35.箕面市外院谷山尾根道の七丁道標

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箕面市外院 勝尾寺からウツギ谷参道を南行し、途中、南西谷山尾根道へ分岐後130mの三叉路の北部に南を正面に建つ
(ここは、南、谷山尾根道を白島へ、北西は、茶長坂川沿いの府道4号と43号の交差点へ、北東130mで、
「30.箕面市外院ウツギ谷と谷山尾根分岐点の道標」に出る三叉路である。)
頭丸型角柱 91x20x20p(頂高2p)(像部19x15x2p)(基部20x24x東面30cm)
N34.857113 E135.491380


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南面
┌―――――――――――――――――┐
│(馬頭観音像)右かち於じへ    │
│            七丁   │
└―――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――┐
│□誉利教信尼           │
└―――――――――――――――――┘
(□は「王」に「頁」で「キョク」と読む字)

西面
┌―――――――――――――――――┐
│俊證宜道信士           │
│證岸清讃信女           │
└―――――――――――――――――┘
(「宜」は「直」かもしれない)

北面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、51)
(同書に「南面に「右かちをじ七丁」と刻まれているのは白島方面から上って来た人に勝尾寺への道程を示
 したものである。」とあるが、此処から七丁では、距離がやや不足しており、距離を手掛かりにすれば移
 設の可能性が高い。
 因みに、明治の地図上で山門までの水平距離は950m、となり9丁に相当する。丁石では無い事を考慮し
 ても、2丁の誤差はあり得ない。山門までを示したとするなら、現在の「30.箕面市外院ウツギ谷と谷
 山尾根分岐点の道標」辺りか、本堂までを示したものなら、現在のしらみ地蔵の南の辻辺りに建てられて
 いたと思われる。)
(又、同書に「尼になった人が近親者の供養のために建てたものである。」としており、それが正しければ、
 東面の「利教信尼」が施主となり、西面の二人が供養される人であろう。)
(西面、「宜」とするには、ウ冠部分が「ナ」に見え、「直」の略字とするには、「目」が「日」となり、
 悩ましい。)
(丁石に関しては
 43.「箕面市勝尾寺の東巡礼道丁石一覧」
 44.「箕面市勝尾寺の表参道丁石一覧」
 45.「箕面市勝尾寺のウツギ谷参道丁石一覧」
 46.「箕面市西江寺の高山道参道丁石一覧」
 も参照下さい。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北に望む
 右(北東)谷山尾根道  奥谷山尾根道を白島へ  奥(北)勝尾寺へ
 左、府道43号へ】  右(北西)茶長坂川橋へ】  七丁では足りない】

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【4.道標の南面を拡大 【5.道標の西面を拡大 【6.道標の北側に建つ
 「た」に見える字は  夫婦二人の戒名か  案内板
 「於」のくずし字「お」】  東にも女性一名分】  「G3」ポイントとある】

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【7.箕面市の道標】 【8.勝尾寺への参道】
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