名詞、動詞、形容詞、副詞

名詞:ものやことの名前
動詞:文の中核
形容詞:名詞を修飾する
副詞:動詞やそのほかいろいろ修飾する
品詞語尾一覧

 名詞といえば「ものの名前」と教わりますが、よく考えるとこれは少 しヘンな気もします。

 「名づける」というのは何かを指し表すことばとして(ほかのことば でなく)そのことばを与えるということですが、そういうこと ならば「もの」(具体的な事物)や「こと」(概念)にだけ「名づけて いる」わけではありません。「歩く」という動詞は「両足を互い違いに 前に向かって動かす」その行為を「歩く」と「名づけた」と言ってもい いだろうし、「かわいい」とか「愛らしい」とかもその何とも言いよう のないさまをほかのさまと区別するためにそのことばを与えたのだから、 やはりそのように名づけたのだと言ってもいいでしょう。

 と考えれば、動詞も形容詞も副詞もすべては「名前」なんだと言える でしょう。でもこんなところでそういう考え方をしてもごちゃごちゃす るだけなので止めておきます(なにが言いたいんだ)。

 本章では広〜く考えればすべて「名前」であるところの四つの品詞に ついて紹介します。

名詞:ものやことの名前

*名詞のかたち

 名詞は単数形と複数形、名格と対格で変化します。語尾変化は以下の とおりです。

単数複数
名格 -o-oj
knabo(少年), knabino(少女) knaboj(少年たち), knabinoj(少女たち)
対格 -on-ojn
knabon, knabinonknabojn, knabinojn

 上の規則には全く例外がありません。

 語尾 -o が品詞語尾と呼ばれるもので、この語尾は名詞であ ることの指標であり、すべての名詞につきます。言い方を変えれば、語 尾 -o で終わる語は名詞です。辞書にはこの形で載っています。 -j複数語尾-n対格語尾と呼ばれます。j の発音は「ジュ」でな くて「ィ(軽〜く発音する)」です (第1章の「文字と発音」を 参照)。

*複数形

 日本語と異なり、単数と複数の区別を語形で表します。この区別はき ちんとつけないと意味がおかしくなったり意味をなさなくなったりする ので、注意が必要です。 たとえば、 floro というと「一輪の花」ということになります。花畑 に咲く花たちを指していうなら floroj と複数形にしなければ なりません。haroといったら「髪の毛一本」です。おくれ毛など髪の毛 何本かを指すならharojといいます(ちなみに、頭髪全体を指す場合は、 ものの集まりを表す接尾辞-ar- をつけて hararoといいます)。

 「目を開けてよく見ろ」と日本語でいう時、この「目」は両目を指し ているのが普通です(ここでは片目または両目が不自 由な人への配慮はしないものとします)。これをエスペラント でいうなら、

Atente rigardu kun viaj okuloj.

と、複数形でいわなければなりません(単数形だと「どちらかの目で」 ということになり、なんかヘンな感じになります)。

 単数・複数の区別がつくもの(言い方を換えれば、ひとつふたつと数 えられるもの)で、普通いくつかを一緒に扱うものは、複数形で表すな らわしです。

意味複数形意味
lipo唇(の上下どちらか) lipoj
okulvitro眼鏡(のレンズひとつ) okulvitroj眼鏡
sandaloサンダル(の片方) sandalojサンダル(一足)
sxuo靴(の片方)sxuoj靴(一足)

*性

 フランス語やイタリア語などには、文法上の性(ある名詞は「男性」、 ある名詞は「女性」などととして、それにかかる冠詞や形容詞、動詞な どを男性形にしたり女性形にしたりする)というのがありますが、エス ペラントにはありません。

 生物上の性の区別は、あるとしか言えないように思います。接尾辞や 接頭辞で明示するようになっているからです (第5章の接尾辞接頭辞の項を参照)。 この話題に深入りすると厄介な問 題に踏み入ってしまってのほほんどころではなくなるんですが、そ ういう接辞を持ってしまっているのは事実です。

