50.高槻市原1303の道標

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高槻市原1303-1 府道6号神峰山口バス停の四辻交差点の北東部に南西を正面に建つ
(バス停より東へ、一つ目の道標)
尖頭型角柱 西面105x21x21㎝(頂高4㎝)(基部5㎝高さに含む)北東へ大きく傾く
N34.893642 E135.602102


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南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(梵字)従是神峯山寺道        │
└―――――――――――――――――――┘

南東面
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│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(南西面の梵字はベイ「毘沙門天」の種子であろうか。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、№28)
(同書では、バス停からこの道標を含め東への道にある三基は、以前上ノ口にあった道標等を移設したようだ、として
 いる。断定的ではないが、この道標には「従是」となっており、他の道標には無い。この二文字があることにより、
 神峯山参詣の道の初めに置かれていたと考えられ、上ノ口よりも現在「原2017の南の大正の道標」がある三ツ辻
 にあったとするか、丁石の起点と思われる鳥居(牛地蔵がある)地点の方が良いと思う。
 鳥居地点には別の「従是」の付かない道標が二基「№4849」も建っている為、原と上條の分かれ道三叉路の
N34.886707 E135.599975
 辺りを元の位置としたい。
 この地点は、「三島江2の道標」の二里半、「芥川町4地蔵堂の道標」の四十丁到達地点となり、文字通り「従是」
 「これより参道」の開始地点に相応しいと思われる。
 尚、もう一基「従是」の付く道標があったらしいが、これは「京坂道(丹波古道)」からの参道の起点であったと思
 われる。)
「神峯山寺本堂、堂内東長押上小壁に掲げる奉納額」にある16基の内の一つとされるようである。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北に望む
 奥(北東)神峯山寺へ  左側の電柱の  背面(南)は高槻駅へ
 左右、府道6号線】  下に当道標】  奥、亀岡方面へ】

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【4.道標の南西面拡大 【5.元位置?を南に望む 【6.神峯山寺参道地図】
 北東に大きく傾く  正面トラックが三ツ辻
 移設とされる】  画面左に大正の道標】

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【7.高槻中部の道標】
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【8.高槻南部の道標】
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