5.箕面市粟生新家1大鳥居南西の丁石

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
箕面市粟生新家1−2 東西の西国街道と勝尾寺への参詣道(大鳥居がある)が北に分岐する三叉路に三基が南面して建つ
(鳥居南三基の内、西の丁石。一見、対にも見える「7.箕面市粟生新家1大鳥居南東の丁石」が東にある。)
尖頭型角柱 128x21x18p(頂高12p)(東西北高は79p、頂上は中心より2p南より)
N34.835017 E135.506306


写真cimg1221

写真eimg2865

写真eimg2866

写真eimg2864

南面
┌―――――――――――――――――――――┐
│           施主大坂内淡路町  │
│(梵字コク)三十六町           │
│           小嶋屋長左衛門後室 │
└―――――――――――――――――――――┘
(梵字コクは金剛愛菩薩の種子)

西面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――――┐
│(なし)                 │
└―――――――――――――――――――――┘


(道標ではなく、丁石である。勿論、勝尾寺であろう。)
(梵字の読みは、側の木標より、最も東の丁石はタラーク虚空蔵菩薩の種子らしい)
(三十六町(3.9q)は粟生外院の皿池公園から、善福寺の西の尾根筋を直登する丁石の多く残る道(地図
 上も3.9q)である。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、5)
(同書では、もう一方(7.粟生新家1大鳥居南東の丁石)を
 寄進石とし、これを丁石としている。
 異なっている点を挙げると、
 1.石のサイズが異なる。当方が少し厚く、頭頂部が長い。
 2.種子が異なる。
 3.屋号に、当方は「屋」が付いている。東のものには無い。
 4.当方は、丁数の目的地が書かれていない。東のものは「惣門」としている。
 一般的に丁石の場合は、本堂までの距離を示すので、此方は勝尾寺の本堂迄の距離と思われ、もう一方
 の東の丁石(寄進石か)は通常と異なるので、惣門までと明記していると考えられる。
 そうすると、両者には、惣門から本堂までの距離だけ離れて建っていなければならないが、今は同じ距
 離にあり、どちらかが移設、もしくは両方移設されていることになる。現在の本堂と総門からすると、
 250m(2.5丁)離れている必要がある。
  北にある丁石との関係から、本堂までの距離を示す丁石が相応しいと考えたが、当丁石を含め、表参
 道にある、惣門迄と明記された丁石を除いた、全ての丁石が『応頂山勝尾寺講堂諸堂目録(江戸後期)』
 以降に、移設されたとの結論に至った。)
(詳細は、下記「表参道丁石一覧」を参照下さい。東の丁石が元の位置であるとした。))
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

写真eimg2857 写真eimg2862 写真eimg2889
【1.丁石を東に望む 【2.丁石を北に望む 【3.丁石を西に望む
 右奥(東)  左(西)西国道を今宮へ  奥(西)今宮へ
 左、参道を勝尾寺へ】  右奥、参道を勝尾寺へ】  右鳥居を潜り参道】

写真eimg2907 写真eimg2894
【4.南面中央下拡大 【5.東面上部拡大
 左側「…屋…」の字が  何故か頂点が南側に
 入っているのが見える】  2pズレている】

写真eimg2898
【6.東側丁石の南面拡大
 左側施主部分は
 「町小嶋長左衛門」で
 「門」は「つ」に見える】

写真dimg2458 写真cimg7535
【7.箕面市の道標】 【8.勝尾寺への参道】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