によってなりたつのを助ける可能性があるのであると考える。
このような政治的事象を根本から問いなおすためには文明の進歩論と、発達心理学は役に立つものと考えられる。個人に関する発達心理学と、社会全体の文明論における発達論はどのような点で関係を持ちうるのであろうか。個人の発達と、文明の発達の類似性を発見できるとすれば、文明は個人のなかに吸収されていることによってのみ文明になりうるという事実からそれは両方の発展につながるのである。個人のなかに体現された文明こそ生きた文明である。それはすべての個人に吸収されねばならない。文明は量の問題ではなく、質の問題である。個人にとっても吸収されるべき知識は量ではなくて、質であるべきである。個人も、社会も発達すれば文明がよいものになるという意味での良質の文明をつくることが必要であり、双方向性のある文化の下ではそれが出来るかもしれない。良質の文明とはこれまでギリシャで「徳」といわれてきたものと近い内容のものとなるかもしれない。文明は質的にとらえるべきである。共産主義も国家主義も消えてしまったという「歴史の終わり」の後に来る文明を研究するものになりうるかもしれない。その時にはギリシャ時代の徳に人類が戻りうるのかもしれない。軍隊は政治学において研究されるべきであるが、それは破壊性をなくすためである。
文明の変化を研究するためには文化人類学の成果や、発達心理学の成果を取り入れることは有効な手段である。そのように他の科学による成果を導入することで政治文化や、政治文明の発達という概念にも応用することが出来るようになるであろう。生物としての個体の進歩・発達についても、文明の進歩・発達についても、第一に生物的な進歩と、第二に有機体と類似の構造をもった社会のシステムとしての各人の役割などの機能のからみあった機能的なシステムの進歩と、第三に環境的・文化的・歴史的進歩とに分類されるであろうし、それは政治文化の進歩・発達の分類についても同様である。政治的な人間としての人間をとらえる場合の政治的分野に限った政治的人間の政治的な進歩、政治的人間の集まった集団の政治システムの進歩、一般的な文明のうち政治的事象に限った政治的な文明の進歩が政治学においてもおこっているのではないかと考えられるのである。これらの進歩はすべて一体のものであるという考え方をとる必要が叫ばれている。地球という環境のなかでこれらはすべて有機的に関連し、安定性を保っているという考え方である。人体と同様に呼吸器系と、排出系と、消化系と、心臓系とかというようにそれぞれが有機的に関連して一体として文明を、よい文明を形成しているのであり、よい文明を形成しようとしているのが人類の文明であるという考え方である。市場の生きた市場メカニズムもそのような全体の文明の一部として正当に評価されるべきときが来たといいうるのである。
政治意識の重層的構造
政治意識の基本構造として、私は重層的に重なり合うように積み重ねられる構造を、全体社会との関連性においてとらえる方法を提起したい。それは環境を、家庭の環境、親子の環境、友人との環境、社会との環境、世界全体との環境というものをとらえ、それらはすべて独立したものではなくて、重なり合っているものであるととらえるものである。
これに対してまず環境でもっとも大切なものは、稀少性の大小である。この稀少性は経済ということもできる。しかし、大金持ちの人であっても、いつも取られるのではないかとフォビアに陥っているひともいる。ハウス大佐というウイルソンの側近であった人間は六男であったそうであるが、金持ちであったけれどもフォビアが強かった。これは家庭の面からの分析であるが、子供の数の多い家庭ばかりであれば、その社会は人口が急増していることになる。私はこれからは人口が経済の成長率と同じくらいしか成長していかないような環境における人類の文明の進歩を想定し、これが二一世紀の文明の行方であるという主張について考えてみようと思う。これまでの二十世紀の文明を批判して「戦争と、革命の世紀であった」という懺悔はただしいであろうか。革命と戦争を分析して「二十世紀はマスコミが、集団主義を鼓吹し、多くの大虐殺が集団主義者によって行われた時代だった」その時代は葬り去られるべきであるという説をここに提出したい。二度の世界大戦と、世界の経済大恐慌、革命は人類に多くの災厄をもたらした。それらは革命と、一党独裁という形で行われた。それを集団主義と名付ければその本質は何かを見極めその本質から根本的にその傾向を葬り去る必要があるであろう。そうするべきであるという意見をもっている。国家的な側面では集団主義であるが、家庭の側面では子供の数が多く人口が急激に増大する時代にする圧力を家庭が持っていたので、そこから社会に対して集団主義が発信されたのではなかろうか。家庭において集団主義は醸成された。ニクソンも、ケネディも共に九人兄弟の集団主義者にすぎなかったのかもしれない。大企業に押されたニクソンも、社会主義・共産主義におされたケネディも共に集団主義者であったのではなかろうか。ニクソンの精神分析の本を読めば、その共和党も、対する民主党も闘争の時代であったことが理解できる。共産主義者の闘争心は、一党独裁と、暴力革命の理論に集約されるが、その他の集団主義の理論はイデオロギーに対する固執と、共有に対する執着・そして所有に対する執着とに集約される。それはチャップリンの演劇において表現したものについても同じであった。チャップリンは二十世紀の政治文明・政治文化の形成に利用されたのであり、利用したのはマスコミであった。政治家も、文化の面でのチャップリンも政治的には同じ政治的な存在であったのである。日本の田中角栄にしても、大平正芳にしてもそれは集団主義をマスコミによって鼓舞するために同じ立場に立たされていた。
先進諸国において出産率が下がっていることが生物学的にも、政治システム的にも、文化的にも人類の文化が変容していることの主原因であると仮定したい。しかしこれに反して後進国においては人口の急増している地域がある。このことが文明にどのように影響を与えているのであろうか。人口急増地区においては競争が激しい。と、人口漸増地域ではあまり競争は激しくない。それは文化の違いを発生している。その両者の軋轢をもたらしている。これも文明の変化をもたらしており、現在の社会、世界の動きの中心的な動向である。日本においてはバブルの崩壊後の経済不況の社会経済状況もその大きなうねりにまきこまれているものと考えられる。アジアの人口急増地区の急追を受けているのであり、日本の文化が他の文化よりも優秀であるという考えは植民地時代の名残りだったのかもしれない。その後発生した政治の大混乱はこの文明の、政治文化の変化と大きく関連を有していると考えられる。
例えば文化人類学において後進的と考えられていたアボリジニの先住民族も時代が来れば自由で、平等な政治的権利を主張することとなり、政治の舞台に登場することとなるであろう。先進諸国とかってに考えている国の人々とかれらも平等な様々な権利を持つ人間であり、そのような後進的な人達も劣った人間、民族ではないのであろう。しかし少数民族は人口が減少していて、保護政策が必要である。逆に人口が爆発しているアジアの地域もあり、様々な地域が一体となって世界を形成しており、地域によって文明・文化は相違するが、その根底には家庭があるということの認識こそが、世界の文明と、世界の政治経済の変化の出発点となっているのである。これはユダヤ人への差別をなくしていくことについても、その家庭という側面を研究することにより文化・文明の違いを明らかにしていくという方法をとりいれいたずらにステレオタイプの認識からユダヤ人を抹殺しようというようなことを考えないようにさせようというねらいをもっている。しかし家庭を分類し、タイプに分けることによってまた区別が、差別につながらないように、機能的にシステム的に区別を行い、根底に人間の自由と、平等性を確保することができる余地を残しておく必要があるであろう。これが家庭から政治学を出発させる出発点であり、それはこれまでの政治学が人類を自由で、平等なものとして扱い、人民の、人民のための、人民による政治を取り扱おうとしたのと全く同質の政治学となり、民主主義から出発するのと同じ出発点である。
ここで参考となるのは人口急増中の文化の特質として他人指向性、人口減少中の文化の特質として内部指向性を指摘した仮説は本当に正しいものであろうかということを検討する作業である。これまでの文明論はすべてこのように文明全体の観点から再構成、再検討をしてみる必要がある、そのようなことが必要になったのは二つが対立していた時代には考えられなかったような要請であったのかもしれない。なぜならすべてのものが0か1に分割されて表示されているコンピューターの言語と同じように、文化は二元論的に捉えられるから文化が成立しているのに、世界を一つとしてとらえるということは人類の文明にとっては全くはじめてのことであったからである。このことは画期的なことであり、そのような時代の要請が冷戦の終了後に学問、特に政治と文明に対してなされるようになったのである。これは時代の要請であり、次の時代の出発点となるべき哲学的思考となるべきでものであるといえるのである。
ここで大切な視点は人口急増中の社会を研究するという場合その社会を分析するのにどのような方法を用いるのがよいであろうか。ある社会の文明の分析をするのに個人の属する社会として家族を分析するのか、個人の属する学校を分析するのか、個人の属する社会全体を分析するのか、などなどという事である。あるいは社会よりも個人のほうが重要であるのだから個人そのものを分析するのかという事である。文明の解釈というのはどのようなことであろうか。その目的、対象、手段によって文明のとらえ方は大きく異なってくるであろう。個人の幸福をもって学問の目的とすればこの分析は個人に近いところから、個人から遠いところへと向かっていくべきであろう。集団全体のためにのみ文明があるのであるとすれば、集団全体である国家のみの
第五章 政治とは何か
第一節 政治の定義
政治とは何か。この質問には定義をもって答えなくてはならないが、あまりに多くの答えが存在するので、功利主義の定義によるのではないが、現実の描写として、人間の利害関係によって定義しようと思う。
政治が存在する理由は人間に利害の認識があるからで ある。利害には欲望や、効用や、生命に対する生存の欲求やらほとんどすべてのものが含まれる。そこに価値としての名誉欲が含まれるか、それが価値であれば含まれることになる。
政治を利害関係という側面からみれば、次のような定義となる。この定義は功利主義的な政治の定義ではない。この定義は規範と、行動と、人間のすべてをトータルにみてみようという定義であり、これらは家庭においても、社会においてもそのすべての場面においてルールや規範の形成過程についてのべているものである。従って共同社会についても、利益社会についてもあてはまるものであり、純粋に政治的な側面を抽出したものである。
政治とは「人間が人間に利害関係のあるあらゆる制度と、人間との間に利害があるときに」「人間が」「利害関係を調整するために」「様々な政治的過程を通じて」「国家や、家庭や、職場や、組合や、政党や、様々な地域やらに様々な場所において」「人間に利害関係のあるあらゆる制度を維持したり、変化させたり、新たな制度等として作り上げようとする現象」である。以上の定義に含まれる様々な政治的現象を研究するのが政治学であり、そのような政治性を有する人間を政治的人間という。すべての人間は政治的人間である。それは人間は制度等の政治的環境のなかで生活しているからである。「人間に利害関係のあるあらゆる制度」を政治的環境とよぶ。
政治学 political science 英語 、politische Wissensch aft[ト゛イツ語」]science politique[フランス語 ] とはどのような学問であろうか。それは政治に関する学問であるから政治を総合的に考えることによって政治の定義を行うことが第一の出発点であるということになる。
政治とは1「人間が政治的環境(権力構造や、軍隊機構、立法・司法・行政機構等の制度、実定法と自然法の体系を含む幅広い概念であり、政治という概念を使わずに今後説明することになる重要な概念)と、人間との間に利害があるときに」(一、when=政治の歴史、政治の将来論、現在政治論、現在の政治的状況の時間的な議論等),「人間が」(二、who=政治的人間論、政治権力と性格論、すべての人は政治的であるかどうかという議論、民主的性格はどのようなものなのかという議論、戦争などの人間の本質にせまり破壊性はなくせるのかの議論等など)3「利害関係を調整するために」(三、why=事件の法的解決目的や、紛争の調停目的や、利害調整の目的、その他の理由・目的など)4「様々な政治的過程を通じて」(四、how=政治過程論や、政治技術などの過程論や、方法論、立法の過程や、立法の方法、司法の過程や、行政の過程・行政の活動・過程等これまで現代の政治学が伝統的な政治学と区別される徴候であるとされてきた過程の議論)5「国家や、家庭や、職場や、組合や、政党や、様々な地域やらに様々な場所において」(五、where=様々な地域が比較される比較政治論、政治地理学、各国政治論、各種政治論、各種政治文化論、国際政治学、家庭や、小さな集団などの様々な場所においての意見の集約についての研究、それらの結果が国家によってまとめられるものであるとすれば、国家と同様に様々な集団も国家と同じくらいに大切な政治学上の課題でありそのような様々な場所等)6「政治的環境を維持したり、変化させたり、新たな制度等として作り上げようとする現象」(六、what=政治的にどのような行動をおこなうのか、政治的環境と政治的行動の関係論、政治的状況と政治的行動の関係論、政治制度と政治行動の関係論、政治制度等の変動論、政治制度変動論、政治的組織の形成の理論、実定法と自然法の相互関係論、行政の制度と政治の関係、政治行動論、政治行動における政治心理学、政治の投票行動論、政治思想の発生の理論、政治イデオロギー論等)が複合的に一体となった総体である。この六つの要因が総合的に合体されたものが政治の現象であり、政治はすべてそのなかには含まれているのであると思われるのでこれは包括的な定義であるといえる。政治とは紛争のみをあつかうものではない。紛争に関係のない制度も取り扱う。
従ってどのような政治現象もほとんどこの五W一Hの組み合わせとして表現することが出来る。但し、ほとんどといったのは、どれかが全く見えないような状態であることもありうるからである。だが、この五W一Hは新聞などの記事と同じようにすべての政治的なことがらはこの組み合わせによるのである。新聞の記事の場合と同じように特に政治の場合にはこれらが一体となってはじめて政治という全体像を把握することが出来る。「象は一部を触ってみても、全体は分からない」のと同じで一部のみをみていたのでは政治現象はとらえることが出来ないのである。政治現象における心理や、行動や、集団的活動、政治的事件等は政治現象であるがそれらを他の五W一Hと分けて研究することは全く意味をなさない。以上の定義に含まれる様々なものを研究するのが政治学であり、そのような政治性を有する人間を政治的人間というが、これら五W一Hは一体となっており、上記一から六までを分離することが不可能なくらい複雑にからまっており総合的に研究すべきであるが、複雑であるからといって総合的な研究を放棄することはまちがいである。例えば、政治心理は制度に関する議論を含む政治思想に成長しているかもしれず、制度をぬきにして政治心理のみを研究することは全く間違いである。つまり政治心理を心理のみを分離して研究することはまちがいである。さらにそれが政治的イデオロギーにまで発展しているとすれば、イデオロギーを政治心理と分離して研究するのも間違いである。イデオロギーが極左、極右、依存的イデオロギー、独立的イデオロギーになったりする過程は、ただ、イデオロギーとして切り離して研究するのは間違いであり、だからさらに単にイデオロギーとして妄信するのも間違いであり、2の政治権力と人間の理論としても、6の政治イデオロギー論としても研究されていく必要がある。政治心理、政治権力、政治行動、政治活動、政治環境等も1から6までの総合として研究されるべきものである。したがって例えば具体的な事件としてはケネディーの暗殺についても1から6までの総合によって説明する必要があるということが出来る。
この定義によれば1〜6のように政治的環境(制度等)と政治的人間を中心にして政治がとらえられることになる。
さて政治を定義するのに「政治」的環境という言葉を使うことは同義反復になるので、政治的環境とは「人間に利害関係のあるあらゆる制度」と定義しなおすことができる。これによって政治という言葉は「政治」という言葉を使わずに定義されたことになる。したがって政治的制度には家や家族制度も含まれることになる。家の制度が家父長制度から個人の人権を強調する制度に変化したりすれば、それによって利益をこうむる人も、不利益をこうむる人もあるから家や家庭の制度も政治的な制度ということになる。性についても不平等な制度が生まれれば生まれるほど各人に利害関係が生ずるので生物学的性のほかに、政治的な性の制度があり、変化したりするし、新しい制度が家族内や、国家内において作られたりするので、性の政治的慣習・制度もありうることになる。この場合は制度というよりも慣習という言葉が多く使われているので、それらを含めて政治的環境ということになる。またある制度を変えたり、制度を作ったりすれば、人間に利害を及ぼすような制度は政治的制度である。従って政治的環境とは人間の社会的制度等のうちその制度等を作ったり、変更したり、維持したりすることが人間に利害を及ぼすような制度等である。今後はこの制度等全体を、制度とよぶことにする。なぜなら環境とよぶならば、政治的ではない環境と混同しやすく、一般的な言葉でこの政治的環境ともっとも近い意味の言葉は制度であるからである。したがってこの定義にいっている政治的環境とは、権力機構、権力制度、軍隊制度、国家制度、国家機構、政治的機構、政治的制度、法制度(実定法の体系及び自然法の体系、経済的制度、社会保障制度、経済的自由及び経済的規制の制度、家や家族の制度、会社や企業や組合の制度、集団や組合、政党の組織、法律や慣習、慣習法や不文法、文化、宗教が制度に変化した場合の制度、道徳が制度に変化した場合の現実的制度、文化人類学にいう文明やらを含む広い概念である。人間は様々な取決めをすることなしに生活をすることができないのである。そのような取決めは文明のような漠然としたものから、法律のような国家が定めた実定法のような文章化されたものまである。
したがって現在も、将来も、政治は歴史上において存在したのと同じような意味合いで存在し続けるであろう。憲法、刑法から、民法、行政法、経済法、労働法等の実定法のすべては制度のうちではもっとも政治に近いもの、国家に近いものであるといえる。
例えば歴史上の一例を挙げれば日本の明治時代の「国会開設の要求運動」は国会が政治的制度であるので政治であり、また、リンカーンの「人民の人民のための人民による政治制度を求めたりするような行動」は民主的制度作りが政治的環境作りであるので政治であるということになる。権力を誰が、何時、どのような方法で、何のために、何処で得るのかを研究することは政治的制度のうちの権力制度に対象を限定したものであるがそれには、五W一Hがはいっているが、しかし権力以外にも政治的環境は存在するから権力の研究は政治の研究の一部であるということができる。
かつてアリストテレスは,「人間はポリス(政治)的存在である」といった。アリストテレスがあらゆる人間はポリス的動物であるといったのではないが、ポリス的存在であるという指摘は現在のポリティカル・マンという言葉にも通ずる考えをいったものであると思われる。ポリスがギリシャ時代の政治的環境一般をさしていたと考えることができる。したがって、そのなかには権力の研究もあったし、法律の研究もあったし、世論の研究もあったのである。政治的環境にあらゆる人が利害関係を有するかどうかはその人の主観に係わってくるが、余程の大金持ちか、浮世を離れた出家僧やら人間が予想しうる政治的環境と利害関係のないという人を除いては、客観的に見ればすべての人が政治的であるといいうる。ここで政治的でないという人を予測してみよう。もしある人が政治的でないといえるとして、それを証明できるとするならばその人は政治的ではない人間といえるであろう。しかしもし政治的制度が全くかわってしまえば、その人も利害関係をこうむることが証明されるならば、その人も政治的人間であるといいうる。大金持ちであってももし政治的制度が変わって税金を多く取られたり、所有権や、人権を否定されたりしたら、大きな利害をこうむるであろう。そうとしたらやはりその人は政治的人間ということになる。すべての人が政治的ではあっても政治に参加しているとは限らないし、政治的に利害関係があるのに、忙しくてとかの理由によって政治との利害関係に気付かない人がいるかもしれない。その人は政治的人間ではないのであろうか。これまでの人間の歴史のなかではすべての人が政治的であったはずであるのに、政治家として、政治的人間として政治史の中に現れてきた人は少ない。例えばある黒人の奴隷の人が政治的に奴隷制度との利害関係があったにもかかわらず、奴隷制度廃止の運動にかかわらなかったからといって政治的人間ではなかったといえるであろうか。かっては政治に参加することができなかったのであろうという推測もできるが、それは本質的にその黒人の奴隷が政治的でなかったということにはならない。彼も政治的人間であったのである。歴史は少数の者が政治に参加していた時代から、多くの者が政治に参加するようになってきたといえるし、参加ができるような制度もつくられてきたといえるであろう。デモクラシーや、オリガーキーの理論はこのような理論であったのかもしれない。ところがポスト冷戦の現在は政治学はすべての人が政治的であることを認めるべきであるという要請にかかわっているのであると思われる。これがポスト冷戦の現在の政治と、現在の政治学の特徴である。そのような政治と、政治的人間を研究する学問が、政治学である。一般に政治と、政治的人間の利害を政治的利害と呼ぶ。政治学は,狭い意味では,国家的政治及び国際間の政治一般に関する学問である。
さて経済学における経済的人間の定義は経済学を発展させる原動力となったものである。政治と政治以外との区別が出来なかったら政治学はその対象を確定できないばかりか、学問としての独立は不可能になるかもしれないからである。「経済的合理的選択をする人間が経済的人間homo‐economicusである」という経済学と同じような方法で政治学においては政治や、政治的人間homo ‐politicus や、政治的制度を定義できないであろうか。他の学問をひきあいにだして政治と政治以外とを定義しなおそうとするのは政治の科学化がこれまで遅れていたからである。しかし定義をする努力はしてみる価値はある。最初に人間の持つ制度の分類を行いそのうちで政治的制度と、非政治的制度との区別が出来るかを概念化してみよう。政治的な利害関係の判断を合理的にできる人間が政治的な人間である。したがって、制度をすべてこわしてしまうような理論は政治的な理論ではなく、破壊主義の、共産主義的な理論であるという定義だけでそれはたりるのであろうか。無政府主義がでてくるまではそのような合理性のみの理論ですべてが解決されたが、現在はそのような理論のみではすべてが解決されたとはいえないのでそれを考察することになる。経済学においては空気はそれが人間に稀少であると考えられないうちは経済的ではないが、洗浄された空気のように稀少的なものになれば経済的なものになる。このような経済的であるか、経済的ではないかを分別できる人間が経済的人間である。政治においてもすべての人が政治的人間であるのであるといえるのであるという結論はすべての人が制度に対して利害を認識しているかどうかにかかっているといえる。これも制度に関する合理的な判断であるといえる。もし、制度に関する合理的な判断が出来ないとするならば、その人は政治的な人間ではないということになる。しかし、政治的であるということを認識していない人で実際の政治の場に登場しない人もいて、実際に政治の場に登場しないために投票しないで選挙の結果は全政治的人間が政治に関与した場合とは結果が異なるということになって実際の政治の現場では政治的人間であることが現象として現れてこないのである。そのような理由ですべての人が政治的であるのではない、すべての人が政治的人間であるのではないという印象を一般の人が受ける可能性はあるが、政治学の原理的な方法で政治を定義すればすべての人が政治的であるということになる。この理由は主に本人は政治的ではないといっているが、ある人と、制度との関係をそとからみれば、その人は政治的であるということになるのである。ある人をみる場合にその人の目でみれば、憎いものは対象としてちゃんとみえないようなものである。政治学において科学的に政治的人間を定義してみよう。経済学においては稀少性という概念による論理で経済的人間というものが仮定されて経済学が成立している。政治学においても、同じようにして政治的人間というものを仮定しようという試みがなされようとしてきたが、これまでは失敗に終わっている。そこで空気の例と同じように制度を分類して政治的な制度と、政治的な制度とを分ける基準を、政治的人間と非政治的人間とを分ける基準を経済学における稀少性と同じような概念によって、概念化する必要があるであろう。例えば制度というもののうちで昔から法学原理で規範の分類において例としてひきあいにだされる例からまず分析しよう。制度のうちで「人は右、車は左」という規則は政治的な制度であろうか。その制度も、日本にいるだけではほとんど政治的な制度ではないと一般には感じられる。ところが、アメリカやら外国のうちで「人は左、車は右」という交通制度の国との間で貿易をするとなると、相手国の自動車会社はそのような空気のような制度によっても利害があり、日本に輸出するためには自国の車のハンドルを右ハンドルに改善しなおしてから輸出したほうが日本で輸出しやすいと考えて、費用をかけて右ハンドルにしようとおもうであろう。もっとすすんで車は左の規則を変えれば利益をこうむると極端な場合主張する企業が出てきたりした場合、その制度を変えようとしたりした企業にとって政治的な制度とこの制度が認識される場合が出てくる。そのようになった制度は政治的制度であり、制度は政治的なその程度を場合場合で変化させ、優先順位のようなものをかえられているということになる。現在のアメリカとの間の日米構造協議で日本の通商制度や、土地の価格制度についてアメリカが変化を要求しているような制度は明らかに政治的制度とみなされている。しかし政治的制度の重要性の優先順位とは関係なく、政治的制度の重要性というものもある。それは今は多くの人が満足していてその制度を変えようとか、維持しようとか、作りなおそうとか考えていなくても、もしその制度がこわされでもしたら一大事になるような制度がある。例えば民主主義の制度が壊されて、専制政治や、独裁政治になったりした場合にはじめて民主主義の政治が重要なものであったとわかる場合の常日頃から守っていかなければならないような制度も存在する。自然法という概念は時々刻々と変わらない人間に常に利害関係を持つ普遍的な法という意味では、重要な制度であるといえる。政治学はこのような制度と、政治的行動等を研究したり、その相互関係を研究する学問であり、制度論の研究から行動の研究へとその関心は変化し、さらに現在ではその相互関係や、その相互関係にいたる政治的過程やらの研究、制度と政策の研究、政治史と政治哲学の研究などなど幅広く研究が行われている。興味の関心は制度から、行動へ、行動から過程へ、過程から法則へ、法則から制度へと変転極まりないのが政治学であるが、それらはすべて甲乙の区別なく重要な研究である。官僚制や、国家論も必要であるし、行動論や政治心理、政治過程の研究も必要である。制度の研究なくしては政治的行動の研究も、政治過程の研究もありえず、またその逆についてもいえない。実定法の研究が制度の研究のみで終わり、三段論法の研究で終わるのとは違い、理論法学に似通って、政治学は規範の研究と、事実の研究と、さらに制度と行動と政治過程が複雑に交錯する事象を研究せねばならず、全体を見る眼が必要であるといえる。その意味では人文科学や、他の社会科学と複雑に関わり合っている学問であるといえる。政治学は哲学ともかかわっており、その重複する部分は政治哲学とよばれるものである。さらに政治を体系としてとらえれば、政治体系論が形成されてくるし、政治的制度のなかの人間の性格について行動科学的なアプローチもなされるようになる。
人間は地球の生物である。人間は地球上の生物である。ヒトという動物=ホモ・サピエンス(homo sapiens)の所属する地球の生物界では生態系がある。人間もその生態系のなかで生活しているのであるが、人間はそのような生態系を環境として認識することが出来る。そのような人間には様々な環境が存在する。文化人類学においては文化と、人類と、環境についての研究がなされている。人間の文化と、環境については社会学や、文化人類学の研究を参考とすることによって政治学の研究もおこなわれるべきである。環境には、自然的環境や、物質的環境以外に社会的環境が存在する。社会的環境は経済的環境や、政治的環境等が考えられる。つまり様々な社会的環境のなかにおいて経済的な領域と、政治的な領域とを分けるとすれば経済的環境とはちがう意味において政治的環境というものが存在する。例えば実定法が変われば、経済の競争や、経済的な結果も政治的に考えて全く相違するのである。経済的な制度として、例えば、共産主義的な制度と自由主義的な制度の違い、政治的な制度として民主的な政治制度と専制的な制度との相違を考えてみればそれは政治的な人間に大きな影響を与えることになることが分かる。それは制度の違いなのであってそれによって政治的なことが発生しているのであり、経済的な違い、つまりある人とある人の経済的な貧富の差ではない。それこそが制度が政治的な環境であるということの証明ということが出来る。経済的環境において経済的人間が想定されるのと同じように、政治的環境においては、政治的人間が経済的人間に対応して存在することになる。政治的領域において現われた「人間の本質」[ヒトという動物=ホモ・サピエンス( homo sapiens)の本質] が政治である。政治的な領域において政治的人間と、政治的環境との間に相互の関係が考えられ、それらは以上の通り利害関係を主な関係としている。人間は政治的制度としてかって陶片追放という制度をもったがそのようなことは政治文明というものにほかならない。陶片追放とともに、その後議院内閣制という政治制度をもったが、議院内閣制以上によいと人間が思う制度があるかもしれない。それが実現すれば人間の政治文明や、政治文化の「発達」であるといえる。人間の社会的環境のうちの政治的環境をよくしていこうという努力が政治の発達にほかならない。政治の発達現象とは社会的な制度を人間にもっとも適したものにしていくという現象であるということができる。
政治学は存在しうるのか。バーリンはこの問題に対して「政治理論はまだ存在するか」において論じている。バーリンの意見は後に参考にするとして、本質的な問題についてまず考察する。政治理論を歴史上最初にうちたてたのはマキャベリーである。その書は難解である。それまでもあった様々な政治的な諺をみてみると、科学的に説明されていなかった。しかし諺のなかには、政治的規則としてみることができるものが多少あった。マキャベリーは多数の政治的規則(因果関係)をつくり出し、そしてそれをローマ史や、フィレンチェにおける現実の政治の自らの経験によって証明しようとした。帰納法によってつくり出された規則もあったが、演繹的な方法による証明法もあった。しかし、それらが政治的制度、政治的行動、政治的人間等の現代政治にもあらわれてくる政治的概念の説明を含んだものであったことは確かである。
まず第一に政治学は政治(politics;Politik ;Politique )を対象とする学問である。政治に関係するあらゆることを科学的に研究する学問であり、政治を心理学的に研究するならば心理学との学際的な学問として政治心理学という学問になる。その他多くの学問との学際的な研究によっても政治はとらえられる面もあるような様々な側面をもった学問である。これを政治学の学際性という。しかし、政治というものの定義は誰に聞いても漠然としているが、政治は存在しないというものは存在しない。それは政治が毎日の新聞などのどこにでも存在していると考えられるものであるので、かえって「彼は政治家だ」という時の政治という概念によって指すものが政治であると思い込み、本当の政治とは何か。つまり、政治の定義が分からなくなっているのである。それゆえに政治があまりに漠然としているのでかえって大きくみえてしまって、日常にある普通の政治というものが見えなくなっているという面もある。本当の政治はそのようにある一人の人のみが大きなものであろうか。確かに政治は結果としてはユダヤ人の大虐殺というように大きな結果をもたらす場合がありうることは確かである。そのことはそれゆえに政治は大切であり、政治学はさらに大切に考えなおさなければならないものであるのであると認識されるべきものである。政治学は政治という現象を科学的に取り扱う学問である。定義を定めるというような言葉の深い意味は捨ててしまっていいというような学問ではない。一方政治の深い研究を行う政治哲学は哲学と、政治学の学際の学問として政治的現象を哲学的に取り扱う学問である。このように政治学は他の学問と一緒になって学際的にも研究されている学問でもある。政治を正確に定義しようとすれば、政治を部分部分に分けてみるのではなくて学際的な学問の成果をもとりいれて政治全体を見渡してその本質を見抜かなくてはならない。そうしないとベントリーの比喩ではないが、ベントリーの比喩と全く同じ意味を含有している比喩であるが「象をとらえるのに象の耳のみをとらえて象という」ような事態に陥りかねないのである。
盛んに試みられていたが,ベントリー(Authur F. Bentley,1870−1957)という政治学者は,そうした定義の試みを,子どもがはさみで色紙をあらっぽく切っている情景になぞらえ,概念規定によって認識の対象としての政治が切り刻まれ,台なしにされているのだと批判した。その批判はあたっている面もある。それはしかし政治の全体をとらえられるような政治の定義がなかったから、政治をとらえるのに疲れてしまったそのようにいってしまったのではなかろうか。そこで政治過程論の創始者であるベントリーでさえも政治とは何かを定義することを避けたのであるが,現実の政治は,政治学者の政治の定義がないからといっても、政治の動きはなくなってしまったり変化してしまうようなものではなく延々と続いてきているのである。そのことは人間が政治的人間であることをまさにしめしているのである。
政治の定義は非常に多数の方法で行われてきた。そのタイプについては多くの種類にわけられるのあるが、それらをここに一つにまとめてみると政治が定義が出来上がるというものではない。政治を定義するには政治の全体を本質的にとらえなくてはならないのである。そこで例えば「ケネディーを暗殺したことは政治的な事件であるのか」という問題を考えてみよう。その場合は政治以外の部分をイクォールの左辺に移して、政治を右辺に移してそれが等号で結ばれるかどうかを考察しなくてはならない。政治という言葉を政治以外の言葉によって定義すること、それも政治を本質的にとらえそれを政治以外の言葉によって、政治の本質をとらえることが出来るように表現することが政治の定義である。そこでは、政治の全体がとらえられていなくてはならない。そこで例にもどって分析するとすれば、ケネディー暗殺事件はどのような時に、どのような理由によって、どのような人間が、どのような過程を通じて、どのようなこととして、どのような方法で行ったのかを分析してそれが政治的なことであったのかどうかを分析してはじめて政治的事件であったのかどうかが決定されるであろう。それはあらゆる事件について同じような分析が必要である。ほとんどの政治的事件はこのような経過を経て研究されることになる。そのようなことを考えて政治の定義を行ってみようと思う。
しかし、政治とは何であろうか。これまでの古典を読んでみて政治の定義を研究してみるのは意味のあることであるが、正確な定義をみつけることは難しいので、そういわれて政治の定義をしてみようとすると,政治とは何であろうかとはたと困ってしまう。政治とは何かというときに日常の生活のなかでは全くその実感としてとらえることはできなくて、テレビ、ラジオが毎日取り上げる政治家しか頭に浮かばないひとが多いであろう。これは東西冷戦終了以前のこれまでの時代においては政治家の方をあまりに大きく新聞などが報道するので政治とは政治家のことであると考えていて、政治的制度等を中心においた本当の本質的な政治が考えられてこなかったからであると考えられる。政治とは何かという問いは政治の定義を総合的に包括的に行わないと解決しない難しい質問である。現代的に近代以降の政治理論によれば「政治は世論による政治であり、世論による政治は政党というものによる政党政治である」というであろう。しかしそれだけでは政治とは何かという問いは解決したことにはならない。全体的にそのような世論や、政党を包括的に含んだもっと深い定義が行われば解決しないような大きな問いである。政治のなかでは世論というものと、政党というものがもっとも大切であり、政党は政権へ向かってあらゆる努力を行うこと、それによって政治というものが動いていることは政治を一見すれば正しいことは確かであろうが、それが政治のすべてをとらえていると考えることは妥当ではない。政党にはナチスのようなファッシズム政権に向かう政党もあったのであり、そのようなナチスの行ったことに対する反省が現代の政治学と、法学において相対主義などが声高に主張されてもいる第二次世界大戦後法学の出発点なのである。政治の定義には、政党や、世論などのほかにも他の多くの人間的なもの、他のすべての政治的な人間、それも、すべての人が政治的であることを証明するような政治的人間の定義がはいっていなくてはならないのである。しかし政治の定義は現在の政治学会においても学説的にはまだ定まっていないので、政治とは何かという問いに答えるのは,なかなか困難な大事業であり、なかなか骨の折れることである。いろいろな高校の「政治・経済」の教科書や、大学の政治に関するすべての教科書、政治に関する学問的な論文の政治の定義は全くばらばらに違った定義をしており、そこである高校の先生がすべての高校の「政治・経済」の教科書においての政治の定義を比較検討したが、全くばらばらであったということである。多くの辞書を引いてみても、政治の意味についてはたくさんの説明があり、どれが正確に政治を表現しているのかはわからなくなってしまうのである。さらに多くの政治の書物は政治とはなにかを説明しないままで政治について説明をはじめることになる。したがって、大学の政治の原理に関する教科書、政治のことはじめにかんする教科書はまったく政治の定義を行わないで政治の講義をはじめてしまうことになる。だが政治学の発展のためにはこの政治の正確な定義という大事業は行われなくてはならないのである。他の学問で定義のはっきりしない学問など存在しないからである。この論文はそれを行おうと努力するがそれが成功しているかどうかは、読者の判断にまかせるしかない。
政治学には伝統的な制度論的な研究と、行動論的な研究、規範論的研究、歴史的研究とが併存してきた。それらを全体的に総合してみると政治の定義は行われうることになる。政治は総合的に全体的に見れば人間と、人間の作った制度との関係であるとみることができると思われる。人間と制度との関係には「利害関係」をはじめにして、「依存的関係」、「独立的関係」、「批判的関係」、「好悪の関係」、「無視的態度」等が考えられるが、それらはすべて人間の行動が制度との利害関係において依存的、独立的、批判的、好悪、無視等として現れたものであると考えることができるから、それらはすべて利害関係としてまとめることが出来ると思うので、以後は制度と人間の関係は「利害関係等」と呼ばずに単純に「利害関係」と表現することにする。ここ具体的には利害関係等と利害関係以外の言葉によって表現された方が適切である場合はあろうが、しかしそれはその本質を考えてみれば利害関係という言葉によっても言い表されてよいということに気が付くであろう。人間の作った制度は政治によってその後新しい制度に変化させることが出来るものであるからそのような意味で制度というものに関して人間は行動を行い、積極的にも、消極的にも政治的行動を行うことが可能であるということになるのである。そのように考えれば経済合理的に金持ちになるために努力して勤労すれば努力が有効で、それは認められている憲法に権利として認められている可能なことであるのと同じように、近代の最初にマキャベリによって問題にされた人間の政治的運や、政治的力量という政治的問題は、自分に適した制度に変更するように努力することが可能であるという権利を制度的にも、憲法的にも人間はもっているという結論をだすことによって、たしかに政治的運と、政治的力量はあるという結論でもって解決がつくのである。そのようにとらえれば、政治は次のように定義できると思われる。
人間にとって政治は本質的には善であろうか、悪であろうかという議論が存在する。人間にもっと適した制度というものがあるという概念は政治が善であるのか、悪であるのかという議論に有効に答えを出すことができるであろうか。善政は人間に適する制度であり、悪政は人間に適しない制度であると定義すればよいということになるのであろうか。この問題は政治の学問上の問題として重要である。政治は善でも悪でもないという立場をとれば、悪政も政治ということになる。政治とは人間に適したものであるというように定義をすれば、悪政は政治ではないということになる。このようなことを問題にするようになったのは、政治がナチスの時代のように悪政がありうるということを前提としてからのことである。この様に人間の政治的環境のよさ、悪さについての研究が今後は行われなくてはならないという課題が政治学には残されていることになり、それは政治学の規範的な部分の研究として政治学と政治哲学の問題として残されている問題である。それは政治の定義以上に難しい問題である。
政治学の方法と、政治学の分野
現在政治学には行動科学的アプローチと、制度論的アプローチと、規範論的アプローチがあり、行動科学的アプローチの方が科学的であり、近代的な政治学は行動科学であり、制度論は古い、伝統的なものであり、まして国家学は古く、国家学の復権は時代遅れだ、さらには規範論は科学的なものではないなどと様々な議論がある。しかしそのような議論は以上のような定義によれば制度論も、行動科学もそれぞれに政治学においては重要な部分であるということになりその全体を政治とよぶということになり、その論争は意味がないということになる。そこでは政治的行動というのは制度等に関係した行動であるということになり、その前に制度の研究が必要ということになる。また規範論というのは制度のよさ、悪さと関係しているのである。
人間が政治的制度を必要としている限り政治的制度は人間の利害を調整した結果である、したがって政治的制度と政治的人間の利害関係など考える必要はないと大上段に言い切り、制度の研究をあきらめるのは妥当ではない。政治的制度も利害の調整によってのみできあがった最終の結果であり、絶対唯一のものではない。様々な政治的要因によって政治的過程を経てつくりあげられたものが政治的制度である。そのように政治的制度とそれに利害関係を持つ人間が、政治的制度を作ったり、変更したりしていくことそのものが政治である。政治的制度は人間の利害を調整した結果であるというのは政治的制度の定義そのもののうちの一つのものであるから、それが正しいかどうか研究もしないでそう言い切ることは、ほとんど政治の研究をしたことにも、政治の定義をしたことにもならない。それは実定法をまるのみにして信じ、その立法趣旨や、立法過程を全く研究しないというのに等しい愚挙である。政治的制度は人間の利害を調整した結果であるというのは政治的制度について研究をする出発点にはなるだけであろう。政治的制度は人間に利害関係を持つ制度ではあっても、利害関係を「調整」した結果であるとは限らないのである。専制的、独裁的に決定された制度もありうるからである。
それと同じようなことは政治が「稀少資源の権威的配分」と定義することについてもいえる。それを出発点としてそうである場合と、そうでない場合とを研究するのが政治学である。政治的制度に関しても、稀少資源に関しても、権威的配分に関してももっと具体的に研究する必要がある。
政治が時によっては権力的支配であったり、権威的配分(権威的配分に満足ではない人が多くいることが考えられるのであるから、権威的配分という言葉で政治を定義し終わったと考えるのは間違いである。また稀少性という経済学の概念は政治学には通用しない場合が多くある)であったり、利益の調整であったり、権力の暴力的な行使であったり様々な側面を政治が持っていることをどのように解釈すればよいのであろうか。これらは政治が1から6にわたる現象として分析する時に存在として形を表す具体的な政治的現象の一側面であり、それは政治的な現象が社会において有する機能であったり、政治的行動の一側面そのものであるということになり、そのような政治的現象を具体的に1〜6にあてはめてその全体をとらえようとして研究するのが政治学の現実的な、具体的な研究ということになる。政治学にはこのように政治学原理と、臨床的な政治の現実の研究との折衷であることになる。政治的な法則はどのような政治的環境のときに、政治的行動がどのように起こるというようなことを研究するのであり、それは仮説の設定と、その証明によって科学的に研究されることになるのである。
ベルリンの壁の取壊しに象徴されるように今日東西冷戦が終了した。この結果ポスト冷戦とよばれる政治的状況が成立し、世界政治のなかではポワーポリテックスやバランス・オブ・パワーと呼ばれるものによって支配されていた国際政治を超えた政治的動きが起こってきている。狭い意味では国家に関する研究を行う学問が政治学である。それは国家間の政治をも含んでいる。そのような意味では現実の国家及び国際の政治に関する学問であるといいうる。が、国際政治は冷戦後国家を超えて世界政治という様相を呈してきたといわれている。このような国際化した世界政治に対応するためには国家を越えた国家内外のあらゆる政治現象を研究する必要が発生した。国家内部のあらゆる集団の政治はこれまでも国家以外の政治として研究されてきたのであるが、今後は家族と政治、すべての政治的人間と政治を含めあらゆる政治現象が政治の前面に出てくると思われるので、国家学のような国家に関する研究以外に政治は国家に関係しない、また、国家を越えたあらゆる政治現象をも取り扱う必要が発生してきた。政治とは、広義では,一般的政治それもあらゆる団体や集団における政治をいい、そのような政治についての研究がポスト冷戦においては特に必要になってきたので、そのような政治的なるもの一般を研究する学問が政治学であると考えられるようになり、そのような研究がさらに行われるようになってきたといえる。例えば両親から受け取ったおやつを兄弟姉妹で分けるときのルールや、分け方を決定するような行動は政治であるのかどうかということが国会開設の要求や、人民のための政府の要求と同じように政治であるのかどうかが問題になってきたのである。定義として広い定義を用いれば、このような行動も分け与えるルールの決定という政治的制度を作っているのであるから子供は政治的人間利害関係を被っているのであるから定義として政治を国家のみに限定しなければ政治ということになる。このような子供のときの政治的経験が大人の政治的思想に大きく影響を与えるという考えかたもある。そのような狭義と広義の意味の政治に関する学問の総称として政治学という言葉が用いられてくるようになってきているといいうる。しかし学問あるいは科学としての政治学を科学として完成する努力は現在も続けられているのであるから、政治学は完成した学問ではなくて発展途上の学問である。政治学が発展途上であるその理由は政治学が現実と理想、理論と行動、事実と規範、倫理と哲学、仮説と実証の間で未だに揺れ動いている学問であるからだといえる。イデオロギーと呼ばれるものも対象にしているのでさらに複雑になっており、それは制度とのかかわりで複雑になっているのである。したがって広義と、狭義との間でどこまでを政治学とするのかについての論争も未だに続いている学問でありつづけているのである。政治に大きな影響を与えたダイナマイトの発明者ノーベルが創設したノーベル賞においてはノーベル経済学賞はあるのに、ノーベル政治学賞はないというのもこのような点にあるともいえる。ノーベル平和賞があるので、政治においての平和の意味を重視してノーベル政治学賞よりもノーベル平和賞となったとも考えられる。政治学といえば現実の政治を公平に研究する学問であるのに、政治学賞が政治的になり政治に巻き込まれはしないかと考えた可能性もある。ということは政治学が平和の科学的な取り扱い方をするものとなるまでは政治学は認められないという意味であるとすれば、政治学にそのような期待が込められているということになり、逆にこれからの学問であるともいえるのである。その方法論についても確立されたものはなく、現実と、歴史と、哲学と、思想と、イデオロギーとの狭間で常に進歩・発展している学問である。政治学は現在日本の高校においては「政治・経済」という科目として教育されている。その教科書の中の政治と、政治的人間に関する定義はあまりにばらばらであるので、定義をここに示したものである。この定義の評価は歴史の評価に委ねるものである。政治学は日本の大学においては法学部の政治学科や、政治経済学部の政治学科や、社会学部のなかの政治学の講座や、一般教養としての政治学として教育されている。アメリカには政治学部が存在するし、アメリカにおいては第二八代大統領であったウッドロー・ウイルソンの作った政治学におけるウッドロー・ウイルソン賞というものも存在する。一方、日本には政治学部は存在していない。法学と政治学、法学と経済学と政治学が密接に関連しているのでありその研究のなかに政治学は合体させられているということかもしれない。政治学がまだ独立していないと日本ではみなされているかということが分かる実例ともいえる。今後は政治学の独立が望まれているのである。日本の大学においては国立の大学においては東京大学の法学部で「政治学」が講義されたのをはじめとしたがドイツ流の政治学であった。その後ほとんどの大学の法学部で「政治学」が講義された。イギリスの憲法を模倣した憲法を主張した大隈重信が創立した私立の早稲田大学の政治経済学部ではアメリカ・イギリス流の「政治学」が講義されたが、その後もアメリカ流の政治学が早稲田政治学の主流を占めている。法学の継受が大陸法系と、英米法系とに分かれているように政治学も両系統に分かれてはいるが、現在はポスト冷戦の時代が到来したことからも分かるように、将来の政治学の方向としては政治学の本来の姿である両系統を統合したような政治学があらわれることを信じる。それが平和のための政治学の本来の姿となるであろう。対立の解消を目的とする政治学が党派的に分かれていてその対立の原因を政治学自体が科学的に解明できないならば政治学の本来の姿ではないからである。現在では日本でも日本の政治の現実の分析・日本の政治理論の形成を行おうとしている多くの学者が輩出し、日本において世界各国の政治の分析も行われているし、新しい政治理論の形成も行われている。大学の教科においては政治学一般のほかに専門科目としては多くの科目に細分化されている。政治学科のある大学においては,およそ次のような分野に分類できる科目がある。
政治学の分野の分類
一、政治学一般、政治学原理、政治哲学に関する政治学
政治学概論
政治学一般、政治学と政治哲学、
政治学原理、 政治史,
二、政治的制度に関する政治学
政治機構論 、実定法学、理念法学、
国家論,公法学,憲法論、行政法、経済法、政治体制論、
政治的機構研究、
官僚制度論、行政制度論、
三、政治的制度等(社会制度、政治文化、政治人類学など)
に関する政治学
政治文化論,政治人類学,政治社会学,政治文明論
政治発展論,政治変動論,革命論,
政治体系論,政治構造論,
数量政治学,
比較政治学,各国政治研究,
国際政治学,国際関係論
政治とマスコミ論
政治と宣伝、プロパガンダ論
四、政治的人間の心理と行動
政治行動論,政治心理学,行政活動論、
政治的イデオロギー論,政治思想論、
政治思想史,政治意識論,
政治権力と人格、性格
五、政治的人間の倫理と哲学
政治倫理学。政治哲学
六、政治的団体の心理と行動(活動)
指導者論、リーダーシップ論,エリート論,
政治的集団論、政党論,圧力集団論,大衆運動論,
行政についての特殊研究 行政学,地方自治論,
政治的決定論、公共決定論、公共政策論
政策過程論、政策学,戦略論,意思決定論,
政治過程論
議員の心理と行動
学際的に政治学との関連がある学問と、
政治学の学際的な科学
政治学の学際科学 関連諸科学
政治学 科学論、科学史
政治と憲法 憲法学
政治と法学 法学
政治と経済法 経済法
政治と刑法 刑法
政治史 歴史学
政治心理学 心理学
政治社会学 社会学
政治哲学 哲学、科学哲学
政治教育学 教育学
政治経済学 経済学、公共理論、ビジネス論
政治とマスコミ マスコミ論
政治と社会調査 政治調査
政治と宣伝、政治宣伝論 宣伝論
政治と数学 数量政治学
政治と統計 政治統計学
政治的発達論 発達論
政治権力と性格・人格 性格と人格論
政治的社会化論 社会化論
職業としての政治 分業論、職業論、産業論
政治地理学、地政学 人文地理学
政治医学 医学
政治精神医学 精神医学
現在のアメリカ政治学会の専門分野分けは現在の政治学の分野分けの参考になるので付記する。2
様々な分野に多岐にわたった政治学を全体として捉えるためには、政治学を政治の文明全体をとらえる学問として捉え、政治の世界全体を一括して包括的にまずとらえておくことが必要である。これがこの本の主眼である。毎日の新聞や、テレビや、ラジオのなかの様々な出来事から政治的な事象を拾い上げて、以上の政治学のどの分野の対象であるかを分類していき、そのような拾い上げる材料としてマスコミを活用するとよい。例えば行政の規制緩和の問題、官僚の天下りの問題、不良債権の処理の仕方の問題等、その他のほとんどすべての問題が政治的な問題として取り上げることができるからである。政治の歴史をみれば経済が文明として発展してきたように、政治も文明として発展してきたことがわかる。経済文明が市場というものによって飛躍的な発展をしたように政治は広義には会議や、狭義には議会によって大きく発展した。それは政治の文明を表現する具体的な重要な本質を、具体的なものとして表現したものといえるであろう。政治や政治の文明・文化とその機能を分析することは政治学の中心的課題であり、毎日の新聞やらにおいて各人の目のつけどころである。
だが政治学は他の学問とともに発展してきたので学際的な研究も必要である。
政治学は広い分野にまたがっている。また様々な学問と学際的に研究が進められている学問である。政治学は,方法論的には歴史的方法による政治学・数量的方法による政治学・規範的理論を中心とした政治学・理解(解釈)的方法による政治学・行動理論による政治学・制度論の観点からの制度論的政治学など政治学に用いられる学問的方法は多種多様である。しかし全体としてみれば、政治は以上の定義のようになるのであると考えられる。政治学がそのように多岐にわたる理由は,政治学は歴史と、現在との間で、そして未来との間での人間の政治性の全体を捉えなくてはならないからである。もともと科学と哲学が同じであった時代には政治学は哲学のなかでポリスにおける人間の研究からはじまったものである。政治的人間の政治性を追求しようとする政治哲学からはじまったものであるので、一つの方法によってのみでは解決がつかないということにその時代から気付いていたのが古典的政治哲学者であった。そのような哲学においての政治性の研究から出発した学問であったから政治学は哲学的、倫理的であることが必要であった。規範論的な、また、制度論的な学問であったのである。人間が歴史的状況に規定されていることは誰も認めるところである。人間は歴史のある時点において生活しているのである。それから逃れることはできない。しかしまた歴史が発展するにつれて人間の学問も発展してきたということも事実である。歴史に規定されながらも、人間の学問は発展してきていることは政治学についても同様である。政治学もそのような科学の発展とともに発展をしてきたのである。しかし政治学は発展というものが容易に教科書的に書き表すことが不可能なくらいの発展性しか見出せない。それは学問的特質からくるものである。それは政治は人間の全体を動かすような大きなものであるので、全体としての研究が行われえなかったということが理由である。核爆弾を使うことによって人類を滅ぼしてしまうことが出来るようなところまで発達した科学技術を政治はコントロール出来るであろうかというような大きな問題を取り扱っている。そのような政治を研究する学問はどのようなものであるべきだろうか。
これまでの政治学の歴史の概略
政治学は歴史的にはどのように研究されてきたのであろうか。政治についての研究はすでにヨーロッパにおいてはギリシャ時代から始まっていた。この時代は古典的政治学の時代であるといえる。政治の体系的な研究は,紀元前5世紀のギリシアにおいてはじまった。ギリシャの政治学はソクラテスによってはじめられたといってよい。ソクラテスにおいては政治的生活は善きポリスとはなんであるかという問いにはじまった。ギリシャ時代においては都市国家ポリスが政治的生活の中心であった。ポリスが善きポリスでありうるのはどのようにしてであろうかという問いとともに政治学ははじまったと同時にそのポリスのなかでの善き市民とはどのような市民であるかという問いも提出されたのである。政治についての学問はこのようななかではじまったのであり、ソクラテスの死によって政治の重大さが論じられていくことになるのである。プラトンはソクラテスの死について、クセノフォンとともに文章を残しているが、プラトンはそのことを通じて理想的なポリスはどのようなものであるかを探求していったのである。
アリストテレスは政治学一般の体系を作り上げた最初の学者である。彼の研究は経験的なポリスの政治生活についての全般的研究であった。さらに様々なポリスの国制を比較することも行い比較政治学をはじめたともいいうる。ポリスの政体がどのようなものであるのか、どのようなものであるべきなのかについての本源的な問いであったといえる。この比較研究はポリス全般への研究へと発展していった。しかし,ポリスは政治的な生活の中心をなしていたがポリス内における規範の研究が、政治の経験からくる法則の研究とかその他の研究と渾然とした全体を形成してアリストテレス政治学を構成していた。ポリスは都市国家という共同体であり、そこにおいては政治的、経済的とを問わず、すべての生活の一体としたものであった。従って規範と経験は一体となったものであった。したがって政治学は哲学と、倫理学と、記述的学問と、法則を発見する学問とが一体化したものであるとともにまた〈善き市民〉としての生き方を説く実践の学でもあった。
古典古代の時代のギリシャにおけるソクラテス、プラトン、アリストテレスによるポリスにおける政治的人間の研究に続いて中世においては国家は、宗教との関わりを多くもつようになった。したがって政治的人間の研究は宗教による政治的権威と一体となって研究されていた。中世においては政治学の研究発展がまったくなかったというのは近現代の政治学の誤った偏見であるという学説もあろうが、一般的には中世は暗黒の時代であるとされている。中世の世界は世俗の政治権力は宗教的な権力と深く結びついていた。それは中世の政治的制度は各人の政治性のうちの宗教性による政治性に多くよりかかっていたということであり、政治的秩序は宗教的秩序による利害によって維持されることに限定されていたという解釈が成り立つのみであり、各人が全く政治性を有していなかったことにはならない。中世においても各人は政治的制度に対して各人の政治性を発揮して多くの働きかけをしていたといえる。が,宗教的な制度が強く、宗教改革によってそれが改革されうるということが各人によって理解されるようになるまでは宗教による聖なる秩序が是認されていた時代、あるいは是認されなくても是認するしかしようがなかった時代であったのである。宗教的秩序を打破する理論を打ち立て教会から国家が絶対的な権力を奪い取ろうとするのは君主の権力が教会の権力を上回るようになってからであった。それは経済的にも上回るようになったからであったであろう。しかし経済的なことは経済史の問題でもある。政治学的にはあくまでも政治的制度と、政治的人間との関係という視点から捉えられるべきであろう。現実の秩序は中世においては宗教による維持がもっとも妥当なものであるとされていたのである。確かに宗教による秩序の維持は立憲政治や、民主政治とは違い各人の権利や、制度的なチェックアンドバランスが少なかったのかもしれない。しかし各人はその秩序に満足し、政治的安定は保たれていたのである。そのような体制、政治的制度の研究においても、共産主義国家や、全体主義国家、あるいは、民主主義国家において政治的人間が存在するような各人の政治性についての研究を全くなおざりにしてよいということにはならないであろう。中世の人間の政治性についての研究はさらに深められなくてはならないといえるであろう。中世の政治である宗教による秩序を弁証し、説明するのが目的であったのがスコラ学であった。宗教的秩序によっておおわれた中世の政治的世界のなかにあっても宗教を通じて人間の政治に関する思考は深められていったといえる。国民の権利を保証する代わりに国家の主権を宗教的権力よりも強くしようという考えは、近代と現代の特徴であったのであるが、中世の世界における宗教的な世界がどのような政治的な観念をもっていたのかはこれから研究されるべき課題であるといえるであろう。
そのようななかで、現実の秩序は宗教的な秩序とは違ったものであるべきであるという観念を提出したのがルネッサンスであった。政治的秩序とは政治的なすべての人間が、政治的制度との間で意見をいい、討論し、意見の一致に達することによって政治的人間が満足することをいうのであるが、そのような政治的人間と、政治的制度との間での利害の調和は現実的にはどのようにしてもたらされるのであるかを研究しようとする態度が生まれたのがルネッサンス時代であり、それは経済的に豊かになったためかもしれないが豊かな市民のみが気が付いたのであったが、人間が政治的人間であることをはじめて気付いたのがルネッサンスの時代であった。その当然の結果として政治の研究が行われたのであったのである。現実の政治的な秩序の由来を明らかにするために現実の人間と、政治的制度とを現実的に追求することがルネッサンスの政治学の研究であったが、そのような思考は,新しい文化の復興期であったルネサンス時代には人間そのものの研究の一部分として当然におこった思考であったといえる。ルネッサンスは古典・古代期の研究からはじまった。それまでの宗教による政治的秩序は新しい思想による政治的秩序に変わろうとした。新しい政治的思考はサボナローラの宗教的秩序を打ち立てようとする演説をマキャベリが批判するところから始まらざるをえなかったのは歴史的な流れであったといえる。それが宗教や、道徳を中傷されたと感じた当時及びその後の一部の人々にマキャベリのマキャベリズムと言わせたが、しかし、マキャベリも道徳や、倫理や、宗教を理解していなかったとはいえない。ある点ではマキャベリは宗教や、道徳や、倫理を求めていた節も見受けられる。しかし国家を統一し、政治的秩序を得るためには、宗教的な秩序のみでは外国の侵略には対抗しえない、したがって、近代国家として秩序を得ようとするならば軍隊無き宗教のみではなくて、軍隊をもった近代的国家を必要とすると説いたのがマキャベリの議論の本質的内容であった。このような政治的な秩序が,国民軍という権力的基盤により得られるのであると説いたのである。またマキャベリは宗教が中世の政治的秩序をつくっていたのと同じような理由で、近代的な国家もまたそのような政治的制度と、政治的人間とを利害的にも、倫理的にも調和させる君主の術が必要であると説いた。これが一方では君主国家内の議論として『君主論』となり、他方では共和国内の議論としては『政略論』となったのである。国民軍の戦略と君主の人心収攬(しゅうらん)術は共に中世の国家を受け継ぐべき近代国家の両輪であると説いたのである。これが宗教による中世の政治的支配を否定し脱却した君主国や、共和国における政治の術によって保たれることを説いたのでありそのような政治の術としての政治学が歴史上はじめて思想として発生したのである。しかしそこには近代性の欠陥、マキャベリが自ら陥った欠陥、つまり、歴史の流れのなかで宗教や、前時代の弱点を批判しなくてはならなかったという欠陥があった。中世の宗教による政治的秩序の否定による国家の建設という歴史の状況が含まれていたのであるが、このような政治の術を説いたマキアベリは,近代政治学の開祖とされる。マキャベリが扱った政治制度は中世の教会国家から近代の主権国家に変化していく制度的変化のなかの制度であった。それに関わる政治的人間の道徳と、行動が考察の対象となったのであり、そこにマキャベリ政治学の特色があった。そこに生まれてこようとしていたのは君主国家であったので、当然にマキャベリは君主論を書き表すことになったのである。そこには民主的な共和制という政治制度は時期尚早であったので、そのような完全な民主的な論調にはならなかったのである。また、君主論のような書物が政治理論として以後時代を追って出版されて行くことになる。近代の政治学は、現実の政治の動きであった政治的変化、中世の宗教による政治的秩序から近代的な国家の建設へといたる政治的変化を理論付けるための多くの政治的思想を生んだ。近代的な国家においては国家に主権が存在することを説いたのJ.ボーダンは、君主国家の理論を作り上げたものである。国家主権を説いたJ.ボーダンに対して、様々な主権国家の集まった国際政治において,国際法の存在を主張した政治的理論が現れたのは当然のことであった。国際世界における主権国家の間の政治的制度の必要を説いたH.グロティウスは,近代の国家間の政治的秩序,国際間の秩序の法的基盤を整備しなくてはならないと説いた。しかし,中世の宗教国家に続いて登場したという歴史的状況のなかに位置したルネサンスの時代においては歴史的なルネッサンスの位置により決定され規制されたと思われる歴史的制約があった。その制約とは歴史的に宗教による政治的支配から、それに対抗した君主が支配権を奪い取ったという歴史的な状況からくるものであった。君主という少数の人間が政治における主体を担っていくということになったのであった。マキャベリはフィレンチェという都市の書記官であったのであり、大衆的な民主主義国家というものを思想することは出来なかった。このことは,カトリック的世界秩序自体が宗教的な少数の支配者による支配であったことのなごりであり、マキャベリの政治学もどうしても宗教から自立して近代国家を担う君主に近代国家の担い手になることを求めるものであった点で限界があったのである。君主たちだけが支配者になるのであるという点はその後市民革命によって次第に多数のものが政治に参加するようになるということになっていき、最終的には現代においては成人の、否子供の人権をも認めるようになってすべての人が政治に参加することになるのである。そして妊娠中絶に際しての胎児の人権に言及するようなドイツの憲法判決も書かれるような時代になっているのである。すべての人が政治的制度に利害関係を持つ政治的人間であるという考え方は、当時にもあったかもしれないがこのルネサンス時代においては政治学的には宗教的権力に対する君主の権力という形をとらざるをえなかったのである。したがってマキャベリが共和主義者であったのか、民主主義者であったのかは、君主論などをみれば、マキャベリが民主・共和主義者であったし、そうであったといえると考えるのであるが、それであっても、歴史的な規制によってそのことがそれ自体として表面に出ることはできなかったのであろう。もし民主・共和主義者でなかったとするならば、『君主論』や、『政略論』を書かなかったであろうと考えられる。そのことによって民主・共和主義者であったことが証明されている。マキャベリが参考にしたのは共和制・帝政時代の国家のローマであった。
ルネッサンスにおいては多くの書物の出版は新しい思想を書物の届くところにいる人ならばどこででも多くの人が、読むことができるという新しいメディア技術の普及とともに開けた。この意味ではルネッサンスは新しい技術とともに幕があけたのであるが、逆に新しい書物出版の技術が書物に含まれ運ばれていく思想を新しいものにしたのである。それが政治学の分野においても政治に関する新しい思考を普及させるのに役に立ったのである。書物の活版による出版の技術に裏打ちされたのが近代のルネッサンスであったので当然の結果であった。それは現代のテレビや、衛星放送の時代のおいても新しい思想が生まれようとしているのと似ているといえないことはないことはカナダのマクルーハンの指摘するところである。
君主は君主国家を統治するために政治思想を必要とした。君主は政治学を君主の統治に関する技術とみなした。この政治の技術はマキャベリのように君主論として公開するべきものではなく秘術であるべきであった。このことは少数のものが政治を独占しようとする時、つまり、政治的参入を拒否しようとする時には一般的に行われることであるといえるであろう。これは政治学を秘術とよぶ理由である。秘術と呼ばれるのは、少数のものが支配を行おうとする時にあらわれるものであり、この時代はそれが政治の術であった。従って当時の政治学はそのような政治学であったから政治思想としての価値のみを有するものであるといえるのである。一般の人のための政治学ではなかった。そのような政治の技術を駆使し、君主国家を形成していく一方で、一般の人民に対しては王権神授説によって君主の正統性を正当化し、弁証すれば君主制国家の政治は政治的安定と、政治的秩序を形成でき安心することができた。
しかし,その後の人間の歴史においては政治的人間としての人間が政治の歴史において市民というものを成立させ、一種の政治的階級の形成が行われるようになった。その市民の成立についても経済的裏付けがあったのであるが、そのことは取り扱わず政治的な側面のみをみると、市民とは君主の特権的政治制度について君主国家の様々な政治制度を変更することによって利益を得る政治的人間であったといえる。そのような市民は政治的な階級として取り扱うことができる。このように歴史上の階級や、概念も政治的な観点から捉えると様々な政治的な事象が明らかになると言いうるが未だにその研究は少ない。市民が政治的な階級として政治的な主張を行うと同時に、経済的にも成熟し,少数の君主に対して自らの政治的主張を要求するようになった。これを市民革命とよぶ。宗教による支配が君主による支配にとってかわり、さらに市民革命にいたるこの過程は、政治の歴史というものをとらえる場合の一つの方法であって、それは別の方法によって捉えることも可能である。
このような政治学的意味での市民が市民革命を通じて新たな政治的な権利や、政治的制度を獲得するようになった。市民が政治において君主に代わって政治的主体となるとこのような市民を政治的に満足させる新たな政治制度や、このような市民を指導する新たな政治思想が必要になった。そのような市民が政治的主体として歴史に登場するようになると,政治学は宗教による政治権力と対抗し市民が権力を獲得するべきであるとする近代的な政治理論を構築していった。政治的な人間として市民が目覚めたのであるといえる。市民の歴史的な研究については多くの研究がある。そのような時代にあって新しい政治理論を構築すべきであるという課題が発生した。その時代的要請に対しては政治的人間と、政治的制度との関係に考察が及んだことは当然であったが、しかし歴史的な制約があったのは当然であったのであり、すべての人が政治的人間として目覚めたのではなく最初は君主国家や、君主制立憲国家の構築の理論が主であったのであり、市民の側からそのような国家を構築するための理論であった。しかしその後市民国家の理論が形成されるようになった。それは市民の登場という新たな歴史に直面して理論付けを行い、君主に対抗するための市民の政治理論が考えられていった。そこにあっては権力や、君主やらが存在する理由をその制度に利害関係を持っている市民の側から再構築されていった。権力(政治的制度)と市民(政治的市民)との理由付けであったから自然法に基づいた自然権や、市民と社会との契約によって政府が作られたのであると考えた社会契約説などの理論を構築するようになった。
ホッブス、ロック、ルソー、モンテスキュー
フランス革命と啓蒙思想
新大衆
ポリアーキー
圧力団体と政治
H.D.ラズウェルの民主的指導論と、ラズウェル の政策学について
ラズウェルの理論は政治学の多数の分野にまたがっている。中でも民主的指導の理論と政策学についての理論は現在の政策学に大きな影響を与えたものである。ラズウェルが研究した民主的人格の研究の理論の一つの帰結であり、民主的指導の理論は民主的人格の形成論の政治社会学的な結実でもあると考えられる。ラズウェルの理論は現代において大衆的な政治状況にかなった民主的な政治形態を維持するための方法を模索したものであるということができるのである。現代政治学に対してすべての人が要求するそのような期待をも満たしてくれるように思われる。
デモクラシーはその他の政体とは違った部分を持っている。ある政体に要求されている性格形成のための諸条件は当然に政体に特有のものである。デモクラシーが特に必要としている人間の人格、性格とは何であろうか、デモクラシーがどのようにして支えられていくであろうかとラズウェルは研究を進める。デモクラシーに特有な性格とは民主的になろうとする社会におけるすべての人が持つべき特有の性格である。それを追求し、その本質を探ろうとする。パーソナリチィーの理論を政治学の立場から学際的に研究を進めようとしたのがラズウェルである。
ラズウェルは権力を「価値剥奪の手段として、あるいは、価値付与の手段」として定義して権力の社会コントロールの側面を重視しているが、民主的な共和国においては、権力はどのような使われ方をすべきなのであろうかをそのような権力の定義を行うラズウェルであるからこそ問う。権力はすべての人に開放されたものであり、かつ、人格の尊厳によるものでなくてはならないとラズウェルは指摘する。私的な見解であるが、「デモクラシーも、指導者の育成、選択、支持の如何に左右される」12とラズウェルは主張するが、これはデモクラシーは大衆がその意見を述べ、討論によって共通の意志を作り上げることによって多くの大衆による一般的にいう人民の人民による人民のための民主的な政治を行うことであるとするならば、そのようなことを成功させるような指導者が必要であるということであろう。価値とは政治的制度が目標としているものであると考えれば、民主的であることに期待されている性格は共同社会における価値の問題であり、その価値は自然な均衡を達成していなくてはならず、自然な均衡によって民主的価値の実現をラズウェルは期待している。政治的な制度が目標とする価値は自然な均衡を達成していなくてはならない。この均衡が大きな規模において達成できれば万人共通のデモクラシーの社会に到達できるかもしれない1という期待をラズウェルは表明する。また、「民主主義者とは自己を人類全体と同一化する人間」である、人類の要求は人類に対する忠誠であり、人類への忠誠は人類との同一化である、人類との同一化を行う人間として人類のデモクラシーに矛盾しないよう社会の成員は努力すべきであるとラズウェルはいう。ただし現代の精神医学の他人との同一化理論は共産主義やらのように余りにも極端に他人と同一化しすぎる場合には、極端な理論にはしると指摘している理論もあることに留意すべきであろう。人類は様々な集団を形成しているが、政治家が必要とする技術は小さな集団に属している場合も、国家のような大きな集団に属している場合もどのような集団に属していてもデモクラシーの要求するのはこのような技術である。指導者及び国民は民主的な共和国家を存続させるためにはデモクラシーの思考、観察、経営の技能を習得する必要がある。社会が制度内で価値において均衡を実現し、デモクラシーを維持する方法のすべての技能が習得しなければならない。価値の自然な均衡という概念は、政治体系論のなかでの「稀少資源の権威的配分」「社会的価値の権威的配分」というイーストンの理論と通ずるものがあると考えられる。また、リーダーシップの理論、とりわけリーダーに必要な資質は何かという理論に対してラズウェルの理論の果たした役割は大きいと言わなくてはならない。
人格の形成の要因のうちデモクラシーにふさわしい人格を形成する要因、つまり、民主的人格を構成する要因を考察していき、民主的共和国の指導者及び国民が共同社会のなかで育っていくようにしないかぎり、民主的共和国の維持は出来ない。そこで民主的人格を構成する要因を分析し、民主的人格を育てていく必要が生ずる事になる。民主的人格に育てるという問題は、人格と政治的権力、宣伝(プロパガンダ)、シンボル等を研究してきたラズウェルの大きな問題となった。このことはラズウェルの理論に「民主的」というイデオロギーが入ってきたのではないかと、ラズウェル自身自問自答している。「民主的」という言葉がイデオロギーであるかどうかは政治学の大問題である。極限状態を考えて見れば、民主的な決定は出来ないような政治的環境もありうるという反論もあり民主的イデオロギーもまた一つのイデオロギーであるといえるであろうという見解もあるし、民主的であることはどのようなイデオロギーも寛容に受け入れるのであり、場合によっては自分のイデオロギーを曲げることもありうるという協調性の主義であるから民主的であることはイデオロギーではないという指摘もあるであろう。1ラズウェルはデモクラシーにとっては民主的な人格の形成の問題は、結局社会全般の民主化の任務の一つとなるということになるのである。★ラズウェルが考えている政治は彼の権力の定義からみれば分かるように権力者に指導された政治であり、議員や、行政官や、司法担当者の民主的性格の分析が課題となっている。そこでラズウェルは国家から下はクラブに至るまでの権力者の分析を行っているジェームズ・ブライスの言葉について論評を加えている。比較的少数者が集団の意思決定と、指揮を行っているのが組繊体やあらゆる政治形態の常であるし、過去も常であったという命題は、少数者をもし「少数の指導者」の意味に解するならば、それは真であるが、もし「高度に制限された選良」の意味にとるならば、そのような定義では、デモクラシーは不可能であるので、その命題は偽である、とラズウェルは考えている。デモクラシーにおいては多くの民主的な人が民主的に政治に参加する制度であろうから、実際の政治の現場においては少数者が政治の実権を握っていても民主的であるように指導者を指導・教育すればよいとして少数者による政治のあり方をとらえなおしたのがラズウェルである。この現代においては政治社会は非常に大規模になって、世界的な規模になっている。特に東西冷戦の時代には二つに分かれていた政治世界は一つになり、世界的な規模の政治になった。このような大規模社会においては、政治は民主的なものになるべきで、民主的な指導者と、民主的な国民を育てることが必要になった。指導者は、戦争や平和の国際間題にも、国内問題にも巨大な権力を行使するようになったが、全社会的に選択が行われ、民主的に責任が行使されなくてはデモクラシーは永続しないであろうと考えられているのである。
自由を熱望する民主社会は権力というものに関する基本的な観念を発展させねばならないとラズウェルは考える。民主的社会の目的・義務は、権力からその害悪を除去し、より高い価値を尊敬する観念を指導者に教育し、人間の尊厳等の基本観念に権力を従属せしめることが必要であるとラズウェルは指摘するのである。
現代の政治社会では、政治的なるものの中心とラズウェルが考える権力というものをどのように考えるべきであろうか。権力のない政治の世界は考えられないし、権力を政治の世界から消滅させることは出来ないであろう。この政治の現実は厳然として存在している。無政府主義者はそれが出来るといっているのであろうか。それが民主的であるといえるのであろうか。無政府主義は、非民主的性格や、非現実的であるといっているのであろうか。ラズウェルは何を述べようとしているのであろうか。警告として無政府主義的理想に対してラズウェルはそれが民主的ではないと述べているものであろうと考えられる。
参考: エンゲルスの話
権力をなくして、「脅威なく、強制を課せられることなく、ついには強制を必要としない自由人の共和国」を生みだそうという理想が存在することは長い目で見た場合、否定されるべきでない。これは又、仮借なく適用する場合、かならずあらわれる。エンゲルスが、終極には、「国家は死滅する」と書いたとき、彼は希望かならずしも確信ではないが、を言わんとしていたのである。人間の破壊性
「人間の大敵は人間である」というラズウェルの命題は、人間は大量虐殺や、戦争によって殺されるかもしれないという可能性を考えれば、その意味では正しい命題である。人間が戦争や、大量虐殺によって人間を破壊するということを人間の破壊性とよび、人間はその性格のうちの破壊性によって他の人間を殺してしまうかもしれないという意味で人間の大敵であるので、人間の破壊性及びその予防方法を研究し、破壊性の予防が出来るかどうかについての研究が行われるようになった。人間の破壊性、破壊性の予防の研究の観点から大量虐殺や、戦争の原因等についての研究が政治学、行動科学、人間行動学においても盛んに行われている。2政治学の概念としての破壊性の概念はこのような行動科学等によっても、政治学においてとほぼ同様な意味で研究されているので、政治学においての破壊性の研究の分野は学際的な分野といえる。ラズウェルは政治学の一分野として研究を行ったのであり、民主的指導と、政策学という分野において研究したのである。もし人間の破壊性がなくなれば、人間の文化は大きく民主的なものに変化するであろうとラズウェルは考えている。
ラズウェル政治学において民主的指導者の任務、及び、選良の任務と呼んでいるものは、別の観点からすれば、以上のように「いかにして人間の破壊性を抑制するか」という問題に帰着する。ラズウェルのデモクラシーは、デモクラシーの理念が満足されるようなダイナミックな政治的な活動の均衡をいかにしたら達成することができるかということを目標としているといえる。人間と人間の関係をデモクラテックな人間の網状組織にしていくという概念がラズウェルのデモクラシーの中心概念である。この「民主的な網状組織」という概念は社会学における社会システムの考え方にもつながる概念であろう。政治学における政治システムの問題である。また、「ダイナミックな政治的な活動の均衡」という概念も政治学の政治的人間相互の均衡の問題ではあるが、社会システムの均衡理論の概念や、経済学の均衡という概念やらとの類似性があり学際的な研究も今後は必要であろう。
デモクラシーに反する概念は、すべて反民主的であると共に、破壊的であるので、破壊的衝動が起こった場合にどのようにしてそれを破壊的活動に結びつかないようにするかが、デモクラシーの中心概念ということになるとラズウェルは指摘している。もし破壊性のない社会が民主的な組織のなかで政治的な均衡によって達成されるならば、戦争による殺し合い・大量虐殺、革命による粛清・弾圧・暴力、政治的暴動による虐殺、犯罪的な政治的暴力、犯罪的な政治的抑圧、そのいずれの場合を問わず、人間は自殺したり、互いに傷つけあったり、折檻しあうことも互いに殺し合うこともなくなるであろうから、人類の宿命であると信じられているものを除去することができよう。人間には破壊的衝動と破壊的活動という二種類の破壊牲がある。衝動が起こっても、理性のようなもの、ラズウェルのいうような民主的教育・指導のようなものによって、破壊的衝動を抑制して破壊的活動を起こさないようにする必要がある。破壊的衝動が強烈な程度であり、破壊的衝動が集中的に現れる場合には破壊的活動にいたる。これは刑法のような法学上の問題とも共通する問題である。破壊的衝動を激しく表現したり又は激しく発生させる場合、活動が破壊的となる。つまり、破壊的衝動は、破壊的活動の第一段階で、ついには民主社会での親密的で創造的な対人関係を破壊する破壊的社会的活動にいたる。
破壊的社会的活動は人間を破壊にいたらせる。しかし破壊へいたる環境は、たとえば、インフレーションと経済崩壊をまねくような恐慌の状況は、その過程がどうなっているかは参加者には分からない。一見破壊的とは見えない社会生活の連鎖、通常の筋道を踏んで商業貸付をする銀行家、会社のために独占利潤を保持せんとする取締役会、生産制限を大目に見る労働組合、関税を支持する圧力団体ないし商業組合などの中の個々の循環を綿密に調べることが是非必要になってくる。人間が破壊へいたる政治的過程の参加者は破壊の方向を知ることはできない。ほとんどの場合そのような状況であるので、大規模な破壊を防止するためには社会の全過程の均衡を変えなくてはならない。社会機構全体に鬱積した緊迫を減殺するために、強烈な攪乱要素に破壊衝動を無くさせる吐け口を与えなければならない。
休憩時間
参考のおはなし
人間の哲学は、利己的な遺伝子が人間に子孫を作らせるのであるとリチャード・ドーキンスは遺伝子とよく似た概念であるミーム(真似をする、模倣子、分化子、誰かの作品、文化子、死後の生命、死後の魂、文化が残っていく、遺伝的な特徴)という面白い考え方を考え出した。文化や、記号が残るということをいった。進化とはこの考え方からいくと、進化論のように調べていってもしょうがないということになる。動物学者はそのように考えている。がいった。これは遺伝子は神という意味である。唯物論に近い表現である。
人間が破壊性を有するのもそうゆう理由からであろうか。
遺伝的にプログラムされていて、遺伝子の指示の通りに、自分の子孫を沢山残そうとしている(利己的遺伝子論)のであろうか。種の特徴であろうか。人間にのみ特有な利他的な行動は、自分の弟や、妹のようなあるいは日本人のみを遺伝子として残そうとしているのであろうか。これはエントロピーの理論とよく似ている。自己犠牲的に弟や、妹をたくさん残そうとしているのか。倫理的というのは自分は今はそうしているのが、将来はそうしておいたほうがよいのである。
殺し合いをしないのは自分も得であるからであろうか。
道徳や、倫理を利己的遺伝子として説明が出来る。
種の保存よりも、進化と、創造に研究の方向が移ってきた。
行動は多くのことを語る。 動物行動と、人間の行動について語っている。
破壊性と学際科学としての政治学と精神医学----健康と、病気--------
以上の破壊性の観点から人間と社会の関係を学際的に研究する場合には他の科学の一つとして医学がある。医学において一つの過程を「病気」と分類するには、かならず、「健康」という完全性の標準型を必要とするという病気と健康の区別を可能ならしめた思考パターンは、社会一般における病気と健康の区別においても思考方法として適用されうると考えたのである。政治学と哲学を結び付けた政治哲学のように、政治学と医学とを結び付けた政治医学と呼ばれるものが考えられるということになるとラズウェルは考えた。人間に内在する破壊性、及び、社会に内在する破壊性を考察するには、まず医学と学際的に緊密に連繋し学際的に研究を行わねばならないし、政治学と医学を結び付ける結節点を探さねばならないと考えた。学際的に研究する必要があるとラズウェルは主張するのである。これはシカゴ学派の創始者メリアムによっても指向されていたことであった。2政治学においては学際的な破壊性の研究は医学との協力によるほかに、臨床心理学や、行動科学の分野からも行われている。また、経済学においても貧乏やら独占やらを社会病理と考えてそれを治癒させるのであるという考え方がある。
ラズウェルは「人間の破壊活動と、破壊衝動の破壊や脅威が、ついには対人関係の創造性と親密性とを破壊するに至ることが発見される場合」人間の活動と衝動を「病理」として語りうるのであるという。このように破壊性を病理として設定することにより人間の破壊性と、社会の破壊性を病理現象として研究できるようになるとしたのである。
したがって、指導者の破壊性、選良の破壊性の問題は、人類全体の視野から見れば、病気と健康の問題に密接に対応していることが明らかになってくる。いまでは常識であるが、現代の医学は、ある現象を健康乃至病理学的として分類するのに適切と考えられるフレーム・オブ・レファランスを累進的に拡大してきたのである。
政治学における人間の攻撃性と、破壊性の分析----------ラズウェルの所説と、最近の行動科学------------
人間の本性が悪であるか、善であるかの論議は有史以来人間の科学、特に社会科学の直面してきた課題である。
このことは人間が政治学をアリストテレス以来構築するにあたって、最初の難問として取り扱ってきた問題である。
人間性が悪であるならば、人間の攻撃性や、破壊性を論じても所詮解決の出来ない問題として戦争や、紛争の問題を論じることになり、ペシミスチックにならざるをえないことになる。逆にオプテイミスチックに人間の本性が善であると仮定したとしても、何故に人間の間に戦争が起こったりするのかについて説明をすることができなくなる。
そこで人間の攻撃性や、破壊性について政治学が考察するに当たって、便利な道具として行動科学をも学問の一方法として導入して政治学に一つの新たな方向を加えることは可能であろう。人間の破壊性と、民主主義によるその破壊性の減少について論じたのは、ラズウェルであった。
ラズウェルは政治学の中で、人間の破壊性について言及した初めての学者であったと考える。一方、人間の攻撃性について新たな視点から考察を試みているのは人間の行動に科学的なメスを入れようとしている行動科学である。
行動科学は、人間の本能として人間の攻撃性をとらえたフロイトやらの学説と、そうではなくて環境を重視して環境に対する不平不満から人間の攻撃性が起こっているのであるとする説とに大別されるとして両説を併記している。
ところで、人間の攻撃性や、破壊性について論ずることは最後には人間が共生することが可能であるのか、人間が人間に対して攻撃性や、破壊性をなくして生きていけるのかという問題に帰着する。
これがラズウェルの言っている民主主義の政策学であるというように解釈できると私は考える。
民主主義に対する破壊はラズウェルが生きた時代には、全体主義の名のもとに時代の流れでもあったといえる。
ラズウェルが生きた時代にラズウェルが言いたかったのはどのようなことであったのであろうか。
政治学と精神病理学から、権力と人格に到るラズウェルの研究、業績をまず概説することからはじめる。
一方では、人間の攻撃性について科学的な観点から、人間の行動にメスをいれたのは行動科学であった。
政治的状況が、あるいは、政治的な環境が不平不満を誘発して、政治的行動を引き起こし、それが政治的な政策決定過程に組み入れられてそして政治が動いていくのが現在の行動科学や、政治過程論を中心にした政治学であるならば、この人間の破壊性や、攻撃性について政治学が真面目に論ずることは意味のあることであろう。
人間の本能として攻撃性が備わっているのであろうか。
この問題に対してはラズウェルは明らかにノーと答えたであろう。
確かに攻撃性が本能であると見えるように人間がいることは確かである。 生まれながらにして貧乏であったり、明らかにハンディを背負ったりしているような人の場合に、その人に政治が全く加担したり、面倒をみてやらなかったりした場合にはそうであろう。しかし、そのような人であっても全く攻撃性がない場合もありうる。
それではどのような環境において攻撃性が人間に増大し、最後には人間の破壊性がうまれるのであろうか。
それは人間が何故に戦争を行い続けて来たのであろうかという戦争原因論にも帰着し、そうなると戦争犯罪や、戦争裁判の記録をも紐解かなくてはならなくなる。このような意味ではこの人間の破壊性と、攻撃性について論ずるのは戦争や、人間の残虐性についても論ずる必要があることになる。
ラズウェルが政治について論ずるのに、政策学という名前を使おうと考えたのは、政治が民主主義の政策学のみではなくて、全体主義の政治のように破壊性をもった政治も政治学として成り立ちうるが、政策学であれば、民主主義の政策学のみに限定されると考えたからであった。このことは明らかに人間の攻撃性についてそれを和らげるための政治、それをもって政策学としたいという意図があったものと考えられる。これはスポーツなどの人間のカタルシスの行動について論じたところにはっきりとあらわれている。彼はいう。「カタルシスのみでは充分ではない。」と。このことは人間の攻撃性を、あるいは、そこからはじまるであろう人間の破壊性を和らげるためには、カタルシスのみでは有効ではないということを言いたいのであり、カタルシス以外の科学的な政策学が人間の攻撃性や、人間の破壊性を和らげるものであるようにしなくてはならいといっていると考えるほうが妥当である。
このように人間の破壊性や、攻撃性について真剣に論じてそれを行動科学や、精神病理学と結び付けようとしたのは、ラズウェルが最初であったと考える。しかし、それは現代の行動科学の発達からすれば、微々たる端緒であったのであり、それ以降の行動科学の発達をも取り入れるべきであろうと考える。
民主主義の政策学とラズウェルがいうときには、人間の攻撃性や、破壊性について減殺するような科学的な政策の科学を指していると考えるのであるが、その人間の攻撃性や、破壊性について何故に起こるのかについては政治学の分野ではないと考えられるであろうか。
政治的な攻撃性や、破壊性については政治学の分野であろう。
しかし、それが政治的な分野以外であるならば、それは政治学とは関係がないことになる。政治的な攻撃性や、破壊性について論ずることは戦争論や、戦略論とも関係して政治的な攻撃性や、破壊性について因果関係を論ずることは正解を出すことは不可能であろうが、歴史上政治的な攻撃性や、破壊性について多くの例を上げることは可能である。
現代の政治学にとって歴史上のすべての政治的な攻撃性や、破壊性について研究をすすめることは不可能である。
そこで民主主義の政策学という観点に限定してラズウェルは考察していったのではなかろうか。人間の本性と、時代の流れ
運命の女神が自由な人間の意思との間でどのような
現代日本の政治と、政策
ポスト冷戦時代の世界政治と、ポスト五五年体制の日本の政治
第一章 政治学の基本的性格
第一節 政治学の対象としての政治
概念規定の問題
政治とは「人間が人間に利害関係のあるあらゆる制度と、人間との間に利害があるときに」「人間が」「利害関係を調整するために」「様々な政治的過程を通じて」「国家や、家庭や、職場や、組合や、政党や、様々な地域やらに様々な場所において」「人間に利害関係のあるあらゆる制度を維持したり、変化させたり、新たな制度等として作り上げようとする現象」である。以上の定義に含まれる様々な政治的現象を研究するのが政治学であり、そのような政治性を有する人間を政治的人間という。すべての人間は政治的人間である。それは人間は制度等の政治的環境のなかで生活しているからである。「人間に利害関係のあるあらゆる制度」を政治的環境とよぶ。
政治学political science 英語 、politische Wissensch aft[ト゛イツ語」]science politique[フランス語 ] とはどのような学問であろうか。それは政治に関する学問であるから政治を総合的に考えることによって政治の定義を行うことが第一の出発点であるということになる。人間にとって二つと、一つは全く意味は違い、対立が消えた。ヒトオラーと民主主義と、人類はじまって以来である。歴史は始まっていない。世界は統一されたのではないが、統一されたと同じようになった。
翻訳書と原書との関係について
日本で翻訳書を読むときには、その翻訳の原典となった版の原書を読んでいることになるのではあるが、その訳については異論がある場合があり得るので、その原書にあたることとした。ただしその訳が間違っていないときにはその訳書の表現を採用した。現代は外国原書の日本語への翻訳書が多くなってきて、世界の名著も数多く日本語で読めるようになったが、学問書としては原典に当たるべしという鉄則があるとのことなのでそれによったが、クセノフォンの『ヒエロ』などはマキャベリーも僣主論として参考にするようにという指示をしているが、ギリシャ語で読むことに努力したが、英語との対訳が広く出回っているので、それをも参考とした。明治の中村正直の『自由の理』の時代には世界の名著といえども日本では言語の壁が存在して、読むことが一般には難しい時代があったであろうが、現在は原書とともに訳書も広く出回っているので一般にも参考にできると思われる。今後はコンピュター翻訳技術の発達もあるであろうし、外国のニュースや書物が日本でも数多く手にいる時代がやってくると思われる。
原書名を極力いれることとした。
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ガブリエル・アーモンド、ブリングハム・パーウェル『比較政治学−システム・過程・政策−第二版』本田弘・浦野起央監訳(時潮社、一九八六年)五八六頁。。
ジェローム・トッチリー『マードック−世界制覇をめざすマスコミ王』(東京:ダイヤモンド社、一九九〇年)四頁。。
レ・シャピーロ『全体主義−ヒットラー・ムッソリーニ・スターリン−』河合秀和訳(福村出版、一九七七年)原著、一九七二年刊)六一〜六一頁。。
イェーリング『権利のための闘争』村上淳一訳(岩波書店、一九八四年)一〇四頁。。ハナ・アーレント『全体主義の起源三 全体主義』大久保和郎・大島かおり訳(みすず書房、一九七四年)(原著、一九五一年)一九四頁。、二三一頁。。
ジョン・ロック『統治論』宮川透訳(中央公論社、一九六八年)一九四頁。、一九五頁。、一九六頁。、二五二頁。。
R ・カイヨワ『遊びと人間』(岩波書店、一九七〇年)原著、一九五八年。
カール・R ・ポッパー『開かれた社会とその敵 第一部 プラトンの呪文』内田詔夫・小河原誠訳(未来社、一九八〇年)(原書、一九五〇年)
H ・L ・A ・ハート『法学・哲学論集』矢崎光圀ほか訳(みすず書房、一九九〇年)カール・シュミット『独裁』田中浩・原田武雄訳(未来社、一九九一年)
G ・シュワーブ『例外の挑戦・カール・シュミットの政治思想・一九二一〜一九三六』服部平治・初宿正典ほか訳(みすず書房、一九八〇年)
マイケル・オークショット「自由の政治経済学」『政治における合理主義』嶋津格・森村進訳(勁草書房、一九八八年)所収、四五頁。。ξλενθζρια
Oakeshott,Michael,Rationalism in Politics and other essays,METHUEN,1962.ハイエク「『自由』企業と競争的秩序」『ハイエク全集三個人主義と経済秩序』
O・R・ヤング『現代政治学の方法』(東京: 福村出版、一九七二年)
A ・F ・ベントリー『統治過程論』喜多靖郎・上林良一訳(法律文化社、一九九四年)学出版会)所収、四頁。。
フロイト、ブリット『ウッドロー・ウイルソン』
S・M ・リプセット『政治のなかの人間』内山秀夫訳(東京: 東京創元新社、一九六三年)ダバン『権利論』 D・D ・ラファエル『道徳哲学』(紀伊國屋書店、) 原書名:Raphael,D.D.,Moral Philosophy,Oxford Univercity Press,1981.
レイモン・ポラン『孤独の政治学』(福岡: 九州大学出版会、一九八二年)133頁。。プラムナッツ、J・P・著『政治理論とことば』森本哲夫・萬田悦生訳(昭和堂、)
ジョン・リース『平等』半澤孝麿訳(東京: 福村出版、一九七五年)
カール・シュミット『政治的ロマン主義』大久保和郎訳(みすず書房、一九七〇年)三四頁。。
ハンス・ケルゼン『法と国家の一般理論』尾吹善人訳(木鐸社、一九九一年)
ヘーゲル『法の哲学−自然法と国家学−』高峯一愚訳(論創社、一九八三年)
モンテスキュー『法の精神』野田良之ほか訳(岩波書店、一九八八年)
オイゲン・エールリッヒ『法社会学の基礎知識』河上倫逸・M・フーブリヒト訳(みすず書房、一九八四年)
原書: Ehrlich,Eugen,Grundlegung Der Sociologie Des Rechts,Duncker &Humbolt,1913.
マックス・ウェーバー『職業としての政治』( )
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
ユストフ博士『ユダヤ法典百則』龍孫子訳(日本青年文化協会、一九四三年)
ガイウス『法学提要』船田亨二訳(有斐閣、一九六七年)
マーシャル・マクルーハン『人間拡張の原理』後藤和彦・高儀進訳(竹内書房、一九六七年)
Marshall Mcluhan,Understanding Media: The Extensions of Man,New York:McGraw-Hill,1964.
参考文献(自由論)
Z ・A ・ペルチンスキーほか編『自由論の系譜−政治哲学における自由の観念−』(行人社、一九八七年)(原書: 一九八四年)
R・パウンド『自由権の歴史』恒藤武二、山本浩三訳(京都ミネルヴァ書房、一九五九年)
原書=The Development of Constitutional Guarantees of Liberty.
マイケル・ポラニー『自由の論理』長尾史郎訳(東京: ハーベスト社、一九八八年)吉田和男監修『日本の国家予算』(講談社、一九九六年)
S・ルークス、J・プラムナッツ『個人主義と自由主義』田中治男訳(東京:平凡社、一九八七年)
矢島羊吉『カントの自由の概念』(東京: 福村出版、一九八六年新版増補版)
金子晴勇『近代自由思想の源流 ----十六世紀自由意志学説の研究----』(東京:創文社、一九八七年)
新田孝彦『カントと自由の問題』(札幌: 北海道大学図書刊行会、一九九三年)J・M・ケインズ『自由放任の終焉』
ハイエク『ハイエク全集 第五〜第一〇巻』西山千明、矢島均次監修(東京:春秋社、一九八六年)
ミルトン・フリードマン『政府からの自由』土屋政雄訳(東京: 中央公論社、一九八四年)ミルトン・フリードマン、ローズ・フリードマン『選択の自由------自立社会への挑戦------』西山千明訳(東京: 日本経済新聞社、一九八〇年)
ブキャナン、J・M・『自由の限界----人間と制度の経済学----』加藤寛監訳、黒川和美、関谷登、大岩次郎訳(東京: 秀潤社、一九七七年)
ロウィ・セオドア『自由主義の終焉----現代政府の問題性----』村松岐夫監訳(東京:木鐸社、一九八一年)
藤原保信『正義・自由・民主主義----政治理論の復権のために----』(東京:御茶の水書房、一九七六年)
渋谷浩ほか『政治思想における自由と秩序』(東京: 早稲田大学出版部、一九七一年)田中治男『フランス自由主義の生成と展開----一九世紀フランス政治思想研究----』(東京:東京大学出版会、年)
若松繁信『ブルジョア人民国家論の成立----イギリス急進主義史研究----』(東京:亜紀書房、一九六九年)
ラウマー、K・V・『自由と国家権力』千代田寛訳(東京;未来社、一九七〇年)勝田吉太郎『現代社会と自由の選択』(東京: 木鐸社、一九七八年)
田口富久治『現代の民主主義と自由』(東京: 新日本出版社、一九七六年)
マクファーソン、C・B・『自由民主主義は生き残れるか』田口富久治訳(東京:岩波書店、一九七八年)
キューンル、R・『自由主義とファシズム----ブルジョア支配の諸形態----』伊集院立訳(東京:大月書店、一九七七年)
サンケイ新聞社編『総合討論二つの自由----偽善のカゲにひそむもの----』(東京:日本教文社、一九七五年)
シクル、J・V・V・『危機にたつ自由----理想主義の暴政----』嘉治佐代訳(東京:ダイヤモンド社、一九七一年)
ラスキ、H・J『近代国家における自由』飯坂良明訳(東京: 岩波書店、一九七四年)デュヴェルジュ・モーリス『ヤヌス----西欧の二つの顔----』宮島喬訳(東京:木鐸社、一九七五年)
日本共産党『科学的社会主義と自由・民主主義』(東京: 新日本出版社、一九七九年)清水英夫『精神的自由権』(東京: 三省堂、一九八〇年)
ルークス、S・,プラムナッツ、J・『個人主義と自由主義』田中治男訳(東京:平凡社、一九八七年)
コリンズ、アイリーン・『十九世紀ヨーロッパの自由主義』山口大学西洋史学研究室訳(京都:啓文社、一九八九年)
ペルチンスキー、Z・A・,グレイ、J・編『自由論の系譜----政治哲学における自由の観念----』飯島昇蔵ほか訳(東京: 行人社、一九八七年)
服部平治ほか『現代自由主義の諸相』(東京: 風行社。一九九一年)
足立幸男『政策と価値----現代の政治哲学』(京都: ミネルヴァ書房、一九九一年)安藤次男『アメリカ自由主義とニューディール----一九四〇年代におけるリベラル派の分裂と再編----』(京都:法律文化社、一九九〇年)
田中浩『近代日本と自由主義』(東京: 岩波書店、一九九三年)
マナン、ピエール・『自由主義の政治思想』高橋誠、藤田勝次郎訳(東京: 新評論、一九九五年)
A・D・リンゼイ『自由の精神 現代世界における宗教・科学・社会』渡辺雅弘訳(東京:未来社、一九九二年)土橋貴『自由の政治哲学的考察----アウグスティヌスからフーコーまで----』(東京:明石書房、一九九二年)
ノーマン・ウィントロープ編『自由民主主義の理論とその批判』上巻、下巻、氏家伸一訳(京都:晃洋書房、一九九二年)
宮島泉『自律デモクラシーの理論----民主的自律の共和国考----』(東京: 新評論、一九九六年)
土屋恵一郎『正義論/自由論----無縁社会日本の正義(東京: 岩波書店、一九九六年)東畑隆介『ドイツ自由主義史序説』(東京: 近代文芸社、一九九四年9
仲手川良雄編『ヨーロッパ的自由の歴史』八等強: 南窓社、一九九二年)
(社会諸科学と自由)
渡辺洋三『人権と市民的自由』(東京: 労働旬報社、一九九二年)
小松茂夫『権力と自由』(東京: 勁草書房、一九七〇年)
小松茂夫『ロンドン通信−「ヨーロッパにおける〔人間の自由及び権利〕の現状』(東京:評論社,一九七八年)ラルフ・ダーレンドルフ『ザ・ニューリバティ----ポスト「成長」の論理----』加藤秀次郎訳(東京:創世記、一九七八年)
飯田経夫など『自由社会は生き残れるか』高坂正高尭企画監修(東京: 高木書房、一九七六年)
ラルフ・ダーレンドルフ『ライフ・チャンス----「新しい自由主義」の政治社会学----』加藤秀次郎ほか訳(東京創世記、一九八二年)
西尾幹二『自由の悲劇』----未来に何があるか----』(東京: 講談社、一九九〇年)樋口陽一『本当の自由社会とは----憲法にてらして----』(東京: 岩波書店、一九九〇年)河合栄次郎『河合栄次郎全集 第九巻 自由主義の歴史と理論ドイツ社会民主党論』社会思想研究編(東京:社 会思想社、一九九一年)
河合栄次郎『河合栄次郎全集 第十二巻 時局と自由主義 マルキシズムとは何か』社会思想研究編(東京:社会思想社、一九九一年)
若松繁信『イギリス自由主義史研究------古い自由主義の連続を中心に----』(東京:早稲田大学出版部、一九九一年)
田中正司『現代の自由----思想史的考察------』(東京: 御茶の水書房、一九八三年)(新装再版、一九八九年)柳田謙十郎『社会主義と自由の問題』(東京: 日中出版、一九八三年)
田中美知太郎ほか『変革期のなかの自由』(東京: 自由社、一九七一年)
日下喜一『自由主義の発展----T・H・グリーンとJ・N・フィッギスの思想----』(東京:勁草書房、一九八一年)
ラルフ・ダーレンドルフ『現代文明にとって「自由」とは何か』加藤秀治郎訳(東京:ティビーエス・ブリタニカ、一九八八年)
但し、本書は十年前、
ラルフ・ダーレンドルフ『ザ・ニュー・リバティ』加藤秀治郎訳で刊行されたものの改訳である。
原書=Ralf Dahrendolf,The New Liberty: Survival and Justice in a ChangingWorld, Routledge S Kegan Paul , London, 1975. の訳。
ノーマン・バリー『自由の正当性----古典的自由主義とリバタリアニズム----』足立幸男監訳(東京:木鐸社、一九九〇年)
ジョン・グレイ『自由主義』藤原保信、輪島達郎訳(京都: 昭和堂、一九九一年)原書名: Liberalism.
M・J・サンデル『自由主義と正義の限界』菊池理夫訳(東京: 三嶺書房、一九九二年)藤原保信『自由主義の再検討』(東京: 岩波書店、一九九三年)
佐々木毅ほか著『自由と自由主義----その政治思想的諸相』佐々木毅編(東京:東京大学出版会、一九九五年)
仲手川良雄『歴史の中の自由----ホメロスとホッブスのあいだ----』(東京:中央公論社、19八六年)
小川晃一『英国自由主義体制の形成----ウィッグとディセンター----』(東京:木鐸社、一九九二年)
矢島杜『権威と自由』(東京: 御茶の水書房、一九九六年)
佐久協『真自由論』(東京: 近代文芸社、一九九三年)
白石正夫『自由社会とは何か』(東京: 勁草書房、一九九四年)
橋本努『自由の論法----ポパー・ミーゼス・ハイエク』(東京: 創文社、一九九四年)碓井敏正『自由・平等・社会主義----新しい社会編成の原理を求めて----』(京都:文理閣、一九九四年)
京都精華大学出版会編『リベラリズムの苦悶----I・ウオーラーステインが語る混沌の未来----』(京都: 阿 社 一九九四年)
ルイス・ハーツ『アメリカ自由主義の伝統----独立革命以来のアメリカ政治思想の一解釈----』有賀貞訳(東京:講談社、一九九四年)
岡田与好『経済的自由主義----資本主義と自由--』(東京: 東京大学出版会、一九八七年)F・A・ハイエク『新自由主義とは何か----あすを語る----』西山千明編(東京:東京新聞出版局、一九七七年)
ディエス・デル・コラール『自由主義の過去と未来』小島威彦訳(東京: 明星大学出版部、一九八〇年)
日本経済調査協議会編『自由主義の前進』(東京: 日本経済調査協議会、一九九七年(東京:日本経済調査協議会、一九七七年)
上田貞二郎『上田貞二郎全集 第七巻 新自由主義』山中篤太郎など編(東京:上田貞二郎全集刊行会、一九七六年)
日本文化会議編『日本人は自由か』(東京: 紀伊国屋書店、一九七六年)
西尾幹二『自由の悲劇------未来に何があるか------』(東京: 講談社、一九九〇年)(哲学的自由)
M・クランストン『自由----哲学的分析----』小松茂夫訳(東京: 岩波書店、一九七六年)原書:Freedom: A New Analysis.
五十嵐明宝『運命と自由----実存思想と空・無我思想とを通して----』(東京:文化書房博文社、一九八〇年)
渡辺幸博『自由と疎外----近代的自由とその崩壊----』(京都: ミネルヴァ書房、一九七三年)
野村博『自由の探究』(京都: 世界思想社、一九七一年)
ルドルフ・シュタイナー『ルドルフ・シュタイナー選集 第八巻 自由の哲学』高橋嚴訳(東京:イザラ書房、一九八七年)
石塚経雄『無から真の自由へ』(東京: 大明堂、一九九〇年)
石塚経雄『無から真の自由へ 続』(東京: 大明堂、一九九一年)
ロロ・メイ『自由と運命 ロロ・メイ著作集 六』伊東博、伊東順子訳(東京:誠信書房、一九八八年)
ルドルフ・シュタイナー『自由の哲学』本間英世訳(東京: 人智出版社、一九八一年)村上嘉隆『自由論の構造----現代的自由の人間学的考察』(東京: 啓隆閣、一九七五年)栗田賢三『マルクス主義における自由と価値』(東京: 青木書店、一九七五年)
中野徹三『マルクス主義と人間の自由』(東京: 青木書店、一九七七年9
鰺坂真『自由について』(東京: 大月書店、一九八一年)
岩崎允胤『価値と人間的自由----実践的唯物論の方法と視角』(東京: 汐文社、一九七九年)
河野真『人間の自由』(東京;以文社、一九八四年)
岸本晴雄『人間の自由を考える』(東京: 学習の友社、一九八四年)
仲瀬行雄『わたしの自由』(大阪: 幻想社、一九八六年)
市川浩ほか編『現代哲学の冒険』 十三 制度と自由』(東京: 岩波書店、一九九一年)シェリング『人間的自由の本質』西谷啓治訳(東京: 岩波書店、一九七五年 改訳)ピエール・ショーニュ『自由とは何か』西川宏人、小田桐光隆訳(東京: 法政大学出版局、一九九五年)
宮地正卓『近・現代自由意志論小史』(神戸: 近畿印刷工業出版部、一九九三年)(法と自由)
遠藤比呂通『自由とは何か----法律学における自由論の系譜』(東京: 日本評論社、一九九三年)
H・L・ハート『権利・功利・自由』小林公、森村進訳(東京: 木鐸社、一九八七年)上原行雄、長尾龍一編、井上達夫ほか著『自由と規範----法哲学の現代的展開----』(東京:東京大学出版会、一九八五年)
山田卓生『私事と自己決定----Private Business and law`s Business ----』(東京:日本評論社、一九八七年)沢登佳人『権力止揚論』(新潟: 新潟大学法学会、一九七八年)小林孝輔『自由に生きる権利』(京都: 法律文化社、一九七二年)
K・W・ワトキンス編著『自由の防衛』村田克己、町井和朗監訳(東京: 研文社、一九八一年)
憲法理論研究会編『精神的自由権』(東京: 有斐閣、一九八二年)
後藤正弘『刑法における自由意志と責任』(伊勢原: 厚木書店、一九八〇年)
ペーター・コスロフスキーほか編『進化と自由』山脇直司、朝広謙次郎訳(東京:産業図書、一九九一年)
(自由民主党と自由主義)
松山幸雄『しっかりせよ自由主義』(東京: 朝日新聞社、一九八五年)
(思想の自由)
J・B・ビュアリ『思想の自由の歴史』森島恒雄訳(東京: 岩波書店、一九八三年改版)今津晃『西欧諸国における市民的自由獲得の歴史』(京都: 今津晃、一九八〇年)ボヴェー『ボヴェー著作集 七 自由の秩序』井口省吾訳(東京: ヨルダン社、一九七四年)
森有正『森有正全集 六 現代フランス思想の展望、自由と責任、初期評論』(東京:筑摩書房、一九七九年)
P・F・ドラッカー『傍観音の時代----わが二〇世紀の光と影----』風間禎三郎訳(東京:ダイヤモンド社、一九七九年)一三〇〜一五六頁。=「フロイトの神話と現実」の章(自由と経済)
J・M・ブキャナン『コンスティテューショナル・エコノミックス 極大化の論理から契約の論理へ』加藤寛監訳(東京: 有斐閣、一九九二年)
J・M・ブキャナン『公と私の経済学----ブキャナン経済学のエッセンス』田中清和訳(東京:多賀出版、一九九一年)
桜井哲夫『近代』の意味----制度としての学校・工場』(東京: 日本放送出版協会、一九八四年)
(強制収容所)
ブルーノ・ベテルハイム『鍛えられた心----強制収容所における心理と行動----』丸山修吉訳(東京:法政大学出版局、一九七五年)
参考文献(外国書) (一次文献)
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(二次文献)
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(辞書)
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Political Thought
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(労働組合と新しい自由)
Yvonne Kapp, The Air of Freedom: the Birth of the New Unionism,London:Lawrence & Wishart, 1989.
