40.箕面市箕面1駅前の道標

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箕面市箕面1−9 駅前ロータリーの交番南側の歩道の北端西に、南を正面に建つ
角柱 320X南面57X36p(台石38X東西135X110p)
N34.835402 E135.468832


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南面
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│日本 元神宮寺事西江寺         │
│  大聖勸喜天出現霊場         │
│最初        是ヨリ北三町    │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――――┐
│千萬能たからをすくふ美乃於山 敦閑児  │
│  身乃とみうくる處なりをけ      │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――――┐
│明治四十五年五月建之          │
└――――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――――┐
│□ 中原藤八   福□ □□次郎    │
│  奥田猶治郎     魚佐      │
│         周旋人        │
│  □ 年男    定井鶴三郎     │
│  □□□□       □原□□   │
│  横山若中    杉田□□      │
│  西村兵八    □村定吉      │
│          國木盛助      │
│  □野市蔵 石工 京極新太郎     │
│  和田寅吉    佐野伊四郎     │
└――――――――――――――――――――┘


(明治四十五年五月は、西暦1912年5月となる。)
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、65)
(同書に「建立された明治四十五年は阪急電車が開通した二年後で、…位置は当時といくらか変わっている
 かもしれない。」とある。
 各面の文字面は彫り下げられており、
 南面 245x41x4cm、西面 181x22x4cm、北面 57x42x2cm、東面 181x22x2cmと成っている。
 非常に大きなもので多額の費用が掛かったものと思われ、多数の人名が彫られているが、何故か、慌ただ
 しさを感じさせる刻み方である。)
(南面「是ヨリ北三町」の下に42x7x0.5cmの四角い窪みがある。これは文字を削り取った跡かも知れず、
 上の字と同じ大きさなら二文字程度か。
 現在地から西江寺へ三丁(327m)で行くには、滝道でなく、東へ進み、中の坂の四辻(今も道標がある)
 を北に折れなければならない。依って、滝道に進まないように、「右へ」等とあったのかもしれない。
 土産物屋さんには不都合であろう。)
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標南面拡大
 道標の後ろ交番  台石は余り大きくない  左側「北三町」の下
 左、駅改札口】  右奥はバス乗り場】  凹みが見える】

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【4.西面拡大 【5.北面下部拡大
 西面意味不明  人名下部の
 左(北)面人名多数】  「周旋人」は珍しい】

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【6.箕面市の道標】 【7.勝尾寺への参道】

2022/5追記
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【8.西面拡大
 「千萬のたから…」
 に読みを変更】

写真iimg5423
【9.西面下部拡大
 らしい名前「敦閑児」
 大いに閑人ではどうか?】
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