*名詞の特徴

 ラテン語(ロマンス諸語)系統の語彙が多いということは 第1章でも紹介しました。それ以外で目に つくことといえば、きわめて直観的ですが、日本語的な、あるいは漢語 的な成り立ちのものがあんがい多いように見えます(「案外」であって、 語彙全体からすると少ないとは思います)。

 ある日辞書を眺めていて、日本語の「半島」を意味することばが duoninsuloというのを知って愕然としました(「duon (半分の) + insulo (島)」)。

 「半島」といっても半分の大きさの島ではなく、陸地からにゅおっと 海に向かって突き出ている陸地、根っ子の部分を除いて海に面している 土地の塊、というのが実状ですから、そういうものに「半島」と名づけ ること自体、凄い(英語のpeninsulaというのはもとはラテン語か何か で「突き出た島」とかいった意味だったように記憶しています)。それ が、日本語と遠く離れたエスペラントとで逐語的に対応づけられるとい うのも凄い、と思ったのです。

 もっとも、日本語(漢語)の「半島」がヨーロッパ起源の語の翻訳だっ た可能性もあり、エスペラントのduoninsuloも同じ語を起源にしている なら、こうした照応はあり得るでしょう。また、「半」が大きさとか規 模の2分の1ではなく「半分がた島である」という意味なら、異なる言語 で同じ意味のことばを与えることもあるかも知れません。それにしても、 なにかこのあっけらかんと言ってもいいような「逐語的対応づけ」には 感動さえ覚えました。(だからといってエスペラントが日本語に似た言 語だというわけではないんですが)

 このような語の例を下に挙げます。

日本語エスペラント成り立ち
朝食matenmangxomateno(朝) + mangxo(食事)
昼食tagmangxotago(昼,日中) + mangxo(食事)
夕食vespermangxovespero(晩) + mangxo(食事)
朝焼けmatenrugxomateno(朝) + rugxo(赤み)
夕焼けvesperrugxovespero(晩) + rugxo(赤み)
ボールペンglobkrajonoglob(球) + krajono(鉛筆)
期限templimotempo(時間) + limo(限界)

 こうした特徴は「造語」という話題 とも絡んでいます。

*固有名詞と語尾

 「すべての名詞は名詞の品詞語尾 -o を持つ」という規則から、問題 がひとつ持ち上がります。よその言語の固有名詞をエスペラントで扱い たい場合、その固有名詞が都合よくこの言語の名詞語尾 -o で終わると は限らない、というか、まずそんなことはないわけで、ではどうするの かということです。

 ものの本には「原則として、外国語の固有名詞も 〈エスペラント化〉して使うべきで ある」といったことが書かれていますが、筆者が実際の文章を読んだ限 りでは、必ずしもすべてエスペラント風に品詞語尾を添えて使っている わけでもありません。対格は、固有名詞の末尾に「'n」「-n」とか「'on」 「-on」とかをつけて示すのが多いようです。

Mi nomigxas Hitosugi. -- わたしは一杉と申します。
Mi estas Furofue. -- わたしは風呂笛です。
Taro amas Hanako-n. -- タロウはハナコが好きだ。

動詞:文の中核

*動詞は重要だ

 動詞、というか述語(述部)は文の中核要素として重要な働きをしま す。

  1. なんといっても、その文が何をいっているのかを明らかにする役割 があります。
  2. その文の内容が現在のことなのか、過去のことなのか、未来のこと なのかを指し示す役割も述語に課せられます(「時制」というそう です)。
  3. その文が「事実」なのか、事実と異なる仮定なのか、はたまた「命 令」なのかを表す役割もあります(「法」というそうです)。
  4. 文の内容が、主体から働きかける(能動的)のか主体に働きかけら れる(受動的)のかを表す役割もあります(「相」というそうです)。