(注 ) 人格と権力、行動、制度、権威、主権、国家、イデオロギー等政治学、法学の根本的、本質的問題が冷戦後再構成が迫られている現在、政治学、法学は新たな局面を迎えつつある。日本の高等教育が国家との間で左右に揺れていた戦前、左翼イデオロギーとマスコミが東西両陣営の対立する冷戦構造のなかで左よりの論陣をはった戦後、その戦後の世界の構造が崩壊した現在は政治学、法学のすべての根本問題が検討を迫られている。
(注 ) 政治における積極的自由と消極的自由は自由論におけるバーリンの意味における積極的自由と、消極的自由の区別に近く、フロムの意味ではない場合が多い。積極的行政国家といわれるような場合がそれにあたる。フロムの意味で積極的に法を守る人間を育てるという考え方もある。(注)マキャベリーの自由論は政治そのものの動きのなかにおける自由の意味を説いている。(注)ある選択の自由について妨害や障害がないその範囲はいかなるものであるかが消極的自由であり、ある選択の自由について「どのような行動をすることが積極的に許されているのか」ということ、その積極的自由の範囲がいかなるものであるかということは、法的な意味について述べる時は法哲学上の問題であるが、政治的な意味について論ずる時には政治学上の問題である。(注)ヒットラーのナチズムが干渉したその積極的自由の許されるべき範囲や、ゲシュタボが行った秘密に対する干渉の範囲を定めることは政治学上の問題である。強制収容所における人間への干渉、秘密警察の干渉は『アンネの日記』やソ連においてはソルジェニーツィンの『収容所列島』のなかに表現されている。
(注 )フッサールの間主観論
フッサール『ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学』細谷恒夫訳『世界の名著五一』(中央公論社、一九七〇年)においてフッサールは次のように述べている。
「『自我』という視点からいえば、特に自我と他我に関する総合、『自我と汝の総合』、また複雑な総合である『われら総合』という新しい主題を意味する。
あるしかたでは、このことはまた一つの時間化なのである。それはすなわち、自我極の同時性という時間化なのであるが、この同じことを別のことばで表現すれば、すべての自我が自分がそのなかにいることを知っている人格的地平の構成、という時間化なのである。それは、すべての自我主観の「空間」としての、普遍的社会性である。しかしいうまでもなく、相互主観性の総合は、いままで述べてきたすべてのことに関係する。すなわち、すべての人にとって相互主観的に同一である生活世界は、現われの多様性に対する指向的「指標」としての役を努め、この現われの多様性は、相互主観的総合のなかで結合され、それを通じてあらゆる自我主観が共通の世界とその事物へと向かい、それが一般的な「われわれ」のなかで結合される、活動性等の領域となるのである。」(フッサール、訳書、五四八頁。)
「新しい関心の方向をうち立てるとともに、したがってまた厳密な判断中止によってこの生活世界は、第一の指向的題目となり、現われ方の多様性とその指向的構造へと遡って問う場合の、指標、手引きとなる。第二の反省の段階においては、新しい視線の方向は自我極、及びその同一性を持つ固有なものに向かうのである。」(ibid.五四七頁。)
(注 ) 外的選好と内的選好
制度の選好と個人の選好
社会的外的選好と、個人的内的選好の対立という問題を私の言葉でいえば、社会の政治的制度の傾向と個人の性格の傾向との対立ということであり、依存的な性格の人は権力が巨大でそれに依存できる政治的、社会的制度を望む、つまりそのような制度をユートピアと考えるが、逆に自由で独立的に、自己を涵養してなっている人はオープンで、自由で独立した人々の社会をユートピアと考えるということである。つまり、この制度と、個人の選好の合致、不一致という問題が政治的社会化や、発達心理学や、適応の問題なのであって、それは政治的ユートピアと社会、政治制度の対立や一致を研究することだともいえ、それらの対立と一致に関する行動が政治的行動である。これらについては後に深く研究することになる。マキャベリーの時代は戦争と国土統一の時代であったから、『君主論』や、『政略論』が政治学として必要であったし、モンテスキューの『法の精神』の時代はその時代の法の精神をあらわしたものであったが、現代は東西冷戦終結後であるからこそ、この個人(の政治的選好)と、社会(の政治的選好)の対立こそが政治学の主要なテーマとなったといえ、この社会とはヘッフェによれば法と国家であって、ヘーゲルやケルゼンらの伝統をくむものであったが、バーリンやフロムにおいては自由と積極的自由の対立であったのだ。そこに心理的な側面も加わってきたのである。そして現代の東西冷戦後の現代においては依存と自由、独立の対立であると私は思うし、クリントンの福祉切捨てと自由、独立が受け入れられたのはそこに理由があったと思われる。しかし自由で独立した人々が職や、ビジネスがなくてはどうしようもない。そこに現代の自由、独立のなかの平等論が存在する理由があると思われる。
(注 ) 反政治の依存的な人々
他の普通の人が一生懸命「職業としての政治」とは何かを考えていると、「政治は存在しない」とバーリンの積極的自由を主張している人々はいう。平等のためには、経済のためには、選択の自由は存在しない、従って政治も存在しないのだという。そこには公平性という公ではなくて、経済というもの、すべてを決定するとされる経済というものしか存在しない、当面は先にそれを決定してくれという。そしてソ連邦におけるノーメンクラツーラのようになったらどうしたらよいのか、経済先決後のことは教えてはくれない。貧乏をなくすのが先だという考え、今は選択の自由等考えられないというのとよく似ている。これはマルクスのみならず、フロイトの手紙に出てくるドラッカーが金銭ノイローゼとほぼ同じものである。
彼らは政治的総合よりも自分一人のあまのじゃくを目指すし、平等を目指すが、一党独裁(一人独裁)の思考方法のみは絶対にかえないのである。
そのようなフロイトやマルクスが批判している人物、それが東大、一橋大生であったとして、そのまま東大や一橋大生が、フロイトやマルクスのいうようなブルジョアの本を読まず貧しくても実用書しか読んでいなかったとしたら、これは喜劇でしかない。そして応々にしてそのようなことでしかない。
(注 ) 法とオプティミズム
過去のことに拘束されないで、将来の夢のあることのみを考えているオプティミストには裁判や、法は向いていない。なぜなら法は過去の証拠に関わることだからである。
過去の証拠にこだわることはほとんど無意味であるのは、ベニスの商人が示すものである。法を有効で活きたものにするためには、将来のための法でなくてはならない。
(注 )
「自由は強制することはできない。束縛や障害や妨害を取り除いてやれるのみである。あとは選択の自由にまかせるの
という命題は正しいだろうか。この命題はバーリンのいう消極的自由なくしてバーリンのいう積極的自由はないということをあらわしている。つまり、すべての自由は消極的自由からはじまるということである。
しかし消極的な干渉されない自由を得るためとでも、自由からの逃走を防ぐためには自由は強制されなくてはならない。
(注 ) 依存、非依存と差別
依存と非依存は差別・逆差別や、排除を生み、競争を内部においては嫌う。自由で独立した者どうしの間では競争はあっても、差別・逆差別や排除は存在しない。これは心理的な側面においてであるから、やっつけてやれという感覚が心理的に発生し、それが残酷性につながるようである。競争しているのだから相手をやっつけてよいと思うのである。この競争を内部においては嫌い、外部に対しては競争をしかけるというのは、競争の概念の分裂、バーリンのいう自我の分裂とよく似ている。
(注 ) 消極的自由(権)の立法趣旨
バーリンが自分の干渉されない消極的自由の範囲内では、「する自由」も、「不作為をする自由、しないことをする自由」もあるという時、ある意味では何故自分の干渉されない自由を維持すべきなのかという自然法、ひいては憲法原理上の立法趣旨について述べているように思われる。これは所有権の絶対性の立法趣旨でもある。
一方義賊の心理はバーリンのいう積極的自由の立法趣旨を心として表現したものであるといえる。これは所有権の絶対性を批判したものでもある。ドゥウォーキンが述べたとおりに平等のためには干渉されない自由などは存在しないということであり、義賊の心理と同じく金持ちは最後の一ペンスを貧乏な人々に分け与える義務を持つという考えかたであり、これを道徳上の原理として要求したのがT・H・グリーンの自発的な義賊への財産の差し出し義務の理論である。
このバーリンのいう消極的自由と、積極的自由の概念の対立は東西冷戦を発生させたが、そこには平等なる資源と言うときの資源は自由の構成要素であるという概念が存在しなかったのである。(注)ベイは、その『自由の構造』第三章の(七三)番目の注において、「人を自由ならしめるように強制するとの考え方は国家の成長を個人の「自由」拡大の代理的手段と見る一般的な理想主義者の傾向を極端に表現したものである。」(横越英一訳)との考えを表明し、ルソーは個人と国家を一体化するような傾向をある程度持っていたと考えている。
(注 ) 徳富蘇峯が晩年に国家主義に転向したのと同じようなことであろうか。
(注) 人間関係は二人の人間関係から考察してよいのだろうか。制度とか、選挙で誰に投票するのか等について話しあっているのは社会全体という漠然としたものについて話しているのに、二人の人間関係から考察していってよいのだろうか。一人が依存的で、一人が独立的ならば、二人は合っていない人間関係なのに、社会全体の制度について話しあえるであろうか。合致点を見出しうるのであろうか。
(注) 政治や、社会は人間関係ではあるし、人間関係は相互に主観的なものが関係を持つものである。
人間関係はフロムのいうように自分が自己充実していなければ、相手に左右されてしまうことになる。自己を充実させるためには自らが自らのなかに自由を充当し、自我を完成させなくてはならないであって、自我を他人に従属・依存させているかりではいけない。卑近な例でいえば、自らが料理を作るのではなくて、いつまでも他人に作ってもらっていれば、いつまでも自分で料理を作れなくなってしまうという例をあげることができる。自らが法を作ることなく、他人の法に依存し従うことしか考えていなければいつまでたっても法の趣旨というのは分からなくなる。
(注) 自由とはある環境のもとで、ある人がある資源を持ち、他の人の拘束や禁止から(自由に=なし) に、あることをする権利があると認められること(政治的自由)である。その自由が権利として認められていない場合は自由があるというだけのことである。経済的自由、内心の自由、心理的自由についても、このような仕方で定義できる。政治とはその環境のうちでも政治的な環境のなかで、政治的資源をある人が、もち、他の人の政治的拘束や政治的禁止なしに、ある政治的な事柄をする政治的権利を有したり、政治的自由をその人が政治的に実行したりして政治的社会を作ることであり、その場合の人を政治的人間と呼び、政治的権利と他人からみればその人の政治的権利を守る義務との集合体を政治的制度という。自由意志は社会的なものであり、生物的(動物的=本能的)なものではない。人間には本来生きる本能しかなく、そのなかに食衣住(アダム・スミスの「国富論」の中では衣食住ではなくてこの順番に並べられている)生殖が含まれる。従って自殺はフロイトのように死のように死の本能を設定するのではなくて、社会的なものだと考えねばならず、そこから社会的精神医学が生まれる。それはデュルケームのように全体社会を想定するのであってはならない。
(注 ) 自由と資源の関係は政治経済学を形成する。一方固い日本の制度が日本の治安をよくしているというような制度と人間の関係が政治学を形成する。
(注 ) 平等は資源について平等、人格の取り扱いやコンサーン、配慮についての平等、人格が尊敬されることについての平等等に分けられるであろう。資源の分配についての平等についてはロールズが言及するし、政治学者も稀少資源の配分と政治を定義するものは平等な分配に言及し、自由については言及しない。
(注 ) 欠乏からの自由は、ない資源(選択する自由のなさ)を補充するということになり、経済的自由と関連する。
(注 ) 資源や機会らは平等が必要であっても自由のためにあるのであって、その基本的な線と点は守らなくてはならない。
(注 ) 所有権については富裕な人々の所有権についても保護する政策をとったとしても、貧しい人々の所有権についてはそれらの人々こそ多くの資源を必要とし、生産された資源を多く消費する人々であるより富裕になる意志を持っている人々であるからそれらの人々に対する政府の補助、児童手当等を含めた補助は大いにおこなわれかつ、その後の貧しい人々の所有権も守るべきである。
(注 ) 平等は評価であり、自由は政府が権利として求める時は評価であり、自らの意志としては事実である。抑圧されても自由の事実は残る。資源があれば実質的となり、権利は形式的である。ある人間が自由を抑圧されても自由が残っている時もある。
(注 ) 本当に平等は恐ろしいものであり、自由を否定するものであろうか。平等は状態であって自由のような動きではない。
(注 ) 自由を主張する貧乏人が存在する自由な貧乏人でありかつ、自由、所有権の絶対を主張する貧乏人である。例えば貧しくて小さな家でも干渉されない小さな自由を守る人もいる。これをストア派の足るを知るストイックな自由として義賊らが批判するのは正当であろうか。
(注 ) 自由のなかの平等性の考慮は、自由の問題であり、平等の問題ではない。
(注 ) 所有の自由を主張する保守主義と、所有については不自由で、平等的であるべきであるが考え方においては自由であるべきだと主張する自由主義・リベラリズムという二つの主義は、資源の平等性を認めるかどうかに主な相違点があるのだろうか。自由を求める保守主義は所有や資源についての現状維持、平等な静的状態であれ、不平等な静的状態であれば満足している人々が保守的にその状態を守ろうとする。ところが自由を求める自由主義は現状の不平等な資源や、所有の状態に対して不満を抱く人たちがそのような静的状態は政府や国家の「自由な」かどうかは別として自由主義的な政策によって変化されるべきであるとされる。ソ連の最期においては変化と改革が求められ、クリントンのアメリカにおいても変化と改革が求められた。かつてのソ連の革新であった共産主義は不平等な静的状態をもたらしたのであろうか。
(注 ) 経済という稀少性は政治の一部門である。あるいはそうあるべきで、稀少性は政治の全部であるべきでない。
(注 ) 経済と精神
経済と精神は稀少性のある自由の対象となる資源と精神との対応関係においてとらえられる。自由は、ある稀少性のある資源に対してある人がAから自由にBをすることができることを意味し、その資源については有限なものもあるし、無限な空気のようなものもあるし、言論のように社会的なものもある。
(注 ) 政治における自由の観念は、自由が実は経済資源等の自由を制限するものによって制限されていることを理解する時、心のなかでは完全な自由が存在するにしても実際の自由は思ったよりも少ないことによって制約されることを理解し、自由を求める政治運動は実は経済的な自由の制限によってほとんど有名無実のものであることを知ることになる。
(注 ) 平等は、経済的な消費することができる自由が平等にあることであると定義すれば、経済的な自由の量が等しいことであると考えられる。いくら自由、自由と叫んでも、思想・表現の自由以外の物を買う自由の量が各人各人違うとすれば、自由の意味が全く違うことになる。政治学や法学において研究すべき自由は消費することの自由の量を考えることであって、純粋経済学のいう稀少性の総体を考えることではない。
(注 ) 平等は状態を表し、自由は行動をなかに含むものであるので、平等は静的なものであり、自由は動的なものである。平等を主張することにより自由を制限しようとすることは平等を主張することによりそれ以上の変化を望まない静的な考え方であるのであり、それが平等の思想の一つの欠陥であったと考えられる。平等な配慮と尊重はある自由な行動に対する法的な判断としてのある人の自由を制約し、他の人の自由を奨励するという考え方であるので、動的な側面を第三者の法哲学的立場として有するものではあるが、完全な平等な状態をあくまでも維持しようとするならばその人の自由を制約し続けるという意味において静的な状態を維持しようとしているのであり、自由を制約し平等という静的な状態の維持に汲々として自由のない社会を形成してしまう可能性が否定しきれないのである。
(注 ) 自由の主張が、ある環境のもとでは平等の主張として行われている場合がある。例えば極端な不平等が存在するような環境においては他の人と平等になるために、平等になることを要求する場合の自由の主張である。ある人の自由のための資源が極端に少ない場合である。この場合フランス革命時代の標語のように「自由・平等・博愛」は互いに反発するものではなくて、親和的なものであった。自由論と平等論を論ずるにあたってこの「自由」と「平等」の対立がいつごろからおこってきたのかについて、しかし、このような親和性を人々がどのようにみていたのかについて、私たちは十分に考察してみる必要がある。
(注 ) 政治的制度
政治教育及び、公民教育は主に制度の教育として表れるが、制度は各人の持つ政治的経験から生じた政治的意識に左右されるものである。ある人が自由競争のなかで地道に資本を形成し、大きな富を築いたとすればその人は自由競争の制度を支持しそのような制度を支持する政治的態度をとるであろう。逆に労働者として賃金を得ることで生計をたてているとすれば労働者に有利な制度を支持するであろう。政治的な人間は政治的な制度を作り上げる。政治的な人間の政治的意識の形成は様々であるので、自らの政治的意識に従って政治的な制度を支持することになる。大人になったすべての人に選挙権が存在する普通選挙権が確立されている現代においては、成人した大人すべてが自らの政治的意識に従って自らの支持する政治的制度を作ろうという政策を実行しようという政治家や正当にイエスの投票をし、そうでない政治家や政党にノーの投票をすることになる。(注)専制の環境にある者が「自由の強制」(干渉)なしに自由になろうとすること、これは自我の独立、あるいは、自由教育であるといえる。これに対して「自由の強制」によって自由になることは「自由」であるといえるであろううか。専制は「自由でない」が、専制であることは自由である、というのは、トートロジーであろうか。自由でないことが自由であるといえるか。「自由でない」とは専制によりある人が専制的支配者に支配されていることであり、自由でないことが自由であるとは、支配されていて自由でないことが好きである、つまり、自由から逃走することが好きであるということであり、ドイツや日本やイタリアの国家主義の時代にはそのような状態のなかにあった。この考えは他人の自由を認めない不寛容派の自由のなかにも認められる。しかし「自由でない」ことは、自由でない状態を表すことばであり、自由でないことが自由であるというのは矛盾である。この矛盾は自由のことばの使い方から発生した矛盾である。自由でないという時の自由はポジティブではなくネガティブな自由を表しており、自由であるとはポジィブな自由を表している。この場合の自由はポジティブな専制支配者の自由であり、自由でないという時の自由は被支配者のネガティブな自由である。
(注 ) 自由はフリーダムや、リバティの訳語である。サクソン語系のフリーダムのことばはほぼ同じ意味に使われていたが、しかし自由は歴史上の各々の時代においてその時代の政治的、経済的、社会的、文化的環境において人間がどのような自由を欲したかに応じて、その時代特有の自由への欲求に応じたいみが付与された。人間は自由を欲するものである。しかし完全な自由は時代が許さない。それぞれの時代、歴史に応じた自由があったことになる。自由の歴史も、社会的自由の一種である自由権の歴史も時代時代の環境、文化、社会、政治的環境に応じたものであった。歴史上最初に近代的な政治学についてその祖とされるマキャベリーにおいては自由とは専制や、独裁からの自由を意味した。マキャベリーの著作においては巻と章によってその論じている部分が指し示されるかんこうできあがっているのでそれに従って説明することにする。一般にマキャベリズムといわれているものはマキャベリーが論じているところの趣旨を誤って理解したもので、確かにマキャベリーは政治や国家の統一にはチェーザレ・ボルジアのような残虐性が必要な場合もあると論じたその裏にはこのような自由に対する渇望があったと考えられるものである。
(注 ) 自由の反対語は、依存する者と依存される(被依存)者との依存の関係である。クリントンの福祉改革は依存を断ち切り独立を促すものであった。自由であることは独立することでもある。専制が自由の反対語である場合、専制的支配からの自由を意味しているが、集団全体主義の反対語としての自由主義は被依存者との関係を断ち切ることを意味している。専制主義と独裁主義とは相違する。独裁は非常時に大権を握ることであるが、専制は平常時に大権を握ることである。集団全体主義は大衆化された時代において大衆全体を一集団として被依存者としての役割を与え、大衆全体がそれに依存しようとすることである。
(注 ) 相互依存関係にある社会内部においては各人が相互に依存しあっていることは普通一般に見出される。ところが被依存者を社会全体のうちに想定し、それに全員が依存しなくてはならないという状況は特殊な状況である。Aという人が工業を行い、農業については他のBという人に依存しており、かつ、Bという人は工業についてはAという人に依存していることは一般的なことである。これは社会関係ということができる。ところがすべてにおいてCという絶対的な人が被依存者であり、すべての人に依存するという現象は特殊なことである。コレクティビィズムのコレクトということば、集めるというのは何を集めているのかといえばこの依存性を集めているということではなかろうか。コレクティビィズムの本質については様々な議論が存在するであろうが、依存性という概念を中心にとらえるとすれば実際の経済的その他の依存と心のなかの心理的依存との両側面からの分析が必要となる。
一般の相互依存関係が「見えざる手」によって調整されるとする説は自由で独立した人間関係を是認するものである。「見えざる手」が失敗していると考える考え方は、集団全体を一つの巨大な統制者にみなし、社会内の大衆全員がそれに依存すべきであるという集団全体主義を生み出し大衆は依存者、統制者を被依存者とみなした。失業や倒産は経済内においては相当な確率で発生する。(注)積極的自由とは、依存者の無産者の自由は、消極的な有産者の自由よりも優先し、無産者が有産者になるための自由は、積極的自由であり、それを否定する自由は、全体の自由ではない、平等になるために、自分の財産を政治によって拡大する自由である。積極的自由とは、全体の意志によって富裕者の財産を減らすように干渉してよいという(平等のための)自由であり、それを否定するのが干渉を否定するという意味の否定的自由である。それが暴力革命と一党独裁の自由となる。
(注 ) 現代は各人がワープロ・パソコンを持ち、各人が自由に意志を表明する機会が多くなった時代であり、ナチスの時代の自由のことを考えたフロムや、バーリンの時代とは相当に自由を取り巻く環境が変化している。ナチスの時代でさえ映画による大衆の政治宣伝は人々の考える自由を奪い、それが自由からの逃走につながったのだと私は考えるが、現代においても、政府の政策や、事件をマスコミが報道する際に多数(マス)の専制によって各人各人の思考する自由を奪っていないかどうかを考えることは重要なことである。そこにバーリンの消極的自由の観念が生まれたのは最近のことであり、ナチスの時代にはバーリンのいう消極的自由の考え等ナチスに熱狂していた人々にはいなかったといえる。
(注 ) 囚人のジレンマは、例外状態においては悪人の方が勝つということを表していると断言してよいであろうか。例えば、無人島に一人分の食料しかないのに、九人が漂着した場合、一番悪い者が生き残るのであろうか。善人が生き残るのであろうか。依存性の強い者は悪い者が生き残るさというであろうが、全体を考えている人はいい人間が生き残るというであろう。
この例外状態の考え方は独裁や、経済先決論や、唯物論や、性欲論を形成しやすい。
依存性は例外状態においては独裁やらにつながるが、独立性は例外状態に対抗しえない。(注)自分が貧乏だと認識し、それに対して誰も助けてくれない、依存できない、誰かが自分に対価としてではなく、タダでものをくれないと主張することと、他の金持ちを「精神的に、私に自由をくれない、誤っている病気だとする考えは、ほぼ同一のものであり、ここで唯物論と、フロイトの生物学的精神医学が結びつく理由がある。
彼らは哲学的にそれをやっているわけではなく、嫉妬心が強いからそうやっている。人は嫉妬心が強くなくてはならぬという。
(注 ) 依存的な人間が他人に干渉するということのデメリットは、依存される人間が楽しくやっているのはいけないというので、依存される人間が寝たいのに、寝せないために、ストライキやらを行うということと似たような結果をもたらすという点にプライバシーの権利がおかされるのと同じような結果をもたらすというような点に、それから類推すると、依存させたくないのに、ストライキ等により依存させろといってくることに存する。
(注 ) 政治学のなかには、選択の自由を人々に認めるにしても社会全体にある一つの客観と政府が信じたものを普及させ、時には強制(このことばは使わない方がよい、自由の強制なのか、妨害なのか分からないから)する要素が含まれるているが、教育においては伝達するのみで、成績が悪くてもいいのだから強制の契機は少ない。
(注 ) 自由とは、積極的内容の自由と、消極的内容の自由とを双方共に含むものでなければ一つの自由として完成されることはないし、また、資源や能力がなければ、実質的に自由とはならない。
(注 ) 自由であるように強制するということの反対のことばは、自由でないように強制するということである。
(注 ) 自由は平等にできるか
自由は平等にはできない。なぜなら、実質的平等はいくら形式的に平等にしたからといっても、資源の不平等や、能力の不平等やらによって平等ではないからだ。ある自由が与えられている人が、資源・資金がなくて実質的に自由を行使できなかった時に資源・資金が手に入り自由を行使できるようになった時には、自由が増えたというのだろうか。資源・資金が増えたというのだろうか。形式的自由は変化はないが、実質的自由が増えたというのは詭弁であろうか。
(注 ) ある民族は行動しながら考える。イギリス人は、ドイツ人は、・・人は・・・というのは、オプティミスティックな哲学を構成したり、行動するために多くのことを考える人は、デマや、ウソに左右されちることが多く、気が狂っているのと同じ状態になるが、一方では、行動のみをしている人は現実の今の動きにのみ左右されているのであってそのようなことが少ないのであり、新しい今の真実のための社会科学を構成しなら行動し、政治をしている可能性がある。
(注 ) 自分のことは何でも自分でできなくてはならないという考え方派、全体主義的統一的パーソナリティーの重大な要素であると考えられる。ところが依存的名場合は多くのものを自分で権威と考えているものに頼っているのであるが、それが性向となっているのである。しかし、人間の本性としては本能以外の部分については自由があり(この場合は選択の自由ではなくて、自己完成の自由、コンピュータでいえば何にでも慣れる自由、であるが)自己完成ができるようになっているということである。自己完成していない場合には他人に依存せざるをえないし、そうでないと生きてはいけない。いやそうではない、自己完成していないからこそ、依存せざるをえないのであり、早く自己完成して、自由で独立した人間本来の本性を取り戻すべきである。つまりすべての人は自己完成ができるようにできているということなのだ。これがペシミスティックの政治学である。(注)ある人が学問がすすんでいることと、それがイヤだということを、また、ある人が企業家精神があるということと、それがイヤだということお、依存性が場合には混同する。ある人が自分を観察することはイヤだという。自分は依存する方であり、依存される方ではないという。自分の間主観的な観察は自分の客観的な立場を明らかにし、自分がストライキのできる依存する環境から痛みを伴ってはずすことになるからイヤだという。ストライキは自分がするのであって、権威は偉大であるべきで、ストライキをすることはイヤだと思う。権力にはストライキ権はないし、依存している自分を観察し、客観的に依存しているということにも反対する。社会がそのような依存する人のみになったら、経済は破綻する。誰もが依存するばかりで何もしないからだ。彼らは不平・不満をいい、他人をなきものにするのが得意である。それがストライキのスローガンとなる。これは依存から発するすべての心理がつまったものとなる。彼らはきらいで、イヤな、依存できない人が、資格を取ったのがいけない、大学入試に通ったのがいけない、ついには勉強がいけない、そしてそれらは何でもいけないといえるという理論を発見し、ついには、「死の本能」があるとまでいいだす。これは依存性のあるすべての人が生み出す言葉であり、マルクスやフロイトに共通するものではない。
(注 ) 「国家の名」の後に隠れた、つまり、国家のためにの後に隠れた、残酷性の行使があったのではないかという反省は、マキャベリーがその前の世代を宗教の名に隠れた不合理性を主張したのと同じような観念の反省点でありうるし、それはいわゆる道徳によるカモフラージュという反省である。
(注 ) 共産主義社会内においては、物産品は労働価値によって価値が決まり、効用価値によらないのであるから、その移動は交換や商業という効用価値を基準にしたものによらず、国家の統制的経済計画による流通による移動によることになる。ある生産品はすでにどこの誰に移動されるか国家がきめているこになる。この選択の自由のなさは各人の効用をあらかじめ国家はきくことをしないので、恣意的である。
(注 ) ルソーの性格の特性、あまり強くない性格の傾向を理解していればルソーの解釈にあたって宇宙だけから判断してルソーを全体主義としてとらえるような誤りはおかさないで済むことになる。ところが宇宙だけから判断すると「一般意志」とか、「自由であることの強制」ということばから全体主義であると解釈してしまうことがありうる。自由主義社会においても(この自由主義はリベラリズムではなく、資本主義社会)自由化のために「自由であることを強制」することはありうるし、また、国会の一般意志によってそのようにすることはありうるのであって、自由の強制も一般意志もがコレクティヴィズムの社会のみに使われることばではない。
(注 ) 九人に対して一人分の食料しかない場合を考えてみると、死の本能は人間にはないが殺すという選択の自由は原初的にはあったと考えられるが、それを一人の人に預けて、あるいは皆で、誰が生き延びるのかを決めたり、二、三日生きてすべての人が二、三日後には死ぬしかないということを決めたりする選択の自由はあるようだ。これはれうがい状態を考えているのであり、実際は生産ができるのでこのようなことはありえない。しかしこのことを考えて不安や、恐怖に陥る人はありうるし、それは依存というものから発生する恐怖や、不安と似ている点があるのはどうしてだろうか。シュミットの独裁の思想を例外状態の解決法と位置付けたシュワープの考え方は、このような場合に独裁にまかせるという考え方と似ているといえるのである。しかしそのような例外状態を解決するのに平等を重視して行うことも可能である。(注)物と商品
何故に資本主義は勝ったか。
それは物が並べてあることの意味を知っていたからだ。
階級制度のある国等では大金持ちが過度の干渉されない自由を主張することは、政府の平等化への政策、大金持ちの自由を平等のために少し減らして、貧乏人の自由を「真の自由」のために少し増やしてより平等に近づけることを政策を否定することになりかねない。この「真の自由」は貧乏人にとっては達成されるが、大金持ちにとっては不自由になることだということを理解しなければならない。しかし、階級制度のあるような国、イギリス、インドのような国ではそのような国ではそのような自由の主張は大切なことかもしれない。
ところが資本主義的自由は、人間の自然的平等のゆえに自然に平等を達成する。
平等な自由という目標は、自由の本質である選択の自由から来る計測不可能性のために、意味のないものであるが、自由な平等は目標としては設定しうる。
自由をすべての人のために認めているにもかかわらず、常に平等を達成するように努力している社会が理想である。これを自由な平等の社会であるとすれば、そのような社会を目標として設定することは可能である。自由の構成要件である資源を平等にしようとという思想であり、平等は自由の構成要件であるからこそ平等にしたからといって自由はそのまま維持されることになる。平等な資源は税や、自発的なボランティアによる)資源の移転や、道徳感情の自由な教育による涵養による資源野移転によって達成されるべきである。ここには強い教育(道徳教育)の要請がある。T・H・グリーンの考えは福祉国家にのみつながったが、自由の構成要素としての資源の平等性の追及はオープンな自由社会を目標とするものである。ロールズの最低限の生活をする人々の生活を向上させるためにも競争や自由や資源の不平等は認められるべきだという考え方ともことなっている。ロールズが最低限の生活をする人々の地位を向上させるという期待が合理的に認められるときにのみ、社会的、経済的不平等が認められるという考え方は静的な状態をとらえていう表現の仕方である。平等というものを考えることは不平等というものをとらえることと方法論としては同じであり平等も、不平等も自由の構成要素として自由のなかでとらえられるべきものである。
(注 ) 国家と政治は死滅するか
国家死滅とブルジョアの批判との自由連想
マルクスや、エンゲルスが国家は死滅するということばは、アナーキズムの根源的な命題であるが、それはすべての人を公務員にしてすべてを国家財産にしてしまえばすべての人は仲良くなるから、国家は必要ではないとしたのであり、そのことは義賊から生じる心理が挫折した結果すべてを共有財産にしてしまえばよい、つまり、バーリンのいう積極的自由を他人のすべての私有財産に対する干渉として及ぼして、妬みや嫉妬から成り立つ社会を形成してしまえばよいということであったのだ。それはすべての人が義賊となる社会であり、そうなればすべての人が義賊となる社会であり、そうなればすべての人はブルジョアとして批判されるような社会であったのだ。したがって、普通の人が生活する社会におけるすべての私有財産はブルジョア的なものを求める人であり、私有しようとという考え方はブルジョアの思想であり、その思想はイデオロギーとしてブルジョアのための思想であるとして批判されるべきものであったのだ。
なぜブルジョアの批判に、国家の死滅の論理は結びついたかは奇妙な心理的結合によるものであった。この自由連想の心理は精神分析されるべきである。まず義賊の心理は私有の批判になり、そして国家はブルジョアを守るためのものだという理論となり、そのようなブルジョアのためだけに存在する権力である政治は貧乏人のためにはなっておらずそのような政治や国家は存在する必要はないという理論となる。ところがここには政治の機能のうち権力のみをとりだし、調整という機能をネグレクトし、かつ、権力がブルジョア以外の人には役にたっていないという論理のすりかえが存在した。権力には貧乏人を押さえつけるという機能のほかに貧乏人を助ける機能もあるし、かつ、その他の様々な機能がる。人が存在するということを無視しており、それがそのまま一党独裁の思想につながることとなった。共有の思想が一党独裁に思想につながったのはこの政治の調整の機能を無視したことに一因があったのである。
(注 ) 二つのわがまま(つづき)
規制は、例えば安全教育がいきとどいていれば自由にバイク通学を認めることができるという事例をみても分かるように、ある安全を目的とする規制はその規制なしですますことができるのであり、規則と自由との関係はこのような関係にある。それと同じように各人に平等化への自己意識があれば、平等のために自由を殺すということは必要がなくなる。後者の自由はわがままという意味の自由であり、それにはバーリンのいう積極的自由におけるわがままと、バーリンのいう干渉されない消極的自由におけるわがままとの二つのわがままが考えられ、そのようなわがままが自覚されないと、自由のための強制が積極的自由に対しても必要となり、また消極的自由におけるわがままにたいしても自由のための強制が必要となる場合がある。後者の自分のための強制は積極的自由と呼んでいいものである。すなわち、独占の自由、一応は消極的な干渉されない自由に対しては政府は積極的自由によって干渉し、自由競争を確保せざるをえなくなり、その独占の自由というのはつまり私有を妨害するという自由であるのだから、専制や独裁によく似た自由であるといことになる。
(注 ) 法制度と、政治的人間
自分で納得して、権威や権力や法やら規範に従うことが必要だということを気にかけていないと、権威主義やファシズムやらに侵略される可能性が、日本、ドイツ、イタリアのような国においては、その法制度のために、特に高い。これは自由論の課題でもあるし、公民や、法曹や、マスコミの課題でもある。フロムの積極的自由も、バーリンの消極的自由もこのことを求めているのであって、グリーンの理論はこのことは逆のことを求めている。
(注 ) 秘密性と情報公開法
(注 ) 各個人が立法趣旨を理解しそれに従って行動するようになればなる程、政府は立法し方の規範によって各個人の規制をする必要がなくなるということは正しい命題であろうか。カントの汝のに従ってとい確率は本当に正しいのだろうか。遅刻をする人がいなくなったら学校において遅刻するなという拘束が必要なくなうであろうか。
(注 ) 消極的自由がそれ自体単独では自由であるといえないのは、自由とは〜する可能性であるからである。依存的な人々の攻撃から身を守ること、それが干渉されない自由である消極的自由であるとすれば、それによって自らの守るべき範囲を確定した後で(そのなかで)積極的に自己を完成しなければならない。その部分がフロムのいう積極的自由である。バーリンの消極的自由のあとに、フロムのいう積極的自由が必要となるし、バーリンのいう消極的な自由がなければフロムのいう積極的自由は存在しえないのである。ナチズムにあなたが占領されちる地域のなかにいるとしよう。ナチズムからまずあなたは消極的自由によって身を守り、ナチズムの妨害からの自由を勝ちとらねばならない。そしてそのあとで自らが社会のなかで役割を演ずることができるように自己を完成させねばならないのである。
(注 ) ドゥウォーキンが平等な配慮と尊重から権利の概念が導出できるといったのは、人間の間主観性の考慮において、相手の間主観性を配慮し尊重することによって相手の権利を自分と同等に認めよ、そうすれば間主観的な人間関係が客観的な人間関係になるといったと解釈できる。つまり自由の相互主張は、間主観を越えて客観的人間関係(彼はそのなかで一番重要なものは消極的自由ではなくて、平等性であると考えられたのだが)になれると考えたのであると考えることができる。
デヴィッド・ミラーによれば、客観的な正義こそ権利であるということになる。この客観的なとは間主観性を越えた客観性であり、依存性とは、間主観性を引き起こす最も大きな原因であると考えられる。
(注 ) 自由の権利と教育
「あいうえお」を教えることのなかに、教育の機能のうちの知識の伝達以外の機能、例えば自由の強制の機能が入っているのであろうか。
(注 ) 自らの性格の傾向と、社会の性格の傾向とが相違する場合にはどうすればよいのか。即ち、マルクスのような依存的な人が、独立自立の国にほおり出されたら政治恐怖に陥ってしまう。(注)自由からの逃走はいかにしたら防げるか−自由の強制
「自由からの逃走」をしがちな性格の傾向をもった人々や、民族は数多い。これを権威主義的傾向と呼ぼうが、そうではない他の呼びかたをしようが、それをいかにしたら防げるのかは大きな問題である。
(注 ) 自由と平等に関する研究を我々は何を得るために行ってきたのだろうか。自由は相手の自由も考えて間主観性を越えた真の自由となりうるということであろう。あるいは自由は平等な資源によってのみ平等な自由が確保されうるということであろうか。あるいは法律や、憲法上の諸原則を考える手掛かりとして自由について学習した結果が役に立ったのであろうか。自由は経済において選択の自由が必要だという点についてであろうか。自由が人間の本質である限りは人間は自由について永久に学び続けなくてはならないと考えらっる。
自由論は我々は積極性と共に謙譲を与えてくれる。
(注 ) 人格と権力、行動、制度、権威、主権、国家、イデオロギー等政治学、法学の根本的、本質的問題が冷戦後再構成が迫られている現在政治学、法学は新たな局面を迎えつつある。日本の高等教育が国家との間で左右に揺れていた戦前、左翼イデオロギーとマスコミが東西料陣営の対立する冷戦構造のなかで左よりの論陣をはった戦後、その戦後の世界の構造が崩壊した現在は政治学、法学のすべての根本問題が検討を迫られている。
(注 ) 政治における積極的自由と消極的自由は自由論におけるバーリンの意味における積極的自由と、消極的自由の区別に近く、フロムの意味ではない場合が多い。積極的行政国家といわれるような場合がそれにあたる。フロムの意味で積極的に法を守る人間を育てるという考え方もある。(注)マキャベリーの自由論は政治そのものの動きのなかにおける自由の意味を説いている。(注)ある選択の自由について妨害や障害がないその範囲はいかなるものであるかが消極的自由であり、ある選択の自由について「どのような行動をすることが積極的に許されているのか」ということ、その積極的自由の範囲がいかなるものであかということは、法的な意味について述べる時は法哲学上の問題であるが、政治的な意味について論ずるには政治学上の問題である。(注)ヒットラーのナチズムが干渉したその積極的自由の許されるべき範囲や、ゲシュタボが行った秘密に対する干渉の範囲を定めることは政治学上の問題である。強制収容所における人間への干渉、秘密警察の干渉は『アンネの日記』やソ連においてはソルジェニーツィンの「収容所列島」のなかに表現されている。
(注 )フッサールの間主観論
フッサール『ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学』細谷恒夫訳『世界の名著五一』(中央公論社、一九七〇年)においてフッサールは次のように述べている。
「『自我』という視点からいえば、特に自我と他我に関する総合、『自我と汝の総合』、また複雑な総合である『われら総合』という新しい主題を意味する。
あるしかたでは、このことはまた一つの時間化なのである。それはすなわち、自我極の同時性という時間化なのであるが、この同じことを別のことばで表現すれば、すべての自我が自分がそのなかにいることを知っている人格的地平の構成、という時間化なのである。それは、すべての自我主観の「空間」としての、普遍的社会性である。しかしいうまでもなく、相互主観性の総合は、いままで述べてきたすべてのことに関係する。すなわち、すべての人にとって相互主観的に同一である生活世界は、現われの多様性に対する指向的「指標」としての役を努め、この現われの多様性は、相互主観的総合のなかで結合され、それを通じてあらゆる自我主観が共通の世界とその事物へと向かい、それが一般的な「われわれ」のなかで結合される、活動性等の領域となるのである。」(フッサール、訳書、五四八頁)
「新しい関心の方向をうち立てるとともに、したがってまた厳密な判断中止によってこの生活世界は、第一の指向的題目となり、現われ方の多様性とその指向的構造へと遡って問う場合の、指標、手引きとなる。第二の反省の段階においては、新しい視線の方向は自我極、及びその同一性を持つ固有なものに向かうのである。」(ibid.五四七頁)
(注 ) 外的選好と内的選好
制度の選好と個人の選好
社会的外的選好と、個人的内的選好の対立という問題を私の言葉でいえば、社会の政治的制度の傾向と個人の性格の傾向との対立ということであり、依存的な性格の人は権力が巨大でそれに依存できる政治的、社会的制度を望む、つまりそのような制度をユートピアと考えるが、逆に自由で独立的に、自己を涵養してなっている人はオープンで、自由で独立した人々の社会をユートピアと考えるということである。つまり、この制度と、個人の選好の合致、不一致という問題が政治的社会化や、発達心理学や、適応の問題なのであって、それは政治的ユートピアと社会、政治制度の対立や一致を研究することだともいえ、それらの対立と一致に関する行動が政治的行動である。これらについては後に深く研究することになる。マキャベリーの時代は戦争と国土統一の時代であったから、「君主論」や、「政略論」が政治学として必要であったし、モンテスキューの「法の精神」の時代はその時代の法の精神をあらわしたものであったが、現代は東西冷戦終結後であるからこそ、この個人(の政治的選好)と、社会(の政治的選好)の対立こそが政治学の主要なテーマとなったといえ、この社会とはヘッフェによれば法と国家であって、ヘーゲルやケルゼンらの伝統をくむものであったが、バーリンやフロムにおいては自由と積極的自由の対立であったのだ。そこに心理的な側面も加わってきたのである。そして現代の東西冷戦後の現代においては依存と自由、独立の対立であると私は思うし、クリントンの福祉切捨てと自由、独立が受け入れられたのはそこに理由があったと思われる。しかし自由で独立した人々が職や、ビジネスがなくてはどうしようもない。そこに現代の自由、独立のなかの平等論が存在する理由があると思われる。
(注 ) 反政治の依存的な人々
他の普通の人が一生懸命「職業としての政治」とは何かを考えていると、「政治は存在しない」とバーリンの積極的自由を主張している人々はいう。平等のためには、経済のためには、選択の自由は存在しない、従って政治も存在しないのだという。そこには公平性という公ではなくて、経済というもの、すべてを決定するとされる経済というものしか存在しない、当面は先にそれを決定してくれという。そしてソ連邦におけるノーメンクラツーラのようになったらどうしたらよいのか、経済先決後のことは教えてはくれない。貧乏をなくすのが先だという考え、今は選択の自由等考えられないというのとよく似ている。これはマルクスのみならず、フロイトの手紙に出てくるドラッカーが金銭ノイローゼとほぼ同じものである。
彼らは政治的総合よりも自分一人のあまのじゃくを目指すし、平等を目指すが、一党独裁(一人独裁)の思考方法のみは絶対にかえないのである。
そのようなフロイトやマルクスが批判している人物、それが東大、一橋大生であったとして、そのまま東大や一橋大生が、フロイトやマルクスのいうようなブルジョアの本を読まず貧しくても実用書しか読んでいなかったとしたら、これは喜劇でしかない。そして応々にしてそのようなことでしかない。
(注 ) 法とオプティミズム
過去のことに拘束されないで、将来の夢のあることのみを考えているオプティミストには裁判や、法は向いていない。なぜなら法は過去の証拠に関わることだからである。
過去の証拠にこだわることはほとんど無意味であるのは、ベニスの商人が示すものである。法を有効で活きたものにするためには、将来のための法でなくてはならない。
(注 )
「自由は強制することはできない。束縛や障害や妨害を取り除いてやれるのみである。あとは選択の自由にまかせるの
という命題は正しいだろうか。この命題はバーリンのいう消極的自由なくしてバーリンのいう積極的自由はないということをあらわしている。つまり、すべての自由は消極的自由からはじまるということである。
しかし消極的な干渉されない自由を得るためとでも、自由からの逃走を防ぐためには自由は強制されなくてはならない。
(注 ) 依存、非依存と差別
依存と非依存は差別・逆差別や、排除を生み、競争を内部においては嫌う。自由で独立した者どうしの間では競争はあっても、差別・逆差別や排除は存在しない。これは心理的な側面においてであるから、やっつけてやれという感覚が心理的に発生し、それが残酷性につながるようである。競争しているのだから相手をやっつけてよいと思うのである。この競争を内部においては嫌い、外部に対しては競争をしかけるというのは、競争の概念の分裂、バーリンのいう自我の分裂とよく似ている。
(注 ) 消極的自由(権)の立法趣旨
バーリンが自分の干渉されない消極的自由の範囲内では、「する自由」も、「不作為をする自由、しないことをする自由」もあるという時、ある意味では何故自分の干渉されない自由を維持すべきなのかという自然法、ひいては憲法原理上の立法趣旨について述べているように思われる。これは所有権の絶対性の立法趣旨でもある。
一方義賊の心理はバーリンのいう積極的自由の立法趣旨を心として表現したものであるといえる。これは所有権の絶対性を批判したものでもある。ドゥウォーキンが述べたとおりに平等のためには干渉されない自由などは存在しないということであり、義賊の心理と同じく金持ちは最後の一ペンスを貧乏な人々に分け与える義務を持つという考えかたであり、これを道徳上の原理として要求したのがT・H・グリーンの自発的な義賊への財産の差し出し義務の理論である。
このバーリンのいう消極的自由と、積極的自由の概念の対立は東西冷戦を発生させたが、そこには平等なる資源と言うときの資源は自由の構成要素であるという概念が存在しなかったのである。(注)ベイは、その「自由の構造」第三章の(七三)番目の注において、「人を自由ならしめるように強制するとの考え方は国家の成長を個人の「自由」拡大の代理的手段と見る一般的な理想主義者の傾向を極端に表現したものである」(横越英一)訳との考えを表明し、ルソーは個人と国家を一体化するような傾向をある程度持っていたと考えている。
(注 ) 徳富蘇峯が晩年に国家主義に転向したのと同じようなことであろうか。
(注) 人間関係は二人の人間関係から考察してよいのだろうか。制度とか、選挙で誰に投票するのか等について話しあっているのは社会全体という漠然としたものについて話しているのに、二人の人間関係から考察していってよいのだろうか。一人が依存的で、一人が独立的ならば、二人は合っていない人間関係なのに、社会全体の制度について話しあえるであろうか。合致点を見出しうるのであろうか。全体を部分に分解しても商業、交換のようにその連鎖が社会全体を構成しうるような自由で独立した消極的自由を持った人間の関係に分割できるとすれば二人の人間関係が部分的であるからといっても社会全体を構想できると考えられることになる。
(注) 政治や、社会は人間関係ではあるし、人間関係は相互に主観的なもの関係を持つものである。
人間関係はフロムのいうように自分が自己充実していなければ、相手に左右されてしまうことになる。自己を充実させるためには自らのなかに自由を充当し、自我を完成させなくてはならないであって、自我を他人に従属・依存させているかりではいけな。卑近な例でいえば、自らが料理を作るのではなくて、いつまでも他人に作ってもらっていれば、いつまでも自分で料理を作れなくなってしまうという例をあげることができる。自らが法を作ることなく、他人の法に依存し従うことしか考えていなければいつまでたっても法の趣旨というのは分からなくなる。
(注) 自由とはある環境のもとで、ある人がある資源を持ち、他の人の拘束や禁止から自由=なしに、あることをする権利があると認められること(政治的自由)である。その自由が権利として認められていない場合は自由があるというだけのことである。経済的自由、内心の自由、心理的自由についても、このような仕方で定義できる。政治とはその環境のうちでも政治的な環境のなかで、政治的資源をある人が、もち、他の人の政治的拘束や政治的禁止なしに、ある政治的な事柄をする政治底権利を有したり、所為敷き自由をその人が政治的に行動したりして政治的社会を作ることであり、その場合の人を政治的人間と呼び、政治的権利と他人からみればその人の政治的権利を守る義務との集合体を政治的制度という。自由意志は社会的なものであり、生物的(動物的な=本能的な)なものではない。人間には本来生きる本能しかなく、そのなかに食衣住(アダム・スミスの「国富論」の中では衣食住ではなくてこの順番に並べられている)生殖が含まれる。従って自殺はフロイトのように死のように死の本能を設定するのではなくて、社会的なものだと考えねばならず、そこから社会的精神医学が生まれる。それはデュルケームのように全体社会を想定するのであってはならない。
(注 ) 自由と資源の関係は政治経済学を形成する。一方固い日本の制度が日本の治安をよくしているというような制度と人間の関係が政治学を形成する。
(注 ) 平等は資源について平等、人格の取り扱いやコンサーン配慮についての平等、人格が尊敬されることについての平等等に分けられるであろう。資源の分配についての平等についてはロールズでは言及するし、政治学者も稀少資源の配分と政治を定義するものは平等な分配に言及し、自由については言及しない。
(注 ) 欠乏からの自由は、ない資源(選択する自由のなさ)を補充するということになり、経済的自由と関連する。(注)資源や機会らは平等が必要であっても自由のためにあるのであって、その基本的な線と点は守らなくてはならない。
(注 ) 所有権については富裕な人々の所有権についても保護する政策をとったとしても、貧しい人々の所有権についてはそれらの人々こそ多くの資源を必要とし、生産された資源を多く消費する人々であるより富裕になる意志を持っている人々であるからそれらの人に対する政府の補助、児童手当等を含めた補助は大いにおこなわれかつ、その後の貧しい人々の所有権も守るべきである。(注)平等は評価であり、自由は政府が権利として求める時は評価であり、自らの意志としては事実である。抑圧されても自由の事実は残る。資源があれば実質的となり、権利は形式的である。ある人間が自由を抑圧されても自由が残っていう時もある。
(注 ) 本当に平等は恐ろしいものであり、自由を否定するものであろうか。平等は状態であって自由のような動きではない。
(注 ) 自由を主張する貧乏人が存在する自由な貧乏人でありかつ、自由、所有権の権利を主張する貧乏人である。
(注 ) 自由のなかの平等性の配慮は、自由の問題であり、平等の問題ではない。
(注 ) 所有の自由を主張する保守主義と、所有については不自由で、平等的であるべきが考え方においては自由であるべきだと主張する自由主義とは、資源の平等性を認めるかどうかに主な相違点があるのだろうか。自由を求める保守主義は所有や資源についての現況維持、平等な静的状態であれ、不平等な静的状態であれば満足している人々が保守的にその状態を守ろうとする。ところが自由を求める自由主義は現状の不平等な資源や、所有の状態に対して不満を抱く人たちがそのような静的状態は政府や国家の「自由な」かどうかは別として自由主義的な政策によって変化されるべきであとされる。ソ連の最期においては変化と改革が求められ、クリントンのアメリカにおいても変化と改革が求められた。かつてのソ連の革新であった教案主義は不平等な静的状態をもたらしたのであろうか。
(注 ) 経済という稀少性は政治の一部門である。あるいはそうあるべきで、稀少性は政治の全部であるべきでない。(注)経済と精神
経済と精神は稀少性のある自由の対象となる資源と精神との対応関係においてとらえられる。自由は、ある稀少性のある資源に対してある人がAから自由にBをすることができることを意味し、その資源については有限なものもあるし、無限な空気のようなものもあるし、言論のように社会的に有限なものもある。
(注 ) 政治における自由の観念は、自由が実は経済資源等の自由を制限するものによって制限されていることを理解する時、心のなかでは完全な自由が存在するにしても実際の自由は思ったよりも少ないことによって制約されることを理解し、自由を求める政治運動は実は経済的な自由の制限によってほとんど有名無実のものであることを知ることになる。(注)平等は、経済的な消費することができる自由が平等にあると定義すれば、経済的な自由の量が等しいことであると考えられる。いくら自由、自由と叫んでも、思想・表現の自由以外の物を買う自由の量が各人各人違うとすれば、自由の意味が全く違うことになる。政治学や法学において研究すべき自由は消費することの自由の量を考えることであって、純粋経済学のいう稀少性の総体を考えることではない。(注)平等は状態を表し、自由は行動をなかに含むものであるので、平等は静的なものであり、自由は動的なものである。平等を主張することにより自由を制限使用とすることは平等を主張することによりそれ以上の変化を望まない静的な考え方であるのであり、それが平等の思想の一つの欠陥であたと考えられる。平等な配慮と尊重はある自由な行動に対する法的な判断としてのある人の自由を刺激し、他の人の自由を奨励するという考え方であるので、動的な側面を第三者の法哲学的立場として有するものではあるが、完全な平等な状態をあくまでも維持しようとするならばその人の自由を制約し続けるという意味において静的な状態を維持しようとしているのであり、自由を制約し平等という静的な状態の維持に波及として自由のない社会を形成してしまう可能性が否定しきれないのである。
(注 ) 自由の主張が、ある環境のもとでは平等の主張として行われている場合がある。例えば極端な不平等が存在するような環境においては他の人と平等になるために、びょうおうになることを要求する場合の自由の主張である。ある人の自由のための資源が極端に少ない場合である。この場合フランス革命時代の標語のように「自由・平等・博愛」は互いに反発するものではなくて、親和的なものであった。自由論と平等論を論ずるにあたってこの「自由」と「平等」の対立がいつごろからおこってきたのかについて、しかし、このような親和性を人々がどのようにみていたかについて、私たちは十分に考察してみる必要がある。
(注 ) 政治的制度
政治教育及び、公民教育は主に制度の教育として表れるが、制度は各人の持つ以上のような政治的経験から生じた政治的意識に左右されるものである。ある人が自由競争のなかで地道に資本を形成し、大きな富を築いたとすればその人は自由競争の制度を支持しそのような制度を支持する政治的態度をとるであろう。逆に労働者として賃金を得ることで生計をたてているとすれば労働者に有利な制度を支持するであろう。政治的な人間は政治的な制度を作り上げる。政治的な人間の政治的意識の形成は様々である。ので自らの政治的意識に従って政治的な制度を支持することになる。大人になったすべての人に選挙権が存在する普通選挙権が確立されている現代においては、成人した大人すべてが自らの政治的意識に従って自らの支持する政治的制度を作ろうという政策を実行しようという政治家や正当にイエスの投票をし、そうでない政治家や政党にノーの投票をすることになる。
(注 )専制の環境にある者が「自由の強制」(干渉)なしに自由になろうとすること、これは自我の独立、あるいは、自由教育であるといえる。これに対して「自由の強制」によって自由になるおとは「自由」であるといえるであろううか。専制は「自由でない」が、専制であることは自由である、というのは、トートロジーであろうか。自由でないことが自由であるといえるか。「自由でない」とは専制によりある人が専制的支配者されていることであり、自由でないことが自由であるとは、支配されていて自由でないことが好きである、つまり、自由から逃走することが好きであるということであり、ドイツや日本やイタリアの国家主義の時代にはそのような状態のなかにあった。この考えは他人の自由を認めない不寛容派の自由のなかにも認められる。しかし「自由でない」ことは、自由でない状態を表すことばであろう。自由でないことが自由であるというのは矛盾である。この矛盾は自由のことばの使い方から発生した矛盾である。自由ではないという時の自由はポジティブではなくネガティブな自由を表している。この場合の自由はポジティブな専制支配者の自由であり、自由でないという時の自由は被支配者のネガティブな自由である。
(注 ) 自由はフリーダムや、リバティの訳語である。サクソン語系のフリーダムのことばやラテン語系のリバティという言葉はほぼ同じ意味に使われていたが、しかし自由は歴史上の各々の時代においてその時代の政治的、経済的、社会的、文化的環境において人間がどのような自由を欲したかに応じて、その時代特有の自由への欲求に応じた意味が付与された。人間は自由を欲するものである。しかし完全な自由は時代が許さない。それぞれの時代、歴史に応じた自由があったことになる。自由の歴史も、社会的自由の一種である自由権の歴史も時代時代の環境、文化、社会・政治的環境に応じたものであった。歴史上最初に近代的な政治学について研究し、政治学の祖とされるマキャベリーにおいては自由とは専制や、独裁からの自由を意味した。マキャベリーの著作においては巻と章によってその論じている部分が指し示される慣行ができあがっているのでそれに従って説明することにする。一般にマキャベリズムといわれているものはマキャベリーが論じているところの趣旨を誤って理解したもので、確かにマキャベリーは政治や国家の統一にはチェーザレ・ボルジアのような残虐性が必要な場合もあると論じたその裏にはこのような自由に対する渇望があったと考えられるものである。
(注 ) 自由の反対語は、依存する者と依存される(被依存)者との依存関係である。クリントンの福祉改革は依存を断ち切り独立を促すものであった。自由であることは独立することでもある。専制が自由の反対語である場合、専制的支配からの自由を意味しているが、集団主義・全体主義の反対語としての自由主義は被依存者と依存者との関係を断ち切ることを意味している。専制主義と独裁主義とは相違する。独裁は非常時に大権を握ることであるが、専制は平常時に大権を握ることである。集団主義・全体主義は大衆化された時代において大衆全体を一集団として、被依存者としての役割を与え、大衆全体が権威に依存しようとすることである。こう考えればフロムやアドルノの権威主義の考えが自由との関連で理解できる。
(注 ) 相互依存関係にある社会内部においては各人が相互に依存しあっていることは普通一般に見出される。ところが被依存者を社会全体のうちに想定し、それに全員が依存しなくてはならないという状況は特殊な状況である。Aという人が工業を行い、農業については他のBという人に依存しており、かつ、Bという人は工業についてはAという人に依存していることは一般的なことである。これは社会関係ということができる。ところがすべてにおいてCという絶対的な人が被依存者であり、すべての人に依存するという現象は特殊なことである。コレクティビズムのコレクトということば、集めるというのは何を集めているのかといえばこの依存性を集めているということではなかろうか。コレクティビズムの本質については様々な議論が存在するであろうが、依存性という概念を中心にとらえるとすれば実際の経済的その他の依存と心のなかの心理的依存との両側面からの分析が必要となる。
一般の相互依存関係が「見えざる手」によって調整されるとする説は自由で独立した人間関係を是認するものである。「見えざる手」が失敗していると考える考え方は、集団全体を一つの巨大な統制者に従属させ、社会内の大衆全員がそれに依存すべきであるという集団主義・全体主義を生み出し大衆は依存者、統制者を被依存者とみなした。失業や倒産は経済内においては相当な確率で発生する。この解決のために、このような集団主義・絶対主義が発生したのは自由と平等の調和論や平等により自由を殺すことの排除することよって回避すべきであるというのが今後の解決法である。
(注 ) 積極的自由とは、依存者の無産者の自由は、消極的な有産者の自由よりも優先し、無産者が有産者になるための自由は、積極的自由であり、それを否定する自由は、全体の自由ではない、平等になるために、自分の財産を政治によって拡大する自由である。積極的自由とは、全体の意志によって富裕者の財産を減らすように干渉してよいという(平等のための)自由であり、それを否定するのが干渉を否定するという意味の否定的自由である。それが暴力革命と一党独裁の自由となる。
(注 ) 現代は各人がワープロ・パソコンを持ち、各人が自由に意志を表明する機会が多くなった時代であり、ナチスの時代の自由のことを考えたフロムや、バーリンの時代とは相当に自由を取り巻く環境が変化している。ナチスの時代でさえ映画による大衆の政治宣伝は人々の考える自由を奪い、それが自由からの逃走につながったのだと私は考えるが、現代においても、政府の政策や、事件をマスコミが報道する際に多数(マス)の専制によって各人各人の思考する自由を奪っていないかどうかを考えることは重要なことである。そこにバーリンの消極的自由の観念が生まれたのは最近のことであり、ナチスの時代にはバーリンのいう消極的自由の考え等ナチスに熱狂していた人々にはいなかったといえる。
(注 ) 囚人のジレンマは、例外状態においては悪人の方が勝つということを表していると断言してよいであろうか。例えば、無人島に一人分の食料しかないのに、九人が漂着した場合、一番悪い者が生き残るのであろうか。善人が生き残るのであろうか。依存性の強い者は悪い者が生き残るさというであろうが、全体を考えている人はいい人間が生き残るというであろう。
この例外状態の考え方は独裁や、経済先決論や、唯物論や、性欲論を形成しやすい。
依存性は例外状態においては独裁やらにつながるが、独立性は例外状態に対抗しえない。(注)自分が貧乏だと認識し、それに対して誰も助けてくれない、依存できない、誰かが自分に対価としてではなく、タダでものをくれないと主張することと、他の金持ちを「精神的に、私に自由をくれない、誤っている病気だとする考えは、ほぼ同一のものであり、ここで唯物論と、フロイトの生物学的精神医学が結びつく理由がある。
彼らは哲学的にそれをやっているわけではなく、嫉妬心が強いからそうやっている。人は嫉妬心が強くなくてはならぬという。
(注 ) 依存的な人間が他人に干渉するということのデメリットは、依存される人間が楽しくやっているのはいけないというので、依存される人間が寝たいのに、寝せないために、ストライキやらを行うということと似たような結果をもたらすという点にプライバシーの権利がおかされるのと同じような結果をもたらすというような点に、それから類推すると、依存させたくないのに、ストライキ等により依存させろといってくることに存する。
(注 ) 政治学のなかには、選択の自由を人々に認めるにしても社会全体にある一つの客観と政府が信じたものを普及させ、時には強制(このことばは使わない方がよい、自由の強制なのか、妨害なのか分からないから)する要素が含まれるているが、教育においては伝達するのみで、成績が悪くてもいいのだから強制の契機は少ない。
(注 ) 自由とは、積極的内容の自由と、消極的内容の自由とを双方共に含むものでなければ一つの自由として完成されることはないし、また、資源や能力がなければ、実質的に自由とはならない。
(注 ) 自由であるように強制するということの反対のことばは、自由でないように強制するということである。
(注 ) 自由は平等にできるか
自由は平等にはできない。なぜなら、実質的平等はいくら形式的に平等にしたからといっても、資源の不平等や、能力の不平等やらによって平等ではないからだ。ある自由が与えられている人が、資源・資金がなくて実質的に自由を行使できなかった時に資源・資金が手に入り自由を行使できるようになった時には、自由が増えたというのだろうか。資源・資金が増えたというのだろうか。形式的自由は変化はないが、実質的自由が増えたというのは詭弁であろうか。
(注 ) ある民族は行動しながら考える。イギリス人は、ドイツ人は、・・人は・・・というのは、オプティミスティックな哲学を構成したり、行動するために多くのことを考える人は、デマや、ウソに左右されちることが多く、気が狂っているのと同じ状態になるが、一方では、行動のみをしている人は現実の今の動きにのみ左右されているのであってそのようなことが少ないのであり、新しい今の真実のための社会科学を構成しなら行動し、政治をしている可能性がある。
(注 ) 自分のことは何でも自分でできなくてはならないという考え方派、全体主義的統一的パーソナリティーの重大な要素であると考えられる。ところが依存的名場合は多くのものを自分で権威と考えているものに頼っているのであるが、それが性向となっているのである。しかし、人間の本性としては本能以外の部分については自由があり(この場合は選択の自由ではなくて、自己完成の自由、コンピュータでいえば何にでも慣れる自由、であるが)自己完成ができるようになっているということである。自己完成していない場合には他人に依存せざるをえないし、そうでないと生きてはいけない。いやそうではない、自己完成していないからこそ、依存せざるをえないのであり、早く自己完成して、自由で独立した人間本来の本性を取り戻すべきである。つまりすべての人は自己完成ができるようにできているということなのだ。これがペシミスティックの政治学である。(注)ある人が学問がすすんでいることと、それがイヤだということを、また、ある人が企業家精神があるということと、それがイヤだということお、依存性が場合には混同する。ある人が自分を観察することはイヤだという。自分は依存する方であり、依存される方ではないという。自分の間主観的な観察は自分の客観的な立場を明らかにし、自分がストライキのできる依存する環境から痛みを伴ってはずすことになるからイヤだという。ストライキは自分がするのであって、権威は偉大であるべきで、ストライキをすることはイヤだと思う。権力にはストライキ権はないし、依存している自分を観察し、客観的に依存しているということにも反対する。社会がそのような依存する人のみになったら、経済は破綻する。誰もが依存するばかりで何もしないからだ。彼らは不平・不満をいい、他人をなきものにするのが得意である。それがストライキのスローガンとなる。これは依存から発するすべての心理がつまったものとなる。彼らはきらいで、イヤな、依存できない人が、資格を取ったのがいけない、大学入試に通ったのがいけない、ついには勉強がいけない、そしてそれらは何でもいけないといえるという理論を発見し、ついには、「死の本能」があるとまでいいだす。これは依存性のあるすべての人が生み出す言葉であり、マルクスやフロイトに共通するものではない。
(注 ) 「国家の名」の後に隠れた、つまり、国家のためにの後に隠れた、残酷性の行使があったのではないかという反省は、マキャベリーがその前の世代を宗教の名に隠れた不合理性を主張したのと同じような観念の反省点でありうるし、それはいわゆる道徳によるカモフラージュという反省である。
(注 ) 共産主義社会内においては、物産品は労働価値によって価値が決まり、効用価値によらないのであるから、その移動は交換や商業という効用価値を基準にしたものによらず、国家の統制的経済計画による流通による移動によることになる。ある生産品はすでにどこの誰に移動されるか国家がきめているこになる。この選択の自由のなさは各人の効用をあらかじめ国家はきくことをしないので、恣意的である。
(注 ) ルソーの性格の特性、あまり強くない性格の傾向を理解していればルソーの解釈にあたって宇宙だけから判断してルソーを全体主義としてとらえるような誤りはおかさないで済むことになる。ところが宇宙だけから判断すると「一般意志」とか、「自由であることの強制」ということばから全体主義であると解釈してしまうことがありうる。自由主義社会においても(この自由主義はリベラリズムではなく、資本主義社会)自由化のために「自由であることを強制」することはありうるし、また、国会の一般意志によってそのようにすることはありうるのであって、自由の強制も一般意志もがコレクティヴィズムの社会のみに使われることばではない。
(注 ) 九人に対して一人分の食料しかない場合を考えてみると、死の本能は人間にはないが殺すという選択の自由は原初的にはあったと考えられるが、それを一人の人に預けて、あるいは皆で、誰が生き延びるのかを決めたり、二、三日生きてすべての人が二、三日後には死ぬしかないということを決めたりする選択の自由はあるようだ。これはれうがい状態を考えているのであり、実際は生産ができるのでこのようなことはありえない。しかしこのことを考えて不安や、恐怖に陥る人はありうるし、それは依存というものから発生する恐怖や、不安と似ている点があるのはどうしてだろうか。シュミットの独裁の思想を例外状態の解決法と位置付けたシュワープの考え方は、このような場合に独裁にまかせるという考え方と似ているといえるのである。しかしそのような例外状態を解決するのに平等を重視して行うことも可能である。(注)物と商品
何故に資本主義は勝ったか。
それは物が並べてあることの意味を知っていたからだ。
階級制度のある国等では大金持ちが過度の干渉されない自由を主張することは、政府の平等化への政策、大金持ちの自由を平等のために少し減らして、貧乏人の自由を「真の自由」のために少し増やしてより平等に近づけることを政策を否定することになりかねない。この「真の自由」は貧乏人にとっては達成されるが、大金持ちにとっては不自由になることだということを理解しなければならない。しかし、階級制度のあるような国、イギリス、インドのような国ではそのような国ではそのような自由の主張は大切なことかもしれない。
ところが資本主義的自由は、人間の自然的平等のゆえに自然に平等を達成する。
平等な自由という目標は、自由の本質である選択の自由から来る計測不可能性のために、意味のないものであるが、自由な平等は目標としては設定しうる。
自由をすべての人のために認めているにもかかわらず、常に平等を達成するように努力している社会が理想である。これを自由な平等の社会であるとすれば、そのような社会を目標として設定することは可能である。自由の構成要件である資源を平等にしようとという思想であり、平等は自由の構成要件であるからこそ平等にしたからといって自由はそのまま維持されることになる。平等な資源は税や、自発的なボランティアによる)資源の移転や、道徳感情の自由な教育による涵養による資源野移転によって達成されるべきである。ここには強い教育(道徳教育)の要請がある。T・H・グリーンの考えは福祉国家にのみつながったが、自由の構成要素としての資源の平等性の追及はオープンな自由社会を目標とするものである。ロールズの最低限の生活をする人々の生活を向上させるためにも競争や自由や資源の不平等は認められるべきだという考え方ともことなっている。ロールズが最低限の生活をする人々の地位を向上させるという期待が合理的に認められるときにのみ、社会的、経済的不平等が認められるという考え方は静的な状態をとらえていう表現の仕方である。平等というものを考えることは不平等というものをとらえることと方法論としては同じであり平等も、不平等も自由の構成要素として自由のなかでとらえられるべきものである。
(注 ) 国家と政治は死滅するか
国家死滅とブルジョアの批判との自由連想
マルクスや、エンゲルスが国家は死滅するということばは、アナーキズムの根源的な命題であるが、それはすべての人を公務員にしてすべてを国家財産にしてしまえばすべての人は仲良くなるから、国家は必要ではないとしたのであり、そのことは義賊から生じる心理が挫折した結果すべてを共有財産にしてしまえばよい、つまり、バーリンのいう積極的自由を他人のすべての私有財産に対する干渉として及ぼして、妬みや嫉妬から成り立つ社会を形成してしまえばよいということであったのだ。それはすべての人が義賊となる社会であり、そうなればすべての人が義賊となる社会であり、そうなればすべての人はブルジョアとして批判されるような社会であったのだ。したがって、普通の人が生活する社会におけるすべての私有財産はブルジョア的なものを求める人であり、私有しようとという考え方はブルジョアの思想であり、その思想はイデオロギーとしてブルジョアのための思想であるとして批判されるべきものであったのだ。
なぜブルジョアの批判に、国家の死滅の論理は結びついたかは奇妙な心理的結合によるものであった。この自由連想の心理は精神分析されるべきである。まず義賊の心理は私有の批判になり、そして国家はブルジョアを守るためのものだという理論となり、そのようなブルジョアのためだけに存在する権力である政治は貧乏人のためにはなっておらずそのような政治や国家は存在する必要はないという理論となる。ところがここには政治の機能のうち権力のみをとりだし、調整という機能をネグレクトし、かつ、権力がブルジョア以外の人には役にたっていないという論理のすりかえが存在した。権力には貧乏人を押さえつけるという機能のほかに貧乏人を助ける機能もあるし、かつ、その他の様々な機能がる。人が存在するということを無視しており、それがそのまま一党独裁の思想につながることとなった。共有の思想が一党独裁に思想につながったのはこの政治の調整の機能を無視したことに一因があったのである。
(注 ) 二つのわがまま(つづき)
規制は、例えば安全教育がいきとどいていれば自由にバイク通学を認めることができるという事例をみても分かるように、ある安全を目的とする規制はその規制なしですますことができるのであり、規則と自由との関係はこのような関係にある。それと同じように各人に平等化への自己意識があれば、平等のために自由を殺すということは必要がなくなる。後者の自由はわがままという意味の自由であり、それにはバーリンのいう積極的自由におけるわがままと、バーリンのいう干渉されない消極的自由におけるわがままとの二つのわがままが考えられ、そのようなわがままが自覚されないと、自由のための強制が積極的自由に対しても必要となり、また消極的自由におけるわがままにたいしても自由のための強制が必要となる場合がある。後者の自分のための強制は積極的自由と呼んでいいものである。すなわち、独占の自由、一応は消極的な干渉されない自由に対しては政府は積極的自由によって干渉し、自由競争を確保せざるをえなくなり、その独占の自由というのはつまり私有を妨害するという自由であるのだから、専制や独裁によく似た自由であるといことになる。
(注 ) 法制度と、政治的人間
自分で納得して、権威や権力や法やら規範に従うことが必要だということを気にかけていないと、権威主義やファシズムやらに侵略される可能性が、日本、ドイツ、イタリアのような国においては、その法制度のために、特に高い。これは自由論の課題でもあるし、公民や、法曹や、マスコミの課題でもある。フロムの積極的自由も、バーリンの消極的自由もこのことを求めているのであって、グリーンの理論はこのことは逆のことを求めている。
(注 ) 秘密性と情報公開法
(注 ) 各個人が立法趣旨を理解しそれに従って行動するようになればなる程、政府は立法し方の規範によって各個人の規制をする必要がなくなるということは正しい命題であろうか。カントの汝のに従ってとい確率は本当に正しいのだろうか。遅刻をする人がいなくなったら学校において遅刻するなという拘束が必要なくなうであろうか。
(注 ) 消極的自由がそれ自体単独では自由であるといえないのは、自由とは〜する可能性であるからである。依存的な人々の攻撃から身を守ること、それが干渉されない自由である消極的自由であるとすれば、それによって自らの守るべき範囲を確定した後で(そのなかで)積極的に自己を完成しなければならない。その部分がフロムのいう積極的自由である。バーリンの消極的自由のあとに、フロムのいう積極的自由が必要となるし、バーリンのいう消極的な自由がなければフロムのいう積極的自由は存在しえないのである。ナチズムにあなたが占領されちる地域のなかにいるとしよう。ナチズムからまずあなたは消極的自由によって身を守り、ナチズムの妨害からの自由を勝ちとらねばならない。そしてそのあとで自らが社会のなかで役割を演ずることができるように自己を完成させねばならないのである。
(注 ) ドゥウォーキンが平等な配慮と尊重から権利の概念が導出できるといったのは、人間の間主観性の考慮において、相手の間主観性を配慮し尊重することによって相手の権利を自分と同等に認めよ、そうすれば間主観的な人間関係が客観的な人間関係になるといったと解釈できる。つまり自由の相互主張は、間主観を越えて客観的人間関係(彼はそのなかで一番重要なものは消極的自由ではなくて、平等性であると考えられたのだが)になれると考えたのであると考えることができる。
デヴィッド・ミラーによれば、客観的な正義こそ権利であるということになる。この客観的なとは間主観性を越えた客観性であり、依存性とは、間主観性を引き起こす最も大きな原因であると考えられる。
(注 ) 自由の権利と教育
「あいうえお」を教えることのなかに、教育の機能のうちの知識の伝達以外の機能、例えば自由の強制の機能が入っているのであろうか。
(注 ) 自らの性格の傾向と、社会の性格の傾向とが相違する場合にはどうすればよいのか。即ち、マルクスのような依存的な人が、独立自立の国にほおり出されたら政治恐怖に陥ってしまう。(注)自由からの逃走はいかにしたら防げるか−自由の強制
「自由からの逃走」をしがちな性格の傾向をもった人々や、民族は数多い。これを権威主義的傾向と呼ぼうが、そうではない他の呼びかたをしようが、それをいかにしたら防げるのかは大きな問題である。
(注 ) 自由と平等に関する研究を我々は何を得るために行ってきたのだろうか。自由は相手の自由も考えて間主観性を越えた真の自由となりうるということであろう。あるいは自由は平等な資源によってのみ平等な自由が確保されうるということであろうか。あるいは法律や、憲法上の諸原則を考える手掛かりとして自由について学習した結果が役に立ったのであろうか。自由は経済において選択の自由が必要だという点についてであろうか。自由が人間の本質である限りは人間は自由について永久に学び続けなくてはならないと考えらっる。
自由論は我々は積極性と共に謙譲を与えてくれる。
政治と教育
山口 節生
政治と教育
序論 ・・・・・一
第一章 政治・公民と教育 ・・・・一三
第二章 乳児の社会と人間 ・・・・二七
第三章 幼児の社会と人間 ・・・・四七
第四章 幼児の人間関係・所有の観念 ・・・一〇三
第五章 基礎自我の形成 ・・・一二九
第六章 「精神医学は人間関係である」という説との関連で ・・・一五一
第七章 兄弟姉妹の人間関係論を学術的にするために ・・・一六七
第八章 性格をみる立場の独立性について ・・・一八二
第九章 社会教育・公民教育と社会意識・公民意識の発達心理 ・・・二二九
注 ・・・三七二
参考文献 ・・・二七七
参考文献抜粋 ・・・三〇六
今後のこの論文の発表のためのノート
序論
公民(科)教育(法)社会(科)教育(法)の前提となる公民としての人間の教育については、社会科学の諸領域や歴史学等と教育学との隣接諸分野の学際的な科学であるために研究が遅れている。プラトンや、アリストテレスや、ルソーや、ペスタロッチや、デューイ等国民や市民のあり方と教育とを論じた著作は多い。ところが日本や、イタリアや、ドイツにあっては第二次世界大戦前から戦中における民族主義や国家主義やナチスによる宣伝教育等の悪影響によりこの分野の研究は一向に進まなかった。一方左翼の側においては労働者に政治的学習を行わせるという目的での政治と教育の研究が盛んに行われる必要が生じた。政治学においても教育学においても政治的に中立な見地からの「政治と教育」の研究が必要だと考えられるようになったのは第二次世界大戦後であり、その必要性がさらに高まってきたのは冷戦終了後の現在においてである。古典古代から現代にいたるまで続くこの課題に学説的にどのような新しい視点を盛り込むことができるのかについては私としては一つの視点を提示するつもりである。それは人間関係が社会を形成しているのであって、様々な人間関係を分析することによって社会をとらえなおすことができると思われるが、その際、性格の形成過程、発達過程を研究するに際して人間関係を分析することによって政治と教育をとらえなおすことができるという視点である。発達心理学や教育心理学的視点を導入し、新たに人間関係を見直すとすれば、政治と教育の問題に新たな視点を提供できると考えられる。経済学においては合理的人間を想定して議論を進めるので、性格心理学的な考え方の入る余地は少ないが、政治学においては「権力と人格」の研究や、「政治的社会化」の研究やらにおいて心理学や教育学との学際的な研究が進められてきた。ラントンや、グリーンスタインらの研究がそれである。これらの研究は「政治と教育」の問題に限定したものであり、経済や社会や歴史と教育の研究ではなかった。しかし中立的な政治的立場で「政治と教育」について論ずることは公民科教育法や社会科教育法の論ずべきことと相通ずる点が大量にあると考えられる。政治は公民としての人間を取り扱うものであり、歴史や、政治、経済、倫理、社会全般とも深く関わっているものだからである。政治学が他の社会科学や歴史学に先じて「政治的社会化」の研究を行ってきたのは公民としての人間を取り扱う政治学が、その発達過程や教育の問題に深い関心を示さざるをえなかったからである。
私は幸いにも二十六才から三十六才までの間、公立の高等学校の商業科目を四年間、高等学校の英語科目を五年間教え、九年間担任をするという教育の実体験をした。また商業科、英語科、社会科の教員免許を得ることができていたからそのような経験をすることができたのである。また幸いにも今日平成九年一月一日現在で三才十二カ月の娘と、ゼロ才の息子とを育てている。政治学と教育学に深い興味をもつと同時に、社会諸科学やらについて法学士等の学士号と、政治学修士、法学研究科博士課程在籍と学問研究を進めることができた。今後も教育心理学、発達心理学と社会科学との関係について研究を進めていきたいと思っている。従兄弟には福岡女子大の教育心理学の教授の山口快生も同じく学問研究に励んでいる。私は性格も違い学派は違うかもしれないが、学問として確立していきたいものを持っているので、今後死ぬまでには何らかのものを完成したいと思っている。それは社会科学と教育とに関するものであり、精神医学、精神病理学、教育心理学、発達心理学、性格学を総合するものであるべきだと思っている。精神は社会的な人間関係によって形成されるものである。物を買うとか、売るとかいうような各人の自由な行為も社会的な人間関係であるし、それを精神病理だと述べている人間がいることも人間関係としてとらえるべき人間と人間の関係である。
他のすべての著作と同じく私の政治思想、教育思想は私の体験から生まれたものである。学校での教育体験、政治の体験から、また私自身の兄弟姉妹構成と、他の兄弟姉妹構成との比較から生まれたものである。しかしそれは長期間を必 要とした。従ってリカレント教育を必要としたし、教育行政その他教育学に関する学問も体験、経験の後に必要となっ た。社会科学、特に政治学、行政学のみではカバーできない多くの分野が社会科学のなかでも特異な位置を占める教育学によって研究されていることを知った。教育学は人間関係のなかでも知識を持つ者と、知識を持たない者との間の人間 関係であり、知識の伝達である点ではマス・コミ論やらと似た面を持つ。しかし生徒や、学生との間の関係という点では長幼の人間関係を主に取り扱う。
社会科学と発達心理学、教育心理学、性格学、精神病理学、精神医学とを結合する作業は非常に困難な作業である。 しかし人間の知恵は偉大なもので街の本屋の本棚のなかにはその知恵はつまっているかもしれない。実際には学者の象牙の塔の領域をはるかに越えて社会は動いている。象牙の塔にこもることは人間関係の幅を狭めるかもしれない。が、実際の社会はすべての人間関係の集合である。すべての人間関係を集約しそれによって社会観を構成することは難しいのかもしれない。人間関係を重視する試みはH・S・サリバンらによってすでにはじめられているが、それは完成の域にはいたっていない。今後すべての人間関係の研究が進められて、社会全体をとらえることがそれによってできるようになることを望むのみである。これは学派や、各人の性格の違いや、政治的イデオロギーのすべてを越えて行われなくてはならない課題であり、政治学、経営学、経済学、行政学、心理学・・・その他すべての社会に関する学問に共通する課題であると考えられる。その際すべての相違する学派や、性格や、政治的イデオロギーを越えて共通する性格の見方を確立する必要があると思うのである。私の考えでは学派やらは人間関係の問題でもある。それらの学派を越えて共通する性格論は、人間関係論のなかからしか生まれえないものと考える。そしてそれはまた人間関係はその集合が社会と呼ばれるものであるから社会科学にもいきつくことになる。
世界中どこにおいても行われている公民教育や、社会科教育、社会科学教育について一般的な原理を発見するためには根本原理や哲学にさかのぼって研究する必要がある。国家主義の傾向が強かった日本やドイツの公民教育に対してイギリスやアメリカやフランスのような国家主義の傾向が弱かった公民教育はデモクラシーや個人の自由を尊重した。このような歴史的な公民教育の発達の相違は冷戦後の現在にまで影響を与えていると考えられるが、人間の発達心理や教育原理や教育心理という面から考えれば人間の心理的発達という基本的には普遍的な同一性を過去から現在に至るまでもち続けていると考えられる。イギリスやアメリカにおける市民citizen、フランスにおける citozen、ドイツにおける国民・公民staatsbrger、日本における明治憲法時代の臣民、日本国憲法になってからの国民、・・・それぞれにおいて国家や、社会との関係がとらえられていた。現在の日本の学校教育においての公民教育は、特別活動その他の学校教育一般においてなされていると同時に、教科としては社会生活を理解し、「民主的、平和的な国家、社会の有為な形成者として必要な公民的資質」(の基礎)を養うと規定された社会科、とくに中学校の「公民的分野」や一九八二年度から高校で実施されている「現代社会」がその中心となっている。公民教育を学校教育として行う場合には、教育内容をどのようにし、教育カリキュラムをどのように体系化し、公民としての態度・イデオロギー・意見の形成をどのようにしてカリキュラム内で手助けしたり、様々な態度形成を保証するのかという課題が残されたままである。一九八九年度からは「現代社会」、「倫理」、「政治・経済」の三科目が公民科目として高等学校に新しく設けられた。公民科は地理歴史科と分割されたが、両教科は割拠するのではなく相携えて、生徒の科学的社会認識と公民的資質を育成するものとされている。第二次世界大戦の一九四六年の文部省の社会科委員会は社会科の性格や内容についてはアメリカ合衆国の社会科(ソーシャル・スタディーズ、socialstudies) を参考にして、一九四七年六・三・三の新学制の施行で社会科が発足した。この時、学習指導要領社会科編の試案を公表し、五一年に改訂版を、五六年、五八年、六〇年、六六年、六九年、七〇年、七八年と改訂版を発表した。五五年(昭和三〇年)代以降は生活・経験・総合を重視するアメリカ的社会科から「日本化」が進み系統・主知・教科(科目)を重視するように性格を変えていった。「道徳」が社会科から分離独立し、歴史、地理学習が強化された。
このような公民科、社会科教育の変遷と、特に冷戦後の公民、社会科教育のあり方についてはこれからの研究成果の負うところが大きいといえる。これまでの公民教育の原理、原則の変遷をみてみてももっと哲学的に深い研究が望まれていると考えられる。
第一章 政治・公民と教育
公民としての人間はいかにして作られるのか。「作られるのか」という質問は教育学に属するが、「公民とは何か」という質問は政治学に属する。また「いかにして」を発達の過程ととらえるならば発達心理学や教育心理学の質問である。一方政治的に「いかにして」をとらえるとすれば政治学の分野のなかでは政治心理学や政治的社会化の分野の質問である。公民としての精神がどのように発達するのかという質問としてとらえれば文化人類学や精神発達論や精神文化の発達論の質問ということになる。社会科学と精神分析論の接点における質問であるととらえるならば社会精神医学や政治精神医学(サリヴァン、H・S・や,ラズウェル、H・D,フロム、E・)等の質問というようにとらえられる場合もあるであろう。また宗教教育論や、道徳教育論の立場からみての質問ととらえられる場合もあろう。それはまた政治学の分野としてみれば宗教と政治の問題や道徳と政治の問題としてとらえられることがあるのならば、法学教育、経済教育、商業科の教育、経営学の教育、政治哲学の教育の質問としてとらえられることもあると考えられる。このように考えるとこの質問は相当複雑な本質的内容をとらえていなければ答えられないような質問であるということになる。
アリストテレスにはじまり、東西冷戦の現在にいたるまでずっと政治と教育は、人類の文化、文明の発達と共に人類の大きな問題であり続けてきた。ところが東西冷戦が終了した今日において程両者共に激変している時代はないといえる。東西両陣営に分かれていた時代とはことなって政治も教育も、ある意味では東西両陣営が基礎となっているのその両部分がなくなってしまったので、基礎から思考をしなおす時期がやってきたといえるのかもしれない。東西両陣営がなくなったのはある意味では人類の文化、文明が発達したといえるかもしれないし、人類の精神や心理が発達心理学や、政治心理学やらでいう発達をしたのかもしれないが、現在は虚脱状態であり、ちょうどあたかも第二次世界大戦が終了した直後のような状態であるともいえる。ある人によれば政治も教育も自信をなくしている、という表現になる。しかし新しい文化ははじまりつつあるといえるであろう。ある人はそれをポストモダンと名付けるかもしれないし、またある人は新人類と名付けるかもしれない、その他のテレビ人間と名付けたり、戦争を知らない新世代と名付けたりその他様々であろう。だが確実にいい文化が到来することは間違いないなさそうであるし、そうであることを期待すべきであろう。いい文化を発掘し次の世代に伝えていくことが政治も教育もその使命であり、目標であることにかわりはない。まだほとんどの文化や文明は東西の冷戦時代に形成されたものや、それ以前の時代に形成されたものがほとんどであり、これからの分析もそれらの分析に大部分が費やされると思われるが、しかし伝統の保守ということも、伝統から自由であり、人類が自由な意志で新しい文化を発掘していくこととともに重要なことであり、伝統の叡智も理性と共に重視されるべきことであるのである。要はそれらの伝統の叡智と、新しい自由意志による理性の双方のいい部分をとっていくことが重要であるといわねばなるまい。
公民としての人間はいかにして作られるのかを考えるにあたって学校教育における政治教育法に一足飛びに議論を移し、教育勅語にはじまる国家教育や、教科書検定裁判や、ペスタロッチの政治と国家と教育の議論にいたるのは早すぎるし、学校教育における管理教育や自由教育の対立の議論に移るのも政治と教育の問題を論ずるにあたっての本質的問題が論じきれていないといわねばならない。本質的な問題が理解されればそのような議論に対するこたえは自ずからでてくるものと考えられる。例えば女性問題を学校で議論したり、性教育の問題を生徒間や、教師間で議論することはひとつの政治的問題に関する教育である。特にアメリカでは中絶の問題は平成八年の大統領選挙でも民主、共和両院で意見が分かれ争点になった問題である。中絶の問題についてはその自由の可否につき多くの政治学者が意見をのべており、オックスフォード大学の法理学(アメリカでいう法哲学)の教授であるドゥウォーキン、R・も法学的に意見を発表している。女性問題についてもジェンダーの社会学で問題になっている女性の地位や女性差別、あるいは法律学で問題になっているセクシャルハラスメントの問題等は政治社会学や、教育社会学等の広い視野から教育していくことが必要となる。兄弟姉妹のなかにおける女性の差と、女性の地位をみなおさせ、その向上を女性の就職指導等にあたっての指導等に関連づけながら、教師が生徒に指摘していくことも一つの政治的問題に関する教育と考えることができる。もし兄弟姉妹のなかに女性がいない生徒がいれば、両親のうちの母親の役割等について指摘することも可能であろう。両親もいない生徒の場合にはもっと社会的な問題から入らざるをえないことになる。日本における女性事務員のお茶くみや、永久就職ということばのある妻の座や、夫婦別姓や、一人娘の婿取りや、女医の資格等の重要さや、女子労働の比重の上昇等について教育していくことになるだろう。このような社会学的なアプローチを導入していけば多くの政治的問題に関する教育は生徒のより身近なものとなり、政治的問題としてよりも社会的な公人としての教育の問題となることができる。そこには社会人としての教育という視点が生まれることになる。
ここで政治的問題の議論に移らねばならないと思われる。政治的問題に関してはいくら社会的問題という視点をとりいれたとしても先の中絶の可否の政治的争点と同じく党派性が必ずでてくる。この党派性については微妙ないいまわしであるがオークショット、M・が保守派の立場から意見を述べている。これは政治と教育に関する保守的原理とつなげることができるものである。これに対してリベラルな立場から政治と教育について意見をのべている人は数多い。
このような政治的問題についてまた一足飛びに国家教育だとか国家統制だとかいうのはまだ早いと思われる。私の三才十カ月の女の子供でも「なぜ女の方が子供を産んで、男の方は子供を産まないの。」と聞いてきたという事実が厳然としてある。私の一人っ子で育ってきた妻は人間の老いや、人間が子宮のなかから産まれてくるということをちゃんと説明した。この三才の娘に対する自然的、社会的な説明が政治的な教育であるということにはならないであろう。これは三才の娘に対するものであるからだとはいえないが、政治的な意図は全くないものではある。しかし政治的問題に関する教育だといわれば政治的問題に分類すべきものだと思われる。男女の差の問題はそのまま女性の社会内における差別的地位の問題と関連しくるからである。平等という政治的価値にかかわっくる問題であるからなのであるが、平等も、自由も、社会的愛の問題等もすべて政治的な問題として浮上してくることになる。保守的なのか、リベラルなのかそのどちらをとるにしても、どのように教えればよいのかが政治と教育の問題に大きな影響を与えるのである。政治的な価値を全く抜きにしていこうという価値から自由になるという考えは学校には政治を持ち込まないという現在でも根強く日本では法的にもある程度まで支持されている観念となっている。しかしその境界は不明確でありその境界は明白にされなくてはならない。人間が政治的(アリストレスのいうポリス的)動物であり、すべての人が「政治的」であるという、またその一方である意味で普遍的な考え方からすれば、そのような価値自由は現実の学校ではどんな教師にも不可能であるということになり、そのような日本の一般の法観念は法社会学的には不可能なことをいっていることになるのであり、さあどうするかという問題の解決がさしせまっているという問題の解決がさしせまっているということになる。まして政治、経済という教科がカリュキラムのなかに組み込まれている高校の教師についてはその難問は早急に解決されねばならない問題となっている。高校の場合は政治をどう教育するかという具体的問題が、公民ををいかにして作るかの問題よりも焦眉の急である。
保守派のオークショットの教え方は政治を教えるのは技術的な説明に限って行おうというのである。制度や行動や人間を技術的に説明的にのみ限定的に教えるべきだという考え方は、先の三才の女の子供に対する説明を見てみればほとんど不可能であることが分かるし、そもそも保守的な政治性がそのなかにはいってきているといえなくもない。一方政治をどう教育するかにあたってリベラルな立場からは、超国家主義を排除するという目的のために教育勅語からはじまる公民教育の歴史の悪が最初から説かれる。政治と教育の問題は教育と国家の問題にすりかえられ、政治と国家の基本問題についてはあまり考察されないで、超国家主義の教育は排除し、国家の教育に対する干渉を排除するという論理へとつながることが多い。戦後においては教科書検定訴訟に代表される裁判において原告側において展開された論理がこの代表である。教育現場においては「日の丸」、「君が代」を排除するという考え方がこの論理から導き出された。これに対して保守派の側からは超国家主義教育の廃止の主張に対抗する形で、リベラルの排除をねらった政治教育の排除という論理が生じ、両すくみのまま本当の「公民としての人間はいかにして作られるか」という論議はまったく論理が先に進まない思考停止の状態い陥ってしまった。
この「公民としての人間はいかにして作られるか」に関する議論の機能停止の状態が少し変化のきざしを見せはじめたのは、皮肉なことに保守派とリベラルが対抗していたととらえられる東西冷戦が終了した世界の状況に影響されてのことであった。一九九五年日本教職員組合と文部省が歴史的和解を行って、学校現場において「日の丸」、「君が代」を容認することになった。ところがこれは政治的な和解であって、愛国主義を超国家主義という反対物がなくなった後で、教育現場において認めるのか認めないのか、そもそも愛国を教えるのか教えないのか、国や政治をどのように教えるか等については一定の議論が深まり、一定の哲学や一定の方向性が定まっているわけではなく、現場の教師も、文部省も、日本教職員組合等の労働組合も、東西冷戦終了後暗中模索であるといってよい。それはもとより政治学の学者群や教育学の学者群の責任であるともいえようが、冷戦終了後の人類の文明、文化が暗中模索の状況にあるからだといえるであろう。ペスタロッチの時代の「政治と教育」にはその時代的背景があったのであり、ルソーの時代にしてもしかり、デューイの時代にしてもしかりであり、ペスタロッチがドイツという国家に愛国心があり、ルソーが当時のフランスに愛国心があり、デユーイがアメリカという国家に愛国心があり、その政治と教育論にそれが現れていたとしても、その愛国主義のゆえに批判する人はそれに対抗する哲学を提示しなくてはならないことになる。従ってその愛国主義のゆえに簡単に批判することはできないし批判するにしても当時の時代との関連において綿密に行わなくてはならないことになる。東西冷戦終了後の現代における政治と教育を論ずるにあたっては、政治、行政、マスメディア、地域社会、家族社会等々との関連で学校教育と、学校外における教育とを考える必要がある。現代社会を特徴づけることばは様々に考え出されている。メディア革命の時代、情報化社会、脱工業化社会、大衆社会その他多数ある。ポスト資本主義社会とか、第三の波の訪れている文化、文明社会とかその他様々な視覚から分析されている。ある歴史の終わりで、ある歴史の始まりと説く説もある。政治も教育もそれらのうねりに巻き込まれながら大きな変化をしている。それらの変化に巻き込まれながら幼児から大人まで学校や学校以外の双方で情報を自発的にか、管理されながらかは別にして受け取ったり発信したりしているという情報化社会の考え方は、新しいテレビやコンピュータのメディア文明の存在と、東西冷戦後の政治・経済・国家・文明等の変化との双方を理解して分析していくうえでの重要な視点となるであろうか、その他の視座も無視できないものがある。様々な視座を総合的に判断しながら、現代の政治と教育について考察し、「公民としての人間はいかにして作られるのか」を考察せねばならない。
第二章 乳児の社会と人間
乳児は母親から乳を受け取っている段階である。乳を受け取るのは哺乳類の動物の一種のであるからである。もし哺乳類でなければそうしないで、鳥であればすぐにエサを与えるし、爬虫類であればすぐにエサをとりにいく。この乳を与える期間は短く、お腹のなかにいる時とほぼ同じ状態であり、現在は人工授乳のときも多く、もしお腹のなかにいる時と同じ状態であるとすれば、社会的な精神の発達とは全く関係がないと考えるのが妥当であろう。なぜならおなかのなかでは社会的な関係は存在しないと考えることが妥当であるからだ。これを母親との同一性だとか、もし授乳を与えなければ死んでしまうから政治的、経済的、社会的に関係があると考えるのは妥当ではないと考える。これまでに授乳を与えないで子供を殺したとすればそれは子殺し、子捨てのことである。
この理論はフロイトの理論を完全に引っ繰り返すものであるが、精神を真剣に観察すればすぐに理解できることである。フロイト派からの批判には真剣な論争を行うが、私はこれは完全に自明なことだと考える、子殺しのこころを持たない人ならそう考えるであろう。
幼児には政治は関係がなく、政治教育は幼児とは全く関係がないように思われがちである。政治的制度がかわって両親の収入が影響を受けたり、両親のない子供にとって施設に対する補助金の額が政府予算から補助されたり補助されなったり、あるいは、増額されたり、減額されたりしても、その様々な政治的変化に影響を受けるのは両親や施設等であって幼児にはほとんど関係はなく、ほとんど全く関心はない。ただ無邪気に遊んでいるだけである。幼稚園や保育園にも通っていない幼児の教育において政治的なるもの、経済的なるものが芽生えているなどということは思ってもみないことであろうし、それを学問的に論理付けること等できるはずはないと思うのが一般的なこれまでの考え方である。ここには行政の入る余地も全くないし、学校教育の入り込む余地もない。従ってオークショットのような保守派が共産主義を持ち込むなという余地もないし、リベラル派が平等な配慮と尊敬とかを主張する余地もない。子供は純粋無垢でありどんな親でも、子殺しや子捨てやらをする親でもない限り、フロイトのいうような期間があるとは誰も発見ができない。親の方でこの子は産まなければよかった、面倒を見たくない、子殺しや、子捨てをしようかと思う心理を持った場合でも、それは両親の方が精神の崩壊に直面しているのであって幼児が狂っていることは全くない。この事実と、そこから生じる三段論法はこの論考のすべてを通じて有効な論証となる。この事実こそ学問の出発点とならねばならない。幼児が人間という生物として医学上欠点がある場合は生物医学的に治せばいいのであってそれは精神の発達とは関係のないものであり、教育心理学や発達心理学の対象、ましてや社会的関係、社会的人間関係の学問としての政治と教育論、政治的社会化論の対象となることはない。
高等学校においても、両親が自分の娘や息子は「どこか悪い」のではないでしょうかといってくる両親がいたとしても、子供は純真無垢で教員として全く悪いとは思えない場合がある。子供を学校で観察していればその子供の行動の理由が分かる場合でも、両親にとっては自らの期待と予測に反している場合があり、両親の期待が大きすぎ予測に反していたり、両親が子供の行動を解釈できていないという場合が存在する。この場合の期待とは両親が家を継いでもらいたいのに子供は全くそのような気がないというような家庭内のことであってその逆の社会的に偉くなってほしいというようなことはほとんど全くまれである。このような社会的な問題が家族のなかに入ってくる高等学校等の生徒の場合は別にしても、幼児期の子供の純粋無垢さをかわいいと思わない両親はほとんど少ないと思われる。人間がいかにアンビバレントな感情を持っているといわれても、幼児の純粋無垢さをほめたたえきれない人はそのような幼児を憎む傾向を愛情と共に持って両義性(アンビバレンシー)を備えているのは自分の精神の方が子殺しや子捨てに走っているのだと自分の精神の方を疑うべきであると思われる。なぜここでこの論理を先に論ずるかというと、高等学校くらいになるとこの両義性をもちだされると子供が悪いのか、親が悪いのか、双方共に言葉を発しその言葉が双方共にいる家庭のなかで成立してきたものであるがゆえに、どちらに責任があるかわからなくなるのである。しかしこの幼児における子殺しや子捨ての心理を分析していれば、もしその分析した論理が高等学校の青年期にも通用できるものであると理解(認知)できる論理であるならば、それを類推適用して両親の方が悪いという結論に達することができるようになる場合もあると考えられるからである。
子殺しや子捨ては純粋に両親の都合で行われるものである。それが経済的な理由よるものであるか政治的な理由によるものか等は詮索の必要もないが、そのような理由のあるなしに関わらず子殺しや子捨ては両親の責任である。幼児における教育に政治的なるものの教育の出発点を見つけようというのは両親が経済的な理由を持っているとか、政治的な理由を持っているからというわけではない。両親の役割は、純粋無垢な幼児から見ると政治経済社会の中において相当の役割を演じて賃金や利潤を稼いできてくれることである。賃金や利潤というのは人間の分業社会においては当然のものであり、ウェーバーが資本主義の精神と呼んだものであり、ベンジャミン・フランクリンがアメリカの社会における特質としたものであるが、子供にとってはそんなことはどうでもよく、それがどのように獲得してこられたかは全く興味もない。ちょうどあたかもひなどりが親から「えさ」を受け取るように、「賃金とか利潤」を子供は親から受け取るのである。親はその時には相当に年をとっている。施設内にいる両親のない子供等はそれを利潤再分配の政治的補助金として受け取ることになる。両親は年をとった大人であり政治は大人に対するものであり、教育も生涯教育は大人に対するものである。生涯教育以外の大学卒業までの小学、中学、高等学校の教育は幼児期、児童期、青年期を通じて学校で行われるが、マス・メディアや政治ニュース(テレビ・新聞等の)等を通じて一定の大人の政治的ニュースは子供にもはいってくる。教育行政の及ぶ範囲は学校に対するものが主であり、地域教育や生涯教育や社会教育に対するものは少ない。
両親等の援助を受けながら子供は幼児期、児童期、青年期を通じて約二十年間は両親の体(胎)内にいるのと同じような状態である。それは政治的、経済的な意味においてはである。この期間は相当に長いといわねばならない。他の動物ならもっと早くえさをとってこれるようにならないと死んでしまうことになる。それは家族というシェルターのなかに入っていないからそうなるのだ。これが家族が胎内に似ている理由であろう。鳥がエサを与えるために作る巣は簡易なもので二十年ももつようなものは到底作れない。人間の道具的技術文明がそれを可能にしたのであり、その技術がなかった時代には子供は生きのびる率が少なかったし、人間の平均寿命もそう長くはなかった。燕が四、五羽巣のなかで親鳥の運んでくるエサをついばむ姿を見た人も、次の年までには巣立ってとんでいったことに気付くのである。つまりそのような巣では一年もたなかったことになる。人間の巣立ちと違って他の動物はすぐに巣立つ。カンガルーのように袋があってもそう長くはない。二十年という期間は神の決定によるものであろうが、この長い期間は人間にとって教育期間ということになる。保守派のオークショットが政治教育がいかにあるべきかを真剣に、それも全力を哲学的にふりしぼって考えて書いた論文が、ただ大学においての公人としての教育、大学における政治教育のみであることを考えれば、政治と教育、公民と教育について考えることがいかに難しいかは察しがつく。この二十年間に人間は感情や、絵をかく能力や、歌を歌い、歌を作る能力や、走る能力や、踊る能力や、言語やらを習得することになる。ここで言語のみの重要性を強調するよりも、感情や、絵の能力の比重、体育の比重を相対的に大きくみるべき時代が到来しているのはマス・メディアの発達によるものであると思われ、マクルーハン、(マーシャル)がすでにメディア論のなかで指摘していたことである。テレビメディアはそれらすべてを統合する形で人間に迫ってきていて、小さな子供もテレビ時代に存在している。二十年間の長きにわたり言語や感情をはじめ様々なものを習得して、そのなかにはオークショットが政治教育のなかで重要だといっている歴史をも、哲学をも習得しながら、歴史のなかの現在を未来に向かって進むことになるのである。
