52.高槻市原1496の道標

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高槻市原1496 府道6号、原の四辻(神峰山口バス停)から北東280m変則四辻の北東部に南を正面に建つ
(府道6号の旧道らしき道が南北に通じ、原中村方面から神峯山への小径が東西に交わる四辻であろう。)
(バス停より東へ、三つ目の道標)
尖頭型角柱 78x18x南面18.5p(頂高3p)上面5φ凹む
N34.894106 E135.604757


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南面
┌―――――――――――――――――――┐
│右神峯山寺道             │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│嘉永元申年九月            │
└―――――――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 大坂三郷              │
│     山舛俵清          │
│ 山上講               │
└―――――――――――――――――――┘
(「郷、舛」は、くずし字で書かれている)

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘
(『高槻の道しるべ』より)


(嘉永元(戊申)年九月1日とすると、1848年9月27日水曜日となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、30)
(同書に、「「大坂三郷」とは、大坂城の西に広がる旧大坂町620町の総称で、南組、北組、天満組の3つに分かれて
 いた。」とあり、今風に言えば「大阪市」等か。山舛俵清は姓名とは思えず、屋号と「清」か。「俵」が付くので俵
 屋か米関係の職業かと思う。)
(北西50mに、「原1583の道標」があり、更に西230mの交差点に「原1303の道標」がある。即ち現府道6号
 の神峰山口バス停から来ると、三番目の道標となる。)
(尖頭型角柱であるが、頂上部には、直径5p程度の盃状穴があり、人が触り易い位置にあったことが伺える。前述の
 書にも「バス道にあわせてあとからたてたものであり…」とあるように、移設されたようであるが、近辺の道標と少
 し雰囲気が違い、元位置に関しては手掛かりが無いが、
 明治の地図では、大坂方面から来た場合、この辻を通る事は無い様で、少し南の、「原1567の牛地蔵の道標」か、
 さらに南の「原2017の南の大正の道標」辺りにあったものを、同じ位置に複数を置かず、ここへ流用したと考え
 るのはどうか。)
(紀年より、「神峯山寺本堂、堂内東長押上小壁に掲げる奉納額、文化七(1810)年」にある16基には、該当しない。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南に望む
 奥、神峯山寺へ  左奥に51道標あり  奥(南)原立石へ
 右(南)牛地蔵へ】  左折し神峰山口バス停へ】  左、神峯山寺へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標上部を北東に望む
 奥(北)原上條へ  「大坂三郷」  頂上部に盃状穴あり
 右側、洗い場か】  「山舛俵清」とした】  平よりも窪む】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】

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【9.神峯山寺参道地図】
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