 ラテン語では、主語の人称、単数/複数の区別も動詞が表しているそ うです。このためラテン語では必要がなければ主語は明示しなくてもよ かったのだといいます(その代わり、動詞の変化ないし活用がそうとう 多岐にわたるはじゅうぶん想像できます)。現在のヨーロッパ語では主 語を明示するために変化は簡略化されたようですが(あるいは変化が簡 単になったから主語を欠かせなくなったのか――この因果関係はどうな んでしょう?)、エスペラントではさらに簡単になっています。

*動詞のかたち

 以下に動詞の活用語尾を示します。これは人称、数によって変わるこ とはありません。

↓法\変化→ 語尾
不定法(不定形)-iami (好む、愛する)
直説法 現在-asamas
過去-isamis
未来-osamos
命令法-uamu
仮定法-usamus

 上の規則には全く例外がありません。どんな動詞でも上のとおりの変 化をします。

 語尾 -i が品詞語尾と呼ばれるもので、この語尾は動詞であ ることの指標であり、すべての動詞不定形につきます。辞書には不定法、 すなわち語尾 -i で載っています。

*不定法(不定形)

 辞書に載っている形です。動詞の原形を示すほかに、不定法として文 の中でいろいろに使われます。日本語で、「生きる」という動詞を「生 きること」という形で使うのと同じような感じです。その動詞が他動詞 であれば目的語をとりもしますし、補語が必要なら補語をとることもで きます。修飾語句を携えることももちろんあります。

 不定法が形成する語句は文の主語にもなりますし、補語にも目的語に もなります。文法的には名詞相当の語として扱われますが、名 詞と全く同じではありません(限定・叙述 するには形容詞でなく副詞を用います。)。

  1. Vivi estas maldolcxe. -- 生きることは辛いものだ。
  2. Mi volas kanti cxi tiun kanton. -- この歌を歌いたいな。

*直説法

 文を「事実」のこととして記述する時の法です(現実に照らして真実 かどうかは問題ではありません)。それが現在のことなら現在形を、過 去のことなら過去形を、未来の(現在はまだ起こっていない)ことなら 未来形を使います。

  1. Mi estas knabo. -- わたしは少年です。
  2. Tio estas krajono. -- それは鉛筆です。
  3. En postkorto estas du kokoj, en korto estas du kokoj. -- 裏庭には二羽、庭には二羽、鶏がいる。
  4. Tiam ni estis tre felicxa. -- あの頃わたしたちは幸せだった。
  5. Hieraux mia patrino naskis mian fratinon. -- ゆうべわたしの妹が生まれた(母がわたしの妹を生んだ)。
  6. Morgaux estos hele. -- 明日は晴れるだろう。

*時

 いわゆる時制は、上の表に見るように、現在か過去か未来かしかあり ません。「現在進行形」という形はなく、「客観的な事実や真理」も 「現在の習慣」も「まさに起こっているできごと」もみんな同じ現在形 で表します(「進行形」を表せな いことはありませんが、好まれないようです)。

Unu kaj unu estas du. -- 1足す1は2です。
Mi dusxigxas cxiumatene. -- わたしは毎朝シャワーを浴びます。
Li legas jxurnalon. -- 彼は新聞を読んでいる。

 上の三番目の例は現在のできごとともとれるし、「あの人は新聞を読 むのが常だ(その習慣がある)」ともとれます。現在のできごとである ことを明示したい時には、「今」を表す副詞などの語句を添えることが 多いです(というか、受け取り手はそれらの修飾語句と文の内容を頼っ て解釈します)。

Li nun legas jxurnalon. -- 彼はいま新聞を読んでいる。
Li cxiumatene legas jxurnalon. -- 彼は毎朝新聞を読む。

 過去についても、それが過去の事実であれ現在から振り返ってのこと (いわゆる「完了」)であれ、過去形で表します。やはり、修飾語句を 添えることで細かい時を表現します。