政治と教育に関する議論は政治学の分野では教育心理学や、発達心理学を抜きにした政治的社会化の理論が発達した。一方教育学の分野では公民教育論として発達した。公民教育論はしかしすぐに教育勅語や愛国教育論に巻き込まれタブー視されてきたのは前述の通りである。ところが政治的社会化論の方の研究は比較政治学者による様々な国の政治と教育の科学的研究ともあいまって、ある程度の発達を示したが、発達心理学や教育心理学や精神分析や、精神病学、精神医学(サリヴァンらの)やらの助けをかりていなかったがためにある程度の発達でとまってしまった。政治文化論や、政治心理学と同様に発達途中であることは政治辞典や「政治学の基礎知識」の最新刊の政治的社会化の説明でも政治的社会化の定義や説明に様々なニュアンスがあるとしていることでも表面的には理解できる。政治的社会化論の方法、目的、対象、概念構成、論理等の様々な点においてバラつきがあり、政治学と教育学との隣接科学同志の協同がうまくいっていないきらいがある。社会化の概念は社会学から導入された概念であるが、ラズウェルやデューイの論理は「政治と教育」という教育学の方を向いているし、政治心理学の方は教育心理学や発達心理学の方を向いているのである。公民教育論はペスタロッチやルソーも考えていたテーマであるのに、政治と教育の方法や論理がここまで混迷しているのは東西冷戦等の政治的状況によるものであったと考えられるので仕方がなかったのであるとしても、ラズウェルの民主的なエリートをいかにして養成するのかをじゅんじゅんと理論化や、デューイの現実的政治と教育思想が現代の世界の平和をつくるのに大きく貢献してきている事実を考慮すれば、その重要性はいくら高く評価しても評価しすぎということはないと考えられるのである。
ラズウェルは政治と教育との関係を深く考察したばかりではなくて、それらの諸科学を学際的に研究する機関をストラテジックに『権力と人格』のなかで提案している。ラズウェルの提案は人間の攻撃性をなくして、戦争をなくすための政策、教育政策等々を立案するために隣接諸科学を含めた政策学というものに総合していこうとするものであり、日本の大学でも政策学部、総合政策学部等が設けられたり、政策科学が発展する契機となった。しかし彼のもともとの意図は人格的に攻撃性をなくし、民主的な人格を作るための政治教育法の開発であって、民主的政策の理論よりも、そちらにより重点があった。その点ではサリヴァンや、オルポートらと一緒に社会科学と精神医学との融合による政治精神医学や、社会精神医学の形成にあたろうとしたのは当然の帰結であった。政治と教育の問題を考えるにあたってはこのラズウェルの視点は重要な一つの視点であり、現社会心理学者や、社会科学者の手に移らなくてはならないことになる。教育学が社会科学をどの程度吸収しうるのかは、教育学の学際化の程度にかかっている。政治教育法や経済教育法や、商業科目教育法等は教育学と社会科学との接点でもあろう。教育学は生徒や学生をも大人と共に取り扱うという意味では、対象が大人のみを取り扱う社会科学とは異なっているが、その社会的人間関係のみを抽出するとすれば教育学は社会学との学際性を有しても教育学のカテゴリーのなかに含まれうると考えられる。教育学は人文科学系の学問として取り扱われ、臨床心理学も同様ではあるが、オルポートや、サリヴァンや、エーリッヒ・フロムの考え方は社会科学としての人間関係の学という考え方により近いと考えられる。そうなると社会学との内包関係は更に困難になる。『自殺論』におけるデュルケームの考え方は個人の自殺はより高い所に社会の連帯感等の社会的な要素が働いているというものである現在の東西冷戦の終了にも一つの大きな役割を演じたと考えることができる。しかしラズウェル、オルポート、サリヴァンらの政治精神医学の試みは何らかの理由で未完成に終わってしまったことは残念な事実である。サリヴァンは客死し、ラズウェルは政治学や法学の分析に戻っていってしまった。精神医学や精神病理学を人間関係の学として社会科学化し、政治科学化し、教育科学化するというサリヴァンらの試みは、自然科学としての精神医学、生物科学としの精神医学、薬理科学としての精神医学を社会科学にシフトさせるという意味では現実の利害関係という政治的、経済的、社会制度的な影響が計りしれないものがあった。もし、社会科学であるということになれば精神医学は医学と医者の手から離れて社会科学者、とりわけラズウェルの提唱したような機関の手に移らねばならないことになってしまう。教育心理学者や臨床心理学者やらが行っている非行やらに対する臨床もが、もし、ある人がその個人を自殺に追いやっていたということが証明されるならばそれは社会というよりも人間個人の問題となってしまう。自殺に追いやった人間個人と自殺した人間個人との一個の人間関係の問題となってしまうのである。それが自殺ではなくて他殺だった場合にはなおさらそうである。一個の人間関係の集合した束が社会関係であり、社会であるとするならば、人文科学と社会科学との差は相当縮まることになる。政治と教育の論議は一度と頓挫した社会精神医学や、政治精神医学を再び構築するのと同様に、学際的に社会と人間関係を論理的、哲学的に、論理的に記述していくというディシプリンであると考えられる。
実際のソ連邦という社会主義、共産主義国家における政治と精神医学との関係については『政治と精神医学』のなかに詳しく、それは精神医学の誤用(abrise)という考え方をとっており参考になるものである。一方ではある商業高校において、非行を起こす生徒の処罰に関する職員会議においてこのような生徒は臨床心理学や、精神医学の応用により行われるカウンセラーや医師や警察にまかせるべきだという発言が聞かれた。(私の実際の経験である。)教育界においても臨床心理学や、精神医学の助けを借りる必要がおきているのが現状であるが、児童心理学や、臨床心理学や、精神医学が悪用されていないだろうか、それらが本当に治せているのかの疑問が大きい。私の実際の経験ではその様なケースはそれによってほとんどの場合悪化しており、破滅的なケースに陥っている。治療によって非行が悪化したり、退学したり、自殺していったり(一人っ子の純粋無垢な生徒がそれにより自殺していったケースもある)したケースが多い。これは社会的精神医学が全くといっていい程未発達であるからだといえるであろうし、ソ連邦の共産主義国家において精神医学や、精神病理学が悪用された様々なケースを分析してみれば、社会的精神医学も、精神医学も、反精神医学も発達の途上であるに等しいと考えられる。実際に治せないなら医学にはならない。その理由を考えると、社会的人間関係の学、社会科学としての精神医学の発達が遅れていることが主な理由と考えられる。精神医学ということばにはそのようなイメージがつきすぎて拒否反応がでているとすれば、そのようなイメージはすべて払拭しなくてはならないと考えられる。それは社会的人間関係の学としての精神医学や、政治と教育論の目的であるといっても過言ではない。教育刑論におけるように人間の可能性を信じるところに教育が単なる死刑等のとは違う意味を有しているのだ。という点に教育刑論の力点がある。応報的に刑罰によって相手の犯人を痛めつけるだけでは何もならないという点に教育刑論の強調したい点がある。これは刑法という社会科学(法学)のなかに教育学が活かされている例である。政治と教育論において教育が真に意味ある形でとりいれられるとすればこの教育刑論のおけるように前向きの明るい展望を社会にもたらすものとして取り入れることが期待されるであろう。実際にそれが可能であるかどうかは人類の努力次第であろうが、学問は努力し、ディシプリンをするところに意義があるのであり、フロイトのように教条的になる必要もないし、反対に優柔不断になる必要もなかろう。教育刑論においては罪人の将来に対する可能性を引き出すというものであるが、政治と教育論においては生涯教育においては大人の可能性を引出し、二十才までの生徒や学生やらの教育においては彼らの将来の可能性を引きだしていき、政治との関連において人類の未来の期待出来る展望を開いていくということに目が向けられるべきであり、応報刑論におけるように刑をうける相手を倒すことのみに関心を向けるのと同じような傾向に陥ってはならないと考えられる。管理社会や権威主義的な考え方の下においてはそのような傾向に陥り易いと考え指摘したのは、ドイツのナチスの全体主義社会を社会精神医学的に分析したエーリッヒ・フロムであった。また社会科学の立場から管理社会についての傾向の分析を行ったハイエクや、フリードマンや、カール・ポッパーの議論も政治と教育という側面から見直してみれば、現代日本の学校における管理社会主義を分析する場合の適切な分析視点となると考えられる。この点に関しては戸塚ヨットスクール事件や、遅刻による閉門死亡事件等法的に(社会科学的に)問題となった事件もあるので、分析の視点としてそのような視点は有効になるものと確信している。しかしそのような研究はいまだ表れていない。
第三章 幼児の社会と人間
〇才から三才までの政治教育
自分で自分のものと分かるようになるために、どのような過程が必要だろうか。私の娘は三才のはじめ頃「えりちゃんの家の前の百一匹ワンちゃんのディズニーキャラクターのえりちゃんの自転車に乗りたかったのに、二人とものりたかったので、まりちゃんはおもわずえりちゃんの手をかんでしまいました。えりちゃんはないた。歯のあとがついていた。まりちゃんはおねいちゃんと思ってなかったのでえりちゃんの手をかんでしまった。(結局まりちゃんがえりちゃんがないているあいだに自転車にのった。)えりちゃんがないたのでまりちゃんもないた。おともだちだからなかなおりした。その自転車はえりちゃんのものだといまはわかります。まりちゃんはセーラームーンの自転車をかってね。」
このようなことを三才も終わりになると私の娘(三才十カ月)はいった。
一〜三才の間に多くのテレビ番組を見ているのが最近の子供である。ディズニーの漫画、セーラームーン、プリティーサミー、ゲゲゲの鬼太郎、ポンキッキ、セイントテール、赤ずきんチャチャ等の漫画を多数見ている。レジや、電話等の子供用のおもちゃも多数持っている。自転車や三輪車等も多くの子供が持っている。公園のブランコや、すべり台や、シーソー等が最も好きである。ヒロインものや、ヒーローものが好きであり、悪い敵をやっつけるということをことばで説明できるようになる。
現代はテレビメディアが家庭のなかに入っており、その上コンピュータによる画像処理による映像が多く情報の量は莫大である。コンピュータ自体も私の家にはある。何かの間にコンピュータのお絵描きソフトを自分でマウスを動かしていたという事件もあった。情報化社会のなかにあってはテレビや、絵本や、コンピュータ等が家庭・家族に入る情報量を飛躍的に増大させている。これらの情報をどのように処理しているのかについて心理学は、認知心理学や発達心理学や社会心理学において情報処理理論として形成してきたが、テレビメディアの革命的な進歩、コンピュータによる画像、情報処理を使用したテレビ、ラジオ、CD等の登場、メディアとコンピュータの合体による情報処理革命はこれまでの情報処理に関する心理学ではおいつかなくなってきている。テレビメディアから情報をうけとると同時に、コンピュータによる処理さえ一〜三才でできることがあった。それに興味を覚えてお絵描きソフトを三才の子が自分一人で親の部屋に入って動かしてしまったのがその事件である。テレビによるメディア革命(マクルーハンのいった)の時代は次にはコンピュータの登場によりコンピュータ革命の時代となった。これらの動きは、家庭のなかに多くの情報をもたらした。当然に家庭のなかの家族の成員にも多大の情報を社会が与えるようになった。施設内の子供についても同様である。この情報は質的にもテレビやコンピュータがなかった時代とは異なっているのだとマクルーハンは指摘した。それはホットとかクールとかいう文学的な表現であったが、それは単に情報の量のみの増大とはいえないというものであった。フロイトの時代にはそのような情報は入ってこなかった。フロイトはただ単に性的に異常に興味を持った普通の男(異常かどうかは別に考察しなくてはならない)ではなかったのか。このような五人兄弟の五男の末っ子の生徒が私が担任した生徒にもいた。それがただ単なる特殊な性格と考えられることもありうる。
ここでは〇才〜三才の子供の政治と教育とに関する分析研究を行うのであるが、乳児については両親とか、祖父母や、兄弟姉妹とかとは全く離れて乳(人口乳もあるが)を母親から受け取っているのみであり、この時期に人工乳の取り合いや、ゆずりあいを他の乳児と行う事は人間の動物的な性質上ないから、乳を口から飲み、それから栄養を受け取り、吸収し、不要な水分と固体は排出するというただそれだけのことであり、それは自然な形で前頭葉以外のところで行われている行為であり、これと同じことが一生、乳が食べ物に変わるが行われているのであり、人間関係的(社会関係的)影響は普通の子である限り全くないと考えられる。ただおならをする時もあるであろう。それは人間の身体に不要な気体が排出されただけである。それがおかしいと思われるのは社会関係が成立してからのみである。施設に入って施設の人に乳をもらったからといってそれによって人的傾向に影響をあたえることはないと考えられる。そこまで気付きはしない。鳥に見られる最初に見た人や、親鳥やらに走向性のようにプリントされる傾向、猿の授乳においてやわらかいものに向かって乳を飲んだりするというのは、鳥の場合は植物と同じように走向性がプリントされるということであり、猿の場合は柔らかいものが好きだという走性があるということのみであろう。もし人口乳で育てるよりも、母乳で育てる方がよい結果を社会的に(母子的にというのも社会的にと大げさに呼んだのであるが)得ることができるという結果になれば、人口乳で育てる母親が少なくなるというくらいの影響は生まれるであろうが、決定的な差は人口乳で育った多くの乳児が、子供として大人として母乳で育った人とほぼ同じであることからも分かる。それは乳母という制度があっても性格の傾向に影響があったという話は聞かないことでもわかる。乳母の制度は日本では平安時代から江戸時代、明治時代まで続いていた。乳兄弟の性格の傾向が乳のために似たという理論も作れない。
〇才から三才の間にまず研究を限定する理由はこの期間は「三つ子の魂百まで」ということわざとともに知られている通りに三才児までの性格傾向の形成はその後の人格形成の基盤と考えられるからである。フレーベルによる自己教授と自己教育を目指し自由に遊具や遊戯をさせる幼稚園の思想は三才児保育等で三才児にまで及んできているが、幼稚園にいっているか、いないかにかかわらず、三才児までの間になされる幼児の教育のなかにどのような政治的なものが見出されるか論理的に分析したいと思う。この時期の幼児はことばの発達が著しい。それは政治的言葉を含んでいるのであろうか。あるいは政治的なことばが習得されているのであろうか。平等ということばや、〜しなければならない(規範)ということばや、〜してよい(権利)や、〜することが自由であるとかいうようなことがわかるであろうか。あるいはけんかをとめることができるであろうか。あるいは買物ができるであろうか。他の子供と交換ができるであろうか。独占は悪いとわかるだろうか、おもちゃをかり、いらなくなったらかえすことができるだろうか、そのかえす時にお礼をいうことができるだろうか、おもちゃ等の取り合いをしても譲ったり、仲直りすることができるだろうか。お菓子を分けることできるだろうか、その時に同じく平等にということが分かるだろうか、等々である。これらのことは三才の娘は出来そうである。これらはどのようにして習得され、どのように保存され、大人になった時に生かされるのであろうか。もし幼児のときにできて大人になってもできれば、人類が戦争等はしなくなりそうである。ところが、戦争は起こっている。どこかに教育上のまちがいがありそうである。それがどこかが研究され、論理的に記述されねばならないであろう。そのような目的も、この研究はもっている。しかし基本的には公的、政治的なものの発達の心理の研究であり、政治的なものの習得及び教育の心理の研究である。
政治的なことばや、感情や、心理等は当然に政治的な状況のなかで教育され、あるいは、「自己教育及び自己教授」され、習得されるはずである。そうであるのは経験に裏打ちされないことばはただ単なる観念論となってしまうからである。政治的状況と政治的ことば、政治的感覚、政治的意識は相互に影響しあいながら、政治的な働き掛けによって政治的状況そのものがかわったり、政治的なことばが習得されたりしていく。
この〇才〜三才までの教育や人格の形成について、生物としてのみの人間を其期間と規定するのは間違いだ。例えば骨の発達期とか、筋肉の発達期とか、聴覚の発達期とか、前頭葉の発達期とか、旧皮質の発達期とか、性器の発達期とか、肛門の筋肉の発達期とか、口の筋肉の発達期とか、味が分かるようになる期間とか、食事の時におはしや、フォークや、スプーンがにぎれるようになる期間とか、規定するのと、生物論以外に社会的な考察を加えて、前頭葉で言葉やらを覚え体系化する期間とか、人格的に体系化の基礎を形成する期間とか社会的なものを加えて規定するのとは全く別のものである。というのはマルクスが人間の物象化といったり、フロイトが口唇期といういいかたのなかには、人間のを犬やらの人間以外の動物程度のものとみなしているふしがある。このことはいうべきでないが、タルムードのなかにそのような教えがある。文化人類学において最近の反省点がかつてのインディアン文化の見方に「大国による植民地の見下し」があった点にむけられているのとそれは相似し、またそれと平行的なことであるが、ユダヤ教のタルムードが他の教徒を人間以下の動物とみなしたり、ヒットラーの『わが闘争』がドイツ民族以外を劣等民族とみなしたり、ユダヤ民族の抹殺を考えたりした点もこれとよく似た政治学上、精神医学上、教育上、人格心理学上の反省点であるといわねばなるまい。また同様に法学においても刑法における犯罪人は特定の生物学上の特徴をもつとして多くの解剖を行った学者も、また同様の反省を行わねばならないであろう。それは法医学上の反省でもある。政治と医学についていえば、政治と精神医学において精神医学の悪用が行われたことは社会学の視点から反省すべき点であると先に指摘したが、これも生物的視点を社会科学のなかで再反省すべき点であろうが、この点は別にゆずる論点であるとしても、七三一部隊が細菌兵器の実験を人間を実験台として行っていたということが事実であるならば、生物学的視点の倫理的な危うさは文化人類学の反省点であったのと相似であるのみならず、人間を生物として見る時の社会、倫理学的な危うさといえるのではなかろうか。フロイトの生物的視点がマルクス同様に科学的という名に隠れた非科学性に難点があること、それは科学ではなくて何千と、何億というまだ科学的に未解明な論点に関する一つの仮説にすぎないこと、そしてそれは証明されえないものであること、あと何億九九九九九九九九九九九千・・・・・・・個の説明の仕方が彼らの方法論によればあることに注意すべきではなかろうか。このような考え方はマルクスの批判には正当に効果を発揮する。、またマルクスの生活環境を分析することによる批判はマルクスの生活批判によってなされたが、フロイトに対してはまだ私のみる限り一件しかなされていない。私として発見したのはドラッカー(P・F・)博士によるフロイトの生活批判である。私はフロイトも、マルクス同様に、経済的な生活のために何億個の未解明の学派のなかからただ一個世界を驚かすための最も最も最も極端な学説のみをいったのであり、それがフロイト理論であったと私は考えている。それはマルクスの唯物論による分析として、私自身がフロイトの生活を分析してフロイトはその性格上経済決定的に、つまり、フロイトの自由意志はすべて経済によって決定されているという唯物的視点にたって、精神分析した結果である。フロイトのフォビアについては「物をとられてはしまいか」という十人兄弟姉妹のなかで育ったフロイトの不安が高じたものであると考えている。これはハウス大佐という六男坊の末っ子の人が金持ちの子であってもフォビアであったという記載があるが、それを精神分析すると富裕で財産が多くあったとしても、いつ盗まれるか分からないといつもビクビクしているという社会的な性格が「富裕であってもフォビア」をおこしたものであると、社会精神医学的の分析できる。もう一つの社会的精神分析は、フロイトも、マルクスも、ハウス大佐も兄弟姉妹が多かったために、妹や弟にストライキをされた場合、このストライキとはサンディカリズムというすべての社会、経営、労働組合をつぶす力を持った社会的なものではなくて、兄弟姉妹関係内におけるストライキ、つまり、兄や姉に対して妹や弟や末っ子がストライキをし、何もしてやらないし、破壊していくという行動をさすのであるが、妹や弟の立場から妹や弟があるいは、両親が妹的あるいは弟的である場合には両親がのストライキにより、両親が、あるいは、親類縁者や、その他の社会関係にある人がストライキをしたりした場合に、ストライキをする人々がそれぞれ違った利害関係から同じことを別の主張の立場でいうことから、彼自身の「環境」を自らの言葉で表現することが不可能になり、不安等の精神の崩壊を起こしたものであると社会的に精神分析することができる。社会的な様々な分析に応用できる。
私が批判する生物学的のみの視点から〇才から三才までの期間の設定、理論化から自由なこの期間の理論的説明がまず第一に必要であるが、その際更にもう一つの注意が必要である。一般に器質的障害という純医学的な障害は自然生物としてみる医者にまかせるとして、発達のおくれを問題にすべきかどうかという点にある。どうせ二十才をすぎれば食事の時おはしをもてるようになっているし、土蔵のなかに両親に放置されていた子供でも二十才になれば発達の遅れを挽回して普通の就職をしていったという楽観的な結果に終わった発達心理学研究成果もある。しかし狼に育てられた人間が若くして死亡したという記録もある。このことから発達の遅れは最終的には挽回できるのかという問題については器質的な障害がなければ挽回できると考えるのが妥当であり、教育的なものであると考える。ところが狼に育てられた子供の死亡の実例からやはり挽回できないという説に対しては、その例は教育心理学、発達心理学的な観念からみれば狼に育てられたために器質的な障害があるのと同じくらいに大脳皮質の発達が遅れたためだと考えるのが教育的には妥当であると思われる。口唇と肛門があるだけでは人間は生きられない。しかし、食事中のおはしの持ちかたが遅れたからといって両親が心配しすぎることによる社会的な影響は考慮する必要があろう。もう一点の注意は生物学的な肥満型、やせ型、筋肉質型(細長、肥満、闘士と社会的なものをまじえたようないいかたをクレッチマーはしているが、そのようなこと)は、全く性格の形成とは関係がないと社会精神医学としては考えられる。それは人間関係の型とは関係ない。それを気にしてしまうということによりクレッチマーによるレベリングの悪影響があり、人々のステレオタイプ化による影響を別にすれば。つまりそのことを気にしなければのはなしであるが。まだその他のいくらかの注意点はあるが、そしてその注意点は後に記述していくのであるが論理を先に進めることにする。
〇才から三才までの教育(社会心理学的、教育心理学的、発達心理学的、政治心理学的、社会学的、政治学的等社会関係論的、人間関係論的なものを含む)について生物学的な期間設定の難点は以上等に述べたことであるが、ここで例えば長子的とか、次子的とか、あるいは兄弟姉妹関係が専制的とか、愛情的とかいうことばを用いる時の術語の使い方、「甘えた関係」とか、「依存的関係」とかいう術語の使い方と定義の問題が生じる。それがあいまいであれば論理があいまいになってしまう。例えば親子関係や兄弟姉妹関係について論じるにしても「権威主義的」だとか、兄と妹の関係は姉と弟との関係よりも専制的であるとか、姉と弟との兄弟姉妹関係は包容的愛情に包まれているとか、包容的だとかいう表現は専制とか、愛情とかを定義しないで研究すれば何ら研究したことにはならない。そのようなことをしていれば男性的という表現がただ男性が女性よりも優位に立っているという社会的状況のみを言い表しており、男女平等という思想のみで親が教育をしているという家庭には合わなくなるし、中絶問題においての政治的な話題や、男性と女性の生物的な違いを説明できなくなったり、あるいは、男性と女性の違いを考慮した妥当な社会とは何かを考慮できなくなったり、フロイトのいう男根にあこがれない女性がいたり、男根に反発しない女性がいて女性の方が優秀と思っている女性がいるとその人の社会的な考えかたには相容れないということになってしまう。また姉的、兄的、妹的、弟的といったり、姉らしさ、兄らしさ、妹らしさ、弟らしさというのも、ただ男性的、女性的ということばと混同して使われていた可能性もある。逆に女性らしさ、男性らしさを姉らしさ、兄らしさと混同していた可能性もある。特に家族制度の下においては男性らしさは長子(長男)らしさと混同されていた可能性が大いにある。
専制というものを政治学上で定義するにしても、その内容はモンテスキューが『法の精神』のなかで分析したように権力の暴走に歯止めのきかない権力の集中の状態をさすのか、法や慣習や反対勢力の全くない権力をさすのか、ギリシア語のデスポテス(despots)の意味する奴隷状態にある人に対する完全な支配を行う主人的支配者を指すのかと様々な内容があるが、また専制は法や規則によって正当化されている場合が多く法や規則が専制的であるかどうかも見極めなければならなくなり専制ということばを分析においてどう使うかは困難をきわめる。特にドイツや、日本のように専制君主や、長子相続の家族制度等が長く続いた国においては、わが国のように天皇制が象徴天皇制になったあとにおいても、小中学校の労働組合において「君が代」に対するアレルギーが残っている場合もある。また、家族制度の残しが残っている場合もあり、学校での家族制度の取扱いが難しい場合がある。日本やドイツにおいて権威主義的ということばや専制的ということばを使って議論をする場合と、英米においてそのような社会現象の議論をする場合とでは政治文化上の差異を考慮しなくてはならないことになる。考慮しなければならないというよりも政治文化上の術語上の差異があらわれるといってもよい。例えばおやつの分けかた、物の取り合いによってけんかをしたということの割合を調査するにしても、英米では平等ではないとけんかをすぐするのに対して、日本では兄が六割、妹が四割でもけんかをしないかもしれないので、けんかをするかどうかを調査しても何ら正しい結果はえられていないことになる。けんかの原因が物の取り合いが四十%、意見の違いが三十%であったとしても、その経験的な結果を理論的に論理化しなくてはならないということになる。人間は社会的な存在であるから日本における家族制度の残しもそこにみられるかもしれないし、個人としての性格の傾向が見られるかもしれない。しかし兄弟構成のなかから生まれる性格の傾向が七割であり、社会的な家族制度の残しが五パーセントであると経験的にとらえたとすればそれは理論的に説明される必要がある。理論的な説明が経験的な発見をさらに補強して、また新たな社会的発見を生むことになる。
〇才から三才までの子供の社会的状況の把握は政治的に、経済的に、人間関係的にどのように子供にとって習得されるのであろうか。これを政治的状況把握の習得過程、経済的状況の習得過程、人間関係技術の習得過程と呼ぶことにする。政治哲学的にいえば平等を尊重せよとか、けんかはいけないとか、約束を守る義務があるとか、これは自分のものであると分かり、それを自分のものとする権利(所有権)があるとかが分かるようになる必要があるが、それはどのような過程を通じて分かるようになるだろうか。経済哲学的に稀少性の意味やらが分かるようになるだろうか、それはどのような過程を通じてであろうか。公人としての人間関係をどのようにして習得していくのであろうか。人間は両親のいない場合を除けば一般には同一家計を営むある世帯のなかで育つことになる。両親のいない場合には施設の家計(経済体)のなかで育つことになる。その家計のなかで親やら家計負担能力のある者が収入を得て、それを子供に分け与えて、子供はそれで生きていくことになる。社会に出て働くようになり、一世帯を形成するまではそのように親とかの収入に頼ることになる。家計の形態にも多の類型や種類があるであろうが、収入の多い家計もあれば収入の少ない家計もある。そのことで分類すれば、収入の多寡によって貧しい家計、裕福な家計ということになる。子供に分け与えられる収入が同じ収入の家計であったとしても子供の数が多い場合と、子供の数が少ない場合とでは一人の子供に対する経済的な分け前は子供の数が多い程少ないことになる。子供に分け与えられる収入は富裕な家計と、貧しい家計とでは相違することになる。他の家計と比較しての一人当たりの子供の分け前については家計外の子供とつきあってその子供から話を聞くまではほとんどの子供は気付きようがないし、そのようなことに気付く子供はまずいない。しかし他の家計の子供が持っているおもちゃを自分が持っていないことに気付くことは〇才から三才児においてもありうる。
子供どうしの分け前が平等であるのか、ないのかについては〇才から三才児であってもすぐに気付くはずである。〇才〜三才児は次第に所有という観念を持つようになり、他の子供から所有物をとられそうになると所有権を主張できるようにもなる。他人の所有物を盗んではならない義務があると気付くようにもなる。これは兄弟姉妹との関係や友人関係やらのなかで生じるのであって、親子関係、祖父母との関係から生じるのではない。親やらが家計の収入のなかから子供たちにどれくらいの収入を分け与えるのか、それが親と自分とで平等であるかどうかについては子供はまったくといって程の関心はないし、ほとんどの両親はそれを子供に対しては秘密にしている。〇〜三才児ではそれらは知らされても分かりはしないであろう。〇〜三才児が分かるのは兄弟姉妹との間での分け前の平等性であろう。〇〜三才児でも兄弟姉妹のいる子供は多いし一人っ子である場合もある。上に数人の兄姉のいる場合も、下に弟妹のいる場合もある。第一子の場合には上には誰も兄弟姉妹のいないことになり、下にもいない場合もある。この場合は将来弟妹の生まれる子供でも下に子供がまだうまれていない間は一人っ子ということになる。もし双子や、五つ子であれば同じ年の子供が生まれてからずっと二人とか五人いることになる。年令の差は体格と発達の差が生じており、これを長幼の序として認める文化もあれば、あまり重視しない文化もある。男女差も体格と発達の差を生じており、男女に性役割の差を重視する文化もあれば男女同権を重視する文化もある。文化は大人の側の伝統であり、トラディショナルな文化は保守的なものである。しかし守られるようにいくら強制や教育が行われようとも現実の環境に合致しない伝統は破棄され伝統にとらわれない新しい伝統が形成され、また次の世代へ引き継がれていくことになる。伝統から自由であったり、タブーから自由であったりするリベラルな家庭においても、そうでない家庭においても現実の家庭環境がリベラルか、保守的かのどちらをとった方がよりうまくいくかということによって決定されるのであり、文化は押しつけられるものではない。文化の変化はそれゆえに現実社会の変化に応じて起こるものである。政府が文化大革命のように文化を変化させようとしても、家庭環境等がそれを受け付けない場合には失敗するし、逆に政府が強制しなくても自然に文化が変化していく場合もある。文化の変化が家庭の環境等の現実社会に必要であったから自然に文化が変化したともいえる。一方で中国におけるように政府の一人っ子政策や、また他の例では多くの国における扶養手当法や児童手当法のように家庭の環境に直接影響を及ぼすような政府の政策は直接家庭環境を変えることにより文化そのものに反作用的に大きな影響を及ぼしていく可能性が高いと考えられる。
また、兄弟姉妹構成からくる人間関係から生ずる経験と公民としての人間との関係を考えていくにあたって実際的な現実の経験と、言葉や文化のみによる擬似的な経験との相違に注意しなければならないであろう。テレビのドラマ等は子供向けの場合には童話や漫画番組が多い。現在の日本ではほとんどが漫画番組といってよい。これを経験としてとらえる時にはこの経験は擬似的な経験であり、現実的経験(体験と日本語では呼ぶこともあり便利な言葉ではあるが分析的でないので使用しないこととする)ではないので注意しておく必要がある。例えばアメリカやフランスのテレビ番組を見てアメリカやフランスに行った気持ちになっているのがほとんどの人である。アメリカやフランスとの政治的な交渉やもし戦争していたとしたらその戦争やらも概念的なことであり実際に経験する人は稀であったとしてもその事実はあると皆信じこんでいる。ところがもしウソの報道であったとしたら本当はウソであったということになる。エイプリルフールで四月一日にはよくこのことが行われる。文化についても同様で長男に相続しますよということを家族、とくにこども達に対していつもいっていたとしても、子供達は相続等したことはないのであるからそれは擬似経験でしかない。また都会の子供達は虫のテレビ番組が好きであるが、またコアラやパンダのテレビ番組が好きであるが、ほとんどが実際は見たこともさわったこともないという。長男相続の伝統的文化のあるところでは、長男におかずが食事の時に多かったり、アメリカ村やスイス村やらがあってアメリカやスイスによく似た所に行くには行けたとしても、この両者とも現実的経験ではない。アメリカにおける子供の政党支持の傾向に関する研究においてはそれが政治的社会化の研究の最も重要な一部門であると考えられ、親子の、あるいは、兄弟姉妹間の政党支持の一致・不一致の研究が行われているが必ずしも十分な成果をあげていないのは、青少年の政党支持が擬似的な経験や、政策に対する理論的ではない分析に重点をおいて決定されていることに一因があると考えられる。兄弟姉妹によって現実的に体験されるのは、おもちゃによる遊びや、兄弟姉妹との人間関係や親子の人間関係や、養親との人間関係や、施設の人との人間関係や、その他の親族、祖父母等との人間関係や、食事や、衣服を着ることや、住宅の状況に応じたトイレの位置やトイレ等である。トイレに特に注目するのはフロイトであるが、それはフロイトの特殊な性格によるものと思われる。それらの実際的経験はそれぞれに重要性や機能性がある。
子供の家庭環境や、概念の形成や、発達の過程や、発達の心理を見る場合に、経験論や観念論の対立、唯物論と唯心論(観念論)の対立、また証理実証主義、日常言語派の理論、プラグマティズム等の現代経験論内の相互対立等は子供の分析にあたっては何ら問題とはならない。逆にそれらの対立こそは子供の生活のなかから生じてきたのであるという結論になるかもしれない。この研究は、これらの対立を解消し、対立を理解するための道具となるかもしれないのである。というのは人格の形成プロセスがそのままそのような対立となっているという結論になるかもしれないのであり、その点を解明していくことが重要な分析の視点でもあるといえる。直接的な関係があるのか、、間接的な関係しかないのかということの分析も必要となる。例えばアダム・スミスや、エーリッヒ・フロムや、サリヴァンや、ソルジェニーツィンや、ハイエクや、伊藤博文や、フランクリン・ルーズベルトやらの一人っ子の理論形成は一人っ子として育った家庭環境のなかでの性格形成や危険と大きく関係があったのか、自由放任や見えざる手の考え方に子供の頃の経験が大きく関係していたのか、いやそうではなくて社会的文化的影響が大きかったのかという分析が必要になる。またフロイトや、マルクスや、エンゲルスや、レーニンや、ドストエーフスキーや、麻原彰晃やらの兄弟姉妹が六人以上であった人々の性格形成において兄弟姉妹における経験がどの程度、どのように影響があったのか精神分析によって理論的に明らかになるかもしれないし、因果関係は高かったのではないかという結論を出されるのかもしれない。この論文ではその点を分析していくことになるのでその結果については多くの批判を期待し、それに対して反批判を行ないたいと思っている。しかし子供の頃の概念の形成が大人になってからの思想的な理論形成における概念の使い方に少なからず影響を与えていることは考えられることであるし、人格の形成や、人格やらの発達の過程や、発達の心理が家庭のなかで発生するものである以上家庭環境や、育った施設の環境はそれらに多大の影響を与えているであろうことも容易に想像がつくのである。
多人数の兄弟姉妹のなかで育ったという場合に五つ子等のように同年令ではないということが多いことが兄弟姉妹関係の分析を非常に困難に陥れている。五つ子のように同一年令であったり、施設におけるように一才の間の年令(月令)の差で同一の学級を作っている場合に分配の経験をさせる場合に平等に分けなさいといってもすなおに受け入れられる可能性が高いが、年令差が多い兄弟姉妹や地方の分校におけるように四〜五才の年令差のある学級編成をした場合の学級や施設の場合には分配の経験において平等性の配慮は難しい問題に直面する。兄弟姉妹の年令差がある場合には各兄弟姉妹の食事量も、体格(体重や身長や筋力)も、経験の量や知識の量もすべてちがっている。この場合にはおもちゃや、食事の分配において年令差を考慮した方が平等であるということになるのか、それでも機会均等その他の点においては平等を確保すべきであろうかという問題が発生する。中国や日本の儒教道徳においてはこの問題は長幼の序という考え方で秩序を保とうという哲学があったし、今も残っているようであるが、西洋の政治思想のなかには長幼の序列の考え方は少なく、現在でもドゥウォーキンのように「平等であることを考慮してあげたり、平等であるように相手を尊重してあげること」がすべての法哲学、政治哲学の基礎的な原理であるという考え方においてはほとんど長幼の序のような考え方は見られない。企業内における地位や賃金の制度等についてもこのような違いが中国や、日本や、西洋諸国との間に見られるようである。このような違いが各国における家族内における兄弟姉妹の取扱い方の相違が原因となって発生したのだという仮説は、どのように家庭内における兄弟姉妹の人間関係をとらえることによって証明できるのかが本論文のテーマであり、人間が家庭環境を通じて人格を形成し社会に出て分業社会の一員となることから、家庭環境内における人間関係が社会的な制度よりも先に人格を形成するということを説明しようというものそれらの子供時代の人間関係のうちで約七割程度が兄弟姉妹の人間関係によって形成されているという仮説を証明しようとするのが本論文の主要なテーマである。
ここで七割という数字をなぜ持ち出さねばならないか。このテーマはこの数字なくしては存在しない。このテーマはこの数字なくしては証明は失敗に終わる。八割でもいいし、六割五分でもいいが、その数字はデカルトでいえば未知数であり、他の確かなものから確定しながらこの未知数を確かなものに近づけて行くのがこの論文である。なぜこのようにいうかというと私は一度この数字なくしてこの同じテーマを論文で研究しようとしたが、教条主義的かあるいは類型論に終始した。兄弟姉妹関係による類型化を試みたが、この類型化によっては、クレッチマーやABO型の人格論と同じく実はこの二つは占いと同じく全く間違っていると考えられるもので、実は何ものをも表していないということが証明できるのであるが、例えもし兄弟姉妹構成における人間関係論が性格に最もおおきな影響を与えているという命題が完全に真であるとしても、それはただ単に経験的な結論と、現実的描写に終始するのみであって、単なる類型論にしかならない。ところが性格というのは、行動や思考の仕方における傾向なのだという特性論の見方からすればどの程度に影響を与えているのかということの方が、最も重要なのであり、確かに兄弟姉妹の人間関係が性格の傾向に影響を与えているにしても、それよりもフロイトのいう生物(人間以下の動物論、人間とはそういう狂った本能のみを持った人間以下の動物であり、それ以外はないという動物論)論や、クレッチマーのいう体形の方が性格の傾向に与える量が大きいといわれればそれはそれでそのように証明してくれればよいことになる。このように特性論は特性論そのものとして存在するのではなくて、様々な要因あたりの性格の傾向に与える影響のそれぞれの程度であるべきだという考えに到達したのがその論文による失敗の結果から得られた教訓による修正である。その論文における兄弟姉妹関係による性格の傾向の分類は今でも、また、経験上も、また様々の伝記の精神分析上も正しかったと考える。しかし性格の傾向を分析するに当たった性格を表現する上でのことばは、すべて傾向であり量としてあらわされるのが妥当であろうし、そしてまた、様々な要因も同じく量として表され、全体を百とした場合に、性格の傾向に与える影響の程度はどのような因子が全体百のうちの何%、その他の何が何%、その他の何が何%・・・・というように、それらの合計の百%により全体の性格の傾向が形成されるのであるとすることによってはじめて性格の形成論、つまりは人格心理学、人格発達心理学という教育心理学や、政治心理学や、政治と人格論の一部を占める学問論となりうるということに気が付いたのである。このような性格学上の方法論的な正しさはどのようにして証明されるのであろうか。例えば兄弟姉妹の人間関係によって性格の傾向が形成される割合が約七割ぐらいあるだろうといくら主張したとしても、ある人は特にそのようではなかったという場合がありうる。クレッチマーのいう体形や、フロイトのいう肛門期は常識的に考えればゼロに近い程度にしか影響を与えていなかったにしても、小さい頃養子に出されて一人で育ったが、時々もとの多人数の兄弟のもとに帰って生活していたという場合に、もとの血のつながった兄弟姉妹に対して養子に出されたということで、ものすごい反感、敵意を持っていたという実際の事例の場合に、性格の傾向をどのような因子が支配していたのかを決定することができるのかは全くもって困難至極である。あるいはフロイトのように異母兄姉がいたり、ある人のように異父兄姉がいたりした場合にそれらの人々が同居して同一家計で生活していた場合に、兄弟姉妹の人間関係をどのようにとらえるのかも同じく至難である。その時に兄弟姉妹関係よりも異父兄、異母兄に対する反感が強かった場合にはそれは兄弟姉妹の人間関係による人格の傾向形成と呼べるにしても、特殊なものであり、それがどの程度に影響を与えていたかを追跡しなくてはならないことになる。全く一人で養子に出されたケースで、二十才以降になって兄弟姉妹がいると分かったりしたケースや、十才で分かった場合等についてもその性格に与える割合こそが問題となるというのがこの論文を提出する最大の論点である。
また類型論の欠点は経験的な要素が多く入り込むという点にある。アダム・スミスや、ハロッドや、ソルジェーニツィンや、エーリッヒ・フロム等の一人っ子で育った人たちの伝記を集めてきて自由放任論と、見えざる手による説明という共通点を探してきたところで、それがなぜそのようになったかを説明したりする段階になって、理論付けが全く異なって全く偶然の一致であったという結論になる場合がありうる。一方理論付けを行った結果そのような性格の傾向が形成されたのには一定の理由があって、自由放任論と見えざる手による説明論に到達したのであるならばその他の一人っ子一般についての説明に兄弟姉妹関係論が利用されうる可能性がでてくるのであって、経験によってそうであったからといって一般的にふえんできるのではないということである。するともし例外が生じてきたとしてもどこでその要因が起こったか分析できることになる。つまり兄弟姉妹関係論はこのケースからすると一般的な兄弟姉妹の人間関係に性格の傾向の形成のモデルケースを示せばよいということになる。例えば一人っ子でも政治家では伊藤博文や、美濃部亮吉や、フランクリン・ルーズベルトがいるし、その伝記もある。また『積木くずし』という一人っ子の娘の非行のことを詳しく書いた本もある。この『積木くずし』の場合は、父親の方が三男等の甘えん坊で娘の自由放任論や、見えざる手説明論を全く理解できなかったのではないか、父親の方が悪かったと、父親のその文章をよく読んで私は思っている。私が高校で教員をしていても、私は一切登校拒否も非行も出さない主義を貫き学年主任もしたが、その時の経験から子供の「生活」を教員のうちでも普通の言葉でみようとする先生、両親とは違って、普通の言葉でみることができず、自分の立場からしかみることができない先生、両親の場合に『積木くずし』のような非行や、狂いやすべてが「惹起されている」ということを発見した。これは「政治と精神医学」の問題と似ている。このことが正しいのであろうということも私の兄弟姉妹関係論による人間関係論は含んでいると主張するのであり、その経験をこの論文は証明しなくてはならないのであるが、それに対してもっと他の要因の方が大きな影響を性格の形成や、非行の形成やらに与えているという主張については私は真実を示しながら反論できると考えている。『積木くずし』の親のような見解は正しいかもしれないが、反論は学問的にする機会が与えられるべきであるということである。そのためには人格(特性論での人間の性格の傾向)の一般的な発達の心理学的分析が、人間関係論、特に兄弟姉妹の人間関係が七割程度であるという理論としてならば、発達の理論的解明と、傾向の程度の説明として学問的には提出されねば学問としての価値は定まらないと考えられる。
もしそれが正しいものとして学説上も定着し、現実の経験においても正しいことが立証されていくならば性格心理学にとって大きな進歩発展になるであろうし、公民教育法にも大きな影響を与えることになる。
これまでも兄弟姉妹関係の人間関係論から生ずる性格の傾向の形成について述べた書物は多く出版されているが、ほとんどが経験的に書いたものが多かった。その代表的なものとして市民一般の実用書として実用書を主に出している光文社から、斉藤茂太氏の『兄弟関係論』が出版されたことがある。経験的な命題をその心理の形成にさかのぼって証明するということはあまりなかったといっていい。確かに多くの人の話から多人数兄弟であれば、物の取り合いをしたとか、長男はこう育てるとよいとか、次男はこう育てるとよかったというような生活の実用的な知恵となるようなものは出版されたことはあるが、哲学や、政治学や、社会学や、経済学や、教育学にまでわたる広い範囲を覆う学問的研究はなされていなかったといってよい。この論文は方法論上は以上のような方法で、その様な方向を目指すものである。
もしも兄弟姉妹の人間関係が性格の傾向を形成するうえで七割程度を占める影響を与えることが証明されて、それが二十才以上の大人になり一生の性格変容の量が一割程度であるとすれば、一生の間人間は兄弟姉妹の人間関係の影響を大きく受けながら生活しているということになる。ということは子供の両親の性格の傾向は子供の性格によってではなくて、親の兄弟姉妹との子供時代の人間関係によって大きく(六〜八割程度)影響されていることになる。「昔はよかった」という人間がよく使う言葉は自分の子供時代の兄弟姉妹の人間関係を回想し、その頃は自然とよく遊んでいたなといっているのかもしれないし、昔のギリシャ・ローマ時代を回想するときにマキャベリーが「ローマ史論」のなかで「昔はよかった式の議論にはなりたくない」という趣旨のことを述べているのも、またルソーが社会契約論において自然な状態を想定するのも、ホッブスやロックが社会契約以前の自然な状態を想定する時に考えていることも、またジョン・ロールズ(一九二一年生)がオリジナル・ポジション最初の状態ということばによって考えていることも、ドゥウォーキンが人間は生まれてくる時は平等な条件で生まれてきているわけではないという時の生まれてくる時のことについて考えていることも、すべては各家庭における兄弟姉妹構成における人間関係のことをいっているのではないかという仮説が証明されたともし仮定するならば、公民学も、政治学も政治哲学も大きなショックを受けるであろう。それを証明されうるかもしれないし、証明されえないかもしれない。その方法は以上の通りその性格の傾向に与えた影響の程度が七割程度であることを、理論的に説明していくしか方法はないことになる。その人の性格の傾向が政治哲学に与える影響の程度を考える場合には当然それは兄弟姉妹の人間関係の政治、経済、社会、哲学的な部分について考察することになり、それを理論化するという方法をとらねばならないことになろう。同一の家計に所属していた子供時代に兄弟姉妹の人間関係が政治的、経済的に大きな相互に対立したり、友人関係にあったりすることは容易に理解できるのではあるが、大人になれば兄弟姉妹は独立し別の世帯を別の家計により営むのであるから、その時に子供を産むかどうか、また産んだとしてもどれだけ多くの子供を産むかどうかは別としても、兄弟姉妹には人間関係として政治的、経済的関係は発生していることもあるが、全く発生していない場合にでも子供時代に作られた性格の傾向が大人になり死ぬまで影響が七割程度のまま続いていくとすればどのような理由が考えられるのであろうか。ただ単に昔はよかったという回顧趣味のみによるのであろうか。七割程度のままであるとすればその持続性は相当高いことが証明されねばならないことになろう。考えられる主な原因は人間は自分の満足にほぼ精一杯であり、自分が満足していなくて死ぬ程貧乏しているのに社会的行動で他人を愛することを考えたり、行動したりすることはないといえるのではあるが、よしんば自分が満足に至った場合に次に死ぬ程貧乏しているのは誰かと心配するのは、両親は普通は職を得て子供を育てたのであろうから満足していると考えれば、自分の兄弟姉妹であろうと考えられるからであり、兄弟姉妹の政治的、経済的状態を援助したりして平等になるようにと考えるのであり、それから赤の他人の援助へと考えられるからである。これを遺伝子がつながっているからと考えるのは、赤の他人の養子や、施設で育った場合に自分の満足の次に誰を援助するかと考えた場合、施設の人々であろうから、妥当な考え方ではないということになる。税金によって援助を考える基礎にはこのような考え方があるものと考えられる。遺伝に関してついでにつけくわえておけばすべて対人関係から精神病は生じ、ある人が他のある人を排除しようと考えるから他のある人は自殺するのであり、ある人が他のある人を、例えば下に弟妹のたくさんいる第一子の長女の例でいえば、下の方の弟や妹が第一子を精神病におとしいれるくらいにストライキのようなひどい精神的行動をとったことが長女を精神病におとしいれたとか、回りの親族や友人にそのような行動をとる人がいたとかいうようなことが原因となって精神病がおこるのだとすれば、兄弟姉妹や親族やらのなかにそのような破滅的ストライキ状態の行動をとる人間がいることによって親族とか兄弟姉妹とかが、その行動によって次から次へとおとしいれられて精神病にされてしまうことを、遺伝ではないかと間違って認識する場合がありうるのが、社会的人間関係から生ずる精神病が、生物的、器質的な遺伝と間違ってとらえられたのではないかということになり、社会的な行為の経験が生物学的な物とはなりえないので遺伝ということは「次から次へと」おとしいれられるということが間違えられた結果のフロイトの生物論や、占いや、クレッチマーの体形論や、ABO型の性格分析と同じくいまにもありそうにみえるがそうではないまちがいであり、マルクスの物論と同じく間違ったとらえ方であるという理論になる。兄弟姉妹の人間関係による性格の形成ももしフロイトのように生物的にとらえるならば性格が遺伝的に似ているということになるが、フロイト自身は妹が四人いていつもその面倒をみていたせいか、そのような論を形成していない点がドラッカーのいうフロイトの奇妙な性格から類推できて面白い。人間をものとしかとらえられなくなる性格は、戦争の時に敵陣営の人を物とみることや、フロイトが人を物とみる時や、マルクスが人を物とみる時とかにあらわれるが、家庭のなかで人が多過ぎると人を排除するために、人を物とみて抹殺する時の物とみる非行と似ている。その時人は「物をたべなさい」物であるとみなされ「着物を着ない」物であるとみなされ、「住宅を必要としない」物とみなされる。文化人類学の現代的反省、植民地主義的偏見に対する反省、トィンビーが『歴史の研究』のなかで反省していた反省点はポスト・モダンの文化(人類学)、文化論としては必ず通過しなくてはならない反省点であるのかもしれない。
人間は大人になっても自分の兄弟姉妹とのつきあいの方が多い傾向がある。この傾向は日本においては七十%程度であり、帰省や、里帰りやら、盆休みの帰省、正月の帰省やら伝統的にその傾向が高く七十%程度であるとしても、外国においては長幼の序の考え方も少なく、かつ、平等主義のうえにのっとって各兄弟姉妹は「遠くの親類よりも近くの隣人」を大切にする傾向が強くそのために家族ぐるみのパーティーが隣人や会社、職場等でおこなわれている傾向が高い地域や国があったとしたならばこの約七十%という数字は極端に下がり二十%程度というようになる可能性があるのであろうか。隣人よりも親類縁者の方をいざとなったら大切にするというのは人類共通であるという思想を遺伝子レベルで物(あるいは生物)的に説明することはせず、人間関係論としてするのが妥当であると考えるのであるからこの点は明確にしておく必要がある。パーティーにしろ、近くの赤の他人の隣人とのつきあいにしろ円満にいくのは相当困難であるということと、政治、経済的な関係が隣人と兄弟姉妹とでは違い、兄弟姉妹との関係においてはテンニエスがゲマインシャフトという言葉(これも兄弟姉妹の同一の家計のなかにいた時代のことを原初的に考えて作られた言葉かもしれないと思っているが)を使ったのとよく似ているのであるが、将来相続とかがあった場合には、子供時代に食べ物を分けていたのと同じように、財産を分けなくてはならないという立場におかれていて政治、経済的結びつきがあるのに対して、隣人やらとの間においては交換や、売買や、職場やらでの利益的関係(テンニエスのいったゲゼルシャフトの考え方に似ている)しかないのである点が相違している。文化人類学でいうレシプロシティー互酬性の原理はトロブリアンド島のクラ(kura)という儀礼的な交換においては利益を生む経済的効果のみならず社会連帯を高めていたことや、モースの描いたインディアン族でみられるポトラッチと呼ばれた儀礼的交換や、日本における盆、暮れの贈与のしあいや、年賀状や暑中見舞いの儀礼的交換等において確かに見られるが、それをレビ・ストロースのように贈与交換の本質を経済性の認めない考え方はあたかも兄弟姉妹の人間関係における政治性や経済性と、夫婦という赤の他人同志の人間関係における政治性、経済性とを同列に置こうとしたものであると分析できると考える。文化人類学が兄弟姉妹関係の分類、研究を行わなかったこと、その政治的、法的、経済的側面を行わなかったことはこの政治と教育の研究に相当な悪影響を及ぼしている。レビ・ストロースが女性の交換(婚姻)の体系以外の研究も行っていてくれていたらと悔やまれる。物がすべて共有化されていると考えられる社会においても交換が成立するであろうか。物の移動は考えられても交換ということにはならないであろう。ギブアンドテイクを行うには、ギブする所有された物、テイクする所有された物が必要である。私有という前提がないのに交換という概念を考え、ギブアンドテイクを主張するのは不可能である。従って兄弟姉妹関係のなかのなかにおいても所有(権)という観念が兄姉姉妹の中で発達してくれば、相互に利益を発生させる交換という概念が発生する。そうなるとゲンマインシャフトとよく似たものと考えられていたものも、ゲゼルシャフトに近くなることになる。すると兄弟姉妹の人間関係もパーティーのような赤の他人の人間関係と等しくなり、兄弟姉妹の人間関係をとくに七割というように取り出して他の三割がその他の人間関係であると区別する必要はなくなるのであろうか。しかしそれでも兄弟姉妹の人間関係をとくに取り出して七割であるとする必要があるのはレシプロシティーや交換があるかどうかではなくて、また、血のつながりにあるのではなくて、施設や赤の他人の養子となった数人の子供の例を考えてみれば分かるとおりに、政治性と経済性とかを子供達同志で考えながら平等性とか自由性とか規則(規範、ルール等)の作り方を同一の家計内で学習し発達し、教育されたという心理的な一体感のなかに、つまり公民というものがいかにして作られたかということにその本質を求めるべきであると考えられる。交換の全体的な連鎖が社会を形成しているという単純な定理はオプティミスティックな職業観であり、もっとも単純な社会倫理、職業倫理となりうるものであり、私もそれこそが最初に教えられなくてはならないものであると思っているし、それが最初で最後である理想社会の存在の主張もうなづける点も多い。しかし「生まれた時は皆平等に生まれるのではない」というドゥウォーキンの法哲学の主張、政治哲学の主張、そしてそれがすべての権利と義務の出発点となる「平等な尊敬と配慮」の原則の主張につながるという原理も大切である。交換の原則や、一人っ子だったアダム・スミスのいった道徳観念や法観念がいかにして形成されていくのかが人間関係を研究し、分析していく時の最も重要な視点となるべきであるという結論が以上から導きだされることとなる。文化人類学がこの点を研究するための材料を示してくれないので、現代と様々な伝記とを研究の材料として兄弟姉妹の人間関係と、人格の形成と心理の発達を研究していかねばならないことになる。
妹が四人もいたような人、例えばフロイトのような人は妹達によって、また、妹達の言動によって自由が制御されたはずであるし、まだジェンダーの完全な平等が達成されていない現代社会では女性である妹は社会的に不平等な状態におかれているために、看護婦とか女性のつきやすい職業につくことになったような場合は別として妹が就職をすることは難しいと予測していたと考えられ、そのためにフロイトは自らの経済的な要求を押さえてでも妹達が大人になってもその経済的世話をみていかなくてはならないという負担を感じていたと考えられ、そのためフロイトがどこかで独立して妹達の面倒をみないでいいところにいき自由になろうとでも考えることが少しでもあれば、フロイトに対してこの世に存在しないおばけのような想像物がフロイトをおそうよとか、そのようなほかの場所はおばけのようなこわいものがいるよとかいってフロイトをこわがらせり、それに対してフロイトがいうことを聞かないと政治学的にいえばサボタージュとかストライキといわれているようなフロイトの精神をこわすようなことを相当多くしたり、いったりしたと考えられる。このようなことがフロイトのフォビアを精神分析してどのようなものであったのかを分析する手掛かりとなりフロイトの精神に病のようなものがあったとすればその手がかりとなると思われる。それがフォビアといわない場合に本質的にどのようなものであったかを精神分析する手掛かりになると考えられる。私は夢とは眠っている間の情報処理において活動していない時に記憶する時に、情報処理できない非合理な情報とか、情報処理できない論理的にあわない部分を廃棄しているのと同じように、すなわち間違いの情報の束が記憶する時に捨てられているのと同じ様に、起きている間に得た情報のうち現実の理論が形成できない、非合理的な情報がそのまま夢となって捨てられているものが夢のなかに表れたものだと考えており、従って夢は捨てられた情報であるから記憶にないのだと考えられていて、私は全く夢が記憶にないのはそのためだ、それが証拠だと思っている。ラズウェルが煽動家だと性格分析したレーニンのストライキの煽動のようなものが政府でさえも転覆できるものであるという伝統主義、保守主義者マイケル・オークショットの指摘は、兄弟姉妹関係のなかにおける姉や、弟達の行動や思考のなかに原型があったのであり、それは政府を転覆させたのではなくフロイトやらの心を、精神を転覆させたのが原型としてあったのではないかと精神分析できる。医者が解剖できること、弁護士が実定法の丸暗記ができることと、いい公民であることや人間関係とは別である。これは兄弟姉妹関係における政治的人間関係の部分である。これらのことが何なのか、何をどうするのかは深く、哲学的、社会的に考察される必要があるが、ここではそこに到る前に第一子が次の子供が生まれるまでの一人っ子だった時代をまず考察することにする。一人っ子の場合とか、次の子供と四才以上はなれている場合には〇才から三才までのみを考察することとする。
この兄弟姉妹の人間関係は妹が四人になったフロイトの場合とは全く異なっている。そこでの政治的、経済的人間関係はどのように分析できるのであろうか。兄弟姉妹が全くいないからといって兄弟姉妹との感情と同じような感情が全く存在しないわけではない。ほかの家庭の同年令の子供たちとそれと同じような感情を有する。しかし同一の家計のなかで生活しているわけではないので、政治的、経済的人間関係としては同一家計内で行われる兄弟姉妹との人間関係とは相当に異なっている。最初の自転車の取り合いの例はその一例であり、私の娘の真実の記録である。この時代にフロイトが考えたような性欲は全く存在しないといっていい。それはフロイトがその兄弟姉妹関係論のなかで自らに発生させた性欲のみに執着する性格から生じたフロイトのみの眼であると精神分析したい。この論についてはもっと深く考察する予定である。
第4章 幼児の人間関係・所有の観念
三才十一カ月になる第一子の娘に最も好きな遊びはと聞いたところ、自分の家のなかで唯一一人の空間を取れる押入れのなかに入って、外のドアをトントンとたたいて「さちこちゃんいますか」といって様々な人がクリスマスのおみやげ等を持ってきてくれる遊びであるといった。次が大人にだっこされることによく似ているが、大人の両足から片足にのって大人と一緒に歩く私が二人三脚(実は二人二脚か二人一脚であるが)という遊びであり、最後がおもちゃ遊びであり、本を読んでもらったり、テレビを見たりする遊びであるといった。これは室内の遊びであり室外ではまた違ったものとなる。もっと小さい頃にはいないいないばあという遊び、隠れていて人が突然あらわれる遊びや、大人に抱かれて高い高いをしてもらう遊びやガラガラを持ってガラガラという音を出したり、そのことができない場合は出してもらったりする遊びが好きである。この描写は故意にではなく私が思いつくままにあげたものである。押入れのなかにはいりこむことは自分の空間を所有することに似ており、他の人がトントンと押入れのドアをたたくのはその空間からみた人間関係である。次に二人三脚の遊びは子供が大人と同じ目線から空間から物を見ることをあらわしており、そして最後のおもちゃは自分が所有できる空間以外の物を表している。この空間は不動産の与えるものであり、不動産そのものの価値であり、おもちゃはそれとの対照では動産と名付けられるものである。いないいないばあの場合にも子供はまず自分の空間を作る。作るというのはまだ手足が動かせないので空間を、自分だけの空間を所有することができないからである。小さい頃のガラガラも動けないゆえに物を所有していることをガラガラという音を出す物によって物を所有しているのかなという感覚を与えてくれる物を感覚する。このように空間も、おもちゃという物も小さい頃には感覚(所有の感覚)であり、それは三才十一カ月になっても(これは平成八年十二月十日に書かれている)所有の感覚となって会得されており、それは大人になっても死ぬ迄も同じである。そこでは排他性は自分のものと思ってはなさない時にのみ感覚されている。高い高いや、二人三脚は大人との一体感というのはなく、ただ大人の目を体感しようという意思であることが、私自身や娘自身の行動によって分かる。大人がどう感じているのかを知ることによって自らの感覚(所有の感覚を含め、大人の所有の感覚がどのようであり、自分の感覚がどのようであるかを知ることによって)を大人の感覚でもみようとしている。大人がどういう所有の感覚(支配の感覚)を持っているかをみようとしているといえる。大人の目でみようと大人に感情移入しようとする心が発生するのは当然といわねばならない。しかし大人の胎内にいるのと同じ様な状態にあるのはこの年令であってもかわりはない。
ところが大人がそのような子供の面倒を見たくないと思うくらい依存心の強い人間である場合次のような仮説(百億分の一の仮説と私は思う)をたてるかもしれない。子供が押入れの暗い中で一人で寝ることができないのは子供が父母や養育者や、施設の人やらに甘えているからだと。それは違う。そう主張している人が甘えているのだと私はこの事実を正しく評価する。正しくと考える。というのは子供はまだ母親の胎内にいる時と同じ状態なのでだから。土居健郎はこの状態を母親と分離の痛みと考えて甘えと呼んだがそれは土居の甘えた心から発生した見方かもしれない。十分に独立的に行動しているこの年令の子供を私達は観察することができるし、後に分析することになるが、上に十人もの兄弟がいる場合には彼らに甘え、十分に自我の感情(アイデンティティー)を発達できないでいる子供を大量に、かつ、容易に発見することができる。この事実を評価するには、兄や姉から何でもしてもらっているという事実より演繹するのではなく、先に述べた空間(不動産)の観念や、所有の観念や、自信が容易には身につかないという事実に注目しなければならないと考える。この事実の観察についてのみは私は自信がある。多くの観察を、それも十分に事実と確認できるくらい多くの事実の観察を経てきているからである。最初は事実の経験であったが現在は事実の理論的評価の段階にまで私の経験は、学校経験等を通して深まっている。この兄姉関係や、兄弟姉妹関係はから発生した甘えの観念は、土居健郎の「甘え」の観念を(この観念は母子関係の甘えを基礎にしている)容易に現実的に打ち壊すものであると考えている。妹弟の観念の仕方についても妹が生物的に生きていくのが困難なために、まず生物的な充足を兄姉がしてやらねば生きていけないというような要求を兄姉にしてくるところに兄姉との関係と違って妹弟との関係の特色があると考えられる。このことは以外に重要な特色であると考えられる。この他に注意しなくてはならないのは兄弟姉妹関係における所有の観念というのは大人になってからの土地所有、登記による何平方メートルの所有とは違って所有の境界にクイを打ってあるわけではないということである。所有の感覚に近く、その境はない。魚やらの動物の縄張りのように生きるためのものでもない。生きていくのは親の与える物(動物でいえばエサ等)によるのであり、衣食住のすべてについてそういえるのである。それは縄張りのための縄張りではない。生きていくためではないのであるからそこには兄弟姉妹関係のなかには完全な愛がある。家庭とは、家族とは何かと聞かれて何と答えられるかはペスタロッチの書物をひもとけばよい。それは昔はよかったという時に人間が思い浮かべる兄弟姉妹の愛の絆であるのかもしれない。しかしそれが独立性を阻害し「甘え」を発生させると考えられる。兄弟姉妹の愛に甘えるように社会に出てからも愛に甘えられるような、全体主義やコレクティヴィズムの社会を信じそれをユートピアと思うような性格はその発生をこの兄弟姉妹の愛のなかに見出すことができると私は考えるのである。 一方サリヴァンや、モンテッソリーニや、アダム・スミスや、ハロッドや、シュンペーターや、ソルジェニチィンや、伊藤博文や、フランクリン・ルーズベルトやらの一生一人っ子で育った人は独立性が強い。両親の家族のなかにおいても三才十一ヶ月のさちこが、押入れを自分の空間として所有しようとしたように、その他の場所でもいいが、自分の空間を持ちたがる。そして兄弟姉妹関係に対する甘えを持たない。兄弟姉妹関係に対する甘えから心理的発達の過程で発生するものの総体は容易に性格の傾向として見分けがつく。経験的にもそうである。この事実を分析すると、兄弟姉妹に人間関係として相互依存的関係にあることから発生するものと考えられる。一般には相互依存関係はなくてはならないものだと国際政治関係や、産業連関関係や、職業分業関係のなかでは考えられている。ところがこの相互依存関係はそのようなものとは全く異なる。それはあたかも共産主義社会内や、プラトンの主張した妻や、子供の共有の社会内における愛情的人間関係のなかの依存関係と似ている。なぜならば子供達はいまだ母親の胎内にいるのと同じ様な状態にあり、独立した者同志の人間関係のなかにいるわけではないからである。分業の体制内における産業人同志の人間関係は独立した者同志の人間関係に近い。この人間関係を愛情によって結び付けられたと彼らが感じている共産主義のユートピアからみれば、悪意的に利害関係のみによって結合されているという意味でゲマインシャフトとよぶことがありうるとすればそれはあまりあたっていないと思われる。ゲゼルシャフトの方が公的で、優良だという考え方についても考える余地があるのと同様である。テンニエスのこのような考え方は士農工商の考え方の強かった日本や、遅れて産業化し、皇帝を残して産業指導をして発展せざるをえなかったドイツや、ローマ帝国時代の名残りとして帝国的な考えの残っていて市民革命の遅れたイタリア等に共通した市民よりも共同社会を重視する文化の根底にあったものと私は思っている。このような三国がファミリーを重視したり、家族制度を残していたり、ヤクザやマフィアの制度があったり、あるいは、兄弟姉妹の愛情関係を重視していたことも事実である。またアメリカという多民族国家のなかに移民したとしてもまとまりやすかったのも事実であろう。これをコレクティヴィズムと違った意味での集団主義と名付けるとすればその根底には兄弟姉妹の愛情的関係の名残りとそれによる甘えの社会が形成されたと考えるのが正しいと考える。このような文化の傾向は長幼の序を重んじる中国にも見られた文化の傾向であり、現在の共産主義国家中国においてもみられる傾向である。中国の哲学のなかにそれはあらわれているし、性格の傾向が政治と深い関係があると考えたメリアムも中国においての家族の絆の強さが政治に深い影響を及ぼしていると考えていた。この点から見れば一人っ子についても、〇才〜三才までの間に弟か妹の生まれなかった間の乳幼児についても、親の家庭や施設のなかで自分の空間と感覚できる場所をつくり次第に独立していくことを考えると、兄弟姉妹関係に対する甘えは存在しない。もしこの間に妹や弟が生まれたとしたら、この考察はあとに譲るとしても一人っ子との対応でここで考えてみると、兄弟姉妹関係に対する甘えや、競争関係は成立するであろうか。
〇才から三才の終わりまでの間に妹や弟が一人できた場合の政治的、経済的人間関係について考えることにする。五つ子の場合はこの間ずっと五人の同じ年の兄弟がいるわけであり、双生児の場合もまた二人のそれがいるわけであり、また、この間に妹や弟が二人いる場合もあろう。またこの期間年令が上の兄弟姉妹が五人とか、六人とかいる場合もあろうし、一から十二人くらいまでの兄や姉がいる場合もあろう。〇から三才までの期間に受ける影響についてはまず下の子供が妹か弟かが一人いる場合にのみ限定して考える。兄妹、兄弟、姉弟、姉妹の関係についてのみ考える。ある期間まで一人っ子であった兄や姉に〇〜三才までに弟や妹ができる場合、一人っ子であった兄や姉にも所有の感覚やらについてはまだ確固としたものをもっておらず相互に奪い合うという感覚も発生しておらず、姉や兄は生まれたばかりの赤ん坊をまだ未熟な口のきけない世話をするべき対象としてみる。母やらを奪われたとこれまでの指摘のようにみるのは正しいであろうか。母親との愛情関係とこれまでみられていたものは、動物でいえば母親やらが姉や兄や赤ん坊に(動物のをそうよべば)エサをやるかどうかという問題であり、エサが少なくなるかどうかの問題である。これについては十分にではなくてもエサを与えると考えられるから、つまり人間でいえば扶養をするであろうから、食事を与えられる時間や空間の差が発生したとしても、あまり姉や兄に影響はないのではないか。これまでの理論によれば親が赤ん坊の面倒をみている間は姉や兄の面倒をみれなくなるから、性格的に赤ん坊がえりをするといわれていた。これは全く母親が甘えている時に、子供の世話をしたくなくなって母親が思っているだけのことであるというのが私の観察した事実であり、その評価である。確かに親に普通の意味で甘えて泣くということはありうる。しかしそれは赤ん坊が下に一人できていない時でも同じであった。それが何らかわったという風には見られない。姉や兄や赤ん坊と競争するとみるのも全く無理がある。赤ん坊が目も見えず、口も聞けないのにどのようにして兄弟姉妹でけんかをしたり、競争したりするのか、そこでみられるものはやはりまだ愛である。もっと大きくなればおもちゃのとりあいをして、自分のものとして所有を確保することにより所有権という観念を勉強する一つの政治的学習の場となるかもしれないが、この〇〜三才までの間にはそのようなことは経験しそうにない。親や施設の人の目が届く時間や範囲は少なくなるかもしれない。ところがそこに祖父母や他の養育者がたくさんいる時もあり、その場合には少なくなったとはいえない時がある。一般には弟や妹ができることによって我慢することができるようになるといわれていたとしてもこのようなケースがあるので必ずしもそうとはいえない。それらは親の方で養育者を増員したり、三才保育やらの保育園、それも保母の数の多い保育園に預ける等すればまた同じようなケースがでてくる。それでは本質的な違いは何かというと世話するおもちゃとしか考えていないように赤ん坊ではあっても弟や妹ができて、愛情がもてたということなのであるようだと思う。親の手が足りなくなったので親から独立する力がついたようだと考えるのは早計にすぎるようで、姉や兄と赤ん坊との絆が深まったのであるようだ。愛情的な絆の方がずっと大きいようで、競争的関係はまだ少ないようである。
たとえ少しでも競争的な人間関係が発生する余地が少量あったとしても、〇〜三才くらいの姉や兄ではまだ所有の観念が少なく、私の家のさちこもすぐ他の人に「やる」ということについて喜びを見出しているようであり、競争的ということは、もし貧乏な人の家においてさえ、ないようである。ところが上に姉や兄が五人以上くらいも多くいるということになると、兄弟姉妹で競争的になるということはありうることであるが、それは四才〜二十才くらいまでの子供同志についていえることである。つまり子供は三才くらいまでの間に所有という感覚(観念の前段階のものであろう)をもつようになるようである。その時に上の年令の子供が五人も六人も十一人もというようにたくさんの子供がいる場合には、〇〜三才を終了した子供も自分の所有の感覚をとられるのではないかという恐怖に近い感覚を覚えるようになると考えることができる。この感覚がフロイトや、フロムに恐怖症(フォビア)や神経症を発生させたといえないであろうか。
「カール・グスタフ・ユング Carl Gustow Jung は、一八七五年七月二六日、スイスのツールガウ州にあるボーデン湖畔の地ケスヴィルで生まれた。二人の兄があったが、いずれもみどり児のままに死亡し、彼はひとり児として育った。一八八四年、九才の時に妹ゲルトルードが誕生した。この年、ある日、石に腰をおろしながら、ふと、「私」とはこの石の上に座っているものであるか、それとも石は「私」であり、その上に彼が座っているのかと疑問が沸き起こり、悩んだ。これは無意識と環象との融合の体験であり、レヴィ・ブリュールのいう神秘的分有の経験であったと語っている。」
「十二才の時には三才になっていた。この頃から神経症を一つの秘密としてもつようになった。一八九九年の二十四才の夏には、知り合いの家庭の十五才の少女を霊媒として、その妹や友人たちの仲間に加わり、交霊現象の実験に興じ、テーブル・ラッピングの超理性的音響現象を経験し、交霊状態(トランス)にあっては覚醒時とは異なる能力が発揮されることを承認した。この記録は、後に卒業時の論文として発表された。この少女は後に霊媒として有名になったばかりではなく、デザイナーとしても成功したが、二十六才で死亡したという。」
このようなユングの精神のゆれは、ユングの妹からの顕著な影響によるのかどうかは別にして、事実として妹が生まれてから発生していることがわかる。ユングの母の三、四才頃の不在の影響についてはユングの母の兄弟姉妹関係が「母方に六人の牧師がいる」ことしか記述がなく不明なので省察を避ける。母親の兄弟姉妹関係から主に成立した性格の傾向が子供にとって受けいれがたいものであったならば、そのことはユングにおおきな影響を与えたと私は考える。このことをぬきにした場合ユングにおいては妹が三才になった時から神経症をもつようになっている。フロイトが初期からフォビアをもっていたのとは異なっている。
ユングは九才になるまで一人っ子であったが、九才になった時に妹が生まれた。この兄弟姉妹構成はどのような形で彼の心に影響を与えたのであろうか。兄弟姉妹構成論にあっては兄と妹の関係は権威と従属の関係であるといわれてきた。大人になってからの妹は第二子的な反発性と行動性が中心であるといわれている。それがユングに与えた影響は大きい。しかし九才までの精神形成においては一人っ子として独立的であった。神話の普遍的無意識とはセーラームーンや所有の観念とどのような差異があるのだろうか。フロムやサリヴァンやモンテッソリーニが一人っ子であったこととの差はどのようなものであろうか。フロムの社会的性格の理論は神話の普遍的無意識の観念とよく似たところがある。ところがフロムの心理は外界の社会に向かっているが、ユングの心理は神話という社会的なものと同時に、普遍的無意識という内的なものにも向かってもいる。九才になって妹ができたというだけでそれ程までに内的なもの心理は向かうのだろうか。九才の兄と〇才の妹の関係をそれ程重視する必要があるのだろうか。確かに大きくなっても人は観念で動く。だからそれによってどのような観念がつくられるかということは重要なことであろう。九才におけるフロムの石の体験については下の妹が生まれたことにより自らと妹との人間関係について考え始めただけだととらえることが正しいと私は考える。それを無意識と環象との融合の体験とか、神秘的分有の体験と呼ぶのは、それ以後の超理性的音響現象や、交霊現象を信ずるのと同様に、妹との人間関係が深く関与していると考えられる。その証拠に二十四才の知り合いの家庭の十五才の霊媒の少女は妹と同じく九才下の年下の少女である。女性は社会的なジェンダー(性)としては差別されていたであろうから、もし就職できる看護婦とかの技能を身につけているのではない限り結婚して生きていくしかライフスタイルとしての限界があったであろうから、兄に対する妹としては兄妹関係として兄は妹を従属的に、生きていくのをずっと援助していく存在であらねばならないように社会的に義務づけられていたので、そのような社会的慣習から現在も、当時のスイスでも兄妹の特殊な兄弟関係がつくられるのだと考えても当たっていないとはいえない。サリヴァンやフロムはあくまでも大きくなっても、大きくなるまでもずっと一人っ子であった。そのためにこの二人にとっては兄妹のような体験はなかった。このことは所有の感覚がちゃんと発達し、所有の概念として成立しやすかったといえる。この所有の概念は他人から干渉をうけない権利の主張、他人には干渉しない義務を要求する主張等を含みそれは空間の所有であるとともに、おもちゃ等の物の所有の観念を概念化したものであっただろう。これとは対象的にユングにおいては所有の感覚はどのようになったのだろうか。このことを考えるほうが、普遍的無意識とか、分有とかいうよりもずっと現実を理解できる。という理由は妹が生まれることによって家族が増えればどのような子供も様々な人間関係を体験するようになるのは当然である。それを神とか分有とかいうのは神を信じる人のみであり、そうではない家庭もあるのであり、そうなるとその考えはキリスト教的社会においてのみのことだったということになりかねない。しかし〇から三才の間の赤ん坊はかわいくて仕方のないくらいのほっぺをしていたという現実こそがそこにはあったのではなかろうか。三才までの妹については従属的な所有物として妹をとらえていたように私には感じる。しかし、三才から四才くらいになった時点で十二才になったユングにとって妹も、一人前の所有を要求する「活発で、敵対的な一人の人間、それも社会的ジェンダーとしての女」の妹になったのではなかろうか。それをユングは神経症と自覚した。それは妹という一人前の所有を欲求する人間との人間関係のことでしかなかったのではなかろうか。人間は平均的には兄弟姉妹は三年おきぐらいに生まれる。一度に小鳥たちのように五人生まれ、五つ子というケースはまれであるので、ユングのケースは普通の人間関係の問題としてとらえる方が正しいのではなかろうか。五つ子の場合にはおそらく平等な所有という観念が早期に発達し、三才くらいになるまでにその観念は定着してしまうと考えられる。一方四人兄姉の末っ子であったデュルケームや、姉二人の末っ子であったカール・ホッパーのケース等についても研究することは面白い結果を生むと考えられる。〇才から三才までの一人っ子について深く研究するのにこのような他のケースとの比較においてその様な兄弟姉妹関係の存在しないケースであるとしてとらえることもまた、一つの方法であろうが、〇才から三才までの間一人っ子であるが後に兄弟姉妹関係の生まれるケースをも含めて一人っ子として十分に観察することはこの研究の出発点にもなる。これまでの説明から〇才から三才の間に弟や妹が生まれた場合や、双生児であったり五つ子であったりした場合でも、所有の観念等の発達に関しては他の下の年令の子供をほとんど動けない物的な生物としてしかとらえていないようであるので、その場合も含めて考察してよいように考えられる。
私の娘のさちこの例でいえば、先に述べた他の家のほぼ同年令のえりちゃんとの自転車の奪い合いについて考えてみよう。私の家は道路に出て乗り回すと自動車の通行が多くて危ないので、自転車を買い与えていない。えりちゃんの家では駐車場になっている広い部分があるので、買い与えているのである。このような奪い合いのケースは砂場においても頻繁にみられる。ところがまたこれとよく似たケースではぶらんこの順番や、シーソーの順番や、すべり台の順番を争うというケースが見られる。自転車や、砂場のおもちゃの奪い合い等に所有の観念や、共有の観念が見られその研究こそ社会的な人間関係の研究そのものとなる。
おもちゃと遊び
現在では、ほぼ大人の生活の状態を再現し尽くすだけのおもちゃが売りに出ている。この遊びのなかで子供は大人の生活をおもちゃのなかで再現できる。レジ、サイフ、お金の全種類、赤ちゃん、ほ乳びん、おむつ、ベビーカー、パジャマ、台所用具一式その他すべての大人の生活に必要なものがおもちゃとして売られている。逆にすべての大人の生活のなかの物がおもちゃになる。おもちゃ会社はそうするし、子供はそれで勉強する。本当の赤ちゃんはさわれないけれども、おもちゃの赤ちゃんはさわれる。
第五章 〇才から三才までの基礎自我の形成
第一節
第一命題 〇才から三才までの間に基礎自我が形成される。これは一生変容しにくい。
第二命題 〇才から三才までの間に兄や姉が多数いた場合には依存的になり易い性格の傾向がある。
第三命題 〇才から三才までの間に異母兄姉や異父兄姉がいた場合には、〇才から三才までの間でも所有の観念の形成やらにおいて残酷になる性格の性向がある。
第四命題 基礎自我はその後の弟妹の成立により第二命題の依存性は軟らいだり、依存性の政治、経済、倫理、道徳、哲学が形成される傾向にあるが、末っ子の場合は依存性のままである。
第五命題 一人っ子の場合には、〇才から三才までもそれ以後も基礎自我は独立的、自由的で変化はしないが、両親が自由で独立的な場合にはそれが維持されるが、そうでない場合は基礎自我は様々な形態をとる。それ は両親との関係による。それはほとんど依存性とは関係ない。
第六命題 〇才から三才まで一人っ子であったと思われる人間に妹や弟ができた場合には弟妹の数にもよるが新しい自我の形成に失敗することが起こりうる。
〇才から三才までの間に同年令の子が五人いた場合どのような性格形成となるであろうか。
また、〇才から三才までの間に施設の人に育てられた場合の性格形成はどのようになるのだろうか。
この二つはこのベイスセルフ理論が正しいかどうかを証明する一つの証拠となるであろう。このようなことは学校においても適用できるものである。学校においては五つ子のように同年令の何百人の生徒が集まるし、また、施設の親と同じように他人の育てた(他人の産んだ)子供を育てるのであるから、この基礎自己を知って教育することは大切であるし、学校教育にもその他の教育にも非常に有用であることがわかる。その他の職場や政治その他あらゆる大人社会の人間関係や、結婚生活や、結婚やあらゆる場面にこの基礎自己の理論は応用できかつ有用に使用できると考えられる。
「三つ子の魂百まで」がなぜ兄弟姉妹の人間関係においてまず第一の理論となるかといえば、人間は一回に一人しか出産せず、出産の間隔が一年以上であり、そのため兄弟姉妹には長幼があり、兄弟姉妹は〇才から満三才までの間に両親に対する人間関係(この関係は親が思う程には子からみれば対等的関係でない。それは学校教師と生徒達との関係とよく似ている。生徒達は生徒間や、兄弟姉妹関係の同年令や年令の近い子供達により親近感をもっている。)からよりも、兄や姉との人間関係のなかからより多くのものをまず最初に学ぶからである。確かに最終的に何人の兄弟姉妹に囲まれているかということも大切であり、このことが兄弟姉妹関係論の中枢であるように思われがちであるが、そのことをもっと現実に即して考えれば〇才から三才までにどのような兄弟姉妹関係の人間関係であるかということをまず最初に分析し、次に、十四才くらいとか、その他の年令においてどのような兄姉と、弟妹がいるかということを分析していかねばならないということになる。ということは三才以降の兄姉との人間関係は〇才から三才までの人間関係の延長であるということになり、それ以降において弟妹との人間関係が発生するのであるから、基礎的自我のうえに弟妹との人間関係が発生することになる。そしてすべての子供を両親が産みおわった時点において全体で何人の兄弟姉妹との人間関係が経験されるかということが最終的に決定されることになる。もし全体で何人の兄弟姉妹との人間関係が経験されるかということのほうが、性格の形成に与える影響の量が大きいとするのならば、双子やらと五つ子とでは全く相違する性格の形成が行われることになる。双子が兄と妹とで全く相違する性格であったという話はあまりないし、姉と妹、兄と弟でも同様であり、五つ子についても同様のようである。ただし双子と、五つ子では物の共有の仕方や部屋の持分の分けかたも違い同じ広さの家であれば後者の方が一人当たりの分け前は少ないということになる。また後者の方が人間関係の量は多いということになる。一方〇才から三才までの基礎的な自我は同時に全員発達させていくことになり、先に発達した人についていくということは存在しない。一人が三才であれば他の全員が三才である。一人が十四才であれば他の全員が十四才である。基礎的な自我は同時に形成されることになる。
長幼の序列がある場合には先に発達した子供は後で発達してくる子供を教育することがありうるが、〇才から三才までの間は教育されるほうにまわる。その場合は上に何人の兄姉がいるかということが問題になると考えられる。ところが同じその子供が十四才になった時にユングのように妹が生まれる場合があるし、フロイトのようにたくさんの弟や妹が生まれる場合がある。上に何人の兄や妹がいて、下に何人の弟や妹がいて全体として何人の兄弟姉妹がいるかということと、〇才から三才までの基礎的自我形成期において上に兄や姉が何人いるかということとどちらがよりおおきな影響を与えるのかについてそれは〇才から三才までの基礎的自我形成期であるという結論は基礎的自我の変容はあまり大きくはないという仮定をした場合には生ずるが、一方では基礎的自我は十四才くらいになってもそれ以前も以後も容易に変容しうるという考え方を採用するならば、全体として何人の兄弟姉妹の人間関係を経験したかの方がより多くの性格の傾向に影響を与えるということになる。この論争も割合を研究する方が妥当であると考えられる。私としては〇才から三才までの基礎的自我が五割程度全体としての兄弟姉妹の状態が五割程度性格の傾向に影響を与えると考えている。〇才から三才までは全く同じ兄姉の年令と数であった場合に五才で妹や弟が一人できた場合と一生弟も妹もできなかった場合とを考えてみればわかることである。基礎的自我の形成においてはほぼ同じであるのに、妹や弟ができることによってどのように性格の変容がおこるのかを研究することは重要であろうが、その変容の程度、割合も重要であろう。このことは一生一人っ子の場合と、〇才から三才までは一人っ子であっても、それ以降十人もの弟や妹がうまれた場合の性格の変容過程を研究すること同様に重要なことである。一方で姉二人、あるいは兄二人であった場合、その下に妹か弟が生まれた場合でどのように性格の差がでるのか、そしてその性格形成の差は何故におこるのかを研究することも重要である。というのは姉二人の妹と、姉二人の弟との性格の差は大きく兄二人の弟と、兄二人の妹との性格の差は大きいのでその性格の差の生じる理由を考えることは、男女差についての重要な研究が生まれるかもしれない契機が潜んでいるかもしれないからである。これは第一子と、第二子の差、長男的、次男的、長女的、次女的といわれているものとも関係してくる。これらは事例を研究しながら研究されるべきことであると思われるが、それは経験的にではなく理論的に研究されるべきであろう。
まず最初に〇才から三才までの基礎的自我の形成が研究されねばならないのは、例えばフロイトの性格形成に対する異母兄姉の影響を考えていく時には異母兄姉の基礎的自我の形成も考慮されねばならないということであり、また逆に、異母兄姉もその基礎的自我上にフロイトという異母弟の誕生による影響も考えなくてはならないが、しかし、異母兄姉の基礎的自我はすでに形成されてしまっているのであるから、フロイトの方に異母兄姉による性格形成、基礎的自我の形成に当たっての影響は大きかったということになるのである。という事例によっても知ることがきる。ところがユングに見られるように妹の誕生が性格に大きな影響を与えているのをどのようにとらえることができ、基礎的自我とどのような葛藤をしていると考えることがきるのであろうか。基礎的自我と弟や妹の基礎的自我との葛藤のケースは、ずっと一人っ子であった人とユングのように十四才とか、あるいは、四才とかで妹が生まれた人との性格の違いをみてみればわかる可能性がある。フロイトの自我の形成分析において異母兄姉による基礎的自我の形成に与えた影響は残酷性であると考えられるが、妹やらの与えた影響は恐怖症であると考えられる。このようにこれらは全く別の影響を与えられるようである。
ここでフロイトの精神分析を行う。
『世界の名著 フロイト』(中央公論社、昭和四十一年)より、引用してみる。
「一八五六年五月、いまのチェコスロバキアの町プリーボル(当時はフラィベルクと呼ばれた)に、フロイトは生まれた。・・・・父ヤーコブ・フロイト(一八一五〜九六)は当時四一才、母アマーリア(一八三五〜一九三〇)は二十一才であった。アマーリアは、ヤーコブが妻を亡くしての再婚の相手であった。フロイトと先妻の二人の子供たちとの年令の差は大きかった。長男のイマヌエルにはすでに一才になるヨハンネスという男児とその妹のパウリーネとがあった。・・・・・イマヌエルは父ヤーコブの近くに住み、両家族がほとんど同居といってよい状況で幼児の生活を送ったことは、フロイトの生涯にとってはかなり大きい意味をもっていたようにみえる。年長の甥ヨハンネスはフロイトの親しい友であるとともに、激しいけんか相手でもあった。パウリーネはフロイトとヨハンネスとの意地悪遊びの共同戦線の被害者であったばかりでなく、また、フロイトの幼児の性的関心の対象ともなったようにみえる。
フロイトには同腹の五人の妹と二人の弟とがあった。すぐ下の弟ユリウスは彼が満一才にみたないころに生まれた。つづいてアンナ、ローザ、マリー、アドルフィーネおよびパウラと妹が生まれ、最後が男のアレキサンダーであった。この末弟は彼より十才年下であった。・・・・初期の親しい友フリースにあてた手紙によれば、彼(フロイト)は「自分よりも母に親しいものとみえたすぐ下の弟ユリウスに対して、母の愛と乳房を争うもの見出したし、さらにユリウスが生後八カ月で病死した時には、激しい競争者のなくなったときの喜びを体験したと書いている。二才年下のローザの出生によっても、母の愛が分割されるつらい体験をしたにちがいない。・・・・・フロイトが三才のとき、一家はフロイトの実妹の五人の影響については別に考察することにして、ここではおよそ〇才から三才までの間のことを考察する。家庭のなかは愛よりも「けんか相手」の存在する場であった。異母兄としての長男イマヌエルとの「ほとんど同居といってよい状況」は私の分析では、長男イマヌエルとの断絶した兄弟関係があったと思われ、そのことは三才の時の一種のフォビア(恐怖症)を思わせるノイローゼの始まりにつながったと精神的に分析したい。このフォビアは一生彼につきまとったと考えられ、一生それは治らなかったと考えるのは三つ子の魂百までを信ずる者にとってはうなづけることである。彼の理論はすべてそのなかから生まれたと考えられる。彼は一生他の人々の将来の期待と希望をうちくだくことに一生を費やしたように思われる。実際の学校での私の体験では生徒にフロイトの理論を応用した内観法等はすべて生徒の一生を台なしにして、学校をやめさせることにしかつながらない。そのことを銘記しておかないと、マキャベリーがチェーザレ・ボルジアを推奨したようにうけとられるとまた同じ誤解が生まれて、マキャベリズムのような誤解が歴史上伝わってしまう。そこに、フロイトのような残酷性を治療するオプティミスティックな考え方、社会精神医学の必要性が生まれてくる。この社会精神医学は精神医学とは正反対のものである。
残酷性
異母兄姉をもったヒットラーや、チェーザレ・ボルジア、更には異母兄を二人もったフロイトらの残酷性というのは財産の分離の葛藤の起こらないようにするための、分離の峻厳性という政治、経済的な理由からおこるものであると精神分析したい。フロイトについて残酷性ということは現実の政治的残酷さを証拠として挙げているのではなく、ここでは精神分析した結果としての残酷性を述べている。フロイトの場合は〇才から三才までの間に形成される基礎的自我に対して与えられるその後の弟や妹による性格の変容の方が大きいと精神分析できると考える。そのためその残酷性は弟や妹やらによるフォビアや、不安と合体され、不安と残酷、恐怖と残酷との合体物というものを作りだしたと考えられる。峻厳に財産を分離することは多くの痛みを伴う。しかし異母兄姉に対してはそれをすることなくしては生きてはいけないと考えるのが、異母弟である。この考え方は結婚という制度のなかでの財産の共有性は同腹の兄弟姉妹の間では仲良く認めようとするが、異母兄姉とは異母弟の母親は母親が違うということで認めにくいという心理、前の母親の持物である異母兄姉が自分への父親の愛情をそぐかもしれないという不安からも生じてきている。当然に異母兄姉たちとは違った愛情を自分の腹のなかから生まれてきた息子や娘に対してはそそぐと同時に、異母兄姉とからは分離させようとする。当然に父親の遺産分割にあたっては異母兄姉と異母弟との間には分割の紛争がおこるであろうが、その前哨戦がおこなわれているようなものである。小さいのに〇才から三才までの基礎的自我の形成期においてその異母兄姉からの分離の痛みを知ることになるのであると精神分析したい。父親にとっては異母兄姉も、異母弟妹も同じように思えるが、母親にとってはそうではない。これが異母兄姉と異母弟妹との場合には更に大きな困難が伴う。母親にとっては異母兄姉も異母弟妹も同じ様に思えるが、父親にとってはそうではない。母親は愛情によってそれを分けようととするが、父親は財産の分離によってそれをなそうとする。このことはほぼ同じ結果を生むであろう。
ヒットラーの兄姉姉妹
クラス・ぺルチェル(母) ──グスタフ・ヒットラー(一八八五〜六)
───────────────────イーダ・ヒットラー (一八八六〜七)
──アドルフ・ヒットラー(一八八九〜一九四五)
アロイス・シックルグルー・バー(父) ──エドモンド・ヒットラー(弟)(一八九四〜一九〇〇)
──パウラ・ヒットラー(妹)(一八九六生)
────────────────────アワイス・ヒットラー(異母兄)(一八八二生)
───アンジェラ・ヒットラー(異母姉)(一八八三生)
フランチェスカ・メッツェルスベルガー(義母)
from Alan Bullock, Hitler,A Study in Tyranny, Penguin Books,一九九〇.pp,28-29.
「精神医学は人間関係である」という説に関連して
第六章 −人間関係の改善としての精神医学を目指して−
何のための精神医学か。それは戦争等の社会的人間関係の破壊を救うためのサービス業であり、フロイトのいっていることの真反対である。
社会科学と、精神病理学、精神医学、臨床心理学、コンサルティング、発達心理学、教育心理学は密接な関係にある。それは人間関係という一点においてである。
兄弟姉妹構成論によれば、多人数兄弟や、異母兄姉に悪い結論がでるかもしれないが、それは性格の傾向の精神分析であり、そうでないようにすることもできる。従って、よい方向へ進むための指針となること、オプティミステイックにこの精神医学を理解することが大切である。
兄弟姉妹の人間関係による性格形成について考察していけば、兄弟姉妹関係が多かったり、異母兄姉がいたりした場合や、妹の数が多い場合の兄等に特に特徴的な性格傾向を見出しうる場合があったとしても、それはそのような傾向があるといっているにすぎない。もっといえばそれは特性の程度を尺度によってはかろうという理論や、ある環境においてそのような性格の傾向を示す確率的な頻度を示していこうという理論やらで表されているような数的なものである。ある人を対象にして観察すればそのような傾向をもっていたとしても人間は自由をもっているのであるから、それが悪い傾向であればそうではないように「注意」をすることによって自らその傾向をなくしていくことができる。例えば戦争を起こすことが多いような国はそうならないように注意することによって戦争を起こす確率を低くすることができる。それと同じように戦闘的な攻撃を起こしやすいような傾向のある人は、戦闘的な攻撃をおこさないように「注意」すれば攻撃を起こす確率を低くすることができる。道路を歩いていて交通事故にあう確率が一般的に〇.〇〇一%であると仮定した場合、ある人が交通事故にあわなないように道路の外側を歩き、横断歩道でも「注意」してわたるように留意していればその人が交通事故にあう確率が低くなる。この事と性格の傾向論はよく似ている。またすべての人が交通事故にあわないように「注意」していれば、交通事故にあう確率は一般的にいっても低くなる。それと同じく戦争をおこしやすい傾向の国があった場合そのことを注意してやって各国が戦争を起こす可能性が低くなればそれにこしたことはない。また同じく攻撃的な性格傾向をその起こってきた原因とともに指摘できて、それに対して注意させ、そしてその攻撃的な性格の傾向を和らげさせることは社会全体の攻撃的な性向を和らげて、戦争やらのおこる確率を低くすることができる。
人間関係を精神分析の基礎におくという考え方の精神医学においては、最終的に原子化された最小の単位は、二人の人間関係である。いくら多い人間関係であっても二人の人間関係に集約できる。その最小の単位である二人の人間関係であっても社会である。そして多数の人間関係の集合としての社会もこの二人の人間関係に原子化することができる。これまで一人の個人にその最小単位を極小化していた社会学(社会科学)はもう一歩進めて個人と個人との間の人間関係のなかに最小単位を求めるべきであると思われる。二人の人間関係のなかにも国や政府や政治や公という考え方が存在するかもしれないし、共有社会のような多くの兄弟姉妹が生活する家庭生活内においても政治や公という考え方が存在するかもしれない。一人のみの単一人の社会や共有社会でも単一の唯一の独裁社会の理念的類型においては政治も公も存在しないかもしれないが、そうでない場合には政治や公の考え方が存在するであろうと思われる。
兄弟姉妹構成論による性格形成を研究することは身近にも、歴史上にも、あらゆるところにその題材がころがっており、そしてそれによる分析がどんなに偉い人であっても悪い点が探せるという点において、それもヒットラーや、フロイトや、マルクスというように学問領域を越えたところにもその題材がころがっているという条件の下で研究できるという点において利点がある反面、性格とそれからの自由という側面を除いて考えられることはできないという点に欠点が存在する。
性格、性格からの自由、経済資源等による自由の制限。
兄弟姉妹構成論による性格の形成を分析し、悪いと出た性格についても、自由意思によってそうでないように行動できる。これが兄弟姉妹構成論による精神医学がサービス業であったり、公務員としてのサービスであったりして、職業となることができる理由であるが、それは教育と同じように最終的には「貧しさ」による自由になるための経済資源の不足というものにいきつくことがありうる。
ある人が六男坊のゆえに死ぬまでたえず不満を持ちつづけるということは、あたかもいつも続けて人間関係を破壊しつづけているようなものであり、それはいくら平等にしても、いくら大金持ちになっても同じくフォビアを持ち続けるということを示している。それは精神の欠損より生じたものである。
堅い精神というのはそのようななかで、自分に従わない者は、つまり、自分の作った規則に従わない者は、規則違反だという主義である。
妹達の考えるようには、人はスーパーマンではない。従って依存は間違いであり、被依存者を狂わせることがある。これが現代の政治における権威という物の概念を、マキャベリーのいうような相対的なもの、実質的なものに変化させてきている理由であるようだ。完全に賢者もいないし、完全な権力者もいないのが、真実となってマスコミの表面に表れるようになってきた。政治とパーソナリティーの研究はここから必要となってきた。
兄弟姉妹構成論は相当に異なった多くの対立する性格の傾向を浮きぼりにするが、それらの対立はその源泉となったものを明確にすることによってのみ解消できる。
結論
第一命題 〇才から三才までの間に基礎自我が形成される。これは一生変容しにくい。
第二命題 〇才から三才までの間に兄や姉がたくさんいた場合には依存的になり易い性格の傾向がある。
第三命題 〇才から三才までの間に異母兄弟や異父兄弟がいた場合には、〇才から三才までの間でも所有の観念の形成やらにおいて残酷になる性格の傾向がある。
第四命題 基礎自我はその後の弟妹の成立により第二命題の依存性は軟らいだり、依存性の政治、経済、倫理、道徳哲学が形成される傾向にあるが、末っ子の場合は依存性のままである。
第五命題 一人っ子の場合には、〇才から三才までもそれ以後も基礎自我は独立的、自由的で変化はしないが、両親が自由で独立的な場合にはそれが維持されるが、そうでない場合は基礎自我は様々な形態をとる。それはほとんど依存性とは関係がない。
第六命題 〇才から三才まで一人っ子であったと思われる人間に妹や弟ができた場合には弟妹の数にもよるが新しい自我の形成に失敗することがありうる。
〇才から三才までの間に同年令の子が五人いた場合どのような性格の形成となるであろうか。
また、〇才から三才までの間に施設の人に育てられた場合の性格形成はどのようになるのだろうか。
この二つはこのベイスセルフ理論が正しいかどうかを証明する一つの証拠となるであろう。このようなことは学校においても適用できるものである。学校においては五つ子のように同年令の何百人の生徒が集まるし、また、施設の親と同じように他人の育てた(他人の産んだ)子供を育てるのであるから、この基礎自己を知って教育することは大切であるし、学校教育にもその他の教育にも非常に有用であることが分かる。その他の職場や政治その他あらゆる大人社会の人間関係や、結婚生活や、結婚やあらゆる場面にこの基礎自己理論は応用できかつ有用に使用できると考えられる。
「三つ子の魂百まで」がなぜ兄弟姉妹の人間関係においてまず第一の理論となるかといえば、人間は一回に一人しか出産せず、出産の間隔が一年以上であり、そのための兄弟姉妹には長幼があり、兄弟姉妹は〇才から満三才までの間に両親に対する人間関係(この関係は親が思う程には子からみれば対等的関係でない。それは学校教師と生徒達との関係とよく似ている。生徒達は生徒間や、兄弟姉妹間の同年令や年令の近い子供達により親近感をもっている。)からよりも、兄や姉との人間関係のなかからより多くのものをまず最初に学ぶからである。確かに最終的に何人の兄弟姉妹に囲まれているかということも大切であり、このことが兄弟姉妹関係論の中枢でるように思われがちであるが、そのことをもっと現実に即して考えれば〇才から三才までにどのような兄弟姉妹の人間関係であるかということをまず最初に分析し、次に、十四才位とかその他の年令においてどのような兄弟と弟妹がいるかということを分析していかねばならないということになる。ということは三才以降の兄姉との人間関係は〇才から三才までの人間関係の延長であるということになり、それ以降において弟妹との人間関係が発生するのであるから、基礎的自我のうえに弟妹との人間関係が発生することになる。そしてすべての子供を両親が産みおわって時点において全体で何人の兄姉姉妹との人間関係が経験されるかということが最終的に決定されることになる。もし全体で何人の兄弟姉妹との人間関係が経験されるかということの方が、性格の形成に与える影響の量は大きいとするならば、双子やらと五つ子とでは全く相違する性格の形成が行われることになる。双子が兄と妹とで全く相違する性格であったという話はあまりないし、姉と妹、兄と弟でも同様であり、五つ子についても同様のようである。ただし双子と、五つ子では物の共有の仕方や部屋の持分の分け方も違い同じ広さの家であれば後者の方が一人あたりの分け前は少ないということになる。また後者の方が人間関係の量は多いということになる。一方〇才から三才までの基礎的な自我の同時ん全員発達させていくことになり、さきに発達した人についていくということは存在しない。一人が三才であれば他の全員が三才である。一人が十四才であれば他の全員が十四才である。基礎的な自我は同時に形成されることになる。
長幼の序列がある場合には先に発達した子供は後で発達してくる子供を教育することがありうるが、〇才から三才までの間は教育されるほうにまわる。その場合は上に何人の兄姉がいるかということが問題になると考えられる。ところが同じその子供が十四才になった時にユングのように妹が生まれる場合があるし、フロイトのようにたくさんの弟や妹が生まれる場合がある。上に何人の兄や妹がいて、下に何人の弟や妹がいて全体として何人の兄弟姉妹がいるかということと、〇才から三才までの基礎的自我形成期において上に兄や姉が何人いるかということとどちらがよいおおきな影響を与えるかのかについてそれは〇才から三才までの基礎的自我の変容はあまり大きくはないという仮定をした場合に生ずるが、一方では基礎的自我は十四才くらいになってもそれ以前も以後も容易に変容しうるという考え方を採用するならば、全体として何人の兄弟姉妹の人間関係を経験したかの方がより多くの性格の傾向に影響を与えるということになる。この論争も割合を研究する方が妥当であると考えられる。私としては〇才から三才までの基礎的自我が五割程度全体としての兄弟姉妹の状態が五割程度の傾向に影響を与えると考えている。〇才から三才までは全く同じ兄姉の年令と数であった場合に五才で妹や弟が一人でできた場合と一生弟も妹もできなかった場合とを考えてみればわかることである。基礎的自我の形成においてはほぼ同じであるのに、妹や弟ができることによってどのように性格の変容がおこるのかを研究することは重要であろうが、その変容の程度、割合も重要であろう。。このことは一生一人っ子の場合と、〇才から三才までは一人っ子であっても、それ以降十人もの弟や妹がうまれた場合の性格の変容過程を研究すること同様に重要なことである。一方で姉二人、あるいは兄二人であった場合、その下に妹か弟が生まれた場合でどのように性格の差がでるのか、そしてその性格形成の差は何時におこるのかを研究することも重要である。というのは姉二人の妹と、姉二人の弟との性格の差は大きく兄二人の弟と、兄二人の妹との性格の差は大きいのでその性格の差の生じる理由を考えることは、男女差についての重要な研究が生まれるかもしれない契機が潜んでいるかもしれないからである。これは第一子と、第二子の差、長男的、次男的、長女的、次女的といわれているものとも関係してくる。これらは事例を研究しながら研究されるべきことであると思われるが、それは経験的にではなく理論的に研究されるべきでろう。
まず最初に〇才から三才までの基礎的自我の形成が研究されねばならないのは、例えばフロイトの性格形成に対する異母兄姉の影響を考えていく時には異母兄姉の基礎的自我の形成も考慮されねばならないということであり、また逆に、異母兄姉もその基礎的自我上にフロイトという異母弟の誕生による影響も考えなくてはならないが、しかし、異母兄姉の基礎的自我はすでに形成されてしまっているのであるから、フロイトの方に異母兄姉による性格形成、基礎的自我の形成に当たっての影響は大きかったということになるのであ。という事例によっても知ることがきる。ところがユングに見られるように妹の誕生が性格に大きな影響を与えているのをどのようにとらえることができ、基礎的自我とどのような葛藤をしていると考えることがきるのであろうか。基礎的自我との葛藤のケースは、ずっと一人っ子であった人とユングのように十四才とか、あるいは、四才とかで妹が生まれた人との性格の違いをみてみればわかる可能性がある。フロイトの自我の形成分析において異母兄姉による基礎的自我の形成に与えた影響は残酷生であると考えられるが、妹やらの与えた影響は恐怖症であると考えられる。このようにこれらは全く別の影響を与えられるようである。
スターリン論争について
ボリス・スヴァーソン「スターリン−ボルシェビキ党概史−〕(江原順訳)(教育社、一九八九)(一七〜二二頁)「原著:BorisSouvarine,Staline,Aperu Historique du Bolchvisme,(paris, ).
