20.宝塚市売布3(小)南側の道標

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宝塚市売布3丁目15−24 南西−北東の巡礼道から北に売布神社への参詣道(清荒神への抜け道)が分岐する三叉路の西部に東を正面に二基建つ
2基目の内、南側の小さい道標
尖頭形角柱 66x東面22.5x20.5p(頂高4p)
N34.816418 E135.360486


写真dimg1453

写真dimg1454

写真cimg2466

写真cimg2468

東面
┌─――――――――――――――┐
│右 荒神道          │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│すく 中山          │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│   清水          │
│すく             │
│   寶塚          │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ なた            │
│  若林嘉兵衛        │
└―――――――――――――――┘
(「た」は変体仮名「多」)


(『たからづかの道標』(昭和61年刊)56では、
 「なた」を「なだ」としている。)
(又、「55の道標の左隣に立っている。」の記述と共に同じ方向からの写真が掲載されている。
 それによると、「55道標」とは当書の「20.宝塚市売布3(小)南側の道標」であり、その
 向きは2016年現在とおなじである。しかし、当道標にあっては、「すく/清水/寶塚」の面が正面
 (東面)となっている。即ち90度時計回りに回転した状態である。
 昭和61年当時が元の状態とは断言出来ないが、少なくとも、今の状態よりは、案内が妥当になる。
  今90度右回転させると、現南面が西面となり、「すく中山」が東を指し、東西の問題は無くなる。
 ただ、東面が南面となり、理論上は「右荒神道」が東を指すことになり、北を指さず、中山寺へ向
 かう方向となるのが問題となってしまう。
  現場を見ると、東西の道は一直線でなく、やや南へ曲がっているため、60度程度の回転でもよく、
 三叉路の西部か、北西部にあれば、道の構造上、南面に「右荒神道」と書かれていても、北西方向
 (右折)へ進むことに、無理はない。
  こう置けば、現在一番見難い「なた若林嘉兵衛」の面が、清荒神から、中山寺へ向かう道筋から
 よく見えることにもなり好都合。(理由は、下記「なた若林嘉兵衛の道標比較」を参考下さい。)

 「若林嘉兵衛」とある道標は、宝塚市内に五基あり、
1.宝塚市清荒神2−18の道標
2.宝塚市売布3丁目20の道標
3.売布小学校内の(小)南側道標
4.宝塚市売布3(小)南側の道標(この道標)
5.宝塚市中山寺2中山寺梅林内道標
 いずれも、「なた」となっている。他市では見つかっていない。)
(清荒神へは、この道標を西(巡礼道)に進んでもいけるが、右(北から西)が近かかった
 と思われる。2016年現在では、売布神社の鳥居前より西は、売布小学校と中国自動車道で
 途切れた後、上記2の「宝塚市売布3丁目20の道標」辺りから清荒神へと続いている。)

「なた若林嘉兵衛の道標比較」はこちら。

写真dimg1460 写真cimg2467 写真dimg1466
【1.巡礼道より北を望む 【2.巡礼道より東を望む 【3.巡礼道一つ東n交差点より西を望む
 奥左が売布神社鳥居を  右(南)側が当道標】  道標を左へ巡礼道
 経由し清荒神への道  
 右折は清荒神、上記3道標への道
 30m北カーブミラーで西折れし、  
 東西の道が直線でない
 先は小学校と中国自動車道
 で途切れる】

写真dimg0759 写真dimg1687
【4.宝塚東部の道標(明治44年)】 【5.変体仮名(た)
 
 『くずし字解読辞典』より】
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