Tiam sxi dormis. -- そのとき彼女は眠っていた
En mia juneco, mi dusxigxis cxiumatene. -- わたしの若い頃は毎朝シャワーを浴びたもんじゃ
Li gxis nun legis jxurnalon. -- 彼は今まで新聞を読んでいた
Sxi jxus deiris. -- 彼女はたった今去って行ってしまった

 複文になった時の時制の表し方は、日本語と同じでよいようです (「相対時制」と言われます)。

Li diris "Morgaux cxiuj mortos." -- 「明日みんな死ぬんだぁ」と彼は言った。
Li diris ke morgaux cxiuj mortos. -- 明日みんな死ぬんだと彼は言った。

「複合過去」だの「半過去」だの「未来完了」だのはありませ ん。(分詞を使えば完了や複合時 制を表すことはできますが、好まれないようです

*命令法

 「意志法」として説明している本もあります。この方が適切かも知れ ません。

  1. 一人称の命令法は、「意志」(一人称単数)「勧誘」(一人称複数) を表します。疑問文で使うと「申し出/提案」になります。
    Mi mangxu orangxon. -- みかんを食べようっと。
    Ni trinku teon. -- お茶を飲みましょう。
    Cxu mi donu al vi akvon? -- お水をあげましょうか?
    Cxu ni trinku teon? -- お茶しませんか?
  2. 二人称の命令法は聞き手に対する話者の意志を表します。つまり 「命令」になります。
    Se vi havas neniom monon, Venu al mi. -- 金を持っていないなら、 おれのところに来い。
    Timu nenion, kvankam ankaux mi havas neniun. -- おれもないけど心配すんな。
    Vidu tiun bluan cxielon, blankajn nubojn. -- あの青い空と白い雲を見ろよ。
    Iam ni faros bone. -- そのうちなんとかなるだろう。
  3. 三人称の命令法は、主語に「〜させる」という話者の意志を表します。
    Li faru tiun laboron. -- その仕事はあいつにさせよう。

 二人称での命令法に副詞bonvoleなどを用いると、表現が弱められて 「どうぞ〜してください」「お願いします」という意味が添えられます。

Bonvole auxskultu. -- どうか聞いてください。
Bonvole donu al mi akvon. -- 水をください。

 命令法は従属節の中でも用いられます。従属節が動作主の意志を促す ような内容の場合、ないし主文が動作主の意志や願望を表している場合 などに、命令法が使われます。

  1. Mi montrigis al li mian brakhorlogxon por ke li certigu la horon.
    -- 彼が時刻を確かめられるよう、わたしは彼に腕時計を見せた。
  2. Sxi petis lin ke li foriru de cxi tie. -- 彼女は彼にここから出て行くよう頼んだ。

*仮定法

 「事実」と異なる仮定をするときに用います。単なる反事実の仮定だ けでなく、願望や、婉曲表現としても使われます。

 条件節は接続詞 se を使って表します。

Se hodiaux estus bone, mi irus motorcikle. -- 今日晴れていたなら、バイクで出かけたんだけど。
Mi povus esti nun via amato, se tiam vi dirus iom plue. -- あのときもうひとこと言われたら、今でも恋人でいたのに。
Mi volus esti tie plu. -- もっとここに居たいんだけど。

 いずれも、今日は雨だったのでバイクでは出かけなかったし、あのと き恋人が大切な(あるいは他愛のない)ひとことを言ってくれなかった ので今は別れちゃったんだろうし、何かの事情があってもうここにはい られない、というのが《事実》です。

 先には"Se vi havas neniom monon..."と いう例を示しましたが、こちらは「もしきみが金を持っていないなら」 という、事実に反するかどうかは関係ない単なる仮定なので直説法 を使っています。仮定法を使うと、「現実にきみが金を持っている ことは知ってるんだけど、もし仮に持っていなかったとするなら」とい う意味になります。