によると、「スターリン、・・・・は、一八七九年に、グルジアのゴリで生まれた。・・・・スターリンの父ヴィサリオンは、祖父同様農民だったが、・・・・副業をもっていた。・・・・靴屋を副業にするこの農民は一一才のひとり子をのこして死んだ。三人子供がいたが、この子が生まれる前に死んだ。・・・・母親エカテリナは一人息子を可愛がり、教師にするつもりで、ゴリの神学校にいれた。・・・・・小学校教育程度の読書が彼に初歩的な文化を教えた。・・・・・この点で、スターリンは近代の卓越したどの革命家にも似ていない。・・・・・だがある時から、クロムウェルが聖書しか読まなかったように、─────彼は、あらゆる状況でレーニンを引用してしか、話も書きもしなくなる────唯一の著作、「レーニン著作集」五十巻だけで勉強したようにみえる。・・・
一人っ子であった、いや育ったといった方が正しいが、スターリンが社会主義者となったことについては、これまでおよびこれからの議論と矛盾するので、これをどのように精神分析するとよいのであろうか。一人っ子であって社会主義者となった例は日本においては美濃部亮吉元東京都知事の例が見受けられる。また伊藤博文や、フランクリン・ルーズベルトも一人っ子であったという事例が発見できる。美濃部氏の場合はマルクス・レーニン主義の経済学の研究が最も進んでいた東京大学経済学部においての研究が社会、共産主義の方へと向かわしめたと分析できる。従ってスターリンの場合にはレーニンの勉強が唯一絶対的に彼の地位を高からしめ、レーニンの後を継いだことが彼を不幸に走らせた。レーニンの社会主義をスターリンは心の底から理解してはいなかったと精神分析できる。美濃部亮吉氏にしても社会、共産主義を理解していなかったのであるが、その主義を丸暗記していたのであり、その丸暗記と合致しない者についてスターリンは粛正し、美濃部亮吉氏は敵とみなすことをのみ学習した。マルクスや、レーニンについて真に学習して書物を書いていた人が少なかったことは、講座派のマルクス・レーニン主義者は一般の人には理解できない言葉を使うことをもってよしとしていたことによって学問というものをそのようなものとして、つまり、マルクスやレーニンという学者が存在する。それを解釈するのが学問であるとしていたことによっても類推することはできるが、本当はそうではなかったのかもしれない。これに対する批判は「学術論文の作法」のなかにみられる。スターリンは党の会計について秀れた分析力を持っており、美濃部亮吉氏が都の財政について秀れた分析力を持っていたことは認められるが、これは所有を愛する一人っ子に特徴的な分析力であるといえる。つまりある一つの所有のなかにはいってくるもの(収入)と、出ていくもの(費用)とを計算する能力である。ところがそれを社会主義や社会全体のなかで位置付ける能力には欠けていたように思われる。マルクス・レーニン主義のなかには批判を許さないという側面を精神分析することができる。従って共有主義の社会のなかにおいてどのようにして商業を位置付けるのか等様々な問題が残っていたはずであるが、そのような「当然の疑問」についての批判は一切許されなかったのである。マルクス主義経済学において流通をどのように位置付けるのかは今もって大問題となっている。マルクス・レーニン主義をそのまま実践したスターリンにとって血の粛正は、社会的精神医学を分からないまま、主義を信奉したのであったから当然の帰結であった。しかしそれは許されることではなかった。革命の初期にはこのように東京革新都政を革命ととらえるならば美濃部亮吉氏や、日本の明治維新を革命ととらえるならば伊藤博文や、マルクス・レーニン主義の革命の初期のソ連においてはスターリンやアメリカが自由主義の終焉を迎えたニューディールの時代には、会計の才、財政の才に丈た人物が技術官僚として抜擢されることはありうるが、それは技術を見込まれてであり、思想によってではなかったと考えられ、精神分析できる。
第七章 兄弟姉妹の人間関係論を学術的にするために
公民教育や、社会科教育と発達心理、例えば公徳心の発達心理等を研究する場合に、学校や、社会等にあらわれる個人の家庭における兄弟姉妹の人間関係を最初に考えていこうとすることは、個人を全く平等に取り扱う方法とは方法論的に異なっている。個人のなかに性格の傾向をみつけだしていこうとする方法論である。「学術論文の作法」によれば学術性は実証性や、論理性の吟味のなかにみいだされなくてはならないということである。兄弟関係論においてはこれまであまり学術性の認められないような論文が多かったと批判があるかもしれない。兄弟姉妹の人間関係の議論は互いに兄弟姉妹がいがみあっている例や、仲良くやっている例等様々であるが、その解釈と評価はまずは経験的なものとならざるをえない。この点で終わっている部分についてはこれから学術性を増すための導入と思ってお許し願いたい。一方ではとてつもなく依存心の強い人からみれば、ちょっとでも独立心の強い人が、その人を依存させないような態度を示したりすると、ほかの人が普通の独立的である人であるとしても、その人はそれは悪い人だということになってしまう。このように見る人によって違ってくるという性格をもつのが、性格論の特徴である。このようなものの見方による偏りをなくして、独立的である普通の人の立場から語るのが学術性がある書き方であるといえると考えられる。例えば五十人の生徒がいてもある五男坊の生徒のみに特徴的に、性的な感覚が強かったということがあったがその見方のみから人間の性格をみることは、実体験からいえば普通の見方ではなくなってしまうと考えられる。性的な感覚とは性的な依存性といいかえられると考えられるものであるが。このように兄弟姉妹関係論による性格の形成論や、性格の傾向論についてはこのような見方の違いが大きく影響を与える場合があり、逆からいえばそれこそ性格の形成を根本から問いなおすという意味では性格論の客観化につながるものと考えられる。
三つ子の魂百までとか、長男的性格とか、一人っ子的性格とか、次男的性格とか、六男的性格とかいうようなものをすべて学術的に再定義しなおし、一般的に皆がこうではないかと思っていることの学術化に挑戦するということは、そのような民間的な伝承や、直観的基礎があるからこそ重要な作業であると考えるものである。
学問的引用について
人間の性格形成が兄弟姉妹の人間関係に大きく影響されていることがもし真実だということに賛同してくださるならば、私のように高等学校の担任教諭として生徒の家族調査表によって得た兄弟姉妹関係と性格の傾向とが相当に関連性があるということの実体験がない人であっても、歴史上の様々な人々の伝記が残っていればそれによって精神分析することができるようになるはずである。著名な人々の伝記には必ずといってよい程兄弟姉妹の人間関係の記述が見受けられる。この場合、最も権威のある伝記のなかからその兄弟姉妹の人間関係を引きだすにあたって兄弟姉妹の数等男女の構成比等は、学問的には翻訳からの引用でまにあわせることにする。というのはその引用が間違っていることはほぼ百パーセントありえないからであり、批判にも耐えうると思われるからである。
すべての人はおぼろげながら兄弟姉妹の人間関係が性格の傾向を形成しているらしいことを知ってはいたが、しかし、なぜ、どのような性格を、性格に対して与えるのかを科学的には知らなかった。そしてそのために誤った考え方さえ世間には流布してしまっている可能性もある。「三つ子の魂百まで」という諺もひょっとしたら誤っているかもしれないし、また、長男的、次男的性格というような言い方も誤っているのかもしれない。また一姫二太郎ということばが一番目の子供が女の子で、次の子が男の子という意味なのかも明白ではない。しかしそのようなことばがあることも事実であり、それは否定できることではない。
子供は子供時代は家庭の外の世界で物を所有することはできない。家庭のなかにおいて自らの生活する場所を求める(所有する)のみである。このことは子供が家庭のなかでのみ経済的、政治的、社会的生活を経験できることをあらわしている。
学問においてはリビドーのような言葉を発明し、それによって兄弟姉妹の人間関係を説明しなければ学問的ではないという風潮が存在する。家庭内の兄弟姉妹関係においては確かに力動的である。長女、次女、長男、次男の四人の兄弟姉妹がいる場合には長女はプラスの力を持ち、次女はその反対の力を持ち、その次の長男はその両者の中間であり、末っ子はそれなりの方向を示す。
兄弟姉妹の人間関係の他の人間関係との違いと特殊性は、兄弟姉妹は全体として両親に対抗して「一個の生産共同体や、消費の共同体や、運命共同体を形成し、両親から捨てられれば全体として捨てられるし、両親が動物のエサを与えるのと同じ意味を持つ給与から生じる食料、衣料、住居を与えてくれなければ、全体として窮乏して食料や衣料や住居がなくなる」という共同性をもっていることである。確かに両親からみればどれか一人の子供を重視して他の子供を重視しないということがありうるかもしれないが、また、子供のうち一人や二人を養子に出すということはありうることかもしれないがそれは全体としての共同性を打ち砕くものではない。両親と子供達の兄弟姉妹とは同じ家庭のなかにありながら全く相違する人間関係のなかで生活している。
兄弟関係論が最も性格に影響するのは、自分が満足すれば社会のことなどどうでもよしとし守勢にまわり、しかし次に兄弟姉妹が全員満足すればそれ以外の人々のことはどうでもよしとし、但しそれは両親から生活物資をもらっている場合であり、もし両親が非常に裕福で生活するに困らない場合は兄弟姉妹が満足すればそれでよしとするのであるが、もし両親が育ててくれた後で食う物、生活する物がなくなっていれば(このケースはまれとしてとりあげない)、兄弟姉妹が満足すると同時に両親が満足すればよしとし、それ以外の社会の人々がそれでも貧しい場合には、一人っ子の場合には、家なき子を自分の家に泊めれば泥棒されるかもしれないというような守勢の(保守とは違うが)感情が発生し、それでも裕福な場合で自分に害が及ばない場合のみは、社会に対して目が向くという理由による。これを人間の遺伝子の本性だと考えるものがあるかもしれないが、本当は社会的な物であろう。なぜならば全社会の人が全員平等ならそのようなことはおこらないからである。
我々は兄弟の体系のなかに満足の体系を持っており、それ以外の人々が満足していなくても兄弟全員がまずは満足していれば安心し、次に他の人々が満足することを求める。例えば大地震が起きた時、まず家族は大丈夫かと聞く。父母は大丈夫か、兄弟姉妹は大丈夫かと聞く。次に全員が大丈夫かと他の家族のことを聞く。
父母に生計をすべて兄弟姉妹はおっているけれども、その生計を大きくすることは兄弟姉妹はできない。それは会社の従業員が会社が経済情勢が悪くなり倒産しそうな時にどうにもできないのとよく似ている。兄弟姉妹は会社の従業員とよく似ている。父母からたくさんおこずかいをもらうのを要求したり、その量が全体として決まっている場合には兄弟姉妹のなかで自らに多くなるようにと、自由に要求するが、そこには規範と規制とがあり、全員が満足するように平等性を重んじるようになり、かつ、権利というものを認識するようになる。自由権や、所有権や、共有権(共有物)やら義務やらの観念がそこから生まれてくる。そのような様々な兄弟姉妹体験は、父母との間で多く要求する体験とは全く違うものである。父母から多くをもらう要求はただ単に要求であり、政治的なものではない。それは依存であって、それは子供にとっては正当なものである。しかし兄弟姉妹に対する依存は子供にとって正当なものといえるであろうか。この点の分析が大切である。兄弟姉妹の数が多くなると兄弟姉妹に依存することが多くなるが、これが大人になっても依存心の強い大人に発展していくことがありうるし、逆に一人っ子の場合、独立心と自由心を自ら体得していくという結果になる。これは傾向の問題である。
母親のうちにある、あるいは父親にある兄弟構成からくる傾向が七割を占めているならば、母(父)子関係も七割が兄弟構成によって理解できることになり、祖父母子関係も友人関係も同じことになり、その他の関係も同じことになり、ある人の純粋な自分との兄弟関係による説明可能範囲が七割ということは、その他の三割のうち七割がまた兄弟関係ということになり、幾何級数的にその説明割合が上がることになる。そのほかの部分は社会的制度等による説明ということになる。これはドゥウォーキンによる平等の配慮と同じような性質の、精神医学における基本的な原理は母子関係を説明するときにも、国家を説明するときにも、母と子の兄弟を調べなくてはならない。国家も家族の兄弟を調べなくてはならないということ、つまり兄弟姉妹が平等と同じく見えるものではあるが、基本的な原理であることを示している。
第八章 性格を見る立場の独立性について
ものの見方はあらゆる学問の出発点であり方法論といってもいい。特に兄弟姉妹の人間関係をみる場合には注意しなくてはならないのが人間関係の見方である。教師が生徒を見る時にも、親が子を見る時にも、兄弟姉妹が他の兄弟姉妹をみる時にも、自分を補完するような人をいい人とみがちである。依存的な人は自分を補完してくれる人のみをいい人とみて、他の人々は心のなかでは抹殺してしまうクセがあるかもしれない。そういうようにみている多くの人々を知っているし、フロイトもそうであったのかもしれない。独立的で、学問的見方の人はそうではないのかもしれない。親が依存的であった場合には子供が独立的であれば子供はよくは見えないであろうから、親と子が水と油ということは法的にも、心理学的にもありうることである。
忠や孝は大切であったとしてもこのような場合、それを客観的に学問的に分析することが必要である。ある人の性格の傾向を客観的、学問的に分析するためには例えば自らが貧しかったとか、自らが嫉妬しているとか、自らがひがんでいるとか、自らが顔が悪いと劣等感を持っているとか、自らが不安であって偉大な存在を補完的に求めているとかいうような自らの立場を捨てなくてはならない。例えばフロイトがいつも「ひがみ、嫉妬のために毎日倒すべき(心のなかで抹殺すべき)相手のタイプの性格を毎日毎日日記につけているような人物」であったとしたら、その人によって作られた精神医学はそのような立場の人のものの見方からのみ作られたものとなる。マルクスのいう科学主義もそのようなものであったのだと仮定したら彼らのいう科学主義とは、マクルーハンが情報社会をみていっている時の活字主義となってしまっていたということはできないであろうか。このようなことをなくしていくことは学問の仕事である。より現在に近い学問が作られていかねばならないと思われる。ウッドロー・ウィルソンという元アメリカ合衆国の大統領で政治学者であった人を、フロイトとブリッドが分析するにあたって、フロイトが自らの「偏見」を暴露しているが、自らが反政治という立場を表明してから分析するのならば政治という存在はあることは確かであるので自らの無理なものの見方からの分析ということになるのかもしない。このようなある立場のみからでない精神医学や性格学こそは真の性格学ということになる。資本家に対する嫉妬から生じた心の分析をしなければならないのが学問であるはずなのに、嫉妬のみからのものの見方の人が、政治や政治学を論じ、実行したとしたら更に恐ろしいことになるのとよく似たことであろう。
性格の傾向や、性格の発達を研究するにあたってのこのものの見方の重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはない。それは書かれたもののみが客観的といえるのではないことは、東西冷戦の終結によりマルクスらの科学性が、書かれていたにもかかわらず、疑われてきているのに似ている。もちろん学問は書かれて、文字、文章によって表現されるべきではあるが、そう表現されたらそれがすべて正しいと信じるわけにはいかないし、たえず分析され現実との適合性、レリバンシーが問われなくてはならない。この場合のものの見方において客観性や、学問性を失わせてきた可能性のあるものの見方について二つのものを指摘できると考えられる。その一つ目はものの見方としての依存性である。依存性のある人から見れば、相手が自分を依存させてくれる人、つまり、相手に思いやりとか、自分に金とかの寄付とかしてくれる気前のよさとかを求めて、思いやりのある社会や、人を、よいとする。金とかの寄付というものの見方は第二のものの見方として自分に利益をタダで与えてくれる人がいい人という見方を思い出すことができる。これによって世の中を分析すれば思いやりのある社会、つまり、ユートピアのような社会が理想ということになり、その他の社会や、人は抹殺すべき悪い社会ということになる。この考え方は非常に根強く存在し続けており、独立的に客観的に学問的にそのような依存的な性格を分析することを依存的な人を悪く評価することであると批判して拒否する。このような依存性を客観的に、独立した目により、学問的に分析することから学問的なものの見方は始まるといえる。第二のものの見方である自分に利益をただで与えてくれる人がよい人格であるという他人の性格の見方も思いやりのあるユートピア社会と同じ依存的な社会を目標とするイデオロギーに満ちたものの見方であると思われ、この見方も依存性からみたものの見方とほぼ同じ結果を生み出す。
そうであるならば、客観的、学問的な性格の見方というものは独立的ということばに尽きるのかというと、そうではなくてさまざまな要素が考えられる。現実とのレリバンシーを常に持ち続けていること等は先に述べたとおり必要なことであるが、学問以外からのどのような圧迫にも屈しない態度も必要である。学問研究を客観的に行うという作業には依存性の側やらから必ず強い圧力が行われる。なぜなら依存性のなかみを分析すれば強い圧力を行うということも、依存性の本質的なものの一つであるからだ。しかし依存性の性質のなかにそのような強い圧力を生む力が内在していることを示すことはまさに学問的叙述である。学問的叙述とはあらゆる現象を叙述し、客観的に「誰がみても分かる形式で」評価するということである。ある依存的な人たちのみに通用するように、そのような評価のみを、そのような形式でのみ叙述することではない。このことは重要でありこれまで分派的にある学派内でのみ通用する仕方で、自分の利益になる形で、依存的な人たちに有利になる形でのみ、叙述されてきたことは、国家の理論における様々な説というのとは違って、性格学や、精神医学の場合にはある人の状態を全く正反対にいいとか、悪いとかをいってしまうことになるので、学問そのものの根幹をうちくずすことになりかねない。性格論、発達心理学、精神医学における学派の違いはそのような恐ろしい結果を生み出すことになるゆえに、特にものの見方が学問的、客観的である必要が生ずるのである。学校の教員は様々な生徒をみているのであるが、そこにおいても学問的な性格の見方を定着させることは大切なことであり、フロイトの性格が「毎日ひがみのために抹殺すべき性格の人々を日記につけているような人の性格」であったら恐ろしいことになると考えた人がいたこともあたっていないことを望むのみということになる。
学問的なものの見方を身に付けることはそのようなものの見方、性格の見方がどのようにしておこってきたのかということについて研究する必要がある。その人が依存性とかのゆえに自らの利益になる「思いやりのある社会や、人がいい」といっているということに論駁する時に、それを社会的・・・の価値判断と呼ぶかどうかは別としても、その価値判断のようなものを論理的、学問的に論ずるにはその方法しか残っていないからである。依存性からみた性格の見方がよくない、悪いという表現をあえて他のいい方がないので使うとすれば、依存性から性格をみる人々はそれも価値判断のようなものだ、一人にしておいてくれといって先の強い圧力と同じような仕方で迫ってくるかもしれない。しかしそれはそれとして叙述するしか方法はない。独立した学問的なものの見方を依存性からのものの見方によって「思いやりのない、悪い性格」といってきたとしても、それはそれで価値判断のようなものを含んでいるとして受け入れて、そのいってきたことを分析すればよいことであり、依存性のあるものの見方をする人は、独立性のある人々のものの見方を客観的に、学問的に分析していけばよいのであるが、依存性のある性格の見方をする人は独立性のある人々を思いやりのない、ユートピアの分からない人といって「心のなかで抹殺」するのみで、その分析を行ないえないのではなかろうか。もし分析を行ないえるとすれば独立性のある人々を抹殺せずに、依存性のある人になりなさいという論説を唱えるであろうが、そうではなくて抹殺するのみである。逆に独立性のあるものの見方の人は依存性のある人を客観的、学問的に分析するのである。依存性のある人が独立性をもつようにとはいわないようにした方がいいのかどうかは哲学上の問題となる。
学問的なものの見方はイデオロギーから独立していることであるのか、イデオロギーのなかにどっぷりとつかっていることであろうか。人間は本当にイデオロギーから完全に独立することができるのであろうか。右翼、国家主義、共産主義、社会主義、左翼というようなイデオロギーから真の自由になることができるのであろうか。学問の独立ということばは達成できるのであろうか。数学のようにすべてを量的なものに還元すればそれ程に質的なものと量的なものを緻密に計算していけば政治的イデオロギーから独立し、政治的イデオロギーの存在しない学問的なものの見方となるのであろうか。少なくともここでいうものの見方、性格の見方というのは、自らのものを見る立場によって同じ他人の性格は相違するのであるといっているのであって、その限りにおいては性格の見方は客観的であり、自らの立場のみからみてはいけない。様々な他の性格との比較(他の同じような性格の人々からのみを集めてその人々から見た性格であってはならず、他の様々な相違する性格の人々から見た性格の比較)が必要であり、それによって学問的な立場が堅持されるといいうるのである。それは政権がソ連におけるように共産党によって運営されている時であっても、民主党によって運営されている時であっても、民主党によって運営されている時であっても、日本において自由民主党によって運営されている時であっても、その他の政党によって運営されている時であっても、また、独立的な人から見た時であっても、依存的な人から見た時であっても同じような結果がでるような性格論を作らなくてはならないということである。
各人が目指し、ユートピアと考えている人間関係は相違しているのであるから、そのような性格論はできるはずはないという主張がまたしても考えられうる。それは環境として各人がユートピアとして望んでいるものは何かということによって左右されるのだという考え方もある。この考え方にすれば、いい人間関係とは片方が完全に赤ん坊のように依存されている関係であって、相互に独立した自由人同志の関係はいい人間関係ではないのだという考え方と、逆に前者のような共産主義国家における国家と、それに盲目的に服従する人々との関係のような人間関係は悪い人間関係なのであって、後者のようなあたかも自由主義社会における国家と国民のような関係がいい人間関係なのであるという考え方とは、この二つの考え方の相違はユートピアの見方によって相違するのであって両者の間の決着は不可能であるという主張である。この考え方によれば人間関係論の立場にたったとしてもいい人間関係という規定を成立させることはできないことになる。前者の依存している人は自発性や、自立性の全く存在しない人であるが、その成立がどのような理由によるものであってもそれはそれで正しいものであり、そのような人こそすべての他の人々を精神病といって回る傾向があったとした場合には、これはまたどうしたらいいのかと回りのすべての人が参ってしまうという事態になっているとある学者が判断した場合には、どのような学問的な立場をとるべきであろうか。またその場合、依存的な人々は特に「沈黙は金」という諺によってものをいう表現の自由を押さえつけているというようにその学者がとらえた場合には、どのような学問的立場をとるべきであろうか。「沈黙は金か、雄弁は金か」という道徳上の論争を彼にしかけるべきであろうか、そのような方法は一切何の結論も導きだせないであろう。それはまた環境というユートピア論争に終結するからである。私はこのユートピアを主張するといわれれば、逆にこの私は独立した自由人のユートピアを主張しているのだというしかなく、相手も相互にそれはイデオロギーだといいあうしか方法がないからである。
雄弁は金という人間関係をとるのか、沈黙は金という依存しあって何もいう必要のない社会をとるのかということになる。依存性で隠れたすべてのもの、雄弁や、その他すべてのもの、自発性や自律性をとりもどすことは大層な痛みを伴うことは土居健郎氏の「甘えの構造」を持ち出すまでもない自明のことであるし、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を持ち出すまでもなく市井一般の人々が知っていることである。
この二つは共に自由で、自律することの痛みについて述べている点において日本と、ドイツの相違する国について述べてはいるが共通した点のある性格(フロムの場合社会的性格・(人間関係的性格))の把握の仕方をとっている。人間関係をみる時にこのような見方はどのような点において学問的といえるのであろうか。自由で自律性のある独立した性格の人の人間関係をたたえている点においてそうであるといえるのであろうか。土居氏の場合は日本人の病理をとらえているとしても、フロムのようにそれを積極的に批判しているのではない点においてことなっている。フロムのように日本人の外に移ることはできず、東大の精神医学の立場というエスタブリッシュメントにいる以上はそれができなかったのだととらえることができると思われる。フロイトにしても学問というエスタブリッシュメントに固執する以上その時代の時代的風潮に逆らうことは経済的生活を不可能にするものであったと考えられる。この時代的風潮とは以後に深く考察すべき課題だと思っている。ここではまだ明らかにしない。フロムも土居氏も以上のような学問的成果をあげたと考えられている点について更に深く考察し、イデオロギーというユートピア上の相違についてもう一度深く考え直されるべきである。それは性格の見方と環境のユートピアというものとの関係についてである。フロムの見方は確かに客観的で、学問的であるように思われる。ところがドイツのネオ・ナチズムや、ネオ・ファシストのような人々は今でもファシズムの時代がよかったと考えているのであるからそのような人々にとってはフロムの考え方は自由や自律性を要求する大きなお世話だということになるのである。ファシズムの時代の国家と国民の関係、人間関係においても依存と、依存されている関係の方がよかったと考えているのである。第二次世界大戦直後から現在まで約半世紀、それも現在の冷戦終了後の世界の情熱は政治的情勢を大きく変化させた。自由化のためのイデオローグであったハイエクや、フリードマンやらは時代を大きく動かした。しかし現在においては全体主義やナチズムの脅威が第二次世界大戦直後程には大きくないからこそ、フロムが指摘した事実はほとんどインパクトを持って人々は受け止められなくなりつつあり、それに代わる新しい理論体系が必要になってきているといいうるのである。
H・D・ラズウェルやらのように社会的精神医学を構想した人々はファシズムが行ったような破壊性や、攻撃性に注目した。H・S・サリバンは人間関係に注目しながら、精神病理を研究した。政治学においてもレオ・シュトラウスは何かよきことに注目した。何かいいものを追及することはしかしユートピアというような環境全体をかえようとする力にはどうしてもまけてしまうという欠点をもっている。「人間関係の相違さ」という逃げ口上に負けてしまうということである。依存する人と依存されている人との人間関係の集団が、自由で独立した人々の人間関係を破壊するように立ち向かって攻撃するような人々が現れてきた場合には、自由で独立した人々は立ち向かって自由と自律性を一致団結して戦おうという点については一致している人の一対の人間関係について「自由で、自律的」であることを強制するという点については一致した見解を自由で独立した人々ももっていないように思われる。フロムの「自由からの逃走」でさえもファシズムの内容の分析を行ったとしても、ファシズムの解体を強制するようなものではなかった。そこには自由への啓蒙はあったけれども、それ以外のインパクトは存在しなかった。本当にそれ以上のインパクトを現在でも持ちうるためには、ファシズムのような人間関係をもっと深く考察する必要があると考えられ、依存する人と依存される人の間にどのような人間関係が現実的に存在していて、人間の本性としての自由で独立した自律的な人間関係に(それが痛みを伴ないながらも、また、両者の反発があるにしても)どのようにして移行していくのかを研究すべきであろう。移行していかねばならないのかということの研究では、それはユートピアの相違ということで片付けられてしまうが、それはその規範(ねばならない)の相対性という問題に帰着してしまうからである。
性格の見方を自らの利益や、自らの立場や、自らの依存性に従った傾ったものにしないために、また、政治的イデオロギーによって性格や精神病理をみつめないために、また、社会の教育のなかに政治的イデオロギーを持ちこまないために、また精神病理学上の定義を人間関係における感情的対立の観念になおした定義にしないために、また、精神病理学上の定義をイデロギーやユートピアの対立を観念的になおした定義にしないためにも、また、(社会的=人間関係的)性格の正しいものの見方を確立するために、また、人間関係によって作られた精神=社会的精神の見方を確立しそれらを学問として客観化するためには、人間関係を深く考察する必要がある。人間関係を深く考察することによって、性格の見方の違い、精神を見る立場の違いを解消できる。この人間関係の最小単位である二人の間には、二人の人間以外に物的な環境(生物を含み人間以外のすべて)も存在する。その物を各人が自分のものとして分け合ったり、その平等性について話し合ったり、また、その他のものについては共有にしようと話あったり、また、その他のものについては共有にしようと話あったり、また生産に従事したりするであろうが、共同で生産に従事したり、共同で食事を作ったり、各人が食事を作ったり、生産をしたりするであろう。ここでマルクスが想定したように一人の人がすべてをもって他を搾取していると考えられるような例は万が一にしか存在しないであろうし、逆にすべてを共有にしてすべてを分かち持っているという例も万が一の可能性しか存在しないであろう。またフロイトのいっているように、一人の人が精神科医で、他の人は全くの精神病であるとその人がいっている例等万が一にも存在しないであろう。そのような世界は存在しえないからであり、誰も想像できない。精神は人間関係によってのみ形成される。従って精神の病は人間関係の破壊であったり、依存心の強さであったり、片方がストライキのようなことを行ったりして、片方が困ったりすることであり、その片方にそのようなことをやめさせることによってしか人間関係は改善されえない。いじめでも、自殺でも、いじめによる自殺でも、収賄等による自殺でも、その他のすべてにおいて同様である。両者の人間関係を修正させることによってしか精神の病は治すことはできない。一生変わらない性格の場合以外は治すことができる。しかし性格は自由がある限りは治すことができる。依存性のある人も努力すれば自律性のある、独立した人になることができる。その努力は痛みを伴うが、物理的な脳の手術とか、薬物は何も精神状態を改善するのには役にたたないということになる。そのかわりの薬はみんなを呼んで仲直りさせることであり、どうしても依存心の治らない人であっても、自由で自律心のある人に自尊心と独立性を取り戻すことができて、人間関係を改善することができるとすればそのように性格を変容させることである。そうすることは性格の偏った見方を修正するために、自らの依存性を改善することである。
ここで使う依存性とは、人間関係において自由で独立した人に対立することばである。依存性のある人は他に依存をさせてくれる人が存在しなくてはならないが、依存をさせてくれる人はそれ程簡単に見つかるとは限らない。その人を依存性のある人にさせたのはおそらく兄弟姉妹の兄弟構成による人間関係か何かであったと考えられるが、外の社会において依存をさせてくれる人がそんなに簡単に見つかるとは限らないのである。そこにおいて二人の人間関係は非常に破壊されたものになると思われるというプリミティブな意味での依存心の強いという概念である。自らの利益のことや、自らに思いやりのある人はいい性格であるという偏った性格の見方は依存心が強ければ起こるということはありうる。このような性格の見方を学問化するための一つの方法としての「依存性」という概念は定義されたうえで使用されることは許されることであろうか。土居氏の甘えは母子関係における甘えを想定しているが、ここでいう依存心は人間一般に対する「思いやりの要求」や、「自分の利益になることをしてくれるように要求すること」やらすべてのことを含んでおり、そのなかの母子関係に関する甘えはそのほんの〇.一%程度?を占める一部にしかすぎない。依存心の立場からする他の人の性格の判断は自律的で独立した人とは全く反対のものとなるのは明らかである。従って性格学や、精神病理学や、精神医学においてこのような概念を導入することは正しいであろうかということが問題となる。人間の発達においてそのような性格が発生することがありうることは容易に想像がつく。そのような概念は性格の特性として自律性や独立性に対立し、他の人にやってもらうことによって満足するという意味では人間関係を表す言葉である。そして依存心ということばはこれまで人間が性格の傾向としてきたあいまいな様々な形容詞を特定化し、人間関係として表現するのに役に立つ。これは人間の本性である自由に対する概念、独立に対する概念としては一般的な概念かもしれないのである。依存心が強いといわれた人も、何に依存しているのかを考え、そこから独立することもできるという意味で、その人の可能性を奪っていることばではない。もし依存心の強いことが精神病だといわれたとしても、土居健郎の甘えということばをいわれた時と同じように、依存している人から自ら独立すればよいことになる。公民とは何かを考える場合に人間関係を中心として、更に、自律性と依存性との両軸とに軸足をおいて学問的に、かつ、客観的にとらえていくということは、効果の多いことかもしれない。そのような意味でこの自律性と依存性という二つの性格を表す言葉は性格論や、発達心理や、精神病理学における重要な意味を持ちうると考えられる。今から社会科教育と発達心理学とを考察するにあたって、社会を人間関係の心理の発達を発達心理としてとらえるにあたっては人間関係の徹底した分析に進むこととする。生徒を担任していると、金持ちの息子を生徒に持つ場合や、将来大金持ちの財産を相続するであろう生徒を持つ場合にはひいきをしていい性格だと錯覚することはありうることであるが、このようなもの見方は性格を誤ってみることに導きやすいので、そのような社会的なことによる偏見にも留意する必要があろう。
人間関係の類型と性格の傾向・特性
私が父親として娘の頭を「いい娘だね」といってなでるのも人間関係であるが、姉である娘が三才強年下である弟ににっこりと微笑むのも人間関係であり、その人間関係が社会そのものであるとすれば日常生活そのもののなかにも社会性や政治性が四、六時中存在していることになる。そして当然のことであり両親に依存性があるというわけではないが、両親から動物においてはエサと呼ばれる食料を受け取ったり、そして兄弟姉妹どうしで競争してるとはいえないが食料をわけあったり奪いあったりしている。また両親と場所を取り合ったりしているわけではないのであるが、両親から分け与えられた空間を兄弟姉妹で分けあったり奪いあったりしている。これは兄弟姉妹の間で経済的人間関係をもっているということを表している。これらの社会的、政治的、経済的人間関係のタイプは様々に理念型的な類型化が可能である。自由奔放的、社会共同体的、交渉主義的な人間関係等々という具合にである。しかし人間関係類型化は依存性や、独立性のような特性の分析によりその本質的な部分が明白になる。性格の傾向は特性の別名であるとしてもそれは性格をその人に固有のものではなくて、自由に変化可能であるという意味でもある。性格の傾向はそれが程度で表現できるということ以外にこの変化の可能性も表している。このことは重要であり、共有主義的な傾向を持っていると思われている人でも、私有をすることもありうるのであり、ある人を共有主義的と断定することは危険なことである。共有主義者のマルクスであっても、私生活では最も私有に固着する人であった可能性もある。この意味では一般に類型と考えられているものも自由に変化することが可能な程度であるという意味では傾向にすぎず、これまでのすべての性格学はもろくも崩れさってしまうことになる。
しかしある人の行動のパターンは相当程度に変化し易いとしても、ある一定の行動の傾向、性格の傾向がありうる。それらは人間関係の経験のなかから生まれる傾向であり、人間関係にも親子、友人、兄弟姉妹関係と様々な種類が存在する。それらを合計すれば百%になるのであるが、兄弟姉妹関係が約七割程度の割合を構成していると考えられると私は主張しているが、とてつもなく、貧しく食うや食わずの生活をしている兄弟姉妹のなかで育つ性格の傾向と、大金持ちの家庭の兄弟姉妹のなかで育つ性格の傾向とでどのように違うのであろうか。同じ兄弟姉妹構成であれば人間関係的なもののなから生じてくるものであるから、性格の傾向は同じものがあると考えられる。子供にとって生きていけるだけのものさえ与えられるならば、金持ちの家庭であれ、貧乏な家庭であれ、両親が窮々として生活しているかどうかはあまり関心のないことである。それよりも兄弟姉妹のなかの一人が自分よりもより多くのものをとったということの方がより関心のあることである。この点は非常に重要な点である。つまりこの点が解釈されないと兄弟姉妹の人間関係論はほとんど意味のないものとなるのである。
子供にとって生きていければ最低限の生活でも家庭は愛の世界である。
性格論における立場
ほとんどの人が、特に依存性の強い人は、自分の依存性という観念から他人の性格をみるが、この性格論はほとんどすべてバイアスが入っている。従ってその性格論は間違っているといわねばならない。このバイアスを取り去ってすべての人を平等に見なくてはならない。依存性の強い人は自分は見る(依存する)側の立場の人間であり、自分は観察する側の人間であり、観察される側の人間ではなく、依存している人間も、平等に観察されねばならない。観察されねばならない人間としてはすべての人は平等であり、平等に一人の人間として観察しなくてはならない。これが人格論における観察する立場の定義である。平等に観察している人もまた一人の人間として観察されなくてはならない。
現代においては子供の経済的な面倒をみるのは国家ではなくて、両親やらの場合の方が多く、まれに施設やらが子供の面倒をみている。このことは子供達は一生のうちの経済的に独立するまでの間は「両親と、子供達」よりなる家族のなかで生活をし性格を形成していくということを表している。ペスタロッチは家族のなかに正義があり、それは愛にその源泉があると「
隠者の夕暮れ 注(
) 」において述べている。それが民族主義を鼓舞するためのものでなかったことを祈るものではあるが、それがプリミティブに家族というものについて筆を走らせたのであろうということについてのみはひしひしと伝わってくるのである。家族、それも、両親と兄弟姉妹というもののなかから人はどのようにして性格を形成していくのであろうか。それを発達心理学や教育心理学の助けを借りながら現実的に解明していこうとするのがこの論稿の主旨である。このテーマについて取り組もうと本質的に考えたのは、高等学校の商業科や英語科の教師をしていた時に二、三才頃までに暖めていた構想を現実にあてはめてみて正しいのではないかと確信をもったという経験的な動機による。その後の多くの研究の成果でもある。本来は政治学における政治的社会化論の延長として研究されるべきであったが、後に、政治と教育と発達と心理という複雑な絡み合いのなかからもっと広い視野にたって論ずることができると確信を持ちはじめたからである。
政治学のなかの政治的社会化論や、反政治の概念やらは現実に様々なところでみうけられるし、マルクスのような反政治の人は多い。しかし政治的なのは日常生活の一挙手一とうそくにおいてであるのが人間である。この場合の反政治の政治は間違った意味の政治であり、経済により人間の自由意志は因果関係的に決定されているのであるから、政治という「人間関係の本質的選択等の自由」は存在しないのである。従って制度を自由に選択したり、商品や物資を、また、所有を自由に選択したりすることはありえないという主張から発生したものが反政治の概念である。これは経済決定的なアナーキズムと呼ぶことができる。一方、すべての自由奔放による選択の自由は政治(政府)を必要としないという唯心論的な考え方は運命とマキャベリーが呼んだような人間に知ることのできないような地震やその他の力(神というべきかどうかは別として)を存在しないものとして自由放任的アナーキーを主張する。これは無政治と呼んでよい。この二つの間に様々な政治的なものが存在する。この政治的なるものの発達過程を社会化という概念でとらえようとする政治的社会化論は日常生活や学校生活のなかの政治性を研究しようとする点で画期的なものであったが、生活そのもののどこに政治性や社会性を見出すのかについて十分な議論がなされていなかったがために、生活のどの側面に政治性があるのかについて具体性がなかった。従って政党支持とか、大統領や首相のイメージとかいうような限定的な側面のみを議論するものとなり、発達心理学全般と政治学、社会科、社会諸科学との関連性を研究するところまでは到らなかった。日常生活のあらゆる行動を社会的なものとして研究するためには発達心理学や、教育心理学と、社会諸科学との連係が必要となると考えられる。
親子関係よりも兄弟姉妹との人間関係の方が性格に対する影響が大きく七割を占めるという主張は次のようなことも結果として主張していることになる。つまりは親の性格の傾向の形成も、つまり産むか産まないかの行動の傾向を決める性格の形成さえも含めて、それが親の兄弟姉妹の人間関係のなかで決められていると主張することになるのであるから、一方で子供は子供でそうであると主張しているのであるから、親子関係といっても兄弟姉妹の人間関係とオーバーラップをするところがでてくるということになる。親の兄弟姉妹である叔父、叔母、伯父、伯母と子供が人間関係を持つ場合には親の親族との人間関係なのであるが、親子関係と同時に取り扱ってもよい場合がでてくる。未開社会においては研究すれば様々なケースがあったと考えられる。親族に養子に出す場合等である。親子関係のみについて限定すれば、すでに兄弟姉妹関係が親の性格を七割程度決定しているとすればここで不明なのは親子の性格が全く似ていないというような「積木くずし」のような事例であろう。この場合に親子関係が性格の傾向に与える影響としては「積木くずし」の例や、ほとんどの第一子の長女のような事例に表れる。本人の性格は本人だけで兄弟姉妹といる時には自らの性格を出しているが、親といるとそれが不可能になるという場合である。その場合は親の方を疑う必要があるという場合である。この場合でも親子関係が一割程度の影響を与えるにしても、最終的には七割の影響のある兄弟姉妹構成上の性格の傾向の形成の方が優っているのでそちらの方が何らかの仕方で親の影響をきりぬけてそちらの方が主に表にあらわれるということになる可能性が高いが、親に影響されてそちらの方にいって自らの性格をずっと抑えてしまうということも考えられる。しかし一般的には子供同志や、学校においては自らの独立の性格の傾向の方を表している場合が多いと考えることができる。家庭内においては親の性格を理論的には取り込む可能性は高いが、その量は自分の七割を減らして四割として他の一割を親の性格を受容する場合がありうるであろう。ここで割合の数字を使ったのは厳密に数学的なものではなく、例示的に数字を示したのみであり、そうしないと全く論理が複雑化するからであり、それを避けるためである。これは先に示したとおり全体の影響をとらえて百としている関係上、独断に陥らないためにも必要なことである。この数字を使わないと性格の傾向はすべてが百にみえるような表現の仕方しか存在しないし、性格の傾向に対する影響力についても同じであるからで、例えば性格の傾向に対する親の影響はあるといったところでそれは何の理論付けにもならないのである。特性の指数化と同じく、影響力についても百を全体としての影響力を考えていかないと何も解決したことにはならない。
子供を育てるすべての親の経験通りに第一子について考察してみることにする。第二子が生まれてくるまでは第一子は、両親にとって唯一人の子供、いわゆる一人っ子と同じである。その期間は一年間であったり、三年間であったり、四年間であったり、一生一人っ子であったりする。すべての第一子がその間に一人っ子であったということは、第一子についていえばすべての家庭の第一子にある種の共通性があるのであり、すべての家庭の兄弟姉妹の子供たちにとってこの共通性があったという一つの真実はその間のことを分析することによってすべての家庭に共通な何ものかが提供されるということを示しているといえるだろう。冒頭に述べた親と一人っ子との関係についてはここでもあてはまるが、一人っ子としておもちゃのような物の所有や所有権を経験的に知ったり、他の家の子供達とも遊んだりする経験をするのであろう。しかし自らの所有を所有するという点では所有からくる自由と自由な処分性が、自由放任や見えざる手理論につながることがありうることは十分に説明のつく理論である。また昆虫や、動物や、植物を好み、親と一緒にテレビをみたりもする時期であり、言語をよく覚える時期である。
同じくらいに大きくなったら、兄弟姉妹も平等だといえるがそれまでは長幼の序があると、東洋の思想では想定している。これは家族を政治の一単位と考えた東洋の政治思想の一つの特徴であったといえる。ここに日本の長女とか、次女とかの語いが生まれたといえる。
一方西洋の政治思想においては兄弟姉妹の間でもそれも長幼の差があっても平等であり、各人は自由な存在であるという教育が一般的であるし、あった。
この二つの教育方法の相違は東洋と、西洋の政治思想の違いを大きくした。しかし人類は一つである。比較的遅く近代化をなしとげた日本、ドイツ、イタリアはそれにもかかわらず西洋と東洋の区別なく同じような全体主義国家を作りあげて第二次世界大戦に参戦した。
西洋の政治哲学のなかにも彼ら自身はあまり気がついていないようだが、長幼の序からくる性格の違いが政治哲学のなかに多く表れていると考えられる場合がある。これは英米人があまり使わない長男、次男等の言葉がその研究を遅らせたのかもしれないと考えられる。一方日本には長男、次男等の言葉は差別用語としてではなく公用にも使われており、それが性格にもよく表れていると考えられる。
パーソナリティー(性格)研究が発展していって学問として確かな地位を築いていくようになることが将来予測される。パーソナリティーに関する知識、学問のうちには政治学の分野に関わる知識、学問の分野が含まれる。この分野は発達心理学の一部や、教育学の一部でもありうる。政治学においてこの分野の研究が遅れているのはパーソナリティー論の分野の研究も政治学の研究と同様に知識が専門的となり両分野を同時に研究し尽くすということが、難しくなってきているからである。公民としての政治の教育の重要性は今後ますます重要になってくるであろうが、戦前の超国家主義的教育の害悪にばかり目が奪われており、正当な政治教育の範囲の研究がまだ学問的な知識として確立されているとはいえない。
政治教育論の分野はパーソナリティーの研究と共に発達心理学の分野をとり入れることが不可欠である。
「パーソナリティーの多くの類型は、家族関係のなかで形成され、生涯変わることが少なく、かつまた家族関係の影響を受けたパーソナリティーは人間の行動様式を形成する基本的要因となっている。」(S・メリアム、八三頁)とメリアムはいう。メリアムはこの文章の注でハロルド・ラズウェルの「精神病理学と政治学」(H.D.Lasswell,"Psychopathology and Politics." )を参照するようにと書いている。ラズウェルはこの本を書くにあたってフランスの某教授の下で精神病理学の研究にあたりその成果としてこの本を著した。現在発達心理学の成果を政治学に取り入れるにあたっても発達心理学の発達の現在を研究することなしには不可能な作業であるといえるだろう。
先の文章に続けてメリアムはいう。
「反抗的な人間や権威主義的な人間は家族関係者等の状況の影響で現れてくるであろう。しかもそれは、一生涯ほとんどまったく変化しないか、もし変化するとしても、年令、社会的経験、訓練等によって次第に変容していくにすぎない。」(S・メリアム、八三頁)
メリアムの弟子としてのラズウェルはメリアムのこのような考え方を受け継いで後に「権力と人格」(”Powerand Personality." )を著わすことになる。裁判官の性格を分類することによりその行動様式を分類研究するなどの成果がおさめられている。「権力と人格」においては研究が教育学や発達心理学の研究との学際的な分野に及んでいることも特徴的である。
パーソナリティーに関する知識、人格変容や人格の成熟等の知識を政治学の分野に応用する必要が迫られているが、特に家族関係や人間関係の立場から教育社会、政治社会のなかでの位置関係をとらえながら考察しようとする必要がある。パーソナリティーについての知識と、「政治、つまり統制の方法」としての象徴の機能とを並列的に関連づけてとらえることができれば、政治学においても教育学においても大きな可能性が生まれてくることになるであろう。(S・メリアム、八六頁)現在は政治学者も教育学者もこの点に関してはほとんど研究していないし、今後も相当長く研究が急速に進むことはないであろう分野である。
第九章 社会教育、公民教育と社会意識、公民意識の発達心理
社会科の教育は、大学院、大学、高校、中学校、小学校、幼稚園を通じて行われるうえに、社会科自体政治・経済・倫理・社会・日本史・世界史・地理等に分類されており、それらを一括して社会科と教育とについて論ずることは不可能であるので個々別々に論ずることにならざるをえない。しかし学歳期以前の社会科と教育については社会科そのものが分類されているわけではなく、社会そのものが全体として教育されることになる。また幼児期の教育は幼稚園や保育所において行われると同時に親子教育や、兄弟姉妹関係において自発的に学ばれる自学自習やらにおいても教育や自習がなされる。友人との関係のなかから社会的関係が自習されることもある。この場合は人間関係としての社会全体が学習されることになる。ここから出発すれば、学校に行っている時期であっても、それ以後生涯教育として学校を卒業してからの教育の時期にあっても社会に関する学習は社会全体として学習されねばならないことになる。
政治と教育とに関する議論は社会全体の教育との関連で議論がなされねばならないことになる。社会は人間と人間の関係から成立しているという立場からこの研究を進めることにする。この考え方にたてば幼児期の社会教育についても人間関係についての教育として研究することができる。人間関係にも様々な人間関係があり親子、兄弟姉妹、養親子、施設の養親子、親類関係から一般社会における人間関係のうち政治的人間関係、経済的人間関係、経営学的人間関係、商業(交換)的人間関係まで様々である。しかしこれらは一つのみが独立して存在しているのではなくて相互に密接に絡まりあっている。これまでの研究では親子や、家族関係としてとらえることはあっても兄弟姉妹の人間関係としてとらえた研究はほぼ皆無に近いといってよい。ところが実際の生活や、学校において生徒に提出させる兄弟姉妹構成についての生活歴(表)についての調査においては兄弟姉妹の人間関係は生活の最も重要な側面を形成しているように思われる。そうではない人も確かに存在していると思われるが、その潜在的な意識においてはそうであるだろうと推測することも可能である。その場合はこれは一つの仮説となるし、一つの研究方法ということになろう。しかし何%の側面を示していることは確かである。その何%かが七〇%の場合もあろうし、三〇%の場合もあろう。この論文においてはそれが約七〇%程度くらいの影響をしているのではないかと推測しており、両親の兄弟姉妹の人間関係は、また、親類や、一般社会や、経営学上や、政治上や、学校生活やらの人間関係においても兄弟姉妹の人間関係が約七〇%の影響を及ぼしていると推測している。よしんば三%であったとしてもそこから生まれる性格の傾向上の差異は研究に値するものと想定されている。
これまでこのような研究が少なかった理由は私自身の例から推測すると哲学上、学問上あまりにも多くの問題を解決しなければこの研究を進めることができない点にあると思われる。実生活上には「三つ子の魂百まで」とか、「一姫二太郎」とか、「一人っ子」とか、「末っ子」とか、「三男の三郎」とか、「長男の甚六」とか様々な諺がある。ところがそれらはすべて長い人間生活のなかで培われてきた生活上の諺から発生したものではあってもなぜそうなるのかが問われたことがなかったので学問上の土台の上に築かれることはなかった。ところが深い哲学上の問題を解決し方法論上の問題が解決すれば学問として築かれうるのではないかと考えられる。哲学上の問題としては視点の問題が考えられる。自らの視点をどこにおくかによって「長男的性格」をよく見ようとか、「次男的性格」をよく見ようという態度があってはならない。学校の教員や、両親の態度としてこのようなことがよく行われているが、これは学問的ではなく、子供の性格を歪めることにさえなりかねないし、学問そのものの冒涜となる。このことを戒めて事実の叙述と、その評価(偏りのない評価)を行えば学問としての立場を確立できると考えるものである。三段論法においては、規範、事実、結論という方法がとられるが、この場合の結論はすでに規範のなかに含まれているものであって、この事実と評価の関係は三段論法とは相違して、事実はあるがままの状態であり、その評価とはどのように理解するかということである。まず「一人っ子はよくない」、「十人以上の兄弟姉妹の人間関係はよくない」という規範が存在すればそのような結論しか発生しない。そのような既製の観念は払拭すべきである。
ところが逆に研究していくうちに「一人っ子には〜という性格の傾向がある」とか、「十人以上の兄弟姉妹の人間関係には〜という性格の傾向がある」とかいう法則のようなものが生まれてくるかもしれない。にも関わらずそれが百%確定的な法則ということはできない。なぜならばそれは人間の自由意志によって容易に変化させることができるからである。つまり、そのような傾向ではなく行動することもできるからである。しかし傾向があってもそのような自由意志によってその傾向を治すことができるとしても、その傾向があることを認識することはよいことである。つまりその傾向が悪い傾向である場合にはこの「治す」という言葉があてはまるのであって、これは精神医学としてもそのまま用いることのできる言葉となるが、私は精神はこれまで社会とは正反対の言葉としてフロイト以来使われきたので、社会精神医学ということばとして使いそのような意味の「治す」という言葉として使うことによって精神医学の変革をなすこともできるのではないかと考えている。この場合の精神とは生物学上の本能以外のものを指す。本能以外の部分は選択の自由、その他の自由を含めた自由な部分のことであり、自由意志の部分であり、それによって社会が様々な形態でつくり出されることになる。もちろん社会の根底には本態によって裏打ちされたものが存在する。その上にたって自由に社会が作りだされるのである。もし人間が人間以外の動物であれば、社会の形成の仕方についても本能のなかに組み込まれていることになる。ところがアリの世界とは異なって人間の社会の形成の仕方については自由な側面がある。これは人間が本能以外の部分については自由を獲得しているということを示している。しかし神がすべてを決めているのだとか、経済がすべてを決めているのだから人間に自由は存在しないのだという人があるかもしれない。従って人間の社会の形成は神や経済がきめているのだという考え方である。これは哲学上の問題であり、倫理学上の問題である。このような考え方によれば兄弟姉妹の人間関係を研究するよりも倫理や、宗教や、経済のことを研究する方が先決であり、その解決がなければ自由意志等行使されないようにすると宣言することはできる。にも関わらず信教の自由や、経済的な自由を人間が持つ限り経済先決論や、神先決論は自由意志にうちまかされることになる。確かに人間が本能以外の部分について無制限な自由を持っているとはいえないし、経済や、歴史や、神( 運命ともいえる)やらによって因果関係的に相当に制約されていることは認められうる。しかしそのことは人間が社会生活を作るにあたって本能によって作っているということにはならない。
この場合の社会とは人間関係のことであるから、人間関係は衣食住や、性のような本能によって社会関係を作ると同時に、自由な社会的人間関係をも持つということを示している。二人の人間の人間関係のなかに国や、政治という言葉が入ってくるのか、あるいは、そのなかに経営上でいうような生産、販売における人間関係が入ってくるのかは研究の余地のあることであるが、兄弟姉妹の人間関係のなかでも人々は様々な人間関係を学ぶことは確かである。社会関係を学ぶということは人間が自由意志を持っていた部分について次第に社会意識によって自由が失われていくということでもあり、逆にいえば、社会意識の裏には自由意志が隠れているともいえる。ある規則を強固に信じている人はその規則が役に立たなくなったことを知った時にはその規則を他の規則に自由に変えることができるという自由意志を人間が持っていることに気付く。逆にいくら自由意志を持っていたとしてもある規則を作っていなければ社会(人間関係)は成立しえないことに気付くのである。政治学上の社会契約説とはこのような人間の社会形成上の自由意志について政治学的に考察しているにすぎない。
規則至上主義は法学上の主張としては法実証主義という主義のなかにあらわれる。しかし一方で法も誤っている場合がある。例えば、「生類憐れみの令」や、「ユダヤ人虐殺法」のような悪法が出た場合には法の理解について法哲学上の問題が発生する。法の裏にある自由意志の存在を認め、そのような悪法は改善すべきであるから。悪法は法でないと考えられるような自由さをもって、法の理解にあたる人と、そのような自由さを持たない権威主義的な人とが存在するという考え方が現在の学問上の水準であるが、それがどのような理由で発生してくるかについては人間関係理論の解明としては明確になっていない。それを兄−妹の人間関係から権威主義的な傾向が生まれ、姉−弟の人間関係からは法の自由な立法趣旨からの根本的な理解が生まれるようだというようなことがおぼろげながら分かっていたとしてもそれを学問上の水準に高めた学者は全くいない。また生産経営管理上のテイラーの方法のように人間を機械のように取り扱った方がよいのか、人間を温かい人間として取り扱った方がよいのかについての経営学上の論点についても、どちらの方が生産効率が上がるのかについて深く哲学的に考察していった人は少ない。そうしなければ学問とはいえない。また学校の経営管理上においても管理教育といわれている愛知県方式をとる方が効率が上がるのか、アメリカの学校教育のように自由な教育方針をとる方が教育の効率が上がるのか、人間関係にどちらがよい影響を及ぼすのかについての研究はほとんどないといってよい。これらの場合の研究についても人間関係の深い哲学的研究が必要であると思われる。人間関係、つまり、社会の研究はあまりにも研究の進んでいない分野でもある。
社会科学の研究についても同じことがいえる。左翼的感情、温かい理性が社会科学であった時代があった。そしてその後に冷たい理性の時代がやってきた。そして温かい感情と冷たい理性の融合が左翼の側から叫ばれたが、科学的社会主義の科学性に疑いがもたれるようになってきた。一方で保守主義の側、伝統主義の側、これを右翼的と一括することはためらわれるが、その主張の側からする科学性の主張、例えば行動主義や、行動科学の主張にも欠陥が見えはじめた。新行動主義や、ポスト・モダンや、脱行動論革命やらといわれている動きのなかにも一つのはっきりとした社会に関する方法が見えているわけではない。ある外的な環境が、ある人の「本能部分」(旧皮質部分)と、「自由意志部分」(新皮質部分、大脳皮質部分)とに影響を与え、ある人の行動を引起こすとしても、この「自由意志部分」の機能的構成の分析についてはパーソンズのシステム論や、サイバネティックスや、政治システム論や、政治的な機関システム論やらが解明しようとして行動理論以後の新しい理論をうちたてようと努力しているにもかかわらず、統一的な学問上の成果をうちたてるまでには到っていない。一方では情報処理理論が飛躍的に発達してきてこの方面の素晴らしい発展がコンピュータの発達と共に起こりはじめているようであり、それに対する期待も大きく、これまでの学問の非科学性が暴露されるかもしれないと期待している人もいる。多くの人がコンピュータの知識を持ちはじめているが、しかしその期待はあまり現実化されているとはいえない。コンピュータには性格の傾向(これは人格の特性ということばと同義語として使われる)を打ち込むことができない。現在ではいろいろなコンピュータによって相違する答えを出すようにすることはできないからである。いろいろなコンピュータによって相違する答えを出すようにすることができるようなコンピュータを作ることもできる。これがいろいろな違った政策を打ち出すことのできるようなコンピュータを作る場合である。人間についていえば、自由意志の部分について多くのことを考えてから答えを出す人もいれば、自らは多くのことを考えないで答えを出す人もいる。ある行動を起こすのに時間が長くかかる人もいれば、ほとんど一秒たらずの間に同じ結論をだし行動を起こす人もいる。これが同じ環境の下においてであるから驚くべき相違であるといえる。これを性格の傾向の相違のせいであるとすれば行動を見るだけではこの性格の傾向については解明できないことになる。性格の傾向については推測であるか科学性はないとする批判は確かに当たっている面はあり、あの人はエゴと、スーパー・エゴとが対立しているということをいっても実はそうではないのかもしれず、その人はどうせスーパー・エゴは期待のみであって実際そんなものは実現するはずもないと思っているかもしれない。すると全く対立していないことになる。確かに行動科学の理論は当たっている側面がある。しかし、対立していると考える「くどく深く申告にペシミスティックに考える人」と、「オプティミスティックに考えるすっきりした人」との性格上の傾向の相違は考えることがきる。このような意味では性格の傾向を分析することは行動理論と脱行動理論や、新行動論を橋渡しするカギとなる概念であるともいえる。
ある人間を取り巻くある環境と、そこから生じてくる行動のみを分析すればよいのであって、その間でどのようなプロセスの思考を通ってその環境からその行動に到ったのかを研究することは不必要だという考え方は、その思考のプロセスが「本能」のみに頼っている部分の行動については全く当たっているといわねばならない。しかし自由意志部分については思考のプロセスを機能的に、かつ、分析的に、かつ、時間的に、かつ、因果関係的に、かつ、論理的に分析してみる必要がある。その思考のプロセスは千変万化であり、その千変万化の部分こそ性格の傾向であり、千変万化であるからこそ性格の傾向は自由意志にのっとっているといえるのであり、また、それを自覚した人にとっては性格の傾向は自由に変化させることができるということになり、性格の変容を解明できることになる。兄弟姉妹の人間関係からみた性格の形成と変容論はこのような学問上の発展の動きの上におかれるべきものである。
兄弟姉妹の人間関係論を研究する上で日本人は有利な立場にある。日本いは「長男」とか、「次男」とか、「六男」とか、「甘え」とかいうような様々な兄弟姉妹の関係についての言葉が残っており、その研究が容易である。六男とか、長男とかいう用語は長子相続や、末子相続であった昔の時代の名残りであって、核家族の時代にあっては子供の平等を期すために英米語におけるように廃止してしまえという主張はある。そのような主張の当否や、そのような制度が性格の傾向に与える影響については十分に研究がなされなければならないとしても、そのような言葉が研究を進める上で、文献に多く残っているという点で便利であることにかわりはない。実際に日本人はそのような目でよくこどもとかを見ていることは確かであり、それが学校や家庭の教育のなかでもそのような目でみている可能性も否定できない。このことが兄弟姉妹の人間関係の研究が日本でも、世界でも進まなかった原因の一つであろうことは確かである。ところが核家族が多くなった時代においても長男的性格、次子的性格ということばはあいかわらずあるし、六男的とか、末っ子的とかいうことも残っているようである。それらがいい、悪いということをいっても、それは変容させることが、自由にできるというわけではなく、環境等をかえたり、因果関係的な考え方をなおしたりしなければならないのではあるが、一応はできるということは可能である。この性格の傾向の形成について研究し、環境や考え方をかえたりして、悪い性格の場合いい性格の方に変容させる方法について研究することは必要なことである。
いい、悪いの判断は自由意志からなる性格の傾向についていうことは規範の問題が哲学的に解明されていなければ難しいことであるという批判が生まれてくる。その批判によれば確かにヒットラーに盲従した時の権威主義は悪かったかもしれないが、いい指導者に対して権威主義的に盲従することはいいことではないのかというような批判である。クリスチャン・ベイは「自由の構造」のなかで権威主義には心理学的自由が存在しないのであまりいいことではないと、エーリッヒ・フロムに従って批判的に述べているが、そうではなくてそれは時と場合によるということになる。しかし規則として盲従し、その立法趣旨を考えないことは裁判する人にとっても(日本の裁判官についても、アメリカの陪審員についても),法律を学ぶ人にとっても、法を作る人にとっても、多くの不都合なことが生じ、「ユダヤ人虐待法」や「生類憐れみの令」を使ってもよい、立法趣旨等考えなくてもよい、実際の生活を無視してもよいという考え方が生まれてくる。このような意味では権威主義はあまりいい性格の傾向とはいえないとする考え方は規範的ではあるが、人間的(ヒューマニスティック)ではある。人間的であるということは自由意思的であるということでもあるといいうる。自由意思的であるということはしかし多くの思考プロセスを経て行動をするということ、つまり、ペシミスティックになる、メランコリックになるということとは違っている。そのことはただ結果と未来について悲観的になるということであり、自由意思的ではなく、因果関係にしばられているという点では自由意思を否定しているものである。ペシミストや、メランコリーの精神の体系を分析し尽くすことは人間関係の社会を研究し社会精神医学を作るための一つの目標でもあり、それをオプティミスティックに作りかえる方法もまた一つの目標でもあり、そのためにはメランコリーや、ペシミスティックな考え方がどのようにして発生してくるのかを知ることによりオプティミスティックな考え方に性格の傾向を変容させる術が研究されねばならない。社会精神医学が民営のサービス業として、あるいは、官営のサービス行政業として成立しうるにはそのような術が確立されねばならないと信じるのである。現在ではペシミスティックでメランコリーな性格の傾向の人々がオプティミスティックな性格の傾向の人々を、精神医学を悪用しているという場合があるという指摘を深く研究する必要がある場合が、児童教育や学校教育や、企業家教育の場合にもありうるし、ソヴィェト連邦の時代に「精神医学の悪用」として指摘された問題もこのように解釈することも可能である。それは反教育的に使われてはならない。つまり、人々の可能性を、人々に対する教育の可能性を消してはならないということを意味するのである。
「お国のため」という国家主義教育の時代と現在の東西冷戦後の世界では多くの点で相違している。「お国のために命を投げ出すこと」は昔はいいことであったが、現在は警察官の殉職の場合等をのぞき人々は否定しているようである。そのような時代だからこそ人間の性格の傾向を知ることは大切なことであり、「自らがいい性格の傾向か、悪い性格の傾向かを判断し、自らがいいと思う方向に自らの力によって(他人の力も借りながら)性格を変容させていく必要がある」と思われるのである。「お国のために命を落とす」というような勇気や、戦争に盲目的に進んでいって命を投げ出すことを奨励し、それを美徳とし、それに従わない者は、戦争不安症だと考えることがあったような権威主義的な時代は、どのような心理構造をもっていたのかを研究すると同時に、純粋な意味での公民というような概念はどのような構造をもち、どのようにして形成されていくのかを知ることは、公民教育法や、社会科教育法の中心的な論題であると考えられる。確かにいい公民とか、悪い公民の概念は政治や、国家の動きによって変化するかもしれない。しかし公民というものの普遍的な概念は存在するはずである。それをドゥウォーキンのように平等の概念に求めるもよし、ロールズや、ノージックのように干渉されない自由の概念に求めるもよし、それらは各人の考察にゆだねるにしても公民の普遍的な(ユニバーサルな)概念は研究されねばならないであろう。
公民という概念は私人という概念と対になっている。公民という言葉はある意味では人間と人間との関係という社会をあらわす言葉であり、社会人という言葉ともいえる。従って人間関係を研究することはこの公民というものを原理にさかのぼって研究することでもある。それはいい人間関係を作りあげるということでもある。いい性格の傾向はいい人間関係を作りあげることができるし、メランコリーなペシミスティックな考え方にかえるということができるという主張に対してはこれまでの精神医学の主張と反対であるとして批判する人々が多いと思うが、一般的にいえば社会(人間関係)を見てみる考え方からすれば正しい精神医学の観念である。それは楽観的なオプティミスティックな考え方の構造をシステマティックに分析し、それで悲観的な考え方の人の構造を変容させるということ、つまり、あるものにしばられて自由でない人を自由にするということであるだろうと思われるが、それはこれからの分析にかかっている。これまでそれと反対のことが行われていた理由は「国家のため」とかであった可能性もあり、その点では左翼からの戦時中の国家主義批判は正しかったのかもしれない。このシステム的に楽観主義にかえるという考えは、俗世間的な理論ではない。社会システム的な学問上の問題となりうるし、それは経営論的やらのものとも相違するし、俗な脳内モルヒネとかの考え方とも相違する。神経内科的な考え方とも違い社会的、システム的、学問的なものである。楽観主義の社会(科学的)構造については私の探したところ一冊の本も学問的には存在しない。このため神経内科的の結果治ったと思ったところが実は人間関係(社会)が楽観的にかわったということがありえて、それは内科の問題ではなかったということになる。このためにも楽観的な社会システムを考えなおすということは大切なことである。攻撃性(これは所有者に対する非所有者の攻撃ととらえる政治的な例をとりあげるのではなくて、悲観的な人間が楽観的な人間を悲観のなかにひきずりこむことをいう)を少なくすることによって政治や教育の目的とするものを達成することがある主張によってはその目的に合致するということになる。このことはここで論ずるよりももっと別の所で章を改めねばならないと思われるがこの章でも少し述べておかないと全体の目的が明確にならないのでここで少し述べたのであり詳細は別の所に譲ることにする。
政治学も教育学も共にある人が他の人に知識や記号を伝達するという性質をもった政治や教育を研究する学問であるために、人文科学であると同時に社会科学でもある。現在及び今後の社会(科)教育(科)や公民(科)教育の研究、特に公民という政治に関連するものの研究にあたっては発達心理学や教育心理学やらの研究の成果を導入する必要がある。この導入にあたってはH・S・サリヴァンの主張する人間関係の理論を導入したいと考えるが、発達心理学的に人間関係をみる場合特に兄弟姉妹の人間関係に最も注目すべきであると考える。この考え方は政治も教育も精神医学も人間関係を改善することを目標という立場からすれば、オプティミスティックな将来の改善の研究という基本的機能を持っているべきでありその研究が進められなくてはならないという本論文の結論にも到達するもので、いじめ等の大問題にゆれている学校現場に対しても、いじめられる人間がいるのはいじめる人間がいるからだという人間関係の分析とその改善策の提示という処方せんを提示することになる。
乳児の人間関係の分析、幼児の人間関係の分析、さらに〇才〜三才までの基礎自我の形成に続き一生兄弟姉妹関係が性格の形成に大きな影響を与えていることの理由付けを行い、これまで母子関係として語られてきたものは母も兄弟姉妹関係により性格付けられており、子も兄弟姉妹関係により性格付けられていると分析することによってのみ真の母子関係、ひいては父子関係その他のすべての人間関係が正しく理解できることについて社会的精神=人間関係の分析を行う。このことの裏には兄弟姉妹関係は政治経済的、社会的一体性のもとに運営されていて、それはあたかも動物における母胎内における状況と同じような性質をもっているからであると考えられる。つまり人間は母胎内から早目に出産されてくるが人間関係的には兄弟姉妹関係のなかで「性格の傾向」というものを形成していく生物体であると考えられるからである。それが完成するのは死ぬ時で性格の形成は死ぬまで続いていくが、性格の傾向の完成ではないが「三つ子の魂百まで」という諺があらわしているのは、あるいは、三才児までが大切であるというのは単に三才児まででほとんどの兄弟姉妹の人間関係のパターンは完成し、それ以後は弟か妹が生まれる時までは同じパターンで、生まれた以降は少しの変動があるということを直接的に表現したものであると考えられる。このなかで所有の観念や、所有の権利の概念、共有の譲りあいの観念、譲る義務の観念等が、おもちゃやその他の遊びのなかで形成されると考えられる。
この論文の主要なテーマは「なぜ」人間関係のうちでも兄弟姉妹の人間関係のみが性格の傾向に最も大きな(約七割と考えている)影響を与えるのかを理論的、体系的に考察していき、その理由をすべての人を納得させることである。すべての人が兄弟姉妹をもつか、一人っ子であるかである。すべての人が経験的に考えることが可能であり、すべての人の経験を考えることが可能である。兄弟姉妹の人間関係は人間関係の一部であるがこれまで最も研究されることの少なかった分野である。
社会諸科学と教育学や、教育心理学や、発達心理学と関連があるといえば多くの人は不思議に思うであろう。
私は社会科学の研究者であるし、研究者であった。しかし社会を人間関係としてとらえれば、H・S・サリヴァンの精神医学は人間と人間の対人関係であるという原点に戻るならば社会科学そのものは精神医学であるのだ、つまり社会=人間関係をよく善で、徳のある方向へもっていくのが社会科学であるという結論にたどりつくことができるかもしれない。戦争や権力やら、非行者のパワーやらを正当なものとみなせば、戦争不安の者を戦争においやるのは精神医学や、社会科学の役割ということになる。ところがそのようなものを人間関係という原点にたちかえってみてみると、戦争や非行そのものも人間関係なのであるから、それを社会科学や精神医学は正す方が本当の精神医学や社会科学ではないのかという考え方が生まれうる可能性がある。もちろん人間と人間の関係はそれらのまわりにある環境、すなわち物とか資金とか自然とかをもとりいれながらそれらに取り囲まれながら形成されていくことになる。このことは法律学上の所有の定義ともよく似た概念の法的教育(大学の民法の最初の授業においてよく行われているあの教育、ヘーゲルの『法哲学』にでてくるあの教育)となるかもしれない。しかしここにいうそれはマルクスのいうような人間の心はすべて経済という下部構造により決定されていて自由意思は存在しないという概念から、自由放任主義者のアダム・スミスのいうような見えざる手の原理、さらには実体法上の所有権の絶対、公益による土地の収用にいたるまでのあらゆる要素までを含めた人間と人間との関係を考察し、かつ、親から土地を借りて建築している子供の使用借権という法的な概念からそれから生ずる法心理、法精神までも含めたあらゆる点を総称して人間関係と称することになり、それらを法社会学的に、政治社会学的に広く社会のものにたちかえって哲学的に深く考察する必要があることになる。
この考察を進めていくと、近代におけるホッブスやルソーや、ロックのいう人間というものはもともと自由であったのか、平等であったのか、闘争状態であったのかという問題につきあたり、その意見の違いはどうしようもないものであることに気付く。また現代にあっては法哲学、政治哲学者であるジョン・ロールズの『正義論』のなかの始原状態(originalposition)というものは何なのか、自由で平等であったのかどうか、ロールズのいっている始原状態の説明は正しいのかどうかという難問にかならずつきあたる。その時私は二十三才の時の卒業論文のなかにでてくるアダム・スミスや、シュンペーターや、ハロッドや、H・S・サリヴァンや、エーリッヒ・フロムや伊藤博文らは一人っ子であったが、マルクス、レーニン、エンゲルスらは多人数(六人以上)の兄弟のなかで育ったという事実、そして、その理論的な説明(評価)のなかにひょっとしたら始原状態の見方の違いが含まれているのではないか、それが驚く程の共通性を生み出したのではないかと思うようになり、三十二才の頃に高校の教員をしていた時に東大の経済学部同窓会誌にそのことを投稿してのせてもらったり、ドラッカーのフロイト批判やフロムのフロイト批判を読んだり、研究したりしながらそのことを現実の生徒をみながら更に深く確信していくことになった。しかしそれは経験的な類型化であり、その理論付けではなかった。早稲田大学の政治学研究科政治学専攻の修了のための修士論文においてはまた類型化のみを行ったが、ついにその論証は失敗に終わった。ところがある時、ひょっとしたら性格の形成にあたえる人間関係の影響は類型化によって説明するのではなく、割合による特性化によっておこなえば説明に成功するのではないかということに気付いた。それは兄弟姉妹の人間関係と、親子の人間関係とを比較してみてそのどちらが人間の性格形成により大きな影響を与えているかは明白である。ところがどちらがどれだけ多くということを計測しない限りこの問題は決着しないことに気付いた。人間関係と人間と物の関係のどちらが人間の性格に影響を与えているのかについては経済の因果関係の問題であり、それはマルクスの批判のところで述べる。物を取り囲む二人の人間の人間関係において兄弟姉妹の人間関係と、親子の人間関係のどちらがより多く人間の性格に影響を与えるかを調べることは論文の構成にも、議論の筋のたて方にも、大きく影響を及ぼす。まず同じ親から生まれた十人の子供の性格が全く同じであるとするならば、親子関係が性格に大きな影響を与えていることを認めざるをえないが、実はそうでないことは多くの学者の認めていることである。そのことについて兄弟姉妹の順序に従って親の方が取扱い方(授乳の仕方を含めて)をかえているのだということによって説明することには多くの反証(自分自身同じように取り扱っているという人がでてくるであろう)が存在してとりあげるにたらない論となるだろう。しかし兄弟姉妹構成による性格の影響が大きいと考えるのならば、親の性格もそれが影響を与えていると考えられるし、そのような見方が必要となってくることになる。
H・S・サリヴァンの理論は実体験から発生してきた理論であるので多くの点で正しいと私は思う。しかし人間関係を見るにあたってこのような深い、哲学的な人間関係の見方については彼もいまだ行っていないようである。この考え方はすべての人を平等に扱うことにおいて他よりも優れていると私は思う。性格の傾向のよってきたる所を探ることは人々を平等に扱うことになるからである。人間を平等に扱うということは、まず生まれた時の人間は本能として備わっているもの以外(ここが生物学的精神医学派に対する反論であり、それ以外を巧妙に本能として、死の本能のようなものとして学問の領域に持ち込むことをしないということである)は白紙であり、制度や、性格の傾向というものが植付けられるべき選択の自由な存在としてみているということである。性格論はある性格学者が警察学者や、刑事学者と共に性格論を著しているように法学、特に刑法学を含む多くの学問に大きな影響を与えるものであり、占星学やABO型性格学者等の運命論や社会神学者等にも大きく科学化の一助を与えるものであり、社会科学全般にとって大切なものである。この自由と平等を出発点とするということは政治的であるようにも見えるがそうではない。金持ちであったハウス大佐が六男坊でありフォビアを持っていたということと、金持ちでなかった人がフォビアをもっていることと、フロイトがフォビアをもっていたこととを金持ちや、権威とかとは関わりなく平等に取り扱うことをのみ目標とし、権力や金の力には屈服しないということ、スターリンであれ、ヒットラーであれ、マルクスであれ、フロイトであれ同じように取り扱うということを示しており、妹が五人いたフロイトのように権力を巨大なものとみている人には権力を巨大なものではないことを教え、日常の行動のなかにも政治性を発見するようなことを教えるという結果をもたらすことになるかもしれないということになるのみである。
人間の兄弟姉妹関係が約七割の性格の形成に影響を及ぼすという命題について七という数量について異論をさしはさむ人はいても、兄弟姉妹構成(この場合、小さい頃の家族生活共同体の構成という意味であり)施設や器物やギリシア時代の共同社会や「小さい村」で育った人はその共同社会によるよりも食べるものや、居所を奪い合いし、所有を形成するような小さな家族的生活共同体により性格への大きな影響を受けることについて異論をさしはさむ人はいないであろうと思われる。それはその共同体は生活の仕方のすべてを教えるであろうからである。まずこのことを発達心理学的に明白にしようとするのがこの論文である。
このような観点から乳幼児の兄弟姉妹関係と性格の形成の分析に到り、そしてその結果として親の性格の傾向と、子供達の実際の性格の形成過程に対する親の性格の傾向の分析等を行っていくこととする。
社会精神医学と政治と自由
これまでの精神医学は人間を本能のかたまりとして動物以下の物としてみるのに対して、社会精神医学は本能以外の自由の部分について、因果関係論及び人間関係論を通じて将来の精神をペシミズム的構造からオプティミズム的構造に変化、変容させることをサービス業として行うことを目的とし、そのサービスに応じて報酬を得る商業・ビジネスとしてのあり方を模索するものである。政治と自由、教育と自由、経済と自由、社会と自由等の自由論の総体も社会的精神のあり方としてこの学問と関連を有する。人口が爆発して人間が地球上に住めなくなる程に多くなるかもしれないというマルサスの人口論や、ローマクラブのペシミズムは人類を滅ぼすかもしれないというペシミズムであり、これに対して人間の自由な精神は人口を自動的にか、他動的にか抑制しそのようなこおがおこらないだろうということを自覚するかもしれないというオプティミズムはどのような方法で、どのような構造として人間に知覚され実行に移されるのだろうかということはこの学問の一つの実証的な問題対象であり、そのためには政治学、経済学、教育学、商学、行政学、医学、社会学等の様々な学問の総動員を必要とする。
公民教育法(注)
「カラマーゾフの兄弟」から「細雪」まで兄弟姉妹関係を表現した数多くの小説がある。そのなかでもシェイクスピアのリア王や、細雪は性格の違いを巧みに表現している。また童話のなかでも、「シンデレラの物語」も兄弟姉妹の性格をいいあてている。それを現代のあてはめてダイアナ妃が四女であったこと、雅子妃が長女であったこと等とその性格の相違を考えてみることは現実的には難しい。
贈収賄事件で、竹下登の秘書が自殺したり、埼玉県職員が自殺したりした。これを新聞は事故と発表した。クリントンの部下が自殺した。私はこのような自殺こそ人間関係によるものと考える。
ある人間が存在するにも関わらず、存在しないと思いこんだ方が都合がよいという理由で、他の人間を存在させないようにすること、これがいじめやフロイトの論理であり、それは異母兄弟の存在を消すという作業の経験からきている。フロイトの母即ち父の後妻にとってはそれが必要であった。
精神の病の人はいない。しかし精神の病にしている人間(フロイトら)はいる。この場合の精神の病とは彼らがそのように行動していることであり、その人間関係によって精神の病が正常な人に発生しているといえる。従ってそのフロイトにいわれて精神の病に陥っている人々(フロイトら)は精神異常者となる。
生物学としての精神医学は本当に存在しないのだろうか。それは精神が生物的なものであるどうかという一点にかかっている。生物学的なもの、つまり、自由の存在しないものが精神だと考えれば精神医学は生物学に属する。この考え方はマルクスの唯物論の考え方をとり経済がすべてを決定しており、人間には自由意思は存在しないというように人間関係を観察したり、人間には潜在意識というものがあり潜在意識がすべての人間行動を規定しているのであるから人間には自由意思が存在しないという考え方をとり、そのような勝手な考え方のみで人間関係を一方的に観察するならば、それは一見すると人間は生物的なものにみえる。この傾向が著しくそのようにみえるのは戦争においてその戦争を積極的に肯定し、人間を細菌戦の実験材料にしたり敵がいたがっているにもかかわらず敵だといって相手の心臓に鉄砲や刃を向ける時の人間が人間をみる時の心情のなかにみてとることができる。
一方では人文科学としての精神医学はどうしても『人間失格』における太宰治のようにメランコリーからぬけ出すことができないでいる。それは戦争のような社会的な大きなうねりから自らを解放し、自由を得ようという視点が存在しないからである。太宰治が第二次世界大戦後の実家の『斜陽』が社会的なものであるととらえていたならば、社会科学の研究に向かっていって新しいタイプの社会科学者となりえたかもしれない。
また最後の種類の精神医学である社会科学としての社会精神医学においては、社会と人間関係という視点から人間と人間の関係と、人間を新しくみなおそうという考え方をとった点においては画期的で、現実的なものであるといえるが、しかしどの社会科学者も、どの精神医学者も中途半端な研究に終わってしまっているのは、オプティミスティックな人間関係と、その精神の構造が人間の行動の統計学的な予測と期待によるのだというようなケインズが経済学において「一般理論」として発見したようなことを、まだ社会一般の一般理論として発見しえていないという欠点に由来するものと思われる。人間には自由が存在し、公務員制度や、政治や、社会機構等に関して様々な期待、例えば公平であれ、正義をもて、平等に取り扱え、平等に関心をもってくれなどなどという期待をもっているにも関わらず、その期待を実現するために、統計学的な方法でその期待を最も実現しやすい方法を社会科学的に実現し、学問化しえていないという社会科学側の欠点にもっぱら社会科学として精神医学が、人文科学としてのそれや、生物学としてのそれから、精神医学をとりあげきれていない理由が存在していると私は考えるものである。
冷戦終了までの社会科学も、マスコミも、戦争に奉仕してきたり、マルクスや、フロイトや、チャップリンをもちあげて、戦争を強化するという方向に向かっていたと私は解釈したい。二十世紀はそのような時代であったのかもしれない。二十一世紀には冷戦終了後、日常性のなかに科学を見出し、そして平和を求めるような社会科学(商売学も含む)が必要となってきていると考える。商学とは所有の観念が兄弟姉妹の人間関係のなかで形成され、そして大人になってからもその交換という形態のなかで社会が形成されることがあるという意味での「相互性」のなかにも社会的な意味を認め、ユダヤ人の商売批判をおこさないような学問のことを抽象的に述べたのである。商売による利潤の批判はユダヤ人虐殺の大きな理由を占めていたと考えられる。独占による大きな利潤の革新主義による批判が新しい自由主義として定着しているのを除いてはこの利潤批判や、利潤罪悪論は大きなうねりとなっていた。この二十世紀の流れに対して二十一世紀はビジネスや、利潤を生む商売というものから隔離された浮世離れした学問や、役人主義の時代からいかにして楽観的な利潤肯定論、つまり利潤は働いた人に帰属するのである、そしてその利潤は移転によって再分配されるべきであるという理論がいかに定着していくのかということにその発展の成否がかかっているといえると思うのである。このような大きな流れのなかでこそソ連の自由化の流れも、世界の大きなうねりもとらえることができる。
人間関係論では社会科学に地位をあけわたさなければならなくなった精神医学や、性格学
性格の傾向や、精神の動向に生物学的なものがかかわっているとするこれまでの精神医学の学説は〇.〇〇〇〇一%の可能性も存在しないと考えられ、それはマルクスの唯物論と同様に因果関係から自由は存在しないと考えたことによるものと同じく、生物として自由は存在しないと考えたことから発生した人間学に関する誤解から生じたものであると考えられる。確かに人間は周りの物と人間とを同時に自らの試行のなかにとりいれる。その場合物のみを取り入れるのではない。そして周りの他の人間も物のみではなくて、自分も取り入れて思想を形成してくれている。そして物に関する奪い合いや、取り合いが例えあったとしても、それは人間関係のうちにおいて処理され、これは私のものこれはあなたのもの、そしてこれは共有にして、必要な時にはどちらかが使いましょうという具合に決定がなされる。ところがどちらかの人間が決して他人には渡さずに、絶対に自分のものであるといいはる、つまり、物に固執する場合がでてくる。こうなるともう解決がつかなくなり、この場合は道徳によって解決するしか方法がなくなる。そして倫理学や道徳教育の必要性が生まれてくることになる。このことを解決するためにフロイトや、マルクスのようにこの世の人間はすべて生物学的に「死の本能」があると持ち出してきたり、マルクスのように「平等という静的状態」を維持するためには「自由はすべてなくして」しまって行動をすべて制限し、経済の平等のためにはすべてが経済のために存在するのだから自由をなくしてしまえという意見を持ち出してくるのは、それこそ精神病を治すのではなくて、精神病にすべての人をしてしまい、「死の本能」が存在してしまうことになるか、マルクスのようにすべての人の選択の自由がなくなった社会を作り、自由を求める人々を自由を制限するために東ドイツのシュータージュのような秘密警察により管理したり、ソ連のようにソルジェニーツィンのような人々を政治によって精神病院や収容所に入れなくてはならなくなってしまうのである。このことを克明に描写したダウェイやブロックは相当の勇気を持って描写したのであり、それが東西冷戦をなくす陰の力、マスコミの援助もあっただろうが、となったことは否めない事実である。更にこれを押し進めたのは、マクルーハンが主張したテレビ等の新しいメディアが家庭のなかに「家族ドラマ」等を持込み兄弟姉妹の人間関係や、それから生じる結婚や離婚劇等を詳細に描き出したのも一つの力となって文化、文明が変化して東西冷戦の終結を迎えたと考えられる。
このことは政治学や、人間学や、教育学や、マスコミ論や、その他のすべての社会科学等を大きく変化させようとしている。人間がものを書いたり、いったりするのは、そしてそれを「自由にいう」こと、「自由に書く」ことは人間が自由な存在であり、自由な選択が可能であること、したがって、精神医学者がいう気質等が生物学的に決まっていて自由が存在しないことは全くないということがすべての人間に関する学問の、そして人間と人間の関係である社会に関する学問の出発点とならねばならないことが明白になってきて基礎から人間科学や、社会科学が変化し、大きくUターンをしなければんらない時代がここにやってきたといわねばならないのである。そうなると人間科学や、社会科学は全く姿を変えざるをえなくなってきた。これまでもメリアムの「政治学の新しい側面」のようにそれを予言していた学者はいたが、それが現実のものとなってきたのであるといえる。
教育学や精神医学における東西冷戦後の新しい局面としては、すべての人が家庭内の兄弟姉妹的人間関係のなかで生活しているということ、つまり、学校から家庭に帰れば、家庭のなかで激励され、しったされて勉強したり遊んだりしているということ、そしてそのなかから自らの性格の傾向を作りだし学校やらにやってくるという事実を把握することから出発せざるをえなくなったといえる。学校の改築も、精神医学の変革も、社会科学の変革も、家庭の両親とそのもとになった兄弟姉妹の人間関係の考察という基礎にたちもどって考えざるをえなくなってきたのである。ある人が医者を目指すのは家庭のなかでそのように要求され、経済的その他でそのようになっているからであって、学校がそのようにしむけたのではない場合がありうる。しかし学校は医者についての客観的な基準を与えなくてはならない。しからば精神医学は社会科学全般の知識を生物学以外に持ち込んで教えなくてはならなくなるのだろうか。それでは医学の専門化に反することになる。そうなれば精神医学は社会科学にその分類的地位をわたさなくてはならなくなると考えられることになる。
病因人は病気である
社会的精神医学においては、ある人が病気にさせられている人を見つけだし、その人の権力的傾向をなくさせ、その人が依存心があり依存心があるために患者に殺されるといっているのであるならばその人を独立的にさせ、その人が患者の過去の失敗ばかりいって患者をメランコリーにさせていればその人を将来をみる楽観的な人にさせ、・・・ることが治療であり、本人ではない。いじめられている人を治すのではなくて、いじめている人を治すのである。いじめられている息子を治すのではなくて、いじめている人を治すのである。自殺させられそうになっている人を治すのではなくて、自殺させようとしている人を見つけだしその人を治すのである。病因人を見つけだしてその人を治すしか方法はない。病気になっている人は弱い存在の人である。資金のない人とか、権力のない人とか、貧乏な人とか、弱者とか、職のない人とか、能力のない人とかである。それに対して病気にさせている人は患者がこの世からいなければよい、いなければ自分の利益になると思っている人である。この他人の存在を否定し、そうすれば自らの利益になるという考え方を抹殺の論理というとすれば、そのような心理は人口が多過ぎるとか、兄弟姉妹が多過ぎるとか、いつも人間関係において競争的で精神が緊張しすぎている多人数兄弟のなかで育った人とか、兄弟姉妹関係のなかで異母兄姉や異父兄姉をもっているとか、様々な性格上の欠点を持っている人の場合が多い。このような人を探し出して、その患者のためにその病因人のそのような考え方を治させる必要がある。そのためにこそ楽観的な性格への変換のための精神医学が必要となるのである。
病因人の性格を治すのではなくて、患者本人を治すことはできるであろうか。それは不可能に近い。病因人はもし秘密でそのようないじめたり、しっとのことばをはいたり、・・・あらゆることをやっていたとしたらどうしたら病因人を見つけだすことができるであろうか。その場合医者としても探し出すことができない。本人を治すことが不可能であるならば病因人の心が治らない限りどうしようもないことになるのにその病因人が秘密でそのような病因となるようなことを行っているとしたらどうすればよいのか。裁判官やらだったら、秘密のことは証拠がないとあきらめるしか方法がないが、社会医者の場合には病因人が秘密でやっていても、その秘密の行動をやめさせるように説得するのがその役目となる。一般には病因人は自分の利益を侵害されそうになると何度もそのようなことを行っているから、すぐに検討がつく。
ある人の周りで自殺が頻繁に起こっているという場合、例えば大統領の回りでとか知事の回りでとか、元首相の回りでとかという場合には、容易に想像がつくが、病囚人が秘密で行っていたりすると容易に想像がつかない場合がある。その場合は兄姉姉妹の人間関係からみて病因人になりそうな人を推定することは可能である。病因人は一般には依存心が強く、競争心が強く、いつも緊張しており、金のためには、また、権力(権威)のためには頭を下げることをいとわず、学校的な意味とは反対に頭がよく抜け目がなく、気がきくひとであり、いつも評判を気にし、他人を悪くしても他の人々のいい評判を強制し、誰かに依存できなければその人の存在はないものと考えているような人である。病因人は問題児として患者となるような弱者ではなくて、弱者を問題児にしているような人である。問題児のように表面にはあらわれず、秘密で病因になるようなことを行っている人である。
病因人が身内にいる場合には発見しやすいが、病因人が他の社会の人である場合には非常に発見が困難である。それも秘密で行っている場合には更にそのようなことがいえる。
病因人のバーリンのいう積極的自由が他人を精神病に陥れる原因であり、ストライキもそれに当たる。依存できないといってあばれることは、依存させてくれない独立で、消極的自由のほうに問題があるのではなくて、依存的な性格のほうに問題があるのである。
家庭から離れた人間の社会においては年上の人もいるし、年下の人もいる。その意味では年上に姉兄がいて、年下の兄弟に妹弟がいる中間子はそれによって過去の伝統も、将来のことも考えられるようになる点において社会的な性格がみにつくということがいえるのかもしれない。
アウシュビッツの人々はなぜに自殺したくなった人もいたのか。それを分析するときにユダヤ人を排斥しユダヤ人を黒く塗るという心理的行為を実行した人がいたからであり、そのような人を依存的な人であるということができる。
兄弟姉妹の人間関係はなぜ性格の傾向に大きな(約七割というような)影響を与えるのか
兄弟姉妹の政治学と、公民としての政治学
「家族は社会の心理的代行者と考えることができる。」(フロム、『自由からの逃走』、訳書三一六頁。)家族はイデオロギーを形成する場である。イデオロギーが社会において形成され後に家族に持ち込まれた場合には、家族に適合しないイデオロギーとなる場合が発生するということになり、イデオギーが確固たる信念の体系であるという定義自体に反することになる。
政治学と精神病理学の変革
───兄弟姉妹の政治学と、イデオロギーの形成───────
四才の子供が両親のけんかをとめるのはフロイト理論によっては全く証明がつかない。
兄弟姉妹にとって、自分たちの生活をよくするために親に代わって収入を得る交渉を社会とする権限がないので、自分たちの間で分配し消費することのみがまっぱらの関心事となる。子供たちは社会的なこと、すなわち親が金持ちであるとか、貧乏であるとかについては何ら関心はないし、そのような意味での平等性についてはほとんど関心がない。関心があるのは兄弟姉妹のなかで平等に分配がなされたかどうかのみである。ただし、相当に年をとり社会的に何らかの活動が可能になってからは社会内における平等性に目を向けるようになるが、それは兄弟姉妹のなかでの分配が食べることが出来ないくらいに低い場合に触発されてである。学校で他の子供との小遣いの多寡などについて比較を行ってからである。
ここで女性についての問題についていっておかなくてはならない。日本やらのような父権中心の社会においては、甘えは父親との依存関係によって発生するのであり、母親との関係から発生することは少ない。これは土居の「甘えの構造」の理論にたいする一つの異論であり、アタッチメントやらの理論はほとんど現実的な理論ではないと考えられる。そのような理論が本当なら母親のいない施設の生徒はすべて狂っているという偏見になってしまう。
兄弟姉妹関係のなかで女性への分配を少なくすることは、女性の栄養を悪くするのみではなくて、女性の平等に関する意識に大きな影響を与える。それを是正する方法は女性の子供には全く見出しえないからである。フロイトの理論は女性蔑視の極にあったことは、誰でも納得することである。性に関するここまでの蔑視はここに極まれりという感じが私にはする。
兄弟姉妹の間においては自分達の間で多くを取った(分配を得た)者が社会におけるような金持ちであり、そうでない者が貧乏なのである。これは社会とのアナロジーにおいて「社会的な言葉」として子供の言葉のなかでみにつくことになるのである。
「東大闘争」においては、定義もしないで、東大という概念と戦っていたのは、資本家という概念と戦うのと同じだった。
フロイトの心のなかでのみおこったこと、義賊の心理
タブーからの自由はフロイト主義ではない。フロイト自身がタブーそのもので自由を抑圧した。タブーからの自由への道である。
歴史や思想家にみる兄姉姉妹関係論に対して、現在の様々な事件を兄姉姉妹関係論でみるとどうなうであろうか。
つくば医師殺人事件や宮崎勤や、ダイアナ妃や (四女)やらについても、桜田淳子についても分析することができる。
ある人が十分に様々なことに注意しながら生活することに注意しながら生活することにより、安全に生活していることにたいして、Aのような人間が安全に生活していることを破綻したくて、精神的に壊すことにより、私有財産や、干渉されない消極的自由をおかそうとすることは、簡単にできることではあるが、やるべきではない。
これまでの精神病とこれからの真実の精神病
私はある人が他の人に「精神病」といっている人間関係を認めはしないが、私は依存的な人をあらゆる種類の精神病という。これまである人が他の人に「精神病」といってきたある人とはすべて依存的な、あらゆる精神病をもった人であった。そのような精神病ということばは間主観的なものであるから全くもって認められない。しかしこれまでそのようにして精神病といってきた依存的な性格の傾向をもった人を、精神分裂病をはじめあらゆる精神病と彼らがいってきたことばをそのまま彼らにいうのは、差別でも何でもなく、彼らも自分で内心をみてみるとそう思うであろうから、真実であるのでそういうことを認めるのである。彼らは自由意思により依存的であることから、自由で独立した人間に向かえばよいのである。
東大が悪いという観念の形成の仕方について、その感情については、それが精神病であると断定できても、逆に東大が精神病だとは誰も否定も肯定もできない。ただそういっているAがそこにいて、それが積極的に他人をジャマしている、その自由があるといっていることのみは認められるし、それがストライキと同じく、国家をも滅ぼすことは認められるが。
依存者の排泄行為
子供の教育にあたって排泄行為を大人が世話をする人間が嫌えばきたないものと教えなくてはならないが、世話するのが好きな人は「食べたものは、同じ量排泄しなけば、その分膨れてしまうよ。」と教えるのみであって汚いという感情は必要ではなくなる。
これが依存的な人にとっては依存するほうであり世話を嫌うので排泄を汚いと考えることになり、逆に依存するために排泄を利用するという考えに到達して、それでイヤがらせをするということになる。
(政治と教育)
ペスタロッチ『政治と教育:隠者の夕暮他』(梅根悟訳)(東京:明治図書出版、一九八四)
エーリッヒ・フロム『権威と家族』(安田一郎訳)(東京:青土社、一九七七)
エーリッヒ・フロム『自由から逃走』(東京:東京創元社、一九八四)
デューイ、J・『民主主義と教育』上、下、松野安男訳(岩波書店、一九七五)
F・I・グリーンスタイン『子どもと政治その政治的社会化』松原次郎、高橋均訳(東京:福村出版、一九七二)
J・J・ルソー『エミール』永杉喜輔ほか訳(玉川大学出版部、一九八二)
R・E・ドーソン、K・プルウィット『政治教育の科学──政治的社会化──』菊池章夫訳(東京:読売新聞社、一九七一)
日本政治学会編『現代日本における政治態度の形成と構造』(東京:岩波書店、一九七一)
R・ドーソンほか『政治的社会化──市民形成と政治教育』加藤秀治郎ほか訳(東京:芦書房、一九八九)原書:PliticalSocialization ,2nd ed.
村田昇『国家と教育──シュプランガー 政治教育思想の研究──』(京都:ミネルヴァ書房、一九六九)
藤沢法暁『現代ドイツ政治教育史』(東京:新評論、一九七八)
山下国幸編著『戦争と教育』(東京:鳩の森書房、一九七二)
(人間関係論と精神医学・発達心理学)
依田明『きょうだいの研究』(大日本図書、一九九〇)
依田明『きょうだいと性格』、鈴木乙史他編『パッケージ・性格の心理 第一巻 性格の発達と形成』、一三三〜一四五、(ブレーン出版、一九八五)
サリヴァン、H・S・『精神医学は対人関係論である』中井久夫ほか訳(みすず書房、一九九〇)(原著:TheInterpersonal Theory of Psychiatry)
サリヴァン、H・S・、中井久夫・山口隆訳『現代精神医学の概念』(みすず書房、一九七六)(原著:Conceptionsof Modern Psychiatry)
チェス、S・,トマス、A・『子供の気質と心理的発達』(星和書店、一九八一)
三宅和夫『子供の個性』(東京大学出版会、一九九〇)
ポール・H・ウェンダー、ドナルド・F・ポーレット・カーン『子どもの兄弟関係』(岸田秀訳)(明治図書出版、一九六九)(原著:Cahn,Paulette,Larelation Fraternelle chez lnfant)
依田明『ひとりっ子・すえっ子』(東京、大日本図書、一九八六)
依田明『三歳児』(朱鷺書房、一九八二)
依田明・本間千尋『六歳児』(朱鷺書房、一九八一)
依田明『母子関係の心理学』(大日本図書、一九八二)
永野重史、依田明共編『乳幼児心理学入門』(東京:新曜社、一九八六)
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クライン『現代精神医学への招待──生物学的アプローチの射程──』(松浪克文、福本修訳)(紀伊國屋書店、一九九〇)(原著、一九八一)
依田明編『性格形成』(東京:金子書房、一九八六)
T・S・サズ『精神医学の神話』(河合洋ほか訳)(東京:岩崎学術出版社、一九七五)
モード・マノーニ『反精神医学と精神分析』(松本雅彦訳)(京都;人文書院、一九七四)
ハリー・スタック・サリヴァン『分裂病は人間的過程である』中井久夫ほか訳(東京:みすず書房、一九九五)(原著Schizophreniaas a human process)
ハリー・スタック・サリヴァン『精神医学的面接』中井久夫ほか訳(東京:みすず書房、一九八六)(原著:ThePsychiatric Interview.)
ハリー・スタック・サリヴァン『精神医学の臨床研究』中井久夫ほか訳(東京:みすず書房、一九八三)(原著:ClinicalStudies in Psychiatry. )
依田明『ひとりっ子の育て方、きょうだいのある子の育て方』(東京:三笠書房、一九九一)
依田明、千石保編『子どもにこれだけは教えたい「マナーとルール」の本』(東京:あすなろ書房、一九八五)
依田明『人はなぜ「嫉妬」するのか──「心の不思議」に通じて面白く生きるコツ』(東京:大和出版、一九九〇)
依田明『檻の中の子どもたち──日本的母子関係がもたらしたもの』(東京:大日本図書、一九八六)
依田明編、小林登ほか著『子育て、何がいちばん大切か』(東京:新曜社、一九八七)
エルシー・オズボーン『タビストック子どもの発達と心理 五歳』依田明、山上千鶴子訳(東京:あすなろ書房、一九八三)(原著:YourFive year old. )
詫間武俊、依田明、繁多進『二歳〜六歳の心理』(東京:あすなろ書房、一九七五)
依田明『〇歳児──一歳までの親子関係が子どもの将来を決める──』(大阪:朱鷺書房、一九七八)
依田明『ひとりっ子──自立心をどう育てるか──』(東京:光文社、一九七三)
依田明『ひとりっ子の本──父さん母さんをウラむな──』(東京:情報センター出版局、一九八一)
依田明、福島章編『ふたりっ子家族の親離れ、子離れ』(東京:有斐閣、一九八一)
依田明『四十歳から──人生のおもしろさを考えると』(東京:フォー・ユー、一九八九)(発売:日本実業出版社)依田明編『きょうだい関係とビジネス力──こんなに違う企画力、交渉力、情報力、実行力──』(東京:同文書院、一九九二)
依田明編『きょうだい順でわかる人柄の本──性格学の常識──』(東京:同文書院、一九九三)
(兄弟姉妹関係に関する斉藤茂太氏の本)
斉藤茂太『兄弟関係──無意識にあなたを支配するコンプレックス』(東京:青春出版社、一九七五)
斉藤茂太『ひとりっ子の時代──世の中変わる家庭も変わる!』(東京:グリーンアロー出版社、一九八五)
(兄弟姉妹関係の人間関係に関する本)
畑田国男『「妹の力」社会学』(東京:コスモの本、一九九一)
畑田国男『「弟の力」伝説』(東京:コスモの本、一九九二)
カール・ケーニッヒ『兄弟と姉妹──生まれてくる順番の神秘』そのだとしこ訳(福岡:葦書房、一九九一)
畑田国男『兄弟の社会学』(東京:講談社、一九九三)(参考文献あり、三〇三〜三〇四頁)
下山啓、NHKひるのプレゼント班著『兄弟姉妹人間学──人間の性格は出生順位で決まる──』(東京:徳間書店、一九八六)
品川不二郎『きょうだいの心理と導き方』(東京:あすなろ書房、一九七六)
(三才児について)
聖教新聞社編『三歳までが勝負』(東京:聖教新聞社、一九七一)
幼年教育の会編『〇歳から三歳までのしつけ』(東京:誠文堂新光社、一九七一)
松井公男『ピアジェ理論の実践(一)三歳児の知能を伸ばす総合あそび』(東京、明治図書出版、一九八一)
詫間武俊、藤永保、依田明編『幼児教育──三歳児から小学生まで一一一の教育カルテ──』(東京:有斐閣、一九七〇)
(政治と精神医学)
ブロック、S・,レダウェイ、P・『政治と精神医学』(秋元波留夫ほか訳)(みすず書房、一九八三)(原著:SidneyBlock and Peter Reddaway, Russia‘s Political Hospitals──The Abuse ofPsychiatry in the Soviet Union ──(Victor Gollancy,Ltd,London, 一九七七)
アメリカ版は、(Psychiatric Terror,Basic Books, 一九七七)
ドイツ語訳は、(Dissident order Geisteskranke ? Missbranch der Psychiatriein der Sowietunion,R.Piper Co.Verlag,Mnchen,Zrich, 一九七八)
(幼児教育)
コンスタン・カミィ、リタ・デブリーズ『ピアジェ理論と幼児教育』稲垣佳世子訳(東京:チャイルド本社、一九八〇)
モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』阿部真美子、白川容子訳(東京:明治図書出版、一九七四)
マリア・モンテッソーリ『幼児と家庭』鷹角達衛訳(東京:エンデルレ書店、一九七一)
ジャン・ピアジェ、P・リクールほか『心理学とマルクス主義』宇波彰訳(東京:福村出版、一九七四)
ジャン・ピアジェ、ベルベル・イネルデ共著『新しい児童心理学』波多野完治、須賀哲夫、周郷博訳(東京:白水社、一九六九)
ジャン・ピアジェ『人間科学序説──科学体系のなかで人間科学はどういう位置をしめるか』波多野完治訳(東京:岩波書店、一九七六)
ジャン・ピアジェ『発生的認識論序説』第一巻〜第三巻、田辺振太郎、島雄元訳(東京:三省堂、一九七五)
ジャン・ピアジェ『判断と推理の発達心理学』滝沢武久、岸田秀訳(東京:国土社、一九六九)
ジャン・ピアジェ『諸科学と心理学』芳賀純訳(東京:評論社、一九七〇)
ジャン・ピアジェ『子どもの因果関係の認識』岸田秀訳(東京:明治図書出版、一九七一)
ジャン・ピアジェ『思考の誕生 論理操作の発達』滝沢武久訳(東京:朝日出版社、一九八〇)
ジャン・ピアジェ『構造主義』滝沢武久、佐々木明訳(東京:白水社、一九七〇)
ジャン・ピアジェ、B・インヘルダー『心像の発達心理学』久米博、岸田秀訳(東京:国土社、一九七五)
ジャン・ピアジェ、B・インヘルダー『よりよき幼児教育のために』(『ピアジェとブルーナー 発達と学習の心理学』三嶋唯義訳、東京:誠文堂新光社、一九七六)
(秘密警察による自由の妨害)
桑原草子『シュタージ「旧東独秘密警察」の犯罪』(中央公論社、一九九三)
(社会科教育関連)
本多公栄『社会科歴史教科書の批判』(明治図書、一九六六)
本多公栄『近・現代史をどう教えるか』(明治図書、一九六七、一九七六)
本多公栄『歴史教育の理論と実践』(新日本出版社、一九七一)
本多公栄『ぼくらの太平洋戦争』(鳩の森書房、一九七三)
本多公栄『生徒と共につくる社会科の授業』(明治図書、一九七四)
本多公栄『教えることと育てること──中学校社会科の実践』(地歴社、一九七八)
本多公栄『社会科の学力像──教える学力と育てる学力』(明治図書、一九八〇)
本多公栄『教科書を国民の手に』(新日本図書、一九八二)
本多公栄『ゆれる教科書問題への提言』(あゆみ出版、一九八二)
本多公栄『社会科教育の理論と実践』(岩崎書店、一九八四)
遠山茂樹『歴史学から歴史教育へ』(岩崎書店、一九八〇)
臼井嘉一『戦後歴史教育と社会科』(岩崎書店、一九八二)
臼井嘉一他『社会科教育の理論と実際』(国土社、一九八一)
臼井嘉一他『日本の社会科三〇年』(民衆社、一九七七)
川合章『社会科教育の理論』(青木書店、一九七九)
川合章『民主的人格の形成』(青木書店、一九七二)
川合章『子どもの発達と教育』(青木書店、一九七五)
川合章『人格の発達と道徳教育』(青木書店、一九七九)
(文部省『学習指導要領 社会科』)
日本民間教育研究団体連絡会編『社会科 教育課程叢書』(民衆社、一九七八)
芥子芳雄編『同和教育と社会科の課題』(明治図書出版、一九七八)
谷川彰英『柳田国男と社会科教育』(三省堂、一九八八)
川合章『学習指導要法』(金子書房、一九五五)
川合章『教授=学習過程』(明治図書、一九六一)
川合章編『講座・現代民主主義教育』(青木書店、一九六九)
西村文男、千木良和男編『学級を生かす社会科の授業』(教育出版、一九八四)
日本社会科教育学会編『社会科教育学の構想』(東京:明治図書出版、一九七〇)
高橋靖『社会科教育 人間形成を目指す』(玉川大学出版部、一九七二)
森下恭光、福島茂明『社会科教育』(明星大学出版部、一九八二)
永井滋郎ほか編著『社会科教育学』(京都ミネルヴァ書房、一九七九)
内海巖博士頌寿記念論叢集委員会編『社会科教育学の課題』(東京:明治図書出版、一九七一)
尾崎扁四郎編著『社会科教育学──実践と理論の相互補完──』(東京:東洋館出版社、一九八三)
石原征明、樋口誠太郎、横田信義『社会科教育法概論』(東京:南窓社、一九七七)
山田勉『社会科教育法──問題解決学習へのすすめ』(東京:秀英出版、一九七六)
山田勉、峰勉『政治の学習──政治を身近なものとして──』(東京:国土社、一九七四)
阪上順夫編著『社会科における政治教育──その理論と授業展開──』(東京:明治図書出版、一九七三)
歓喜隆司『アメリカ社会科教育の成立、展開過程の研究──現代アメリカ公民教育の教科論的分析』(東京:風間書房、一九八八)
日本社会科教育学会編『社会科における公民資質の形成──公民教育の理論と実践、幼・小・中・高の一貫化を目指して』(東京:東洋館出版社、一九八四)
(公民教育)
関口泰『公民教育の話』(東京:文寿堂出版部、一九四六)
森秀夫『公民科教育法』(東京:学芸図書、一九九二)
歓喜隆司、木下百合子『公民科教育法──教科教育法「公民」(京都:仏教大学通信教育学部、一九九二)
斉藤弘『公民科教育への歩みと課題──人間としての在り方生きかた──』(東京:富士教育出版社、一九九一)
公民教育研究会編『公民教育の解説と例話』(東京:厚生閣書店、一九三二)
著者
山口 節生
一九四九年生まれる。一橋大学、東京大学、中央大学卒業、商学、経営学、経済学、法学を学ぶ。
三菱信託銀行勤務を経て、一九七七年〜八一年伊万里商業高校商業科教諭、八一年〜八四年有田工業高校 英語科教諭、八四年〜八六年鳥栖高校英語科教諭。一九九〇年不動産鑑定士、九一年〜九三年早稲田大学大 学院政治学修士、九四年〜九七年日本大学大学院法学研究科博士後期課程満期指導認定満期退学。
政治と自由──自由と平等の調和を目指して──
一九九七年四月一日 初版第一刷発行
山口 節生
発行所 有限会社 日本経済研究所
〒一六二 東京都新宿区新宿一の十五の七
電話 〇三(五二六九)九七五一 FAX 〇三(五二六九)九七七〇
製版・印刷 製本所
○ 一九九七 日本経済研究所
Printed in Japan , I S B N 4−55 − −
物と商品
何故に資本主義は勝ったか。
それは物が並べてあることの意味を知っていたからだ。
階級制度のある国等では大金持ちが過度の干渉されない自由を主張することは、政府の平等化への政策、 大金持ちの自由を平等のために少し減らして、貧乏人の自由を「真の自由」のために少し増やしてより平等 に近づけることを政策を否定することになりかねない。この「真の自由」は貧乏人にとっては達成されるが 、大金持ちにとっては不自由になることだということを理解しなければならない。しかし、階級制度のある ような国、イギリス、インドのような国ではそのような国ではそのような自由の主張は大切なことかもしれ ない。
ところが資本主義的自由は、人間の自然的平等のゆえに自然に平等を達成する。
平等な自由という目標は、自由の本質である選択の自由から来る計測不可能性のために、意味のないもの であるが、自由な平等は目標としては設定しうる。
自由をすべての人のために認めているにもかかわらず、常に平等を達成するように努力している社会が理 想である。これを自由な平等の社会であるとすれば、そのような社会を目標として設定することは可能であ る。自由の構成要件である資源を平等にしようという思想であり、平等は自由の構成要件であるからこそ平 等にしたからといって自由はそのまま維持されることになる。平等な資源は税や、自発的な(ボランティア による)資源の移転や、道徳感情の自由な教育による涵養による資源の移転によって達成されるべきである 。ここには強い教育(道徳教育)の要請がある。T・H・グリーンの考えは福祉国家にのみつながったが、 自由の構成要素としての資源の平等性の追及はオープンな自由社会を目標とするものである。ロールズの最 低限の生活をする人々の生活を向上させるためにも競争や自由や資源の不平等は認められるべきだという考 え方ともことなっている。ロールズが最低限の生活をする人々の地位を向上させるという期待が合理的に認 められるときにのみ、社会的、経済的不平等が認められるという考え方は静的な状態をとらえていう表現の 仕方である。平等というものを考えることは不平等というものをとらえることと方法論としては同じであり 平等も、不平等も自由の構成要素として自由のなかでとらえられるべきものである。
国家と政治は死滅するか
国家死滅とブルジョアの批判との自由連想
マルクスや、エンゲルスが国家は死滅するということばは、アナーキズムの根源的な命題であるが、それ はすべての人を公務員にしてすべてを国家財産にしてしまえばすべての人は仲良くなるから、国家は必要で はないとしたのであり、そのことは義賊から生じる心理が挫折した結果すべてを共有財産にしてしまえばよ い、つまり、バーリンのいう積極的自由を他人のすべての私有財産に対する干渉として及ぼして、妬みや嫉 妬から成り立つ社会を形成してしまえばよいということであったのだ。それはすべての人が義賊となる社会 であり、そうなればすべての人が義賊となる社会であり、そうなればすべての人はブルジョアとして批判さ
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第四節 自然医学と社会医学。・全体的に統合されたパーソナリティーの形成か、依存による自由からの逃走か・
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176、自然医学と社会医学
人間は、自動車のようなものだ。古い部品はとりかえなくては動かない。しかし一生懸命走ろうとする。人間の部品が古くなったことを死の本能があるということはウソであろう。逆に生の本能によって古い部品をとりかえようと人間はして、解剖学や自然医学は生んだが、自然的生物的精神医学は生んだが、社会的精神医学は生まなかったし、自然医学は生んだが、自由な人間の集った社会の社会医学は生まなかった。
『甘えの構造』の理論化は、社会科学においては「依存の構造」の理論化による社会医学、社会的、政治的精神医学につながっていくものと確信している。
『甘えの構造』の分析が社会精神医学にも大きな分析の視点を与えうるであろう。もともと『甘えの構造』は父権社会日本における社会精神医学の分析であったと考えられうる
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。日本においては第一子の兄の力は、父権社会であるがゆえに長大である。それは権威であるといいうる。権威が巨大であるときにはそこに巨大な依存が発生するかもしれない。フィルマーの神権(父権)に対する反論を書いたロックが父権の権威を分析しようとしたことは明きらかである。そこに依存の分析があったかどうかは明白ではないが、依存の分析こそすべての自由と社会病理を明白にする社会医学となりうるものと信じている。
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177、依存的行動傾向と、非行
ある非行研究の教育学者によると、非行をする生徒は、すべてを他人にやってもらおうとする性格をもつという。他の人ができるのであって、その人ができるのではない。他の人がやってくれるのを待つ傾向である。
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178、完全な自由と依存
完全な自由は完全な依存のなかで生まれる。ということは、ある権威に完全に依存することとは、ある権威によって危険なこと(自由とか)をすべて禁止してもらって、ある囲いのなかで、あたかも幼稚園のように、自由に、それも安全で危険のない、父権的温情主義の温かさのなかで、完全に自由に行動することを許してもらって、そのなかでのみ完全に自由に行動するようなものである。つまり依存とは温かい温情のなかで、危険を、自分の知らないところで、すべて取り去ってしまうということなのだ。依存とは自分の知らないところでおこっている、自由の危険性をとり除く作業を、無知のため、全く知らず、その状態のほうが都合がいいと、ダダをこねて主張するのとよく似ている。
完全な依存はすべての危険ななくすから、完全な自由が生まれるのだ。
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179、依存と独裁・ワンマン
依存的性格は独裁を生む。吉田茂やらの独裁は一般には独裁といわれていない。これはワンマンとよばれている。
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180、なぜ、二つの自我が依存から生まれてくるのか
依存している場合、自分が服従しているものよりも高い自我によって、強制する必要が生じてくる。依存していても、相互に自らよりも高い理性(因果則)によって動かされあっていると考えることによってしか、相互依存を維持することはできなくなる。そうでなければ人々は独立してしまうのだ。依存から脱却して人々は自由をかくとくしてしまう。マルクスならばマルクスは聖家族が同じ経済によってすべての人が動かさなけれねばならないと考え、フロイトは聖家族が性本能という永遠の理性のみによって動かされていなくてはならなかった。ハーレムとよく似たものでなくてはならなかったのだろうか。
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181、依存は自由の環境や状況か、自由の障害か。自分についていうから障害である。
依存の本質・従属性や、隷属性から考えれば、依存からの自由は自らのなかの、「自我がないこと=依存性」という障害から自ら自由になることであり、それは独立するということであり、独立は、依存という障害を他者によってではなく、自分の力によって脱するという点に特質(本質)があるのであって、その他の障害をとり去って自由になる場合のように、他者がその障害をとり除くことができない点に特質があり、他者はそれをすすめることしかできない。
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182、権威依存主義
権威主義的というよりも、権威依存的とよんだ方が実体をより詳細にあらわしていると考えられる。権威のみからは他民族べっ視は生まれないが、依存からは生まれる。しかし依存は権威なしにはありえないからである。税に依存している人の場合、その税が他民族のために使用されないというので他民族べっ視の理論が形成されることはありうるだろうし、権威に依存することが他民族べっ視になるその他の理由付けは数多くありうる。
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183、二つの権威主義
依存されることを好む方の権威主義は、逆依存的とか、逆権威主義と定義する。
逆に依存することを好む方の権威主義は、一般に権威主義とよばれている。
この二つの権威主義はどちらも自由を失わせている。
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184、ねたみの感情と政治
「悲しみが競争者を押しのける努力をしたり、邪魔する努力をしたりすることと結びつくと、「ねたみ」とよべるとホッブズはいう。
このねたみの感情はバーリンの積極的自由の大きな源泉となっていると考えられる。
ある人の方が自分よりも優遇されていることは現実にあるし、その事実にたいして平等であるべきだと主張し、それによってすねることと、一方では努力することとは全く別のことである。最も良い平等への主張はロールズのいう「平等な自由」を主張することかもしれない。この「最も良い」という形容詞をロールズは「公平」(fairness)ということばで表現しようとしたものであり、その結果が正義であると主張したものであると考えられる。そのなかに自由を含んでいることを重視
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する必要があると私は考える。
自分より力の強い者と、自分より力の弱い者がいると考えた場合には「平等」ではないのであろうか。強い者は頭脳に欠け、弱い者は頭脳に優るからトータルでは同じく平等であるという考えにいたることは、平等の質と量に関する誤りがある。また平等に自由が備っていると考えるのもまた、質と他の量のみかたによっては誤りであろう。従って人間はねたみを必ずもっているのである。そこから人間は、政治は出発すべきなのかもしれない。
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185、暴力革命の心理
他人の財産が欲しい、それも暴力でとってやろうと思うことは、依存的な性格の人が、貧乏や被害を社会の制度のせいにしている場合にはよくあることである。暴力は警察権や軍隊のなかにある。従って警察や軍隊をとろうと思うのである。
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186、攻撃本能とはまちがいで、攻撃社会性である
攻撃性は本能ではなくて社会的な自由性である。だからこそ攻撃性は社会的に制約することができるのである。それは行動社会学のテーマとなるべきものであり、政治学のテーマとなるべきものでもある。依存とサルキングのような暴力性こそ、攻撃性の源泉ではなかったのだろうか。それは社会的なもおんである。社旗利学がこれから分析しなくてはならないのである。
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187、「甘え」の心理、依存の心理、義賊の心理、他人志向型
依存あるいは隷属という概念の分析にとって重要なのは、「甘え」という概念との関係である。「甘え」が母親との関係でとらえられるという概念は、母親との関係でとらえられるという概念は、母親の権威がほとんどない父権社会日本では無意味なことかもしれないが、「甘え」が含んでいるひびきにはディペンド以外の何かがあるという点には社会科学としては注目せざるをえないだろう。「甘え」にはスポクルされたという意味がこめられている。それは社会的に認められた以上の依存があるということであろう。独立する力がある人が、一生生活保護でくらすことは、依存ではなく「甘え」となるだろう。依存と「甘え」という二つの概念の差は微妙である。日本人の社会、世間では相互に「甘え」があるといえるであろうか。アメリカ人の社会では相互に依存があるといえるだろうか。これらは相互に「甘え」と依存とを互換できるであろうか。アメリカ人の社会
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も「甘え」があり、日本人の世間・社会が依存的であるといえるであろうか。
これを解く鍵は他人志向型や、義賊の心理という概念ではないかと考えられる。バーリンのいう積極的自由も、平等な配慮と尊重も他人にたいして向けられる。この心理は法の名をかぶれば聖域であるとはいえない。また税という名をかぶれば義賊の心理を聖域であるとはいえない。他人にたいして向けられるあまりに積極的な自由は、義賊の心理を生む可能性がある。フロムのいう自己の内部を志向する積極的自由や、バーリンのいう消極的自由や、自由からの逃走をしないような自我の形成は、バーリンのいう自我の分裂を避ささせ、ベイのいう心理学的自由を得させ、自由な社会を形成する基礎となりうるのである。そこには「甘え」が存在しない。しかし依存が存在する。
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188、絶対理性と「常識」
絶対理性や、依存的性格からくる思いやりということばが、そのようなことを信奉する人々から「常識」ということばで「強制」された時には、社会全体が「強制」収容所の様相をおびる。これが東独やソ連の密告社会を形成することになったと考えられ、自発性やイニシアティブのある人は密告され、「常識」のないこととなった。この「常識は実に非常識で、絶対的であった。あまのじゃくの絶対化であった。そのために「常識がない」ということは、「精神病」とそのような意味で普通の人にいって、その存在を認めないことと同じである。それは「存在を認めたくない」「絶対理性に従わない者の存在は認められないということと同じことである。
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189、依存と腐敗
依存においては人格は腐敗するか。この難しい問題は各人各人の性格によるので解くことは不可能である。依存しない人が独立的で自由を味わっている人であるのにたいして、依存している人は自らの自我をかん養し、養って成長させることはできない。人格の成長により依存的な状態(制度)の社会を形成したのに、人格の成長が依存によってとまってしまうのであろうか。依存における人格の成長(平等性)と、独立や自由における人格の成長(自由性)とは全く逆なことであろうか。
依存して生活していることと、狩猟を好むというリセーフォンがいいだし、マキャベリーが論評した生活上の好みとはどのように関係しているか、反発しあう好みであるのだろうか。毎日生活のために狩猟や、魚つりをすることは生活の緊張感がある。ところが依存によ
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って生活することはそのような緊張観を生まない。従ってこの二つは反発するものであるといえる。
依存関係から生まれた権力は腐敗する。権力は腐敗するという諺はこのことを意味していたのかもしれない。
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190、依存の特殊な形態
性本能や、経済にこだわるマルクスや、フロイトの態度はある意味ではマフィアや、暴力団と似ている。なぜならマフィアや、暴力団は性においての不自由や、経済においての不自由を基礎にして人々を恐怖に陥れ、組織を形成しているのだから。それは自由を相対的に欠いている。これはある意味では依存によって作られたものであると精神分析できる。不安、貧乏からの不安、政治からの不安などなどがそのような方向に向かわしめたのではなかろうか。
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191、生物的適応編と自由論
人間が自由に選択しようとするのは、その環境に応じた最もよい適応をしようとしているからだといえば、人間は環境という原因によって自由な選択が影響されているのであるから自由ではないのだという答が、環境を物のみだと考える唯物論や、環境決定論者からかえってくるかもしれない。しかしもし自由な選択により決定が存在しなければ、適応できないではないかと反論したとしても、環境が自由な適応を決めていることにはかわりはないと反論されればまた決定論者に自由意思論者は適応というひとつのことばによって負けてしまう。これを適応論とよぶとすれば、進化論と同じような主旨でこの理論は自由論と同じくらいに巨大なものとなりうるが、しかしそれは生物論的であり社会論的ではない。
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しかしこの適応論は人間の赤ん坊は自由な部分があるが、他の動物の赤ん坊は自由な部分が少ないという進化の一方向性を見誤って、人間と他の動物をいっしょくたにしているという誤りをもっている。人間の自由論が動物の自由論よりも、適応においてより異なった論を必要としている、そして相互にちがっているという点に力点があるのであって、それらを同じ適応という一点にしぼることはまちがっている。人間は地球上の多くの異なった環境に生物的にも、社会的にも自由に、つまり、この場合は様々にちがった形で適応して、その適応の仕方のよさ、悪さを多くの人々が競っている。それもことばやらによって競っている(この場合は自由に競争しているという意味である)ということが大切なのであって、社会的にそれを禁止して、人間以外の生物的に生活しているよりも、よりましな生活をしているという点が大切なのである。このような論考は政治学的ではあるが、実足法学的には存在
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しえない思考様式であり、政治学はこのように根本にたちかえって考察するところに特色をもっている。
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192、進化論と自由意思論
進化論と自由意思論との関係は、自由意思の部分が人間においては増大することによって様々なことへの適応が人間にとっては可能となって地球規模の発展が可能になったということではないのか。地球上全体に住むためにはいわばいろいろな走向性をもたねばならなかったのだ。弱肉強食によって人間に進化してきたのだとするならば、人間ほどに弱い動物はいなかったことになる。しかし人間は適応能力を自由意思の陶やによって発達させることによって世界のあらゆるところに住むことができるようになった。では進化する原動力となった自由意思とは何であろうか。
自由意思とは何か。ウソや、悪へいに人間は左右されることがある。「死の本能がある」という暗示的誘導と、生の本能という本当のものはどのようにしてかっ藤するのであろうか。そのことの解明は真実の科学とは何かの解明に役立つ。本当に生の本能をおかすことが自由意思はできるのだろうか。
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193、依存的な人の性格論
性格論を提示する人が、自分が依存的な性格のために自分を依存させてくれる人が良い性格であり、自分を依存させてくれない人を悪い性格として多くの性格のことばを作り上げることがある。世界に歴史的に使われてきた多くの性格類型であらわすことばは依存的な性格の人がそのような目的を果たすために作ったものが多いと思われる人が多いかもしれない。ブラインドテストはそのようなことを示している。
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194、同業者とかへの全体主義への強制
自分の依存できないという好きと嫌いを、例えば東大が悪いという相手方の永遠なものと、自分は貧しいとか、自分はドイツ人だとか、自分は医師だなどなどの誇れるものと一体化してドイツ帝国万才とか、貧しい人よ団結せよとか、労働者よ団結せよと一体化して全体主義を作りあげて、東大とか、自分の排除し、依存しようとする人々をこわそうとするのである。
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195、社会制度が本当に悪いのか。ただ社会に依存したいのか。
マルクスのような人が経済的貧しさを社会制度の悪さのせいにして、共有を主張していたとする。ところがマルクスのような人がいかに自由が存在せず、経済がすべてを決定していて、自由は人間には全く存在しないといってる時にでも、自由に活動してみたら富者になったとかいう例を自由放任主義の側は持ち出してくるし、そのような自由が存在していると考えられる時がありうる。これがアメリカにおいて、一九九六年大統領選挙的に共和党やリバタリアンが民主党に対抗するために使った理論であった。これにたいして民主党の側はそのような例もあろうが、ハンディキャップが存在しているならばそのような例はまれであると反論するであろう。この二つにたいして答を出すに際して干渉されない消極的自由のみは、内在的自由という自由の本質からみてみても、保証されねばならないとバーリンは説くのである。
P473
社会制度が本当に悪いのではなくて、本へが公務員の平等ということばに依存しようとしているだけなのか、本当に社会制度が悪いのかは現実にその人がやってみて試行錯誤をしてみた結果をみるまでは分からないという考え方も存在する。いや社会制度をつぶさに調べてみればわかるという考え方も存在する。
私はこれにたいしては客観的に答を出すべきだと思うし、どちらにも味方はしない。どちらも客観的に適否が論じられねばならない。
例えばプラトンのイデア論にたいして、アリストテレスが私有の方が共有よりもよい場合があると現実適に論じたように、マルクスが貧しさを私的所有制度の悪さのせいにして、共同所有という制度(暴力革命することを願うことの適否は、イデオロギー論によってではなく、経験的、現実論によって論じられねばならないであろうし、いくら試行錯誤しても
P474
どうにもならなくなった者は、それを社会制度のせいにして、税金に依存して生活をしてよいかもしれない。それらはすべて自由、内在的自由のなすわざであるからだ。
P475
196、サルク(sulk)論
ある価値判断から発生する思想が、あるものが(ある人が)絶対にイヤだという価値判断から出発した思想である場合には、すべての人間関係をこわすための思想となるが、あるものが(ある人が)絶対的に好きだという価値判断から出発した思想である場合には世の中を明かるくする。マルクスのは前者であったし、フロイトのもそうだった。ヒットラーのも。前者の思想はすねること・サルク(sulk)から発生した思想であると考えることができる。
P476
ストライキのようなものを「『ダダをこねて絶対にきらい』と他の人をいうような行動」としてサルクと名づける。sulkはすねるという意味であるがそれこそこれを表現するのに適していると考えるからである。ダダをこねるとか、最後っ屁とかいうことばを使うのではなくて、サルクということばで総称することはストライキのようなものの本質が苦闘から発生しているという意味で適切なことばであると考えることができる。ストライキが要求しての行動中止であるから、甘えて駄駄をこねるというサルクということばは、最後っ屁や、ストライキやらの行動を含んだものとして一般的なものになりうると考える。ストライキのようなものという概念を使うよりもサルクすねるということばを使ったほうが、甘えや依存の意味も含んでおり、かつ、ひねくれやあまのじゃくという性格的なもの、これを依存的な性格と考えるなら
P477
ば、その依存的な性格も含んでいるようなので、このすねるサルクということばはこのストライキのようなものをあらわすのに最も適切なことばであるといいうるであろう。
P478
197、サルキング(すねること)と暴力
ストライキのようなもの、サルキングと、究極的な暴力が使われることとは関連がありうるか。すねることと、究極的暴力を権力がふるうのとは関連がありうるか。ほぼ同じような属性をもっていると考えられる場合がある。よく日本語で使われることばとして、「机をひっくりかえす」ということばがある。これはすねることの一つのあらわれである。もしも非依存的な関係のなかでそのような暴力が使われた場合は犯罪となる。依存的な関係のなかですねることは、それは犯罪とはならない。このことについてストライキにおける違法性の阻却が本当は許されないことなのではないかという依存を申し述べている政治学者がいる。これは暴力革命が許されないという時の理論づけとよく似ている。これまでの戦争はすべての暴力によった。これは依存的な関係のなかでのサルキングが原因ではなかったのだ
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ろうか。独立的な人々の関係のなかではサルキングはおこらない。独立的な人々でも、ある人が事業等に失敗して非常に貧しくなり、税による生活保護が必要となったとした場合にはそれは議会制民主主義による法に則った範囲内での依存はおこるが、これはサルキングを伴ったものではない。サルキングを伴った場合にのみ依存的関係はおこるが、それは暴力的なものを伴ったものとなる。
インドの国会議員となった盗賊プーラン氏の事例はほぼ暴力的なサルキングにいたるくらいにカースト制度の差別がひどくなってきていることを示しているし、南アフリカの人種差別により迫害を受けていた黒人の場合にしても同様であったといえるであろう。自らの力により依存からの独立をしようとしてもできないような状態こそが、その原因であったと考える。ところが現代の日本やらにおける依存は独立しようと思えばできるような状態での依存であり、サルキングである。この
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ような暴力的サルキングが許されるかどうかについての法的判断は法の適用においても、立法上においても、行政上においても現代の最も政治的な課題であるといいうるであろう。
義賊の心理はある意味ではこの暴力的サルキングである。しかし依存から独立のほうへ暴力なしで移ることこそ最上の方法であることは社会科学的にみれば明白である。
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198、サルク・すねることの効果
積極的自由者のひがみや、最後っ屁は人々を悩ませるのみで、何ら実行力はない。積極的自由がどのような内心的社会心理から発生したかということが問題なのであり、それは政治学や社会学と大きく関係を有する。
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199、すねる原因
サルキングの主な原因は人口過多による過度な競争心から生まれる。人口過多から、競争心、不安(自由の危険性の不安)、そしてサルキング、依存にいたる社会心理的過程は、理論的に証明されなくてはならない。自由の危険性の認識と、兄弟同胞の温かさの観念とは依存的な社会観を生み、依存が平等であるとの錯覚と、自由は殺せという論理とが生まれ、また、義賊の心理も同時に発生する。
日本の自由民主党の利益誘導型政治は、この心理が共産主義に向かわずに、利益誘導につながり、自治体による票のとりまとめの投票行動と政治を生んだ。従って依存型政治とよんでよいと思われるし、その分析が進められる必要がある。
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200、依存的性格と、依存しすねるという行動
依存的な立場にある人が依存し、すねる時、依存される立場にある人は依存され、すねられる。依存的な性格の人のみが一般には依存し、すねるが、逆に依存し、すねられている人が、もっと大きな権威に依存し、すねることがある。これがファッシズムや、ナチズムのようなものを生むと考えられる。
依存的な性格の人が依存できない環境におかれた時に、ストライキをしたり、机をひっくりかえしたり、ダダをこねたり、すべてを破壊する行為等をすねるということばでいいあらわすとすれば、それは「依存的な性格と依存的な環境」との相関関係のうちの一つの形態であるといいうる。依存的な性格の人が依存的な制度の下にある場合はいいが、依存できなくなった時の一つの行動形態であるといえる。
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201、依存側からの制度と人への評価。
「依存性のある人にとってある人がそうであること」と、それが依存性にとってイヤだということ」とが全く正反対の評価となることが多い。ある独立的な人がそうでことと、依存的な人がそのような人が都合が悪いということとは全く別のことである。依存性のある人にとっては依存させてくれる人や制度はいい制度であるし、独立させ自由にさせようとする人や制度は悪い制度である。それは人や制度は依存的であらねばならないという規範性や、そうあるべきだという当為性からくる評価である。
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202、セシュエーの事例と、フロイトの実際
多人数兄弟の第一子であった子供の分析をセシュエーがしているのは、ただ多くの多人数兄弟の第一子によく発生する弟妹のすねることや依存やらのために精神的に自由をなくした結果にすぎない。某十二人兄弟の第一子の人とか、四人兄弟姉妹の第一子の人で自由をなくした人を見つけることは容易である。フロイトその人にもそのようなものであった。
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203、依存と、依存的性格
服従や、隷属や隷属すること、干渉されることを依存とよぶとすれば、それを好む性格を依存的性格とよぶことができる。依存(depend)することは、服従する、隷属することなどを総合した概念とすることにする。干渉されることを好む性格がファッシズムを生んだというように記述することができるし、干渉されることを好まない性格、独立的性格が干渉されない消極的自由の概念を生んだというように記述できることになる。干渉されない消極的自由が多い社会は、個人が独立した社会であり、干渉する積極的自由が多い社会は依存的社会、そういう制度は依存的制度と記述できることになる。「自由からの逃走」というフロムの概念は、依存的社会においては独立的制度が制度化されていても、依存的性格(パーソナリティー)の個々人は権威を求めて、権威主義的な体制を作りあげる。
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依存的性格は権威に依存している人々を描写するのに、権威主義的性格よりも直感的、経験的にうけとることができる記述法である。サディズムや、マゾヒズムの性格という表現よりも依存的性格というものは、感情的ではなく、広い概念であり、自由とより深く関連させることができる。干渉され、強制され、強迫されることを好む性格は、すべて依存的であり、権威主義的よりも広い包括的な概念とすることができる。共産主義や、全体主義や、ナチズムや、ファッシズムやらも、これから生まれたものであり、ヒトラーや、スターリンや、マルクスや、フロイトの性格もこれから生まれたものであると考えると結論できるかもしれないし、制度のうちのあるものは依存的なものとして説明することが正当と思れるように記述することができるかもしれない。思いやりのある社会はひょっとしたら依存的な社会と説明すれば、誤解されやすい用語ではなくなるかもしれない。
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依存ということばは、主語や述語を明確にできる他動詞であり、依存しないということばは独立ということばにすることができ、独立戦争のような政治的なことばであるし、現実に自由を求める政治運動の多くの名に冠せられたことばである。従って依存から脱却する戦争であったのだとアメリカの独立戦争を記述すれば、国際間の依存の問題としても説明できるし、何からの依存から脱却しようといたかも記述できることになる。国際間の関係であれ、人間間の関係であれ、この依存ということばは共通に使用することができ、個人や支配者の依存的性格と、国家内の政府と国民の依存的な関係という国内的依存的関係や、国際間の依存的関係とが関連し、相関係数が高く相関関係があるかどうかについても記述することが可能になる。法学、政治学的にいえば、日本や、ドイツや、イタリアの法制度が依存的な性格をもつのかということと、それらの国の国民の性格や行動が依存的な
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性格であるかどうか、その関係はどうかというようなことが記述できるようになるかもしれない。
個人の領域が少ない社会を依存的社会の特徴であるとすれば、干渉されない消極的自由の範囲が少ない社会のこととなり、バーリンのいう自由論を社会の問題に関連づけることもできるようになるかもしれない。そしてそれを自由論の問題としてとりいれることができるかもしれない。
ところが依存は自覚することのできない概念であるのかもしれない。依存は描写的な概念であるのかもしれない。だが自覚しようとすれば自覚できる。しかし自覚した途端に依存から脱却し、自由になることは危険なことであるので、「自由からの逃走」がおこるのである。
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204、人間の学問的客観的観察
自分をみる者が、隠れた意図をもってみているとすれば気持ちが悪い。このように学問的観察は観察対象の人間の自由意思をもって最善とする。人間は自由をもっている。従ってマルクス主義のように人間を強制や、干渉する目でみるのは、人間を物としてみなすことである。
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205、依存する側、見る側としての勝手な立場(役割)の設定
積極的自由の発生する理由は、私は見ている側の役割の人であり、あなたは見られている側の役割の人であると勝手に見ている側の役割しかしたくない人が決めることから発生する。私は見ている側の役割の人であると考える人は、一生見ているだけで行動をしたくない人であり、それが依存的な性格の人の特徴である。自分は見られる側にはいたくないので、見ているだけにしてほしいという。見ている側(観察する側)だけでありたいと願う理由はその人の性格、小さい時からのその人の性格による。それが依存的な性格といいうるのは見ているだけでは生きていけないので、見られている活動している人に援助を受けなくてはならないからである。そして見ている人は平等のために共有でなくてはならないといい見られて活動している人々の見え
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ざる手による平等化の作用については信じようともしないし、それは否定する。
「見ている側の人間」だというのは、勝手に自らのみは依存する側の人間だと決めてかかっているということである。
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自分はみている側の人間だから、命令ができるし、また、経験している人が知らないことが分かる。それが絶対理性である。
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被害の程度を感じる量は依存的な性格の傾向の人の場合程大きい。
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「いつも脅威をうけていると訴え、いつも強制され、いつも妨害されている」と考える被害感情の強い人がいるとする。これは童話からもとることができる。この論は非常に分かり易い。しかし、そのような人はいつも脅威を与えることを正当化している依存的な人が多い。その童話の名は「シンデレラ」などである。
