22.宝塚市中山寺2中山寺梅林内道標

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宝塚市中山寺2丁目11 中山寺西の梅林内観音像の少し東側、散策道の脇に東を正面に建つ
尖頭形角柱 53x南面23x21.5p(頂高5p)
N34.822186 E135.365899


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東面
┌─――――――――――――――┐
│  伊丹池田         │
│すく    〔道〕      │
│  箕面           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│ なた            │
│  若林嘉兵衛        │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│すく荒神花山院        │
│       道       │
│左 西宮中山         │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│右觀世音菩薩道        │
└―――――――――――――――┘


(〔 〕部は『たからづかの道標』(昭和61年刊)60より
 「巡礼街道沿いにあったものを中山寺境内に移して保管していたが、
 梅林造園に際して現在地へ移された。旧位置は全く分かっていない。」とある。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)60の碑面の記述で、正(面)、右、左、背、が
 間違っている。正面が正しいとしたなら、左から順に、右、左、正、背、であろう。
 蛇足ながら、私見として、敢えて正面とするなら「若林嘉兵衛」の面としたい。)
(「若林嘉兵衛」とある道標は、宝塚市内に五基あり、
1.宝塚市清荒神2−18の道標
2.宝塚市売布3丁目20の道標
3.売布小学校内の(小)南側道標
4.宝塚市売布3(小)南側の道標
5.宝塚市中山寺2中山寺梅林内道標(この道標)
 他市では見つかっていない。)
(元位置を考えてみると、上記で西面と東面は直線方向を示しているので、この近辺で符合するのは、巡礼道である。
 但し、現状から180度回転する必要がある。その結果現北面が南面となり、「右観世音菩薩道」が東折れを示す
 と共に、南から来る道があることになる。
 「観世音菩薩道」を中山寺への道とすると、寺より西に有るべきで、寺に移管してあったことより、寺よりあまり
 遠くないとして、明治の地図より候補地を探すとほぼ一点となり、目立ちたがり屋の若林嘉兵衛なら、それが道に
 面するように建てたであろう。
  これらから宝塚市中山寺2丁目2−13、南、蕨野、小浜から来る道が、巡礼道に当たる筋違いの四辻の南西部
N34.819643 E135.367440
 或いは、道を挟んで東、辻の南東部、辺りではないかと思う。
  但しこの考えの欠点は、現西面の「左 西宮中山」の中山をどうするかであるが、中山寺と西宮を結ぶ道とした
 い。西宮ー中山道が一般的であったかは不明であるが、『たからづかの道標』には「西宮街道」小浜−伊孑志−
 西宮とし模式図では、中山−米谷−小浜と結ばれており、指示される道を行けば、米谷を通らず直接小浜に出る事
 が可能で西宮中山道の表現は街道名として捉えてもよいであろう。)

「なた若林嘉兵衛の道標比較」はこちら。

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【1.梅園内より西を望む 【2.道標のよく見える面に 【3.中山寺墓地より梅園(北)を望む
 画面やや右観音像下  「若林嘉兵衛」と彫られ  道標は中央やや左方向】
 に見える当道標、  ているが、元の向きには
 元位置は不明】  180度回す要あり】

写真dimg1480
【4.元位置と想定した辻から西を望む
 左奥から右手前が巡礼道中山寺へ
 左へ西宮道、右は墓地、奥之院へ
 南北の道がズレている

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【5.宝塚東部の道標(明治44年)】 【6.変体仮名(た)
 
 『くずし字解読辞典』より】
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