 「仮定法未来」とか、「接続法半過去」とかいう時制はありません。 仮定している時がいつなのかは、文の別の要素に頼って判定します。

*分詞

 以下の分詞接尾辞を使って名詞、形容詞、副詞を導出することができ ます。

能動品詞語尾
進行: -ant- -a(形)amanta 愛しつつある
-e(副)amante 愛しながら
-o(名)amanto 愛している人
完了: -int- -a(形)aminta 愛し終えた
-e(副)aminte 愛した後に
-o(名)aminto 愛していた人
将然: -ont- -a(形)amonta 愛そうとするする
-e(副)amonte 愛そうとして
-o(名)amonto 愛そうとする人

受動品詞語尾
進行: -at- -a(形)amata 愛されつつある
-e(副)amate 愛されつつ
-o(名)amato 愛されている人
完了: -it- -a(形)amita 愛され終わった
-e(副)amite 愛され終えて
-o(名)amito 愛されていた人
将然: -ot- -a(形)amota 愛されようとする
-e(副)amote 愛されようとして
-o(名)amoto 愛されるだろう人

 例にはいかにもおかしな日本語もありますが、気にしないでください。 分詞接尾辞の意味からすれば、形式上はそういう意味になるということ です。必ずしもすべての動詞について上のすべての形が意味を持つわけ ではありません。(amite(愛され終えた)とかamonte(愛そうとして)と いうのは確かに変です。でも、amoto(愛されるだろう人)などは、「今は 名もなく貧しく誰にも愛されないが、やがて美しく変身し世界中の人に 愛される」物語の主人公を思わせないこともありません)

 分詞副詞は修飾語として使えます。分詞形容詞は以下に紹介する複合 時制や受動態を示すのに使えます。

*複合時制

 動詞estiとともに能動形の分詞形容詞を用いて、完了形や進行形を表 すことができます。

分詞接尾辞estiの時制
-ant-
(進行)
estas (現在) estas amanta (愛しつついる)
estis (過去) estis amanta (愛しつつあった)
estos (未来) estos amanta (愛しつつあるだろう)
-int-
(完了)
estas (現在) estas aminta (愛し終えている)
estis (過去) estis aminta (愛し終えていた)
estos (未来) estos aminta (愛し終えているだろう)
-ont-
(将然)
estas (現在) estas amonta (愛そうとしている)
estis (過去) estis amonta (愛そうとしていた)
estos (未来) estos amonta (愛そうとしているだろう)

 ただし、これらの形は「重い」とされ、あまり使われることはありま せん。通常は現在、過去、未来の単純時 制に副詞や修飾語句をつけて進行や完了の意味を添えます

*受動態

 受動態は動詞estiとともに受動形の分詞形容詞を用いて示されます。

分詞接尾辞estiの時制
-at-
(進行)
estas (現在) estas amata (愛されつつある)
estis (過去) estis amata (愛されつつあった)
estos (未来) estos amata (愛されつつあるだろう)
-it-
(完了)
estas (現在) estas amita (愛され終えている)
estis (過去) estis amita (愛され終えていた)
estos (未来) estos amita (愛され終えているだろう)
-ot-
(将然)
estas (現在) estas amota (愛されようとしている)
estis (過去) estis amota (愛されようとしていた)
estos (未来) estos amota (愛されようとしているだろう)

形容詞:名詞を修飾する

*形容詞のかたち

 形容詞は単数形と複数形、名格と対格で変化します。語尾変化は以下 のとおりです。

単数複数
名格 -a-aj
bona librobonaj libroj
対格 -an-ajn
bonan libronbonajn librojn

 上の規則には全く例外がありません。

 語尾 -a が品詞語尾と呼ばれるもので、この語尾は形容詞で あることの指標であり、すべての形容詞につきます。辞書にはこの形で 載っています。-j, -n については名詞の 項を参照してください。

