箕面市粟生間谷 南北に通る表参道が北勝尾寺山門まで階段となってすぐ、道の西側に、東を正面に建つ
(参道から、西へ自然研究路5号が分岐する三ツ辻の北(下)10m)
五輪卒塔婆型 175x東面22x21.5p(水輪17x22x21p)(火輪15x22x21cm)(風輪6x?x?p)(空輪16x?x?p)(基部25x東面28x26cm)
N34.862714 E135.493868




東面
┌――――――――――――――――――――┐
│(梵字)二町 阿闍梨高□ │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字はタラーク『箕面市史』より、種子は宝生如来)
南面
┌――――――――――――――――――――┐
│(梵字) │
└――――――――――――――――――――┘
(梵字はバン『箕面市史』より、種子は大日如来)
北面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし) │
└――――――――――――――――――――┘
西面
┌――――――――――――――――――――┐
│(なし) │
└――――――――――――――――――――┘
(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では24)
(同書に、「施主は市史に高像とあるが、高慶とも読める。」としており、南横に建つ現在の木標は、
「高」とし下は明確にしていない、「慶」とした場合は、まだれの部分が行書に近く全体的なバランス
が悪い、市史の「像」とすると、上部の横線がなじめない。
そこで、左のタレの部分より下に位置する、波打つような彫りに注目し、「應」とするのはどうであろ
うか。
尚、『箕面市史』では「高像」にママと振ってあるので、出典の『勝尾寺旧参道下乗石五輪塔婆・町石
五輪塔婆調査票』昭和39年3月12日が元かと思われる。)
(又同書に、「正面にタラーク…、左側に…バンが刻まれている。二面に刻字のあるのは他にない。」と
ある。確かに同年代作成とされる七町までの丁石には見当たらない。深く知らないが、wikiの五輪塔に、
「木製板塔婆も五輪塔の形態を持ち、表に下から「地・水・火・風・空」の梵字による種子を、裏には
仏教の智慧をあらわす金剛界の大日如来の種子「バン」を梵字で書くことが多い」とあり、南面に、
その「バン」が彫られているのはそれ等と関係があるのではないか。但しこの石のみの理由は分らない
ままである。
『箕面市史』第一巻、昭和39年刊に、若干の記述が有り、「別格」としているが意味は理解出来なか
った。
記述は、「21.箕面市粟生間谷(下乗石)の道標」の【補記】参照。)
(地輪と水輪の境は直径18pの円形となっており、他の上部欠損の丁石とほぼ同じで、欠けた丁石を五
輪塔としても問題はないだろう。)
(尚、宝治元(丁未)年十一月1日とすると、鎌倉時代西暦1247年12月6日金曜日、当時のユリウス暦では、
1247年11月29日となる。)
(勝尾寺丁石に関しては
43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
も参照下さい。)
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【1.丁石を北に望む |
【2.丁石を南西に望む |
【3.丁石を西に望む |
奥(北)に下って |
白看板右へ自然研究路5 |
左は、教育委員会の |
勝尾寺山門へ】 |
左上直進、三町丁石へ】 |
木標】 |
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【4.丁石北面の拡大 |
【5.東面地輪下部拡大 |
【6.東面地輪と水輪の |
梵字が一字のみ |
南、木標には「…高」 |
境部分を拡大 |
刻まれている】 |
「…高應」に見える】 |
直径18p程度】 |
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【7.箕面市の道標】 |
【8.勝尾寺丁石分布図】 |
【勝尾寺旧参道の案内板】

勝尾寺旧参道
勝尾寺旧参道は西国街道の新家の大鳥居から、三十
六町(約4q)の道程を経て山門に至ります。現在こ
の間には寺までの距離を示す町石が二十基確認されます
が、本来は一町ごとに建てられていたと推測されます。
町石には必ず梵字が刻まれていますが、これは金剛界の
種子曼荼羅の各尊を表わしたものです。
二十町の町石のうち、下乗石から七町石までの八基の
町石は、勝尾寺に伝えられる古文書によると、宝治
元年(一二四七年)の建立で、これは、文永二年(一
二六五年)高野山の町石よりも古く、我国で最古の町
石として、昭和四一年、国の史跡に指定されています。
山門前から新家の大鳥居に向かって進むと、途中には
国の史跡に指定された勝尾寺八大膀示石蔵(国指定史跡)
のうちの牛未方石蔵、清和天皇と行巡上人の対面石、江
戸時代に建てられた十二基の町石等、さまざまな文化財
が点在しています。
箕面市教育委員会
(町石の略図)
(東面の拓本)
(参道の地図)
(説明板では、「旧参道」としているが、当資料内では、「表参道」と表現している。理由として、丁石
の残る旧参道が、他にもあり区別する為である。)
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