16.宝塚市売布3丁目20の道標

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宝塚市売布3丁目20−21 東西の中山寺から清荒神への道に南北の道が交差する四辻の北東部民家内に南を正面に建つ
尖頭形角柱 70x20x20p(頂高6p)
N34.815102 E135.356293


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南面
┌─――――――――――――――┐
│すく中山道          │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ なた            │
│  若林嘉兵衛        │
└―――――――――――――――┘
(「多」の変体仮名「た」)

北面
┌─――――――――――――――┐
│左荒神道           │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘


(近畿地方の歴史の道9より)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)では70。
 「売布〜清荒神近道
 中国縦貫自動車道の建設によって周辺の状況が変わっており、本道標も場所が移動した」とある。
 そこに載る写真には、「17.売布3丁目20の新道標」と並んで写っているので、一時は同じ位置に
 移設されていたものと思われる、2016年現在では、再度移設されている。
  現地点を明治の地図で見ると、東西に通る道(巡礼道より190m北、売布神社から清荒神へ)と
 米谷から北上してきて、清荒神へ抜ける道との四辻にあたる。
 北への道は100m程で西に折れ細道となって(520m)おり、この四辻を西へ進む道(500m)と
 やがて合流し、西への道に対し近道とは言えない。
  又、「すく中山道」は西面していたであろうから、「左荒神道」は東面し、南折れが荒神道と
 なってしまい矛盾する。
 「左荒神道」が南面し、西折れが荒神道を示すなら、「すく中山道」は北面し、南行して巡礼道へ出ると
 解釈すべきか。
  現地の現在の様子を見ると、東から西への道が少し筋違いの四辻になっている。そこで、辻の南西角が
 斜めの辺を持っているので、ここに、置き、「左荒神道」を南東面にし、「すく中山道」を北西面になるよう
 45度回転させた状態にすると、納まりがよいと思う。即ち現地点の反対側に位置したと思う。
 結果、「若林嘉兵衛」が正面に見える。
 「若林嘉兵衛」とある道標は、宝塚市内に五基あり、
1.宝塚市清荒神2−18の道標
2.宝塚市売布3丁目20の道標(この道標)
3.売布小学校内の(小)南側道標
4.宝塚市売布3(小)南側の道標
5.宝塚市中山寺2中山寺梅林内道標
 他市では見つかっていない。)
(道標が回転している理由は、現在の道路状況に合わせる為と思われる。即ち、中山寺へ行くには
 この地点で北に進み次の辻で東に折れ、中国自動車道の上を橋で渡り、売布小学校の北に出て、
 学校を回り込み売布神社の前へ出なければ、中山寺に行けないからだと思われる。
 本来なら、建立地点から東へ進めば直行できたいたものが出来なくなったためである。
 道標西横に建つ現在の道案内も北を「中山寺」としており、これと合わせるため、南面させたの
 であろう。「左清荒神」は正反対となる為、「見難い様にしてある」とは考えすぎであろうか。)

「なた若林嘉兵衛の道標比較」はこちら。

写真dimg1557 写真dimg1556
【1.四辻より北を望む 【2.四辻より東を望む
 中山寺は右(東)方向  突当りは自動車道で行止り
 左(西)清荒神への道  その左に「新道標」がある。
 道標元位置は四辻南西  中央、カーブミラーの左の新しい
 部ではないか】  道案内も北を「中山寺」とする
 
 東西の道がズレている

写真dimg0759 写真dimg1687
【3.宝塚東部の道標(明治44年)】 【4.変体仮名(た)
 
 『くずし字解読辞典』より】
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