*限定

 「花」とだけ言ったのではどんな花か判らないから「白い花」とか 「黄色い花」というように、名詞に直接かかり、名詞を限定します。

knabino(女の子)cxarma knabino(かわいい女の子)
knabo(男の子)bela knabo(かっこいい男の子)
anasido(アヒルの子)malbela anasido(みにくいアヒルの子)
komputilo(計算機)facila komputilo(簡単な計算機)
libro(本)malfacila libro(難しい本)

 一般に形容詞は名詞の前に置きます。が、そうでなければ意味が成り 立たないというものではなく、語の長さや文の調子などの理由から、名 詞の後に形容詞を置く例も珍しくありません。

*叙述

 「その本は面白い」という時は、「面白い」は本に直接かかって限定 しているのではなく、その本の性質とか属性とか状態とかを述べている (補語として働く)と考えます。

 叙述であり、補語ですから、通常はそのような動詞が介在します。

  1. Tiu knabino estas cxarma. -- その女の子はかわいいんだぜぇ。
  2. Cxi tiu libro estas malfacila. -- この本は難しい。
  3. Sxi farigxos felicxa. -- 彼女は幸せになるだろう。
  4. Vi sxajnas gxoja. -- うれしそうですね。
  5. Li trovis la knabinon malfelicxa. -- 彼はその女の子を不幸だと思った。

 最後の例は文型的に言うと「動詞(trovis)、目的語(la knabinon)、 補語(malfelicxa)」で、malfelicxaはla knabinoにかかります。意味 としては、knabinoが主語でmalfelicxaがその補語となり、名詞節を 使って次のように言うのと同じです。

Li opiniis ke la knabino estas malfelicxa. -- 彼はその女の子は不幸だと思った。

*エスペラントの形容詞(やや寄り道)

 筆者が読んだ本にはどれもはっきりとは書かれていませんが、この言 語における形容詞というのは、「名詞(品詞語尾-oを持つ語)を修飾す る」のただ一点の働きしかないのではないかと推測しています。情況証 拠からすると。

 動詞の節で触れたように、動詞不定形は名詞 相当の語として使うことができます。多くの点で名詞と同様に扱えるの ですが、名詞と全く同じではありません。その現れが、動詞を叙述的に 修飾する際には副詞を用いる、という規則です。詳しくは 「エスペラントの副詞」を見てくださ い。

 そんなわけで、エスペラントでは形容詞の出番は名詞を修飾したり名 詞の補語となる時くらいしか出番がないようです。

副詞:動詞やそのほかいろいろ修飾する

*二種類の副詞

 副詞はその形から二種類に分けられます。

  1. 本来副詞(原形副詞)と呼ばれるもの。いわばねっからの副詞。決 まった語尾を持たない。
  2. 派生副詞と呼ばれるもの。一定の品詞語尾を持つ。名詞や動詞や形容詞から 派生するものが多い。

 本来副詞はこの言語の創造とともに定められた(たぶん)副詞たちで、 その形はさまざまです。対して、派生副詞は品詞語尾 -e を持 ちます。この語尾は派生副詞であることの指標であり、すべての派生副 詞につきます。言い方を変えれば語尾 -e で終わる語は派生副詞です…… とは残念ながら言えませんが。

*本来副詞(原形副詞)

 本来副詞はこの言語の創造とともに生まれて(たぶん)以来百有余年 に渡って生きながらえている古い古い(たぶん)副詞です。数は30ほど ですから、多くはありません。以下にいくつかを挙げます。

意味意味
ajn〜であろうと almenaux少なくとも
ankaux〜もまた ankorauxまだ
apenauxやっと baldaux間もなく
cxiこの(近接の意) desそれだけ
doでは、それで ecx〜さえ
for離れて hieraux昨日
hodiaux今日 ja実に、まさに
jamすでに jenそらここに
jesはい、肯定 ju〜すればするほど
jxusたった今 kvazauxまるで〜のように
mem自身 morgaux明日
neいいえ、否定 nun
nurただ〜だけ plej最も
pliより、もっと pluさらに
preskaux殆ど tamenとはいえ
treたいへん、とても troあまりに、〜過ぎる
tujすぐに

 do(それでは、そこで)、tamen(とはいえ)のような、ほかの言語なら ば間投詞や接続詞に分類されるような語や、疑問文に対してはい、いい えの返答に使われるjesやneも、副詞扱いされている点に注目してくだ さい(ne は動詞について否定の意を表す、まさに副詞としての用法が ありますが)。なお、kvazauxには接続詞としての使い方もあります。