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206、依存したいという心理と、死にたいという心理
あまのじゃくの人にとって、あまのじゃくを他人に認めさせるために、あまのじゃくは本能だと認めさせる。あまのじゃく以外の人からみればあまのじゃくは社会的なもので、それは治ゆ可能なものであるが、あまのじゃくの人にとってはそれは本能だと他の人はみてほしいのであろう。社会的なものについてはみる人側によって全く反対の評価となる。これがフロイトが「死の本能」と名付けたものの本質ではなかろうか。そのような依存的な性格はなおせるものである。しかし本人にとっては依存的な性格はなおせないと思っており、それは「死の本能」や、「依存の本能」であると自ら名付けて、他人にそれを認めさせたいと社会的に思うが、しかし普通の依存的ではない人からみれば、その「死の本能」や「依存の本能」は社会的に依存しているのであり、他
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人から死ぬように強制されているのである。それを本人が「死の本能」や、「依存の本能」とそのような依存的な人のみがいうのは、その人にとって死にたいや、依存をしていたいという方が社会的に(自分が依存的であるから)都合がいいからである。
依存とはマルクスの主にいっていたことかもしれない。しかし以上の項は全くマルクスとは別に精神病はないということを証明するためにかかれたものであるのに、その全くマルクスの経済のみがすべてを支配している、従って社会制度が悪いから、依存したいというマルクスの心理を証明していることになっている。フロイトの「死の本能」の心理についても同様である。これをウソというのではなくて、バーリンのいうようにこれを自我の分裂というように科学的に分析することのほうが正しいようである。
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207、統合的パーソナリティーの少なさ。あるいは他人に依存する性格
自我(エゴ)の量が少ない者は、絶対理性とかの権威に頼うざるをえなくなる。自我の量が少ないというのは、フロムのいうような全体的で統合されたパーソナリティーをもたないということである。それは自律的な規範意識が強すぎて自分では何もできないということでもありうる。自分で何もできないからこそ、他の権威に向かうのである。
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208、依存とフロムのいう全的、統合的パーソナリティーの欠如
依存するのは自由であろうか。フロムの意味での積極的自由をかん養していることになるであるか。前者の答はイエス、自由であるであるが、後者の答はノー、かん養していることにはならないである。依存が自由であるとしても、自由であるが無のままであり、いつまでたっても能力は育ってこない。これは日本における日本社会党が反対政党であったために能力をみにつけなかったという暗喩のなかにも似たようなロジックが見いだされる。依存的な状態では依存しているその自由な行動については、依存されている権威にすべてをまかせてしまっているのであるから、その自由な行動を自分では行なっていないのであり、いつまでたってもその自由な王道をするための能力は育ってこないということになる。フロム流にいうと自由な制度の下で、自由な状態のもとにおいて自由に活動するための全
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的で、統合されたパーソナリティーが身につかないという表現となる。
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209、フロムのいう全的統合的パーソナリティーをもつとは独立で、安全だということだ。
人間は安全ではない時に不安を感じ、誰かに依存しようと思うが、安全である時には安心し、自由で独立した人間になろうとする。逆に依存的な人は不安であるからそうなるのであり、独立的な人は安心感があるから誰かに依存することなくいられるのである。
事実問題として依存的な状態にある人は、他人に依存していなければ不安を感じるし、依存的でない人は依存していなくても不安を感じない。ベイのいう心理学的自由が依存的な性格の傾向の人はないことになる。
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210、依存からおこる倒錯
依存のなかからはあらゆる倒錯がおこる。フロイトについてドラッカーが指摘したようなこと。マルクスらについてバーリンが指摘したようなこと、即ち、二つの自我や偽装などである。
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211、家族、兄弟姉妹への依存
『聖家族』の描写はマルクスが家族に甘え、依存していたということしか示していない。マルクスの共産主義社会の構想は家族、それも彼の家族の聖家族のイメージと重なっている。親に依存するのは当然であるが、それが兄弟姉妹への依存となっているところに問題がある。
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212、親子の当然の依存
親子関係が依存的であるのは仕方のない、正当な依存である。親は子を育てる必要があるからだ。しかし、子供同志が依存関係にあり、敵対的であるのは正当な依存とはいえない。妹が兄にストライキをしたりするのは、姉が弟を包容するのとくらべると、よくある例であるが、これは正当な依存とはいえない。また四男が長男に甘えるのもそうである。この意味の依存は日本語では甘えというが、母親に甘えるのは依存ではない。
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213、家族と依存心
家族の第一印象は、家族とは共同体的包容力のある、依存できる太陽のような暖かい場所であるというものである。それは失敗した時でも、同じ皿の、同じような顔の人達が集った場所であるから、傷をなめあってくれるという感覚から、相互に経済的に依存できる場所であるという印象も含んでいる。
家族は政治的、経済的なつながりをもった集団である。社会は家族の成員としてでてきた人間が集った集団であるともいえる。家出をしてきた人、家族が大金持ちでそれに頼っている人々、その他様々な家族環境の人がその家族を代表して社会を形成しているのである。家族を政治学上で問題にしようとしたのはメリアムであった。『体系政治学』のなかでは多くの示唆に富む指摘を行なっている。家族の政治学ができあがるのを期待している
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のである。
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214、貧乏、されど、他人から干渉されない自由
貧乏で、他の人とは不平等であることは認識しているけれども、自分は他人から干渉されない消極的自由を絶対的に愛する人が現実に一人はいたとする。それこそ重要なのだ。目が見えなくても、一生懸命に働いてそれで得た賃金と、生活扶助で生きていても、他人から干渉されない消極的自由を絶対的に愛する人がいるし、金持ちでも絶対的にその自由を愛する人がいる。一人っ子で、絶対に他から干渉されない消極的自由を愛する人がいる。この事実が大切である。そうバーリンはいっているのである。
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215、働くということ
働いて賃金を得るということを子供に教育する場合に、義賊は金持ちから財を奪うことを教えるであろう。逆に商人はそれぞれの所有物にたいして各人がもっている所有権を契約の自由および同時履行の抗弁権によって交換し、利潤を得させることを教えるであろう。また公務員は税金として得られた国庫から公務を提供することによってその対価として賃金をえることと、その方法を教えるであろう。独立的な人であっても公務を行なうことができるのに、現在は公務は権威や公共経済への依存であると考えられている。
働くというのは個人個人か、個人個人の集った集団が行なっていく人間にとっての最も重要な自由な活動である。経済的なものではあるが、法的政治的意味ももっている。
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216、生活保護と依存と独立とモラール
生活保護は憲法に定められた生存権的自由権(基本権)から導き出されるものであり、誰も否定しない。しかし、生活保護の額については多くの政治的な問題を含んでいる。いくら倒産しても生活保護をもらえば、働いて倒産するよりも豊かな生活ができるとすれば誰も働かなくなるであろうか、あるいは、倒産する危険性のあるビジネスに多くの人が、トライアンドエラーの精神でつきすすんでいって、社会は活気に満ちたものになるのだろうかという問題である。ホームレスの人も、役人が生活保護の制度があるのだから、ホームレスをしないで生活保護を受けたらいいよといっても、それを受給しないで自らの意向で自由にホームレスをやっていきたいという人がいるのかもしれない。しかし本当に家が借りられないのかもしれない。生活保護を受けても、保証人とかがいなくてである。ある
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いは生活保護を受けても家を借りるのにまにあわない程度に受給金額が低いのかもしれない。自由か依存かの心理的な問題なのかもしれない。
このことはホームレスの人に限らず、あらゆる人の心理のなかに存在する問題である。それは旧ソ連においても、現在の日本においてもおこっている問題である。
この問題をとくには、依存と独立の問題と、依存はあまりの安心感を生み、ヤル気(モラール)をなくすという問題の二つの問題が解決されなくてはならなくなる。あまりの安心感が依存を生むのか、独立心をおこさせるのかについては不明であるが、依存は安心感を生み、危険なことに対する挑戦(冒険)心を喪失させる。ソ連においてはすべての人が「できることなら、何もせずに一生を過ごせたらと思っているうちに、誰も農業も、工業も生産する側にまわる人がいなくなったので、生産が落ちすべての人が依存する側に役割としてまわっ
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てしまった。すべての公務員は依存する側にまわることであり、現在でも公務員はそうである。特にすべての人が公務員であったソ連社会においてはすべての人が依存の側に役割としてまわったので、崩壊したのである」という見解を極端に述べる人がいるかもしれない。確かにそのように極端ではなくても、そのような傾向にあったのかもしれない。生産刺激の諸施策は人間の依存からの独立性を求めるものであったし、資本主義の一部をとりいれた。その部分とは依存に対する独立という側面であったのかもしれない。
サッチャーはそれを促進するために人頭税という考え方さえ示した。サッチャーが父親の依存性に反発し、人間の独立性を尊重したという話は有名である。それにたいする反発は労働党のブレア政権をその後に生んだのである。
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217、大金持ちの依存
ブラッド・マイナーが「自由」について、大金持ちが依存していることもありうると書いていることは示唆に富む。金持ちが政府の財産資金や権力に依存することは、ある意味では、自由の敵でもある。国民のそれに対するアクセスができなくなる。
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218、依存の自覚、負担の自覚
他のある人が依存することは、その人に「負担」をかけているのであるが、その自覚がない。依存するほうが、負担を軽減しているのだという逆の意識さえある。
日本語の甘えということばのなかにこの意識は含まれていると思われる。依存をなくしてものごとをみようと考えはじめた場合には「負担」をかけていることを自覚する必要がある。
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219、税への依存
公務員があまりにも消費的であり、無駄な消費をしているとすれば、税を払いたくても税を払う気分にはならなくなる。もし無駄な出費をしなければ税を払わなくてよいかもしれないと考える可能性があるからだ。平均よりも無駄な出費をすることを依存とよぶことができる。それは甘えや、依存的性格から発生するからである。
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220、依存の形態
・何でもできるのに隠して、何もできないと依存させてくれと人がいう場合がある。
・本当に教育やらによって能力を育てる機会がなかったので、貧乏のゆえに能力が育たなかったから、政府に依存させてくれといってくる場合がある。
・今までは自分で努力しなかったから今後は努力するから、努力する間依存させてくれといっている場合がある。
・性格的に依存的性格であるために、すべてがそろっているのに依存させてくれといっている場合がある。
第三の・のケースこそがここで依存的性格として問題にしているケースである。
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221、正当な税への依存は何か
共産主義においてはすべての人が公務員となったのは、税への依存を強制したのと等しかったが、税への依存は働く意欲を低下させ、今度は税を納める人がいなくなり、ついに国家が破産することになったのだと考えられる。右翼の超国家主義も、左翼の共産主義も税への依存を求めるという点では共通点をもっていたといえる。税は平等への配慮を自由のなかでもっているという点において意味があるのであって、税への依存そのものが重要な意味をもつのではないのはブラッド・マイヤーの「大金持ちの依存」と「貧しい人の依存」という指摘が示唆していることであると考えられる。
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222、公務行政の民間委託と依存性
公務の民間委託は行政の概念をかえるのであろうか。それを公務と、自由と、依存という観点から理論付けることとする。
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第四章 自由と環境・状況との関係
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第一節 環境・状況における自由
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223、自由と環境
自由がその自由を持つ人の環境と関連していると考えることは、環境、社会的環境の様々な因子のうちのあるものが、外的な制約としてその人の自由を制約しているという因果関係が明白に認められるということを示している。そのようなことは環境ではなくて外的な資源や、外的な他の人間であると考えるならば環境ということばを自由論のなかで使用する必要はないことになる。ところが外的な資源や、他の人間など定式化された自由の定義の構成要素以外にも、歴史的な因果関係や、政治的な因果関係や、経済的因果関係等のようなものかもしれないが、自由を制約するものが存在するはずである。その様なものを環境と一括してよぶとすれば、そのなかには法的な制度や、道徳的な規律とかも含まれているかもし
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れないが、そのような一般的な環境が自由にある影響を与えているということは十分に考えられうることである。
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224、自由の一要素としての環境
環境がある人の自由に大きな影響を与えているという場合、その環境には兄弟姉妹や、両親やら、その他の社会的人間的関係やらのほかに、金持ちであるのか、貧乏人であるのかなどとともに、アウシュビッツの収容所内における環境のようなある動作を行うにあたっての因果関係の発生する原因となる状況や素因の存在する環境のようなものも含まれている。そのように考えれば、Aという人がBという障害なしにPをする自由を持つという定式化された自由の概念であるマッカラムによる定式化のなかではこの環境はどのような位置を占めるのであろうか。ある環境が生の本能を阻害したり、あるいは、選択の自由の障害となったりすることはありうる。そのような場所にのみ環境が重要な位置を占めるのであろうか。ある人の拒食病が、その人の環境のうちの他のある人が、その人の生の本能を阻害
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するような状況を作っていたり(これを迫害とか、害を与えるとか、他の人による行為の禁止とかよぶとしても)、他の人がその人を食べさせるなと命令していたりするとした場合には、あるいは、アウシュビッツにおけるように明白に死に追いやる意思が他の人に存在する場合には、明白に人権侵害といえる。それが心理学的に人口の多さや、兄弟姉妹の多さからくるその人の性格やらから由来しているとすれば、それはひとつの自由を阻害する環境であるといわねばならないことになる。このような状況を考えることは人を気味悪くすることではあるが、そのような環境を作り出す性格の人は多いし、そのようなことはスキャンダルのなかに多数存在する。それは多民族べっ視や、自民族優越主義者のなかにも存在するし、そのような生存侵害や人権侵害(選択の自由の侵害と、生の本能の侵害とを明確に区別するとすれば、生存侵害が前者であり、生の本能の市外が後者ということになる)は人間の性格から発生している
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ものであると考えられ、これらを「権威主義的性格」として研究しようとしたバークレイグループの研究は自由と環境の心理学的解明であると考えられる。
「クー・クラックス・クランが黒人の自由を奪っている」という状況を、自由論の立場からとらえてみよう。クー・クラックス・クランは黒人差別主義者であるから、黒人の自由の障害となっているのは他ならぬクー・クラックス・クランである。この場合はバーリンのいう積極的自由が主に政府や行政やらが個人に干渉しすぎる場合を想定しているのとは違っている。クー・クラックス・クランの例は莫大事典の「自由」の項目のなかにでてくる例であるが、この例はバーリンの積極的自由は政府の干渉に対してのみならず、他の人の干渉や、他の団体の干渉やらにも、拡大して考察することができることを示しており、その場合の干渉するような性格を研究したり、干渉する場合の思想を研究し分析したり、バーリンが「高い
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自我」とよんだ理想主義的傾向がバーリンのいう積極的自由を生んでいるのだという分析し研究することは他の人の自我についてと同時に、他のイデオロギーや、他の人の理想主義やらとともに、政府や団体のそれについても研究しなくてはならないことを示している。
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225、自由の妨害となる環境と、運命的自然的環境
人間は自由に環境に適応するという場合の環境と、ある環境が自由を制約する妨害物となっているという場合の環境とは全く相違している。前者は内在的自由が地球の環境に適切に適応していくという場合の広い人間の環境であるので、それに対して人間は自由に適応して生存を進めていくことになるのである。後者の場合は最も適切に環境に適応していこうとしている人間にたいして、他の妨害し、悪意をもって干渉しようと作りあげたその自由を妨害する環境のことである。この例はアウシュビックの強制収容所における環境を一つの例とする。そこでの自殺はその環境が自由をなくさせ、殺したのであるといいうる。この場合の環境は人を自由にさせたくないという悪意の環境である。従って社会的な悪意の環境である。前者は自然的な環境であり、人間が適応しようと義務づけられている環境で
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ある。自然的な環境のうちの経済的、物的環境がすべてであるとして、経済決定論に陥り、ついには粛正収容所の環境を作り上げるのは、前者の環境の影響を、あるいは、環境の因果関係を誤解したためにおこったものといえるかもしれない。前者の環境は運命的、自然的に与えられたものであり、人間がのがれることができないものである。後者の環境は悪意からくる人為的なものである。
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226、自然の法と、環境
「人間は自然の法による制限はあるが、完全に自由である」というロックのことばのなかに自然の法は、自然の環境といいかえてもよいのだろうか。人間は百度の熱帯においては生活できないし、人間は水のなかで一生過ごすということはできない。これは人間の自由を制約するものである。人間の自然的自由は人間の住める限度という制約があり、その範囲内においてのみ自由な選択の可能性がある。自由意思がある。自然には自然の脅威や、危険もあるが自然から利益を得ていることになる。自然の脅威や、危険を人工的に安全にすることについては人間の自由な意思(自由な選択)と考えることができるだろうか。より安全な、危険のないという意味では、人間はより安全な法を選ぶかもしれないし、そうではないかもしれない。危険を好む人々もいる。そうであれはより安全な方を選択するこ
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とが本能ではないとすれば、自由意思といえるかもしれない。開発優先への左翼からの批判はこの危険を好むという人間の心情をあらわしているのであろうか、あるいは、開発から生ずる公害を嫌っているのであろうか。おそらく後者であろう。しかし前者の意味もあるかもしれない。宇宙開発に際して宇宙の環境に適応しうる程の自由をも人間は有しているであろうか。それに関してはノーといえるだろう。人間は地球という限定された宇宙のなかの惑星に生まれた生物であり、三六度Cから三七度Cの体温を維持している本能と自由意思をもつ動物であるからである。何百度とかの宇宙には適応できるはずはないと考えるからである。
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227、自然の自然法・物理的自然法と、例外状態と保険。社会の自然法。
絶対的な物理的な自然の法には、人間は絶対的に従う。生の本能は存在する。そしてそれに人間は絶対的に従っている。従わねばならないような環境を作っていくのは生の本能ではなく、自由である。倒産し自殺に追い込まれる人は生の本能をなくしたのではなく、他の人々によって自殺させられたのであり自殺はしたくないという生の本能によって様々な社会的な自由な行動をして、食べていけるようにその人は努力しようとしたが、回りの人が食べさせなかったのである。食べようとすれば食べられたはずである。これは例外状態という考え方によって説明すべきであるし、それを保険するのは社会保険である。食べるだけの物が存在しなかったという場合には、社会保険がそれをカバーすることになる。ある人の自然
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な生きる本能を妨害するような他人の活動はある意味では、殺人と同じ行為である。
これは社会の自然法であり、自然(物の)の自然法と対立する。五百度のところに住めないというのは自然の自然法である。一方そのようなところに住まわせてはいけないというのは社会の自然法である。
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228、自然環境と人間
環境影響予測の法理は、自由な人間が環境にいかにして適応できるか、適応できないとすればいかなる理由によるのかを予測することにある。人間にとって環境は自由の一要素となりうる。人間の適応可能限度を越えた環境には適応できないし、適応しえたとしても悪影響を及ぼすような環境があるかもしれない。環境にたいする影響が人間に悪影響を及ぼしたとしても、人間がそれに適応してしまったとしたならばその環境は悪いものではなかったということになるという法理が成立しうるかもしれない。これは社会環境がいかに強制的なものであっても、それに自由に適応した場合には強制的なものではなかったという社会環境の理論とよく似ている。しかしその適応以外に適応のしかたが選択できなかったとするならば、その適応は強制によったのであるから自由ではなかったということにな
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る。
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229、人間関係的(社会的)環境による自由の制約と、自然環境的自由の制約
他の人は、自らにとっては自由の制約となることがある。これをシュタイナーは人間関係における自由の制約とよんだ。彼の理論は自由は所有であるという特殊な自由の定義の場合と、提供や脅威が人間関係においていかに自由と関っているかというものであった。
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230、環境に適応しようとする自由意志と、生きていこうとする本能
環境に適応しようとするのは、ある意味では固定的な生の本能であり、ある意味では自由な選択である。環境に適応して、生きていこう(=生の本能)とするのであるが、環境に適応してというのは自由な選択にまかされている。動物の場合にはある一つの環境に適応するように自由意志がなく、本能として固定されている。これにたいして人間は様々な環境に自由に適応できる。そこに人間の動物のうちの一つの特別な種類であるという本性が存在する。それが地球上のあらゆるところに人間がひろがった理由である。他の動物の場合にはその程に適した環境にしか生存できない。渡り鳥の場合には季節の変動に応じて自らの固定した本能に適した地球に移り住むことになる。移り住むという自由があり、そうではない場合は危険にさらされそうであるが、そうでなくて、固定的な本能が環境に適応できないと
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いう表現が適切である。
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231、環境に適応しても、自由がある場合と、ない場合とがある。
ある人が部屋に監禁されて、その環境によって自らの意思ではないことを書かされた場合、それは環境によって強制されたのか、その環境を作った人によって強制されたのか、あるいは、自由意志で書いたのか。あるいは、環境に適応したのか。これが法で問題となる時がある。取消ができるかという問題である。人間は環境に自由に適応する動物である。従って環境に適応したという表現が妥当であろうが、その場合に他の適応の仕方がないか、自分の好む選択の仕方がない場合には強制されたといってよい。アウシュビッツの「強制」収容所に収容された人々に、自由があったと考えるのは不可能だ。強制して殺すという目的で収容されたのだから、そこで自殺したとしても、強制されたのであり殺されたというしかいえない。それ以外の選択肢はなかったのだから。
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232、社会的環境における自由は分離できるか
ある行動のうち、本能に帰属する部分と、本能以外の自由な選択意思に帰属する部分とに分離・分類することが可能であるとしても、本能以外の自由な選択が可能な部分のうち人間関係が関与する公的な部分と、人間関係が関与する公的な部分と、自然の環境のなかで選択する自然の部分とに分類・分離することが可能であろうか。またこれによりバーリンらのいう公的領域と、私的領域との境界線をひくことができるであろうか。
社会的環境における自由とは、他の人間とどのように関係するのかについて自由に選択できることである。公的な人間関係においてはバーリンのいう積極的自由を行使するかどうかが重要な問題となる。公人と私人との人間関係において特にそれは問題となる。公人と公人との人間関係においては、私人と私人との人間関係におけると同じように、バーリ
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ンのいう積極的自由よりもバーリンのいう消極的自由や、フロムのいう積極的自由の方が大きな問題となる。しかし人間関係においての自由は対人関係を様々に自由に選択することができるという自由なのであって、ある人間関係を環境としてとらえる場合にそれに反発するのか、順応するのかは自由である。自分の環境として最も適応できるものを選ぶのは、自然の環境の場合とは違い、人間の環境のほうも自由であり、自分も同じように自由であるので、自由な社会が作れるということである。自然な環境を自由にかえることはほとんど不可能であり、自分がその環境に適応するしかないが、人間関係の環境は自分も自由であり、人間関係も自由である点に特徴を見い出すことができる。
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233、歴史論と自由論と自由の環境
歴史論と自由論は常に手をあいたずさえて進んできた。歴史の必然性と人間の自由との関係は、人間の内在的自由にたいする歴史の因果関係の影響がどのようなものであるかについての考察として進められてきた。フロイトと対立したフロムやらは、歴史的な思考のかたまりが人間の内在的自由のなかにプログラムされた時、そのプログラムの特徴は人間の性格や、社会的性格(フロム)に影響を及ぼすが、統合的パーソナリティーはそれらに勝って自由を(積極的自由を)確保できると考えた。自由論はこの場合歴史に勝ちを宣言している。
歴史は人間にとって一つの環境である。過去の環境ではあるが、それが現在まで伝わってきているということは現在の環境でもある。未来に向かって新しい自由を得るためには現在の環境を分析するとともに、現在まで積み重ねられた自由な選択の束である過去につ
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いても研究し、それを経験の束として未来に生かさねばならないと考えられる。それが人間にとっての、学説上の対立をこえた、純粋な責務である。それは歴史にたいする実在的なとか、経験的なとか、分析哲学的なとかの学説をすべてとびこえた人間の本質である自由に関わるものであり、自由の環境である。
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234、内在的自由を拘束するもの
内在的自由は本来的に物的環境に適応しようとするゆえに、物的環境に左右されているし、社会的環境に適応しようとするゆえに、社会的環境に左右されている。社会的環境にたいして平等な配慮と尊重という概念ではなく、他の概念によって対応しているようである。その概念は利他性か、あるいは何か。内在的自由は社会的にはあれか、これかを安全とか、危険性の除去という概念によって対応するのであろうか。内在的自由はある環境の範囲内で適応する自由を有する。他の人々と適応する範囲内で自由を有するということになる。その範囲とは平等な尊重と配慮であろうか、バーリンのいう干渉されない範囲であろうか。バーリンにとって強制的な環境には適応しない自由があるということであり、平等派にとっては平等のための干渉ならば、従うべきであるといっていることになる。
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人間的環境が脅威(強制)(threat)になることがあり、個人的自由を侵害することがあると述べるのはシュタイナーである。その論文「個人的自由」(Individual Liberty)において詳細に論じている。「百ポンドをくれなければ、殺す」ということは、確かに強迫(脅迫)である。
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235、環境の自由と都市の自由の共通性、農地の土地にしばられない人間。
都市の自由は自由な環境という意識から生まれる。
都市の自由はあらゆる制約からのがれた状態におかれたことをさしているようである。そのなかで信仰の自由を与えられ、伝統とはちがった新しい信仰を選択したり、新しい生活をはじめたりすることができる。そこには意志の自由も、選択の自由もあるようにみえる。田舎から都市に新たにでてきた学生が感じる自由感であり、あるいは、奴隷が自由人になったときの自由感であり、日本において第二時世界大戦争が終了した時に日本人が感じた自由であったのかもしれない。日本ではそのような自由が第二時世界大戦後の自由であった。自由党と民主党が保守合同を果たした時の自由はそのような意味が含まれていたのかもしれない。
都市の自由は都市社会の構造による。商業と移動を中心とした社会であった。
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236、状況・環境と自由
ニコライ・ハルトマン(一八八二〜一九五〇)は、選択、決断の自由は状況による束縛、拘束と両立しうると考えた。
状況内での自由という考えは、サルトルによると、人間はそのつどの状況において刻々自らの実施を自由に創造していかねばならないとした。
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第二節 対人関係における自由、社会における自由
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自然な社会
法は社会的自然の法からの社会的逸脱を制限するという第一の機能をもっている。しかし、社会的自然の法よりも恐怖政治は厳しく自由を制限し、平等のみで自由を殺す主義も自然の社会の法よりも自由を厳しく制限する。自然の社会の法をみる時に自由を中心にしてみなくてはならないのは、自由が人間の本質だからである。しかし自由は厳しく制限されたり、ゆるくしすぎたりしながら、最後には自然の社会の法に収れんするという自然収れんの法則があるといえば、経済学のまねにすぎるだろうか。自由がすぎると不平等が拡大し、平等化への圧力が働き、平等がすぎると自由が殺されるための自由化への政策への希望と、その実現の力が働き、人々はその間のちょうどよい政権や政策を選択しようとするのだという議論は「自由が平等化を崩す」という不明確な命題を出発点にしているのでまちがっているのか
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もしれないが、もしその命題が正しいとすればそのような力が働くのかもしれない。しかしその命題は「自由によるみえざる手による平等化が働く」という命題にとってかわられるのかもしれないので、それを主張することは一つの仮説であるということになる。
アジアや、日本の戦後の経済発展と平等化をみていると、自由は自ずと平等化への力をもっているかもしれない。一方自由の方も次第に拡大の一途をたどるのであって、上下にぶれながら収れんしていくのではないのかもしれない。それは自然の許す限り次第に拡大していくのかもしれない。
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自由な人と自由な人との集合である社会。
社会とは何か、社会ということばは適切か。
社会ということばは適切ではない場合があるかもしれない。自由な人と自由な人とが集合してできあがった社会内で、少年非行端において反社会性ということばにおける社会の使用方法はすでにできあがった社会という意味であって、自由に作ろうとしている社会や、社会契約という時の社会ではない。社会は自由な人間によって自由に作られるという意味が存在しないし、社会性ということばにおける社会もその様な意味が込められており、それは秩序ということばにいいかえたほうがよいかもしれない。社会学や社会科学という術語における社会ということばのなかにも同様な二面性がある。社会化するという社会学のことばも秩序化の意味がある。政治学における政治的社会化ということばにおける社会ということばも、自由化という意味がこめられてい
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るべきであり、秩序化といういみのみでよいのであろうか。
社会化には自由化という意味が含まれているのにたいして、秩序化には自由化という意味が含まれていない。
自由な人間がどのようにして社会を作っているかを考察するのが社会科学であり、アリの社会のように本能のなかにある特定の社会を作るように指示がはいっている自由のない社会的動物が人間であるならば、本能的に同じ社会を作るのであって、社会科学は必要ではないということになる。アリの社会を研究するのはアリの本能についての科学、生物学の一種なのであって、シートンの動物記も含めてそれらは生物学となる。ところが人間はどのような社会を作るのかについては自由な前頭葉によって考える力をもった動物が人間である。だから社会科学が必要となるのである。
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自由な人間の社会
社会をみる時にせ判断停止をするということは、相手が自由に動くから、自分は予測することができないということであり、逆に相手は経済や、性本能のみで動いていると考えることは、即ち、決定論をとることは、絶対的に判断停止をせず、社会をそれのみで決めてしまって、すべての人にそう動くように要求することである。ある意味ではデュケームのように社会をとらえようとすることは、社会を自然の物と同じようにとらえ、自由の概念を導入しないという態度であるとも考えられ、そこにおいて自由な人間の集合としての社会をとらえなかったことは一つの欠陥であったと考えることもできる。しかしどこかで判断停止をせざるをえないとは考えられる。この反断停止がなければいつまでも行動できない「くよくよした」人間とならざるをえない。判断停止をするとい
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うことはある意味では、自由に活動してみようということである。相手や、他の人も自由に動くから、その結果をみてみようということであろう。そこに一つの自由な社会がみられるとするならば、それはその後に平等とかをある程度考えにいれよう、まずは経験論的に自由を動いてみようという考え方である。
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自由な社会の社会的、人間的、法的、政治的基礎的前提
彼や彼女を制約する物的環境(自然的環境)や、社会的人間関係的環境があり、そしてその他の因果関係の外の部分においては自由なのであるから、そして彼らは私とは違うから、その自由性を認めれば、彼や彼女がどのように行動するのか予測がつかないというのが、自由な社会を構成していく場合の基礎である。たしかに生の本能があり生きていくためには、衣食住の行動を固定的に行っているのは認めるけれども、その他については自由な選択が可能なので自分には予測がつかないというわけである。
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固定的な社会の部分と、自由な社会の部分
土地には固定性があり、本能にも固定性がある。この固定的な要素が共同社会を形成しており、土地から離れた自由な活動や、生の本能とは対立的な人間の自由な本性が利益社会を構成していると定義するのは困難である。従ってこのような意味で社会を分類する場合には共同社会や、利益社会とはことなった用語を探す必要がある。いろいろな学者が自由な社会という場合にはこの利益社会というような意味でいっているのではなくて、全体主義社会にたいしての自由な社会をいっているのである。そのような自由な社会の内部においてもこのような意味での共同社会が存在している。自治会が政治における投票において、投票する政治家を決めることなどはこのような共同社会の名残りである。そこでは土地や本能の固定的なものに税が配分されることへの期待感と安心感がある。竹下登の「ふるさと創生事業」の一億円もそうであった。
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自由な人間の流動的な集合体としての流動的な社会像
自由な行動は社会的である。社会的な行動は自由な行動からなりたつ。生の本能による行動は社会的ではない。食べる本能や、性の本能は、それが社会的な多くのことを生み出すが自由ではない。社会内における自由の状態と、社会内における自由な活動とは全く相違する問題である。自由の状態とは社会的に自由な人が干渉されない状態であるが、自由でない状態とは社会内において規範が存在するか、他の人によって干渉されるかによって自由でない状態のことである。その自由な状態のなかで自由な行動がなされるが、自由な行動がなされない場合もある。遂に自由でない、他人から干渉されている場合でも、あるいは、それを禁止する規範がある場合でも、その規範や、干渉に抵抗し、反発して、服従せずに自由に自由な行動をするという場合が
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存在する。これを不服従とか、干渉を排除するという。バーリンのいう消極的自由は主にこの不服従と、干渉を排除する目的で書かれたものである。
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対人関係と自由
シュタイナーが自由の問題を内心の問題ではなく、対人関係における社会的な問題のみに限定しようと考えるのは、社会的自由や政治的自由に自由の問題を限定しようとするものであって、ミルが自由意思論をとりあげないという宣言を『自由論』の最初にしなくてはならなくなったのと同じような考え方によるものであったと考えられる。
人間の精神の根本を対人関係においたのはハリー・スタック・サリバンであった。彼は社会的な精神のことを考えていたと解釈できる。あまのじゃくの概念についてもそれらを社会的な問題としてとらえたことには深い意義があると考えられる。その他の精神も社会的なものとしてとらえた。
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物のみで動いている社会が成立しうる可能性は何兆分の一でありうる。すべての人が唯物論で動けばよい。
フロイトや、マルクスのいっていることが、彼らの心の中だけでおこったことであったとしても、人類すべてが同じ考えになれば、それが現実的なことであっても、それが現実になりうるという意味では現実的になりうる。その意味ではそれが何兆分の一の確率であっても否定できないからといってそれが真実であるといいうるであろうか。それはいいえない。何兆分の一の確率で真実であるといいうるのみである。マルクスや、フロイトにいくらそれはあなたの心のなかだけでおこったことだよといったとしても、それは彼らの心の中では何兆分の一の確率で、弁証法的にはありうるよといって否定されるのである。その意味では、そこに学習、労働者の学習というものがありうるし、何兆分の一であるという意味では特別な意味での精神病といいうる。それが秘
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密性と、批判(良い評価)の強制と、他の人々の公平な評価の排除につながっている。
良い評価とは多くの議論のなかで生まれるものだ。しかし非現実な考え方が現実化するためには強制によらねばならないのであり、ここに非現実な考え方への良い評価の強制が生ずる原因がある。何兆分の一の確率の存在する理論であっても、唯物論やらをすべての人が強制的に「学習」させられてしまえばそれは真実となるという理論は成立するであろうか。成立する。すべての人が唯物論に良い評価をして唯物論で動くからである。
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人間の行動は、マルクスのいうように経済のみによって、フロイトのいうように性本能のみによって、ヒットラーのいうように自由なくして権力のみによって決定されているのではなく、様々な因果関係によって決定されている。自由な部分もあればそうでない部分もある。
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社会科学方法論における社会
「継続的な恐怖と暴力による死の危険」が存在するから、「権力とつよさ」を一人の人に与えて政治が存在するのである、とホッブズは考えた。自由の危険性の概念と権力とつよさを政治に与えてそれに依存するということを意味している。この概念は、アダム・スミスの「見えない手に導かれ」、「社会の利益を促進する」ことができる個人の利益の追求の概念を独立した依存しない人の行動とみることと矛盾しないのだろうか。
「行動、思考、及び感覚の諸様式」を統制するものとしての社会という概念を社会学における社会の概念のなかに求めたデュルケーム。
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そのデュルケームが社会をすでにあるものとして、総体として、客観的、自然科学的にみようとする学説は有機体的社会観につながる。それにたいするA・シュッツの相互主観の問題は自由な人間の総体としての社会を研究の材料としていることになる。歴史の特殊な事件と、一般的な原則との関係は、つまり、自由な因果関係を自由な人間のなかに認めるかどうかにかかっているといえる。マキャベリーが歴史をみる時には、政治を一般的な法則として求めようとしながらも、自由な政治的人間を求めようとしたのである。ここにマキャベリーが人間には半分以上の自由意思があるかもしれないといった理由があり、彼がフォルツナとともに、ヴィルツゥ(徳)を政治において重視した理由でもある。しかし状況の変化によって伝統主義が出世するのか、斬新主義が出世するのかが分かれるように運命も重視したのである。
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自由の観念のない社会
社会主義における社会は、普通一般の社会とどのように違うのであろうか。社会主義における社会は物のみに支配された社会である。資源を平等にして自由をそのまま自由にしておくならば普通一般の(自由な人間の)社会であるが、資源を平等にして自由を殺した物のみで動く社会のことであり、唯物論の社会なのであり、唯物論を信じない人々は存在してはならない社会のことであり、物以外の自由は存在しない社会である。デュルケームのいう社会は社会という客観的で自由でないものが存在するという社会である。しかしその社会も一部は自由であったはずである。自由からはじまった社会を、自由なしでみることは正しい社会の見方とはいいえないであろう。
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人間関係と社会
人は平等に生まれるわけではないから、自らの境遇によく似た二、三人としかあまり長い時間はつきあわない、その方がコミュニケーションがよくとれるという人がいるかもしれない。しかし何億人という人の社会というものも考えることができる。しかしいずれにしても人間は本能以外の部分は自由な存在である。フォーマルな社会と、インフォーマルな社会という区別は組織論、国家組織論のなかでも、自由と、自由な社会という観点で東西冷戦後の再構成を迫られていると考えられる。
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自由の社会心理
ベイの『自由の構造』におけるハリー・スタック・サリバンの人間関係論と自由論との関係の記述はあまりに文献学的であり、ほとんど実感をもって伝わってこないし、フロイトやフロムの記述と自由との関係の記述についても文献的であり、あまり実感はわかないが、その着眼は大いに参考となる。それはカリフォルニア大バークレー校の権威主義に関する研究や、フロムの研究に言及している点でも自由、社会心理における自由の研究の先駆的なものであるといえる。しかし、グリーンシュタインの政治心理学や、政治的社会化の理論とはことなって自由に関する研究の一部としてそれらを研究したことは特筆に値するものである。安全、それは自由と関係するだろうということの着眼、安全でないこと、不安がまた自由ということと関連するであろ
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うということの着眼も特筆に値する。しかしこのことはあまり普及しなかった。逆に同じ年に発表されたバーリンの「二つの自由概念」のなかの「真」の自我と、経験的自我の対立の考え方は世の中をあっといわせた。しかしそれを継ぎ一般化するような研究はほとんど生まれなかった。バーリンはこの二つの自我論を、二つの自由論程には徹底的には解明してはいない。このことは残念ではあるが、今後の社会心理学が解明していかねばならない研究である。
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社会における衝突しない自由と規範(範)
あまりに多くの他人を知りすぎると、自分の動きがとりにくくなる。かといって他人のことを気にもかけないでいると、他人と衝突することがある。他の人々のことを考えて、平等な配慮と尊重(日本でいえば世間かと思う時もある)をもしながら、自己の主張も行なっていかねばならない。自己の主張をしながら自然にノリ(範)を越えなくなるのは小さい頃に他人のことを充分に考えたからなのであろう。
人間はある程度をすぎると判断停止をせざるをえなくなるのだろうか。それを結論としてよいのであろうか。あまりに他人との平等のことを考えすぎると、相手の自由な行動が全く分からず、全く行動ができなくなってしまう可能性があるし、それはつまり全く自由ではなくなってしまうかもしれないからである。
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この場合自由にやったとしても、「見えざる手」や、神の見えざる手によって平等が達成されるだろうと考えるか(アダム・スミス)、あるいは、不平等になったらその時点で平等になるように努力しよう(ジョン・ロールズの考え方)と考えておいてそれまでは判断停止をするしかなく、アプリオリな概念である自由に従おうと考えるなどの方法が社会的には考えられる。
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自由な選択の積み重ねとしての自由
ある積み重ねられた自由な選択の結果が現在的なある人間にとってのある状態であるといいうる。更に新たな自由な選択によって次の状態が作られている。しかし一旦その自由な選択が悪かったとして修正しようとする時には昔に選択されたものを白紙に戻して、もう一度別の選択をすることになる。これを解放とか、回心とかよぶとすれば人間は自由になりうる存在であるということができる。
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自由の構造と自由の制度
自由は無であり、構造はないが、自由を規制する規範(制度)は有であり、構造がある。自由を規制する規範(制度)を新しくし、より自由な人間に適するようにすることは妙々にとってそれが政治的な自由の意味である。
自由民主党が我々にとって足かせとなり、新しい自由のために障害となっているのならば、また日本共産党がそうであるならば、そのような障害は新しい自由のために取り除くべきである。古い制度や政党は時代が変化すればそのようになりうることはありうる。現実にそうなってしまっているとはいえないが。アンシャン・レジームというフランス革命時代のことばはそのような制度をさしていたといえる。新しい自由は制度そのものを変化させるであろう。人々が依存的ではなく、独立的になってくればくる程依存的な制度はアンシャン・レジームとなることはありうることである。
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体制や政治的な制度や政党などは耐えず政治的な状況に左右されており、古くなってしまったものは新しい状況に対応しなければならなくなる。これが制度化や、適応とよばれるもである。政治が柔軟性をもつとはそのような自由さを常に有していることであると考えられる。
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自由を拘束するものの社会的統計
自由に人間が行動するからといっても、人間は様々なものに拘束され、束縛されているのであるから、ある同じものに拘束されている人々は、ある同じ選択をすると予測ができるかもしれないし、他のある同じものに拘束されている人々は、他のある同じ選択をするかもしれない。これによって社会全体を一つの方向に動くだろうとか社会調査や、理念調査や、世論調査によって予測できるかもしれない。これは統計学の範囲のことであって社会科学や、そのうちの政治学はそれを応用することができるかもしれない。
その統計を行なうにあたっての基礎理論は政治学やらの社会科学によって形成する必要があると思われる。どのような拘束を受けている人が、どのような結論を出すのかについての基礎理論が調査にあたっても、調査後の分析においても必要であると思われる。労働者階級ということばによってではなくて、他
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の社会のクラス分けをするためには、自由を拘束するものが同じ人々をクラス分けをすればじゅうぶんなのであって、それがマルクスのいっている階級である可能性はまずないといえる。労働者にも富裕な人もいれば、貧乏な人もいるし、絶対的窮乏化説の誤りはほぼまちがいなさそうだからだ。
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確率論におけるベイズの定理
自由な人間が自由な人間とともに作る「あいまいな」社会は一つの法則を確率論的に持っているだろうか。人口急増時の社会と、人口減少期の社会とを確率論は、自由に、あいまいに予測できるであろうか。統計学おいて社秋価額においてもあてはめることのできる定理はベイズの定理である。この定理は人間の自由を前提としているといえるであろうか。その点はこれからの研究がまたれるところである。
私は自由な社会が、「本能の代置物としての自由」のある社会であるととらえているので全く悲観的に考えないので、ロールズのようにマキシミン(Maxmin)のルールをとる必要はないと考えるが、自由の危険性の絶大さを考えるとマックスマックス(Maxmax)の原理も人間社会においてはとることもできない。従って人間は動物と同じくらい普通の動物であるという立場
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自由な人間が悲観もせず、投機的にもならず、オプティミスティックに楽観的に確率論的に生きている社会を想定するからベイズの定理が自由な社会ではもっともよくあてはまると考える。
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法が自由を許していても、積極的自由が充満している社会がある。
「〜する自由」を積極的自由とよぶとすれば、各人が自由の状態におかれて他人に干渉しないで自我の実現へ努力するのがフロムのいう積極的自由であるが、バーリンのいう積極的自由は各人が自由の状態におかれていても他人に干渉する積極的自由を一人の人や、多くの人が持っているために、各人は全く自な活動ができないという場合の、他人に干渉するそのような自由のことを積極的自由と名付けたのである。そのような積極的自由を統治のみにバーリンは限定しているが、統治をそのような積極的自由が政権奪取により取っている場合以外においても、人々の多くが不寛容な思想を持っていて他人に干渉しあっているような社会においては、自由が法や、制度によって許され、法的制度として自由の制度が確立されているとしても、各人は自由を干渉されて、自由を妨害され、自由であるとはい
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えないことになる。クー・クラックス・クランのような団体が数多く存在するとすれば、法や制度がどのように多くの自由を認めていてもそこで生活している人々は自由を減少させられていることになる。そのようなバーリンのいう積極的自由が充満している社会においてこそ、バーリンのいう消極的自由が認められていなくてはならないということになる。
このように統治以外における積極的自由がみられる場合について、バーリンは特に指摘していない。しかし地位の承認の章や、多数派の専制などはそのような積極的自由の見地から分析できない。
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第十章 私的領域と、公的領域・私有と共有
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公的領域と私的領域
バーリンの消極的自由は干渉や、妨害がない状態をさすものだとすれば、法の関知しない様々な領域は政治や法から自由、法や政治の規制や干渉から自由であるということになる。法や政治の関与する領域を公的領域とすれば、消極的自由のある領域は私的領域のことである。
共同所有が近代的であり、私的所有がアンシャンレジームであるが、その逆であるかはどのようにしていえるのか。共同所有の場合共同の共有者全員の自由は全員一致でなければ実行不可能な場合があるのは、マンションの建て替えの例では存在するが、そのほうが近代的であるのか、戸建て住宅の方が近代的であるのかは、不明であろうし結着はつきそうにないが、処分の自由性は私的所有のほうにあるであろう。しかし私的所有も全体としてみれ
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ば私的所有と、私的所有の間には公共用の道路などの共同所有が介在しているのであるから、区画整理を全体として法に従って行なおうとする時には私的所有の自由処分性は、公共用道路のために私的所有の戸建住宅が買収される時にも「公用地収用法」によって制限されることになる場合がある。ただ私的所有の領域が大きくなればなる程、自由処分性が大きくなることだけは確かである。この場合には共同所有は総体的に少なくなっていて、社会的に私的所有の自由処分性は多くなっているといいうる。
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公的領域と私的領域
公的領域の範囲外において各個人が平等であるかどうかについても、平等論はとり扱うが、干渉されない消極的自由論は公的領域の範囲外についてはただ干渉されなければよいのであって何らとり扱わない。
私的な領域はある意味では私的所有の厳正となっているという説を提起すれば、それは証明できるのかという問題提起がなされるであろうが、消極的自由を証明するのと同じ程度にこの問題を解くことは困難である。
共同所有が化ならずしもバーリンのいう積極的自由をもたらすとはいえない。
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私的所有と個人の責任と、権力の減少
権力の強大さと共同所有の強大さとは同じことか。共同所有の量が多ければ多い程私的所有の量は一国内では相対的にではあるが少なくなる。権力は一旦握られると次にくるものを排斥して腐敗していくことになる。権力を小さくすることは、私的所有の範囲を拡大することに伴うかもしれない。干渉されない範囲を求めることは歴史的に私的所有の範囲を拡大する政治運動になるかもしれない。しかし私的所有には責任が伴うことがバーリンのいう「強者の自由は弱者の死」ということわざの意味のなかから導出することができる。これは税の思想のなかでは固定資産税という考え方のなかに、人頭税の思想とは逆の意味をもったものとして、意味として含有されている。一人の人の所有が多くなることは、他の人の所有が少なくなることである。従って多くの「私的所有=固定資産」をもつ人は多くの
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固定資産税を支払わねばならないという思想である。これは所有に責任が伴うという思想であり、人頭税が個人個人が主権をもつということに責任が伴い、努力する義務が生ずるというのとは対照的であり、人一人を一人と考えないで、多くもつ人は多くという考え方である。
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固定資産評価額の情報の公開とプライバシー
固定資産の評価額は各個人のプライバシーの権利に属するので、他人は見ることができないことは現在の日本の最高裁判所が判例として認めている。これにたいしてアメリカでは他人は他の人の固定資産の評価額、所有者を知ることができる。韓国においても地価の公示という形で評価額を知ることができる。プライバシーの権利に属するかどうかは、国会において左右の両派がどのようにして合意に達するのかという立法過程の問題であろう。各人が自分の責任によって得た所有をもって得た固定資産の増減については、身にやましいことがないならば左右両派はプライバシーの権利から除外して、固定資産の情報の公開が行なわれることになるだろう。国会議員など議員の固定資産の公開についても同様である。固定資産のうち登記されている部分については公開されているのであるから、固定
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資産税の評価額の情報の公開とプライバシーの問題は、市町村の行政の問題ではあっても、政治一般とも深く関連している。
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内部志向と外部志向
自由の向きに関していえば、フロムの積極的自由は内心に向かって自由を発揮しており、内部志向的といえそれはバーリンの自己否定や、自己実現とは全く逆の立場を指しているといえ、バーリンのいう積極的自由は自己の自由が外部の人人に向かって使用されているのであって、それを他のことばで表現すれば外部志向的である。「外部志向」型人間と、「内部志向型」の人間という区別を別の形で表現しているといえる。
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人口減少期には消極的な干渉されない自由が多くなり、逆に人口増大期には積極的な干渉する自由が多くなるのはどのような理由によるのであろうか。インドのような国では自らの知らない間に干渉する自由が多くなっている。これはそのままでは平等が達成されないからであろう。長男、長女のみが継ぐ社会であれば不平等が拡大しないが、人口増大期には他人志向型となり、三男、四男の多い社会となり不平等が拡大するのがその理由かもしれない。干渉されない自由の範囲が拡大すればそのなかでの自己(内部)志向型の人も多くなる。この場合の内部とは干渉されないという意味とほぼ同じである。
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人口の爆発期他人志向型、バーリンの積極的自由、干渉する自由を求めることが多くなるのはどのような理由であろうか。
もしも兄弟の多いことからくる性格の傾向の方が他人のことについて多くの時間を割いて考え込んでいるという性格の傾向が生みやすいのであるならば、それが理由である可能性がある。
その考え込みは他人志向型、あるいは、他人への干渉という形で、自民族の優秀さや自己の先租の優秀さや、自己以外のものの優秀さによって、高い自我となり、その自我を他人に干渉し押しつけるものとなる。
兄弟間の平等という原則を考えるならば兄弟姉妹の数が八人であれば、両親の経済資源は四分の一となる。もし経済がゼロ・サムの状態で成長しており、プラス・サムの状態でなければそのようにいいうる。
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財産権(所有権)の制限と資源の平等と合理性
「言論の自由を擁護することと、ある種の財産の利用の権利を否定することが矛盾しないこと」についてドゥウォーキンはバーリンのいう消極的自由の一般理論が否定されているのだという主張をなす。彼はその場合には外的選考や、平等な配慮と尊敬という平等論によって、より自由が削減されている人々の権利を擁護するのだと主張する。しかし財産権の公的侵害が許されるケースがあるとしても、そこで侵害される財産は資源であって稀少な資源であり皆が譲りあって生活しているようなものであるということが忘れられて議論がなされているのではなかろうか。経済的な資源の場合にはある他の方向の自由を捨てて、ある一つの方向の自由を選ばざるをえば
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いという場合が存在する。ところが言論の自由の場合にはマスコミが巨大な資金を使っていう場合と、個人が何の金も使わずにいう場合とでは後者の方こそ言論の自由を守るべきであるが、それが公益に反する場合にはどのような理由付けによって自由は制約されうるのであろうか。
実際の事例としては土地収用法のケースが考えられる。道路用地として買収されていた用地のうち最後の一人に対してどのような理由付けによって土地の収用がなされるであろうか。その人が収用に応じれば道路ができるが、応じなければ何百年も道路ができないということになる。道路として売った方が経済合理的であるのに、不合理な行動としてそこに居すわる場合である。
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人間の本性としての利己性と利他性
人間は平等でないことを知っていながらも、自分の自由を貫いて活動したがるものである。しかし利他的に義賊に分配する心ももっている。その双方をもっており、人格の成長とは平等でないと思う時には義賊に分け与えることであるといえるだろうか。利他的性質の成長こそが人格の成長と考える考え方を、利己的な性質を排斥するという観点からのみ批判する考え方があろう。バーリンの干渉されない自由は利己的な人間の性質を重視し、利他的な人間の成長を妨げるものであろうか。バーリンの著作からそうとらえられるような言説は見受けることはできない。ただ自由は社会的な自由の妨害を排除するという観念を最優先してとらえるべきだといっているのみである。しかし「利他的性質が人間の人格の成長である」という命題はどうしてもある種の利己性の排除の強制を伴っているようにみえる。利己性と利他性は時間的継起に伴って共存できると考えることのほうが正しいと思われる。
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外国人と自国人。それを越えた人間の自由と、それを侵害する狂気。
民族自決の原則があるのに、他の国において人権を抑圧されているある一人の人を、他の国が人権を救済することを正当化できる理由付けは外国人と自国人の区別が少なくなってきていることを証明しているかにみえる。政治にとってその一人の人の自由が干渉されていることは人類にとって許しがたい行為であるというわけである。人間が狂気であるかどうかは他の一人の人が自由を奪われているかどうかを見過ごすことができるかどうかにかかっている。バーリンならそういうであろうし、ほとんどすべての人がそう考えるであろう。それは国を越えている。このことについてロールズや、ノージックは気がついていなかった。どちらも国の主権にこだわっていたために国の主権をこえた人間共通の本性について気がつかないで、この問題を解こうとした点に誤りがあったと思われる。
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干渉されない範囲と縄張り意識
動物における縄張りは自らの干渉されない「範囲」を線引きするものである。その範囲は一人があまりに多くをとれば他の人々は相対的に少なくなる。フロンティアがない場合にはゼロ・サムである。また子供の数が多い場合には「相続」によって一人当たりの子供に割り当てられる縄張りの範囲は少なくなる。従って相続しないか、少なく縄張りを相続する子供は他のフロンティアを探して自分の縄張りを確保するようにつとめなければ自分の親と同じ程度の縄張りを確保できない。魚のアユはこの縄張り意識を本能的に持っており縄張りをおかした他のアユを攻撃する。この性質を利用してアユ釣りがなされる。
人間が所有権の絶対性・不可侵性を主張する場合はこの縄張り本能に似ている性質を主
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張することになる。一方縄張りを主張しない動物本能があったとした場合、それに似た人間の所有権に関する主張は所有権の制限を公共的に容認する主張とその性質において近いことになる。人間がそのどちらであるのかについては法や政治のあり方、また経済や政治や文化の状況(環境)のあり方とかかわってくる。人口論や地球の資源の有限性に関する主張は応々にして所有権の及ぶ範囲が少なくなってきているという危惧にもとづいている。
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縄張り意識と所有権の暗喩
人間のなかに縄張り意識がなかったとするならば、ロックのいう自然状態(the state of nature)においては所有権(proterty)がなかったかもしれない。もし自然的な状態においても人間に縄張り意識があったとするならば、所有権が存在したことになる。人間が自分の範囲を定め、占有し、そこに寝起きしていると考え、自らそこを掃除し、使用種駅しているのだと考えるならば、所有権の概念が定まっていなくても、その範囲については妨害排除の考え方が存在し、縄張りの権利があると考えているだろうと考えられる。私達は動物であっても、縄張り意識があると見受けられる多くの現象を見い出すことができる。しかしそれは現在の所有権と同じような権利の範囲が定まっていたとは考えられないから、この縄張り意識と所有権との関係は暗喩的なものである。
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共有と自由の主体
共有の問題と、自由の主体の問題は共通した点をもっている。共同所有であれは共同の自由な所有者全員で、自由意思を決定しなければならない。全員で意思決定する場合の政治的過程は政治を構成する。
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干渉する主体、集団の自由の主体
集団の自由に干渉する主体と、集団の自由の主体とは相違する。共有における意思決定が個人のみではできないからといって、それは他の人の意思決定を干渉していることにはならない。自らが共有であるマンションを建て替えたいと思っていても、マンション内の他の人が建て替えたくないといっている場合には、自らの意思は他の人の意思によって干渉され、制約されているといえるかもしれない。不動産において先に占有されているものを競売によって取得したとしても、先に占有している人は強制執行によらなければ立ち退いてはくれない場合がある。また公共道路の用地買収にあたって最後の一人が小さな用地の買収に応じてくれない場合にも、公共用道路の建設の意思も妨害されていることになる。マンションが共有の場合にはその全員の意思がマンションの建替の自由の主体となるし、個人の反対はそれを妨害
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していることになる。競売の場合先に占有している者は、所有者の自由処分性を干渉しており、干渉する主体となっている。公共道路の買収の自由を、用地買収に応じない最後の一人が妨害していることになる。この三例ともともに全体が一致した意思にとうたつしなければ、全体としての自由は存在せず、その全体としての自由にたいして、個人の自由はそれを干渉し妨害していることになる。しかし全体としての自由という観念が消えると同時にそれぞれの個人の自由は戻ってくることになる。
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ヒレル・シュタイナーの自由論
「脅威は個人的自由に影響を与えるといえる」(threats can be said to affect personal liberty)とシュタイナーは述べる。そして所有を定義して、「ある主体とその人の占有する物理的空間の割合の関係及び、ある主体とその人の占有する物的対象との関係である」(The relation
between an agent and a portion of pbysical space which he occuyoies, and anagent and a material object od which he disposes, is commonly called possesion.)として、自由とは物理的対象の個人的所有のことであるという理論を組み立てる。 (My theorem is, then, that freedom is the personal possesion of physical objects.)そしてまた、所有とは「主体と、対象と、その他すべての主体の間でおこる三者関係である」(Possesion is thus a triadic relation obtaining between an agent an object, and all other agents.)という。「もしXとその二人だけの主体しかいなければ、Xの自
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由の程度と、Yの不自由の程度は、共にXの所有の程度の関数である。」このことをシュタイナーはバーリンの「ある人々の自由はその他の人々の自由の制限に依存せねばならない。」(the liberty of some must depend on the restraints of others’.)ということばを引用して証明しようとする。(If there were only two agents, X
and Y, the extent of X’s freedom and of
Y’s unfreedom would both be functions of the extent of X’s possessions.)
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ヒレル・シュタイナーの所有と自由との関係
富者の自由が貧者の不自由となるゼロ・サムの社会においては、富者が規範意識を強くもって、利他性を発揮し、貧者に物を分け与ることは禁欲主義となるのか、快楽主義となるのか。王や富者が禁欲主義をとることは貧者の自由を増すと考えるのは、ゼロ・サムを重視する場合であり、富者が快楽主義をとり大量消費をした方が社会的、経済的に「経済循環がうまくいくので、貧者も裕福になると考えるのは、富者が使った、消費された金が貧者をとますと考える経済循環主義の場合である。
貧者が禁欲主義をとると、自らの地位や立場に足るを知って満足してしまうということが考えられる。
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私的所有と精神の安定性
私的所有権を多くもっている者は精神的に安定しているが、私的所有権が少ないからとしっとしている人間は精神的に不安定である。私的所有は縄張りのようなものであり、それが精神的な安定をもたらすのはそれが人間の本性である自由にねざしているかもしれないし、生の本能のためにはそれだけの縄張りが必要だということかもしれない。
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私的所有者も、一私人として平等な配慮と尊重をするから、干渉されたくないと主張する場合がある
平等な配慮と尊重の考え方が所有権を制約するという時の主語は政府であり、個々人の私的な主体ではない。私的な主体自らが自発的に博愛によって所有権を制約することは考えていない。自由を制限するものが政府であるとするならば、その干渉や制限を排除する主体は私的な主体となり、自らの力で平等を達成するのであるから干渉はいらないという論理で、政府の平等な配慮と尊重の考えに対抗する自由を求める政治運動を展開するかもしれない。それはリバタリアンの運動となる。つまり、ドゥウォーキンのいう平等な配慮と尊重を私的な主体が自発的に行なうとすれば、自由な動きに干渉されたくないという動きが私的な主体からおこってくることになる。これはドゥウォーキン理論の一つの欠陥となる。
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所有と所有の関係
Aという家計と、Bという家計の資産と負債と資本を共に考察するということは、Aの総価値の増大はBの総価値の下落を示すものであるから、AとBの所有を考えればヒレル・シュタイナーのいう通りに相■的というのはあまり重要なことを指摘していないし、また、それはゼロ・サム社会でも、トータルで増価している社会でも同様であり、利他的と利己的の交換の連鎖とみる方が正しい。
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私的所有の概念
私的所有の概念はアリストテレスの見方によればギリシャ時代にも存在したようである。奴隷制度や、共同所有制度や、家族制度の存在と併合して私的所有の概念もあったと思われるが、それが人間の本性的感覚としてのみであったのか、法制度として結実していたかは不明である。
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消極的自由のなかから生ずる同時履行の抗弁権は消極的自由の対立と解消といえるか
干渉されないバーリンのいう消極的自由がもしあるとすれば、それが有効に社会的機能を果たすためには消極的自由が処分の自由性を有しているがゆえに発生する同時履行の抗弁権と契約の自由はある程度平等化へ社会を動かす機能をもっているといえる。貧乏であるからという理由で高くしか売らないといわれれば、富裕な人もより高く買わざるをえなくなる。これで貧乏な人はより富裕になる。これは税により徴収する時の原則、最後の一円が貧乏人と富裕な人ではちがうから、税の機能により平等化がなされるという税の機能に似ている。公共の税が平等化する機能をもつように、民間の自由契約が平等化する機能をもつことがありうることの一つの例である。
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交換は消極的自由や、私的所有の結果生まれるものではあるが、それはその上に同時履行の抗弁権が存在してはじめて成立するものである。
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共同所有と干渉されない自由
共同所有のなかには、干渉されない消極的自由は存在しないのだろうと考えられるし、全体主義のなかにも干渉されない消極的自由は存在しないだろうと考えられる。共同所有や、全体所有の本質はこの干渉されない消極的自由が存在しなかったことかもしれない。秘密警察や、強制収容所や、それへの密告社会が東西冷戦中にも存在したこと、また、共有社会や全体主義のなかにおいてもそれが存在したことはこのことを証明しているのかもしれない。現代の共同所有と私的所有の混合社会においても、共同所有である公務員の社会や、私的企業の官僚組織内においては、このようなものが存在する。これが官僚や、役人の批判につながることがある。それが的外れ場合があるとしても干渉されない消極的自由が求められている可能性(妥当性)が存
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在していることはありうる。
共同所有は組織的な意思決定によるしか処分の自由性はない。各個人には処分の自由性はない。その意思決定が社会契約とかどのような理論によろうと、そこには集団の自由性しかない。
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国家所有から、私的所有への移行
一部の国で国家所有から私的所有に経営が移行した理由は何か。人間の自由意思の所有によるのであろうか。国家所有は国家への依存を生む。そこでは右翼と左翼を生む。その中間には私的所有があり、独立がある。独立のなかには自由がある。
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共同所有から私的所有になった時に人は自由になったと思って喜ぶ。私的所有は、消極的干渉されない自由が存在するからというわけではなく、自由に処分ができるという意味でも人間本質的な自然的自由の観念と合致していると考えられる。逆に共同所有においては共同である処分の自由をえられた時ではないと、人は自由とは感じない。ただ共同所有に私的所有がなったからといって喜ぶ人はいない。
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共同所有者同志における意思決定過程における自由
民法の範囲内のことであるが、共同所有のなかにおける自由を考える一つの例は、マンションという共同所有形態における意思決定の自由をどのように定めるかという法律上の問題がある。古くなったマンションを建てかえるにあたって何分の一の同意があればマンションを建て替えることができるのかは、他の共同所有における意思決定と同様な問題を提起している。一人だけ反対したら、誰もが建て替えできなくなるのか、強制はできるのかという問題が常に共同所有においては発生する。ドゥウォーキンが所有権については平等な配慮と尊重があれば足りるというが、この場合はそれだけの問題ではなさそうである。各人の自由と、合同の意思決定の問題でありそうである。
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共有は何によって私有となるのか。私有は干渉されない自由と関係する
現実の社会で共有が自由によって私有になるという時の自由は、自由な選択でも、干渉されない自由でもない。それは何か。所有にたいする好みか。所有の楽しみか。あるいは共同で決定することにより、自分の決定と異なるかもしれないことが嫌いだからか、自由処分性を好むからか、独立性か、個人の自由性を集団の自由性より好むからか、人間の個人性のためか、それが善であるからか。このうちで正しいのを決定するためには、それぞれのことばをこの文章のなかにそう入してみて、最もぴったりとするものを選択するしかない。
・共有は自由な選択によって私有になる。
・共有は干渉されない自由によって私有になる。
・共有は所有に対する好みによって私有になる。
・共有は所有の楽しみによって私有になる。
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・共有は共同で決定することにより、自分の決定と異なるかもしれないことが嫌いだから、私有となる。
・共有は人間の独立性により私有となる。
・共有は、個人の自由性を集団の自由性より好むから、私有となる。
・共有は人間の個人性のため、私有となる。
・共有は善のために私有となる。
これらはいずれも正しそうな命題である。相続によって多くの人が共有で取得した財産を、人が分割(私的)所有権とする場合を想像すると、その理由のなかのどれが相当かは個別的であるようであるが、すべてもっともらしく思える。このように社会的な命題はどれかが一般的に、すべてのケースにあてはまるような命題はなく、各人が自由な存在であるということを前提とすればすべて相対的に真であり、相対的に正義であるかもしれない。なかには共有のままでいこうと期待する
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相続人がいるかもしれないし、そのように期待してもその他のすべての人が私有にしてしまったので、私有であることを強制される人がでてくるかもしれない。あるいは共有であるように説得してまわり、共有のままでいくようになり、自分が早く死んで、またその相続人が共有か、私有かでもめるかもしれない。しかし一般的にみれば、私有になることの方が多いかもしれない。各人各人がいつ死ぬかは全く別々であり、その子供の数も別々で違うからである。
このように考えると、人生が、また人間が別々であることが私有を発生させるのかもしれないが、私有の量の相違はまたしっとや、ねたみを生み出し、平等化への力が働くかもしれないし、日本の相続法も平等を原則として相続物の分割をすることを要請してもいる。他人の所有物をうらやむということが、しかし、ルソーのいうように人々の争いや、共有化への力となると考えることはほとんどできず、ロールズの第
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二原理が自由のために働くと考えるのが妥当であろう。
しかし干渉されない消極的自由が、そう考えるとしても、これらすべての裏側で働いていると考えることは、・から・の例の裏の意味を考えれば明きらかとなろう。
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第一四章 一九九一年東西冷戦終了以後の現在の自由
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東西冷戦後の自由論
第二次世界大戦は現在の自由論に莫大な影響を与えた。フロムやバーリンやベイは第二次世界大戦直後に様々に自由について論じた。それでは現在の東西冷戦直後においてはどのような自由論が展開されるのであろうか。第二次世界大戦は全体主義に対抗して自由主義が勝利をおさめたが、東西冷戦は社会・共産主義に対抗した自由主義陣営が勝利をおさめたといえる。しかしそれは自由主義が平等主義に勝ったといえるのではない。社会・共産主義は平等ではなくて、モラールの低下した依存を生んだものと考えられるからである依存に自由は勝利したが、平等に自由が勝ったとはいえない。自由が見えざる手によって完全な平等を達成しうると証明できるならば自由主義は平等主義に勝利するであろう。クリントンやブレアがでてきたのは、社会・共産主義によ
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るのではなくて平等主義によったのだと考えられる。今後自由(人間の本質的な自由)主義による「みえざる手」の平等化過程が明白にされていけば、自由主義が最終的に平等主義のうえに位置して勝つことはありうるだろうと考えられる。自由のなかの平等を主張するところの「自由の構成要素としての資源・機会などの平等」の考え方は、そのような意味で最後の自由主義の砦になりうると考えられる。
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東西冷戦終了後の世界においては、新しい自由を求める市民は「第三の革命」を無党派層として起こしつつある。大衆は煽動によって自由を奪われることなく、また、国家の自由に自らの自由を譲り渡すことなく、そして政党の自由に自らの自由を譲り渡すことなく、無党派として「第三の革命」の主導権を握るかもしれない。第一の革命はマグナ・カルタにはじまる市民革命であり、第二の革命は産業革命であり、第三の革命は東西冷戦終了後におこりつつある革命である。
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マキャベリーののいおうとした「イタリアの統一のためにはボルジアのような政治とか、政治家が必要だ」という命題は、東西冷戦の終結したあとでは統一がなったのであるから、何が政治であり、何が政治家であるといったらよいのであろうか。それでバーリンの干渉されない自由が政治であるというのか、ドゥウォーキンのいう平等な配慮と尊重を政治というのか。
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東西冷戦後の政治学と自由
東西冷戦の終了で、東西両陣営の対立がほとんど解消されるとともに、それまでその対立のために制限されていた自由は、制限する理由とされてきたものがその対立であったものに限っては、自由化されることになった。東側陣営にあっては自由主義を賛美することも、共産主義を批判することもできなかったのにそれが許されるようになったし、西側陣営においてはその逆が許されるようになった。それにより新しい自由と平等についての考察が必要となった。それまで制限し政府により妨害されていた様々な自由な行為がどのような理由により制限し、禁止されていたのかが次第に哲学的に解明されていくことになると思われる。東西冷戦の時代の対立のうち自由と平等に関する部分や博愛に関する部分が、もしも(政治)対立の大きな部分を占めていたので
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あるならば、新しい自由と平等についての政治哲学上の、政治学上の研究は東西冷戦後の今日の政治学と、政治哲学の衷心的議論を占めうるものと思われる。
自由と平等は本当に調和できるのであろうか。自由は平等をもたらすのであろうか。平等な資源や、平等な機会を確保することは自由なしでできるのであろうか。平等は自由の一要素であり、平等な資源や平等な機会を確保すること(平等な配慮と尊重をすることによってかどうかは別として)によって自由が平等に確保できるという論と、資源があってはじめて自由が可能となるのであるから、平等を論ずるのはただ単に資源を平等にし、機会を平等にしようと論ずるのみであり、自由論のなかに一部であるという論とはどういう論理的な差異があるのであろうか。自由と平等が確保されてから、博愛が生まれるのであろうか、自由を確保し自由な博愛の精神がついに平等をもたらすのであろうか。この二つ
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のうちどちらが自由と平等を調和させることができるのであろうか。東西両陣営は共に自由平等を叫び民主主義と称してきた。これを古い民主主義とすれば、東西冷戦後の新しい自由と新しい平等による民主主義はどのようなものとなるであろうか。自由が西側陣営の主なスローガンであり、平等が東側陣営の主なスローガンであったのだとしたら、その自由と平等は調和させることができるのであろうか。新しい政治と法の精神(心)はどのようなものとなるのだろうか。
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東西冷戦後のの政治と自由
マルクスの経済のみで自由がないと考えるかどうかの軸によって東西冷戦後の政治が動くのではなくて、その他の選択の軸が自由に探されていかなくてはならない。自由とは、マルクスとは違って自由な選択があるということであり、それまでのマルクス主義の夢、理想は自由な選択をしないという夢であったのである。自由な選択のためには討議や、討論が許されなくてはならない。第二次世界大戦の終了後の日本の政治においてマルクスの社会主義が、飢餓と貧困のなかでの自由のなさを求めていくことは例外(限界)状態のなかでは必然のことであった。開発し経済成長が必要であったのだから、そこでの格差拡大の後の平等な自由をこれからは求めていく必要があると考えられ、そこにおける政策の違いを自由に討議する必要が生じたのである。そして自由に討議している間に政治的に大きな変化・東西
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冷戦の終了という大きな政治的変動がおこってしまったのである。そこでは経済的な自由のほかに新しい政治的自由が必要となってきた。
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東西冷戦後の主権と国家
東西冷戦後においては東西の対立はなくなった。そこにおける自由は東西の対立やらからくる国家による強制や国家の秘密から解放されたものであるべきである。従って国家による干渉、バーリンのいう積極的自由は少なくなる。国家からの自由は国家間の対立が少なくなることによって達成されることがありうる。国家は対立の時代においては国家機密を守るために多くのことを禁止してきた。それは組織を守るためでもあった。そこには国家としての組織が必要であったのである。そのような他の国家からの脅威が少なくなったことによって国家内における所有権の観念や、主権の観念に影響が及んだとすればどのような影響が、どのような理由で及んでいるのであろうか。主権は様々な理由から生まれてきた。その理由のあるものが消えたゆえに、主権のうちの
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ある種の機能が東西冷戦の終結に伴って変容するか、その機能の一部が失われてきた可能性はあるうるが、それは主権の現実的な機能を詳細に分析することによってのみ分析が可能になると思われる。そこでは主権と自由との関連の考察が不可欠である。
東西冷戦が終了することにより、主権は東側の主権と西側の主権というものがあったとすれば、それより高い主権のようなものができあがったといえる。これは大変なことだし、何事もバーリンのいうように一元論はよくない、多元主義によってしか政治の現実はとらえられないとすれば、高い一つの主権のなかに多くの国家や、集団や、個人が多元的に存在するようになったのであり、特にバーリンのいう積極的自由を行使する全体主義的団体は個々の集団やらに移ったのであり、今後はその違法性を確定させるような法理論や、政治理論や、哲学理論が必要となってくるのではないかと考えられる。個々の集団が、表
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現や出版の自由を侵したりする事件について、また不寛容な団体の積極的な違法性のあるような自由や、ガキ大将の積極的な非行やらをどのように抑えることができるのかというような政治社会学的理論が必要になってきたのだと考えられる。
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東西冷戦終了後は人間は次第次第に依存から独立的な人間に、個人個人が変化していくのかもしれない。というのは東側陣営という巨大なものに依存することも、西側陣営という巨大なものに依存することもできなくなったからである。一つの地球全体となってしまったからには、どこに確固たる東西両陣営全体という大きな権威が存在するのかみえなくなってしまった。これは権威が消えたのではなくて、権威は様々に分かれたのである。その権威が全体としては権力のあるものではなくなった。それらに依存していた個々人は、依存するものがなくなったので、仕方なく独立せざるをえなくなった。しかし、突然独立せよといわれても、独立するためには知識が必要であるが、その知識は突然得られるものではないので、東西冷戦終了後の政治も人々も一見混乱状態に陥ったようにみえるが、個々人は仕方なく知
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識を権威に依存するのではなくて、自らの力で、地を流すような努力で習得せざるをえない羽目になっているのであり、早晩その知識は習得されるであろう。
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東西冷戦後の唯物論
東西冷戦後の現在もかってマルクス主義の左翼を学んでいた人とそうでない人とに党派が分かれているのは、全く冷戦をひきずっているとしか見えない。東西冷戦後は依存と独立という別の党派分け、自由と平等という二つの党派分けを考えるべきである。マルクス主義の左翼は平等よりも依存を生んだという点を考慮すべきである。独立させても最後には完全に政府が社会権を保証するという体制をとるべきであろうと思われる。
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自由と独立|干渉されず、依存しないこと|
東西冷戦の終結により個人の自由と独立が、真実のものとして人間が歴史上はじめてかく得できるかもしれない。国家が消滅したといえるのか。国家は最後の社会権の保証という点では絶対的に必要とあるのは、世間や社会がそのようにすべきである。しかしそうしない時には国家がそうすべきであるという理由からである。
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東西冷戦の終結の解釈
第二次世界大戦が終わり、全体主義が消えて世界は共産主義と、資本主義の日立つに集約されたのであり、そして東西冷戦の終結とともに、それらが一つになったのである。これは紀元二千年を前にした文明の一大転換であった。バーリンならこれを消極的自由と積極的自由の対立解消ととらえるであろうと思う。フロムはその逆の意味でその二つの対立の解消ととらえるかもしれない。あるいは兄や姉の妹や弟にたいする温情的干渉主義と、それにたいする干渉されない自由を主張する側との感情的対立の哲学的和解ということと理解する人や、男の権威主義に彩られたフロイトやマルクスの精神世界と、女性の子供を産む人間的な心との和解ととらえる人がいるかもしれない。
東西冷戦の終結は、キューバや、北朝鮮や、中国(元の中共)が崩壊すれば、本当に東西冷戦をひきずった多くの防衛力の見直しに迫ま
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れるであろう。しかしそのようなことはささいなことである。もっと重要なことは人々の心がかわっていくことである。それは依存と独立という二つの相対立することばによってかわっていくと考えられる。人々が依存から自由になることは人間の本性に復帰することであり、人間がかわるということではない。現在でもインドのカースト制度の下でのように多くの人が依存に甘んじていて、ルソーのいっていたような制度の重圧の下にあえいでいる人がいる。戦争の重圧にあえいでいる人がいる。それにたいしてルソーの社会契約や、「自由であることの強制」はベイがいったような意味ではなく、また、バーリンが解釈したような意味ではなく、ルソーのいった意味での依存からの自由、依存からの解放という意味で支持された有効な力を発揮すると思われる。
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東西の対立は共有と私有の対立であったし、依存と独立との対立であった。東西冷戦は積極的自由と消極的自由との対立であった。この対立が解消されたあとは、国家の観念が稀薄となってきた。そのあとには新しい規範と自由の観念や、国家観、家庭観が生まれようとしている。
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我々は東西冷戦がそこにあるのだから、東側に見方する者は平等についてのみ思考し、自由をないがしろにし、西側陣営に見方する者は自由(干渉されない自由から生ずる私的所有など)のみを考え平等を考えることを判断停止してきたのである。しかし東西冷戦が終了し我々は自由と平等を共に思考しなければならなくなったのだ。
ロールズに見方する(ibid, Talking Rights Seriousby, p.205.)ドゥウォーキンにとって平等の方が自由よりもより強い権利であるかもしれないが、自由を主張するバーリンにとっては自由の方が平等よりも強い権利だということになる。クリックや、フロムの自由な活動よりも干渉されない自由そのものがバーリンにとっては最も強い権利という主張になり、平等のことも知識人としてみとめるがそ
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のことについては判断停止をすることになる。他の人のことばかり気にしていては自由な行動はできないからである。
ところがドゥウォーキンは裁判官の目になってみると平等の方が自由よりも強い権利、少なくともある個別的権利に関しては強い権利ではないかと述べているのであって、すべての人がマルクスのいうように平等のみで行動せよといっているわけではない。法に限っているのである。それはラズにしても同様である。T・H・グリーンが、すべての人に人格の成長を要求したのは資本主義の初期という時代の特殊な環境があったのである。環境はサルトルのいうように自由な決定に大きな影響を及ぼすからである。
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絶対理性を絶対的に強制することのなくなった東西冷戦後の世界
マルクスらの絶対理性の絶対性が、認められる可能性があったのは、そこに国家主権という概念が存在していたからであった。この国家主権を奪取することは絶対理性の絶対性が認められることがありうるという一点に賭けてこのような絶対理性論は主張されたのだと解釈することができる。右翼の国家主義の絶対理性にしても人民主権の理論にしてもそのような絶対性をもっていたのである。ところが東西の冷戦が終結したあとにおいては、国家主権のこのような絶対性が全世界が単一の理性によって動いているのではないかという考え方に変化することはなかった。これは多元論ということはできない。多元な政治的主体が国家主権に影響を与えていくという考え方はあまり妥当であるとはいえなくなり、世界のなかに多様な主権があり、そのそれぞれに各種の政治的主体が影響を与えていると
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いえるようになったと同時に、各種の政治的主体は国連や、世界という莫然としたものにたいしても影響を与えるようになったといいえるのである。このような時代における政治は世界的なものとなったと同時に、個人的なものとなったといえる。主権はそれ程絶対的であるとはいえなくなった。ルソーの「一般意思」のように絶対的なものではなく、そのもととなった構成員個人個人が重要視される個人個人の総体としての主権という考え方に移行してきたのだといいうるのかもしれない。
クリントンや、ブレアが政権をとったとしてもそれは絶対理性を主張するマルクス主義によって絶対的に政権をとったのではない。自由のなかの資源の平等という主張が、自由を殺して絶対的に行なわれなければならないという主張によって政権をとったのではなくて、様々な個人が自由によって自由のなかの資源の平等化というような莫然とした方向性についての主張が受け入れられて政権
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をとったのである。その平等化は政権によって絶対主権によってなされるのではなくて、自由な個人によってなされるのである。それは見えざる手という考え方に近いが、資源という側面については様々な方法(政治による方法を含め)が示されたことによって政権をとったのである。
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東西冷戦後の日本の自由
人間に、また、あなたに今自由はあるか。日本では多くの自由がありすぎるのだとか、自由社会であるとかいわれているが、自由ということばは日本の古典のなかにはなかった。自由ということばの現在的な意味は政党としては明治期の自由党、戦後の自由党と民主党の保守合同でうまれた自由民主党、そして中村正直の訳したミルの『自由之理』などのなかに自由ということばの現在の意味をみいだすことができる。そして東西冷戦終了後にはそれまでに禁じられていた自由が自由化されるとするならば新しい自由の時代がやってきたことになる。
平凡社の百科事典のなかの「自由」の項目のなかで自由という外国語及び自由ということばが日本語として定着した過程を知ることができるが、自由に否定的な側面と、肯定的な側面があることが分かる。干渉されない自由を主張するバーリンが自由のライセンス(放縦)としての側面について述べて
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いる部分があることによっても、自由はいかに難かしい難問をかかえた政治的、法律的側面を有することばであるかを知ることができる。
日本は戦後自由な社会を形成してきたといいうるであろう。そこには自由を基本的人権として成文化した日本国憲法があり、それを守るための政治機構を成文化した日本国憲法があった。また東西冷戦の時代には自由社会の一員として資本主義体制の側にあり、東側の社会・共産主義体制の側と対立してきた。しかし今では東西冷戦はほぼ終結し新たな自由を模索する時代がはじまった。北朝鮮や、中華人民共和国やらの少数の国家を除いては大勢としては自由主義陣営の仲間入りをすることとなった。これが歴史の終わりとなるのか、新たな歴史のはじまりとなるのかそれは今後の社会の動きによる。
ハンチントンは諸文明が衝突するだろうという。しかし今後の世界の動きはあまり明白で
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はない。自由という観点からすれば「自由からの逃走」も、バーリンの消極的自由論も東西冷戦の時代の自由主義社会の陣営からの見方であった。フロムの「自由からの逃走」はどちらかといえばファシズムや全体主義に対する自由主義陣営からのものの見方であった。
今後はそれらをすべて視野に入れなくてはならない。そのためには東西両陣営のなかで抑圧されてきた自由を研究するのも一つの方法であろう。それは自由からみた平等のみかた、平等からみた自由のみかたである。これまで自由を見方する者は平等はないがしろにしてきた。それが東西両陣営のイデオローグであったのである。東西冷戦が終結した現在では自由と平等は両方共に冷静な目でみつめなおす必要があると考えられる。自由も平等も現実にあるがままを、あるがままで見てみるとすれば何か新しいものがあらわれてくる
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と信じるものである。
イデオローグと東西冷戦の分析、この分析は哲学史、思想史と現実の政治の接点であり、非常に広い範囲をカバーせねばならなくなる。しかしそのあとでなければ自由論の新しい側面は見えてこないのかもしれない。この分野の研究が待たれているのである。
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私は現実の方がそうなっていたので、学問を現実に合わせようと考えているのみである。政治家も次のような家庭に影響されて社会観を形成している。東西冷戦後の現実は政治を大きくかえている。社会観や、政治観は現実にあうように常に変化していかねばならない。
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東西冷戦後の集団による積極的自由
東西冷戦後においては、国家によるバーリンのいう積極的自由よりも、集団や他の人がある人にたいしてバーリンのいう積極的自由を行使するという問題の方が多くなってきたし、問題となってきたと思われる。この問題は統治による干渉ではなくて、集団や他の人の一般的な干渉であり、それは全体主義国家がなくなっても大きな問題である。政治の定義における政治は国家のみに限定されることばが、集団や個人間の人間関係にも適用されるべきことばかという課題のうち、集団や個人における人間関係における権力的関係、依存的関係、バーリンのいう積極的自由の人間関係が東西冷戦後においては重要になるかもしれない。というのは東西が合体するということは、国家自体が全体主義や、国家主義や、共産主義という形でのバーリンのいう積極的自由を行使することは少なくなったかわりに、個人や、集
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団が、クークラックスクランのように他の人にたいして積極的自由を行使することが多くなったからである。
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現実のソ連において問題となったものは、さぼりを生む依存であって平等ではなかったし、結局依存では平等もなにも、なにものもえられなかったという社会的な結果を生んだ。一般に平等論が問題にするのは、ドゥウォーキンもいうとおり平等な配慮と尊重などなのであって、主に平等であり、依存なのではない。依存は動かないこと、バーリンのいう自由な状態をも含んでいる場合があるが、一般には平等な動きから生まれる動きをも含む広い範囲のものである。
すねることがすべてを破壊したのかもしれない。依存しすねて、すべての動きをとめようという依存心は、モラールを低下させたのであろう。
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チェルノブイリの原子力発電所の処理の遅れは権威主義に依存した体制が環境の問題やらに対応する能力を欠きがちであることを証明したとされる。現実に認識されたことが外に表現されることを権威が抑圧しがちであることがその原因であると考えられるし、そのような自由の抑圧からの解放が東西冷戦の終了のもたらしたものであるとかんがえられる。
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第三章 政治と自由
自由の普遍性と、政治の普遍性
学問ではより一般的で、普遍的な理論が求められているという学問の目的があるならば、自由な人間という概念は人間社会をみる場合、一般的で、普遍的な人間の見方でありうる。バーリンはそれこそ人間社会の狂いと正常とを見分ける基準なのだと述べた。それが正当かどうかはじゅうぶんに検討されるべき問題提起である。政治が普遍的でありうるのは自由に基礎を置いている場合のみであるという考え方は正しいかもしれない。
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管理の方法と統治の方法
自由放任にする管理と、責任を持たせてまかせる管理と、また、干渉しすぎる管理もまたちがっている。これらの管理を統治とおきかえることができるであろうか。自由放任の管理法と、責任をもたせる管理法は似ているが、後者の場合責任は管理者がとることになる。自由放任の場合にはそれによって見えざる手の機能が働いて平等化がなされない場合にも管理者は責任をもって対処しないというように表現されているように聞こえるが、責任をもたせてまかせるという表現の場合には、部下にという場合に使用する用語法ではあるが、もし部下が平等とか、成果とかを達成しえない場合には責任をとったり、責任をもって平等を見えざる手にかわって達成したりより成果を得られるように努力するとりう意味を合意した表現である。
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政治とは何か、自由と政治との関係は。
政治が自由な活動であるとすれば、あるいは政治は自由な活動を保障し守るものであるとすれば、政治を一般の自由な活動と区別するメルクマール・標識・Merkmalは何かということを決定すればこの質問に答えることは容易である。コントロールか、調整か、稀少資源の権威的配分か、徳か、平等か、しっとか、主権か、領土か、国民か、国民の一般意志か、社会契約か、社会を作る契約か、合意か、規範か。などなど、この答は様々でありうる。しかし社会制度を自由な意志によって様々に作りうることだとする見解は最も広い範囲をカバーしている。この制度と自由ということばは、制度が規範(ルールか?)の集合体であるのだから、規範と自由ということばや、ルールと自由ということばにおきかえることができることになる。平等な分配や、それを調整によって行なうことや、
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秩序のために社会を統制することや、主権を行使して規範を定立し、一般に合意を求めることなどのすべては、この自由に制度を作るということのなかに含めることは可能であるか、逆はできない。
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個性と政治
現実政治に関った政治学者のうちメリアムや、マキャベリーや、バーリンなどのような人は政治とパーソナリティーについて言及している。大隈重信が時の政治家について寸評したりしているのは、政治家の政治家評である。個性の対立は政治的党派や、政治的意見の対立のようにみえる時があるし、社会・共産主義には絶対理性より生ずる独特の個性があるように見受けられる。
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個別性を認めて自由を殺す考えにいたるか、個別性を認めて自由にいたるか。
政治や法において政治心理学や法心理学を探究するということはどのようなことであろうか。もし個性を認め性格の傾向の相違を認めるということは多様性を認めるということであろうか。しかしそれは相対性や、自由を認め、寛容さを求めるということではあっても、絶対性や、不寛容や、バーリンのいう積極的自由を認めるものであることではないのである。逆に自由と、相対性を認めるということであるから、そのような絶対性と自由のなさを認めないことである。依存性の立場の人は逆に個性を認めよという主張を不寛容と、絶対理性の強制を認めよという要求にすげかえるのであるのが通例であるので、それはまた集団主義やら、権威主義に陥ることにもなり、恐ろしい結果や恐怖政治をもたらすことになる可能性がある。個性を認めるとは依存性からみたのとは反対に、独立的な立場
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からみれば相対性と、自由、干渉されない自由を認める立場にいきつくのである。このことはドゥウォーキンが「人は皆違うように生まれてきた」のだから、自由のない平等のなかにいたるべきだという考えにいたったのにたいして、ノージックが「各人の行き方を尊重するゆえに、干渉されない自由が必要なのだ」という考え方にいたったその両者の考え方の経緯によく似ているといえる。このように考えると「個別性を認める」ということには全く政治的な議論における価値は存在しないようである。たしかにそれは事実論としてすべての人が認める事実であろう。しかし、それにたいする評価で全く異なった結論がでてしまうのである。その評価をできるだけ客観的にするために、「バーリンのいう消極的自由」と、「バーリンのいう積極的自由」の概念は大きく貢献したといえるのではなかろうか。バーリンの理論は客観的に二つの自由の真実を分析している。それでいて価値評価
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を客観的事実評価にかえうる力をもっている。このような文筆、つまり、価値評価の裏にある事実を客観的に分析し、価値評価を事実評価にかえるのは、中性の魔術を事実としての分析にかえた科学と同じように、科学といえるのではないか。そのようなことをバーリンは自覚していたことは観念論の首を「大学教授のみが」事実によってすげかえることができるのではないかと考えていたと思われることによって推測できるのである。それはすなわち「干渉されない消極的自由という概念がいかに巨大なものとなりうるのかということを示しているといえる。
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政治と自由の問題は、政治の自由な活動の問題ではなくて、政治が求めていく規範が、法と自由の対立、すなわち、政治の決める法が自由を制限するという問題である、という考え方は正しいのか。
政治と自由の問題を考えるときに、アーレントのように「自由の要素」(the element of freedom)としての演技力とか、始めることを考えるのではなくて、政治は法を決定し、その法が自由を制限していることになること、つまり政治は自由を制限していることに、結局は、なるのだ、ということに、政治と自由との関係を求めることは妥当であろうか。一般には政治は自由な活動としてヴィルツウによって、マキャベリーのいうように行なわれているのに、それが法を作り自由を制限しているから、政治と自由は関連があるということは正しいのであろうか。政治家が法務大臣になれば、また、警察庁長官の上の位置
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にたてば、自由を制限せねばならないし、ことによっては死刑を認める印鑑を押さねばならない。法務大臣は裁判所が認めた死刑の判決をくつがえす権限は、死刑廃止の法案を通さない限りは、もっていない。つまり、ある人の生命を奪わねばならない法的義務をおっており、その人は政治家なのである。そのような政治が政治は自由な活動によって成立しているというだけで、政治の本質をついているといえるであろうか。学校の教員にあっても、また、学年主任にあっても、生徒指導として学生や、生徒の自由を制限せねばならないのである。政治や教育が自由な政治を求める。教育においては自由教育を主張しようと生徒指導によって自由を制限せねばならない。管理教育を批判する政治学者がいても、実際の企業においては遅刻する社員をなくさなければ、つまり、管理主義をとらなければ、九時から動きはじめるベルト・コンベアーに人が一人足りないとすべての自動車を作るべ
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ルト・コンベアーはすべて、他の何千人の人のためのベルト・コンベアーのすべてをとめてなくてはならなくなるのである。ここに現代社会における政治の自由な社会への欲望と、現実に生きていくためには自由を制限する管理社会、自由を制限する厳しい法が必要であるとする社会的な考え方とのかい離が存在する。いくら自由にさせようと思っても、そのベルト・コンベアーをすべて全員そろって動かさねばならないという自由の制限との間に考え方の差異が生ずるのである。その中での新しい自由を求めていこうという考え方はトヨタ自動車の本拠地である愛知県で、ニュー・フロンティア・パーティーと■■されている新進党が受け入れられる余地があるといえる。毎日自分の思うままにして生きていける余地を残している芸術家やらの多い地域の自由とは自由の大きさが全く違うといいうるのである。
自由の制限するために政治が存在するので
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あると政治を定義してしまうのであれば、政治は法と同じように自由はなくなるし、政治学は実定法学と同じように全く自由のない学問であるということになってしまう。
自由を制限することは絶対に必要である、それはある意味での法の役割でもある。しかしそのような法によって制限された自由を少しでも多くすること、つまり、制限するものを少なくすること、それにたいして努力することが政治の役割でもあるならば、それはニュー・フロンティアを探すということでもあり、政治が自由を求めるという政治の本質をついているものであり、それはじゅうぶんに政治に夢をもたせるものである。
政治は規範のみを扱う法よりも、自由な行動を行動科学的に扱うのであるから、自由な活動に近く、法における活動は自由の制限により近いので、方角においては演技力や、独創力や、進取の気性が問題になることが少ないということだけはいえるであろう。
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政治は自由な社会的な選択であるか。政策は自由な社会的な選択肢であるか。法は規範的なことに関する自由な選択であるか。
自由な選択のうち、社会的に大きな影響を与える選択は政治といえるか。政治は自由な活動ではあるが、社会的な影響を与える自由な選択である。法も選択ではあるが、多くの規範のうちから権威的選択である。政治も多くの規範のうちから政治的選択をするが、法はすでに政治的に選択された実定法や、自然法のなかからの、その内部での選択である。つまり政治はより広い選択を行なうゆえに、法よりも自由な活動により近い。法は規範のうちからの決定であるから、静的であるために自由な活動であるよりは自由な選択を頭のなかで行なうという活動である。規範を決定するために、規範的行為をする以外に政治は規範的行為と日常的行為を両方天秤にかけて、そのなかから規範的行為とは何かを決定する作
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業を含んでおり、日常のなかから規範を定立するという側面を政治は含んでいるのにたいして、法はすでに規範として定められている抽象的概念について他の規範との考量のなかでの思索を行なうのである。
法は思索的な部分を多く持ち、政治は行動的な部分を多く持っているゆえに政治行動論が行動科学的に研究されようとするが、法は規範に関する思索行動は扱うが、例えば法廷における行動科学のような法行動学はあまり研究されているとはいえない。しかし法定における行動科学も重要である。ラズウェルは劇化型と、強迫型という二つの行動のタイプの分類によりその研究を行なおうとした先駆者である。
政治における自由が演技力(virtuosety)であるかのような印象を与える理由は政治が自由な活動に多く依存しているからであるだろう。しかし政治におけるヴィルツゥや法の中身の多くは、規範的なもの、規範定立的なもの
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なのであって、政治における法は、最も規範的な規範と、最も規範的な規範にもとづく最も規範的な、徳のある、規範的な行動とに重点はあるといえる。
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政治には何故観客が必要なのか。それは模範的活動であるべきか、集票活動であるべきか。
政治家も、芸術家も「ともに自分の仕事のために公的な組織化された空間を必要とする。」し、「他の人々に依存している。」ことになるというアーレントの政治的な自由活動の本質・属性についての指摘は何を意味しているのか。この指摘はたしかに政治と演技力の類似性についてするどく指摘している。政治家が模範的な活動をしていなくても、多くの人々の票を得るだけの支持を得ているならば、それは政治的な自由活動である。社会の多数が現政権に反対しているならば、政治家もその政権に反対しているという演技を行なわなくてはならないであろう。政治がノルムをもとめるものである場合、そのノルムはノーマルなもの、これは特殊な意味としては多数の人々の意思を受けているものと考えれば、そのようなものでなくてはならないだろう。しかしそれは模範的である必要はない。マキャベリ
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ーのいうヴィルツゥは、それが模範的でなくてはならないということを意味していたであろうか。そうではなくて、チェーザレ・ボルジアのような国家理性、国の統一に向かっていく勇敢さのみを意味していたのであろうか。一般の通説は後者を是とするが、私は前者を是とする。前者こそが国家理性に合致していると考えたと私は考えるからである。それは自由論と平等論の帰結でもある。
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模範的活動は規範的な行動であるか
マキャベリーのいうヴィルツゥは模範的な生活を送っている者は政治社会において出世し易いといっているのとほぼ等しい。この模範的と規範的ということばはどの程度に関連性があるのだろうか。「めざしの土光さん」は社長であってもめざしを食べていて、質素な生活をしている人である。したがって国民もめざしを食べるような質素な生活をしなさい、また、行政府の役人も質素な生活をしなさい、そうすれば行政の支出も減り、そのうちに行政改革が実行されるのであろうという考え方を示していた。このめざしの土光さんが演技であったのかどうかは不明であるが、演技であったと考えて裏舞台を紹介した番組もあった。つまりこの演技は模範的な演技を、禁欲主義を宣伝させるために裏方の人が考えた筋書きにのって演技されたものであっ
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たのかもしれない。禁欲主義とはこの場合はぜいたく品を食べないということであるとともに、「それを食べではならない」という規範の意識を強く持っているということである。
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自由と立身出世の学として政治学
政治学は立身出世の学であるという人がいるかもしれない。社会にでて出世するためにはこれこれの政治的な徳を身につけておいた方がよいという学問であると考える人がいるかもしれない。なのになぜ政治学と自由論においては自由というものが大切であるということしか述べないのであろうか。自由は政治的な徳であり、立身出世の道具とでもなるというのであろうか。では禁欲主義は自由から逃避しているのになぜ政治学の大将となるのであろうか。
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政治と自由
政治学において内在的自由を認知するのか。いやそれは政治とは全く関係のない領域の概念なのであろうか。この問題は現在においては決着がまったくついていないし、これから決着をつけるべき問題である。政治人類学においては経済人類学が人はなぜ服を着るのかを問題にしたのと同じような意味で、政治は内在的自由を問題にすることを認知し、教科書に内在的自由について書くべきであろうか。政治人類学はそれをすべきかもしれないといえるであろうか。何故に未開社会の政治と、今現在の政治がほぼ同じであることを説明するのに内在的自由の問題を認識することが必要なのであろうか。その問題が人々の心のなかに根付いているとするならば、政治学の教科書の中に内在的自由の問題を入れる必要があると考えることができる。政治学において自由を問題にすべきかどうかについては、いまだ
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はっきりとした答はない。憲法の教科書には自由についてはっきりと書いているが、政治学の教科書のもある。マキャベリーはその教科書なかには、例えば山川雄己氏の教科書のように自由については一言もふれていない教科書的な『君主論』や、『政略論』において自由について政治の教科書においては自由について書かないのが通例となっているのは、方角の教科書が自由について書くのとは対照的である。
政治においてどのような意味を自由が持つのかをとらえるためには、内在的自由を政治学がどのように認知しうるかどうかについてまず考えなくてはならないと思われる。
アーレントの「政治と自由」に関する論文は的外れところが多い。それは一に内在的自由について政治学がまだ認知しえていないところから発生したと考えられる。自由は個々の政治的闘争においては個々の自由として、
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自由開放闘争の目的なり、対象物として認知されてはいたが、人類史をふりかえってみてそれが内在的自由の働きであったのであり、人間の本質としての内在的自由を求めるための闘争であったのだとは認識されたことはあまりなかったのである。ヒューマニズム(humanism)ということばも歴史のある時期であったルネッサンス期や、フランス革命期や、ロマンティシズムの時期やらをあいまいに表現する主義としてとらえていくのであれば、そこにある一貫したものを表現する力というものを感ずることはできない。同じイタリアという国においてルネッサンス期にはあったルネッサンス・ヒューマニズムは、その後なくなってしまったと考えることはできない。ルネッサンス期も、フランス革命期も、現代も自由を求める動きが高まった時期であるととらえるならば、ヒューマニズムが高まった時期として特筆する歴史のみかたと、人間の本質としての内在的自由がそれにたいする障
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害をはねのけようとした時代であったととらえることは、ヒューマニズムということばを普遍化していく役割を果たしうると考えられる。これと同じような意義を政治学において人間の本質としての内在的自由というものに目を向けることが有しているといえると考えることができる。
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自由と社会契約としての政治
社会契約を自由の相互放棄であると考えるならば、政治は社会契約にいたるまでの自由な過程である。社会契約によって作られるのは制度であるが、契約するかどうかについての自由は「約束は守らねばならない」とか、「ルールは守られねばならない」とかいう最初のルールを認めるかどうかにかかっている。ロールズの第一原理をルールの第一原理として認めない人がでてくるし、その人が社会契約に参加しなくてよいのかどうかの問題が残る。
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個人主権から、社会契約へ。しかし個人の主権は絶大である。
民主主義は、あるいは、社会契約は、国民があることについて自由に意思を選択し、それが一致したことが前提となっている。
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ルールの形成過程
日本における電車のなかで、ルールが存在する。空いた席には一番近くに立っている人が座るのである。このようにルールは自然にできあがるものであるし、それを作る人間の人格に影響されてできあがる。これが制度と人間の関係を考察されるにあたっては、つまり、政治とは何かを考えるにあたっては、考察されねばならない。
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自由と、硬性憲法、軟性憲法
平等に皆が貧しくなること程恐ろしい状態はない。平等を主張して自由をないがしろにすると、そのようなことが現実に起こった。平等な社会と考えられていたすべての人が公務員となってしまったソ連の社会においてそのようなことがおこった。平等のために自由を殺しあっていたために、誰も働くことさえイヤになったのかもしれない。全体の社会が前よりも裕福になるならば、自由と不平等を認めようという条件付の自由論は有効であろうか、それよりも自由を第一段階で平等に認め、第二段階で不平等を「人間としての生活を満たすために」是正することの方がより社会を裕福にするであろうか。それを社会契約によるルールの選択として国民の自由意思に、憲法制定会議のように、委ねることをいつも行なっていくことの方が正しいのであろうか。もし常時そのルールを決めておくとすれば、それは憲
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法理論では改正を容易に認めないような硬性憲法のようなものとなるが、人間が適応すべき環境がかわるたびに、つまり平等な自由による不平等の発生の程度に応じて、その都度その環境に対応するルールを自由意思により決定しようとするようなルール作りは改正・修正を容易に認めるような軟性憲法のようなものとなる。ロールズの第一、第二の原理は硬性憲法に近いと考えられ、ノージックの理論は軟性憲法に近いと考えられる。ノージックでさえも極端な不平等の存在は認めるはずはないからであると私は思うからである。
ロールズが遂次的順序lexical orderとよぶものは、「第二原理に移る前に第一原理を満足させ、第三原理を考える前に第二原理を満足させることを要求するという順序なのである。それに先行する原理が完全に満足されるか、完全に適用されない限り、ある原理は作動を開始することはないのである。………順序はけられたどの原理も、先行する諸原理が完全
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に満足されているという条件に従って最大化されると想定することができるからである。」(ロールズ『正義論』、訳書三一頁、原書pp. )
このロールズの考え方はもし、経済的、社会的不平等が許容される限度以上に拡大した場合にも、社会の基本構造としての平等な自由の概念に矛盾しない方法で、富や権限の不平等に手段を講ずるべきであると述べるが、「その場では、それほど有望なものとは思えない。」それは第一原理が「限界( )」になったときに第二が作動するべきだとするが、第一原理を効用原理とすると、それですべての規準が内包されてしまうという。
最初に戻ればしっとが埋まく平等主義のふきあれる自由のない社会、この恐ろしい恐怖政治の社会を作らないという目的と、そしてまた不幸な人々を発生させない社会、その人々の自由をも考えた社会を作るのに、どちらの目的を優先すべきかという問題が発生する。
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もしあなたが憲法制定会議のメンバーであったとするならば、どちらかに優先の順序を与える憲法の条文を作る時にはどうするか。
「Aというルールを曲げない範囲での、Bというルールを決定する」
とするであろう。この場合AというルールがBというルールに優先していることになる場合とそうでない場合があると考えることができる。
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自由からの逃走
政治学上最も問題となる独裁や、専制の問題はナチスドイツのナチズムにおいて頂点を極めた。これを自由からの逃走であるととらえたフロムの説はなるほど評価できる表現ではあるが、自分からの逃走の理由について完全に証明できていた、それも政治学的に証明できていたとはいえないのではないか。クセノフォンが『ヒエロ』において独裁者が民衆にとり囲まれた時に感ずる不安などについてフロムはそれ程明確に証明していないのではなかろうか。あるいは全く証明しえていないのではなかろうか。もしそうだとすれば政治学にとってナチスの問題はゼロに近い程全く解明されていないといいうる。それだからこそその後のソ連の独裁について政治学は全く答を出すことができなかったといえるのではなかろうか。
ソ連の問題については事実が、現実が政治学よりも先へ走っていったのは政治学が、現実
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に起こっている自由からの逃走、一党独裁を全く解明しえていなかったのではなかろうか。
『自由からの逃走』における社会的性格論は、ユングの理論を採用してきたものかもしれないが、私には全く受け入れ難い性格論である。人種のルツボのアメリカにおいて自由な性格を考える時には特にそのような考え方は受け入れ難くなるであろう。自由な社会を前提とした社会的性格論が考慮されるべきである。フロムの社会科学や、政治学に関する知識はほぼ皆無であるといってよい。それはフロムの性格からきているものかもしれないと、皮肉的にいう人もいるが、そうではないであろう。
自由からの逃走は、平等のために自由を殺すような政治学的な意味でおこる場合もあれば、そうではなくて、社会学的な意味で解釈できる理由でおこることもある。
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自由と政治
アメリカにおいては自由という政治的なことばが、二大政党名のなかにはいらなかったのに、日本の政党には自由党からはじまって自由民主党にいたるまで自由という名をつけた政党が主要三党や、戦後の三大政党のなかに残ったのは不思議なことである。自由の少ない国だからこそ日本では自由を求める人が多いのだろうか。アメリカでも現在リバタリアンという政党は少数政党として存在するし、イギリスでも 党という自由の名を冠した政党が存在する。
自由が人間の本質であるのならばアメリカ・イギリスにおいても自由を冠した政党が二大政党となってよいはずであるが、両国共に自由民主主義の国であるのだという意味では自由は浸透してしまっているといえるのかもしれない。このことは政治とは自由に行なわれるのが正当なのであるから、自由な政治活
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動によって行なわれる政治がどのような自由な活動をするのかのほうが大切なのであって、あらためて自由を政治において求める必要はないということなのかもしれない。ところが日本ではまだ達成されていない自由があまりにも多すぎるから、自由を求めることが政治活動の主要な目標となっているのだとも考えられる。あたかも普通選挙権をえている国ではどのような政治を行なうかが問題になるのに、普通選挙権をえていない国においては政治活動を行なう自由を求めることが政治の主要な目標になるようなものである。
それでも政治活動が自由な国であるイギリスやアメリカにおいてこそ、ミルの『自由論』、バーリンの『自由論』、フロムの(自由論)、ベイの「自由論」のような著作があらわれるのに、日本のような自由の少ない国においては自由についての論文は非常に少ないといえる。自由ということばをいうことすら、自由でないかのように思われる時がある。そのような国においては自
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由論があらわれようとしても、自由を経験していないのであるから、いい論文とならないのかもしれない。
日本は和漢洋の三つの文化の混合した文化をもっているのであるから、東西冷戦終了後の今では新しい自由があらわれるかもしれない。しかし高校生をみれば、教育のなかであまり自由を尊重されているとはいえず、企業のなかでも自由を味わっている労働者とはいえない。
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政治的環境と選択の自由
伝統にのっとった固い人が出世するのか、反対に漸進的・斬新な人が出世するのかは、伝統主義と、漸進・斬新主義のどちらがいいのかとは別問題である場合があり、これが自由と政治学の根本問題となることがある。伝統からの自由をとるのか、伝統をとるのかはその人の環境による。その人の環境が伝統からの自由を求めている時には、伝統からの自由を政策的にとることが求められるであろう。その時にはそのようにふるまう技術が政治の知識であり、それはマキャベリーのいった運命にたいするヴィルツゥを身につけた政治的な人間であるといいうる。一方伝統にのっとった方がいいような政治的環境においてはそのように対処するのがヴィルツゥであろう。この場合のヴィルツゥは徳よりも、政治的な技術力というのに近いし、それは政治的な自由な選択というのに近いことになる。その反対の選択はあまり環境に適しない。
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政治学と政治哲学
政治学は政治の様々の事象をとり扱う。一方政治哲学は自由と平等や、博愛、さらには主権のような概念が政治のなかでどのように取り扱われているのかについて研究をする。
政治は人間が行なう行為や活動であり、人間は生の本能があると同時に、自由でもあり、全体として社会を作っている。政治の事象をとり扱うにあたって政治哲学のなかの自由について論ずることは政治を見つめる一つの視点として重要な役割を果たすと考えられる。自由は政治の芯のようなものである。自由によってこそ博愛や、平等の概念も生まれうる。自由な意識を残しておくことは平等や、博愛の意識を増やすためにも大切なことである。
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政治的人間の自由性と政治と人間
政治が本能のみではなく、人間の自由の思考と、自由な活動によって行なわれるという意味で自由と政治は深い関係にある。人間が自由に動かないアリと同じような存在であるならば、アリの社会同様に自由は研究する必要はない。アリの行動は本能によって規定されている。しかし人間の社会や、政治は生の本能以外の自由の部分に多くは関わっている。政治は一部分固定的な本能や、固定的な土地を統御するものである。生の本能を自由が統御できるかどうかについては「否」というべきであろうが、生存権的基本権のように生の本能のための資源やらを用意して、生の本能のうちの食の本能が可能になるようにするのは自由の部分である。
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自由はなぜ殺せないか
独裁的な性格の政治家に満足せず、不満であったとしても、仕方がないということになっても、しかし自由を殺すことにたいしては人々は死にもの狂いで反抗する。この感情はマキャベリーが自由についての立早で力強く表現しているが、この感情は現在も存在している感情である。それは人間の本性としての自由な部分に反しているからであろう。人間が本能のみからなりたち、性本能や経済的な生の本能のみから固定的に成立し、自由な選択性をもたない動物であれば、そのような感情は成立しようがない。
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政治現象と政治規範
五W一Hの政治現象論は、政治学のなかでも政治行動の分析である。正義論のなかでも自由という規範や、平等という規範やらが政治規範として存在しているからこそ政治現象は起こるのであり、政治行動論は政治規範を超越したところに存在すると考えられていたのはまちがった考え方であったとも考えられる。政治規範が政治制度を形成する基礎となるものであり、政治制度に向かって政治行動はおこなわれているものだからである。
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政治の五W一Hと、自由の六要素。
自由な活動と、欲望、目標。自由には三要素があるのではなく、四(六)要素があるのか。
自由な活動を行なうにあたって、欲望や、目標や、目的や、本能やらがどのような役割を果たすのか。そしてそれは自由の三要素と環境との関係ではどのような位置にあるのか。バーリンが目的(ends)といったり、目標(goals)といったりするのは、生本能で固定されて行動をしたり、生本能から生まれてくる欲望へ向かって固定的に人間が行動するのとは違った意味である。腹が減ったら食べたくなる。この場合の腹が減ることからくる食の本能は、生の本能ともいえるし、生の本能からくる欲望である。ところがある人は弁護士になろうという目標をもち、その目的のために努力しているとする。ところが他の人は不動産鑑定士になろうと一生懸命に努力していたりする。その目的や、目標が多数であるところに人間の自由が存し、その目的や、目標が多数であり、そのなかから選択ができると
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いう点に人間の自由と、人間の自由意思が確認できる。ということは自由な活動とは様々な目的や目標に向かって自由な活動ができると表現することが正しい表現ということになり、自由には三要素ではなくて四要素があるということになるのであろうか。「ある環境のもとにおいて、ある人が、ある障害物なしに、ある目標のために、ある自由な活動をする」という表現が自由の定式化としては正しいのであろうか。この目標に関しては、「自分の欲望のままに」とか、「自分の思いどおりに」とかいう表現によって批判的に、わがままなこととして排斥する場合の理由付けとされることが多い。逆にバーリンが人生の目的は多種多様であり、人生の目標が様々であるという時には、多元論(pluralism)を擁護し、それを自由によって証拠づけるときの理由付けとして用いられることになる。人生の目標は様々であるとして他人の人生を肯定するのとは正反対に、他人の人生の目標にたいして
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わがままであるとか、放縦であるとか、恵恣横暴であるとか、ふらちであるとかの理由付けによって自由を制限する場合には、他人の人生の目的を否定することは、あたかも、その否定によって他人を障害物と自分がなることの、自分が他人を妨害することの理由付けとしているようなものであるから、それは自由の定式化の三要素のなかでは「自由を妨害する」ものであるかのようにみえる。これは人間関係における干渉や、強制やらの主な理由付けであるといえるであろう。しかし自由の三要素の定式化にはじゅうぶんにはいれることができないもののようである。「自由とは、ある環境のもとで、ある能力や資源や機会があって、ある妨害なしに、ある人がある目標や目的のために、ある自由な活動をすることができることである」と定式化するとすれば自由には六つの構成要素があることになる。ある環境のなかには憲法上その自由が認められているのかというような社会的、法的環境と、自然的環境とに分け
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られる。一方能力や資源や機会は形式的自由を実質的自由にする構成要素であり、能力は教育によって作られるのだからと平等な教育が主張されたり、資源や、機会も平等に分配されなくてはならないと主張されたりする。ロールズがロールズの第二原理で分配的正義を主張するのは自由のこの部分に関してであり、形式的自由については第一原理において述べているということになる。アリストテレスが分配的正義について述べるのも、自由のこの部分についてである。形式的自由については自由のための環境において述べられているのであるから、それを補充する意味で、ある人に実質的自由が存在し所有とかを自由論で問題にするというのは、この資源や機会や能力について述べているのだということになる。従って形式的自由について述べるのであれば、能力や資源や機会については述べる必要はないことになる。
憲法上の条文は、この形式的自由について
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述べていることになる。「すべての国民は思想の自由を有する。」とか、「すべての国民は生存する自由を有する。」とか規定するのは国家等から妨害されることなく、思想の自由を有し、生存の自由を有することを表現しており、他の四要素を除外していることになる。クー・クラックス・クランのような他の人々や、他の団体が思想の自由を妨害するのにどのようなことを憲法がいうのか、他の一般団体も思想の自由を妨害してはならないということを憲法がいっているのかどうかについては法的な問題となるが、文言解釈によればそのような妨害も禁止しているととるべきであろう。憲法は国家の干渉のみを排除しているととる学説によれば、私人間のことには国家は干渉しないことになる。憲法が自由な活動を保障すると規定するのか、思想の自由などの自由な活動を妨害しないと反対解釈により規定しているのかという問題と同じことになる。法が妨害しないというのは、思想統制
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や、経済統制や、検閲のような妨害をしないということを保障しているのか、自由な活動に重点を置けば自由な活動を積極的に実現させるためにその他の妨害も排除していく施策をとるのかということになる。また、資源や機会や能力の平等化をはかって、実質的自由を平等化させたり、実現させたりするために国家が積極的に活動するのかどうかも学説上の対立を生むことになる。生存権の保障に関しては生活保護の金額について実質的自由を政府が保障すべきだという考え方が日本の憲法判例では定着しているのである。しかし働かないでも動いている人よりも裕福な生活保護の金額を政府が与えるならば、その政策によって誰も働かなくなり、今度は政府の保障する資金源の財政が圧迫されるという論理的矛盾があるがいやそうではなく実質的自由を平等化するところまではどのような極端な政策を行なってもよい、形式的自由など殺してもよいのだという論理も主張され続けている。この二つの論理の対立
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は、自由と平等の対立として永遠の課題であるが、ロールズの正義の二原理はそれを順序の問題として解決したところに大きな意義があると考えることができる。
社会的な環境として憲法のような外的選好としての法体系は、自由に大きな影響を与え、人間はそれに適応せざるをえない状況にまずおかれる。法は規範、〜せねばならないの体系であるから、そうしない自由にたいしては社会のサンクションがありうることになる。この社会的制裁(サンクション)については別の項に譲ることとする。これは自由の危険性と関連があるだろうし、自然環境の危険性とも関連があるだろうから、自由をじゅうぶんに考察したあとでこそ考えられるべきことであり、その意味では順序の問題であるといえる。
次に妨害や、障害となるものについて考察するには、自由な存在である人の場合と自然的な物とに分けられるであろうが、資源は物
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であり、機会は時間や社会的な地位や職務であり、能力とは教育によって養われるものであるということになり、それらが欠けていることは妨害や障害であるという考え方をとれば資源やらはこの妨害に含まれることになる。他の人がその当該する人に故意か、過失により妨害を与えている場合には自由な他の人と、自由な自分との作る自由な人間関係や、自由な社会について考察せねばならないことになる。
次に自由の主体である「ある人」について自由論が述べる時にはある人の性格の傾向が様々であることや、その人の人生の目標や目的が様々であるということが問題となろう。更に進めていえば、このことは自由な活動と深く関っていることになる。様々な目標や目的をもったある人が、その目標やらのために様々な自由な活動を選択しうるのであるという表現をするならば、自由の主体と、自由の目標やらと、自由な活動とは、自由の目標・目的を
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ができると考えることもできる。どのような場所でが、自由の環境にあたり、何のためにが自由の目標や目的にあたり、誰がが自由の主体にあたり、どのようにしてはある妨害を排除してにあたり、どのような時にはどのような場所でとともに自由の環境にあたり、何をについては政治においては権力をであったり、平和をであったり、利益の調整をであったりするが、自由の場所は自由な活動であるということになる。権力などを「得る」ということが、自由の場所には自由な活動を「する」ということにあたる。資源や機会や能力については自由はそれによって可能となるのであるが、政治の場合にはそれらの奪いあいの結果の配分的正義を問題とするという点においてそれらは政治では、「調整や、配分や、稀少資源の配分という場合の配分や、権力の配分に際してのポストや資源などのような権力の目的物や、教育や職
