GW第2弾 初めての四国旅日記4(2011.5.4)

昨夜酒を買ってホテルに着いたが、あまり飲めず寝た。
朝目が覚めると7時。さすがに体がきつい。足腰にガタが来ている。
今日は四国旅行最終日であるため頑張ろう。
ゆったり目の8:30ロビー集合。

坂の上の雲ミュージアム

ホテルから伊予鉄に乗って、高知市駅へ。伊予鉄道本社前で坊ちゃん列車を見る。
高知市駅から徒歩で銀天街を通って坂の上の雲ミュージアムへ行く。
館内ではゆったり回って、ビデオ上映などを見ていたためあっという間に2時間経過していた。
本を10年前くらいに読んでいたため、あらすじは分かり面白かったが、少し物足りない気がした。

ミュージアムを出て、食事に行くが、瀬戸内料理屋が一杯で結局、カレー屋Coco壱番でカレーを食べる。

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萬翠荘

食事の後に萬翠荘(ばんすいそう)に行く。 萬(よろず)翠(みどり)荘(やかた)→松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅と言う意味だそうです。

大正11年に、久松定謨伯爵が別邸として建築。久松定謨伯爵は松山藩15代当主である。この人は、明治時代フランスのサン・シール陸軍士官学校へ行く時、秋山好古が付き添った人物である。その際は、陸軍はドイツ式になっており、仕方なく付いていっているけど、日本騎兵にはフランス式が向いていたと思われる。フランス生活が長かったこともあり、フランス風の洋館となっている。
この建物の隣に愚陀仏庵があったようだが、昨年大雨で崖がくずれ潰れたとのこと。
愚陀仏庵は街中から移設したとのこと。

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松山城

皆疲れていたため、松山城に登る体力がなく、リフトを使って登ることにした。城の入場料は400円。リフト付の1000円の券を購入。
松山城は、広く櫓、門が沢山残っており、天守自体は大きくないが、非常にバランスが取れた良い城であった。四国の城は全般的に素晴らしい。
城が比較的新しいと思ったが、江戸末期に立てられているからだと分かった。譜代大名だから比較的城の建て替えが認められたのかなと想像する。
ここで少し、松山城を説明する。(HPより)
松山城は、21棟の重要文化財がある。
大天守、三の門南櫓、二の門南櫓、一の門南櫓、乾櫓、野原櫓、仕切門、三の門、二の門、一の門、紫竹門、隠門、隠門続櫓、戸無門、仕切門内塀、三の門東塀、筋鉄門東塀、二の門東塀、一の門東塀、紫竹門東塀、紫竹門西塀
大天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。
小天守は、二重櫓、小天守東櫓とも呼ばれ、大手(正面)の二之丸・三之丸方面を監視防衛する重要な位置にあります。大天守、小天守、隅櫓を廊下で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式城郭といわれています。
大天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。また、「現存12天守」の中で、唯一、築城主として瓦には葵の御紋が付されています。
松山城の築城に着手したのは、西国大名であった加藤嘉明公ですが、広大な平山城の完成直前に会津藩へ転封となり、次に藩主となった蒲生忠知公が二之丸などを完成させましたが、跡継ぎがいなかったため在藩7年で断絶してしまいます。そして、1635年に松平定行公が藩主となり、それ以降、明治維新までの235年間に渡り松山は四国の親藩としての役目も担いました。この間、天守は1642年に五重から三重に改修され、更に1784年の落雷で焼失した後、1854年に再建されました。
これが今の松山城大天守で、現存12天守の中では、唯一、親藩(松平氏)が建築し、「丸に三つ葉葵」(通称:葵の御紋)が付された城郭となっており、わが国最後の完全な城郭建築である天守は、黒船来航の翌年に落成したことになります。
松山藩の松平家は、明治政府より旧姓である久松(家紋は星梅鉢)を名乗るように命じられ、華族に列せられた後、1923年(大正12年)に松山城を松山市へ寄贈しました。当時、二之丸と堀之内は陸軍省の管轄で、一般市民の自由な立ち入りはできませんでした。

松山城を出て、500円の伊予かんジュースを飲む。美味かった。リフトで下り、松山駅に向かう。
電車で松山駅に行き、17時くらいの特急で次の目的地姫路へ移動することに。
松山駅で四国最後のうどん(じゃこ天)を食べ、この旅で計6杯食べたことになる。
電車に酒を買い込み、席を確保。混雑していたがなんとか座ることができた。

車中で、横顔に見覚えがある青年を発見。旅人名「豊作」と言う会社の後輩できりなの同期。名前を呼ぶとびっくりした表情であまり話しをせずに、直ぐに携帯電話でなんやらしている。横に女性がいたため、彼女と旅行に来ていると思い、こちらも知らんふりしていたが、余りの動揺に笑ってしまった。メールで何回かやり取りをしていたが、たぶん「なおなっく達がいる。やばい。どうしよう」などとメールをしていたと思われる。
ちなみに隣に座っていた女性は関係がなく、豊作の前に座っていた女性と一瞬だが話しをしていたのを発見。これまた見覚えがある同じ会社の女性であった。ニヤッ。その女性は、直ぐに別車両に移動していった。メールのやり取りはすべてこの女性との事だなと思い、知らんふりをした。
しばらくすると豊作は気づかれていないと思い、話かけてきたので、旅行の内容を簡単に説明。こんぴらさんに行くとのこと。後ろにいる旅仲間を紹介すると、以前皆仕事を一緒にしていて知っている間柄であった。豊作は座席移動して、丸亀で降りるまではきりな達と話をしていたようだ。偶然ってあるもんだね。

岡山駅で九州組と別れ、山陽道を東に向かう。
姫路に着き、居酒屋でご飯を食べて、ホテルへ。このホテルも3900円と安く、古いホテルであった。シャンプーなどはあり特に問題なし。朝食付きでこの値段。家族経営のようだった。
この日は早く寝た。

4日目終了。歩数15,964歩。だんだん歩数が小さくなっている。

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