 用例をいくつか示します。

Jen estas la homo amanta vin. -- そらそこにきみを愛している人がいるよ。
Ja vi pravas. -- まったくきみの言うとおりだ。
Vi jam devis scii tion. -- きみは既にそのことを知っていた筈だ。
Sxi mem neniom sciis tion. -- 彼女自身がまったく知らなかったのだ。
Ecx mi ne imagis tian aferon. -- わたしでさえそのような出来事を想像しなかった。

*派生副詞

 副詞語尾 -e のついた副詞を「派生副詞」といいます。

 なぜ「派生」なのかということは、 第5章の「品詞転換」 で紹介されるんじゃないかと思いますが、「本来副詞(原形副詞)」 たちを眺めていると「どうやらこれらのことばは簡単に他の品詞を想像 できない、他の品詞に置き換えの利かない、最初から副詞であるしかな いものらしい」という気がなんとなくします。(ホントかな? まァ、 とりあえずそういうことにしておいてください)

 派生副詞の方はもとの語(品詞)がちゃんと別にあって、それを副詞 として修飾語に転用しているものです。

 日本語になぞらえるなら、形容詞や動詞の連用形。名詞だったら「〜 的に」とか「〜風に」とか「〜らしく」いうことばをつけた形。に、近 いでしょうか。

「もと」副詞形
dekstra (右の)dekstre (右で、右に)
dolcxa (甘い)docxe (甘く)
proksima (近い)proksime (近く)
rugxa (赤い)rugxe (赤く)
bonvolo (好意)bonvole (好意を持って、どうぞ)
ekzemplo (例)ekzemple (たとえば)
esenco (本質)esence (本質的に)
pravi (正しい、正当だ)prave (正しくも、正当にも)
sxajni (〜に見える)sxajne (恐らく)
trafi (命中して)trafe (命中して、ずばり)

*エスペラントの副詞(けっこう寄り道)

 筆者が読んだ本にはどれもはっきりとは書かれていませんが、この言 語では、副詞というのがわれわれの想像する以上に重要な役割を果たし ているようだと推測しています。「われわれって誰だ」と言われると困 るのですが、筆者の語学経験からすると、日本語の文法でも英語のでも、 「副詞とは動詞や文を修飾することばです」くらいで片づけられて、ま るで修飾語一途、生涯一修飾語、みたいな存在であまり突っ込んで取り 上げられなかった記憶があります。

 形容詞が「名詞を修飾する」に徹しているように見えるのと対照的に、 副詞はこの言語では「動詞も形容詞も句も節も文も、名詞以外のあらゆ るものを修飾する」働きを背負っているのではないかと、筆者は見てい ます。

  1. 形容詞や動詞を修飾する。
  2. 文を修飾する。
  3. 前置詞の後続語として使われる。前置詞とともに使われる。また、 前置詞句の代わりに使われる。
  4. 動詞不定形、名詞節を限定・叙述する。

 形容詞や動詞を修飾するのに副詞を用いるのは、日本語で「用言を修 飾するのには連用形を使う」という規則と同じで直感的に納得できます。 文を修飾するのも副詞本来の働きといっていいでしょう。

 前置詞の後続詞には、ふつう名詞が置かれますが、 その代わりに副詞を置 くことが多多あります。「前置詞 + 名詞」を副詞形で置き換える ことも日常的に行なわれているようです。 「副詞 + 前置詞」 で一種の成句を形成したりもします。