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務の機会均等という場合には機会として配分されるあるものや、所有の場合には所有の対象となるものや、教育によってえられる能力」などのような政治の定義においてそれをとりいれるか、とりいれないかについて問題となるようなものである。稀少資源の配分を権力的に行なうことが政治であると定義するならば、この稀少資源こそが政治の重要な構成要素となっていることになる。しかし稀少資源は自由の一構成要素であることからすれば、稀少資源も政治の一構成要素にすぎず、それが政治の本質を構成しているとは考えることができないのは、この政治と自由についての考察から明きらかになるであろう。資源や、能力や、機会は、そしてその配分は政治の重要な構成要素ではあっても、政治の本質ではないという考えは、自由にとって資源や、能力や、機会が一つの構成要素に過ぎないことによっても知ることができる。この論文はそのような立場にたち、平等もこれらの量的な、
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実質的平等について述べているのであって、それは自由の一構成要素にしかすぎず、平等が自由を殺すことはありえないと考えるのである。その論からすれば政治の本質は自由と深く関っており、政治が自由の妨害を排除する活動であるという解放の側面をもっているということは、政治の本質の全部ではなくても、政治の本質の重要な側面を構成していると考えることができる。
稀少資源の権力的配分を政治と提起する考え方はアリストテレスや、ロールズの第二原理の考える配分的正義について主に言及しており、アリストテレスの自由論や、私有論についても、ロールズの自由な社会に関する第一権利についても言及していないということになる。ロールズにとっては正義の辞書の優先順位、順番からすれば第一原理は第二原理に「優先され」るべきなのであって(prior to)、政治の定義にあっても、第一原理のほうこそ優先されるべきであると考えるであろう。た
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しかに自由には危険性があるから、権力を一人の人に預けようというホッブズの考えや、ロールズの第一原理のみでは配分的正義がかなえられないから、第二原理によって権力が配分的正義を実現するのであるから、政治は第二原理のほうにより関連があるのだという意見もありうる。しかしそれではロールズのいう第一原理が優先されるという原則はどうなるのか、また、自由の全く存在しない社会において、例えば、全体主義社会において、配分的正義が完全に実現されている社会においては政治が完全に実現されているということになるのかという問題が発生することになるのである。ロールズのいう第一原理を優先した政治の定義が必要であると考えられる。
政治の五W−Hの六要素と、自由の六要素は驚嘆すべきぐらいによく相似している。このことで政治が平等化への自由をも含めた、自由
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媒介として他の両者が関係づけられているということになる。しかし自由な活動はある環境に適応していくために行なわれる活動であるとするならば、ある環境からそれに適応するためにその人の目標や、目的が発生して、その目標や、目的のために自由な活動が発生することになり、人は様々であるから様々な目標や、目的が発生し、様々な自由な活動が選択されるということになる。
人間の行動科学においては人間の行動が研究されることになる。しかし人間の行動が動物とはちがって固定的ではなく、自由な行動がなされる部分があるということをとらえておかないと人間の行動科学であるとはいえない。政治や、報道の場において行動が五W一Hに分解されるとする説は自由の六要素とどのように関連するのであろうか。政治も権力を誰が、どのようにして、どういう理由で、どのような時に、どういう場所で得ようとするかを分析することによって研究していくこと
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と深く関連しているという結論を出すにははやすぎるであろう。しかし行動理論から脱行動理論へと進んでいくなかでの政治学が、自由の問題をぬきにしては考察できなくなってきていることも事実である。人間の行動は本能による行動を除いたら、自由な行動である。自由な行動の総体が自由な社会を作っているのであって、行動理論が脱行動理論もそこから出発せざるをえなくなってきて、政治学は新たな局面を迎えたと考えられるからである。
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政治とは何を得る者か
五W一Hの政治的行動によって得るものは、権力のみではなくて、資源や機会や教育などであったりする。権力のみを追い求めればヒットラーのようになるが、善をも追い求めなくてはならず、徳を追い求めなければならない。マキャベリーの徳はそのような意味の徳である。しかし平等をえるのは、自分のために得るのではないかもしれない。アクトン郷のような金持ちが平等を主張するかもしれないからである。それこそ自由なのである。
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自由、平等、国家と「自由の強制」
国家は自由と平等のためにあるとルソーはいう。法も自由と平等を目的とする。しかし自由は国の規制と反発する。そこには国家からの自由の観念も生まれる。この矛盾をルソーは「自由であることを強制する」という表現をつかわざるをえなかったのではなかろうか。自由と平等とを国家が求めてりうとするならば、ルソーの自由の強制とは、国民を自由にする活動として社会契約論が書かれたということしかあらわしてはいないと考えられるが、それが絶対性を一般意思という名でもっていた点では、常に法はそのような絶対性をもってはいるものではあるが、誤解され、人民主権論に利用されるような性格をもっていた。
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主権を求める主義と自由
社会民主主義や、自由民主主義における自由の概念を一般化できるか。自由と主権との関係、所有権と自由との関係を再構成できるか、どちらも議会を通過していれば、税という名前で義賊の心理が正当化されることがありうるということを示しているのだと考えるならば、自由の制限は主権によってのみ可能であるのだ、所有権(所有の自由処分性)も主権によれば制限できるのだということを意味しているのだといいうる。自由民主主義であれ、社会民主主義であれ、どちらも主権についての主義である。
これまでの国民主権論や、社会・共産主義の側からの人民主権論やらも自由論を基礎にして再構築されていくとすれば自由民主主義理論や、社会民主主義理論における自由の概念の再構成の問題となり、つまり所有権の自由性や、多数者である主権者やらの意思と少
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数者の自由の問題にいきつかざるをえない。代議制民主主義においてはこの外的選好と内的選好のくいちがいの問題は永遠に解決のできない問題、ある意味では自由の問題となるであろう。平等主義者のドゥウォーキンはこの問題は「平等な配慮と尊重」によって解決できると考え、バーリンはこれは干渉されない消極的自由と主権との問題として解決されるべきだと主張する。
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自由主義の政府と機能
政府が自由主義の政策(主義)をとるということは、政府は国民に何もしてやらないということであるから、政府の機能はどのようなものに限定されることになるのであろうか。服をきせることを子供にしてやっていた親が、自分で独立してやらせるようにすれば親の仕事は少なくなったといえるが、子供が独立してもうまくやっているかどうかみていてやる必要があるだろうか。
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危険の除去は政府やらの役割か
政府や、政党は、国民や、生徒の自由を守るが、その危険性は取り去ってやる必要があるということには人々は同意するかもしれない。しかしそれは国家やらの機能観による。国家や、教員ではなく、自分達が自分で危険性を除去するのだという国民やらの意見(国家観やら)がるかもしれないからである。それは温情的干渉だというが如き意見である。これらの政府論は自由論の大きな部分をしめる。干渉されない自由を国民が有するかどうかは、誰がどういう主義でどのように統治するかと大きく関係しているからである。統治に関する主義をある人が持ち、その主義が他の人に干渉すべきかどうか、どのような範囲について干渉すべきかについての思想が積極的自由の範囲であるといえる。河に落ちようとする人の自由を制限することは自由の制限とはならないのは、その人が依存的な政府を望んでいる場合である。
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マキャベリーと現代
マキャベリーの時代の戦争は現代では、選挙となった。選挙において金のある方が勝つのか、徳がある方が勝つのかについて、その他についてマキャベリーの『君主制』や、『ディスコルシ』を現代風に解釈することができる。
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マキャベリーの政治論
マキャベリーの書物の内容は偶然的にイタリアの当時の状況ち、ティティウス・リヴィウスの『ローマ史』に影響されているものであって、政治を論ずる者は常にマキャベリーの書物に依存しなくてはならないというのではない。
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選挙をマキャベリーの『君主論』と『政略論』で科学する
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マキャベリーにおける政治と自由
政治学と自由論の関連をみるにはマキャベリーの政治論がどのように自由との関連をもっていたのかをみるのが最も意義があると思われる。クセーホンの『僭主論』(De Tyranuide)を読むにかぎるとしてマキャベリーが僭主に関する意見を述べるとき、マキャベリーの僭主、つまり、独裁君主についての意見が最も多く述べられる。人民は憎悪を抱くこと、弾劾したり、復讐の挙に出ることなどが記してある。一例としてペロポネソス戦役当時のギリシャ都市国家のコルキアにおける例を挙げている。貴族が主導権を握り人々から自由を奪ったのにたいして、人々は貴族全員をとらえて殺害したという事件をあげている。(ディスコルシ、第二巻、第二章。)自由をとりあげられた場合にどれ程の復讐心が古代の人々にはあったのか、自由に対する愛着がどれ程大きなものであったのかについて考察し、宗
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教や軍事力が自由を守るためにローマ人がヴィルッウ(徳)をもって事にあったかについて述べ、ローマ時代には自由を中心として生活していたのに、マキャベリー時代イタリアは奴隷の状態になってしまっていることを嘆いているのである。そして自由独立の場合は最も国が発展するのたいして「奴隷状態におちいった国家」は落ちぶれてしまうということについて評述する。「奴隷状態におちいった国家」とはある国家が一人の外国人の支配下に落ちたばあいであり、ある国家が国内の一市民の支配下におちいることを独裁(僭主)となづけている。
一方『君主論』の第二六章においては政治に運命はつきものではあるけれども、ヴィルツウ(徳)をもってあたれば人間の自由な意欲も政治においては有効であると述べている。神が人間から自由な意欲をすべてとりあげてしまっているわけではないと述べているのである。そのことをもっともはっきりと一章
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のなかで述べている章は『君主論』の第二五章においてである。かりに運命が人間の活動の半分を思いのままに決定することができているとしても人間の自由な意欲(libero arbitrio)は人間活動の半分か、半分近くは支配しているとみるのが「真実であろうと私(マキャベリー)は考える。」と書いている。これはクランストンが『自由』の概念について述べていることと内容的には似ている。自由を政治学において考える時に、この運命という因果律の問題と自由な意欲、これを自由意思と同じ意味の因果律に支配されない意思という具合に解釈すれば、との関係の問題は政治学の重要問題であることになる。様々ん政治法則や、その後のホッブズや、ルソーや、ロックや、それ以後の政治学における自由論もこの大きな文脈のなかでとらえてはじめて、政治学と自由論という問題となりうるのである。
P720
ヴィルツウと、フォルツゥイ
マキャベリーにおける徳(virtu)に対する運命(fortuna)は政治における自由について論ずる時の一つの研究材料となる。徳は君主論や政略論で述べられているような平和な統一国家のことであり、人間の公衆の徳がそれを可能にする。この意味ではマキャベリーは性善説をとっている。ところが、マキャベリーはそれを壊すものとしての様々な不徳も数えあげており、人間は徳と不徳とをあわせてもったものであるから、徳のある人の運命も女神にみはなされることがありうると考えたのである。
P721
政治家は金によって民衆を引きつけるのではなくて、また、マスコミの操作によって民衆を引きつけるのではなくて、徳によって民衆を引きつけておかねなならない。マキャベリーの徳はこのような意味での徳である。徳には公平も、平等も、公正も、その他のあらゆる価値が含まれていると考えられる。
P722
マキャベリーにおけるパワー
ローマ法皇の権威と、世俗の政治の権力
P723
第 章 スキャンダルの政治
マキャベリーは多くの現実の政治を分析することによって、現在でいえばスキャンダルの政治学のような政治についても分析したといいうる。スキャンダルの多くは依存から発生していると考える。依存については別に考える。
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賞は自由を増大させ、罰は自由を減少させるのか。
刑法やらの賞罰は自由とどのような関連があるか。マキャベリーが信賞必罰は政治制度や、政治にとって必要なものであるという時、それは人々の自由を増大させるといっているのではない。政治が安定するといっているのである。ある政治的権威に人々を依存させるためにはそのような技術が必要であったし、必要であるといっているのである。
P725
賞罰と応報
社会的正義について論ずる時に、ディザートdesert相応の賞罰があることは正義とどのような関係があるのか。権利とこの応報とはどのような関係にあるのか。
P726
アメとムチ
依存から脱却させるのはムチである。しかし、最下層にあらん限りの優遇を与えよというロールズの説はアメである。このアメとムチが両立できるだろうか。イエスの答は現在のクリントン政権のラジカルさのなかにある。それはブレアについても同様である。
P727
学における自由の位置。自由論における政治の位置
自由論を追求していくと、政治と自由とはどのような関連があるのかについて言及せざるをえなくなる。ところが政治や、政治学を深く研究するにつれて自由とは何かについて思いをめぐらさざるをえなくなる。自由論のなかでは中央くらいに政治論がそう入されざるをえず、また政治学においては本文の中央くらいに自由論について論ぜざるをえなくなるのはこのような理由からだと思われる。ディビッド・ミラー編集の『自由』という本のなかでハンナ・アーレントの「政治と自由」の論文がその中央くらいにおかれているのはこのような理由によるといえる。この中央とは中心ということになるのだと考えることができる。
P728
バーリンとその後のリバタリアン
libertarianリバタリアンということばをバーリンは一度使用している。ロックや、J・S・ミルや、ベンジャマン・コンスタンや、トックビルやらについて述べているのである。絶対に侵されてはならない個人的自由の最小限の範囲が存在しなければならないと主張するようなlibertariansリバタリアンたちと記している。このような自由尊重主義はバーリンがくみする人々であるが、バーリンはその重要な点に理論的枠組みを与えようとした。しかし主義としてのその後のリバタリアンにバーリンが理論的枠組みを与えようとしていたかどうかは不明である。しかしその後のノージックらのリバタリアンの思想に大きな影響を与えたことも事実である。社会的に干渉されないことを主な論点にすえるという一点において彼はその理論を構成しようとした。政府が干渉するべき範囲は何か、その干渉を排除できる範囲
P729
は何かについてバーリンはその自由論を一点にしぼったのである。それは政府論にしぼられたが、オッペンハイマーのようにクー・クラックス・クランが自由を妨害しているようなケースについてもあてはめることができると考えることができる。
P730
マスコミ論と自由論
マスコミが「最強の首相」とかくと、本当に強くなったと思った人は、その首相のところにいき、コネを作り、利権をひきだそうとする。すると、その首相は利権をえるために金集めをしなくてはならないと思い、実際にそれができる権限を与えられている場合にはそれを使って金集めをする。
これとは全く逆のケースがおこる。
・一方、そうかかれた首相に対抗する側はマスコミに金を使って広告を出さねばならなくなる。
・先の逆のケースとは、弱いとかかれた側は金が集められなくなってますます金がなくなり、弱くなる。
・と・の二つのケースは全く相違するケースである。こうして全体として金集めの強い方がかつという政治が生まれる。
P731
世論の形成とマスコミ
大衆が世論を形成することができるのはマスコミを通じてであろうか、インフォーマルな組織を通じてであろうか、日本の場合では自治会や旧くは隣組を通じてであろうか、あるいは、井戸端会議を通じてであろうか、人間の本性によってであろうか。このような素朴な疑問にマスコミは大きな力を発揮して、人間の内在的自由を殺すことさえできるようになったという批判が、特に集団主義の国家内においてはおこってきた。
P732
「共産主義は復調した」という三大マスコミの報道がもしウソであったとしても、意思は現実化するという原則によって本当にそうなるかもしれない。これは世論調査報道の禁止とはまた別の次元の考察すべき問題である。マスコミは大声である。従って、ウソの報道も現実化しうる。
このようななかでの真の自由とは何かを考えることは容易なことではない。自らが自由に決定したと思っていても、実はマスコミの影響が大きかったということが考えられるからである。しかし人々が干渉を排して自由に向かう性質をもっているとしたならば、世論操作をしようとしても、できない、自分の力で決定しようとする人々が生まれてくるであろう。しかしこれはバーリンの自己実現という考え方ではない。自己実現という考え方は
P733
経験から離れた永遠の理性(理想)を設定し、それに自らが従うということなのではなかろうか。そうではなくて自らの経験的実態にあわせて行動し、決定するということである。
共産主義が復調したということはある意味で永遠の理性がまた復活しそうだという予告であり、それに従う自由も存在するのではあろうが、それに従わず自らの経験や、ソ連の現実をみつめなおそうという意識によって自ら決定しようという自由が必要なのだ。
P734
政治における大きな音と声
マキャベリーが音が大きく威かくすることもできるから音が大きい方がいいといったのは、現代ではマスコミに当たるが、逆にインターネットのような小さな声で全員にということもある。この二つの対立は今後の政治の二つの大きな潮流となるかもしれない。マスコミは経済先決の大きな声を出し続けるかもしれないが、個人個人は自我・経験的な自我を優先するかもしれない。
P735
公共放送
公共放送のテレビの政治討論会においては四割の人が支持する政党の代表が二人出席するならば、二割の人が支持する政党の代表は一人、あと二割の人が支持する政党の代表は一人というように選ばれているそうである。
P736
情報の時間性、テレビの同時性
テレビの情報は同時的なものである。
この情報がグーテンベルグの印刷術の発明とその普及による人間の文化そのものを何百年の後に大転換させるのだとういうマーシャル・マクルーハンの予測は正しかったのかもしれない。
東西冷戦後の自由論はまさにそのようななかで問われている問題である。
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法におけるフィクションの幣害
法は空想とは違う。しかし法廷における劇化型性格によるフィクションは現実化して、それが大きな紛争を生ずることがある。これはドゥウォーキンのいう逆差別においても生ずることがありうる現象であるし、マスコミが空想の放送をすることで発生する現象でもありうる。できるだけ法も、マスコミも、政治もフィクションの現実化は避ける必要がある。フィクションによる空想の現実化は、紛争を解決するどころか、現実の紛争を更に拡大することが多い。ドイツ観念論のなかには現実の経験よりも、思っている観念が空想であっても絶対理性により現実化するという信念がある。そのような信念が法におけるフィクションのなかにはいってきているというある意見も、法におけるフィクションの弊害の理論化とともに無視できないものがある。
P738
極小国家と自由な国家
自由国家論、自由な国家観、自由で干渉されない消極的自由を求める国家は、極小国家であろうか。それはただ単に内在的自由を人間の本質として求めているのであろうか。
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政党と自由
自由な意思の主体としての政党が、人々の自由な意思によって形成され、自由に脱退できるような集団となる必要がある。
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制度と自由な人間との対立としての政治
大学や高校の学生や生徒の親というものを環境としてとらえるならば、学生・生徒が貧しい環境で育ったというのは、学生・生徒の責任でも、学生・生徒の性格の責任でも、学生・生徒の努力が足りなかったからでもない。逆に大人の努力が足りなかったから収入が足りなかったということはありうるが、平等を考える際に不平等の原因をある人の努力のせいにするのか、制度をかえて相続税を重くすればよいとか、いやあまりに相続税を重くすればビルの賃貸業をする人がいなくなるとかいうことを考えることとか、制度をかえる必要を論じるということは、自由と平等を考えるうえでは政治学的な意味をもつ。制度と自由な人間とを考察することが政治的ということである一つの例であるといえる。
P741
被害を社会制度のせいにできるか
被害の程度は客観的にはかられなくてはならない。貧乏は社会の制度の責任だという社会・政治理論によれば自分は被害を前世とかで受けてきたのであるから、他人に被害を与えるのは正当であって、その当該他人は被害を受けても、被害を受けたといってはならないことになる。これが逆差別の理論であるし、貧乏な人を義賊の心理をもつ人、当該他人を富裕な人とおきかえれば義賊の心理の社会、政治理論となる。
これはバーリンが「マルクスは社会制度が悪いといったのだ」と解釈したことと関連する。この考え方によればマルクスは自分は社会制度の悪から被害を受けたのだといっていることになる。
確かに相続税が強化されれば親の富の不平等が学生・生徒の不平等に直接影響する程度は少な
P742
くなるといいうる。
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第 章 科学の歴史と諸科学のなかにおける政治学の地位
政治学はマスター・サイエンスといわれる。法学は紛争解決を目的としているので、紛争解決のための科学であるといいうる。が、政治学の本質は何にあるのだろうか。政治学が諸科学を統制する役割を果たしているとするならば、政治学が隣接諸科学のごった煮的な側面をもっていることも首肯できることである。人間が形成してきた科学を統制するものが政治学であり、政治は人間が形成してきた科学や、多くの人間を統制する任務を過大視しても過大視しすぎることはない。そのような任務を政治や政治学はそう簡単には背負えそうにはない。歴史をみると政治は政治学に大きな影響を及ぼしてきた(カール・シュミットとナチスとの関係をみよ)し、政治学も政治に大きな影響を及ぼしてもきた。政治思想
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史や政治学史は、政治史とも大きな相互関係をもっていたことになる。
多く学問がこれまで様々な曲折を経て現在に致っており、そのような曲折の全体をマスターとして制御してきたのが政治や政治学とも考えられる。文学は政治に左右されてきた多くの側面をもっている。
政治概念の分析としては山川雄巳氏が『政治学概論』(有斐閲、一九九六年)ニ頁−七頁において分析しておられるのは、政治の「まつりごと」性、「国と国家」、「治めること」、「制御」、「闘争」、「公的生御」、「制御」などの政治の属性についてである。
その他の多くの学者が政治の概念について分析を行なっている。政治が調整し、それでも決着がつかない場合には究極の手段として権力(暴力)を使うこともありうるなどの多くのことが政治について分析されている。
政治学は主に社会科学との関連をもってい
P745
るが、その他心理学や、精神医学とも関連性をもっている。経済学や、社会学や、法学や、経営学は政治学と深い関係をもっている。政治学がそれらの社会科学のマスターとなることができるかどうかは、それら他の諸価額を統制できるかどうかにかかっている。秩序を維持するためにモーゼの十戒を定めることどのような機能を社会に与えたのであろうか。それは社会の諸科学を研究しなければ研究することはできないし、自殺を少なくしたり、いじめを少なくしたりするという政治は教育学も、心理学も、社会学をも導入しなくてはならない。しかし政治の一大目標となりうる目標でありうるのである。
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政治学と関連をもつのは社会科学ばかりではない。技術や、工業も政治学と深い関係をもつ。技術を育て、多くの軍事技術者を育てた旧ソ連邦の政治をみれば、政治が当時のソ連の文学や精神医学に与えた影響とともにはかりしれないものがあったと考えられるし、更に現在においても日本の臓器移植法案などの審議において政治が医学にも影響を与える可能性のある一例をみることができる。
倫理学や、道徳論や、哲学と政治学とが極めて深い関係をもっているのは、政治学の規範論的側面によるところが大きい。技術と政治学との関係は規範論とはあまり関係がなく原子力の平和利用などの側面において■であるが、法学とか政治学の規範論的側面は政治学の本質に近いところにその原理と基礎を置いている。その点で政治学の原理は規範論と深く関連を有していることになる。規範論はその原理において自由論と対をなすものであり、人間が自由である側面をもっているか
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らこそ、規範が人間のうちに存在し、行動するのに規範が必要となるのである。人間は自由であるからこそ、規範をとるのか、とらないのかの自由を有する。規範をとる場合にはそこにその人の規範が存在し、自由があるからこそ規範を選択しうるのである。生の本能の部分のように人間が選択しない部分については規範は存在せず、生の本能を選ぶしかないことになる。
もし規範が存在するとすれば、そこには論理として三段論法が存在していることになる。「〜すべきか」、「〜すべきではないか」を選択しうるからこそ、自由が存在している。我々がある行動をするのは、そうすべきだと考えたからだということができるが、それについては様々な解釈が他の人からはできる。そうするのが妥当だと考えたとか、そうする義務があるからだと考えたのだ等々と解釈することができる。
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「人を殺してはならない、人を殺したるものは死刑もしくは無期懲役の刑に処す。」という規範は、自由意思によって人を殺した者にたいして、その事実にたいして、結論が発生する。「他人の所有物を窃盗してはならない、窃盗した者は、〜年の懲役に処す。」という規範についても、自由意思によって窃盗をしたという事実にたいして、刑が結論として導き出される。モーゼの十戒にしても同様の規範性を有するし、政治のなかにはこのような規範性が必ず含まれている。窃盗についても経済が貧しい者は生きていくためには窃盗をするのは、自由意思は存在しないのであるから、罰すべきではないという論理は、唯物論のなかにはいっている規範性ということになる。
法や規範は自由にとって「足かせ」であろうか。自由の限界をあらかじめ示しているものであろうか。自律的な人間が法や規範を自らのものにしてしまっているとしても、それ
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は自由の「足かせ」であろうか。そして法や、政治が個人の自由に干渉できる範囲はどこまでなのであろうか。ある個人が他人によって干渉されない範囲はどのような範囲であるべきなのか。前者を積極的自由とよび、後者を消極的自由とよんだバーリンは政治学のなかで自由を現代にも通ずる問題として論じており、その問題は現代にいたるまで政治と自由論の大きな課題となっている。
しかしバーリンの時代の自由と規範は現代の自由と規範の問いとはことなっている。実際に問題となる自由は各時代各時代に特有の問題ではあるが、各時代に共通する自由論の普遍的な課題も存在するはずである。それは自由の一般化の問題でもあり、両者がともに研究されねばならないことになる。
P750
法という政治における規範
何をすべきで、何をすべきではないかということについて述べているのが法であるのだという法理論がある。政治理論における規範性は現実の政治を分析するにあたっての重要な分析視点となる。
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規範論
「〜しなければならない」は、「〜する自由」とどのような関係にあるだろうか。「物が人をすべて動かしていなくてはならない」という唯物論の命題は物が人の自由の障害物であるべきだという命題であり、これがユートピアを主張する原因となった。平等は規範論である場合がある。自由も同様であり、現実には自由でも、平等でもない時に自由で、平等であるべきだというのは規範論である。規範は〜であるべきだということであるから自由の障害物をとりのぞいて、自由に〜するということも含まれていることになる。〜すべきではないという規範は、〜する自由を禁止し、それ自体が自由の障害となるような規範である。自分で規範を作り、それに従い、自分の自由の障害を設けることを人間はするであろうか。規範意識の強い人はそれを多くすることになる。しかしその規範の定立
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も自由によっておこなわれる。この意味での自由こそ自由であるとする説は、しかし、規範意識が強いか弱いかの自由のみについて述べていることになり、経済と物のみが人間を規制せねばならないという規範さえも許す危険なものと私は、バーリンとは反対に、考えるものである。
物のみが人を支配していなくてはならないという規範にたいして、現実の事実はそうではない。従って、強制や、絶滅収容所は許されるべきだという結論は本当に許されるのであろうか。自己否定の考え方に、温情的干渉主義を否定するカントの考え方がなっていないとはいえないし、ミルの自由の考え方が自己否定のこの結論に到達しないとも限らないと私は考えている。バーリンのいう干渉されない自由のための「自由への強制」は、それとは別の意味で温情的干渉が許される場合もありうると私は考える。バーリンの主張そのものがそれに当たるのではなかろうか。
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しかしいずれにせよ、つまりミルの頑固なことをすることにたいする不干渉主義であれ、マルクスが唯物論にたいして干渉するなという不干渉を尊重する主義であれ、バーリンのいう干渉されない消極的自由論であれ、純粋にフロムのいうような全的総合的パーソナリティーにたいする不干渉主義であれ、不干渉を主張するという一点にかけては一致しているのであって、マルクスの干渉主義以外のものは、法的には干渉されない範囲を定着させることを求めている点では一致しているのだと考えられるのならば、それらの不干渉主義は法の干渉しない私的領域の範囲を拡大することに役立っているという貢献についてはかわりはないといいうる。この点でバーリンがカントの温情的不干渉主義が私的領域の範囲を定めようとしていたのではないかとバーリンであっても、錯覚した理由なのではなかろうか。バーリンはカントのそれが唯物論にもなりうることに気付かなかったのだと私は
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感じる。
裁判の結果法によって確定された結果は強制性がある。この法と政治の性質について一般意志ということばをあてたルソーはこの意味においては正しいといえる。勝訴した方の原告か被告に与えられる「〜してよい」というのは確定された社会的自由であり、敗訴した方に与えられる「〜してはならない」という判決は自由を規制する自由の制限、それも社会的不自由、確定された社会的不自由である。バーリンでさえもこの自由の制限は認めるものだと考えるが、それ以上に彼がいいたいのはその法が誤っていたり、その法が唯物論によっていたり、その法が強制収容所や、絶滅収容所に送り込む法であるならば、そのような強制や干渉は誤っており、そのような誤った強制や干渉を極力排除することは政治的であり、かつ、法そのものを私的領域を拡大する方向に向けるものであらねばならないといっているのだと考えられる。
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現実に不平等は存在する。しかしそれにたいしてどのような規範をもち、その事実にたいしてどのような結論を出すのかはまさに政治的な課題であり、政治的な討議の対象である。事実としてどのように不平等があるのかを調査し、統計を出すことも、規範同志が討議しその理論のかみあっているところと、かみあっていないところを調整しあうことも、我々にとっては必要な政治的作業であるといいうる。それは政治学の課題ではあるが、自由の問題と大きく関連しているといいうるのである。
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自由論や平等論の規範性と、事実性
不平等が事実の認識であるのにたいして、平等は事実的なものであるとともに規範論的な問題である。自由は人間の本性であり、事実の問題であると、反自由意思論者以外は認めるであろうが、現実の社会における自由論は人間の本性に戻るべきであるという規範的な論理となってあらわれる。自由が干渉されない消極的問題であるべきだという意味では、自由を求める政治運動と同じような意味で、バーリンの理論は規範論の要素も有している。ベイの理論は安全が求められるべきだという規範論が大部分を占め、ローウェイの『自由主義の終えん』の議論も規範的な意味が含まれている。フロムの自由論にしても規範論を含まざるをえなかった。ロールズや、ドゥウォーキンの理論も規範性を脱することはできていない。事実としての不平等にたいして人々はどのように対処するかを常に考えていか
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なくてはならないし、考えた結果が政治哲学なのだといいうるのである。政治や法は自由とか平等とか博愛などを中心概念として運営されるのであろうが、その概念について再構成する必要はあろう。
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わがままではない自由と、わがままな自由
わがままではない自由とは障害や、妨害を排除することによって、より人間的で、人間の自然を回復することである。一方、わがままな自由とは妨害を排除することによって、より自然な、より人間的な状態より以上の自由を確保しようとすることであり、専制や独裁もこれにあたるし、個人の自由のいきすぎもそれにあたる。ところが、この両者のちがいはこのように単純な量的な計測ができないのが人間の自由である。自由は人間の本質であり、各人が自由であると感ずることは様々な自由を行なうことによってなのであって、それらの自由が対立するものであり、ゼロ、サムである自由もあればそうでない自由もある。対立したとしても自由な意思で調整することができる。わがままだという批判的な評価は対立した相手が自分の自由を減少させていて、被害を受けたと考える人の批判なので
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あってその批判が正しいかどうかは不明である。
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第 章 政治学における自由論の位置、マスター・サイエンスとしての政治学
自由ということばは政治及び政治学のことばのなかでは最もひんぱんに登場してくる、重要なことばである。政治や政治学は解放を目的としたり、自由にすることをそのなかに含んでいるからかもしれない。生の本能以外の部分については人間は選択の自由、その他の自由をもっている。ある人は走向性や、走光性を本能としてもっているわけではない。光に反して行動し、どうくつのなかで生活することもできるし、東の方向にばかり向かわないこともできる。人間の自然がどのようであるのかについては、ほとんどの政治哲学者は考察の対象としている。人間の自然は自然科学の分野であったり、他の社会科学の分野に属するのに政治哲学者が考察の対象とする理由は政治学は人間や自然をどのようにみるのかについて政治学の前提として説明せざるをえないと
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考えたものだと推測できる。これは政治学がマスター・サイエンスである理由ともつながっていると考えられる。
人間について考える時、人間とは何かという問題を最初に考えなくてはならなくなる。人間は他の動物とはちがって生の本能のみによって支配されているのではない。ここで生の本能とは、死の本能に対置したものであり、衣食住などすべての生きるための本能、自分が死んだあとに子孫を残そうとする生きる本能を生まれながらにしてもっているのであり、それ意外の名誉欲とかは社会的な自由意思の領域に属するものであり、名誉はなくても生きていけるならば人間は満足するものであって、生の本能以外の部分は人間の自由意思の領域に属するものと考えていこうという考え方によっている。社会を形成するのは人間の自由意思によるのであって、アリの社会のように特定の決まった社会を作るようには本能的に決まってはいない。他の動物で死刑
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制度を持たない社会を作る動物が多いのに、人間は死刑制度を作る本能をもっているのであろうか。死刑制度廃止論を人間が考察しうるということは人間は本能的に死刑制度をもった社会を作るようにはなっていないという事実を示している。
自由論は様々な社会ついての自由な考察をも目指しているのである。死刑制度廃止論が唯物論によるものであろうとも、それはじゅうぶん検討してみる価値はありうるし、それは自由論のなかで物によって自由が制約されているという理論が最も死刑廃止論をわかりやすく説明しているということは、貧乏や社会制度の害悪やらについて唯物論が近代経済学よりももっともらしく説明しうるのと同じく、不思議なことであり、その点も人間の自由という観点から考察しなおさなくてはならない不思議な難問であろう。それは自由な教育という観点、自由な人間の評価という観点を導入することによってロジャースのいうように
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克服されるのであろうと考えられる。人間を社会において自由なものをもった存在としてみるということは、人間のすべてを肯定的にみる、他の人間を肯定する(すばらしいものと考える)ことであるからだ。そこには依存的な人が他人をみる時に、自分が依存できない人は悪いというような特別な観点がはいりこんでいないということである。政治学のなかに自由な人間の本性という観点を導入することは今後の社会においては、主権や国家を観察する場合においてすべての人間について人間の本性によって社会をみなおし、国家や主権についての概念を再構成しなおしていくということである。
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マスター・サイエンス
政治は結果重視である。ということは現実に合わない理論は切り捨てていくということである。結果とは現実的なものだからである。マルクスの理論もそうなるかもしれないし、フロイトの理論も、ヒットラーの理論もである。それゆえに政治は文化人や言論人にも大きな影響を及ぼす。また学問にもである。それが政治がマスター・サイエンスである理由である。他の諸科学、特に社会科学に与える影響はそのような意味でも、政府予算の配分という意味でも大きなものがある。マルクスの共産主義の科学や、フロイトの性理論や、ヒットラーのドイツ民族の優越性の科学などが書き直されて、政治学に大きな影響を及ぼしているのは、結果重視という点に大きな力点がある。
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政治における全体と部分
ある部分は他の部分と合体することによりひとつの全体となるが、その時シイジー効果はあるか。東西冷戦のさなかにあっては人は東西のうちの一部分であったが、現在二つが一体となったとすればすべての人は全体となった。政治においては政治的行為の各部分各部分と、全体としての政治の全体も、部分の合計以上のものを生み出していると考えられる。この集合効果は一たす一を二以上にしていると思われる。経済学におけるミクロの経済行為が、集権されマクロの経済となった場合の効果のようなものが存在すると考えられる。
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政治・法における自由
自由ということばは多くの政治的な運動の名称の一部分となってきたことばである。それも政党および政党の綱領の一部分を構成してきたことばである。「私は何かをする自由がある。」このことばは何と政治的な意味を多く含んだ文章として政治的な活動の源泉となってきたことだろうか。ところが「私には人を殺すことは許されない。殺すなかれ。人を殺したる場合は死刑または無期懲役に処される。私は人を殺す自由はない。」この文章もまた法学や政治学や倫理学のなかで数多く論じられてきた文章である。一方ではその中間には「車は左、人は右を通れという規則を破って、危険がない時には車が右を通ったり、人が左を通ったりしてもいいのではないか。も
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っと悪法のユダヤ人を全滅させよという法律には従わなくてもよい場合があるのではないか。そのような自由があるのではないか。」という政治的な問題も存在するであろう。また「バニラアイスクリームを選ぶのか、チョコレートアイスクリームを選ぶのかの自由が自分の欲望どおりに存在するのかどうか。」という基本的な経済的選択の自由の問題や、「黒人の自由を黒人の人種を差別する団体が規制している。」という場合と、「政府や国家が黒人の自由を制限している。ある人が黒人の自由を制限している。」という三つの場合がどのように違うのかという問題も存在する。あるいは「場所恐怖症がある人の自由を制限している。」ということはどのようなことかという問題も存在する。更には「共同所有と私的所有とにおける自由はどのように違うのか。」という所有と自由、処分の自由の問題も存在する。また「都市の空気は自由にする。」という中世のことばは自由の歴史的な意味あい
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を考える契機となる。ルソーの「自由であることを強制する。」ということばはまた当時の自由の意味を考える参考になるし、大山厳秀央氏の『政治分析の手法|自由化の政治学』は現代の自由を考える契機となる。それはハイエクやフリードマンの理論を中心にイデオローグを紹介しているが、それとは対照的に政治哲学上では自由尊重主義(libertarian)と、自由主義(liberalism)とがまったく同じ自由ということばを使いながら昔ながらの右と左とに対立しているのが興味深い対照を示している。
自由ということばはこのように多種多様な使用法のある幅の広いことばである。従って自由を政治学や、法律学のなかで科学として学問化することは非常に難かしい。ジョン・スチュアート・ミルからアイザイア・バーリンにいたる自由論の伝統はイギリスの思想史のなかでは大きな一つの流れとなっている。一方でアイザイア・バーリンの主張する消極
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的自由にたいしてはそのような自由の権利は存在しないのだというイギリスのオックスフォード大学法学部のハロルド・ドゥウォーキン法理学(jurisprudence)の教示も今現在いる。また北米で研究しているクリスチャン・ベイは『自由の構造』において社会心理学や、社会的な面での精神医学にも自由の概念を拡張しようとしている。
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自由を高める活動、自由を求める政治・社会運動
これまでの自由論においては、自由を行なう人ではない自由の定式化の外にいる他の人が、自由を求めて自由の障害となっている妨害物を取り除こうと活動する(戦う)ことについての説明はほとんどなされなかった。他の人が干渉を排除すべきかどうか、自分があるいは政府が他の人に干渉すべきかどうか、自由は平等のためにどの程度に犠牲にするべきかなどの問題が論じられることがあっても、自分や他人の自由を高めるために自由を妨害しているものを、どのようにして排除すべきかについてはほとんど論じられることはなかった。それは自由の最適な状態が定義されるならば、それはそのまま自由を求め、自由を高める活動になると信じられていたからである。自由を高めるためには文筆、ペンは最高の道具となってきたのかもしれない。
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ある人が他の人の自由が、わがままでありいきすぎだと考えるならば、その人は他の人の自由を妨害すべきだと考えるかもしれない。干渉を排除するよりも、干渉する方を選ぶかもしれない。
逆にある人が他の人の自由が不当にも制限されている、例えば、貧乏な人は平等になるように自由をもっと与えるべきだと考えるならば、貧乏な人や、南アフリカの黒人のように差別されている人にもっと自由を与えるように自由を求める活動をし、差別している人や富裕な人のわがままな自由を抑えようとするであろう。それは平等を求める自由といえるかもしれない。あるいは自由化の政治活動により我々の経済活動を制約している様々な規制を排除しようという活動を行なっている人がいるかもしれない。あるいは男女平等化のために女性の障害となっている様々な妨害物を取り除くための運動を行なっている人がいるかもしれない。これらはすべて自由を求
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める活動である。ところがある人の妨害となっているものが、他の人の自由である場合には、そのような自由のための政治活動は他の人の自由を奪うことになるかもしれない。その場合には他の人の自由がある人の妨害になっていることを他の人に納得させる必要がある。そこに自由論が必要になると考えられる。
自由論のなかには、自由の主体と、消極的自由と、積極的自由の三つが複合した形ではいりこんでいるとするマッカラムの主張は、自由論の定型的分析としては自由の意味を明白にするものである。しかしどのようにして自由を妨害している干渉や、強制を排除するのかという点に関してはあまり力が発揮できない分析であるといえる。逆に、干渉を排除し、強制を排除することこそ自由論の最も大切な部分であり、その結果自由の状態が生まれるだけでもよく、自由な活動を説明的に描写することのみが自由論の課題ではないとす
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るバーリンの見解は、観念の力こそ時代を動かすという信念、自由を求める政治活動者としての信念がみなぎっており、その論文を活力のある印象を与えるものにしている。それはあくまでもペンの力を信ずるというように理解できる。しかしマッカラムやらの自由の分析家の力もまた価値を離れた分析力の力が感じとれる。
社会に生きるすべての人が、自由な人間である。だからこそ自由は必然的に衝突する。しかし自由の障害となっているものを取り除こうとする努力は大切なことである。自由は量としては計れないかもしれないが、一つの干渉、一つの規制を排除することはその人にとっては善である。他の人の自由がそれによって規制されることにより他の人が悪と感じることについては、相互に、あるいは、裁判により、あるいは、規範を作ることで調整することが必要なのである。ベンサムのいうように法を作ることは必然的に自由を減少させ
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ることにはならないのではないか。自由を制限することになることもありうるが、他のある人の自由を増大することもありうるのではないかということがいえるのである。
貧者の自由を増大させることで、富者の自由を抑圧することになると考えるゼロ・サム社会においては貧者の自由を増大させる政治運動が富者の自由を抑圧している場合があることには注意しておく必要がある。
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政治の現実と政治の理想
政治の現実は直視されなくてはならないし、政治論や政治学は役に立つものでなくてはならない。政治の現実と政治の理想とはあまりに離れすぎている場合政治学はどのようにあるべきかについて非常に迷うことになる。自由と規範のかっとう、政治過程の分析など政治学の分析対象はまりいも広い。しかし政治のなかにいる人間は、つまり公民としての人間はいかにあるべきかについて論ずることは政治学的にはすべての問題点を含んだ議論となるが、一つのまとまったものとなりうる。この分野ではマキャベリーの『君主論』は先達の残した一つの偉大な研究であり詳読すべき文献である。
一つの国はいかにあるべきか、その国を統率する者はいかなる人間であるべきかなどという大きな問題が存在していること自体政治
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額はいかに大きな重責を負わされたのかと政治学に同情せざるをえないが、公人としての人間の所詮は一人の人間にしかすぎない。すべての人間を代表することもできないし、すべての人間を統御することもできない。マキャベリーの考えたイタリア統一におけるチェーガレ・ボルジアへの期待は現代においてはどのようにとらえるべきであろうか。これは現代における君主論ずるのによく似ている。
東西冷戦がなくなった現代において支配者や君主はいかにあるべきであろうか。これまでのように北の脅威、東側陣営の脅威だけでは支配していけない時代となった。自由はこれまでよりも広がったのであり、権威と自由の新たな関係が求められるようになったのである。
バーリンの積極的自由を行使する政府が政府ではなくて、個々の団体に移ったのだと考えれば、個々の団体や、個々の個人の積極的自由が、法
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的にどのように規制されうるかという問題に重点が移ってきたのだとすれば、ラズウェルの破壊活動の防止の観点や、ベイの安全の観点はこれからの時代こそ生きてくると考えるべきではなかろうか。フロムのいう統合されたパーソナリティーの理論はナチズムという国家的なものにたいして提起されたとともに、私的な団体や個人の権威主義にたいして提起されたものであったのならば、それもまた現代の自由を考えるうえでの一つの視点となるものと考えることができる。
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自由は政治的論争のなかで使われてきたことばである。
政治学において自由を論ずることの意義は自明のようであって、自明なことではない。ところが自由党や、自由民主党のような多くの政党が政党名や、綱領のなかに自由ということばを使っているし、マキャベリーもその件『政略論』のなかで自由ということばを使っている。これらの多くは自由という言葉を賛美している。ところがバーリンは『自由論』のなかで積極的自由ということばを賛美されるべきではない自由としてとりあげた。また一般にはリバティー(自由)に対してライセンス(licence、放恣、わがまま)はバーリンのいう消極的自由の一部であっても賛美されるべきではないいきすぎた自由の意味のことばである。バーリンならば積極的自由を名付けてライセンスということばを用いるかもしれない。大金持ちが多くの財産を持ち、干渉されない自由を主張することがライセンスなのか、
P779
積極的に他人や、国民にいきすぎて干渉することの方がわがままなのであろうか。この問いにたいしては答える努力がなされなくてはならないと考えられる。これにたいする答えとしては、自由と平等を調和し、皆が博愛にいたれるような社会を作るべきであるという結論を導き出していこうとするのが本論文である。
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外的選好に対立し、抵抗する内的選好の理論
主権や民主主義の問題を内的選好にたいする外的選好の問題としてとらえることは、選好ということばを使っている点において、それらを自由という考え方で説明しようとしたものであるといいうる。ドゥウォーキンはそれを平等な尊重と配慮という考え方によって説明しようとするが、バーリンのいう干渉されない消極的自由の概念のほうが内的選好と外的選好の対立をよりよく説明できると考えることができる。外的な選好であっても、自らの納得できない選好に反発するという考え、反発(反抗・抵抗)によって干渉されないようにし、妨害を排除するという考え方はバーリンのいう干渉されない消極的自由の新骨頂なのであって、ドゥウォーキンのいう平等な配慮と尊重という考え方のなかにはこの考え方は少ない。ただし、少数者ゆえに差別され、有利に取り扱われていない同性愛者の差
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別され、自らの選好を受け入れられなかったことによる損失を逆差別によってとり戻さねばならず、そのためには外的選好(異性愛)にたいする内的選好(同性愛)も法的に認めねばならないという論理においてはドゥウォーキンの主張はもっともな主張である。しかしもし、その内的選好がミルのいうような一夫多妻によって多くの女性が男女同権の主張を害するようなものであったとすればどうするのか。その時には女性差別による女性の損失と、一夫多妻による内的選好のどちらをより重くみるべきかということ、また、多妻の方の妻たちが内的選好によって好きこの人でそのような一夫についており、一夫多妻を守っている場合にはどうするのかというような利益・利害の対立という問題に帰属してしまって、どこかに法的、政治的な原則をみつけ出すのは難かしいということになってしまう。バーリンのいう干渉されない消極的自由という考え方によるにしても、ミルが迷ったよ
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うにこの問題を解くことは難かしいのではあるが、人間の本質としての内在的自由はどこにあるのか、異性愛と同じような形での同性愛の形態を子供を生むために認めているのか、一夫多妻というのは人間の内在的自由に含まれているのか、あるいは、依存によるのであって本当は独立して、一夫一婦で子供を育てたいのにできないような社会的な不正な圧力・強制があるとか、あるとか、異性愛による結婚を人間の本質の内在的自由や性や生の本能として望んでいるのに社会的な圧力・強制によって自殺した人と同じような、そのような社会的な圧力が存在しているのではないかと疑うことの方がずっと社会的な、自由論的なもののみかたであるといえるのではなかろうか。実際結婚して、一夫一婦制度の下で子供を育てるのは、内在的自由によるもので苦しい生活であるのに、それを性の本能がすべてととらえるようなある種のタブーのようなもの、
P782
自由を妨害するようなものが存在しているのではないかとを自由と社会論的に考えてみることのほうが大切なのではないかという観点が生まれてくるのである。
P783
ドゥウォーキンのいう同性愛という内的選好は、それを禁止したり、しなかったりする外的選好とどのように対立するか。
同性愛をする「自由の権利」を法的に認めよという時のドゥウォーキンは一般的な干渉されない「自由の権利」を認めないといっているのとは正反対に、そのような「自由の権利」を認めよといっているようであり、外的選好に対立するような内的選好を、黒人のような弱者や、同性愛者のような少数者が持っている場合には「自由の権利」を認めよといっている。これはモルモン教徒の「一夫多妻の自由」、「異教徒的自由」を寛容にも認めようではないかというミルの干渉されない自由論に近いものである。バーリンのいう干渉されない消極的自由という概念は、自由意思に関する決定論である絶対理性の不寛容な要求に屈せず、寛容にしておいてくれというも
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のである。
ドゥウォーキンのいう外的選好は、多数者が決めた意思であると解釈するならば、それは一般意思とルソーが名付けた意思に近い。それにたいして少数者の内的選好は、その人々が不利にならないように守られるべきであるというドゥウォーキンの主張は、「不利にならないように」という限定付きではあるが、「自由の権利」を求めるものであって、また、外的選好にたいする抵抗権を認めているのである。抵抗権の理論は法的に憲法理論に現代社会では法規範化されたように、どのような種類の外的選好による内的選好の「干渉されない自由の権利」を認めることができるのかが問題となるのである。
これが「不利になっているか、不利になっていないか」の基準とか、「明白かつ現在の危険があるか、ないか」の基準とかは、「自由の権利とはあまり関係がない。同性愛者が不利になっているから、弱者として救済すると
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いう考え方はただ単に現実的なことであり、不利になっていなければ平等な配慮と尊重の原理によって救済されないのだという理論となってしまう。これはリベラル・平等の側からの理論である。ところが今度は逆にリバタリアン・自由の側が問題とするのは「現在かつ明白な危険」の有無の基準も、現実的な問題であり、それが全く存在しないということであれば、不寛容な思想は全くもって、社会的自由、思想・表現の自由を侵害していないということになりはしないであろうか。
現実に明白な危険がおころうが、おこるまいが、不寛容の思想の強制は、裏側で社会的自由を侵害されているという場合に裁判所が「干渉されない自由の権利」が認められるような法制度、自由の法制度が認められなくてはならないと考えることができる。
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第十五章 一九九一年の東西冷戦終了以後の各国の政治と自由
P787
東西冷戦後の政治と原理
東西冷戦後の新しい統治原則は何か。功利主義か、反功利主義か、平等も自由もまだ達成されてはいないので自由・平等主義か。ここに日本での一つの事例を考えてみよう。
青島幸男東京都知事は東京で行なわれる予定であった都市博覧会を中止した。しかし最大多数の最大幸福の原理によって一部の工事は継続すると発表した。
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東西冷戦後の個人の自由
人間の拡張というマクルーハンの使った表現の仕方を使えば、マクルーハンのいうテレビよりもワープロや、パソコンは人間の、あるいは、個人の人間を爆発的に拡張する。パソコンが十メガバイトのハードディスクを得たり、ワープロが一メガバイトのハードディスクを装着した時に、人々が人間が拡張されたと感じた、その感覚をマクルーハンはまだ確認できない時代の人であったが、もしそれが確認できる時代の人であったならば、パソコンにたいしてどのようなメディア理論を作り上げたのだろうかという問いのマクルーハンの答の予測には興味深いものがある。
これは個人の自由観とも関係するであろう。個人が出版できるようになれば、すなわち、パソコンのDTP(Desktop Publishing)は、活版印刷術の発明以来はじめての画期的な印刷術の大革命となり、新しいルネッサンスがおこるか
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もしれない。東西冷戦の終結こそその結果であったのかもしれない。一九九一年といえば日本でワープロがはじめて一般に売りに出された年、シャープとキャノンが一号機、WD590とキャノンのキャノワードを一般に売りに出した年、一九八六年から五年を経た年である。個人の机上で印刷ができるDTPの技術は現在はまだ、それは大量に新聞程大量に瞬時に他の人々に伝達する技術をもってはいないが、インターネットの技術の発達は一九九六年くらいから一般のパソコンユーザーにも、世界に向けて個人が作った情報を瞬時に世界に公開することを可能にしはじめた。
この技術の発達が世界的に個人に広がれば、国際政治にも大きな影響を与えるものと考えられる。現在はまだ費用という点で誰でもが皆安く世界にアクセスできるまでにはいたってはいないが、世界の人口の半分以上にまで、その技術が広がっていけば、テレビメディアが
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政治や、人間の文明に与えてきた影響以上に法や、政治に大きな影響を与えるものと考えられる。現在ではアメリカの連邦最高裁がインターネットのポルノを既製しようとするアメリカのクリントン政権の動きにたいして、自主既製にまかせるべきであるとして、表現の自由を理由に違憲の判断を下したとの報道がある。そのことについて学者達は多くの論評を即座にいしているのであるが、自由の問題に関するこのような動きは今後更に新しい問題を生み、政治や法における自由の問題の意味は新しい解決を迫られることになると予測される。各人の自由な活動は政府の規制がなくなれば、なくなる程大きくなるといえるが、しかし表現の自由はプライバシーの公開とかの問題を起こすと考えられる。名誉の観念は依存的な人で、評判を強制したりする人程大きいという仮説を受け容れれば、自由と強制の問題はこのような小さな場所でもおこる可能性があるということになり、そこには心
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理学の重要な問題提起が、政治や法の側から行なわれる可能性がある。しかし現在はそのような動きが「絶対的で」、「不寛容な」考えや、思想を排除して東西冷戦を終結させる力となったり、国際的な国境線の垣根をボーダーレスにしたりする力となっているようである。それを解釈すれば、バーリンのいう人生の目的や目標(ends or goal)が各人様々であるから、人々はそのような意味での個人主義的な自由を尊重してほしいと考え、干渉されない消極的自由の実現を求めているように思われる。幸い経済の大恐慌は一九八九年頃の日本のバブル崩壊後も回避されたようであるので全体主義がたいとうにするにはいたらなかった。経済的な問題が崩壊にいたらず、その解決のメドがたてば、今度は政治の問題が荒起され、今後の自由の問題は新たな展開がなされていくものと考えられる。東西冷戦の終結は自由の問題にこそ最も大きな影響を与えつつあるといえると考える。
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日本における第一次、第二次、第三次の市民革命
アメリカの手動の下に行なわれた戦後のGHQの政策は、左翼的なマルクス主義を否定したが、平等主義的であった。これは四民平等を推進した大隈重信らの留守政府の改革を日本における第一次の市民革命となづければ、第二次の市民革命ということになる。大隈重信の明治十四年の政変によって実質的な市民革命は四民平等以降も続いていたとしても、形式的には明治十四年の政変によってドイツ型の大日本帝国憲法の路線をひくことが決定されることになった。そしてこれがその後の第二次世界大戦へと歩む道に始まりを画す事件となり、本物の市民革命はアメリカという他国の政府にまかされることとなった。そこでも完全に市民革命が済んでいなかった部分については東西冷戦後の現在までもちこまれることとなった。東西冷戦後の現在は日本においては、世界の動きと連動した日本独特の第三次の市
P793
民革命が進行中であるといっても過言ではない。
第一次市民革命においては中性の身分制社会における四身分が四民平等となったのにたいして、第二次市民革命において明治十四年の政変においてしりぞけられた大隈重信、高田早苗らの英米流の私擬憲法案の市民革命的な部分が、日本国憲法として採用され天皇制の廃止が行なわれた。そして現在は様々の世襲的な要素を排していったり、バーリンのいった政治における絶対理性の絶対性を排して市民の平等とか自由が求められ、政治の絶対性を排除するという意味での無党派層が増大しつつあるといえるのである。
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東西冷戦終了後の政治においては政治の変化と文明の変化とがともに考察されなければならないのは、政治と文明とがほぼ同じ歩調をとって動いていくという理由による。東西冷戦終了後新聞も、政治学者も文明の動きを見据えないと政治をどのように描写してよいのかわからなくなるかもしれない。政治の動きは文明の動きに伴うのである。これまでのように「神々」のように高貴な人々の動きが政治であると書くこともできなくなったが、世界が一つになっても政治が存在していることは明白である。ところがどこに存在しているのかが分からなくなったのだ。政治は各人各人のパーソナリティーのなかに、自由な選択の傾向として存在するのである。つまり、自由な選択の傾向とは政治的な選択の傾向であるということになる。
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日本においては、旧東ドイツにおける密告主義のような東西冷戦時代の「左右両翼による人権侵害」の清算がまだ終わっていなくて、それによって苦しんだ人々の心にたいする損害の償いは全く終わっていない。
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伝統は一般には質素である。経済先決ではない。経済が裕福であるところから生まれる。
ダイアナ英国元王妃は、本当は王室の質素な生活がイヤだったのではないか、だから、ハロッド百貨店の大きな財産でぜいたくざんまいをしたかったのではないか。ぜいたくをしたいという欲望が、チャールズらの質素な生活がイヤだったのではないだろうか。ここには政治の根本が横たわっているかもしれない。伝統は質素であるがゆえに何百年も保たれるものである。日本の皇室は雅子妃、紀子様にしても質素な人を民間から嫁にもらったから長続きしており、質素な生活でもそれに感謝して生活しておられるが、これがダイアナ元英国王妃の様な性格であったらどのようなことになっていただろうか。伝統が経済先決論や、ぜいたくさや、はでさからうち破られることがあろうか。
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王権の解体。君主制に関するイギリス労働党の見解にたいする見解。君主や、指導者の自由。
王権の解体は、王にとっては自由をなくすことであったが、臣民にとっては権威という妨害がなくなることであり、自由になることであった。ところが王にとっても、自らが普通の自由な人間であるという立場からみれば王権をなくすことのほうが普通の自由な人間として行動する余地を多くすることであった。これはクセノフォンが独裁であることは安全ではなく、独裁でないことは安全であると考えたことと似ている。つまり独裁は人間の内在的自由を殺しているといえると考えられるし、家父長制も、王権も内在的自由を殺していたと考えられる。天皇の人間宣言は、ある意味では天皇の人間的な内在的自由を増大させたし、それだから自由な活動ができるようになり、マスコミにそれが提示できるようになって天皇の人間的内在的自由が強調される報道がなされてきたといいうると考えられる。
P798
しかし伝統の重みはそこにあるべきであり、人々は伝統をこそ信頼しているといいうるのである。イギリスにおけるダイアナ元妃の「帽子のかぶり方」から「生き方」における伝統破りは、どの家庭にも必ずあることであるが、自由と伝統のあり方について深く考えさせるところがあった。自由が伝統の破壊となることがあっても、人間の内在的自由の破壊となるまでにいたることは、マルクスやフロイトのそれと同じく自由になったというのではなくて、絶対理性の絶対性により全く自由をなくすことと等しく、伝統は内在的自由の存在するところに意義があるのだから、絶対理性の絶対性は内在的自由の解放と全く反対のものであると考えられる。伝統は単なる秩序(社会)維持であってはならないが、自由な人々の自由な関係を破るのが、伝統の破壊や、タブー(禁忌)からの解放であってはならない。
内在的自由のなかに、博愛や温情主義的愛
P799
情(父母の愛情)や、兄弟姉妹の愛情などか含まれているならば、絶対理性によって「家族を破壊せよ。」(『共産党宣言』、 頁。)といったり、あるいは、共有で子供を育てるために、親子の愛情をひきさいて子供を共同社会のなかにむりやりにおしこめることは、内在的自由のおもむく方向とはいえない。それは本能ではない。否定できるということは内在的自由である。
とにかくダイアナ元王妃の問題を書くことは、こちらの方が気持ちが悪くなる。それをダイアナ元妃は理解しないであろう。それは彼女の心の中のみの問題ではなかろうか。この世の中にはこのような問題が多い。それがベイやフロムの取り扱った社会心理学的問題といえなくもない。いや、この問題は社会心理学的問題というよりも心理学プロパーの問題であるのかもしれない。
P800
自由論
私がロールズの研究者であったり、バーリンの研究者であったとしてもロールズや、バーリンの意見にそのまま賛成する必要はない。私は自殺は生の本能に対する反逆であると考え、それが干渉されない自由の範囲に属するとは考えない。妊娠中絶についても人間の生の本能にたいする反逆であり、それを自由とはとらないであろう。ただ妊娠中絶が母体の安全を害したり、食べていけない程貧乏のためというのでなければ、胎児と母体の生の本能を重視することは自由なよい社会観を育てる上で重要な視点であると考えるものである。自由論はこのように社会や、国をみる重要な視点となりうるのである。
P801
平等主義に関するアメリカの特殊事情。イギリスや日本の特殊事情
日本とは違ってアメリカにおいては、平等主義を採用しなければならない歴史的な事情がある。黒人は奴隷制度の下で極端なハンディキャップをもって生誕するし、そのような社会的環境にある。ところが日本においては多少の多民族差別の歴史はあったが、大多数は一民族であり、民族的なハンディキャップを歴史的におわされた人々は非常に少ない。平等主義と、反自由主義は学校においてははびこっているけれども、その他の社会においてはすでに平等である部分が多いから、自由から出発することが可能になっているものと考えられる。このことはイギリスにおいても同様なことがいえるが、イギリスや日本においてはマルクス主義の影響、自由を平等を殺すという極左の影響が強かったのはどのような理由によるのだろうか。
P802
クリントンとブレア
東西冷戦後イギリスも、アメリカも自由から平等にシフトした。
「黒人も白人も、ドイツ人もユダヤ人も平等である。」このような考え方が平等主義として定着しはじめたのである。人種の平等主義はドゥウォーキンの平等主義の根幹となっていると思われる。ドゥウォーキンがプライバシーの権利と、プライバシーの義務とが表と裏の関係かどうかについて述べる時にはプライバシーの権利や、表現・思想・言論の自由に関する干渉されない自由についても、皮肉にも認めていると考えるのであり、自由と平等と国家・権利の理論は新しい時代を迎えたと考えられる。
P803
経済好況の運が、クリントンの再選の勝利の原因である。これが運命であるとするならば、このような運についての政治的な運命論はヴィルツウ論とどのような関係があるであろうか。ドールは不運だったのだろうか。そうではないかもしれないし、そうなのかもしれない。時代は平等のなかの自由に向かっているといえるから、時流にのったともいえる。
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現代の政治・経済と自由論
大恐慌はかろうじて避けることができるようになった。総需要を公共事業の拡大によって増加させることでそれは可能になったとしても大不況(超不況と名付ける)が大恐慌のかわりにやってきた。このような一九九七年現在の経済大不況のなかで、個人の自由と、自他の平等をいかにして達成しうるのかが今後の自由論の課題であるといいうる。バブルの崩壊は経済不況をもたらし、また、大規模な規制緩和は経済的不平等を増大させた。このようななかで人間はどのような社会的自由論を展開していくのであろうか。一九二九年大恐慌を契機としてバーリンの積極的自由が増大し、スターリン主義や、ナチズムや、ファシズムが台頭してきたことの二の舞とならなければよいが。
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ケインズの不況時の公共支出の拡大の理論は、公共事業を総需要拡大のために要求したのではなく、その結果乗数を増大させるような「不平等の是正」を財政支出によって要請したのかもしれない。TVAも、日本の公共事業も失業処策であったのかもしれない。公共事業の本質は需要刺激よりも不平等の是正であったのであり、公共事業が不要になる時代がやってきてもそれは不平等の自由によって総需要は拡大されるべきでえある。ケインズの理論はクラッスス兄弟の改革から続いてきた。不平等の是正という大きな流れのなかの一つの理論であったのかもしれないし、ローウィの『自由主義の終えん』の議論もその一つの側面としてとらえることができるかもしれない。そしてそれはウッドロー・ウィルソンの『新しい自由』にしてもである。
P806
戦後日本の自由概念の変遷
自由の意味はさまざまにうけとることができる。自由民主党はそのような自由の変化をうけいれてきた。明治政府の四民平等はそれまで差別された身分のもとにあった人々を、自由にした。そこで生まれた自由民権運動のなかで育った自由の概念を、戦後一部分受け継いで、自由党と民主党が合同して自由民主党を形成したが、戦後の世界はまたしても大きく変化した。四民平等により自由になったという事例は平等と、自由とは全く因果関係はないとするバーリンの消極的自由論の大きな反証となってはいる。しかしバーリンが状態であるとする消極的自由には四民平等は何ら影響も与えなかったかもしれない。
第二次世界大戦直後GHQは「自由の強制」ともいえる日本国憲法の制定を指導した。これに反発するのが自由民主党であり、自由な(自主)憲法の制定をも主張する。その自
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由が日本人個人の自由を高めるものであるならばよいが、国家の自由を高め、個人の自由を抹殺するのであってはならないと考える。
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イギリスと、日本と、アメリカの政治の流れと自由と平等と政党の綱領
平等な自由のある社会ということを正義の第一原理としたロールズの考え方は、日本の政治の流れからすれば自由民主党的であるのではなかろうか。日本の左派は平等によって自由を否定する立場をとってきた。そのような立場をロールズはとらず、平等化はただ自由な社会を強化するためにのみ第二番目に、第二原理としてのみアレンジarrangeさらねばならない。このアレンジするとは、Aという人がBを手はずを整えておくという意味であるから、人間は手段を講じなければならないという意味であると思われる。あくまでも自由な社会を守ろうとするのである。従ってそのような政党は日本では自由民主党の立場である。
ところがアメリカにおいては、それはリベラルな左派と考えられている民主党のとる政策となった。共和党は資本家集団に属する人
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々の多くが考えていたように干渉されない自由を主張する人々が多く、干渉されない自由を主張するリバタリアンたちにはロールズに匹敵するような理論家が見つからなかったのである。ロールズの考え方はイギリスにおいては、リベラルに属するのであろうか。
イギリスにおいては労働党の考え方は、ロールズの考える自由な社会を守るよりも左派の思想であった。イギリスではオックスフォード大学のドゥウォーキン法理学教授は干渉されない自由などは一般的には存在しないという。この考え方は自由は自由によってのみ制限されうるというロールズの自由の優先性に関する第一の優先性のルールに反する。ドゥウォーキンは自由は、平等な配慮と尊重という彼の法原則によって制限すること(殺すことということも、反対陣営からは、できるであろう)が可能であるという主張を、法道徳と、政治道徳の最も大きな、第一の優先原理として提示する。ドゥウォーキンはロール
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ズよりも左派に属するといえる。イギリスの労働党の思想は左派の考え方が強かったためにロールズよりも左であったドゥウォーキンの考え方を受けいれるのにはじゅうぶんな素地があったと考えられる。これにたいして保守党はバーリンのいう干渉されない自由の考え方を受け付けたであろう。しかしそれよりも新保守主義とよばれる考え方が、サッチャー首相のもとでおしすすめられた。この考え方は依存をたちきるという考え方を中心にして構成された哲学であったと考えられる。サッチャーはこれを父の依存的性格の否定からみにつけたのだと報道されたことがある。ポールタックス(人頭税)という新税さえも実施されてサッチャーの新保守主義の政策の展開は終了した。「サッチャーは、こうした犯罪やその背後にある(他人を省みない)『自己中心主義』を、一九四五年以来の左翼による『甘えを許容する(permissine)』文化に由来するものと考え、厳罰主義で臨んだ………」(大嶽秀夫『政
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治分析の手法|自由課の政治学|』放送大学教育振興会、一九九五年、一二三頁。)のである。この考え方がコミュニティや、伝統的秩序を回復することを目標としていたのに、その結果として秩序を回復することになったのか、そうではなかったのかについては、厳罰主義が秩序を回復できるかどうかの参考にある。この答については左翼の側と、右翼の側では違憲を異にしているようである。
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各国における消極的自由の相違
日本は国土が狭いために、肩を寄せあって生活しており、消極的自由の範囲は狭いとかんが得られる。世間ということばと、社会ということばとの関連性については多くの人々が研究したり、言及したりしているが、それはある意味では消極的自由の狭さに由来しているといえるかもしれない。生活のあらゆることに関して他人にきがねして生活していかざるをえないのが日本であり、それは土地の狭さに由来していたり日本の政治や法文化やらに由来していたりとその原因の追求は様々であろう。それなら日本において消極的自由について研究する余地はないという考え方におちいるかもしれないが、必ずしもそうとはいえない。欧米にも、日本にも他人に「干渉するな」ということをいいたい人はほぼ同じ数いるかもしれない。日本全体としてではなく個
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人個人を考えていけば、本当は世間体やらのことばは日本独特の考え方ではないかもしれないし、世間への甘さ(依存)も日本独特の考え方ではないかもしれない。あるのは日本には世間体や、甘えや、末っ子や、一人っ子とかいうような独特な分析概念であることばがあるだけなのかもしれない。
各国の文化や、政治や、経済の違いは各国に応じた消極的自由の範囲を決定していったように思われる。それらの研究は政治学における各国の政治というのと似ているが、自由論の総論はある意味では政治学の原理の、あるいは政治学総論の核ととなるような部分であるといいうる。
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日本人や、ドイツ人や、イタリア人のようなローマ法の国においては、法が自由の制限という見方でみると自分で法や政治について考えるよりも、それらに従っていた方が楽であるという感覚がある。これが陪審制裁判についても普及が遅れる理由となっていると考えられる。一方英米法の国であるイギリスや、アメリカにおいては陪審制度が定着したり、政治についても各人は法や政治権力にまかせるよりも、もう一度自分達で作ったり変えたりしてみようという考え方が定着しやすい。これは英米法が法の適用にあたって柔軟であることと関連していると考えられる。
主権者はオオカミであった(ある)のではないかという意識に乏しいのが日本人である。
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日本人とアメリカ人
弟、妹の世話から親になるための経験をしたという女性がアメリカが四十%台であるのにたいして、日本では三十%台であった。この事実は日本においてより以上にアメリカにおいてのほうが、兄弟姉妹の長幼の序を十四しているという解釈をすることができるであろうか。
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行政の民営化は、保険と共にであれば可能である。
行政の独立採算制度は、民営化とは違い、失敗した時の担保としての保険がある。民営化もじゅうぶんな保険と共に制度化されればほぼ行政と同じ役割を果たせる。
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開かれた政治
裏で決めないことは、開かれた政治の原則である。ウッドロー・ウィルソンが『議会政府論||アメリカ政治の研究|』において委員会制度を批判した理由はそのような開かれた政治を求めるものであった。ボスが決めている政治にたいする反発であった。
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民主主権と国民主権
裏で事を運ばなければ公開の政治が可能である。裏で事を運んでも公開の席上それを強制することも可能である。その強制において裏で運んだこと、裏で決めたことは表でも当然のことであるとして強制することはバーリンのいう積極的自由にあたると考えられる。人々はこれで満足せねばならないという論理である。この論理はバーリンの理性の強制の論理とよく似ている。共産主義社会における意志決定のシステムはこのようなことをするのに適した形態になっていると思われる。民主的な政治制度における意思決定の過程はこのようなシステムよりももっと複雑であるといいうる。ここに現代政治における複雑な政治過程論が生まれてくる理由がある。立法過程においても、司法過程においても、行政の過程においてもそのようにいえる。開かれた政治においては公開の場において意思決定
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がなされるのではあるが、少数の立場となったものにもできるだけ有利になるように公開の討議が行なわれて様々な意志決定がなされることになる。そこで決定された意志決定がルソーのいう一般意志になることについては仕方のないことである。それが人民主権的であるのか、国民主権的であるのかについてはやはりバーリンのいう強制や、干渉というものが本質的な相違となるものと考えられる。やはりバーリンの主張は重要な側面について述べていると考えられる。人民主権論と国民主権論の対比をバーリンの考え方をぬきにして考察することは本質を抜きにした論議であるといわねばならないのかもしれない。強制性の問題である。
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日本の第一次、第二次、第三次の市民革命
大隈重信の四民平等を第一の市民革命、明治一四年の政変をそれに対する反動、第二次世界大戦の後のGHQの改革を、第二次の形式的市民革命とすれば、東西零戦後の今日は第三次の本格的市民革命がはじまっている。
P821
大隈重信が明治十四年の政変以前に提出していた日本の憲法草案は、天皇ということばよりも世論ということばに重点が置かれている。そこには四民平等の観念と同じ自由と平等の観念が流れていた。
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独占的な企業、例えば国策会社のコンピューター会社で外国からの輸入も禁止されている場合に壊れるようなコンピューターを売ってもそれ以外の購入方法がないと、国民は黙ってそれについていかざるをえない。独占の弊害はこのようなものであると比喩的にいえる。
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自由な政治過程と開かれた政治(過程)
多くの政治的意見が一致するまでの過程が政治過程である。しかしその政治的意見は一致しないこともある。その場合に一般の政治的意見に従うのか、抵抗するのか、暴力革命をおこすのかが問題となる。
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主人への従属・依存と、委託
「私の主人は誰であるのか」の問いにたいしては、私が誰に依存するのかなのではなくて、私が誰に主権を委託するかであるべきなのである。もし私が依存する相手を求めて政治家を捜すのであるならば、そこには消極的自由を放棄した姿がある。
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“The guestions ‘Who is master ?’ and ‘Over what area am I master ?’ cannot be kept wholly distinct.” ibid.pp.(Introduction)
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「自由であることを強制する」とは。
自由であることの強制には二つの内容が存在する。一つは依存的な関係にある二つの主体を独立にすること、二つ目は義賊の心理によって貧乏な人が富裕な人から資源を奪うことである。二つ目には議会や、一般意志の承認を得ている場合とそうでない場合とが存在する。承認を得ていない場合は暴力革命になるし、承認を得ている場合は議会内社会主義となる。一つ目の内容は自由を達成する活動、自由化の活動が二つの主体が依存的な関係や、従属的・隷属的関係にある時に相互に独立させることを意味している。
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公民のための政治・政党
リパブリカンは一般には共和党員と訳され定着している。自由な人間は一般的な人間であり、その自由な人間が論じられなくてはならないばかりではなくて、社会的な自由として論じられなくてはならないと考えられる。
しかし公民としての資質は、アメリカの民主党の綱領においても要求されており、平等のために自由を殺すようなことを主張してはいない。
ということはアメリカにおいては民主党も共和党も、共通して政治的に、公民として人々を導いていこうという点では一致していることになる。ところが日本においては平等のために自由を殺すことを目的とする多くの政党が存在していた。
P828
しっとは現実か。
公務員になったら長い間公務員をしていた公務員の主のような人がいて、新人の公務員が人々のためになることを一生懸命にやっていると、それはつかれるだけだよ、そのような公務員は出世しようとしている、出世にとりつかれた人だ、何もしなくても給与は一緒だよ。」といって、行政では人々が、学校では生徒が困っていても何もしてやるなと、新人の公務員をけん制して教育してまわる人がいたとする。これはあくまでも暗喩であって真実ではない。もしそのような人が平等のために自由を殺しているのだと主張しているのならばそれは平等とはいえないであろう。それはただ自由を殺すことを他人に強制して、バーリンのいう積極的自由を他人の妨害のために行使し、フロムのいうように自由を否定し消極的自由に陥っているだけである。学校では生徒の親がいくらいってきても、それは生徒の親がすることだ、生徒自身が学習すべきことだという
P829
ことで済ましてしまい、学校の機能を否定することになる。それでも社会は動く、独立的で進取の気性のある人はそれでも自分で学習していくからである。官公庁・行政の場合においては人々はそのようななかで、自主独立して自分で「うまくやっていく」ことを覚えるであろう。そしてそのような行政をなくそうと思うかもしれない。そのような学校をなくそうと思うかもしれない。
しかし、そのような学校や、行政が一般的であると思ってはならないだろうし、そのような行政や学校や、そのような主はいないといって反論があるかもしれない。しかしバーリンにしたって干渉されない消極的自由は法があれば制約されることは認めているのであるから、干渉されない消極的自由は一般的に存在するといっているわけではない。そう考えるとバーリン理論は全く意味がなくなるので、バーリン理論における干渉されない消極的自由というのは、以上最初に述べたような
P830
ケースのみに限定されていたか。そのような類似のケースのことをいっていたのであるとすれば、この節の暗喩は残しておいたほうがよいということになる。
そのような主のいっていることは、そのうちに絶対理性、長年の経験からつちかわれた絶対理性、唯物論のようなものになってしまった場合には「何もしなくても給与は同じだよ」という絶対性の押しつけになってしまうということがありうる。
P831
モラールをなくすこと、さぼりを生むことと、バーリンの積極的自由
モラールをなくすとか、さぼりを生む体質は、以上のようなバーリンのいう積極的自由の例が示しているともいえる。平等のために自由を殺す一つの例であるといえる。平等は大切ではあろうが、自由の一構成要素のためであるべきで、自由を殺すためにあるのではない。バーリンのいう積極的自由は絶対理性による理想を迫っており、現実を見ていないゆえにさぼりを生むのであるというように理屈付けることができる。
P832
よい評判の絶対的強制
おどおどとした劣等感の多い、絶対理性を信ずる人々が良い評判の強制を行ない、積極的自由を主張するのは、その人の劣等感が原因である。このように考えるのは某学説によりその分析を行なったかのようにみえる。しかしそれは法律的、政治的、社会的な側面から分析が行なわれて解決されなくてはならない。
P833
共産主義批判の類型
アリストテレスの共産主義批判が経験的な事実からの理論化であったのにたいして、バーリンのそれは思想としての全体主義の批判であり真向からの批判であった。それはマルクスの伝記を書いたバーリンであったからできたことであった。ポッパーの分析哲学による批判とはまた異なった視点をもっていた。
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共産主義批判の三類型と依存
共産主義を思想としてとらえ批判する思想は、アリストテレスによる古典的なものから、カール・ポッパーの分析哲学によるものと、アイザイア・バーリンの二つの自我論によるものとがある。
自由を求める政治活動の観点や、自由論の立場から分析が可能であろうか。自由の定義から理論的に分析することはできるであろうか。共同所有においては疎外がなくなり、自由になれるのであろうか。「真の」自由は共同所有全体の自由であり、個人個人の自由ではないといえるであろうか。
私の提案する依存論は共産主義批判の第四の類型でありうるだろうか。カール・ポッパーのいっていることのなかでの依存の意味や、バーリンのいっていることのなかでの依存の意味や、古代においてアリストテレスがいっている意味での依存の意味は共産主義批判
P835
においてどのような意味をもっているのだろうか。一方で現代の保守主義者、マイケル・オークショットのストライキ論においては依存についてとらえているのであろうか。オークショットの保守主義者としての自由のみかたは、どのような観点からしたらストライキについての不法性の指摘となりえたのか。ますます少なくなるストライキの行方は人々の心の独立性への新しい動きと関連しているのではなかろうか。
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プラトンの呪ばく
プラトンの呪ばくとして、カール・ポッパーはプラトンの共同所有論の欠点や、プラトン的歴史史主義を批判した。ある程度はイデオロギー的な側面をもっていたにしても、それは真実をついている面もあった。カール・ポッパーは分析哲学的手法を使ったと一般にはいわれているが、社会科学における分析的手法は相当に混乱してしまっている。自由はいくら分析しても自由のままであり、社会を分析するにあたっては他の自由人の多くの目的を考慮していけば、どこかで判断適しをして、自由を認めるところにいきつかざるをえないからではなかろうか。
P837
プラトンのじゅ縛と自由
プラトンのじゅ縛のなかでも、洞くつの比喩は批判の対象となりうる。いつも被害を受けているという人は、いつも被害を与えることが正しいというかもしれない。洞くつという表現は自己否定した絶対理性の世界であると考えることができる。そう考えるならば経験的な自我は「 」なようにみえる。
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プラトンの絶対理性
プラトンの洞くつの暗喩において囚人たちの陰が現実だと思い込んでいることは経験的な真実の暗喩であるにたいして、目を当てていた太陽そのものは理想的な絶対理性、倫理的な価値に目ざめるのだという暗喩なのであると解釈すればプラトンの共産主義はマルクスの絶対理性論によく似ている。より低次の、より不完全な経験的な現実という考え方はバーリンのいう干渉されたくない人々の現実の生活と似ている。
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「パンツをはいたサル」の概念と政治人類学
人間がネコのような動物とはちがって毛をのびちぢみさせて、カゼを除ぐことができず、自分の自由な意思によって(自由な選択によって)服をきたり、家に住んだりすることによってカゼを除ぐという概念は、「パンツをはいたサル」という概念によって最も比喩的に表現されている。そこに経済人類学が成立しうる余地があるし、政治人類学の成立するよちがあるといえるであろうか。
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共産主義にたいする対処の仕方
共産主義は排除するのではなくて、また、評判の強制に屈するのではなくて、その貧乏さの主張のみを尊重すればよいのである。その精神が絶対的に陥った理由、二つの自我の分裂を教えてやればよいのである。
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個人の名誉の回復の遅れ
文化大革命が平等主義のために自由を殺すために毛沢東の指導の下で行なわれたものであるとすれば、現在その当時命を落とした人々が名誉回復されているのと同じことが日本においても行なわれなくてはならない。平等主義は精神的なものであると私は思って発表してきた。
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第十一章 自由論・平等論・博愛論
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不安の心理と、豊かな社会の博愛の心理
不安の心理には、根源的には、二つの環境の想定が含まれている。それが社会的攻撃性の厳選となっている。その第一は、義賊により自分の所有物を奪われるかもしれないという心理、二つ目は、十二人の人間がいるのに三人分の食料しかない状態がくるかもしれない、あるいは、今そうであるという想定からくる不安である。この不安は自由論の出発点に安全という概念を置く考え方を発生させる。逆に豊かな社会を想定することは自由論の出発点を人間と人間が自由で平等な状態の想定から出発させるであろう。更に豊かな社会の想定から出発する自由論は、余り余った食料を他の社会に博愛によってほどこすような社会の想定から自由論を出発させるであろう。これらは個人がそのような状態にあるということとは関係のない自由論として表現されるが、個人個人の想定はその人の個人的な環
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境によって左右されている場合が考えられる。それは自由論のイデオロギー性ということになるが、自由論そのもの、自由そのものはイデオロギーの存在しないものであり、それは自然的なものである。その自然性をあらわしているものとして本能の代置物(the
substitute of instinct)としての内在的自由というものの存在を指摘することができる。
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自由論の過去と現在
自由の概念の歴史の研究と、主権の概念の歴史の研究とが自由を殺した人民主権の概念にラスキのようにいきつくのか、バーリンのように自由な国民の主権の概念にいきつくのか、この結論のだしかたの違いは干渉されない自由を認めるのかどうか、平等のために自由を殺すのかどうかにかかっているようである。そのために資源の平等化は、自由の一構成要件としての資源の平等化なのであって自由を殺しているのではないという考え方は有効な考え方ではある。アリストテレスは『政治学』第一巻において共有が良いという主張が私有では訴訟などが多いからだということのためになされるのはまちがいで、私有であっても人々の心がけがよければ争いや訴訟やもめごとも、共有の場合よりも少なくなるという趣旨を述べたあとで『政治学』第四巻の一二九一bにおいて「自由と平等は民主政治のなかで実現されると考
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える人々がいる」(‘liberty and equality, as is thought by some, are chiefly to be in democracy’)と『政治学』において、自由と平等は対立的なものとして考えられていたであろうか。平等が自由を殺すという概念はどこにも見当たらない。たしかに共有にならないと、紛争が多くなるのだというのが共有化の理由付けとされていたという第一巻における表現は私有の自由を抑制しようと考え方が当時存在していたことは示しているが、マルクスの一党独裁論のような主権理論として平等のためには自由のない社会を作り上げようというような理論は考えられていなかった。平等のためには自由を殺さねばならぬという主権理論が生まれた背景には近代国家の出現と関連があったと考えることができる。ところが東西冷戦の集結は世界的な一つの単位の成立が期待されることによって近代国家における主権の概念を
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変化させていく可能性を秘めており、そこに自由と平等の観念の新しい動きを感じることができる。
その場合に古典的政治学は総合的であり、現代の政治学が参考にすべきものであると主張するレオ・シュトラウスの見解は傾聴に値する。アリストテレスが平等ということばを使う時に、人々が平等でありたいと各人各人が配分的正義などについて論じていることは念頭においていたとしても、そのために自由を殺してしまおうなどということを考えていたであろうか。そうは思えないし、そのように考える人が当時いたとは考えられない。プラトンでさえもそのようなことを当時、考えたりいったりしてはいない。それは集団主義的となった現代においていわれたことである。当時の人々が平等をいう時には、自由の構成要素としての名誉とか、資源とか、機会などについての平等について述べていたとしか考えようがない。そこまで主権概念は発
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達してはいなかったからである。ある人の自由が他の人の自由を制限することがありうることについて、当時の人々が気付いていたことは認知できる。それは人間の普遍的な感情である。ところが近代の主権概念の成立以後はそれが国民のすべての人々に強制できるという理論ができあがった。これにはホッブズの主権論や、ルソーの「一般意思」論が影響を及ぼしたかもしれない。ルソーの「自由であることを強制する」という善意が誤解されてすべての人々に一般意思を強制できる。それも人民主権的な意思を強制できるというところまで曲解された時にルソーへの誤解は最頂点にまで達したと考えられる。ルソーの「一般意思」論は人民主権を主張したものではなく、国民主権を主張したものであるというのがかねてからの私の見解であり、ルソーはフランス革命時に以上の通り誤解されたものであると私は解釈している。すでに死んでいたルソーはそれに反論できなかったのである。
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その後東西冷戦終了後の現代においては、ルソーの「一般意思」論は新しい角度、つまり国家の全体が一般意思に全体主義的に拘束されるべきだという意味での「一般」ではなくして、国家のなかにも「一般的」な意思の形成は過程として必要であるという意味での「一般意思」論として、見直され評価されるべき時代がやってきたのだと考えることができる。
それは自由論を主権との関わりで、東西冷戦後の世界に合致した形で再構成することでもあるのである。
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政党の境界と自由論、平等論
政治学において、自由論を研究することの意義を大衆社会における政党の分類の仕方に自由論を適用できるかどうかについての研究において検証してみることにする。自由化の政策の研究においては自由を平等化との対比において大嶽秀夫がとらえている。特に教育における自由化は平等主義に対抗するものとしてとらえられている。これはドゥウォーキンが彼の平等論を黒人と白人の融合を教育において実現しようとするときの「平等の主張」と「自由の主張」との対立としてとらえるとらえかたと類似している。金融の自由化、その他の様々な自由化もほぼ同じ文脈で二人はとらえていることになる。一方政党をリベラリズムとリバタリアニズムに分類する仕方においては片やリベラリズムは貧乏な人々に見方する側が、社会制度を改革する自由を訴える側としてとらえられ、片方のリバタリアニズムは
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所有権の自由処分性を主張し、所有権の不可侵性(干渉されえない自由)を求める側としてとらえられている。これらの境界線は東西例戦後の現在においては、あいまいになってきているのではあるが、フランス革命以来このような政党の分類が支配的であった。
ところが所有権の不可侵性をリベラリズムの側も認めることが、生活の必要上不可欠であることが経験上認められるようになると、これらの境界線は非常にあいまいになってきた。
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利他性を自由のみにまかせて、強制しないでも社会は成立するか。
もし、利他性によって富者が「自己の意思で自由に」貧者にわける財産をもっていると感じる時にのみ、税は納付されればよいと決めて、納税を義務ではなく任意な、強制性のないものとしたらどのような結果となるだろうか。誰も支払わなくなるだろうか。金持ちは最後の一ペンスを貧者にわけ与えるであろうか。その場合イエスであったとしても、共有財産の維持や、貧者の平等化の政府機能が果たせるだとうか。
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我々は本当に心の底から、黒人の人や、ホームレスの人や、器質的な障害をもった人の心の中に感情移入したことがあるだろうか。もしあるとして、あなたの顔がメニラン色素で黒かったとしても、平等をあわれみのように、自由を殺してから、与えてくれるように望むであろうか。そのような人が本当に笑いながら自由を得て、干渉されない自由を乏たいと思っているという感情を理解できるであろうか。肌の色が黒いくらといって自由をなくそうと黒人の人間は本当に思っているのだろうか。それが平等だというのはマルクスのような唯物論的偏見によるのではないか、あるいは、マルクスのように絶対的な理性を主張するからなのではなかろうか。その偏見はマルクスのような甘えた、依存的な、自分を甘えさせてくれる人のみに笑って、そうでない人には思っているというその性格からのみき
P855
ているのではなかろうか。
これは明きらかにバーリンのいう二つの自我である。自分を依存させてくれる者には甘え、自分を依存させてくれない人には絶対理性によって暴力革命をおこすという自我との分裂である。前者は甘え、依存であり、後者は疎外である。疎外論を公然といえた裏にはこの甘え、依存があったのではなかろうか。
甘え、依存的な人が本当に黒人に自由を与え、仲よくなれただろうか。その逆ではなかったのか。権威主義的態度や全体主義的態度はユダヤ人屋や、日本では朝鮮人にたいしてあらわれたが、そのような民族主義的態度は黒人や、差別されたホームレスとかに甘えられないので、その自由を認めないという差別と同根のものではなかったのだろうか。それはすぐに同じものとなりえたのではなかろうか。それはある甘えた人にはそのような事実が認められた。
P856
利他性は自然か、自由か
他人が顔が病気のためにみにくくなっているのにたいして、その他の人がどうしてやることもできないのに、同情したり、平等化を求めるのはどのような場合に妥当か。医者がそれを治そうとするのは妥当なことである。しかし、その他の人でどうしてもやれない人はどのように考えるべきであろうか。大都会でホームレスの人と、そのような人がいた場合にはどのように対応すべきであろうか。前者の場合は自然的、器質的なものであり、後者の場合は社会的なものである。しかし後者の場合にはホームレスになって気楽に過ごそうと本人が自由意思で選んでいる場合にはどうか。しかし生活が貧しくなろうと自由意思で選ぶことは、生の本能からしてありえないとも考えられる。その人があまのじゃくになったのは他の人と平等になれない社会制度があったのだと考えられる場合はどう対応すべきか。そのような同情
P857
心は全く持たなくて、大都会でそのような人に会っても通りすぎてよいのであろうか。
P858
ラブ(愛‥love)とフラターニティ(博愛:fraternity)について
学生諸君にとっては愛はすべてであるということば程魅力的なことばはないと思われるが、では博愛がすべてだといわれれば、修道院にはいって結婚もしないで一生を過ごすなんてということになるかもしれない。旧姓鍋に百円入れることには抵抗はないがと思うかもしれない。これらの愛はすべて他人に対する愛から成立している。親が子供に与える愛もそのなかに含まれてる。
博愛と訳されているフラターニティ(fraternity)は The Concise Oxford Dictionary によれば、1、a religiaus brotherhood. 2、a group or conpany with common interests, or of the same professional class . 3、 US a male students society in a university or college. 4、 being fraternal; brother liness. とある。本論文の2の意味で使用し、fraternal の元の意味1、of a brother or brotherの意味をと
P859
り、1、の宗教的な意味合いを除いた愛情を指して使うこととする。
兄弟姉妹間の愛情はすべての愛情の出発点であることについてはほとのどの人が認めるから、それを比喩的に使い博愛の感情や、愛情の感情を表現したものであると考えられる。例えばロールズの第二原理が博愛の原理であるとロールズが述べる時にはロールズは博愛ということばを貧しい人々への愛情や、博愛という意味で使っているのであり、このような意味でこの博愛を使うことにする。この博愛のほかに愛(love)ということばもまたほぼ同じような意味で使われる時には、このような社会的紐帯として考えられるからこのような愛についても考えることとする。恋愛においてもその愛は社会的な関係を作り出すものであるので、同様な意味でここで取り扱うこととする。
P860
博愛二種類
慈善(鍋)や、慈愛や、博愛を説く宗教にも唯物論的な観念が含まれているのだろうか。愛は奪うものである場合、義賊の心理のようなものであったり、他の心理のようなものであったりするであろうが、そのような場合と、人々の利害を調和させ独立的な人々が愛のある世界を作るという場合との二つの場合に分けるべきであろう。
P861
自然な博愛は自然な利己性と矛盾しない。自然な博愛は現代経済学にあるか。
博愛の限度については自然に決定しなければならない。人間はどの程度に博愛であり、どの程度に利己的であるべきか。それは同時にそのようでありうるのか。例えば大金持ちで大金を得る事業をやっている人は極大の利己性をもつと同時に、その客に対しても極大の博愛をもち、また、客以外の義賊のようなもにも極大の博愛を持ちうる。
P862
博愛
博愛は本能か、人格の成長によってえられるか。この場合の博愛は利他性である。利他性が本能なら、愛も本能となる。人間は利他性を本能として備えているかどうかについては議論がわかれるところである。ある人は本能であるというし、ある人はそうではないという。生の本能のみを本能であると規定するとしても、自分以外の人も自分と同じように幸福であるほうが、自分の危険性も少ないという理由から、人間は危険性の少ない安全な社会の方が生の本能を満足できるという理由から本能的に利他性をもっているのだというように論理展開することもできるし、いやそうではなく、人間は利己的であるが人格が成長するに伴って利他性の精神が成長するのだという考え方も存在する。
P863
自由で独立的であることは味けなく、愛情や博愛を欠いているか。
二人の人間関係において二人が依存的であれば、二人の関係は煩わしく相互に自由を奪い合うのであるが、二人があまりにも自由で独立的である場合には二人は「あまりにも味けなく、愛情や博愛を欠いている」といえるであろうか。そうであるとはいえないであろう。なぜなら二人は、相互に愛しあって二人は相互に博愛の情を持っているのであるから。
P864
博愛、自由論はそれを内包できるか。博愛が自由を内包するのか。
一般には、「自由論」において自由・平等・博愛について述べるならば、自由から、平等にいたり、そして博愛について述べるであろう。しかしここでは最初に博愛について論じ、そして、自由から平等にいたり、そして最後に博愛にいたる過程を、自由という味けがないものから出発し、自由の一構成要件としての平等にいたりながら考えていくことにするのが、興奪惹起的で(エキサイティングで)理性を高揚させるような議論ができると考えるので、最も良い論文作成読書の方法であると考えるので、そのようにするために「最初に博愛と愛について述べることとする。」、もしこのような自由論があるとすれば、それはあまりにもロマンティックすぎる。ロマンティシズムは歴史の一時期、思想家の心を支配し、ついにはイデオロギー的なユートピア社会を夢想させる一段階前の思想となった。ロマンス、それ
P865
男と、女の人間関係を結婚前に採る夢の世界である。ところが結婚後の結婚生活は現実的であり、質素なものである。後者こそ本当の愛であり、博愛だと考える人が多いだろう。子供を育てていくことは父権的、母権的愛情や、博愛が必要であるし、子供達の間にも愛情や博愛が満ちていると考えることができる。一時的なロマンスにおける愛情よりもこの愛情や博愛のほうが大切だと考える人が多いのかもしれないし、その方が現実的である。しかしロマンスの熱情も忘れてはならないであろう。だがそのロマンスは現実にのっとったものでなくてはならない。博愛や、愛情も現実にのっとったものでなくてはならないであろう。そのような意味では自由論のなかに博愛や、愛は内包されるべきであり、それは自由な人間同志の人間関係としてとらえられるべきであろう。
P866
本当の愛と、ドゥウォーキンのいう博愛。内在的自由を人間として愛すること。
ドゥウォーキンが一般的に自由など存在しないというのは、社会福祉的な政策、たとえば黒人と白人とを同じバスに強制的にのせることに反対する人々の理由付けが別々のバスにのる自由があるという論理構成をとることに煩労するためなのである。そのような自由よりもは、平等な配慮と尊重を求める自由のほうが強い権利であると主張しているだけである。たしかにそのような自由は、人間にとって永遠普遍の「本能に対置される内在的自由」とは全く違って、社会福祉政策のもとにおいてはわがままな、社会福祉に反対する自由に近いかもしれない。しかしそのような人々であっても、そのような自由であっても黒人と白人とは内在的自由は、人間として本質的には同じではあるのだけれども、現実的には実質的にみて、現在までの教育の機会が黒人の方が少なかったのであるから、現在では一時的に教育により生
P867
まれた能力の量が違うのであるから、今は一緒のバスにのせたくない、教育の低いうちはラズウェルのいう攻撃的性向が強いのであるから、(たしかに、一緒にのせると黒人の教育にはよいかもしれないが)白人にその攻撃性向が移るとよくないのでという理由で別のバスにのせたい自由があると考えているのであれば内在的自由についてじゅうぶんに考えているのであるから、そのような自由は人間の本質的自由について考慮に入れていると考えられる場合があるかもしれない。そのような内在的自由、あるいは、平等な自由をじゅうぶんに考えて黒人と白人の同じバスにのることに反対している人を強制することは本当に平等により自由を殺しているといえないであろうか。ドゥウォーキンの理論が自由を殺すことがありうるのはこのような場合であると考えることができる。
これにたいして依存的な性格の人々やらが、独立的な人々とはちがって、黒人をべっ視
P868
したり、黒人を民族的に劣っているとするのは、黒人は自分と同じである白人とは違うのだ、劣っていると同じである白人とは違うのだ、劣っていると考えることによって、自分を優位に(経済的に優位な立場に)たたせようという意思を発生させることによる。特に依存的性格と、この他民族べっ視の感情の因果的関係は理論的に説明することができる。依存的な性格の人は、自らが依存している権威との一体感を感じて閉じた論理構成を採用するから、その一体としての依存者と被依存(逆依存)者との閉じた関係(経済的、政治的、権威的なすべての関係)を大切にするあまり、その外側にあるところのその人が白人であれば、黒人と自分との間を断絶させるために、この場合は黒人べっ視論をとるのであり、もしその外側の世界がユダヤ人の社会であればユダヤ人べっ視論をとるのである。
もしその人が自由な独立人であり、依存していて閉じた理論のなかにひたっていないのであれば黒人であれ、ユダヤ人であれ、自分
P869
と同じ(内在的自由をもった)平等な人間としてとり扱い、尊重し、配慮する能力をもっていると容易に想像できるのである。
イデオロギー的に考えてみても、平等な配慮と尊重を、あたかもロールズのいう平等な自由を主張するような形で、主張する人は、自由で独立な人であろうから、ドゥウォーキンの理論もその裏のイデオロギーや、理論の前提をみてみれば、独立な、また自由なイデオロギーや、独立な、また自由なパーソナリティーをもっている人々であることが推論できるのである。このことはロールズの平等な自由の平等と、ドゥウォーキンのいう平等な配慮と尊重における平等が、ほとんど同じ意味であることを前提とした期待的理論ではある。
P870
黒人や、ユダヤ人をべっ視しないためには、社会的には、自らが父母や兄弟姉妹やらから大いに愛情を受けて育っていることが大切である。そのような人々はフロムのいう全体的で統合的なパーソナリティーを持つことができるのであるが、そのような愛情を受けないで育ったヒットラーやフロイトのような家庭環境で育った人々は黒人や、ユダヤ人をべっ視する性格を育てていくようである。
P871
博愛は愛と同じか。
博愛は愛とはどのように相違するのか。黒人やユダヤ人をべっ視しないで自分と同じような人として愛する、博愛するということは自由で独立な人として、同じ内在的自由をもっている人として、平等に配慮し尊重することではなかろうか。また平等な自由をもっている人であるとして、人間の本質である内在的自由をもった人であると考えることではなかろうか。そうであるとしれば、愛や博愛は自由、平等と深く関係をもっていることになる。白人で黒人と結婚した人は黒人である相手の配偶者を深く愛するであろう。その愛は博愛よりも深い愛であり、本当の愛であろう。そこには同じ内在的自由を持った人間への愛があろう。そこには社会的な障害は排したすべての愛が存在する。今の白人の人々にそのような愛、博愛よりも深い愛があるとはほとんど感じられない。そこにフランタニティ|
P872
ということばと、愛ということばの差異を発見するのは私だけであろうか。
P873
愛すれども、社会的なことを考えて結婚を反対されて、結婚する自由がないという表現を妥当と考える人がいたとするならば、愛する人の社会的なものを外した内在的自由の平等性を考えて、本当の愛を考えてみなさいということをいいたいために、「愛しているけれども結婚自由がない」というような自由の使い方を肯定する人々に、本当の愛について語りたいために自由と言う言葉の例示として「愛する自由はないのか」という自由ということばの使用のしかたを分析的に考えてみなさいと述べたのである。
P874
博愛論、愛情論の諸問題
温情的干渉は愛情か、博愛か。依存と被依存とは博愛のしるしか、愛情か。思いやりか。思いやりのある社会、依存できる社会は博愛に満ちた社会であろうか。父権的温情干渉博愛や、愛情によってなされるのであるか。母権的温情的干渉の方が、温かく愛情が豊かなのか、父権的温情的干渉の方が、温かく愛情が豊なのか。甘えや、依存は父権社会における甘えと、母権社会における甘えとが相違した形をとるのは愛情や博愛の形が違うのであろうか。甘えさせるのと、依存させるのでは愛情と博愛の面からみれば、どのように違うのであろうか。「愛は惜しみなく奪う」のか。奪い合う愛や、奪い合う博愛があるのだろうか。自由を奪い合う依存や、甘えの場合の博愛や、愛は、博愛や、愛情とはよべても本当に博愛や、愛とよべるのであろうか。独立した人々の間には博愛や、愛の感情
P875
はないのであろうか。独立した自由な人々の間にも博愛や、愛はあるのではなかろうか。依存した、依存的な人を遠くから離れて独立し、自由になるようにと祈りながら、温かくみつめてやっているだけの、あるいは、独立し、自由になるようにとしったげきれいするような冷たくつきはなしていると依存したり、甘えた人が主張するような博愛や愛がないだろうか。
このような多くの相対立する命題の真偽を判定するためには、人間関係、それも自由な人間同志の関係の分析に戻り、最初から理論を構築せねばならないと考えられる。
利他性のある社会的行動はどのようにして作られるのか、道徳感情のうちの愛情や、博愛の感情はどのようにして作られるのか。愛情を少なく与えられて育った人に本当に愛情は少なくなるのか、このような愛情、博愛の感情の生まれる(育つ)(家庭などの)環境はどのようなものであるのか。依存的な環境
P876
環境のなかでは本当の博愛や、愛情は育っていないのではないか。このような問題も深いものをもっているが、私はそれはこの自由論のなかでじゅうぶんに答を出しえたと思っている。それは欲望や欲求と自由の理論とオーバーラップしており、依存などのその他の自由論の章とオーバーラップしているといえる。
P877
博愛はロールズの第二原理のなかに存在するか。
ロールズの第二原理は博愛論を内包しているのではないかというロールズの主張は、あまり妥当であるとはいえない。博愛は第一原理のなかに含まれているべきであり、第二原理に含まれているのはしっとの感情をなくすための社会的装置が内包されているだけである。効利主義者ならば効利によるみえざる手が含まれているだけなのであるというであろう。というのは第二原理は博愛によってなされるのではない。人間関係のなかの博愛や、愛は自由で独立な平等な人々のなかに存在するのであって、依存や甘えのなかに博愛や愛の存在する余裕で少ない。あいは自由を惜しみなく奪うというのは、依存や甘えの人間関係なのであって、利他性や道徳感情は自由な人々の間にこそあるのである。
P878
義賊は最も大きな博愛を持っているか。全く持っていないか。
自分は義賊になりたいという感情と、博愛の感情はどれ程に共通性があるのだろうか。窃盗は社会を騒がせるであろう。そのために義賊はヒーローになるという心理と共通している。金持ちから財物を奪うという心理は、商業を批判したり、ユダヤ人を迫害したりする心理とも共通性を持っており、これまでのマスコミやロマンティシズムの中心的心情の根底にあったものだといってよい。そのドラマは多くの人によって観賞されてきたが、それは大きな社会的潮流となった場合には自由を殺す悲惨な結果を招いてきた。『レ・ミゼラブル』などの描写とは違って、その上におおいかぶせられる義賊の描写は人々を興奮させてきて、小説家や、政治家のよき題材となってきたし、現在でもマスコミの最も好む題材である。
P879
しっとする自由はある。
バーリンのいう積極的自由は乏しいものにたいして「富者にしっとしなさい」といって回る「しっとのほのおに燃える自由である。これは内在的自由であるバーリンのいう消極的自由論にたいして、しっとの自由のことをいっているにすぎない。
P880
ドゥウォーキンの自由論において欠けているものは何か。
干渉するべきではないという観点が、ドゥウォーキンの自由に関する論のなかには存在しているだろうか。ある人が干渉されたくないという意向をもつということについても、平等な配慮と尊重を行なっているとは考えられない。もし平等な配慮と尊重をする人程、干渉されたくないという意向が強いのだという命題が真実であったとするならば、これは平等な配慮と尊重の理論の最も大きな矛盾となる。
P881
効利と効用と見えざる手。最後の一ペンス。
効利主義における効利(utility)と、効用主義における効用(utility)の概念が見えざる手による平等化のための説明道具となりうることはありうるか。
金持ちの最後の一ペンスはほとんど効用をmoたないために、貧乏人の効用の多い最後の一ペンスのために金持ちによってムダ使いがなされるとすれば効用の概念によって社会の平等化が、イヤイヤながらの利他性の道徳の強制によらずとも、見えざる手によってなされうるという考えは、正当化されるであろうか。見えざる手によらず税という考え方によって公の平等化の機能としての政府によって、その同じ金持ちの最後の一ペンスが貧乏な人の最後の一ペンスのために、政府の観念によって再配分されることと、この見えざる手という考え方はどこが相違しているの
P882
であろうか。政府の平等化の機能という考え方はルソーにもみられるが、それを政府の理論としてみれば、効利主義者たちの最大多数の最大幸福という概念のなかに見いだされる。平等のために社会の最大幸福を得られない場合や、効率の原則に反する程度にでも平等な配慮と尊重の概念は政府や他の人が尊重しなければならないとするドゥウォーキンの理論は、この効利主義の原則よりも暴力革命を認容する共産主義の理論により近いといえるが、思想・表現の自由は絶対的なものとして認めているという点においては議会主義的であるといいうる。効利主義者の効利の概念は政府を指導する原理や主義としては、最初に述べた見えざる手による効用の概念に最も近いものであり、近代・現代経済学における税の理論に近いものであるといいうる。
つまり政府が金持ちの最後の一ペンスを、貧乏な人の最後の一ペンスにまわす理由が、「見えざる手による効用の再配分」と同じ理
P883
由付けがなされた上で、税の徴収が行なわれ、税の再配分が行なわれるのであれば、これは「見えざる手」の役割を政府が行なっているのだということになる。政府の役割としてそれを行なうのではなくて、人々の自由な心の動きとして平等化が行なわれることを期待する主義と、政府の役割としてそれを行なうべきだと考える主義とはどこが同じで、どこが違うのであろうか。政府が存在することと、平等化への教育や、教育が有効でなかった場合の再教育や、それでもという場合の強制性、政府支出が存在するかしないかという点に違いが存在することになる。
P884
金持ちの最後の一円を、貧乏人の最後の一円としてさし出すこと。
最も金持ちの最後の一円があまりにも効用のないものになっている場合、それを最も貧乏な人の最後の一円という最も効用の高いものとして差し出していけば、たしかに平等に近付きはする。しかしその方法が問題だ。利他性が強制を必要とするからといって暴力で行なうのか、グリーンのように教育による人格の成長を期待するのか。自発性にまかせるのか。更には自発性にまかせるのがある限度以上に不平等が拡大した場合にのみ、教育による方法、それでもさらに不平等が拡大した場合にのみ強制による方法を使い、それでも不平等が拡大した場合には暴力による方法を認めるのか。このいずれをとるにしても限度の認定が問題となるし、暴力や強制がそもそもよいことなのか、許されることなのかという問題がある。おそらく暴力は許されないということになろ
P885
と思われるが、それが義賊の心理として残っている場合の社会の不安定性について考えると、その社会不安は大きいであろう。依存的な人程、暴力はいけないといいながら、そこでたまったフラストレーションを最後には社会転ぷくという暴力による方法に、フラストレーションが大きければ大きい程、訴えるし、訴える主張をしがちである。
P886
規範意識の強さを他人に要求する利己性。心からの利他性は非常に難しい。
規範意識が強いという例として、「他人にたいしては平等になるまで義賊に請求されるまえに、自分の生活を削ってでも自分より貧しい人に恵んでやり、平等をはかる」という人は、利他性が強いということもできるが、規範性が「そのようなことはしない」人よりも規範意識が強いということができる。ところが義賊が「自分にたいしてそのようにしてくれ」と要求することは規範意識が強いこと、思いやりのある態度を相手に要求しているのではあるが、自分の利益(貧しい人が義賊である場合には平等化への利益)を増やすために要求しているのであって、自分の身を削ってでもそのようにしようという人の規範意識の強さとは全く逆の意識であることがありうる。自分の利益のために他の人々に「自分に恵んでくれ」と要求することは誰でもしようと思うことであるが、逆に自分の身を削って貧しい人々
P887
に恵んでやることは、自分が損をすることであるからなかなかできるものではない。心から自分が損をすることをする人を人口の何%くらいとみるかによって政治・経済のみかたは全く違ってくるであろう。そのような人は全くいないと考えるならば、見えざる手による平等化にまたねばならないことになるが、社会鍋のようなする人々が半分以上であると考えれば国家はそのようなことと同じ富の再配分のことは考えなくてよいことになる。この二つはリバタリアンが期待していることであろう。これにたいして教育によって利他性のある人々の数を増やしていくにしても、人々のなかにはそのような人は少ないであろうから国家が義賊となってそのような利他性(公、公共の利益のために所得の再配分をしなくてはならないという考え方は『新自由主義』、『自由放任の終えん』論などの主要な考え方である。
このどちらが正しいのか。
P888
第 章 平等な配慮と尊重が求められるような稀少資源に関する自由にもバーリンの消極的自由は必要である
平等な配慮と尊重や、平等を求めるリベラルがリベラルであるにもかかわらず、平等ではない活動の自由も、平等な活動の自由も共に認めないとするならば、片手落ちといわねばならない。表現の自由のみは絶対なものとして認めるが、健在的な稀少資源に関わる自由は平等が達成されるまで認めない、すべての稀少資源に関わる自由は相互にゼロ・サムであるから。平等が達成されるまでは一切認めないというのであれば、どのような経済活動(稀少資源に関する活動)もできないことになる。活動をするとはほとんど自由ということばでよんでよいものだからである。このことはバー燐のいう干渉されない自由が、ドゥウォーキンのいう平等な配慮と尊重を認めるにしても、絶対的に必要だ、経済的稀少資
P889
源に関してさえも、必要であることを示しており、ドゥウォーキンが平等な配慮と尊重を求められるような自由に関しては、自由の相互譲歩が必要であるのだから、干渉されないバーリンのいう消極的自由などは全く認められないという主張はある意味では現実的ではないということを示している。
ドゥウォーキンが自由の権利はないという時の自由の権利は、法学者のドゥウォーキンが自己決定の場ではない公的な場面においては他の争っている人々との間に対立があるのだから、双方の自由は平等な配慮と尊重によって制限されねばならないといっているのであって、バニラアイスクリームを自由に欲しいだけ食べる権利については譲歩すると述べているのである。しかし法哲学者であるドゥウォーキンが何が法かについて法実証主義をとらずにいる時には、英米法体系以外の日本におけるように近隣に非常に気がねをして生活している場合にも自由はあるのかどうかについては微妙な問題がおこる。
P890
第 章 唯物論と自由
バーリンが何百ドルの自由をもっているという表現は唯物論においてのみ通用する表現であると述べることは妥当であろうか。五千ドルの自転車を買うには五千ドルの貨幣をもっていなくてはならない。これは因果関係論的に五千ドルの貨幣があるから五千ドルの自動車が買えるということを意味しているのであって、五千ドルのケインズの意味での流動性である貨幣を持っていたからといってその自動車を買う必要はない。そこには因果関係はない。他のものも買うことができる。ところがその自動車を買うためには五千ドルの貨幣がない場合には買うことはできないのであるから、これは必要か、十分かの条件の問題なのであって唯物論の問題ではないと考えることができる。唯物論はすべての行動が経済によって決まっているといっているのみなのであって、条件の問題なのではない。
P891
自由の一構成要件としての資源の平等を考えることは、干渉されない一般的自由を認めていることになる。
自由と平等から博愛に致るという考え方のなかで、平等な資源を自由の一構成要素である資源についてのみの平等に限って使用する政治的概念である平等の使い方は、平等を自由のなかに求めていて、あくまでも人間の本質である自由を残しておこうとしているのであるから、バーリンの干渉されない消極的自由の概念と相通ずるものがある。この考え方はドゥウォーキンの考え方である一般的な干渉されない消極的自由はないという考え方に対抗して、干渉されない消極的自由を一般的に認める考え方となりうる。
P892
自由と平等の概念と量と質
差別からの自由や、平等でない状態からの自由や、均等でないことから解放されることなどという考え方は、自由と平等が全く別の概念だと考えるバーリンの考え方と対立する概念である。それではなぜ平等な自由というような全く熱の概念が成立するのであろうか。自由は妨害がないことであると考えるならば差別は一つの妨害である。従って差別から解放されるという考え方は妥当である。また平等でない状態はその人の貧乏な状態にしているかもしれないので、その状態から解放されること、そして平等な状態になろうとすることは自由を求めているのかもしれない。しかし何の平等を求めているのかといえば、資源や空間が平等ではないから、資源や空間を平等にしようということしかいっていないという場合が考えられる。そうであるとすれば
P893
平等でない状態からの自由といういい方は、資源や空間を平等にしようといったほうがよいのかもしれない。
平等論者のドゥウォーキンは一方では、自由の制限は量やその影響力で計測することはできないと批判し、自由の概念は平等という政治的道徳によって正当化される場合は、自由は守らねばならないと『権利論』の第十二章で指摘する。そうであるとすれば、平等というものは量によって計測しているのであるから、それは質の同じものでなければ量を計測することはできなくなるということを考えなくてはならないと思われる。平等は自由よりも具体的なことを考えている。自由は平等な自由といわれることは、無(free)であるのだから問題外なのではなかろうか。平等な自由とは自由を量と考えて計測していることになるのではなかろうか。自由は無であるから、一人の人間には一つしかない平等な状態であるといえるかもしれない。しかし平等な自由
P894
という考え方はそのようなことをいっているのではない。平等な自由とは各人すべてが自由であるという点において平等だということを表現しているのだと思われる。
平等は計測できる量についての概念である。法の下の平等も、法の下ではA氏とB氏は平等で等しいものとして取り扱われるということを示している。自由は無であり、計測のできない、人間の本質である。消極的自由によって人間が、より自由に近くなることがあるかもしれないが、消極的自由そのものが人間の本質であるという考えをとることはできない。一方積極的自由によって平等でない状態からの自由を求めることが、ドゥウォーキンのいうようにそれのみが人間の本質だということもできない。それはプライバシーの権利と義務が表裏だという時、その含意がほぼバーリンのいう消極的自由について説明していることになっていることによっても分かる。ドゥウォーキンがその消極的自由について
P895
干渉する人は干渉される人を平等に尊重し、配慮しなければならない義務があるのだから干渉される人のプライバシーの権利を、干渉される人にも認めようというのに等しい。
逆に干渉される人も、干渉する人を、たとえその人が貧乏であれ、その人を平等に配慮し、尊敬してやろうという考え方を持っていなくてはプライバシーの権利は成立しないというのがドゥウォーキンの考え方なのではなかろうか。
P896
自由の平等性
「見えざる手」による平等化の原理は、共産主義化による平等化より現実的である。そしてそれは内在的自由の平等性、機会の平等性、能力の平等性、肉体の平等性などによって証明される。自由はもともと無であり、それを入れる容器のようなものであるか、いつでも入れたものを無に戻してもう一度作りなおせるという点において平等性を有する。
P897
内在的自由は、自由な状態のなかでは、自然に平等を目指せるのか。
積極国家における積極性の用語の使い方がバーリンのいう積極的自由ということばにおける積極性の使い方と同じであり、福祉政策的なものであるのにたいして、片や、フロムのいう積極的自由がバーリンのように統治者の積極性をあらわすものではなくて、個人個人が全体的で統合的であるための積極性であるという理由から、フロムのいう積極的自由が政治学のなかでとり上げられなくなったというのならば、それは本来てん倒といわねばならない。というのは、自由論において大切なのは、自由そのものなのであって、つまり、自由そのものの本質なのであって、それに冠している形容詞なのではない。自由に冠する形容詞はただ単に自由の性質について解釈し、説明しているにすぎないのである。どのような環境の下でどのような人が積極的であり、消極的であるべきなのかを論じ、それが政治とどのように
P898
関っているかについて研究するのが、政治と自由論である。
自由を制限し、妨害するものがないだけでは、法もなくなってしまったような状態では、ちょうどオオカミに育てられた内在的自由をもった人間であるかのように、どう動いていいのか、自分でどのような法を定立してよいかも分からないかもしれないし、多くの道があけられて待っているといっても、また多くのことをなす自由が待っているとはいってもどのようにしたらよいかわからないではないかというのがフロムの論点である。そのような自由の状態のみが必要であるのならば、なぜ、ワイマール憲法によって自由の状態を与えられたのに、人々はその自由から逃走し独裁者ヒットラーを求めたのかというわけである。
内在的自由を認めるのは、あるいは、統治が許すのは内在的自由が自己の幸福とかの価値を追求することができるからであるとこの
P899
ように論理付けると自由は、よい方向に向かう自由は善きものであるが、悪い方向へ向かう自由は悪しきものであるということになってしまう。これでは自由主義は成立しなくなる。そこで自由はその人にとっては善きものへと向かうのであるというように最初に定義づけ、それを生の本能の発現としてとらえるような考え方が発生することになるか、干渉されない自由そのものに自由の価値を認め、そのことにより「内在的自由」が存在することそのものが、自由の価値であるというバーリンのような考え方が生まれてくるのである。バー燐が考えた自由という観念の力や、ハイエクや、フリーオマンの自由の考え方もそこに端緒がある。そしてまたその自由が、人格を成長させ、他の人々との平等な配慮や尊重という考え方も生むであろうという楽観論のなかには、自由競争によれば各人の肉体的平等性や、内在的自由の平等性ゆえに見えざる手による平等化がおこるであろうと
P900
いう楽観的な競争の見方以外の、内在的自由が平等を人格の成長により認知することによる「見えざる手」による平等化の過程が想定されることも可能なわけである。アダム・スミスの見えざる手のなかには、楽観的な自由競争のみかたによるもののほかに、税などによる政府によりなされる平等化政策以外の、各人の「道徳感情」による平等化の過程の考え方も含まれていたと考えることができる。ただし、個人個人による「道徳感情」が国会の議決を経ていない場合には義賊の心理とならざるをえなくなる場合もあるし、金持ちの博愛や慈悲となる場合もあり、国会の議決を経ていなければ「悪人が得をする」というモラル・ハザードを生みやすいという欠点をもっているのではあるが、大金持ちが新聞とかによる一般的賞賛をえながら、その「道徳感情」を自分一人の博愛や、善の感情に移すことは大いにありうることである。
P901
自由と平等の質と量
あるものが平等であるかどうかは、質において同等なものが量において平等であるかどうかが吟味されなくてはならないのであって、質の違うものが平等であることはありえない。逆に自由というものは妨害がない状態で人間が様々な選択の自由をもつという人間の本質的な存在状態をいいあらわしているのであるから、自由は無という状態からどのような有の選択をなすのかということをさすのであるから、そこにおける平等は選択をなす行動の平等をさすのであって、自由そのものが平等ということはありえないと考えられる。従って平等な自由という考え方は、選択にあたっての資源とか、能力とか、機会とかの平等が必要なのであるから、自由という無そのものの平等という考え方は主張されることはありえないと考えられる。
P902
あることをなす自由が与えられており、あることをなす資源や、能力や、機会が存在する場合に、ある自由な選択をなすことができることが、自由の実行、自由の行動であるという表現をするとすれば、自由の実行には資源などが必要である。資源や、能力や、機会が平等に与えられていたとしても、ある選択をなせずに何もしないことも可能であるのだから、バーリンのいうとおりに自由は状態なのであって活動ではないという考え方にも一理あるといいうるのである。
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自由と平等の歴史的、時間的交替
今すべての人が自由に干渉されずに活動している社会を想定してみよう。しかし彼らも衝突してしまい、どちらが正しいかを裁判したり、平等になるような法規範を作ったと想定しよう。
逆にすべての人が平等に所有しており、すべての人が自由であるような社会を想定してみよう。その社会では自由を規制する法を作らないであろうか。平等のためにみなが行動をすれば、平等は崩れないのであろうか。自由に行動すれば平等は崩れるのであろうか。
この二つの状態が歴史においては繰り返し交替していると考えるのがよいという見解もありうる。自由が平等を崩すという考え方は古いのかもしれない。平等な資源は自由の要素と考えれば自由が残ったまま、平等が確保されうる可能性がある。
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人間性と自由、人間の政治道徳としての平等
干渉されない消極的自由をテーマとしたバーリンと、平等な配慮と尊敬をテーマとした学者ドゥウォーキンとはどちらがより人間的に生きられたであろうかと考える時、自由は人間の本質であり活き活きしたものであるが、平等もその自由が作り出した人間社会のなかでは欠くべからざるもの、ひきんな暗ゆを使えば自動車や机のような、生活必需品であることについてその両者の本質にたちかえって討議すべきものであることがわかる。平等は自由によって作られたもの、つまり、社会生活上の道具、先の自動車のようなもの、であることに気付く。しかし自由は生の本能以外の人間の本質そのものである。自由を説くには有賀弘氏のように思想史にたちかえったり、バーリンのように哲学や哲学史にたちかえる必要があるが、平等を説くにはドゥウォ
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ーキンのように今現在における憲法問題を考え込む必要がある。今現在における平等こそが問題なのであって、過去に問題となった平等の問題は現在では解かれてしまった問題かもしれない。人間は一度解いた問題は伝統として維持する性質をもつもので、それが社会科学なのであるからだ。しかし今現在の自由の獲得の問題があるように、平等も自由の獲得と共に論ぜられねばならない。
共産主義が自由の獲得を目指すことなく、平等の獲得にはしったからこそ失敗に終わったが、自由の獲得と共に平等という自動車のようなものの獲得が、自由を目指しながら、目指されればそれはきっとうまくいくかもしれないと私は思う。天安門事件は確かに歴史の汚点である。と同時に小林多喜二事件もまた歴史の汚点である。それは共に共産主義と自由、平等と自由、依存と自由という観点から考察されねばどうしても解決のできない問題である。
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ロールズは平等な自由という観点からそれを解こうとしたし、ノージックは現代版自由放任を主張し、見えざる手による平等化によってこの問題を解こうとした。
自由尊重主義の伝統(今や伝統となった観がある)はアメリカの共和党や、イギリスの保守党の政策のなかにとりいれられ、日本にも一部浸透をはじめた。一方ではロールズやドゥウォーキンの政治的主張はイギリスの労働党や、アメリカの民主党のなかに政策や思想的バックボーンとしてとりいれられつつある。またイギリスにおいてはミルや、バーリンの消極的自由論は伝統として、また、哲学的主流として脈々と受け継がれている。政治哲学上の論点としての積極的自由と消極的自由という観点は、フロムらの社会心理学的自由とともに政治学における自由論の最も大きな論点である。
Bーリンの消極的自由については、ロールズも、ドゥウォーキンも論ずるし、マッカラ
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ムも論じている。社会心理学的な要素について論ずる者もいる。それは高い、低いという自我がどのようにして生じてくるかという社会心理の分析となって将来結実するかもしれない。学問の夢のような結実への期待である。私は依存的性格というものがその原因であると考えてはいるが、証明は難しいディシプリン(学問的記述)である。現実に依存している自我が主権をとるには「高い、真の」時がを主張するしか方法はないという観点からの分析であり、それが閉じた哲学を形成するという考えである。これから証明されねばならないと考えている。
現代社会における自由、思想史における自由、哲学史における自由はそれぞれ現在の人間社会と歴史上の人間社会との関わりでとらえられ幅の広い問題となる。しかし東西冷戦後の現代社会の自由はそれらをふまえながら範囲を限定して論ずることが可能である。東西冷戦の集結はマキャベリーがイタリアの統
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一という狭い範囲の統一を願った時とは違い、地球という人間が住む唯一のわく星の全体を統一したかのような状況を生む。このことは世界史的にも非常に重要な画期的な出来事であったと考えられ、それまでどちらかの陣営に依存してすごしてきた人々にとっては、驚天動地のできごとであったと考えられる。そのことは依存と自由、自由の本質について考えなおす一つの時代がやってきたことをあらわしているのかもしれない。
自由の問題は政治や、法や、経済や、社会のことを考える出発点となりうる。特に政治の問題は自由の問題と切り離して考えることはできない。政治はある意味では自由を妨害するものからの解放であるともいえるからである。
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赤ん坊の内在的自由と平等への道徳的、利他的感情
赤ん坊は三才までは、内在的自由をもつから、北極につれていって生活をさせれば北極に適応し、熱帯につれていって生活をさせれば熱帯に適応する。社会的にも日本で育てば日本人になるし、ソ連で育てばソビィエト人になる。別の共同社会で育てばその社会の成員となる。その社会が固定的な社会ではない、自由な社会であればなおさらである。
一方十八才をこしてから、どの宗教が自分に適しているか、宗教はいらないと考えるかとか、どの思想が現実に最もよく合致しているかとか、自由な選択が可能になるのも内在的自由があるからである。それを悟性とか理性とよんでいるが、絶対理性の考え方は本能論により近く、相対理性論は自由論により近いと考えられる。これは決定論と、自由意思論といいかえてよいかもしれない。これは古くから対立している問題である。理性の力については合理性との関連で問
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題が多いので、これは客観的理性と、主観的理性との対立として後に考察するが、この問題は内在的自由のなかにア・プリオリな合理的理論体系が組み込まれているのかどうかという問題となる。人格の成長がすでに利他的な理論と、利他的な平等化への理論として人間の内在的自由のなかに組み込まれていると考えるよりも、自由な社会のなかでプログラムされていくのだと考える方が妥当性であろう。なぜなら人格の成長ではなくて、利己的な自由な活動が平等なみえざる結果を生むというように考えることも、人間はできるのであるからだ。
理性論については別に大きく章を設けなくてはならないと考えられるのでその項に譲るが、人間の内在的自由のプログラム化は、当然に理性的に、合理的に行なわれるであろうということはこの論文自体がそのように考えて、そのプログラム化のためにその序章とし
P911
て欠かれていることによっても、推察がつくと読んでいる人は理解できるであろう。それが人間の理性である。それこそ内在的自由のプログラム化である。
P912
自由な人間にとって平等は時間的な継起のなかでおこるのか、資源の平等として自由のなかでおこるのか
人間が行なうであろう様々な選択、光のくる方向に進むのか、光をさけて洞くつに住むのか、光のあたる場所に進むのか、光のくる方向と反対の方向に進むのかについて各人の決定に政府がまかせるということ、それが自由であるならば、そこには、楽一楽座の日本の歴史にあるような自由社会の理想がみえてくるかもしれない。
しかし自由のあとには平等の要求や、紛争の発生がみられる。そこではまた政府の社会的規制が必要となる。
自由のみを絶対化することもできないし、社会的なことにおいて平等のみを絶対視して自由をないがしろにすることもできない。自由と平等が時間的な継起のなかでおこるのか、あるいは、平等は自由の一要素であると考えて、自由のなかに平等を求めるべきなのか
P913
そこには自由と平等に関する政治哲学的な問題があり、古来多くの人間がそのことについて考えてきた。
P914
自由論・平等論の浩造と、政治哲学・政治学原理
ホームレスをどうとり扱うか、マフィアをどうとり扱うかなどについて、様々な政治理論は自由論と平等論の特殊な携帯をもっている。その類型は、安全を重視するベイの類型、不干渉を重視するドゥウォーキンの類型、不干渉を重視するバーリンの類型等々に分類できる。ある人が自分は自由であると考える時の自由の意味の多様さと同じくらい多い自由論の類型に分類できる。ミルの自由な性格論、ノージックの最小国家論、ロールズの平等な自由論、共産主義の完全な自由論、自由な教育論など数えあげればきりがない。それらをいくつかの類型に分類することにいか程の意味があるであろうか。自由は無であり、それから生ずる有をいくら分類しても無限大にあるとしかいいようがない。それよりも自由が無であるという点に注目する必要がある。
P915
どのような携帯の自由論も、もう一度考えなおせば無である自由に戻ることができる。そうなると自由論の類型はすべて連絡しあっていることになり、その連絡している点、どのように連結し関連しあっているのかを指摘しあうことが大切なのである。自由というものが本質ではあるが、干渉されない自由にしてもそこからどこへいくのかが大切となり、そこには『自由からの逃走』におけるフロムの積極的自由論があるのであって、また、そこにグリーンの人格の成長の理論や、ドゥウォーキンの平等な配慮と尊重の理論があるかもしれないし、バーリンのいう消極的自由論に戻らなくてはならない可能性もある。それらの自由論は、自由であることによって、オールターナティブなものであり、どれか一つに固執するのはそれこそ自由ではない。人間は状況や環境に応じてどのような自由論をとるべきか常に変化すべきものである。それが自由意志が存在していることのあかしでもあ
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る。ドゥウォーキンがあらゆる政治理論には権利と義務の体系が含まれており、それはそれぞれの政治理論に特殊的であるという時、それらの政治理論に各人が固執しているのではなくて、どこをどう変えれば、相互に自由に動くことができるのか、現実にはどの自由論が合致しているのか、それはどのような理由によるのかの方が大切なのである。
ベイが安全を中心にして自由論を厚生しようとする時、あるいは、ある人が依存を中心に自由論を構成しようとする時、そこには相互依存社会や、兄弟姉妹の相互依存の関係や、人が互いにオオカミである社会や、人が互いに幸福にすごしている社会やらの様々なイメージがあるかもしれない。ベイは安全な社会と、安全ではない社会という概念が政治や社会における自由の概念の中心的な関心であると考えて、安全をもって自由論のカギ概念と考えたのである。一方依存か、独立かがカギ概念であるという考え方があるだろうし、
P917
あるいは、バーリンのように強制(強迫)服従か、あるいは、干渉か不干渉かが自由のキイ概念であると考えることもできるのである。フロムのいうように、積極的な自由により統合的なパーソナリティができているかどうかがキイ概念であると考えてもよいのである。しかしそれらが相互に、自由という無の状態に戻ってみれば、無という同じものから出発しており、関連しあっているということの方が大切なのである。自由な表現によって無に戻ってみれば、人間の自由が存在し、そこでは自由論は対立的なものではなくて、ただ自由に対立点が干渉できるのだという点に最も重点がおかれるべきなのである。それこそ自由論の出発点であるべきで、その根本の人間の自由という点においてはすべて平等だ、これが法の下の平等の出発点になりうるのであり、そこに肉体の平等をいうのではなくて、人間の自由という無の状態が平等であるということを考えに入れなくてはならない。
P918
大きさなどにおいて人間の肉体は平等ではないかもしれないが、人間の自由はすべての人に平等に存在している。
仮定的な試行においてジョン・ロールズがこの無である人間の自由が平等であるという意味で、平等な自由と述べたとは考えることはできないが、ほぼそれに似た意味であったとすればこの平等な自由の概念はそれを究極的にまで推し進めたものである。そこからリベラリズムがでてくるのか、リバタリアニズムがでてくるのか、ドゥウォーキンのいう平等論がでてくるのか、あるいは、信教の自由や、学問の自由や、思想・表現・言論の自由がでてくるのかは不明であるが、それらの根底には人間の自由が存在しているといえることだけは確かなことである。そこに社会が生じ、あらゆる自由も生じてくるのである。こう考えると、リベラリズムもその反対極のリバタリアニズムも自由は人間の社会に関するものであるから人間の自由が重要なのであって、人間の自由という一
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点においてそれらはすべて関連をもっているといえるのである。
ホームレスに対してはホームレスであることは自由であるという人間の自由と考えるのか、ホームレスにした社会・経済制度が悪いのだから完全に救済すべきだと考えるのか、人間(日本人)として憲法の範囲内での救済はするが、他は何をしてもよいと考えるのか。それらはすべて人間の自由にたち返って結論を各人についてだしていくべきであろう。
一方マフィアをどうとり扱うか、安全を最優先するか、干渉されない自由を優先するか、マフィア文化も一つの自由な文化だとするのか、安全でない自由は自由とはいえないとするのか、それらの考え方も相互に関連しあっていて、それらの違いを自由にたちかえって最初から整理して、自由な討議を行なうことが自由論の最後の課題であるといえる。
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私は自由な存在である。そしてあなたも、あなた方も自由な存在である。しかし相互に生活しているのであるから、対立する場合には相互に自由を制限しよう。そして、これが自由な社会であるとしても、全体がある規範を法として認めるならばその外的選好にたいしては、自分が同じ選好の場合は必ず当然に従います。もし私が外的選好と、私自身の選好とが創意する場合であっても、法が自分を他人と、平等に扱ってくれている限りは従いましょうそれ以外は従いません。こういうのとバーリンのいう消極的自由とはどこが違うのであろうか。バーリンのいう消極的自由も、自分の自由には干渉しないでくれ、自分の干渉されない範囲のなかでのみ、自分には人間本来の自由を発揮できる場があるのだ。その発揮できる場さえ整えておいてくれれば、私は自由であり、あなたも自由である。しかし相互に自由を制限しあいましょう。私が外に向かってする自由な活動があなたに干渉している
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ことになる場合にはというのである。ところが、全体主義的な社会であり、自由な社会(今述べたような)ではない場合には、支配者のみは莫大な自由をもっているのに国民である我々にはほとんど自由がなく、干渉され妨害され、教養されているのではないですか。存在に強制し服従を強要しないでくれ、あなたの自由は積極的自由であり、私はそれにたいして消極的自由という干渉されない自由を主張するというものである。
このバーリンとドゥウォーキンの二つの理論は消極的自由をいつもってくるのか、先にもってくるのか、最後にもってくるのかという違いなのである。ドゥウォーキンは平等な配慮と尊重をしたあとであれば、バーリンの消極的自由を認めていいのではないかといっていると私は解釈すべきだと考える。逆にバーリンは干渉されない消極的自由が先に確保されているのでなければ、平等な配慮と尊重のような概念は全く役にたたず、平等が自由を殺すことになってしまうのではないかといっていると解釈できる。そう解釈しないとバーリンの自由論のところどころにでてくる各人の自由を制限してよい場合があるという部分について理解することができなくなる。以上の二つの解釈は私のみの解釈であり、バーリンの理論とドゥウォーキンの理論があまりにかけ離れているように一見みえるので、それをつなぐかけ橋として先か、後かということによって説明をつけようとするものである。論文においては先にパラグラフをもってくるか、あとでもってくるか大きな違いを生むが、実際の現実の政治においてはどちらが先におこって、どちらが後におこったのかは不分明であることが多い。結果として干渉されない消極的自由も確保され、平等な配慮と尊重された結果があればよいのである。干渉されない自由が存在しなければ自由は存在しないというのがバーリン理論の出発点であるとすれば、その自由を全く消し去ったあとでの平等な配慮と尊重はソ連のような現実を生むというのが、平等が自由を殺すと言う対立的な考え方である。このような考え方をバーリンがとってしまっているとは考え難い。バーリンと同様に、ドゥウォーキンもプライバシーの権利を認めるであろう。権利論の著者としてそのような権利はないとはいっていない。この権利は干渉されない自由については認めているのである。ドゥウォーキン自身は干渉されないという一般的な自由は身お目先には認めないといっているのであって、平等の権利を認めたあとでは認めるといっていると考える方が正しいのではなかろうか。
P924
第 章 自由か平等か||政治哲学上の問題と、現実政策上の問題
ある一つの政府による規制がなくなることは自由が増大したことになる。しかしそのことでその自由の分野には多くの人が経済的な活動によってはいりこむことになる。そして安定した時には不平等が発生している可能性がある。そしてその後で平等化への政策が行なわれる。
アメリカにおける規制緩和は航空会社の数を大幅に減少させたが、そのあとには多くの失業者が発生したり転職を余儀なくされた者たちが生まれた。このことを批判した左翼系の多くの雉があらわれたし、そのことがクリントン政権や、ブレア政権の誕生につながった。自由化と平等化とは調和させるべきものであると同時、このように時間的な継起の問題でもある。現実的な政策の問題として現実の不平等の認識と、それに対応した適切な政策の問題でもあるし、それと同時に政治哲学上の問題でもある。自由とは何か、平等とは何かが政治哲学、政治原理として追求されねばならないのと同時に、その原理のうえにのっとって政策が立案されねばならない問題でもある。イギリスのサッチャー政権の人頭税は自由化を求めたものであったがそのあとには平等化を求めるブレア政権が誕生した。アメリカにおける規制緩和による自由化のあとにはクリントン政権の平等化政策が選択されたのである。
平等が構成要素である資源についてだけあてはまるものであり、自由という無であるものそのものにあてはまらないという論理や、ロールズの無知のヴェールのもとで選択される正義の原理は平等な自由の権利を認めることによるのだという論理もすべて、自由と平等に関する哲学的、原理的な論理である。ドゥウォーキンの平等な配慮と尊敬の概念も自己と同時に他人の資源や機会のことも考慮した上で、平等になるように他人に譲歩しなければならない、従ってすべてにおいて干渉されない自由など存在しないのだという哲学や原理的問題の分析なのである。平等という概念は自分と他人は平等であるべきだという点では他人に干渉していることになるが、自由のなかでこそ考察されるべきなのである。この自由は内在的自由のことであり、干渉されない消極的自由のことではない。したがって内在的自由として自由をとらえるならば、資源や機会の平等化の問題は自由の一構成要素にしかすぎないものとする。
P927
税法による平等化と、義賊の心理の法規化
税法の概念のなかには、平等という概念が含まれている。「居住用の資源」という概念は一人の人がもっている二百平方メートル以上の土地には課税するとか、別荘地には課税するとかいうような考え方である。また相続にあたってあまりも多くの資産を相続するという考え方や、働かないことを防ぐという考え方や、不労所得を少なくするという考え方のなかにも平等という考え方がふくまれている。あまりにも多い一人の人の土地は他の人の土地を少なくするし、農地法の考え方のなかにあったが不在地主や、使用人の数を多くしてしまうという考え方である。しかしこのような平等の考え方は各人の自由を増やすという考え方でもある。使用人や、小作人は依存の状態にあるし、自由ではないから、平等によりそのような人の自由を確保しようという考え方である。この考え方は逆に私有財産を各人に平等に分けようという考え方でもあり、平等は自由
P928
や私的所有とは矛盾していないのである。
税法における平等も自由を中心にして概念構成されるべきであると考えられる。
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平等化したあとの干渉されない消極的自由
税法の「居住用の資産」という考え方は、干渉されない自由の範囲をも規定しているものである。「居住用の資産」は平等や、生の本能を規定した最小限のものであるからこそ、それを売却し新しい「居住用の資産」を得るのは無税である。
P930
思想の自由と表現の自由
表現・思想の自由は、それがあらゆる行動の自由に致る理論的・合理的理由付けとなるからこそ、最も基本的な自由となるのである。人間は自由に思考を行なう存在である。デカルトのいう考える葦である。弱い、葦ではあるが考えるゆえに人間として生きているのである。思考を表現したり、思想したりする自由はそれによって人間が人間として活動したり、思考したりすることができるようになるという意味で人間の最も重要な自由となる。しかし非合理的なウソをいう自由はあるのだろうか。弁護士はそのウソをいう自由され認められているといわれている。そのウソは仮説でもあり、真実を目指すために反証や、反税をやっていないという権利であり、自白はしなくていいという権利であり、自白を強要されない権利である。思想の自由や表現の自由は完全な形で認められるべきであるということの
P931
意味は、自由な思想や思考が人間の自由を与えていて、それなくしては自由な行動はありえないということのほかに、自由な思想や、自由な思考は討論や討議を重視する政治社会の最も重要な基本的人権と考えられるるからでもある。それは政治的自由の一要素となっている。
不寛容な思想や、不寛容な表現をどのようにとり扱うのか、マスコミの第四権力に対して本当に個人の表現の自由や、思想の自由が守られているのかという問題などがいまだに解決されてはいない自由論の課題ではあるが、そのような自由論の進展も思想・表現の自由にまたざるをえない点が存在し、これが基本的な出発点となるのは人間が考える自由な葦であるというのとよく似ている。
P932
裁判におけるバーリンのいう消極的自由の権利と、平等。
書物が回収されたり、炎書にされたりした場合には、その回収行為が憲法に合致せず向こうであるべきだという提訴が、裁判所に対してなされるであろう。原告である個人は書物の回収行使は憲法違反と述べるが、被告である国は様々な理由とつけてそれを正当であるといいはるであろう。しかし裁判所は憲法判断を避けて結局は書物の回収を有効とすると考えよう。これはこの書物がバーリンのいう消極的自由を主張する場合にそれが社会の集団主義的傾向と合致せずにこのような結果となったのだと考えられる。一般には集団主義的ではない社会は、集団主義を主張する書物であっても、書物である限り危険ではないから、書物を回収したりすることはないと考えられるからである。
このような現実的ケースではどのようにし
P933
て書物の回収というような行為をやめさせるのかということが鍵となる。そこにおいてバーリンの干渉されない消極的自由の原理が生きてくることになるのであるが、その理論づけは現実のこのような裁判のケースに実際適用できるところまでは理論的に・化してはいない。社会的自由権として裁判所が認めてくれるようになるまでにはまだまだの感がある。裁判所はほとんどのケースにおいて憲法判断を回避しがちであるからだ。
書物の回収が認められるのはそれが公益のためというのでもなく、また、それが憲法に合致しているからというのでもない。「高い」し、「真の」時がが公益と偽善されているからでもなく、ただ、すでにおこったことは仕方がないという理由からである。現実には自由の権利はこの程度のものであるかもしれないが、そして裁判においてはドゥウォーキンのいう平等な尊重と配慮の方が有効な力をもちうるかもしれないし、今後もそうであるかも
P934
しれないが、東西冷戦後の今後の世界においてもバーリンのいう干渉されない消極的自由は、人間の本性としての自由のあり方に関係しているところの人間の本性であると考えねばならないと考えられる。人間の本性のあり方としての平等も、人間の自由な思考による平等の概念の確とくの方向に目を向けるべきであろう。人間の本性と、そこからくる社会的な人間のあり方こそ政治の本来のあり方を決めるのだと考えるものである。
P935
ロールズの正義論における「自由な概念」の章について
「自由を一般的な描写すると次のようになる。この人やこの人々はあることをすること(あるいはしないこと)について、ある制約や(いくつかの制約)から自由である(あるいは自由ではない)。」つまり、「自由である主体、その主体があるものから自由であるというときの制約や制限、あることをすることあるいはしないことが自由であるというときのその動作、この三つの項目について自由論は記述しており、完全な自由論はこの三つの項目を現実的に記述している。」とジョン・ロールズはその『正義論』のなかで、G・C・マッカラムの一九六七年にかかれた「消極的自由と積極的自由」の論文を参照しながら自由の概念について要約している。この記述の前半はそのまま『オックスフォード・コンサ
P936
イス・政治学辞典』のなかに飲用されている。ロールズは更に続けて「ある一群の人々の自由が他の一群の人々の自由よりもより大きい時には自由が平等であるとはいえない」のだから「平等な市民(citizenship) のすべての個別的自由の全体は社会の各人各人にとって同じでなくてはならない」と述べるのである。この議論がロールズの正義の二原則の第一原理の自由の議論へとつながることになる。ロールズ本人も「自由の概念の以上の説明は抽象的なものでおわってしまうのは残念なことだ。」とのべて、正義論の第三二章「自由の概念」は短かく終わってしまう。
P937
自由のために平等を使うということと、平等のために自由を殺さないことは同じだ。
ロールズが、自由のために(第一原理のために)、第二原理の平等の概念を使うという考え方は、ハイエクのいう「平等のために自由を殺す」という概念を防止するためには有効な考え方であるといいうる。ロールズがそのように考えた目的が平等のために自由を殺すことを防ぐことを目的としていたかどうかは別として、平等のために自由を殺さないという結果になったことはたしかなことである。自由を殺さない方法はほかにもあるかもしれないがロールズのこの方法はどのような点に特徴があるのだろうか。
P938
ロールズにおける平等な自由と、公平としての正義
ロールズの主張する正義の二原理並びにその二つの原理の間の優先ルールは次のとおりである。不平等に関する部分は意訳である。本文は別に示す。
「第一原理
すべての人間はもろもろの平等な基本的自由が最も広く存在する全体的な社会制度を求める平等な権利をもっているべきである。それであれば、すべての他の人々にとっての同様の社会制度と相容れるからである。
第二原理
(a)正しい貯蓄の原理と矛盾することのないように、最も不利な立場にある人々に最大限に利益を与えるように、〔相違の原則〕並びに
(b)機会の平等性を公正に保つためであるという条件を満たすため、すべての人に職務や地位が公開されるようにする目的のために、〔公正な機会の原則〕
P939
社会的な不平等や、経済的不平等にたいして人間は手段を講じなければならない。
第一の優先性のルール(自由の優位)
この正義の二原則は、第一の次に、第二の原理という順序で順番づけられるのであるから、それゆえに、自由が制限されうるのは、自由のためだけなのである。(a)すべての人によって共有されている自由の全体的社会制度を、あまり広い範囲に存在していない自由が強化するようにならねばならない場合と、(b)平等な自由よりも小さい自由をもつ人は、自分より小さい自由をもつ人々を受け入れなくてはならない場合との二つの場合が存在することになる。
第二原理の優先性のルール(効率性と福祉に正義が優先するべきこと)
正義の第二原理は、効率性の原理や、利
P940
益の合計を最大化するべきだという原則に、順序的に順番に前に優先されるべきである。
また、公正な機会の原則は相違の原則に優先する。
(a)あまり機会的に恵まれていない人々の機会を増大させるために、機会の不平等化が使用される場合と、
(b)貯蓄の少なさのハンディキャップの重荷に耐えている人々の苦しみを減少させ、バランスをとるために、貯蓄の割合を多くさせるということを使用する場合と、
の二つが存在する。」 」
「一般的概念
自由と機会、所得と富、また、自己の尊
P941
厳のいろいろな基礎||基礎的なすべての社会的な善は、すべての善あるいはいくつかの善を不平等に配分することが最も不利な状況になる人々の利益となる場合を除けば、平等に配分されるべきである。」
(John Rauls, A Theory of Justice, Harvard Uninersity Press, 1971. pp.302〜303)
P942
ロールズの第二原理の別の訳(2)(物主構文の主語を、受身型から能動形になおした訳)
ロールズの第二原理では(a)最も恵まれない人々(the least advantaged)が最も有利となる(the greatest benefit)ように社会的不平等も経済的不平等にたいして、人間は手段を講じ(手はずを整え)なくてはならない。また、それとともに(b)職務や地位をすべての人に公開し、すべての人を、機会を公平に平等にするという条件を満たすように、参加させるように、社会的不平等や、経済的不平等に人間は手段を講じ(手はずを整え)なくてはならない。
P943
ロールズの正義の第二原理の訳(3)
第二原理
(a)正義の貯蓄の原則に矛盾してはならないが、最も恵まれない人々(the least advantaged)が最も大きな利益(the greatest benefit)をえるように、社会的不平等と経済的不平等にたいして、人間は手段を講じなくてはならない、また、それとともに、(b)機会を公平に平等に与えるという原則を満たすために、すべての人に職務と地位を公開にし、すべての人を職務と地位に参加させるように、社会的不平等と、経済的不平等とにたいして、人間は手段を講じなければならない。
P944
ロールズの正義の二原理はその順番に
(in lexical order)正義は実行されねばならない。まずは法的に平等に自由が確保されているような社会制度が作られねばならないし、(第一原理)、次にすべての人が職務が公開され、地位が公開にされ公正に機会が平等化されねばならない(第二原理のb)、そしてそれによって格差の相違が発生した場合には最も不利な立場となった人々に最大限に利益を与えるように、社会的に不平等な取り扱いをしたり、経済的に不平等な取り扱いをしてやる(arrange)べきである(第二原理のa)。第一の優先性の原則においては、自由が制限されるのは自由のためだけである。よって(a)最も不利な立場となった人々を最大限に利益を与えることによって自由な社会制度を更に強化できるようになる場合と(b)自由が少ない人々を平等な自由は受け入れてやらねばなら
P945
ない場合とがある。
第二の優先性のルールによれば、効率性や利益の合計を最大化の原理とは反対に、第二の原理によって弱者を救済したり、黒人などの差別されている人々などに優先性を与え、不平等に取り扱い優遇することは、効率性や利益の合計を最大化することに反するのではあるが、それに優先して第二の原理は適用されるべきであり、その後に(lexically prior to)効率性や、利益の合計を最大化するという原則が適用されるべきだというのである。「公正な機会の原則は、相違の原則に優先する」のは先に述べたとおりである。
第二の優先性のルールの(a)と(b) 例示に近いものであり、第二原理のbによって機会に恵まれていない人が、例えば黒人にたいする優先的な機会の配分によって、機会を得る場合(a)と、配分的正義によって貯蓄(富と同義か)を増やす場合(b)とがありうるということを例示している。
P946
そして一般概念としては、自由も、機会も、所得も、富も、自己の尊厳のための様々な善もすべて平等に配分(distributed equally)されるべきではあるが、最も恵まれない人々に利益になる。(the advantage of least fasored)場合にのみは、差別的にとりあつかってよいというものであり、この一般的概念を順序として説明し、第一原理のあとに、第二原理の(b)、そのあとに第二原理(a)がくるべきであるとして、その順番を示したものが、第一と第二という順番である。
このロールズの正義の第一と第二の原理は自由社会のなかにおける平等について述べたものである。自由は自由のためにのみ制約されるとか、最も恵まれない人々を不平等に取り扱うのは自由な社会制度、つまり平等な自由の存在する社会制度を維持するためなのだという論理は、自由社会を守るために平等という概念をどうとらえるのかについて非常に苦心したあとがみられるといえる。彼の平等
P947
は、黒人を優遇することによって平等化できるような機会と貯蓄(富)の平等に限られており、人間の本質的な平等については「平等な自由」ということばによって表現されており、それは人間の本質的自由の平等性について述べているのだと考えられる。従ってロールズにおいては平等な自由という時の平等と、 社会的不平等と経済的不平等(socical economic inegualities)という時の平等とはその平等の概念内容と異にしているのである。社会的不平等は職務や地位(offices and postitions)についての機会の公平な平等(fair eguality of oppotunity)についての不平等について述べており、経済的不平等は最も恵まれない人々の利益(benefit of the least advantaged)という場合のように利益(benefit)や、有利性(advantage)について述べている。
自由な社会制度を維持しながらも、平等を保つためには、第二原理が必要であるとし、
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かつまた、効率性の原則や、利益を最大化すべきだという原則を、活かすためには第二の優先性のルールが、優先される順番のルールとして必要だとしたのである。従ってロールズの理論は効率性の原則や、利益最大化の原則を完全に否定することなく、それを順序の問題としたところに最大の特徴があったといえるのである。
例えば、アファーヌティブ・アクションや、累進税などはより富める者をより不平等にとり扱うものである。これを認めることの前に優先される順番として平等な自由が認められている社会制度が、第一原理として要求されたのである。社会制度の第一原理として、もし第二原理をもってくれば、最初から自由が平等化のために殺されてしまう社会ができあがるかもしれない。ねたみや、富のある者にたいする反感のみが支配する社会となるかもしれない。
P949
ロールズの第二原理について
ロールズの第二原理では、まだドゥウォーキンのいう経済的差別については論じてはいないが、ほぼ同じようなことについて述べている。
(a)では、最も恵まれない人程、それだけ多く利益を得られるようにという反比例の原理を強調しているが、(b)では機会が平等になるように職務や地位が公開され、社会的不平等や経済的不平等にもかかわらず平等に参加させることを求めている。職務や地位につけない恵まれない人人々、社会的、経済的に恵まれない人々にたいして公平に平等に職務や地位につけるように手段を講じて、機会の平等性を正義の第二原理としたものである。当然に最も恵まれない人は最も手段を講じられなくてはならない人々であり、反比例の原理が存在することを前提としている。
P950
ロールズの第二原理は自由を制約していることにはならないのか
ロールズが第二原理とするものによって平等によって自由の制約はおこなわれているのではあるが、自由な社会は守られている。もし社会的不平等や、経済的不平等が自分の力によって是正されるように努力されるならば、自由の制約は他の人によって行なわれないかもしれない。第二原理が適用される前に貧しい、自由の少ない人の努力が述べられていたならば、自由の制約はやむをやない時にのみに限定されていたのかもしれない。例外状態では自由が制限されても仕方がないという原則は、やむをえなくて人は選択できるかもしれない。ある不平等の状態が認められることと、規範によってそれが是正されるべきだとすることと、やむをえず仕方がなく不平等を是正することとは全く相違している。
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ロールズの第二原理はバーリンのいう積極的自由といえるのか、いえないのか。
ロールズがバーリンのいう干渉されない消極的自由を肯定すると考えられるか。バーリンのようにロールズも内在的自由については肯定すると予測する。
P952
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ロールズの第一の優先性の原則について
自由が自由のためにのみ制限されることができる。この原理は自由を平等のために制限することを認めているのであろうか。平等な自由な社会を守るために、自由が制限されなくてはならないという論法は、自由を平等化のために制限するのは、結局は平等化された不自由社会を作るためではなく、第一原理である平等な自由が認められるために自由を制限し、平等化政策をとるのであるから、個々の人にとっては自由が平等のために制限されているのであるが、社会にとっては、平等な自由がある社会を作るために自由を制限しているのであるから、自由の制限は自由な社会を作るためなのであるという論理である。平等が自由を殺すといういいかたは確かに自由社会を殺してしまうということであって、何らかの自由の制限が法や、人間関係によって発生することにつ
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いて認めていなかった人はいないのであるから、自由が自由社会のためにのみ制限されるといういい方は正しいのかもしれない。そのようにして、正義の第二原理によって社会的不平等を正していかなければ、しっとやねたみの感情が社会に充満し、そのことによって自由社会が危うくなるかもしれないというのである。
自由の優先性のルールの(a)のケースでは、あまり自由を広くもっていない人々の自由が自由な全体社会を強化しなければならないし、(b)自由の量がより少ない人々は平等な自由よりも少ない自由を受け入れなくてはならないケースもある。
P955
自由論と平等論と正義論の新しい潮流
ロールズの第一原理は、自分と他の人々とを結ぶものは何かをまず考え、自分も平等な自由をもち、他の人々も平等な自由をもっているということを認めることによって結合されている全体的社会制度を構築しようとするのである。この考え方は自分と他人とが平等に配慮しあい、平等に尊重しあうことによって法や、政治がなりたっているのだとするドゥウォーキンの理論ともつながるものをもっている。
また、ロールズの正義の第二原理は、ドゥウォーキンにおいては逆差別の理論とつながるものである。黒人にたいするアファーマディブ、アクションの理論的基礎となったものである。ロールズの理論とドゥウォーキンの理論の決定的な違いは自由のみかたにある。ロールズは「自由を制限できるものはあくまでも自由である」という原則を貫こうとするのにたいして、ドゥウォーキンは逆差別とか、黒人と白
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人の平等化政策とかにたいして、それに反対する政治理論や法理論が■■する自由、所有権の自由処分性、学校を自由に選択する自由など等の自由論をもち出してくるゆえに、それに対抗する論法としてか、「一般的にあらゆる場合に通用する自由は存在しない」という自由論を展開することである。しかしドゥウォーキンがこれはターミノロジー(術語の使い分)ではないと否定はするが、ロールズが「自由を否定するものは自由である」というときの後者の自由を黒人の幸福とか、黒人の富とか、黒人の所得とか、黒人の利益などのように最も恵まれない人々の社会的な善におきかえたものであり、最も恵まれない人々の自由によって自由を制限するのだというのとほぼ同じ結果となっている。法や政治の舞台にもちこまれる多くの事件は、ほとんどがロールズのいう第二原理に関っているものだという主張に賛同するならば、ドゥウォーキンの理論化は自由などの社会的に基本的自由と
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認められている自由以外についてはそのような置き換えをしても何ら理論的に支障は生じないであろうが、ロールズの第一原理にいうような社会制度のなかにおける自由を一般的に認めるための理論としてはなりたたなくなる。また、平等な配慮と尊重も人間の本質的自由によってなされるのであるとか、黒人などの最も恵まれない人々も平等な自由や、人間の本質的自由をもっているとかいう自由論の出発点を危うくして、平等にために自由を殺すという一般論が台頭してくる可能性がありうるという一抹の心配が感じられるのである。ドゥウォーキンの理論はロールズの理論と同じく、自由の平等性に基礎を置いていると考えられるのでその心配は杞憂にすぎないと思われるのである。人間の自由の本質性からみれば「自由の制限は自由によってのみ行なわれる」というロールズの主張は、平等化や、社会的、経済的不平等の是正は、自由のために行なわれ、平等な自由を人々が維持する全
P958
体的社会制度を維持するために行なわれるのだという理論体系は自由の本質を何らこわすことなく社会制度を維持するためには、どのような原理を正義の原理とすればよいのかについて考察したものであるといえる。
フランス革命以来自由と平等をいかにして調和するのかという難問は現実の政治においても、政治理論においても大きな難問であったが、これを正義の二原理という形で正義論として公式化したロールズと、平等な配慮と尊重という一原理で法理学(法哲学)のなかに集約しようとしたドゥウォーキンは、この難問に一里塚をたてたといいうる。自由についてのフロムや、バーリンの果たした学問的業績とともに自由と平等の理論は新しい局面を迎えていると考えることができる。
P959
自由論と、自由と平等の双方を考慮する正義論。バーリンとロールズの違い。
「開かれた選択の可能性が十分であること」が自由な社会であるとしても、その結果悪い選択がなされるかもしれないという点についてバーリンは指摘している。デモクラシーが民主的でありながら各人の自由を抑圧することを選択する場合である。このことは自由な選択は自由を抑圧する方向を選択するかもしれないということを示している。ところがそのような選択、つまり、民主的に自由を抑圧することがないように、民主的であるまえに自由、干渉されない消極的自由の範囲は前もって定めておかれねばならないということを示している。このことは干渉されない消極的自由の範囲を決定することのほうが、民主的であることより以前に、ずっと以前に決定されておかれねばならないということをバーリンはいおうとしたのである。ロールズが正義の第一原理は第二原理より以前に優先して適用され
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るべきであり、第二原理は第一原理を満たすように適用されるべきである、つまり自由の制限は自由のためになされるべきであると述べたのと類似している。ただ相違点は民主的であることに干渉されない消極的自由以外の平等化などの価値の実現のすべてをバーリンはまかせてしまったので、その「二つの自由概念」という論文は自由論としてその名をはせたのみであったが、ロールズの自由の概念は、第二原理により自由と平等の調和という正義の原理の■述にいたったので正義論としての価値を有しているという点においてである。
バーリンとロールズの類似点と相違点との分析に当たって留意すべきことは、バーリンの考え方によって平等はいかに考えられているのか、一方でロールズの考え方においては干渉されない消極的自由はいかにして守られているかという点である。ロールズにあっては平等による自由の制限は自由のためにのみなされるのだということを提案しているが、
P961
バーリンにあっては干渉されない消極的自由によって平等化が達成化されるのかどうかについては、考察されないままに終わったのである。バーリンの考え方を受け継いだノージックは、干渉されない消極的自由を認めつつ「見えざる手」によっていかにして「平等化」がなされるのかについて言及しているのはバーリンの考え方を一歩進めたものであると考えることができる。このリバタリアンの伝統は脈々と現在も受け継がれているということができる。「開かれた選択の可能性が十分であった」としても、それが不平等を選択する方向に向かうことはどのようにして防がれるのかという「見えざる手」の理論化は回避されてはならない。内在的自由がすべての人間にとって平等であるということは、「平等化」がなされていく原因となるかもしれないし、その他各人の使用できる時間(機会)が平等であるということも平等化への動きのために一つの力であるかもしれない。
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ジョン、ロールズの自由への平等な権利
(am agual right to the most extensive fasic liferty compatifle with a similar liferty for all)という考え方は、ドゥウォーキンが『権利論』第12章において明白な個別的自由の個人の権利(imdiwidual rights to distinct liferties)の考え方とはどのように違うのであろうか。ドゥウォーキンが認める自由への権利は平等な人間として取り扱われる基本的な権利がそのような自由権を要求しているとわかる時にだけ認められるのだという。注 ドゥウォーキンは『原理論』の二〇七頁において現実の世界においてはすべての人は平等な条件で出発しているのではなく、家族の富や受けた教育や人種などで有利に出発する人も、不利に出
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発する人もいるという現実認識から出発する。ところがロールズの理論は無知のヴェールのもとでの原初状態において契約されるであろう正義の理論として提示されるものである。ロールズの第二原理である格差原理とよばれるものは第一原理である自由への平等な権利という無知のヴェールのもとでの仮定された状況よりも現実に近い状況のもとにおける原理であるといえる。政治学が現実と理論理想のあいだを往き来するものであるとすれば第一原理と第二原理はそれらを表現しそのあいだを往き来するという性格のものであると思われる。第一原理は自由とそれまでよばれてきたものであるし、第二原理は平等とそれまでよばれてきたものである。その両者の往き来を結合するものとしてロールズは第二原理の最後に限定条件を付している。それは公務員であろうと民間のビジネスにおいてであろうと機会が均等に割り当てられるべきであるという限定条件である。
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ドゥウォーキンの自由
ドゥウォーキンの理論の体系のなかにおける自由論の位置付けを『権利論』の第12章を分析することによって明らかにする。「平等な配慮と尊重」を主張するドゥウォーキンが自由をどのように位置付けしたかを考察することは自由と平等の関係を考えるうえで参考になる。平等な配慮と尊重の原則による自由の制限のどのような部分が自由を尊重し、どのようなものが自由を平等のために殺していることになるのだろうか。法や政治は自由と平等を尊重すべきものであるからこそその検■は重要な意味をもつと思われる。
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フロムとバーリンの論争
自由とは「ある人が他の人や他の物によって妨害されたりすることなく、『存在する状態』であるのか、『活動すること』であるのか、『活動できる状態』であるのか」についてのバーリンらの論争は、〜からの自由という消極的な自由を主張する側では、〜する自由を比較的軽くみるので「状態」とみなす主張をバーリンのように行なうであろうのにたいして、フロムやこのようにフロムのいう積極的自由がその論調のなかで主張したい主な論点である場合には自由とは「活動」であるという主張を行なうであろうと考えられる。そう考える時、フロムとバーリンの論争は当然のくい違いということになる。しかしフロムとバーリンが結局対立したままと考えるのはその統合的論旨からいってまちがいであるといえるだろう。バーリンも消極的自由がかく得され
P966
た場合にはどのように活動したらよいかを真剣に考えていたであろうし、フロムはフロムで自由を活動として生かすためにはある静的状態、つまりバーリンのいう干渉されない消極的自由が存在しなければならないと考えていたはずであるからである。フロムは干渉されない消極的自由がワイマール憲法のもとで与えられたドイツ国民が、その消極的自由そのものから逃走し、ヒットラーの支配による積極的に干渉される自由を求めていった群集の全体的心理について把握しようとしたのであり、それはつまりバーリンのいう消極的自由のみでは群集は権威によりすがっていこうとすることをといたのである。そのような傾向に対抗するにはフロムのいう積極的な自由が必要であると考えたのである。
P967
ベイ、バーリン、フロム
ベイが理想主義的と感ずるボーズンキットや、グリーンについて、同じくバーリンも理性主義的であると感じていることについては別々の研究の中では一致している点である。ベイとバーリンの研究はほぼ百八十度違う観点からの研究であるように、権威主義についての感想などはほぼ同じように感じられる文章である。自由という観点からものをみて、その感じ方が同じようにみえるということは少ないと思われるのにこのように感じ方が同じようなものであったことは驚くべきことである。安心がえられた時に自由があるというベイにたいして、干渉されない自由が安心を生むとバーリンが考え、そのためには統合的パーソナリティーや独立性が必要だ、それが安心だとフロムがいっていたと解釈すればほぼ同じ傾向の核心をついていたといえる。
P968
第 章 二つのポジティブ・リバティー
フロムがナチズムから逃れるためにはポジティブ・リバティーを保有しておくべきだと述べたのは自立的に規範を自らの力で形成する力を蓄えておくようにという意味であったのではなく、能力をそうせよという意味であったとすれば、バーリンガナチズムのようなポジティブ・リバティーにたいして、その干渉を排除するためにはネガティブ・リバティーを保有すべきであるといったことと似通った性質をもっていたことになる。バーリンのイラネガティブ・リバティーはポジティブ・リバティーの干渉に対抗し、そのような干渉を排除する力をもったものでなくてはならなかった。干渉が妨害や障害であるとすれば、それを排除する力がネガティブ・リバティーで、ある。一方排除する力はフロムのいうポジティブ・リバティーによって作られることにな
P969
る。バーリンのいうネガティブ・リバティーが政府によって、ちょうどワイヌール時代のように与えられていたとしても、フロムのいうポジティブ・リバテーをもっているのでなければ、自らそれに対抗する力はもたないことになる。全的、統合的パーソナリティーとは権威に依存しないで自らの決定ができるということであると考えられる。
P970
バーリン、ドゥウォーキン、フロム
自由の問題を政治の問題に限定してとらえると、強制(強迫)や服従、干渉や依存。支配や権力、統制や計画などの問題となる。バーリンは二つの自由のなかではこの問題のうちでも、政府によって強制されたり、干渉されたりしない自由を消極的自由として尊重することを主張した。これに対してドゥウォーキンはこのような消極的自由は存在しないという時には、自由の他の側面である自由の主体は他人の自由であもあり、他人の自由をも尊重するのであれば、また他人のことを配慮するのであれば、様々な自由な活動にあたっては多くの他の人々を、自分をも含めて、平等に配慮し尊重しなければならないと考えたのである。バーリンがしかしドゥウォーキンのいうような状態が考えられ、多元主義をとるにしても一党独裁や暴力革命のような事態
P971
を避けるためには、干渉されない消極的自由の範囲を自然法や、自然権や、社会契約の原理などによって定めておかねばならないと考えたのである。一方ドゥウォーキンは表現の自由や、思想の自由、言論の自由などについて完全な形で認められるべき理由付けについては、『権利論』第十二章において詳しく述べている。どのような独裁社会においても、思想、表現、言論の自由などについては完全な形で認められるべきであるという理由付けは行なうが、財産権などについては干渉されない自由は存在しないとドゥウォーキンは考えるのである。
P972
労働と自由
P973
他の人の得は私のだと主張することはできるだろうか
ある社会で、その社会で働いて得られた所得、その他不労所得が、その社会の規則に従って獲得されたものであるにもかかわらず、その人のものではあるべきではないという感情が、マルクスや、フロイトにはあった。それは現実のものではない、もっと高い自■によって、その人のものでなく、自分のものであるべきだと考えられた。その理由付けは社会の制度が悪いから、自分は同じように働いているけれども同じような所得が得られなかったのだというものであり、したがって義賊になって奪うことは正当だということであったと推論することはできる。しかしこの理由付けを正当だと認めることはほとんど不可能であるといえる。あまりに多くのその他の要因が無視されすぎているからだ。
P974
資源と自由の因果関係
資源や、能力や、機会やらがあって、妨害がなくてはじめて、ある人は自由に行動できるということは、人間はやはりマルクスのいうように資源によって因果関係的に制約されており、かつ、他人の制約(妨害)によっても左右されており、資源があってかつ他人の制約がない時にはじめて実質的自由があるということなのだろうが。内在的には完全にあっても、実質的自由はそのようにいうことができるので、唯物論は正しかったのだろうか。バーリンはノーという。
P975
労働者のためを思って
ある人が「真の自由」を主張するのは、本当に労働者のためであろうか。その主張する人々自身のためなのではなかろうか。ある自由のための政治運動が、誰の役に立つのかはその政治運動が作りあげた状態のなかにおける人々の自由がどのようなものであるのかを分析することによって理解できる。プロレタリア■裁の体制のなかにおいては、思想、表現の自由は存在しない。
P976
労働者よ団結せよか
マルクスは、労働者のプロレタリア独裁を主張し、労働者の「真の自由」を達成し、「真の自由」を求める政治的活動を通じて、労働者の自由を確立できると主張したと動じに、それは独裁によってのみ達成できるのだと主張したのであった。しかし独裁は自由を奪うはずだった。このことを若きバーリンは「真の」自由の論理で『カール・マルクス』のなかですでにのべていた。
階級のためという「地位の追求」についてバーリンは平等のためでだったのかと疑問を投げかける。ひょっとしたら個人主義的労働の保護という観点からの政策の方が、階級全体を保護するよりも人々はより平等になったり、豊かになったりするのではなかろうか。
P977
「権力はいらない」か
共産主義が国家は死滅すると考えたのは、共産主義は競争がないから権力はいらないと考えたのだ。しかし共産主義は最も大きな権力であった。
ここに「権力はいらない。」という考えが再び共産主義社会で生まれる。
非価格メカニズムによる分配は、平等とい
ながらも、理由なき逆差別がありこれ程恐ろしい権力は存在しなかったのであり、■が完全に平等主■■に■■した。
P978
完全な自由と積極的自由
依存する人は、依存されている権威が常に自分のことを思ってくれていると思っているし、そう期待するが、その依存される人でも誰でも自分の生活があり、それができない。これが積極的自由を行使する人にたいして、消極的自由を主張する人が干渉するなという理由である。
完全に保護された、依存できる環境においては「完全な自由」が存在する。そこには自由に伴う危険が存在しないからである。ある意味では完全に依存しきった「完全な自由」を求めたのが「真の」自由論であったのかもしれない。しかし依存される国家のあまりにも危険なことを国民がしすぎる「完全な自由」には耐えきれなくなって崩壊したのではなかろうか。
P979
義賊の心理の窃盗性・暴力性・非行性
義賊の心理は平等を求める賊の心理である。
義賊の心理が高じて、殺してでも、暴力ででも義賊とならねばならないと思い込みはじめる。ところが富裕な人々はそれでも賊として窃盗をすることを許さない場合がありうる。こうなると連鎖てきに「とらねばならぬ」、「とれぬ」という心理が回り回ることになる。
これを心理的なものではなくて、社会的なものとするには討論や討議が必要であり、表現の自由がなくてはならない。この点は平等主義者も認めるであろう。
P980
平等と干渉されない自由
平等への配慮と尊敬を求めるあまりに義賊の心理とならないように、自立と自由をも同時に求めさせなくてはならない。この場合の自立と自由はバーリンの意味では干渉されない消極的自由である。義賊の心理となることのブレーキの役割をそれは果たしうるといえる。
P981
内在的自由と平等
平等があっても自由を殺すことはできない。自由は自然的自由や、内在的自由とよばれるものが人間には人間の本質として存在し、それをすべて殺すことはできないからである。
P982
商業と社会利学
全員が商人になったら政府はなくなるであろうか。なくならない。警察や、道路等は必要である。しかし国家の全員が公務員になれば国家は巨大になるのであり、「国家の削減や人種史のはじまり」どころではない。国家のうちの全体、共有物も、私有物も含め共有物となってしまい、国家はなくなるどころではなく、人間も物に支配される物となってしまう。商業は社会利学たりうるか、このような意味で、商業が税金により共同財産をも管理しているのであると考えることができるような社会においては、商人にとって商業学はすべてであると考えることができるし、社会利学のうちの一分野としての商業学について考えることはできる。商業学は税金の出し方からすべてを含んでいると考えることもできる。商業学は、私有財産における消極的な干渉されない自由の概念から導き出されるものである。
P983
商業が利他行動と、利己行動との交換によるのであるなら、進化論による競争と優勝劣敗の原則による利他行動の否定は商業という文化的な活動においては否定されることになる。
P984
商業学は社会利学か
商業は所有と所有との交換関係であり、所有それ自体が社会的なものであるから、社会学としてしか商業学は成立しえない。商法はそれを規制するものである。
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ユダヤ人の迫害は主に商業と、利己性に対する迫害であった
商業学や商業哲学において「■」や、
利己性についての批判をかわすこと」は大きな位置を占めてきた。利己性と、利他性という人間の人格の二つの側面、一方で利己的でありながら一方で利他的であるということは多くの難問を社会において生んだ。平等の主張は利他的な人格を教育し、人格を成長させるのだという理論を生むが、そうするあまり利己性を主張する人々を迫害してきた歴史的な多くの事件があった。平等が自由を殺すという時の自由は平等の側からみれば利己性ととらえられていたのであるからだ。
P986
どんなが才大将にも大義名分はある。その主なものは、こじつけではあっても義賊の心理である。この積極的自由の正当化のどこに難点があったのか、それに理論付けを支えることをバーリンは努力した。
P987
自由と妨害・干渉・障害・強制・強迫
第七章 自由と、妨害・干渉・障害・強制・強迫
P988
干渉されない自由と、干渉しない自由。干渉しない自由、自由放任主義を実行する自由は積極的自由である。
干渉する自由にたいして、干渉しないことをする自由も積極的自由にあたる。干渉したいけれども干渉しないということに決める選択の自由は、自由な活動のうちに属するのであって、自由を妨害するものを排除するという消極的自由に該当するのではなく、積極的自由に該当する。ということは自由放任主義は積極的自由に該当するのであって、バーリンのいう消極的自由はそのような積極的自由が、他人に干渉する方向に向かった時に、その干渉する方向を「妨害するもの」とうけとり、その妨害を排除したり、中止させたり、干渉主義を中止させたりする時に、発生する自由である。しかし完全な自由放任主義というものは存在しないのであるから、何らかの干渉はすべての人が行なっているといえる。そのような他人からの干渉にたいして消極的自由
P989
をすべての人が主張しうることになる。ドゥウォーキンがすべての人が干渉されない一般的自由をもっているわけではないと主張する時には、社会的干渉が福祉政策を実行する時にはおこるのであるから、そのような社会的干渉に反発し、干渉されない消極的自由を主張するということは、現代における消極的自由にたいする権利の主張の主な場合であり、社会福祉に反対する法的主張、特に憲法裁判における主張の骨子をなすものではあるが、そのような消極的自由が一般的にすべての場合にあてはまるものではなく、正当であるとみなされるわけではないと述べているのであると簡単にいえば考えることができる。自由主義の限界について述べるサンデルも、自由主義の終焉について述べるローウィも、自由放任の終わりについて述べるケインズもすべてこのような現点にたって述べるのである。そこにはわがまま(kisence)と考えられるものであり、社会的な福祉や公共的福祉のもとに排
P990
除され、制限されるべき自由、消極的自由が列挙されるべきと考えられており、それこそ自由論の本質であるかのように述べられている場合がある。ところがドゥウォーキンのみはそのような自由論の立場をとらず政治道徳としての平等な配慮と尊重こそは、自由に対立すべき価値であると正々堂々と述べるのであり、自由主義の姿をまとった自由の制限論とは異なっている。一方、バーリンは逆の立場から干渉されない消極的自由が存在すること、いくら平等な配慮と尊重によって自由が制限されるべきであるといっても、干渉されない消極的自由が完全に存在すべき場合があること、そしてその理由はどのような理由であるかについて追求すべきであることについて述べるのである。実際に干渉されない消極的自由が存在すべき理由が何であるかについての理由付けは、自然権とか、自然法とか、社会契約の神聖とかなどの理由付けがあるとのべるにしても、その理由付けを完全になし
P991
えているわけではないのであるが。
たしかに自由の限界について述べることと、干渉することのできる範囲の限界を述べることとは、両者の集合が全く重なりあったところがなくて、二つのものが加えて百パーセントになるものであるとするならば、干渉することのできる範囲を決定することは、干渉されるべきではない範囲を決定するし、逆に干渉されるべきではない範囲を決定することは干渉することのできる範囲を決定することになるのである。
自由の限界を政府が述べ、それが公共の福祉の範囲を決めることができるかもしれない。公共の福祉は社会政策上の問題となるかもしれない。しかしそれを政府が決定するのではなくて、個人の側、人間の本質の側から決定されるべきであり、個人や、人間そのものが政府にたいして、自らが干渉してほしくない、干渉されたくない消極的自由の範囲を要求すべきであると考えるのがバーリンなので
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ある。それはとりもなおさず、政府がそのようなことを自覚した個人によって形成される政府であるならば、そのような政府が個人にたいしてどのような程度や範囲まで干渉してよいのかについて決定する場合に、そのような個人は干渉されえない消極的自由の範囲について、基本的に、自然法的に、自然権的な消極的自由に納得して、ついには正しい政府を形成するのであろうことをバーリンは期待しているのだということができるのである。
このことをバーリンは
「おそらく自由主義者にとって統治に参画する政治的|積極的|権利の主たる価値は、かれらが究極の価値として考えている個人的|「消極的」|自由を保護するための一牛段たるところにあるのであろう。」
と述べている。
バーリンは自由放任を主張しているのではない。究極の価値として考えている個人的|
P993
「消極的」|自由が保護される必要があることについては干渉されるべきではなく、自由に放任されるべきであると述べるのである。そのような自由を保護するために統治に参画する政治的権利は積極的なものであるとバーリンも認めているのである。政治的権利は積極的であるにしても、平等を求めて自由を殺す積極的自由もあれば、干渉されない消極的自由を保護するためにそのような範囲については自由放任を主張する積極的自由も存在する。それは干渉を排除する自由でもあるといいうる。
自由の限界は、人間の本質としての内在的自由の限界である八百度℃の世界には住めないというような自然的な限界は誰でも認知できる。それは人間であるからである。これにたいして、自由の限界である公共性の範囲、他の人々が他の人に平等な配慮や尊重の原理などによって干渉することのできる範囲については異論の多いものである。ドゥウォーキンのいうように黒人と白人との混合したバ
P994
スに強制的に、干渉されない自由にたいする干渉として、乗せることについては、憲法判断としても異論が多いのである。それを納得させる原理として黒人も平等に配慮され、尊重されるべきではないのかという理由付けを考えているドゥウォーキンの説はその説を読んでみると納得させられるところも多い。しかし、どこまでその範囲が及ぶべきかという限界については、バーリンのいう干渉されない消極的自由の範囲を決定せよという議論や、内在的自由の理論、つまり、自らの内在的自由を信じて、内在的自由が選択し、決定することに待つべきで干渉するべきではない、選択の自由にまかせるべきであるという理論は、バーリンやドゥウォーキンのいっている理論よりもさらに説得力をもっている。それでは人々は愚かであるから、そのような内在的自由を使って選択の自由を行使しえない程に愚かであるのだから、そのような選択の自由を行使できるようになるまでは、政府は干渉して、平等な
P995
配慮と尊重とによって、内在的自由や選択の自由を大きく制限すべきであるという議論も、相当な説得力と、法的な力をもっている。しかし、法的にも妥当であり、説得力があるかどうかは、人々が本当に内在的自由を行使しえないくらいに愚かであるかどうかにかかっている。人々は愚かではなくて、内在的自由に干渉せず、その自由によって最も賢明な選択をすることができるのではなかろうかという反論が残っている。
干渉せず、干渉されない消極的自由を、黒人と白人とを混合バスにのせるかどうかについての議論に適用するとすれば、政府が干渉せずとも、干渉されない消極的自由を与えられ、人間の内在的自由のなかのそのようなことに関する選択の自由を政府から与えられた人々は、黒人のこと、黒人の困りきった状況を考え(尊重し)てやり、黒人との平等を配慮して行動することのほうを選択するのであ
P996
れば、人々は干渉されない消極的自由を認められようが、平等な配慮と尊重を自分達で行なって平等化へ向かうことができるかもしれないという議論が存在する。平等化は自由によっても達成されるであろうという考え方は「神の貝えざる牛」による平等化の主張であるといいうるであろう。ところがそれがグリーンのいうような「人格の成長」によるべきであるという考え方であるとすれば、人々はそのような善き人や、性善の人ばかりではなく、性悪の人や悪い人が多いのであるから、自由に放任していれば黒人と白人の経済的、社会的な差はひらいていくばかりなのであるから、政府が「強制的に」、「干渉して」、平等な配慮と尊重をしてやるべきであるという考え方が存在する。この考え方によれば政府は公という平等の考え方を押し進めるものであるから、私人は自由放任の中で平等化を崩すものであるという考え方になる。
公は平等化、民間や私は自由による不平等
P997
化という考えは、伝統的なものであるが、バーリンのいうような究極の価値としての消極的自由を守るために、統治に自由主義者の個々の人が積極的に参加するという考え方とは完全に対立しているように見えるが、本当にそうであるのだろうか。
政府が平等な配慮と尊重を行なってくれたあとだからこそ、干渉されない消極的自由の範囲が決定されるということがありうるし、逆に、干渉されない消極的自由の範囲が先に決まっているのであり、その部分については平等なのであるから、そのようにして個人が干渉されない、消極的自由の範囲を求めることこそ平等につながるのだという考え方が存在する。この二つの理論は対立的ではある。しかし後者の論理において平等な、干渉されない消極的自由の範囲を決定したからといっても、それ以外の範囲の部分が公によるにせよ、金持ちなどの私的な範囲の部分によるものであるにせよ、その部分が金権的な巨大
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な権力となったり、政府の公的な巨大権力となったりして、個人の干渉されない、消極的自由を、その巨大な権力によって妨害するということは大いにありうることである。ドゥウォーキンが金によって、裁判の行方が決定されることがありうることはまちがっていると述べるのはこのような考え方によっていると考えることができる。
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干渉されない自由の種類
ただ単に他の目的がなく、干渉されることの嫌いな人にとっての干渉されない自由は、人間にとっての干渉されない自由は平等のために自由が殺されない自由であり、平等主義者にとっての干渉されない自由は自由を殺す自由であり、平等にする自由、バーリンのいう積極的自由を行使することを干渉されない自由である。これはドゥウォーキンにとってバーリンのいう消極的自由など一般的に存在しないという時のドゥウォーキンの使った意味の説明にとっては有効である。バーリンのいう干渉されない自由の意味は第一の意味であり、ドゥウォーキンのいう「一般的に干渉されない自由」も第一の意味であるが、ドゥウォーキンが主張しているものは第三の意味であり、ある人が使っている意味は第二の意味での干渉されない自由を、つまり平等によって殺されない自由を、第一と第二
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の「干渉されない自由」の総合的なものとして主張しているのである。そのためには平等はその厳密な意味で資源のような自由の構成要■の平等化であらねばならないのである。その場合資源そのものは自由ではありえないのであるから、資源の平等は自由のためのものであり、それはロールズのように平等化は自由のためになされるといわなくても、平等は自由のなかに内包されているのである。
これらの区分は厳密なものではないので、バーリンも第一の意味で干渉ということばを使っている場合もあれば、第二の意味で使っている場合もある。第三の意味での干渉されない自由については「干渉する自由」をゆるしてくれということになるから、干渉されない自由を求めているといえないという、マッカラムがそれは自由とはいえないといったのと同じような厳密な意味で、干渉されない自由を求めているといえないと表現するのが正しいであろう。
P1001
干渉とは何か・干渉はどのような種類に分類できるか。
干渉とは他人の自由に干渉するという意味を主に持っていると考えられる。他人の自由に干渉するということは他人の自由の妨害や障害となるということである。
干渉の分類は妨害や、障害の種類とオーバラップした質の分類となる。商業や経済的契約の自由にたいする干渉、趣味や好みの選択にたいする干渉、学問にたいする干渉、思想の表現にたいする干渉、信教にたいする干渉など憲法に列挙されている自由にたいする干渉など様々である。
P1002
「干渉する自由」と、「干渉しない自由」
干渉する自由は存在するが、しかし、それによって干渉された人は自由がなくなる。他人に干渉しないうえに、他人に干渉されない自由は、妨害を排除するから自由を増大させるのである。他人に干渉しない自由は、〜〜をしない自由である。他の人々に干渉せず、各人が自由に活動ができるのを許すのが、「干渉しない自由」である。干渉しない自由をすべての人が選択すれば、すべての人はバーリンのいう干渉されない消極的自由を得ることができる。それは干渉する積極的自由を捨てたという状態である。この観念は対になっており、干渉されない消極的自由が得られるのは、干渉する人の積極的自由の人が、干渉しなくなることによるのである。自由放任に他人をしておく自由と、他の人々を自由にしておかないで干渉する自由との差異は他の人々にしっとをしていないということである。
P1003
干渉の種類
・人間
国家
法
両親
兄弟
他人
集団
・物
自然的制約
P1004
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干渉はすべてが悪いとはいえない。独裁的干渉や、権威主義的干渉はよくないかもしれない。温情的、養育的干渉はよいといえるのかもしれない。後者の場合には消極的自由をおかしているとはいえないと思われる。一方ある人の考える干渉がそのどちらに該当したのかについて特定することは難しいといわねばならないので、バーリンのいうように一般的に干渉されない自由を求めることは妥当なことであろう。カントの考えていた温情的干渉にたいする拒否は何を意図していたのか、あるいは、ミルの考える干渉の排除は何を意味していたのか、そしてその場合の干渉がそのどちらに該当するのかを特定してそれを論ずることは有意義ではあっても困難な作業であると考えられる。ミルのいっていることもある意味では温情的干渉主義にたいする拒否である。これは天才教育を受けたミルが、感じた父親
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の干渉にたいする拒否であったのかもしれないし、■■からの自由、■■からの独立、■■からの自立のようなものから、心理学的には発生したものであったのではないかと私は思う。
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干渉する主体
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自由の主体のほかに干渉する主体も問題となる。
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誰が嬉 ア渉するのか。それは政府がそうする場合もあるし、他の人がそうする場合もある。しかしそれが強
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制と受け取られるのは専制や独裁や全体主義の場合だけであろうか。強制と受け取られないのは自分の意向と政府の意向(選好)とが一致した場合なのであろうか。経済や、性衝動が干渉しているということが可能であろうか。
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ある行動をする自由が与えられているからある行動を自由にする(することができる)。この二つの自由は相違する。前者は自由な状態であり、後者は自由な活動である。自由な状態とは自分以外のもの、政府であれ、経済であれ、性衝動であれ、何であれ干渉していないことであり、社会的な干渉は他の人(人々)の干渉であり、物理的な因果関係を発生させる経済とかは干渉とはいえない。
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P1007
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干渉する主体は、妨害や障害となる主体である。妨害する人、干渉する人は貧しい人々が、富裕な人々を干渉する場合には妨害し、干渉する貧しい人々である。ところが、富裕な人々が貧しい人々の障害となっていると考える人々がいるとすれば、その場合は逆に富裕な人が貧しい人々が活動する障害となっていることになる。
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他の人がある人の自由を制限する理由は平等であったり、自由であったり、公共の健康であったり、正義であったりする。干渉する主体が干渉する理由、バーリンはこの理由を目的とよんでいるが、この理由を明日に示すか示さないかは大きく干渉される側に強迫や、強制のあるかないかに影響を与える。納得できる理由があればそれに従うのは当然である。
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善い干渉と悪い干渉はあるか
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男女不平等の社会のなかで、兄の弟や妹にたいする干渉は権威を■的や、全体主義的傾向に陥りやすいのであるが、妹の弟や妹にたいする干渉は温情的、養育的干渉になるのである。前者は悪いとか、後者はよいという評価を与えられやすい。それは後者が男女不平等による男の自然的優位を前提としていないからかもしれない。
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不平等とかを前提とした干渉は悪い干渉であると一般化できるであろうか。悪い干渉は自然ではない。自然ではない差別を強制することは悪い干渉といえるであろう。共産主義における、あるいは、全体主義における干渉が悪い干渉であった理由。これが明日になればバーリンのいっている積極的自由が悪かった点の大部分が解明でき、そのような主義がなくなっても行なわれているようないわゆる■■■派の自由にたいする干渉が悪いという理由も明
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P1009
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きらかになると考えられる。
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養育的干渉はよい干渉であるか
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「自ら危険なことをしたり、破壊したりする」のをとめるのは、養育的態度である。河におちるのをとめるのは自由の制限とはならないか。ラズウェルが破壊的活動をとめようとしたのは干渉になるであろうか。あるいは強制となるであろうか。破壊的活動がどのような理由によって発生するのかは別としても、その破壊的衝動をどのようにしてとめるのかは大切な政治学の課題である。それをよい干渉の理由付けと名付けることができる。干渉はドゥウォーキンのいう平等な配慮と尊重によって行なわれる場合もあれば、ラズウェルのいう破壊的衝動の防止という形で行なわれる場合もあれば、河におちるのをとめるような自由の危険性を防止するために干渉がなされる場合もあるし、その他様々な場合が考えられよう。平等な配慮と尊重という概念はこのように自由を制限するための理由付けのうちでも、平等という量的な概念に頼って
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いるために、事実把握と、平等という規範論の両者によっているために、客観的で科学的なものだといいうるのである。エクィティーlguity衝平法の概念がイギリスにおいて一般法(コモン・ロー)にたいして、その欠陥を道徳律(規範)に従って補正した法律であるというのはこのような理由によると考えられる。それでは一般法のほうは、自由の概念により近いということになるだろうか。
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P1012
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父権的温情的干渉は許される場合はないのか
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父権的温情主義が完全に悪であると考える思想は、完全に否定されるであろうか。自由を強制することは、絶対王制のもとでの人々の障害となっている自由を取り除いてやることについては是認されうるのではなかろうか。ところが人々が自分の力でそれらの障害を取り除く力があるのに、温情主義的干渉によって、社会制度を混乱に陥れてまでも、取り除こうとすることは悪であるかもしれない。人々の干渉されない自由の権利を残したままで外部からそれらの障害や、妨害を取り除いてやろうとする自由主義的政治活動は、パターナリズム、温情的父権主義であっても、善なのではなかろうか。そうでなければ、兄が弟の世話をすることでさえ悪いこととなってしまうことがありうる。できるだけ干渉されたくないといってもその限度はあり
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うるとい
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P1013
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う点ではバーリンの主張は正しいことである。バーリンがその範囲を積極的自由の内容を先に定め、例えば、平等な配慮と尊敬とかの内容を先に定め、その残った部分を干渉されない自由の存在する部分であるとするのか、逆に干渉されない消極的自由を先に決めて、その残りは積極的自由に干渉されても仕方ないと考えているのかは不明である。その範囲は移動するので、境界線も時代に伴って移動すると考えている。それが自然法や自然権や社会契約によって決まるのであれば、自由論は次には自然法やらに進まなければその境界線を決定できないことになる。
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兄が弟に善意で干渉するような父権的温情的干渉主義は母が子にたいする干渉するのと同じような理由で許される場合がある可能性があるし、自由の国であると自負していたアメリカが日本に自由な憲法を押しつける干渉をするようなやり方での干渉は許されることがありうる場合もあると考えられる。
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P1014
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父権と母権
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父権社会に反駿するロックにたいして、母権社会にたいして反発する論はないのだろうか。自然的に年上の者が絶対権力を得るのに反対する論は多くあるであろうが、父権的干渉は悪いが母権的温情的干渉はよいとする理論は多い。
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P1015
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絶対的理性の強制
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バーリンの積極的自由により、死にたくもない他人に「死んだほうがよい。」、「死ぬのがよりよい」と、その人が必死に抵抗しているのに強制しはじめる。「今君は死んだ方がよいというのが、世の中のすべての理性から考えると当然の絶対的な歴史の理性だ。」「死ぬのが当然だ」という理性を、その人が絶対に死にたくないといっていても押しつけるようになる。
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これと同じことは経済決定論を強制したり、フロイトが性衝動論をすべての人々に強制したりする時にもおこる。
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P1016
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自由と強制
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自由を妨害するものは数えなければきりがない。法や、規範、経済、運命や、因果律などである。しかしその主なものはすべて因果関係によって説明できる。人を殺してはならない、人を殺した場合は無期懲役または死刑という規定は、人間にはまず規範があり、その規範に違反した場合には社会的強制による自由の制限があることを示している。規範に違反したという事実を規範に適用し、強制という結果を生み出す論理は一般には三段論法とよばれている。道路用地をたちのかない最後の一人は強制して、用地収容されるべきであるか。その場合の強制も規範によっているのであろうか。権利として立ち退かない自由があるのか、強制収容によって立ち退かねばならないという結果が規範によって生み出されるので
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P1017
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あろうか。公共用地の収用にあたって私権は制限されねばならないという時の規範と、人を殺してはならないという規範の差は公法と刑法との差であろうか。
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精神としての全体主義のあり方を解明しようとしたハンナ・アーレントは全体主義国家における強制収容所の意味について考察した。「強制することは人から自由を奪うことである」というバーリンのことばは、自由と強制との関係を表現している。自由が強制によって奪われるとすれば誰によって強制され、誰によって自由は奪われるのであろうか。逆に自由が回復されるとすれば、何から自由になるのであろうか。強制や規範や全体主義の強制やらから自由になるのであろうか。規範や因襲から、魔術から自由になったり、日本でいえば旧家族制度の古いしきたりから自由になったりするのであろうか。全体主義や旧家族制度や管理社会や、管理する力の強い社会はその成員を強制しているのであろうか
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P1018
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。その強制は正常な強制や、異常な強制があるとすれば、消極的自由と積極的自由とは対照的であろうか。正常や異常、健康と病気との関係は社会科学的に明白になるのだろうか。自然な強制と、強圧的な強制とはどのように違うのであろうか。
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自由な人を強制して地獄の状態へつれていくことと、自由な人を強制せずに自らの意思で自然に地獄の状態へといくように環境をととのえることとのあいだにはどのような違いがあるのだろうか。
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P1019
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ペシミズムの強制
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ペシミズムをペシミストが、オプティミストに強制して、不安がらせることがある。不安とは現実の「自由の危険性」の確率以上に危険を感知することをいう。ある人がメリーゴーランドや、回覧車に遊園地でのっているときに、ペシミストにそんな高い所にいくと落ちるかもしれないといわれてしまうと、その確率を考えることなしにそれを信じてしまえば、その人は実際の確率以上に不安になって、回歴落ヤの上で不安にな
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ってしまう。ペシミズムの強制とはこのような現象をよぶ。
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P1020
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強制や、強迫がないこと
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自由とは政治学的にいえば、ある行為をするにあたって選択の自由が存在することである。すなわち、選択の自由を妨害する強迫や強制が存在せず、その人の好みに応じて自由に選択ができることである。強迫のもとになされた選択は自由になされた選択ではない。民法の場合は取り消すことができる。
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逆に河におちようとするをとめるのは、自由を妨害することにはならない。これは河におちようとする人が生の本能が自然に備わっているのであるから、いないだろうという考えが正当であるならば、このようなケースは存在しないだろうと考えられる。生の本能は非合理なことをもなさせないかどうかについては疑問がある。歴史の合理性とよぶものが、マルクスのいうように合理的なものだとすれば、人々がそれに従わないのにマルクスからいわせれば非合理性ということ
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P1021
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になるかもしれないが、その歴史の必然性の観念こそ誤っていた合理性であったということになるかもしれない。「真の」自由は真の絶対精神であったのだろうが、それが誤っていた可能性がある。
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また社会的に将来出世するために勉強しなさいというかわりに、勉強しないのを、相手に温情的に干渉することにより、干渉し遊ばないで勉強しなさいと強迫する(強制する)ことは自由を奪うことになるのであろうか。バーリンは温情的干渉主義であっても干渉にあたると主張する。しかしバーリンが本当にいいたいのは全体主義やファシズムやプロレタリア的強制が干渉することを積極的すぎるといいたいのであり、このような場合についてバーリンがどのように述べるかは不明である。一般的には子供にたいして勉強を強制する場合の理由づけや、兄弟姉妹における兄や姉の弟妹に対する干渉まで禁止するのには、干渉されない自由以上の理由付けが必要では
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P1022
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あろう。しかしバーリンのいうようにある範囲の干渉されない部分は必要であると思われる。
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P1023
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強制と自由意思
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ある人が自分の意思によって行動するのと、他人の意思を強制されて行動するのとは全く別のことである。それは自由意思の問題ではなく強制の問題である。他人の意思は自由意思であるかもしれないのに、私はその自由意思に強制されている。私の自由という私という主体の側からみれば自由ではないが、他の人は自由である。ある環境にたいして他の人は自由であるが、私は自由ではないことになる。他の人と私は別の主体であり、別の分離した主体である。もし他の人と私が別の分離した存在でなければ、他の人も私も自由でありうるが、別の存在である。他の人に私は従属しているのであり、他の人に強制されているのである。別の主体に強制するのを、強制ではないというためには両方共に同じ原因と結果によっているのだという絶対理性が存在するということを信じなくてはならないことになる。
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P1024
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自由を妨害するものは、他人の強迫や強制や干渉であったり、自分の能力や、自分の持つ空間や資源が欠けていることであったり、事故や故意によって腕が折られていたものが書けない時には腕を折られたことであったり様々である。他人からの強迫や強制や干渉に目を向けそれのみが政治的自由および経済的・社会的自由の研究対象であると考えることは正しいことであろうか。潜在的自由や、心理学的・社会心理学的自由があるとして他人からの干渉以外の場合における自由をも考察しようとしたのは、フロ・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->ベイであった。ベイは特にハリー・スタック・サリバンの人間関係論をとりいれ、人間関係がある人に心理的影響を与え、精神的及び心理的に安全ではない、自由ではないと考える心理的傾向が発生する可能性があると考えた。この考えは
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P1025
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人間関係を考察しているという点においては社会的である。社会的ではあるが、人間の性格の傾向に内在されてしまっている自由の傾向について考察しているのであって、それを心理学的自由や潜在的自由となづけたものであると考えられる。だとすれば、それこそ性格の傾向と同じように、人々の行動、自由な行動の源泉となるものであって、各人の自由にたいする感覚の違いや、各人の自由論の相違はここに由来しているともいいうるのであり、それが社会的自由として顕在化したときに生じてくる様々な社会的問題を解こうとするのが社会的自由の問題であると考えることができる。ミルの「大胆で、独創的で、空想力に富み、独立自尊、偏屈なまでに適合・従順を排する」性格を自由論の骨格として求める考え方はその性格に由来している。また国家と自由との問題を主に考え、干渉されない消極的自由を尊重するバーリンは自を轤フ心理学的自由
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の傾向とナチズムやフ
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P1026
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ァシズムと、スターリニズムの社会的自由との関係で干渉されない消極的自由論が生まれてきたものであると考えられるし、ドゥウォーキンの平等な配慮と尊重の理論もドゥウォーキンの潜在的自由や心理学的自由と、現代アメリカの人種問題などの社会的自由との関連のなかで生まれてきたものであると考えられる。ロールズの平等な自由の理論にしても同様である。
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しかし依存というようなものを、価値としてではなく事実論として分析することは潜在的自由論や心理学的自由論をのりこえることができるようになる一つの契機となると考えることができる。もしそのようなことができなければ社会的自由論は潜在的自由論や心理学的自由論のしたじきになって押しつぶされてしまうことになる。自由論が誰かのことばを借りれば、イデオロギーのとりことなってしまうのである。自由論はイデオロギーのとりこになってしまえば全く価値のな
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P1027
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いものなのであろうか。
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価値論から離れた自由論が東西冷戦後の現在では求められているのではなかろうか。そのためには潜在的自由論や、心理学的自由論をもじゅうぶんに考察してみる必要はある。しかしそれと同時に、フリードマン夫妻が考えていたような社会的な恐慌が個々人の自由を越えて、あたかも運命のようにおそってきた場合の社会的自由や平等はどのようにあるべきなのかも考察される必要がある。これはまたハロルド・ラズウェルが攻撃性の原因として世界大恐慌のようなものを考察したのと相通ずる考察手法である。また経済成長期に戦争がおこるのか、経済恐慌期に戦争はおこるのかというようなことも考察する必要がでてくることになる。
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P1028
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自由を制限する理由付け
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自由論の構造として自由を制限する理由が述べられていることが多い。自らが他の人の自由を制限する理由が述べられているか、自らが自らの自由を制限する理由が述べられていることがある。判決の大部分はこれから成る。ドゥウォーキンの平等論は、自らが課した平等という理念のために自らの自由を制限していると同時に、他の人にも平等という制限を設けて他の人にも自由を制限することを要求しているといえる。カントの道徳論もほぼこれに近いものと考えることができる。グリーンの人格の成長の理論もそれと同じような構造をとっている。バーリンが積極的自由とよんだもののうち自己否定や自己実現とよばれるものの考え方(人格の成長とよく似た表現と思われる。人格が成長し、自己が実現されるという考え方と解釈すれば。)は、ある意味ではこのこ
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P1029
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と等しいことになる。これを他人を思いやる心と表現すれば何ら積極的自由とは関連性がないように思われる。ところがバーリンによればその考え方を政府として国民に強制するようになれば、それに服従しない者は干渉されない自由をおかされることになりかねないと哲学的に論ずることができるというのである。干渉が善意であっても、悪意であっても同様に否定するのがバーリンである。悪意である場合のみを問題にする考え方もあろう。
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P1030
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干渉されるべきではないことのミルの理由づけ
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ミルの挙げる政府の干渉を制限すべきである理由の第一、個人がなした方がよい、第二、政府がなした方がよいが個人の精神的な教育のために個人が行なう方がよい、第三に、政府の権力が必要以上に増大するのを防ぐの三つのミルの理由については、現在の依存からの脱却という観念から分析する必要がある。
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P1031
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干渉するなという法的判断は、裁判所や、立法や、行政はどのような理由付けによってなすことができるかプライバシーの権利が干渉するなという権利であるということはないと考えるが、その他の干渉するなという法的判断はどのような理由付けによってなすことができるのか。表現の自由をおかしている団体にたいして裁判所が、あるいは、表現の自由をおかしている行政にたいして司法部はどのような法的理由付けで妨害を排除してくれとする請求を認容できるであろうか。
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P1031
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給付判決のように司法が、給付する立法の場合のように立法部と行政府が、ある人にたいして強制的に執行をさせる場合が存在する。法の強制性について自由論は何らかの答を用意して、その強制を禁止しようとするのではなくて、ある限度内については干渉したりする権利が行政にも、立法にも、司法にも存在しないといっているのである。プライバシーの権利を、もし犯罪を隠すため、あるいは、依存させたり奴隷にさせることをするために主張すること、自由でない状態を維持するために主張することは許されないであろう。しかし奴隷になを黷ニいう強制については、ひょっとしたら自由論も、法もある理由をみつけて法的に、政
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治的にその強制をするな、ある人に干渉し、妨害するなという命令を下すことができるかもしれない。クー・クラックス・クランにたいして、例えば、黒人を差
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P1033
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別するなという命令を下せる法哲学上の正しい理由付けをみいだせるかもしれないのである。
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P1034
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他人に干渉する積極的で自由な活動と自己完成する消極的な自由
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〜する自由(freedom to 〜)が一般的に積極的自由とよばれるのではあるが、フロムにおいては自己完成のためにそれが使われ、内部志向型であるのにたいして、バーリンにおいては他人に積極的に干渉するという他人志向型となる。どちらも〜する自由にかわりはないが、何をする自由であるかによって、二人は全く別の意味をもたせたのである。「何を」というのはつまり自由な活動の目的のことである。目的語という文法上のよび名のものである。人生の目的は多種多様ではある、しかし、他の人にそれを強制し、押しつけ妨害するのは人間の本質上許されないとバーリンは考えたのである。フロムのいう積極的自由は自己を積極的に完成しようとする自由である。
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P1035
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干渉と妨害の関係
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ある人が他人に干渉して、「そんなものは食べるな」といって、ある選択された食事を妨害しているとした場合、干渉している主体は他人の妨害となっているのではなく、干渉しているその人の「食べるな」という命令が他の人を干渉し、妨害することになっている。干渉は全人的な妨害や、一般的・全体的に妨害することであり、妨害はある自由な活動を個別的に妨害することである。障害物や妨害物はある物であって自由な活動の障害や、妨害となっているものである。障害になったり、妨害したりする人の場合は干渉であ-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->、例えばある橋を渡るのにそのまんなかに石がある場合、その石は橋を渡る障害物であり、妨害物である。お金がないことがある買い物をするのに妨害物となっているという表現は、日本語の場合には、障害物となっているという表現よりも多くは使用されない。
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P1036
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死刑制度をもつ社会は存在しうるのか。
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死刑制度をもつ社会は動物の社会のなかにはないのに、人間の社会においてはそのような制度がある社会も存在するのはどのような理由によるのであろうか。それも軍隊や暴力を使ってそのようなことが行なわれるのはどのような理由によるのであろうか。つまりはまた人間が人間を「殺す」こともあり、「殺すな」という規範や、「他人を殺せば死刑や無期懲役」という規範と罰則というものをもつ人間はどのようにして自由に社会を作っているのであろうか。あるいはスケープゴートを作る人間とはどのような人間なのであろうか。そこに自由な思考による合理化というものが存在するのであろうか。
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P1037
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強迫や、妨害による意思の撤回
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選択の自由が強迫や、妨害によって妨害された場合にはある人間の自由な意思が妨害されたのであるから、悔いが残り、あとから取り消したくなったり、あとから後悔したりすることになる。これを法的に解決する場合には法が取消を許すことになる。政治的には変革がおこることになる。
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P1038
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バーリンの二つの自由概念について
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バーリンは、マルクスとマルクス主義の政治を一人の人間として干渉されない消極的自由というものによって批判した。それは一つの正しい批判であった。干渉されない、自由の権利というものにたいして、ドイツの哲学者ヘッフェがノージックについても理解を示す傾向さえ有しはじめていることをみれば、このバーリンの干渉されない消極的自由という概念がいかに影響力をもっているかということを理解できる。東西冷戦後のドイツの政治(哲学)の新しい傾向はこのような干渉されない消極的自由にたいしてどのような方向性を示すのか興味がもたれるところである。
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P1039
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ノージックの最小国家の概念は今後追求されるべきであると考えられる。ヘッフェは次のように解釈している。
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「ノージックは最小国家という形態の国家を正当化しているが、このなかに社会契約概念の三要素のすべてがはいっていることを確認してみよう。
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社会契約の概念の第一の要素は「すべての人が自由に同意していること」であるが、この要素は、「すべての人にとって利益になっている」というノージックによる正当化の規準則に該当する。
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社会契約の概念の第二の要素である「権利と義務の相互委譲」の要素についてはロールズの正義論と同様に十分には明らかになっていないとはいうものの、ノージックの正義原理の対象となっている「自由論」の権利概念のなかに見いだをキことができる。
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そして最後に社会契約の概念の第三の要素は、国家という公的な強制権力を理論づけることである。ノージックは自由権を法的に
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P1040
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効力を持たせるように実現させ徹底させることができるかということを明確に問題意識として持っていて、そのために国家という公的な強制的権力を基礎的に理論づけようとしたのである。」(§四七三頁)
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自由の権利、つまり、国家が干渉してはならないということは、まだ、法的に裁判所で完全に認められた権利ではなく、多くの理論によって簡単に他の価値におきかえられているのにたいして、ノージックはそれを法的にすることに力を注いだのであるといえる。
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P1041
<!--[endif]>
二つの自由
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二つの自由について論ずるにしても、そのことばとしての最初の意味と、バーリンの二つの自由と、フロムの二つの自由は、すべて重なった意味ではあっても、それが異なった環境のなかでことばとして使われているために、その二つを対照し、特色を洗いなおすことは非常に自由論の将来にとっては意義のあることだと考えることができる。
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P1042
<!--[endif]>
バーリンの考える自由な社会
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バーリンが考えている自由な社会は、ある人や、ある集団が、他の人や、他の集団や、統治者からできるだけ干渉されることの少ない社会であるということになる。
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P1043
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自由な状態
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自由の妨害の排除は、一時的には自由な状態を荒起し、次に自由な活動を行うことになると考えられるので、バーリンの自由な状態論も正しいし、フロムの自由な積極的活動論も正しいことになる。自由な状態とは形式的自由のある状態のことである。自由な状態においては自由な活動をしても、しなくてもよい。『自由からの逃走』において論じられたのは「しなくてもよい」という選択をした人々が、権威に自由の処分をまかせたことを研究したのである。マゾヒズムにしろ、サディズムにしろそのような研究である。「しなくてもよい」ほうを選んだ人のうち、バーリンのいう積極的自由を行う人々がでてきて、他の人々に干渉して、他の人々の自由を奪おうという人がでてきて、そのような人々が過半数を占めてしまって、寛容的ではない法をを作ってしまったり、寛容的ではない思想を
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P1044
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流布させることによって、人々の自由を奪い、形式的自由さえなくしてしまわせるかもしれない。これを「自由からの逃走」と名づけたフロムは、そのようなことをおこさないパーソナリティーとして全体的に統合化されたパーソナリティーの概念をサディズムや、マゾヒズムの概念の対抗概念として提出したのである。私のことばでいえば、マゾヒズムとは、一般的なことばでいえば依存的な性格のことであり、サディズムとは逆依存的な性格のパーソナリティーのことであり、その二つは一体となって依存状態を発生させることになる。ハイエクはその状態を隷従の状態とよんだのである。それは社会的な奴隷状態のはじまりのようなものである。
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P1045
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バーリンの二つの自由論と、その発展
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バーリンの二つの自由論は東ドイツのシュタージェの世界や、東ドイツの密告社会の存在を一九五八年の段階で予言するような予言の書であったとともに、当時の東西冷戦時代の西側のイデオローグであるという側面ももっていた。しかし、現在東西冷戦が終了したのちに東西冷戦時の様々の人権侵害の事実が表面にでてくるにつれて、単なるイデオローグの枠を越えた「人間の本性」をとらえた政治家、政治学者であったのではないかという評価が可能となってきたのではないかと私は考える。もし単なるイデオローグであったのならば現在東西冷戦が終結したあとでは必要がなくなるということになるはずであるのに、現在でもバーリンのいう「二つの自由」の概念は人々の心を打ち、自由の政治的概念の中心をなすものであると考えられていると思わ
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P1046
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れる。
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P1047
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バーリンの自由論とミルの自由論 <-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->SPAN>
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バーリンのいう消極的自由論は内在的自由論に近いものであり、ミルの自由論は自由な活動論に近いものである。ミルは社会的な妨害をなくすことについて主に述べるが、バーリンはそれによって内在的自由を確保すべきことについて主に述べる。それは重点のおき方の違いである。従ってミルの自由論は社会状態のなかにある社会的、政治的自由について詳細に述べたものであるが、バーリンは自然的内在的自由について述べるがゆえに、自然法や社会契約の神聖さについて述べざるをえなくなるのである。
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P1048
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内在的自由とバーリンのいう消極的自由
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内在的自由は法によって守られるべき自由と同じであるか。あるいは内在的自由はバー・潟唐フいう消極的
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自由と同じであるか。バーリンは消極的自由の範囲はソ連邦や独裁者の法のような実定法によって侵されることがあったとしても、道徳上の規則によって守られるべきであるという。この消極的自由の範囲は人間の本質的自由を守るものであるという。人間の本質的自由が内在的自由であるとするならば、消極的自由と内在的自由はほぼ同じものであることになる。
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P1049
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バーリンの干渉されない消極的自由論が、偉大な観念として、人間の本質的自由である内在的自由をあらゆる障害や、妨害から解放して、内在的自由を明白にしようという目的で主張されるならば、それは現実的で、リアルな本当の人間的自由論となる。
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P1050
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干渉されない自由は人間の本性か
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個人としての人間は干渉されず、他人に拘束されていない状態が、人間の本性であり、社会的に自由な存在、自由な人々の集まりである社会的な存在としての人間も、干渉され他人に拘束されていない状態が人間の本質的な状態であるとするならば、そのことだけで人間にはバーリンのいう干渉されない消極的自由の必要性を証明することができると考えられるだろうか。依存的な人、強制の側にいる人でも、服従の側にいる人でも、その人が社会(国家)観を構成しようとすると、人間は権力に依存しているべきなのが本質で自由であるのは人間の本質ではないと考えるであろうから、その人は他人に拘束され、他人に干渉されない状態の存在する社会を構想することはできない。
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社会は人間の本性そのものから成立しているから、最初の質問はイエスであろう。
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P1051
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バーリンの消極的自由をどのように解釈するのか。
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干渉されない自由の範囲を決定し、かつ、干渉することのできる自由の範囲も決定しようと考えたバーリンは前者を消極的自由、後者を積極的自由と名付けて論じた。この二つの自由はまず前者が干渉されない私的自由の範囲を決定するのに役立ち、後者が干渉することのできる公的範囲を決定するのに役立つから重要なアイデアであるという高い評価が下せるというのではない。この区別は全体主義の精神構造をバーリンのいう「自我の分裂」の解明という形で明白にできるという点こそがこの理論の第一のメリットなのである。社会のなかには自由を拘束するものがたくさんあることは誰もが認めるところである。しかし社会のなかにおいて絶対理性や絶対的なものを主張し、それを強制し、他人に押しつけることは、自由にたいする大きな脅威であることを示そうとしたところにバーリンの自由
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P1052
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論の重点があり、バーリンの自由論の自由論のなかにおける位置付けがある。ミルの自由論がそこまでの理論付けを行なっていたとは考えることはできないし、ベイの自由論にしても同様である。これはバーリンが旧ソ連邦における彼のそうぐうした革命という事件の解明から生まれてきた特殊なものであるということはできず、現在の不寛容な人々の自由論の解明をも行なうことができる一般的で、普遍的な位置を有していると考えることができる。
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干渉されえない消極的自由の範囲は干渉する積極的自由を主張する人からみれば、そのようなものは存在しないということになるし、干渉されえない消極的自由を主張する人からみれば、干渉できる積極的自由の範囲など存在しないことになる。この二つのせめぎあいは結局交渉によるとすれば、干渉されえない消極的自由を主張する人を自由を守ろうとし、干渉する積極的自由を主張する人は自由をおか
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P1053
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そうとしているにすぎないことになる。となればこれはマッカラムのいうとおりに、積極的自由は自由を侵害しようとしているのみなのであって、自由を求めているとはいえないことになる。ところが積極的自由主義者も積極的自由を行使しているということになると主張するであろう。こうなるとそこにはただ自由ということばの使い方の違いがあるのみである。
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P1054
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バーリンの自由論
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自由の主体は一個人であることもあれば個人の集団である場合もある。自分自分の意志を自分で考え自分で行為し自分で選択をし、自分で責任をとること、それが自由の本質である。このためには他の人や他の集団から干渉されず放任されているべきである。他の人や他の集団が統制ないし干渉できる根拠や範囲を決定することが放任されているべき範囲を決定するためには必要である。前者を消極的自由とよび後者を積極的自由とバーリンはよんだ。消極的自由の範囲は人為的な境界線によって決定されたものではなく、歴史のなかで自然に長い間受容されてきた規則、自然法や社会契約やら様々な理論付けがどのようになされたとしても共通に存在しなければならない規則によって定立されをスものであり、誰も決して越えることを許されるべ
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きではない越界線のなかに存在する範囲である。どの
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P1055
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ような社会においてもその境界線のなかに存在する消極的自由の範囲は、厳然として存在せねばならない。この境界線を守ことは正常な個人という概念や、非人間的な行動や狂気の行動という概念のなかに含まれているべきである。バーリンにとって「個人が正常である」という表現のなかには消極的自由の範囲の境界線を簡単 にふみこえてはならないということが含まれているとしている。友人同志が密告しあったり、多数者ないし暴君が少数者を気にくわないという理由で虐殺したり、拷問にかけられたりするときには、この消極的自由に関する諸規則が破られているのだとバーリンはいう。この諸規則が法律には関係せず道徳的に正当化されるものであり、絶対的な防壁となるべきものである。この消極的自由は人間の本性に深く根差しているものであって、正常な人間という観念の本質である。バーリンはこの範囲内の個人的自由は不可侵である
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P1056
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と信じ。それは絶対的であると主張する。
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P1057
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バーリンの絶対理性論と自由
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自分の主体性を絶対理性の法に従属させねばならないという考え方にバーリンは反対する。絶対理性に反対する権利があると主張する。この考え方はバーリンが処女作の『カール・マルクス』においてもあらわれてくる考え方である。バーリンは一九〇九年にラトビアの首都リガに生まれたが、一九一五年六才の時に家族とともにロシアに移住し、一九一七年にロシア革命にそう遇して一九二〇年彼が十一才の時にイギリスに移住した。この経験は彼にカール・マルクス研究の本を出版させるきっかけとなったものと考えられる。 P1058
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バーリンは、ある人が、他の人の自由な活動の妨害となることを、「絶対理性」による-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->極的自由による妨害として、二つの自由の概念を明白にしようとした。そのような積極的自由の発生理由を主に絶対理性に求めたのである。そのような絶対的な理性を発見させるために、絶対理性を強制したり、経験的な自我にたいして絶対理性を強制したりすることが積極的自由であると考えた。禁欲主義による自己否定も絶対理性にいたる場合があると考えた。バーリンは統治する側が積極的自由を行使する場合を主に説明し、統治論・政治論として主にこの二つの自由の概念を展開したのである。
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P1059
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しっとする自由と、しっとされない、干渉されない自由。
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バーリンのいう「二つの自我」をもった人達は、他人を干渉し、妨害する自我をもっているのである。干渉される側からすれば、干渉する人は「二つの自我が分裂した人」であるが、干渉する側からすれば、干渉される人は多くの所有をもった「わがままな」人であり、富裕すぎる人であり、私がしっとし、干渉するのは自由であるということになる。しかしこれは分裂した自我のさようであり、あまり正しいとはいえない。P1060
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バーリンの積極的自由
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バーリンのいう積極的自由の意義は「わたしは何をし、何であるのに自由であるか」("What amI free to do or be ?"ということ、つまり私の自由な活動にあるのではなくて、「誰によって統治されているか。」"By whom am I ruled ?"あるいは、「私が何であり、何をするべきか、するべきではないかを誰がいうことができるのか。」"Who is to say what I am not , to be or do ?"ということこそがバーリンのいう積極的自由の関心事なのである。これは私の自由な活動(積極的自由)なのではなくて、統治者の自由な活動(積極的自由)が問題となっているのである。そしてそれは私の積極的自由を他の人、あるいは、統治者が干渉する主体となることがどの範囲までできるのであるかについて問うているのであって、私の積極的自由はその干渉が少なければ少ない程大きくなるのである。すなわちそれは私の干渉
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P1061
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されない消極的自由が増大したことになるのだから、統治者が私のする自由である積極的自由に干渉するべき範囲及び、統治者が私の積極的自由を増大させるもととなる私に統治者が干渉しない消極的自由を増大させることを目指しているともいえるし、逆に、私に干渉する統治者の積極的自由を減少させるともいえるのである。
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自由の三要素の分析でいえば、こえは私の自由を干渉し、妨害するものについて述べているのであり、それが統治者や、他の人であったり、他の集団であったりした場合の分析であるということができる。そして統治者があなたの「真の」自由のために干渉するのだといを「ながら、実は自由を全く認めていないというこ
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とをいっているのだと、マッカラムのように解釈すればこれは「真の」自由とさえいうことはできず、自由ということばは使い方がまちがっているということになる。「真の」というのは自由のための資源を増やして
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P1062
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やるよという意味にとる時にだけ、資源がふえることを自由が増えるといった時にのみ、それは自由を、「真の」自由を増大させているのだということの意味を理解できることになるのである。
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こう考えると「真の」というのは「経済的な唯物論における資源の」というように解釈する時にのみ「真の」自由といえるのであって、あるいは、干渉する「積極的」自由という意味に解釈する時だけ、自由ということばを使いうるということになるが、しかし、干渉する自由を指していることになると、それはそのまま干渉されない消極的自由と対立していることになるのである。
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P1063
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バーリンの自我の分裂論
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「より高い」自我は「真の」自由を達成するし、「より高い」自由を実現するのが「真の」自我である。これが積極的な自由をもった自我であることになる。「真の」自我は国家主義の場合には国家そのものとして考えられるようになる。国家は「真実の」主体とみなされるようになる。そうなることが個人の自由ないし独立であり、それは国家の自由ないし独立に合致することになる。現実に戻ればたとえば国家主義者も経験的な現実を持っているのであり、そこに自我の分裂が発生する。
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P1064
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煽動の心理‖自我の分裂
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「労働者よ団結せよ。」という『共産党宣言』のなかにおけるマルクス・エンゲルスのことばは、煽動の最も端的なことばである。この心理を分裂するためにはバーリンのいう自我の分裂について深く研究する必要がある。絶対理性としての歴史法則としての唯物論がまず存在する。次に、自分が見方する者達をひとまとめにくくる。自分が見方する労働者という概念でそのすべての人々をひとまとめにくくり、そこには労働者の自由というものを設定し、それの一般意思を設定し、労働者一人一人には自由は認めず労働者全体の自由を求めることこそ「真の」自由なのだといいはる。そしてそれを絶対理性として絶対的に労働者すべてに強制し、主権をとったあかつきには、その絶対性を万国の労働者すべて、つまり人類すべてに及ぼすといいはるのである。そのような煽動家は道徳心や、規範意識
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P1065
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強く、すべてを共有にしようというくらいだから、私有意識が全くないのであろうか。そうではなくて世界を私有しようとしているのであって、自分が世界を持ち、世界全体を自由にし私有しようとしているのであろうか。
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P1066
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積極的自由と依存
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依存的な関係においてはバーリンのいう積極的自由が最も多く行使される。それは依存の側からも逆依存の側からも。サルキングはその最も主なものである。
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P1067
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絶対理性の現実は依存か。
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絶対理性論は、自らが依存できないことにたいして、依存させることは絶対的な使命であると強制しているだけなのかもしれない。依存させてくれないのは悪いことだといっているにすぎない。たしかに「その人にとって」依存させてくれず独立せよという人は、依存させてくれる人よりもずっと悪いひ人である。これは誰でも分かる心理である。しかし依存させてくれている人が、ある時依存させてくれなくなった時には、その人が独立していなかったことは、もっと悪い結果を生むことになる。
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P1068
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共産主義批判における依存性と絶対性の批判
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共産主義を批判するのに、依存的な性格から生まれた一人の頭の中だけのことだったというのと、絶対理性の絶対性(自由のない、性質)を批判するのは同じことだろうか。
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大量生産により作られた製品が、貧者が平等に近くなりその製品を買うことができるようになり、大量生産を行なう資本家をも富ませるであろうという経済循環の考え方がマルクスの共産主義にあっただろうか。このような経済循環は自由な意思によって成立しているのであって、絶対的な自由のないことによって成立しているのではない。経済的なものは経験的な、場所的な、絶対理性論者のいうつまらないものからなりたっていることが多い。
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P1069
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依存、より高い自我、絶対性
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依存することと、「より高い」自我を考えることは深く関連しているという仮説をここに提示したい。依存するのは何に依存するのかといえば、「より高い」自我である国家の自我とか、階級の自我とか、「歴史の絶対理性」とかなどに〈依存〉していることになるのである。それは薬に依存するのも同じことである。依存的であることを可能にするの-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->、依存する人の方がより高い自我を持っているということによってのみ可
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能となるのである。その「より高い」という概念は主権の概念に似ており、絶対性を主権に認めるならば絶対王権の考え方に似ていることになる。相対的な部分が主権に認められるならば、主権は現実で、経験的となり、更には三権分立以上に多数の権力の分立状態が可能となることになる。
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P1070
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積極的自由は、害というよりも危険であるといえる。
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積極的自由は、その積極的自由によって干渉する人に危険を与える。これがガキ大将とバーリンが同一視した理由であろう。ところが消極的自由には全く危険性がない。危険性があり、評判の強制ができないので、積極的自由の「二つの自我の分裂」をこわして治し一つの自我にすることで、積極的自由を行使する人には「危険」とうつるかもしれないが、その危険で「二つの自我」から一つの自我になることは正常になるためには必要なことであると思われる。
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P1071
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干渉されないことによってえられる内在的自由の見地からみたバーリンの消極的自由と、それに対立する干渉する自由
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自由とは干渉されない自由のことであるから、干渉する自由である積極的自由は自由とよばなくてよいのではないかというのがバーリンの意見であった。このことを自由の定義として「ある人の、自由の妨害を排除して、自由な行動をすること」の三つの複合体が自由であるとすることによって、マッカラムはバーリンのいう積極的自由は自由でないことを説明しようとした。この両者はともに自由を干渉されない方にとらえ、干渉する意味での自由とはとらえなかったのである。それでは干渉する自由は何か。それは人間の内在的自由ではあり、リベラリズムのいう自由ではある。この二つの自由は片方があれば片方がなくなり、片方がなくなれば片方が増える。このことをバーリンは「強者の自由は、弱者の自由の死である」という比喩によって表現した。
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P1072
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自由を否定してナチズムに走った人々にこそ消極的(否定的)自由は必要だった。
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「フロムのいう消極的自由、つまり、自由を否定した自由から逃走する自由」を否定するためにバーリンは干渉されない消極的自由が必要であると考えたことになる。バーリンは干渉されない消極的自由の範囲が定まればそのなかにおいては、必然的に、理の当然として自由が達成されうると考えた。これがバーリンの「自由の状態」論である。ところがそれは必然なことではなかったとフロムは考えた。自分の家や、干渉されない範囲を決められた人でも不安や、自由の危険性のために自由から逃走していくような性格の人がいることをフロムは心配したのである。そこにおいて積極的自由が必要と考えたのである。フロムのいう積極的自由が、バーリンのいう消極的自由の範囲内のみに限定されるのか、バーリンのいう積極的自由に向かうのか、バーリンのいう消極的自由を得るための政治活動に向かう
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P1073
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のかについては、パーソナリティーの問題だと考えたのである。
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「権力とパーソナリティー」の関連について考察したハロルド・ラズウェルにたいして自由とパーソナリティーについて極めた政治学的にフロムは論じていることになる。メリアムが『体系的政治学』のなかで待望していたパーソナリティーと政治の科学化の問題がラズウェルの考察のあとフロムによって一歩進められたことになる。フロムの研究は社会心理学や、心理学の範囲に追いやられているが、しかしこのような意味では極めて政治学的であり、政治心理学や、政治学が研究すべき問題であると思われる。
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P1074
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バーリンのいう積極的自由は、他の人に干渉して、他の人を奈落につきおとそうとしているのか。
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「ライオンは子供をつきとばして育てる」というような格言を、依存性の強い人が、自らが依存できないと思った人間を、積極的自由により干渉し、妨害するために、引用して使用する場合がありうる。依存的な人が他の人をつきとばしているのは、ただバーリンのいう積極的自由を行ない、他の人に害を与え、他の人にたいして悪意をもって「何もしてやりたくない」と干渉しているだけのことであって、「ライオンのような温かさ」もないのである。これをバーリンは「人間の管理を物の管理のようにする」といっていると私は思う。ライオンよりも劣っていることになる。
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P1075
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ある集団の地位の要求による干渉の利益と、他の集団に対する「害」
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他人のことに干渉するのに、その他人の地位を向上させるためという各自のためにその人に干渉するが、ある人に利益を与え人以外の人々に害を与えるのは妥当か。これはマルクス主義のような場合が考えられる。P1076
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積極的に他人に干渉することは、ミルの禁止する「社会の害」になるか。
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バーリンのいう積極的自由は、ミルのいう干渉されたくない人々にたいする「害」になっているのではなかろうか。それは社会にたいする害になっているのではなかろうか。たしかにそれが「害にならない」、「許す」とされている社会を暴力革命によって作り、そのような憲法を国民すべてに強制することを許可し、すべての人が干渉されない自由をなくした社会を作る、暴力的に作り、その暴力的権力で、そのことを強制するならば、それは強制は憲法で認められている自由であるから、自由となるかもしれない。しかしそれは他人に害を与える自由を憲法で認める社会であるとはいえないのだろうか。
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私はそういえると思う。従って、形式的自由にたいして、実質的に干渉されたくないと思っている人にたいして干渉することは害を与えているといえる(表現できる)のではな
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P1077
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かろうか。
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そう考えると、ドゥウォーキンのいう干渉されない消極的権利などないという考え方は、そのような意味でまちがっているのではないのか。黒人の人でも干渉されたくないと思っている人はたくさんいるのに、ドゥウォーキンの考え方は、依存的な人の思い上がり、いわゆるおとなしい人の、口数の少ない人の、絶対理性的な人の思い上がりではないのだろうか。この疑問がぬぐえない。ある人はそのような考えは不孫だというかもしれないが、そのような考えは人間のア・プリオリな本性をついているかもしれないのだということについて、ドゥウォーキン氏らは反論すべきであると考えるのである。ドゥウォーキン氏の『権利論』の第十二章は、バーリンにたいする反論であるから、バーリンの研究者はそれにたいしても研究し結論を出すのが学者としての使命ではなかろうか。両方の討論を聞いて、反対論についても結論を出すのが学者
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P1078
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の使命であろうからである。
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「二つの自由」について学問的に述べようとするならば、それに真っ向から反対しているドゥウォーキン氏の「消極的自由」など存在しないという議論にたいしても、それが百%否定する発言であるからこそ、反対論の学問的、良心的、(裁判の現実上の)現実的反論であるからこそ、理想論にのみ陥らず現実論として干渉されない自由を論ずべきであるから現実的に性格に反論すべきであろう。
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黒人や、虐げられた人の心の中にこそ、普通の人以上に干渉されたくない、消極的自由の主張が、貧乏にもかかわらず(富んでいればなおさら)存在するであろうことは現実的な感情である。より以上に富めばそれにこしたことはない、しかし、貧しくてもその感情があることは現実的に観察する人はだれも否定できないであろう。
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P1079
->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->pportEmptyParas]><!--[endif]>
同業者団体主義と、集団主義とは同じ地位の承認を要求しているのか。
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中性のギルドや現代の同業者団体内部における自由の問題は、地位の承認ということばでバーリンが考察した問題といか程に関連しているだろうか。階級の概念による地位の承認の要求や、第三世界の国家が先進国家にたいして行なう地位の承認の要求という概念とはことなって、同業者団体や、現代政治学における圧力団体の地位の承認の要求はバーリンのいう抽象的な「階級とか、国民、皮膚の色、民族」などを一個の実在として認めてほしいというものではない。労働者という階級に自らを絶対的に従属させ自らの個人的自由を捨て去ったり、国家や民族という抽象的で絶対的なものに自らを従属させたりして、自らの個人的自由を捨て去ろうというものでもない。バーリンは同業者団体(利益団体といってもよい)と自己を同一化することと、階級や国家と自己を同一化して自由をなくすこととを、同一の
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P1080
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次元で述べているが、この二つは利益団体か、本能のような固定的なものにねざした自由のないものに根ざした共同体かとの違いくらいに相違するものであると考えられる。前者は自由を増大させるために使われることはあるが、後者は自由を減少させるかもしれない。なぜなら、自由のない固定的なものに自己を従属させることになるのであろうからである。
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P1081
<!--[endif]>
自由な活動のために、自由な人が自由を妨害するものを排除すること。
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ある自由の妨害の排除は、ある自由な人が、自由な活動のために行うのであって、この三つは互いに関係をもっている。ただ単にある自由の妨害の排除のみが、その自己目的のために、干渉されない消極的自由のために、例えば、自分の家と、自分の境界線の範囲の確定のためだけに、目的とされることがあるとバーリンはいう。その家の中でどのような家庭を作るかは自由の境界線が確定されてから考えるという場合が存在するとバーリンはいう。たしかにバーリンのいうとおりではあるが、をオかし、自由の妨害を排除しようとする
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のは、生の本能の妨害を排除したりする場合とはちがって、自由(内在的自由とする説をとるかどうかは別としても)があると思うから、妨害を排除し、自由を確保しようとするのである。その家の中で生の本能を確保しようとするかもしれないが、それにたいす
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P1082
<!--[endif]>
る妨害は、ただ単なる妨害の排除であり、生の本能を確保することは目的としているのであって、自由のためではないから、自由論とは全く関係ないのである。今ここで問題となるのは自由の妨害の排除であり、その結果自由になると分かっているから、自由の妨害を排除するのであるから、やはり、バーリンのいう主張はそのような意味ではまちがっていることになる。自由の妨害の排除は内在的自由や、自由な活動を、自由な人間が行なうためにするのである。
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P1083
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内在的自由と、無知のベールと、無縁。
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無知のベールの状態と内在的自由との関係については相当な関係がある。無知のベールの状態を大人どうしのカフェにおける状態と考えることと、子供同志が互いに名も出身も知らないで子供同志の遊びをはじめる時の状態を考えることとではどちらがより無知のベールの状態に近いのであろうか。大人の場合無縁の人が集まっているので、無知の無の意味と無縁の無とはどちらもあるものがない(無い)という点においては共通している。しかし赤ん坊に近い子供の場合程、それだけ内在的自由の状態に近い状態であり、何にでもなれる可能性が存在している状態である。ところが一方大人同志が無知(知らない)人間同志が集まっていても、すでに内在的可能性のうちの大部分はすでに決定されている。もしもそこから解放されて、あたかも「無礼講」の宴会におけるように自由に解放されている状態
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P1084
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にすぐになれればいいが、大人の固定され、決定された状態から解放された内在的自由の状態になることはある程度の努力が必要である。従って無縁状態にあるといっても少しはぎこちない。それにたいして赤ん坊に近い子供達程内在的自由に近い状態であるから、無知のベールをかぶった平等な自由の状態に近いといえるのである。
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P1085
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サロン、無縁、居酒屋・独立することと自由。自由な場と人と、制約され制限されている場と人。
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土屋恵一郎『正義論・自由論||無縁社会日本における正義||』岩波書店、一九九六年において述べられている無縁の状態は自由とは全く関係がないのではなかろうかという見解がありうる。しかし一時的に無知のベールをかぶっているようにみえる場所がありうるかもしれない。無縁の状態を大人が演出していても内在的自由があらわれているのか、あらわれていないのかは容易には見破ることはできない。赤ん坊同志の集まりでは内在的自由はよくあらわれているといえるであろう。
<!--[endif]>
P1086
<!--[endif]>
バーリンはフロイトとマルクスをどのようにみたのか。
<!--[endif]>
バーリンは一九六九年版の『自由論』の二五頁にオーウェルや、ハックスレイやその描いた全体主義の社会が、マルクスやフロイトの世界と同じであるという意味で、一九五八年の初版に"far removedfrom Morx or Freud"という語句をそう入している。マルクスやフロイトは心理的かっ藤を悪いものと考えたが、全体主義社会においては社会心理的かっ藤はないものと考えられたのである。悪いものであるからないものと考える考え方が生まれるのである。人生の目的が様々であれば社会心理的かっ藤は悪いものではない。従ってそれをなくそうとは考えずに個人的な自由の範囲無いで解決しようと考えるが、マルクスやフロイトにおいてはそれを全体的に、絶対的理性によってなくそうと考えたのである。 P1087
<!--[endif]>
ヘーゲルの世界精神としての自由の歴史は、決定論か、自由意志論か。
<!--[endif]>
自由、それも内在的自由が人間にあるという本質からすれば、自由は永遠普遍なものではあるが、自由意思論によるものであって、自由意思によって決定されるという考え方は決定論ではなく、人間の内在的自由によって決定されるといっているのである。
<!--[endif]>
P1088
<!--[endif]>
価値相対主義と自由の同一性
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絶対理性による絶対的強制を積極的自由、相対的な理性による相対的強制を消極的自由とよぶとすれば、それはこれまで絶対価値論と価値相対主義とよばれてきたものを自由という観点からいいかえたものだということができることにある。ある強制が絶対理性似寄るものではなく、相対理性によるものならばその強制には自らが納得しないならば、それに従う必要がないことになる。
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P1089
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絶対理性の主張は、その論理の絶対性を主張するが、そのような絶対的価値は自由のある人間についてはあ
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りえないかもしれない。
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P1090
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自由の相対性と、自由な人間の把握
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自由は相対的であり、絶対理性ではない。正しい人間の把握は自由のなかにある。しかし性本能や食本能は本能であり、絶対的である。そこから絶対理性論が生まれる。
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P1091 -->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->SPAN lang=EN-US>
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自由を殺す原因はねたみなのであって、平等が殺したのではないといえるか。
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自由を殺す最も大きな原因はねたみである。これがソ連や東ドイツにおいて密告社会を作ったし、平等のために自由を殺すことにつながった。資源を平等にすることがねたみによってではなく、合理的に行なわれるのであれば自由を殺すことはないであろう。
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P1092
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ホッブズにおける内在的自由
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「自由とは、この言葉の正しい意味に従って理解するならば、外的な障害(exteranall Inpediments)が存在しないことであり、この障害はある人が意思したころをするその人の能力の一部分を喪失させるかもしれないが、それでも判断力と理性が命ずるとおりに行動するその人に残された力を行使することを妨害することができない。(deviathage,P.I Chapter, 14.)おそらくこの「その人に残された力」とは実定法や、悪法の陰に隠れた「自由権」についていっているのであろう。それは私のことばでいえば内在的自由ということができると思われる。彼の社会契約論はそのような意味で、内在的自由のような意味の自然の状態における自由をとり戻すために、君主主権に対抗して社会契約を行ない、社会契約の下における自由をとり戻そうというものであったと解釈できる。
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P1093
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ホッブズにおける自由
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ホッブズは『リヴァイアサン』の第二一章「臣民の自由について」のなかで、「リバティーあるいはフリーダムとは、活動の外的な障害物という意味での対立する物、そのような対立する物が存在しないことを、もともと意味する」と冒頭で書いている。この定義によれば、囲いに囲い込まれている動物にも自由は存在しないということになるし、水が容器のなかに閉ざされて外に拡散できない場合には、水や動物にも自由という表現ができるということになるので、人間が自由であるとは、「自らの強さの力と知識力とによってすることが可能ないろいろなことについて、自分がする意志をもっていることをすることを、妨害されない」ことであると定義しなおしている。「自由意思」というものをホッブズが定義して、人間の自由のことであるとし、「あることを
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P1094
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する意志や、欲望や、意向をもっている人がそれをすることを妨害されないこと」であると述べている。 P1095
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Hobbes, Thomas, Leniathan, (1651)
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Cambrige Uninersity Press, 1991.