 上の4番目の項ですが、たとえばvivi(生きること)を主語にして、 「生きるってことは大変なことだ」と言いたい場合、 "Vivi estas malfacia."とは言えない、文法的に正しくは "Vivi estas malfacile."だ、ということになっています。この 場合、malfacileはestasを修飾するのではなく、viviという動詞不 定法の補語になっています。 ある本では、「vivi(動詞不定形)は名詞のように扱えるといっても、 動詞という性質を全くなくしたわけではないから」と説明していました。

 これはそれなりに筋が通っているように思えます。「よりよく生きよ」 というように「生きる」そのものを限定的に修飾する時には、(日本語 で連用形を使うのとちょうど同じように)"Vivu pli bone."と副詞を使 います。そこで「動詞を修飾するのは副詞だ」という規則を立てるなら、 動詞の不定形を補語として叙述的に修飾する場合にも副詞を使う、とい うことになります。

 また、keという接続詞を使って日本語の「〜ということ」というのに 相当する名詞節を作れます。「きみはもううちに帰った方がいいよ」と いうのは次のように言えるんですが、この例に見られるように、名詞節 の補語も副詞です。これの理由は知りません。

Estas bone ke vi reiru hejmen.

 しかし、副詞の本来の働きを――何が「本来」なのかはさておき―― 考えてみれば、上のmalfacileもboneも、動詞estiを修飾すると考える ことができる筈ですし、文の意味(文に現れる語の意味)に着目しない のならその方が自然な解釈とも言えるでしょう。すなわち、

生きるということは困難に存在する(存在のありようが困難である)。
あなたが家に帰ることはよく存在する(ありようがよろしい)。

 上のように解釈しようとすると「コリャ何か変だ」ということになり、 「やはりこの場合の副詞は叙述語なのだ」と考えるのが一番落ち着きが よいわけですが、これは何か「解釈してみてしっくりするからそうなの だ」と言っているみたいで、筆者としては少少不満です。

 さらに、ここにひとつ不思議な事象があります。

 先に目的語と目的語の補語を伴う動 詞の例を挙げました。

  1. Li trovis la knabinon malfelicxa. -- 彼はその女の子を不幸だと思った。
  2. Li rigardas tiun laboron senbezona. -- 彼はその仕事を不必要と 見なしている。

 これらの動詞は動詞不定形や名詞句を目的語にとることもできます。 「真面目に働くことはつまらないと考える」というような時です。

Li rigardas labori diligente sensenca. -- 彼は勤勉に働くことを無意味だとみなしている。

ここで、sensencaは"labori diligente"の補語であるのに、副詞ではなく 形容詞を使います。本には「副詞sensenceだと、laboriに係るのか rigardiに係るのか判らなくなるから」と説明されています。確かに、副詞だと どちらに係るのか判りません。動詞不定形が作る名詞句は長くなる傾向があるので、 語順を変えることがありますが、

Li rigardas sensenca labori diligente . -- 彼は勤勉に働くことを無意味だとみなしている。

こういう語順にすると副詞ではますますどちらに係るか判らなくなりますが、 形容詞にすれば文意は明確になります。

 名詞節の場合も同様で、

Mi trovis grava ke mi mem decidas mian volon. -- 自分自身の覚悟を決めることが重要だと判ったんだ。

と、形容詞を使います。

 筆者はこれをとても不思議なことだと思っています。

品詞語尾一覧

 以下に四品詞の語尾をまとめて示します。動詞は不定法以外は入れな くてもよいのですが、ちょっと複雑な表を組んでみたかったのでやって みました(これ、HTMLエディターなど使わずに「手書き」しています (えらい(--)v))。

品詞 語尾例・amo(愛)
名詞 -o amo
形容詞 -a ama
副詞 -e ame
動詞不定法 -i ami
直説法現在 -asamas
過去 -isamis
未来 -osamos
意志法 -uamu
条件法 -usamus

(2001.04.03)
(2002.12.20: CSS対応、加筆修正)

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