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P1096
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ホッブズにおける法と権利と自由
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「自然法(A Law Of Nature,(Lex Naturalis,)」とは、……この問題について論ずる人たちは、よく「ユスJus」と、「レクスLex」〔ラテン語〕、「権利(Right)」と「法(Law)」混同して使用するが、区別して使用するべきである。権利はする自由であったり、そうしない自由であったりするのにたいして、法はそのどちらかに決定し、その決定に拘束するからである。したがって「法」と「権利」は「義務」と「自由」くらいに相違しており。同一のことがらにおいて両立することはない。」(Levia than, P.I. Chapter.14.)
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P1097
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自由の一要素としての資源・機会
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第九章 自由の一構成要素として資源・機会・能力
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P1098
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資源は自由の一構成要素であることの証明
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資源は自由の一構成要素であることを証明するためには、自由は資源なしでは行使しえないということを証明しさえすればよい。例えば資源は何もなくても、頭の中だけでできる自由もある。しかしそれをする人はどこかに住み、食べ、衣服を着なくてはならない。
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P1099
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機会の自由とその平等
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機会は時間的なものである。暇は人々に機会を与えてくれるが、そのためには労働から解放される必要があるといわれているが、それが真実である程度が低くなってきた。機会は自由の一構成要素であるかもしれない。なぜなら機会や、時間がなければ自由な活動はできないからである。時間は早死にする人でなければすべての人に同じく与えられておりこの点は、肉体や、内在的自由と同じくらいに人間には平等である。しかし早死にしないように人間は生の本能によって健康に留意して生活するのである。
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P1100
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努力し、能力を増大させることを干渉されないバーリンのいう消極的自由と、ロールズ。
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干渉されない消極的自由は自ら責任をもって行動する努力をする自由を干渉されないという自由でもある。ペシミズムにおかされないということだ。努力しようとする人、たとえ能力がないと社会的にいわれている人であっても、内在的自由があれば能力が潜在していないことはありえないから、そのような人々が努力をしようとすることを妨害したり、干渉したりするということこそがバーリンが拒絶しようとしたものであると考えられる。内在的自由を認めるということはすべての人が内在的には潜在した能力を持っているということ、その平等性を認めるということでもある。それはまた能力をもとうとする努力を認めることでもある。ロールズが機会の平等を尊重しようとしたことは、そのような努力の妨害は積極的自由でありすぎそれゆえに認められるべきではないというのがバーリンの意図すると
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P1101
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ころであったと考えることができる。機会の平等ということばはバーリンは一度しか使っていない。それは平等ということばが自由を殺すために使われたいまわしい過去があるために、そのことばを使いたくなかったのであると考えることができる。しかし努力し、能力を得ようとする機会の平等は自由を殺すどころか、自由を増大させるものである。それはロールズの正義の原理の意図するところでもあるのである。
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P1102
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人間の外的な対象物と、人間の自由。固定的な対象物と自由な対象物。
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資源や、機会や、能力は自由を可能にし、自由を実質的自由にする自由の一構成要素なのであろうか、自由が働きかける自由の外的対象であるのだろうか。自由の外的対象であると考えるならば、自由とは一切関係ないものであるということになり、自由の対象物ということになる。自由は人間の内部に存在する自由に選択が可能な、自由意思そのもののことであるとすれば、自由は外的な資源や、外的な機会や、外的な技術(人間の考え出した技能や、技術を■■によって得た能力のことを一時的にこうよんだ)や技能にたいして自由は働きかけるということになるが、外的な資源や、機会や、技能は外的に自由の外にある「もの」なのであって、固定的なものである。もし外的な「もの」が固定的ではなく、自由なものであるならば、それは自由の一構成要素ということができる。自由な活動も
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P1103
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、自由の三要素のなかの自由な主体も、自由な主体に・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->妨害も選択的であり、自由なものである。もし妨害する「もの」が橋が壊れているような自然の「もの」である場合には我々はその「もの」は自由の三要素であるというであろうか。もし橋を作ったり、作らなかったりすることが人間の自由(意思)の選択の範囲内に属するものであるのならば橋を作ることが、橋がない場合よりも人間を自由にしたといえるかもしれないし、橋があることと、橋がないこととは自由を妨害していないことと、自由を妨害していることとに対応しているのかもしれない。妨害物となっているものが固定的であること、たとえば人間が百度の場所には住めないということは、それは固定的な人間の障害物なのであって、人間の自由になるものではないし、水の中にずっと住むことも、宇宙の五百度の環境のなかに住むこともできないのは固定的なことであって、そのような障害物は人間にとって自由論の対象
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P1104
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となるような障害物ではないということになる。ところが先の例でわかるように橋を作るか。作らないかは人間の自由になる範囲のことであるから、橋が自由の障害物であるかどうかは自由論の課題となる。
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このように考えてくると、資源や機会や能力が自由に関わりをもち、三要素の一つとなりうるかどうかは、それらが固定的であるのか、自由なものであるのかということにかかっているのである。
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次に自由な障害物が、外的な対象であるのか、自由の三要素のうちの一つになるのかということに話しを戻そう。橋の例をみてもわかるように、橋は物である。バーリンが「自分の進む道に障害物がないこと」が自由であるといい、ドゥウォーキンはそのような欲望の自由にたいする権利などは一般的には認められないというときの、その障害物が橋がないことであったり、また、人間が空を飛ぶことができない理由が飛行機を操縦する能力を教
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P1105
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育によってみにつけていないときに、その橋を作っていないことや、操縦能力がないことは自由の障害物となっているといえるのか、人間の外的対象であるのか。橋は人間の外的対象物であるし、橋を作る工学をみにつけようとする時の工学は外的な対象であるし、飛行機の操縦能力も工学としをト学ぼうとする時には人間
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の自由の外的対象である。しかしそれが人間が自由と飛べたり、橋をとおって隣の村に自由にいけたりする時の「命題(文章)」のなかの一要素となっているときには、それは自由の障害となっているか、なっていないかの自由の三要素のうちの一つとなるといいうる。
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それは資源についても同じで、自由に選択が可能な資源(公共的な橋もそのうちの一つであるし、自分の勉強机もその一つであろう)については、自由の三要素のうちの一つということができるのであって、それが固定的(決定的)であると考えるならば、それは自
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P1106
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由の三要素のうちの一つと考えることはできない。
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社会的な物「もの」についてはそれが自由の三要素のうちの一つかどうかについて判断することは非常に難しい。社会的な制度を固定的で決定的と考える唯物論の立場によればそれは人間にどうにもならないものであり、暴力革命によって変革しなければならないのであるから、自由の三要素のうちの一つにはならないが、社会制度は人間が自由に変化させうる自由な「もの」のうちの一つであり、固定的なもの、決定的なものではないと考えるならば、それは自由の三要素のうちの一つとして人々は自由にそれをかえうるということになる。国会によってか、人々のインフォーマルな話しあいによってかの違いはあっても。固定的で、決定的であると考えるのであれば、自由にかえることはできないのであるから暴力によってかえねばならないと考えて、議会や、話し合いを拒否する主義となる
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P1107
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のである。
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このように考えると自由の障害物となる一要素である資源を平等にするという考え方は、自由の妨害物を自由に考えていることになり、リベラルな考え方といいうるのであろうという意見は、唯物論こそ資源を平等にしようということであるから自由に資源を考えているのだという意見につながりそうである。しかしこれはまちがいである。唯物論は制度の悪いのが、資源がなくて自由がない原因であるのだから自分ではどうしようもない、自分には自由はないが、全体社会を崩壊する自由が、同業者団体や国家にはあると考えるのである。自分には自由がないが、組合には自由があり、国家やらにはあるという考え方がどうしてリベラルな、自由な考え方であるといえようか。
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P1108
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利他性への強制が難しいとすれば、博愛主義への国を挙げての宣伝が必要になる。しかし、自由の一構成要件としての資源の考え方は自由のなかで博愛を考える。
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博愛主義は、自由を守った後に、自由のために平等化を行ない、そして平等の次に博愛主義がくるのであろうか。自由・平等・博愛というフランス革命の標語はその順番で優先されるのであろうか。博愛について政治学的に論じた(論文)は少ない。
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第二原理がロールズは博愛主義を■合していると考えているが、自由の一構成要件として資源をとらえるならば、そのような資源の平等化は人々を平和にし、そして人々の博愛の心が自由とともに増大すると考えることができ、博愛は自由の一部分と考えることもできるのである。この考え方は自由と平等の対立的な概念を調和させることができると同時に、自由のなかに博愛を含めることができるということになる。
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P1109
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自由の一構成要素が資源であり、資源の平等化は自由のなかでのみ行なわれるという考え方は、ロールズのように第一原理と第二原理に分け、その優先性の規則を作る必要がないという利点をもつ。また、それに付随して平等と博愛を自由のなかに含めて、自由のなかで考察しうるというメリットを有する。
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P1110
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資源の平等を情熱的に、ロマンティックではなく冷静に論じる方法。
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「資源の平等という観念」についてドゥウォーキンの『法の帝国』の第八章コモン・ローにおいては、「資源の平等という観念のほうが自由主義的観念よりもすぐれている」という論証をすることを差し控えている。自由主義(リバータリアニズム)的な観念は、富の再分配を窃盗のようなものと考えているのではないかとしている。しかし私の「義賊の心理」の理論は、窃盗であるとされる自由主義(リバタリアニズム)ではない。内在的自由論によって、この両者を統合することを目指しているのであり、それをG・C・マッカラムのいう自由とは三つの要素の結合した統合的な概念であるという用具を使うことが妥当かもしれないという考え方を用いると同時に、資源の平等は自由の一構成要件であるという原理を用いて義労しようとするものである。
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P1111
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新しい自由の概念としての「一塊のパンを買う自由」
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自由意思論は「人間の本質としての自由」の理論とはかけはなれており、どちらかというと運命會_や神的
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決定論や因果関係論に近い考え方を追求した結果生まれたものである。そこからは様々な刑法理論や政治理論などが生まれるが、そのような基礎理論を承認しないかぎりはそのような刑法理論や政治理論は受け入れることはできないこととなる。
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バーリンはマルクスの唯物論をこのような決定論の一種とみなしていると考えられる。決定論の一種とみなしていると考えられる。自由に関してバーリンは自由ということばと、一塊のパンを手に入れられない自由ということばのなかにおける自由とは無関係であり、後者のことばの使い方は唯物論を理論的基礎とした場合にのみ使用することのできることばの特殊な使い方であると考えている。なぜなら、自分はそれを支払う金をじゅうぶんに
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P1112
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もっていないということと、じゅうぶんにもつことを妨げられているということとはちがうという。社会制度が悪いことが原因となって、じゅうぶんにもつことを妨げられているという結果を生じているのだという「特定の社会・経済理論」に依拠した場合のみこれが自由論において論じられることになると述べ、社会の法律についてのマルクス主義の考え方や、若干のキリスト教の教義や、功利主義学説や、あらゆる社会主義理論の大きな要素をなしていると述べている。
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->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->これに対して一塊のパンを手に入れられないということを、唯物論のように社会制度の悪さとの因果関係のなかで考えるのではなくて、良い、悪いという価値判断をぬきにしてある事実(状態)としての一塊のパンを買う資源や、資金がないという事実を表現(記述)することは可能であり、そのような資源や資金を、価値判断がはいるが、できるだけ平等に配分しようという主張は唯物論のような価値
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P1113
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判断にではなく、〜しようという行動理論に依拠していると考えられ、三段論法でいえば平等という価値と、自由のそのようなことばの使い方と、結論としての〜しようという行動理論に依拠していることになる。平等という価値判断はマルクス主義などにおける悪い判断という考え方よりも、普遍的であり、一般理論ではあるが、平等化はマルクス主義よりも達成できるかもしれない(おそらく達成できるであろう)うえに、平等な資源や資金により活動する自由という概念を認めている'バーリンのいう消極的自由のような状態ではなく、活動としての自由をも含むのであるが)ので、社会のなかから人間の本性としての自由を殺したり、なくしたりしようという理論ではないのである。
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P1114
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自由意思の競合対立か、経済資源の分配の競合対立か
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人々の自由意思が本当に競合しているのであろうか。競合しているのはゼロ・サムの経済・資源なのであって自由意思ではない。自由意思は競合を避けているのではなかろうか。わがまま同志の対立というときには、自由意思が対立しているのではなくて、物のとりあいが主な理由で対立しているのであれば、もし物が豊富にあれば対立しないのであるから、自由意思同志が対立しているのではなくて、自由を可能にする資源(の量)が対立しているのである。
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P1115
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肉体の平等性と、精神の自由の平等性と、誠心の本能の平等性
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ドゥウォーキンにとっては平等が主な論点であり自由は主な論点ではないとは認めてはいても、自由と平等をつなぐものがない。従って自由について書く時に論理が誤ってしまうことに気付いている。もし平等は資源や機会についてだけいえるのであり、自由についてはいえないのだという論理が論理的にはっきりすればもっと論理学的にすっきりすると思われる。術語の使用上の問題が自由の問題にすりかわることもないと思われるし、ドゥウォーキン自身が術語の問題をいっているのではないかと自問自答している。自由な思考が人間の前頭葉にすべての人に存在し、それは合理性的であることを前提とすれば、そこからも肉体の平等性同様に人間の平等性が生まれるのである。肉体の平等性と精神の自由の平等性は
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P1116
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ともに人間の平等性の根源である。しかしこの二つのうちルソーの考えた肉体の平等性と・ロールズが平等な自由のなかで考えた精神の自由の平等性とは共に資源や機会の平等性と深く結びついている。肉体の平等性はまた肉体の一部としての精神のうちの本能の平等性とも密接に関連している。なぜなら一つの口が必要とするカロリーはほぼ同じであり、衣料や住居についてもそうであるからだ。
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P1117
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何を、何のために平等化するのか
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資源が平等に配分されていても、我々は自由であるとはいえない。そこに自由の権利が認められていない場合である。何を平等にするのかを考えるのは人間の自由である。しかし平等にしたあとで、自由が存在しなくなっている場合には、何のために平等にしたのかは意味がなくなる。資源の自由処分性はたしかに所有
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権の権利の一部ではある。その権利をなくしてまで平等にすることは何のための平等かということになってしまう。
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P1118
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利益と自由
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政治においては利益という概念はどのような位置を占めているのだろうか。この利益は共同社会内における利益と、利益社会内における利益のいずれを主に指しているのであろうか。共同体を主に共有財産の管理という側面からのみみると定義して政治によってそのような共有財産から得られる利益を多く自分のものにできるとするならば、政治は利益政治となりうる。また利益社会ということばをもっぱら私有財産の世界における利益という側面に焦点を当ててみるとするならば、そのような利益を多く得るために政治が役に立つとするならば政治は利益政治となりうるであろう。自由が環境と関係し、環境のうちのある因子として利益というものが関連しているとするならば、利益もまた自由と関連していることになる。政治制度と人間とを結びつけるものが利益で
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P1119
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あり、政治制度は人間の環境、それも社会的環境の主要な一部であるとするならば、その環境は人間の自由と関係していることになる。
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この環境を二つに分類することは可能である。依存的な環境と独立的な人間を要求する環境とである。その環境は政治的、規範的なものに限定すれば依存的な制度・規範と、独立性を要求する制度や、規範とに分類することができるであろう。
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P1120
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自由はゼロ・サムであるということを「ある人の極度の自由は、他の人の自由を殺している」という命題があらわしていると考える人は、強者の干渉されない消極的自由は弱者への積極的自由であるという考え方につらなることになる。ある富裕な人が自由を多くもちすぎているという主張は他の貧乏な人の自由を圧迫しているのだということを意味していることになる。わがままということばのうちに秘められている含意はそのような意味である。
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P1121
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社会心理学的方法による消極的自由と積極的自由の調整
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バーリンのいう消極的自由と、彼のいう積極的自由とを調和する方法はあるのだろうか。積極的自由を主張する者が自己否定をし、自己実現したりする社会心理学的理由を考えるべきである。その心理は義賊の心理とよく似たものである。逆にいえば義賊はその暗ゆであるといいうる。義賊の心理はまず自己否定のなかにとじこもることから発生する。しかしとじこもった人に何かをいっても何にもならない。そこにはすべてがあるとその人はいうが、そこには現実的なものは何もないかもしれない。人間は内在的にはすべての自由を有するが、現実的ではない偽装された世界にいる自由もある。そこから発せられることばはすべての非現実的なことばでありうる。洞くつにひきこもった暗い所にいる人は明るいところがみえないのに、そこからみえる景色はもっと
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P1122
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も高い自我であると主張する。温情的干渉は専制でありと批判する。従ってそとの明るい世界は専制であるゆえに、自らの高い自我を強制することは専制ではないということになる。その世界ではすべてが逆の意味となる。それは依存するためにはそうであらねばならぬのだ。私有は共有にならねばならぬのであり、共同所有が私的所有にかわる現実はそうであってはならぬことになる。「世間を無視し、人間や事物をつなぐ鎖から離脱した孤立的な思想家の信条である。」とバーリンは積極的自由との関連で、自己否定をとりあげる。フロムのいう積極的自由は自我や自己を形成するものであるが、バーリンのここでいっている自己否定は自我や自己を形成しないのである。
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P1123
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二つの積極的自由のうちのバーリンのそれは他人の自由に干渉しすぎているということを表わしているし、逆にフロムのそれは自らのうちの能力をかん養しているのであるから他人に干渉をしていないのであるということを示している。ここでは干渉ということについて一般的な意味で使用している。
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それは私自身の問題であり、あなたが干渉すべき問題ではないという一般社会におけることばは確かに干渉や、不干渉という問題の根源をあらわしているように思われる。哲学的に深く分析するとすれば干渉は自由の問題と大きく関わっていると考えることができる。ある社会集団内において相互に非常に干渉しあっているような組織があったり、相互にあまり干渉しあわないような組織があった-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->するであろう。
<!--[endif]>
P1124
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他人に干渉する場合において、他人に自己の厳しい規範をおしつける場合には、干渉はすべて自由を規制していることになるであろうか。自らが他人に干渉をする場合、他人の行動やらを妨害し、他人の障害となる
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のならばその場合は他の自由を直接的な意味で妨害し障害となっているのであるが、他人に自己の厳しい規範をおしつける(強制したり、規範を強制したりする)ときには、直接的に他人の自由の妨害や障害になっているのではなく、そのような厳しい(厳しくないものはすでに他人が規範としてもっているとして)規範を他人に学んでもらったり、みにつけてもらったりするように教育したり、すいせんしたりしているのみなのであるから、自由を妨害していることにはならないというであろうが、そうであろうか。
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P1125
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積極的自由の本当の原因に関する仮説
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自己否定や、自己決定と積極的自由とに因果関係があることを説明しようとしたバーリンのどう察は驚嘆するに余りあるものがあり、同じ共産主義批判でもカール・ポッパーの分析哲学的考察よりも迫力があり、実感のこもったものにみえるが、しかし、なぜそのような積極的自由が発生したのかに関する考察がない。なぜ自己否定がおこったのかについて、独裁のせいにするのはフランスの場合の静じゃく主義の説明がつかないことの一例からみても説明力に欠けている。一つの反証はその理論を破壊する可能性がある。
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私の仮説では他の人を殺したり、他の人がいなくなったりすれば自分の経済的地位が高くなるという一点から、他の人々に積極的に介入する(干渉する)ようになるのだという仮説である。他の人とは自分よりわがままな人とその
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P1126
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積極的自由を行使する独裁者や、ガキ大将が思い込んでしまっている人のことである。
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P1127
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経験的真実の否定
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バーリンが経験的真実というものにたいしてフロイトやマルクスが最も大切なものと考えた性衝動や、経済は、フロイトやマルクスは客観的、理性的で、科学的社会だというが、それはとんでもなく、主観的で、非理性的で、非科学的であると考えられるが、バーリンもそのように考えたものと私は考える。経済や、性衝動が社会のすべてを決めているなんて、経験的真実からすればおぞましく、誰でも背筋がぞっとする。それを知っていたマルクスは自らの共産主義を妖怪とよんだ。
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P1128
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平等な配慮と尊重をした上でのバーリンのいう干渉されない消極的自由は誰でも守られるべきだと思う。 他人との平等のことを考えて'尊重し、配慮して)バーリンのいう今では認められている消極的自由の範囲を決定することになるのである。他のひとのことを考えて仕事はなされるのではあるが、平等のことを考えてはビジネスはなされないで、自分のためになされる場合がある。法や政治はドゥウォーキンのいうとおりに他人に対する平等な配慮と尊重の法や政治の心に従ってとりおこなわれるかもしれない。バーリンのいう消極的自由の範囲のなかにおいてさえ平等な配慮や尊重の下においてある行為がなされていて、それでも自らの利益になる消極的自由が得られているかもしれない。あるビジネスが他人のためになるためには貧乏な人を平等に尊重し配慮したがために利益になるということはありうる。しかし自分のためにする行為、消極的自由の範囲内で行なわれる行為はすべての
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P1129
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他の人々のなかにおいて行なわれるのであるから、平等を尊重し配慮しているかもしれない。つまりは、ここに行政の民間への委託の論理が発生する余地があるし、環境権などのように消極的自由の範囲内で行なわれる行為が環境に悪い影響を与えているというような場合もありうる。
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もし他人との平等を尊重し、配慮した上でバーリンのいう消極的自由が確保されるならばそのなかでの生活はすでに平等への配慮と尊重は必要ではないかもしれないし、その範囲のなかで寝ていようが、活動していなくても平等と尊重はなされていることになり、この意味ではバーリンのいう活動しない時の消極的自由には大きな意味が存在する、そのような消極的自由は認められるべきことになる。そのような自由をヒットラー時代の全体主義が各人各人の資産やらに対する干渉を、平等な配慮や尊敬以上に行なうことになるとすれば、それはバーリンの積極的自由の行使であるといわねばならない。
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P1130
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クラックス兄弟の例をバーリンがもち出すまでもなく、時に不平等が大きくなり、積極的自由が行使されねばならない時代があるかもしれない。その時でさえバーリンは消極的自由の範囲は正しく確定される理論が必要だという理論を提出したのである。
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ある時点において、政治と法によって平等な配慮と尊敬がなされたあと、次に平等が考えられるまでの間は既に決まってしまった消極的自由の範囲内では完全な消極的自由は認められるべきである。
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P1131
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消極的自由に対する異議はいつでも認められうるべきか
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もうすでに、自分で、あるいは、政治的・法律的に平等な配慮と尊重によって、干渉されない「消極的」自由の領域内と定められたものを、もう一度話を再開し、その領域にたいして「積極的」に足をふみいれようとすることを「積極的自由」とよぶことはできるだろうか。しかしこの理論のなかにも、すでに定められた干渉されない領域というあいまいなことばがある。それが自然法によるのか、人間の本性によるのかなどの説明はさておいても、その領域は不明瞭であるのに議論の筋道がみえないという反論がおこりうる。しかし平等な配慮と尊重を主張する人にたいしては、もうすでにその配慮と尊重は済んでいるのだから、干渉しないでくれというのと同じだ、一事不再理だといえば納得できる理論となりうるかもしれない。
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P1132
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内なる自由と、自由な活動。
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内なる自由は現実に自由な活動をしているわけではない。思考の実験のみをしている。従ってそこに自己を絶対理性によって実現し、それを他のすべての人々に強制しなければならにという思想が生まれてくる土台があるのである。自己否定と自己実現の二つはそこにおいて結合しうるが、自己否定したとしても、現実的に乏しくとも自由を尊重して生活していこうという思想にとう達する可能性もあるわけで、必ず絶対理性にとう達するとは限らないといえる。
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P1133
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第八章 自由な活動
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P1134
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自由な思考。自由な活動。自由な思考から自由な活動が生まれる。自由は自由な思考と自由な活動の両者を含んでいる。
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マキャベリーがフォルツゥナに対抗して考えたヴィルツゥは、自由な政治的活動と自由な政治思想の両者を含んでいる。
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P1135
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勇敢は自由の一つか。
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勇敢は自由な活動の一部分を構成することがありうるのは、独創性や、進取の気性が自由な活動の一部分を構成することがありうるのと同様で-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->る。勇敢は危険なことでも、正しいと思うことのためになすことである。逆に臆病は正しいと思ったことにたいしても、自由な活動をすべきだと思っているにもかかわらず、禁欲主義という主義のためとか、自由に動くと危険であるかもしれないという理由から、その自由な活動をとりやめることである。そのとりやめることの理由は、欲求があってもそのことをしないことであるのだから禁欲主義の場合とよく似ているとりやめかたである。禁欲主義がしっとによる欲望をとりやめるという点に重点をおいているのにたいして、臆病の場合にはそれが正しいことであることが社会的に分かっているにもかかわらずそのことをしないことであるのだから、
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P1136
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その重点の置き方が少し異なっているといえる。あることを欲求し、したいのにしないということにおいては同じことである。
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勇敢がこのような正義の観点からではなくて、軍事的な意味で軍国主義下の日本において、死ぬことをもいとわないという意味に使われていたことがあったのは残念なことばの使用法であったといえる。軍国のために戦うことが正義であると考えられていたのであるという理由によって、この勇敢さと、前記の勇敢さの性質は同じであるという考え方は、勇敢さの是非をすべて正義であるか否かの問題にすりかえてしまうことになる。実定法的な正義に向かってつき進むことと、自然法的な政治に向かってつき進むこととは違うのであるという問題のたてかた、勇敢な分類になればこれは勇敢の問題をすべて政治哲学の問題にすりかえてしまうことになる。
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いずれにしても勇敢な活動は自由な活動のうちの一つであるが、それは活動がそうなの
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P1137
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であって、それが賞賛されるべきものかどうかについては正義論いかんによるので不明であるということになる。この自由が危険性を伴っているのは、いささか感情的に「無鉄砲」ということばと、勇敢ということばが同義語のように使用されることがありうることによっても分かる。自由は危険を伴うものではあるが、この勇敢な自由は自由論の立場場からすれば最も危険性の伴うものであるといいうる。逆にいえば最も危険性の伴う自由であるからこそ勇敢といわれるのかもしれないが。
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P1138
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非合理なウソをいう自由は本当に存在するか
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永久にたちのかないで、道路の建設やらを妨害している人の自由は非合理な自由である。「死の本能」をいうことはウソの非合理なことをいう自由である。表現の自由があるからといっても非合理なウソをいう自由も本当に認められるのであろうか。「死の本能」を強制することは生の本能から生ずる様々な自由を妨害することになる。またそうすれば表現の自由とは合理的なことを表現する自由に限定されるのであ
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ろうか。そこには合理的と非合理的の明確な区別が必要になるのだろうか。非合理的なことをいうことがついには合理的なこととなることがあるだろうか。効率に反対することがいかに非合理的であるようにみえてもついには合理的になるかもしれない。
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P1139
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選択の自由と、国家の計画経済・自由な政治
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バニラアイスクリームか、チョコレートアイスクリームかを選択する自由があるかどうかは、選好という問題と関連する。外的選好においてバニラアイスクリームしか生産されていないとすれば、内在選好においてチョコレートアイスクリームを選好するとしてもそのような選択をすることはできない。この経済的な自由は外的選好の問題として、政治的自由と同じように論じられてきた。
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P1140
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悪法はある人にとって法か
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外的選好としての悪法は社会にとってはポジティブな法ではあるが、その個人にとっては法としては認められないという場合が発生する。ユダヤ人を虐殺せよという法律ができたとしても、ある人にとってはそのような規範としての法は認められない、内的選好としてはそのようなことは認められない、そのような命令は認められないという場合が存在する。その場合抵抗権という権利を認めるならばその法に従わないことが権利となり、ある種の法的な権利が悪法は法ではないということを認めていることになる。
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P1141
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自由な学習・学ということ
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人間は学ぶことができる。その場合の対象は自然と社会とに分けることができる。社会は人間からなり、人間は生の本能の部分と自由な前頭葉で考える部分とに分けられる。生の本能の部分は自然科学の分野に入ると考えられる側面もある。人間以外の動物や植物について学ぶことは自然科学である。そのことと同じような意味で生の本能の部分を学ぶことは自然科学の一部であるといいうるかもしれない。社会は自由な人間同志の関連、自由の総合をいう。自由なものが総合できるわけはない、なぜなら自由であるのだからという意見も存在する。社会のなかの自由な人間が、環境(政治学のなかでいう)や、経済学のなかでいう稀少な財や、歴史や、運命やらにどのような因果関係によって縛られているのか、縛られていないのか、自由な人が他の自由な人によってどの
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P1142
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ような因果関係によって決定されているのかを研究し、学ぶことが社会科学である。生の本能から派生するものとして実学が存在するであろう。確かに等価交換をする必要はないが、もし等価交換することができるようにある環境や、稀少なものにたいして価値をみいだすとすれば、そのような物や他の人に対して価値付けをしていけば、生の本能を満たせる程度に稼ぐことはできる。しかしそれ以外については人間は自由に考えることもできる。現実に合わせて価値をみいだし、生の本能のために学ぶことは実学である。生の本能よりも自由に考えることは虚学である。社会科学は自由な人間で構成する社会を学び、考えるのであるから、実学と虚学とをあわせもつ。虚学は疑うということでもあり、批判するということでもあり、その他様々な形をとりうるであろう。
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P1143
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子供は自由に遊んでいる時に笑うし、大人も自由に行動する時に笑う。笑いは自由の一つの表現であると考えられる。
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P1144
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学生にとっての自由
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日本大学校歌のなかに「正義と自由の 旗標のもとに 集まる学徒の 使命は重し」とある。自由はどのような場合もそれまでの電灯や、習慣を自由に考えなおすという意味が含まれている。学生にとって自由は、このような普遍的なものに自らを近付けることにある。学校が暇という意味を語源とする語であり、大学が普遍という単語が誤源であるのはここからきている。ユニバーシティuniversityという単語はuniverse普遍という単語を語源としているのである。普遍的なものとは何かを考えていくのが学生の使命であるといえる。
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P1145
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決定論と規範論と規範の学習
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大学等で勉強をして、絶対理性にいたり唯物論を信じるようになるのか、相対理性にいたり自由が内在的に存在することを信ずるようになるのか。学習はこのどちらに向かわしめるのであろうか。自由な学習は自由にいたらしめるであろう。唯物論に反対する自由をも認めるのであるから。
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しかし勉強すればする程、唯物論のような絶対理性に近付いていく(いくべきだ)という人がいるかもしれない。それは自由がなくすべてが決定されるべきだという規範論(期待論)にとう達したといういうべきであって、現実に事実論としてそうであるといっていないのではなかろうか。「絶対に自由はないのであるべきだ」というのが交定論の意味ではなかろうか。
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P1146
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絶対理性か、相対理性か
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理性の相対性にたいする信仰は、絶対理性にたいする反発となった。理性の相対性は人間の自由性、人間の思考の自由性を知っていればおのずから理解でき、人間が経済本能や性-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->能などに固定されていると考える時に絶対理性の考え方が生まれるといっても過言ではない。
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P1147
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バーリンの『カール・マルクス』における絶対理性論
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「真の自由は、外的支配を脱した自己支配から成立つ。これは、自己が何であり、何になりうるかを発見することによってのみ成就しうる。すなわち、所与の時代と場所において、そこに生きる自己を必然的に従属させている法則を発見することによって、また自己の合理的な、したがって法則によって高速された本性のこれら潜勢力を現実化することによって成就される。潜勢力の現実化は、個人を全身させ、そのことによって彼が「有機体的」に粗属し、かつ彼と他人の中に自らを表現している社会をも全身させるのである。人がある主観的な理念の名によって、電灯を修正する代りに破壊しようと試みるとき、それは歴史の法則に対立し、不可能なことを企てることに等しい。それは自己の非合理性を暴露することになるのである。」(I・バーリン『カール・マルクス』倉塚平・小箕俊介訳、中央公論社、一九七一年)六四頁。棒線等者。
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P1148
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内在的自由と教育
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内在的自由論は、自由な教育、教育の考え方にも大きな影響を及ぼす。ある一つの絶対理性を詰め込むことはそれを考えなおさせることができない。「労働者の学習」というのはそのような意味であった。
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P1149
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平等な能力の可能性と教育
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平等な自由は、平等な能力を生むであろうか。すべての人において内在的自由が平等であることは平等な能力を持つ可能性を示唆している。しかし自由が能力にいたるためには訓練(ディプリン)を必要とする。従ってそれに達していない場合もあるし、達している場合もある。それは教育の力による。能力を持つとは、所有物をもつということと質的には等しい。能力は形式的自由を実質的自由に変化させる自由の構成要素である。それが教育や、訓練によって達成されるからといって、人格の成長による利他性のかん養の主張のみが教育によって得られるものではない。
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P1150
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表現の自由の哲学
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人間はよく話をする動物である。サロンや、パブや、日本では喫茶店では人々はえんえんと話を続けている。これは自由のよいところである。ところが、積極的自由を主張する人々はそれらを一瞬にしてひっくりかえしてしまう。自分はすべてがきにいらないということなのであろうか。自分が気にいらないからといってそうすることは、マルクスの暴力革命論やソ連におけるように思想の自由や、表現の自由を奪ってしまうことになる。哲学は様々な話のなかから一つの何かを探し求めようとするものであるから、おしゃべりも自由な表現も大切なものだといいうるのであるという某哲学者のおしゃべりのなかでの意見は、このような意味で大切なことである。このサロンの意義について述べた哲学者は多い。
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P1151
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バーリンの自由とベイの自由
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バーリンの自由論と、ベイの自由論を総合することは非常に難しい。なぜならバーリンは自由を無、あるいは、人間の思考における白紙の状態を想定し、そこから人間の本源としての自由をみて、そこから出発しようとしているのにたいして、ベイは無であれば自由には浩造はないのに、浩造が自由にあると考えた。それは各人が自由を発揮するにおいては各人は自由ではなく、すでに性格の傾向などの自由にたいする傾向、心理学的自由や潜在的自由のそなわった存在であるとみて、自由を無とみず、有とみたという理由からである。人間は双方共にとれるあいまいな(自由ともいえる)存在でもある。家族のなかで育つ二十年間の間にすでに性格の傾向は存在しており、人間は無である自由な存在ではないかもしれないというがベイの見解であり
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P1152
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すでに内在的自由などは存在しないという考え方である。ところがバーリンのほうは自由をほぼ無の状態である。つまり人間はいかに性格の傾向が存在にたちかえることができる(反復的教育によってどうにでもなる)という考え方をあくまで貫いて、歴史や運命にたいする自由をも考慮にいれながら論を進めるのである。哲学的で深いという意味ではバーリンに軍配があがり、歴史的に名を残しそうであるが、ベイの性格の傾向をみようとする研究については現実的で実用性がありそうである。
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この両方を統合することは、政治理論と政治の現実を統合し、総合するのと同じくらいに困難な作業であると考えられる。
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バーリンの見解は無である人間は、消極的な干渉されない自由の存在する範囲が決定されないとそこからどこかへ行くこともできないという考え方である。ベイはそのことには
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P1153
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あまりふれないで、安全な性格の傾向を造りあげることは、社会が自由になることであると述べたにとどまる。それは自由な社会を作るには政治をどうすればよいのかという問題を解こうとしたといいうる。
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P1154
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ドゥウォーキンの表現の自由論
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ドゥウォーキンは表現の自由や、信教の自由が認められる理由は、それらの自由の制約が引きおこす自由の減少の程度によってではなく、「自由の性格」によるのであると考えている。それらの基楚的な自由の制約は「人間を傷付け」、「人間を卑しく」するという理由から守らねばならないと考え、それがそのような人間の価値に対する権利や、表現の自由の制限がうちまかす利益やらへの権利、表現の自由の制限がうちまかしてしまうであろう「ものの立場」への権利を人間は持っているのであって、自由への権利をもっているのではないと主張している。これはターミーロジーの問題ではないとドゥウォーキンは主張する。そして表現の自由や信教の自由などの権利を擁護するために、効利をこえた原理を発見しなければならないと主張した。なぜ
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P1155
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なら社会の一般利益に反するとしても、表現の自由や信教の自由は守らねばならないのであり、これは効利主義を越えていると考えているからである。彼はそれを最後まであいまいにしておくとしながらも、「政治的道徳の基礎」というものであるとしている。そしてまた自由の概念ではなく、平等の概念が彼の議論の中心概念であるとして、平等な配慮都尊重の概念という彼の政治的道徳の議論へと移っていくのである。
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P1156
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教育のすすめ
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自由な教育はな後である。それは反復されたことは、自由に形成できる脳の回路が固まって、その人の性格となり易いということであり、一度定着した回路でも、それ以上の反復によって修正されれば修正することができる。犯罪をおかした人の場合にはこれは矯正とよばれる。
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P1157
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学校のIQや成績は生まれつきよいものではない。それは自由な部分については後天的なものだからである。
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P1158
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人は一番になろうと記憶したり、仕事をしたりするのではなく、ただそのことが好きでそうするのである。こう考えるならば人々は競争しようと思って努力するのではなくて、自分のために努力するのである。 P1159
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業績主義と自由
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業績主義は自由意思と関係しているが、金持ちの子供を優遇する主義は、自由意思とは関係していない。P1160
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グリーンの「人格の成長」の根本にある「人間が人間らしく生きる」というときの人間は自由によって人間らしくなるというときの人間であり、自由が制限されることによって人間らしくなることもありうるとして自由の制限を認めるのである。
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P1161
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人格を成長させ、富裕な人々が貧しい人々に積極的にその財産などを分け与えさせることを教育したり、学習させたり、期待したりする心理は妥当なことであろうか。
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高まいな理想を説く道徳や、理性への信仰が共有になって欲しいという「願望」の偽装であることがありうるであろうか。義財の心理がそのまま「資本主義は共産主義にかわってほしい」という願望に偽装されたのであろうか。教育や、学習や、期待(願望)はそのような面をもっているし、そして願望は現実化することがありうるといいたいのである。政治のある面はマスコミが願望を報道しそれが現実化するという側面をもっている。
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P1162
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グリーンの人格の成長を主張する論理はどのような論理構造をもつのだろうか。自由な人が、貧乏という制約からのがれて、自由な行動をするためには、人々はどのようにすればよいと考えたのであろうか。
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P1163
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自由な思考は平等論の核心である
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グリーンの人格の成長の理論と、ドゥウォーキンの平等な配慮と尊重の理論と、そしてそれに対立するようにみえるバーリンの干渉されない消極的自由の理論とは、ともにある一つのものに向かっている芯のようなものを持っている。貧者や弱者を自由によってどのようにして救うかという観念である。自律的な自由を求めたカントにあっても、それは自己と他人との総合を考えながら、道徳のつうじての自律を考えたものである。義賊の心理に陥らないためには、これらのものを総合する必要があると考えられるが、それぞれ自由によって総合できると考えられる。グリーンは「人格の成長」を自由と考えたし、・Jントは自律を自由と考
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えたし、ドゥウォーキンは平等を自由と考え、バーリンは干渉されないこと、平等が達成されて安心して干渉されな
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P1164
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い状態を自由と考えたのである。
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この四つの理論はともに自由な思考によって形成された理論である。平等を考えたとしてもそれを考え出した自由は平等のうえにまだ存在しているべきであり、平等論であっても自由について論ずる必要があると考えられる。
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P1165
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規範教育と自由
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〜しなければならないとか、利他的な人格の成長を学校教育や、家庭教育において教育することは自由とどのように関わりをもつのだろうか。規範教育は道徳教育や、法の教育や、作法教育などをも含む広い概念である。道徳教育については初中等教育において、法学教育や、政治学教育は大学や、大学院の教育において主に行なわれている。家庭の作法教育も、家庭や学校において行なわれている。
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P1166
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親から自由になる
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親から自由になるということばは、一般には親から独立するということを表現して用いられる。しかし親に依存していて、すべてを親が決めている場合には、親から自由になる、親から独立して自分で自由に決定するようになるということばを使う方がよいかもしれない。これは依存しているかどうかということにかかって、精神的に依存している場合には親から自由になるを使い、経済的に自由になることを親から独立するということばを使っている場合もある。
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酒をのむ自由
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酒をのむ自由、タバコをのむ自由と、禁酒、禁煙の自由とをどのようにして積極的自由と、消極的自由の調和として考えればよいのだろうか。禁酒をするかどうかについて、酒をのむ自由があるのかについてはプラトンの大きな主題であった。タバコをのんで早死にするという医学知識は最近のものであるが、酒をのむかどうかについてプラトンは大いに自由との関連で考えた。
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P1168
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全体主義のもとでのイニシアティブや自発性
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全体主義のもとでは、すべての人が同じ全体のなかに埋没していなくてはならず、イニシアティブや自発性が存在しなかったということが認知されうるであろう。政治が自由を抑圧していた。この場合の政治は全体主義の政治なのであって、自由化のための政治ではなかった。政治は自由と対立していることもあれば自由のための政治もある。全体主義の政治のなかにおいて自発性やイニシアティブがなくなっていたことは、自由を発現する能力を失い権ミにすがってしまったことの一原因かもしれない。しかしそれは自由の一属性、自由な活動の一属性、積極的自由という自由の一属性なのであって、自由全体の本質そのものとはいえない。自由の本質は自由の環境にたいする自由の三要素の全体なのである。
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P1169
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自由はものごとのはじめのものであるか
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「すべての人間の活動を活気あるものとし、やる気をおこさせる、自由の機能、始める純粋な能力」(the faculty of freedom, the sheer capacity to begin, which animates and inspires all human activities)(Hannah Arendt, 'Freedom and politics', Liverty, edited by David Miller, OUP.1991.p.79.)という場合のビギンやビギニングの始めること、自由はどのような関係があるのだろうか。三才の赤ん坊でももっている内在的自由という意味が、「はじめのもの」という意味のなかには含まれていたようである。「手のつけられていない」(intact)ものであり、「非常に多くの種類の大きなことや、美しいことを作り出す」(produce a great variety of great and beatiful things)ことの「できる」(can)ものであるという意味が自由には含まれているのである。何もない状態が自
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P1170
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由であるが、そこからこそすべてが出発できるという意味である。ギリシャ語の自由も、ラテン語の自由にも、この「はじめ」beginningという意味が含まれていた。(ibid.p.74.)
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P1171
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フロムの『自由からの逃走』が政治学の書物から消され、ベイの『自由論』の工部が政治的自由論から消されているにもかかわらず、ハンナ・アーレントの「政治と自由」の論文は政治学の論文として考えられている。アーレントも、フロムも真っ向から全体主義にたちむかった人である。
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そのアーレントが自由の機能のうちで最も重視するものがイニシアティブ(initiativを)と自
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発性(spontaneity)であった。この二つのことばは日本語で表現しても適当な・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->を見つけることが困難である。イニシアティブのほうは名詞で開始や、創始という意味が研究所の『新英和中辞典 第五版』(小稲義男他編)では第一にのっており、第二に創業の才、企業心、独創力の意味、第三に議案提出権、国民発案の意味があるとされている。小学館の『ランダムハウス英和大辞典』(
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P1172
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小西友七他編)によれば、第一に、開始、第二に起業心、進取の精神、独創力、第三に自らの責任ある決定、第四に政治上の国民発案や、発案権、第五に俗語でコカインという意味がのせてある。フロムと同じように全体主義を理論的に批判しようとしたアーレントが自由の本質をこのようなイニシアティブに求め、自発心に求めたのはどのような意味があるのだろうか。フロムがトータルで統合的なパーソナリティー(人格)こそ自由から逃走しないために必要的なパーソナリティーとした。積極的自由とフロムはそのようなパーソナリティーにおける自由を名付けたが、アーレントはイニシアティブと自発性こそはすべての活動のなかに存在する行動と自由の本質なのであり、全体主義と大衆社会はイニシアティブと自発性を抑圧することが危険であり、脅威であるという。このイニシアティブと自発性はフロムのいう積極的自由や、全体的統合的パーソナリティーというのと似てい
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P1173
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る。
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イニシアティブはものごとを始めること、創始であり、開始であるとアーレントはいう。何か新しいことをはじめたり、新しい企画をはじめたりすることであった。従って現代でいえば進取の気性ということの指しうるような広い意味のことばとして使っている。自由であることと、何か新しいことをはじめることと能力とは同じことである証明として、ギリシャ語のαοχεινには、始めることと、統率することと、そして支配することもその意味のなかに含まれていることによっても、また、ラテン語でも自由であることと、新しくはじめることは相互に関係をもっていたことによっても証明できるという。たしかにポリスや家々の創始者や、指揮者・族長・家長は独立した人間であり、自分の所有物やらを「自由に」処分ができたであろう。ローマ帝国の創始者が伝統として確立したものはローマ人の自由であったとアーレントは
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P1174
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指摘する。現代でも創業者は大きな自由を有する。このようなイニシアティブという概念は、あるいは創始という概念は自由の属性の一つといえるにすぎないのではなかろうか。創始からは自由からは自由は生まれるであろうが、それは自由の必要条件であっても十分条件ではないし、まして自由と創始は同値(同じ)ではない。自由は創始によってのみ生まれるのではないだろう。自由は創始者でない多くの人々ももっているものである。
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全体主義のなかでは『自由からの逃走』がおこるのはイニシアティブの精神をなくすからなのであろうか。自由とイニシアティブとが同時におこるものであるとするならば、その命題は真実である。しかし自由とイニシアティブは同じものではないから、イニシアティブの精神をなくすことは自由をなくすことの一部にしかすぎない。このことはバーリンがミルのいう自己の主張を通そうとする性格
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P1175
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は自由の本質とは関係がないという論理とほぼ同じ論理構造である。何か新しいことをはじめることは自由で、楽しいことであろう。しかしその精神のみがあったとしても、誰かから妨害されれば、その自由は存在しない。バーリンはこのことをいっている。ところがその妨害を排除したとしても、イニシアティブの心、イニシアティブのパーソナリティーがなければ自由な活動ができない。できないばかりではなくて自由から逃走し、他の人のイニシアティブを待ち、権威に依存してしまうかもしれない。こう考えると何か新しいことを自分で「自発的に」始めるということができる能力は、全体的・統合的パーソナリティーの重要な部分を構成しているのだという方が正しいのかもしれない。それは「自由からの逃走」を防ぐためなのであり、そのような意味では自由と、イニシアティブ(創始)及び自発性とは密接すぎる程関連しているのだといえるかもしれないし、このことと自らの
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P1176
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欲望を否定し、自己の内心の自由に閉じこもることとは正反対の極にあるのかもしれない。禁欲主義によって自己否定し、絶対理性に向けて自己実現をはかることは、イニシアティブや、自発性をなくすことである。それは全体主義に依存しようとする権威主義的パーソナリティーがイニシアティブや、自発性をなくしているのだという論理ともつながるものがある。
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しかしナチズムがたい頭してきた社会においてイニシアティブと自発性のみによって、自由が確保されう
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るという意見にはならないであろう。その前に世の中の大きなうねりであるナチズムの干渉や矯正を排除しなければならないであろう。この干渉や強制の排除についてはナチズムや全体主義を理論的に批判しえたアーレントであったのだから、当然にそのことを知っていたと考えられる。じゅうぶんに知っていたからこそ、そのような中における人間の自由はと問われればイニシアテ
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P1177
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ィブのような何かを新しく始める力や、自発性が必要なのだと答えたのかもしれない。それは全的統合的パーソナリティーという中小的なもののなかの具体的な本質をいいあてているのかもしれない。しかしこのような意味で自由とつながっているものは、自由の本質をついたものとはいえないのかもしれない。
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自由の本質についてはバーリンの自由も、フロムの自由も、このアーレントの自由も総合的に考察し、それらの複合と考えた考え方の方に軍配があがりそうである。
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ナチズムのなかでは何か新しいことをはじめたり、自発性をもったりすることができなかったかもしれない。ところが何か新しいことをはじめると、危険が伴っているかもしれないのである。それは現代の経営にとってのエンタープレヌールシップ(企業家精神)にとっても同じような危険性が潜んでいる。しかしそれをも保険のような概念で包んで温かくむかえいれることは重要なことである。また依存し
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P1178
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ている間には大きな権威の下にあったために危険が少なかったのに何か新しいことをはじめることによって、ホッブズのいう「万人の万人に対する関連がおこってそのような危険も増すかもしれないのである。しかしそれにもかかわらず現代においてもエンタープレヌールシップは自由な社会の基本的なものであろう。それなくしては形式的自由がいくらあったとしても、実質的に自由なことをはじめる人がいなくなるからである。この実質的自由とは資源や能力があってのみ旅行するというようなことができる、それが法的自由にたいする実質的自由ということばであるという時の自由ではなくて、自由な憲法とかの形式的自由がある「自由社会」が作られたとしても、その自由社会をいろいろな危険を考えながらも実質的に動かしていく指導者、統率者という意味であり、それは現代でいえば世の中の様々な変動にたいして私的企業の独創的な動きや、時代にマッチした新しい政治や、行
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P1179
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政を行なっていく人々のことである。
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「人間が自由なのは人間の万物のはじまりであり、普遍的世界がすでに存在したあとに人間は創造されたのである。だから自由なのだ。」「人間は始まりの存在であり、人間ははじめることができる。人間であることと自由であることは一致する。」というアウグスチヌスの『神の国』のことばからのアーレントの引用と、アーレントの解放は、イニシアティブということばが、キリスト教においても自由ということばとはじまり(ビギニング:beginning)ということばが関わりをもっていることを示そうとする。そして更にアーレントは「神は『創始という機能‖自由』を世界に導入するために人間を作られた。」とまでいう。これはビギニング‖開始と、自由との関連を示すために創世の記述のなかに「始まり‖自由がみいだされるということを示すための説明である。
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P1180
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欲望をなくし、自由をみつけることは自発性をなくすか
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内心の自由をみつけるためには、欲望(目的・目標)をなくせばよいというのは、どのような方法のことであり、その方法は正しいのであろうか。何も望まなければ現実の生活をする必要がない、従って服ができるから、現実をはなれたことや、現実の裏にある内在的自由をみつけることができ・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->いう意味なのであり、そのような方法のことをいっているのであろう。これは禁欲主義とはちがうものをいっているのである。禁欲主義は欲望をなくすことによって静じゃくを得ようとするものであって自発性を生みだそうというものではない。たしかにねたみをなくせば人間は欲望から自由になり、他の人をうらやむこともなくなる。この心は静じゃくである。
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P1181
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アーレントのvirtuosity論について
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政治における演技力のようなものが、マキャベリーのヴィルツゥだという比喩(metapher)は妥当であろうか。アーレント自身定義しているのではなく比喩であることわっているので学説として分析する必要はないと思われる。この比喩は政治を演じている政治化にとっては自らの行動をいいあてていて、自由と平等のような真剣な何かに向かって政治は動いているのではなくて、ただ単なる俳優のようなものが政治化だということで、安心さをケてくれる比喩かもしれない。しかし政治から離れたところからみていて、裏を
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知らない国民にとってそれは面白い、しかし、自分と他人との関係を数において再現してくれる劇であり、身につまされるものである。しかしヴィルツゥはフォルツナに対立する概念であり、ヴィルツゥが自由であるとすれば、フォルツナは様
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P1182
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々な政治的因果関係を指していると考えられる。自由な徳をみにつけていても運命に左右されて、マキャベリーのように失脚することがあるかもしれない。それは国民からみれば演技であり、劇(この場合は悲劇)にみえるかもしれない。そうみえるならば、政治はなるほど演じているようにみえるかもしれないし、うまく演じることと、みっともなく演じることとは大きな差があるかもしれないがこの演技力とヴィルツゥとは全く違うものである。演技力は悲劇をもうまく演じることができるが、ヴィルツゥはフォルツナに対抗して政治的徳(この場合の徳はアリストテレスのそれとよく似ている)を発揮して、不運をよい運命へと向かわしめるものである。この二つは全く違うものであり、アーレントの比喩は全くあてはまっていないと考えられる。ただいい演技をすれば政治的に出世する、つまり、不運をよい運命にかえられるという意味に解すれば、そのような意味ではこの比喩はあたって
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P1183
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いることになる。しかしアーレントの演技力をこのように解釈することはできそうにはない。
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P1184
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宗教の自由な選択の可能性と、ある宗教のなかにおける自由な選択の不可
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「罪の意識こそ自由の現実性の確実な証拠」としたというニコライ・ハルトマンの『倫理学・第三節』における見解は、ある宗教のなかにおける自由の存在を証明している。
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他の宗教にたいして寛容であることは、人間が宗教を選択できるということとともに、宗教と自由との関係を明白に示している。
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P1185
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『キリスト者の自由』における自由
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マルチン・ハター『キリスト者の自由』の「第十さて、これらすべての神のみ言葉は、聖く(きよく)真実で義しく(ただしく)、平和を愛して自由であり、すべての善いことで満ちている。」(塩谷饒訳)「第八……おまえのあらゆる恩恵と義と平和と自由とを約束しよう。」(同)「第一…キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも従属していない。」(同)「第十六…キリスト者が愚かにも善行によって義とされ、自由になり、救いを受け、つまりキリスト者というものになろうとするなら、……彼はすべてのものとともに、信仰をも失ってしまうであろう。」(同)「聖書は、学者たちまたは聖職者たちをministri, serui, oeconomiすなわち、キリスト、信仰、キリスト者の自由をほかの人々に説くことを務めとする「奉仕者」「僕」「執事」と呼んでいるだけで、何の区別をも与えていない。」(同)
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P1186
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ルターの「信仰のみsola fide」の観念がここで語られているにしても、自由は現世の自由ではなくて、宗教内における自由であった。ルターツゥムはカルバン主義の内包していた功績主義との関係においても信仰のみの内面の自由だけを貫き通すことはできなかった。
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P1187
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タブーと自由。ベジタリアンの自由。
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イスラム教の豚肉の禁忌(タブー)や、ヒンズー教の牛肉の禁忌(タブー)やらは、その理由付けが前者が宗教的な忌みにたいして後者が聖なるものにたいする尊敬からとちがっているにしても、自由にたいする制限である。また、ベジタリアンは、ちょうど自分の好みが野菜のみであり、他の人々の食べる野菜以外のものは嫌いだという好みの問題であるかのように、野菜のみを食べるのである。一方赤ん坊で好き嫌いの多い子供がお菓子ばかりを食べるということがありうる。
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P1188
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第四節 自由と危険。保険・防衛と安心。
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P1189
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自由の危険と恐怖(fear)、心配(anziety)とのちがい
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独立で、依存していない人も自由の危険を感じることができるが、その同じ自由のうち全く危険ではないと照明されていることに関して、注意や、偽の予定的証拠を集めてきて恐怖したり、心配したりすることは、杞憂と中国の諺ではよばれているものであり、自由の危険性の認識とは違う。人間と人間との関係においてもそのような心配症の人がいて、場所恐怖症や、政治恐怖症や、反政治や、非政治の考え方を示したり、アナーキズムに陥ったりすることはよくあることである。
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物に依存して、自分の能力を増大させないで薬依存症になることがあるのは、人に依存するのと似ている。依存ということばは、人に依存する場合にも、物に芋ヒ存する場合にも使うことができる。自分の力でカゼ
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を退治するのではなくて、薬に依存して治してばかりいると、自分の体力をつけることをしないので。薬に依存する性格になり自分で体力をつける努力をしないことになる。カゼが治るには自分の力で外的環境に適応する自由な能力をつけるのが先決なのに、その能力はいつまでたってもその能力がみにつかないことになる。現代人のカゼはこのようなものであるかもしれない。同じように他人に依存していれば、自分の能力をつける努力をしないことになるだろう。現代人の自由が「自由から逃走」することによって自分の自由、それもフロムのいう積極的自由から逃走した自由になりつつあるのかもしれないし、マスコミに依存する傾向もその傾向の一つなのかもしれない。
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P1191
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「自由からの逃走」という時の自由がフロムのいう積極的自由をさしているのと同じように、依存からの自由という時の自由は、そのような自由のことであるといいうるのではなかろうか。
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フロイトがある薬の依存症であったという事実は有名である。その依存症は人に対する依存症と全く同じ同根のものであったと考える意見がある。これの正否は証明される必要がある。
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P1192
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自由の危険の程度は防衛程度を増させるが、安心が増すとは限らない
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自由の危険の程度が大きいと考える程、防衛を大きくしなければならない。例えば防衛施設庁は大きな施設を作らねばならない。国の機関もいつか爆撃されると考えるならば、どこかに核シェルターを作らねばならないし、また、どのビル-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->も逃げ出すための大きなエレベーターを作らねばならないが、平時にはそれが必要ではない。韓国や日本に北朝鮮が攻めてくるかもしれないという恐れが強ければ、軍備を増やさなくてはならないが、東西冷戦終了後なのでそのようなことはないと考えるならば、軍備は少なくてよいことになる。北朝鮮と「社会契約」を結んで攻撃する自由を抑制するとの契約(条約)をとり交わせば、より安全になることになる。
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ところが自由の危険を考慮し莫大な防衛費をかけて、大きな防衛力を持つことがそれに比例して安心をもたらすとは限らない。あま
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りにも大きな防衛力は国力を疲へいさせるばかりではなくて、安心も減らしてしまう。あまりにも大きな防衛力がそのまま攻撃力に変化してしまう可能性が大きいからである。
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ギリシャの都市国家ポリスのなかの二つの対立的であったアテネと、スパルタはその自由と防衛や攻撃のための軍隊に関しては相違する考えをもっていた。自由の観点からみればスパルタは過剰な防衛力を持っていたし、アテネは適性かそれ以下の防衛力を持っていたと考えられる。この防衛力は軍事力ともいいかえられる。この点についてはもっと詳細な論述が必要であると考えられる。
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ロックの自由論における防衛の概念と、現代の防衛理論
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。自由はあらゆる権利の基礎(Foundation)であり、自由の権利(the Right of my Freedom)が存在するとロックが考えていることは、ロックは自然の基本法(the Fundamental Law of Nature)のなかに一般人の安全(the safety of the Innocent)とともに自由の権利を含めていたと考えることができる。自衛(own Defence)をすることは自由のためであった。それは他人の侵害する自由にたいする防衛は自由のためである。悪意(Malice)による暴力的侵害に対する防衛は、自由を守ための法によってなされ、安全が確保されるということになる。この場合の防衛は実際に戦争状態になった時における防衛力による防衛なのであって、私が述べる自由の危険性が未来にあるかもしれないから、多少にかかわらず防衛力をもっておこうとする場合の防衛とは相違している。このような防衛する権利が実際
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に行使される前に、自由の危険に対する「予防的措置」としての防衛力が戦争状態を抑止する機能を持っていることは明白である。交戦権の場合には戦争状態を誘発するかもしれないが、防衛力の整備の場合には戦争状態を抑止する可能性がありうる。このことは日本の防衛力の理論に大きな影響を与えるかもしれない。P1196
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依存から独立してみてはじめてわかる自由の危険性。禁欲主義と、依存の共通の安全性は何故発生するのか。
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ソ連の国家内においてはすべての人が公務員であり、国家に依存していたから、それは日本の右翼が国家に依存していた時にもいえることだが、自由になり独立してはじめて自由の危険性を認識することができるようになったといいうる。保険の制度の考え方もここにはじめて発生したといえるÅ B但し、ソ連においては
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完全な社会保障が、スウェーデンにおけるようにあったから、その他の危険がなかったといういいかたもできる。完全な社会保障に依存することによって危険は全くなかったのだといいうる。これは禁欲主義に似ているといえないこともない。
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こう考えると、自由と独立ということばが最も関連しているのは危険という側面を両者がもっているという点においてである。しかし安全という側面を依存はもつが、不自由は
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もっていない。ただ不自由でも禁欲主義は安全という側面をもっている。禁欲主義によって何もしなければ安全であるとはいえる。
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依存と禁欲主義がともに安全を発生させる理由は、禁欲主義は依存や、積極的自由と共通の側面をもっているからだと思われる。バーリンが禁欲主義による自己否定が、自己実現というバーリンのいう積極的自由をもたらすというのは、この依存というものを媒介としても理解できる。依存の状態のなかからでなくては禁欲主義や、バーリンのいう積極的自由は生まれないのは、独立からはそのようなものは生まれえないという反対証明によって証明されうる。この理解は難しいが、これまでの依存の説明によって理解できると思われる。
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その理解は、自由の危険性のなさという点を理解すれば、共通に理解できるのである。
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国家の自由の危険性と、個人の自由の危険の相関関係と、個人の自由
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自由が危険なのは、個人の場合だけであって、国家の自由は危険ではないといえるであろうか。それはまちがっている。個人の自由は他と衝突したり、自然の脅威や危険に向かったりすることがあるように、国家の自由も他の国家の自由や、自然の脅威にはばまれることがありうるからである。従って国家の自由に従っていればその内部にいる個人は安全だと考えるのかまちがいで、国家が危険になれば国家の成員である個人も危険にさらされることになる。
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依存的な人は大きな権威に依存していれば、完全に安全で、完全に自由だと考えがちであるが、これは完全にまちがっている。その大きな権威が国家であれ、家父長であれ、兄であれ、姉であれ、企業であれ、そのような人や、集団の自由も危険にさらされることはおおいにありうる。特にベンチャー企業の場合はなおさら
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であるが、親方日の丸の国家であれ、大企業であってもいつ危険にさらされるかはわからない。従って個人は独立して、自らの自由と危険をいつも認識していなければならないということになる。
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自分で自分の危険性を注意できるようになること
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自由の危険性をあまりに注意書にて忠告しすぎると、今度は自分で注意できなくなる。このためには試行錯誤による努力が必要である。これは子供の教育について特にいえる。そのためには親や、国家が完全な生への危険やらは取り払ってやっている必要がある。国の経営については大人について、また、大人の教育についても同様なことがいえる。
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自由の危険と、注意書
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子供に危険なことを、やめさせることは自由の妨害にならないかもしれない。しかし依存的なあるいは、自由で独立的な、大人に、注意書きをそえて危険なこと、例えばガケから落ちることをする自由を妨害することは自由の妨害になるだろうか。毒薬を売る時に、氏名と、住所と用途をかかせる場合はどうか、医者が注意をして危険なことでも「自由だ」といって許していた場合に本当に危険がおこった場合にそれは損害賠償の対象となるか。注意書きのみをしていた場合と、実際の多くの証拠を示していた場合とでは、法的に損害賠償の額ははどのように違うべきか。注意のみであって医者が多くの実際上の証拠を知らなかった場合はどうなるかなどの問題はどのように解決すべきか。
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この問題はミルが考えようとした問題であると同時に、バーリンが考えようとした問題でもある。バーリンは主に政府がどのように
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して人々の自由を規制する範囲はどのような方法によってどこまで許されるのかという問題として考えるだろう。注意書きを書かせて「危ないよ」と書かせるだけでじゅうぶんなのか、「これこれの多くの証拠があるよと書かせるのか。」という問題でもある。
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私はこの問題は自由の危険性の問題であると思う。自由には危険性-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->つきものである。危険性のある自由な行動の場合以外にはこの問題は発生しないからである。そしてそれはまた依存と安心との関係でもあると考える。安心を重視するベイやらの考え方によれば、人々に「完全に禁止すること」でさえ自由を確保する方法であるということになる。「人を殺す自由を放棄する」というベイや、ホッブズの考え問題は実は危険性と自由との問題なのであり、フィ・qテが「人がガケからおちようとする人のその自由を防害することは自
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由を妨害することになるか」という問題提起と同じような本質の問題なのである。「人を
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P1203
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殺す自由を相互に放棄する」というホッブズの理論は、「銃を持つ自由を相互に放棄すること」と同じく安全と危険性の問題なのだ。安全であるとは、自由そのものの持つ危険性を相互に放棄するということなのだ。安全時県政の放棄とは、ほぼ同じ内容であり、自由の危険性を考えるならば、安全や安心を求めるということは、自由を放棄するのと同じことになのだ。この意味では自由と安全や、安心とを同列においたベイの考え方はまちがっていたことになる。(しかしベイの安全と自由に関する思考は、もともとはベンサムの考え方からきているようではあるが。
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自由のなかに危険性と関連している自由と、危険性と全く関連していない自由との別があるのかという自由な活動の分類が可能なのだろうかという問題がそこにはあるのだろうか。ガケからおちる自由は危険が伴っているし、幸福を追求する自由は危険が伴っていないという分類をする人があるかもしれない。ある場 P1204
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合は自由な活動が危険であるが、その他の環境や、状況によってはその同じ自由な活動が危険でない場合があるような自由な活動が存在するかもしれない。幸福の追求をおこなうような自由な活動であっても、ある場合には例えば旅行にいくにしてもその自由が危険につながるかもしれない。自由な活動は、銃をもつ自由や、ガケからおちる自由にしても、危険を伴う場合もあれば危険を伴わない場合もある。
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依存とは危険を回避するために、危険はないように守ってくれる権威にすがっている場合のことをいうのであれば、独立よりも悪くないという人がいるかもしれない。実際平等を求めることは、人々がホッボズのいうとおりに人が人に対して狼であることをやめさせる一つの方法であるという依存の論理には、すべての人が一度は納得するかもしれない。平等でない自由の危険性をその理論は最も強調するであろう。自由は危険だから、自由はやめなさい、自由を
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P1205
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殺して、平等の側につきなさいというわけである。
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こう考えてくると、ミルの論理はある意味では自由を守る一つの方法であるかもしれない。
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自由を尊重しはするが、その人が例えば旅行にいくにしても「これこれの危険があるからと証拠を示した注意」を与え、旅行にいくのか、行かないのかは自由な選択にまかせる。政府であれば、そのような注意に関する法を作ったり、行政を行なったりすることあり、個人であれば、あとでこれこれの注意やらを証拠を示してしなかったと、あとから裁判で損害賠償されたりしないようにしようというような考え方である。平等の場合であれば、「自由にすることは平等でなくなるという危険性を注意書きや、証拠によって示した」うえで、あとは自由に選択をしなさいという方法によって自由を維持し、平等にしようということを強制によって行なおうとするこ
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P1206
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とをやめるのである。平等でないことの危険性が発生した場合には明白で、現実的な危険の原則によって、その場合のみは自由を規制することができるのだと考えることになるのかもしれない。この考え方をとればロールズの二つの原理、平等な自由と、格差原理によく似た結論が自由論のなかから、仮想的社会契約によってやら、無知のヴェールの理論やらによらずに、自由の危険性の論理によって導くことができるかもしれない。
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現実的な危険とはあまりにも不平等が拡大して、裁判所にも行政にも、多くの人が訴えたり、頼みにきたり、議会にも多くの人が不平等を正せと陳情がきているような状態であるかもしれないし、それが明白に察知できるような暴動が起こっているような場合かもしれない。
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平等論以外の自由な活動の危険性のはなしに戻ろう。
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ある妊婦が危険であるにもかかわらず、
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P1207
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自由であるから海外旅行をしたいといっているのにどう対処したらよいのか例について考えてみよう。その妊婦は相当な自由主義者である。医者が注意や、多くの証拠を示して注意したにもかかわらず妊婦が旅行にでかけ、子供が産まれなくなった場合を考えてみよう。この場合は裁判をされても医者は損害を賠償する責任はおわない。一方多くの事例があることを知らずに、医者が「危ないですよ。」と注意したのみの場合には医者はどのような責任を負うべきであろうか。一方政府や行政はそのような場合にどのようにすべきであると、医者を指導すべきであろうか。これは生産物責任法における注意書きの仕方の問題と似ている。また、ソ連における保険の概念のなかったこととも関連しているし、ソ連における倒産の問題とも嬉ヨ連している
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。
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このように考えると、自由は危険を察知する自由も含まれているのかもしれない。倒産の危険や、保険における危険の概念のなかに
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P1208
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はそのような考え方を明白にみてとれる。旅行の危険についても、人は多くを察知して、旅行にあたっては危険でないホテルなどを選んでいるのかもしれない。ミルの薬の注意書きの例にしても、それは自由の危険性に関する注意書きなのである。
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欲望と危険・危険を回避する欲望(自由)と危険を求める欲望(自由)
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「注意書」あるいは、「予定的証拠」(preappointed evidence)とミルがベンサムの使った用語を適切であると認めているものは、欲望とどのような関係にあるのだろうか。ミルは「自由とは己れの良欲するところを為すにあって、その人は何に墜落することを欲してはいないから」「自由に対する真の侵害」とはならないであろうと答える。この考え方によれば欲望をなくすことは危険をなくすことになる。一般には「自己の欲するところをなす」というのが自由であるという定義はアリストテレスが民主主義における自由としてはあまり適切なものだと考えていないものである。民主主義においては人々は自由を独裁者に侵害されたくないから、自由を民主主義者に預けるのである。侵害されたくないというのは、侵害されずに自己の欲望をなすということであるから、自由な活動をするということである。自由な活
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動をするということは危険を伴うが、自由に選択ができるということであるから、危険な選択を行なうことも、危険を避けて安全な行動をとることもできる。もし欲望を避けて禁欲主義をとり、自由な活動をしなければ心の中であらゆる活動をすることができる。それが「すっぱいぶどう」であるかどうかは別としても、実質的自由をおいかけることなく、形式的自由のなかで様々な自由を心のなかで考えることができる。しかし「すっぱいぶどう」であるとして現実を追い求めなければ、経験的真実を軽視することになりかねない。すっぱいぶどう(ぶどうはすっぱいぞ)の考え方は心の中を平安にすると同時に、心の中に絶対理性を発生させる可能性があるというバーリンの危険性は増大する。
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欲望をなくすことは現実の危険はなくすが、絶対理性のような非現実な危険を増大させてしまうかもしれない。
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P1211
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自由の制約を危険によって知ることと、依存に対する干渉されない自由はちがう。
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自由が危険である。自由な活動が危険であるということは、ある限度からはみだそうとする可能性があるということであり、自由の危険の認識すなわち、ある限度と、即ち、自由の制約について知ることである。つまりそれはわがままの限度を知ったりして、自分を制約する妨害・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->自分の手によって(試行錯誤と自覚するかしないかは別としても)自由を制限する障害物を探し求めてしまうということである。ところがそれはバーリンのいう干渉されない消極的自由に対立するものであって、絶対理性によって自己実現した人が、他人にその自我を押しつけ強制しようとすることに反発し、その絶対自我をはねのけようとすることである。従ってそれは自由の危険を知って、自由を制約するものを自然に知ることとは違う。それは依存する人、依存してこようとする人をはねのけるという考え方とよく似てい
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P1212
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る。政府の政策として左翼の政権のように政府に依存してくる人をはねのけないという政治は、財源や手間の許している間は何の不可もなく最高のようにみえる。しかし財源や手間が許さなくなった時には、それはすねること、サルキングと映るようになるのであり、そこから脱出するには独立をすすめて、すいせんするしか方法はなくなる。
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自由と危険を防衛すること。危険の確率に見合った防衛をすること。
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過度の防衛と適切な防衛の差異はどこに境界線を引くべきか。自由は危険を伴うから、自由は防衛されるべきであるとしても、その防衛の範囲については様々な人によって意見がわかれる。非常に防衛的な人は自らの自由をその危険の予測のためにすべて制限してしまうかもしれないのにたいして、あまり防衛的ではない人は、自らの自由を危険の予測のために制限することが少なく、時には何におちてしまうかもしれないし、本当に危険なめにあうかもしれない。しかしその危険を、「試行錯誤」といってのりこえていくかもしれないし、のりこえられなくて登山家が遭難するように死んでしまうかもしれない。しかしその人は死の本能があったのではなく、生の本能があったのではあるが、また危険にたいしては様々な防衛を行なっていたのではあるが、あまりにも危険の多いところにいたために、
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たまたま雪崩などにあって、その危険を避けられずに死んでしまったということになる。サーカスの団員がロープをふみはずして落ちて死んでしまうというようなこともありうる。これは自由は危険を伴うということの証明ではあってもその防衛をしていなかったことにはならない。より危険の多い環境においては安全のためにより多くの防衛をせねばならないし、あまり危険のない、危険の少ない環境においてはそのための防衛の量は少なくて済むのである。これは国の防衛予算の数量についてもいえるのであって、防衛軍の大きさについて論ずる時にもいえることである。
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適切な防衛とは、自由による危険の大きさの確率にみあった防衛の施策を講じることである。
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あまり危険がないのに過剰な防衛をするとすれば、その人は逆に危険のために自由を制限しすぎたといいうるであろう。これは性格の傾向としても指摘することができる。恐怖
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政治においては、あるいは、依存的で自由奪取的な人間関係においては自由は無制限に近い程に制限されている場合が多いかもしれない。その理由は閉ざされた世界においては、外部の自由な世界を脅威や、恐怖と考えてそれらを危険視し、依存と逆依存の一対の関係のなかに埋没してしまって自由を危険のために殺してしまっているのかもしれないのである。
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東西冷戦後の防衛のための軍隊はどの程度であるべきであろうか。東西冷戦後は軍縮されるべきであろうか、軍拡されるべきであろうか。東西の緊張がなくなったということは東西の対立の危険は少なくなったのであろうか。
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各人に自由の危険の一覧表はあるか
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自由にしたら危険であるということの様々な危険に関する一覧表が幼い時から大人になるまでの間に人間は身につける。車にはねられないように、道路は注意して歩かねばならないという規範は危険の認識にもとづくものであって、小さい頃に身につけるのである。わがままでは他人に衝突する。従って「人間は人間にたいして狼であるから、自由を相互に放棄しようという考え方も小さい頃に身につく。「わがままではいけませんよ」ということであり、ホッブズの社会契約説は小さい頃のこの「安全性に対する信条危険の認知」から発生しているのであると私は考える。
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依存と暴力性
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依存的な性格の人はホッブズの「万人の万人にたいする戦い」の意味のうちの独裁者にたいする服従者の戦いというような意味において常に攻撃性を有していて、依存からの自由を求めていることを感じることができる。依存的な性格は依存的関係をたちきるための、自分では知らない依存的性格ゆえに、常にすねること、サルキングによる暴力的な転覆をしたいという暴力性がひそんでいることになる。これをラズウェルが攻撃性とよんだとすればそれは依存的な状態によって発生してきたものである。この暴力性はサルキング・すねることというものとして表現されることとなり、その暴力性の程度は大きいものから、小さいものまである。
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自由から危険へ、危険の防衛から安全へ、安全のなかの自由へ
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自由は危険であるからこそ、「注意書」が必要なのであり、危険を保険しておく必要がある。その範囲では自由も安全である。安全な自由は注意書に依存している必要がある。注意書は法に似ている。この自由、危険、防衛・注意・安全・安心を自分のなかで自由に自我を確立して行なえることは、全体的に統合されたパーソナリティーをもっているといいうるが、それに反して、他人に依存してこれを行なっている場合にはそのようなパーソナリティーを持っていないことになる。
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自由を殺すことは安全であるか。自由を殺すことは不寛容か。
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自由だから安全か、安全だから自由か。自由であっても皆がハトのような性善となる自由を主張すれば、自由であっても安全であるが、逆に皆がオオカミのような性悪となる自由を実行すれば、自由であっても安全ではなくなる。安全は自由とは関係がないのだ。安全であっても自由じゃない場合があるのは、自由を平等のために完全に否定して、安全だといっている場合があり、その場合に自由を主張し、人間の本質にかえろうとすれば、自由主義者は平等主義者に迫害されて平等のために殺されることはありうる。逆に自由主義者に殺されることはないが。自由を殺すことは自由であるよと、平等主義者が自由を殺すことにたいしても、ロールズのようにいうであろうから。しかし、不寛容なそのような主義が自由を減殺しているのは確かである。それは自由とはいえないとロールズはいうべきであったと考える。
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P1220
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ホッブズの「万人の万人にたいする戦い」と社会契約は芋 ヒ存からの自由か、自由の相互放棄か。安全と自由
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との関連。
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独裁が安全でないという『ヒエロ』におけるクセーフォンの指摘は、安全と自由との関連について深い指摘を行なっていることになるマキャベリーが独裁にたいしては自由を求めるために人々にたちあがるであろうという時には、独裁者やそれに服従するものの安全についてものべていることになり、そこにおいてクセーフォンの『ヒエロ』を参照せよと述べていることも参考になる。「たちあがる」ということは安全ではなく、自由にとって独裁は人間の本性にそむくもの、人間の本性である自由にとっては独裁は反するものであるということを述べているのである。人間の自然な不安性についてホッブズがのべるのは、自由の危険性について述べると共に、このような独裁が人間の自然であるということ、しかし、それが人間の本性に反するものだ、それが安全ではないということについて述べているのである。そう解釈した場合には人間の本
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性を回復するためにはホッブズが自由の相互放棄をせよ、社会契約をしようと述べるのは自由の相互放棄をせよという意図ではなく、安全は自由になることによって得られるということなのだ。独裁から自由とな・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->いうのは「依存からの自由」について述べているのであって、「自由の相互放棄」における自由について述べているのではない。「万人の万人にたいする闘争」において、ある人と他の人との闘争は独裁における独裁者と服従者との戦いなのであって、対象な独立した者同志の戦いととるのはまちがいなのかもしれない。対等な者同志の戦いはたしかに社会契約を「所有権などの譲り合い」、「平等へ致る道」などのために行なわれるのだととらえるならばそれはそれで社会契約の一源泉とはなる。「万人の万人にたいする闘争」という観念のなかには、もう一つ独裁者と服従者との戦いという意味が含まれており、この方こそ安全ではないというマキャベリーや、クセノフォンの
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P1222
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指摘はそれから脱出するための社会契約という意味が浮上してくるのである。人間が人間にたいする闘争を行なうのは所有権のためであるのか、独裁を防ぐためであるのかという問題について考察する必要がある。所有権に関する争いは自由競争などの経済学における様々な概念によって説明することができるが、独裁と服従における安心ではない状態の解決には、暴力装置による服従者の不満の圧殺というような政治的な概念によってしか説明がつかないのである。ホッブズが「戦い」を戦争とかのみに限定していたとしても、その戦争を所有権をめぐる争いのみに原因を帰していたわけではないと考えられるから、ホッブズにおける安全は以上のような二つの意味があり、独裁においては両者が依存からの自由を得ること、所有権の戦いにおいては平等のために自由を相互放棄することとうけとることができるのである。
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戦争における和親や、民事における調停やらの結果の和解はある意味
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では戦う自由の相互放棄であるが、しかしそれは他の自由の放棄は意味せず、独裁と服従関係における依存からの自由でもなく、しかし安全を得ることができる。アメリカの独立戦争における場合のように依存し、従属していた国家間の状態から独立するということはそれまでの安全でない状態から、安全な独立な状態に移行するということを内包しているのである。依存の状態は安全でないことを意味している。このように現実における戦いも二つの種類に分類することができ、ホッブズにおける「万人の万人にたいする戦い」も二つの意味が含まれていたということができる。
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自由の障害であった「安全でないこと」が、ないことは、安心であり、自由になるといえるか
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安全(安心)であるとは、自由を障害するもののないことととらえるならば、ベイのいうように確かに自由と関連していると考えることができる。しかし自由と関連しているととらえることは一般的にはできない。なぜなら自由になれば危険であるからだ。自由意思によってホッブズの意味での戦う自由を相互に放棄すれば安全となる。子供を自由にさせてやるといかに危険であるかは誰でも容易に想像がつく。そして彼らが戦う自由を相互に放棄したとしても彼らが安全でないのも想像がつく。人間の社会的な、政治的な関係においてのみなのであって、そうではなくても、自由にさせておくことのなかには多くの危険が存在する。河のなかでおぼれるかもしれない。自然環境のなかで凍死(熱射病死)するかもしれない。人間の社会が安全であるためには、競
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争や、戦闘の自由を放棄することはたしかに安全を向上させるかもしれない。日本においては雨に課におけるよりも銃刀の取締が厳しいをフで、そのような紛争にまきこまれることは少ないが、たとえばそのような紛
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争自体の数が多ければまきこまれる総数は同じかもしれない。それは確かに心の問題である。
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自由は、心の中での「安心は反対、安全の反対である恐怖や、不安」がないことが自由であると定義すれば、たしかに、それは自由と関係していることになる。しかしそれはほぼ同義反復に陥っているようである。「安心がないこと」がないことは、安心である。「安全でないこと」がないことは、安全であるといっているのと同じことになる。
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しかしこの同義反復は心の中でのことに限っていえば有効になるのだから、ベイのいっていることは心理学や、社会心理学の見地からは有効な分析だということになる。
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自分は依存的で、依存させてくれる人がい
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P1226
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なくなると不安だと感じている人は、そうではなくて自由を獲得するべく自立して、独立していこうと努力するならば、全的統一的パーソナリティーが得られるのだということになれば、これは不安である状態にあった不安であることがなくなったわけであるから、自分の心のなかで安全(安心)になったということになる。
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これは自分の心の中での障害であった安心でないという自由の障害物をとり除いたという意味では自分で自分の自由をとりもどしたことになる。つまりフロムのいう全く、統合的パーソナリティーを積極的自由を獲得することによって得たということになるのである。この意味では、本来の自由(無)を獲得したといいうるかもしれない。
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このようなフロムの意味では、ベイの心理学的自由や、潜在的自由は自由の問題であるといえよう。このことは依存における自由の問題と深く関係している。
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P1227
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依存と安心、安全
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依存は、他者との依存によりなりたっている状態だから、他者次第であり常に安全(安心)ではない。依存させている人が、目を離したら不安になる。そして他者に依存しているから自由ではない。依存と干渉はほぼ同じである。
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依存は権威と盲従の関係にあり、権威の側も盲従されている側に依存しており、安全ではなく、盲従している側も、権威に依存しており安全ではない。これをクセノフォンは『ヒエロ』のなかで、独裁者にむかってあなたは町のなかを安心して歩けますかという質問でその不安を端的に表現している。マキャベリーもクセノフォンの『ヒエロ』は独裁について学ぶのに最も適当な書物だと述べ、また、ルソーは絶対王権(国王)と臣民との関係は両者ともの自由をなくしているということを、奴隷の隷属として述べている。この隷属は
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P1228
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依存という概念とほぼ同じである。
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P1229
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安全な環境と自由の相反性
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安全でなければ自由ではない。しかし、自由だから安全であるとは限らない。安全は人間の環境や状況である。安全な環境においても人々が自由をいいだし、例えば武器をもつ自由を主張するようになれば、安全で、安心な社会でなくなるかもしれない。そのような社会でも、個人個人が銃をとって戦う人間ではなくて、攻撃性をなくした、あるいは、攻撃性をスポーツとかで昇化し尽くした、安全な人間になれば、それで社会は安全で安全な社会になるのではないかという論理もありうる。この議論は自由と平等の対立とよく似ている。安全は平等とよく似た概念である。社会が平等であれば安心であるが、その時には自由を殺しているのである。安心になるためには攻撃性も、銃をもつ自由を捨てなくてはならないが、その時には自由を殺しているということもできる。
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P1230
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自由は安全ではないから、社会契約によって安全を確保しようという考えは自由の危険性についてのべると同時に、社会契約は自由の放棄に関する同意なのだという論理を含んでいる。自由の放棄は本当に安全にするのかという問題は人間の本性が人間の人間にたいする闘争状態であるのかという問題と根底においては相通ずるものがある。自由であっても、危険を保険する制度が整っていれば、安全な社会は存在しうる。逆な場合も存在しうる。ということは社会契約と、自由の放棄とは直接的関係はないということになる。自由の放棄をしていても非常に危険な社会が存在しうる。というのは、自由の放棄をしているゆえに、悪い侵略者にたいして防衛する武器をすべて捨てていために、侵略者にたいする防衛ができないこともありうるからである。侵略者も武器を捨てているのであるから、安全だという
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P1231
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ことにはならない。侵略は自由を放棄していようが、闘争と同じことで・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->人間の社会ではありうることであり、共産主義社会においても実際に侵略が起こったのは闘争がおこったからである。闘争の自由を完全に放棄していなかったから、闘争がおこったのだというのは詭弁にしかすぎない。闘争が存在することは認め
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ているのであろうからだ。
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P1232
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不安の構造は依存から生ずるか
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ベイの『自由の構造』とは不安をもつ人がどのような心理的構造をしているのか、そしてその不安をとり除くにはどのような方法があるのかについて述べているのであって、フロムの『自由からの逃走』も、ホッブズの闘争状態が自然状態であるという説も、どちらも不安から脱出することが必要だ、そのためには全体主義がドイツの全体主義では必要であったし、ホッブズにあっては社会契約が必要であるという論法をとったのであると考えられる。その時の不安の構造を後天的なものとして分析し、その不安や、恐怖からの自由により安心にいたる方法について分析するという方法をベイはとったのである。私はその不安の構造を依存的な性格により自由をなくし、危険性のある自由につきすすみ、自らの力で危険を回避する方法を知ることのなかった依存的性格(家庭から生ずるような)に求めるのである。
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P1233
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自己の絶対理性にのみこもることから生ずる絶対性に対立する(相対)政治恐怖症
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政治恐怖症、これはアナーキズムと似ているが、これは絶対理性論と同じであり、他の人の政治的意見を聞いて討議し、討論し一つの結果を導き出していこうという考え方ではなく、同じ政治であっても独裁的な政治のみを政治と考えるものであり、それは依存から発生しているといえる。
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P1234
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依存性、性格、破壊性
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依存することが常態となっている人が、ある時依存できない状態になれば政治恐怖や、不安や、不機嫌や、破壊性が発生する。従って依存的な性格の人の性格は自分では良いと思い、そのような評判を強制することになりがちではあるが、依存されている人にとっては依存する人を良いとは思ってはいないし、また、外で独立して生活している人も依存している性格の人の性格が良いとは思っていない。しかし依存している人は依存されている人にとって自分はなくてはならない人間であると自分でサディスティックに思い込んでいるので、自分は最もちやほやされていてよい性格であると思っている。だから、性格は依存的な程よいという説をとる。ところが一旦その人は依存できないとなると不機嫌になり、破壊的性格となる。そして依存できている時は依存されている人に向かっても上機嫌である。依存できている時には、それも完全に依存できていて、何一つ心配事も、自由の危険も存在しないのであるから、完全に自由の状態である。それは依存の範囲内においてのみの完全な自由であり、満足して笑みさえでている。その笑みは依存の状態のなかのものであり、その自由も依存の状態のなかのみのものである。その笑みに一時は皆がだまされてしまう。ところがそこにはキバが待っている。そしてその人が依存できないという状態に陥ると、その人は狼(オオカミ)になってしまう。そこには巨大な破壊生が待っている。
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破壊性をなくすという目標を追及すれば必然的に民主主義の追及という目標が追及されねばならなくなるというラズウェルの『権力と人間』における提案のなかにはこのような現象も考慮されていると考えるのである。またフロムの自由の目標として主張する全体的で統合されたパーソナリティーの概念のなかにもそのような含意があると私は類推する。フロムの場合には自由から逃走して政治心理学的にマゾヒズムにむかうというなどしてこの傾向は明白であるが、ラズウェルの場合には民主と自由との関係、そして民主的なものを破壊するものは何かという問いの中にそれが推測されるのである。この場合の依存とは奴隷状態という社会的、法的、政治的状態とは違っている。実際にそのような状態にあってもなくても、つまり社会的に、法的に、政治的には自由があってもなくても、とにかく依存している状態にあることを言っているのであることは論を待たない。
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P1235
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依存における安心と、隷従における不安
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依存と隷従の違いは、依存は生活に不安も不満もないのに対して、隷従は生活に不安や不満があることである。依存における安心は逆依存の関係の人が依存からの離脱を求めた場合にはいつ不安と変化するかもしれないし、そこにサルキング・すねることや、暴力性の存在する余地がある。
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P1236
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恐怖政治と政治恐怖
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恐怖政治と性格のなかの恐怖、例えばハウス大佐にみられたような恐怖症(フォビア)とは直接的に結びついていると考えられる。どんなに金持ちであっても、他の人から財産をとられて、いつでも無一文の状態や、十二人の人が三人の食糧しかない状態になるのではないかと、いつも恐怖をもっている人が存在するし、無芋齦カに近い状態の貧乏な人でもそのような恐怖症におびえずに気楽に楽天的にやっている人もいる。貧
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しくても十二人には十二人分の食糧をいつでも作れるさという考えや、その他の楽天的な考え方をもっている人は、人々がいろいろな意見を出して討議して政策を決めようとすること、すなわち、政治そのものに恐怖をいだきがちであるので、政権をとった時にも恐怖政治を行なう。
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P1237
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政治にたいする恐怖と、場所恐怖
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場所恐怖症における例において自由が減じられていることを証明するためには、場所というものによってではない、依存という社会的関係が自由と関連していることを証明する必要がある。
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P1238
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秩序と安全と自由
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安全は、秩序を形成するかもしれない。あるいは秩序は安全であるかもしれない。しかしそれが自由の制限によるかもしれない。自由を制限しないでも、各人がバーリンのいう干渉しない自由と、干渉されない消極的自由をもっていれば安全で、秩序だった社会においても自由が保障されうるかもしれない。バーリンが望んだのはそのような理想の社会であるということができるし、フロムのいう全体的で、統合されたパーソナリティーの追求もそのような自由で、安全な、秩序のある社会を求めていたのだということもできるであろう。バーリンは自由と安全とについてそのような意味での言及は行なってはいないのであるが、人間の本質を保障するという観点からそのように推論することはできると思われる。
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P1239
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自由と安全。ベイの安全と自由。安全の観念は自由論のベースであるか、自由の結果か。
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ベイは彼にとっての安全(security)の定義を原著書六六頁において「他のいろいろな価値を楽しむことがいつでも現実的にできるか、あるいは、できると認知されていること(the actual or perceined probality over time of the enjoyment of other values)」としており、同著書六七頁においては、主観的安全(subjectine security)を不安(anviety) 、あるいは、恐怖(fear)が相対的に存在していないことであると定義している。六六頁においてホッブズの安全の概念とは違い安全の定義をし、議論するにあたっては、心理学的側面を考慮するという宣言をした結果、主観的な危険の知覚と客観的事実としての危険を区別したのである。同七四頁においては、客観的な安全を定義して、「危険が相対的にないことである」と定義する。(the relatine absence of danger)しかしここで有機という古い政治額の目標とされたものを
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P1240
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考えてみればどうなるであろう。現実の危険性が高くなればなる程、人は内心に不安を感じるであろうが、それでも有機をもって勇敢に戦う人もいれば「おじけづいて」(この意味については別に考える)逃げてしまう人もいる。同じ現実の危・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->たいしても二通りの自由な選択が存在し、客観的安全と、主観的安全は相互に関連していることがわかる。
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しかし安全の観念は自由にとって最も重要な観念でありそうなのは、ベイが主張するような理由によってではなく、ホッブズの自由の観念が彼の安全観という性格的なものから生まれたのであろうという過程と、ベイの自由観念が彼自身の安全に関する観念から生まれたのである、という理由による。ベイの理論や、ホッブズの理論は原因と結果とが逆になって説かれているのだと私は考える。常に取締まりを厳重にし、ニュースなどで報じられる殺人の様々な形態が自分にいつでもふりかかってくるであろうと四、六時中(over time)考えている人は、そのために自
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P1241
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由が心理学的に少なくなり、その人の書く自由論は安全を中心にして自由論をかかざるをえなくなると私はいいたいのである。逆に、そのような事件は自分がすべての人とうまくやっているから、自分のいる環境では殺人事件などはおこりようもなく、人間と人間は自然的な状態においては自由と平等な状態にあるのだから、平和であり、いつも取締まりしておく必要がないと考えるのであるならば、そのような環境を「原因」とした自由論がかかれるであろうということを私はいいたいのである。それは環境によるのであると私はいいたいのである。ミルの自由論はそのどちらもカバーしているのかもしれないし、フロムの自由論は自由で平等な平和な人々の自由のことについて述べているだけのことかもしれないのである。日本の農村地帯においてはほとんどの家のドアはカギがかかってないし、窃盗のようなものがおこったという話もあまりきかない。とられるものがないのかもしれないが。
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P1242
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しかしそれはおそらく農村の安全と関連するだろう。日本における自由は、ベネディクトのいう「菊」と、「刀」との二つの対比によって示された状態から類推すると日本の鎖国時代の安全からきているのかもしれないし、フランスの農村のワインのみすぎの話も、農村ののどかさという点において日本の農村に似ているのかもしれない。
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しかし自由の「危険性」、つまり、「安全の反対」の概念について述べるのは、安全の結果について述べているのではなく、バーリンのいうように自由を原因としておこる何ものかについて述べているのであって、安全の結果生ずる自由について述べているのではない。人間の本質としての生の本能の対立物である、自由について述べているのであって、その自由の概念は普遍的なものであって、安全やその他の価値の下にくるものではないと考えられる。人間は自由の結果として平等を知るのであって、平等の結果として(あるいは安全の結果として)ドゥウォーキンのいうように表現の自
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P1243
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由のような自由の絶対性があることを知るのではないのであり、ドゥウォーキンの理論も政治的議論としては、また、哲学的議論としては本来てん倒ということができると私は考える。自由によって平等を知り、自由によって安全を知るということの方が原因結果の理論としては正しいのであると思われるが、性格的に固定した人(安全の方に固定した人)は、安全が先にあってそのあとに自由が生まれてくるのだと考えがちであるが、ある人の安全の概念は他の人の自由と、自分の自由の概念や、自由な活動のなかから生まれてきた概念なのであって、安全が先にあるわけではないといいうる。家庭のなかで安全の観念がつくられ、それが性格として固定するとしても、その安全の観念は家族の自由な活動のなかから生まれてきたものであってアプリオリな、先天的な概念とはいえず、自由こそがアプリオリな概念であり、家庭の中で安全や、平等な概念が育つとしても、それは家庭の自由さのなかにおいてであると考え
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P1244
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られる。
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このような論理からすればバーリンの自由に関する概念は人間の本質的なもの、人間の最根源のアプリオリなものをとらえて、社会的、政治的に主張したものであるといいうると私は考える。それは法学的にも、法哲学的にも応用できるものと考えることができる。しかしそれは平等論の方からドゥウォーキン氏のように大きな反論が加えられるであろうが、ドゥウォーキン氏もその平等論がどのようにして発生したのかを考えてみて、人間の本質としての自由の考え方にたちいれば、その反論はナンセンスなものだということに気付くのかもしれない。
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それでは動物の本能は安全なように組み込まれているのであろうか。毛を冬になれば多くし、長くする動物の本能は確かに安全であり、危険を少なくするために役に立っている。ところが人間は南極探険や、熱帯探険においては凍死したり、熱射病で死ぬこともある
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P1245
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。自由な冒険家は生の本能があるにはあるが、この危険性、自由の危険性を味わっており、楽しんでいるようである。生の本能は人間の自由を安全の方向に向けているようである。こう考えると安全は、生の本能という人間の本質と最も近いようであるし、人間の自然回復の能力、自然治ゆの能力(本能)も、安全と最も関連しているようである。つまり、安全は本能と最も近い概念であり、自由とは最も遠い概念であると考えられる。依存的な人が依存的な体制を最も安全だと考えるのは、依存的に育ったから、それを維持し安全とするためであり、その逆の場合である自由で独立的に育った人は依存的な制度下でも、独立的な制度下でも安全を維持できるのはその人間の本性からくるものである。ただし思想・表現の自由を行使して、依存的な制度の下で、独立的な制度を主張しなければの限定的話ではあるが。
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『正義論』のなかのジョン・ロールズの第一原理は平等な自由について先に述べ、次に
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P1246
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平等化のための格差原理について述べている。それはまず、自由という人間の本質的なものを尊重し、次に(第二二)安全のために(おそらくねたみや、しっとをなくし、それに応じて義賊の心理に金持ちが答えるという意味で安全のために)格差を平等のために是正しようと考えた点において、自由と平等と安全とをその人間の本性的順序においてとらえた点は評価できると考えられる。バーリンの自由論についてロールズが述べている点はその意味で非常に重要であるといいうるのである。
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バーリンが干渉されない消極的自由を擁護するにあたって、自己実現や自己否定(自己を否定し、経済という永遠なるものに従うという素朴な意味での)とかの発生してくる機条や、万国の労働者を団結させる地
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位の要求が、干渉されない自由の反対物であるとして様々な反ばくを加えたことは、干渉されない自由というア・プリオリな人間に備った本性について
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P1247
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述べようとしたのだととらえるならば、バーリンの「二つの自由概念」の与えた影響が本人が考えた以上に大きかったのは、当然のことであったのであり、逆に安全をこそ重視したベイの『自由の構造』論が心理学的側面を重視したにもかかわらず、ロールズや、ドゥウォーキンによって論じられなかったことには意味があったのだと考えることができる。しかしベイの「安全」の概念こそは、心理学的な側面を重視すれば重要な概念でありうる可能性がありうる。それは依存は本能的な安全を求めようとする人間の本能からきているのだという点においてである。
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人間が自然状態においてホッブズのいうように闘争状態にあるのか、自由で平等な平和な状態にあったのかについては、どちらも存在したということのほうが正しいのであろう。自由であったからこそ平等を発見したりして平和であった可能性もあるし、自由であったからこそ闘争し、危険な状態であったのかもしれない。それは時
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P1248
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と場合によったというほうが正しいし、それは時間的に原初(始原)状態においてどちらであったかと問うことはナンセンスである。同じ自由な人間の集合した社会にあっても、ある時は平和な状態にあり、ある時は、安全ではない闘争の状態にあったと考える方が正しいと考えられる。自由はそのどちらも生みうるのである。同じ時点においてあるところでは訴訟が行なわれており、他のあるところでは平和であり、また他のあるところではその訴訟をなだめるためにコモン・ローや、イクウィティや、ローマ法や、その他の制定法やらが使われているのである。 -->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->/P>
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P1249
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第四章 自由の定式化
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P1250
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自由の概念
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G・C・マッカラムは、自由を定式化して自由の主体が、自由を妨害されることなしに、自由な活動ができることであるとした。そしてすべての自由に関する言説はこれら三つのものの三者関係を含んでいるのであり、それらのうちのどれかを強調したり、どれかを重視したりすることによって自由論が様々な形態をとっているのではないかと考えた。これにたいしてアイガイア・バーリンは干渉されない消極的自由が自由の本質なのであると反論する。これにたいして自由な主体は人間であるのだから、人間の本質としての「本能の代置物」としての、本能として固定されていない自由な人間に内在する能力こそが、干渉されない自由を要求し、自由な活動を人間は行なうことができるのである。従って人間の本質であるところの内在的な自由に着目すればマッカラムとバーリンの対立も人間の本質
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P1251
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は自由にあるという理論によって解消できると思われる。J・S・ミルが『自由論』のなかで述べる自由な人間の性格や、アーレントが『政治と自由』のなかでのべる「ものごとのはじめ(ビキニング)としての自由も、人間の本質的自由に着目すれば、それ程対立した概念ではないということになる。
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P1252
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自由の複合性と、各要素の単独性
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自由の本質を考える時に、マッカラムのいう自由の三主要構成要素の三者複合体だという考え方はあまり本質的な意味がないのかもしれない。たしかにある一つの自由には三つの要素が複合になっている文章ができるかもしれない。しかしそれらは自由の主体性、自由の積極性、自由の消極性の三つの自由の性質はそれぞれ別個に存在するのではあるが、それにもかかわらず一人の人の自由についてはそのような文章が成立するかもしれない。自由の本質はすべての人に適用されるのであるから、自由の属性のそれぞれは独立的に存在する。三者が一体として一つの作用をするのは、ある一つの自由な活動を描写する時にはその自由な活動をした主体は何か、その自由な活動をしたことにたいする妨害はいかにして排除するのかということが問題となるからである。ところが、自由の主体と、自由の
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P1253
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積極性と、自由の消極性は自由の属性としてどのように関わりあいをもつかということを哲学的に考察することの方が重要であり、それがこの三つの複合体が自由だという結論にいたるのか、あるいは、自由の一つ一つの属性は独立的に存在しているという結論にいたるのかということは自由をじゅうぶんに考察してから各自がだす結論なのである。
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P1254
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分析哲学的に、自由のことばの分析を行なうと自由の三要素論となる。
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自由論のなかでもマッカラムが積極的自由と、消極的自由とを概念的に明らかにしようとして発表した論文のなかにあを轤れる自由は三つの主要な要素があるとする考え方は、自由の概念を体系的にとらえる場
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合には、最も有効な分析手法であると考えられる。この考え方はプラムナッツや、オッペンハイムのような分析哲学の手法、つまりは政治や政治学のなかにあらわれてくることばを徹底的に根本にたちかえって分析していこうという考え方から出発したものであると考えることができる。
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P1255
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自由の主要な三要素と、その他の五構成要素、それらの関係。
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ある環境のもとで、ある自由な人が、他の人に依存せず、自分の社会的目的や社会的欲求のために、そのための能力があったので、妨害や障害を排除して、妨害物や障害物がないので、ある自由な活動をした。これが自由な活動や、自由な行動について自由の主要な三要素と、その他の構成要素を含めた自由の概念であるということになる。しかし自由の主要三要素のみでいえば、自由な主体が、自由を妨害するものなしに、自由な活動をすることが自由である。そのどれとどれが最も関係が深いのかは、それぞれの自由な活動の種類いかんにかかっている。ある人は自由を求める政治活動を重視して自由論を展開するかもしれないし、ある人はベイのように安全な環境を最も重視して自由論を展開するかもしれないし、ミルのように自由を行なう人を中心にして自由を
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P1256
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論ずるかもしれないし、ある人は、自由を行なう主体が様々であることを中心にして自由論を展開するかもしれないし、エピクテトスの自由論のように欲求と、欲求のない時には自由な活動をしようとは思わないということについて重点的に自由論を展開するかもしれないし、ある人は自由な活動が様々であるとして自由な活動の分類整理を行なうかもしれないし、ある人は自由化への政治活動を行なう時の自由の障害物や、障害物について分類整理するかもしれない。バーリンのように干渉されない自由のみを主に主張して自由化への活動について主に述べるかもしれない。
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P1257
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自由の定式化(環境を含む)
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ある環境において、ある人が、他の人の障害や妨害がなく、あることをする能力と、あることをする資源をもっていて、あることをする意思を有していて、あることをすることや、あることになることができることが、自由である。ある人があることになるとは、あることをすることによってなるのであるからこれもあることをするということと同じことになる。
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P1258
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自由の定式化
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ジョン・ロールズが『正義論』で自由の概念について述べる時、マッカラムからの引用を行なっているが、マッカラムは自由を定式化するにあたって「AがPをするについてBから自由である」と定式化しようとしたが、そのなかでの環境の位置は障害物であるBに環境があたっているのか、環境がPをする誘因となっているのかを区別しなくてはならない。アウシュビッツの環境はユダヤ人に死を選ばせると共に、自由に行動する環境をなくし自由な行動の障害物となっていた。Aの環境と、Bというものの環境や、Bという人の環境、Pという行動の環境が分析の対象となりうる。
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P1259
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マッカラムの自由の定式化に対するバーリンの批判の誤り
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私がバーリンの誤りとして指摘したいのは、バーリンがマッカラムの自由の定式化を批判するにあたって、マッカラムが自由は三要素の総合的なものであるといったのは誤りであると論争するのに、その理由として、自由を求める「自由の定式化の外にいる他の人の活動」は常に妨害を排除し、干渉を排除するという干渉されない自由についてのみいっているのであって、その後の自由な活動については全く考慮していないのであるといっている点である。フロムにいわせるならば、干渉されない自由をえても統合的パーソナリティーがなければ自由な活動さえできないのであるから、形式的自由としてそのようなものが得られたところで、そのような自由を使えない人が生まれたらどうなるのかと反論してくるであろう。現実には普通選挙権
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P1260
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を求める活動をしている人々は、その後の選挙権の使い方について彼らを説得する材料として使っていたりしている場合が多いと考えられるし、普遍選挙権を得るであろ・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->人もそれが得られたら投票できることは知っていると思われる。自由の三要素の外にいる人が、自由を求める活動をする例は数多いし、そのことと自由が三要素の関連性とは無関係であると考えられるのであり、マッカラムのほうに勝ちを与えたい。バーリンの真骨頂は干渉されない消極的自由を、定式化し、その範囲を定めようとしたという政治哲学上の位置にあるのであって、それは何ものにもかえがたい宝の宝庫なのであり、それこそ彼も自負するとおりに人歴゙
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の知的遺産なのであるといえる。それは自由の三要素を賞賛し重要視したからというのではなく、他の自由の主体(依存的か、独立的かとかの分類も含む)と、様々な自由な活動を可能ならしめるからこそ
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与えられる栄誉なのである。その人類史への貢献は大きなものがあったと考えられるのである。
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P1262
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バーリンとフロム等々のいう自由論の図式化
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このほかの人々の自由論もこれによって図式化することができる。
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P1263
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現代自由論の課題
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自由論の現代的問題は、・自由の主体、・自由を妨害するものは何か、・自由によって行う活動の三つの要素をどのように分析し、ある環境のなかで生きていく人間、それも自由な人間を総合的にどのようにとらえるかということである。この三つを自由として総合的にとらえるのではなくて、人間として総合的にとらえるのかが問題なのである。この総合性は自由な人間同志の全体である社会をとらえる場合の根本問題となりうるし、政治学や経済学の根本問題ともなりうる。バーリンは・の自由を妨害するものがない状態こそが自由主義の本質であると主張するし、・の自由によって行なう活動こそが自由主義の本質であるという主張もある。・の自由の主体を自由論のなかで強調する立場は、自己の自由と他人の自由との総合としての社会や、平等な
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P1264
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配慮と尊重を自由な人間同志が行ないあいながら社会を形成していくべきであるという立場をとることとなる。
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マキャベリーやらのいっている自由が、・に重点を置いたバーリンの消極的自由の状態をさしていたのか、・の自由な活動をさしていたのかについては、文献を詳細に調べてみる必要がある。『キリスト者の自由』が干渉されない消極的自由を主張していたのか、宗教を信教する自由、・の活動としての自由を主に主張していたのかについても、詳細な検討が必要であろう。一般にはある干渉を排除して、ある自由な活動を、ある人やある集団がしようとするのが、自由の政治的な意味ではあるがバーリンのいう干渉されない消極的自由の状態の範囲が、確定されなければ、自由な活動も、何もしないことも存在しえず、そのような状態を求めるという動きは(政治的な動き、政治活動という意味での動きは)、
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P1265
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自由のためにはまずもって最初に必要な「自由のための戦い」ではある。しかし、その後自由な制度がその結果として獲得され、憲法や法制度として確立されたからといって、それでじゅうぶんではないというのがフロムの意見であろう。私有制度の下で私有財産として干渉されない自由が認められたからといって、他の人との平等なことやらを考えないで、自由に処分できる完全な権利が与えられた、所有権の完全性がある、と考えるのはまちがっている。プライバシーの権利として何をか守ってやることは必要であるが、完全にすべての権利をもっているのではないというのが、ドゥウォーキンの考える平等な配慮と尊重ということであると考えられる。それがドゥウォーキンのいう財産権に関する干渉されない自由は存在しないという考え方なのである。それはある意味ではバーリンのいう干渉されない消極的自由が認められてからあとのことであるが、そのなかでも「積極的な自
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由」が必要だというフロムの考え方や、そのなかにあっても平等な配慮と尊重は必要だという考え方になるのである。
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ということはこの・と・との関係は、時間的な順序の問題なのであろうか。ある意味では・により妨害は排除したあとでなければ、それに関わる・の自由な活動を行なうことはできないのである。しかし・が全く存在しないような自由な活動においては・の自由な活動のみが意識されることになる。もし自由な活動で、空気をすう自由のような・が全く存在しないような自由な活動があれば、・のみが問題となるのである。ところが、タバコを多くの人がすっている部屋で、よいタバコの煙のない空気をすう自由という形容詞をつけるならば、そのためには禁煙を行なうか、部屋を禁煙用と喫煙用に分けなくてはならないことになる。自分が喫煙の部屋から逃げ出すという方法もある。最後のものは自己否定とバーリンが名付けたものであり、禁煙
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P1267
<!--[endif]>
を他の人々に強制(強要、強迫)することはバーリンからは積極的自由といわれてしまうことになる。それに対して、禁煙室と喫煙室とに分けることはどちらも干渉されない消極的自由を残したままの対応ということになるが、もし資源が存在せずに、そのような二つの部屋に分けられないという場合には、一つの部屋を部分に分けることになる。しかし部屋が更に狭くて全くもって部屋を二つの部分に分けることさえできない
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というのであれば、その場合には禁煙を積極的自由によって喫煙する人に強迫せざるをえなくなる。
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このように自由は環境あるいは資源とも関わっていることが分かる。関わっているからといって自由の大きな要素であるかどうかについては考察の必要がある。資源や空間が存在しないと、自由が存在しない場合がある。自由の干渉に資源や空間が該当する場合がこの場合である。この場合のように、資源や空間がないと自由が存在しえない場合もある。が、先に述べた禁煙の例のように、個人の自由な活動を主に考えて、個人から他のすべての人までの全体を囲むよ
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P1268
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うな環境としての資源や空間が考えられる場合がある。この場合の資源や空間は環境の一種と考える方が妥当といえるかもしれない。
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「バーリンの自由」の三要素の分析
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自由の三要素について、自由の主体を「政府と国民との関係」、障害や妨害を「政府の国民にたいする妨害や干渉」、自由な活動を「政府の干渉する範囲の活動と、その干渉しない活動」とに限定して論ずる場合にはバーリンの理論的分析は、出色のものとなる。
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政府という主体が国民の消極的自由にどの程度干渉するべきか、国民という主体が政府野積極的自由をどの程度許すべきか。そして政府という主体が国民の消極的自由をどの範囲まで認めるべきかをバーリンは主要な課題とし、積極的自由のおこってくる理由を二つの自由論によって展開した。バーリンが「二つの自由論」のなかで展開した理論はこの三要素の三角関係を分析したものだというマッカラムの解釈についてバーリンはそうではなく、消極的自由こそ自由の本質であると述べる。
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消極的自由は妨害や、障害を排除しようということであるから、それはすべての自由を求める政治運動の中心的概念ではありうるが、それがその後どのような自由な活動を求めているのかを明白にしないという点では、自由のすべてを表現しているとはいえない。
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積極的自由と消極的自由の対立
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バーリンのいう積極的自由が多くなれば、相対的に消極的自由は少なくなる。バーリンにとってこの命題が自由論の根本をなしたととらえられる。しかしこれはあたりまえの命題である。ある人の活動の自由が多くなれば、それが他の人に向かっている場合には当然に他の人の妨害や障害となり、それゆえに、他の人の自由は妨害されるゆえに少なくなる。従って積極的自由は他の人と・->->->->->->->->->->->->->->->->->-->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->->になるくらいに少なくしなくてはならない。それが他の人の自由との対立による見えざる手によるものであろうと、平等の自己概念によろうと、政府の規制によろうと。
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しかしバーリンヘこの当然の命題について述べているわけではなくて、積極的自由が「高い自我」として他人に強迫し、干渉する場合の積極的自由について述べているのであって、他の人間を自由な人間として扱うのではなくて、「人間の管理を物の管理にかえる」ことによって積極的自由を行使する場合のこと
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について述べているのである。これにたいしてフロムのいう全的パーソナリティーとしての積極的自由は、相手との平等のことも考えながらも、与えられた制度的自由のもとでその与えられた自由を積極的に自他にたいして使用して、社会を活性化し、自分の活性化することをさしているのだと考えられる。
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すべての自由を求める活動は、ある障害や、ある妨害や、ある干渉や強制を、「排除する」ことを目的とするものである。こう考えるとこの意味での自由はすべてバーリンのいっている干渉されない消極的自由である。ある自由な活動をすること、それが目的であったとしても、自由を求める活動は消極的自由のみを最初は必要とし、それが達成されたあとでその目的である自由な活動ができるようになるのである。人間はもともと自由であるからそれは人間の本性であり、自由な活動をすることを人間が「目標」として自覚することは絶対にありえない。それは無であり、人間の自然である。人間が自由を求める活動をするということは、干渉や強制や妨害や干渉を排除したいということしか人間は意識しないのであって、バーリンのいっていることはこのように解釈すれば完全な真理である。
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この場合の自由を求める活動は、法制度としてそれを求める場合にはその国法が適用される国民一般が主体として考えられており、ある人のためのみ妨害を排除しようとしている時は、その人のみが主体である。ところが自由の主体や、自由な活動についても分析しなければならないとして、バーリンのいう消極的な自由はこれらとの三角関係のなかにあるとするマッカラムの解釈は自由の本質は社会的には他人やらの干渉を排除することなのではあろうが、その干渉を排除したあとの自由な活動がどのようなものであるのかも択溷
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切であると考えれば妥当性を有する面もあある。フロムのポジティブリバティーも、その後の自由な活動について言及しているのであるからだ。従ってこの論争はいずれが正しいとも決着がつけられない。社会にとっては他からの干渉をなくした状態こそが自由であるというバーリンの説はシュタイナーのいうとおりに自由は他人との人間関係においてのみ問題となるとい
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う説と近いということになる。なぜならば、他人からの干渉を排除するという点に自由の意味を重点的にとらえているからである。自由を求める政治活動においてはほぼそのような意味に自由をとらえられるということとそれは関連していると思われる。
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自らの不自由を、自らの力によって回復することができる。
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自分を制約している誤った考えから自由になることや、あまりに規範意識が強かった人が、現実の自由の危険性はそれ程でもないという理由から、自ら、自らの力で、自然に自由になるケースはありうる。
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David Miller,Liberty,OUP,
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Erich Fromm,Escape From Freedom,New York,1941.p.258.
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John Stuart Mill,On Liberty,London: J.W.Parker,1859.
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Ronald Dworkin ,Taking Rights Seriosly,Harvard University Press,1977.
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Encyclopedia Social Science,
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Edited by Iain McLean ,Oxford Concise Dictionary of Politics,Oxford University Press,1996. , Political Thought,
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Brad Miner,The Concise Conservative Encyclopedia, New York:Simon & Shuster, 1996.
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H ffe,Otfried,Politische Gerechtigkeit : Grundlegung einer kritischen Philosophie von Recht und Staat, Shurkamp, 1987.
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あるホームページよりの引用です
私のものではありませんが
參考にして下さい
神様、仏様のホームページ
難解なあまりにも難解な誰が書いたのか分からない書物。
本当の聖書かも知れない。
しかしだからこそ理解できれば、人生に神の恩寵が与えられるでしょう。
永遠の言葉、永遠の書物。普遍に向かった悟りの書。
死ぬ前に読んでおくべき書物。
感想――これで安心して老後を過ごせます!ありがとう存じあげます。――
――神仏の意味がはじめて分かりました。――
---皇太子、雅子妃共に読んでいただきたい書
唯物論と唯セックス論に
よることなく
女性は
ゼンダーによって
見るべきです
雅子妃
女の天皇もよし
天皇家を
御守らせたまえ
この本の
通りです
あなたを
精神の病というものは
精神の病に
陥っている
フロイトと
マルクスの承継者で
あるものである
雅子妃
女の天皇もよし
天皇家を
守りたまえ
この本の
通りです
あなたを
精神の病というものは
精神の病に
陥っている
フロイトと
マルクスの承継者で
あるものである
神の声は
神の
心は
仏の
心は
この本の通りです
ちまたには
天皇制反対の
フロイトと
マルクスの承継者である
者は
精神の病を
持っているものは
そこらじゅうに
います
神は
幾人も
その人々を
見つめてきました
心の闇を見つめてきました
暗い暗い心の闇を
天から
見つめていますから
この本の
通りに
お思いなさるように
そして
永遠の言葉によって
永遠に
永遠のために
生きていかれんことを
望みます